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世界@名無史さん:
416年、東晋の劉裕が率いる北伐軍は、後秦の本拠地である長安に向かって黄河を遡行。
後秦の同盟国であった北魏は数千の騎兵にこれを追わせた。
劉裕は700の兵を北岸に上陸させ、100台の荷車を半月形に並べて防御陣地を築いた。
さらに劉裕の部下の朱超石が2000人と100張の大弩(バリスタ?)を率いて上陸。
1台の荷車に20人の兵と1張の大弩が配置される形となった。
戦闘が始まったとき、寄せ手の魏軍は増援部隊をえてすでに3万騎を超えていた。
朱超石はまず威力の弱い弓矢を放って魏軍を油断させ、馬槊(ランス)を構えた騎馬隊が突撃を
しかけてくるところへ大弩と弓矢を一斉に放ち、撃退するが、魏軍にとっては微々たる損害であった。
そこで朱超石は数千本の矟(これもランスの一種)を3〜4尺に切らせた。
それを一人の兵が保持し、背後からもう一人の兵が大槌で魏の騎兵に打ち込んだ。
大槌で叩き込まれた矟は一本で数人の魏兵を刺し貫いたという。
この攻撃によって魏軍は大勢の死傷者を出して潰走し、2700人の晋軍が3万を超える魏軍を
破ったのであった。