1 :
世界@名無史さん:
フンがそんなに強かったのか?
ふーん
これがほんとの糞(フン)スレ。
フン族決算疑惑
5 :
世界@名無史さん:2005/08/02(火) 13:15:54 0
フン)
Hmm Hmm Hmm
7 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 14:50:29 0
m Hmm
8 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 14:54:32 0
元々ゲルマンとローマは領土争いしてたわけで
ローマが弱くなったからバランスが崩れて肥沃なローマ領内にゲルマンがなだれ込んだんだろ。
それでゲルマンが少なくなった東欧地域にフンが侵入した。
9 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 15:08:55 0
ゲルマン騎士「やあやあ我こそはヘンリック王、ヒルデリック王の2代にわたって仕えたる騎兵隊長ポロポロンの子スレズレンなり。
我と思わん者はいざ尋常に勝負せよ!」
フン族の王 「相手は一人なり。それ!一斉に打ちかかれ〜」
ゲルマン騎士「なんと!卑怯なものどもよ。」
10 :
世界@名無史さん:2005/08/04(木) 07:19:21 0
>>1 「ゲルマン人がフン族に圧迫されて玉突き式に移動した」
というイメージを持っている人が多いが、実際は「雪だるま式」に
膨れ上がっていったというのが真相。
11 :
世界@名無史さん:2005/08/04(木) 08:34:18 0
膨れ上がったのはゲルマン?フン?
12 :
世界@名無史さん:2005/08/04(木) 12:30:53 0
フンはモンゴル並みに強力な軍隊だったんだよ。
ゲルマンごときが太刀打ちできるわけ無いだろ
フン族もアッティラがローマと戦って勝利したけど皮肉にもそれによって
結婚したホノリアに毒殺されたんだよな。
14 :
世界@名無史さん:2005/08/04(木) 13:25:44 0
ヴァンダル族がローマを攻略したときはカルタゴから攻め寄せたわけだが
これはきっと滅ぼされたカルタゴの怨霊が後押ししたに違いないw
フンが膨れ上がってゴート人を撃滅、西に追いやったのが発端だろ。
恐怖におびえた他のゲルマン人も東から押されるように西へなだれ込んだ。
キプチャク草原に居たクマン族なんかもモンゴルの攻勢を受けて
ハンガリーやらブルガリアやらアナトリアやらへ逃げていますね
彼等もイーゴリ戦記じゃないけど好戦的に見られてたみたいだし
17 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 19:56:56 0
>>13 ホノリアとは結婚なんてしてない。
相手はヒルディコだ。
だいたい毒殺の証拠なんてない。
もういちど勉強しなおせ。
18 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 20:01:55 0
当時ゲルマンは侵略できるほどの富と力がなかったから。
19 :
世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:36:04 0
ゲルマン人はただ好戦的なだけで実はスーパーヘタレだったんじゃない?
今は最強だけどな。
21 :
世界@名無史さん:2005/08/17(水) 01:31:06 0
↑それはアングロ・サクソンも含めてってこと?
22 :
世界@名無史さん:2005/08/17(水) 03:09:07 0
>>19 ゲルマン人が好戦的ってこと自体が根拠のない偏見だろう。
どんな民族でも力があまれば好戦的になるし、弱ければ平和的になる。
23 :
世界@名無史さん:2005/08/17(水) 04:05:48 0
朝鮮人は平和の民です。この5000年間、外国を侵略したことがない。
つベトナム
日本人もどちらかと言えば好戦的な方に入るな
何処が?
30 :
世界@名無史さん:2005/10/13(木) 14:12:16 0
俺の想像なんだが、ゲルマンの宗教はキリストを人間と主張するアリウス派キリスト教。325年の二ケーネの公会議で異端とされローマから北方へ追い出された。
一方の騎馬民族はシルクロードを舞台としており、シルクロードはローマによって70年に国を追い出されたユダヤ人の独壇場。シルクロードには旅程の一週間ごとにシナゴークが作られていた。ユダヤ教は勿論、キリスト教には根底から反対している。
そこでだ、宗教的にはゲルマン人のアリウス派キリスト教と、キリスト教を認めないユダヤ人とは組みやすしってことじゃなかったのかな。
31 :
世界@名無史さん:2005/10/13(木) 19:41:54 0
アッティラは草原を追い出されてパンノニアに逃げ込んだ遊牧社会での負け組
>>23 ヽ◇ノ <女真征伐もやったニダ! ウェーッハッハッハッハ
)
・∵.◯<V
/\
.>\
33 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 09:38:16 0
マルコマンニ族
34 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 09:41:28 O
うん、確かにアリウス派とユダヤ教なら妥協できそう。
35 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 11:21:46 0
無理でしょう。
イエスをメシアと認めるか認めないかでそもそも全然かみ合いませんから。
37 :
世界@名無史さん:2005/11/09(水) 23:09:34 0
フン族の中に英雄が現れて、アレキサンダーがペルシアを目指したように、その英雄は周りの部族を征伐し、
また彼らを仲間に糾合しながら、伝え聞く永遠の都ローマ、または肥沃なオリエントを目指したのではないだろうか。
英雄とその仲間の並外れた能力により、ゲルマン人は敗走するしか術がなく、やがて難民となってローマに殺到する。
やがてその英雄は名を残さぬまま、歴史の塵にうずもれる。
バカ世界地図って本が最近出ているけど、面白いね。
匈奴が今もある国と思っている人もいるらしい。
39 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 00:49:33 0
要するにこういうことだ。
ゲルマン人=戦闘民族サイヤ人
アッティラ=フリーザ様
しかし、やがてスーパーサイヤ人が世界を制するのである。
40 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 11:05:49 0
40ゲット
41 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 13:56:33 0
漢に負けた匈奴=フンに負けたゲルマンに負けたローマw
漢最強
42 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 15:24:39 0
>1
ゲルマン人以上にフンが好戦的だったから追われた。
以上このスレ終了。
43 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 16:13:44 0
>>41 単純にそうともいえない。
遊牧民が移動するのは気候的な変動とも言われてるし。
つうかひとくくりに「好戦的」とか言ってる時点で歴史考証にも何にもならない
45 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 16:22:40 0
>>44 ゲルマン人からみても野蛮だったのはローマの記録に残ってる。
最近だと馬の世界史とかにちょっと記述があるけど。
つーか、ガリア戦記やゲルマニアに出てくるゲルマン人は
たしかに本当に野蛮で好戦的な連中だけど
この時期になると、ローマ社会にもかなり入り込んで
文明化の影響を受けているわけだしなあ。
ローマ人とか「文明国」の人間っつうのはえてして他の民族を野蛮呼ばわりするもんだろ。
48 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 23:13:28 O
フン族は馬術と射的技術に長けていたが、
ゲルマンは単に身体がでかいだけだった。
49 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 00:20:49 0
ゲルマンが馬を戦争に使いこなせるようになったのは8世紀以降らしいな。
馬がないなら盾をもって密集すればいいじゃない
51 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 12:20:12 0
>>38 >バカ世界地図って本が最近出ているけど、面白いね。
>匈奴が今もある国と思っている人もいるらしい。
面白そうな本だね。「フン+ガリア」で「ハンガリー」になったんだっけ?
今もヨーロッパ人にフン族のイメージって残っているのかな。
>>51 分裂したフン族の一派の「オノグル」が語源だとか何かで読んだような>ハンガリー
53 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 12:57:01 0
北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子は
日本人 44%
ハンガリー人 2%
フィン人 0%
トルコ人 0%
『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523)
Gm血液型遺伝子から見れば、北方モンゴロイドの標識遺伝子である黄色のab3stは、
北ヨーロッパの森林ラップの4%がヨーロッパ人の最高値で、チェコ、スロバキア、
ルーマニア、ハンガリー、ジプシー、スペイン・カタロニア、ポルトガルなどで
極めて低い頻度であるが、この遺伝子が持ち込まれている。これならイラン人のほうが
ずっとモンゴロイドの遺伝子は濃い。
ハンガリー人やフィンランド人の黄人説などとうに破綻しているのだ。
54 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 13:52:44 0
別に誰も遺伝子レベルの話はしていない。語源の問題。
55 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 13:55:25 0
遺伝子厨が来るとスレのレベルが下がる。
どっか他でやってくれないかな。
56 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 14:14:16 0
遺伝的には朝鮮と日本もまったく繋がりがないないけど言語学上は似てる。
ツングース系列の言葉だし。
民族は言葉が大事だから遺伝はどうなんだろうな。
フン族もスキタイ式のどうふくじゃなく匈奴式だったらしいが進展がないので考古学上の
良く解らないらしいが。
57 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 14:33:06 0
生物的遺伝子ではなく、文化的遺伝子ミームのことか。
58 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 14:50:15 0
59 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 14:54:50 0
>フィンランド人はゲルマン人と近縁です。
>フン族子孫説など科学的に破綻しています
誰もフィンランド人=フン族などと言っていないのだが。
空気読めないのか、もしくは頭破綻していない?
>>51 ×「フン+ガリア」で「ハンガリー」
○「オノグル(ホノグル)」が語源
確か
フン→Hun
オノグル→Honogr
だかららしい
ウィキより
他称のハンガリーは、ラテン語で「フン人のガリア」を意味したという説と、
マジャル人の故地であるウラル山脈方面で活動し、マジャル人にも文化的影
響を与えた遊牧民オノグルの名が訛ったという説があり、後者の説が有力視
されている。
オノグル説の方が有力だそうだ。
オノグルってブルガリアの先祖だった気もするが
その辺はややこしくてよく分からないな。
確か、
オノグル=マジャール系=トルコ系 だったような記憶が・・・
その辺のところややこしくてやはりよく分からない。
某ホームページから適当にコピペ
マジャール族はもともとロシア中部で遊牧生活をしていた騎馬遊牧民で、
モンゴル族、女真族、トルコ族などを含む東洋系のウラル=アルタイ語族に
属している。
また「オノグル」は部族名で、”10本の矢”を意味する。このオノグルという
名称がなまって「マジャール」となり、マジャール民族を指す名称になったと
言われている。
> また「オノグル」は部族名で、”10本の矢”を意味する。
西突厥のオンオクとの関係が気になるね
66 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 17:15:24 0
オノグルはいわゆる大ブルガリアのことだったと思うが。
大ブルガリアの中心部がハザール可汗国に征服されて
その残党がヴォルガ・ブルガールとブルガリアになった。
68 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 17:35:46 0
し!あんまり刺激するとまた空気読めない遺伝子厨が騒ぎ出す。
人類が誕生してからウン千年以上も経っているのに
遺伝子だとか言われてもねぇ・・・・・・・
それよか文化の相似のほうが重要だと思うよ
ウン千年ってお前。短いな
72 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 00:22:31 0
>それよか文化の相似のほうが重要だと思うよ
まあ、確かに人種の概念なんて科学的に崩壊していてね。
>少なくとも自然人類学では「人種」という言葉はほとんど使わなくなりました。
>「ヒトは白人、黒人、黄色人の三つの人種に分けられる」というように、
>ヒトがいくつかの「人種」というものに分類可能である、という考えは成り立たない
>ことが明白になってきたからです。黄色人種にはオーストラリアアボリジニも含む
>べきだ、いや彼らはオーストラロイドだ、というような議論は不毛です。オースト
>ラリアアボリジニはアジア本土の人々とは違うがヨーロッパやアフリカの人々よりは
>アジアの人々に近い、と言えばそれでよいわけで、無理にいくつかに分類すること
>には無理があります。同様の理由でモンゴロイド、コーカソイド、ネグロイド、
>などの言葉も使われなくなりつつあります。私の授業では使っていません。
>「民族」もどこで境界を区切るかは本当は恣意的です。
ttp://www.pri.kyoto-u.ac.jp/shakai-seitai/seitai/hanya/ru/answer24.html 確かに遺伝子よりも文化依存的なもののほうが遥かに重要だ。
73 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 00:54:47 0
フン族に加えて4世紀ごろの寒冷化もある。
西からは強大なフン族が侵入してくる、
命がけで土地を守っても寒冷化のおりで農作物の収穫が激減、
方や南の豊かな地域には弱体化した西ローマ。
74 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 11:53:47 0
>>1 先天的に好戦的な民族なんていないよ。
どんな民族も弱ければ平和的になる。
力を得れば好戦的になる。
そのぐらいの想像力は働かして
偏見抜きに歴史を勉強してくださいね。
75 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 15:53:14 0
弱いくせにやたら好戦的な国もあるわけですが...ヘタリアとか。
ヘタリア・・・・・・
あの弱さの源を知りたいw
むしろ、弱小部族が乱立しているような状況のほうが
飽くなき部族間闘争みたいな状況は生まれやすい。
その逆の典型パターンが、米ソ冷戦。金持ち喧嘩せず
弱小部族が乱立している場合でも外敵に対抗するため一致団結
する時がある。対ローマ軍のためのガリア諸部族のように。
あと日本軍に対する国共合作とか。
対ペルシア戦争時のギリシアなんかもそうだな。
概して長続きはしないものだが
80 :
世界@名無史さん:2006/01/01(日) 00:19:08 0
ロンバルディア同盟とか
81 :
世界@名無史さん:2006/01/08(日) 17:22:43 0
あげ
82 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 20:12:47 0
揚げフン
83 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 13:11:58 O
>>74 むしろ逆で、宋みたいに平和的だと弱くなるんじゃない?
宋は創始当初から弱体だったような。
フン族の方の事情は良く分からないけど、
この時代のゲルマン系民族ってまだちゃんとした王国を形成する以前でしょ?
こういう大規模な攻撃に対抗できるほどの組織もシステムも無かったんじゃないの。
>>85 ちと違う
小規模ながらも幾つかの部族国家を作っていた。
ローマ人から野蛮人と思われていただけで
原始人みたいな生活をしていたわけではないよ。
87 :
85:2006/01/17(火) 20:52:41 0
いや誰も原始人扱いはしてないよ。
88 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 21:43:55 0
>>84 重装歩兵戦術で結構がんがっていたんだが。
機動力に欠ける軍隊だった宋の軍隊。
89 :
世界@名無史さん:2006/01/18(水) 12:50:52 0
フンさんは、鐙をもっていたという説をどっかできいた。
鐙がないと、馬上でまともに、弓を扱うのは無理に近いんだと。
結局 鐙ってどこ起源なんだよ
馬上弓術ならパルティアとか有名だ罠。
92 :
世界@名無史さん:2006/01/18(水) 14:25:58 0
>>90 詳しく覚えてないが、中国の五胡十六国時代の壁画とかで
片側だけの鐙が描かれていてるらしい。
もともと馬に乗るのが下手な人のための足場だったとか。
うろ覚えなんで間違ってるかも知れないが。
この頃には黒海北岸にいたスキタイ系遊牧民は消滅し、
狩猟民のゴート人と農耕民のスラヴ人がすみわけしていた。
ダレイオスのペルシャ軍を巧みな騎兵弓術で戦えるような勢力は無かった。
フン族は、土器の出土状況から、移動したのではなく、
モンゴル族のように、4世紀後半に急激に拡大した、との説が
近年でてきている。なので、拡大しながら、支配下の民族を増やし、
それらを軍隊に加えていった、というのが真相だろう。
そもそも、350年頃に、アラン族を討伐し、アラン族を支配化にいれ、
その後ブルガ−ル族も354年頃フンに追われてアルメニアに入っている。
これらを民族が尖兵となって、ゴート族を破っている。
アラン族の前にも、記録に残っていないが、アランの東にいた民族を
配下に収めていた可能性は高い。
なので、フン族も、突厥や、モンゴル族のように、多くの民族を傘下に
収めながら膨張したのであって、ゲルマンと単独のフン族が戦った
わけではない。
ブルガ−ルって4世紀からいたの?
>アラン族の前にも、記録に残っていないが、アランの東にいた民族を
>配下に収めていた可能性は高い。
それって康居?
97 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 18:30:25 0
奄蔡は違うっけ?
>>96 それがわかればいいんだけどねぇ。。 ローマ側、中国側双方の資料の空白
期間にあたっているので、3〜4世紀の中央アジア情勢はほとんど不明だから。
99 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 21:22:34 0
奄蔡=アラン族
100 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 13:24:15 0
100ゲット
357年頃、キオンという民族が、ササン朝の東国境でササン軍と交戦している。
その後キオン王グルムバデスがササン朝と同盟し、ローマ軍と戦っている。
キオンはニュンヌと同一とされているから、匈奴とされる。
エフタルの前に匈奴はササン朝へ接触しているから、この頃中央アジアで
勢力を持っていたことは間違いないと思われる。その後、西トルキスタンは
エフタルが進出している。エフタルは匈奴をシルダリア以北へ追い払うことに
一役かったかもしれない。
102 :
イングリモングリ:2006/01/24(火) 20:28:14 0
ハンガリー、ハングリー、ハングル ( ゚Д゚)ハッ
糞族のほうが好戦的
104 :
世界@名無史さん:2006/02/04(土) 22:40:16 0
>>98 ササン朝やインドの文献には何か記録はないのかな。 <フンらしき集団の登場
>>104 キオン=ヒュンヌ=フン とされている。357年にトランスオクシアナで
交戦し、395年に、コーカサスを越えてササン朝に侵入している。
インドには侵入しなかったようなので、記録なし。インドの場合はエフタルから。
このあたりでのフンの記録を探すとしたら、
エフタルとフンの関係の解明が必要では。
匈奴とフン族をつなぐ線の手がかりは、ササン朝にあったのか
107 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 06:48:41 0
そもそもゲルマン人がフン族に追われて西へ進んだと言われる根拠はなんなの?
ルーン文字で石碑に刻まれていたりするの?
「フン」関連スレ多すぎ。一本に統一しろ。
109 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 10:26:55 0
>>98羅馬や支那に残っていなくても、印度やパルティアに文献は残ってないのか?ってか
なんで歴史書物は支那か羅馬に限定するん?文字はそこに住む民族しか使ってなかったんか?
>>106 西ゴートがフンに追われてビザンツに亡命してきたからじゃなかったか?
黒海北岸なんてビザンツから見たらすぐそこだし、ビザンツ側の史料に残ってるだろ。
>109
残念ながら、パルティアやこの頃のインドは殆ど後世に歴史文献を残さなかったせいで
彼ら自身の歴史すらよく分かっていない有り様。特にパルティアはギリシア系や
アラム系の連中がいろいろ文献を作成したのかも知れないが、この時代は文字や
筆記媒体や言語が目紛しく内戦やサーサーン朝やイスラムへの移行期にその殆ど全てが
失伝してしまったようだ。
だからパルティアの歴史的な何かを知ろうとなると、ラテン語やギリシア語の文献、
あるいは現地から出土した碑刻・金石資料か最末期の楔形文字史料とかを使うしか
手が無い状態。(それと漢籍が若干)しかもほとんど断片的。
いわんやフンと匈奴の関係をパルティアの資料から知る、というのは現段階では全く不可能。
サーサーン朝やビザンツ帝国の資料での「フヨーン」が「フン」じゃあないのか?
というはなしは、『ザンディ・バフマーン・ヤシュト』のようなサーサーン朝後期・末期の
宗教文書(現存の写本は10〜13世紀頃のもの)での情報と、ビザンツ側の資料の情報が
一致するから。サーサーン朝時代の資料もじつは殆ど残されていないのだが、幸いイスラム
時代になっても、現地のゾロアスター教徒たちが主要な宗教文献や俗文書の一部を書写し
つづけてくれていたから今にその情報が伝わっている。
(サーサーン朝が初期にパルティアを非イラン的と断じてその事蹟を殆ど抹消したのも
パルティアの具体的な情報が絶無に近い状況を作り出しているらしい)
支那はパルティアとローマと、どっちがより進んだ地域だと思ってたんだろ?
113 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 15:37:28 0
糞(ふん)族って、何人だよ。
あっちらというのは固有名詞かよ? ようわからん。
あちらのアッチラ
どうして出自がわからなくなってしまうのか。
戸籍・住民票をデッチ上げようとするやつとか、学歴を詐称するやつとか、
ときどき話題になるよね。あれをン百年にわたって続けるのだ。そうすると・・
116 :
世界@名無史さん:2006/05/26(金) 00:45:05 0
↑age
117 :
世界@名無史さん:2006/05/30(火) 01:23:23 0
モンゴル軍だっていろいろなところの寄せ集めだったからなぁ。
その寄せ集めをうまく使って世界帝国を作ったからなぁ。
118 :
世界@名無史さん:2006/08/30(水) 19:47:13 0
フン族ってモンゴル系?
モンゴルとかフンという寄せ集め遊牧系の集団の興亡は指導者の能力に大きく依存している。
>>118 どこの民俗かって言う確証は無い
ちなみにトルコやテュルク系の人達は
匈奴&フンは自分達の民族の歴史として教えている
モンゴル国の西洋史家はどう考えてるんだろう?
フン族の起源はウリナラニダ
123 :
世界@名無史さん:
フフンだ