1 :
世界@名無史さん:
一千年におよぶビザンツ帝国の歴史をいろどった周辺諸民族との
関係についてかたりませう。
サーサーン朝、スラヴ人、ブルガリア人、アヴァール人、西突厥、
ヴァンダル人、ゴート人、アラブ人、ノルマン人、ヴェネツィア人、
ジェノヴァ人、セルジューク朝、アルメニア人、カタルーニャ人、
オスマン朝…
2 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:29:10 0
2get
3 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:38:18 0
目の付け所がよさそうなスレだな
期待してレス
4 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:48:43 0
ブルガリア人殺し
5 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:52:55 0
ゼノン帝の本名がタラシデコッサ(トラスカリッセウス)だと
知ったときは思わずのけぞりますた。
もともとイサウリア人の族長だったのね…
彼の治世に西ローマ帝国は滅亡。
また東ゴート王テオドリックがオドアケルを敗死させる。
6 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:52:56 0
西突厥のイステミ可汗ことディザブロスとユスティニアヌス、ホスローの三つ巴外交関係について。
同じ年の内に玄奘三蔵およびヘラクレイオス1世の二人と会見した
西突厥の統葉護可汗ことトンヤブグについて
アフガニスタンのテュルク・シャーが
「FROM KESARO(ローマの副帝or皇帝<カエサル>)」
と名乗ってるのは謎
8 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:11:49 0
>>6 サーサーン朝のホスロー1世は、最初は突厥と手を結んでエフタルを
滅ぼし、突厥の王女を妻に迎えたりしたが、6世紀後半になると突厥
との関係が悪化した。
当時突厥に貢納していたソグド人は、カスピ海の北廻りのルートで
中国産の絹をビザンツへ輸出する新しい通商路の開拓を狙っていたが、
これはサーサーン朝に邪魔されてなかなか実現しなかった。
そして突厥の可汗(ディザブル)はソグド人の王マニアックを使節として
ビザンツ宮廷に派遣し、ビザンツと突厥との同盟を締結させた。
9 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:35:43 0
>>6 統葉護可汗(トンヤブグウ、ジベール)はビザンツ皇帝ヘラクレイオスと
組んでホスロー2世を攻めている。
また玄奘三蔵は統葉護可汗にインドに行く通行証をもらっている。
10 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:39:55 0
マニアックにワラタw
ベリサリウスやナルセスの時代のビザンツ軍はどんなだったんだろう?
ヤパーリ古代ローマの影響が大きかったのか?
>>6 あまり知られていないけど、ユスティニアヌスはエチオピアとも同盟して、
彼らにサーサーン朝を攻撃させようと試みている(結局は成功しなかったが)
突厥のトゥルクサントスが、ビザンツの使節ウァレンティノスを迎えたときに
言った言葉
「ここに私の十本の指があるが、ローマ人はこれと同じ多くの舌を有し、
欺瞞と偽証の言辞を弄する。現に貴下が私自身に言う言葉と私の臣下に言う
言葉は別物である。かくして諸国民は次々と諸君の背信的な雄弁に欺かれてきた。
貴下は自分の同盟者を戦争と危険に投げ入れて彼らの労苦を横取りしながら、
これら恩人を平然と見殺しにする。速やかに帰国して君主に復命し、トルコ人は
虚偽を述べたり許したりできない国民であるからローマ皇帝はこの種の背信行為
への罰を必ず受けずにはいない、と伝達せよ。
現に彼は甘い空疎な言葉でわれわれとの友好を乞い求めながら、我が逃亡の民
たるウァルコニ族(注:アヴァール人)とも気脈を通じている。もしも私がこの
哀れな奴隷らを目がけて出撃しようものならば、彼らはわれわれの鞭の音を
聞いただけで慄え上がり、蟻の巣のように我らの無数の騎兵隊の蹄に踏みにじられよう。
私は彼ら騎兵隊によるローマ帝国への侵攻路を知らぬわけではないし、コーカサス
山脈がローマ帝国の難攻不落の防壁だとの空しい強がりにも騙されない。
私はドニエストル、ドナウ、ヘブルスの水路を知悉している。最も好戦的な
国民も過去にトルコ族の武威に屈してきた。東の端から西の端まで大地全体は
我が財産である」
>>14 イエメン総督マスラマとか、ムハンマドが生まれた「象の年」とか、
ヒムヤル王国滅亡とかの関連のはなし?
>>16 ヒムヤル王ドゥナーンがユダヤ教に改宗し、キリスト教徒を弾圧したので、
キリスト教国であるエチオピアが介入してヒムヤル王国を滅ぼした。
ヒムヤル王国が滅亡した後、エチオピア国王はビザンツに正統派主教の派遣を
要請したりしている。
ユスティニアヌスは絹貿易をエチオピア経由に切り替えて、その代わりに
エチオピア(当時はアラビア半島の一部も支配下においていた)にサーサーン朝
を攻撃させようとした。
しかしエチオピアの支配は長くは続かず、アブラハという人物がヒムヤル王国を
簒奪し、ユスティニアヌスは貢納とビザンツの宗主権を受け入れる代わりに
アブラハと友好関係を結んだ。
18 :
世界@名無史さん:2005/06/25(土) 20:09:10 0
ttp://homepage2.nifty.com/rhino40/extra-data/derbent/data/what-derbent.htm デルベントとデルベント要塞
578年から15年間続いた内乱の末、分離した西突厥帝国の統葉護可汗
(トウヤブグカガン)は626年に東ローマ帝国ヘラクレイオス帝と、共通の敵
であるササン朝ペルシャに対抗するために同盟を結んだ。
ハザール族を主力として侵攻した突厥は、デルベントを越えアルバニアを蹂躙、
東ローマ軍とともにティフリス(現グルジアの首都トビリシ)を包囲した。
トゥヤブグカガン暗殺などによる内乱で630年に西突厥帝国が崩壊した後、
その城塞を支配したのは突厥帝国の氏族が支配層となったハザール可汗国だった。
同じ頃、南方の主役もアラブ・イスラム帝国に代わる。
アラブとハザールはデルベント要塞を争奪しあった。そして713年に、
アラブの武将ハビーブ・イブン・マスラマが一人の住民の裏切りによって城塞
に侵入、占領した。
マスラマは要塞の破壊を図ったが、余りに強固のためか機能は残されてしまった
らしい。アルメニア総督ジェラーフ・イブン・アブダラーフ・アル・ハカミの
進軍に始まる『ハザール・アラブ戦争(721年〜737年)』開戦前夜にも
この要塞を巡る攻防戦が起きていたし、ジェラーフが南のアルデビールで
ハザールのバルジールに殲滅された後にその地域の総督についたマスラマは
732年の侵攻でデルベント要塞を包囲しつつ町を通過してハザールに進軍
している。
この後にハザールの立てこもる要塞を水源に毒を流すことによって奪取した
マスラマは、要塞の強化を図っている。
>>4 559年に、ブルガール系のクトリグルの族長ザベルガンが、スラヴ人とともに
コンスタンティノープルを包囲していますな。
このときはベリサリウスが彼らを撃退したが。
ユスティニアヌスが東ゴート王国を滅ぼしたせいで、かえってスラヴ人や
ブルガール人のドナウ河以南への侵入が容易になったのかも。
ブルガリアにいるトルコ系住民はオスマン・トルコ人だけでなく
クマン人やウズ人の子孫も多いとか。
>>20 トルコ系遊牧民といえばペチェネグ人もいたな。
キエフ・ルーシのスヴャトスラフはぺチェネグ人の攻撃を受けて死んだが、
彼らのバックにはビザンツがいたという説もある。
スヴャトスラフはブルガリア人を撃破した後、占領地に居座り続けたので、
ビザンツにとっては疎ましい存在となっていた。
個人的にはスヴャトスラフ可汗と呼びたい。
23 :
世界@名無史さん:2005/06/27(月) 20:58:38 0
>>6 ハザール人はもともと西突厥に服属していた。
最後はスヴャトスラフ率いるルーシの軍勢によって滅ぼされる。
ユスティニアヌス2世リノトメトス(鼻削がれ帝)は、クリミア半島のケルソンに
流された後、ハザールの可汗のもとに身を寄せ、その王女と結婚。
ティベリウス3世(アプシマル)はこの可汗を買収してユスティニアヌスを暗殺
させようとしたが失敗。その後ユスティニアヌスはブルガリア人の援助を得て
復位する。
もう一人、コンスタンティヌス5世コプロニュモス(糞)もハザールの王女を
妻に迎え、間に生まれたのがレオン4世。
24 :
世界@名無史さん:2005/06/28(火) 18:44:23 0
>>4 帝国の北の国境は長いことドナウ河だったんだけど、コンスタンティヌス4世
ポゴナトゥスの時代に、ドナウ以南にブルガリア人が住み着いてしまう。
7世紀はアラブ人の侵入もあって、帝国にとっては大きな転換期だったとオモ。
26 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:06:31 0
預言者ムハンマドの教友、アブー・アイユーブはアラブ軍による第一回
コンスタンティノープル包囲の際にに死去。
彼はムスリムとキリスト教徒双方から神聖視されて、ビザンツ人は旱魃の
ときに、コンスタンティノープルの城壁の下にある彼の墓に詣でて、
雨乞いの礼拝を行ったと伝えられている。
27 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 19:05:05 0
「現在のギリシア人はスラヴ人の子孫」という説がありますが、
南下したスラヴ人はエピロス、テッサリア、西ペロポネソスに多く住み着き、
逆にアッティカや東ギリシアにはほとんど定着しなかったそうでつ。
スラヴ人の農業議事術は、重い土壌・豊富な水量を持つ河川、適度な暑さの夏、
水を保持する森林などのある地域に適したものだったので。
×農業議事術
○農業技術
29 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 19:28:34 0
あまり、というか、ほとんど関係ないが、
「時間線を遡って」ロバート・シルヴァーバーグ
この本は面白かった。主のユスティニアヌス帝時代を扱ったポルノSF小説。
30 :
世界@名無史さん:2005/07/05(火) 17:40:20 0
コンスタンティノープルにやってくる外国人商人は、ミタトンとよばれる公共の
建物に滞在し、滞在期間は一回につき3ヶ月または6ヶ月以内とされ、商品も
市の自由市場ではなく、ミタトンでしか売ることができなかった。
彼らが持ち込んだ商品に10分の1税が科せられたのも、ミタトンにおいて
であった。この税は彼らが税の半額を支払う一方、残りの半額は買い手が
払うというものであった。このように自由を制限される代わりに、外国人
商人たちは、ビザンツの地区当局のいやがらせや個人商人による搾取から
守られていた。これらの事柄はビザンツと外国政府との通商条約に定められて
おり、国際貿易制度の一部であった。
31 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 22:33:38 0
シリアやレバノンで単性論が優勢になったのはなぜ?
もともと単性論が盛んな地域だったでしょ。
こっちで単性論、西方でそうじゃないのが流行ったから論争になった。
なんでもともと東方で単性論が流行したのかはエロイひとに丸投げ。
33 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 19:40:36 0
>>32 シリアやエジプトでは、オリエント的な一神教の伝統が強かったからでは?
ちなみに聖像破壊運動を行ったレオン4世はシリア出身。
聖像を復興させたエイレーネーはアテネ出身。
34 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 00:08:44 0
ビザンツ帝国とイスラーム勢力の関係はどうよ?
ハールーン・アル・ラシードとニケフォロス1世の戦い、
アラブ人による2度のコンスタンティノープル包囲、
ニケフォロス2世フォカスの東地中海の制海権回復…
35 :
世界@名無史さん:2005/07/15(金) 20:20:01 0
>>34 ミカエル8世は一時期ルーム・セルジューク朝の武将をやってたらしいですね。
モンゴル軍と戦って撃退したとか。
>>35 イサキオス・コムネノスとヨハネス・コムネノスの父子もルーム・セルジューク朝
のスルタンの宮廷に亡命していた。
後にオスマン朝のスルタンは、この史実をもとに自分たちにビザンツ皇帝
一族の血が流れていると主張する。
イスラーム海軍は、835年までには「ギリシアの火」を装備するようになった。
844年にはスペインの後ウマイヤ朝も使用。
これに対しブルガリア王クルムは、812年にメセンブリアで36個の銅製サイフォンと
「ギリシアの火」を捕獲したにもかかわらず、それを使って何もすることが
できなかった。
38 :
世界@名無史さん:2005/07/20(水) 10:27:49 0
加藤隆『一神教の誕生』(講談社現代新書)より引用
「ギリシア文化の影響が色濃く残っていた地中海沿岸東部の地域においては、
世俗世界に対する教会指導者たちの指導は、たいへんに綿密で、また文化的
レベルの高いものだった。また一般の人々の文化的レベルもそれに見合った
ものだったと考えられる。したがってこの東部世界では、キリスト教の
西洋的特徴が神学上の詳細な立場も含めて社会全体にかなり確固としたものと
して浸透したと考えられる。このために伝統的な西洋的あり方以外の傾向に
柔軟に対応できなくなる。ビザンチン帝国は、ある意味では西洋的キリスト教
としての文化的レベルが高かったために滅亡したということができるのでは
ないだろうか」
39 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 16:28:39 0
コンスタンティノープル陥落後、ビザンツ文化のギリシャローマ的部分がイタリアに行って
ルネサンスになり、ヘシュカズムなどの神秘主義的なものがロシアに行った、というのを聞いて
すごく納得した覚えがある。
>>39 フィレンツェ宗教会議後、イシドルス枢機卿がモスクワに行ったが、
彼はロシアの主教会議で糾弾されて修道院内に幽閉され、ほうほうの体で
脱出した。
高橋保行氏は、思索することに信仰の重点を置いていたビザンチン時代の
正教に比べると、ロシア国教時代の正教は情緒的に信仰を把握することが
重視されていると書いている。
ttp://teenoso.hp.infoseek.co.jp/fiction.html 1:皇帝陛下はいつ眠られるか予測するスレ(213)
2:緑党ウゼエ!トットト逝ってヨシ!!! Part16(471)
3:本気で死者の復活信じてる奴の数-->(718)
4:お前ら元老院でギソツャ語使うなゴルァ!!(399)
5:隊長! ペルシア人が強すぎてどうしたらいいか分かりません!(61)
6:股間に黒い腫物ができちゃいました。もうだめぽ(255)
7:歴代皇帝陛下の功績を比較するスレ Part 18(43)
8:ここ見てる奴全員不敬罪で 《死 刑》Ψ(≧▽≦)Ψ アーヒャヒャヒャヒャヒャ (517)
9:玉無しナルセスを偉いと思ってる奴はドキュソ!(380)
10:歩兵と騎兵、どっちがイイ!!(゚∀゚)イイ!! か? [激闘編] Part 6(894)
11:お前ら、アンティオキアが地震で大変なことになってるですよ(474)
12:援軍!!キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━キター!!(1001)
13:ベリサリウス将軍閣下を褒め称えるスレ Part 11(328)
14:いくら何でも税金が高すぎるぞゴルァ! Part9(417)
15:マジでローマの国名変更を考えるスレ(153)
16:ヽ(`Д´)ノワアァァァ〜ン、アカデメイアが閉鎖されちゃったよ! 入学金返せ(237)
17:黒死病が怖いです (((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル..(923)
18:正直、異教時代の方がヨカタと思ってる奴の数-->(518)
19:キリスト両性論ってホメロスの半神英雄とどう違うの? Part3(61)
20:隊長! また変な蛮族がドナウ河に現れました!(301)
21:品行方正なマニ教徒ですが、何か? (148)
22:◆ポリスに青党珍走団出現!◆ 二頭立て戦車暴走族ハケーン!(11)
23:ハギア・ソフィアへの道を尋ねるアヅアの田舎百姓を嗤うスレ(512)
24:異端基地 ** 必 死 ** だな(藁(386)
25:テオドラ皇后の踊りを見てハァハァした奴の数 Part 4-->(73)
26:地震が恐くて柱上修行を断念するヴァカ(547)
27:西方征服と紅海貿易、どっちが儲かる? Part2(162)
28:法律ラテソ語が分かりません!誰か助けて(37)
29:ユスティヌス朝とユスティニアヌス朝、本当はどっち?(225)
30:ローマ司教が教皇(パパ)だってよ(ププ...(95)
31:ヴァンダル征服に10年かかると言ってた奴はどこ行った?Part4(345)
32:千年後にも帝国が存続しているか予想するスレ(10)
33:三位一体だから皇帝も三人共治がイイ!!(゚∀゚)イイ!! Part3(333)
34:お前ら本物のコロッセウム見たことあんのか(6)
35:戦車競走でオケラ。また反乱起こしますヾ(゚▽,゚)ノ..ニカ!!(154)
36:法律を作ってるのは異教徒トリボニアヌスってホント?(44)
37:衝撃!ノミスマ金貨が一気に2段階格下げ Part 2 (418)
43 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 00:07:12 0
>>38 >西洋的キリスト教 としての文化的レベルが高かった
西欧人はビザンツ人が戦争よりも外交交渉や貢納金の支払いで問題を解決
しようとするのを見て、彼らを臆病・狡猾と非難したが、そもそも東方教会の
教父たちは、戦争はキリスト教徒にふさわしくないことと考えていたの。
聖バシレイオスは、兵士が命令に服従しなければならないことは理解しつつも、
戦争で殺人の罪を負った者は、むこう3年間懺悔のしるしとして、秘蹟に
あずかるのを控えるべきだと主張していた。したがって戦死は光栄なことだ
とは考えられていなかったし、ビザンツ教会は異教徒との戦争に格別の恩恵を
与えるのを常に拒否してきた。
ビザンツ人は複雑な外交交渉や貢納金の支払いをしなければならなくなっても、
そのほうが道徳的にはずっと良いことだと思っていた。
しかし西方ラテン教会最大の教父である聖アウグスティヌスは、神の命令による
戦いは許される、と考えていた。またゲルマン文化の影響を受けてできあがった
西欧の社会では騎士道のルールが成立し、軍事的英雄に名声がもたらされる
ようになった。
ビザンチン帝国とは、要するに「キリスト教化したギリシャ人によるローマ帝国」ですよね?
>>44 そうでつ。
ここでいう「ギリシャ人」には、異民族出身でギリシャ化された人々も
入りますが。
レオン1世はトラキア人、ゼノンはイサウリア人、ユスティヌス1世と
ユスティニアヌス大帝はイリリクム出身、レオン3世はシリア人、レオン5世は
アルメニア人、ミカエル2世はフリュギア人、バシレイオス1世はアルメニア系
マケドニア人。
ティベリウス3世もゴート人だという説がある。
プロウィンキア
テマ
プロノイア
今も昔も戦争には金がかかるものだが、
外交交渉や貢納で切り抜けたほうが結局は安くついたんだよな。
ビザンツ人にとって戦争は万策尽きたときの最期の手段だった。
49 :
世界@名無史さん:2005/07/23(土) 14:02:54 0
オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズの『ビザンティン帝国の軍隊』に、
「同時代の他国人とは異なり、彼らは早くから、一つの戦闘で勝ちを収めることは
必ずしも戦争に勝利することにはならないという事実に気づいていた。そして、
政治的に無益な戦役で兵や物資を浪費するかわりに、しばしば条約を結び、
賄賂を贈って敵国を買収したのである」
と書いてあった。
ビザンツ人ができるだけ戦争を避けようとしたのは、ある意味彼らの合理的な
性格のあらわれといえる。
コンスタンティノポリスを放棄して
モレアで雌伏とかは考えなかったみたいけど。
>>50 聖母のイコンがコンスタンティノープルを守ってくれる、と
考えていたのかな?
52 :
世界@名無史さん:2005/07/26(火) 16:20:34 0
53 :
世界@名無史さん:2005/07/28(木) 12:58:23 0
ヘラクリウス帝はカルタゴに遷都しようと考えたことがあったらしいな。
>>53 もともとヘラクレイオス父子は北アフリカの総督だったしね。
ホスロー2世の手にエジプトが落ちてから、首都は飢餓に苦しめられていた。
ヘラクレイオスを支えた将軍たちって名前を聞かないが
資料が全く残っていないのか?
エジプトを制圧したのはいとこのニキタスだったかな
57 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 21:38:53 0
>>56 首都を防衛したのはヴォノス、皇帝と一緒に戦ったのは弟のテオドロス。
58 :
世界@名無史さん:2005/08/02(火) 23:17:59 0
>>56 北アフリカでアラブ軍と戦ったのはコメス(督軍)グレゴリウス。
結局はアル・ズバイルの手で討ち取られるんだが。
おお、レスありがとうございます。
ヘラクレイオスの生涯ってドラマそのもので興味あるんだけど
なにしろそれを取り上げた和書がない・・・
ギリシャ語どころか英書も読めないヘタレで
塩野婆でもいいから小説書いて欲しいところだよ
でも、ビザンツ嫌いそうだからな、彼女は。
60 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:21:38 0
>>59 ユスティニアヌス大帝は書くかもしれないけど、ヘラクレイオスや
バシレイオスは無理かなあ…
バシレイオスはサーサーン朝との戦いで、市民の持つ金製品から
ハギア・ソフィア大聖堂の金製品まで溶かしてハザール人に与え、
サーサーン朝を北から攻撃させた。
同時にビザンツ軍が南からサーサーン朝に攻め込み、627年に
ホスロー2世はダスタギルド(クテシフォンの北111q)の宮殿を焼かれ、
翌年側近に暗殺される。
この戦争で両帝国が征服地で重税を取り立て、住民を拉致して行った
ので、アンティオキアやアレクサンドリア郊外の農村は荒廃した。
さらにこの戦争で疲弊した両帝国は、イスラーム勢力を止めることが
できなくなる。
61 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:33:44 0
>>60 でもイスラムの侵攻までそれから6,7年はあったんでしょ。
>>60さん
すみません。
私はただいま勉強中のもので恐縮ですが、
バシレイオス(ヴァシリオス)とヘラクレイオス(イラクリオス)と記述を間違えて折られませんか?
それともマケドニア朝以外にバシレイオスがいたんでしょうか?
生意気言ってすみません、私自身も良く分からないもので、確認までに。
>>61 いわゆる「肥沃な三日月地帯」の南には、ビザンツと同盟関係にあった
ベドウィンのベヌ・ガッサーン王国、サーサーン朝と同盟関係にあった
同じくベドウィンのラフミド王国があった。
これらの王国は農民と遊牧民の微妙なバランスの上に存在していたのだが、
かつてローマ軍が築いた要塞は荒れるままに放置され、ベドウィンは
両帝国に対する忠誠心を失っていた。ペルシャ軍がイェルサレムを
占領していたとき、早くもベドウィンがここで略奪を行っている。
しかしビザンツ側はこのような変化にまったく気づいていなかった。
ダマスクスにいたビザンツの宦官に、ベドウィンが給与の支払いを
求めると、宦官は「皇帝は自分の兵士に支払う給与にも事欠いている
というのに、お前ら犬どもにやる金などあるわけがない」といって
追い払った。
また、北シリアが荒廃していた時期に、メッカから来た商人たちの
おかげで、ダマスクス、ボストラ、ゲラサ、ガザは好景気に沸いていた。
かくしてアラブ軍はビザンツの防衛線を簡単に突破する。
64 :
60:2005/08/03(水) 01:34:05 0
>>62 バシレイオスとヘラクレイオスを間違えた…スマソ。
ヘラクレイオス帝(在位610〜641)
バシレイオス1世(在位867〜886)
バシレイオス2世ブルガロクトノス(在位976〜1025)
バシレイオスって「王」って意味なんだけど
中世ローマ帝国では事実上「皇帝」を意味したんだよなあ。
サファヴィー朝の「シャー」もそんな感じだな。
>>66 イラン(ペルシア)のシャーは「シャー・ハン・シャー」(王の中の王)だから
事実上の皇帝といっていい。
シリアのヤルムークで、ハリード率いるアラブ軍と戦って敗北したのは
将軍マヌエル。
シリア人やエジプト人(単性論)は、ビザンツ皇帝の下で迫害・搾取される
よりも、ムスリムの下で貢納を払って信教の自由が認められるほうを
選んだ。
>>64 60さん
私が自分に自信を持てないためにつまらないことを申しました。
ありがとうございます。
>>63 さん
ガッサーン朝はムウタの戦い、ヤムルークの戦いでビザンツ側として重要な働きをしたそうですね。
単性説キリスト教を報じていたそうですが、ビザンツに殉じて滅んでしまった。
最初にムハンマドの使者を斬ったから途中で裏切れなくなったんでしょうかね。
イラクリオスはアヴァール人に対する備えとしてセルビア人やクロアチア人がバルカン半島に住むことを許可したとあります。
彼らは626年のアヴァール人のコンスタンティノープル襲撃の際、どのような行動をとっていたののでしょう?
アヴァールの軍勢に加わっててビザンツに寝返ったのか、
アヴァールの敗北後に移住を開始したのか。
>>68 スラヴ人はこのときのコンスタンティノープル攻撃に加わり、敗北後も
バルカン半島に居残りました。
ヘラクレイオス帝も、このことに関してさしたる対策をたてなかったようです。
ヘラクレイオス帝がアヴァール人に対する備えとしてセルビア人やクロアチア人に
バルカン半島に住むことを許可したという話は単なる伝説で、スラヴ人の
バルカン半島定住は、もっと複雑で長期間にわたっておこなわれたようです。
70 :
世界@名無史さん:2005/08/05(金) 20:42:22 0
>>53 コンスタンス2世もシチリアに遷都しようとした。
ローマと新興アラブ勢力の両方を監視するのに都合がよいと考えたので。
(結局は暗殺されたが)
71 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 01:46:43 0
質問であります。
9世紀頃、エジプトのアレキサンドリアはビザンチン領ですか?
それともイスラム領でしたか?
72 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:10:46 0
>>71 イスラーム領。
アムル・イブン・アル・アーシが征服。
73 :
71:2005/08/06(土) 23:50:38 0
そうでありましたか。
何せ荒木飛呂彦の漫画に、「聖マルコの遺骸はビザンチン帝国のアレキサンドリアからベネチアに運ばれた。
聖人の遺骸の功徳でベネチアは以後千年にわたって栄えた」とあったので、
「ビザンチン帝国はイスラムの勃興とともに小アジアとバルカン半島以外の領土を全て奪われたんじゃなかったのか?」と
いぶかしく思っていたのですよ。
>>73 ビザンツはイスラーム勢力の勃興後も、南イタリアやクリミアに
ひつこく領土を持っている。
75 :
朱由檢:2005/08/07(日) 00:12:42 0
828年に聖マルコの遺骸を騙し取ってきた話は有名だけど、
当時は既にアレキサンドリアはイスラム領だよね。
たしかアレキサンドリア陥落は642年だったと思う。
ニハーヴァントの戦いと同じ年だったからなんとなく覚えてる。
ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂はコンスタンティノープルの
聖使徒聖堂を模したもの。
77 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:25:30 0
確か聖マルコさまの遺骸の上に豚肉を載せ、イスラムの目を欺いたんだよね?
>>77 Yes.
ヨハネス・カンタクゼノスの治世にコンスタンティノープルで
ジェノヴァVSヴェネツィアの戦いが起きたね。
ペラ(ガラタ)地区に居住していたジェノヴァ人をヴェネツィア艦隊が
襲撃したのがきっかけ。
マルコの名はローマの軍神マルスに由来する、ある意味勇ましい名前。
しかし日本人は「母を尋ねて三千里」のマルコ少年や「ちびまる子ちゃん」を思い出してしまう。
>>69 さん
ありがとうございます。
626年の包囲について、スラブ人のが動向が気になったもので。
どうやら撃退はビザンツの独力と見るべきで、勝利の結果バルカンにビザンツに従うスラブ人が入っていったようですね。
81 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 21:06:59 0
ビザンツ帝国滅亡の原因は何?
両アンドロニコスが外国勢力を引っ張り込んだこと?
第四回十字軍による弱体化?
ビザンツが地中海世界システムの「辺境」に落ちぶれたこと?
82 :
朱由檢:2005/08/07(日) 22:20:59 0
パレオロゴス朝ビザンツ期には官職を売買するようになり、
それまでのような有能な官吏が集まらなくなったことも重要。
83 :
朱由檢:2005/08/07(日) 22:23:44 0
それから、マンジケルトの戦いの惨状を調べればわかると思うけど、
傭兵が軍隊の中核になっていたこともビザンツのアキレス腱になっていた。
84 :
朱由檢:2005/08/07(日) 22:27:30 0
さらに商業における地理的プラス要因も交易権をジェノヴァ、ヴェネツィアに握られ、
利潤を吸い上げられていた。
85 :
朱由檢:2005/08/07(日) 22:32:47 0
政治、軍事、経済すべて行き詰まり、
ビザンツ帝国の最後はただの一都市国家になりさがっていたの。
ビザンツ帝国好きだからなんか悲しくなるよ。
86 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:50:58 0
オスマン朝がティムールに敗れて弱体化した後、何か手を打てなかったんだろうか。
でも東地中海自体、新大陸の発見後は重要性を失っていったからなあ。
近世に入るとヴェネツィアもオスマン朝に押されて地中海の重要拠点を失って
いくし。
87 :
朱由檢:2005/08/07(日) 23:09:14 0
ヴェネツィアはオスマン朝がティムールに敗れて弱体化した時期(1416年)には、
艦隊を派遣したりするんだけど、ガリポリで殲滅されちゃうの。
ビザンツ帝国は…もう無理ぽ。
調べたらわかると思うけど、情けなさすぎて書き込む気も失せちゃう。
…もっと、志を大きく持とうよ〜って、感じ。
手だてをする余裕も力も残ってなかったってことだと思うよ
89 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 01:04:52 0
ゾエという女がビザンチン帝国を弱体化に向かわせたのだ。
我等の母ゾエを守れ!
91 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:40:49 0
佐藤次高『イスラームの国家と王権』(岩波書店)より引用
4−15世紀のビザンツ皇帝は、一貫して「神の代理」として位置づけられて
いたから、一見すれば、アッバース朝時代のように、「神の代理」とされた
カリフとは類似の性格を帯びていたようにも思われる。しかしビザンツ皇帝は
司法・行政・立法など国政のあらゆる面で最終の決定権をもつ専制的な絶対君主
であった。このような通説に対し井上浩一は、貴族による皇帝批判や皇帝に
あるべき統治の原理を示す君主鑑を再検討することによって、専制皇帝理念の
見直しを試みる。その結果、井上はこの理念を空疎なものとして退けるのではなく、
むしろ失政を契機に、皇帝への批判が、皇帝をも縛る「憲法」を掲げて公然と
表明されるという、現実の政治・社会関係を重視しなければならないと説く。
(中略)ビザンツ皇帝の場合には、失政を重ねる皇帝への批判は行われたが、
この種の批判が、イスラーム世界の「フトバを切る」というような明確な
政治手段として確立していたわけではなかった。しかもビザンツ皇帝は、
司法・行政・立法など国政のあらゆる面で最終の決定権を持つ絶対君主で
あった
ことは前述の通りである。これに対してカリフは、アッバース朝時代のように、
たとえ「神の代理」ではあっても、イスラームの教義解釈やイスラーム法制定の
分野に立ち入る権限は与えられていなかったことが特徴である。この点で、
さまざまに制約されたカリフ権は、いわば全能のビザンツ皇帝権とは根本的に
性格を異にしていたとみなければならない。
92 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:19:05 0
一口にビザンツ皇帝権といっても、
ユスティニアヌス大帝の時代と、
バシレイオス2世の時代とではかなり差があるような。
ユスティニアヌスはハギア・ソフィアを建てるための土地を手に入れるのに
苦労したが、
バシレイオス2世は有無を言わさず貴族や大土地所有者の土地を取り上げている。
93 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 19:36:20 0
ガセネタかも知れませんが、何かでアレクシオス1が中国の宋に使節を
送ったというのを聞いたような気がするのですが、どうなのでしょう?
94 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:15:46 0
朱元璋がビザンツに使節を送った例もある。
95 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:45:35 0
絹の製造法は中国→ペルシア→ビザンツという経路で伝わった。
96 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 23:37:16 0
6世紀のビザンツ帝国では、遊牧民の騎兵について将軍たちが研究していた。
ビザンツ人は中華思想を持つ一方で、蛮族のものでも取り入れるという
柔軟な考え方を持っていたことがわかる。
中国もそうだよ。
趙は騎射を取り入れ
秦の膨張を止めた。
98 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 11:46:25 0
ビザンツ軍といえばクルソレス(弓騎兵)とデフェンソレス(重装騎兵)の連携攻撃。
99 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 20:39:19 0
>>98 マウリキオスが「戦術論」を書いたころには、もう古代ローマの軍隊とは
かなり違ったものになっていたようですな。
9〜12世紀にかけて、テマ兵に代わって傭兵の比重が増えていく。
100 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:22:43 0
101 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:30:29 0
>>100 バトゥの兄弟のバラカが指揮する軍勢はブルガリアとトラキアへ侵入したが、
彼はノヴゴロドへ転進したためビザンツとモンゴルの衝突は回避された。
ミカエル・パライオロゴスは、トラキアの城郭でモンゴル軍に包囲された
ことがあるが、彼らの目的はイザディン(トルコのスルタン)の救出だったので、
彼の身柄と財宝を引き渡されて満足した。
ミカエル8世については
>>35みたいな話もあるね。
というかモンゴル軍がトラキアまで来てたとは。
ベリサリウス(´・ω・) カワイソス
104 :
世界@名無史さん:2005/08/26(金) 20:30:38 0
>>103 灼熱の北アフリカ(ヴァンダル王国)からイタリア半島(東ゴート王国)まで
転戦してるんだよね。
主君にも妻にも恵まれなかった悲劇の人。
105 :
世界@名無史さん:2005/08/26(金) 21:06:23 0
トレビゾンド帝国とか、マイナーな割には妙に長続きしている国があったな。
ジャン・メイエンドルフ
ビザンツ文明は何世紀ものあいだ、『アテネ』と『イェルサレム』、翰林院
(アカデミア)と福音(ゴスペル)、古典古代の叡智とキリスト教的神秘主義の
知識(グノーシス)の直截性とのあいだの、解決しがたいジレンマのなかで
生きつづけてきた。
史上最強の宦官ナルセス
109 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 21:34:35 0
ゴート王トティラはナルセスとの戦いで死亡。
その後ナルセスはローマを征服。
新しいゴート王にテイアスが選出され、これまたナルセス率いるビザンツ軍と
戦って敗死。
その後フランク族、アレマンニ族がイタリア半島に侵入してきたが、
ナルセスは彼らを撃退する。
その後ナルセスは15年間総督としてイタリアを統治。
110 :
世界@名無史さん:2005/08/29(月) 22:40:56 0
>>102 ブルガリアを略奪に来たキプチャク汗国軍がトラキアまでたどり着いた例もあるよ。
ビザンツが現代まで続いてくれたら…
と思いつつ、近代ナショナリズムのうねりの中でやはり
解体してしまうのかな。
>>111 オスマン帝国と同じような末路をたどったりして。
113 :
世界@名無史さん:2005/08/30(火) 00:10:32 0
後期ビザンツの力では史実のトルコのようにバルカン諸国を征服できないと思うので
ブルガリアやセルビアのような国々が早くから独立することになるのでは?
というかギリシャも3つぐらいに分裂してたりして。
モレア辺りでくすぶってても良かったのに。
1453年帝国滅亡、という事実は変わらなくても
「実質」と「完全」じゃやっぱり違う。
115 :
世界@名無史さん:2005/08/30(火) 21:59:29 0
ミカエル・パライオロゴスがコンスタンティノープルを回復して、
アナトリア方面の防衛がおろそかになったことがかえって滅亡をはやめた。
奪回したのは配下の武将だからミカエルに責任はない。
たまたま近くに来たら門があいてたので占領したんだっけ?
280 :ラテン帝国の滅亡 :2005/08/03(水) 12:53:30 0
1261年、ミカエル・パライオロゴスはジェノヴァ人と協定を結び、コンスタン
ティノープル奪回を援助するという条件で、彼らに帝国内の諸特権を認めた。
ニケーア軍が首都に接近したのは、ラテン人守備隊のほとんどがヴェネツィア
艦隊とともに黒海のダフヌジア島を奪取するために出かけた後であった。
選ばれた数人の兵士が、首都郊外の農民たちに教わった地下通路を通って
市内に忍び込み、城壁の守備兵を倒して城門を開けた。
翌朝、ニケーア軍がコンスタンティノープルに入城し、通りはミカエルを
歓呼して出迎えるギリシャ人であふれかえった。
ラテン皇帝ボードワンは事態を知ってヴェネツィア艦隊に伝令を送ったが、
ギリシア軍はヴェネツィア船が上陸する予定の埠頭に火を放ち、彼らを
撃退した。ボードワンとその従者たちは宮殿からボートで沖に漕ぎ出し、
ヴェネツィア船にたどりつき、反撃をあきらめた。
かくしてラテン帝国はあっさり消滅。
119 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 23:44:54 0
パライオロゴス朝に、大論争の末、「ヘシュカスモス」(静寂主義)が
ビザンツ教会の正統教義として認められることになったけど、伝統墨守の
傾向が強いビザンツ教会にしては思い切ったことをしたもんだね。
ユスティニアヌス大帝の「偉業」のうち
ベリサリウスの功績が50%前後を占めてると思う。
あとはナルセスとテオドラとユスティヌス一世ので大半は(略
121 :
世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:53:45 0
トラブゾン帝国の軍隊ってどんな感じだったんでしょう?
かなりしょぼそうな予感がするけど。
>>120 何だかんだ言って、ベリサリウスが遠征を続けていられたのはユスティニアヌス1世のお陰だと思うが。
普通はあんな遠征遠征遠征の間に国が破綻する。
ローマ法大全や蚕密輸も忘れてはイケナイ
123 :
世界@名無史さん:2005/10/05(水) 19:22:25 0
ベリサリウスの頃のビザンツ軍ってどんな感じですか?
124 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 09:23:28 0
よくは分からないが、当時の東帝国の軍は戦えば大体負けるといわれているくらい弱かったらしい。
現にべりサリウスは歩兵をほとんどあてにしないで、騎兵を戦闘のメインに使ってたな。
あとは、鉄の精製法がよかったのかどうかは知らないが、ペルシア軍の矢で鎧を貫くことは出来なかったそうだ。
125 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 16:24:40 0
ナルセスがフランク族と戦ったときも歩兵は敵の突撃を受け止められなかったが
騎兵の側面攻撃で勝利を収めている。
皇帝のことをバシレイオス(王)と呼んでた時期
他国の王のことは何と呼んでたんだろうか?
ラテン語のrexでも使ってたとか?
バルカンにはスラブ人、シリア・エジプトにはアラブ人、アナトリアにはトルコ人。
異民族押し寄せ杉。こうして根拠地を失ったビザンツ人は滅んでいったのだなぁ、と思う。
128 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 16:11:40 0
ユスティニアヌス時代にギリシア火が出来てたらどんなによかったかといつも思うよ。
129 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 21:50:12 0
age
130 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 12:00:52 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。
131 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 19:44:19 0
ナルセルも去勢してたっけ?
132 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 20:19:17 0
ナルセスは宦官だったから去勢してたよ。ギリシア・ローマには
存在していた宦官は、中世の西ヨーロッパでは廃れたけれど、
唯一ビザンティンでは存在し続けた。
133 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 14:47:50 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。
134 :
世界@名無史さん:2005/11/04(金) 17:56:16 0
age
135 :
世界@名無史さん:2005/11/04(金) 22:14:50 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。
137 :
世界@名無史さん:2005/11/09(水) 21:57:28 0
あげ
>>126 そのとおり、ラテン諸国の王はρεξ(レクス)。
そのほか、ハザールとかイスラム系のほうをなんと読んでたかは知りませんけど。
どこかで可汗に由来するカガノスという言葉を使ってた、と読んだ記憶もあるのですが、
どこまでホントなのかは不明。
ヴァシリオス(バシレイオス)は人名、あるいは「王の」という形容詞であって、「王」じゃないですよ。
王はヴァシレフス(バシレウス)。
近代ギリシャ王国じゃ自国の王も他国の王も同じふうに呼んでたんだよな。
140 :
世界@名無史さん:2005/11/16(水) 18:15:21 0
あげ
141 :
世界@名無史さん:2005/11/17(木) 08:17:58 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。
142 :
世界@名無史さん:2005/11/17(木) 18:37:12 0
asa
144 :
世界@名無史さん:2005/11/17(木) 19:10:02 0
つうか、ビザンツで去勢は愛欲を立った人とかで尊敬されたそうだ
しかも、宦官になると奴隷から脱却できるらしい
宦官になるくらいなら性奴隷のほうがいい鴨
コンスタンティノープル総主教に宦官が就いた例もあるしな。
147 :
世界@名無史さん:2005/12/05(月) 23:09:55 0
まあどうなんだろうね。
148 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 22:04:21 0 BE:105619673-##
//
_//
/ ||_ノ __________________
\/// ̄\ /
|> <_> \ | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
く\___| <
|∇ \ | 明日宮内庁を爆破する。
\__/ \
|≧||≦ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
149 :
ひみつの検閲さん:2024/11/25(月) 18:17:08 ID:MarkedRes
150 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 08:55:00 0
激しくすれ違い
151 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 22:37:02 0
そのとおりや
152 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 08:32:26 0
カタルーニャ人?
153 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 09:46:02 0
,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
ウプレカス [ Uprecus ]
( 西暦一世紀前半 〜 没年不明 )
ttp://www.din.or.jp/~sage14/20051003.jpg
154 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 00:04:27 0
こいつがどうしたんだ
155 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:30:02 0
156 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:52:19 0
プリスコスの邦訳ってある?
157 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 09:46:52 0
マケドニア朝の三大軍人皇帝
ニケフォロス2世フォーカス、ヨハネス1世ツィミスケス、バシレイオス2世
ブルガリアと戦いバルカン半島制圧、分裂傾向のイスラム勢力を破り小アジア奪還と
東地中海の制海権奪還。中世の全盛期をつくった皇帝。
後、もう一人軍人皇帝が続いてくれたらローマとエジプト
はビザンツのものになっていただろう。
というのは本当かな?
攻勢限界点に達してたっぽい(主戦力の軍事貴族部隊の従軍拒否とか)から_だと思う
160 :
世界@名無史さん:2006/02/25(土) 08:12:22 0
エルサレムぐらいは奪回できたな
161 :
世界@名無史さん:2006/03/15(水) 22:58:00 0
保守
保守
163 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 11:54:53 0
age
164 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 15:04:17 0
165 :
世界@名無史さん:2006/04/03(月) 09:25:00 0
ハイビジョン特集 シリーズ ビザンチン帝国
第1回 黄金の至宝 〜千年の栄華をたどる〜 4月3日(月)後9:00〜10:50
第2回 砂漠の修道院 〜生き残りの戦略〜 4月4日(火)後9:00〜10:50
第3回 黄昏の夢 〜次なる時代へ〜 4月5日(水)後9:00〜10:50
166 :
世界@名無史さん:2006/04/07(金) 19:54:39 0
ビザンツの衰退は官僚の腐敗が原因でおk?
167 :
世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:03:29 0
いや、封建化の進行だろう。
テマ制の崩壊後じゃなかったっけ?封建化の進行は。
イスラム勢力に圧迫されて体制がガタガタになるまでは
テマ長官の首の挿げ替えは中央がやってたような。
170 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 21:42:41 0
保守
171 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 22:25:22 O
自分はマヌエル1世の外交転換も衰退の一因だと思いますが
ヴェネツィアを敵にまわしたのはまずかったのでは
かなり恨まれましたからね
第4次十字軍のときのヴェネツィア総督ダンドロはマヌエルのヴェネツィア人一斉逮捕事件時、在コンスタンティノープル大使でこの時の事件の際に盲目になったと言われていますし
172 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 22:27:04 0
ピザ連想してしまうのは俺だけ?
お前だけ。
174 :
世界@名無史さん:2006/05/01(月) 19:46:26 0
マンツィケルトの戦いは痛かったな
3千台もの車両で構成された大規模な軍需品の輸送隊や
移動に1200名の人力が必要な巨大な投石機など優れた軍備を備えていながら、
兵士の多くは種々雑多な民族の傭兵でその装備は馬も持たないような体たらくだったから、
兵力でずっと劣勢であるはずのセルジューク=トルコに大敗を喫したんだったな。
この時、トルコ側から申し入れられた和平交渉が決裂しなければと残念に思う。
その交渉が一時的に首尾よく結べても、
ビザンツ軍の体質が弱体である限りは、
いつかどこかで破綻したように思うんだ。
まぁ、それはそれとして、ビザンツがいままで存続したら、
困ったDQN国家だったんではないかと思うw
いや、好きなんだけどさ。
>>176 >ビザンツがいままで存続したら、 困ったDQN国家だったんではないかと思うw
ちょとワロタwww
たしかに塩野女史にも
「ヴェネチア人から見たらビザンツ人は宗教上の問題と政治上の問題を切り離そうとしない
合理性に欠けたまことにだらしのない民族」
とか書かれてたしなw
178 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:15:41 0
そりゃそうですよ<DQN
国家元首は神の代理人
ギリシア〜アナトリアに住みながらローマ人
世界帝国を夢見る半島国家
どこぞのお隣さんも真っ青だって
まぁ実績があるぶん、性質がいいのか悪いのか
179 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:27:58 O
ギリシャのヴェニゼロスはビザンティン復興を目指していた
>178
>ギリシア〜アナトリアに住みながらローマ人
…何度も言われてる事だけど、コンスタンティノポリス=新ローマな。
181 :
世界@名無史さん:2006/05/06(土) 14:23:31 0
>>178 現代的観念から見れば適当な国家とはいえんがDQNとは言葉が過ぎるぞ
>ビザンツがDQN
『天上のキリストの帝国の不完全な模造であり、
最後の審判の日までに地上すべての人類を統一しておくよう神から任ぜられた、唯一の帝国』
というイデオロギーが現代社会に通用するかといえばそうではないだろうが、
行政制度は国内の状況に応じて柔軟な変化が取られていたし、
(プロノイア制度のように本来一代限りで授与される土地所有権が
世襲・売買されるなど必ずしも効果を発揮したわけではないが)
他民族を支配する帝国として、長期の寿命を得るためには
上記のような確固たる思想が必要だったのではないだろうか。
183 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:02:37 O
ビザンティンは地理的位置が悪すぎる
日本のような僻地にあれば生き残れたかも
イスラム商人は朝鮮まで来ていたが、日本のことは無視していたし、難破しなければポルトガル人も来なかっただろう僻地にあれば3000年は続いたかも
ただ僻地にあると文化でトップクラスにはなれないだろうが
184 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:43:51 0
初心者の質問。
ビザンツ帝国って
どういう民族が構成していたの?
支配者はギリシャ人?
ギリシア人によるギリシア人のための東ローマ帝国。
それがビザンツ。
構成民族は時代と範囲が広すぎて把握すんのめんどい。
>>184 ギリシャ人、アルメニア人、スラヴ系ほか
ちなみに彼等の自称は「ローマ人」。
といっても時代によって支配領域が違うから、当然変わる。
>>185 「東」はいらない。
あとアルメニア人の王朝が二つあるのを無視するのはイクナイ。
he
188 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 07:44:30 O
明日のNHKスペシャルは『千年の帝国ビザンチン』
190 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 13:21:59 O
ビザンティンの最盛期である10〜11Cの王朝、マケドニア朝はアルメニア人の王朝だよ
191 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 13:51:11 0
明日のNHKスペシャルだが、こんなマニアックな内容で
よく成立したなあ。
てっきりコンスタンティノープルの陥落を描くのかと
思っていたのに。メフメット2世とコンスタンティヌス11世
の物語の方が、一般受けしないか?
192 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 14:06:35 0
まあ、コンスタンティノープル陥落直前の領土は、都周辺のほんの少ししかなかったから
栄光のビザンチンを語るには華が無さ過ぎるんだろうよ。
193 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:42:36 0
その番組は見ないとね。
結局つまらないかも知れないが滅多に見られるテーマじゃない。
明日まで常時あげ推奨します。
194 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:50:47 0
その番組は例の『鄭和』のように、以前BSで放映したもの?
>>194 多分、四月にハイビジョンで三回に渡って放送された特番のダイジェ
ストだと思う。あれは益田朋幸、井上浩一ら専門家陣が協力してるから内容的には結構まともだっ
たらしいよ。
196 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 13:35:22 0
「ブルガリア人殺し」「サラセン人の青褪めた死」もちゃんと放映してくれるのかね。
197 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 15:19:21 O
マイナーどころでバシレイオス2世没前後の名将マニアケスとか
198 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 15:42:47 O
>>196 「イスラムとの共存」がテーマっぽいからなぁ。
>>197 それは絶対出ない。勿論トルニキオスも有り得ない。
199 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 16:07:06 O
一斉逮捕事件でヴェネツィア人を憤激させ、第4回十字軍の遠因を作ったマヌイル1世は
200 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 20:03:28 0
あげ
201 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 21:13:32 0
NHKスペシャル期待age
202 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 21:27:07 0
このスレ以外にビザンチンスレはないのかや?
203 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 22:24:04 0
質問すんません
NHKスペシャル内で「双頭の鷹(鷲?)」を模しているビザンツの旗ってのが出てきたんですが、
これってハプスブルク家となんか関係あるんでしょうか?
↑
ハプスブルク、っていうかドイツ人どもがパクッたw
205 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 22:48:35 0
>>195 なるほど、これダイジェストなのか。
通りで駆け脚な展開の訳だ。
206 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:01:36 0
感動age。
ハイビジョン放送の番組DVD発売激しくきぼんぬ。
207 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:03:09 0
今日の番組の主題は、「ビザンチンが滅んだのが、中東、東欧の宗教対立の原因。諸悪の根源はオスマントルコ!」
でいいですか?
208 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:10:07 0
そう受け取られないよう、十字軍批判で一応バランスとってた感じ
TBSではヤラセとデンパ垂れ流し番組を量産してる
テレビマンユニオンにしてはまともな作りだったな。
210 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:23:14 0
>>207 オスマン帝国は他に比べれば寛容だったろ
アレが東ローマの国章みたいに思われてるけど
実際は双頭の鷲を紋章に使ったのって
パレオロゴス朝だけだったらしいけどね。
>>211 元はパレオロゴス家の紋章だったらしい。
もっとも双頭の鷲自体はアッシリア帝国時代あたりからあったみたい
だし、鷲がローマ皇帝のシンボルだったのは確かだが。
213 :
世界@名無史さん:2006/06/03(土) 11:56:56 0
>>211 ラテン帝国にコンスタンティノープルを陥落させられるまでは、
双頭なんて気毛頭ないからな
唯一正統なローマ帝国として、宗主国気取りで
パレオロゴス朝になって、対ムスリムで西の援助が欲しいから、旧ローマ世界統一の象徴として作った国章
214 :
世界@名無史さん:2006/06/03(土) 12:42:34 0
現代の宗教絡みの話をやんわりとバランス取ろうとするのは公共電波上仕方ないよね。
折れにとっちゃ坊主の話なんぞどうでもいいのだ。
禿ソフィヤの屋根からの映像がいちばんグッドで鳥肌ものだったよ。
>>214 正教の修道院内の生活は、
俺にとっては興味深かった。
一般人にとって正教と言ったら、
多くはロシア正教をイメージするだろうし。
勿論俺も含めて。
216 :
世界@名無史さん:2006/06/03(土) 17:29:06 0
ロシア正教ってロシア正教会の意味か?
例えばギリシャ正教会よりロシア正教会の方がそんなに有名か?
むしろ一般人はカソリックのように正教も正教会毎に違いなんてないって思っていそうだが
217 :
215:2006/06/03(土) 18:01:06 O
>>216 いや、カトリックほどギリシャ正教のことを理解してなかったもので。
それで上述の感想となった次第です。正教にも分派が存在していて、
バチカンに相当する権威があり、公会議を開催して教義を確認し合ったりとかするんでしょうか?
正教はカトリックのような単一組織ではない。実際には各民族ごとに中心となる司教座が
あるかんじだね。ロシア正教、ルーマニア正教のように国名を関していることが多い。
でも、正教はひとつという概念が今でも根強い。
基督教と大食の融和を演出する為に黙殺された偶像崇拝(´・ω・`)カワイソス
220 :
217:2006/06/04(日) 22:19:37 O
>>218 詳しいご説明感謝します。
番組では正教も聖体拝領を重視しているのが興味を引きました。
聖体の教義を持たないのは、主にプロテスタント系なんでしょうね。
マリアの被昇天などは、正教の教義にも見られるのでしょうか?
バチカンによって公認されたのが、近代という事を考え合わせると、どうも無さそうですが。
脱線ネタで失礼
正教はマリア信仰強いぞ
被昇天は就寝という。
コンスタンティノポリスの守護聖人は聖母マリアだったらしいしね。
ビザンチン社会を構成していた人々の特徴は、正教信仰の担い手であることと、ギリシャ・ローマ古典文化の継承者であるという自負心でしょう。
最近まで東方正教会と東方カトリックと単性論の東方諸教会の違いがよく分かっていなかった
ヘラクレイオス時代にビザンチン社会が明確に形成されだしたことと、エジプト、シリアを喪失したことにより、単性説派と縁が切れ国家運営が楽になったことは、大きく関連していると思われ
>>225 それ、ちょっと専門書読めば、すぐに発見できるじゃん
>>226氏
223です。
たぶん、
>>225氏の書き込みは、
>>224氏へのレスだったのでしょう。
224氏にとってあまり認識できていなっかた
「東方正教会と東方カトリックと単性論の東方諸教会の違いが」
ビザンツ帝国にとって、大変だったことを225氏は強調した
かったのではと思います。
小生自身も、クリスチャンの信仰を持つ親友のおかげで
「違い」が如何に、クリスチャンのみなさんにとって重大事か
知ることができました。
その親友に出会うまでは、宗教に関して能天気でしたから←小生
225氏、226氏、横からごめんなさい。
違っていたら反論をキボンヌ(_ _)
228 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 12:06:40 0
こんしゅたんてぃのぽりす
230 :
世界@名無史さん:2006/06/27(火) 12:29:42 0
おしゅまんていこく
231 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 05:03:50 0
232 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 05:15:35 0
ジブリ嫌いだけど興味が湧いてきた
>>231 映画を通じてビザンツ帝国とか東欧史とかに関心持つ人が
少しでも増えれば映画の出来云々別でそれだけでも功績あるな。
漏れ個人も「ホルス」のおかげでシベリウスとか北欧系の音楽好きになった
(勿論ホルスのは間宮氏の音楽ってのは知ってるけどね)
235 :
世界@名無史さん:2006/08/06(日) 12:04:01 0
アース・シーというからには、モデルは
エーゲ海かアドリア海あたりだろうか?
236 :
世界@名無史さん:2006/08/07(月) 00:04:51 O
多島海世界らしいからエーゲ海かと。
王都には巨大なドーム宮殿が…
237 :
世界@名無史さん:2006/08/08(火) 00:37:23 0
紫衣って実際に紫色でないって事でOKでつか?
238 :
世界@名無史さん:2006/08/08(火) 09:09:02 0
原作はマヤっぽいんだけどな。
登場人物の肌もネイティブ・アメリカン赤褐色か黒褐色インド人だし。
んで東北の侵略的な帝国の住民が肌の白い白人www
ビザンティンをモデルにしてるのはむしろロード・オブ・ザリングの第三部だな。確実。
>んで東北の侵略的な帝国の住民が肌の白い白人www
ルーシですw
240 :
世界@名無史さん:2006/08/09(水) 15:53:39 O
原作知らんけど多島海でマヤって…
ロードオブザリングは確実。
ゴンドール=ビザンツ
ミナス・ティリス=コンスタンティノープル
241 :
世界@名無史さん:2006/08/09(水) 18:05:23 0
ゲド戦記の映画が駄作といわれてるんだけど・・・・
242 :
世界@名無史さん:2006/08/09(水) 18:12:42 0
わざわざビザンツスレで言う事じゃないだろ。
そりゃ素人監督&役者使った時点で駄作は決まっていたが。
話題変わるけど、サンクトペテルブルクからロシアを南下して
オデッサ航路でイスタンブールに入って、
そこからドナウ沿いにウィーンまで一ヶ月くらかけて旅行するプランを考えたら
どんなに貧乏旅行しても費用30万は堅いことが判明して萎えたw
ビザンツ世界周辺を十万前後で格安旅行した猛者いない?
帝国と帝国の敵たちの版図をめぐってみたいよ。
244 :
世界@名無史さん:2006/08/10(木) 17:24:57 0
>>241 どんな名作でも、今回は確実に「駄作」という人間が一定以上
いただろうな。
246 :
世界@名無史さん :2006/08/14(月) 00:17:28 0
おそらくビザンツ風にしておくと宗教的に中立っぽく見えると思ったんだろうな。
247 :
世界@名無史さん:2006/08/15(火) 16:52:20 0
実際つまんなかったので>ゲド戦記
主題歌は良いんだが
>>246 実際のビザンツは正教会が国教の、バリバリ祭政一致体制なんだけど、たいてい
の日本人はそんなこと知らんからな。
>>240 確実も何も原作者が明言してたはず。
ゴンドール=ビザンツ
アルノール=西ローマ、フランク
251 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 09:33:16 0
426 :世界@名無史さん :2006/07/14(金) 02:49:55 0
>>410 東方正教会はギリシャ哲学そのものだろ。
政教の合致はギリシャ哲学そのものなんだけどな、実は。
哲人王は古代ローマ〜ビザンチンでは皇帝の政教の一致と
言う形で実現したとも解釈できる。これはロシアに継承されていくんだな。
古代ギリシャ哲学の西欧的解釈に毒された意見だなw
カトリック史観と言うやつだなw
252 :
世界@名無史さん:2006/08/25(金) 19:10:37 0
正教会を「東方」なんて呼び方するなボケ、それこそカソリック史観だろ
ビザンツ人は民主政を「恥ずべき政体」と呼んでいたが、これもプラトンの
デモクラシー嫌いを受け継いだもの?
民主制なんて衆愚で拝金なだけだからな
失政しても殺されないから権力者は無責任になるし
>>254 民主政は最善ではないが、最悪を防ぐ方法としては有効、って言ったのはチャー
チルだっけ?
専制君主制は有能なのがトップなら良いんだけど、バシレイオス二世没後のマケ
ドニア朝みたいに怠惰、無能、病弱なのが続くと悲惨だからなぁ。
257 :
世界@名無史さん:2006/08/31(木) 11:19:04 0
>>255 >最悪を防ぐ方法としては有効
国力にゆとりがある内は、そうかもしれないな。
しかし、民主制は民主制でも、一定以上納税するなり、兵役を経験するなり、
相応に国家に貢献した者のみの制限選挙にすべきと思うがな。
所得税不払い、国民年金不払い、給食費不払い、万引き等前科有りにも選挙権なんてやりすぎだろ。
普通選挙民主制だって、国民の教育水準やモラルが高い内は良いが、って感じだな。
258 :
世界@名無史さん:2006/08/31(木) 15:04:04 O
バシレイオス2世没後はマニアケスという有能な将軍がイタリア、東部戦線で敵対勢力に打撃を与え、国土を維持していたが
謀反の嫌疑がかけられ謀殺され、帝国は一時低落傾向にあった
しかしながら、しばらくしてアレクシオス1世、ヨアネス2世という有能な皇帝が輩出され、回復する
もちろん貴族中心、軍も傭兵中心、海軍力もヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに頼ることになるが
>海軍力もヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに頼ることになるが
これがビザンツ衰退&滅亡の遠因。
ビザンツ長期存続の鍵の一つには、海軍力もあるからねぇ。
陸ではブルガリアに首都のすぐ近くまで迫られている時でも、シチリアに拠点持
ってたりするし。
その海軍力もビザンツ末期にはオスマントルコと二股かけてたからな。
とても信用できる軍隊じゃない。
とは言え末期のビザンツ軍は正規軍は僅か数千・・・
これでどうしろというのだ??
262 :
世界@名無史さん:2006/08/31(木) 18:14:52 0
海軍の維持はコストが掛かるが、陸軍と違って直ぐには編成出来ないから、維持しないとな。
陸軍でも忠誠心低く、質の悪い外国人の傭兵に依存しまくりで
マンツィケルト(マラズギルト)でもミュリオケファロンでも惨敗だろ。
>>257 ハインラインの「宇宙の戦士」の世界はそんな感じだったな
軍務経験者にしか参政権無し、だっけ
>>263 一般人を歩兵として陸軍を編成する方が、艦隊を建造して操船させるよりは、相当楽だろ。
中世では、烏合の衆でも槍持たせればそれなりの戦力だからな。
266 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 01:17:05 O
ヴァリャーグ皇帝親衛隊で一網打尽
267 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 21:17:37 O
ベネディクト16世がマヌエル2世の発言を不用意に引用した結果、大騒ぎに。
268 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 23:30:51 0
「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、スルタンのターバンを見るほうがましだ」
269 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 00:25:41 0
ttp://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006091601000776 ローマ法王が事実上の謝罪 聖戦発言は「遺憾」
【ローマ16日共同】ローマ法王庁は16日声明を発表、法王ベネディクト16世が12日の演説で
イスラム教の「ジハード(聖戦)」を批判したとされる問題について、法王が「極めて遺憾に思っている」ことを明らかにした。事実上の謝罪。
声明はまた、法王がイスラム教信仰に敬意を表していると強調、理解を求めた。ロイター通信が伝えた。
法王の演説内容が伝えられた13日以降、イスラム世界で抗議行動や謝罪要求が相次ぎ、
法王は謝罪を表明せざるを得ない状況に追い込まれたが、これで騒ぎが沈静化するかどうかは不透明だ。
16日もヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ナブルスにあるキリスト教会に火炎瓶が投げ込まれるなど抗議行動が続き、
トルコのエルドアン首相も「法王は(発言を取り消して)一歩後退すべきだ」と発言の撤回を求めた。
ロイターなどによると、法王庁のベルトーネ国務長官は声明で「法王は、演説でイスラム教徒の
感情を傷つけるような内容があったとすれば、極めて遺憾に思っている」とした。
声明はまた、法王が「イスラム教徒に対し尊敬の念」を抱いていると強調、法王の発言の真意が正しく理解されることを願っているとした。
法王は12日、ドイツのレーゲンスブルクで演説。聖戦を命じるイスラムの教えを「邪悪で残酷」と評した
ビザンチン帝国皇帝の発言を引用したほか「暴力は神の本質とは相いれない」などと述べた。イスラム諸国で聖戦批判と受け止められた。
>「邪悪で残酷」と評したビザンチン帝国皇帝の発言を引用した
これってどの皇帝の発言内容の引用なのかな?
↑
おまえ、このスレに居るならその程度知っておけよ…
「預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」
そもそもムハンマドを預言者と認めているのか?
272 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 10:58:26 0
邪悪と残酷だけを預言した=>つまり悪魔とは認めているのさ
マヌエルの場合、オスマンの脅威に直面してたし、バヤジット1世に殺されそう
になったらしいから、イスラムを悪く言いたくもなる罠。
274 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 21:56:12 0
イスラームに好感持っているキリスト教徒何て、古今東西誰一人いないだろ
>>274 フリードリッヒ2世とか。
そばで観察したムスリムは「こいつ無神論者だ」と思ったらしいが。
276 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 23:35:25 0
つまり無神論者。
一見、ムスリムとクリスチャンとの宗教の対決に見えていても
結局は、政治上、経済上の利害の対立。
かつての歴史上の戦争の大半は、利害の対立で起きているし
聖戦なんて言ってるけど結局…神の名で人を殺すんでしょう?
かつては、聖地奪還を口実に、クリスチャンの十字軍が中東を荒らしまわり、
今は、聖戦(ジハード)の名のもとにムスリムのテロが横行する…
宗教の名のもとに戦争を煽る行為は、邪悪だと思う。
それに、ベネディクト16世が、非を認めて失言を謝罪しているんだったら
許してあげるべきでしょう。
教皇と言ったって、所詮は人間だし、誤りもあるでしょう。
それを、ことさらにわめき散らして批判し、修道女を射殺するとは…
【ビザンティン帝国滅亡の由来】
ローマ皇帝に扮した小国君主らがオスマン帝国のスルタンを挑発
↓
「降伏しないか?支配するのは俺だけど」 「嫌だよ、、、降伏なんか」などの
会話を経て戦争に。
↓
ウルバンの巨砲で城壁をほじくられ、「堅固な城壁だなぁ」などと称えられる
↓
金角湾の封鎖で「アッー アッー!」とオスマン艦隊が悶える
↓
丸太に油を塗りながら沢山の艦隊に山を越させる。「気持ちいい!」と悶えながら
補給経路を絶つ。このあと、双方の代表が和平交渉を行い、スルタンメフメト2世は命・一部支配権の保障を
約束。「ヤダッ、ヤダッ、ヤダッ、ヤダッ!」とコンスタンティノス11世は落涙させながら声をあげる。
↓
西欧の援軍は加わらず終局が始まる。ヤラれるばかりだったビザンツが一転、攻勢に出られず、
コンスタンティノープルを舞台にして滅び始める。小刻みに双頭の鷲の紋章を破りながら、「アッー、アッー、イク!」
と叫んで、コンスタンティノス11世もオスマン軍の中に勢い良く特攻。
あとイワン3世がコンスタンティノス11世の姪と結婚して「ローマ帝国の継承者」と吠えたらしい。
>>278 間違ってはいないけど
何なんだよ「アッー!」ってw
>>378 イヴァン3世がローマ帝国の継承を意識していたかどうかは、疑いんだけどな。
281 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 19:50:39 0
マヌエル1世が無理しすぎた挙げ句、セルジューク朝に惨敗したのが原因だろ
それ以降はただの属国
↑
『ビザンツ 幻影の世界帝国』を読むべし。
283 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 23:40:36 0
読んだことあるけど、何か?
284 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 13:29:32 O
マヌエル1世の場合、セルジュークだけでなく、盟友関係にあったヴェネツィア、神聖ローマ帝国を切り、ジェノヴァ、フランス、ノルマン・シチリア王国と結んだことがより深刻な問題を引き起こした
特に帝都におけるヴェネツィア人の一斉逮捕事件はかなり強引で不法、後々まで遺恨を残した
その当時のヴェネツィアの駐在大使だったダンドロはこの事件で失明した
ダンドロはのちの第4次十字軍時のヴェネツィア総督であり、視点を変えれば第4次十字軍は彼ダンドロとヴェネツィア人の復讐ともいえる
>>283 読んでいれば、
>>284の指摘や、コムネノス朝の統治体制自体に限界があったっ
てことも分かるだろう?あれを読んでいながらセルジューク朝に負けたことだけ
を挙げるとは…一体何を読んでいたのやら。
あのな、
>>284の内容なんて百も承知なの。最後の決定打がセルジューク朝への惨敗だって言ってるだけだろ。
なに偉そうに語ってるんだ?
そもそも「無理しすぎた」に対ヴェネツィアが含まれるのが分からないのか?
そういう
>>286の言い方も、かなり偉そうな件について
289 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:57:42 O
当時のコムネノス朝のビザンツの海軍力はヴェネツィアに全面的に頼っており
海軍力のみならずビサンツの国内海運もヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに全面的に頼っていた
もしイタリア商業都市にソッポ向かれるとビザンツは経済的に麻痺状態になってしまう
290 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 22:13:15 O
ビザンツにとって致命的な一撃を問うならむしろ第4次十字軍による帝都失陥でないだろうか
後にミカエル8世により帝都は回復するものの
もはや帝国は死に体
西欧諸勢力は海軍力・海運力・農業技術で既に帝国を凌駕していたが、いまやイスラムには及ばないものの政治的・文化的にも成長していた
それに帝国は常にセルジュークと敵対関係にあったわけでない
むしろセルジュークの方が先に滅亡していることも念頭におくべきでは
またセルビア、第2ブルガリア帝国の伸長も過小評価できない
ルーム・セルジュークのおかげで、ニカイア帝国はモンゴル人と直接当たらずに
済んだ、っていう面もあるしね。
292 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 23:05:01 O
とにかく1回の戦いで惨敗しても帝国が揺るぐことはありません
過去のカンナエ、アドリアノープルの大敗でも帝国は揺らがなかった
しかし帝都の失陥は帝国の威信までも崩してしまう
410年の西ゴートのアラリックによるローマ占領と第4次十字軍のコンスタンティノープル占領がそれです
特に後者は過去にゴート、アヴァール、イスラムと侵入者を退け難攻不落をうたっていただけに衝撃的でした
410年のときは東帝国が健在であったためローマ帝国は存続しましたが
293 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 23:12:36 O
あとモンゴルに関してはむしろマムルーク朝によって阻止されたと見るべきでしょう
またキリスト教徒に友好的だったフラグの建国したイル・ハン国は再建された帝国とは盟友関係にあったはずです
294 :
世界@名無史さん:2006/09/21(木) 15:17:42 0
ルーム・セルジュークをどうしてもアナトリア・セルジュークと呼んでしまう件について
295 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 20:24:23 0
あげ
296 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 18:21:31 O
ビザンツ再興を目指しトルコ人を虐殺しまくったギリシャの基地外首相ヴェニゼロス
>>296氏
冷静に客観視したら「狂ってる」、同感です。
でも、ギリシャ国民の中じゃ、人気ナンバー1なんですね。
こういうヴェニゼロスみたいなおっさんは、扱いにくいです。
現代ギリシャ史を理解する上で、きちんと理解しなければならない人物の一人と思います。
298 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 23:15:41 0
アナトリアまで欲を出さず、東トラキアとコンスタンチノープルだけに
軍事力を展開していたら失地回復の可能性はあったと思う。
299 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 01:11:26 O
でもそれでは敗戦国とはいえブルガリアも黙っていないでしょ
最悪第3次バルカン戦争?(ギリシャ、ユーゴスラビア、ルーマニアvsトルコ、ブルガリア、イタリアなんてね)
そんな余裕は無いのでは
ビザンツは敵同士を戦わせて弱体化させるのが国是だったからな。
自分でアナトリアまで攻めて行くなら、予め東の方のクルド人かなんかを焚きつ
けておけば良かったのに。
302 :
世界@名無史さん:2006/11/09(木) 04:43:05 0
303 :
世界@名無史さん:2006/11/09(木) 11:29:39 0
>>302 ユスティニアヌスは「最後のローマ皇帝」って言われてましたっけ?
この本が初めて?
ユスティニアヌス以降は「ローマ皇帝」なんかじゃねえって言いたいんじゃないか?
305 :
世界@名無史さん:2006/11/09(木) 14:56:28 O
ユリアヌスのほうがふさわしいのでは?
それは著者に言えよ
>>303 井上浩一教授の「生き残った帝国ビザンティン」で既に「最後の古代ローマ皇帝」
って書かれてる。
308 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 12:51:36 0
>>307 そうですか。ありがとうございます。
まあ、あれだけ領土を拡大(奪還?)しましたからねえ。
環地中海でなければ、ローマっぽくないですもんねえ。
問題はそこじゃないと思うが。
むしろ文化的な側面とか、西側への態度の違いとかが問題なんじゃないの?
ユスティニアヌスの後は、回復した領土ボロボロ失うわ権力闘争で皇帝コロコロ変わるわ
ペルシアは五月蝿いわ北から野蛮人がちょっかい出してくるわで、ビザンツは完全に内向き
になっちゃって、汎ローマ主義は雲散霧消しちゃうからじゃないのかねえ。
311 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 00:06:21 0
絶世の美女か・・。
テオドラって、肖像画とか残ってないの?
312 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 00:08:48 0
有名なユスティニアヌスとテオドラのモザイクが残っているジャン。
313 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 12:35:35 O
ビザンティンは自らの力量を悟りバルカン、小アジアの地域大国として存在することで繁栄したのでは?
バシレイオス2世、アレクシオス1世、ヨハネス2世の治世時では軍事行動は前出の域内にとどめ、繁栄した
ユスティニアヌスは確かに領域を拡大したが、莫大な戦費をイタリアなど被征服地で課税しすぐに反発が起った
マヌエル1世などは身勝手なイタリア遠征や同盟国への裏切り、海軍力を頼っていたヴェネツィア人に対する一斉逮捕事件等を行って国内外で反発を受け、次世代での第4次十字軍を誘因した
>>313 バシレイオス2世は南イタリアでも軍事行動を起こしてるし、没した時はシチリ
ア遠征の準備中だった、って言われてるけどね。
315 :
世界@名無史さん:2006/11/22(水) 12:51:21 O
バシレイオス2世治世時と没後しばらくはマニアケスという卓越した将軍がいましたね
バシレイオス2世没後もイタリア戦線や東部戦線で勝利し、よく国土を維持した
スウェーデン出身のヴァイキングを中心としたヴァリャーグ親衛隊を指揮してランゴバルト配下の(ノルマンディー地区に居住し、フランス化したヴァイキング子孫の)ノルマン人傭兵部隊に勝利したことありましたね
そんなマニアケスも謀反の疑いを懸けられ反乱を起こし、憤死
彼が皇帝になっていれば・・
そもそもバシレイオス2世 は自分は独身、弟にも息子がいない、って分かってた
のに後継者をどうしようと思ってたんだろ?早いうちに姪の誰かと有能な将軍を
結婚させるとかしとけばよかったのに。コンスタンティノス8世以降はダメな皇
帝ばっかりで、あっけなく国が傾いちゃったからな。
317 :
世界@名無史さん:2006/11/29(水) 21:58:13 0
今更ながら見ましたが
>>302の本はあくまで「小説」扱いのようですね
ちなみに何故ユスティニアヌス1世が「最後のローマ皇帝」とみなすタイトルになったかは
全く書かれていませんでした
318 :
世界@名無史さん:2006/11/29(水) 22:03:55 0
>>317 面白かった?
当時の人々の暮らしとか、街の様子とかのディティール
は描かれていた?
>>317 多分出版社が「こういうタイトルにしないと売れませんよ!!」とか言って、
ムリムリにつけさせたんだろ。最近そういうの多いらしいし。
まあ、「大体真ん中くらいのローマ皇帝」とか「比較的後半の方のローマ皇帝」じゃ、
確かに読む気はおきないけどw
320 :
世界@名無史さん:2006/11/29(水) 22:06:15 0
>>318 いや、チラっと見ただけですのでそこまではわからないです
作者が「私はこういう見解から、ユスティニアヌス1世を最後のローマ皇帝とみなす。以降の皇帝は違う」
みたいな文章が無かったのが残念
321 :
世界@名無史さん:2006/11/30(木) 02:06:29 O
わずか数千の兵から決起し、虚栄心のかたまりの暴君ユスティニアヌスの過酷な重税から多くのローマ人を解放した若き東ゴート王トティラに幸あれ
12世紀末のアンゲロス王朝において、パライロゴロス家やラスカリス家って
どこかの領地を与えられてたんでしょうか?どこを領有してたんでしょうか?
また、この時代の他の有力な貴族家ってありますでしょうか?
324 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 15:57:43 0
ビザンツの英雄を3人ほど教えてください
ベリサリウス
ヘラクレイオス
バシレイオス2世
ベリサリウスとヘラクレイオスは晩年がな…
326 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 00:04:14 0
>>325 ありがとうございます
列伝なんかがあれば面白いですね
327 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 00:18:00 O
325さんに基本的に同意だが
前に書いたような気がするが、バシレイオス2世というより彼の配下のマニアケス将軍が英雄の名にふさわしいのでは?
皇帝死後も彼の活躍で領土を維持できたのだから(謀反の疑いかけられ謀殺されるが)
あとアレクシオス1世、ヨアネス2世父子も英雄候補ではないかな
ビザンティンの始まりをコンスタンティヌス大帝まで遡らせるなら、もちろん彼も文句なしに英雄だろう
328 :
世界@名無史さん:2006/12/27(水) 07:05:38 0
BS-i、放送するの何度目だ?
間違いなく三回はやってるよね。
マニアケス将軍てだれ? そんな奴いたの?
バシレイオスが勝利したのはブルガリアじゃね?
東ローマとか、ビザンツ帝国スレって無いんだな・・・
ウィキペディアで東ローマ帝国が優秀な記事で取り上げられてた
>>332 参考文献がちゃんとしてるし、ビザンツサイトの管理人だの、院生だのが寄って
たかって手を加えたからな。ビザンツ関連は歴代皇帝の記事も詳しいし、結構まとも。
古代ローマ関連は、参考文献に塩野を挙げてる馬鹿とかがいてダメ。
335 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 08:21:37 0
やはりイスタンブールを取り返さないとビザンツの復活はありえないな
復活する必要は無いでしょう
337 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 18:44:48 0
テロリスト、イスラム教徒撃退のため、必要はある。
338 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 18:46:02 0
侵略者、イスラム教徒撃退のため、必要はある。
誰が皇帝になるんだ?ギリシャ人?
>>339 少なくとも、東方正教会の信者でギリシャ語がわからないと駄目だな。
ただ、イギリスとイタリアにバレオロゴス朝の末裔がいるから、それを担ぐのもありか。
341 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 22:16:13 0
>>340 そんな人がいるんだ
東方正教は絶対だなw
帝国と慈善、なかなか面白かったぞ。
>>342 大月先生のか。あれ、値段が高いんだよねぇ。
344 :
世界@名無史さん:2007/02/08(木) 15:09:49 0
今なら王族の人がマルタ騎士団のように建国できるんじゃないかい?
西洋ならわりとやりそうな気がしそうだが
市民と軍と元老院の承認はどうする?
>>345 シーランドを見ればそれほど大した問題ではないだろ
自分の周り人のビザンツに対する評価が
「鍵のかけ忘れで滅亡した情けない帝国」「文化だけ認める」「弱腰外交国家」
とかばっかりで悲しくなる・・・
外交は弱腰じゃなくて「狡猾」なんだけどね。「戦わずして勝つ」が基本方針だ
し、あの立地条件で四方の敵にいちいち兵を出してたら、国が持たない。
まあ、外交下手な島国の国民には理解されにくいよな。
西欧にも理解されにくかったわけで。
けっきょく苦労なんて当人にしかわからんてか・・・
鍵のかけ忘れで滅亡したのはラテン帝国じゃなかったか
当時の状況を考えればやむなしだろ
>>349 西欧諸国も、後には悪く言えばずる賢い外交を覚えたけどな。
>>350 ビザンツだよ。5月29日の夜に、大城壁のケルコポルタ門という門の通用口に閂
をかけ忘れた。
まあ、仮に閂がかかっていても、遅かれ早かれオスマン軍に城壁突破されていた
だろうが。
スレが進んでおる。それもものすごい速さだ。
354 :
世界@名無史さん:2007/02/09(金) 00:53:34 O
ヴェニゼロス
2ちゃんねるはビザンツ復活を応援します!
2ちゃんねるでのビザンツの知名度ってどれ位だ?
357 :
世界@名無史さん:2007/02/11(日) 02:55:28 0
「ビザンツ歴史★行」←やばかった!
ここまで酷杉なビザンツ関係の本を初めて読んだ!
東ローマ帝国と日本の封建制の比較について触れていたが、
あんまし検討されてなかったし、美術史(レベルの落ちる)&旅行記だった、
俺みたいな歴史マニアでもこれは酷杉だってわかるよ、マジで!
>>356 古代ローマ>>イスラーム>>>>>>>>>>>>>ビザンツ
ビザンツってなに?東ローマ?ああ、ローマ帝国の残ったやつでしょ、高校の教科書にはユスティニアヌスと十字軍、コンスタンティノープル陥落で少しでるだけ・・・
ビザンツ関係のスレはここだけ、まさに2chの辺境!
359 :
世界@名無史さん:2007/02/11(日) 04:23:54 0
全ローマの皇帝
相手にするな、釣りだよ。
どうせアレクサンドロススレから出てきたんだろ
>>358は、自分の無知蒙昧ぶりを自慢したいのか?
スレが復興?しているw
全然関係ないんだけどビザンツ料理ってのはどんな感じだったんだろう?
ローマ料理→ビザンツ料理→ギリシャ料理
こんな進化してったんだろうか?
個人的には宮廷料理は発達したのかが気になる!
昔読んだ本には魚のフライとかがでて、豪華だったと書いてあった。(今からすれば大した事無いけど)
あと、教皇の使いの坊さんが料理に魚臭くてまずいソースばっかかけるから最低だと言ってたが、このソースってもしかしてガルム?!
>>343 借りれ。
>>358 古代ローマだの西欧史だのに飽き足りなくなった輩が
行きつく境地と賞賛しておく。真の歴史オタの素堀だなw
極東に住んでいながらビザンチンに関心がもてないのは塩婆の
ような更年期障害と同類だなw
枯渇した子宮で歴史を解釈するとああなるんだろうなww
馬鹿は気楽でいいなw
ビザンチン的に日本の歴史のターニングポイントを指摘すると
ラクスマン、ウィッテ、レーニン、スターリン、プーチン、と言うことになるな。
勿論、開国の端緒、日露戦争からの慢心、北一輝への影響、敗戦への決定打と朝鮮戦争、
そしてピョンヤン宣言の契機と言うことだ。
確かに古代ギリシャ・ローマや西洋、ペルシャ、イスラムなどの歴史がある程度
分かってからじゃないと、ビザンツは理解しにくいからな。ビザンツが分からな
い、っていうのは、自分が世界史のド素人だということを認めてるようなものだな。
現代ギリシャ料理はテュルク(トルコとはあえて書かない)の影響をモロに受けてる希ガス。
あ
テュルク=トルコだと言う突っ込みは無しね♥
トルコ料理といってもケバブぐらいしか知らない俺ガイル
ギリシア料理ってイメージ薄いよな〜
イタリアの隣みたいなもんだけどさ
ギリシャ料理って書いたげど実際に食ったこは無い・・
トルコの影響受けてんだ、
トルコ料理に魚を使うのはビザンツの影響かな?
海のそばにやってきたからでしょう
ギリシアでもバクラヴァが食されていると知って驚いた。
トルコでもイランでもシリアでも大人気だが、ギリシアもなんだ。
>>371 普通に考えればそうだが、もともと遊牧民だから調理技術とかは影響を受けたのでわ?
イコンの聖人の鼻の形は魚からきている。
魚崇めてたのか?
今のトルコ料理も、ギリシャ料理も、トマト入ってるし、タラモはジャガイモ入
ってるからなぁ…。ビザンツは世俗の絵画がロクに残ってないし…。
>>375 古代ローマでキリスト教が禁じられていた時代のカタコンベには魚が書いてある
って聞いたことがあるな。キリストの名前だか何だかと「魚」の綴りが似てたと
かで(うろ覚え)。
新大陸の食材は偉大だな
パンとかの方が伝統的なものが残ってそうな気がする
正教会のミサとかで使うだろうから
378 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 19:28:54 0
正教の聖体拝領のパンはイーストが入ってない。
平べったい硬くてパサパサで酸っぱい。
379 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 19:51:01 0
現代にビザンツ帝国が残っていたら
人口:1700万人
首都:コンスタンチノープル (人口970万人)
政治:フェラチオスU世を元首とする立憲君主制
宗教:国教はギリシャ正教
領土:コンスタンチノープル、トラキア・マケドニア、エーゲ海諸島、エフェソス周辺
言語:ギリシャ語。英語、イタリア語、トルコ語も広く通用する。
主要な産業:観光業、手工業、出稼ぎ
経済レベル: GDPは香港をやや下回り、一人あたりGDPでは香港の3分の1程度。
国内の政治問題:マケドニア分離独立運動
EU:そんな西側の作った組織には乗らない。
381 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:11:11 0
実に弱そうなビザンツ帝国(いまなら共和国か?)だが、
地域的には世界で一番住んでみたい国かもしれない。
382 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:15:37 0
380のような領地になると、半月の本土と点在する星のような形になるな。
エーゲ海諸島のうち、どこまでをビザンツ領にできるかによって観光立国としてのパワーが変わる。
東エーゲ海だけか、ミコノスやサントニーニが含まれるのかでエラい差だ。
383 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:44:08 0
そういや、ギリシャはトルコから独立する際、コンスタンティノープルを組み込めなかったことを
今でもうらんでいるらしいね。
コンスタンティノープルがギリシャのものになっていたら、
アヤソフィアでの荘厳なミサが見られたのになぁ。
ギリシャ人の良い評判をあんま聞かないから
なんかトルコ領で良かったような気がする・・・
アヤソフィアで泣いて、俺らのもんだって言ってたギリシャ人の人がテレビに出てた。どっかの民族と被ったなぁ
ギリシャってトルコに攻め込んだよね、負けたけど・・・
もし勝って、アナトリア併合出来てたら皇帝としてギリシャ王は即位したのだろうか?
まあ、その後、悲劇が待ってるんだろうけどw
確か、パンでも教皇と揉めたんだよねw
日本人がらすればすごく小さな事で揉めてるって笑い事だが、
当人同士はすごく真剣なことだったんだろうねw
387 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:46:42 0
まあ、「神学論争」ってくらいだから、当事者以外にはあまりにもどうでもよく、
当事者にとっては、恐ろしく重大で絶対に妥協の余地のないことなんだろうよ。
西側も、なぜ聖体パンにイースト菌を入れていいのか、スコラ派学者を総動員して
恐ろしく緻密で、気が遠くなるようなボリュームの文書とかを作って公会議に出してるはずw
388 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:54:41 0
アテネとコンスタンチノープルの両方が新生ギリシャ共和国(または王国)の領土に
なったとしたら、首都はどっちになるんだ?
結構国内の地域対立に発展しそうな気もするが。
まぁ、滅んだからいいんだよ。
現存して生臭い事件を起こすよりも、自分好みの妄想を被せられるからね
確かにどっちかな?
ウィキのメガリ・イデアの項にはコンスタンティノープルを首都
にしようとしていたとあるが揉めそうだなw
アナトリア取れたら統治にはコンスタンティノープルの方が便利そう。
そして、コンスタンティノポリス総主教とアテネ大主教が激しく喧嘩するwww
列強が国際管理するコンスタンチノープル自由市(または自由国)なんてのも考えられていたらしいな
392 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 06:29:13 0
列強の共同管理=植民地租界だろ。
マカオみたいに売春都市、カジノ都市になるのがオチだろうw
ならねーよ。
貧相な黄色い釣り目のアジア人種が横行闊歩するマカオと一緒にするなw
コンスタンティノポリス=コスモポリスを見てみたかったな。
>>393 そしてそこでお前は現地のネオナチから陰惨な暴力を受けるわけかw
395 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 08:33:37 0
>貧相な黄色い釣り目のアジア人種が横行闊歩する
書いてる奴がマンマこれだから滑稽なんだよな。この手のレス。
ボスポラス海峡って今でも戦略的に重要な地点なんでしょうか?
397 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 10:15:02 0
やはり、コンスタンティノポリスだろ。
なにせ、ビザンチンの都、正教の都だからな。
ギリシャ人にとってはアテネより重要な地だろう。
>>396 中世に比べれば重要度下がってるにしても、
今でもたいした要衝だよ。
西欧とバルカンは表と裏みたいだな
俺は西欧が没落したらまたバルカンが復活すると思う
400 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:31:32 O
その前に日本は跡形もなくなっているだろう
心配するな
>>400 ( ´∀`).。oO(チョン乙って言ってほしいのかなあ…)
402 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:48:16 0
ギリシャモナーの「ヘレー」がいたなぁ。
トルコモナーに向かって「ヘビョーン」していたなぁ。
403 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:52:11 0
88888 ヘレー
( `∀´) 出身地 アテネ
(_つノノl|つ 誇り高いヘレネス(ギリシャ人)。
Ll_|_|_l.|| 旧宗主国トルコに謝罪と賠償を
(__)_) 要求する点はニダーそっくり。
ヘビョーン ヾ
.88888 ウオー! □
∩#`Д´)'') トルコに強く抗議し (・Ω・ ;) そんな事言われても・・・
ヽ ノノl| ノ 謝罪と賠償を(ry ( )
(,,つ .ノ | | |
.し' (_(_)
トルコモナーはパシャと呼ぶそうです。
ギリシャの歴史は半万年
世界史上に輝かしい文化を残し、中世には大国ビザンツを築いたギリシャ人を、
隣の大国に頭が上がらず、馬鹿にしていたはずの島国に追い越され、世界史上に
たいした実績も残さず、模倣と捏造しかしていない輩どもと一緒にするのは失礼。
406 :
世界@名無史さん:2007/02/15(木) 14:22:11 0
このスレ一匹、すごい白人コンプの香具師が混じってるよね
でも確かに、ギリシャ美術、ギリシャ哲学は西洋の文明に多大なる影響を与えた。
しかしチョン半島は、ただのストロー。
コンスタンティノープルは憧れの都だが、
ソウルが憧れの都だった時期があったか?
ハン板でやってくれ
またそうやって誤魔化す!
荒らす先が寂れたからこっちに来たってわけか。
しかし、ビザンツは古代ギリシアとは相当隔絶した存在。
古典古代のギリシア叩きとは無関係だと思うが
でもないと思うよ。
ロゴスを重視し、ギリシャ哲学を重視し、哲人王を理想とし、
ギリシャ語を話し、市民兵に近い農民兵をもち、商業に活路を見出し、
なんと言っても地中海文明の体現者と言える。
そもそも古典文化を温存しイスラームや西欧に伝えたのはビザンチン人、
つまりギリシャ人のインテリだよ。
また西欧、特に内陸部、より地中海沿海部に関心が高かったのも似ている。
そして古代ギリシャの先進地域は元々小アジア近辺の植民地だよ。
半島周辺は寧ろ後になって発展した地域だ。
更には都市国家の一つアテネの全盛期は32年間のペリクレス独裁時代だし、
アテナイ人はペルシャの皇帝制度に憧れてもいた。
ビザンチンでその理想を現実化したとも解釈できる。
>>412 ビザンツというと、古代ギリシャ・ローマとの断絶を強調したがる奴がいるからな。
ホントは古代から受け継がれた面と、変化した面の両方を見ないといけないのだが。
中世の西欧なんて田舎・辺境もいいところだからな・・・
栄光の再征服の時代は過ぎ、煽りや釣りが横行し、
帝国は再び長き停滞の時代へと進んでいきます、
そして、ゆっくりと、しかし、確実にこのスレは
滅んでいきます。だって、そういう国でしたから
トルコの軍旗が翻ったコンスタンティノープルを
船の上から万感の思いで見届けるのも悪くは無いジャマイカ
滅びるから美しい。
むしろよく1000年以上続いたと褒めたたえてもいい。
418 :
世界@名無史さん:2007/02/22(木) 03:57:47 0
1000年続いた国って結局世界史上いくつあるんだ?
419 :
世界@名無史さん:2007/02/22(木) 07:31:16 0
>>413 一つにはローマカトリックの立場から、その正統性は自らに
確保しておきたいものな
>>418 「国」の定義にも拠るな。個々の王朝や政権の変遷を無視すれば、
「日本」も「中国」も立派に続いているよ
個人的には
元朝の中原征服により
中華帝国は一旦滅亡した、と思うわけだが。
さらに厳密に言うなら
南朝陳が滅亡した時点で中華の嫡流は…。
>>415 バルバロイ乙。
>>419 日本の西洋史教育は西欧の史観経由だから、どうしてもね…
>>415みたいなビザ
ンツ史をロクに知りもしないアホが出る。
422 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 17:52:18 0
>>421 でもビザンツは領土的にはユスティニアヌスの頃が最高でそれからは
再征服と国家の再編成を繰り返していったのでわ?
423 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 19:06:45 0
数年前、デビ夫人のパーティーに出ていたビザンチンの皇太子って本物?
>>422 ユスティニアヌスにピークを置く時点で、素人決定。
>>424 ではビザンツのピークはいつ頃?
マケドニア朝の頃? バシレイオス2世の頃?
確かに内政的にも充実していたし、黄金の時代とは言われているが
あくまで領土に限って言えばユスティニアヌスの頃からは比べ物にならないのでわ?
(中身はぼろぼろだったけどw)
領土=国力とは考えないが、長い目で見て領土がじりじりと縮小されていったのは事実
だと思う。
俺は長期的に見て衰退していく運命にあったの国家を、その時に合わせた体制に再編することに
よって生き延びていったのがビザンツ帝国だと思う、だから好きだw
>>425 どこからを「ビザンツ」にするか、にもよるな。見方によってはユスティニアヌ
ス時代は古代ローマ最後のあがきにも取れるし。
あとアモリア朝末期からマケドニア朝前半までは一応国力上昇期でしょ。
バシレイオス2世没後は、コムネノス朝の中興を考慮しても長期衰退期だけど。
いずれにせよ、ユスティニアヌス以後は衰退一方っていうのは単純過ぎる気がする。
ここを見てるとバシレイオス2世は名君だと考えられているようだが、
本当にそうなのか?
彼の大土地所有抑制政策は時代をみて無かったし、緊縮財政は経済発展を
阻害した、そして彼の領土拡張政策はすでに限界点に達していた。
後継者問題も彼の失策の一つと言えるだろう。
さらに彼の政策のいくつかはは前任者たちの模倣である。
バルカンに直接勢力を伸ばしたことはそれまでアナトリアが帝国対してに持っていた
突出した地位を喪失させ、内戦でそれまでのイスラームとの戦いで重要だった
アナトリア軍事貴族の力を削いだことは後の首都の文治派の台頭とマンツィケルト
後の悲劇を生み出す遠因となった。
このように彼の時代は多くの問題を含んでいた、これこそが後の急激な衰退の
原因の一つではないだろうか?
彼は教科書でのユスティニアヌスのように良い面だけ語られている人物の一人で
は無いのだろうか
>>427 ビザンツの場合、誰を取っても他国のように手放しで称賛できる名君はいないか
らねぇ…後継者対策は明らかに失敗だと思うけど。
官僚組織で維持してきたんでないかな?
>>427 どの国でも最盛期=限界点なんだから、繁栄を支えてたシステムが崩れる兆候が
出て当然。政策が前代の模倣だというが、成功している路線をわざわざあそこで
転換する必要がどこにあったのだ?
バシレイオスの失敗は緊縮財政で経済を停滞させたことと、何より自分が独身で
弟にも息子がいなかったのに、まともな後継者を用意しなかったことだな。
とにかくビザンツの歴代皇帝は手放しで褒められる人が少ない。ヨハネス2世けらいか?
>>430
ヨハネス2世は優秀だと思う、ただ彼の治世は情報が少ない・・・
それゆえ実態が掴みにくいのが難点(もちろん彼のせいでは無い
最近モンゴルの映画が公開されるけど、コンスタンティノープルはなんで
モンゴル帝国に攻撃されなかったんだろうね?
帝国伝統の贈り物戦術で乗り切ったのか?
コンスタンティノープル=財宝→(゚д゚)ウマー
てな感じで攻めてこんかったのだろうか
まあそんなに財宝はなかっただろうが・・・
フラグの嫁さんがキリスト教徒で、ビザンツと組んでイスラム諸国を挟撃しようとしていたから。
そんで地中海に出た辺りでマムルーク軍に大敗して勢力拡大する余力が無くなった。
ノガイの一族がブルガリアを乗っ取ってれば再び対ビザンツ戦争が始まったのかもしれないが
モンゴル諸ハン国の親ビザンツ的姿勢はキリスト教徒に親しんできたことが
理由なんだろうなぁ
でも、イルハン国はビザンツを攻めなかったか? キプチャク=マルムーク=ビザンツ
三国同盟を崩壊させるために。
あと、モンゴルがコンスタンティノープルを攻めると言ってきたことがあったらしい、
その時は、お祈りしなきゃ! (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
てな感じだったらしい。
ソースはギボンだが・・・・・
435 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 23:32:31 0
ビザンツはモンゴルの恩情で助かりました
ビザンツ軍が優秀なモンゴル騎兵勝てるわけないよ!!
バイバルスのおかげで征服されなかっただけ!
436 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 06:40:14 0
>>435 地形的にちょうど攻めにくいところだったんだと思う
当時の国際情勢が複雑だったからな、うまく乗りきれたのはミカエル8世のおかげだろ
しかし、あの時代は英雄が多かったなぁ
もしコンスタンティノープルにモンゴル軍が攻めてきてたら落ちたのだろうか?
コンスタンティノープルの防壁>越えられない壁>>>>>>>>>>モンゴル軍団
439 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 19:46:16 0
当時の宋の城の方が堅固だっただろ
攻略するのに10年以上かけてるんだから
海軍が無いからモンゴルじゃ無理だろ
襄陽は長江に面していて水路から補給を受けられるので、
モンゴルが大艦隊を組織して制江権を奪うまで難攻不落を誇った。
コンスタンティノープルも海路から西ヨーロッパが真面目に支援していたら、
かなり持ちこたえたかと。
>西ヨーロッパが真面目に支援していたら
それはありえないので半年ぐらい粘ったすえに落城ってパターンが妥当
コンスタンティノープルはそんなに堅い都市では無い
>西ヨーロッパが真面目に支援していたら
そのころの西欧は、まじめに支援したくても、イギリス、フランス、神聖ローマの
勢力が拮抗していてオスマンへの有効な対抗策が見出せない状況だったから支援は
無理だったのではないでしょうか。
モンゴルがポーランドに攻めて来た時は支援して欲しいとローマ法王に依頼したらしいが
各国はあんま動いてないな
445 :
世界@名無史さん:2007/03/15(木) 04:06:34 0
ビザンチンの人間って、いつごろラテン語を捨ててギリシア語を喋るようになったのでしょうか?
7世紀には公用語もラテン語からギリシア語へと変わった。
こうして東ローマ帝国は「ローマ帝国」と称しながらも
ギリシア人・東方正教会・ギリシア文化を中心とした国家となった。
>>445 イスラム教にも適応されてる世俗主義政策をにかこつけられて、
コンスタンティノポリス総主教庁が聖職者を確保できず困ってるって話だね。
でも、聖ソフィア大聖堂の話はどうだろう。
コンスタンティノポリス総主教庁やギリシャはトルコを刺激するのが怖くて、
とてもそんな事言えないと思うんだけど。
ギリシャはトルコを恐れてるの?
それとも怒ってるの?
>>447 ありがとうございます。7世紀と言うとイスラムが勃興して東ローマが中東やアフリカを地域を完全に失った頃ですね。
言語の変化は、その辺も少しは係わってくるのかな?
>>450 たぶん地元のギリシャ系が権力を握りたかった
西欧文明とは違う東方正教文明に飲み込まれたのではないかな
>>451 7世紀に東方正教文明なんてあるか?
カトリックが分裂したのは11世紀だろ。
>>452 すでに5世紀の「アカキオスの分離」の頃から東西教会対立の傾向はある。
あと、ローマ帝国以前のヘレニズム時代から東地中海ではギリシャ語が広まって
たでしょ。
学問板とは思えない、このレベルの低さは何?
454 :
世界@名無史さん:2007/03/19(月) 00:19:49 O
だって趣味板にねぇんだもん!
もう滅んじゃた国だから世界史板のここぐらいしか語る所がないんだよ!
マイナーだから三戦みたいに誰が最強とか言って遊べ無いんだ・・・
>>454 そんなあなたに歴史難民板を紹介しとこう。
456 :
世界@名無史さん:2007/03/19(月) 00:45:55 O
えっ!
歴史難民板にスレあんの?
>>453 文明と言えるほど明確な差異は少なくとも8世紀のイコン論争以後と見るべきだろうな。
神話にしても哲学にしても言語にしてもギリシャ文化の影響なんてものは古代ローマからある。
正教はもともと異端の集合と言われ、単なる一過性の異端論争で分裂と言うのは無理がある。
まだまだ融合が進んでいたからこそ異端が勃興していたと見るべきで、
それが飽和状態になったのがイコン論争だろうな。
458 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 14:07:05 0
そういえば聞きたいことがあるんだが、
ビザンツ帝国って第4回十字軍に一回滅ぼされたよな。
そのときにさ、やっぱりコンスタンティノープル市民って、虐殺されたりとか奴隷にされたとかあるのかな?
あの十字軍の目的も目的だし、対立してるとはいえ同じキリスト教徒だし、そんなことはなかったと思いたいが。
正直、無知丸出しな質問でスマソ
教会の書簡か何かで「ヴェネチア(かどっか)の商人がギリシャ人やスラヴ人を
サラセン人と偽って売り飛ばしている」とか苦情を述べてるのがあったような。
一応正教徒だと問題にはなったんでしょうか。
そういやホスピタル騎士団は捕虜がムスリムだと殺して
ギリシャ人だと奴隷にしたとか。
460 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 15:05:32 O
第4回十字軍で中心的役割をしたヴェネツィアはビサンツに深い恨みがあったこ
とも考慮に入れなければならないだろう
11世紀後半、ビザンツ皇帝マヌエルは突然、帝都のヴェネツィア人の一斉逮捕
を命じた
逮捕といってもかなり暴力的に行われ、ヴェネツィア人たちで逃げることのでき
た唯一の船に対してもビザンツ海軍は執拗に追い掛け火炎放射器(ギリシア火)
で攻撃を仕掛けた
この時、ヴェネツィア人は酢に浸した毛皮で船を被い難を逃れ帰国できたが
この一斉逮捕事件は全てのヴェネツィア人を憤激させた
帝国の海運や海軍に相当な援助・支援を帝国に対し、それまでしていたからだ
事件当時ヴェネツィアの在コンスタンティノープル大使だったダンドロはこの事
件がもとで失明
このダンドロが後の第4回十字軍当時のヴェネツィア総督である
461 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 15:08:06 O
11世紀後半じゃなくて12世紀後半です
スマソ
462 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 19:34:01 0
>>459 >>460 貴重な情報どうもdクス
やっぱり、宗教とか関係なくそういうことはあったんですね
こりゃローマ教会に破門されても仕方なかったんだったんだな・・・
十字軍についつは法王が謝ってたけど今のギリシャ人もイタリア人を憎んでるんだろうか?
464 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 22:13:40 O
それはないでしょう
ギリシアとトルコの反目の方が根深い
第1次世界大戦後、ギリシアのヴェニゼロスがビザンツ帝国再興を目指し
小アジアのトルコ領内に侵攻して多くのトルコ人を虐殺した記憶の方が強いと思
う
日本人が、日付変更線より西、北回帰線より北の太平洋の島は全部本来我が物と
思っているように、ギリシャ人は地中海と黒海とをぐるっと領域全部我が物と
思っているんだろ?
トルコ人はトルコ人でユーラシア大陸全部我が物くらいに思っているだろうし。
466 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 00:00:38 O
日本人はトルコ人がアジアの民族だと思っているが
トルコの、特に若者は自分たちがヨーロッパ人だと思っている(もちろん原理主
義者は除く)
だからワールドカップの予選でトルコがヨーロッパ予選に編入されているのも当
然だと思っているし、EU加盟も是が非にでもと思っている
それはある種の改革だな
イスラム教を捨てつつキリスト側に行く
宗教から離脱するルネッサンス
といいつつ、イスラム化が進むトルコ政界と隣国イラク領内クルドの
台頭への軍部や警察の懸念、そしてEU最大のカトリック勢力
フランスのイスラムトルコへの警戒心の増大。
EUがトルコ加盟を渋っている理由はクルド問題即ちイラク石油利権
からトルコを離しておきたいから。
フランスはトルコのクルド弾圧を手薬煉引いて待っている
ことだろうなw
ルネッサンスは小アジアのイスラム化から始まった。
>>464 ビザンツ復興計画があったんだ、その方はパレオロゴス家の血筋の方なのですか?
470 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 11:15:39 O
>>469 いいえ
帝室とは何のゆかりも縁もない単なるギリシアの首相です
ただ極東の某国の“IT=イット”元首相よりはオツムがあると思います
ムスタファケマルがいなければビザンツ再興は実現されていたかもしれないな
>>470 お前まだマスコミの捏造した話を信じてたのか。
おつむの程度が知れるな。
>>464 ヴェニゼロスが敗戦の後始末を的確にこなしたおかげで、
戦間期のギリシャとトルコの関係は安定してたんだが。
反ギリシャ政策を貫くブルガリアを牽制してくれたくらい。
で、今のギリシャとトルコの反目はキプロスが原因でしょ。
双方の軍事政権が煽りまくったというのも大きいけど。
# ギリシャの軍事政権がキプロスの政権を倒して併合をもくろんだりとか、
# トルコの秘密機関がテッサロニケのアタチュルク廟を破壊して、
# それをギリシャの仕業と騒ぎ立てたりとかね。
474 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 12:36:51 O
自国民を虐殺されたら反感が起きるのは当然だと思うが
トルコもアルメニア人をかなり虐殺したから
アルメニア人もトルコに反感を持っている当然のことだ
かつて西洋はキリスト教で没落していったが
今度は謝罪合戦で没落しそうだな
>かつて西洋はキリスト教で没落していった
いつの話だ
>>476 なんだ、その塩野七生並の低レベルなレスは。
というか、この板でビザンツ関連のスレが建つとすぐ話題が脱線するよな。
ビザンツそのものに対する知識ない奴が多過ぎ。
仕方ねぇじゃん、マイナーなんだよ!日本では!
通史の大作が2つぐらいあるだけで、各王朝の概説書とかはないんだぜ!
プラス歴史が長過ぎるんだって!
初期と末期のマニアどうしで話ししても面白く無かった・・・
>>小アジアのトルコ領内に侵攻して多くのトルコ人を虐殺した記憶の方が強いと思う
トルコ人がゲリラ戦を仕掛けたのだから当然
>>473 キプロスには独立派や民主活動家が多かったから
軍事政権としては目障りな存在だったんだろう。
軍事政権を支援していたアメリカも、ソ連と関係があった
マカリオスを潰したがっていた
キプロスといえば東地中海の戦略拠点だったけど今でも独立させたくないぐらいの要衝なの?
海賊とかでたりする?w
キプロス島民は独立したいと思っていたが
少数派のギリシャ統合派が軍事政権の援助を受けて
クーデターを起こした。彼らはマカリオスを初めとした「少数の非愛国派」に対して
攻撃を加えた。(彼らこそが少数派だったのだが)
そこでトルコがトルコ住民保護するために出兵
>>484王朝の概説書知ってんなら教えてくれ!
あっ!でもヘラクレイオス朝のやつは無しな!
>>460 突然ではない。ヴェネツィアがやられたのはそれなりの理由がある。
1171年初頭、金角湾沿いのジェノヴァ人居留地に対して
ヴェネツィア人が襲撃をかけ、施設を破壊し多数のジェノヴァ人を殺傷しました。
マヌエル1世はヴェネツィア人に対して損害を賠償するよう命じましたが
逆にヴェネツィア人はマヌエル1世に対して
ヨハネス2世の時と同じことをしてやろうかと恫喝しました。
「ビザンティン帝国の軍隊」はなかなか面白い
>>434 攻めるとしたらキプチャクハンのほうじゃないの?
490 :
476:2007/03/24(土) 02:19:18 0
第四回十字軍の前から
内部崩壊していた
>>488 サンクス いつ頃の軍隊がメインか覚えてたら教えてホシ
>>489 誰がキプチャクを攻めるんですか?それともキプチャクに帝国が攻めるんですか?
>>479 せめてウィキペディアの各ビザンツ関連記事位は頭に入れとけよな、と。
世界史板のビザンツスレッドは、あれ以下の内容しかないから呆れるぜ。
すぐ近現代に話を持って来ちゃう奴とかいるし。
なんでも自由に語れるのは
おかしいことではないと思うが
>>462 完全分裂が1054年。
第四回十字軍が1202-1204年。
ラテン帝国は1204-61年。
滅びる時は仲間割れとかであっさり滅びるんだよな
>>494 それ自体は悪くないが、話が脱線し過ぎ。本題に関する知識がない奴ばっかりだか
ら、そうなる。
>>492 キプチャクハンが東ローマを攻める可能性が
あるんじゃないかと思った
499 :
476:2007/03/24(土) 14:41:27 0
1337年にタタール軍がビザンツ領に侵攻してトラキアを劫略した事件が
ニケフォロス・グレゴラスの年代記に書いてあるらしい。
ヴァシャーリって人の本でちらっと読んだだけなので詳しくは知らんけど。
名前消し忘れた・・・orz
ちなみに原因はキプチャク汗に贈り物をしなかったからだと。
>>497 そんなにゆうのならミカエル8世時の国際状況について説明してやれよ、ウィキ読むだけでわかるからさ
敵対勢力と第三勢力を戦わせて
自分は漁夫の利を得る
もしくは敵同士を内乱させる
このどこの国でもやっている
ありふれた策略活動を
東ローマが行うと
「夷をもって夷を制す」
などと悪い表現を使われる
レスの数を西暦にするとそろそろ帝国誕生!
なんか嘘みたいに数がのびてる
505 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 19:59:58 0
自分は世界史にあまり詳しくないのだが、当時のビザンツの人々はどういう服装をしていたのか興味があるんだが。
軍隊なんて古代ローマ帝国と同じ軍装だと思っていたけれど、
>>13を見るとそうでもないな。西洋中世と大して変わらないのか?
古代から中世まで続いているから
軍装も千年の間に変わるでしょう
ギリシャ人、スラブ人、トルコ人、トララキア人、アルメニア人、ペルシャ人
人種的には混血しているだろう
508 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 22:19:25 0
コンスタンティノープルなどの都市では、一般庶民は古代ローマ(パクスロマーナの頃)と同じような生活習慣を送っていたの?
銭湯に行ったり、競技を観戦したりとか。
510 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 22:24:27 0
エジプトとシリアを失った後は、「パンとサーカス」は中止になった。
自身で食糧を用意できない人間は、町から退去させられた。
511 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 22:28:29 0
公衆浴場は存在したの?
ヘラクレイオス後のことがあまり有名じゃないのは
ギボンの影響だろうか
競技場は存在してたが、公衆浴場はどうだったかな?
競技場は政治的意味があったからのこったが、公衆浴場はに政治的な価値が残っていたのかなぁ・・・・
514 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 23:59:07 0
お風呂の起源はアラブ人
たぶん暗黒時代の終わりまでには公衆浴場は無くなっていたと思う、
カタフラクトは燃える
まっすぐにしか突撃できないが
清めの沐浴とかはヘブライ人というかヘレニズム時代のユダヤ人もやっていたが、
バスタブ形式の風呂はギリシア人、公衆浴場もギリシア人やローマ人が中東方面でも
普及させたっぽい。
アラブ征服時代以降の中東の浴場は、蒸し風呂とか湯舟とかいくつかの種類の風呂を
組み合わせて入浴するみたいな形式をローマから引継いだけど、ローマ帝国時代のものに
くらべると密室型でしかもかなり小振りのものが作られるようになったようだ。
ローマ時代の公衆浴場がプールみたいなものなら、イスラム時代の公衆浴場は、まさに「銭湯」
そのもの。規模が大きくても精々「スーパー銭湯」レベル。
アッバース朝時代の年代記には、アラブからに派遣されて来た総督たち(ハリード・アル=
ワリードあたりだったような)が東ローマ皇帝になりかわり、新たに公衆浴場を建設した話しが
載せられているけど、その規模の小ささにエジプトやシリアの旧東ローマ帝国市民から
「こりゃあネズミの浴場だぜ(w」と冷やかされんだとか。
ちなみに中東の銭湯(ハンマーム)に男風呂と女風呂の区別があるのも実はローマから風習。
ヘラクレイオス朝時代以降の東ローマ帝国領内の公衆浴場はどうだったか・・
>>516 ???なに??? 激しく気になる!
Age of Kingsのこと?
519 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 01:11:13 O
西欧では入浴の習慣はキリスト教正統派(カトリック)の布教により多少少なく
なったが消滅はしなかった
入浴習慣衰退に決定的な影響を与えたのは西欧においては14世紀のぺストの流行
による感染を恐れたというのが一般的
しかしぺスト禍が収まると徐々にではあるが、復活し始めた
>>521
なんで、ニケフォロス二世なの?
カタクラフトの軍団を作ったのが、ニケフォロス2世だからでは?
キリスト教は体臭欲情のような裸の付き合い嫌いだからな…
ベリサリウスとマケドニアの軍人皇帝時代以外は戦争に強い
という印象がない。むしろ周辺異民族にやられている
弱小国という印象がある。趙宋のような。
日本で人気がないのは戦争が弱い時代が長かったからでは?
>>526コムネノス朝三代とかは戦争にも強かったと思うぞ。
アレクシオス1世 帝国を再編し領土を奪回、プロノイア制については賛否両論
だが、彼の時代では封建化を意味しなかった。息子に恵まれた幸運なパパ
ヨハネス2世 情報が少ないとか悪口言われるが、ビザンツ屈指の名君、異民族を討ち、
小アジア沿岸を再征服した。家庭内ではファザコンの姉を持ったり、
息子に暗殺されたかもしれなかったりと苦労人
マヌエル1世 世界帝国復活目指した浪費好きな夢想家さん。か、最善の道を模索した有能だが
不運だった戦略家。どうとるかはその人次第。死後に奥さんと最愛の息子を殺された
かわいそうな人
人気が無いのはマイナーだからだ、ローマ帝国みたいな一般向けの入門書が
少ないから漠然としたイメージしかわかんのが原因だろ
塩婆みたいのが表れれば少しは変わるかもしれないが、塩婆が書くのは本人
も、周りも望んではいない・・・
しかし、「ローマ人の物語」の最後の締め方は酷かった。
>>マヌエル1世
神聖ローマ帝国に負けている
>>ヨハネス2世
ヴェネツィアに負けている
>>アレクシオス1世
ロベール率いるノルマン人に負けている
ロベールが死んでいなければ多分ヨーロッパの地を失っていた
>>529 厨房の感想乙
老獪な外交戦略で「戦わずして勝つ」が国是だからな。
何だかんだいって千年続いたんだから、かなりの力を持っていたのだろう。
一代で大帝国築いて、その後百年も持たずに滅亡、とかの方が一般受けが良いけどな。
ま、これでも十年位前に比べりゃメジャーになった方だろ。
>>529 レオン3世、コンスタンティノス5世はどうだろう?
>>老獪な外交戦略で「戦わずして勝つ」が国是だからな。
おそらくこれが不人気の原因の一つではないだろうか
真正面から力でぶつかって打ち勝つというわかりやすい戦果は
人気が出るものだが。
策略は「弱い奴がやるもの」という偏見がどうしてもある
>>策略は「弱い奴がやるもの」という偏見がどうしてもある
そうだろうか?
あれだけ長い間存在したと言うことは国家のシステムとか特性とかが優れて
いたと思う、だから俺は好きだ。
>>一代で大帝国築いて、その後百年も持たずに滅亡、とかの方が一般受けが良いけどな
なんか国家としては2流な気がする・・・
国家システムを状況に応じて
変えることが出来たことが
長生できた秘訣では
>>531-532 最強を誇った頃のイギリスあたりは、かなり狡猾と言うか老獪な外交をし
てたんだけどな。それで世界中に紛争の原因を作ったけど。
日本人は策略より、正々堂々云々を好むからな。ずるく生き延びるより、
潔く死ぬ方が美徳だと思う人が多い民族だから仕方が無いのかもしれんが
(だからコンスタンティノス11世だけ、受けが良かったりする。塩婆のせ
いでもあるが)。
今の日本みたいに自前の軍事力には制限があって、なおかつ周囲が友好的
じゃない場合、ビザンツの「戦わずして勝つ」は見習うべき点が多いと思
うんだけどねぇ。
ハプスブルク家もそうだが、長続きした国家や王朝は一つの戦闘を取り出
すと負けたりしてるけど、結局最後には生き残ってたりするんだよね。
それが本当の強さだと思う。まあ、それもシュミレーションゲームとかで
しか歴史を理解してない奴らには絶対分からないかもな。
>>534 それができた国家システムを持っていたのがすごい、三流国は持っていない
とおもう。
でも、これは国家システムうんぬんじゃなくて、人間性や文化の問題かな?
>>今の日本みたいに自前の軍事力には制限があって、なおかつ周囲が友好的
じゃない場合、ビザンツの「戦わずして勝つ」は見習うべき点が多いと思
うんだけどねぇ。
権威が足りなくないか?今の日本には、あと、狡猾な外交は後に遺恨を残す
からやりすぎには注意せないかんな
>>527 マヌエルだけはどうしても認められない
あの時期イタリアを無理して攻める必要があったのか
キリスト教徒の神聖ローマ帝国やフランスと関係が悪化しただけ
暴虐を働いたとはいえヴェネツィアを攻撃したのもマイナス
第四回十字軍はこれらのマヌエルの時の報復だと言われてもしょうがない
狡猾な外交で思い出したが
ロシア人の自国政府の評価は
「西欧の魑魅魍魎の外交官に振り回されている
生真面目な政府」らしい。
つまり「外交下手」なんだそうだ。
何かの本か雑誌かネットだったかに書いてあった。
2chだと突っ込みどころ満載だろうがw
541 :
538:2007/03/31(土) 22:24:25 0
>>540 それを読んだ上で言っている
マヌエルは余計な紛争を起こして
遠征を失敗して国力をすり減らしただけ
もう少し注意深く読んでみれば・・・・・
どざえもんに
「ギリシャ人の皇帝」とか言われた人だね
ジョンのようにやることが全て裏目に出た皇帝である
>>どざえもん
wwwwwwwwひでーよwwwwwww確かにそうだけどよwwwwwwww
ニカイア帝国のヨハネス3世、テオドロス1世も
結構な軍事的手腕の持ち主。というかよくセルジューク朝に勝てたな
>>547 確かによく勝てたなぁと思う。あそこで勝てなかったらやばかった。
馬鹿皇帝が傀儡の皇帝になっていたと思う(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
マヌエルは身の程を知らなかったんだよ。
奴は外国にビザンツに対する憎悪を植えつけてしまった。
国力うんぬんよりもこっちの方が奴の罪だ、憎悪を跳ね除ける力は尽きかけていたのに・・・・
>>憎悪を跳ね除ける力は尽きかけていたのに・・・・
力をマヌエルが消費してしまったというか。
>>力をマヌエルが消費してしまったというか
これに対しては幻影で反論しているぞ、
むしろ、マヌエル以後の混乱のと無能な皇帝達が国力を消費させたと思う。
まぁ1204年の悲劇の種を作ったのはマヌエルなのは確かなのだがね
>>545 .。 。 。 。
.| ヽ / ヽ ./ ヽ / |
|: V V V .|
.|: .|
|________.|.
/ \
/ ヽ
l:::::::::. |
|:::::::::: (●) (●) | 呼んだ?
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
イタリアでの敗戦とミュリオケファロンの敗戦
フリードリヒ・バルバロッサ
「こんにちわ、僕どざえもんです。」
>>552 キタ━━━(゚∀゚)━(∀゚ )━(゚ )━( )━( ゚)━( ゚∀)━(゚∀゚)━━━!!!!
wwwwwwwwwジョンwwwwwwwwwwwwww
お前も十字軍でこっちに来ればよかったのにw
アンゲロス家の愚かな兄弟が熱烈歓迎してくれるぞwwwww
>>555 十字軍でビザンツ領を通ろうとしたら皇帝を名乗っていいかどうかで揉めたんだっけ
配下の兵士が土着のスラヴ人等と小競り合いを始めたり
558 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 09:43:17 O
皇位継承者筆頭でなかったにも関わらずマヌエル1世は即位した
マヌエルの野心はありありだね
まあセルビアのステファン・ネマーニャを軍事的に屈服させるまでは良かったと
思うが
やはりマヌエルは先代のアレクシオス1世やヨハネス2世に比べ、思慮が浅すぎ
る
特にオットー1世以来、友好関係にあった神聖ローマ帝国と手を切り、フランス
、ノルマン・シチリア王国と結んだ
結果、それがもとで従来、互いに対立関係にあった神聖ローマ帝国、ヴェネツィ
ア、教皇の対ビザンツ同盟結成
マヌエルの外交戦略の失敗は歪めない
>>558 決して無能ではなかったし、「おバカな三代目」ではないんだけど、
結果的にはやっぱり国力を使い果たしちゃったっていう印象が強く
なっちゃうんだよね。
もっとも、増え続けるコムネノス朝一門を統御するのは難しいのは
誰が皇帝になっても同じだし、コムネノス朝の政策自体がもう限界
だったのかもしれないけど。
途方も無く亀だけど、
>>387の提出文書読んでみたいなぁ。
実際の所は本当に水死なの?
皇帝が水死するなんてなんか怪しい
英語なら良かったのに……。
564 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 21:48:09 O
>>387 イースト入れるのは正教会だよね? 逆じゃない?
戦争が強くて二枚舌の外交やった人っている?
>>566 強いて言うならミカエル8世か?
ヨハネス1世とかもそうかもしれんが。
>>一代で大帝国築いて、その後百年も持たずに滅亡、とかの方が一般受けが良いけどな
,-─────、
/ ̄ ̄ ̄ ノノヽ `-、
,l' ノノ´´ノノノノ ‐'-`ヽ`l
l ノ ノノノノノノ∩ヽヽ l
l' ~~ノノノノ___ .∪ __.'l
l/ノ ,--──'' ̄ ̄`-,_|
丶_/::::::::::::::━'ソ:i:i:'━:i
iヽ.||:::::::, <・>ン ,'<・ >
| >|.} ` ' i,. ' ,'
ノー.i;;;;;::.. ..:::::_`ー::'゙:. .!
, イ| i i;;;;;;::、;'./Vョヨコョi::;;'
., - ' || | ゙t;;;;;;;:::..i-r-、./::;;'
!! `、 ヽ,;;;;::ヽニニソ./\
ヾ、、ヽ、. ':、;;;;;;;;;;;;/|| \ 呼んだ?
. r‐-‐-‐/⌒ヽ-ーイ // `、
ヽ、 |_,|_,|_,h( ̄.ノヽY ビシッ ヽ
ー-ヽノ| `~`".`´ ´"⌒⌒) ヽ i
ノ^ //人 入_ノ´~| ̄ i |
\_ //__/ | ノ |
/
神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世が560getだ!!!!
ギリシャ人共逝ってよし!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\ /\ /皇\/../
/ /\ \(´∀` )./
())ノ__ ○二○二⌒/../
/ /||(二ニ) (___/../ 几l
γ ⌒ /|V||彡Vミ/⌒_ノ二二ノl0
l| (◎).|l |((||((゚ )/⌒/||三三三・) || (´⌒(´
__ ゝ__ノ  ̄(___) ̄ ゝ__ノ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;
マヌエル
>>1世へ ギリシャ人の皇帝必死だな(ワラ
ユスティヌス
>>2世へ 敗戦が込んで精神崩壊か(ワラ 黄色い救急車にでも乗ってろよ(ワラ
ティベリオス
>>3世へ 先代にクーデター起こして先々代にクーデター起こされてんの(ワラ
コンスタンティノス
>>4世へ 戦闘力はブルガール人>>>越えられない壁>>>ギリシャ人であることが確定したな(ワラ
ミカエル
>>5世へ カラファテスって(繋ぎ)いいあだ名ですね(はぁと
ヨハネス
>>6世へ 戴冠おめでとう。トルコ人に感謝しとけよ(ワラ
ヨハネス
>>7世へ 確かトルコ人にコンスタンティノープルあげようとしてなかった?随分気前がいいんだな(ワラ
ミカエル
>>8世へ 見事な策略だな。ギリシャ人の本領発揮だな(ワラ
ローマ教皇に継承者として認められましたが何か?ザコのギリシャ人はコンスタンティノープルに引きこもっていろよ(ワラ
571 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 01:49:12 0
572 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 15:25:30 0
農業国家のビザンツ帝国が
戦争に強いわけがない
>>540 日本の政治家は
アメリカとうまく立ち回って
反映したしたたかな国という
イメージがあるらしい。つまり「政治上手」
隣の芝生は青く見えるというやつだろうか
書いてしまった後で言うのもなんだが
スレ違い失礼
>>572 釣り乙
wikiでも読まれよ、科学技術と海軍を忘れ取るぞ
外国は日本を高く評価してくださっているんだな
日本人が思っているよりは
上杉が攻めてくる度に小田原城に
立てこもった北条家と被って見える
>>568 だれ?
>>570 560なんてgetしてんじゃねぇよ、お前は962をgetしろw
野蛮人が、本当は憧れてるくせ・・・・
そんなこと言うと、息子に嫁やらんぞ、まぁ緋色のアンナたんはあげないがw
>>571 情報乙です。
1025年時点の勢力図でアナトリアでビザンツの勢力圏で無いあたりですね
ビザンツとは友好関係にあったんですか、当時のビザンツ国境はイスラム地方
政権が多いですね。このことも、ビザンツの最盛期と関係があるとおもいます。
なにより情報が少ない分野なのでサンクスです。
小田原評定なみに揉めた、主に宗教問題で・・・・
シーア派とスンニ派
カトリックとプロテスタント
宗教とは難しいもんだ
東ローマ→北条
ブルガリア→里見
ルーシ→今川
アラブ→武田
十字軍国家ともしっくりいっていなかったようだね
>>581 サンクス
ティムールか、ビザンツに神風をよんだ恩人じゃないか。よくぞお越しくださったw
ジョンなんかと比べ物にならない大物ですな。
もし、古文書とか新資料が出てきて、実はティムールのアナトリア侵攻にマヌエル2世
が裏で工作していたなんて事が書いてあったら、神に昇格するんだが・・・
実際、ティムールの件は運がよかっただけなんだよね?
十字軍→長尾上杉家?
ハザール→結城
ティベリウス2世が長生きしたら面白かったな
588 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 19:01:37 0
フレグとミカエルは気が合いそうだ
>>588 フレグは狡猾な人物なの?モンゴル人に対しては武骨なイメージしかもって
無いから教えて欲しい。
義理の父になるはずだったから手紙のやり取りはあったかもね。
>>587 あんまり印象に残らなかったんだけど優秀な奴だったん?
>>540 どこに国もその国の国民は、自分の国を外交下手だと思ってるものだぞ。
「外交が上手い」なんて思っているのは北朝鮮みたいな頭お花畑位のものだ。
ブッシュなんてイラク戦争時、アメリカの新聞とかには「ブッシュ外交はブレアと小泉に操られている!」なんて
言われてたくらいなんだし。
>>583 ビザンツ→傭兵頼んだら難民の群れが押し寄せてきた、しかも食料寄こせとか言ってるし、
マジでウゼー。勝手に国作りやがって、俺ん土地だよそこは、お前ら皇帝に臣従しろよ、
ほんと、野蛮人の虐殺厨ばかりだし、文明的なムスリムの方が信頼できるぜ
十字軍 →頼まれたから聖地奪回の聖戦してやってんのに、協力しろよ。食料よこせよ。
俺らの目標は聖地でアナトリアじゃねえ!戦ってやってんのは俺らだよ、なんで土地を
やらなきゃならんのだ?ボランティアでやってんじゃねぇよ。異教徒と密通しやがって、
ほんと、異端は異教徒より性質が悪いぜ、いつか仕返ししてやるからみてろ。アーメン
正教だったロシアも西欧からは
異端扱いされていたな
ちなみにコンスタンティノープルが
滅んだのは東ローマがカトリックに
譲歩したことによる天罰に見えたという
>>589 そもそもモンケからは遠征終わったら
本営に帰るようにと言われていて、
ジョチのように切り取り放題ではなかった。
イルハン建国時。フレグ征西軍に参加していた
ジョチ・ウルスの部隊が「不幸な事故」にでもあったのか
行方不明になっている。
いつの譲歩かな?
ミカエル8世?マヌエル2世親子?
きっとみんなだね。
みんな、帝国を滅亡から救おう、破滅を
少しでも先送りしようと精一杯努力した人達だよね・・・
そのために、泣く泣く譲歩したんだよ、それを天罰って言うのはあんまりだ・・・
そんな国は滅んで当然だよ、
皇帝陛下(´・ω・)カワイソス
モスクワは第三のローマだよ
596 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 21:44:12 0
ローマ→異端だったから滅んだ
東ローマ→異端を受け入れようとしたから滅んだ
モスクワ大公国→滅んでいない。正教の正しさが証明されたウラー タタール?ボコボコにしてやんよ
偉大な皇帝陛下達は聖人に聖列てないのかなぁ
ヨハネス3世は聖人になってる、これは彼の功績に見合っていると思うが
他に整列されている皇帝はいないのだろうか?
>>599 聖像崇拝復活>>>>>息子の目を潰して帝位を奪う
なんだろうな。
えっマジで・・・あの毒婦が・・・
息子殺して聖人?
税制面で人気あったっけ? イコン賛成派だったのか?
ちょっと調べるわ
イコンね、わかったわ
ヨハネス3世はなんでだろうな?
キリストに貢献しないといけない、かつ、異端ダメ カトリックとの妥協ダメ
皇帝としての功績はあんまり関係なし
↑が基準なのかなぁ
ニケフォロス2世とかはアトス山の修道会作ったり、本人も敬虔な信者だった
けどダメなのか・・・
バシレイオス2世の妹のアンナも自分の身と引き換えでキリスト教を伝えた
し、貢献してると思うぞ、
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l::::::::: |
|::::::::: ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|
|::::::::::::::::: \___/ | < ウマイヤ朝初代カリフにして
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 政治の天才ムアーウィヤ様が604ゲットだ>
ヘラクレイオスへ DNAで設定された民族的な戦闘力はアラブ人>>>越えられない壁>>>ギリシャ人であることがヤルムークで証明されたなw
テオドシウス2世へ 「政治には興味がないが文化的な教養に優れていた」まるで今川氏真のようだなw
レオーン3世へ お前の信じている宗教偶像崇拝なんだってな、石像拝んで楽しいですかw
ロマノス4世へ 遠征で負けて捕虜ね。英宗と同レベルだなw
レオーン5世へ ブルガリアごときに惨敗ってホントザコだなw
コンスタンティノス6世へ お前が親に廃位させられたせいで「ローマ皇帝は絶えた」と見なされたぞw
605 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 23:43:30 0
607 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 11:01:49 0
>>
>>563 .。 。 。 。
.| ヽ / ヽ ./ ヽ / |
|: V V V .|
.|: .|
|________.|.
/ \
/ ヽ
l:::::::::. |
|:::::::::: (●) (●) | 英語なんて田舎の言語誰も使えないよ
|::::::::::::::::: \___/ | 僕らもフランス語しか話せない
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
608 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 15:51:23 0
ビザンツ→大友
ブルガリア→龍造寺
オスマン→島津
ペルシャ→菊池
ルーシ→少弐
ヴェネチィア→毛利
609 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 16:09:59 0
アンゲロス王朝の功績って
ヴェネチアと友好関係を築いたことぐらい?
コンスタンティノポリスの皇帝がキリスト教を受け入れてなければ
ローマ教皇が皇帝云々言う資格は無かっただろうに。
でも、帝国がキリスト教と一体化して無ければササン朝辺りの軍門に下ってた可能性が(略
611 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 19:00:48 0
漏れら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来がないのに帝位あらそいしてやるからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ )
し(_) (_)J
↑ワロタ
>>603 ヨハネス3世は名君だろ。彼なくしてはビザンツの復活はなかったはずだ。
>>613 勝手に、左がイサキオス2世、右がアレクシオス3世とか言ってみる
615 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 01:50:26 0
農耕民より遊牧民の方が戦闘に優れている
616 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 03:23:17 0
>>DNAで設定された民族的な戦闘力
>>DNAで設定された民族的な戦闘力
>>DNAで設定された民族的な戦闘力
アンゲロス家の皇帝はウィキできれいに無視されてるな、ビザンツのウィキは
充実してる方だとおもうが、それにスルーされるなんて、人気ねぇな。
そういえば、ビザンツ皇帝AAは↑が初?
ただの流用だけど一番人気の無いやつらが初だとなんか笑えてくる
>>615 そういえば学校はまだ春休みか。
>>617 記事は出来たのだが、誰かのサイトのパクりだということが分かって削除された。
ま、その後誰も書かないってことは人気ないんだろうけど。マケドニア朝やパレ
オロゴス朝の皇帝達は段々加筆されてるし、モレアスやエピロスの専制公の記事
まであるのに。
アンゲロス王朝自体の記事はあるけどね。
>>619 そうゆう経緯があったんだ、細かいところまであるから不思議に思ってたんだ。
ビザンツ好きならあんまり書きたく無いやつらだしね。
マヌエルみたいな奴が皇帝なら良くも悪くも第三回十字軍に激しく絡んでビザンツ
の有名度を上げてくれたかもしれないのに・・・
621 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 10:58:54 0
イサキオス2世は同盟を結んでいたサラディンに
十字軍の情報を報告したためフリードリヒと喧嘩した
622 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 14:12:34 0
>>604 いきなりコンスタンティノープル狙わず
アナトリアとか周りの土地から
占領していけばよかったのに
623 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 14:54:29 0
将を射るにはまず馬から
624 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 17:46:27 0
さて、マイナ市に住んでいた人々は先述したスラヴ人に属する人々ではなく、古代からのローマ人の子孫である。彼らは現在に至るまで、現地の(周囲に住む)人々から
「ヘレネス(ギリシア人)」と呼ばれている。なぜなら、彼らはきわめて古い時代から偶像を崇拝しており(=キリスト教以前の宗教を信仰しており)、
古代ギリシアの偶像に向かって礼拝を行っていたからである。彼らは名高き皇帝バシレイオス(1世、在位 867-886 年)の時代に洗礼を受けてキリスト教徒になった。
www.hmt.toyama-u.ac.jp/seiyoshi/oha/ohafile/13kougi.pdf
8世紀ぐらいまでギリシャの多神教は活きていたらしい
↑が見えないんだが
>>622 コンスタンティノープルを落とさない限り、占領地に攻撃を受け被害を受ける
可能性があると判断したんだろう、逆に言えばそこさえ落とせば帝国は崩壊する
と考えてたんじゃね、問題は計算外に守りが硬かったことだろ
627 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 22:41:31 0
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l::::::::: |
|::::::::: ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|
|::::::::::::::::: \___/ | <ルム人はシリア編成軍のいい訓練相手だったよ>
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
628 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 23:43:04 0
訓練でハーサム死なすな
>>620 パレオロゴス朝の最後の三人はそれなりに頑張ってたから、国が滅びても
同情されてるが、アンゲロス朝は歴代皇帝が全部ダメダメだからな。
アレクシオス1世、ヨハネス2世クラスの皇帝でも舵取りが難しかったであ
ろうという状況なのに、あいつらじゃ国が持たなくて当たり前。
630 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 16:13:52 0
_______________________________________
,-‐,,ii||||||||||||ii、-、
`゛!!!iiiiiiiiiiiiiii;;;;;;;;;;,,,,,-‐/ i||||||||||||||||||||||||i ヽ‐-、,,,,,;;;;;;;;;;iiiiiiiiiiiiiii!!!"´
'''''!!!!!|||||||||||||/ i||||| |||||||||||||||||i ヘ|||||||||||||!!!!!'''''
''''''''!!!!!I/ |||||| |||||||||||||||||| `iI!!!!!'''''''' /Vー-へノ\ノ\ノ\ノ\
ヽ, !|||||||||||||||||||||||||!" 〈 ノV \
─────----了 ゛!!||||||||||||||!!" `ヽ---─く
| | | `ゝ.__  ̄Y ̄ ___ノ ノ
| | | ,| ]下ミ ̄`。、_|_;'。´ ̄7エ"┬| | ノ 「世界の恐怖」ロベール・ギスカールさまが630げっとだ!!!!!!
| | | |└、 トミミi─'´<_,l、三´,E=|#ナノ | )
| | | | | `ヽトミ||^=====^|E彡/ ' | | |<
、 | | | | | ーヾミ||]⌒i⌒「|ソ‐'-─/ / | )
ヽ、 | /^‐━, \_ `、`===='',/ _/ /\ | └、
ヽ、 | /ノ―、='、 \_二二`─´二二_/ \ Vヽ
ヽ/´ / / ̄`i、  ̄|| ̄ / \ ヽ/ ̄ ̄ヽノ⌒Vー-、/⌒V
ノ 丿 l | `i---┼-----------'´
| 〈 l 〈 〉 |
ゝ ,/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
アレクシオス1世へ ノルマン人は戦闘民族だ!!なめるなよー!!!
ゼノンへ 蛮 族 必 死 だ な藁
アレクシオス3世へ バカの世界チャンピオンだな藁
ミカエル4世へ ゾエにぞっこんされているんだろ?老人ホームに行けばもてもてなんじゃないか藁
632 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 17:09:56 0
でも戦闘は強い
633 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 18:46:16 O
ノルマン・シチリア王国は先進性ではビザンツを凌駕しているが
>>632 でもそれだけ。
戦闘力しか判断基準がないのは、ゲームやり過ぎの厨房。
635 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 21:27:55 0
東洋だと中華帝国より
匈奴や女真とかの方が好きなんだろう
戦闘力があるものが生き残るとは限らないこと位、余程の厨でなければ分かると
思うのだが。ゆとり世代には分からないのかねぇ。
>>633 何における先進性だ?
あと、シチリアにはギリシャ系住民が多かったことを考慮して言ってるのか?
宗教の寛容制とか航海とか?
>>DNAで設定された民族的な戦闘力
この一文でなぜか爆笑してしまった
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l::::::::: |
|::::::::: ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|
|::::::::::::::::: \___/ | <
>>633シチリアはムスリムも多かったからな>
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
前半に比べれば東ローマに興味がある
人間が書き込んでいるのかな?
>>国家元首は神の代理人
何か問題でも?
>>ギリシア〜アナトリアに住みながらローマ人
>>世界帝国を夢見る半島国家
ローマ帝国から続いた国家にすんでいるんだから
ローマ人を自称して何がいけない?
>>296 セーヴル条約をケマルに飲ませるための
出兵だったんだよ
虐殺したのはトルコ人がゲリラ戦をしかけたのだから
仕方なかった
644 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 23:57:14 0
ふと思ったんだ
ギリシャ計画で東ローマ復活を計画していたのはドイツ人のエカテリーナ2世
14世紀に西欧でただ一人十字軍を派遣したのは神聖ローマ皇帝(兼ハンガリー王)ジギスムント
(オスマンの膨張を防ぎたいと思ってのことだろうが)
ヨハネス3世と仲がよくて娘を嫁がせたのは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世
マヌエル2世の発言を引用して非難されたローマ教皇はドイツ人のベネディクト16世
ドイツには東ローマオタクが多いのか?
ちょwwwwwお前らレス早過ぎwww
636で「シリアよさらば」やりたかったのに・・・
>>434 諸ハンの支配下にはイスラム教徒の方が多かったから
キリスト云々というよりも「敵の敵は味方」というやつでは?
それとテサロニキやコンスタンティノープルの防備を見て
攻め取るより味方に付けた方が徳と思ったとか
近代とかの時代違いは別のスレに行ってくれ
>>644 それだと十字軍が強すぎ+時期が合わんくないか?
まぁもともときちっと合わせるのは無理な話だが
十字軍→仙石秀久率いる羽柴軍
>>645 フランスの方がビザンツオタクが多い、正直ウザイ
今川氏真
/;;;;;;;;;;;;;\
/\;;::::::::::::::::::ヘ
/,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
|l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::... ...:::::::;;;;;;|l
〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
/j/ ヾ、
l::||:::: |l
|::||:::::::.. (●) (●) ||
|::||::::::::::::: \___/ ||
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ
 ̄`ー―---oo-――'"
パレオゴロス朝には実に親しみを感じるね
文化的には高い次元にあったが
政治的、軍事的に衰退している所と
必死な所が
あのさ、俺、バシレイオス2世はガチでホモじゃないかって疑ってるんだよね
だって女性関係全然出てこないんだよ、優秀な皇帝がホモだったらやばいんで
情報統制したんじゃないかと思ってる
バシレイオス2世の頃は
まだ傭兵はそれほど使われていないよね?
第四回十字軍は
異端の東ローマ征服より
カトリックのハンガリーを
攻撃したことの方が問題になったとか
>>654 ヴァリャーグ人の援軍を外国人傭兵とも考えられなくはないがバシレイオス2世の時代は
軍の主力では無かったと思う、まだ中央軍団が健在だったし、テマのストラティオス(屯田兵)も疲弊し、
機能しにくくなっていたがまだ存在した。
中央軍は常備軍だったっけ?あと中央軍にも外国人部隊があったような気がするが詳しい人頼む!
>>655 富山大学のHP内にある小林功先生のHPも授業内容を公開していてとてもためになるよ
もう知ってるかもしれないがw
./||丶
/ .| | l
/ .| |. l
/ .| | l
/ .| | .l
|二・二・二・二・| _人从∧从人从/\
|::::|::#:: `, ≪ カトリックのザラ市なんて攻撃しやがって
|::::!||l , \,i,/、 ノ お前ら破門だ!!
i~ヽ─({{;,・;})({;,・;}) `)
(::6:::: `ー '(:: ) -' `゙VWvVWvVWWV
.|:::: /'/エェェェヺ
|:::: !l lーrー、/ ,, _..r ‐ ァ─-‐''^゙二ニつ
|●::、ヽニニソ _,, r - ‐' ,,r ーァ' "´ l くr } }}
_..-‐''~、`ー--‐'"ノ. ̄´ ノ l一'ヽ、_,,つノ
.‐'7 ヽ `Y´ ̄,,ノ ( /
/ | | / 丿 /
./ | | l 、 _,,, /
/ | | | / /
傭兵といえば
近代→スイス人。主な雇い主フランス
中世→ノルマン人、トルコ人。主な雇い主東ローマ
古代→ギリシャ人。主な雇い主ペルシャ。殖民都市
てイメージがある
ローマ教会との関係が悪化した
イコノクラスムって帝国崩壊の遠因にもなっているような
>>帝国崩壊の遠因
そんなものビザンツの歴史のなかにはごろごろ転がっている・・・・
なんせ、歴史が長いからなw
ローマ帝国の分裂は
東ローマ帝国崩壊の遠因になってないか?
コンスタンティヌスによる遷都は東ローマ帝国崩壊の遠因になってないか?w
>>641 前半はビザンツをロクに知りもしないで書いてるDQNが多かったからな。
いまだに戦闘力バカと、すぐに近代ギリシャに話を持っていくアホがいるが。
そうか?最初の方はレスは少なかったが知識のレベルは高かったぞ、今はまぁまぁが数多いだけ。質問とかでてもレベルの低い回答しかできないヤツばかり
何だやはり興味のある人間が増えているんだな
>>666 最初の方だけだな。途中からレベル低下→過疎化。
>>667 ビザンツはサイトもロクにないし、何とかならないものか。
>>36 スレイマンはルーム・カイセリ(ローマ皇帝)
を自称したがそれなりに由来があったんだな
モスクワ大公国のイヴァンも皇帝の姪と結婚して
ローマ帝国の後継者を辞任してツァーリを名乗った
のと似ている
西洋のどこの国も認めなかったが
>>668 興味を持つ人間
分母が増えることはいいことだよ
>>670 確かに。10年位前はもっとマイナーだったからな。
最近は本も出てるし、ウィキペディアも記事が多いし、数は少ないがサイトもあ
るし、昔に比べれば良い傾向だな。
>>592 >>656 異端の正教に対する十字軍も
認められていたらしいね
正教のノブゴロド公国は
スウェーデンやドイツ騎士団の
十字軍に攻撃されたことがある
シャルル1世のビザンツ攻めも
異端に対する十字軍と称していたそうな
(イスラム教徒を優先するべきだという批判も多かったが)
他にもアルビ派に対する十字軍
フス派に対する十字軍とか
時々でいいから
トレビゾンド帝国のことを
思い出してあげてください
長生きできたのは白羊朝のおかげだが
>>672 だからこそミカエル8世は、東西教会合同を持ち出した訳だ。
675 :
世界@名無史さん:2007/04/07(土) 16:21:06 O
末期のビザンティンはコンスタンティノープルよりモレアの方が文化的中心地の
ように見える
>>676 国を相手に出来もしない技術を売り込んで詐欺行為を働こうとした、と見られたから。
>>668 よくスレを読め、ここで紹介されてるサイトの多くはためになるサイトだ
それでも不満があるのなら英語のサイトに行け。
>>675 異教徒、カトリックの圧力と首都の政争からの現実逃避先→モレアス専制公領
まぁ、逃げ出したく気持ちもわかる。
やらないか?のスパルタか
>>678 学術系のサイトは最近増えたよね。ヲタのサイトは相変わらず、ないが。
>>682 学術系のサイトとヲタのサイトの違いはなに?
>>683 富山大の小林先生のサイトみたいなのが学術系。
>>683 それはわかるよ、オタクのサイトがどんなんかわからない、笑いの要素を入れたら
オタクのサイト?
↑
学術関係者じゃない個人の歴史好きのサイトって意味じゃね?
>>687 サンクス
でも学術関係者のサイト以外でも良いサイトはあるよ。
>>682 そういえばビザンツを扱っているサイトでアニメのキャラを使った
対話式の砕けたサイトはあるよ。ヲタと言えるかはわからないけど
皇帝萌えー、とか皇帝×皇帝の同人誌のサイトは無い、たぶん、むしろ
あったら教えてw
>>682 いわゆる補習授業形式のサイトだが
あれは好きになれない
というか見ていくうちにむかついてきた
>>690 ビザンティン帝国同好会てところとそのリンクにあるところはまじめで良い所だった
学術系も数多くリンクされてたよ
690さんの求めるレベルにもよるけど・・・
>>690 ごめん、久しぶりに見たら結構リンク切れてた・・・スマン
>>688 ネロのはある。ネロみたいな奴がビザンツにでなかったのは良かった事なんだよな?
ニケフォロス2世はアラブやブルガリアの
騎馬軍団に対抗するために重装騎兵を考案したのでは
>>690 あのサイトは基本中の基本だな。管理人が社会人だから更新止まっちゃってるが。
っていうか、ビザンツだけでやってるサイト、他にあるか?
>>695 アンカー間違えてないか?
>>692 ブログ見たら、管理人はいま転職活動中だからな(笑)。
ミクシィの方でコミュニティも立ててるけど、顔出してないし。
>>693 せめて
>>692の上げてたところ位出してやれ。
>>696 >>皇帝萌えー、とか皇帝×皇帝の同人誌のサイトは無い、たぶん、むしろ
あったら教えて
688はそんな馬鹿なサイトをご希望だ。
漏れら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来がないのに帝位あらそいしてやるからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ )
し(_) (_)J
699 :
皇帝×皇帝:2007/04/08(日) 01:42:40 0
イサキオス2世 「帝位に登ったが遊びたいし、お金無いし毎日大変だ・・・」
アレクシオス3世 「兄上は皇帝になってから私に構ってくれない、御優しい兄上には皇帝は無理なのだ・・・」
〜1195年〜
アレクシオス3世 「兄上、久しぶりに二人でゆっくり過ごしませぬか?」
イサキオス2世 「うるさい!!サラディンとの大事な約束があるのだ」(同盟の密約ね
アレクシオス3世 「なんと!異教徒との関係の方が兄弟の愛より大事だと?」
イサキオス2世 「なに言ってんだ? えっ!? 何をする!!」
アレクシオス3世 「私の気持ちには気づいていたのでしょ?私があなたの全ての苦痛を取り払ってあげます!!」
イサキオス2世 「やめ!!目はやばいって目は、金の目作るの大変なんだから!ギャー!!!」
アレクシオス3世 「これで兄上は私だけの物だ、ヴェネツィアなんかに邪魔はさせない」
イサキオス2世 「頼む、頼むから息子だけは逃がしてくれ」
アレクシオス3世 「今やっと一つになれるのですね、一生私が飼ってあげますよ、さあ!!」
イサキオス2世 「ちょ!話し聞けよ!って、アッー アッー!」
アレクシオス4世 「ち、父上ー!!」
アレクシオス3世 「ハンガリーの雌豚の子など殺す価値もないわ、それより兄上、今は愛を確かめ合いましょう」
イサキオス2世 「アッー アッー!イク!!」
ついカッとなってやった。今は反省している
700 :
ホモ江:2007/04/08(日) 09:09:27 0
こんなところにまで腐女子勢力がはびこってるのね。。。
まさに雑草並みの逞しさだわ。。。
地に堕ちたな
イ、イサキオスは獲れたの?
704 :
681:2007/04/08(日) 19:20:10 0
私もマンジケルトの頃にはカタフラクトは廃れていたと考えています、
なので、マンジケルトの頃を削除するのが適当だと考えています。
ニケフォロス2世の重騎兵が果たしてカタフラクトに属するかどうかはわかりませんが、
(もし、その系統に属すならタグマはそれによって編成されていたため、ウィキの文は違う事となります。
それを別としても、タグマは軍事組織の名前と考えているので、カタフラクトの代わりに編成されたのはおかしく
無いでしょうか?
タグマ→中央軍、中央野戦軍、で良いですよね?
705 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 13:12:47 O
>>704 まだ完全に訳したわけでないですが
Essential Histories
『Byzantium at War AD600-1453』
には
10世紀において
“騎兵隊の新しい形態が現れた、頭から爪先まで薄板状の装甲とメイルで武装し、馬も同様な装備をしていた
顔、首、横腹と上半身全てを敵の飛び道具(missiles)と打撃で馬を傷つけられないように装甲で覆いつくした
Kataphraktoi or Klibanophori(Cataphract)は野戦軍のエリート部隊で味方の騎兵(Cataphract以外)と歩兵のために敵の重騎兵や歩兵部隊の戦列を突破じゅう躪する役割をもつ”
という記述があります
無論、私も英語が得意というわけでもないので誤訳もあるかもしれません
706 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 13:43:46 O
(705の続き)
この本には具体的に配置図があります
敵地での行軍隊形
主力3縦隊
両翼騎兵各2縦隊
前衛、側衛、後衛
自領域での行軍隊形
主力単縦隊
側衛
展開した戦闘隊形をちょっと詳しく説明すると
最前列:軽歩兵戦列(おそらく弓兵と思われます)
主力1列中央:Cataphract wedge (図ではかなり大きな部隊で楔というより
は台形状)
Cataphract wedge 両翼:重騎兵(Cataphractではない)各1部隊
主力第1列各最両翼:側衛(軽?)騎兵各1部隊
主力第2列:重騎兵4部隊
主力第3列:後衛(軽?)騎兵
主力後方:重歩兵方陣(中央に補充用の馬と補給物資)
となっています
この配置図のソースは
Leo,Tactica,\(10世紀)
Nikephoros Ourauos,Tactica,64(10世紀後半〜11世紀前半)
Anonymous,Campaign organisation,10(970年代)
と書いてありますね
707 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 13:48:25 O
主力第3列:後衛(軽?)騎兵3部隊
部隊数入れてませんでした
スマソ
708 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 19:54:21 0
ウイキだけでも充実してほしいものだ
マヌエルは西欧ではなくアナトリアに出兵して
ルーム・セルジューク朝に止めを刺すべきだった
710 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 21:10:34 0
西欧の騎士道が気に入っているんなら
西欧に攻め込むなよな
711 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 21:51:02 0
東ローマ帝国の汚点勝手にランキング
第四位ブルガリア第二帝国独立
第三位マンツィケルトの戦いの敗戦
第二位コンスタンティノープル陥落
第一位エイレーネ
中央公論新社のJ・Phillippes著「第四の十字軍〜コンスタンティノポリス略奪の真実〜」はどんな具合だろ?
3675円はちょっと高いけど装丁と中身次第では買おうと思うんだが
713 :
世界@名無史さん:2007/04/12(木) 14:01:48 0
>>711 俺ならアレクシオス3世を第一位に上げるね
>>712 買って今読んでいるが、かなり面白いよ。
まだ途中だけど西欧側でもビザンチン側でもイスラム側の視点でもなく、上手く第4回十字軍の課程を
追っているって感じ。
「生地奪還」の掛け声から始まったものが、次々とボタンを掛け違え、当初の目的から
どんどんずれて行く様は、なかなかドキドキする。
あと当時の北フランス〜ドイツの貴族や騎士の生態が詳しく描かれているのも良い。
715 :
世界@名無史さん:2007/04/12(木) 18:17:04 0
711
2位は十字軍の時の?
716 :
712:2007/04/12(木) 19:31:40 O
>>714 おお、ありがとうございます!
クラリやヴィルアルドゥワンにも頁が割かれてると嬉しいなぁ。
早速読んでみることにします。感謝
717 :
681:2007/04/12(木) 21:06:46 0
>>705 ご丁寧にありがとうございます。
書いてもらったのを読むとどうも10世紀の騎馬軍団は従来のカタフラクト(初期のころ)
とは別の存在のようですね、ただ、名称は同じなのである種の騎兵のカテゴリー
として名称だけ受け継がれたのでしょうか?
10世紀頃の史料を基に書かれているとの事なので、カタフラクトがマンジケルトまで残って居たか?となると、
軽々しく廃れていたと言えるものでは無いのかも知れません。
>>507 むしろ古代から他民族と混血していない国なんてないでしょ?
719 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 02:15:55 0
>>719 一般的にはそうだと思いますよ。今までは否定的に見られていましたが、
文治派の皇帝として現実的な選択肢だったとも考えられています。
721 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 15:21:14 0
船がヴェネツィアに遅れをとるようになったのはいつからだろう
722 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 16:40:56 0
10世紀ぐらいじゃない
723 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 17:57:11 0
>>723 当時は首都の貴族と軍事貴族が対立していましたからね、彼としては軍事貴族
に対抗する上で傭兵制導入は有効な政策だったと思いますよ。
軍事貴族は皇帝の権力を脅かす存在だったので、皇帝として何らかの対処は
必要だったのでしょう。
725 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 21:15:01 0
文官が皇帝になったのがそもそもの間違い
東ローマの場合、女が政治にかかわると
碌なことにならない
727 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 23:27:25 0
文官が皇帝になったのがそもそもの間違い。
東ローマの場合、女が政治にかかわると
碌なことにならない。
二つに分ければ意味はわかるが
どうなんだろうか?
>>725
どうでもいいんじゃない?
女性で政治と言えばコンスタンティノス7世の嫁はんのヘレナ皇后(エレナ、ヘレネ)
は政務を執っていたそうですな。というのもコンスタンティノス7世は専ら学問研究に
没頭してたので。wikiにも帝国史上随一の文人皇帝とか書いてますけど。
皇帝が残したハザールやらルーシやらペチェネッグやらについての資料はとっても貴重。
後ウマイヤ朝の大臣ハスダイ(ユダヤ人)が皇后に宛てたらしき書簡もあるそうだ。
かなり痛んで読めない部分もあるがビザンティンのユダヤ人に対する保護を(自国
のキリスト教徒に対する保護を引き合いに出しつつ)要請したり、あとハザールとの
連絡について書いているらしい。
730 :
世界@名無史さん:2007/04/15(日) 17:11:53 0
そろそろ1000取り合戦といこうか
1000取ったら皇帝になれるんだよね?
今日のNHKスペシャルでコーカサスやってるがさっくりとビザンツ無視されてんな・・・
734 :
世界@名無史さん:2007/04/15(日) 23:30:57 0
ブルガリアのシメオンは修道士の勉強をしに
コンスタンティノープルに留学してきたそうだけど
この時に軍事の勉強もしたのかな?
野戦じゃほぼ無敵じゃないこの男
それとも配下に優秀な武将でもいたのかな?
735 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 09:32:30 0
ビザンツの文化中心はギリシャだからなぁ
736 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 16:07:49 0
>>1 ハザール人のこと、少しでいいから思い出してあげてください
東ローマにとってティムール以上の恩人なのでは?
(時と場合によるが)
737 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 20:05:08 0
レオーン3世やコンスタンティヌス5世はハザールのおかげで命拾いした
>>732 市民と軍隊と元老院の承認がないと、皇帝にはなれません。
>>736 ハザールは謎が多いからなぁ。結構ビザンツにとっては重要なのに。
>>737 何で親父はギリシャ語読みなのに、息子はラテン語なんだ?
739 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 22:00:16 0
ブランはアルバニアで
コンスタンティノスはアルメニアで
ウマイヤ朝に勝利した
740 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 22:16:50 0
>>734 あれじゃね?「DNAで設定された民族的な戦闘力」wの問題じゃね?
741 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 01:43:45 0
742 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 02:13:34 0
バシレイオスはブルガリアやハザールやアルメニアにひどい事をしたよね('・ω・`)
>>742 ブルガリアは、元々ローマ帝国領だった所を侵略した蛮族。
対ハザールはキエフ・ルーシのスヴァトスラフの方がひどいだろ。
アルメニア?俺の先祖はアルメニア人なんだよ、アルメニア人がアルメニア占領して何が悪い!
744 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 10:28:10 0
アルメニア人「ねんがんのおうこくをけんこくしたぞ」
ヨハネス「ころしてでもうばいとる」
745 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 10:40:54 0
>>743 先祖がアルメニア系だが
この人がアルメニア人と言えるだろうか
>>745 言えない。だってローマ人だもんw
血統的には祖母の出たレカペノス家もアルメニア系だから、アルメニアの血は濃
いかもしれんが。
ローマ帝国に住んでいるんだから
ローマ人で問題ない
ヨハネス3世やミカエル8世は
「自分たちはギリシャ人でもある」
と思っていたらしいが
748 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 11:44:22 0
古代ローマ帝国でも。ゲルマン人もガリア人もダキア人も
ローマ国内に住んでいたらローマ人だった。
749 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 13:00:49 0
>>741 イスラエルあたりなんてハザールにものすごく関心を持っているんだろうな
750 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 13:29:34 0
>>741 カール・マルテル並に称えられている・・・・すげぇ
ディオクレティアヌスが分割したローマ帝国のうち
どれもローマを首都とはしなかったがローマ帝国と名乗り続けた
>>751 ローマ帝国のローマって、「ローマ人」の事だろ。
首都は東京でも大和民族、みたいなもんだ。
753 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 18:29:47 O
>>746 そんなにアルメニアの血が混じってて嫌われたりはしなかったんだろうか?
昔読んだアルメニアの本によると、マケドニア朝はアルメニアに親近感持ってたらしいが…ホントかなぁ
バシレイオスはそれほど
親近感を持っていないようだ
>>そんなにアルメニアの血が混じってて嫌われたりはしなかったんだろうか?
異民族云々で嫌われたということは聞かない
レオーン3世なんてシリアのアラブ人だろ
>>743 キリスト教の偉大な教父がそんなこと言うもんじゃありません
最近ageが多くないか?
758 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 21:38:33 0
. -―- .
>>743さすがバシレイオス!!
/ ヽ
// ', おれたちにできないことを
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
759 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 21:50:25 0
アメリカ国内に住んでいれば、
中国人もインド人もアメリカ人。
↑の二人は誰?
どっちがイサキオス1世?
761 :
世界@名無史さん:2007/04/18(水) 01:41:58 0
>>レオーン3世なんてシリアのアラブ人だろ
え?
762 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 00:45:12 O
>>717 前出の英文献と他の資料でわかったこと書きます
・カタフラクトイ(Kataphraktoi)
チェーンメイル又は小札鎧、兜を着用し、凧型又は丸型の盾、剣の他に4mの槍(コントス)で
武装
・クリバノフォリ(Klibanophori)
カタフラクトイの装備に加え、馬も装甲した
恐らく、これが中央でwedgeを構成した兵種でカタフラクトイはその側衛と第2列重騎兵
部隊だったと思われます
これら重騎兵は中央野戦軍(タグマタ:Tagmata)だけに存在し、テマには軽騎兵と軽装歩兵しか存在していませ
ん、軽騎兵の装備はフェルト又は革製の甲冑で小型の盾で主に剣で武装していました
動員された彼等が戦場では重騎兵部隊の後衛と一番外側の側衛部隊を構成したと
思われます
10世紀のビザンティンは4世紀後半のローマ軍と比較すると
タグマタはスコラエ(親衛騎兵連隊:Scholae)群に相当します
ただ4世紀にはあったウェクシラーティオ(騎兵旅団:Vexillationes)、レギオネス・パラーティーナ(
宮廷親衛[実質は親衛ではなく一般部隊]歩兵軍団:Legiones Palatina)に相当す
る部隊は存在しません
10世紀のテマ軍菅区の部隊に相当するのはリミタネイ(辺境部隊:Limitanei)ですが
4世紀のリミタネイは一般部隊と同様でテマ軍菅区部隊のような民兵組織とは違います
個々の編成に関しては後で書き込みます
763 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 01:33:49 O
(762の続き)
・タグマタ(中央野戦軍)の編成
3〜4個親衛騎兵軍団(メロス?)
1個親衛騎兵軍団→2〜5個親衛騎兵大隊(モイラ?)
1個親衛騎兵大隊→2〜5個騎兵中隊(バンダ:banda)
1個騎兵中隊は定員300
但し150〜400と変動があったらしい
従って1個親衛騎兵軍団は3000の兵力です
4世紀の東ローマがスコラエ(親衛騎兵連隊)7個連隊(各連隊定数500)ですから大規模
化しています
*ヴァリャーグ皇帝親衛軍団について
この軍団は他の軍団より大規模で数千名の兵力を有していました
バシレイオス2世が親政当初、貴族の反乱で唯一信頼のおける部隊でした
皇帝は有能な将軍(例えば名将マニアケス)にこの部隊を預け戦線に派遣することもあ
り、かなり即応的な部隊でもありました
・テマ軍菅区部隊の編成
2〜3個軍団(トゥルマイ:tourmai)
1個軍団→2〜5個大隊(ドロウゴイ:drouggoi)
1個大隊→5個中隊(バンダ:banda)
1個中隊は定員256
但しこちらも定数には変動があります
マケドニア朝初期まで機能した郷土防衛的なテマ制度も度重なる外征戦争で出費のかさ
んだ農民が土地を貴族や大商人、修道院などに売り逃亡するケースが既にバシレイオス2
世時代には現れ、その都度、皇帝は貴族などの農地買収を法的に規制しましたが
結局、効果がありませんでした
764 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 01:59:28 O
*マンツィケルトの戦いについて
恐らくロマノス4世は伝統的な戦術をとったと思われます
クリバノフォリ(装甲重騎兵)の楔陣(wedge)が敵の戦列を中央突破し敵後方を蹂躪
カタフラクトイ(重騎兵)が混乱した敵戦線の突破口を拡大し
軽騎兵と歩兵で敵を掃討する
この戦術はアラブのイスラム教徒との戦いから編み出したものですからアラブのイスラム教徒
に対しては十二分に効果を発揮しました
しかしセルジュークのテュルク族は
遊牧民伝統の圧倒的多数の軽装弓騎兵によるアウトレンジ
からの機動しながらのの集中射を得意にしました
セルジューク側は半円状の陣をとり、ビザンティン軍はいつも通り中央突破を図りま
したが、軽装弓騎兵の素早さに追い付けず、包囲され、軽装の歩兵や軽騎兵から
崩され、カタフラクトイの装甲していない馬が殺られ、最後に人馬ともに疲弊したクリバ
ノフォリが殺られたのではないでしょうか
リーグニッツの西欧重騎兵部隊とモンゴルの軽装弓騎兵との戦いに類似した様相でなか
ったかと思われます
ロマノスってマンツィケルトの前にも
セルジュークトルコと2回、その前にペチェネグ人とも戦っていたよね
マンツィケルトは味方の裏切りが原因と思ってた
768 :
世界@名無史さん:2007/04/20(金) 03:00:46 0
ヨハネス2世はセルビアやアルメニアやペチェネグにひどい事をしたよね('・ω・`)
>>768 イストロス川から南はすべてローマ帝国領だ。侵入した蛮族を平定して何が悪い。
770 :
世界@名無史さん:2007/04/20(金) 10:18:05 0
そういえばハンガリーにも勝ってなかった?
771 :
世界@名無史さん:2007/04/20(金) 10:21:07 0
沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です)
沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。
民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄 三千万」で検索をお願いします。
この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから…
※一国二制度
簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。
(つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。)
さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。
3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。
そして反日教育を受けた中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。
今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。
自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。
発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。
772 :
世界@名無史さん:2007/04/20(金) 14:18:41 0
美しき青きドナウ
774 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 00:01:10 0
ヨハネスがペチェネグに負けていたら
ペチェネグの国家ができていたかも
775 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 00:22:46 0
>>775 尚樹啓太郎の『ビザンツ帝国史』p346では、「老齢のムアーウイア一世は
三十年の平和に同意した。」になってるな。
それにしても尚樹啓太郎先生の「ヅァンギー朝」とかいうのは綴りはちと受け入れ難い。
アラビア語やペルシア語は中世ギリシア語の音韻変化とは全然関係ない故・・
>>776 あの本は家庭の医学並みに分厚いし便利だなw
オストロゴルスキーの本ももっと印刷してくれよ!
>>778 オストロゴルスキーの翻訳版はもう絶版だもんな。
古本位しか入手方法ないけど、あれを買う人は研究者か熱烈なヲタだから手放す
可能性は低いだろうね。
このスレでオストロゴルスキーの日本語訳を持ってるマニアは挙手汁
>>535>>530 だな。スターリンが朝鮮戦争でやろうとしたことや、
中国がベトナム戦争でやろうとしたこと、米国がアフガン戦争で
やろうとしたことは全てそう。
前面に出たアホはだいたい衰退か滅亡している。
>>762 調べて頂いただいてありがとうございます。
ビザンツの軍制に詳しいですねw
マンジケルトではまだカタフラクトは存在していたのですか、762さんは私よりも
知識があるようなのでお聞きしたいのですが「そのために最終的には東ローマ帝国では
カタフラクトは見放され変わりにタグマタが編成されるようになった。」
の文は正確では無いと思います、理由は先に挙げたとおりです。
これについてはどう思われるでしょうか?
>>781 うらやましい、私も欲しいのですが持ってないのです、再版を望みますw
>>782 そういうこと。
「DNAで設定された(ry」とか言ってる馬鹿にはビザンツの強さは永遠に分からない。
785 :
世界@名無史さん:2007/04/24(火) 22:23:27 0
>>782 コンスタンティノス5世
「父に比べて荒っぽい私は実力行使の機会が多かったです
歴代皇帝は外交重視が多かったようですが」
ヨハネス1世
「同じく。強いて言うならオットーと和平を結んだことぐらいか?」
>>785 ヨハネス1世の場合も、スヴァトスラフにブルガリアを弱体化
させたり(そのおかげでヒヤヒヤする羽目になったが)、一説
にはペチェネグ人にそのスヴァトスラフを襲わせたり(まあ、
あくまでも「一説には」だが)、結構色々やってるんだけど。
787 :
世界@名無史さん:2007/04/24(火) 23:48:57 0
>>レオーン3世なんてシリアのアラブ人だろ
マジかよ
>>アラブ人
その情報は何処出?
789 :
世界@名無史さん:2007/04/25(水) 00:13:15 0
シリア出身だからアラブ人
という理由じゃないよな
790 :
世界@名無史さん:2007/04/26(木) 18:07:18 0
トラキア人ってビザンツ時代までいたの?
ウィキにあったビサンツの人物名の表記問題を読んだんだけど日本の学会は東西の関係が良くないらしいね、ローマそっくりで笑えた
>>791 ローマそっくりって言うか、ビザンツお得意の宗教論争みたいなもんだ。
関西は「関西ビザンツ研究者の集い」があって、月に1回京大で会合が
あるらしいけど、関東にはそんなのもない。っていうか、一橋、筑波、
東海、早稲田以外の関東の大学にビザンツの研究者はいるのか?
>>792 関西はまとまってるね、でも、関東勢の方が精力的に本を出してると思うなぁ
早く国内で名前を統一してもらえると読みやすいなぁw
そう民衆は思うけど聖職者は神学論争に走るw
しかし、見解の対立なら見てて面白いけど、表記問題はあんまり見てて面白くない・・・
>>トラキア人
トラキア地方に住み着いたスラブ系の蛮族を想像してしまうw
名前は違うけど確かそんなのがいたような気がした。
ただ、確実に790 のいうトラキア人とは違うと思う、スマン
「ビザンツ帝国とブルガリア」って本ではスラヴ人の侵入までいたとか書いてたような
796 :
世界@名無史さん:2007/04/27(金) 11:38:26 0
イリュリア人は(アルバニア)は残っているというのに
トラキア人ときたら・・・
797 :
世界@名無史さん:2007/04/27(金) 14:51:32 0
ローマ、ギリシャ化したんだろ
>>793 関西で本を沢山出してるのは、大阪市立大の井上浩一先生くらいしかいないから
799 :
世界@名無史さん:2007/04/27(金) 22:43:59 O
>>783 タグマタ(tagmata)はコンスタンティノス5世(741-75)が760年代に創設したそうです
従ってテマ制とさほど時期は変わらない、いわゆる暗黒時代の創設ですね
創設目的はテマ軍団の民兵(パートタイマー)とは違う、より高い賃金を払い、より規律
の高い常備軍(職業軍人=フルタイムソルジャー)で継続的、大規模戦役に対応するためだそ
うです
外国人傭兵と地元募集兵とは別個に部隊編成されていたようです
この点は古代ローマ時代と変わりません。例えばテオドシウス大帝が創設したLegione
s-Palatina(宮廷親衛軍団=実質は精鋭野戦軍団)の1つVisiはその名のごとく38
2年にテオドシウス大帝が協定により雇ったVisi-goths(西ゴート)の傭兵軍団です
重装騎兵自体はもともと同じく騎兵が重騎兵であった対サルマティア、対ゴート、対ササン
に対抗するためでそれがタグマタに継承されたようです
むしろ暗黒時代から好転し始めてから重装化に拍車がかかったようです
古代との兵制の決定的違いは弓騎兵の消滅です
古代には存在したにタグマタにはこの兵種が存在しません
恐らくササン朝の滅亡とアラブ・イスラム勢力の抬頭が戦術の変更をもたらしたと思います
>>798 つ幻影
北陸は関西に入らんと言えばそれまでだが・・・
それと、いま密林に帝国史が身売りに出されていたが、あまりの値段の高さに
呆れた。その値段は無いだろ、そんなに吹っかけるなよ。
もう、国会図書館に何回か行って全部複製するしかないか。それでも、かなりの
額になるしなぁ・・・
>>800 「沢山」
根津先生は幻影しか出してない。
密林に出てるのは、勿論オストロゴルスキーだよね?
ビザンツって、ギリシャ人の国家だろ?
なんでコンスタンチノープルに首都を置くんだ?
当時はターキーがあんまり居なかったのか?
>>803 コンスタンティノープルはもともとギリシャの殖民都市ビュザンティウム
テュルクがアナトリアに進出するのは11世紀ぐらい
805 :
804:2007/04/28(土) 13:04:17 0
ブルガールやハザールもテュルク系と聞いたけど
そっちは黒海やバルカンだよな
そう。ニ系統あってアナトリアから来た連中はセルジュークとともにやってきたトゥルクメン。
もう一つは黒海北岸からドナウ河を渡ってきた連中。
どちらも1453年まではコンスタンティノープルで支配的な勢力ではない。
ビザンツの宮廷貴族にクマン人の家系があったりもしたようだが。
808 :
世界@名無史さん:2007/04/29(日) 09:30:46 0
キプチャク汗国のタタール人はブルガリアすら併合できなかったのに
小アジアの隅しか支配してなかったオスマン朝がなぜものすごい勢いで
バルカンに領土を広げられたのか。
809 :
世界@名無史さん:2007/04/29(日) 13:37:16 0
つ
オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3 %E5%B8%9D%E5%9B%BD%E2%80%95%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83
%A0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%9F%94%E3%82%89%E3
%81%8B%E3%81%84%E5%B0%82%E5%88%B6%E3%80%8D-%E9%88%B4%E6%9C%A
8-%E8%91%A3/dp/4061490974/ref=pd_bbs_sr_1/250-7558579-853861
8?ie=UTF8&s=books&qid=1177821235&sr=8-1
つ
オスマン・トルコの軍隊―1300‐1774大帝国の興亡 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3 %E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E8%BB%8D%E9%9A
%8A%E2%80%951300%E2%80%901774%E5%A4%A7%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%
81%AE%E8%88%88%E4%BA%A1-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83
%E3%83%89-%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AB/dp/4883178501/ref=sr_1
_5/250-7558579-8538618?ie=UTF8&s=books&qid=1177821235&sr=8-5
>>804 どうも。
ギリシャとターキーは、支配と支配されの繰り返しで、
時代にもよるし、どこがどうだったのとか分かりにくいね・・・
>>802 さすが連休だな
ここまで馬鹿な書き込み、初めて見た。
未履修なんだろ。
笑ってしまうが余り馬鹿にするのもよくない。
810はトルキスタンでぐぐるのをお勧めする。
なるほど未履修か。古代ギリシャ・ヘレニズム・古代ローマを習ってれば
>>802 みたいな無茶苦茶な質問出る訳ないもんな。
あまり馬鹿にするのも良くないが、
>>802みたいなのを読むと教育の荒廃が垣間
見えて、暗澹たる気持ちになる。
そんなに
>>802をいじめるなよ
寛容な精神で接してやれ
世界史の授業一度も履修した事が無い俺でもわかるのに
>>802(´・ω・)カワイソス
帝国での初等教育はどんな感じだったのだろう?
>>816 井上浩一先生の「生き残った帝国ビザンティン」にちらっと出てたな。
文法はヘレニズム時代のテキストを使っていたらしい。
>>802はコンスタンチノープルを知っているだけまだマシってもんでしょ(´・ω・`)
カエサルスレの某大学生を彷彿とさせられた
随分イタい香具師だったが
>>817 井上先生の本読み返したけど、文法教えるのは中等教育からだったぞ。
初等教育はいわゆる「読み書き算盤」みたいなのだって書いてあった。
822 :
世界@名無史さん:2007/05/01(火) 11:21:53 0
>>ビザンツの宮廷貴族にクマン人の家系があったりもしたようだが。
kwsk
823 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 02:20:17 0
イリュリア人は東ローマ時代何していたの?
826 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 14:25:35 0
アンドロニコス2世と3世の内戦でたびたび陣営を変えたシルギアネスという人物は
クマン人族長とミカエル8世の姪エウゲニアの息子(孫という説もある)。
ビザンツなんて多少覚えてたくらいで偉そうにしてる奴が居るんでワラタ。
さすがに自分の常識=当たり前は痛いわ。
理系の大学レベルすらお前が知らんのと同じ。
数学板来て同じようにバカにされたほうが良いw
ノーベル賞受賞者は何でも知ってる並みのバカさ。
ローマかどこかのスレで全く同じ煽りを見たな
みんなスルーしようぜ〜
833 :
世界@名無史さん:2007/05/05(土) 02:15:46 0
そういやコンスタンティノープル郊外のどこかに
ラテン帝国に仕えたクマン人族長の墳丘があったらしい。
クマン人は馬とヤッてると思われていたようだけどクマン人貴族も帝都の貴族
のボンボンとかから陰口言われてたのかなぁ
>クマン人は馬とヤッてると思われていたようだけど
kwsk
大体中世なんて民族意識はそれほどないだろ
ダキア人はトラキア系だというけど
東ローマと交流なんてなかったのかな?
大昔はゲルマン人は狼に変身するなんて迷信があったものだ
いちいち相手にすんなよ
異民族蔑視は珍しくはないが
軍事貴族はそうでもないだろう
西ローマ帝国も首都がラヴェンナだったが
ローマは軍人皇帝時代で寂れていたんじゃないの?
東ローマ帝国は逆にアラブ人の歴史家から
野蛮人と記されたことがあるという
アラブ人を蛮族と記した皇帝もいたそうだが
あれだ、鬼畜米英と似たようなものなんだろう
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● | クマン─!!
| ( _●_) ミ
彡、 |∪| 、`\
/ __ ヽノ /´> )
(___) / (_/
| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
スターリンってグルジア人だけど嫌われなかったのかな
蛮族の女を娶ったり
いそがしいことだ
クリミアゴートとビザンツとの関係について
大昔はスパルタ人もアテネやテーベから野蛮人扱いされたものだ
>>835 >>846 ニケタス・コニアテス
「人が言うところによれば、この連中は馬に跨って蛮人の愛欲を晴らすのだ」
何だ一介の歴史家の言葉か
亡命してきたブルガリアのハーンのテレリグはどうなったの?
敵国のアルメニア系も皇帝になったことがあるんだし
言葉や教育を受ければ民族がどうとかは関係ないんじゃない?
>>856 言葉や教育以前に宗教が大事な気がするな、ローマ人と言う名の幻想で多民族
国家を運営していたのだろうが少数派にはどこの国にでもあったような偏見や
差別があったのだろう
>>856 基本的にギリシャ語が分かって、正教徒ならOKだったらしい。
もちろん高い地位に就くには古典の教養とかも必要だったろうけど。
>>853 ヴラフ人とかは羊とヤってると噂されてそうだな
宗教云々にうるさくなるのは
末期のように思えるが
ギリシャ人は男とヤッているとうわさが立っているだろう
コーエー作 チンギス・ハーン
次ザンツ帝国 文化アイテム
モザイク画(芸術+6) ローマ法大全(学術+7) ビザンツ建築(建築+8) 城郭建築(建築+10)
エパミノンダスの陣形術(戦術+8)?!
>>ヴラフ人とかは羊とヤってると噂されてそうだな
kwsk
>>869 ビザンツがあるだけマシだ、最初にやったときは感動したよ。ミカエル超美形だしw
最近ではCKに俺の中のビザンツゲーム一位を奪われたけどねw
まぁ何が言いたいかと言うとライブドア腐ってるてことだ、パッチ出してれば応援してやったのに
せめてマウリキウスの戦術論でも出したらいいのに・・・
モンゴル帝国の時代に役立つのか知らないが
ルーマニアっていつの間に正教を信仰するようになったんだろ
いつの間にと言うか最初から正教じゃないの?
かなりキリスト教の歴史が永いみたいだし。
別れた時に正教会側についたと考えるのが妥当だと思うよ
ルーマニア人てローマ人を名乗る割りに帝国に貢献してないよね
むしろブルガリアに貢献してるな。
中身はローマに反抗したダキア人だからな
トランシルバニアはマジャール人の血の方が濃いような
一応ローマとダキアの混血とされているらしい
>>875 エピロス公国にヴラフ人傭兵がいたような
ワラキアから流れてきたんかね?
883 :
世界@名無史さん:2007/05/10(木) 20:52:07 0
バルカン半島で牧畜をしてたヴラフ人が北上したという説もあるそうだけどよく知らん
テッサリアの山地にヴラフ人が多くて「メガレ・ヴラヒア(大ワラキア)」とか呼ばれてたらしい
十字軍のコンスタンティノープル占領後一時は独立した勢力になったとか
大月康弘著「帝国と慈善 ビザンツ」
読んだ人いる?
ロマサガ2のバレンヌ帝国って
今から考えたらビザンツへのオマージュっぽいよな。
人外でも皇帝になれるという仕様だが…。
886 :
世界@名無史さん:2007/05/11(金) 20:20:17 0
ただのAARじゃない
ビザンツにとってアラブよりブルガリアのほうが
厄介な存在だったように思える。
海やタウロス山脈のような壁がない分
陸側にはテオドシウスの壁があるじゃないか
891 :
世界@名無史さん:2007/05/12(土) 04:48:00 O
>>886 このスレは帝国の権威を認めるものに対しては寛容だ
アニヲタでも臣民として歓迎するぞ
テッサロニキやフィリッポポリスといった都市は?
>>884 このスレには読んだ人はそこそこ居ると思うよ、
論文集だからお値段も内容も高いよ
894 :
世界@名無史さん:2007/05/12(土) 06:42:03 0
896 :
世界@名無史さん:2007/05/12(土) 14:08:25 0
>>893 この間買っちまったよ。約1万円も出して。
内容も高いけどね。
>>894 コムネノス王朝の系図見ると、アレクシオスの兄にマヌエルがいるな。
>>897 すばやく買った897は勝ち組だと思うよ、ビザンツ系の本は絶版になる確率
が高いと思う、帝国史みたいに絶版になってからではもう遅い
大月先生は近く本を出す予定があるみたいだね、最近精力的に仕事をしている、
ぜひ名作を出して欲しい!!
900 :
世界@名無史さん:2007/05/12(土) 16:34:53 O
三省堂か紀伊国屋で見かけたことはあるが、値段見て引いた
都立図書館あたりが買ってくれることを希望する
高価と言えば、前に引っ越すときに「ビザンツ帝国史」を世田谷区の図書館に寄付したんだが
今も区内の図書館にあるのかな
>>900 何を見つけたんだ?
それと、どっちの帝国史だw
>>894 その通りで、その「マヌエル・コムネノス」は後のアレクシオス1世の兄。
皇帝のロマノス4世らとともにコンスタンティノープルを出陣したが、
東方へ進軍する途中、マンズィケルトの戦いの直前に死亡したらしい。
(尚樹ビザンツ史の544ページ)
プセルロス、アンナ・コムネナ、
ニケフォラス・ブリュエンニオスあたりに詳しく書いてあるのかな。
>井上浩一先生も久々に出すらしい
kwsk
>>907 『ビザンティン帝国同好会』の掲示板の書き込みによれば、
下記書籍が近刊刊行予定。(刊行時期は不明)
『ビザンツ文明と世界 <学術選書 諸文明の起源・シリーズ 第八巻>』 京都大学学術出版会 井上浩一 予価 \1,890<税込>
とのこと。値段もお得だし、買いだね。出れば、だけど。
大月先生の近刊予定は、こちら。
タイトルは『緋色の帝国―ローマ皇帝権と中世地中海世界』
ttp://www.tousuishobou.com/sekaishinokagami.htm もうタイトルからして買いです。というか、ビザンツ関連本はあるうちに
買わないとすぐ絶版になるからな。井上先生の『生き残った帝国ビザンティ
ン』とか『ビザンツ皇妃列伝』も、いまじゃ古本しかないし。
古本入手するのが大変だから、オストロゴルスキーも『帝国と慈善』も
即決で買ってしまった。おかげで、まあ金の出ること。
909 :
世界@名無史さん:2007/05/14(月) 16:05:09 0
>>894 何でマンツィケルトだけが失敗しちゃったんだろ
講和を破棄して相手を必死にさせてしまったから?
アンドロニコスが裏切ったから?
それとも1070年の戦いは単にセルジュークの威力偵察か
略奪といった程度で本格的な征服行動ではなかったんだろうか
910 :
世界@名無史さん:2007/05/17(木) 22:38:09 0
>>889 コンスタンティノポリスはいいとして
テッサリアやペロポネソスはいいように荒れさたんだろう
大月康弘さんは「中世環地中海圏都市の救貧」って本でも「ビザンツ国家と慈善施設」を書いてたな。
912 :
世界@名無史さん:2007/05/18(金) 22:56:04 0
>>912 当時のイコン論争はイスラム圏とのイデオロギー闘争的な側面もあったんだよ。
イコンの容認は残存していた多神教的な偶像崇拝の容認であり、キリスト教と諸地域の
多神教との習合の容認となる。
この容認は一神教により皇帝の権限に権力を集権化一元化した手法の限界となり、
その批判は即ち権限の強化になるわけだ。
だから皇帝が強権主張する場合はイコン批判と言う形式をとるわけだよ。
それが戦争や増税等の諸側面で出たんだろ。
地域主義と集権制の確執と言うところかな。
現在のアラブの部族主義とアッラー中心のイスラム主義との矛盾みたいなものだな。
次のスレッドはシンプルに「【正式名称】ビザンツ帝国【ローマ帝国】」
とかで良いかな?ビザンツのスレって他にないし。
次スレたてるの?
919 :
世界@名無史さん:2007/05/19(土) 12:17:41 0
テマ制度はペルシャのサトラップに似ている
塩野七生に続ローマ人の物語ビザンツ帝国編を書いて欲しいな。
>>920 カエサルに萌え尽きた女史だから意欲わいてくるのかなぁ
一般の人々にもビザンツの事を知って貰いたいとは思うが
>>919 サトラップならそれ以前のローマの属州総督の方が近いと思われ
923 :
世界@名無史さん:2007/05/19(土) 14:15:27 0
>>921 確かにビザンチンの歴史はどうしても初めの方は最終巻に描かざるを
得なかったわけだが(イタリアやイベリア半島奪還を否定的に描いたの
は面白かったが)、端折過ぎたな
>>920 塩野さんが書いたら集中砲火をあびそうだぞ
なんてったって「ビサンツは優れたローマ文化を残したことが良かった、滅びるなら日本もあのように滅びたい」なんて言ってる人だぞ
ローマ時代から集中砲火をあびていたきがするが
塩婆なんかが書いたらロクなことにならん。
まあ注目度はぐっと上がるけどね。
>>918 まあ、一つの提案ということで。
このスレ自体がビザンツ総合スレになってることだし、
>>970越える位で
ビザンツ総合スレでも立てようよ。
どっかに二代目(もしくわ三代目?)とわかる表記が欲しいなぁ
ビザンツ(東ローマ)帝国★2ノミスマ
いや、2オボロスだな。2タラントンでも可。
930 :
世界@名無史さん:2007/05/19(土) 18:15:17 0
オストロゴルスキーの本、尼で10万近い値段が付いてるね
早い目に買っといて良かった
ここのスレの消費のスピードって世界史板的にはどれくらいなの?
高坂正堯は日本もビザンチン帝国みたいになれればいい、少なくともあの国は
長生きしたと言っていた。
戦国時代はの大名は東ローマみたいだだぞ
みたいなと言われても
時代が長いからどこの部分を見習えばいいのか
陰謀策略や外交政策とかが活発なところ
>>939 てっきり日本の中世の封建制とビサンツの封建制が似てるって話しかと思ったよ
実際似てるのかねぇ?
似てるとしたら鎌倉〜室町あたりかなぁ
中世の日本人は自分のことを日本人とは思っていないだろ
>>941 中世をどこから取るのか知らんが、日本人は奈良時代には既に自分達を日本人だと捉えていたぞ。
943 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 18:27:28 0
なぜクーデターが頻発したんだろ
帝位継承法のようなものがなく、帝位は元老院、市民、軍隊の承認を得ることが
条件だったから。
分割統治以前の軍人皇帝時代やビザンツ以降の血腥さは読んでて欝になるな
ビザンツでは修道院送りで済めばマシだが、鼻削ぎや目玉くりぬきが頻繁だし
そういえばミカエル8世も共同皇帝(まだ子供)の目をくりぬいているな。
後に息子のアンドロニコスが謝罪しているが
947 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 19:53:10 O
五体満足じゃないと皇帝にはなれない
だから目や鼻を欠損すると即位できなくなる
鼻を削がれ追放された者が付け鼻をした話もあるな
イサキオス2世は盲目にされても復位しているよ。
尤も、一年しかもたなかったけど。
さっさと殺せばいいのに
黄金の鼻だか目だか作って着けた奴いたよね?
誰だっけ?
951 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 20:25:41 0
ブルガリアと言えばやはりバシレイオス2世でしょ。
953 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 20:49:46 O
ヨーグルト
そろそろ次スレ立てるか?
956 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 21:35:32 0
ブルガリアの影に隠れているアルメニアテラカワイソス
957 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 21:43:42 0
>>951 コプロニュモスとか言っているのはイコン容認派ぐらいだろ
958 :
954:2007/05/21(月) 21:47:21 0
>>958 一昨日だか昨日だかに970 位で、って話になってたんだけど。まあ、とにかく乙。
961 :
世界@名無史さん:2007/05/22(火) 02:24:41 0
>>951 ブルガリアに初めて勝利した意義は大きい
現在のブルガリアからは叛服常ない剽悍な蛮族というのが想像出来ないな
俺のブルガリアに対する印象が琴欧州やヨーグルト止まりな所為もあるがw
ヴィルドゥルワンを読むとイワニツァの憎々しさは実感できるんだけども
琴欧州みたいな体つきの奴らが一杯いたから文明的なローマ人はブルガリヤ人討伐に苦労したんだw
964 :
世界@名無史さん:2007/05/22(火) 10:27:01 0
ブルガリアは、近代では「バルカンのプロイセン」と呼ばれていた。
965 :
世界@名無史さん:
コンスタンティノポリスの市民から見たら
ギリシャやアナトリアとかいった地方は
古代ローマの属州見たいな感じなんだろうな