202 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 19:35:34 0
>>201 キト・ブカ・ノヤンは戦死または処刑されてる。これは諸史料の伝える明確な史実。
何かの誤解でしょう。
203 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:19:52 0
>>202 いや、それとは別人。
1295年にスルタン・アンナーシルの後を襲って即位した
al-Adil Zayn-ad-Din Kitbughaというマムルークなのだが、
この人はアイン・ジャールートで捕虜になったモンゴル。
知らんかった。勉強になるスレだな。
205 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 16:17:30 0
ジャウハルはもとシチリア島のキリスト教徒出身の奴隷。
だからジャウハル・アッシキリーという。
206 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 16:18:05 0
当時のイスラムモンゴル戦争で捕虜になって生き延びれるとは
余程、才幹を見込まれたか大層美貌の人物かのどちらかだな。
208 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 17:33:49 0
んなことないんじゃ?
マムルーク朝初期にはモンゴルからの亡命軍人がいくらでもいたらしいし、捕虜でも同じじゃない?
バイバルスは強力で主人に忠実なモンゴル兵を相当高く買っていたらしい。
モンゴルもマムルーク朝もキプチャク族奴隷使っていたからね。
案外捕虜に関しては寛容だったのかも。
と言ったら当時の虐殺に対して反論が出来ない。
なぜアブー・バクルが出ないんだろう・・・
反応した人はCiv3信者
Civやってないんだけど、アブー・バクル出てくるの?
しかし彼はいまいち英雄っていうイメージがしなさす。
>>210 自分もCiv知らないけどメジャーだから今まで名前が出てこなかったんじゃない?
個人的には最後のカリフ、ムスターフィムの殺され方に興味あり。
軟禁されて今まで蓄えた金銀財宝を目の前にして餓死。
(モンゴル風の貴人の処刑方説もあるが)
214 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 21:29:55 0
>>212 ティムールの戦いを見ると実に冷酷に捕虜の利用価値を選別していることがよくわかるな。
ティムールは尊敬するチンギス・ハーンに習って
有用な職人や技術者を生かしたね。
ティムールには美術品コレクターの執念を感じる・・・w
ティムールを殺せる可能性があったのはムザッファル朝のシャー・マンスールぐらいだろうか。
若い頃なら適当にひねりつぶせただろうが、
トランスオクシアナを掌握してからは化け物と化した。
ティムールの趣味の中に頭蓋骨の塔を作るというのがあるな。
220 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 20:24:34 0
ティムールの三大趣味・・・チェス、建築、頭蓋骨のピラミッド
ティムールは文盲ながら歴史の知識はかなりのものだったとか。
歴史も趣味に入れとけ。
222 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 21:35:16 0
イブン・ハルドゥーンと2時間も対談してるしな。
何を話したのか微妙に興味ある。
北アフリカの情勢とかについて語り合ったらしいが、
帝王論とか国家論とかの話は出たんだろうか。
223 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 16:36:52 0
ユースフ・イブン・ターシュフィーン
ムラービト朝の第2代君主。セビリャのアミールの要請によりイベリア半島へ進出、
カスティリャやアラゴンの軍勢を破り、諸タイファ国を支配下においた。
224 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 17:19:35 0
エル・シッドとの直接対決がほしかったな
225 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 19:20:00 0
マンサ・カンカン・ムーサ
マリ帝国の君主。イスラム流の軍事技術を取り入れ、帝国の領土を南方と西方に拡大した。
メッカ巡礼の際に黄金をばらまいて中東の金相場を下落させた話は有名。
226 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 22:01:01 0
アル・マンスールって言われた人多くない?
>>226 「勝利者」って意味だからよくある。
アッバース朝のマンスール、コルドバの侍従マンスール、ムワッヒド朝のマンスールその他もろもろもろ
228 :
世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:20:41 0
巨根の持ち主のことをアル・カブース(破城槌)というらしい。
229 :
世界@名無史さん:2005/09/16(金) 12:32:51 0
ワロス
230 :
世界@名無史さん:2005/09/16(金) 23:33:52 0
>225
知名度は落ちるがスンディアータも英雄といえるだろうね。
あの辺の連中がちゃんとしたムスリムかどうかは結構疑問視されてたらしいが・・・
ソンニ・アリは異教徒だっけ。魔術とか使っていたらしいが。
つかスンディアータって実在したんか
ズー・アル・フィルカールとアブー・ムスリムの2本の名剣のほかに武器にまつわる話ってあったっけ?
>>233 不完全な知識ですが…
『サムサマ』
代々のアッバース朝カリフによって所有された預言者ムハンマドゆかりの宝剣。
「ローマ帝国衰亡史」の記述ですが、ハールーン・アル=ラシードは自らこの剣をふるって、宣戦布告をしにきたビザンツの使者の腕を切り落としたとか。
現在トプカプ宮殿にある「ムハンマドの剣」ってサムサマのことなんですかね?
>>235 >ムハンマドの2本の剣
湾刀3本、双刃剣1本、直剣1本の計5本あるように見える
237 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 20:07:05 0
ムハンマドの生きてた頃のアラブは直剣を使ってたとか何かで読んだけど
>>235 >それってもしかしてサムサア(shamshir)で単にシャムシール(シミター)ってことなんじゃ・・・
うわ、そうなんですか。道理で他の本には剣の名が載ってないわけだ。
衰亡史に「カリフ(アル=ラシード)は歴史もしくは伝説上で著名なサムサマなる彼の名刀を引き抜きざま…」
と書かれていたのでてっきり剣の名かと思いました。
別の前嶋信次氏の本では単に「預言者伝来という宝剣」だけでしたから、おかしいな〜とは思っていたのですが。
その本では、アッバース朝のカリフは預言者ゆかりのプルダ(マント)と剣を所有し、それが今ではトプカプ宮殿にある、と書かれていいます。
ご紹介の写真がその剣なのでしょうね。
ありがとうございました。
239 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 20:46:38 0
トプカピ・パレスには二股の剣まであるとか・・・
別のスレでもう書いたかもしれないが、
ペルシア語の「シャムシール(shamshiir)」は、セム語の「シャマシュ(太陽)」に
中期ペルシア語の派生語尾(-er)がついた「シャムセール」という複合語だ、いう話を
どこかで聞いたような気がするのだが、ともかくアラビア語の「サイフ(s.aif)」にしろ、
元々「シャムシール」とはサーサーン朝時代でものちのイスラム時代でも「短剣、短刀」
と対を成す馬上戦闘に使うような「長剣、長刀」の類いを指した言葉で、長さで区別は
されていたが、「直剣」に対する「曲刀」の意味はなかったらしい。
サーサーン朝時代のターゲ・ボスターンのような磨崖壁画やソグドの壁画や遺物を見る限り
片刃か両刃かは分からないまでも刀身は真直ぐで長いが、日本刀のような鎬はみられない。
中東で西欧絵画に見られるような「曲刀」が出現する時期は、実は良く分かっていない。
セルジューク朝時代からという話もあるようだが、現存する絵画資料を見る限りでは
モンゴル時代からだろうというのが有力の模様。
イルハン朝時代からティムール朝時代にかけて「クルチュ」とか「シャムシール」とか
言えば、だいたい大形の片手用の「曲刀」で、まさに先日イラン人同士の騒ぎで押収された
例の「シャムシール」ほどの大きさの物を使っていたようだ。
当然あの長さは本来馬上戦闘用で、降り下ろせば刀身が地面に当たるような徒歩で使われる
物では無い。
>「シャムセール」という複合語
ペルシア語の「シャムシール」の語源はラテン語の「シミテラ(ライオンの尻尾)」だったはずじゃ?
NHKがイメージ映像にシャムシールと言いながらカトラス使ってた
ササン朝は戦象部隊が、アラブ軍の7mの騎槍と、3mの槍歩兵に惨敗でぬるぽー
245 :
世界@名無史さん:2005/10/05(水) 18:03:33 0
スーダンでマフディーの反乱を鎮圧しにいったイギリス軍が、鹵獲したアラブの直剣を
十字軍の遺物と勘違いしてロンドンの教会に奉献したことがあったらしい(w
247 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 11:52:46 0
イラン人がこんな極東の地でケンカするのにわざわざリスクを犯して
シャムシールを持ち込むというのは理解に苦しむところである。
あれがないと使えない技でも持っているのか?
でもイラン人に日本刀で喧嘩されたらそれはそれで嫌だな
249 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 13:21:31 0
シャムシールってもともとモンゴル人のサーベルだったとか?
イラン人ならズルハネの棍棒で戦ってほしいものだが。
モンゴル軍の防具はペルシャ式を取り入れてるから変遷前に文化交流があったのは確か。
251 :
世界@名無史さん:
ボルヌ帝国のマイ・イドリース