☆♪★お心得★♪☆
人名、地名、事件、事象、神話、その他もろもろ、世界史に関わることどもを、しりとりで繋ぎます。
語尾が「ん」で終わった場合は「n」または語尾二字でおねがいします。
(それ以外でも、アルファベット・漢字でも可です)
用語と共に、何かコメントを書いてちょ。
50以内の既出・一時間以内の同一書き込みはNGです。
(かぶった場合は書き込みが早い方を優先…何故かかぶることは多いです。あと、「言い直し」は3以内で)
世界史以外のネタはスルーでドゾー。
前スレ
世界史の人名・地名等でしりとり 13世紀目
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1102001568/
まずは、前スレ 「しゅ」か「ゆ」で終わったっぽいので・・・
ユンカース,ヒューゴー
ドイツの航空機関係の技術者、ユンカース社の創設者。
大戦中はナチに会社を乗っ取られ、監禁状態に置かれた。
「す」
新スレ建てお疲れ様でした。前スレが
>>989「しゅ」「ゆ」で終わってましたね。
で
>>2から;
スワデシュ,モリス
米国の言語学者。
語彙の経年変化を年代測定の尺度として用いる「言語年代学」の創始者。
特に無文字社会・先史時代の民族移動や系統関係の解明に多大な貢献をした。
「しゅ」
>>1よ、朕のために新スレ奉献、大儀であった。
「十四世紀目」とあれば当然ながら朕のスレッドということじゃな。感心至極。
朱重八(しゅ・じゅうはち,1328〜1398)
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
/ ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ ||
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
大明帝国の建国者にして世界史板の人気者。
貧農に生まれ、身分を転々としながらも名を「元璋」と号し、
元末の群雄を平らげて初代皇帝に即位。
板対抗人気トーナメントPR活動で影の功労者でもあらせられる偉業は光輝くwンmうわなにをp&「Rqs1
「ち」
チェロキー族
ナバホ族と並んで、北米最大級の人口を持つ部族。1830年の、ミシシッピ以東からオクラホマへの
強制移住「トレイル・オブ・ティアー=涙の踏み分け道」で知られる。他民族との混血で言うと、
アメリカ白人の数割はチェロキーの血が入るとされ、有名どこでは、クリントン元大統領を始め、
今年メジャー入りした「ピッチャーデニ(ry」もチェロキーのクォーターである。
「き」
キール軍港の水兵反乱
第一次大戦末期の1918年11月にドイツの軍港キールで発生した大規模な反乱。
ドイツ革命のきっかけとなった。
「らん」
藍玉(らん・ぎょく ?−1393)
>>4麾下の将軍。軍事的功績は高く、また洪武帝の子や孫の外戚にもなっていたが
傲慢で粗暴なふるまいが多く、謀反の首謀者として処刑された。これは「藍玉の獄」
と呼ばれる大粛清に発展し、多数の犠牲者を出した。
「あいだま」と読むと、染料や石の名前になる。
「く」
クサンティッペ
古代ギリシアの哲学者ソクラテスの妻。
悪妻であったとされ、数々の逸話が残されているが、
それらが事実であったかは疑問視もされている。
「ペ」
ペルシア人の手紙
モンテスキューが匿名で著した書簡体小説。1721年。
2人のペルシア人がフランス旅行での見聞を故国の知人に報告しているうち、
復書簡により故国で起こっている反乱の知らせを受ける、という展開。
複数の人物による書簡、という体裁をとることで多様な表現方法を実現せしめ、
さらに主流だった娯楽小説からリアリズム小説へと文壇の方針を転換させた先駆的な作品。
「み」
ミルズ, ビリー(1938〜 )
北米 南ダコタ パインリッジ(松尾根)保留地出身のオグララ・スー族(ラコタ族)。十代から陸上競技で
才能を示し、数々の大会で優勝したが、差別によって表に出されなかった。1964年開催の東京オリンピックの
1万m走で、ラスト100mの競争に勝ち、28分24秒4の記録で金メダルを勝ち取った。現在、インディアンの
若者の援助組織「ランニング=ストロング」のスポークスマンを務める。映画「ロンリーウェイ」のモデル。
「ず」
ズデーテンラント
チェコ北部のドイツとの国境に接する地域。古くから多くのドイツ人が住んでいた。
ラインラント進駐(1936)、独墺合邦(1938)を果たしたナチス・ドイツが、続いて
ミュンヘン協定により1938年に併合した。第二次大戦でナチス・ドイツが敗北した後、
多数のドイツ人(約300万人といわれる)がこの地から追放された。
「と」
トバヅィスツィニ
北米 南西部 ナバホ族の神。戦いの神であり、敵殺しの神ナヤネヅガニとは
双子の兄弟である。
「に」
ニザール派
イスラム・シーア派の一派イスマーイール派の分派。11世紀末に成立。
イラン高原やシリアに要塞を構え、セルジューク朝や十字軍に暗殺を手段として対抗した。
大麻(ハッシーシ)吸引で理性を失わせて暗殺者を仕立てたと言われ、asassin(暗殺者)の
語源となった。13世紀にモンゴル軍の侵攻によって要塞は壊滅したが、インドやパキスタンでは
現在も分派が存続し、社会的影響力を有するという。
「は」
ハンサム=レイク (1735?〜1815)
スガニャダイヨ(素敵な湖)。 北米東部 イロコイ連邦セネカ族の預言者。コーン=プランター(カイイオントワコン)
酋長の親違いの兄。長患いの末、1800年に啓示を受け、キリスト教の影響を受けた新宗教倫理を説き始めた。
それは伝統保持と共に白人文化を取り入れ、農耕生活を推進するもので、反白人主義のレッド=ジャケット
(セゴウェワサ)酋長や、白人宣教師とは対立したが、この新宗教はイロコイの間で絶大に支持された。
「く」
クールラント
ラトヴィア西部の旧称。バルト系のラトヴィア人が古くから居住していたが、
13世紀にドイツ騎士団領になって以来、ドイツ人(バルト・ドイツ人)の支配を受けた。
ドイツ騎士団の解体後、ポーランド=リトアニア王国の宗主権下でクールラント公国が
成立したが、ロマノフ家出身の公妃アンナが1730年にロシア帝位を継承した後は
次第にロシアの影響力が増し、1795年の第3次ポーランド分割でロシアに併合された。
「と」
トラゾルテオトル
南米 アステカの女神。 糞食の神であり、汚物、性的な意味を含めての穢れと浄化の神である。
「る」
ルイ・フィリップ(1773-1850 在位:1830-1848)
フランス王。ブルボン家の分家であるオルレアン公家の当主であったが、
ブルボン朝最後の王シャルル10世が1830年に七月革命でイギリスへ亡命した後、
大商人をはじめとする実力者によって国王に擁立された。
これは七月王政と呼ばれ、またオルレアン朝と呼ばれるが、ルイ・フィリップ自身もまた
1848年の二月革命でイギリスへ追放され、オルレアン朝のみならずフランスの王政
そのものが終焉した。
「ぷ」
プエルトリコ
アメリカ合衆国の自由連合州。
スペイン領だったが米西戦争でアメリカの自由連合州に編入。連邦税免除と引き換えに選挙権はなし。
本土への出稼ぎは昔から多く、芸能・スポーツ界では歴史に残る大物を輩出してきた。
「こ」
コーン=プランター (1740〜1836)
カイイオントワコン(トウモロコシを植える者)。 北米 東部ニューヨーク州 イロコイ連邦セネカ族の酋長。
父は白人。独立戦争で英国側に味方し、1784年のスタンウィックス要塞条約に調印して、アレゲニー川
周辺の父祖の土地を白人に売り渡した。1791年の「セントクレアの敗北」では、ワシントン大統領に請われて
イロコイ代表団を率い、ショーニー連合との仲介役を務め、その功による年金で余生を送った。
>>14の
ハンサム=レイクの支持は得たが、レッド=ジャケット(セゴウェワサ)酋長からは白人の回し者呼ばわりされた。
彼の埋葬地は1964年になって、保留地ごとダムに水没させられ、このため墓を動かさねばならなかった。
「た」
太陽王(たいようおう)
フランス国王ルイ14世の異名。
自らバレエを舞うのを得意とした若き日のルイ14世が好んで演じたのが
「太陽」(太陽神アポロン)であったことから、この名が称されるようになった。
「太陽」役での初舞台は1653年。当時ルイは14歳、即位から10年を経ていた。
「う」
ウー・ソー
20世紀ビルマの政治家。元弁護士で、サヤーサンの乱における首謀者の弁護で注目される。
愛国党から農林相、さらに首相に就任し、第二次大戦後のビルマ独立に向け尽力するが、
イギリス主導の独立を主張するアウン・サンとは次第に対立、
1947年にアウン・サンが暗殺されるとその首謀者として処刑された。
「そ」
痩金体(そうきんたい)
宋代最高の文人・画人であった(が為政者としては不適格だった)
北宋の第8代皇帝・徽宗が生み出した独特の書体。
徽宗の号である「痩金」にちなんでこの名で呼ばれる。
「い」
イオラニ宮殿
1883年に建造されたビクトリア様式のハワイ王国の宮殿。
コンクリートが使用され電話も据付られていた
ハワイ語で「王者の鷹」の意。
「に」
イシハ
明の宦官。
>>4のセガレ・永楽帝に仕えた。
海西女直出身で満洲・沿海州方面の統治に任ぜられ、
アムール河口近くに奴児干(ヌルカン)都司を設置。交易や防衛の拠点とした。
のち女真族がオイラートと通じて明を攻めるとの噂により、内通の疑いで任を解かれる。
「は」
遅れてた・・・orz
>>23から
ニール・アームストロング
米国の宇宙飛行士。アポロ11号に搭乗し人類初の月面着陸を達成。
「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ」は今も名言。
「ぐ」
グリージー=グラス川
北米 モンタナ州ビッグホーン渓谷を流れる小川。周辺に油っぽい草が生えていて、こういう名になった。
1876年6月25日の日曜日、ここで野営していたスー、シャイアン、アラパホーの大集団約2500名を、
カスター隊長率いる米国第七騎兵隊が奇襲した。正午過ぎに始まった戦闘は、夕方までに終わり、
カスター以下200数十名は残らず地獄へ転がり落ちた。(=リトル・ビッグホーンの戦い)
白人はこの川を「リトル・ビッグ・ホーン川」と呼びたがるが、インディアンはその名を使いたがらない。
「わ」
訂正
>>19 「独立戦争で英国側に味方し」=「独立戦争で英国人入植者側に味方し」
ワシントンD.C.
アメリカ合衆国の首都。D.C.はThe District of Columbia(コロンビア特別区)の略。
政治的配慮から合衆国の北部と南部の中間に建設され、1800年に首都となった。
市民には1961年に大統領選挙の選挙権が与えられ、1974年に初めて市長の公選が
行なわれた。上下院議員の選出権は今なお与えられていない。
1982年に住民投票で州への昇格が可決されたが、連邦議会はこれを認めていない。
「C」
CTBT(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty)
包括的核実験禁止条約。
地下・水中・地上・空中・宇宙空間、あらゆる種類の核実験を禁止する国際条約。
1996年6月に国連総会で採択されたものの、米中印、北朝鮮など批准を渋る加盟国いまだ多く、発効に漕ぎつけぬまま今に至る。
「T」
TVA
テネシー渓谷開発公社。F・ルーズベルト大統領によるニューディール政策の一つ。
テネシー川流域の7州に26ものダムを建設し、治水と発電の振興をはかった地域域総合開発計画。
この政策から30年余で合衆国の発電量は60倍に、土地生産力も5倍以上に膨れ上がり、
また不況対策としても10万人以上の失業者を救済したとされる。
「A」
AK−47
アブトマット・カラシニコフ47(Avtomat Kalashnikov-47)の略。
1947年にソビエト軍が制式採用した歩兵用小銃、アサルトライフル。
カラシニコフは開発リーダーの名前。AK−47やその発展型の銃を総称して
カラシニコフ銃、カラシニコフ突撃銃ともいう。信頼性の高さと扱いやすさが特長。
「47」
47氏
ファイル共有ソフト「Winny」の開発者。
2ちゃんねるでのレス番からこの名で通るようになった。
2004年5月、著作権法違反の容疑で京都府警に逮捕された。
「し」
↑これは世界史ネタではないよね。 でもこれ以外の答えはあるんだろうか。
数字自体が反則。「A」から仕切りなおすべき
35 :
34:2005/07/05(火) 01:16:23 0
あ、数字2桁が、ってことね。
では「A」から・・・
Aトレイン
アメリカ、ニューヨークを走る列車。カウント・ベイシーのジャズナンバーでお馴染み。
「いん」
インドラ
帝釈天。戦と仏法を守護する、アーリアの神の1人。
バラモン教では最高神であったが、ヒンドゥー教に取り込まれて八護世神の一人となった。
雷が擬人化されたもので、錫杖を持ち、象か二頭立ての馬車を駆る姿で描かれる。
「リグ・ヴェーダ」に収められているうちの1/4もの讃歌がこの神に捧げられている。
「ら」
ラブロック,ジェームズ=E.
英国の生物学者。1960年代にNASA(米国航空宇宙局)に招かれ
火星生命探査プロジェクトに従事。研究の過程で「地球自体に恒常性維持の意志があるのでは」との
仮説を提唱。著書「地球生命圏」にて「ガイア仮説」として世に知られる。
現在、生態系の総体としての表現で地球を「ガイア=ギリシア神話の地母神」と称するのはこの人が元祖。
「く」
クナピピ
豪州 北部地域部族の神。 人間を殺し、食う恐ろしい女神である。グナピピとも呼ばれる。
イーグル・ホークの神によって退治され、腹を裂かれて犠牲者を取り返された。
「ぴ」
ピサの斜塔
イタリア、トスカーナ地方の都市ピサの大聖堂の鐘楼。観光スポットとして有名。
1173年に着工、14世紀後半に完成。その間、13世紀にはすでに傾斜していることが判明していた。
その後も傾斜が進み、対策が講じられてきたが、現在は傾斜の進行が止まっているという。
ガリレオが自由落下の実験を行なったという逸話があるが、弟子の創作だとも言われる。
「う」
ウクバ・ブン・ナーフィ
7世紀ウマイヤ朝のマグリブ総督。わずか7年間でエジプト〜チュニジア間を征服した名将。
カルタゴの南に軍事都市カイラワーンを建設し、そこを拠点に北アフリカ征服を目論んだが
モロッコまで到達してその先で大西洋に臨み、このように嘆いて諦めたという。
「アッラーよ御照覧あれ!もしこの大海原の無かりせば、
あなた様への献身の証として、いくらでも軍馬を進めたものを!」
「ふぃ」
フィッツロイ家
17世紀から続くイングランドの貴族。
始祖はイングランド王・チャールズ2世に遡り、グラフトン公として現在11代目の
ジェームズ・オリバー・チャールズが存命。
「け」
ケン・アンロ
ジャワの王。13世紀にクディリ朝を滅ぼし、シンガサリ朝を開く。
あくどい手段を用いすぎたため、5年後に暗殺される。
ケン・アンロとは「万物を覆すもの」という意味。
「ろ」
論語(ろんご)
孔子と弟子たちの言行録。戦国時代初期から編纂が始まり、漢代に成立した。
四書の1つとして、儒教の中心的経典となっている。
「ご」
伍子胥(ご・ししょ)
春秋楚、後に呉に仕えた家臣。
楚王の讒言で命を狙われ出奔、呉に亡命し夫差に仕える。
大功を挙げるがまたもや讒言を受け悲憤の内に自刎。
「しょ」
ショーヴァン
ロマン派の戯曲作家・コニャールの作品「三色の徽章」に登場する兵士。
ナポレオンを崇拝する、狂信的ともいえる愛国心の持ち主として描かれる。
ナショナリズムでもって異民族や他国の圧力に抵抗すること、
あるいは国内の不満を他国への怒りに転化させそらそうとすることを
「ショーヴィニズム(排他的愛国主義)」と呼ぶのはこれに由来している。
ちょうど、幕末期の日本の攘夷運動や現代中朝韓の反日教育がこの「ショーヴィニズム」。
「n」
ノートン, ジョシュア=アブラハム(1818〜1880)
北米 19世紀アメリカの皇帝。ロンドン生まれ。南アフリカで投機に失敗して、一発当て込んで
サンフランシスコに移住し、商売で成功して名士になった。が、1853年に穀物相場で失敗し、破産。
1858年に自ら「アメリカの皇帝である」と宣言し、就任。羽毛を飾ったシルクハット、帯刀、軍服で
市内を闊歩した。マーク=トウェインという作家が、彼をモデルに「ハックルベリー・フィン」という
小説を書いた。21年後、路上で崩御。その葬儀には、知人を筆頭に、3万人の参列者を数えた。
「と」or「n」
Nkrumah, Kwame(ンクルマまたはエンクルマ、クワメ)
アフリカの独立運動の父と呼ばれる。
ガーナの独立運動を指揮し、独立後は初代大統領に就任したが、
外遊中にクーデターで失脚した。
「ま」or「h」
フパ族
北米 カリフォルニア北端で、同州最大のフパ谷保留地に原住するアサバスカ系漁猟民。1828年に
初めて白人と接触。「フパ」は、トリニティー(三位一体)川と白人が読んでいる川の名前。鮭、どんぐりが主食。
女性のシャーマンが啓示を得るために、山森に一人で分け入り、何日もさまよう習俗がある。
「ぱ」
パンチャシラ
1945年独立時に制定されたインドネシア共和国憲法に定められた五大国是。
根本理念「多様性の中の統一」を支えるパンチャ(5つの)シラ(法)。
唯一神の信仰、国家の統一、人間性の尊重、社会主義、民主主義の五つ。
「ら」
ラハイナ
ハワイ・マウイ島の西海岸にある街。
ハワイがアメリカに併合されホノルルが首府になるまでは、ハワイ王国の首都だった。
日照りが多い土地であったといわれ、「ラ・ハイナ」は現地語で「狂った太陽」の意。
「な」
ナイル川
エジプトの文明をはぐくんできた母なる大河。流域面積ではアマゾン川に譲るものの、長さでは世界一である。
年に一度は氾濫し、上流から肥沃な土を運んでくる。このためにエジプトは長らく小麦の大産地であった。
『エジプトはナイルの賜』と言われた所以であろう。
るorわ
ワリ帝国
ペルー中部に7〜10世紀頃栄えた帝国。
モチーカ文化を継承発展させたワリ文化を基盤に、南のティアワナコと勢力を二分した時期も。
後世のインカ道の原形とみられる長距離道路網の敷設が名高い。
「り」か「く」
リュリ、ジャン=バティスト(1632 フィレンツェ − 1687 パリ)
17世紀後半、
>>20時代のフランスを代表する作曲家。
>>20に見いだされて重用され、
当時のフランスの音楽界で支配的な権力をふるい、さらにはヨーロッパ中に影響を及ぼした。
当時まだ指揮棒はなく、指揮杖と呼ばれる杖で床を叩いてテンポをとっていたが、
リュリは自作を演奏中に指揮杖で足を傷つけ、それがもとで死亡した。
この話は指揮者の歴史を語る際に決まって持ち出されるエピソードである。
「り」
麗玉(リョオク)
古朝鮮の女流詩人。彼女の詩は最も古い朝鮮の漢詩と言われている。
残っているのは「コンフイン」という詩だけ。
内容は『老いた男が河に飛び込む。妻は呼び止めるが夫は死んでしまう。
妻は一曲歌い、河に飛び込む」。
「く」
クグェネ
北アフリカ ナイジェリアのイソコ族の最高神。
拝んでもどうしようないくらい、非常に遠いところにいる。
「ね」
ネクラーソフ
19世紀ロシアの詩人。青年時代の赤貧生活をもとに、
虐げられる民衆や農民の悲哀を綴った作品が多い。
代表作は「詩人と市民」「正面玄関での瞑想」「ロシアの女たち」など。
雑誌「現代人」の編集者でもあり、革命的民主主義の代表者として名高い。
「ふ」
58 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 20:38:26 0
フス、ヤン(1369〜1415)
ボヘミア出身の宗教改革者。プロテスタント運動の先駆者。
コンスタンツ公会議で異端とされ、焚刑にされたが、その後フスの支持者である
フス派が起こした反乱は、フス戦争と呼ばれる大規模な戦乱に発展した。
「す」
スカイ=チーフ
チラワフット=ラシャー(空の酋長) 北米 大平原部族 ポーニー族の有名な大酋長。19世紀、
ポーニー族は宿敵スー族を打倒すべく、白人政府と連合。スカイ=チーフは部族の戦士を米陸軍に
斥候として提供し、また大陸横断鉄道建設工事を護衛させた。1873年、その見返りに南ネブラスカで
バッファロー狩りを許され、その最中、スー族の大集団による襲撃を受け、米軍が救出に来る前に、
部族戦士約150名とともに戦死した。 待ち伏せの場所は「皆殺しの谷」として知られる。
「ふ」
ファラオ
古代エジプト王を指す通称。「大きな家の住人」の意。
生きている間は国家神ホルス、死ねば冥界の王オシリスとして敬われたが、
オシリスは降雨の神でもあり、降雨はエジプト人民の生命を左右する、という考え方から、
時に老いたファラオは殺されなければならないこともあったという。
「お」
オコノストータ(1715?〜1809?)
北米 チカマグア=チェロキー族の戦争酋長。大戦士ドラァギング=カヌーの父で、アタクラクラ酋長の盟友。
フレンチ=インディアン戦争で英国側に味方して、1773年にはチャールストン・クラブのメンバーにまでなった。
1775年の土地割譲条約に反発して宣戦布告、しかし1776年、チェロキーは敗れ、大酋長の座を追われた。
失意の中、身を持ち崩し、死ぬまでの30年近くは飲んだくれのアル中だった。
「た」
タシュケント
ソ連時代からのウズベキスタンの首都で中央アジア最大の都市。
テュルク語で「石の町」を意味する。古くからオアシス商業都市として栄えたが、
19世紀にロシアの支配下となり、トルキスタン総督府が置かれて
ロシアの中央アジア支配の拠点となった。
「と」
トモチチ(1650〜1739)
北米 南東部 ヤマクラウ・クリーク(ムスコギー)族大酋長。「飛び上がる者」の意。別名「ヤマクラウの王」。
ジョージア州が1733年に設立されたとき、英国人入植者と平和条約を結んだ。 1734年、甥や妻、他数人の
部族代表団とともに訪英。国を挙げてのもてなしを受け、ジョージ二世王、キャロライン女王、カンタベリー
大司教と会う。 様々な貿易上の取引を交わし、18世紀の両国の繁栄の基礎を築き、死後はジョージアに
記念碑が建った。インディアンがまだフェアな取引を白人と交わせた時期の、幸福な指導者といえる。
「ち」
チチハル
黒龍江省第2の都市で、同省西部の政治・経済・文化の中心地。
清代には黒龍江将軍が駐在し、また清末に黒龍江省が設けられると省都となるなど、
この地方の中心都市として栄えた。東清鉄道が建設されるとハルビンが急速に発展し、
中華人民共和国成立後に省都が移った。
「る」
>>51 ホノルル遷都(1850)はカメハメハ3世の時です。
ルナ
ハワイのサトウキビ農園での労働者監督。
ポルトガル人移民が多く雇われた。
労働争議では真っ先に復讐の対象になるほどの職業態度だった。
「ナ」
ナーナク
シク教の開祖。ヒンドゥー教の信愛思想とイスラム教の神秘主義の両方に影響を受け、
ヒンドゥーでもイスラムのどちらでもあり、またどちらでもない宗教を説いた。
伝導の方法もそれを如実に表したもので、ヒンドゥー教徒の貧民とイスラム教徒の楽師を伴い、
説教ではなく詩と歌で教えを説きながら各地を回った、とされており。
その詩と歌を集めたものがシク教の聖書「グラント・サーヒブ」である。
「く」
クロウ=キング (1835〜1884)
カンギ=ヤタピ(烏の首領) 北米 ハンクパパ=スー族の英雄。1870年代〜1880年代にかけ、
ハンクパパ=スー族の戦争酋長を務めた。
>>26のグリージーグラス川での戦いでは、バンドの戦士80人を
率い、クレージーホースとガル酋長を援護し、南方から第七騎兵隊を追い詰めた。シッティング=ブルのもと、
ハンクパパ族のカナダ亡命に同行したが、数ヵ月後にスーの国へ戻って白人軍に逮捕された。
「ぐ」
グナイゼナウ
18世紀後半〜19世紀初頭のプロイセン軍で活躍した名将。
ティルジットの和約が成立するまでコルベルク要塞を防衛し通す、という偉業を成し、
さらにプロイセン解放戦争、ライプツィヒの戦い、ワーテルローの戦いでは
参謀兼実質的指導者の役割を演じてナポレオンさえも破ってみせた。
その後職を辞し一部将としてポーランド蜂起の鎮圧に赴くが、コレラで陣没する。
「う」
ウルポカ
南方 フィジーの魔神。 悪魔である。創世期に神と覇権争いをして、その首を切り落とされた。
下界に落ちた首は今も転がり続け、人が眠っていると足に喰らいついてくる。
「か」
カレイツイ
朝鮮系ロシア人の称。古くは李朝末期に越境開拓民として沿海州に移住した集団に遡る。
第二次大戦時に18万人以上が中央アジアへ強制移住、沿海州へは立ち入り禁止に。
現在ではウズベキスタン・カザフスタンに多く住み、政財界にも多い。
「い」
イルストラード
18世紀後半、フィリピンに育った新興勢力。
スペイン人やポルトガル人との混血が多く、土地を所有し権力を握った。
フィリピン革命の鍵を握ったのもこの層。
「ど」
ドドマ
タンザニアの法律上の新首都。ゴゴ語で「ゾウが踏み均した地」の意。
1996年にインド洋岸の旧首都ダルエスサラームから高原中央部のドドマに遷都決定。
現在立法府の議事堂が移転済みだが、残りの官庁は旧首都ダルエスサラームに今も残る。
「ま」
マシュー=キング (1902〜1989)
北米 オグララ=スー族(ラコタ族)の伝統派長老、宗教的指導者。スー族の伝統、宗教の保持、
伝承に力を注いだ、20世紀スー族の偉人。「高貴な赤い人」というラコタ語の名前を、白人が「王様」と
誤訳して「キング」という名になった。60〜70年代の権利回復運動で、白人によるテロを受けながらも、
AIM(アメリカインディアン運動)、第二次ウンデッド=ニーを支え、また伝統を食い物にするエセインディアンを
攻撃した。晩年はインディアン古来の宗教の復興に努め、全米に平原部族のサン・ダンス(太陽踊り)を広めた。
「ぐ」
グラスゴー大学
スコットランドで最大規模かつ2番目(グレートブリテン島全体では4番目)に古い大学。
1451年に教皇ニコラス5世の認可により神学の大学として設立された。著名な卒業生に
ジェイムズ・ワット、ウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)、アダム・スミス、ジョン・ノックスがいる。
「く」
骨力裴羅(クトゥルク・ボイラ)
ウイグル帝国の初代可汗。可汗号はキョル・ビルゲ・カガン。
息子で第一の側近でもあった磨延啜(二代目可汗でもある)らとともに
九姓部族連合や突厥の要人を攻撃、支配下に収めウイグル帝国を建国した。
唐からは奉義王、あるいは懐仁可汗の号を賜っている。
「ら」
ラプワイ
北米 アイダホの高原地帯にあるネ=ペルセ族の保留地。白人が伝道所を置いたところで、北ネ=ペルセ族の
領土に近い。 高名なジョセフ酋長父子の属した南ネ=ペルセは、その南のウォロワ渓谷を領土とした。1863年に、
白人政府は彼らの領土26,000平方kmを、ラプワイ周辺の2600kmに縮小する新条約を提示。これに激怒した
小ジョセフ酋長は、部族を率い、絶望的なカナダ脱出行に出た。1887年にはドーズ法案で更に分割される。
「い」
77 :
世界@名無史さん:2005/07/12(火) 02:05:51 0
インノケンティウス3世
教皇らを次々と破門し第4回十字軍を提唱。教皇権の絶頂期を迎える。
「教皇は太陽、皇帝は月である」の言葉の由来でもある。
「い」
イスマーイール派
イスラム教シーア派の分派で、過激派として知られる。
後継者の指名を取り消された第六代イマームの長子・イスマーイールを正統として
シーア派から分裂した宗派で、ファーティマ朝の国教であったことでも知られる。
今なおスンナ派と激しくしており、信者は東アフリカや中東の一部、南アジアに多く分布する。
「は」
ハプスブルク家。
オーストリアの超名門。
マリア=テレジアやらマリー=アントワネットが有名。
次は「け」
荊軻(けい・か)
戦国時代・燕の刺客。
太子丹の命を受け秦王政暗殺に赴く。送別の日に詠んだ漢詩
「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復還らず」で知られる。
秦王政に謁見し匕首で命を狙うが果たせず、秦に客死。
「か」
カルマル同盟
1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国で成立した同盟。
デンマークを盟主とする一種の同君連合だったが、デンマークによる他2国の
支配というのが実態だった。1523年にスウェーデンが独立して同盟は崩壊したが、
ノルウェーはその後も4世紀あまりの間デンマークの属国にとどまった。
「い」
イリュリア語派
印欧語族の一派。全語派中もっとも謎が多く、歴史資料も極めて乏しい。
隣接する古代ギリシャの文献に間接的に登場する語句が主。
現存するアルバニア語が後裔とされるが、固有語彙は数百語しか残存しておらず、
古代イリュリア語との関連性も仮説の域。
一時含められたことのあるトラキア語派やフリギア語派などは、現在では別個の語派扱い。
「は」
ハワイ・ポノイ
ハワイ王国国歌。「ハワイ国民」の意。
作詞・デイビッド・カラカウア、作曲・ヘンリー・バーガー(ロイヤルハワイアンバンド専任指揮者)
現在ではハワイ州州歌。
「い」
イザベル・エバハート
19世紀ロシア生まれの作家にして、冒険家だった女性。
アラブの男に変装し、主に北アフリカをさまよった。
イスラム教徒となり、アラブの男性結社にも入会。
「と」
突厥(とっけつ)
6〜7世紀頃、中央アジアに存在した遊牧民族。トルコ系とされる。
最盛期には中国北方からカスピ海まで勢力範囲を広げた。
隋に取って代わって間もない時期の唐を一時は圧迫したが、
唐や他の遊牧民族の攻撃と内紛により滅亡した。
「つ」
ツツァノー=イェーク
北米 南部大平原部族 コマンチ族の氏族のひとつ。「コマンチのバンド」の意。
「く」
クセノポン(クセノフォン)
古代ギリシアの軍人、著述家。アテナイ生まれ。ソクラテスの弟子。
軍人としてはペルシアやスパルタの傭兵となって活躍した。
著書に「ソクラテスの思い出」「アナバシス」「ギリシア史」などがある。
「ぽん」or「ふぉん」
ポンカ族
北米 ホカ=スー語族系の小規模平原部族。 ネブラスカ現住。隣接するオマハ族とは、緊密な提携関係を持つ。
平和的な部族で、スー族に食いものにされた。1858年、白人政府はポンカ族をスー族の土地に強制移住させた。
そのため戦が起こり、死者続発。1875年、そこで今度はオクラホマへ移住させることにした。多数の死者を出しての
強制行に怒ったスタンディング=ベア酋長達は、ニオブレラへ引き返すが、オマハ族の土地で逮捕され、ついにインディアン
強制移住の法的是非についての裁判を起こす。1879年、最高裁に勝訴、ポンカ族はネブラスカへ戻り、今に至る。
「か」
カシオペア
ギリシア神話の登場人物。エチオピア王ケフェウスの妃で、アンドロメダの母。
彼女が「私は海のニンフなどよりもずっと美しい」と常日頃から自慢していたため
怒ったニンフたちによりエチオピアは海神ポセイドンの攻撃にさらされる。
これを宥めるため彼女は娘のアンドロメダを海辺の岩に縛りつけ生贄にしようとしたが、
アンドロメダは通りがかった勇者ペルセウスにより助けられ、これを妻とした。
「あ」
アイアンアイズ=コディ (1904〜1999)
北米 チェロキー族とクリー族の混血の、有名なインディアン俳優。1970年〜71年にかけて放送された、
「ゴミだらけの川でカヌーを漕ぎ、涙を流す老酋長」というアメリカの公共TVCMは、高まりを見せていた
環境保護運動の火付け役となった。つねに羽根冠、革の上下、モカシンで正装。妻と二人の養子は
インディアンだった。 ところで、このアイアンアイズという人物、(本人は否定したが)実はインディアンでも
なんでもなく、イタリア移民の二世だった。 インディアン社会は彼の功績を讃え、受け入れたのだが・・・
「ディ」
ディーゼル
19世紀ドイツの機械技師。リンデの製氷機製作会社に協力したことが知られている。
専門であった内燃機関に関する研究を論文にして発表、特許を取得し、
さらにそれから5年を費やして非常に高性能な内燃機関「ディーゼルエンジン」を完成させた。
第一次大戦を控えたイギリスに招かれて渡英する途上、船から謎の失踪を遂げる。
「る」
ルネ・クレマン
幼い頃から映画に興味を持ち、カメラマン、助監督として映画界へ入る。
第二次大戦前は主に短編で活躍するが、45年にナチ占領下のフランス鉄道従業員組合の抵抗を
描いた半ドキュメンタリー映画「鉄路の戦い」が翌年のカンヌ映画祭グランプリと監督賞に輝き、
世界的に注目されるようになる。51年の「禁じられた遊び」がアカデミー外国語映画賞を受賞、
世界の巨匠となる。60年代後半からはスリラーに傾倒し、「雨の訪問者」、「狼は天使の匂い」、
「危険めぐり逢い」などがある。84年にはの武田鉄矢主演の「ヨーロッパ特急」になぜか出演している。
96年に死亡。
「まん」
マンデラ、ネルソン(1918〜)
南アフリカ共和国の黒人解放運動家、政治家。
1994年に大統領に就任し、1999年まで務めた後、政界を引退した。
「ら」
ラ・ベンタ
メキシコ・ベラクルス州のオルメカ文化期の代表的な遺跡。
前1200〜300年頃の石像、石碑、翡翠製品などが多数出土。
新大陸最古の文字記録が出土した地としても知られる。
「た」
タータン
スコットランドのハイランド地方で発達した、格子柄(タータン・チェック)を織り込んだ毛織物。
氏族(クラン)ごとに独自の柄が古来からあるというのは、実は19世紀に作られた神話である。
「たん」
耽羅(たんら)
済州島に古代から中世まで存在した王国。
百済、統一新羅、高麗に服属していたが、日本に朝貢したり、
元が一時直轄地としたこともある。朝鮮王朝の成立後、完全に併合された。
「ら」
ラジャ・カシム
マラッカ四代王の異母兄だったが、王を暗殺し王位につく。
この王がマラッカの完全イスラム化を推進。
「む」
ムハンマド(570頃〜632)
イスラム教の創始者。イスラム教では「最後にして最高の預言者」とされる。
日本では、西欧での表記に基づいたマホメット、モハメッドという表記が通用してきたが、
近年ではアラビア語の発音に近いこの表記が代わって用いられるようになってきている。
「ど」
ドラクマ
ギリシアの通貨単位。古代ギリシアで銀貨の名称として用いられていた。
ローマ支配下に入るとデナリウス銀貨が代わって通用するようになり、
ドラクマが使用されることはなくなった。近代ギリシア王国が独立すると
通貨の名称として復活し、2001年にユーロを使用開始するまで用いられた。
「ま」
マーガレット(1283〜1290 在位:1286〜1290)
スコットランド女王。先王アレグザンダー3世の王女マーガレットとノルウェー王エーリク2世の王女。
ノルウェー名マルグレーテ。後に「ノルウェーの乙女」 (The Maid of Norway)と呼ばれた。
アレグザンダー3世が44歳で嗣子なくして急死したため、重臣たちによってスコットランド初の女王に
推戴され、ノルウェー王宮にとどまったまま3歳で即位した。イングランド皇太子(後の王エドワード2世)
との結婚のためスコットランドに渡ったが、大時化による極度の船酔いのために7歳で亡くなった。
「と」
トマス・アクィナス
13世紀イタリアのスコラ哲学者で、ドミニコ会士。
アリストテレス哲学を否定し、キリスト教の思想を論理的・体系的に捉えて
その考えをもとに「神学大全」を著すが、第3部第90問題を最後に心境の変化で断筆。
「す」
蘇州碼(スーチョウマー)
華南を中心に用いられる固有の数字。
もと算木の筆写用に作り出され、明代には庶民にも広まった。
清代には琉球や東南アジアの華人社会にも伝播、現在も市井で用いる地域も多い。
「まー」か「ま」
マルスム
北米 北東森林部 アルゴンキン語族(ぺノブスコット、アベナキ、ワバナキ族他)の、邪悪の神。
マルスミス、マルスン、マルテンとも呼ばれる。 自然と環境の守護神であるグルースカップと共に、
タバルダックの手の埃から生まれ出た。悪意のかたまりであり、植物や昆虫に棘や針を与え、
人を傷つけさせるのもこの神の仕業である。
「む」
ムサイリマ
預言者ムハンマドの晩年から、雨後の筍のごとく現れた「偽預言者」のうちの一人。
ヤマーマ(現在のリヤド近郊)でラフマーンという唯一神への信仰を説き、
ヤマーマ地方の住民を完全に掌握、ムハンマドによる宗教的・政治的介入を許さなかった。
しかしムハンマドの没後、ヤマーマにイスラム教徒軍が送り込まれ、これと戦い敗死する。
「ま」
マイアミ族
北米 ウィスコンシン原住の森林部族。「半島の人達」、または「鶴の叫び」の意。1650年代に仏探検隊と接触
した際には1万人を数えた。1701年、ビーバー戦争終了後、白人にオハイオに強制移住させられ、二つに分裂。
その後のマイアミ戦争で戦争酋長リトル=タートルはショーニー連合を率いて白人を破ったが、1794年に敗れ、
インディアナ州に強制移住させられた。さらに1812年、白人が条約を破って戦争を起し、土地のほとんどを分捕られ、
1897年、インディアナでは(法的に)絶滅部族にされる。オクラホマの一派1,500人は健在だが、混血度も高い。
「み」
ミシュナ
3世紀頃に編纂されたユダヤ教の律法書。
モーゼが授かったとされる口伝律法を集大成したもの。
注釈書「ゲマラ」と併せて、のちに律法書「タルムード」が完成する。
「な」
ナマケハ
最後のハワイ王国王妃・カピオラニ妃の前夫。
カメハメハ4世妃・エマ妃の伯父でもある。
「は」
ナレスエン
16世紀のタイの王。王子時代はビルマの人質。
帰国後即位し、カンボジアに勝ち、ビルマに戦いを挑む。
ビルマの皇太子を一騎打ちで殺す。
「えん」か「n」
108はスルーで。
>107 ハノイ
1010年からベトナムの都。
「い」
イカ=テレ=マエリ
南方ニュージーランド マオリ族の、魚たちの父たる神。 海神タンガローアの孫。
「り」
リー将軍
リー将軍は勇猛果敢、知略に富む戦術で北軍を苦しめた名将で、
戦争末期には南部連合陸軍総司令官として1865年4月9日のアポマトックス会戦で
グラント将軍と戦い降伏した。
戦後はワシントン大学の学長に就任
「り」
リボニア
現在のラトビアからエストニア南部にかけての地域の古称。
もとはフィン・ウゴル語派に属するリボニア人が住んでいた土地。
ラトビアにごく少数ながら末裔が現存する。
「あ」
アイバク
奴隷王朝の太祖。もとは商人の奴隷であったが、のちゴーリーの宮廷に召抱えられると
みるみるうちに頭角を現し、将軍としてインドの全ヒンドゥー地域をゴール朝の版図におさめた。
さらにインド方面総司令官に任命され、わずか14年間で
ヒンドゥー諸国、グジャラート王国、カーリンジャルを席巻、北インドの覇権を手中にする。
1206年、ゴーリーが暗殺され、ついに後継者として全インドを掌握、奴隷王朝を設立する。
「く」
クヤテ家
西アフリカ諸国の名家。世襲グリオ(吟遊詩人)の家系。
マリ帝国以降は皇族を輩出したケイタ家に仕えて皇統を伝え、朗誦する任を帯びてきた。
現在では楽士や祭司を兼ねる家系も多い。
「け」
ケートワー
北米 チェロキー族のバンドのひとつ。 ケトーワー、キツーワーなどとも呼ばれ、元は北カロライナの ツカセゲー川流域に
原住し、チェロキー国家の北側の警備を受け持った。19世紀初頭に白人によって、チェロキーがオクラホマへ強制移住
される際、伝統保持を任ずる秘密結社「ナイトホーク=ケートワー」となり、その後もチェロキーの伝統、言語、霊的側面を
保持し続ける。今ひとつの集団は「ユナイテッド・ケートワー・バンド」で、これはチェロキーの政治的・行政的代理人を任じる。
「わ」
ワット・タイラー
本名ウォルター・タイラー。百年戦争の休戦期、1381年にイギリスで起きた農民反乱
「ワット・タイラーの乱」の指導者。ケント州の煉瓦工だったという説があるがはっきりしない。
反乱軍は一時はロンドンを占拠し、国王リチャード2世との直接交渉で要求を認めさせるに
至った。しかしタイラーはロンドン市長に殺害され、その後間もなく反乱は鎮圧された。
「ら」
ラバト・エル・ファテフ
モロッコ王国の首都・ラバトの正式名称。
アラビア語で「美を集める場所」の意。
「ふ」
フアニータ
1995年にペルー・アレキパ近郊の山地から出土したミイラの名。
15世紀のインカ期に15歳前後で埋葬された人身供犠の少女とみられる。
保存状態がきわめて良好なため有名になり、発見者の名にちなみこの名が付けられたもの。
「た」
タイメ
北米 大平原部族カイオワ族の、呪術用の偶像。神聖な石、神聖な鷲の羽根、鹿革で出来ていて、
夏至の太陽踊り(サン・ダンス)を執り行うのに欠かせないもの。1833年、カイオワのキャンプがオーセージ族に
皆殺しにされ、数十人の生首と一緒に、このタイメが奪われた。翌年、偉大な大酋長リトル=マウンテン
(ド=ホ=サン)の尽力により、チェロキー、クリーク、チョクトー、オーセージ各部族代表団間で歴史的な和平
会議が開かれ、ようやくカイオワはタイメを取り戻すことが出来た。この強力な呪物は現在も隔離・保持されている。
「め」
メギド
イスラエル北部の地名。戦略上の要衝だったため、古代に何度も大きな合戦の場になったという。
「ヨハネの黙示録」で「メギドの丘」が善悪の最終決戦の場として記述されたことから、転じて
「メギドの丘」を意味する「ハルマゲドン」はこの最終決戦そのものを指すようになった。
「ど」
ド=ホ=サン(1805〜1866)
北米 カイオワ族大酋長リトル=マウンテンのこと。「小さな絶壁」の意。
>>119のタイメ強奪事件の後、
部族会議でアイランドマン(ド=ホ=テ)酋長が職務怠慢の責で解任され、代わって彼が大酋長に選ばれ、
その後30年以上にわたって、カイオワを率いた名将。白人との友好関係を築いたが、それも長くは続かなかった。
盟友サタンタ酋長(ホワイト=ベア)は彼の死後、こう言った。「彼は和平促進のために尽力し、何度も
話し合ったが、白人は彼にひどい仕打ちばかりを続けた。彼は非常に苦しんで死んだ。」
「さん」
サンギェー・ギャンツォ
チベットの摂政。第5代ダライ・ラマの没後15年間にわたりその喪を隠し、
6代ダライ・ラマを頂いて実質的指導者として政治的手腕を揮った。
初めホショット部と結び西チベットを制圧、次はジュガル部に接近してホショット部を一掃、と
表裏比興の知略で版図を広げたが、清朝・康熙帝の介入を受け戦死。
「つぉ」「お」
ツォ・ぺマ
ツォは湖で「ぺマ湖」の意味。インド北部、ヒマチャルプラデッシュ州にあるチベット仏教の聖地。
チベットに密教をもたらしたニンマ派開祖グルリンポチェ(パドマサンヴァバとも)は、この地を
訪れた時、王の怒りを買って火の中にくべられたが、火傷ひとつ負わず、それを見た王は
グルリンポチェに帰依したという。その際、流れ出た油がこの湖に変わったと伝えられる。
「ま」
埋蔵銅器文化
インダス文明衰退後の前二千年紀前半に北インド西半部の丘陵地に展開した文化。
多数の銅器が一括して埋納されていることからこの名称で呼ばれる。
銅斧などの一部の形状がインダス文明の銅器と類似していることから、インダス文明の影響を
何らかの形で後世のインド文明へ継承した後継文化のひとつでは、とも指摘されている。
「か」
カンパネラ
トンマーゾ・カンパネラは、自然魔術師の中では、飛びぬけて政治的、そして活動的な人物であった。
この時代、ルネサンス後期にあたり、ガリレイやの登場により自然科学が産声をあげ、デカルトの登場により近代合理主義の思想が芽生えようとしていた。また、プロテスタント勢力も着実に力をつけていた。
とは言うものの、宗教裁判所は隠然たる力を持っていた時代。この時代に「魔術師&革命家」をやろうなどと、今で言えば軍事独裁国家で反政府ゲリラをやるにも等しい無謀行為だったろう。
事実、カンパネラは、生涯の半分近くを獄中で過ごし、恐ろしい拷問を経験し、死刑を寸前で免れると言う、壮絶な一生を送った。
「ら」
↑どこかからの抽出コピペ?
>>127 いえいえw 年代とか入れてくれると判りやすいかな、ってね
欒大(らんだい)
神仙道にはまった漢の武帝に用いられた方術士の1人。
五利将軍の称号を与えられたが、結局は誅殺された。
「い」
イゼトベゴビッチ
ボスニア・ヘルツェゴビナの元大統領評議会議長。
ボスニャック人の自治権拡張を唱えてイスラム教によるアイデンティティ結束を掲げ数度にわたり投獄を受けたが、
ユーゴ内戦を経てボスニアの初代元首=大統領評議会議長に就任。
なおクロアチア系・セルビア系と三者で8ヶ月交替の輪番就任制度も彼の提案。現在も継続中。
「ち」
チ=ジェアン=クイント
中米 ハイチの国教、ブードゥーのロア(神)。 橋の下に棲んでいる横柄な精霊。 よく警官に化けている。
「と」
トレス
17世紀スペインの航海者。キロスの「南方大陸探険」の船団に参加する。
キロスが帰国してからもトレスはさらに西へ向かい、ニューギニアが島であること、
オーストラリアとの間に海峡(トレス海峡)があることを発見した。
しかしトレスは帰途に立ち寄ったマニラで死亡したため、
これらの事実が世に知られたのはトレスの死後150年以上経ってからである。
「す」
スペイン継承戦争(1702〜1713)
スペイン・ハプスブルク家の断絶後、スペイン王位を巡ってヨーロッパ諸国間で
起こった戦争。この戦争の結果、フランス王ルイ14世直系の孫フェリペ5世の
スペイン王位継承が各国に承認されたが、フランス王位の継承権は放棄されられた。
またスペインはネーデルラント(のちのベルギー)やイタリアの領土、ジブラルタル
などを、フランスは北米の植民地の一部を失った。
「う」
ウィクリフ
14世紀イギリスの司祭で、イギリス宗教改革の先駆者。
「聖界領主論」「俗界領主論」を著して教会の世俗化・資本主義化を批判し、
続いて秘蹟におけるキリストの存在を否定する「聖体論」を公表、
さらに禁忌とされていた聖書の英語訳に着手するに至り
ついには異端とされたが、彼の思想はその後の反教会主義の主張の起点となった。
「ふ」
フラ・アーラアパパ
ハワイのフラ・カヒコ(古典フラ)のうち、
イプ(ヒョウタン打楽器)の伴奏で踊る物語的フラ。
「ぱ」
パリサイ派
ユダヤ教の一派。現在ではユダヤ教徒の大多数が属する。
神殿の存在を必要としない教義でサドカイ派と対立していたが、
ローマ属州時代のユダヤ戦争でエルサレム神殿が破壊されたのちは
現在のシナゴーグ(会堂)を拠点とする形式が広まり、以後のユダヤ教の主流派に。
新約聖書ではイエスを陥れようと画策する悪役として描かれている。
「は」
ハールン・アル・ラシード
アッバース朝第5代カリフで中興の祖。第3代カリフ・マフディーの次男。
イラン系豪族のバルマク家をうまく用いて内政を整え、
またカール大帝と結びビザンツ帝国に侵攻、朝貢を約束させる。
さらに文化面でもサラセン文化の黄金時代を築いた、アッバース朝きっての名君。
「千一夜物語」に登場する、数少ない実在人物の一人でもある。
「ど」
ドルジエフ
ロシア国籍、ブリヤート人のチベット仏教僧。
チベットのダライ・ラマ13世の信任を受け、清と英国を牽制するため
特使としてチベットとロシアの接近に奔走した。
博学にして近代化にも熱心な知識人でもあり、革命後モンゴルの言語政策にも尽力。一方でロシアの走狗との批判とも相半ばする。
「ふ」
フクバラハップ
フィリピンの反日ゲリラ組織。
タガログ語で「反日人民軍」。
主に第二次大戦直前に活動。
「ぷ」
プスコフ
フィンランド湾に臨むロシアの港町。
10世紀の文献に登場し、ロシア有数の古い都市。
海洋交易・軍事の拠点として中世に繁栄したが、近くにペテルブルグ市が建設されると徐々にその地位を譲り衰退していった。
「ふ」
フルンツベルク、ゲオルク・フォン
ドイツの小貴族出身の傭兵隊長。ドイツ傭兵ランツクネヒト部隊を率いて、神聖ローマ皇帝
マクシミリアン1世とカール5世の下で活躍した。あこぎな儲け主義や着服に走らず、
ハプスブルク家には忠実で、兵士の食料や武器にも気を配った。指揮官としても有能で、
「ランツクネヒトの父」と兵士たちから讃えられた。
「く」
クルルマニー
中米 カリブ諸島 アラワク族の神。蟻の頭をしており、また蟻たちの首領である。男らしさをもたらし、
またその妻クリミナは女らしさをもたらす。アラワク族は、1492年にコロンブスを発見した漁猟民族である。
「に」
ニンマ派
チベット仏教最古の宗派。赤い僧帽から紅帽派とも呼ばれる。
パドマサンバヴァが創始、漢人の禅宗の影響やチベット古来のボン教との習合もみられる。
歴代王朝に庇護され、歴代ダライ・ラマもこの法統を継承してきた。
「は」
ハンクパパ族
北米 スー族三大語族のうち、テトン・スー(ラコタ)に属する七つの氏族のひとつ。大酋長タタンカ=イヨタケ
(シッティング・ブル)を輩出した平原部族。「ティピーを円形に囲んだ入り口に野営するものたち」の意。
シャイアン族と多く交婚した。1877年、シッティング・ブルは部族諸共カナダへ逃亡。しかし、白人政府は彼の
権利要求をすべて却下し、4年後には部族をスタンディング・ロック保留地に幽閉した。タタンカ=イヨタケの
前例を恐れ、白人はこの部族の呪い師を徹底弾圧・殺害した。ために今も当地には有力な呪術師がいない。
「ぱ」
パンセ
パスカル(1623〜1662)の断片的な遺稿が没後に整理・出版されたもの。
フランス語で「思想」、「思考」の意味。正式な表題は
「宗教および他のいくつかの問題に関するパスカル氏の諸考察−氏の死後にその書類中より発見されたるもの」
「人間は考える葦である」など名言の数々がしばしば引用される。
「せ」
セイレーン
ギリシア神話に登場する魔物。シチリア島近くの小島に棲み、歌声で船乗りを引き寄せ殺す。
トロイア戦争から戻る途中のオデュッセウスは、自らを帆柱に縛り付けることで
セイレンの歌声に引き寄せられることなく無事にシチリア海域を通過。
これに激怒し自失したセイレーンは海に身を投げて憤死した。
「サイレン」の語源だが、セイレーンの歌声そのものは非常に美しかったと言われる。
「n」
ナルヴァ
エストニア第3の都市で北東部の工業都市。現在はロシア国境に面している。古くはデーン人が支配していたが、
14世紀にドイツ人のリヴォニア騎士団に売却された。リヴォニア騎士団の解体後はスウェーデンが支配した。
17世紀末〜18世紀初めに環バルト海諸国で北方戦争が起こり、ナルヴァの戦いでは劣勢なカール12世の
スウェーデン軍がピョートル大帝のロシア軍を破ったが、結局はロシアがこの地域を獲得し、ロシア革命後に
エストニアが独立するまで支配した。第二次大戦が始まるとエストニアはソ連に、次いでナチス・ドイツに占領され、
ナルヴァは戦場となった。戦争が終結して再びソ連に併合されると、エストニアはナルヴァより東の地域をロシア領
に編入された。また、大戦前にナルヴァの住民であったバルト・ドイツ人やエストニア人の多数が国外やシベリア
などに逃亡し、あるいは追放された。不足した人口はロシアからの入植者で補われ、彼らによって復興と工業化が
なされた。現在も住民の9割をロシア人が占め、再独立後のエストニアにおいて困難な民族問題となっている。
「う゛ぁ」
ヴァリマ=テ=タケレ
南方 クック諸島 マンガイア島の女神。この世が始まった頃に、海の底の卵から生まれた。
身体の左側から男を、右側から女を生み出し、地上へ送った。
「れ」
レーテ
ドイツの共産革命政権。ロシアにおける「ソヴィエト」と同義。
第一次世界大戦後の革命的雰囲気の中、労働者・兵士・農民らが地区レベルで作ったもので、
代表的なものとして1919年のミュンヘン・レーテがある。
この動きは1925年頃まで続いたが、いずれも地方自治政権すら奪取できず鎮圧された。
「て」
天王府
清末1853〜1864年、太平天国の首都・南京改め天京に建てられた王宮。
天王の洪秀全が造営し、庭園は広大・壮麗だったと伝わるが、天京陥落の際に
ほとんど焼失。
「ふ」
馮道(ふうどう 882〜954)
五代時代の政治家。五代第2の王朝・後唐に始まって、後晋・遼(一時的に中原を支配した)・後漢・後周と
「五朝八姓十一君」に高官として仕え、宰相の地位にあること通算20年に及んだ。
「う」
ウバイド・ザーカーニ
14世紀ペルシアの詩人。政治的な風刺詩を得意としたため
シーラーズの政府に嫌われ、後にジャライール朝の保護を受けた。
代表作は「ネズミと猫」「楽しき論文」「貴族の倫理」など。
「に」
ニザム
イスラム圏、特にトルコ〜ペルシア〜インドにかけての君主の称号。
トルコ圏では太守、インド圏では藩王と和訳されることが多い。
「む」
ムニカオズー族
北米 スー族三大語族のうち、テトン・スー(ラコタ)に属する七つの氏族のひとつ。ミネコンジュー族。
「流れの側で植える者」の意。 シャイアン川保留地に強制収用された。20世紀スーの偉大なまじない師、
レイム=ディアー(ターカ=イシテ)を輩出。
「ず」
>>154 ニューヨーク付近の伝統的地名、わかりませんか?
もしご存知なら、南北アメリカIFスレの方に降臨お願いします。
ズデーデンラント
チェコの沿ドイツ国境山地地域。
ドイツ系住民が多数だったため、
チェコスロバキア解体ではドイツに併合され、第二次戦後はドイツ人の追放が行われた。
「と」
党錮(とうこ)
中国での派閥一斉粛清。後漢の桓帝の時代の「党錮の獄」が最も有名。
釈放後も免職にされることが多く、事実上の政界追放としてたびたび横行した。
「こ」
コチティ族
北米 南西部プエブロ19部族のうちひとつ。ロスアラモスの南、サンタ=フェの西に位置するケレス語系の
農耕定住部族。人口は約1500。コチティ=ダムの建設で、農地の灌漑が進み、逆に人口の流出を招いた。
1964年、部族女性ヘレン=コルデロが、伝統の語り部人形を復活させて、一躍部族の主力工芸品になった。
また、太鼓作りに関してはプエブロ一とも言われる優れた技術を誇る。
「てぃ」
TVA(ティーブイエー)
正式名は「テネシー川流域開発公社」。
1933年にルーズベルト政権で発足した公共事業期間機関。
ニューディール政策の一環として、米南部のテネシー川流域の総合開発を通して失業者救済や景気振興を目指したもの。
基幹事業のダム建設は特に功を奏した。
「A」か「えー」か「えい」
AA会議
アジア・アフリカ首脳会議の略。1955年4月18日にインドネシアのバンドンで第1回が開催された。
非白人国家のみによる初の国際会議で、日本を含むアジア・アフリカの29ヶ国の首脳が参加した。
「ぎ」
ギメ,エミール
フランスの実業家、美術商。
東洋美術に傾倒し、日本や中国の伝統美術品を幅広く収集、現在のパリ・ギメ美術館を設立。
収集のため明治期に自ら来日したことも。廃仏毀釈で流出した国宝級作品も数多く有する。
「め」
メスクワキ族
北米 アイオワで唯一領土を持つインディアン部族。「赤い土地の人々」の意。「ソーク(サック)&フォックス族」
として白人政府に認識されている二大提携部族の片割れ、「フォックス(狐)族」のこと。元はウィスコンシンに
原住した森林部族。白人に蹴散らされて、アイオワのほか、カンザス、オクラホマに分散して現住する。
「き」
金史(きんし)
元代末期に元の宰相・脱脱(トクト)をリーダーとして「宋史」「遼史」とともに編纂された正史。
この3書は出来の悪さでは定評があるものの、「金史」のみは文章の格調高さが評価されている。
これは金朝末期の大詩人・元好問が野史編纂のため収集・整理した資料を、そのままに近い形で
用いたからだと言われている。
「し」
シモン・ド・モンフォール
13世紀フランスの貴族。英王ヘンリー3世からレスター伯を授けられ渡英、
王妹と結婚し大陸遠征などで活躍して忠勤に励んだ。
しかし1258年、王に反発する貴族改革派の勢力が大きくなると
自らその指導者に収まり、王に対して政治改革案「オックスフォード条例」を突きつける。
さらに王がこれを反故にすると武力でもって王を破り投獄、自ら執政官となった。
議会を召集して民衆を味方につけようと企んだが、体制確立前に王派の攻撃を受け戦死した。
「る」
ルゲイラン
南方 ミクロネシアの神。 刺青、および針仕事の神である。 悪さばかりする、永遠に悪餓鬼の
ままの姿の息子、オリファット(オロファット)を持つ。
「らん」
ランカスター家
イギリス・ランカスター朝の王家名。
ヨーク家との王位継承戦争が「薔薇戦争」と呼ばれるように
家紋は有名な「赤薔薇」であるが、
最近では「どちらの家も家紋は薔薇ではなかったんじゃないか」という学説もある。
「け」
ケビン=ガバー(1956〜 )
北米 ポーニー族 弁護士、大学教授。クリントン政権下の‘97〜01、BIA(インディアン管理局)副長官を務める。
「インディアンのバスティーユ」と呼ばれ、差別と不正と腐敗の温床だったBIAで、数十億ドルに上るインディアン
基金の不正隠匿、またサボタージュを暴き、2000年、ついにBIAが百数十年にわたり行ってきた強制移住と同化
政策の犯罪性を認めさせ、全米のインディアン部族に対する、歴史的な謝罪を実現させた。(以下は彼によるその声明)
「二度と、我々は貴方がたの宗教、言語、儀式、または部族のやり方を攻撃することはありません。我々は二度と、
貴方の子供を里子に出させ、自分たちを恥ずべきものと教えるつもりはありません。」(会場は涙と拍手で騒然だった)
「ば」
ケクレ,フリードリヒ
19世紀プロシアの有機化学者。
化学式「亀の甲」でおなじみの六員分子環構造の提唱者。
蛇が尻尾を噛んでいる夢を見て思いついたとの逸話も伝わる。
「れ」
>>166から
バーブ
19世紀カージャール朝イランの宗教家。
十二イマーム派の一派から独自の教義を創始し、バーブ教を興す。
シャリーアの否定により異端認定を受け刑死。
バグダッドに逃れた門徒は後のバハーイー教を興す。
「タキーヤ=信仰の秘匿」を認めているため、現在の信徒数は把握困難。
「ぶ」
ブラック=ケトル(1800〜1868)
モケタヴァト(黒い薬缶) 北米 シャイアン族の和平派の酋長。1864年、陸軍大佐チビントンの一隊が、
白旗を掲げた彼のバンドの、無抵抗のキャンプを皆殺しにしても(サンド=クリークの大虐殺)、なおも和平
交渉を続けた。1865年、リトル・アーカンソー条約に署名したが、白人がそれを守ることは最初から無かった。
再度1867年に、メディスン・ロッジ条約の署名をのんだ。 が、1868年11月27日、悪名高いカスター率いる
第7騎兵隊によってウォシタ川そばのキャンプを無抵抗のまま奇襲され、数百人の部族民とともに皆殺しにされた。
「る」
ルイジアナ
アメリカ合衆国南部の州。1812年に成立した。元々はフランスの植民地で、ミシシッピ川流域から
カナダ(同じくフランス植民地)に達するまでの広大な範囲の総称であった。ルイ14世にちなんで
名付けられた。1762年にミシシッピ川以東はイギリス領となり、残る地域もスペイン領となった。
ナポレオンが再び取り戻したものの、財政上の理由から1803年に合衆国に売却した。
政治制度、文化など多くの面でフランスの影響が色濃く残る州である。
「な」
ナロードニキ
ロシア革命前夜の「民族主義派」。西欧式の近代化によらないロシア独自の社会主義化を掲げた。
アレクサンドル2世の暗殺も果たしたが、内紛と他派との政争に破れたが、思想は後世の社会革命党に受け継がれる。
「き」
岐国公主(きこくこうしゅ)
チンギス・ハーンの第四皇后。金の皇帝・衛紹王の娘。
金はモンゴルの侵攻に対して和睦をはかり、公主はその条件としてチンギスに降嫁、
チンギスは人質同然のこの公主を皇后の位に迎え、
その後度重なる金の背信行為にも彼女には責任を問うことなく丁重に扱ったという。
「しゅ」
朱熹(しゅ・き 1130〜1200)
南宋の儒学者。朱子と呼ばれる。儒教の新しい学問体系(新儒教と呼ばれる)
朱子学の創始者。生前には不遇であったが、元代以降にその教説が国家教学として
認定されるに至った。
「き」
キウィガパワ族
北米 アルゴンキン語族、キカプー族の正式名称。「彼は周囲を動き、今はそばに立つ」の意。
キカプー族はウィスコンシンに原住した平和的な森林部族で、
>>161のソーク&フォックス族とは近縁。
200年ほど前から、白人の侵略を避けて、ウィスコンシン→カンザス→オクラホマ→テキサス→メキシコ国境と南下、
それぞれの地域に部族が分散して定住している。伝統的な生活を頑として守る部族として名高い。
「わ」
我が闘争
アドルフ・ヒトラーの著書。ナチスドイツにおける「聖典」。
基本のテーマを民族論に置き、人類を創造・支持・破壊の三つに分類。
その上でアーリア人(創造人類)の優越と、アンチ・ユダヤ人(破壊人類)を述べた。
「う」
宇文泰(うぶん・たい 505〜556)
中国南北朝時代の北朝・西魏の実力者で、北周の基礎を確立した人物。
先祖は遼西地方にいた鮮卑族とされる宇文氏の酋長。北魏末に起こった六鎮の乱で
次第に頭角を現し、高歓が北魏の宗室を擁立して東魏を建てると、同様に西魏を
建てて対抗した。宇文泰が西魏で整えた軍制・官制・法令は、子の宇文覚が建てた
北周を経て、隋・唐に受け継がれていった。
「い」
イリアン
ニューギニア島のこと。
マレー系語で「日の出の地」の意。
「あん」
アンテロ
北米 ユタ州 19世紀ユテ族ユインター・バンドの和平派の酋長。1880年のワシントン条約署名者のひとりで、
1860年代後半から1870年代にかけて、ユテと白人との和平を取り持った。 その功績を称え、コロラドで最も
高い山、および高速道路合流点、貯水池に「アンテロ」の名がつけられている。
「ろ」
盧綰(ろ・わん)
漢の高祖・劉邦の下で活躍した武将。劉邦とは幼少時からの無二の親友であった。
劉邦の挙兵にも従って各地を転戦し、楚漢の争覇戦では楚軍の兵糧を断つゲリラ戦で
戦功を挙げた。劉邦が皇帝になると燕王に封じられた。晩年の劉邦に謀反を疑われた際には
直接対面して釈明すれば赦されると期待してたが、劉邦が死んで呂后が実権を握ったことを
知って望みを断たれると、匈奴に亡命し、間もなく病死した。
「わん」
ワンズィナ
豪州 キンバーリー=アボリジニの神。全能の創造神であり、ドリーム・タイム(天地創造の時代)に、
天の川から降り立ち、この世界と人間を創った。有能な神々が彼を助け、彼は口に出して指示する
までもなかった。(ためにこの神には口が無い) あちこちの古代洞窟に、この神が描かれていて、
イメージ的に「宇宙人」を髣髴させる姿で表されている。
「な」
南朝(なんちょう) ※中国史
東晋の滅亡後、隋が中国を再統一するまでの時代に華南で興亡した
宋・斉・梁・陳の4つの王朝。いずれも建康(建業)に都を置いた。
これに先立つ三国時代の呉と東晋を合わせて六朝と呼ぶ。
南朝(六朝)の時代に江南の開発が一気に進み、また文化や仏教が大きく栄えた。
「う」
ウ・ヌー
ビルマの首相。イギリス支配下のビルマで国民軍を指揮して独立運動に参加、
暗殺された同志のアウン・サンを後継する形で政権を握る(暗殺の首謀者説もある)。
日本やイギリスと平和条約を結んで独立国家の成立を目指したが、
彼に反発するネ・ウィン将軍のクーデターでビルマは再び内戦に入った。
「ぬ」
ヌマ
古代王政ローマの2代目の王。市外に住むサビニ人で、ローマ市民ではなかったが、
初代ロムルス王の死後、市民たちは内紛を避けるために、賢者として知られたヌマを
王に選んだ。ヌマ王は戦争を起こさず、内政に力を注いで諸制度を整えた。
「ま」
マッサイ(1880〜1910)
「大足」の意。北米南西部 チリカウァ=アパッチの戦士。1886年に、ジェロニモとともに白人陸軍に
降伏し、フロリダのマリオン砦への流刑の沙汰となる。そこで他の部族民とともに、白人化される予定だったが、
囚人列車がカンザスに入ったところで脱走し、アリゾナへ逃れた。メスカレロ=アパッチの女と結婚し、
アリゾナとメキシコの両当局の目を逃れながら、その後20年以上もの間、白人への襲撃・略奪を続けた。
アリゾナのチリカウァ国定記念物のマッサイ渓谷とマッサイ・ポイントにその名を残す。
「さい」
>>184 訂正 マッサイの生誕年は、1850〜60頃です。
つぎは「い」じゃねえの?
そういうのもいいかなと思ったんで。 じゃあ「い」からでドゾー
イシハ (
>>24の再掲)
明の宦官。
>>4のセガレ・永楽帝に仕えた。
海西女直出身で満洲・沿海州方面の統治に任ぜられ、
アムール河口近くに奴児干(ヌルカン)都司を設置。交易や防衛の拠点とした。
のち女真族がオイラートと通じて明を攻めるとの噂により、内通の疑いで任を解かれる。
「は」
ハーメネ=モックスモックス(1855〜1935)
イエロー=ウルフ(黄色い狼) 北米 北西高原部族ネ=ペルセ族の戦士。 小ジョセフ酋長の甥。
1877年、
>>76のラプワイ保留地への移住を拒否し、ジョセフ酋長が試みた部族のカナダへの脱出に加わった。
白人が繰り出す地獄の追撃に、ジョセフがついに降伏を決めたとき、彼のバンドは
>>144のシッティング=ブルの
ハンクパパ族カナダ逃亡に同行し、亡命を果たした。ルクルス=マホーター著「イエロー=ウルフ」(1940出版)の
取材に応じた直後に、ワシントン州のコルビルで死去した。
「す」
スィナーン
ラシード・ウッディン・スィナーン。サラディンの最大の好敵手で盟友。
アサシン派を率いてサラディンに挑み、2度に渡ってその暗殺を図るが失敗。
逆にサラディンの討伐を受けるが、これをマスヤーフ城での篭城で迎撃、
単身サラディンの寝所に侵入して毒のパン、毒塗りの短剣、警告文を置いて去った。
サラディンはスィナーンの指揮能力と豪胆さに舌を巻き撤兵、
のち十字軍と事を構えるに至ると真っ先にスィナーンへ同盟・助力を求めたという。
「n」
ナ・ピ
北米 ブラックフット族(シクシカ族)の創造神。この世を創った後、最初の女性(とても口喧しかった)に、
「これで総てなの?」と詰め寄られ、辟易したナ・ピは、「それじゃ死について賭けてみよう」と言って糞を取った。
「この糞を川に投げ込み、浮いたら四日間総ての生き物は死ぬが、その後復活し、不死となる。そうなれば
お前は喧しく言う事もなくなるだろう。が、この糞が沈めば、生き物は総て、寿命がくれば死ぬ運命となる。」
彼はそれを投げ、糞は浮いた。が、この世で最初の女は満足せず、自分でやりたがり、糞の代わりに石を
投げた。 そして、石は沈んだ・・・
「ぴ」
ピルグリム・ファーザーズ
1620年、メイフラワー号でアメリカへ移住した102人の分離派清教徒。「巡礼」の始祖。
現在のマサチューセッツ州プロヴィンスタウンにニュー・プリマス植民地を建設した。
貧困、寒さ、病気のため1年余りで102人のうちの半数近くが死亡したが、
新しい移民を受け入れつつインディアンから農耕・狩猟の方法を学んで街を発展させた。
アメリカ上陸に際し、41名が署名した「メイフラワー誓約」は社会契約の先駆けとして有名。
「ず」
ズィ=ツィ=スタス
北米 大平原部族 シャイアン族の正式な総称。「われら同胞」の意。
「シャイアン」は、ラコタ族(テトン・スー)の言葉で、「判り難い言葉を話す連中」の意。
「す」
スティック・チャート
ココヤシの葉柄(うねり)と貝殻(島)でつくられたミクロネシアの伝統航法の海図。
実際の航海用途ではなく、航海術の教育用に使われた。
現在は土産物でしかなかったり…。
「と」
トペレアキ
南方 ミクロネシアの天地創造神。 女神ラトミカイクとともに岩の中から出でました。トペレアキは天空へ
統治に昇った。 ラトミカイクは深海に下って、たくさんの魚を生み出し、この世を創らせた。
「き」
キリル文字
主にスラブ諸語を表記するのに用いられる表音文字体系。東方正教会の宣教師キュリロスとメトディオスの兄弟が
スラブ人への布教のためギリシャ文字を元に考案したとされ、キュリロスが作った文字という意味からキリル文字と
呼ばれるようになった。しかし、彼らが実際に考案したのは、グラゴール文字という別種の文字体系であったらしい。
現在では、ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、ブルガリア語、セルビア語、マケドニア語などのスラブ諸語と、
ロシアの強い影響を受けたカザフ語、キルギス語、タタール語、モンゴル語などの旧ソ連内外の諸民族の言語に
用いられている。また、アゼルバイジャン語、ウズベク語、カラカルパク語、トルクメン語では旧ソ連時代にキリル文字
が使用されていたが、独立後はラテン文字に切り替えられつつある。
「じ」
ジェームス=マックローリン
北米 19世紀末のスー族保留地の監督官。あだ名は「白髪」。陸軍少将。シッティング=ブルを非常に
嫌っていた。ガルやその他大酋長を取り込んで、シッティング=ブルを保留地内で孤立させた。また、条約で
明示された食料衣類その他の供給を故意に滞らせ、部族民を餓死させ力を削いだ。 ゴースト・ダンス教の
指導者がシッティング・ブルだと、虚偽の報告をして、シッティング・ブル逮捕を目論み、1890年、彼を殺し、
その後のウンデッド=ニー大虐殺に導いた。 スー族にとっては地獄の番犬だった。
「りん」
リンネ、カール・フォン(1707〜1778)
スウェーデンの博物学者。動植物の分類の体系化、生物の学名の体系化などの
業績により、「分類学の父」と呼ばれる。
「ね」
ネロ(37〜68、在位54〜68)
ローマ帝国第5代皇帝。母アグリッピーナの画策で第4代皇帝クラウディウスの養子となり、
その死後に帝位を継承した。一説にはアグリッピーナがクラウディウスを暗殺したともいう。
暴君・暗君として名高いが、治世の前半はセネカと親衛隊長ブルスの補佐もあって、
後に五賢帝の1人トラヤヌスが称えたほどの善政であったと伝えられる。
「ろ」
ロングソード
ウィリアム・ロングソード。13世紀イングランドの騎士。ルイ9世の十字軍に参加し、
マンスーラ要塞攻略の際には先鋒を務めたロベール・ダルトワの部隊に組み込まれる。
ロングソードは本隊との合流を待つべしと主張したが、功にはやるダルトワはこれを却下、
先制攻撃に打って出るも、イスラム側の計略にかかり部隊は包囲殲滅される。
ロングソードも左脚と両腕を失いながら奮戦したが、最期は落馬したところをなます斬りにされた。
「ど」
ドゥルガー
印度 ヒンドゥーの女神。シヴァ神の妃であり、破壊と殺戮の神である。「近づきがたい者」の意。
10本の腕に得物を構え、虎に乗った姿で描かれ、インド、ネパールでは国民的人気を誇る。
「が」
ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語
ラブレーの著作。フランス・ルネサンス文学の代表的作品。
ガルガンチュア・パンタグリュエルという二人の伝説上の巨人を中心に据えて展開される
荒唐無稽なファンタジー・冒険物語だが、その実新しい思想と学識でもって
スコラ学者や教会の姿勢を痛烈に諷刺しているため、後にパリ大学によって禁書とされた。
「り」
リガ(リーガ)
ラトヴィアの首都。リガはドイツ語の発音に基づく名称で、ラトヴィア語ではリーガとなる。
13世紀に都市が建設され、また司教座も置かれて、リヴォニアにおけるドイツ人の
キリスト教布教・植民・商業の拠点となった。以後、帰属の変遷にかかわらず、ラトヴィアの
第1次独立までバルト・ドイツ人の支配が続いた。
余談だが、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーは20代の頃に一時、リガの歌劇場の
指揮者を務めていた。
「が」
ガネーシャ
印度 ヒンドゥーの神。シヴァ神の息子であり、富と商い、学問の神である。シヴァの妃パールバティーの
垢から生まれた。それを知らずに帰宅したシヴァが、うっかりその首を切り落とし、とっさに門前にいた象の
首をとって挿げ替えた。それから、この神は象頭の神である。大黒様のような肥えた姿で描かれ、インド、
ネパールでは国民的人気を誇り、辻々にこの神の祠がある。
「しゃ」
シャーリプトラ(舎利弗)
釈迦の十大弟子の1人。智慧第一と称され、目連と並んで特に二大弟子と呼ばれる。
裕福なバラモンの出身だったが、釈迦の弟子アッサジを通じて釈迦の教えに触れ、
親友の目連や、それまで彼らが属していたサンジャヤ仙人の教団から信徒250人を従えて
釈迦に弟子入りした。 高弟として釈迦の信任も厚く、教団の後継者と目されていたが、
釈迦より先に病没した。
「ら」
ライムンドゥス・ルルス
13世紀、マジョルカ島出身の修道士。人呼んで「天啓博士」、あるいは「狂人ラモン」。
神秘主義に傾倒、「自分は殉教のために布教を行う」として
イスラム教徒の改宗を目標に各宗教の知識やアラビア語まで習得した。
が、その熱心な布教は煙たがられ、最期は布教中に投石を受けて死亡。列聖もされなかった。
「す」
スターリングラード
ロシアの都市ヴォルゴグラードの旧名。
1589年にタタールの襲撃に備えて築かれたツァリーツィン要塞から都市へと発展した。
1925にスターリンにちなんで改称され、南ロシアの重工業の拠点として発展したが、
第二次大戦ではドイツ軍の包囲を受け、半年以上にわたる攻防戦が繰り広げられた。
スターリン批判後の1961年に現在の名称へと改められた。
「ど」
ドークウィブーチ
北米 ワシントン州 スノホミシュ族の創造神。この世界を創ったが、空を低くし過ぎてしまった。
余りにも低くて、音が反響して大変だった。この世の生き物たちは相談して、「1、2、の3・・・・・・!」で
空を上へ押し上げた。 それは大成功して、空は高く持ち上がった。が、うっかりそのまま放すのを忘れ、
空に掴まったまま連れて行かれた連中がいた。 彼らは結局、翼を用意しなければならなかった・・・
「ち」
チョクロアミノト
インドネシア初の大衆政党イスラム同盟の党首。
雄弁家で4,500人の同政党を拡大(370,000〜4,500,000説まで)。
ジャワ伝説に現れる救世主の再来と言われた。
「と」
トオリル・ハーン
ケレイト部の長。チンギス・ハーンの父イェスゲイとアンダ(盟友)の誓いを結んでおり、
青年時代のチンギスにもよく力を貸して父子の誓いをするまでに至った。
が、息子サングンを中心とする反チンギス勢力や
チンギスの宿敵・ジャムカの離間策によりその仲は決裂、2度に渡って矛を交え敗死した。
「n」
ヌマカキ族
北米 北ダコタ、ミズーリ上流のマンダン族のこと。「人間」の意。1837年までこう呼ばれた。この年、
白人から天然痘を持ち込まれ、1600人の部族民を31人まで減らした。同様の近隣部族、アリカラ、
ヒダーツァと、「ミズーリ三大連携部族」を結成し、現在に至る。ピアッシングを伴うサンダンスの元祖、
「オ・キー・パ」で知られる。白人によって弾圧禁止されてきたこの儀式を、20年前に復活させた。
「き」
キケロ、マルクス・トゥッリウス(BC106〜BC43)
古代ローマの政治家、文筆家、哲学者。カエサルとポンペイウスの内乱ではポンペイウス側につき、
カエサル暗殺後はオクタヴィアヌスを支持してアントニウスと対立し、惨殺された。
その思想は、当時ローマで主流だったストア哲学に、ローマの伝統的価値観を取り込んだ
折衷的なものとして知られる。。多くの弁論が残っており、14世紀イタリア人文主義、とりわけ
ペトラルカが賞揚して以来、その文体はラテン文学の規範とされてきた。
「ろ」
ローラ・キーン
アメリカ人女性としてはじめて劇場を開設し、経営する。
台本を書き、監督をし、衣装をつくり、出演もした。
リンカーンが暗殺された劇場はここだった。
「n」
ネタワトウェース(1677?1686? 〜1776)
「新来者」の意。北米マンハッタン原住 レナペ族(デラウェア族)の、亀、七面鳥、狼の三つの氏族のうち、
亀一族の酋長。強制移住させられたオハイオに、1759年に、ゲケルメクペチュンク村を設立した。
英国と同盟したが裏切られ、交戦派のポンティアック酋長とともに、反白人派の預言者ネオリンを支持した。
1770年代に、天然痘からの救済を期待して宣教師を迎え入れたが、彼らの白人同化要求には反発。
死ぬまで入信を拒んだとも、晩年入信して親族にこれを勧めたとも伝えられる。
「す」
スウェーデンボリ、エマヌエル(1688〜1772)
スウェーデンの哲学者、科学者、神秘主義者。オカルトのあらゆる分野に影響を与えた。
56歳までは科学者・技師として活躍し、その功績で貴族に叙せられるほどであったが、
突如として霊的ヴィジョンに目覚め、宗教家に転身した。独特の霊視能力を用いて
霊界の様相を探り、次々と著作で発表した。聖書の独自の解釈にも取り組んで
「新教会」(スウェーデンボリ教と呼ばれる)を創始した。存命中は毀誉褒貶が激しかったが、
信奉者は徐々に増加し、「新教会」は現在でも存続している。
「り」
リープクネヒト
ドイツの政治家。社会民主党の中に左翼急進派を形成し、
国家社会主義論争や修正主義論争の中心となって名を上げた。
しかしドイツの帝国主義、戦争協力主義に不満を抱いて党を離脱、スパルタクス団を組織。
1918年のドイツ革命、1919年のベルリン蜂起を主導し、失敗して処刑された。
「と」
トウチョウアシントン
北米 ヤンクトネイ・スー(スー族三大語族の一派、ナコタ族を構成する4つの支族のひとつ)に
属するバンドのひとつ、ワジクテのこと。ヤンクトネイは、「最果ての小さな居住者」の意。ワジクテは
「松の木の中で射るもの」の意。同じ北ダコタのアシニボイン族は、このワジクテの分派。
「とん」
トンボー
フランス語で墓の意味。死者の思い出のために書かれた作品の表題として
特に17世紀フランス音楽にしばしば使われた。
「ぼ」
ボオルチュ
チンギス・ハーン股肱の臣である「四駿四狗」のうち「四駿」の一人。
青年時代のチンギスが馬泥棒を追っていたときに協力し、それが縁でチンギス最初の幕僚となる。
以降もチンギス第一の功臣として知勇を揮い、モンゴルの統一や金朝征伐、
中央アジアの経略などに高い功績をおさめた。晩年には「広平王」の称号を賜っている。
「ちゅ」
チュマシュ族
北米 カリフォルニア南部のカヌー漁猟民族。「貝殻をビーズの貨幣にする人たち」の意。茅葺家屋に住んだ。
占星術、籠作り、パン焼きかまど、美麗な洞窟絵画、チョウセンアサガオによる呪術などで知られる。伝統の
クジラ・あざらし漁は、白人の介入によって永らく途絶えている。サンタバーバラ・インディアンとも呼ばれる。
「しゅ」
シュピーリ
19世紀スイスの女流児童文学作家。敬虔なプロテスタントで、
その思想に基づく牧歌的なユーモアと少しの教訓をはらんだ作品が多い。
代表作はなんといっても作品集「子供達と子供達を愛する人々のための物語」収録の、
明るく純真なアルプスの少女を描いた作品「ハイジ」。
「り」
リシュリュー(1585〜1642)
本名 アルマン・ジャン・デュ・プレシ、枢機卿およびリシュリュー公爵。
本来は聖職者であったが、フランス国王ルイ13世の母で摂政を務めたマリー・ド・メディシスに
推挙されて政界入りした。1624年に国王によって国王首席顧問官に任命され、以後死去するまで
事実上の宰相を務め、フランス絶対王政の基礎を築いた。徹底的なマキャベリストぶりを発揮して、
三部会停止や三十年戦争への介入などを行い、王権強化と反ハプスブルク政策を推進した。
「りゅ」
リューベック
正式名称はハンザ都市リューベック(Die Hansestadt Lübeck)。
現在はシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州に属するが、ドイツ帝国時代にはハンブルク、ブレーメンとともに
独立した邦国(自由都市)として帝国に属していた(他の2都市は現在も連邦の都市州である)。
かつてハンザ同盟の盟主であったリューベックは、ノルウェーの鱈や、リューネブルクの岩塩を用いた
塩漬け鰊の貿易で栄えたが、近世に入るとハンザ同盟とともに衰退していった。
「く」
クビライ
チンギス・ハーン股肱の臣である「四駿四狗」のうち「四狗」の一人。
モンゴル統一前からチンギスの軍の先鋒をつとめ、モンゴル帝国軍の責任者となった。
その後は西方進出の先駆けとしてカカルク族などを征伐、またチンギスの庶子の守役にもなっている。
元朝皇帝のフビライ・ハーンを「クビライ」と呼ぶこともあるが、彼とは別人であり名の表記も異なる。
「い」
イングリア
インゲルマンラントともいう。サンクト・ペテルブルク周辺の地域の古称。
ロシアの進出以前にはエストニアやカレリア、
>>112と同様にフィン=ウゴル系の先住民がいた。
「あ」
アリゲーター(1795〜1850)
ハルパッター=ツステヌッゲー(アリゲーター) 北米フロリダ セミノール族の戦争酋長。 第二次セミノール戦争
(1835〜1842)で、高名なオセオーラ酋長らと共に、セミノール族、ミカズキ族、逃亡黒人奴隷との合同大軍団を率いて
白人侵略軍と戦い、数々の戦功を上げた。白人は湿地帯での焦土作戦に持ち込み、(このことでセミノール戦争は
インディアンのヴェトナム戦争と例えられる)1838年3月、やむなく降伏、保留地への強制移住をのむ。1843年、保留地
問題の解決を要求するために、ワシントンDCへのセミノール代表団に加わった。
「た」
227 :
朱由檢:2005/08/08(月) 00:38:21 0
タゴール(1861-1941年)
インドの詩人。ベンガル文学の大家。
「る」
ルーテンドルフ
ドイツの軍人。ヒンデンブルクの参謀としてタンネンベルクで戦史に残る勝利を演出した。
しかしその後西部戦線での攻勢に失敗すると軍のやりかたを批判するようになり、
右翼グループを率いてカップ一揆やミュンヘン一揆に参加したため政府から嫌われるようになる。
1925年の大統領選挙に出馬するも落選し、のちナチスからも離党、
タンネンベルク連盟を組織したが大勢に影響を与えることができず、歴史の舞台から姿を消した。
「ふ」
夫差(ふさ ?〜BC473)
中国春秋時代の呉の王。越王勾践に殺された父・闔閭の仇を討つために、
>>45や孫武(孫子)の
補佐を得て、呉を強国にした。一時は勾践を屈服させ、さらには春秋五覇の1人に数えられるまでに
なったが、勾践の逆襲を受け、敗北して自殺し、呉は滅亡した。
「さ」
サモイェード語派
ウラル語族を二分する支派のひとつ。エニセイ川からウラル山脈にかけての西シベリアが主な分布地。
源郷はモンゴルに近いサヤン山脈一帯と推定され、徐々に北西方面へ拡散した。
モンゴルに合流したナイマン部の出自をこの系統に含める説もある。
「は」
ハイアカ
太平洋 ハワイイ諸島の女神。 火山の女神ペレの妹。ペレは彼女が孵るまで、その卵を抱いて温めた。
ペレの使いとしていろいろ飛び回ったが、一度はペレのためにハンサムな王子を捜しに行った。悪霊の妨害で
王子の到着は遅れ、待ちくたびれたペレは怒りの大噴火を起こす・・・
「か」
カンタベリー物語
14世紀イギリスの詩人・チョーサーの著作。イギリス文学の最高傑作のひとつと言われる。
カンタベリー寺院への巡礼のため集った旅人たちが、宿の主人に
「もっとも面白い話をしてくれた人にごちそうを振舞いましょう」と言われて
それに応えるべく、巡礼への道中にめいめいが話をする、という構成。
上は騎士から下は粉屋まで、当時のあらゆる階層のユーモアを網羅している。
「り」
リーグ
ヤードポンド法の長さの単位。主に航海用。
イギリス起源で、語源はノットと同じ「結び目」の意。
英国の世界進出とともに世界に広まったものの、現在では
国際リーグ・英リーグ・米リーグで長さが不統一なこともあって使用場面は限られる。
「ぐ」
グドラトリガクゥイトル
北米 カリフォルニア北西部の漁猟民族 ウィヨット族の神。 天地創造神である。 その手に全世界を
握っている。つまり、何かの弾みで彼が拍手でもすれば大変なことになる。
「る」
ルカ
新約聖書のパウロの手紙のうち3つに、協力者として記されている人物。
「ルカによる福音書」「使徒行伝」の著者とされる。
ただし近代の聖書学では、これらをルカが著したという説は否定されている。
「か」
カ=アッタ=キッラ
南米 インカの神。 月の女神である。 インカ以前には、チチカカ湖周辺で崇拝されていた。
「ら」
ラングーン(・テロ)事件
1983年10月9日、ビルマ(現在のミャンマー)を訪問中の全斗煥・韓国大統領一行の暗殺を狙って起こされたテロ事件。
全大統領一行が首都ラングーン(現在のヤンゴン)にあるアウン・サン廟へ献花に訪れた際、廟の天井で爆発が起こり、
韓国側は副首相や外務部長官ら閣僚4名を含む17名、ビルマ側は4名が死亡し、負傷者は47名に及ぶ惨事となった。
全大統領自身は、乗っていた車の到着が遅れたために無事であった。韓国側は北朝鮮の組織的な陰謀であると主張したが、
北朝鮮側は韓国が北朝鮮を陥れるために起こした自作自演の事件であると主張した。同年11月4日、ビルマ政府は北朝鮮
による犯行と断定し、3人の北朝鮮軍人を実行犯として告発、2人は逮捕、1人は死亡と報じられた。この事件により、ビルマは
北朝鮮との国交を断絶、さらに国家承認をも取り消すに至った。
「けん」
建文帝(けんぶんてい 1383〜1402、在位1398〜1402)
朱允炆(しゅ・いんぶん)。明朝の第2代皇帝。
>>4の長子である懿文太子・朱標の第二子で、
父の死後に皇太孫に立てられ、
>>4の死後に南京で即位した。叔父(
>>4の第四子)である
燕王・朱棣の反乱(靖難の変 1399〜1402)に敗れ、南京が陥落した際の混乱の中で
行方不明となった。自害したとも変装して雲南へ逃れたともいわれるが明らかではない。
代わって即位した朱棣(永楽帝)によって建文の元号と即位の事実は抹消された。
「い」
イヌナイナ
北米 ワイオミングとオクラホマに、南北部族が分散原住する、アラパホー族の正式名称。「われら同胞」の意。
>>26のグリージーグラス川での戦いでは、スー、シャイアンと連合して、カスター隊長と第七騎兵隊を地獄へ送った。
「アラパホー」は、ポーニー族の言葉で「貿易者」の意、またはアプサロケ族の言葉で「山を駆け下りる人たち」から
来たと言われる。平原の典型的な騎馬インディアンだった。 最近、ヨーロッパで人気の山岳滑走用の自転車に、
「アラパホー」の名がつけられている。
「な」
ナスレッディン・ホジャ
トルコの様々な民話に頻繁に登場する主人公。とんち話・ユーモア話が大半で、
かつ宗教家というキャラクターであるため、いわば「トルコの一休さん」である。
架空の人物だが、現地では15世紀頃の実在人物だと信じられており、墓も存在する。
「じゃ」
ジャック=ア=ランターン
英国 アイルランドの妖怪。 ランタン・ジャック。 神をこけにし、悪魔をひどい目にあわせた、けちんぼで
怠け者の鍛冶屋が死後、天国にも地獄にも行けずに、鼻の頭に火をともし、または提灯を下げて夜、
彷徨っているもの。 野火、狐火のこと。ウィル=オ=ウィスプ。 現代ではハロウィン祭りのかぼちゃ頭。
「n」
ネマニャ
ステファン・ネマニャ。セルビアのネマニャ朝太祖。
兄を討ってセルビア侯の位につき諸部族を統一、
ビザンツ帝国がハンガリーに目を向けている隙を狙って
南東方面に勢力拡大を行い、セルビアを確固たる国家にした。
その後も終始反ビザンツの行動をとる一方で東方正教会は保護、没後に列聖されている。
「にゃ」「や」
ニャンビ
アフリカ ナミビアのカヴァンゴ族、高地ザムベジ族の最高神。太陽と月を通じて地上に光や命を与える。
クムヌーという崇拝者がいて、ニャンビにつきまとっている。ニャンビが鋤や鍬を作ろうと鉄を鍛えるのを真似て、
クムヌーは結局、人殺しの武器を作った。 その後もストーカーまがいにクムヌーはニャンビを追い、しまいには
ニャンビは妻ナシレレとともに、蜘蛛の糸を伝って天へ逃げた。 クムヌーとその子孫は今もなおニャンビを捜している。
「び」
微子啓(びしけい)
微子開とも書く。殷(商)の王・帝乙の庶長子、紂王(帝辛)の庶兄。はじめ微に封じられていた。
紂王をたびたび諫めたが聞き入れられず、殷を去った。殷が周の武王によって滅ぼされ、
さらに紂王の子・武庚が反乱を起こして武王の子・成王に討伐された後、微子啓は成王によって
宋に封じられ、殷の祭祀を奉じ、遺民を統治した。
「い」
イグナシオ (1828〜1913)
北米 南西コロラドのサンファン地域生まれ。 当地のウィーミヌチェ・バンドの酋長。独裁者ユレイ酋長の
死後、頭角を現し、コロラド南部全域の大酋長となる。 寡黙だが意思の固い巨漢で、まじない師だった父親が
病人の治療に失敗して、患者の家族に殺されたとき(これ自体は珍しいことではなかった)、激昂して彼ら12人を
皆殺しにしたことがある。 コロラドにあるイグナシオという町の名は、彼に因んでつけられた。
「お」
オルガナ
チャガタイ・ハン国の第4代ハーン。2代ハーン、カラ・フラグの皇后。
3代ハーンからの復位に成功したカラ・フラグが病死したため、オルガナがハーン位に就いた。
治世はモンゴル帝国の大ハーン・モンケの意を忠実に履行しただけの傀儡であったが、
モンケの没後はチャガタイ家の主権を奪おうとするモンゴルに抵抗、
モンゴルから派遣されてきたハーン候補に自ら嫁ぐことで
先夫カラ・フラグとの子を後継者に指名させ血筋を守る女丈夫ぶりをみせた。
「な」
>>245のイグナシオは、ユテ族の大酋長です。
ナイチ (1857〜1921)
北米 南西部 チリカワ=アパッチ族の交戦派の酋長。「悪戯者」もしくは「お節介焼き」の意。大酋長
コチーズの長男・タザの弟。父と兄の立て続けの死後、1876年大酋長になり、入植白人への襲撃を続けた。
が、同じチリカワのジェロニモの指導力の前には、統治権を共有せざるを得なかった。クルック将軍の執拗な
追跡を受け、1883年に降伏。部族は不毛のサンカルロス保留地に幽閉され、ナイチは1886年、ジェロニモと
共にフロリダのマリオン砦に二年間ぶち込まれた。ジェロニモ以外のアパッチはオクラホマのシル砦に移され、
1913年、ようやく南西部へ戻り、ニューメキシコでインフルエンザで死んだ。アパッチの祭りを絵にして残した。
「ち」
チリ地震
1960年5月22日午後7時19分(日本時間1960年5月23日午前4時11分)、
チリの太平洋沖を震源として発生した大地震。地球の反対側に近い日本を含む
太平洋沿岸全域に津波が襲来した。 マグニチュードは8.5(モーメントマグニチュード9.5)と、
世界で観測された地震の中で、今もって最も規模の大きい地震。
「しん」
秦本紀
「史記」の本紀の1巻。始皇帝以前の秦の歴史を扱っている。
「ぎ」
ギゾー、フランソワ・ピエール・ギヨーム(1787〜1874)
フランスの政治家・歴史家。1830年の七月革命で
>>17を国王に擁立して、
内相、文相、駐英大使、外相を歴任し、
>>17時代の末期には首相を務めた。
ブルジョワジー寄りの政策で労働者の不満を招いたため、1848年に二月革命が起こり、
>>17によって罷免された。こうしたオルレアン朝期の政治家としての活躍より、
第一帝政期〜復古ブルボン期や第二帝政期の歴史家としての業績が高く評価されている。
「ぞ」
臧荼(ぞう・と)
戦国の燕の将軍だったが、秦末の反乱で項羽についたため、項羽によって燕王に封じられた。
劉邦が項羽を滅ぼして皇帝に即位した時に引き続き燕王に封じられたが、すぐに背いて代を攻め取った。
親征した劉邦によって臧荼は捕らえられ、代わって
>>179が燕王に立てられた。
「と」
トラヴォワ
先史時代から近代まで用いられた運搬具のひとつ。
長い二本の棒を交叉させて結び、交叉部を家畜の背に負わせて牽引させる形式が一般的。
遊牧民がテントの柱材を用いることが多く、車輪普及以降も軽便さゆえに最近まで存続した。
中央アジアのステップ帯のほか、北米の平原インディアンも用いた。
トナカイや牛、またウマ飼育以前はイヌに牽引させていた地域もあった。
「わ」
YMCA(わいえむしーえー)
キリスト教青年会(Young Men’s Christian Association)。
プロテスタントの青年団体で、健全な環境のもと精神と肉体の発達機会を提供することを目的に
1844年、イギリスのジョージ・ウィリアムズによって創設された。
現在加盟国は90ヶ国、会員数は2300万人。日本YMCAの加盟都市は30都市、会員数は18万人。
「え」
ANZAC
オーストラリア・ニュージーランド軍団の略称。
狭義には第一次世界大戦中のガリポリ上陸戦に参加した将兵を指し、
広義には第二次大戦〜ベトナム戦争に参加した将兵を含む。
「C」
エル・グレコ(1541〜1614)
クレタ島(当時ヴェネツィア領、現ギリシア領)で生まれ、スペインで活躍した画家。本名を
ドメニコス・テオトコプーロスという。エル・グレコはスペイン語で「ギリシア人」を意味する通称である。
はじめ生地でイコンを学び、のちヴェネツィア本国でヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノに学んだ。
その後ローマを経て、1577年から没するまでスペインのトレドに定住して活躍した。マニエリスム最後にして
最大の画家といわれ、全体的に暗い画面、奇抜な構図などが特徴的である。死後は長らく忘れられた存在
となっていたが、19世紀後半から20世紀初頭に再評価され、印象派の画家やピカソらに影響を与えた。
「こ」
ご両人はいずこにおりゃれる!?
ストラック・バイ・ザ・リー (1804〜1888)
パラネアパペ(リーに打たれた) 北米 ヤンクトン・スー族(ナコタ族)の高名な酋長。アリカラ族(リー族)との
戦に因んでこの名がついた。出生後まもなくに、有名な探検家のルイスとクラークによって星条旗に包まれ、
洗礼を受けたと言う伝説を持つ。 和平派代表として1837年、ワシントンDCを訪問。保留地時代に入り、
暴動後の審査機関ドゥーリトル委員会に、証人として出廷。
>>197のマクローリンらインディアン管理官の、
インディアン年金、食料・生活物資のちょろまかしと横流し、使い込み、またインディアン女性への買春に
ついて証言した。
「り」
臨安(りんあん)
杭州の南宋時代の名称。五代十国時代には杭州を中心とする呉越国が栄えていたが、
北宋が金に滅ぼされた後、南宋はここに臨安行在所を置き、事実上の首都とした。
名称自体に「臨時首都」の意味が込められているものの、華北を金から奪還することは
できず、金を滅ぼしたモンゴルに臨安を占領されて南宋は滅んだ。
「あん」
>>258 Good job!!
アンダタホウアツ
北米 ミシガン、ヒューロン湖畔原住のアルゴンキン語族、オタワ族の、ワイアンドット族(ヒューロン族)に
よる呼び名。 オタワは「交易」の意。 ミシガン、オンタリオ、強制移住先のオクラホマの三州に分散する。
「つ」
ツンフト
中世都市において同一業種の手工業者たちが作った組合。同職ギルドとも呼ばれる。経済的実力の
増大とともに自分たちの利益を守るために結成したもので、構成員の利益擁護と競争排除のため
手工業者に加入を強制して非構成員の営業を禁止し、さらに様々な規制や徒弟制度を確立していった。
また、大商人層を中心とする都市貴族に対し、ツンフト闘争を展開して市政にも参加するようになったが、
一方で次第に排他的・独占的な集団となっていった。
「と」
トガイ
13世紀初頭のサマルカンド総督。ホラズムのスルタン・ムハンマドの叔父にあたる。
チンギス・ハーンのサマルカンド侵攻に対し守備軍の指揮を執ったが、
頼みのスルタンからの援軍がモンゴルの謀略にかかり撤退、
仕方なく決死の出撃を行うが大敗を喫し、降伏、3万の守備兵と共に処刑された。
「い」
イース(イス)
フランス語でYs、ブルトン語(ブルターニュ地方のケルト語系の言語)でIsと綴られる。
フランスのブルターニュ地方に伝わる伝説上の都市。5世紀頃にブルターニュ半島西端の
海に面した低地に建設され、洪水によって一夜で水没したが、その後も地上にあった頃と
変わらぬ姿で海底に存在し続けていると伝えられている。
「す」
スリーピー=アイ (1780〜1860)
イシュ=ター=バ=ハ(眠たそうな目)北米 サンテ=スー(ダコタ族)の四つの氏族のひとつ、シセトン族の有名な
融和派の大酋長。マンカト(ミネソタ)の白鳥湖畔生まれ。大男で、瞼が垂れており、眠そうな顔をしていたので
この名がついた。1825、30年のド=シーン平原条約と、1836年のセントピーターズ条約の署名者。1824年に
ワシントンDCにモンロー大統領を訪問した4人の代表者の一人。また1851年のトラバース=ド=スー条約の
調印者としても知られる。マンカトにやって来た白人入植者にアドバイスをし、あれこれと条約をのまされて、
領土のほとんどを分捕られ、結局、自分たちが追い払われる羽目を招いた。1860年、南ダコタで病死。
「い」
イルカ
イルカ・サングン。ケレイト族長、トオリル・ハーンの嫡子。
チンギス・ハーンを庇護し手を結ぼうとする父に反発、
チンギスの暗殺をはかってまで父とチンギスの仲を裂いたまでは良かったが、
その後迎えたモンゴルとの決戦では父の命令を無視して突っ込み負傷。
味方の士気を損ねて大敗を喫し逃走、盗賊同然に流浪している途中土民に殺害された。
「か」
カーリダーサ
「インドのシェイクスピア」と称される古代インドのサンスクリット文学の大家。
カーヴィヤ(美文)文学の創始者でもあり、グプタ朝に仕えた九大文豪「九宝」の一人と讃えられる。
後世の演劇や戯曲の定番となる名作を数多く世に送った。
「さ」
サロメア・ルシェッカ
18世紀の女性眼科医。
学校には行っていないが、医師である夫から医術を習う。
離婚後、イスタンブールのハーレム専属医師となる。
「か」
カーター、ジミー(ジェイムズ・アール・カーター・ジュニア)
第39代アメリカ合衆国大統領(在任期間1977〜1981)
在任中は「人権外交」を掲げながらも大きな成果を挙げられず、逆にソ連のアフガニスタン侵攻や
イラン革命を許したが、大統領退任後にキューバや北朝鮮を訪問するなど精力的な外交活動を
展開し、「史上最高の“元”大統領」と、揶揄も込めて呼ばれている。2002年にノーベル平和賞を受賞。
「た」
夏
伝説的な中国最古の王朝。
『史記』などの古代歴史書によると、
禹 (う) が帝舜の禅譲を受けて開いた国で、17代450年続いた。
最後の桀 (けつ) が暴君であったため、
殷 (いん) の開祖・湯王 (とうおう) に滅ぼされたと伝えられる。
「夏」は古代より夷狄に対する中国の自称としても用いられた。
従来その存在は未確認だったが、河南省偃師 (えんし) 県二里頭遺跡の発見以来、
中国では、夏・商(殷)・周3代の暦年代を整理する国家プロジェクト
「夏商周断代工程」が始まり、中国社会科学院考古研究所を中心に、
考古学者、歴史学者、古文字学者、天文学者らが5年に亘る検討を加えた結果、
2000年7月に「夏」王朝は実在したという結論に達し、
二里頭遺跡は紀元前1600年以前の夏王朝の大型古代都市跡だと発表。
「か」
271 :
269:2005/08/16(火) 01:22:41 0
268→270→269ってことでいいよw
では「た」から・・・
タイオワ
北米 南西部 ホピ族の天地創造神。 創造神ではあるが、創造したのは別の創造神である。
その創造神ソツクナングを創造して、「全世界を創ってくれ、よろしく」と、後は任せっきりだった。
「わ」
倭寇(わこう)
一般的には、13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島、中国沿岸部や一部内陸など
東アジア諸地域で活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人のことをいう。
呼称に関わらず、実態は中国人が8割を占めており、次いで朝鮮人の割合が高く、
純粋な日本人は数%ほどであった。
「う」
ウィリアム=ジェントルズ
北米 19世紀の米陸軍歩哨。スー族の高名な戦争酋長、クレイジーホースを殺した白人兵。保留地に
幽閉されたクレイジーホースは、その指導力ゆえ白人側から疎まれた。1877年9月9日、司令官との会談を
口実に連行されたが、着いた場所は営倉だった。(拷問が目的だったかもしれない。)当然、クレイジーホースは
激しく抵抗したが、元・部下だった部族員と、白人兵たちに地面に押さえ込まれ、どさくさに紛れてこの歩哨が、
銃剣をその身体に突き立て、偉大なスーの戦士に致命傷を負わせた。 この一事のみで世界史にその名を残す。
「ず」
ズィヤ・ギョクアルプ
トルコの思想家。1911年に発表した詩集「トゥーラン」で
全トルコ民族主義(トゥーラン主義)を説き、「トゥーラン主義の父」と呼ばれた。
その影響を非常に強く受けたのが青年トルコ党であり、
1908年のクーデター、それに続く彼らによる政治的活動の大きな根拠となった。
「ぷ」
プランク、マックス(・カール・エルンスト・ルートヴィヒ)(1858〜1947)
ドイツの物理学者。量子論の創始者の1人。
1899年、プランクの定数を提出、1900年、放射に関するプランクの法則を発見した。
1918年にノーベル物理学賞を受賞。
「く」
クラツカニー族
北米 オレゴン北西部に原住したアサバスカ系の高原部族。コロンビア川付近原住のクワルヒオクワス族から
分派し、南下したもの。近辺を通過するものから物品を徴収した。18世紀末には1600人を数えたが、
白人の持ち込んだ天然痘で壊滅し、1851年には男3人女5人、1910年には3人にまで減り、絶滅した。
「に」
ニース
フランスのイタリア国境に近い南東部、プロヴァンス地方の都市。
イタリア語でニッツァ、プロヴァンス語でニッサという。1860年、サルデーニャ王国は
サヴォイアとともにニースを含む地方を、イタリア統一の承認の見返りとしてフランスに割譲した。
イタリア統一の英雄でニース出身のガリバルディは、当然ながらこの割譲に激怒していた。
「す」
スブタイ
チンギス・ハーン股肱の臣である「四駿四狗」のうち「四狗」の一人。
四狗の中でも特に武功が高く、「バートル(勇士)」と称される。
チンギスの仇敵・メルキト族の追討戦に始まり、
大西征では先鋒の一翼を担う。金の討伐やヨーロッパ遠征でもその武威を揮った。
チンギス・オゴタイの二代を最前線で支え続けた、モンゴルきっての名将。
「い」
>>256-258 すいません、混乱させたようで…。
イリイリ
ハワイの石のカスタネット。
フラ・カヒコで用いられる。
「り」
李斯(り・し)
秦の宰相。楚の出身だったが、韓非と共に荀子の門下で学び、呂不韋に推されて秦王(後の始皇帝)
に仕えるようになった。呂不韋失脚後も順調に出世し、ライバルの韓非を陥れて地位を安泰にした李斯は、
法家思想に基づく政策で秦による中国の統一に貢献した。始皇帝の死後、宦官の趙高とともに二世皇帝・
胡亥を擁立したが、趙高との権力闘争に敗れて処刑された。
「し」
昭聖公主(しょうせいこうしゅ)
ベトナム・李朝のラストエンプレス。先帝で父親の恵宗からの譲位により7歳で即位する。
が、その実権は家臣の陳守度に掌握されており、彼女は即位してすぐ
陳守度の甥と結婚させられ、帝位を夫・太宗(陳朝の太祖)に譲らされてしまった。
しかも昭聖公主と太宗との間には子が出来なかったため、12年後に公主は離縁されてしまう。
後釜として王妃に入り二代目・聖宗を産んだのは、こともあろうに公主の姉であった。
「しゅ」「ゆ」
シュヴァーベン都市同盟
1331年、ドイツ王ルートヴィヒ4世の勧めにより、アウグスブルク、ウルムを始めとする
シュヴァーベン地方の22都市が結成して始まった都市同盟。封建貴族への対抗が
目的であり、しばしば彼らと戦った。皇帝カール4世は勢力拡大を危惧して一時団結を
禁じたが、のちに禁止令を解除し、1385年には32都市が加盟した。
1388年にヴュルテンベルク伯との戦いに敗れて勢力を失い、1389年に皇帝ヴェンツェル
(カールの子)が都市同盟を禁止して、シュヴァーベン都市同盟も解散した。
「い」
イタスプジ
北米 北部大平原部族 シャイアン族のまたの名。 ヒダーツァ族の言葉で
「ぶち模様の矢羽根」の意。 (シャイアン族は、斑の矢羽根を好んで使った)
「シャイアン」は、ラコタ族(テトン・スー)の言葉で、「判り難い言葉を話す連中」の意。
「じ」
ジェベ
チンギス・ハーン股肱の臣である「四駿四狗」のうち「四狗」の一人。
元の名をジルゴガタイといい、チンギスと戦って彼の乗馬を射殺したが投降、
この時に「矢」を意味する「ジェベ」という名をチンギスじきじきに賜った。
ナイマン部の攻略・金朝討伐に始まるモンゴルの外征の際には常に先鋒を務め、
西遼、クチュルク、ホラズム、グルジア、コーカサス、ルーシを次々と席巻。
「大陸を西向きに貫く一本の矢」とまで呼ばれたが、本国帰還の途上で病没する。
「べ」
ベッサラビア
現在のモルドヴァ共和国およびその南隣りのウクライナ領を指す名称。19世紀にロシア領となり、
第一次大戦後にルーマニアに併合されたが、第二次大戦中にソ連に占領され、南部の黒海沿岸地域
はウクライナへ編入され、残る地域はモルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国としてソ連に併合された。
ソ連崩壊後、モルダヴィアはモルドヴァ共和国として独立した。ルーマニアへの再統合を望む声もあったが、
独立国家として現在まで至っている。
「あ」
アイジアルク
オゴタイ・ハン国のハーン、ハイドゥの娘。名は「輝く月」の意。
長身で逞しく、男性顔負けの武勇に優れた女丈夫であったという。
父ハイドゥに「自分を武芸で負かす男のところにしか私は嫁がない」と言い、
「姫との勝負に勝てば姫と結婚させるが、負ければ馬百頭を献上せよ」というお触れを出させた。
多くの男子が挑戦したがことごとく打ち負かされ、献上された馬は1万頭を超えたという。
「く」
クンストカーメラ
サンクトペテルブルグにピョートル一世が建てた、ロシア最古の博物館。
自然科学から人文科学まで幅広く網羅し、特にユーラシアの民族学資料は世界屈指の収蔵数。
江戸時代に漂着し宮廷で日本語教師を努めた薩摩の漁師、ゴンザが著した最古の露和辞書もある。
「ら」
ラモー、ジャン=フィリップ(1683〜1764)
18世紀前半、ルイ15世時代のフランスを代表する作曲家、音楽理論家。
J.S.バッハ、ヘンデルと同世代に当たる。作品、音楽理論とも、後世に多大な影響を与えた。
しかし、早くから研究や演奏が行なわれてきたクラヴサン曲に対し、最も力を注いだオペラの多くは、
同時代の他の作曲家の作品のほとんどと同様、20世紀後半まで再演されなかった。
「も」
モアブ
ヨルダン川東岸から死海にかけての地域の呼称。
西岸のイスラエル王国とは異なるアンモン人などが古くから居住してきたが、
ダビデ王の治世にイスラエル領となった。
イエスの祖先の一つにモアブ人に連なる系譜が旧約聖書に登場する。
「ぶ」
ブランシュ・ド・カスティーユ
「獅子王」ルイ8世の王妃。アルフォンソ8世の娘で、欠地王ジョンの姪。
息子である「聖王」ルイ9世を溺愛し、幼くして即位した聖王を侮って諸侯が蜂起すると
摂政として息子を後見していたブランシュは自ら軍を派遣して反乱を徹底的に封じ込めた。
約10年に及ぶ彼女の摂政時代が無ければ、フランス国内が落ち着くことも
ルイ9世が名君と称され「聖王」と謳われることも無かったであろう。
「しゅ」「ゆ」
ユーグ・カペー(941〜996 在位987〜996)
カペー朝初代のフランス王。北フランスの有力貴族ロベール家の出身。956年に父・大ユーグを継いで
フランス公・パリ伯となり、987年、西フランク王ルイ5世の死でカロリング朝が断絶すると、聖俗諸侯によって
(フランス)国王に推戴された。生前に王位を事実上カペー家世襲としたが、基盤となる直轄領は少なく、
諸侯はほとんど自立していて、権力基盤は脆弱なものであった。
なお、カペー(Capet)という家名は、彼が着けていた祭服(ラテン語でcapa、英語ではcape)に由来する。
「ぺ」
ペシュメルガ
クルド人の民兵の称。クルド語で「死に赴く者たち」の意。
かつては部族社会の自衛組織として、現代では各国の武装組織の事実上の軍隊として編成。
歴代王朝に傭兵、軍人奴隷として重用された者も多く、サラディンらを輩出してきた。
「が」
垓下(がいか)
安徽省霊壁県東南部の平原地帯の地名。
四年に及んだ楚漢戦争終結の地。楚軍の将・項羽、この地にて敗死。
死を前に詠んだ名詩「垓下之歌」と「四面楚歌」の故事で今に知られる。
「か」
カザン
ロシア連邦タタールスタン共和国の首都。ヴォルガ川に臨む商工業都市で、水上・陸上交通の要衝。
11世紀初頭にヴォルガ・ブルガール人によって建設された。15世紀にはカザン・ハン国がここを拠点に
栄えたが、1552年にイヴァン雷帝によって占領された。1708年にカザン・ハン国は廃されてロシア帝国の
直轄地となり、カザン県が置かれた。1774年、プガチョフの乱で破壊されたが、20世紀になるとカザンは
タタール文化の中心都市として復興した。
1804年に創立されたカザン大学では、トルストイやレーニンも学んでいる。
「ざん」「N」
ザンハ
タイ系民族の伝統歌手。村落社会における語り部的存在。
祭礼の際には招魂詞を唱えるなど祭司的役割も担う。
仏教浸透以前のシャーマンの流れを継承したものとされ、仏教化が進んだ下タイ地域でも
僧侶と住み分けながら伝統儀式を司ってきた。
「は」
ハヌム
サライ・ムルク・ハヌム。チャガタイ・ハン国のハーン、カザン・ハーンの娘。
父が内紛で殺害された後はバルフ領の領主が持つハーレムに属していた。
1369年、ティムールがバルフを征服。チンギス・ハーンの末裔を称していたティムールは
彼女を第一皇后に迎えることで名実共にモンゴルの後継を名乗ることができるようになった。
「む」
無余(むよ)
夏王朝7代王・少康の太子。
会稽に封じられたと伝わる。
「よ」
ヨーク朝
イングランドの王朝。1461年、ヨーク公エドワードが
>>165のヘンリー6世から王位を奪い、エドワード4世として
即位したのが始まり。ヘンリー6世の一時的な復位、エドワード4世没後の内紛(エドワード4世の幼い長子
エドワード5世の継承権否認・幽閉と、エドワード4世の弟リチャード3世の即位)を経て、1485年、リチャード3世が
>>165の血を引く最後の生き残り、リッチモンド伯ヘンリー・テューダー(即位してヘンリー7世)に敗死して終わった。
>>165、ヨーク家ともプランタジネット家の支流であり、広義にはこれらも含めてプランタジネット朝と呼ぶが、
リチャード3世の死でそれも終わり、以後テューダー朝が約120年、5代3世にわたって続くことになる。
「う」
ウルリッヒ
ウルリッヒ・フォン・リヒテンシュタイン。13世紀の吟遊詩人。
流浪の騎士として多くの馬上槍試合で名を挙げた武人でもあったが、
その正体は「リヒテンシュタインの領主」という当代きっての傾奇者。
代表作は「アーサー王の騎士たち」「騎士道の退廃」など。
「ひ」
ヒダーツァ族
北米 北ダコタ、ミズーリ上流のスー語族定住半農耕部族。「柳」の意。土饅頭家屋に住み、夏は
ティピーに住んだ。元はデビルズ湖、ハート川近辺に原住し、
>>211のマンダン族と提携して農業を導入。
定住生活のため、白人が持ち込んだ天然痘から逃れられず、1837年に壊滅。同様の憂き目に遭った
近隣のアリカラ族、マンダン族と、「ミズーリ三大連携部族」として再起を図り、現在に至る。
「つぁ」または「あ」
アバカ
イル・ハン国第2代ハーン。チンギス・ハーンの曾孫にあたる。
庶子であったが優れた資質を持っていたため豪族衆の支持を受けてハーン位を継承する。
ビザンツ帝国の王女を娶ってキリスト教を保護、東欧諸国との提携をはかる一方で
キプチャク、チャガタイの両ハン国とマムルーク朝による大軍での侵攻は知略をもって撃退、
父で先代ハーンのフラグが為せなかった国家基盤の完成を成し遂げた。
「か」
カナガゴータ
北米 南東部部族 チェロキー族の大酋長。「立てる七面鳥」の意。 英国人入植者には「チョーテの年を喰った
希望」として知られた。チェロキーは大体において親英派で、(英国はショーニー族からチェロキーを保護した)彼も
1762年、チェロキーの代表団と共に英国を訪問している。が、それも長くは続かず、 1759年には英国人による
チェロキー女性への集団強姦を発端に戦争に発展、親英派酋長30人と、チャールズタウンへ和平交渉に向かうが、
英国軍によって逮捕されてしまった。戦争は1761年まで続いた。
「た」
高雄(たかお) ※台湾
台湾南部にある台湾第2の都市。直轄市となっている。世界で3番目に大きな
コンテナ港を有する重工業都市である。台湾先住民平埔族の部族名から「ターカウ」
(「竹林」の意味)と呼ばれた小村がこの都市の起こりである。漢字では「打狗」の
表記があてられいたが、日本統治時代に「高雄」と改められた。以来今日まで、
日本語では「たかお」と呼ばれ、中国語では同じ表記で「カオシュン」と呼ばれている。
「お」
オヴィタ・カルプ・ホビー
アイゼンハワーに任命された厚生教育長官。
アメリカの政治史で2人目の女性閣僚。
「び」
ビンガム,ハイラム
ハワイ王国生まれの米国人政治家・軍人・考古学者。
コネチカット州知事、空軍大佐など幅広く歴任し、イェール大学ペルー調査隊長として
マチュ・ピチュ遺跡を発見した功績で最も有名。
映画「レイダース」のインディ教授のモデルとされる。
「む」
ムラト1世
オスマン・トルコの第3代皇帝。初期オスマン帝国きっての名君。
先代に倣ってバルカン半島への進出をはかり、ビザンツ帝国第2の都市アドリアノープルを占領。
アジア方面へは温和政策をとりつつトラキア、セルビア、ブルガリアと東欧を次々に席巻した。
また国内でもイェニチェリの創設を行うなど、オスマン帝国の大国化への基盤を築いたといえる。
1389年、コソボ平原の戦いでバルカン諸国連合を粉砕、その戦後処理の最中に捕虜に暗殺された。
「と」「い」
イカナファスカルギ
北米 フロリダのセミノール族の、ムスコギー族(クリーク族)による呼び名。
「ポイント(岬)の人たち」の意。「セミノール」は、「いつもの住み処から離れて野営しているもの」の意。
スペイン語で「野生」を意味する、「シマロン」の転じたものとする説もある。
「ぎ」
禿髪部(とくはつぶ)
五胡十六国時代の鮮卑系民族。中原へ侵入した拓跋部の支派といわれる。
首長は大単于を号していた。
禿髪烏孤の代に南涼国を建国、三代にわたり黄河上流域を支配した。
「ぶ」
>>308から・・・
ギサルメ
11〜15世紀イングランドで用いられた武器。
記録に「長い柄に2つの斧と1つの剣を有する」とされるが詳細は未詳。
もと草刈りの農具起源で、農民の自衛用に案出されたとも言われる。
「め」
メスカレロ
北米 ニューメキシコ南中央に1873年より保留地を持つ、アパッチ族の一氏族。「ファラオン」ともいう。
メスカレロ・アパッチ、チリカウァ・アパッチ、リパン・アパッチの三つの支族から成る。スキー場や山岳ホテルと
いったリゾート経営を経済の主力としている。
「ろ」
ロリータ
ロシア生まれのアメリカの作家ウラジーミル・ナボコフの小説の題名、および
その登場人物の美少女の名前(愛称)。
小説は初版が1955年にパリで出版された(アメリカでは出版が断られたため)。
ロリータ・コンプレックス(略してロリコン)の語源となった。
「た」
タニヌー
北米 南部大平原に君臨した騎馬部族、コマンチ族のバンドのひとつ。「肝臓食い」の意。
テキサスのピース川の南を領土とした。「コマンチ」とは、ユテ族の言葉で「誰もが絶えず
私と戦いたがっている」という意味。
「ぬ」
ヌルハチ(1559〜1626 在位1616〜26)
明代末に女真(満洲)族を統一し、清の前身・後金を興してハーンに即位した。
清の太祖と呼ばれるが、国号を「大清」として皇帝に即位したのは
2代目のハーンである息子ホンタイジの代である。
「ち」
チャカ
西夏の皇帝・襄宗の娘。人質としてチンギス・ハーンに嫁ぐ。
モンゴルの侵攻に対し西夏は降伏、この降嫁もその講和条件の一つであったが、
しかし西夏は約定を違えてモンゴルへの物的・人的協力を拒否、
さらにモンゴルの仇敵である金と単独で同盟を結んだため、結局滅ぼされてしまった。
「か」
カドモス
古代ギリシアの都市国家、テーベの初代王。
フェニキア王アゲノールの息子で地中海東岸出身。神託に従いテーベを建設、
故郷フェニキアの文字を現地語向けに改良した「ギリシア文字」を考案したと伝承に伝わる。
金属元素カドミウム(Cd)の語源にもなった人。
「す」
スノリ
スノリ・スツルルソン。13世紀アイスランド最高の学者で、詩人。
学術的名声により政治にも発言権を持ち、ノルウェーとの戦争を回避するべく尽力したが、
1241年、ノルウェー王の刺客に暗殺され、アイスランドも1262年にノルウェーに占領された。
代表作は史料的要素の強い「散文エッダ」や超大作のサガ「ノルウェー諸王列伝」など。
「り」
リヴァプール
イングランド北西部の港湾都市。1207年にジョン王によってアイルランドとの貿易の拠点として建設され。
17世紀になるとアメリカ大陸や西インド諸島との貿易で急速な発展が始まり、18世紀には奴隷貿易の
中継港として栄えた。奴隷貿易が廃止された19世紀には、産業革命にともない工業製品の貿易の中心
として急速に拡大した。多くのアイルランド系住民が暮らしており、一例を挙げると、ここで誕生した
ビートルズのメンバー4人のうち3人がアイルランド系である(ポール・マッカートニーはスコットランド系)。
「る」
ル=イングレソウ
中米 ハイチのヴードゥーのロア。 峡谷の岩に棲み、彼を怒らせるものを殺してしまう。
「う」
ウーリ
スイスの州(カントン)。1291年、支配を強めようとするハプスブルク家に対抗して
シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの2州とともに同盟を結んだ。
これが端緒となって、後のスイス連邦が形成されることになる。
「り」
リンチェン
13世紀チベット、チャルパ族の長。チャルパ族はサキャ派と対立しており、
早々と元朝に屈したサキャ派の統治にも従わなかった。
そのため1277年にフビライ・ハーンによる親征を受けるが、
リンチェンは数・質で圧倒的に勝る元軍を相手に善戦。最後には屈服を余儀なくされたものの、
「チベットには坊主と文人しかいない」と侮っていた元の肝胆を寒からしめた。
「n」
ンジャメナ
中央アフリカのチャド共和国の首都。チャド最大の都市。
1900年にフランス人が建設したフォール・ラミがこの都市の起こりである。
チャドの独立後、1972年に現在の名称となった。
「な」
ナーラシンハ3世
13世紀インド、ホイサラ朝の王。父親の先王が南方への進出に御執心だったこともあり、
ナーラシンハは皇太子時代から北部の統治に専心していた。
そのため父王の没後は統治の行き届かなくなった南部は
父王に従軍することの多かった弟が受け持つことになったが、この弟が反抗、内乱に発展する。
この隙を軍事・外交両面で他国から衝かれたことがホイサラ朝衰退の遠因となった。
「は」「い」
ハーグェージユ
北米 北東部 イロコイ連邦の創造神。風の神。手の掌で地球を形成し、死んだ母アタエントシクの身体を使って、
この世のことどもを創造した。アタエントシクの顔は空になり、その乳房は太陽と月になった。その胴体にはトウモロコシが
植えられ、大地になった。 双子の片割れに、彼の仕事を邪魔する正真正銘の悪党ハーグェーダエトガーがおり、
リンゴの木の下での決戦で、ハーグェージユは彼をとげのついた棍棒でどつきまわし、地下世界に追放した。
「ゆ」
ユリシーズ・シンプソン・グラント
アメリカ合衆国第18代大統領。南北戦争においては総司令官として北軍を指揮し、
南軍の名将・リー将軍を降伏させて戦争を終結せしめた英雄。
民衆からの圧倒的な支持を得て共和党から大統領となったが、そこは軍事と政治で勝手が違う。
生来寡黙で軍人気質、礼法や服装にもまるで無頓着だったらしいグラントには
まともな政治どころか閣僚たちのあからさまな汚職を見抜くことさえできなかった。
そのため晩節を汚し、アメリカ歴代大統領のうち最も評価の低い大統領の一人とされている。
「と」
トルストイ、レフ・ニコラエヴィチ(1828〜1910)
ロシアの小説家。19世紀を代表する小説家の1人である。
ロシアにおいては、文学のみならず政治にまで大きな影響を及ぼした。
代表作は「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」など。
「い」
イタ=ハツキ
北米 大平原部族 ダコタ族(サンテ=スー)の、ヒダーツァ族
>>301による呼び名。
「長い矢」の意。 「ダコタ」は、「同盟」の意。
「き」
キッティーム
ヘブライ語で地中海西部地域の称。
「死海写本」ではローマ帝国とその軍勢を指すとされる。
「む」
ムーレイ・イドリス1世
モロッコ最初のイスラム王朝・イドリス朝の建国者。
イラク出身、783年にモロッコへ逃れて来る。予言者の子孫として
ベルベル系住民の信頼を得て789年、カリフに即位。 首都の名は彼の名をそのまま号した。
「す」か「い」
スウォード=ビーラー(1863〜1887)
チィーツァーパエズ(帯刀者) 北米 北部大平原部族 クロウ族(アプサロケ族)の交戦派の若き戦士。
融和派大酋長プレンティー=クーの、白人による保留地受け入れに対し、1887年秋に300人の同士を
率いて反旗を翻し、スー、シャイアンと連合して白人に立ち向かった。
「ら」
ラマラージャ
タイ、アユタヤ朝第6代国王。父で先王のラメスアンは
当時衆目の集まっていたスパンブリー家のボロマラージャへいったん王位を譲り、
彼が死ぬとその後継者である孫を処刑し王位に返り咲いた、権謀術数の士だった。
しかし、因果は巡る。ラメスアンの子・ラマラージャは南方への進出にてこずり、
その隙にスパンブリー家の生き残り(処刑された孫の兄弟)に王位を奪われてしまった。
「じゃ」
ジャコバイト
1688年の名誉革命で廃位されたステュアート朝のジェイムズ2世とその直系の男子を
正統な国王として、復権を求めた人々の総称。この名称はジェイムズのラテン語名ヤコブス
に由来する。カトリック教徒と国教会の忠誠宣誓拒否者たちからなり、カトリック勢力の強い
アイルランドや、反イングランド・ナショナリズムの強いスコットランドが根拠地となった。
彼らはフランスの支援を受け、半世紀以上にわたってたびたび反乱を起こしたが成功せず、
ウォルポールの徹底した“ジャコバイト狩り”もあって、次第に運動は尻すぼみとなり消散した。
「と」
トイクニマプー
北米 北西部高原部族 ネ=ペルセ族を構成するバンドのひとつ。 今でいうオレゴンの
グランデ=ロンデ保留地の北部、ジョセフ・クリーク近辺を領土とした。 ネ=ペルセは
フランス語で「鼻ピアス」の意。 探検家ルイスとクラークが、当時の習俗からとって名づけた。
「ぷ」
プナナレオ
ハワイ州で実施されている児童向けハワイ語教育カリキュラム。
幼稚園〜高校まで全ての授業がハワイ語で受講できる。
ハワイ語復活にむけた民族政策の一環。
「お」
オーセージ族
北米 ミズーリに、有史以前から原住した半農半猟民。宗教思想に則った、「父なる空の一族」9支族と、
「母なる大地の一族」の15支族に分かれて部族が構成されている。
>>119のタイメ事件では、カイオワの
生首を数十個、バケツに入れて生贄に持ち帰った。いわゆる「頭を剃り上げて天辺に房飾りをつけている」
スタイルの平原部族だった。 アーカンソーとミズーリの領土は1808年と1818年に、相次いで白人政府に
分捕られ、現在は強制移住先のオクラホマに、約1万人が住む。
「じ」
ジブラルタル
イベリア半島最南端の半島。711年に海峡を渡ってきたベルベル人の武将タリクがイスラム軍団を
率いてこの地を占領し、「タリクの山」(ジバル・アル・タリク)と命名したのが地名の由来である。
以後、1462年にカスティーリャ王国が獲得するまで、イスラム勢の支配下にあった。
スペイン継承戦争の結果、1713年以来イギリス領となっているが、スペインは自国領と主張し続けており、
領土問題となっている。
「る」
ルッキング=ホース
タシュンケ=ワカタ。北米 スー族にその昔、女神プテ=サン=ウィン(白いバッファローの女)が授けた
神器「プテヒンカラ=フフ=カヌンパ(聖なるバッファローの子牛の骨のパイプ)」の守護者一族である。聖なる
パイプはバッファロー=スタンディング=アップワード一族からエルク=ヘッド一族に渡され、現在、南ダコタの
イーグルバット保留地に居住する、このルッキング=ホース一族へと受け継がれている。当代のアーボル=
ルッキング=ホースは、平和運動活動者として知られ、昨年来日した。
「す」
スワート
パキスタン北西山地の渓谷沿いの地域の称。
古くはウディヤーナ朝が存在し、天然の要害に護られて仏教文化が栄えた。
法顕や玄奘も立ち寄り、旅行記に書き残している。
「と」
トーリー党
イギリスの保守党の前身。チャールズ2世の王政復古時代、カトリック教徒の
王弟ヨーク公(後のジェイムズ2世)に対する王位継承排除法案を巡る激しい政争
の中から生まれた保守的議会政党。1680年代にトーリーと名づけられた。
政敵ウィッグ党がヨーク公の王位継承権尊重派を「トーリー」(アイルランドの流賊)
のような連中と罵ったことに名称は由来する。1830年代以降に保守党となった。
「う」
ウッドン=ランス
アピアタン(木の槍) 北米 カイオワ族の戦士。グイパゴ(ローン=ウルフ)酋長の甥。1898年、保留地制度異議
申し立てのためにワシントンDCに向かった代表の一人。 1891年、白人の言う「北から来る男(イエス・キリスト)の
いる場所にはよい草、沢山のバッファロー、狩場がある」との話を確かめようと、白人の目を盗んで、北のシャイアンの
土地へと旅立った。アラパホー族の土地を経て、スー族のキャンプで、西のパイウテ族の「北の男」の話を聞きつけ、
さらにショーショーニー族の土地に向かった。そこから5日旅して、ついにウォボカに会う。「北の男」とは、パイウテ族の
ゴースト・ダンス教の始祖、ウォボカのことだった。1892年、彼はカイオワの土地へ帰還、その教義を伝えた。
「す」
スラウェシ島
インドネシアのセレベス島のこと。
オランダ語読みのため現在の読みになった。
「し」
シーア派
イスラームの多数派・スンナ派(スンニー派)に対する少数異派。イスラーム人口の
約1割を占める。シーアはアラビア語でそれ自体「党派」を意味する。
>>98の従弟で
娘婿でもあったアリーを預言者の後継者として認める「シーア=アリー」(アリーの一党)
に由来する。分派は72を超えるといわれるが、中ではイランのイスラームの大多数を
占める十二イマーム派が最大である。
「は」
客家(ハッカ)
中国の南部に住む漢族の一派。唐代〜元代に華北から移住してきた人々の子孫であるとされる。
主な居住地域は湖南・福建・広東・四川の各省、広西チワン族自治区、台湾などであるが、華人(華僑)
として東南アジア諸国に暮らす者も多く、華人の3分の1は客家人である。周囲の諸方言よりも北方の
方言に近い客家語を話すなど、周辺の他の漢族集団とは異なる独特の言語・文化を持ち、一般に
外来者として山間部などに離れて居住している。土地の所有が困難だったこともあり、商業や教職に
従事することが多く、また伝統的な中国人の価値観では卑しまれることの多かった軍人となった者も
近代以前から多い。これらの特色から、「中国のユダヤ人」などと呼ばれることもある。
「か」
カギュ派
チベット仏教四大宗派のひとつ。11世紀の吐蕃時代にキュンポとマルパが創始。
ダライ・ラマ等、現在に連なる活仏転生の概念を生んだのもこの宗派。
白地の僧衣が特徴のため「白教」とも称される。
「は」
ハワード ,オリバー=オーチス (1830〜1909)
北米 南北戦争で功績を挙げた、隻腕の将軍。1872年、大統領グラントの命で、アパッチ族との
和平交渉に臨み、
>>247のナイチの父、コチーズと土地をめぐっての協定を結んだ。1877年、
>>76の
ラプワイへの強制移住を拒む南ネ=ペルセ族との交渉に駆り出され、(心情的にはネ=ペルセに同情的では
あったが) 故郷を捨てろとの理不尽な要求を拒み続けるジョセフ酋長に、武力行使の最後通牒を出し、
カナダ脱出を図る南ネ=ペルセ部族に対して、アイダホからモンタナまで、陸軍による執拗な追撃を指揮した。
「ど」
ドヴァーラヴァティー
タイのメナム川流域に存在した国。
7〜8世紀に栄えたが、クメールに圧迫される。
「てぃ」か「い」
ティソ、ヨゼフ(1887〜1947)
スロヴァキアの政治家。もとはスロヴァキア西部で教区神父を務めていたが、カトリックに基づく
保守主義とスロバキアの民族自決を主張したスロヴァキア人民党で頭角を現し、1930年に副党首、
1938年に党首となった。ミュンヘン協定が締結されるとスロヴァキア自治政府首班に就任し、1939年に
ナチス・ドイツのもとで名目的に独立国となったスロヴァキアの首相、次いで大統領に就任した。
第二次大戦では枢軸国側に立って独ソ戦に参戦し、ユダヤ系住民の強制収容所移送やスロヴァキア
民族蜂起の鎮圧を実行した。敗戦後、南バイエルンの修道院に潜伏するが、アメリカ軍に逮捕・拘留
されてチェコスロヴァキア政府に引き渡された。1946〜47年にブラチスラヴァで開催された「国民裁判」
で戦争犯罪人の主犯として死刑判決を受け、絞首刑に処された。ティソに対する評価はスロヴァキア史上
の争点となっている。2001年にはティソを追悼する集会がブラチスラヴァで開催された。
「そ」
ソボ
中米 ハイチのヴードゥー教のロア。雷の精霊であり、兵士の姿でよく表される。
ところで、どういうわけかこの「ヴードゥー・ソボ」という名前は、マウンテンバイクの商標でも有名である。
「ぼ」
ボーア、ニルス(1885〜1962)
デンマークの理論物理学者。量子力学の成立に貢献した。
1922年にノーベル物理学賞を受賞。
「あ」
アタテュルク
トルコ革命の指導者でトルコ共和国初代大統領となったムスタファ・ケマルの姓。
「トルコの父」の意味で、1934年にトルコ大国民議会から贈られた。
元来トルコ人は姓を持たなかったが、この年に施行された創姓法により、
西洋諸国と同様に国民全員が姓を持つよう義務付けられた。
「く」
クローットゥンガ3世
インド、チョーラー朝第22代国王。チョーラー朝中興の祖。
ホイサラ朝と同盟を結び、3度にわたる遠征を実行、
領土を大きく拡大し、衰退著しかったチョーラー朝の権威を復活せしめた。
しかし彼の没後には偉大な統率者は現れず、逆に縦長に伸びた領土が仇となって
カーカティーヤ朝とパーンディヤ朝に南北から挟撃され、チョーラー朝は衰退の一途を辿る。
「が」「い」
ガヘ
ガン、ガアンとも。 北米 南西部 アパッチ族の山々の精霊。悪霊を払い、病気を治癒させる。
山中で行われるガン=ダンスは、覆面の頭上に様々な象徴の飾りをつけ、ボディーペイントを施した
四人一組の踊り手が、この精霊に捧げる踊りで、クラウン(冠)ダンスとも呼ばれる。
「へ」
ヘス、ルドルフ(1894〜1987)
ナチ党の創立メンバーでヒトラーの側近。ミュンヘン一揆失敗後、獄中でヒトラーの「我が闘争」の
口述筆記者を務めた。その後、党中央の要職を務め、ヒトラー政権成立時に無任所大臣に就任した。
さらに総統代理の称号や首相の地位を得たが、党活動にのみ熱中し、ヒトラーへの忠誠心を強調する
だけのヘスは、次第にヒトラーから疎んじられ、影が薄くなった。第二次大戦中の1941年5月、突如として
イギリスに単身飛行機で渡り、拘留された。ニュルンベルク裁判では終身刑の判決を受け、シュパンダウ
刑務所で服役した。1987年8月、93歳で謎の自殺を遂げた。
「す」
過ぎし歳月の物語
別名「原初年代記」。原型の成立は11世紀頃とされるが定かでない。
キエフの僧・ネストルが現在の形に再編したため「ネストルの年代記」とも呼ばれる。
東スラヴの歴史・神話・民話や聖書などをもとに広く深く構成されており、
高い歴史的価値を有するとともに、口語体で書かれているため文学的にも優れた作品である。
「り」
リヴァイアサン
イギリスの政治哲学者トマス・ホッブズの著書。1651年に出版された。題名は
旧約聖書に登場する海の怪物の名前から取られており、絶対王政下の政府を
この怪物になぞらえている。従来の王権神授説に代わり、社会契約論を用いて
絶対王政を合理化する理論を構築している。
「さん」
サンガー,マーガレット
中絶に心を痛め、産児制限運動の提唱者となる。
ペッサリーを普及させ、ピルの発明を働きかける。
大正時代に来日し、日本の女性にも大きな影響を与える。
「が」
ガオー
ガ=オーとも。 北米 北東部 イロコイ連邦の神。東西南北の風をつかさどる巨神である。
彼を助けて、吹き荒れる北風は熊、濡れた冷たい東風はヘラジカ、心地よい西風はクーガー、
やさしく柔らかい南風は小鹿がそれぞれ分担して受け持っている。
「お」
オユコ
ツルムラサキ科の根菜作物。先インカ期からアンデス高地で栽培されてきた。
耐乾性に富み、適した条件下ならジャガイモの二倍の収量を産する。
現在でも各地で生産され、地下茎を食用にする。
現地の白人には早くから知られていたが南米の外へ普及しだしたのはごく近年。
「こ」
コンスタンス
両シチリア王国の太祖・ルッジェーロ2世の娘。神聖ローマ帝国のハインリヒ6世に嫁ぐ。
のちシチリアでルッジェーロの直系が途絶えたため、
夫ハインリヒに二度に渡る大軍を催させ、神聖ローマにシチリアの地をもたらした。
息子・フリードリヒ2世を溺愛し、フリードリヒもまた
ローマ皇帝よりシチリア王の位を重んじるなど、母の拠点シチリアを愛した。
「す」
スカセワニロム
北米 ニューイングランド一帯に原住し、メイン州に現住するアルゴンキン語族系部族、アベナキ族の
イロコイ連合による呼び名。 アベナキは「日が昇る処の者たち」の意。 ワバナキ族とも言う。英仏両国の
入植者の争いに翻弄された、典型的な東部森林のインディアン。
「む」
>>360 訂正 ニューイングランド一帯に原住し、メイン州に現住する
↓
もと、メインからニューイングランド一帯に原住し、ニューハンプシャーとバーモントに現住する
霧社事件(むしゃじけん)
1930年(昭和5年)、日本統治下の台湾で起こった、先住民による初めての組織的な反乱事件。
10月27日、学校運動会に集まった内地人(日本人)を一斉襲撃し、内地人134名、本島人(漢民族)
2名を殺害、総督府は11月19日に軍警共同作戦でこれを鎮圧した。苦役や賃銀支払い遅延に
対する不満が、武装蜂起の大きな原因であったとされている。襲撃現場の混乱にも関わらず、
襲撃対象が日本人に絞られていたことが特徴である。
「けん」
ケンタッキー
北米東部 15番目の州。そもそもの原住者のチェロキー族の言葉で「暗い血まみれの大地」の意。
「明日の大地」という意味もあるといわれ、白人はこちらの語源を信じたがっている。
「き」
キリマンジャロ
タンザニア領内にあるアフリカ大陸最高峰。
スワヒリ語で「寒気の神の山」の意。
ウイルヘルム二世がビクトリア女王に「おねだり」した結果現在の国境線になったとか。
「ろ」
ロコ
中米 ハイチのヴードゥー教のロア。 樹木・植物の守護神であり、ヒーラー(治癒者)である。
最強のロアの一人、レグバの今ひとつの姿で、寺院、薬、医術の主である。
「こ」
コントラ
1980年代ニカラグアの反政府組織。
サンディニスタ革命に対し武装蜂起、米国からCIAを介して多額の支援を受けた。
国際世論の非難もあり、のち政府と休戦協定を結ぶ。
米国の援助資金源がイランへの武器売却代金だったこと、資金洗浄にオサマの兄・サレム=ビンラディンが携わっていたことが後年発覚。
「ら」
ランス
フランス北部の都市。ローマ時代以来の歴史を持つ。496年に初代フランク王(メロヴィング朝)の
クローヴィス1世がランス大司教レミギウスの洗礼を受けて以来、歴代フランス国王の戴冠式は
ランスのノートルダム大聖堂で行なわれてきた。第一次大戦で戦場となり、大聖堂も一部が破壊
されたが、現在はほとんど修復されている。1962年にはド・ゴール仏大統領とアデナウアー独首相が
同地で会見し、歴史的な独仏和解が行われた。
「す」
スキルサ=ウルク族
北米 モンタナのクーテネイ族の、北隣のサリシ族による呼び名。「水の人々」の意。
クーテネイは、ブラックフット族(シクシカ族)の言葉で「痩せた人たち」のこと。
「く」
クラウディウス(B.C.10〜A.D.54 在位A.D.41〜54)
ローマ帝国の第4代皇帝。アントニウスの孫、アウグストゥスの妻リウィアの孫(連れ子の子)、
第2代皇帝ティベリウスの甥、第3代皇帝カリグラとその妹・小アグリッピーナ(第5代皇帝ネロ
の母、のちにクラウディウスの妻となる)の伯父に当たる。体が弱かったため、50歳まで歴史家
として過ごし、軍務とも政務とも無縁であったが、カリグラを暗殺した親衛隊に担がれる形で
帝位を継承した。実務経験の乏しさを豊富な歴史知識で補い、カリグラの失政で傾きかけた
帝国を立て直したが、市民には人気がなかった。
「す」
スリランカ
インド洋上の島国。
伝聖菩提樹・仏舎利を有する上座部仏教国の雄ではあるが、
北部タミル人ゲリラとの民族紛争もかなり長い。
サンスクリットで「光り輝く島」の意。
6世紀にシンハラ人がインドから移住したときに名づけた島名。
「か」
カドー族
北米 テキサス東部原住のカドー語族系農耕民族。「真の指導者」の意。ウィチタ族、ポーニー族とは近縁。
「テハアス=ハシナイ連邦」という部族連合体でもある。 ハシナイは「われら同胞」、テハアスは「仲間、同盟」の
意で、「テキサス」の語源である。白人と友好・協力関係を保ったこの部族も、結局は19世紀中盤にオクラホマへ
強制移住させられ、南北戦争で分断疲弊し、ゴーストダンス教に救いを求めた。他の部族では、白人によって
血の弾圧を浴びたゴーストダンスだが、この部族においては黙認され、現在も続く伝統儀式となっている。
「ど」
ドイツ関税同盟
ヨーロッパ列強の一角にのし上がったプロイセンが中心となって、他のドイツ諸邦とともに
1833年に結成した同盟。長らく分裂状態にあったドイツ地域を経済的に統一し、その後の
ドイツ帝国成立の下地となった。また、オーストリアは同盟に加わっておらず、小ドイツ主義
の基盤にもなった。対外的な自由貿易規制が目的であったが、むしろ域内関税撤廃による
自由貿易効果が強く、19世紀後半にドイツが経済的発展を遂げるきっかけとなった。
「い」
インゲボルク
デンマーク王エーリク4世の娘。ノルウェーの「法改正王」マグヌス6世に嫁ぐ。
親族のデンマーク王エーリク5世にデンマーク統治をノルウェーへ明け渡すよう要求するが、
これを拒否され、腹いせとばかりノルウェー貴族たちにデンマークでの略奪活動を許可した。
しかし統率の取れなくなった貴族たちは海賊と化し、ハンザ同盟の諸都市も攻撃、
ためにノルウェーは同盟軍による海上封鎖を受け、商業的利権を大きく損ねる結果となった。
「く」
クペノ族
北米 カリフォルニア南部に原住する、ユト=アズテック系・南タキック語族の狩猟採集民。パラ族とも。カヒュイラ族、
ルイセノ族と近縁。クーパンガクスウィチェム族=「ここで眠った人々」の意。白人の放牧を邪魔する「不法浸入者」だと
して、大統領令のもと、サン=ルイス=レイ川源流の2500年来の領土を追い立てられ、1905年、40マイル離れた
沙漠の保留地にルイセノ族と一緒くたに放り込まれた。 主食だったドングリの伝統的な採集も途絶えている。
「の」
ノガレ
ギョーム・ド・ノガレ。13〜14世紀フランスの法曹家。
トゥールーズ大学の法学教授から「端麗王」フィリップ4世の政治顧問になり、
アナーニ事件を起こし、テンプル騎士団長の逮捕と騎士団の解散を促すなど
法律名の下に暗躍して教会権威と対立する王をよく支えた。
「れ」
レンテンマルク
ドイツで1923年から発行された臨時通貨。レンテン(Renten)は地代、利子、年金の意味。
狂乱的なインフレの沈静化のため、時の首相シュトレーゼマンが銀行家シャハトの協力を得て
設立したドイツ・レンテン銀行が国内の土地を担保として発行した不換紙幣である。
この紙幣によってインフレは収束し、翌年には新通貨ライヒスマルクに切り替えられた。
「く」
クチュム汗
南西シベリア、シビル汗国の建国者。
バトゥの弟・シャイバンの末裔。シャイバーニー朝から分岐しシビルを首都に建国。
ロシアの東方進出を長年にわたり阻んだ。
ストロガノフ家が遣わしたイェルマーク軍を返り討ち、敗死させたが、クチュム没後に再度攻められシビル汗国は滅亡。
「む」か「ん」か「n」
ムクラサ族
北米 アラバマ原住の農耕部族。チョクトー族の言葉で「友人、」または「ひとつの国の人々」。
アラバマ族、コアサチ族の分枝と見られる。1813〜14年に南東部になだれ込んた白人とクリーク族との
戦(クリーク戦争)の巻き添えを食ってフロリダに逃げ、その後彼らの名は歴史の彼方に消えた。
「さ」
サルフの戦い
1619年、後金を興しハーン位に就いたヌルハチの率いる満洲軍10万と、明が女真族イェヘ部と
朝鮮の兵も加えて満洲討伐に派遣した47万の軍勢が激突した戦い。戦場となったサルフは
瀋陽東方の撫順近くに位置する。双方とも実数は半分以下とはいえ、数の上では後金軍が不利
であった。しかし、明の将軍たちの不和と功を焦った突出に乗じて各個撃破できたこと、戦闘中に
舞い上がった砂塵が有利に働いて、明軍へ奇襲をかけることができたことなどにより、後金軍の
大勝に終わった。この後、ヌルハチはイェヘ部を吸収して女真(満洲)を完全に統一し、2年後には
瀋陽・遼陽を相次いで陥落させて勢力を一層拡大した。
「い」
インタラティット
シー・インタラティット。インドラデティヤとも。タイ、スコータイ朝の太祖。
諸部族連合を率いて衰退著しかったアンコール朝を攻撃、
タイ中部と要衝スコータイを中心とする国家を作り上げた。
史料に乏しく出自さえはっきりしないが、現地では伝説的英雄である。
「と」
トルトラマエカ
北米 モンタナのアシニボイン族の、
>>368のクーテネイ族による呼び名。「人殺し」の意。
ダコタ族(サンテ=スー族)が、クーテネイに指言葉でこう教えたのだが、たぶんに嫌がらせだろう。
「か」
カウフマヌ
カメハメハ大王の夫人の一人。
マナが高く最も信頼されていた。
大王亡き後は摂政として長くハワイ王国で影響力を保持。
恰幅の良い肖像画が遺されている。
「ぬ」
ヌアクショット
モーリタニアの首都。サハラ砂漠最大の都市で、降雨量は少ないものの平原地帯である。
もとはベルベル人王朝であるアルモラビデス朝の一部であったが、
都市として機能し始めるのはフランス領西アフリカ植民地に組み込まれてから。
フランス指導のもと西アフリカの中心地となるべく整備された結果大都市となり、
またモーリタニア独立後は首都に指名されて今なお発展を続けている。
が、現在では都市の生産性をはるかに上回る50万人以上の人口を持つためスラム化が激しい。
「と」
トウエンホ
北米北東部 イロコイ六部族連合の構成部族のうちひとつ、オノンダーガ族のバンド。オナイダ湖の
西端を領土とした。オノンダーガは「丘の人々」の意。ニューヨーク州原住の農耕民族である。
「ほ」
ホルスト・ヴェッセルの歌
ナチ党の党歌。正式には「旗を高く掲げよ」(Die Fahne hoch)といい、「ホルスト・ヴェッセルの歌」
または「ホルスト・ヴェッセル・リート」(Horst Wessel Lied)は別名である。1927年にSA隊員であった
ホルスト・ヴェッセルが、ある19世紀のオペラの歌に作詞したもの。ヴェッセルは1930年に、恐らく
個人的ないざこざから共産党員に殺害されたが、ゲッベルスがこの事件を利用する形で
ヴェッセルの歌を党歌にまつり上げた。1933年以降は第二国歌的な扱いを受けることになった。
「た」
タイコンデローガ
北米 ニューヨーク北部のジョージ湖とシャンプラン湖間の地峡。イロコイ語のチェオンデロガ(=二つの水域の
出会うところ)からきた名。インディアンにとっても、植民白人にとっても重要な水利の要所だった場所で、1855年に
フランス人が砦を築いた。英・仏・植民白人・インディアンの間で、激しい分捕り合戦があった有名な戦場。
「が」
>>386 訂正スマソ 1855年に→1755年に
ガイハトゥ
イル・ハン国第5代ハーン。2代ハーン・アバカの子で、4代ハーン・アルグンの弟。
強大なマムルーク朝とよく戦った優秀な父や兄には似ず、凡庸だったという。
浪費により財政を著しく悪化させ、再建策として元に倣って交鈔を発行したが、
かえって混乱を助長させて信望を失い、最後は従弟に反乱を起こされ廃位・処刑された。
「とぅ」「う」
トゥバ人民共和国
1921〜23年、現在のロシア連邦・トゥバ共和国に樹立された独立国。
清から独立したモンゴル領だったがタンヌ・トゥバ人民共和国としてロシアに割譲後、衛星国として成立。
干渉戦争が落ち着くとソビエト連邦に編入。
1990年代には独立運動が再燃した。
「ば」「く」
バックスキン=チャーリー(1840〜1936)
サペアー(鹿の皮) 北米 南西部 南ユテ族の有名な酋長。19世紀に同名の白人罠猟師がいるが、別人。
1880年に独裁者ユレイ酋長の跡を引き継ぎ、保留地時代の初代大酋長になった。1879年の「ミーカーの虐殺」
(保留地の白人管理官ミーカーが、部族民に農業を強制して軍を呼び、暴動となって仲間共々殺されたもの)で、
白人の女子供を救って、大統領ベンジャミンから平和のメダルを貰った。1905年、ルーズベルトの大統領就任
パレードに、かのジェロニモと共に参加したことでも知られる。白人によるとめどない領土の侵食と白人化の強制の中、
部族の近代化に尽力した。彼の名を冠した国定公園がコロラドにある。もちろん、ユテ族にこの土地の権利は無い。
「り」
リスト、フランツ(1811〜1886)
19世紀にヨーロッパを股にかけて活躍したピアニスト、作曲家。
ハンガリー人ともオーストリア人ともドイツ人とも紹介され、本人はハンガリー人として
ふるまうこともあったが、民族的にはドイツ系であり、ハンガリー語は話せなかった。
生地ライディングのあるブルゲンラント州は、現在オーストリア共和国に属するが、
帝政崩壊とハンガリー独立の以前にはハンガリー領であった。
「と」
トクタミシュ
キプチャク・ハン国第16代ハーン。分家の反乱が相次いで混迷の続いていた
キプチャク・ハン国内を武力で再統一することに成功した。
さらに太祖バトゥの時代の版図を再建すべくモスクワ、中央アジアに侵入するが、
これに怒ったティムールに首都サライを攻撃され大敗、バルト海方面へ逃亡した。
「しゅ」「ゆ」
シュトラースブルク
フランスの都市ストラスブールのドイツ名。ストラスブールを含むアルザス地方は
ドイツ語圏に属するので、ある意味本来の名称ともいえる。ドイツとの国境に近く、
歴史的にフランスとドイツとの間で幾度も帰属が変遷してきた。一方、この都市は
フランス国歌となった「ラ・マルセイエーズ」の発祥の地でもある。
「く」
クク=ラウ
南方 ポリネシアの神。 水平線に、ありもしない島を出現させ、船乗りをだます蜃気楼の女神である。
「う」
ウワイス
ジャライール朝第2代スルタン。イル・ハン国の血脈を汲む。
太祖で父親のブズルクが整えたバグダード中心の治世を踏襲し、
さらにタブリーズを占領してイラク、アゼルバイジャンを席巻した。
また文化人としても名高く、詩・音楽・美術に精通していたといわれる。
「す」
スルト
北欧 ゲルマン神話。 スルトルとも。 「煤」の意。 ヴァルハラの神々の最期のとき=ラグナロクに備え、
すべてを滅ぼすべく燃え盛る炎「ムスペル」を統べる、炎の巨人である。
「と」
トロツキー、レフ・ダヴィドヴィチ(レオン)(1879〜1940)
ロシアの革命家。ウクライナでユダヤ系の富農の子として生まれた。本名はブロンシュタイン。
赤軍の創設者の1人であり、レーニンに次ぐ指導者として仰がれたが、レーニン死後に
スターリンによって排除された。まず1925年に閑職に追いやられ、1927年に党籍を剥奪され、
1928年にカザフスタンのアルマトイ(当時はアルマ・アタ)に流刑となり、1929年に国外追放となって
1932年にソヴィエト市民権も奪われた。トロツキーは国外でも反スターリン、世界革命の運動を
続けていたが、1940年にスターリンの放った刺客によってメキシコで暗殺された。
「き」
キニチ・アハウ
マヤの太陽の神。「太陽の目を持つ王」の意。
4の守護神。
「う」
ウェイウォット
北米 南カリフォルニア トングァ族の、空の父たる鷲の神。最高神クアオアルの天地創造を
助け、天空の保持を任ずる。 ウェイウォットは寒い北の土地から、部族を暖かいカリフォルニアに
導いてくれた、グレート=イーグルである。
「と」
トインビー
1.アーノルド・トインビー(1852〜1883)
イギリスの経済学者。「産業革命」という言葉を生み出したことで知られている。
2.アーノルド・J・トインビー(1889〜1975)
イギリスの歴史学者。1.の甥。区別するためにミドルネームのJ(ジョーゼフ)
が入れられる。西欧中心の歴史観でなく、イスラム、仏教、日本に着目した。
「び」
「ビロビジャンの星」
ロシアの地方紙。現ユダヤ自治州で現在も刊行されている。
1930年代、黒竜江省との境にユダヤ人が入植し現自治州が発足すると共に創刊。
ユダヤ人の手によりユダヤ文化の振興を掲げた旧東側世界で唯一公認された新聞。旧称は「〜の赤い星」。
スターリンの大粛清時代に一時廃刊処分を受けたが近年復活。
ヘブライ文字を用いイディッシュ語で記される。同州はイディッシュ語圏の最東端でもある。
「し」
シャスタ族
北米 北カリフォルニアのホカ語族。クラマス川、シャスタ山近辺から南オレゴンにかけて原住し、周辺部族との
交易で栄えた。4000ポンドもある「雨の石」という、水の災害を防ぐ力を持つ聖なる玉石を代々伝えていて、
200年ほど前に、呪い師が治水のためにそれを埋めていたのだが、1930年代に道路建設で掘り出した白人が
博物館に入れてしまった。豪雨災害の度に、この石の返還要求の声がシャスタ、白人を問わず高まる。
どういういきさつか、バトルホーク(永井豪原作)という往年のTVヒーロー番組には、このシャスタ族が出てくる。
「た」
タタトンガ
ウイグル出身の文官。元はナイマン族で宰相と財務の管理を務めていた。
1204年、ナイマンがチンギス・ハーンに敗れ、タタトンガも捕縛・降伏、
以降はチンギスの下でナイマンから持ち出した印璽の管理を務めた。
またモンゴル語をウイグル文字で表すことに取り組み、
モンゴルに文字の概念を定着させて軍の統率や内政の充実に甚大な功績を挙げた。
「が」
ガイ・フォークス・デイ
1605年、ジェイムズ1世の治下のイングランドで弾圧されていたカトリック教徒の一味が、国会議事堂
を爆破して国王や議員を暗殺し、クーデターを起こそうと企てた。この計画は未遂に終わり、一味は
11月5日に逮捕された。この一味の首領の名がガイ・フォークスである。その後イギリスでは、この日を
テロ未遂事件の首領の名で呼ぶようになり、毎年花火を打ち上げたり、子供たちは家々を回ったり
通行人をつかまえてお菓子や小遣いをねだったり、大きな篝火を焚いてガイ・フォークスの人形を
焼いたりして、盛大に祝うようになった。
「い」
イナクペ
北米 北西部高原部族 ネ=ペルセ族の、クアポー族による呼び名。
「ぺ」
ペレンガリア
ナヴァール王サンチョ6世の娘。リチャード獅子心王に嫁ぐ。
エルサレムで挙婚するため十字軍に同行するが、
その道中に海難事故でキプロスに漂着、島の支配者ドゥーカスに捕らえられる。
その後リチャードによるキプロス征服で救出され、同島でようやく挙式した。
イングランド王宮は皇太后アリエノールが牛耳っていたため政治的発言権は無く、
またリチャードとの間に子をもうける事も無かった、悲運の女性。
「あ」
アーザード
戦後インドの政治家・イスラム神学者。国民会議派の副首領・初代教育相を歴任。
もと英領時代にムスリムの啓蒙運動から身を起こし、のちガンジーに合流し独立運動に参加。
インド内イスラム教徒世論の代弁者として支持を受けた。
「ど」
ドルゴン(1612〜50)
清の皇族。
>>314の第14子。一説に、
>>314はドルゴンを後継者にしたかったが、
>>314が死んだ時には
いまだ若年であったため実現しなかったという。ともあれ、ハーン位を継いだ異母兄(
>>314の第8子)
ホンタイジ(清の太宗)に仕え、モンゴルのチャハル部を降すなどの軍功をあげた。ホンタイジの死後
最大の実力者となっていたが、反発が大きかったために自らの即位は避け、ホンタイジの第9子である
幼少のフリン(福臨、世祖順治帝)を立てて摂政となった。明を滅ぼした李自成を駆逐し、清を明の後継
として中国支配の基礎を確立したのは、ドルゴンの功績が大きい。
「ごん」
ゴンドゥル
北欧 ゲルマン神話 ワルキューレのうち一人。 ワルキューレは天空を馬で駆け、勇猛なヴァイキング戦士を
ヴァルハラへと連れ去る女たち。 女神フレイヤの使いである。 魔法の杖を持っている。
「る」
ルクセンブルク家
ハプスブルク家の世襲が確立する以前の13〜14世紀に、その有力な対抗馬として神聖ローマ皇帝や
ボヘミア王を輩出した家系。ルクセンブルク伯(のちに公へと格上げされる)だったハインリヒ7世に始まり、
その孫カール4世、カールの子ヴェンツェル、ジギスムントの4人が皇帝となった。またボヘミア王位は
ハインリヒの子ヨハンに始まり、カールとその子に継承された。ジギスムントの死でルクセンブルク家が
断絶した後、帝位もボヘミアもルクセンブルクも、紆余曲折の後にハプスブルク家が獲得することになる。
「け」
ケイクバード
ムィズディン・ケイクバード。奴隷王朝第9代スルタンで、同朝最後のスルタン。
若くして即位したケイクバードには、先代・バルバン時代における
厳しい治世からの反動である貴族たちの反発を抑えられなかった。
その隙をつかれて大臣ジャラール・ウッディン・ハルジーに暗殺されてしまう。
「ど」
奴隷王朝(どれいおうちょう)
13世紀に北インドを支配したイスラム王朝で、デリー・スルタン朝の最初の王朝。
テュルク系のマムルーク(奴隷軍人)出身の君主(スルタン)が支配したため、この名称で
呼ばれる。ただし、マムルークを単に奴隷と呼ぶのは誤解を招きやすいため、同様に
マムルーク出身者がエジプト・シリアに立てた王朝がマムルーク朝と呼ばれているのに
ならって「インドのマムルーク朝」という呼び方も用いられる。
「う」
ウ=カ=シェ
北米 北ダコタ
>>211のマンダン族(ヌマカキ族)の、西隣のクロウ族(アプサロケ族)による呼び名。
「土の家」の意。 マンダン族は、木材を骨組みにした丸い土饅頭家屋(アース・ロッジ)を伝統的な
住処とした部族のひとつ。直径12m以上あり、採光も十分で、馬も中に入れて飼っていた。
「しぇ」
シェンケヴィチ(1846〜1916)
ポーランドの作家。古代ローマ皇帝ネロの初期キリスト教徒迫害を背景とした
長編歴史小説「クォ・ヴァディス」で、1905年にノーベル文学賞を受賞した。
「ち」
チネチッタ
ローマ郊外の映画撮影所。名前は「映画の都」の意味。1930年代にムッソリーニの指導のもと、
イタリアで最初の大規模な撮影所として建設された。戦後、イタリア映画の全盛期に多くの名作が
ここで撮影された。今日でも、往時ほど多くはないが映画の撮影に使われており、ハリウッド映画
の撮影に使われることもある。また、近くに地下鉄の駅ができたことから、周辺の新興住宅地や
ショッピングセンターとともに賑わいを見せている。
「た」
タウヒリ
南方 マオリ、ポリネシアの神。天空の神ランギと、大地母神パパの息子にして、風と嵐の神である。
タウヒリ=マテアとしても知られる。 13人の雲神「アオ」たちの父である。
「り」
陸秀夫(りくしゅうふ)
南宋最後の宰相。文天祥、張世傑と並ぶ南宋三忠臣の一人。
南宋の首都・臨安が元軍により陥落すると、皇帝の二人の子・益王と衛王を奉じ脱出、
益王を新皇帝に擁立して福建地方にレジスタンス政権を形成した。
衆寡敵せず戦局は劣勢、さらに益王が病死するという絶望的な状況の中でも
陸秀夫は徹底抗戦を主張、しかし拠点の克Rにおける海戦でも敗れ、
最後は自分の妻子を海中に投じ、自身も幼少の皇帝を抱いて海へと身を投げた。
「ふ」
フナブ・クー
マヤの創造・唯一神。
「くー」
クーラウ、フリードリヒ(1786〜1832)
ドイツに生まれ、デンマーク宮廷で活躍した音楽家。フルート奏者ではなかったが、
フルートのための作品を数多く作曲した。またピアノ曲も多く、ピアノのためのソナチネ
は初心者用練習曲として知られる。ベートーヴェンと親交があり、作曲様式も近いため、
「フルート音楽のベートーヴェン」とも呼ばれる。
「う」
ウォレス
スコットランド独立の英雄。映画「ブレイブハート」の主人公。
イングランドに支配され搾取を受けていたスコットランドを独立せしめんと挙兵する。
イングランドと癒着していた貴族たちからはまともな援助を受けられなかったものの、
農民と賊を率いイングランドの大軍を相手に奮戦、スコットランドはおろか
イングランド北部からもイングランド軍を追い払い、「王国の守護者」と呼ばれた。
しかし1298年、フォルカーク平原の戦いでイングランド王エドワード1世の軍に敗れ没落、
以降は潜伏しつつゲリラ戦を行っていたが、
1305年、同志の裏切りに遭い捕縛、反逆罪を言い渡され、
「イングランドの臣でない者にどうして反逆ができよう」と叫びながら八つ裂きにされた。
彼の精神はスコットランド国民に受け継がれ、エドワード1世没の直後に独立を達成することになる。
「す」
スルト、ニコラ(1769-1851、
>>396とは全く別)
フランス、第一帝政期の元帥。1789年、フランス革命が勃発するとこれを支持、順調に昇進していく。
マッセナの指揮下で各地を転戦、1800年のイタリア戦役で負傷、捕虜となるも
マレンゴの戦いの後に解放され、そこでナポレオンと初めて出会う。
1804年、ナポレオンが帝位に就くと、元帥に任じられる。
1805年のアウステルリッツの戦いでは囮部隊を率いてフランス軍勝利の立役者となる。
その後はプロイセン、ポーランドと転戦、ダルマティア公の称号を与えられる。
1808〜14年のスペイン戦役にも従軍するも略奪にふけり、民衆の大顰蹙を買う。
14年、ナポレオン退位の知らせを受けて降伏。王政復古下では戦争大臣に任命されるが
ナポレオンがエルバ島から脱出すると再び彼に従う。ワーテルローでは参謀総長に就くが、
2度目の王政復古により元帥位及び爵位を剥奪され、亡命。
その後許され、ブルボン家、1830年の七月革命後はルイ=フィリップに仕え、最終的には大元帥に任じられた。
「と」
杜黙(ともく)
中国・宋代の詩人。「野客叢書」にその名が見られる。
彼の作る詩は韻律を踏んでいないデタラメなものが多く、
また撰者として詩集の編纂を行うときも選び方にまるで規則性が無かったため、
「杜黙が撰んだもの=デタラメ」という評価が広く為された。
これが「杜撰(ずさん)」の語源であるといわれる。
「く」
クーベルタン、ピエール・ド(1863〜1937)
フランス出身の男爵で教育者。国際オリンピック委員会(IOC)の第2代会長。「近代オリンピックの父」
と呼ばれる。1889年、イギリス遊学中にスポーツの重要性に目覚め、オリンピアの遺跡が発掘された
のを機会にオリンピックの復興を思いたった。1884年にパリ大学で先進国の著名人、教育家、
体育・スポーツ関係者を招いて国際会議を開催してIOCを組織し、1896年に第1回オリンピック大会を
アテネで開催した。
「たん」
耽羅国(たんらこく)
「とむら」とも。東シナ海に浮かぶ済州島に興った王国。
3世紀の三国志に「州胡」として登場して以来独立を保ってきたが、
百済、次いで新羅の属国となり元代には直轄地に。
国王に相当する星主(ソンジュ)は李朝代の1404年に廃絶されるまで存続し続けた。
「ら」か「く」
クスコ
標高3400メートルの高地に築かれた、かつてのインカ帝国の首都。
16世紀、スペイン人の征服者たちがインカ時代の石組みの上に教会や邸宅を建てたため、
他とは異なる独特な街となった。ちなみに、クスコから追いやられたインカの人々が山の頂に築いたのがマチュピチュである。
「コ」
黒水靺鞨
唐代、女真族の祖とされる靺鞨系民族の一派。
黒水=黒竜江中流域に分布していたためこの名で呼ばれる。
朝貢以外は唐の支配が最も薄かった。後世の野人女直の祖ともされる。
主な生業は牧畜の他に狩猟・河川漁労。上質な毛皮の交易で知られた。
「つ」
ツォンカパ
ツォンカ地方出身のラマ教ゲルク派開祖。本名はロサンタクペーペル。
幼少からサキャ派を学び、厳格な戒律主義に影響を受けていたが、
当時のサキャ派権力者は元朝と癒着し堕落していたため、
戒律の厳守に基づく改革を唱えゲルク派を興起、ガンデン大僧院を建立して本山とした。
「ぱ」
「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない。」
フランス王妃マリー・アントワネットが言ったと伝えられる言葉。ブリオッシュは菓子というより
ややパンに近いものだが、日本ではなじみがないため、「お菓子」あるいは「ケーキ」に置き換え
られていることが多い。これによって王妃のイメージが一層悪くなっているのは気の毒である。
またこの言葉自体、実は西晋の恵帝の言葉「穀物がないのならば、なぜ肉を食べないのか」の
焼き直しであり捏造ではないか、とも言われる。
「い」
↑ これはむしろ、名言スレ向きのお題じゃないかな。 皆さん方はどう思います?
ちょっとスレ違いかと思うので、
>>428さんには悪いけど
パスカル, ブレーズ
17世紀フランスの天才。 哲学者、数学者、物理学者。パスカルの定理、確率論の創始、パスカルの三角形で
有名。コンピューターの元祖、機械式計算機を発明し、また世界初の公共乗合馬車を創設した。
「る」
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン
1770年12月16日ドイツのベンで生まれる
古典派音楽を大成しロマン派への足がかりを作った音楽史上希有の作曲家。
聴力減退などの苦難を経ながらも、9つの交響曲、32のピアノ・ソナタ、20近い弦楽四重奏曲他の偉大な作品を残した
1827年歿 最期の言葉は「喜劇は終わった」
「ベン」か「n」
弁財天(べんざいてん)
ヒンドゥーの神の一柱。元はインド神話に登場する水の神サラスバーティ。
名が「弁才天」から「弁財天」に当て換えられて財産の神になったが、
もとは音楽などの知性・技芸を司る神であり、現在でも琵琶を抱えた姿で描かれることが多い。
日本では七福神の一柱であり、唯一の女神。
「てん」「n」
テン=コーン=メイデンズ
「10人のトウモロコシの乙女たち」 北米 南西部 テワ語系プエブロ部族、とくにズーニー族の精霊。
8月のスネーク・ダンス(蛇踊り)の儀式で、重要な役割を任じる。 かつて地下世界からやってきた彼女らは、
ズーニーにトウモロコシとカボチャを伝えた。
「ず」
隋
中国の王朝(581-619)。都は長安。
西晋以降分裂状態だった中国を約300年ぶりに統一した。初代文帝の統治で基礎を固めたが、
二代煬帝の大規模なインフラ整備と度重なる外征によって衰退し、わずか四代で滅びた。
文帝の政策はほぼ唐に受け継がれ、帝国300年の基礎となった。
「い」
イレーネ
ニケーア帝国の太祖・テオドルス1世の娘。父の右腕・ヨアンネスに嫁ぐ。
父テオドルスは名君であったが嫡子が無かったため、
彼の死後は娘婿であるヨアンネスが帝位を継いでヨアンネス3世となった。
イレーネは内政面で夫をよく補佐し、特に農業政策と社会福祉に力を注いだ。
現存している彼女の豪奢な王冠は農業政策の賜物であり、「卵の冠」と呼ばれる。
「ね」
ネルヴァ
ローマ皇帝。在位97〜98。暗殺されたドミティアヌスの後を受けて帝位に就く。
高齢であったため、即位後すぐにトライアヌスを後継者に指名し、一年ほどで死去した。
詩才に恵まれており、また若い頃はドミティアヌスと恋仲だったともいわれている。
「あ」 「わ」も可
アーゾ
12〜13世紀、北イタリアの法学者。法律註釈学の権威。
ユスティニアヌス法典を系統的に解説した「ローマ法提要」は彼の実績の集大成であり、
イタリアはもちろんヨーロッパ全土、イスラム世界にも影響を与えた。
法律家の間では「アーゾの著書を持たずに法廷へ出るべからず」といわれたという。
「ぞ」
ゾーリンゲン
中世から刃物の街として名高いドイツ西部の都市。1815年にウィーン条約でプロイセン領になった。
現在はノルトライン=ヴェストファーレン州に属する。アドルフ・アイヒマンの出身地。
「げん」
>>436 それだと「う゛ぁ」or「わ」だと思いますけどね。
ゲンデンウィサ
北米 北東部 イロコイ連邦の、空の女神ドーンの寵愛を受けた美姫。明けの明星。
ドーンから天国の護衛を仰せつかった神、ソソンドワーに横恋慕され、連れ去られかけ、怒った
女神ドーンは彼女をソソンドワーの手の届かないところ・・・自分の額に宝石に変えて埋め込んだ。
「さ」
サムタック
13世紀アンコール朝の国王。即位後はインドラヴァルマン2世を称した。
父で先王のジャヤヴァルマン7世はチャンパ朝を征服した名将であったが、
サムタックは父に似ず凡庸で、チャンパの再独立を許してしまう。
さらにスコータイ朝の台頭も許し、アンコール朝斜陽の直接的原因を作った。
「く」
クタイソツィマン
北米 北モンタナ〜南カナダ原住のアルゴンキン語族、ブラックフット族(シクシカ族)を
構成する3つの氏族のうち、ピーガン=ブラックフット・バンドの支族のうちひとつ。「シクシカ」は
「黒足」の意。黒く染めたモカシンを履く習俗からそう呼ばれた。
「まん」
マンハイム楽派
マンハイムはドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州で州都シュトゥットガルトに次ぐ第2の都市。
1720年にそれまでハイデルベルクにあったプファルツ選帝侯の宮廷がここに置かれた。
カール4世フィリップ・テオドール侯(1724〜1799、在位1742〜1799)の時代に、ボヘミア出身の
シュターミツ親子など各地から優れた演奏家や作曲家を招聘して、高い水準を誇る宮廷楽団が
組織された。ここを中心に活躍した作曲家たちを総称してマンハイム楽派という。この楽派は
交響曲の成立に大きな影響を与え、またモーツァルトもこの楽派の強い影響を受けている。
なお、カール・テオドールは1777年からはバイエルン選帝侯を兼ね、宮廷をミュンヘンに移して
いるが、ここでも宮廷音楽に力を入れた。
「は」
>>442よ わざわざ「まん」と指定してきた
>>441の心意気に合わせてここはもう少し相応しいのを選ぶべきだったんじゃないかね?
ハンニバル
第二次ポエニ戦争で活躍したカルタゴの武将。真冬のアルプスを象を率いて十五日で踏破し、
ローマ軍を次々とトレビア、トランジメーノ、カンネーの各戦場で撃破した。
しかし、スキピオにザマで敗れたハンニバルは、後にシリアに亡命し、最期はビティニアで毒を呷って自殺した。
「る」
ルシタニア号事件
第一次大戦中の1915年、イギリス船籍の大型客船ルシタニア号が北大西洋航路を航行中、
ドイツの潜水艦によって無警告のまま撃沈された事件。犠牲者の中にアメリカ人124名が
含まれていたため、アメリカ国内で反ドイツ感情が高まり、後にアメリカが連合国側に立って
参戦するきっかけの1つとなった。
「けん」
>>443 ???
建安文学(けんあんぶんがく)
後漢末期の建安年間(196年〜220年)に、実質的な最高権力者であり一流の詩人でもあった
曹操やその子の曹丕・曹植(三曹と呼ぶ)を擁護者として、多くの優れた文人たちによって
築き上げられた詩文学。従来の辞賦に代わって五言詩を発展させ、自由闊達な文調を
生み出した。三曹とともに、建安の七子と呼ばれる文人たちが名高い。
「く」
クマン
ヨーロッパ最東部の平原地帯で活動した民族集団。コマン、クンともいう。元々はキプチャク平原(現在の
カザフスタンから東ヨーロッパにいたる平原地帯)で遊牧生活を行っていたキプチャク人のうち、黒海北岸から
現在のモルドヴァの方面で遊牧生活をしていたテュルク系遊牧民のことで、ロシア史ではポロヴェツと呼ばれる。
11世紀頃に黒海北岸に現れ、現在のロシアからルーマニアあたりにたびたび侵入した。13世紀前半にバトゥの
率いるモンゴルの遠征軍が東方のキプチャクを併合すると、クマン人の一部はハンガリー王ベーラ4世を
頼ってハンガリー平原に移住した。彼らは次第にハンガリー人に同化したものの、現在にいたるまで独自の
文化を保ち続けている。一方、モルドヴァ周辺に定住したクマン人は、他の民族に同化して消滅した。
「まん」
マンキラー, ウィルマ (1945〜 )
北米 チェロキー族、民族運動家。母親は白人。「マンキラー」は、1830年の「涙の旅路」で、部族が白人
政府によって、南東部からオクラホマまで、日本列島を縦断するに等しい距離を、徒歩で強制移住させられた
際の指導者であり、由緒ある家名である。カリフォルニアで差別の中に育ち、1969年のAIMによるアルカトラズ島
占拠・独立宣言に参加。故郷へ戻り、1885年〜95年まで、(オクラホマのチェロキーでは)初の女性酋長に
就任。白人によって南東部各州とオクラホマに分断させられたチェロキーを1887年、「チェロキー国家連邦」として
再結合させた。 1987年、J=W=ガードナー・リーダーシップ賞受賞。 1988年、国際女性栄誉賞殿堂入り。
「ら」
>>447 訂正度々スマソ 分断させられたチェロキーを1887年
↓
分断させられたチェロキーを1987年、
ラクスマン、キリル・グスタヴォヴィチ(エーリク)(1737〜1896)
フィンランド出身(ドイツ系)の博物学者。ロシアへ渡って博物学者として名を上げ、女帝
エカテリーナ2世の知遇を得るまでになった。1790年、イルクーツク郊外でガラス工場を
経営していたラクスマンは、漂流の末にイルクーツクまでたどり着いた大黒屋光太夫一行
と出会い、光太夫が女帝の謁見と帰国の許可を得られるよう尽力した。遣日使節として
漂流民送還と国交交渉の任に当たったアダム・ラクスマンは、キリルの次男である。
「まん」
>>443 4度目の「まん」です。心意気も何も、簡単にひねり出せるではありませんか。
マン=アフレイド=ヒズ=ホーシズ (1830〜1900)
北米 タ=シュンケ=コ=キパピ(彼の馬を見ただけで、みんな震え上がる)←これくらい恐れられた勇猛な
戦士だったが、白人が誤訳して、情けない英名になった。 1860年代〜70年代にレッド=クラウド酋長を
補佐して抵抗戦を支えた、オグララ族(テトン=スー)の代表的戦争酋長。父親も同じ名なので、「ヤンガー」を
名前につけて区別されることが多い。現実的な和平派で、保留地時代には部族会議の議長を務めた。
「ず」
ズデーテン危機
1937年11月から1938年9月にかけて起こった、チェコにおける内紛。
ズデーテンラント(チェコ北西部にある山地)ではその領有権を巡り、
先住チェコ国民と中世に移住してきたドイツ系民族との間で諍いが絶えなかった。
ここに目をつけたのがズデーテン・ドイツ民族を束ねていたヘンライン、
そしてヘンラインに通じていたドイツ本国のナチス政権である。
ヒトラーはズデーテン・ドイツ民族を焚き付け内紛を誘発、
内紛を戦争に発展させるのは避けたい英・仏・伊の三国を巻き込んで
ミュンヘン会談を催し、まんまとズデーテンラントのドイツ帰属を決定せしめた。
「き」
452 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 16:42:40 0
虚無主義(ニヒリズム)
一切の権威と価値、国家や秩序を否定する思想。トゥルゲーネフの「父と子」以来、
1860年代ロシアのインテリゲンツィアの間に広がって、ナロードニキやアナーキズムの革命主義に継承される。
「ぎ」
ageてしまった、スマソ・・・。
ギアウチィンインエゥグ
北米 北ダコタ
>>301のヒダーツァ族の、東隣のアニシナアベ族(チペワ、またはオジブワ族)に
よる呼び名。 「いにしえよりの人」の意。
「ぐ」
グユク
モンゴル帝国第3代ハーン。オゴタイ・ハーンの長男。
勇猛で知られたが、従兄のバトゥ(後のキプチャク・ハン国太祖)と折り合いが悪く
父オゴタイからは「一族を纏めるべき大ハーンには不適格である」と言われていた。
父の死後、母トレゲネの根回しや一族からの擁立を受けてなんとか大ハーンの位につき、
奸臣の粛正や旧功臣の再登用、南宋やペルシアへの派兵など辣腕を振るったが
1248年、自らヨーロッパ遠征へ向かう途上で突如謎の死を遂げる。
最後まで軋轢が消えなかったバトゥに暗殺されたのではないか、という説が有力。
「く」
456 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:10:57 0
クロービス
フランク族族長。メロビング王朝の事実上の創始者
「ス」
スノホミシュ族
北米 北西部ワシントン シアトルの北、スノホミシュ川沿岸に原住する、サリシ語族系部族。
ニスクォーリー族とは近縁。「低地の人々」の意(とされる)。チュラリップ保留地に住む1700人が
1983年、1999年と二度にわたって連邦認定を白人政府に要求しているが、いずれもBIAによって
拒絶されている。
>>208のドークウィブーチの神話を持つ。
「しゅ」
458 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:00:13 0
シューベルト
「と」
>>458 あんまりなので勝手につけたし
シューベルト、フランツ・ペーター(1797〜1828)
オーストリアの作曲家。ベートーヴェンより1世代若いが、亡くなったのはベートーヴェンの
1年後だった。「歌曲王」として知られるが、ほとんどあらゆる分野に傑作を残している。
なお、同名のフランツ・シューベルトという作曲家がいて、当時はこの人物の方が有名
だったが、今日ではフランソワ・シューベルトと呼んで、この作曲家を区別している。
「と」
トール
北欧神話の雷神。農民階級からの支持が高く、主神とされていたこともあった。
雷の鎚ミョルニルをもつ。
英語で木曜日をThursdayというが、これはトールの日 という意味である。
「る」
ルノアール,オーギュスト
フランスの印象派の画家。息子は映画監督のジャン・ルノアール。
少女や裸婦をモチーフにした絵を得意とする。
代表作には「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、「ピアノによる少女たち」、「イレ−ヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
などがある。
次は「る」
ちゃんと書いてよ
ルプレヒト1世
神聖ローマ皇帝。プロイセンのウィルテスバッハ家を出自に持つ。7選帝侯の1つ、ファルツ選帝侯を経て
1400年、カール4世の子ヴェンツェルがローマ皇帝位から廃されたのを受け、
7選定侯の1、ファルツ侯の座にあったルプレヒトが皇帝に選ばれた。
が、ヴェンツェルを支持するミラノ大公の妨害に遭い戴冠を受けることさえできず、
また在位期間のほとんどを先帝派のとの戦いに空やして無能さを知らしめるだけに終わった。
「と」「い」
____ ________ _______
|書き込む| 名前:| | E-mail(省略可): |sage |
 ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
./
∧_∧ /
( ‘ε ’) / ここに半角小文字でsageと書くんだよ
( )つ
| │ | ageてるとろくなことはないんモナ
(__)_)
イリニ族
北米 イリノイ原住のアルゴンキン語族。州名の由来元であり、「人間、人々」を意味する。
カホキア、カスカスキア、ミシガミア、ペオリア、タマロア、(モイングェナ)の各支族によって構成される
「イリノイ連合」でもある。
>>161のメスクワキ(フォックス)やスー、イロコイとの戦で消耗して数を減らし、
1832年に原住地を離れ、1867年よりオクラホマに現住する。
「に」
ニアサランド
旧英領植民地で現在のマラウイ。
「湖」の意。
「ど」
ドカナ
北米 オクラホマ南に現住するカドー語族系の農耕民、ウィチタ族の、コマンチ族による呼び名。
「刺青をした連中」の意。 ウィチタ族は正式名をキチキチッシュ族(アライグマのアイラインの意)と
いい、アライグマのように目の両側に黒い線を刺青していた部族だった。アーカンソー、カンザスから
テキサスにかけ広域に原住したが、1850年代に、白人によってオクラホマに移住を強制された。
「な」
ナイーマ・エフェンディー
17世紀オスマントルコの歴史家。本名はムスタファ・ナイーム。
シリアの出身だったが外交官の父についてイスタンブールに移住、
当地の宮廷に出仕し、やがて史料をまとめる王室付きの官僚になった。
代表作は16〜17世紀のオスマンを極めて緻密に描いた年代記「ナイーマ史」。
「でぃ」
ディクスン=カー, ジョン (1906〜1977)
英国 推理小説家。北米生まれ。カーター=ディクスン。 1930年、探偵バンコランの登場する
「夜歩く」でデビュー。ギデオン=フェル博士、またヘンリー=メリヴェール卿(通称H・M)という
名探偵キャラクターを生み出す。密室のトリックに拘り続け、「不可能犯罪の大家」と呼ばれた。
「かー」
カーディフ
ウェールズの南西部に位置するウェールズ最大の都市。1955年からウェールズの首都。
ローマ人が築いた砦が起源である。産業革命期にカーディフ港からの石炭の積み出しや
造船などで飛躍的に発展したが、それまでは比較的小規模な町であった。
「ふ」
ファイア, ジョン(1846〜1899)
サイオゥィサケロン(浮かんだ氷) またはジェイク=アイス。 北米 ニューヨーク州原住の、イロコイ六部族
連合のひとつ、モホーク族の大酋長。しばしば弟ジェイク=ファイア(オーネートタコ=松脂)と混同される。
1899年5月1日、カナダ国境のアクェサスネ(セント=リージス保留地)で、伝統的な部族運営を白人政府
主導に強制させようと、カナダ政府と警察団が条約を破って部族会議所を占拠、部族指導者全員の出頭を
要求。ロチノンクイセレス酋長が逮捕され、他の酋長を逃がそうとして抵抗したこのファイア酋長が射殺された。
1985年、アクェサスネ部族会議はこれを追悼し、この5月1日を、モホーク国家の休日とした。
「あ」
アシュタロト
聖書に登場する高位の悪魔。公爵。
サタンの部下でも特に力のある四実力者の一人である。
過去と未来を見通す力を持つといわれている。
「と」
トマス=アクィナス
スコラ哲学を大成。
アリストテレス哲学を導入し、
理性(名目論)と信仰(実在論)の調和を説く。
著書に『神学大全』
「ス」
スズダリ公国
12世紀・ロシア中部の公国。
スズダリ公ユーリ・ドルガルーキーが建国。森林と河川の交易網を掌握し栄えた。
交易用の木造城砦を建てた一介の寒村・モスクワ村はこの時から都市へと発展を始めた。
「り」か「く」
クイーン=エリザベスT
大英帝国女王。
統一令、世界初の社会福祉法である救貧法などを制定し、
国民から「GoodQueenVeth」と呼ばれ愛された。
また、生涯独身を通したため「VirginQueen」とも呼ばれる。
アメリカのVirginiaは彼女に捧げられたことに由来する。
↑「Beth」かも…。
エリザベスってどう書くんだろ?
リがRなのかLなのか、ザがSなのかZなのか、
ベがBなのかVなのか…orz
>>476 この時代のイングランドを「大英帝国」と呼ぶのは問題がある。
そもそも「英国」の成立は、イングランド(+ウェールズ+アイルランド)とスコットランドが
同一の君主を戴くようになった時点(次代のジェイムズ1世で一応実現する)ではないのか?
しりとりなのだから、次は何で始めれば良いのか、ちゃんと示してもらいたい。
「ス」or「T」or「1」でよろしいか?
スウィフト、ジョナサン(1667〜1745)
イギリス/アイルランドの風刺作家。ダブリンでイングランド系の家系に生まれる。
ロンドンで政治家の秘書を務め、政界への野心を抱いていたが、結局ダブリンに戻り、
国教会(聖パトリック教会)の主席司祭として生涯を送った。
「ガリヴァー旅行記」の作者として名高い。
「と」
トトイマナ
北米 北部大平原部族 北シャイアン族を構成するバンドのひとつ。
南ダコタのトングェ川近辺を領土とした。
「な」
ナガチュ
北元の大尉にしてジャライル部の首長。
大都を撤退した北元の軍事を支え、度々明軍を撃退した。
高麗へも軍事圧力をかけ、北元を宗主国と奉じさせたが、明の武将・藍玉の軍に投降。
彼を失って以降、北元の優位が傾き始める契機に。
「ちゅ」
中国国民党
1919年、孫文を中心に結成。
「う」
ウクレレ
ハワイの撥弦楽器。1870年代にマデイラ諸島からハワイに移民したポルトガル人が持ち込んだ
四弦楽器ブラヒーニョが原型。当初は単にピラ・リイリイ(小さな楽器)と呼ばれたが、後に
ハワイ語でウク(蚤)・レレ(飛ぶ)、すなわち「跳ねる蚤」と名付けられた。元来は独奏楽器であり、
一般に思われるような伴奏楽器ではない。オリジナル(ギター)型とパイナップル型の2種がある。
「れ」
レスチ (1825〜1858)
「勇者」の意。北米ワシントン ニスクォーリー族の酋長。ワシントン州にスチーブンスという知事がいて、
北西岸部族を相手に50以上の不公平でテキトーな条約を押し付けて、1億5700万エーカーの土地を
分捕った。北西岸部の部族が一斉に武力抵抗を始め、赤白双方のゲリラ戦になった。(=ヤキマ戦争)。
レスチ酋長はこのヤキマ戦争の主要な指導者の一人だった。ホイットマン夫妻という入植者(宣教師で、
片手に聖書、片手に鞭を持つと言われた)及び白人1ダースが殺され、他の部族民とともに、このレスチも
スチーブンスに絞首刑にされた。白人でも彼の無実を主張するものがいた。八つ当たりだったのだろう。
「ち」
チトー (ユーゴスラビア大統領)
クロアチア人とスロヴェニア人の両親を持ったこともあり
民族問題に積極的に取り組む。
パルチザンの指導者から共産党書記長、大統領となり
1980年の他界までに多大な役割を果たした。
インドのネルー、エジプトのナセルと共に、
「非同盟の三巨頭」と呼ばれる。
「と」
トゥダ・マング
キプチャク・ハン国第6代ハーン。
第5代ハーンのマング・ティムールが死ぬと、彼の息子たちを差し置いて
長老の立場にあったトゥダ・マングがハーンに即位する。
しかし国内の声望や軍事力は東方に勢力を持つノガイが握っており、
程無くして無能・無為の罪をもって廃位されてしまった。
「ぐ」
グスタフ二世
フランス語読みではギュスターヴ。スウェーデン国王。
富国強兵政策で軍事力を高め、商工業を振興し、教育を奨励した。
スウェーデンを大国の地位にまで押し上げたのは彼の功績といえる。
三十年戦争では自ら軍の先頭に立って活躍した。
リュッツェンでヴァレンシュタイン率いる傭兵軍と交戦中、戦死した。
「ふ」
フューラー
ドイツ語で総統。ヒトラーで有名。
「ら」
ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)
1985年に南太平洋諸国首脳会議で調印され、
南太平洋において、使用目的を問わず核爆発装置の配備を禁止し、
誰であっても核廃棄物の投棄を禁止することを締約国に義務づけた条約。
「く」
クニクンダ
ハンガリー王ベーラ4世の娘。クラクフ公ボレスワフ5世に嫁ぐ。
ボレスワフは「恥辱公」の仇名をとる暗愚であったが、
その一方で「貞節公」とも仇名されているとおり、
彼女にだけは完全なる貞節を誓い、一切の側室をもうけなかったという。
「だ」
ダンネブロー
デンマーク国旗の呼称。横棒が右に長い十字が、赤地に白く、旗いっぱいに描かれた旗。
このデザインの旗はスカンジナビア十字と呼ばれ、配色を変えて北欧諸国の国旗によく
使われるが、その元祖となったのがダンネブローである。この十字は十字架でなく、
北欧の太陽の光芒を描いたものと言われる。伝説では1219年6月、デンマーク王
ヴァルデマール2世がリュンダニの戦いでエストニア軍に苦戦していたさなか、空から
この旗が降ってきて、それを機に形勢逆転して勝利したと言い、それがこの旗の起源とされる。
「ろ」
ローデンバック(ロダンバック)、ジョルジュ(1855〜98)
ローデンバッハとも表記される。ベルギーの小説家、詩人、劇作家。パリで活躍した。
象徴主義文学の代表的存在。「死都ブリュージュ」で有名。
「く」
クセルクセス一世
アケメネス朝ペルシアの王。
「い」
クセルクセス一世
アケメネス朝ペルシアの王。
「い」
なにやら不評なので改訂
クセルクセス一世(在位 B.C.486〜B.C.465)
アケメネス朝ペルシアの王。フシャヤールシャ、アハシュエロス、アハスエロスとも。
ダレイオス一世の子。B.C.480年、陸海の大軍を整えてギリシア遠征を企てた。
アルテミシオンの戦いでギリシア海軍を破り、テルモピュライの戦いでスパルタ王
レオニダスを敗死させてアッティカ地方を征したが、サラミスの海戦で敗れて帰国。
晩年は宮廷の腐敗、陰謀のため次第に国勢が衰え、長子と共にその犠牲となった。
「す」または「い」
イッソスの戦い
紀元前333年11月に起こった、マケドニアのアレクサンドロス3世(大王)率いるマケドニア軍
(ギリシア連合軍)とアケメネス朝ペルシア最後の王ダレイオス3世率いるペルシア軍との戦い。
ダレイオス軍は数倍もの兵員と優れた軍備を整えながら一方的に大敗し、ダレイオスは敗残兵
とともに奥地へ逃亡した。この会戦によって小アジアは200年に及ぶペルシアの支配から解放され、
アレクサンドロスによる大帝国建設へとつながった。
「い」
ジークフリート線
第一次・第二次の両大戦でのドイツの要塞線。伝説の英雄ジークフリートにちなんで
名付けられた。第一次大戦では西部戦線でヒンデンブルク線の一部として、フランスの
アラス付近からソワソン付近にかけて構築された。1936年ラインラント進駐後、
南バーデンのケールからアーヘンにかけて構築された要塞線もこの名で呼ばれた。
「せん」
川劇(せんげき)
京劇の原型とされる、中国の地方演劇のひとつ。「四川省の演劇」の意。
明末清初の動乱に伴う四川省への大人口流入により江西・湖南など長江中・下流域の大衆芸能が伝播。
各地方の旋律を融合したため音楽は多彩、所作では『変瞼』で名高い瞬間芸が高度に発達した。
清代には京劇をはじめ中国各地の演劇に多大な影響を与えた。
「き」
505 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 02:49:13 O
キューバ危機
1959年、ソ連が社会主義革命後のキューバにミサイル基地を
建設しようとしたことによる米ソ間の緊張。
ケネディ大統領は海上封鎖を行い、フルシチョフソ連首相が折れて、
事態は集結に向かった。
「き」
『気狂いピエロ』、'65・仏
ジャン・リュック・ゴダール監督・脚本、J・P・ベルモンド主演作品。
昔の彼女と再会するけど、殺人事件に巻き込まれて二人で逃走する。
その色彩の美しさetcでヌーヴェルバーグの代表的作品となったんじゃないか。映画史に残る名作。
「ろ」
>>488は私が書いたものだが
>>493には不評なようですね。
何処が見づらいのかを示してついでに例でも出していただければありがたいですね。
ロベスピエール,マクシミリアン
フランス革命時の政治家でジャコバン派の指導者。反対派を次々とギロチンにかけた恐怖政治で有名。
この恐怖政治はテロ(Terreur)の語源になったといわれている。
テルミドール9日のクーデターで失脚し、自らもギロチンにかけられた。
「る」
508 :
486:2005/09/30(金) 11:00:19 O
多分、人物を書く場合は生年と没年も併記しろってことじゃないかな。
あとは、名前とコメントとの間を空けろ、とか。
もっとコメント詳しく!とか。
このスレを基にデータベースでも作るつもりなんすかね、あほらし。
ルパン,アルセーヌ
フランスの小説家モーリス・ルブランが書いた推理小説シリーズの主人公。
よりフランス語の発音に近い「リュパン」の表記も用いられる。神出鬼没の
「怪盗紳士」として登場したが、後には探偵や冒険家として活躍するようになった。
先頃、新たに本国フランスで製作された映画も公開された。
「ぱん」or「n」
>>488も
>>497も、改行さえ形式通りなら、あとは問題ないはず。
定型を守らない書き込みが増えたので、たまたま槍玉に上がったのだろう。
あるいはそれらが同一人物のレスと思ったのか?
それと、携帯からの書き込みだと長文はしんどいだろうけど、頑張ってね。
510 :
488:2005/09/30(金) 15:39:19 0
てかテンプレにもない自分ルールを勝手に押し付けられてもなぁ。
ここのスレはたまに定型?を守らないのがあってもただ黙々としりとりを続けていくのが暗黙のルールだと思ってたんだけど。
まして書き込みの形式なんて個人の自由だろうに。
パンセ
フランスの数学者で思想家でもあったパスカルが書き綴ったノートを彼の死後に友人たちがまとめたもの。
「人間は考える葦である」という一文が有名である。
「せ」
うん。書き方は自由でいいと思う。2ちゃんだしw
セク=トゥーレ
ギニア共和国初代大統領(任1961〜84)。
急進的な民族主義者でアフリカの進歩的指導者の一人。
66年のエンクルマ失脚後は、進歩派最大の人物。
対外的には中ソ接近政策をとった。
「れ」
レントゲン、ヴィルヘルム・コンラート(1845〜1923)
ドイツの物理学者。1895年にX線を発見した。この功績により、
1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した。彼にちなんで
X線撮影のことを「レントゲン」と呼ぶが、本人はそれを嫌っていたという。
「げん」
阮籍(げんせき)
魏・晋時代の学者。竹林七賢の一人。父は建安七子の一人・阮瑀。
青い目と白い目を使い分けることができたといわれ、
礼節を知る好ましい人物には青眼で、軽蔑すべき俗人には白眼で接した。
これが「気に入らないものを冷たく見る」意の成語「白眼視」の由来である。
代表的な著作は老荘を論じた「大人先生伝」「達荘論」、五言詩集「詠懐詩」など。
「き」
キエド=キエ=ジュブメル
北欧 フィンランドのトナカイ狩猟民 サーミの神。 トナカイの群れを統べる。
サーミはこの神に、猟の成功を祈って、トナカイの肉を捧げる。
「る」
ルクミ
西インド諸島の黒人住民のうちヨルバ族系の集団の呼称。
もとヨルバ語で「仲間」の意。
奴隷貿易時代の末期にナイジェリア・ベニン沿岸から大量輸入された黒人奴隷が起源。
比較的新しい時代に大人口が新大陸に来たため、奴隷制廃止後もアフリカ的文化を色濃く保持し、
ヴードゥーなどの宗教、他に舞踊・音楽・民話・料理・借用語彙など新大陸に影響を与えた。
このため他の黒人系住民から一目置かれることが多い。
「み」
ミーカーの虐殺
北米 コロラドの農地化成功の腕を買われた農業専門家のネイザン・ミーカーは、自らの協同農業
思想をユテ族に植え付ける任を帯びて、1878年3月に、ホワイトリバー保留地のユテ族の管理官に
就任した。が、部族の狩場を奪われ、狭い保留地に幽閉された狩猟民族ユテ族はこれに強く反発、
1879年9月、ミーカーが陸軍を招聘して事の収集を図ったため、ついに武力抗争を招き、ミーカーと仲間
7人が殺され、「ミーカーの虐殺」として知られる事件となった。
>>390 さらに別の管理官ソーンバーグと
仲間9人が殺され、ユテ族はコロラドから追い出され、ユタの保留地に放り込まれることとなった。
「つ」
ツンベルク
カール・ツンベルク。18〜19世紀スウェーデンの植物学者。リンネに学ぶ。
オランダ東インド会社で医師を務め、1775年、オランダ商館付きの医師として長崎に来航。
ケンペル、シーボルトと並んで出島の三学者と呼ばれ、
桂川甫周、中川淳庵ら多くの蘭学者を輩出、江戸蘭学発展の基礎となった。
日本を去った後は故郷のスウェーデンに戻り母校で教鞭をとったが、
その合間に著した「日本植物誌」「ヨーロッパ・アフリカ・アジア旅行記」は
ヨーロッパに当時の日本を文明国として紹介している重要な資料である。
「く」
クンダクンダ
4〜5世紀、ジャイナ教裸行派の哲学者。
代表的哲学書「ニヤマサーラ」をサンスクリットで執筆、後世まで同派の主要経典となった。
「だ」
ダヴィデ(位BC1000頃〜960頃)
ヘブライ統一王国の二代目の王。イェルサレムを都とする。
王国の全盛期。
「で」
デセレット
北米 『モルモン経』の用語で「勤労者」の意。ブリガム=ヤング率いる新興宗教モルモンが19世紀、
ワシントン政府に提案していた州名。モルモン評議会は今日のユタ、ネバダ、アリゾナ全州と、オレゴン、
アイダホ、ワイオミング、カリフォルニアの一部、全部合わせると北米の1/6の土地をモルモンの土地として
要求していた。1850年、「ユテ族」由来の「ユタ」のほうを好んだワシントン国会は、この要求を却下した。
「と」
トロツキー(1879〜1940)
ロシアの革命家。
初めメンシェヴィキに属し、三月革命後ボリシェヴィキに加入。
レーニンを助けて11月革命を遂行。
新政権で初代外務人民委員として対独講和全権となった。
しかし、失脚後1929年に国外追放されメキシコで暗殺された。
「きー」
キーツ
19世紀イギリスの詩人。古典と前衛を融合させた詩を好んで書いたが、
その独自の作風は保守派批評家に嫌われて酷評され、
さらに同時期に溺愛していた弟の死や恋人との別離を経験、完全に心を病む。
以降スコットランドやイタリアなどを周遊しつつ療養するも、その途上で夭折した。
代表作は「美しき物は永久の喜び」の有名な文句で始まる「エンディミオン」。
「つ」
月の島
スペイン語名イスラ・デ・ラ・ソル。ボリビア・ペルー国境のチチカカ湖上に浮かぶ小島。
伝承上のインカ初代皇帝マンコ・カパックが出現した島とされる。隣接する「太陽の島」説もあり。
インカ時代には神話に則った祭祀儀礼が行なわれ、神殿跡が現存する。
「ま」
↑「〜ソル」は太陽の島でした。月の島は「〜ルナ」です。逝ってきます・・・
マンネルヘイム(マンネルヘイミ)
フィンランドの元帥、大統領(1944〜1946)。スウェーデン系の姓であり、通常はマンネルヘイムと
仮名表記されるが、フィン語ではマンネルヘイミとなり、まれにこの表記も用いられる。
帝政ロシア軍でフィンランド出身者としては最高位であった中将まで昇進したが、ロシア革命勃発に
際して帰国し、独立宣言後の内戦で白軍を指揮してソ連の勢力を排除した。第二次大戦における
ソ連との戦争に当たっても、最高司令官として善戦したものの敗北を余儀なくされたが、大戦末期に
大統領に就任し、ソ連との講和を果たした。
「む」or「み」
ムセイオン
アレクサンドリアの大研究機関。プトレマイオス朝の保護を受け、
古代自然科学・文献学研究の中心となり、学者を輩出した。
博物館の語源となる。
「おん」
温祚(おんそ)
百済の初代王。
出自は史書により異なるが、新羅王・朱蒙の子とする伝承と、東夫余の出身とする伝承とがある。
建国当初から倭人との関わりが多かった人物。
「そ」
ソバイプリ族
北米南西部 アリゾナのユト=アズテック語族。 サンペドロ峡谷周辺に原住した。17世紀末に
キリスト教伝道所を置いたスペイン人が、この名を後世に残している。その後、度重なるアパッチの
襲撃を受け、パパゴ族(トホノ=オ=オダム族)の庇護下に入り、吸収された。
「り」
李卓吾(り・たくご)
卓吾は字で、諱(いみな)は贄(し)。明代の思想家。儒教の反逆者・危険思想家といわれる。
過激な言動のため迫害され、著述は全て禁書となったが、清末に再認識された。
五・四運動以後は解放思想の先駆として流行し、今日でも盛んに論じられる。
「ご」
ゴビ砂漠
モンゴル高原の草原砂漠。
モンゴル語で「草の生育の悪い土地」を意味する普通名詞。
「び」
ビルゲ・ブカ
12〜3世紀ウイグルの大臣。当時のウイグルはすでに大国ではなく、
交通と交易の要衝トゥルファンに拠ってその命脈を保つ小さな通商国家であった。
ためにブカは国王へ、侵攻の構えを見せる新興国モンゴルに対して
戦わず帰順することを進言、国王バルチュクもこれを容れる英断を下した。
以降ウイグルはモンゴル帝国の大征服に人的・物的両面から甚大な功績をもたらすことになる。
「か」
カタヘカッサ (1717〜1831)
ブラック=フーフ(黒いひづめ)。北米南東部 ショウニー族の白人融和派の大酋長。
>>19の
「セントクレアの敗北」に参加した。1795年、グリーンビル条約に署名し、白人文化の取り入れ、
農業の促進を奨励した。部族はやがてオハイオから追い出され、一年半かけてカンザスに移った。
彼自身はオハイオの元ショーニーの地、ワポカネタに戻り、そこで死んだ。
「さ」
殺人契(サリンゲ)
李氏朝鮮で奴婢層を中心に結成された秘密結社。
両班の収奪から自衛するために武装した組織が発端だが、全国規模に拡大・組織化され
仁祖年間には首都ソウルを一時陥落させるほど猛威を揮った。
王朝末期には組織だった農民義勇軍化するものと略奪・誘拐目的の匪賊化する集団とに分化しつつも
日本併合まで全土で勢力を振るっていた。
「げ」
ゲルマニクス(B.C.15〜A.D.19)
古代ローマの軍人。父はアウグストゥスの妻リヴィアの連れ子ドルースス。母はアウグストゥスの
姉とアントニウスの娘。第2代皇帝ティベリウスの甥、第3代皇帝カリグラの父、
>>369の兄、
>>199の母方の祖父。アウグストゥスに目をかけられ、将来の皇帝と目されており、アウグストゥス
の養子となった伯父ティベリウスが養子とした。軍人として有能であり、軍でも民衆の間でも人気が
あったが、オリエント遠征中に33歳の若さで病死した。
「す」
スヴィティッチ,イリイッチ
旧ソ連、モスクワ大の言語学者。
世界の民族系統の源流をたどる研究班「モスクワ・グループ」の一環として
「世界祖語」の概念を提唱。超言語門ブームの先駆的存在となる。
のちにノストラティック超語族説につながる系統研究の第一人者。
「ち」
チュニカ族
北米南部 ミシシッピ川流域の肥沃な地に原住した農耕民。「人間」の意。土地が良かったので
フランス人だのスペイン人だのイギリス人だのが次々にやってきて、そのたびに翻弄され同化を強要された。
強制移住先のルイジアナでビロキシー族と提携し、「チュニカ=ビロキシー族」として1981年、連邦認定された。
「か」
537 :
488:2005/10/03(月) 05:55:05 0
カトリーナ
2005年8月にアメリカ南部を襲った大型ハリケーン。特にニューオーリンズ市に甚大な被害をもたらした。
メキシコ湾岸の油田地帯にも被害をもたらし、原油価格の高騰の要因のひとつにもなった。
予想される死者は数千人、被害総額は2兆円を上回るとみられている。
「な」
南懐仁(フェルビースト)1632〜88
ベルギー出身のイエズス会宣教師。1659年、中国に至る。
アダムシャールを助けて、布教や西洋学術の紹介に努めた。
「じん」or「と」
ジンマ
イスラム法における安全保障。一定の税負担とムスリムへの協力を条件とし、
イスラム社会の中で生きることを許された非ムスリムの人々に与えられる。
成文上ではイスラムと同じ一神教であるキリスト・ユダヤ教徒のみに
与えられることになっているが、実際は仏教徒やゾロアスター教徒への付与も多い。
「ま」
マグサイサイ(1907〜1957)
フィリピンの政治家。第二次大戦中、抗日ゲリラに参加。戦後、下院国防委員長、国防長官
を歴任し、軍の綱紀粛正や共産系ゲリラ組織フク団の討伐で業績をあげる。1954年、大統領
に就任。土地改革を推進し、対外的には反共親米政策をとる。1957年、飛行機事故で死亡。
彼の名を冠したマグサイサイ賞は「アジアのノーベル賞」とも呼ばれる。
「い」
イロマガジャ (1835〜1905)
北米
>>144のハンクパパ=スーの交戦派の戦士で、数々の襲撃に加わった。「彼の顔は嵐のようだ」の意。
誤訳されて「レイン=イン=ザ=フェイス」という英名を持つ。 いわゆる「フェッターマンの虐殺」に参加し、のち
タタンカ=イヨタケ(シッティング=ブル)のバンドに合流。
>>26のグリージーグラスの戦いで、カスター隊長を
殺したその人とされ、詩人ワーズワースはこれを元に「レイン=イン=ザ=フェイスの復讐」という詩を書いた。
(実際はカスターを殺したのは彼ではなかったのだが) ともあれこの戦で脚悪になり、ハンクパパのカナダ亡命に
参加した後、投降。スタンディング=ロック保留地で死んだ。生涯に七回結婚した。
「じゃ」
ジャルモ
イラク東部、ザグロス山脈西麓の地域名。
紀元前七千年紀に、この地で野生種コムギが初めて栽培化されたとされる「穀物栽培発祥の地」的存在。
パレスチナのイェリコと並んで最古の定住集落が出現した地としても有名。
「も」
モンテスキュー 1689〜1755
フランスの法律家・啓蒙思想家。
1725年ボルドーの高等法院長を退職、ヨーロッパ各地を旅行後、著述に専念。
1721年に『ペルシア人の手紙』、
1748年には『法の精神』を著し、三権分立を主張した。
「きゅー」
キューリシット
北米 オレゴン アルシア湾、及びアルシア川流域に原住したヤンコナン族系部族、
アルシア族のバンドのひとつ。アルシア川の南域を領土とした。
「と」
糖業公会
華僑社会の主要な同業者組合のひとつ。製糖業者の組合に相当。
特に17世紀以降栄えた東南アジア諸国の蔗糖交易により華南出身の華僑が結成したのが起源。
オランダ領時代に巨富を築いたジャワの黄仲涵率いる黄一族のように、国政をも左右する政商も登場した。
「い」
イェケ
イェケ・チェレン。12世紀タタル部の将。
タタルがチンギス・ハーンにより征討を受けるとモンゴルに降る。
二人の娘・イェスイとイェスゲンがチンギスの第三・第四皇后となったため、
降将という弱い立場でありながら一門衆並みの扱いを受けた。
「け」
>>537 実際の死者は1000人未満になりそうだってね。 雑談スマソ
ケフ
マヤ暦の12番目の月。
「新しい火の祭」を行う。
「ふ」
フェッターマン, ウィリアム=ジャド (1833〜1866)
北米 コネチカット生まれの陸軍大尉。1866年11月にワイオミングのフィル=カーニー砦に配属された。
自信家の彼は、かねがねインディアンによる攻撃を腹に据えかねていて、「俺に兵を80人任せてくれりゃあ、
スーどもの国を馬で走り回って見せらあ」と大言壮語した。これに応え、1866年12月21日、クレージー=
ホース率いるシャイアンとスーの連合軍が砦近くの列車を襲撃。彼は軍の命令を無視してこれを深追いし、
全滅してしまった。配下の数はこの時、きっかり80人だった。
>>541 この「フェッターマンの大虐殺」は、
白人側には和平交渉へ政策転換を迫られる大事件だったが、スーはあくまで砦の撤去要求を譲らなかった。
「まん」
マンハイム
カール・マンハイム。20世紀初頭・ハンガリーの社会学者。
「時代を診断する学問」としての社会学を大成させ、
著書「イデオロギーとユートピア」の中でそれを「現代学」と名づける。
ナチス政権成立後は英国に亡命し、そのままロンドンで没した。
「む」
ムルク
マヤ・儀式暦の第9日。
水とヒスイの神の日。
「く」
K・K・K(クー=クラックス=クラン)
1865年、テネシー州で結成された反黒人秘密結社。南部に拡大。
不条理で残虐な黒人迫害の先鋒となる。1920年代に復活。
「ら」
ランゴバルド
古代ゲルマン人の一部族。原住地はエルベ川流域。
ローマ帝国末期に南下して北イタリアへ侵入、無数の公国群を建国。
一時は都ローマに迫る勢いだったが、アリウス派に帰依、のちにカトリックに改宗し同化。
「ど」
土法鉱炉
中国「大躍進」時代に毛沢東の指示で全国展開された「鉄鋼生産倍増運動」の一環で
全国に造られた原始的なるつぼ状の炉。多くは粘土製か煉瓦製。
国民全員が製鉄を行なえば鉄生産量が倍増する、との机上の計算を本当に実行に移すべく
村落、学校に至るまでノルマを課された。
素人が日用品を供出し低火力で溶解したため通称「牛糞鉄」と呼ばれた粗悪な銑鉄600万dを残して計画は頓挫。
燃料確保のための森林破壊と煉瓦調達のための歴史的建造物破壊は今なお回復を見ない。
「ろ」
ロジェ・ド・サンセヴェリノ
13世紀のマルシコ伯。シチリア王シャルル1世に出仕した。
イェルサレム王位を獲得したシャルルの命を受けシリアに赴任、統治を行う。
テンプル騎士団・ベネツィアの協力を得た統治は人心を掴んでいたが、
「シチリアの晩鐘」事件の際にシャルルと共に野に降った。
「の」
ノット
北欧 ゲルマンの神。 夜の女神である。 ロキとシギィンの息子であるナルヴィの娘。
天駆ける戦車を走らせて、世界に夜をもたらす。
「と」
トゥグルク2世
14世紀北インド・トゥグルク朝の第4代スルタン。
トゥグルク朝中興の祖である祖父のフィールーズ・シャーからスルタン位を継承したが、
フィールーズによる富国強兵政策のツケが貴族や軍部の増長・反乱に繋がり、
また祖父に似ず凡庸だったトゥグルクにはそれに対して為す術がなかった。
そこにスルタン位継承問題が勃発しわずか2年で退位、同朝斜陽を決定付ける。
「く」「い」
558 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 16:56:48 O
クシャトリヤ
カースト制の武士・貴族階層。政治・軍事担当。
や
野人女直
女真族のうち最も北方に住んでいた集団の名。
アムール川中流域に分布し、中原の政治的・文化的影響から最も遠かったが、
山丹交易など他の北方民族との交易で独自の地位を担ってきた。
「く」
クン・ベーラ
ハンガリーの革命家。1886年シラージチェ(第一次大戦以降ルーマニア領)生まれ。
第一次大戦中にロシアの捕虜となった後、ボリシェビキに参加。1918年に帰国して
ハンガリー共産党を設立した。1919年にハンガリー・ソヴィエト政権を樹立するが、
政権は4ヶ月あまりで崩壊し、ソ連に亡命した。1939年にスターリンの粛清に遭い処刑された。
※ハンガリー式に姓・名の順に記したが、ベーラ・クンとも呼ばれる。
「ら」
ラシード村
エジプト、ナイル河口デルタの一支流・ラシード川沿いの農村。
ナポレオンのエジプト遠征時に対英軍事拠点としてこの村に要塞が建設された。
フランス工兵隊が掘削工事中に地中から石碑を発見。
村の名をとって「ラシード碑文」と命名。英語では転訛し「ロゼッタ・ストーン」と呼ばれる。
「ど」か「ら」
ラマト
マヤ・儀式暦の第8日。
金星を象徴する龍と関係があるらしい。
「と」
トルーマン、ハリー・S・
アメリカの第33代大統領(民主党)。1945年1月、大統領選4選を果たしたF.ローズヴェルトの副大統領に
就任したが、同年4月にローズヴェルトが急死し、大統領に昇格した。第二次大戦の早期終結に当たり、
広島・長崎への原爆投下を決定した。戦後はトルーマン・ドクトリンの宣言やマーシャル・プランなど、
対ソ封じ込め政策を推し進めた。1948年の大統領選で大方の予想を覆して当選したが、自身の唱えた
「フェアディール」政策は共和党や民主党保守派の反対で成果が上がらず、1950に勃発した朝鮮戦争の
行き詰まりと人気の低下により、1952年の大統領選は出馬しなかった。
「まん」
>>443はいったい何をわざわざ言いたかったのか、いまだに気になるが、さっぱりわからん。
564 :
441:2005/10/07(金) 23:48:14 0
俺にも判らん。 まあ、マタ〜リ行こうよ
マントヒヒ
猿の一種。
マンサ・ムーサ
14世紀、マリ帝国の皇帝。
ニジェール川上流の金鉱開発で巨富を築き、サヘルにマリ帝国の絶頂期を現出。
メッカ巡礼ではハーレムごと率いてサハラを縦断、道中で散財した膨大な黄金により
ヨーロッパの金相場が一時乱高下したほど。
「さ」
サダルソムテ=キィアゴ
北米 カンザスを中心に、南部大平原を領土とした、カイオワ=アパッチの、カイオワ族による呼び名。
「イタチの人々」の意。 カイオワ=アパッチは、コマンチ族に平原から南西部へ追いやられたアパッチのうち、
カイオワ族と同盟し平原に残ったアパッチ族の小集団。カイオワの中でアパッチの言語・習慣を保持し続けた。
「ご」
五国部
遼代の満州東部に住んでいた南ツングース系の集団の総称。
唐代の黒水靺鞨のうち契丹に服属した一派が靺鞨の名を改めたもの。
満州が契丹から金の版図に替わると、やがて女真の名を名乗り始める。
「ぶ」
ブリガム=ヤング (1801〜1877)
北米 バーモント出身。農家の11人兄弟の9番目。1844年、モルモン教創始者ジョセフ=スミスが、
反モルモン教徒に暴動で殺された後、代表となった。
>>520の「デセレット州」として、ユタを本拠に
北米本土の1/6を要求。周辺のインディアン部族と結託し、遅れて移入してくる幌馬車隊を数々
襲撃し、ユタにモルモンの牙城を築き上げた。一夫多妻制を巡って、生涯、法廷と係争を続けた。
「ぐ」
グル=アルジュン
北インド、シーク教国の第五代グル(教主)。
シーク教の聖典「グラント・サーヒブ」編纂を完成させた。
対外的には軍事組織を強化させてムガール帝国の圧迫に抗戦したが、
ジャハーンギール帝に捕らえられ、拷問の末に死亡。
国政は六代目グルに継承された。
「じゅん」か「n」
順治帝(じゅんちてい)
清の成祖。第3代皇帝。名は福臨(フリン)。在位中の元号・順治をとって順治帝と呼ばれる。
第2代皇帝・太宗ホンタイジの第9子。ホンタイジが急死した後、
>>408を摂政として6歳で即位した。
>>408の死後、10年あまりの親政で中華王朝としての清朝の基礎を固めたが、24歳で急死した。
「い」
イマーム
イスラム世界における指導者の称。
特にシーア派でアリー以後の最高指導者をいう。
む
ムカンナー
本名はハーシム・ブン・ハキーム。「ムカンナー」は「仮面」の意。
8世紀にホラーサーン(現在のイラン東部)を拠点とし、
ムバイイダ(白衣を着る者)と呼ばれる反乱軍を率いて蜂起した宗教指導者。
ソグディアナの城砦にこもり、アッバース朝の討伐軍と10年以上も激戦を繰り広げたが
最期は自ら城に火を放ち、「天に昇りたい者は我に続け」と叫んで自害した。
「な」
ナドワ族
北米 北東部の森林部族、ワイアンドット族(ヒューロン族)、さらにイロコイ6連合部族に対する、
アルゴンキン系語族による呼び名。「ナドウェズ=スー」、つまりスー族の語源でもある。「毒蛇」の意。
ようするに敵部族を罵った総称。どれが本当のナドワ族なのか、白人は訳がわからなかったことだろう。
「わ」
ワルシャワ公国
1807年、ティルジット条約によって設立されたポーランド国家。18世紀末のポーランド分割で
解体された旧ポーランド王国領の一部、主にプロイセン領となっていた地域を削って建てられた。
ロシアへの遠慮からポーランドの国名は避けられ、ザクセン大公フリードリヒ=アウグスト1世が
ナポレオンに推されてワルシャワ公となった。1809年にはオーストリア領となっていた旧王国領も
併合した。1815年、ウィーン会議の結果、公国は再び解体され、大部分はロシア皇帝が国王を
兼ねるポーランド王国(会議王国、立憲王国とも)に再編された。
「く」
クラクシ,ベッティーノ
イタリア元首相。1983年社会党から就任。
政財官界と有力マフィアとの癒着が露呈した2000人一斉検挙「司法による革命」の
筆頭格として1987年に逮捕。
与党・社会党は、主だった幹部の殆どが一斉に失脚するという未曾有の末路を迎えた。
「し」
ノルマンディー公国
911年ロロがセーヌ川流域に建国した。同国のウィリアム(1027頃〜87)は1066年にイギリスを征服した。
クレメンティア
神聖ローマ皇帝・ルドルフ1世の娘。シチリアとの友好のため
幼少の身でありながらシャルル・マルテル(シャルル2世の子)に嫁ぐ。
二人の間に生まれたのが、後にハンガリー王となり、
ハンガリー屈指の名君と呼ばれるカーロイ・ローベルトである。
「あ」
アウステルリッツの戦い(三帝会戦)
1805年12月、現在のチェコでナポレオンがロシア(アレクサンドル1世)・オーストリア(神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世)両軍を撃破した戦い。
この結果、第3回対仏大同盟は崩壊した。
次は「い」
ではない。
>>577の「し」からつながっていない。
次は「し」
シリギ
モンゴル帝国第4代ハーン・モンケの四男。チンギス・ハーンから見ると曾孫に当たる。
モンケの没後は若年を理由にハーン継承者の候補から外され、
フビライとアリクブカの継承争いでも後者についてしまい凋落する。
その後フビライに従うことを良しとせず反乱を起こしハーンを称するが、
他の有力な反フビライ派を味方につける事すら出来ず敗北、流刑に処された。
「ぎ」
シケイロス,ダヴィド=アルファロ
20世紀前半の「メキシコ壁画運動」を率いた画家。
オロスコ、リベラと並び「メキシコ現代絵画の三大巨匠」と称される。
メキシコ革命を公共建築物に大壁画で表現し、メキシコ土着文化の称揚と革命理念の宣布が主題。
メキシコシティの国立芸術センターの壁画も手がけた。
「す」
司馬懿(しば・い)
中国、三国時代の魏の権臣、武将。晋朝創立の基礎を築く。字は仲達。曹操の執拗な召請を受けて
幕下に入り、曹丕(魏の文帝)のもとで要職を歴任した。曹叡(明帝)のもとでは諸葛亮の指揮する
蜀軍の侵入を阻止し、また遼東の公孫淵を滅ぼして遼東、楽浪などを魏の支配下に収めた。明帝の
死後、曹爽と共に曹芳(斉王)を補佐していたが、曹爽一派による司馬氏排斥の動きに対してクーデター
を挙行し、曹爽らを殺して魏の実権を握った。彼の死後、息子の司馬師、司馬昭を経て、孫の司馬炎が
曹奐(元帝)から禅譲を受けて晋の皇帝に即位すると、宣帝と諡(おくりな)された。
「い」
>>583の「ぎ」から
魏晋南北朝時代
漢の滅亡後、隋によって中国が再統一されるまでの約360年のことをいう。
魏・蜀・呉の鼎立した三国時代、一時的に再統一を果たした西晋の時代、
再分裂して華北に諸王朝が分立した五胡十六国あるいは東晋十六国時代、
北魏が華北を統一して以降、北朝と南朝が並立した南北朝時代
にさらに区分される。
「い」
>>578-580の流れ(と
>>585)も踏まえてみた。
イリアス
「オデュッセイア」とともにホメロスの作と伝えられる叙事詩。全24巻、15,693行からなる。
ギリシア神話を題材とし、トロイア戦争10年目のある日に生じたギリシア軍第一の勇者
アキレウスの怒りから、トロイア(イリオス)の英雄ヘクトルの葬儀までを描く。
ギリシアの叙事詩の中でも最古にして最高のものとされる。
「す」
イェルサレム王国
1099〜1291 第1回十字軍が聖地を回復したのち、残留した戦士に封土を与えて建設した封建国家。
12世紀前半一時シリアの大半を支配したが1187年アイユーブ朝の反撃でイェルサレム支配を市を失い、さらに1291年マムルーク朝の攻撃を受けて最後の拠点アッコンが陥落し、滅亡した。
スー=ザ=ダイノソア
北米 今現在、世界最大の肉食恐竜化石。1990年、南ダコタのスー族保留地でこれを掘り出した白人女の
愛称からこの名がついた。 化石で初めて競りにかけられ、1997年にフィールド博物館が、マクドナルドや
ディズニーの援助で、840万ドルの高額値で競り落とした。が、そもそもこれはスー族の土地から出たもので、
貧困に喘ぐ保留地の観光資源として化石の所有権を主張するスー族と、FBI、BIA、学者、仲買人の
ドロドロの法廷闘争に発展。ついには仲買人ラーソンは2年間の投獄、スー族地主の牧場主ウィリアムズへの
760万ドル支払い、氏は以後化石発掘を拒否という、オークションビジネスの警鐘として語られる異常事態と
なった。 ところで、今この化石は日本で巡業展示中である。
「あ」
アルビジョワ派
南仏アルビ地方で広まったカタリ派系の異端。地方貴族に支持された国王と対立、1209〜29年に国王側のアルビジョワ十字軍に討伐されて根絶した。
「は」
ハンブルク
ドイツ北部、エルベ川下流にある都市。人口約200万人。正式名称は「自由ハンザ都市ハンブルク」。
ドイツ第2の都市であり、それ自体が独立した都市州としてドイツ連邦共和国に属する。
ドイツ最大の貿易港であり、商業、金融、また文化の中心地の1つである。9世紀に司教区が置かれ、
中世にはその名を現在にも残すように、ハンザ同盟において指導的地位にあった。
「く」
グラナダ
スペイン南部の都市。ナスル朝の都として、ヨーロッパにおけるイスラムの政治・軍事・文化の最後の拠点となったが、AD1492年に陥落した。
「く」です。
クリミア戦争
1853〜1856年に、黒海北岸のクリミア半島などを戦闘地域として行われた戦争。戦争はまず
ロシアとトルコの間で始まったが、フランスとイギリスがトルコ側に立って参戦し、さらに
サルデーニャがこれに加担した。その戦闘地域はクリミア半島にとどまらず、バルカン半島、
さらにはカムチャツカ半島にまで及び、近代史上稀に見る大規模な戦争となった。
「う」
>>592 最後の文字指定してくれな。
ウィルヘルム・ド・エノー
14〜15世紀のオートルヴァン伯。フランス王家に出仕した。
1390年にイングランド王リチャード2世が催した馬上槍試合トーナメントで
華々しい活躍をし、その褒賞としてガーター騎士団の一員に抜擢される。
しかしそのせいでフランスからイギリスへの鞍替えを疑われ、所領を失いかけた。
「の」
書式がどうこういうのもなんだけど、やっぱり前後の一文字は書いて指定して欲しいな。
間違えそうになるし、次の人に不親切だよ。
ノヴゴロド
ロシア連邦ノヴゴロド州の州都。名前は「新しい都市」の意味であるがロシア最古の都市で、
>>354によると
854年あるいは859年に築かれたといわれる。862年に首長リューリク率いるスウェーデンのノルマン人・
ルス族(ロシアの語源となる)が占領、スラブ人を征服してロシア最初の国家を建設した。12世紀半ば以後
ノヴゴロド公国の中心として繁栄し、モンゴルの侵攻による破壊も免れてロシアの中心都市となったが、
1478年にモスクワ大公イワン3世によって征服され、ノヴゴロド公国は併合された。
「ど」
598 :
朱由檢:2005/10/10(月) 01:22:13 0
ノゾコニウム
390年ファビオラ婦人により貧困階層の救済を目的とし、
ローマに設立された医療施設。
「む」
次は「ど」ですね。
>>578-598の間に
勘違いと仕切り直し2回
かぶり3回(うち1回は3重)
か。いつになくすごいな。こういうのも荒れてるというんだろうか?
荒れてるってのは日本史ネタを書いて平然と「日本史も世界史のうちじゃ」ってのたまうキティちゃんが来たときぐらいの状況をさすと思う。
むしろネタがいっぱい出てるってことなんだからかぶってるぐらいなら好ましいともいえるんじゃない?
ドナウ
ドイツのシュバルツバルトから始まって黒海に流れ込む大河。長さはおよそ2800kmにおよぶ。
河口にはヨーロッパ最大の三角州であるドナウ・デルタが形成されており、鳥たちの産卵場所として世界中から渡り鳥たちがやってくる。
ドナウ・デルタはユネスコの世界自然遺産にも登録されている。
「う」
>>600 その記述だと
>世界史に関わることども
になるんだろうか……
烏孫(うそん)
前漢代から5世紀頃まで天山一帯に栄えたトルコ系民族。
もと匈奴の支配下にあったが月氏を追ってイリ方面へ移住、武帝の代に前漢と同盟して
匈奴の牽制に努めた。
南北朝時代に柔然に追われてパミール方面へ移住、史書からはその後の消息を絶つ。
「そん」か「n」
宋楚瑜(ソン・ツーユイ)
台湾の政治家。外省人の出自。国共内戦により台湾へ移住してきた。
米大学に留学後、国民党に入党、台北省長を経て李登輝総統の片腕とまで呼ばれたが、
総統府の省庁再編・合理化をめぐり李総統と対立、国民党を去り新党「新民党」を結党。
次期総統選の最有力候補に数えられる存在。
「い」
「ドゥームズデイ=ブック」
英国最古の全国土地台帳。
ウィリアム征服王の命により1086年に作成された。
イギリス国内の地目別地積と身分別人口、戸別の犂の数まで正確に統計が取られたもの。
「く」
クルグミウト族
カナダ ハッチソン湾周辺に原住するエスキモー部族。 白人が「マッケンジー=エスキモー」と
呼んで分類している、エスキモー部族のうちひとつ。
「と」
トドエン
12〜3世紀、ケレイトの将。チンギス・ハーンと戦う。
ケレイトの指導者イルカ・サングンの腹心だったらしく、
チンギスが降伏の使者に寄越すよう名指しで指名されている。
ケレイトが敗北するとナイマンに属し、徹底して反チンギスを貫いた。
「えん」「n」
奄蔡(えんさい)
イラン系騎馬民族、アラン人の漢名。音写し阿蘭とも。
古くは前漢の「史記」に登場。現在のウクライナからカスピ海北岸にかけて分布。
4世紀にフン族の西進に遭い民族大移動に巻き込まれる。
現在のカフカスに住むオセチア人が末裔といわれる。
「い」
イスカリオテのユダ
キリストの十二使徒の一人。イエスを裏切ったことで知られる。
イスカリオテの意味には諸説あり、「カリオテの男」、「短剣(シカリ)の男」、「刺客」などの意味とするのが一般的である。
なおイエスの弟子には「ヤコブの子ユダ」という同名の人物もいるため注意が必要である。
「て」or「だ」
テオドラ
東ローマ帝国のユスティニアヌス1世の皇后。若い頃は踊り子であったと伝えられている。
その美しさに一目ぼれしたユスティニアヌスは、叔父のユスティヌス1世に頼んで法律を変えさせて結婚した(元老院議員と踊り子や娼婦の結婚は法律で禁止されていた。)
ニカの乱の際、首都コンスタンティノープルを放棄して逃げようとするユスティニアヌスを、「帝衣は最高の死装束」と励ました。
もしもユスティニアヌスがこの時に逃げ出していたら、彼は大帝と呼ばれることもなかったと思われる。
ユスティニアヌスは国政に関してテオドラに意見を求め、彼女も的確な助言をしたといわれている。
「ら」
ラサ
チベットの中心都市。中華人民共和国チベット自治区の首府。7世紀前半にチベット族の
統一国家吐蕃の王ソンツェン・ガンポが王都とした。吐蕃王朝の滅亡後も宗教的中心の
地位を保ち、ここを本拠地とするチベット仏教の一派ゲルク派が諸宗派に対する優位を
確立することで、再びチベットの政治・経済・文化の中心となり、さらにモンゴル人・満洲人
などを含むチベット仏教文化圏の中心にもなった。
「さ」
ラームカムーヘン
13世紀タイ・スコータイ朝の第3代国王。太祖インタラティットの三男。
中国の元朝へ自ら赴き、国交を結んで後顧の憂いを断つと、
ラオス、ビルマ方面へ勢力を拡張、スコータイ朝の最盛期を演出した。
またクメール文字を元にタイ文字を発明するなど文化面の功績も著しく、
当地では現在でも「大帝」と呼ばれている英雄である。
「へん」「n」
サライ
キプチャク平原周辺にあったモンゴルの遊牧政権ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の首都。
サライはペルシア語で宮殿の意味で、2つ存在した。1つはバトゥがヴォルガ川下流域、今日の
アストラハンに近い所に建てたもので、もう一つはベルケがより北方のアフトバ河畔に建てたもの。
前者を旧サライ、後者を新サライと呼んで区別する。
「い」
イシュトバーン5世
13世紀のハンガリー国王。「ハンガリー第二の建国者」ベーラ4世の子。
父王の存命時は国内の貴族らと結んで反乱を企て、
父王が没し即位してからはその貴族の台頭と他国への離反に悩まされる。
最後には王妃に内通した貴族の一人ケーセギヘンリクに
皇太子ラースローを誘拐されるという事件が起こり、その追跡中に急死した。
「n」「い」
イシュテピテ
北米 モンタナのシクシカ族(ブラック=フット族)
>>441の、近隣のアプサロケ族(クロウ族)に
よる呼び名。イシュテピテもアプサロケも「カラス」の意。
「て」
帝乙(ていいつ)
殷の第30代王。酒池肉林で有名な紂王の父。
名は乙(きのと)の日生まれに由来。
史上初めて人名に「帝」の名を冠した人物。
帝星=天命を受けた存在と示す意味で称したもの。
「つ」
ツルゲーネフ
19世紀ロシアの小説家。政治・社会的問題を取り上げたこともあって、その作品は
ほとんど1作ごとに論争を巻き起こし、話題をまいた。短編集「猟人日記」で農奴制を
批判した際には投獄もされている。主な作品に「ルージン」「貴族の巣」「その前夜」
「処女地」「父と子」「アーシャ」「初恋」など。
「ふ」
フーバー,ジョン=エドガー
FBI(連邦捜査局)初代長官。
禁酒法時代から公民権運動まで米国歴代政権下で捜査を通じ国家機密を保持、
盗聴や信書開披・無線傍受で得た「機密ファイル」を盾に49年近く長官職に在任。
彼を罷免できた大統領はついに現れず。
「ばー」か「ば」
バーンク・バーン
13世紀ハンガリーの大貴族。ハンガリー国王エンドレ2世に仕える。
エンドレは親征が多く、その留守を守っていたのが王妃ゲイトルートであったが
ゲイトルートは西欧人を重用し国内の貴族を遠ざける傾向にあった。
これに不平をもった貴族らは最大の勢力を持つバーンク・バーンのもとに結束、
1213年にはついに私兵をもって蜂起し、ゲイトルートを捕縛、処刑してしまう。
そのときもエンドレは遠征中だったが、王妃殺害の報を受けて帰国してからも
ますます声望の高まったバーンク・バーンを処罰することができなかったという。
「あん」「n」
アンドリュー=ミリック
北米 19世紀ミネソタ南西の白人商人。保留地に押し込められ、飢えに苦しむダコタ=スー族相手に
あこぎな掛売りをし、スー族の恨みを買っていた。1862年に、彼が来店した部族民に向かって放った、
「やつらが飢えてるんなら、草を食わせとけばいいんだ」という暴言は、この夏に爆発した、スー族による
「ミネソタ大暴動」の発端となった。
>>259 怒り狂ったスー族によって、真っ先にあの世へ送られた。
暴動の数日後に見つかったミリックの死体の口の中には、草がぎゅうぎゅうに押し込まれていた。
「く」
>>616のイシュテピテは、クロウ語で「黒足」のことです。 訂正ごめんちょ
クノロゾフ,ユーリ
旧ソ連の言語学・考古学者。
当時のソ連における古代の未解読文字研究の第一人者。
1960年代にマヤ文字の解読を大きく前進させたのち、フィンランドの解読班との協同で
インダス文字の解読に着手。コンピュータを用いた膨大なパターン分析の結果、
出自不詳とされていたインダス文明の担い手をドラヴィダ語族系集団とする説を発表、今日に至るまで有力説として支持を受け続ける。
「ふ」
フニャディ・ヤーノシュ
15世紀ハンガリーの貴族。対オスマン戦争の英雄。
対オスマンの総司令官を数多く務め、トランシルバニアやバルカンの占領地を奪回、
また1444年に国王が戦死すると摂政となり国内の混乱を収拾、
ハプスブルグ家から新王を迎えて国防政策に尽力する内政手腕も見せた。
その後も文武の両面からハンガリーをオスマンに対抗せしめたが、
1456年にベオグラードで10万のトルコ軍を破った直後、疫病で没した。
「しゅ」
周公旦(しゅうこうたん)
姓は姫(キ),名は旦。周の地を采邑としたので周公と呼ばれた。周の文王の子,武王の弟で,周王朝の礎を築いた立役者。
武王を助けて殷の紂王を討ち,殷滅亡後,魯の地に封ぜられたが,封地には長子の伯禽(ハクキン)を赴かせ,自らは都にとどまって周王室を補佐した。武王の死後成王が立ったが,周公は成王がまだ幼く天下を治めることができないとみて,成王にかわって摂政となった。
反乱の鎮定,新首都洛邑の建設をはじめ,諸種の改革を行い,周王朝の基礎を固め,成王の成人後,国権をかえした。その政務に対する打ち込みぶりは,「一沐に三たび髪を捉り,一飯に三たび哺を吐く」ほどであったという。
「甚だしいかな,わが衰えたるや。久しいかな,われまた夢に周公を見ず」(『論語』)と,孔子が常に理想像として仰いだのをはじめ,儒家たちから聖人と仰がれた。儒家が模範とする「周礼」は,かれの手によって成ったとされている。
「たん」
タングート
ミャオ族・羌族の流れを汲むチベット系民族。
同じチベット系の吐藩などとは異なる民族だが、
中世の中国・モンゴルの史料ではまとめてタングートと呼ばれている。
王族の姓としてははじめ伝説的な部族にあやかって「拓跋」を名乗っていたが、
黄巣の乱の際に唐を援助した功績により正式に「李」を賜っている。
中国の王朝と友好を保ちつつウイグルなどを攻めて勢力を拡大、西夏を建てたが、
1227年にチンギス・ハーンによって滅ぼされ民族ごとモンゴル帝国に組み込まれた。
「と」
トハチェフスキー、ミハイル(1893〜1937)
ソヴィエト陸軍元帥。「赤いナポレオン」と呼ばれた。機械化軍団を編成、また空軍力、
空挺部隊の増強に尽力していたが、スターリンによって他の赤軍幹部とともに
粛清された。その結果、赤軍は弱体化し、ナチス・ドイツの侵攻を許すことになった。
この粛清はスターリンの猜疑心を利用したナチスの謀略であったといわれる。
「き」
紀貫之(きのつらゆき)
紀貫之(きのつらゆき、貞観 (日本)|貞観8年(866年)、または貞観14年(872年)
頃? - 天慶9年(945年))は、平安時代前期の歌人・随筆家。三十六歌仙の1人。
紀友則は従兄弟にあたる。905年、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集『古今和
歌集』を紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒と共に編纂した。古今和歌集の序文には
漢文による「真名序」と平仮名による「仮名序」の二つがあるが、仮名序を書いた
のも紀貫之である。また、『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。随筆家と
しては『土佐日記』の著者として有名である。男は漢文を書くのが常識とされてい
た時代に、女の作者を装って土佐から京都までの紀行を平仮名で綴った。そのた
め本文中の語り手も女性である。日本文学史上、おそらく初めての平仮名による
優れた散文であり、その後の日記文学や随筆、女流文学の発達に大きな影響を
与えた。
しまった!また「き」だ(;゚Д゚)
また「き」だったから言い直し
キケロ
紀元前106年1月3日 - 紀元前43年12月7日)は、古代ローマの政治家、文筆家、哲学者。
弁論家ポセイドニオスに師事。財務官や法務官を経験した後、前63年に執政官に就任。
カティリーナ弾劾の際有名になる。カエサルとポンペイウスの内乱ではポンペイウス側に身を投じる。
カエサル暗殺後はアウグストゥスを支持し、マルクス・アントニウスに抵抗したが第二次三頭政治の成立により失脚。
アントニウスと対立し惨殺される。
「ろ」
ローマ法大全
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の勅命により編纂された法典。正式には「市民法大全」
といい、「ローマ法大全」の名称は後世の歴史家ゴトフレドゥスがつけたもの。
古代ローマ時代からの自然法および人定法(執政官法、法務官法、帝政になってからの勅令)を
法務長官トリボニアヌスを筆頭とする10名に編纂させたもので、以後東ローマ帝国の基本法典
として用いられた。後にはヨーロッパ各国の法典(特に民法典)の規範となった。
「ぜん」
>>627 「世界史」のしりとりなんだけど。なかったことにしておこう。
琅邪(ろうや)
現在の山東省諸城県、黄海岸にあった港町。
戦国時代の五大港として海運で栄えた。
徐福の徐家、孔明の諸葛家の発祥の地でもある。
「や」
>>630から・・・
前蜀(ぜんしょく)
五代十国のうちの一国。四川省を本拠地とした。
唐末に蜀王封じられた王建が建国。
四川盆地の天然の要害と豊富な産物に支えられ、文化を擁護した反面、外防が手薄になり
18年2代で滅亡。
「く」
クラン
チンギス・ハーンの第二皇后。メルキト部の出身。
嫁ぐ際、到着が予定より遅れチンギスに姦通を疑われるが、身をもって純潔を証明。
その気丈さから以降はチンギスの寵愛を一身に受け、
遠征の供にも第一皇后のボルテではなく彼女が選ばれたほどであった。
彼女の産んだ皇子クルゲンも王の位を賜り、庶子とは思えないほど優遇されたが、
1237年、ヨーロッパ遠征の際にロシアで戦死、後を追うようにクランも同年病没した。
「らん」「n」
ランギ
南方 マオリ、ポリネシアの神。天空の神であり、ランギヌイとしても知られる。
>>416 大地母神パパと恋に落ち、両者があまりにもきつく抱き合ったため、世界は身動きが取れなかった。
やがて生まれた子供たちが、二人を何年もかかって必死に引き離し、やがて世界は光を取り戻した。
二人は引き離されてひっくり返り、ランギの涙は海となった。パパのため息は霧と雲になった。
「ぎ」
魏延(ぎ・えん)
中国・三国時代の蜀の武将。劉備の荊州時代に配下に加わった。有能な武将であり、
劉備には重用され、諸葛亮もしばしば意見が対立したにもかかわらず信頼を置いていた。
しかし驕慢で才に溺れる傾向があり、他の武将との人間関係に問題があった。
諸葛亮の死後、かねてから反目していた楊儀との対立が激化して内紛となったが、
配下の他に味方する者がおらず、謀反人として処刑された。
「えん」
延安派
北朝鮮政権初期の親中派勢力の称。
朝鮮戦争までは親韓派・親ソ派とともに政権内で発言力を有していたが、
1957年までに金日成によりほとんど粛清された。
これ以降、金一族の独裁体制が完成を見ることに。
「は」
ハドリアヌス
ローマ皇帝。五賢帝の一人。
先代トライアヌスの拡張政策とは異なり、安定政策をとった。
広大な領土を巡察して回り、ハドリアヌスの長城などを建設している。
アンティノウスという美少年を溺愛し、彼が事故で死んだ際には彼を偲んでアンティノーポリスと名付けた街をあちこちに建設したとか。
「す」
ステューラ
ステューラ・ソールザルソン。13世紀アイスランドの詩人。
当代一の学者スノリ・スツルルソンの甥にあたる。
代表作は「アイスランド人のサガ」で、詳細に当時の様子を描いているほか
叔父スノリの最期など身近な挿話も含まれているため、史料的価値が高い。
「ら」
ラッキアムテ族
北米 オレゴンのカラポーヤ族の分枝部族。ラッキアムテ川周辺に原住した。 ラクミウト族。
6つの支族で構成された。上層のカラポーヤ族と共に衰退し、現在は絶滅状態。
「て」
天皇(てんこう)
三皇五帝と呼ばれる中国の伝説上の帝王のうち最初の1人。
また、道教では天帝の別称の1つでもある。
これらと関連してか、唐の高宗は自らの称号を皇帝から天皇に改めているが、
武后の意志によるものであろう(武后はこのとき天后と称した)。
「う」
雨師(うし)
中国神話の雨の神。
黄帝と戦った蚩尤が、風伯(風の神)と共に従えていた神。
暴風雨で黄帝軍を苦しめたが、黄帝の娘・魃(ばつ)の力で雨雲を跳ね返され、
蚩尤軍は敗走する。
「し」
蚩尤(しゆう)
中国神話の登場人物。黄帝と戦った。炎帝神農氏の子孫とされている。獣身で
銅の頭に鉄の額を持ち、砂や小石を食していたとも、四目六臂で人の身体に
牛の蹄を持っていたともいう。武器を発明して81人の兄弟とともに暴虐の限りを
尽くし、黄帝も苦戦を強いられたが、最後には黄帝に捕らえられ、処刑された。
古代には軍神として祀られたが、次第に邪神として貶められ、祭祀はすたれていった。
「う」
ウムタタ
南アフリカ共和国にあった旧バンツースタン(ホームランド)のひとつ、
トランスカイ共和国の首都。
コサ族・テンボ族が主要な住人。郊外のクヌ村はネルソン・マンデラ前大統領の生地。
「た」
タリン
エストニアの首都。旧称レヴァル。名前は「デーン人の都市」の意味で、13世紀に
デンマーク人によって建設された。
>>147や他のバルト海東岸の諸都市と同様に
20世紀に至るまでドイツ人(バルト・ドイツ人)が政治的にも文化的にも有力な
地位を占めていた。
「n」「りん」
ンダトンサテンジ
北米 ミシガン原住のポタワトミ族の、ワイアンドット族(ヒューロン族)による呼び名。
ウンダトマテンジ。 ポタワトミは、「火の場所の人たち」の意。
「じ」
ジョーン
ケント伯エドモント・ウッドストックの娘。「ケントの美女」の異名をとる。
彼女がエドワード3世の催した舞踏会に出席した際、ガーター(靴下留め)を落とし、
それをエドワードが紳士的な機転で救ったエピソードが
ガーター騎士団やガーター勲章、ブルーリボンの由来となっている。
夫との二度の別離を経てエドワード黒太子と結婚、リチャード2世を生んだ。
「n」
ニューファンドランド=ラブラドール
カナダ東部の州。2001年に正式に改称する以前の名称はニューファンドランド州。ニューファンドランド島と
カナダ本土のラブラドール半島東部からなる。州都はセントジョンズ。1497年、ジョン・カボットによって
発見され、文字通り「新しく発見された土地」と名づけられた。1583年にイギリス最初の海外植民地となり、
1855年に英連邦の自治領となったが、1933年に経済の悪化のため自治を廃止して再び植民地となった。
第二次大戦後、住民投票を経て1949年にカナダ連邦に加盟した。
「る」
>>630 確信犯かと。
日本関連の人物・文物でも世界史に絡められたらよいのですし。
(コメント次第ですね)
ルブアルハリ砂漠
アラビア半島南部の大砂漠。
アラビア語で「荒涼たる地域」の意。
「り」
リルマルチェ
カナダ 西海岸に原住するサリシ語系部族、コウィチャン族の支族のひとつ。テチィス島を領土とする。
「ちぇ」
崔圭夏(チェ・ギュハ)
韓国元大統領。在任1979-1980
朴正煕大統領の暗殺を受けて臨時代行を経て大統領就任。
全斗煥の粛軍クーデターを頑として斥けるも鎮圧できず、任期途中で自主退任。
華々しい功績に乏しい一方で、寝たきりの妻の介護に献身する逸話も。
「は」
ハンニバル(・バルカ) (BC247〜BC183)
名将として名高いカルタゴの将軍。第二次ポエニ戦争で、当時カルタゴの植民地だったイベリア半島
南部からアルプスを越えてイタリア半島へ侵入、各地でローマ軍を撃破した。しかしローマの将軍
大スキピオの逆侵攻を受けたカルタゴ本国に召還され、ザマの戦いでに敗れた。戦後、カルタゴの
経済復興に努めていたが、政敵の訴えにより起きたローマの追及を逃れて、黒海沿岸のビテュニア王国
へと亡命し、最後には服毒自殺を遂げた。
「る」
653 :
652:2005/10/16(日) 03:00:02 0
「る」or「か」 としよう。
654 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 03:44:01 0
カルタゴ
現在のチュニジアの首都チュニスの近くにあった古代の国家。フェニキア人の国である。
長きに渡って西地中海の覇者であり、名将とされたエピロス王ピュロスを撃退している。
しかし三度に亘ったローマとのポエニ戦争戦争に敗れ、滅亡した。
第二次ポエニ戦争では
>>652がローマに侵攻し、およそ20年もの間これを苦しめた。
ローマの政治家大カトーは、どんな演説の後にも、「とはいえ私は、カルタゴは滅ぼさるるべきと考える」という文言を付け加え、カルタゴの脅威を訴えたという逸話も残っている。
第三次ポエニ戦争で陥落したカルタゴは完全に破壊され、跡地には塩がまかれたという。
「ご」
もっと推敲すればよかった。誤字だらけだし日本語がおかしい。
五代十国(ごだいじっこく)
唐の滅亡から宋による中国の再統一までの間に興亡した王朝・地方政権の総称
およびその時代をいう。五代とは華北に興亡した後梁・後唐・後晋・後漢・後周
の5つの王朝をいい、十国とは華中・華南と華北の一部を前後して支配した
前蜀・後蜀・呉・南唐・荊南・閩・楚・南漢・北漢の10の地方政権をいう。
「く」
十国の呉越が抜けている。
クリントン、ジョージ(1739〜1812)
アメリカの軍人、政治家。初代・第3代ニューヨーク州知事(1777〜95、1801〜04)、
州会議のメンバー(1800〜1801)を務めた後、第3代大統領ジェファーソン、
第4代大統領マディスンの下で副大統領を務め(1805〜1812)、在職中に死去した。
甥のデイヴィッド・クリントンもニューヨーク州知事(第7代・第9代)を務めた。
「とん」「n」
トンザウマカグア族
北米 テキサス南部に原住したケオユルテカン族(コワヒュルテカン族)の支族のひとつ。といって、
「ケオユルテカン族」は、17世紀に進入してきたスペイン人が、大雑把にカランカワ族やトンカワ族等を
含め、いろんな部族をまとめて総称したものなので、これがどの程度ケオユルテカンと関わったものかは
わからない。ケオユルテカン自体は白人のインディアン狩りにあって、19世紀末には絶滅している。
「あ」
アチェ
インドネシアのスマトラ島北端に位置する特別州。ナングロ・アチェ・ダルサラーム州が
2002以降の正式名称である。東南アジアで最も早くイスラームを受容した地域であり、
イスラーム信仰がとりわけ強い。外部からの支配に対しては根強い抵抗があり、オランダは
30年以上に及ぶ戦い(アチェ戦争)の末にようやく支配下に置いた。現在のインドネシア政府に
対しても、自治の承認にとどまらず分離独立を要求して、内戦状態にある。スマトラ島沖地震
(2004年)では州都バンダ・アチェを含む西海岸一帯が大津波により大きな被害を受けた。
「ちぇ」
崔承喜(チェ・スンヒ)
“世紀の舞姫”と謳われた朝鮮人舞踊家。1911年、日本の併合直後の京城(現在のソウル)に生まれる。
幼くして単身日本に渡り、日本人舞踊家・石井漠に師事、石井の舞踊団で頭角を現す。その後朝鮮に戻り、
伝統的な民族舞踊の要素を取り入れた現代舞踊を生み出した。「崔承喜」(さい・しょうき)と朝鮮名を堂々と
名乗り、舞台の演目も朝鮮風のものを前面に押し出していたが、それに対して多くの日本人が魅了された。
また日本や朝鮮だけでなく中国や欧米でも公演し、成功を収めた。戦後、夫と娘とともに北朝鮮へ渡って
舞踊家としての活動を続けたが、1969年に死亡した。
「ひ」
ヒッパロスの風
インド洋に吹く季節風の名。
後1世紀のローマの地理書「エリュトラー航海記」に初出し、舵手ヒッパロスが発見したことにちなむと
されるが、実在は不詳。
季節ごとに規則正しく風向きが替わる安定した季節風を利用して海上交易の発達を促した。
アラビア語で「季節」を意味するマウシムは英語「モンスーン」の語源に。
「ぜ」
ゼテス
ギリシアの神。 風の神ボレアスとオレイテュイアの子であり、カライスという双子の兄弟と合わせてボレアドスと
呼ばれる、有翼の風神である。英雄イアソンのアルゴ探検隊に加わり、妖怪ハルピアを倒してクレオパトラの夫
ピネウスを救った。 が、豪力ヘラクレスに逆らって、二人ともヘラクレスに殺された。
「す」
スッピルリウマ1世
ヒッタイト帝国、前14世紀、中興の皇帝。
滅亡寸前まで衰えていたヒッタイトを一代で再興、さらに領土拡大をも達成。
仇敵エジプトの同盟国・ミタンニ王国を撃破、東方へ版図を拡げた。
「ま」か「い」
マルグレーテ
14世紀末〜15世紀初頭、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンを支配した女王。
デンマーク王ヴァルデマール4世の娘でノルウェー王ホーコン6世に嫁ぐが、
父と夫がほぼ同時期に没し、さらに息子も夭折したため自ら二国の国王となった。
さらに当時ドイツ人が王位についていたスウェーデンにも介入し、この王位も獲得する。
この三国の王位を自分の妹の孫にあたるエーリク7世に継がせ、
三国の統合をはかるカルマル連合を結成、ヨーロッパ最大の王国を作った。
その美貌と賢才、功績を讃え、「北方のセミラミス」と称されている。
「て」
天朝田畝制度(てんちょうでんぽせいど)
太平天国が制定した土地・社会経済制度。
16歳以上の男女に田を均等に給し私有は認めない、等を定めた。
「ど」
ドゥシャンベ
タジキスタンの首都。
タジク語で「月曜日」の意…日本語訳すれば月曜市場市になるかしら。
「べ」
668 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 23:57:33 0
ベリーダンス
ベリーダンス はアラブ・中東諸国を発祥の地とする民族舞踊をベースとし、アメリカやヨーロッパでショーダンスとして発達してきました。
ベリーダンスは美しくエキゾチックで創造性に富み女性ひとりひとりが本来もっている豊かな個性が輝く踊りです。
「す」
スタインベック、ジョン(1902〜1968)
アメリカの小説家。カリフォルニア州に生まれ、スタンフォード大学卒業後、多くの職を転々としながら
作家修業をした。1929年「黄金の杯」で作家デビューし、「廿日鼠と人間」(1937)を発表した頃から
社会派の作家として注目を集めた。彼の最高傑作とされる「怒りの葡萄」(1939)でピューリツァー賞、
全米図書賞を受賞し、翌年には映画化もされた。「赤い仔馬」(1937)、「エデンの東」(1950)もまた映画化
され大ヒットした。1962年にノーベル文学賞を受賞し、1968年にニューヨークで心臓発作のため死去した。
「く」
クースペル族
北米 モンタナのクーテネイ族の、西隣のネ=ペルセ族による呼び名。「水の人々」の意。
クーテネイは、ブラックフット族(シクシカ族)の言葉で「痩せた人たち」のこと。
「る」
クレマンソー、ジョルジュ(1841〜1929)
フランスの政治家。第二帝政末期にパリのモンマルトル区長として政界入りし、1871年に下院議員
に当選。初め急進党左派に属し、しばしば倒閣に成功して、“虎”と呼ばれた。上院議員、内相を経て、
1906年に首相に就任。それ以後急速に右傾化した。その後一時下野したが、第一次世界大戦中の
1917年、大統領ポアンカレに請われて再び首相に就任し、強力な戦争政策を推進して、大戦の勝利
に貢献した。ヴェルサイユ会議では厳しい対独制裁を主張。1919年、大統領選に敗れて引退。
「そ」
ソルボン
ロベール・ド・ソルボン。13世紀フランスの神学者。
ルイ9世の贖罪司祭をつとめるかたわらパリ大学で教鞭をとる。
ルイ9世や教皇、フランチェスコ・ドミニコ両会の協力を得て
学校、学寮、その他教育施設を創立、貧しい学生も学業に励める環境を整えた。
これがソルボンヌ大学であり、現在もパリ第四大学の通称としてその名を残す。
「ぼん」「n」
「る」からじゃね?
>>671「る」から
ルソー、テオドール
19世紀フランスの画家。フォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾン村に住み着いた
画家の一派“バルビゾン派”の代表的存在。
「そ」
蘇武(そ・ぶ)
前漢の中郎将。
使節団として匈奴に赴くが政争に巻き込まれ囚われる。
単于の目に止まり、匈奴の臣に抱えようと懐柔・監禁を試みるも屈さず。
単于が交代した十九年後に故国へ帰国を遂げた。
後世まで忠臣の逸話の定番となる。
「ぶ」
ブルゲンラント
オーストリア共和国の東端の州。オーストリア ― ハンガリー国境のオーストリア側は
大部分がこの州である。第一次大戦後にハンガリーがオーストリアから完全独立するまでは
ハンガリーに属していたが、ドイツ系(あるいはドイツ化した)住民が多かったこともあって
オーストリアに編入された。ハイドンが仕えたハンガリー貴族エステルハージ侯の居城
があったアイゼンシュタットは現在の州都である。その郊外には
>>391の生地もある。
「と」
トシエク=ルーネ
カナダの狩猟民族エスキモーの、イロコイ連邦セネカ族による呼び名。「あざらしの人々」の意。
「ね」
ネルチンスク条約
ロシア帝国と清の間に結ばれた条約。清とヨーロッパの国との間に初めて結ばれた対等な条約である。
内容は国境を黒竜江・スタノヴォイ山脈のラインに定める、というもの。
康熙帝は大軍を率いて満州まで出向き、国境線の決定に際して大幅な譲歩をロシアから引き出した。
とはいうものの清との交易によってロシアは大いに潤ったため双方に利益のある条約であった。
どっちにしても「く」
680 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 19:54:18 0
百済 くだら
古代の朝鮮半島南西部にあった国家
「ら」
ライプツィヒ
ドイツ、ザクセン州の都市。人口は州都ドレスデンをしのぎ、旧東ドイツ地域で第2の都市。
「菩提樹が育つ場所」という意味のスラヴ語が地名の起源。
古くから商業、出版によって発展し、近代以降は旧東ドイツの工業地域の中核となった。
「ひ」
>>680 ageるなって言ってるだろ! それと次の一文字も書けよ。
とりあえずsageような
>>680 あと次の字も指定しないとだめみたいだよ。
…テンプレをきちんと作らないと駄目か。
ライト,フランク・ロイド
二十世紀を代表するアメリカの建築家。
代表作にはグッゲンハイム美術館、落水荘、旧帝国ホテルなどがある。
空間の構成が巧みで幾何学的なデザインが特徴とされる。
「と」
陶片追放(とうへんついほう)
古代ギリシアのアテナイで行われた市民投票の制度。危険人物の名を陶片に記入して
秘密投票し、6000票を超えた者は10年間の国外追放とされた。本来の目的は僭主の出現
を防ぐことにあったが、しばしば政争のために悪用され、有能な政治家が追放される
ことになり、アテナイの衰退の一因となった。
「う」
ウチ=ヒアタ
北米 大平原部族 ポーニー族の神。 コーン、そして作物全般の収穫を援助する女神である。
「た」
なんだかネイティブ・アメリカン関係の用語が
多いな
詳しい職人が一人住んでるんじゃねぇ?ちょっとマニアックでわかんないけど趣旨からは外れてないし。
それよりも
>>681から
ヒュミドール
葉巻を保管するための保温・保湿装置。葉巻は大変デリケートなのでこれで保管しないと味が大幅に落ちてしまう。
カストロ、チェ・ゲバラ、チャーチル、J・F・ケネディ、フロイトなどの有名な人物が葉巻の愛好家として知られている。
J・F・ケネディが生前使っていたヒュミドールはクリスティーズで6000万円がついた。
「る」
同じ人だと思うよ。何にでも詳しい人はいるもんだ。
>>681の「ひ」から
ヒッティーンの戦い
1187年、サラディン率いるイスラム軍と十字軍が激突した戦争。
サラディンはイェルサレムに篭る十字軍を陽動作戦でティベリアスまで誘き出し、
「ヒッティーンの角」と呼ばれる河畔の丘陵地帯で野戦に及ぶ。
イスラム軍は地の利と勢いを得て十字軍を撃滅、イェルサレム奪回に成功した。
「n」「い」
>>687から
ル・コルビュジェ
20世紀スイスの建築家。ベーレンス、ペレに学ぶ。
近代美術の理論家オザンファンとともにピューリズム(純粋主義)を創始、
建築や美術の総合誌「L’Esprit Nouveau」を発行して注目された。
前衛的・革新的な建築を好み、「家は住むための機械」という言葉が有名。
ロンシャンのノートルダム教会も彼の設計によるものである。
「じぇ」
ジェファーソン、トマス(1743〜1826)
アメリカの第3代大統領。1776年に独立宣言を起草した。初代大統領ワシントン
の下で初代国務長官を、第2代大統領アダムズ(父)の下で副大統領を務めた後、
大統領に就任した。歴代大統領の中で最も優れた人物の1人と考えられている。
「そん」「n」
今読んでて思ったこと
>>563 >>443は「まん」で指定してきているんだからインカの「あの人」で続けて欲しいって言いたかったんだと思う。
ん?なんでわかるかって?そりゃおr)ry
ジェームス2世
チャールズ1世の子。ステュアート朝の王。
彼はカトリックであったため、プロテスタンと中心の議会と対立し名誉革命で廃立された。
結果娘メアリーとその夫オラニエ公ウィレムが即位して共同統治者となり、ジェームズ2世はフランスに亡命した。
「す」or「い」
ソンムの戦い
1916年、フランス北部のソンム川付近で展開された、第一次世界大戦における
最大の激戦の1つ。7月から11月までの間に、イギリス軍40万、フランス軍20〜30万、
ドイツ軍40〜50万という膨大な損失を出しながら、いずれの側も決定的な戦果を
得られなかった。
「い」
>>691 そんなにやりたければ
>>443が自分でやればいい。「まん」なんて何度でも出てくる。
それとも、やりたかったのに
>>442に邪魔されたというやつあたりか?
イェーダーマン
オーストリアの劇作家フーゴー・ホフマンスタールの戯曲。1911年に書かれた。
16世紀イギリスの道徳劇「エブリマン」に基づいている。ホフマンスタール自身も
設立に参加したザルツブルク音楽祭で、1920年にマックス・ラインハルトの演出
によって上演されて以来、ほぼ毎年上演されている。
「まん」「n」
マンコ・カパック
インカ帝国の伝説上の初代皇帝。
妹を妻とし、幾多の民族を従えた。
インカの建国の神話は複数の人物の功績を繋ぎ合わせたものを基に創られたため、あちこちに矛盾がある。
そのため、庶民はこれを語ることを固く禁じられていた。
その後インカ帝国は首都クスコを中心として100万平方kmにもおよぶ大帝国となる。
「こ」
>>693 別にやつあたりというほどのもんでもない。
そんなに気にするほどのものじゃないのであしからず。
いったいこのしりとりってどのくらいの人数でやってんだろね?
コバ
幼い頃のスターリンの愛称。彼は4人兄弟だったが、ほかの3人が相次いで死んだためにジュガシヴィリ家のただ一人の息子となった。
母は大変にヨシフ少年を可愛がったが、父は厳格な人物であったという。
その後神学校に入学したヨシフ少年はマルクス主義と出会い、そして…。
「ば」
バルバロイ
古代ギリシャの人々が異国の人々を侮蔑をこめて呼ぶときに用いた言葉。
ギリシャの人々は異民族は野蛮で奴隷並の知性しかないと考えていた。
ペルシャ戦争を過ぎた頃から使われ始めたようである。
言うまでもないが、英語のBarbarianの語源である。
「い」
イベリア文字
イベリア半島で前1世紀頃まで用いられた音素文字。
非印欧語族系の古代イベリア語の表記に用いられた独自の文字体系。
音価は概ね特定できたが、肝心のイベリア語が未解読のため碑文や墓誌の内容は未解明。
ローマ帝国の属領になると、言語も文字もラテン語・ラテン文字にとって替わられた。
「じ」
ジョン=ヘリントン(1958〜 )
北米 オクラホマ生まれ。見た目は白人だが、母方の曾祖母をチカソー族に持つ、れっきとした
チカソー・インディアンである。2002年11月23日、スペースシャトル「エンデバー」に乗り組み、
スピリチュアルな意味以外で初めて、宇宙を訪れたインディアン部族民。
「とん」
トンブリー朝
18世紀・タイの王朝。
アユタヤ朝の滅亡後、バンコクのトンブリー地区を都としてタクシン王が即位。
が、旧アユタヤの貴族勢力の反発が続き、クーデターにより王が暗殺されて一代十五年で滅亡。
「りー」か「り」か「う」
リー・クアンユー (Lee Kuan Yew、李光耀)
シンガポールの元首相、現顧問相。1923年生まれの華人系移民4世。1959年、
シンガポール自治政府が成立した際に首相に就任。以後1963年のマレーシア連邦
加盟、1965年の完全独立の際の後も引き続き首相を務め、権威主義的政治体制を
維持した。1990年に首相の地位をゴー・チョクトンに譲ったが、自身は上級相に就任。
2004年からは息子リー・シェンロン首相の政権で顧問相の地位にある。
「ゆ」
酉陽雑俎(ゆうようざっそ)
唐代の秘書郎官吏・段成式が編纂した怪異記事集。
小説・博物誌・事件録の様々な性格を持つ大著。
中国各地で起きた奇現象・怪事件の類が豊富に収録されており、中国の歴代著書の中でも随一の幅広さを誇る。
愛読者には魯迅、南方熊楠など著名人も多い。
「そ」
ソルブ人
旧東ドイツ地域南西部、現在のブランデンブルク州、ザクセン州のポーランド、チェコとの
国境近くに住むスラヴ系の民族。ヴェンド人ともいう。人口は5〜7万人とされ、
西スラヴ系のソルヴ語を固有の言語とする。中世以来、周辺地域にドイツ人が移住し、
スラヴ系先住民のドイツ化が進む中でも、固有の言語や文化を守り続けてきた。
東ドイツ時代からは国家の支援を受けるようになった。
「ぶ」「じん」
×南西部→南東部
ブルク・チャブタン
マヤの戦争と人身供儀の神。
儀式暦の第7日・マニクの守護神。
「たん」か「n」
タンヌ・トゥバ人民共和国
清から独立した南シベリアの国。国民はテュルク系トゥバ人が主体。
現在のロシア連邦・トゥバ共和国に相当。辛亥革命後にロシアの干渉により
モンゴルから分離独立したが、実際はソ連の衛星国状態。
1921年から23年間独立を維持したが、スターリン政権下でソ連邦内の自治共和国として併合。
「ば」
バルセロナ
スペイン第二の都市。紀元前6世紀頃ギリシャ系フォセオ人に築かれたとされ、
後のカルタゴ、ローマの植民地時代を経て、地中海貿易の拠点として発展した。
カタルーニャ自治州が置かれる州都でもあり地方色が強く、独自の歴史、文化、習慣、言語をもっている
「ナ」
ナーランダ
インド最大の仏教大学遺跡。
5世紀にグプタ朝が創建、12世紀にイスラム系のゴール朝に破壊されるまで
海外からの留学生も多数受け入れ、最盛時は1万人の学僧が寄宿していた。
三蔵法師こと玄奘もここに立ち寄った。
「だ」
ダマンスキー島事件
1969年に起こったソ連と中国の武力衝突事件。珍宝島事件ともいう。ソ連と中国の国境をなす
ウスリー河(黒竜江)にある小島の1つ、ダマンスキー島(珍宝島)の領有権を巡る両国の対立が
昂じて、武力衝突にまで発展した。両国の東部国境は他にも多くの小島(ほとんどをソ連が
実効支配していた)の帰属が問題となっていたが、ソ連崩壊後にロシアと中国との間で交渉が進み、
1991年にダマンスキー島を中国領とするなどの合意が成立して、1997年に国境が画定した。
「けん」
拳匪(けんぴ)
白蓮教系宗教結社「義和団」の構成員の通称。
義和拳と総称される武術を習得したことから名がついた。
西洋人の害悪の根源を科学技術と見なし、武術と呪術を以て打破することを目的とした。
武術史上に逸話を残した武術家も多く出したが、近代兵器の前に鎮圧された。
「ぴ」
ピナル
北米 南西部 アパッチ族の支族、サンカルロス=アパッチを構成するバンドのうちひとつ。
ニューメキシコのヒラ川周辺を原住地とする。 ピナル=アパッチ。
「る」
ルービック(・エルネー)(1944〜) ※ハンガリー式に姓を先に記した。
ハンガリーの建築家、発明家、彫刻家。
1975年に立方体パズル「ルービック・キューブ」を考案、世界中で爆発的に流行し、
一躍有名になった。
「く」「ね」
ネロン
北米 北東部 イロコイ6部族連合のひとつ、オノンダーガ族の大酋長。 1663年、フランス人入植者の
記録に現れる。 アハリホン(=総司令官)という名を、フランス人入植者たちが彼らの言葉でこう呼んだ。
捕虜を30人火焙りにしたり、フランス人から見るとぞっとするほど残酷な酋長だったらしい。
ちなみに、「イロコイ」は、古フランス語で『怖ろしい人たち」の意である。
「ろん」
ロンドンデリー
北アイルランドで有数の古い都市でベルファストに次ぐ第2の都市。1613年、ジェイムズ1世の
時代にロンドン市に与えられて改名されたが、アイルランド人(南北とも)は現在でもデリーと呼ぶ。
アイルランド人を相手に「ロンドンデリー」の名称を使うと怒られるので避けたほうが良い。
なお、英国政府観光庁もHPでこの都市を「デリー(別名ロンドンデリー)」として紹介している。
「り」
李耳(り・じ)
道家の祖・老子の本名。
李耳の子孫を称する者としては、西涼の初代王・李ロ、その末裔の唐の李淵などがいる。
「じ」
ジュクス=アッカ
北欧 フィンランドの神。 授産の女神、マッデル=アッカの三人娘の一人であり、マッデル=アッカの
助手を務める。また彼女自身も子授けの女神である。生まれてくる赤ん坊を男にするか、女にするかを
決めるのは彼女である。ちなみに、「アッカ」は「女」を意味する。
「か」
カピラバストゥ
マガダ王国の属国の一つ。シャキャ族が統治していた。
ゴータマ・シッダールタ王子が誕生から青年期までを過ごした国。
版図については国境をはさんでネパール説とインド説とがあり未詳。
「とぅ」
トゥルク
フィンランド最古の町。スウェーデン語でオーボ。フィンランド南西部に位置する。1229年に
司教座が置かれたのが起源とされる。1640年、スウェーデン女王クリスティーナによって
トゥルク(オーボ)大学が建設され、以後フィンランドの中心都市として栄えた。19世紀初頭に
フィンランドがロシアによって制圧され、スウェーデンの属州からロシア皇帝を君主とする
大公国へと変わると、首都はよりペテルブルクに近いヘルシンキへと移された。
「く」
クーリッジ,キャルヴィン
米合衆国第29・30代大統領。在任1923-29年。
名言「必要以上の徴税は合法的強盗である」で知られる堅実な政策で減税を実現、
米経済躍進期「狂乱の20年代」を支えた。
寡黙で生真面目との評の一方で、小話「クーリッジ効果」のような一面も。
「じ」
ジョソ族
北米 南西部 ニューメキシコのホピ族の、近隣のテワ=プエブロ族による呼び名。
「そ」
ソルカン・シラ
12世紀スルドスの遊牧民。タイチウト部の遊牧集団に所属する。
タイチウトに囚われた幼少のチンギス・ハーンを匿って逃がしてやり、
のちタイチウトを滅ぼしたチンギスに破格の待遇で迎えられた。
彼の息子チラウンはチンギス股肱の臣である「四駿」の一人である。
「ら」
ライシャワー、エドウィン・オールドファザー
アメリカの東アジア研究者。1910年東京生まれ。1961〜66年に駐日アメリカ大使を務めた。
ハル夫人は明治の元勲・松方正義の孫。1964年に日本人の暴漢に襲われ刺傷、
大量の輸血で一命を取り留めたものの肝炎に感染。それまで行なわれていた売血から
献血への移行のきっかけとなる。1990年に尊厳死。
「わ」
ワツータタ族
北米 ネブラスカ原住のオート族の、
>>335のオーセージ族による呼び名。
「オート」は「ワトオータ」から転じた呼び名で、「すけべえ」の意。
「た」
>>713 「イロコイ」ってフランス語起源だったんですか…。
元々の部族名はわかりますか?
(南北アメリカIFスレでお願いします)
ワシャクラフーン・ウバーフ・カウィール
マヤ・コパンの王。
この王の治世下でコパンは繁栄したが、
従属都市だったキリグア王・カック・ティリウに
捕らえられ生贄とされた。
「る」
>>723より
竹のカーテン
改革解放以前の中国の閉鎖主義政策を風刺した表現。
東西ドイツを分断していた「鉄のカーテン」になぞらえた言葉。
「てん」か「n」
テンプル騎士団
十字軍時代の3大宗教騎士団(騎士修道会)の1つ。神殿騎士団・聖堂騎士団とも訳される。
12世紀始めに設立され、ソロモン神殿跡に本部を置いたことからこの名で呼ばれた。その後
ヨーロッパ各地に支部が置かれ、金融業により巨万の富を得たが、14世紀にフランス王
フィリップ4世によって所領や財産は没収され、教皇クレメンス5世の命で解散させられた。
「だん」「n」
ダンドロ
エンリコ・ダンドロ。ベネチア共和国第41代統領。
盲目、かつ80歳以上の高齢であったにもかかわらず統領に就任した名将。
第4次十字軍に参加、軍資金を提供する代わりにその指揮権を獲得して、
ビザンツ帝国のクーデタに介入しコンスタンティノープルを攻撃、攻略する。
ビザンツの旧領を十字軍諸侯と分割、コンスタンティノープルの半分やイオニア海沿岸、
クレタ島などをベネチア領に加え、ベネチアの東地中海における覇権を決定づけた。
「ろ」
ロダン、フランソワ=オギュスト=ルネ
フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、近代彫刻の父と呼ばれる。
代表作に「地獄の門」がある。これは未完の作品であるが、その一部であった
「考える人」はとりわけ有名である。
「だん」「n」
檀紀(だんき)
檀君即位紀元とも。太平洋戦争終結後に韓国の出版物等から登場した紀年法。
伝説上の檀君即位を紀元前2333年とするもの。
韓国建国後に公式紀元として採用、1961年に廃止されるまで公用された。
「き」
欽定訳聖書(きんていやくせいしょ)
国王の命令によって翻訳された聖書のことであるが、単に「欽定訳聖書」という場合は特に
「ジェイムズ王訳」とも呼ばれる1611年刊行の英語訳聖書を指す。イングランド王(兼スコットランド王)
ジェイムズ1世の命により、英国国教会の典礼のための標準訳として翻訳された。19世紀末までは
唯一の公式英訳聖書として用いられ、荘厳で格調高い文体から現在も多くの愛読者を持ち続けている。
ただし現在普及しているものの多くは、1769年に綴りなどが修正された版である。
「しょ」
ションゴポヴィ
北米 ニューメキシコの定住農耕部族、ホピ族を構成する6支族のひとつ。中央メサから
第二メサにかけ原住する。 ホピ族はいわゆる「プエブロ部族」のうち、ショーショーニー語族系の、
ユト=アズテック語族に属する部族。 「ホピ」は「平和なる者」の意。
「ヴィ」 「Vi」
ヴィクトリア
イギリスの女王(在位1837〜1901年)。伯父ジョージ4世、ウィリアム4世が相次いで嫡子を儲けずに
亡くなり、父ケント公エドワードもすでに亡くなっていたため、18歳でイギリスの王位を継いだ。この時、
ハノーファー王国は女子の王位継承を認めていなかったため、叔父カンバーランド公アーネストが
ハノーファー王エルンスト・アウグストとして即位し、同君連合は解消された。
女王の治世は大英帝国の最も輝かしい時代として記憶されている。
「あ」
アウラングゼーブ
ムガール帝国第五代皇帝。
老いた先帝を幽閉、兄弟を殺害しての即位。
南方征服を進め、史上最大の版図を得たが、国内のヒンドゥー教徒を迫害したため
各地で反乱続発。絶頂期だったムガール帝国凋落の遠因を作った。
「ぶ」
ブッカ1世
14世紀インド、ヴィジャヤナガル王国の第2代国王。
トゥグルク朝に服属するカンピリー王国の大臣であったが、
1336年に独立、ヴィジャヤナガル(勝利の町)を建設して
兄ハリハラ1世を初代国王とするヴィジャヤナガル王国を創始した。
兄の死後王位を継ぐと勢力拡大政策をとり、ホイサラ朝の旧領やセイロン島に進出、
のち和睦するまで北印の雄・バフマニー王国とも激戦を繰り広げた。
「か」「い」
カコイスチアタニオ族
北米モンタナ原住のサリシ族(フラットヘッド族)の、シャイアン族による呼び名。
「頭を平らにしている連中」の意。
「お」
オトー
ネロの自殺後、相次いで即位したローマ皇帝の1人。在位期間はわずか3ヶ月であった。
ネロとは若い頃の遊び仲間であり、またネロの妃となったポッパエアの先夫だった。
ネロの死後、最初に皇帝となったガルバを支持していたが、自分を後継者に選ばなかった
ため暗殺し、自らが即位した。これを認めずゲルマニアで叛乱を起こしたウィテリウスに
自軍が敗れたため自殺し、ウィテリウスが新たに皇帝となった。
「と」
東京竜原府
渤海国の五京のひとつ。現在の吉林省琿春(フンチュン)市郊外。
第三代王・大欽茂が条里制の城郭都市「八角城」を建設したのが起源。
豆門江を下ると日本海まで近く、当初から日本との交易のために築かれた都とされる。
遣渤海使の玄関口として栄えたが、渤海国滅亡時に契丹に破壊され遺物は乏しい。
「ふ」
フリース語
西ゲルマン語派に属する言語。フリジア語、フリースラント語ともいい、西フリース語と北フリース語に
分類される。前者はオランダのフリースラント州で用いられ、オランダ語とともに州の公用語となっている。
後者はドイツの北フリースラント郡(北フリジア諸島およびユトレヒト半島付け根の北海沿岸)で用いられる。
オランダ語ないし低地ドイツ語の方言とする説と、それらとは独立した言語に分類する説があるが、
英語との共通点を持ち、古英語の痕跡をとどめていて、英語と低地ドイツ語の中間的な特徴を示している。
「ご」
五覇(ごは)
春秋時代の中原諸国の盟主となった君主のうちの代表的な五人。
時代や選者により五人の顔ぶれはまちまちだが、一般的には
斉の桓公、晋の文公、越の句践、呉の夫差、楚の荘王、が有名。
「は」
ハチャトゥリャン、アラム
ソヴィエトの作曲家。グルジアの首都トビリシ(当時ティフリス)生まれのアルメニア人。
アルメニアをはじめとするカフカス地方の民族音楽を素材とした、強烈でリズミカル、
生命力溢れる個性的な作風で知られる。
代表作にバレエ音楽「ガイーヌ」(有名な「剣の舞」を含む)、「スパルタクス」、
ヴァイオリン協奏曲など。
「りゃん」「やん」「n」
リャンコ岩
1849年にフランス海軍が日本海で発見・命名したリャンコールド列岩が
日本漁民の間で呼び習わされたもの。
現在大韓民国の施政権下にある日本領土・竹島のこと。
「わ」
倭刀術
明代の武術の一つ。倭寇の捕虜から得た陰流剣術を中国式に改良したもの。
日本刀=倭刀を用いたほか、のちに改良して刀身が先太りの苗刀も採り入れた。
倭寇撃退に成功した将軍・戚継光が体系化し「辛酉刀法」を著して以降、現代まで諸流派に伝承されている。
「つ」
ツヴィングリ、フルドリヒ(1484〜1531)
スイスの宗教改革者。ルターと並ぶ宗教改革の初期の指導者だが、
ルターと対立し、スイスではカトリック派との対立から勃発した内乱で戦死した。
ツヴィングリの改革派教会は、指導者の死から16年後、カルヴァン派に合流した。
「り」
陸費逵(りく・ひき)
清末・民国期の文学者。
中国の近代化に識字率の向上が不可欠との考えから、民間に普及していた俗字・略体字の
公用化を提唱。表音文字化運動と並行して中国教育界に影響を与え、戦後の簡体字制定で結実する。
現代中国の大手出版社「中華書局」の創立者でもある。
「き」
キリルトク
12世紀モンゴルの将。モンゴル部の衰退に乗じてタイチウトに寝返る。
タイチウトに侵入してきた幼いチンギス・ハーンを捕縛する大功を立てるが、
チンギスはソルカン・シラによって逃がされてしまった。
「く」
クズネッツ,サイモン
ロシア生まれの米国の経済学者。
15年から20年周期で景気サイクルが一巡すると説く「クズネッツ循環」を提唱。
「つ」
ツタンカーメン(BC1371頃〜BC1352頃)
エジプト第18王朝の王。アメンホテプ3世の末子。イクン=アトンの三女エネケスエンパ=アトンと結婚し、
自らもトゥト=アンク=アトンと称してアトン神を崇拝していたが、イクン=アトンの死後はアモン信仰を
国教として復興させ、神殿を再建し、トゥト=アンク=アモン(アモンの生ける像)と改名した。
また、都をアケタトンから旧都テーベに移した。1922年にテーベ西岸の王家の谷で、カーナヴォン卿、
ハワード・カーターらによって、奇跡的に盗掘を免れていた王墓が発掘された。現在、黄金のマスクや
豪華な副蔵品はカイロ博物館に収蔵されている。
「めん」「n」
メンゲ
モンゴル帝国第4代大ハーン。モンケとも。
チンギス・ハーンの末子・トゥルイの長男で、若い頃から才気にあふれていたという。
父や従兄・バトゥに従って金朝討伐や欧州遠征で軍功を重ね、
2代大ハーン・オゴタイの時代からすでに次期ハーンの候補に挙がっていた。
ために3代大ハーン・グユクの時代は危険視され遠ざけられたが、その没後即位すると
先代グユクを支持したオゴタイ家・チャガタイ家を徹底的に弾圧、
同時にハーンの権力強化と富国強兵・対外進出を強く推進し、「強い」モンゴルをおおいに演出した。
が、その強硬な姿勢はオゴタイ・チャガタイ両家はおろか弟のフビライ、フラグらとの間にも摩擦を生じ、
のちフビライの時代に現出するモンゴル帝国の分裂を決定付けたといえる。
物語などでは質実剛健で信心深い武人として描かれることが多いが、
その一方で数ヶ国語を操りユークリッド幾何学も修めた優秀な文人であったことも伝えられている。
「げ」
ゲッティンゲン七教授事件
ハノーファーのゲッティンゲン大学で7人の教授が罷免された事件。
>>732の経緯で1837年、
ハノーファーのみの王となったエルンスト・アウグストは、ただちに1833年成立の自由主義的な
憲法を廃棄した。これに対し、グリム兄弟を含む7人の教授が大学当局に憲法遵守の抗議文を
提出し、これが王の知るところとなって7人が罷免(うち3人は国外追放)された。このなりゆきに
全ドイツで教授たちを支援する世論が高まり、7人全員がドイツ各地で職を得た。
「けん」「n」
ケンネコノ
北米 カリフォルニヤ中部原住の、ミウォク族のバンドのひとつ。ミウォク海岸ボデガ近辺に
村を持った。 ミウォクは「人々」の意。
「の」
ノムガン
フビライ・ハーンの四男。カラコルムの統治を任されていた。
1271年、父の命を受けてオゴタイ・チャガタイ両家の所領へ侵攻したが、
この軍に参加していた先代ハーン・モンケの遺児シリギの裏切りに遭い、
シリギに通じたオゴタイ家のハイドゥに捕らえられる。
シリギの反乱自体はフビライによりすぐ鎮圧されたが、
ようやく軌道に乗りかけていたノムガンの中央アジア統治は水泡に帰してしまった。
「がん」「n」
ガングレリ
北欧 ゲルマンの隻眼の主神、ヴォータン(オーディン)の、またの名。
「り」
李思忠(りしちゅう)
12〜13世紀、金朝に仕えた宦官。
同朝の将軍・胡沙虎のクーデタに加担し皇帝・衛紹王を殺害するが、
直後に胡沙虎も別の将軍に殺害されたため、行方をくらました。
「う」
ウンブリア派
15世紀イタリアに生まれた画派のひとつ。
北のフィレンツェ派、南のシエナ派の影響を受けつつ、繊細な色彩表現や
幾何学を導入した精密な遠近法などが画法の特徴。
ラファエロらもこの流れを汲む一人。
「は」
花の戦争
アステカにおける生贄確保のための戦争。
主にウィツロポチトリに捧げられた。
「う」
ウーズラーク
ホラズム王国の第7代スルタン・ムハンマド2世の子。
チンギス・ハーン率いるモンゴル軍の侵攻を受け、
父の命によりこれと戦うが敗北、逃亡中に捕らえられ殺された。
「く」
クネイトラ
イスラエル国境に近いシリア・ゴラン高原の町。
現在は非武装地帯だが、第3次中東戦争ではイスラエル軍の猛攻でゴーストタウンに。
現在は当時の惨禍を留めるために廃墟のまま修復せずに保存されている。
かつてイエスも行脚に訪ねた街。ガラリヤ湖もほど近い。
「ら」
ラッバン・サウマ
13世紀のネストリウス派司祭。大都生まれのウイグル人。
イル・ハン国王の使節としてローマやパリを訪れ、教皇、フランス王に謁見する。
その際教皇に対して欧州とモンゴルとの提携の必要性を説き、
教皇が大都へモンテ・コルヴィノを派遣するきっかけを作った。
「ま」
マルグレーテ(1世)(1353〜1412)
北欧3国を実質的に支配した「女王」。正式な称号ではないがこう呼ばれる。
デンマーク王ヴァルデマール4世の次女で、ノルウェー王ホーコン6世に嫁いだ。
巧みな政治力で息子オーロフにデンマークとノルウェーの王位を継承させて摂政に就き、
オーロフの早逝後はポンメルン公に嫁いだ姉の息子エーリクに両王位を継承させた。
さらにスウェーデン王位も獲得、エーリクを3国の王とするカルマル同盟を成立させた。
「て」
テプキナゴ族
北米 大平原部族 カイオワ族の自称のひとつ。「出でし者たち」の意。
「ご」
ゴー・チョクトン(Goh Chok Tong、呉作棟)
シンガポールの第2代首相。1941年生まれ。1976年、国会議員に初当選。
1984年、
>>701政権の第一副首相(兼国防大臣)に就任。
1990年に首相、1992年に人民行動党総書記の地位を継ぐ。
2004年からリー・シェンロン政権の上級相・金融管理庁長官。
「とん」「n」「ng」
敦煌文書
現新疆ウイグル族自治区、敦煌・莫高窟から発見された古文書の総称。
4〜10世紀に編纂された経典・戸籍帳・土地台帳など年代も内容も多彩。
表記言語も古くはサンスクリットから死語のホータン語・西夏語まで10言語以上。
20世紀に英国のスタインによる発見を皮切りに、日本の大谷光瑞らも文書を持ち帰った。
「しょ」か「じょ」
初夜権(しょやけん)
呪医、祭司、僧侶、領主、長老などの宗教的・世俗的権力者が、結婚初夜の花嫁と床を共にする権利。
古代社会や未開社会にも見られるが、特に中世ヨーロッパの封建的領主と領民の間に存在したとされる
ものを指すことが多い。これは法によって定められていた時代もあったとされるが、新郎が領主から権利を
買い取ることもでき、実際には結婚に対する課税という側面が強かったらしい。
「けん」「n」
ケン・アンロク
ジャワ、シンガサリ王朝の太祖。ラージャサ王ギリンドラヴァンシャを名乗る。
もとは盗賊の出でクディリ朝の地方領主に下人として仕えていたが、
あるとき領主トゥングル・アメトゥンを謀殺、その妻を娶って領主の座を奪った。
さらにクディリ朝の王クルタジャヤと戦い、これも破ってクディリ朝を滅ぼす。
その後シンガサリを都とする東ジャワ統一王朝を建てラージャサ王を称するが、
自分が非道な行いにでできた子であると知った王子アヌーサパティによって殺害された。
「く」
屈瑕(くつ・か)
前8世紀末、春秋楚の武王の公子。
令尹に次ぐ最高官位・莫敖を務めた。
武勲に秀で、華南諸侯の軍を次々と破ったが、功におごり敵を侮ったため大敗、自殺した。
楚の名門・屈氏の初代となり、末裔には詩人の屈原を輩出している。
「か」
カラグウェ族
アフリカ タンザニアとルワンダの国境付近、ビクトリア湖周辺に原住する農耕民。鉄器を生産し、
カラグウェ王国として19世紀中葉に文化的頂点を迎えた。牛は富を象徴し、牛と槌を象徴とする
鉄工芸品を数多く残す。
「うぇ」
ウェリントン
イギリスの軍人、政治家。最終的に(軍功にともない爵位が上がった)初代ウェリントン公爵に
叙されたため、単にウェリントンあるいはウェリントン将軍、ウェリントン公と呼ばれる。
本名はアーサー・ウェルズリー。ナポレオン戦争で功績を挙げ、ワーテルローの戦いで
ナポレオンを破った。のち首相を務めている。
「とん」「n」
トンマーゾ・フランチェスコ
17世紀のサヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世の末子。
サヴォイア公家の分家、カリニャーノ家を興す。
プリンツ・オイゲンの名で知られるオーストリアの英雄、
サヴォイア・カリニャーノ公オイゲン・フランツは彼の孫にあたる。
「こ」
コスカクアウトリ
アステカ暦の第16日。
ナワトル語で「ハゲタカの日」の意。
「り」
リノ, マーカス=A (1834〜1889)
北米 陸軍少佐。イリノイ生まれ。1876年6月25日、
>>26のグリージー=グラス川での決戦で、カスター隊長を
補佐した。功をあせるカスターの命で牽制部隊を率い、
>>144のハンクパパのキャンプを奇襲したが、1000人から
なる部族軍の前に半数を壊滅。ワン=ブル、ガル両酋長に追い立てをくらう間に、本軍はカスターもろとも全滅して
しまった。軍や白人政府はインディアン相手の手落ちで白人が負けたと認めたがらず、カスターが追うべき失策の責を
リノに負わせ、軍法会議にまでかけた。
「の」
ノクターン(nocturne〔英〕)
日本語で夜想曲とも呼ばれる。性格的小品(キャラクター・ピース)の一種で、主として
ピアノ独奏曲にこの名がつけられる。夢想的・ロマンティックな曲想がある程度共通するが
形式上の約束はなく、様々な演奏形態、内容の作品がこの名で発表、出版されている。
19世紀初頭に活躍したアイルランド出身の作曲家・ピアニスト、ジョン・フィールドを創始者
とするが、フレデリック・ショパンの作品によって有名になった。
「たん」「n」「ne」
「農耕詩」
前1世紀、ローマの詩人・ウェルギリウスが著した詩篇。
農作業を主題に、人間と自然、勤労と人生の調和を称えた詩。
カエサル暗殺からオクタヴィアヌス即位までの経緯とウェルギリウスの心情が叙事詩調に描かれている。
「し」
>>771から・・・orz
タンボ
インカ帝国の街道網「インカ道」に設けられた宿駅。
飛脚・チャスキの待機場所や宿泊場所でもあり、また租税の集積所としても機能し、
帝国内の情報・物流網の拠点として機能した。
現代でもペルーを中心に村落の地名に名を留めている。
「ぼ」
ボケアイ族
北米 ニューメキシコのホピ族の、近隣のサンディア=プエブロ族による呼び名。
「あい」
775 :
774:2005/11/05(土) 01:31:55 0
あ、これはあかんのか。 「い」からでドゾー
仁川(インチョン)上陸作戦
朝鮮戦争の嚆矢となった、国連軍による北朝鮮軍への最初の攻撃。
1950年、国連軍司令官のダグラス・マッカーサー将軍率いる艦艇200隻と
兵力7万人余が仁川海岸に上陸、洛東江まで進軍していた北朝鮮軍の背後の兵站線遮断に成功。
これを機に朝鮮戦争が幕を開けた。
「せん」か「n」
>朝鮮戦争の嚆矢となった
>これを機に朝鮮戦争が幕を開けた。
これは違うでしょ。反攻の開始だったわけで。
戦争と平和
>>326の代表作の1つである大河小説。登場人物は500人を超える。
ナポレオンのロシア遠征を背景に、あるロシア貴族の一族の興亡を描く。
「わ」
ワカ
先スペイン期のアンデスで神像・祭器・神殿・呪物など、霊的なもの全般を指す名。
インカ帝国時代は聖石を祀った聖地に名付けられ、多くが地名として今も残る。
「か」
華夷訳語
元の翰林院侍講のモンゴル人学者・火源潔らが編纂した対訳辞書。
モンゴル語と漢語の訳から始まり、その後明代にチベット語やウイグル・インドの言語も増補。
清代に完成し、朝貢国の主要言語をほとんど網羅した貴重な資料。
日本語や琉球語も収録されている。
「ご」
ゴードーパリン
ビルマ、パガン朝中興の祖・ナラパティシトゥにっよって築かれた仏教寺院の一つ。
ナラパティシトゥは敬虔な仏教徒であり、
他にもスーラマーニ・パゴダなど大規模な寺院を多く建立している。
また同朝歴代の王には彼同様の敬虔な仏教徒が多く、
寺院も多数建立されたため、パガン朝は「建寺王朝」とも称される。
「りん」「n」
リンガドゥア
南方 フィジーの隻腕の神。 太鼓の神であり、それも王家の太鼓の守護神である。
この神に適度に生贄を供えなければ、戦を始めるにあたって欠かせないこの太鼓の音を、
罰として奪い去られてしまう。
「あ」
アル=ファタ
PLO(パレスチナ解放機構)加盟組織。もと別個に1957年発足、のち
対イスラエル闘争の功をアラファト議長に認められPLO加盟。
PLOが武装組織から自治政府へと方針転換すると共に、武力闘争を控えた穏健派が主導。
このとき離反した一派が過激派組織アブ=ニダルなどを結成、自爆テロを始める。
「た」
タナナリブ
仏領植民地マダガスカルの首都。「数多くの村」の意。
独立後にしばらくして旧称のアンタナナリボに戻される。
とはいえ現在の住民はタナと略して使うそうな。
「ぶ」
ブモラ
北米 北東部森林部族、アベナキ族の神。 巨大な鳥であり、寒気と嵐を呼ぶ風神である。
「ら」
ラファエル前派
ヴィクトリア朝のイギリスで活躍した画家たちのグループ。狭義にはD.G.ロセッティ、
W.H.ハント、J.E.ミレイらが1848年に結成した「ラファエル前派同盟」のメンバーを
いうが、彼らの周辺あるいは彼らの影響を受けた、同時代や後の世代のイギリスの
画家たちも含めて「ラファエル前派」と捉えることが多い。中世の伝説、聖書、文学などを
題材にし、画風は徹底した細密描写が特徴であるが、これには《初期についていえば》と
但し書きが必要かも知れない。
「ぱ」
パパ=レグバ
中米 ハイチのブードゥーのロア。 レグバ=アチ=ボン。 十字路の神であり、人間にロアとの
接し方を教えた、両者の仲介者である。ブードゥーの儀式で真っ先に呼び出されるロアであり、
犬を象徴とする。水を撒き散らす爺さん、または松葉杖をついた爺さんの姿で表される。
「ば」
ババロア
菓子の一種。名前はドイツのバイエルン地方に由来する。もともとバイエルンにあった
生クリーム状の飲み物をゼラチンで固めて作られたもので、バイエルン貴族のために
フランス人のシェフが考案したと言われる。
「あ」
アジャ・カティ
17〜19世紀、南西インドで作られた刀。
先広の鉈状の刀身が特長。革ベルトのフックに鉤爪で吊るす仕様が一般的。
「てぃ」
ティラナ
アルバニアの首都。オスマン帝国領になるまでは寒村だったが、18世紀に
モスクやバザールを擁するイスラム都市として建設された。
背後に雪山を頂く景観にちなみ、イランの古都「テヘラン」の名を採ったのが名の由来。
「な」
ナーシル・アッディン・アッ・トゥーシー
13世紀ペルシアのシーア派学者。哲学・天文学・語学・数学など多くの学問に通じる。
モンゴルの大ハーン・フラグに仕えて政治顧問を務め、
バグダード攻略の際に不吉な予言をした占星術師を論破するなどフラグの覇道に貢献した。
晩年にはフラグの支援を受けアゼルバイジャンにマラーガ天文台を建設、学者の育成に努めた。
著作に「ナーシル倫理書」「イル・ハン天文表」などがある。
「しー」
↑
すまん、誤爆した。
シーニ族
北米 テキサスの平原アパッチ、リパン=アパッチ族の、メスカレロ=アパッチ族による
呼び名。「リバン」は「人々」の意。 「シーニ」は、「夏の人々」の意(かもしれない)。
「に」
二圃制(にほせい)
中世ヨーロッパで実施されていた農法。
農地を二分割し、1年おきに持ち回りで作付することで
土壌の地力回復や保水の効果を得、収穫量の増加を狙う。
10〜11世紀頃からは三圃制に取って代わられるが、
地中海地方を中心とした一部では二圃制が実施され続けた。
「い」
イスカンダル
アレクサンドロス大王の名のアラビア語・ペルシア語形。アレクサンドロス大王は
西アジア地域でも伝説的英雄として語り継がれたため、英雄にちなんだ男性名として
用いられた。コーランにも登場しており、イスラムの伝播とともに東南アジアでも
用いられるようになった。
「る」
ルドランパー
インド、カーカティーヤ朝の第8代女王。
父で先代国王のガナパティに男子が無かったため後継する。
斜陽のチョーラー朝と合戦して敗れるなど失策もあったが、
父の勢力拡大・貿易重視政策をよく受け継いで、同朝の最盛期を演出した。
その治世は当時同国に滞在していたマルコ・ポーロにも賞賛されている。
「ぱ」
パドンギアック
北米 北東部 アベナキ族の半人半鳥の神。 雷と稲光の精霊であり、白い肌と金髪の
七人兄弟である。 シャンプラン湖に住んでいた。
「く」
クイーンズランド
オーストラリア連邦北東部の州。面積では2番目に大きく、オーストラリア大陸の4分の1を占める。
元はニューサウスウェールズ植民地の一部だったが、1859年に分離し、現在の州都ブリスベンに
自治領政府が置かれた。1901年のオーストラリア連邦成立でその1州となった。
「ど」
ドゥームズデイ・ブック
1086年、イングランドの「征服王」ウィリアム1世の命で作成された土地台帳。
国内の土地の広さや農民の人数、果ては農機具の数まで正確に記された。
そのデータの緻密さと「ドゥームズデイ(最後の審判の日)」という名前から
おそらくは苛烈な方法により調査が行われたのであろうと推測される。
「く」
クイクイルコ
テオティワカンと同時期に発展していた都市遺跡。
火山噴火の影響でほろびたらしい。
「こ」
渾天儀(こんてんぎ)
航海・長距離移動の際に天体の位置を観測するため用いられた球状の器具。
元朝の時代に郭守敬が開発したものが有名で、
民間レベルで用いられるようになったのもその時期であると思われるが、
原型は漢の時代には既に存在していたらしく、
「三国志」にも渾天儀を改良した人物として賈逵の名が挙げられている。
「ぎ」
ギャイ=コ族
北米 南部大平原部族 コマンチ族の、カイオワ族による呼び名。「敵」の意。
「こ」
国姓爺(こくせんや)
明の遺臣で鄭氏台湾の支配者、鄭成功の称。
勲功を称えられて南明の隆武帝より国姓「朱」氏を賜ったことにちなむ名。
実際には皇帝を憚って朱姓は用いず鄭姓で通した。
「や」
ヤンキー(Yankee)
アメリカ人の俗称・蔑称。語源については諸説あるが、ニューアムステルダム植民地(後のニューヨーク市)
のオランダ系移民が、北東のコネチカットに住むイギリス系移民を「Jan Kees」(ヤン・キース)と呼んだ
ことに由来する(JanはJohnに対応するオランダ名)という説が有力とされる。狭義にはニューイングランド
の住民を指すが、次第に範囲が広がり、南部の人間が北東部諸州の住民を一括した蔑称に用いたり、
外国人がアメリカ人全体の蔑称に用いたりするようになった。
「き」
鬼谷子(きこくし)
戦国時代、縦横家の祖、王詡(おう・く)の呼び名。 別名「鬼谷先生」とも。
河南省の地名・鬼谷にちなむ。ここで縦横家の思想を広めた。
教え子の中からは蘇秦・張儀・孫臏ら錚々たる面々を世に送った。
「し」
シナ
南方 ポリネシア、サモアの神。 月の女神である。 イナとしても知られる。 シナはウナギを
ビンに入れて飼っていたが、ウナギが人間と同じくらい大きくなったので、池に移して放し飼いに
していた。シナが池で泳いでいたときに、そのウナギに襲われた。ウポロ族の人々に助けられ、
正体を現したウナギ人間(ツナという神だった)は死刑になった。ツナはシナに、処刑後に頭を
砂浜に埋めてくれと頼んだ。その跡からはやがて、シナへの贈り物、最初の椰子の木が生えてきた。
「な」
南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)
唐の僧・義浄がシュリウィジャヤ王国滞在中に著したインドの見聞録。全4巻。
インドの仏僧の規律主義を賞賛し、唐の堕落した仏教界を戒めている。
当時のインド、南海40余国の社会風俗が記録されている貴重な史料。
「でん」「n」
デン・ハーグ
オランダの実質的な首都ハーグのオランダでの名称。正式には「スフラーフェンハーヘ」
という。「伯爵の生け垣」の意味で、13世紀にホラント伯ウィレム2世がこの地に狩猟の館を
建てたことに由来する。16世紀に連邦議会が置かれて以来、オランダの政治の中心となった。
1815年制定のオランダ王国の憲法はアムステルダムを首都と定めているが、国会議事堂や
中央官庁、王宮、各国の大使館などはここに置かれている。
「ぐ」
グアンタナモ湾基地
キューバ東南部、グアンタナモ市に隣接する米海軍基地。
米西戦争に勝利したアメリカが、1903年にキューバ独立の際に同国政府と締結した条約により
無期限租借した海軍基地。カリブ海における給水・給炭拠点(当時は蒸気軍艦)として大規模な軍港が造られた。
キューバ革命を経てなお現存する唯一、「国交がない国に建つ基地」。
現在タリバン、アルカイダの幹部が収容されているとの情報も。
「ち」
チャレヤ
北米 カリフォルニヤ カロク族の慈悲深き天空の神。 この世のすべてを創った創造神である。
「や」
ヤークート
12〜3世紀イスラムの地理学者。ギリシア人奴隷としてバグダードの豪商に売られたが、
恵まれた環境で教育を受け、主人の商用に従い書記として各地を旅する。
後に奴隷から解放されるとペルシアで書店を開き、古書の筆写をして学問に励んだ。
後にモンゴル軍がペルシアに侵入するとエジプトに移り、
イスラム諸地域の地理事典「諸国集成」や「類語辞典」を著して名声を博した。
「と」
トロナガッル
南欧 バスク人の神。 海上より襲来する、ハリケーンの神である。
「る」
ルビンシテイン、アントン
19世紀ロシアで活躍した作曲家、ピアニスト。現在のモルドヴァの生まれでユダヤ系。ピアニスト
としてはリストと並ぶ大ピアニストとして欧米各国で名声を博した。また演奏のみならず、同じく
名ピアニストだった弟ニコライとともに、職業音楽家の教育制度の確立など、ロシアの音楽分野に
多大な貢献をした。作曲家としてはドイツ・ロマン派の影響のもと、幅広いジャンルに数多くの作品を
残したが、今日ではピアノ曲など若干の作品を除いて、ほとんど演奏されていない。
「イン」「n」
院本(いんぽん)
金・宋・元・明の時代に隆盛した、行院(妓女や乞者など)が演じる戯曲、またはその脚本。
笑いの要素が盛り込まれた問答を中心に構成されており、
京劇を歌舞伎だとすれば院本は狂言に類似していると言える。
基本的に5人の役者により演じられることから、別名「五花爨弄」とも呼ばれる。
「ぽん」「n」
ポントの王ミトリダーテ
モーツァルトが14歳の時に作曲したオペラ・セリア。最初の本格的なオペラ作品で、
1770年にミラノで初演された。
古代のポントス王国の王ミトリダテス6世を主人公としている。
「て」
鄭国渠(ていこくきょ)
戦国韓の文臣にして水工だった鄭国が始皇帝の指揮で造成した灌漑水路。
大規模工事をさせて秦の国力を疲弊させようとする韓王の策謀により、
韓王の命で鄭国を秦宮廷に送り込み、のちの始皇帝・政に進言して灌漑用の大規模な水路を造らせることに成功。
鄭国は水の水を引いて300里を超える水路を開き、4万頃強を灌漑した。
当初の策謀とは裏腹に、秦の農業増産に利する結果に。水路は鄭国渠と呼ばれるようになる。
「きょ」
キョイ
北米 カリフォルニヤ 中央沿岸部 シンキョーネ族の創造神。
近隣のカト族の神ナガイチョ、またユキ族の神タイコモルとおそらく同一と見られる。
「い」
イコン
聖画。東方教会(キリスト正教会)において、
神の姿やキリスト、聖人などを描いた板絵。
字の読めない信徒にとっては唯一にして絶対的な崇拝の対象となった。
「こん」「n」
コンゲウィチャチャ
北米 北部大平原部族スー族の、3大氏族のひとつ、ラコタ族(テトン・スー)に属するバンドのひとつ。
「ちゃ」
チャイコフスキー
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840―93年
ロシアを代表する作曲家。
ヨーロッパ音楽の様式を採り入れた作曲により「西欧派」などと呼ばれた。
当初法務省に勤務していたが、サンクトペテルブルクの音楽院で学び、20代で交響曲の作曲を始める。
結婚に失敗し自殺を図るなど、不安定な精神状態の時代もあったが、多くの傑作を残した。
代表作は交響曲第6番「悲愴(ひそう)」、オペラ「エウゲニー・オネーギン」、ピアノ協奏曲第1番、バイオリン協奏曲、「弦楽セレナード」など。
「三大バレエ」とされる「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」のすべてを作曲、バレエ界で果たした功績も大きい。
また、同性愛者であったとされ、当時のロシアでは重大問題であったがための苦しみが作品に反映しているとして、
この方面から解釈する見方もある。
「キ」
金沙弥(きんさや)
12世紀高麗の豪農。農民反乱の主導者。
1194年、武人政権による搾取に反抗して挙兵、同時期に蜂起した孝心と同盟して
慶州全域を支配下に治めたが、孝心の勢力が鎮圧されると勢いを失った。
「や」
野人女直(やじんじょちょく)
女直(女真)族の一派。明代の呼称で、黒龍江下流域、豆満江流域、現ロシア沿海州に居住
していた4部族をいう。ただしこれは明(漢族)がつけた呼称であり、自らは「フルハ」と称して
いたらしい。建州女直から出たヌルハチが、互いに争いあっていた女直の諸部族を統一すると、
元来建州女直の自称であった「満洲」を全部族の総称に用い、女直の呼称は廃された。
「く」
クーファ
イラクの古都。7世紀、イスラム草創期にウマイヤ朝のカリフ・ウマル一世の命で建設。
イスラム版図の東方拡大のための軍事駐屯都市として建設された。
最盛期には20万人を超す人口を誇ったが、続くアッバース朝がバグダッドを建設した後は首位を譲り、徐々に衰微。
14世紀に旅行家イブン=バットゥータが訪れた時には小さな田舎町に戻っていた。
「ふぁ」
ファロ
西アフリカ マリのバムバラ族の、天空と水の神。 宇宙の振動に同調して、様々な双子を生んだ。
それは人類の先祖となった。 総ての生き物に水を与える存在であり、精霊達の主である。
絶えず宇宙を再編成していて、400年ごとに地球に戻り、総てが調和しているか確かめる。
「ろ」
ロマネスク建築
10〜12世紀にかけて西欧・北欧で発達した建築法。
紀元1000年を機に進められた教会や聖堂の復興の際に広く用いられたもので、
東欧風の半円形のアーチ、重厚な石造りの壁面・天井が特徴的。
ちなみに「ロマネスク」は「ローマ風」という意味だが、
ロマネスク建築の建造物はイタリアよりもドイツ・フランスに多い。
「く」
クル=フル=アチ
北米 テキサスのカドハダチョ連邦の、ムスコギー族(クリーク族)による呼び名。
カドハダチョは「まぎれもない酋長」の意で、
>>371のカドー族のこと。このカドハダチョの
さらに大きな連合体がハシナイ連邦である。
「ち」
チャールズ・エドワード・ステュアート
イングランドとスコットランドの王ジェイムズ2世(6世)の直系の孫。ジェイムズ2世の嫡子だった
「老僭王」(大僭称者)ジェイムズ・フランシス・エドワードの息子で、「若僭王」(小僭称者)と呼ばれる。
本人は「チャールズ3世」を自称し、また愛称で「ボニー・プリンス・チャーリー」とも呼ばれた。
1745年にフランス王ルイ15世の支援を得てスコットランドに上陸、ハイランドの氏族を味方につけたが、
翌年カロデン・ムーアでイギリス(連合王国)政府軍に敗れ、フランスに逃れた後、ローマで死去した。
「と」
トピン=ケウア族
北米 ニューメキシコのホピ族の、近隣のズーニー族による呼び名。
ホピ族のトントンテアク村が転じた名ではないかと言われる。
「あ」
アリババ
「千一夜物語」の一篇、「アリババと40人の盗賊」の登場人物。
偶然盗賊団の財宝の隠し場所を知ったアリババは巨万の富を得るが、
それを聞いて自分も財宝を盗みに行った兄・カシムは盗賊たちに殺されてしまう。
カシムの亡骸を弔ったことから秘密を知っているであろうアリババを消そうとする盗賊団と、
主人を守ろうとするアリババの召し使い・モルジアナとの知恵比べの物語。
タイトルのわりにアリババは活躍しない。
「ば」
バグパイプ
リードのついた数本の管を袋につないだ民族楽器。口につながる管またはふいごから袋に空気を
送り込み、袋で空気の量を調整しながら、旋律を奏する主唱管(チャンター)や1〜数本の通奏管
(ドローン)に空気を押し出し、同時に複数の音を出す。起源は不明だが3000年以上の歴史があり、
広くヨーロッパ全域や中近東諸国に存在する。スコットランドのバグパイプは日本でも有名だが、
これは移民とともに北米・オセアニアの英語圏諸国に伝わり、これらの国々では今日も盛んに
演奏される。また、インドなど旧イギリス植民地諸国の軍楽隊の一部にも取り入れられている。
「ぷ」
プルケ
リュウゼツランの葉を発酵させた酒。
メソアメリカで神々に捧げる供物として用いられた。
「け」
ケヤウウェー族
北米 北カロライナに原住した農耕民。インディアンには珍しく、男子は口髭や頬髯を蓄える
習慣があった。1716年に白人が「保留地に入れや」と提案してきたのを拒否し、南下。その後
50年ほどは記録に残るが、その後は歴史から消えた。カタウバ族などに吸収されたものと思われる。
「ウェー」か「ウェ」
ウェールズ語
イギリスのウェールズで話される言語。インド・ヨーロッパ語族ケルト語派に属するが、
ゲール語(アイルランド語)、スコットランド・ゲール語、マン島語とは異なり、
コーンウォール語(死語)、ブルトン語(ブルターニュ語)などと共にブリタニック語に
分類される。ウェールズでは英語と共に公用語とされ、20世紀に復興運動が盛んに
なったこともあり、ウェールズ人の約20%が話せるといわれる。ただし地域間の方言の差異
が大きい。また、北・中部では日常的に話される地域が多いが、南部ではほとんど話されない。
「ご」
ゴシック建築
12世紀以降、フランスを中心に発達した建築法。
「ゴシック」は「ゴート風」という意味で、
北欧風の質素かつ無骨なデザインが特徴。
19世紀ごろまではロマネスク建築と同一視されていた。
「く」
クヒオ王子
ジョナ・クヒオ・カラニオナオレ王子。
カウアイ王家の子孫。
ハワイ初のアメリカ上院議員。
ハワイ革命の時には白人勢力に逮捕されたこともある。
カイウラニ王女の死去後、リリウォカラニ女王にハワイ王位継承権者に指名される。
現在のハワイ王位継承権者のアヴィゲイル王女の母の伯父にあたる。
「じ」
ジレット、ウィリアム(1853〜1937)
アメリカの舞台俳優、演出家。シャーロック・ホームズを演じたことで知られる。
インヴァネス・マントや瓢箪型パイプなど、一般に広まっているが実は原作にない
ホームズのイメージは、その多くが彼によって作り出された。
「と」
スンジャータ・ケイタ
13世紀マリの英雄。
当時ガーナのスマングルによる暴虐な治世に苦しめられていたマリンケ人を率い、
ニジェール川流域を拠点に蜂起、スマングルを破ってマリンケ人の国を創立した。
その生涯には伝説的でよくわかっていない部分が多く、
死因も暗殺説と溺死説で今なお論争が続いている。
「た」
タイタニック
1912年、処女航海の途上で沈没した、当時世界最大の客船。4月10日にリヴァプール
を出港、シェルブールとクイーンズタウン(アイルランド)に寄港の後、ニューヨークへ
向かう北大西洋航路を航行していた。4月14日にニューファンドランド沖で氷山と衝突、
大きな損傷を受け、約3時間後(日付が変わって翌15日未明)、船体が分断して沈没した。
数多くのエピソードが残されているが、ここでは割愛する。
「く」
クヌ=ハヤヌー族
北米 ミシガン湖畔原住のポタワトミ族の、
>>371のカドー族による呼び名。
「スイカの人々」の意。
「ぬ」
ヌイイー条約
第一次大戦後、連合国側と敗戦国ブルガリア王国との間で結ばれた講和条約。パリ近郊の
ヌイイー・シュル・セーヌで調印された。この条約により、ブルガリアはギリシア、ルーマニア、
そして新たに成立したセルビア=クロアチア=スロヴェニア王国(後のユーゴスラヴィア王国)
に領土を割譲あるいは返還して、大幅に領土を縮小した上に、海への出口も失うことになった。
この他、多額の賠償を課せられ(10年以上に及ぶ交渉で減額に成功はした)、兵力も大幅に
削減させられた。
「く」
クメール美術
アンコールワットを筆頭とした、クメール民族による美術。
ヒンドゥー教や仏教に関連する建築物・芸術品が多い。
ジャヤヴァルマン7世が築いたアンコールトムはその髄の結晶といえるが、
その莫大な建造費用は国の、ひいてはクメール美術そのものの衰退原因になってしまった。
「つ」
ツフルクチュト(1810〜1877)
北米 小ジョセフ酋長を補佐した、ネ=ペルセ族の酋長。両肩に鹿を二頭担いで運ぶ巨漢だった。
>>345の
ハワードが、1877年に
>>76のラプワイ移住を迫った際、「この大地は私の身体の一部だ、母親なんだ!」と
熱弁を振るい猛抗議した。ハワードは「そんな話、20回繰り返したって、聞く耳持つかい。おい、引っ立てろ」
と応え、ツフルクチュトをブタ箱へ放り込んだ。(すぐに釈放はされたが) のち、ネ=ペルセ族の絶望的な
カナダ脱出行へ加わり、極寒のロッキー山中で、ハワード率いる白人追跡軍との戦闘で戦死した。
「と」
トマ、アンブロアーズ(1811〜1896)
19世紀フランスの作曲家。オペラ作曲家として活躍し、パリ音楽院院長も務めた。
オペラ・コミックの伝統に抒情性と感傷性を付加したと評される。
代表作に「ミニョン」「ハムレット」など。
「ま」
マーケーメーテウヴ(? 〜1834)
英名グリズリー=ベアー。 マーケーメーテウヴは「熊の油」の意だが、白人が誤って彼の父の名前の
カウシュカウノナイヴェ(灰色熊)と取り違えたらしい。 北米 ウィスコンシン原住の部族、メノミニー族の
高名な酋長。 キノポウェイ、ワピメン両酋長の父で、大酋長トマーの補佐を勤めた。雄弁な指導者として
知られ、1830年代のニューヨーク部族の条約交渉を担った。
「ヴ」
ヴラド=ツェペシュ
15世紀、現ルーマニアのワラキア大公。
中央集権化を進める一方、オスマン帝国への朝貢を廃して使節を殺害、数倍の兵力のオスマン軍との戦争に至る。
巧みな焦土戦とゲリラ戦で敵軍を疲弊させ、首都郊外の平原に敵兵2万人を串刺しにして見せしめに曝した。
撃退に成功した功にちなみツェペシュ(串刺し)公と称された。
その後は、ハンガリーによる12年間の幽閉生活、最期は地方貴族による暗殺、と日の目を見なかった。
後世の小説「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとされる。
「しゅ」
シュマルカルデン同盟
ドイツのプロテスタント派諸侯や帝国都市が、神聖ローマ皇帝カール5世の弾圧政策に
対抗して、中部ドイツのシュマルカルデンで結成した同盟。ヨーロツパにおける反ハプスブルク
勢力の中心となったが、シュマルカルデン戦争(1546〜47)で敗北を喫して崩壊した。
「い」
イストリア
アドリア海の奥に位置する半島。イストリアはイタリア語の名称で、スロヴェニア語、クロアチア語
ではイストラと呼ぶ。紀元前2世紀頃ローマの支配下に入り、その後ゴート人、ビザンティン帝国、
ヴェネツィア共和国を経て、19世紀にオーストリア領となった。第一次大戦後、イタリアが「未回収
のイタリア」の一部とされたこの地域を獲得したが、第二次大戦後はトリエステ周辺を除いて
ユーゴスラヴィア領となった。その際、大部分をクロアチア領としてスロヴェニアとクロアチアに
分割する境界が定められたが、両国が独立するとそのまま国境となった。
「あ」
アノーヤタ王
ミャンマーを最初に統一したパガン朝の建国者。
大乗仏教を奨励し、モン文字を改良したビルマ文字を創始、今日まで用いられている。
南インドへもたびたび遣使し、パーリ語経典を求め、ビルマ仏教の基礎を築いた。
「た」
タクパゲンツェン
12世紀チベット、ラマ教サキャ派の座主。
台頭するモンゴルに臣従、朝貢を誓い、その決定に反対した家臣や親族を
「モンゴルと争うのはサキャ派の繁栄に繋がらない」と強く戒めている。
「n」
ニヤーヤ学派
古代インド、バラモン教の六大哲学学派「六派哲学」の一つ。現在も健在。
論理と雄弁を重視したため正理(正しき論理)派とも訳される。
1世紀頃に哲学者ガウタマ(釈迦とは無関係)が興し、仏教や他派と盛んに論戦を行なった。
ヒンドゥー教時代には、改宗を迫るイスラムへの理論武装として様々な哲学書が編まれた。
「ニヤーヤ・スートラ」は代表的著書。
「は」
漢江(ハンガン)の奇跡
朴正煕政権時代(1963〜79年)の韓国の急速な経済発展を称してこう呼ぶ。
首都ソウルを横切って流れる川、漢江にちなんでいる。
開発独裁と呼ばれる経済・産業政策により、国民所得はこの時代に10倍になった。
「き」
キンヤ=インデ
北米南西部 ヒカリヤ=アパッチ族の、
>>311のメスカレロ=アパッチ族による呼び名。
「ヒカリヤ」は、スペイン語で、「小さい籠」の意。そういう工芸品が名産である。
「で」
デルフト
オランダ、南ホラント州の都市。ロッテルダムとハーグとの中間に位置する。
17世紀にオランダ東インド会社を通じて、中国の陶器が伝わったことをきっかけに、
デルフト・ブルーと呼ばれる独特の陶器が作られるようになった。生産規模は
縮小したが、今日でもデルフト焼として知られる。画家フェルメールの出身地であり、
有名な作品では「デルフト眺望」という風景画が残されている。
「と」
トヴェリ公国
中世の北西ロシアを支配した公国の一つ。
13世紀に現トヴェリ市を首都にし、キプチャク汗国支配下ではリトアニアと同盟して抵抗した。
後世擡頭したモスクワ大公国に1485年併合され、ヨーロッパ・ロシア北部は統一された。
「り」
竜骨車(りゅうこつしゃ)
翻車ともいう。中国の農具の一種で、揚水(水を掬って田に注ぐ)に用いる。
水を掬う部分の形が竜の骨に似ていることからその名がついた。
三国時代に魏の馬均が発明し、一般に普及したのは唐・宋の時代。
「しゃ」「や」
ヤンパルーカ族
北米 南部大平原部族 コマンチ族のバンドの一つ。 ヤンパリカ=コマンチ。
「根っこを食うものたち」の意。
「か」
カフィリスタン
アフガニスタン東部の山岳地帯の称。
住民の多くは印欧語族の中でも古形を今に留めるヌリスタン語派に属する独特の言語の話者。
イスラムへの帰依が16〜17世紀と遅かったため「異教徒(カーフィル)の国(スタン)」と呼ばれてきた。
現在はイスラム教徒となったため、ヌリスタン(光の国)を公称する。
「たん」
タンス
北米
>>49のカリフォルニアの漁猟民、フパ族の山の神。鹿の群れを統べる守護神であり、
非常に畏れられる。 信仰厚く、特別な歌を歌える狩人には、鹿を提供してくれる。
「す」
スペインかぜ
1918年から1919年にかけて世界的に猛威を振るったインフルエンザの一種。
感染者6億人(当時の世界総人口の50〜75%)、死者4000〜5000万人。
スペイン王室での流行が大きく報じられた事からこの名称がつけられた。
この大流行のおかげで第一次大戦の終結が早まったとも言われる。
「ぜ」
ゼンド
18世紀イラン、ザクロス山脈の付近に居していたコルド系部族。
アフシャール朝のナーディル・シャーが暗殺された混乱に乗じて
族長カリム・ハンのもと急激に勢力を伸長、
イランの大半を支配下に置いてシーラーズにゼンド朝を建てる。
が、ナーディル・シャーの死後すぐに後継を巡って内乱が勃発、
ここをカージャール部のアーガー・ムハンマドに付け入られ滅亡した。
「ど」
ドミニオン(dominion)
イギリスの自治領。かつてカナダ、オーストラリアなどにつけられた名称。原義は統治(権)・
支配・領土。1867年に自治領カナダ連邦が成立する際、当初考えられた「カナダ王国」の
名称はアメリカの反発を恐れて避けたが、それでも王を戴くことを示し、かつ風格を与えるため、
旧約聖書の詩篇72番8節「王が海から海まで、大河から地の果てまで、支配しますように」
"He shall have dominion also from sea to sea, and from the river unto the ends of the earth."
からこの名称がとられた。
「おん」「n」
温祚(おんそ)
伝説上の百済の初代王。高句麗の初代王・朱蒙の第3子と伝わる。
兄・沸流と共に扶余の地を去って南下し、紀元前18年、国を興し「十済」と号する。
兄の没後、現地人と合流し「百済」と改名。以降、一族は扶余氏を称する。
「そ」
ソネット
ヨーロッパの定型詩の1つ。14行からなり、多く脚韻を踏む。ルネサンス期にイタリアで創始された。
ペトラルカと交友のあったチョーサーによってイングランドに紹介され、イギリス詩を代表する詩形の
1つにもなった。代表的な作家にペトラルカ、シェイクスピア、ジョン・ミルトン、ワーズワースなど。
「と」
投石機(とうせきき)
大きなテコと土台、頑丈な綱を用いて石を飛ばす攻城兵器。
個人が手で持って振り回し印字打ちに用いる「投石器」とは区別されるものであり、
百キロ単位の巨石、ときには敵兵の遺体なども敵陣に放り込んだとされる。
元の時代にフビライ・ハーンがイスラム人技術者を招いて開発し、
南宋攻め、とくに襄陽・樊城の攻略に絶大な威力を発揮した「回回砲」が有名。
「き」
キシュ
バグダッド南方に位置する古代メソポタミアの都市国家。
シュメール人がウバイド期に神殿や城壁を持つ都市を建設したのが起源。
シュールに代わりメソポタミアを征服したアッカドのサルゴン王もここの官吏出身。
続くバビロンの時代まで町は繁栄した。
「しゅ」
シュバランケー
マヤの創造神話「ポポル・ヴフ」に登場する双子の一人。
農耕神の子。
「けー」
ケーセギ・ヘンリク
13世紀ハンガリーの大貴族。ハンガリー王に対して反旗を翻し、
ハンガリー皇太子を誘拐して権力を牛耳ったが、
これに対抗する貴族・チャーク家の手によって討たれてしまう。
以後、ケーセギの一族はボヘミアに、一方のチャーク家はハプスブルグに
助力を請うて戦うようになり、神聖ローマ帝国にも火種が起こる原因になった。
「く」
クヌギプー族
北米 ネバダ原住の北パイウテ族を構成するバンドの一つ。
パイウテは、「本当のユテ族」もしくは「水のユテ族」の意。
「プー」
プード
ロシアなど東スラブ諸国の伝統的な重量単位。
1プードはメートル法の16.3kgに相当。
ロシア革命を機に公用の度量衡体系の地位を去ったが、市井では引き続き常用されてきた。
「ど」
ド=グ=アト族
北米 オクラホマ南に現住するカドー語族系の農耕民、ウィチタ族の、カイオワ族による呼び名。
「刺青をした連中」の意。 ウィチタ族は正式名をキチキチッシュ族(アライグマのアイラインの意)と
いい、アライグマのように目の両側に黒い線を刺青していた部族だった。アーカンソー、カンザスから
テキサスにかけ広域に原住したが、1850年代に、白人によってオクラホマに移住を強制された。
「と」
トレド
スペイン中央部の古都。中世初めに西ゴート王国の首都となり、後ウマイヤ朝の下でも繁栄を誇った。
1085年にアルフォンソ6世のレコンキスタによってカスティーリャ王国の支配下に入り、スペイン王
カルロス1世(=神聖ローマ皇帝カール5世)の下で首都となったが、フェリペ2世が1561年にマドリッド
へ遷都して以降は衰退した。古くから鉄生産で有名で、剣などを特産品とした。この伝統は現代にも
受け継がれている。
「ど」
ドミニコ
12〜3世紀スペインの修道士。インノケンティウス3世の命を受けて伝道師となり、
異端者を審問ではなく福音を説くことによって教化して成果を挙げる。
1214年にはトゥールーズ司教区に異端教化を目的とする説教者集団を組織、
ホノリウス3世から説教者修道会の公認を賜り「ドミニコ会」を名乗った。
「こ」
皇宋通宝(こうそうつうほう)
北宋代、1039〜1054年に鋳造された銅銭。
宋代最多の流通量を数え、年間数百万貫=数十億枚が発行された。
海外へも大量に流通し、古代日本の古銭の半数を超すともされる。
「う」
ウラン・ウデ
現ロシア、ブリヤート共和国の都市。名はブリヤート語「赤いウダ川」より由来。
もと清領だったが、17世紀にロシア人が交易と軍事の拠点として城砦を建設したのが起源。
ロシア国内で最もチベット仏教の寺院が多く、スターリン時代には僧侶の弾圧も受けたが
ソ連崩壊後は復活。イヴォルギンスキー寺院はロシアのチベット仏教の総本山的存在。
「で」
デカメロン
14世紀にジョバンニ・ボッカチオが著した短編集。世界初の近代小説といわれる。
1348年、イタリアで流行したペストから逃れてきた男女10人の貴族が
とある田舎の館に集まり、毎日各々1話ずつ、10日で全100話の物語を語り合う、という展開。
高尚かつ格言的な宗教説話からただのシモネタまで、物語の種類は様々。
「ろん」「n」
ロンゴス
2〜3世紀頃にギリシア語で書かれた牧歌的な恋愛物語「ダフニスとクロエ」の作者
とされる詩人。生没年はおろか、この人物に関することはほとんどわかっていない。
「す」
スター=ラー=ヘ
北米 北ダコタ アリカラ族の正式な自称のひとつ。
>>301のヒダーツァ族、
>>211のヌマカキ族
(マンダン)と「ミズーリ三大連携部族」を組み、緊密に提携する。 アリカラは、「鹿」または「角」の意。
スー族とは宿敵同士だった。 「北のポーニー族」とも呼ばれる。
「へ」
ヘント
ベルギー第3の都市。東フランデレン州の州都。
ヘントはオランダ語の名称で、フランス語ではガンと呼ばれる。
英語・ドイツ語ではゲントで、日本ではこれが比較的多く用いられるようだ。
「と」
トゴン
大元王朝のラストエンペラー。廟号は順帝、または恵宗。
ペストの流行、黄河の氾濫、治安悪化、さらに権臣の跋扈でその治世はボロボロになり、
トゴンはラマ教にのめりこんで現実逃避していたが、そこへ紅巾の乱が勃発。
なすすべもないまま朱元璋の北伐に首都・大都を追われ、逃亡先で窮死した。
史書でも物語でも良い所無しの愚物君主とされているが、書画に通じ史書の編纂も手がけた
モンゴル人らしからぬ文人としての側面はもう少し評価されてよい。と思う。
「ごん」「n」
>>881 トゴン・テムルと呼ぶべきでは?
北元を大元と区別すればラスト・エンペラーには違いないので、その点は深く追及しないけど。
ゴンパース
19〜20世紀、イギリス生まれのユダヤ人労働運動家。
アメリカに移住し、南北戦争後重視され始めた労働問題に身を投じる。
1886年にAFL(米労働総同盟)を組織して
政治運動や暴動ではなく経済闘争による労働条件の向上に尽力、
ILO(国際労働機関)の設立にも深く関わり、「労働運動の父」と呼ばれた。
「す」
スタンリー
イギリスのジャーナリスト。若くして渡米、南北戦争後に新聞記者となる。
アフリカで消息を絶った宣教医師・リビングストンを発見し、
以後さらに3回の探検でナイル水源やコンゴ河を発見、コンゴ建国の基礎を作った。
アフリカを「暗黒大陸」と呼ぶのも彼の著書によるものである。
「り」
リアム
北米 カリフォルニャ
>>220のチュマシュ族のバンドの一つ。
サンタクルーズ島南域に原住した。
「む」
ムアン
マヤ暦15番目の月。
カカオ栽培者の月で、エク・チュアフ神とホブニル神に黒っぽいぶち犬が捧げられた。
「あん」か「n」
安息(あんそく)
パルティアの漢語名。パルティアは王朝の創始者アルシャク(ギリシア語でアルサケス)
にちなんでアルサケス朝、アルシャク朝とも呼ばれるが、安息はアルシャクを音訳したもの。
アルシャクは古代ペルシア語ではアルタクシャサ(ギリシア語でアルタクセルクセス)であり、
アケメネス朝の同名の王にちなんだ名である。
なお、後に中国ではペルシア出身者は安息にちなんで安姓を称するようになった。
「く」
クシナガラ
インドのウッタルプラデーシュ州カシアにあたるとされる、釈迦入滅の土地。
イスラムが侵入するよりも以前から都市としては機能しなくなっていたといわれ、
7世紀に玄奘が訪れたときにはもはや荒廃し尽くしていたという。
20世紀に入ってようやくインド仏跡の発掘運動が隆盛、注目を集めているが、
アショカ王が建立した大塔など「カシア=クシナガラ」説を決定付けるものは未発見である。
「ら」
ラホワカー族
北米北東部、バージニア原住の森林部族、モナカン族のこと。ポカホンタス拉致で
有名なスミス船長の記述による呼び名。「モナカン」は「鍬、鋤」の意。
「かー」
カーゾン線
第一次大戦後、イギリス外相カーゾン卿が提唱したポーランドとソヴィエトの国境線。
第三次ポーランド分割後のプロイセンとロシアの国境線に近い。ポーランド側はこれを
不満とし、ソヴィエト=ポーランド戦争での軍事的勝利の結果、1921年にリガ条約で
ウクライナとベラルーシの西部を獲得し、カーゾン線より大幅に東側に国境を確定した。
第二次大戦が勃発すると、ナチス・ドイツとソヴィエトは秘密協定に基づき、ほぼこの線で
ポーランドを分割占領した。ポーランドの独立回復に際しても、スターリンの主張により
最終的に両国の国境として確定した。
「せん」「n」
線文字A
古代クレタ人が使用していた言語。
「ファイストスの円盤」に使われている文字。
未解読文字の一つ。
「A」か「えー」
AIM(エー・アイ・エム)
「アメリカ・インディアン・ムーブメント」の略称。北米ミネソタのアニシナアベ族(オジブワ族)の
若者たちで1968年に結成された、インディアンの人権擁護と、権利回復要求のための団体。
黒人団体黒豹党とも連携し、数々の命がけの要求運動を行い、一時代を担った。
1972年のウンデッドニー占拠でも知られる。デニス=バンクス、ラッセル=ミーンズなど、
著名人を輩出。 本部はミネアポリス、現議長は、クライド=ベルコート(オジブワ族)。
「む」
893 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 16:01:42 0
ムソルグスキー
ロシア国民楽派の代表的作曲家。いわゆるロシア五人組の1人。
代表作にオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」、
ピアノ組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲の管弦楽版の方が有名)、
交響詩「禿山の一夜」(リムスキー=コルサコフ編曲版で知られる)
など。
「き」
キープ・カマヨ
インカのキープ(結び目文字)の書記。
「よ」
ヨーゼフ主義
ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の治世における統治の根本思想であった、
啓蒙的改革主義および一連の改革政策を称していう。改革の多くは守旧派の抵抗に
阻まれたり、実情を無視して急進的すぎたため受け入れられず、またヨーゼフ本人が
晩年に反動化したこともあって、挫折に終わった。しかしその改革理念はその後の
オーストリアの改革運動に大きな影響を与えた。
「ぎ」
ギリシア火
ビザンツ帝国で使用されていた火炎放射器。
着火した液体を長い管に通し、敵陣に向けて放出する。
673年のコンスタンチノープル包囲戦で投入され、サラセン・アラブ軍を撃退した。
火薬の細かい成分や製法が記されている文献は存在しないが、
シルクロード経由で輸入されていた「中国の雪」こと硝石を用い、
それに硫黄、樹脂、ナフサを混ぜ合わせたものであろうと推定される。
「ひ」「び」
ビトル
南米 マヤの神。 天空の神であり、全世界と人間を創造した七人の神のうちの一人である。
「る」
ルバイヤート
中世ペルシアの四行詩であるルバーイイの複数形で、「四行詩集」という意味になるが、
もっぱら11世紀ペルシアの詩人オマル・ハイヤームの詩集を指す固有名詞として用いられる。
「と」
東京龍原府
渤海の首都だったこともある都市。
現在の吉林省にあったとされる。
「ふ」
フ=ウムイ族
北米 ネブラスカ原住の平原部族、オマハ族の、シャイアン族による呼び名。
オマハは、「風、または流れに逆らって行くものたち」の意。
「い」
李貞(イジョン)
朝鮮の文臣。出世には縁がない貧乏両班だった。
息子の名前は李舜臣。
「よん」か「n」。
902 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 23:20:35 0
「じょん」「ng」もありではないか?
ヨンネ
欧州 ケルトの神。 川の神である。
「ね」
>>902 ありですよ。
涅槃
ニルヴァーナの漢訳。
梵語の「吹き消す」からきた言葉で、
日本で一般には「彼岸」と同様の意味で扱われているような。
「はん」か「n」
ハンヘピ=ウィ
北米 スー族の月の女神。ハン=ウィ。 太陽神ウィの妻。 蜘蛛の精霊イクトミの策略によって、
宴席において神々の前で恥をかかされ、それ以来、半分顔を隠すようになった。
「うぃ」
ウィクリフ
ジョン・ウィクリフ。14世紀イングランドの神学者。
「命題集」などの著作中で真っ向から教会・教皇庁批判を行い、
教会の介在を必要としない、人と神の直接的な結びつきを説いた。
ランカスター公家の保護を受けていたため教会の弾圧を免れていたが、
死後異端とされ、遺体は焼却されてその灰を川にばら撒かれた。
「ふ」
環伊(ファンイ)
李朝の王子永昌大君を呪い殺そうとした実行犯である女官。
主犯は他の女官で、環伊のほか巫女や宦官にも呪わせた。
環伊は金色の猫の目を針で刺し、壷の中に入れた。
「い」
イツィシピサ族
北米 モンタナのシクシカ族(ブラック=フット族)の、
>>301のヒダーツァ族による
呼び名。「黒足」の意。 シクシカ族の、黒いモカシンを履く習俗からこう呼ばれた。
「さ」
サッフォー
紀元前6世紀ごろの女性詩人。
レスボス島で女性だけのサロンを主催し、少女たちを愛した。
謀反で島流しになったこともある・
「お」「ふぉ」
フォカス
ビザンツ皇帝(位:602-610)時の皇帝マウリキウスに対し反乱を起こし
帝位を簒奪。が、ササン朝の侵攻、各地での反乱が相次ぎ帝国は混乱。
反乱の首謀者の一人ヘラクレイオスによって廃された。
「す」
スッドーダナ
お釈迦様の父君。
漢字では浄飯王。
「な」
ナノニクス=カレニキ族
北米 大平原部族シャイアン族の、テキサスのキチャイ族による呼び名。
「き」
昨日の世界
オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクの回想録。1940年頃に書かれた。
「い」
イカロス
ギリシア神話の登場人物。ダイダロスの息子。クレタ島のミノス王の不興を買い、
父とともに塔に幽閉されるが、蝋で鳥の羽根を固めて翼をつくり、空を飛んで脱出した。
しかしイカロスは調子に乗って高く飛びすぎ、太陽の熱で翼の蝋が溶け、墜落死した。
「す」
スコーネ
スウェーデン最南端の県。歴史的に長らくデンマーク領であった時代が続き、スウェーデンの支配が
確立したのは17世紀であった。そのためこの地方の方言であるスコーネ語(スカンスカ)は
デンマーク語とイントネーションが近く、また文化の面でもデンマークの影響が強い。
スカンジナビア半島でもとりわけ気候温暖で土地も肥沃であり、スウェーデンの穀倉地帯と言われる。
中心都市マルメは、ストックホルム、イェーテボリに次ぐスウェーデンでは第3の都市である。
「ね」
ネッシー
スコットランドのネス湖に生息すると言われる、世界的に有名な未確認生物(UMA)
「ネス湖の怪獣」の愛称。史上最古の記録は、565年にアダムセンが書いた「聖コロンバ伝」とされる。
有力な証拠とされてきた写真が捏造だったという告白が報告者本人からなされたり、
大規模な確認調査が失敗に終わるなど、実在の可能性はきわめて低いと見なされている。
「し」
シュテファン・ツヴァイク
20世紀前半に活躍したオーストリアの作家。抒情詩人として文壇に登場、
その後は戯曲、小説などを書いた。ヒューマニズムの立場から書かれた
数多くの評伝は多くの読者を獲得した。
「く」
クリンクワン族
北米 北西部 ハイダ族のバンドのひとつ。 アラスカのコルドバ湾周辺に原住する。
「わん」
望安島(ワンアンタオ)
台湾の領地で18の小島からなる。
名付け親は鄭成功。
遠くからこの島を眺め、無事に航海できるように望安と名づけた。
「お」
オンノンターレ族
北米 北東部 イロコイ連邦の構成部族のひとつ、カユーガ族のバンド。
ニューヨーク州、セネカ川の東一帯に原住した。
「れ」
レバノン杉
マツ科ヒマラヤスギ属に属する針葉樹。レバノンの国旗のデザインに用いられている。
良質の木材となる大型の樹木で、古代には中近東一帯に広く自生しており、
建材や船材に利用されていた。大規模に伐採が進んだ結果、現在はレバノンなどの
ごく一部の地域にわずかに残るのみとなり、保護の対象となっている。
「ぎ」
ギドゥチカドゥ
北米 ネバダ 北パイウテ族のバンドのひとつ。
ネバダ〜オレゴン〜カリフォルニヤにかけて原住した。
「どぅ」
ドゥシャンベ
タジキスタンの首都。タジク語で「月曜日」の意味。1929年にタジク自治共和国の
首都に定められ、スターリナバード(「スターリンの町」の意味)と名付けられた。
1961年にかつての村落の名前に由来する現在の名称に改められた。
「べ」
ベオウルフ
英雄ベオウルフの冒険を物語る、古英語で書かれた叙事詩。イギリス最古の文学作品の1つであり、
ゲルマン諸語の叙事詩の中でも最古の部類に属する。また、古英語の文献の中で最長のものであり、
言語学的にも貴重な文献とされる。成立時期は明らかではないが、8〜9世紀の間と考えられている。
若き日の勇士ベオウルフの活躍を描いた第1部と、時代が飛んで、老いた王ベオウルフの最期までを
描いた第2部からなる。
「ふ」
フム=ア=ルー族
北米 ワシントン州 スカギット族の自称。「人間」の意。
「るー」
ルーン文字
古代ゲルマン民族の使用した文字。 魔力を秘めていた。
「じ」
ジキル博士とハイド氏
19世紀後半のイギリス(スコットランド出身)の小説家ロバート・ルイス・スティーヴンソン
の代表作である小説。二重人格を題材にした小説として名高く、「ジキルとハイド」は
二重人格の例えに広く用いられる。
「し」
西安(シーアン)
中国陝西省の省都。もともとこの一帯には西周の都・豊京、鎬京、秦の都・咸陽があったが、
前漢の時代、咸陽の郊外に新たに長安が建設されて前漢・新の時代を通じて都となった。
また、魏晋南北朝時代には前趙、前秦、後秦、西魏、北周が都とした。隋の時代になると
郊外に大興城が新たな都城として建設されたが、これが唐代の長安となった。五代以降は
都となることがなかった。西安の名は、明の洪武帝が西安府を設置したことに由来する。
「あん」「n」
アンギアヨ=ロノ族
北米 フロリダ原住のセミノール族の、ワイアンドット族による呼び名。
「半島の人々」の意。
「の」
農書(のうしょ)
南宋初期、陳偶が著した農業書。
金によって華北を占領され、江南部だけで大量の人口を養わなくてはならなくなったため
それを補うための生産力増大を旨として書かれた。
全3巻で、上巻は農業、中巻で牧畜、下巻では養蚕について記されている。
「しょ」「よ」
順承門(ションチョンメン)
清が台湾のペンフー島に築いた城門。
この城壁により台湾→中国という進出ルートを防ぐ。
「めん」「n」
メンルヴァ
古代エトルリアの女神。 ギリシアにおけるアテナであり、兜、槍、盾を帯びたその姿は、
アテナに受け継がれた。また、神(ティニア)の頭から生まれたというのもアテナと共通する。
「ヴァ」
ヴァッサー女子大学
19世紀に創設されたアメリカの名門女子大。
ジャクリーン・オナシス、大川捨松もここのOG。
「さ」か「く」
クロスボウ
からくり仕掛けの弓。中国の「弩」が原型といわれる。
トリガーを引くだけで矢を射出できるため弓の初心者にも扱いやすく、
また威力や射程距離、命中精度も通常の弓を大きく上回るため
射出速度が遅く連射できないという欠点があるにもかかわらず重宝された。
が、甲冑に身を包んだ英雄的騎士が農民に射抜かれ殺される、という事件が起こり、
「残虐で危険極まりない武器である」とされて、
ついには教皇インノケンティウス2世がキリスト教徒同士での使用を禁じるに至った。
「う」
ウェンディゴ
カナダ 変幻自在の人喰い妖怪。かつてカナダでは、行方不明者はウェンディゴの
犠牲者として報じられた。アルゴンキン語族の人肉食の習慣と関わりがあるようで、
そういう精神状態を「ウェンディゴ・サイコシス」と呼ぶ場合がある。
「ご」
ゴルダ・メイア
イスラエル第4代首相。
親族関係なく国家の長となった女性。
鉄というより鋼の女。
「あ」
アル・ラージー
イランの不世出の医者。賢者の石を求めた錬金術師だとも。
「じ」「じー」
ジャンヌ・マルタン・シセ
国連安全保障理事会の議長に女性としてはじめて就任。
ギニア人でギニア国会の初の女性議長にもなった。
「せ」
セウタ
モロッコにあるスペインの植民地。
フェニキア人が建設した都市が起源だが、
ローマ時代の「セプテム・フラトレス(七人の兄弟)」が現地名の語源。
「た」
タワ
北米 南西部 ホピ族の、非常にポピュラーなカチーナ(精霊)。
太陽を象徴する精霊であり、人間を創造した。
「わ」
ワールシュタット
1241年、バトゥを総司令官とするモンゴルのヨーロッパ遠征軍が
シュレジドイツ騎士団・ポーランド・ハンガリーなどの東欧諸侯連合軍と激突した戦場。
連合軍はフルプレートで重武装した騎士団が主力の精強な軍団だったが
指揮系統に問題のある烏合の衆であり、采配面でモンゴル軍に大きく遅れをとっていた。
結果、連合軍はモンゴル軍による偽装撤退→誘い込み包囲攻撃で壊滅させられる。
「と」
トール=バ
北米 北東部 アベナキ族の神話に出てくる、愚かな亀。
英雄神グルスカップの叔父さんである。
「ば」
バーバラ・ハットン
20世紀前半のアメリカの大富豪。
ウルワース家の一人娘で莫大な財産を相続した。
「男性がいなければ人生なんか意味がない」と7回結婚する。
旦那の一人はケイリー・グラント。
「とん」「n」
944 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 14:49:26 0
敦煌(とんこう)
中国甘粛省北西部の都市。かつてシルクロードの要衝として栄えたオアシス都市。
近隣にある莫高窟と
>>762で有名。敦煌の名を、後漢の学者・応劭は「大にして盛ん」という
意味だと説いているが、現在はソグド語など外来語の音訳という説が有力である。
「う」
945 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 15:03:11 0
禹(う)
伝説を含めれば中国最古の王朝、夏の創業者
五帝の顓頊の孫で治水に優れた才能を見せ
諸侯から押され王位に就いたという。
「う」
一文字でスマソ
ウル
ユーフラテス側下流域にシュメール人が建設した都市国家
王墓からは殉死者や黄金の副葬品が発見された
日干し煉瓦の城壁で囲まれた聖域の中にジッグラトがそびえ立っていた
現在のイラク国内に位置する
「る」
ルアンプラバン
ラオスの旧王都。
世界遺産の一つ。
「ばん」か「n」
バンビシュパフヌピ
北米 アイダホ原住の、西ショーショーニー族のバンドのひとつ。
リーズリバー谷近辺に野営していた。
「ぴ」
949 :
世界@名無史さん:2006/01/29(日) 00:32:33 0
ピグミー
アフリカ中央部の森林地帯に住む小柄な民族
その殆どが小規模血縁集団である。
農耕民との共存の結果
現在では、その文化は希少なものとなっている。
「みー」
950 :
ミドハト=パシャ:2006/01/29(日) 01:24:05 O
オスマン帝国末期の革新的政治家 ミドハト憲法を発布した。露土戦争敗北の責任を問われ、アラビアに流刑され死亡
OKです。
次は
「み」
・・・で
ミドハト=パシャ
だったわけねorz
次は
「しゃ」「や」
シャロン、アリエル
イスラエル首相。イギリス委任統治時代のパレスチナで1928年にロシア系移民の子として生まれる。
旧名アリク・シュナイダーマン。軍人としてイスラエル独立宣言以降の全ての戦争に参加し、
戦果を挙げた。1973年に政界入りし、2001年に首相に就任。
2006年1月4日夜(現地時間)に重い脳卒中で緊急入院し、現在も重体が伝えられている。
「ろん」「n」
ロンギヌスの槍
新約聖書において、イエス=キリストの脇腹を貫いたとされる槍。
聖遺物。アーサー王物語にも登場する。
ローマのコンスタンティヌス帝が最初に発見し
その後、テオドシウス・テオドリック・カール大帝・フリードリヒ1世らの手を転々とした後
現在はウィーンのホーフブルグ宮殿に展示されている。
しかし、一体いかなる偶然を持って300年強の間失われていた聖遺物が突然見つかったのか、疑問が残るところも多く
現在の歴史家の殆どは、後代の王達によって捏造されたものである、と認識しているのが実際である。
「り」
956 :
世界@名無史さん:2006/01/29(日) 18:25:48 0
リンドバーグ、チャールズ
人類初の大西洋単独無着陸飛行に成功したパイロットでピュリッツァー賞受賞者。
その時「翼よ!あれが巴里の灯だ」と言う名言を残し、同名の著書も出版された。
息子の誘拐事件も有名で
アガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件」は
この事件をモチーフとしている。
また、親ナチとしても知られているが
これは彼が孤立主義者であったことも、多く関係している。
「ぐ」
グウン・ゴア
モンゴルの将。ジャライール部の出身だったが1196年以降チンギスに従う。
タタル部、ジェルキン部などの討伐で功を挙げ、
その戦場で後に四駿の一人となる戦災孤児・ボロクルを保護した。
息子は四駿の一人でモンゴルの東方攻略を一手に担うことになる「国王」ムカリ。
「あ」
アンナ・ログスタッド
ノルウェー初の女性国会議員。
1909年に男性議員の代行者として選ばれる。
それまでは教師だった。
「ど」
959 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 00:26:15 0
ドイツ騎士団
十字軍期に成立した3大宗教騎士団の1つ
13世紀の十字軍の失敗後は東方植民に活躍
バルト海沿岸地域をキリスト教化し、ドイツ騎士団領を建てる
しかしその後、1410年のグルンヴァルトの戦いでポーランド=リトアニア連合軍に大敗を喫し
ユンギンゲンら枢軸の幹部が悉く戦士を遂げると、その後約100年間、ポーランドに圧迫され続ける弱小国家と成り果てる
1525年、団長が新教に改宗したのをきっかけに世俗化。プロイセン公国となった
「だん」「n」
960 :
ん:2006/01/30(月) 02:13:43 O
「ん」で終らせちゃったやん(;゜∀゜)=3
ダンツィヒ
ポーランドの港湾都市グダニスクのドイツ語名。歴史的にはむしろこのドイツ語名で知られる。
「ひ」
ヒンデンブルク
ドイツの軍人。1914年のタンネンベルクの戦いで
ロシアの大軍の侵入を食い止め、
国民的英雄となる。
軍人を引退した後、1925年の大統領選に出馬、
圧勝し、1934年の死まで大統領を務めた。
次は「く」。
クレタ文明
前2000〜前1400頃に地中海のクレタ島を中心に栄えた青銅器文明
この文明で使用された 線文字A は未だ未解読なため
この文明の構成民族であるクレタ人については、民族系統・社会組織など不明な点が多い
オリエント文明の影響を受けているが
城壁の無い宮殿や、海洋生物や人を躍動的かつカラフルに描いた壁画や壷絵からは、彼らの解放的性格が伺える
伝説の王・ミノス王の頃に隆盛を極めたと言われているが、最終的にはアカイア人の侵入で破壊された
「い」
イプ
ハワイのヒョウタン製楽器。
フラ・カヒコのリズムに用いられる。
「プ」
965 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 00:25:12 0
プーチン
ロシア連邦現大統領
ゴルバチョフの後を受け、就任した
経済成長には一定の成果を収めている物の
貧富の差の拡大・汚職の横行・マフィアの横行などによる治安の悪化が進んでいる
チェチェン問題についても強気の姿勢で臨んでいるものの、解決の兆しが見えない
尚、旧ソ連KGB出身。色々と油断できない人なのかもしれない
「ちん」「ん」
チン=アン=エヴ
北米 ユタ東部〜コロラド南西部部族、ユテ族の狼のトリックスター。 チナネヴ。
「ヴ」
ヴァルヴァラ・カシェヴァロヴァ・ルドネヴァ
ロシアの女医第一号。
助産術を学んでいたが、部族の首長のバックアップで医学アカデミーに入学。
その部族はイスラム教徒が多かったため、女性を診察する女医が必要だった。
正式な肩書きは得られなかったが、1868年事実上の女医となる。
「ヴぁ」か「あ」。
968 :
世界@名無史さん:2006/02/03(金) 20:36:10 0
ヴァイキング
8Cからその後300年以上ヨーロッパを席巻した北方系ゲルマン人
その名の由来は「Vik(入江)の人」だと思われる
彼らはロング=シップと呼ばれる船を操り、海賊行為を働いて名を馳せたが
元々の生業は漁業・農業などで、特に職人としての技量は当時の世界最高水準の物であった
スカンディナビア半島から進出した彼らは、その機動力の高さ・神出鬼没さで先住者達を散々に苦しめ
8C〜10Cにかけて数多くの王国をヨーロッパに立てた
独自の宗教観を持つ彼らに対してはキリスト教の寺院・神父などは無意味な物であり
これらの物を破壊し、略奪し、殺戮した為、キリスト教徒に恐れられた
しかし、時代が進むにつれ、ヴァイキングは次第にキリスト教徒化し、王となり、貴族となり
彼らの祖先の自由・独立の精神は失われていく事となる
「ぐ」
グラーフ・ツェッペリン
本名はフェルディナント・フォン・ツェッペリン。ドイツの軍人・飛行船製作者。
グラーフは「伯爵」を意味するドイツ語で、通常この後には貴族を意味するフォンを付けない。
アメリカ南北戦争時、観戦武官として北軍に従軍の際、気球が敵情視察に使われていることを知る。
後に皇帝ヴィルヘルム1世に飛行船の製造を建白したが却下されると退役し、飛行船の製造に着手、
飛行船会社を創設する。
1900年、世界初の硬式飛行船の飛行に成功するも、04年24時間飛行挑戦中に墜落・炎上。
破産の危機に陥るが、多額の義捐金を元に工場を建設し、世界初の航空会社を創設。
第一次大戦ではヴィルヘルム2世に飛行船の使用を進言し、空襲・哨戒任務に使用されるが
速力が低く機体が大きいためイギリス軍戦闘機の餌食になるケースが多かった。
「りん」
970 :
世界@名無史さん:2006/02/04(土) 01:10:15 0
リンガ
サンスクリット語で、ずばりオチンチンのこと。
抽象化されたシヴァの男性器で、黒い円筒形の男根の形として表わされる。
リンガは、もともと一般的なシヴァ神の崇形態であり、
男根の形をしたその柱は、男性的創造原理として神をあらわしている。
女性性器の形をしたヨーニ(女陰)の台座にはめ込まれた御神体として祭られ、
男女の結合を意味する。
「ガ」
ガーンジー島
狭義には、フランスのノルマンディー半島西方沖、イギリス海峡に位置するチャネル諸島の島の1つ
(Guernsey Island)を、広義にはガーンジー本島の他、オルダニー島、サーク島、ハーム島、ジェソウ島
やその他の小島を含むイギリス王室の属領(Bailiwick of Guernsey)を指す。同じくチャネル諸島の
イギリス王室属領であるジャージー島とともに、連合王国には属さない保護領となっていて、EUにも
加盟していない。独自の議会と政府が外交と軍事を除く内政を司り、イギリス議会に代表を送っていないが、
外交と防衛はイギリス政府に委任している。 英語とフランス語を公用語とする。
933年にノルマンディー公ギヨームがブルターニュ公から奪取し、ギヨームが1066年にイングランド王
ウィリアム1世として即位して以来、歴代のイングランド(のち連合王国)国王の直轄地となっている。
「う」
ウルゲンジ
現在のウズベキスタン、タシケントから西に1000キロあたりにある都市。
ホラズム王国の時代には首都だったこともある大都市であったが、
チンギス・ハーンの大西征でチャガタイ、オゴタイの軍により攻略された。
「モンゴルの大番頭」ことヤラワチの出身地として有名。
「ジ」
ジャージー島
狭義には、フランスのノルマンディー半島西方沖、イギリス海峡に位置するチャネル諸島の島の1つ
(Jersey Island)を、広義にはジャージー本島の他、いくつかの無人島を含むイギリス王室の属領
(Bailiwick of Jersey)を指す。
以下
>>971参照
「う」
飲食知味方(ウンシクチミバン)
17世紀頃に書かれた朝鮮最古の料理書。
書いた張夫人は息子たちを官僚に育て上げた良妻賢母としても有名。
「ばん」か「n」
975 :
世界@名無史さん:2006/02/06(月) 11:45:53 0
バンコク
タイ王国の首都。
「ク」
976 :
世界@名無史さん:2006/02/06(月) 12:08:42 0
クルンテープ
上に同じくタイ王国の首都。造営当時は、勅令によれば
「クルンテープマハーナコーンアモーンラッタナコーシンマヒンタラーユッタヤーマハーディロッカポップノッパラットラーチャターニーブリーロムウドムラーチャニウェートマハーサターンアモーラピマーンアワターンサティットサッカタティヤウィッサヌカムプラシット
(インドラ神がヴィシュヌカルマ神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、インドラ神の戦争のない平和な、インドラ神の不滅の宝石のような、偉大な天使の都)」と呼ばれたが、
1971年のタノーム元帥の革命後、同年の12月21年の革命団布告によって、ナコーンルワンクルンテープトンブリーと改称された。
さらに翌年には、12月13日の革命団布告によってクルンテープマハーナコーンと改称された。この略称としてクルンテープが現在よく使われている。
977 :
976:2006/02/06(月) 12:09:55 0
すまん忘れてた。
つ「プ」
プノンペン
カンボジアの首都で、国内最大の都市。 メコン川とサップ川の合流点に位置する。
フランス植民地時代の美しい街並みが残っている。
王宮があり、カンボジア国王が住んでいる。
名称は、この街の丘に建つ寺院のワット・プノン(Wat Phnom)に由来する。
1975年4月17日クメール・ルージュにより陥落し多数の犠牲者が出る
市域には、ポル・ポト政権時代に、大量の虐殺が行われた、キリング・フィールドがある。
国際空港がある。カンボジア国内の国際空港はこことシェムリアップの2つ。
国立博物館があり、アンコール遺跡に複製品がある、本物のライ王の像などがある。
「ペン」「n」
979 :
世界@名無史さん:2006/02/06(月) 12:54:06 0
ペンタゴン
アメリカの国防総省総司令部の庁舎、または総司令部そのもののこと。
建物の形より英語で五角形を意味する「ペンタゴン」で呼ばれる。
5階建てで、各床に環状の廊下がある。
この構造により、世界最大のオフィスビルでありながら、
一番遠いところにも10分以内でたどり着くことができるとされている。
所在地はワシントンD.C.郊外のバージニア州のアーリントン。
約23,000名の軍事・民間の従業員、約3,000名のペンタゴンの国防以外の援助要員を収容する。
1943年1月15日に完成。2001年9月11日、
テロリストにハイジャックされた民間航空機が衝突し、一部が崩壊・炎上した。
その後、元の石材と同じものを使用して迅速な復旧がなされた。
「ゴン」「n」
内房歌辞(ネバンカサ)
朝鮮において、母親が娘に嫁としての心得を教えるために書かれた定型詩。
娘は嫁ぐときに持っていき、自分で書き足し、また娘に渡した。
「さ」