1 :
世界@名無史さん:
……たちをどんどん紹介しまくるスレ。
全然知られていない傑物がごろごろいるぞ。
シャジャル
バイバルス
ビンラディン
5 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:15:38 0
サダ−ム・フセイン
カリリファル・エブラヒム
アリバナギ・ラヒム
「神の剣」ハーリド・イブン・アル・ワリード
イスラム初期を代表する名将。騎兵運用の天才。
ムウタの戦いでムハンマド自身が率いるメディナ軍を撃破し、
イスラームに改宗後は、最初のシリア遠征軍に参加し、
指揮官だったムハンマドの養子ザイドはじめ
上級指揮官が軒並み戦死して軍が壊滅必至になるところを
混乱を収拾したばかりか、逆に体制を立て直して敵を破って帰還、
「神の剣」(サイフ・アル・アッラー)の異名をたまわる。
ムハンマドの死後、アラビア各地で起こった「偽預言者」の討伐、
いわゆるリッダ戦争に大功をあげ、イエメン地方の偽預言者マスラマの本拠を制圧。
その後南イラクを征服し、無人の砂漠を突破してダマスクスを急襲占領。
ヤルムーク河畔でビザンツ軍を完全に打ち破ってシリアを征服するが、
決戦の日にカリフによって罷免され、間もなく病死。
8 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:42:39 0
アラブの名将、アムル・イブヌル=アース
ムハンマドと同じくクライシュ族の出身で、イスラームに改宗したのは
遅かったが、軍事的才能に恵まれており、ハーリド・イブン・アル=ワリード、
サアド・イブン=アビ=ワッカースとともにアラブ・イスラームの初期を
かざる三名将の一人である。
ヤルムークの会戦でアラブ軍の一翼を率いて戦い、次いでパレスティナを
征服してイェルサレムに無血入城し、この聖地にカリフのウマルを迎え入れた。
640年にはエジプト東部デルタの要衝ペルシウム(アル=ファルマー)で
ビザンツ軍に勝利を収める。エジプト征服後は新首都アル=フスタートの
建設に着手。
しかしその功績にもかかわらず、彼は格下げされて下エジプトの知事となり、
上エジプトの知事にはウスマーンの乳兄弟であるアブドゥッラー・イブン=サアド
が任命された。
645年、新カリフになったウスマーンはアブドゥッラーをエジプト総督に任じ、
アムルをメディナに召喚した。しかしこの年、ビザンツ軍はアレクサンドリアを
奪回する。アムルは再びエジプトに派遣され、ニキウの郊外でビザンツ軍を
大敗させる。その後ウスマーンはアムルを軍司令官に任命しようとしたが、
アムルはこれを辞退し、しばらくの間姿を消す。
ウスマーン死後のアリーとムアーウィヤの争いの中で、アムルはムアーウィヤの
参謀として戦う。アリーの死後、ムアーウィヤはアムルをエジプトの終身総督
に任じてその功に報いた。
「アッラー」には定冠詞が元からついてるから、
「サイフ・アル・アッラー」とは言わないだろ。
10 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:49:46 0
>>8 シッフィーンの戦いで兵士の槍の穂先にコーランを結びつけて
アリーの軍の戦意を削いだんだよね。
初期イスラムの四大天才政治家(ドハート)の一人。
11 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:57:06 0
アムルの母親が娼婦だったって本当?
12 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:59:58 0
らしいね。
アムル・イブヌス=アースの「アース」は
母親の客のうちで一番アムルに似ていた男の名前だとか
13 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 21:06:09 0
14 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 21:18:08 0
アムルがエジプトに侵入したとき、コプト教徒はアラブ軍に協力した。
彼らはビザンツ帝国とギリシア正教会の圧制のもとで苦しんでいたのだ。
15 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 21:41:50 0
>>8 ギボンの「ローマ帝国衰亡史」で
アムルがエジプト国境突破したときの小細工を読んだのが
漏れがイスラーム史にはまったキッカケでつ。
>>13 牟田口義郎『物語中東の歴史』によれば、
サアドは当時病身で、一時戦闘指揮を他の武将に任せたらしい。
16 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 21:50:23 0
アムルがアレクサンドリア図書館を焼いて、浴場で薪代わりに図書を
配ったというのはまったくの作り話。
アレクサンドリア図書館はユリウス・カエサルによって紀元前48年に
焼かれ、《妹の図書館》と呼ばれた後世の図書館は、テオドシウス帝の
勅令で389年に取り壊された。
したがってアラブの征服時代にはもうアレクサンドリア図書館は
存在していない。
アル・カーミル
18 :
ローマ皇帝ヘラクレイオス:2005/06/14(火) 21:53:13 0
シリアよ、さらば!
おまえは敵にとってなんと美しい地であることか!
19 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 22:24:07 0
サルマン
ファールス地方出身のペルシア人。もと奴隷という説もある。
様々な宗教を学んだ後にムハンマドのもとへやってきてイスラム教に改宗。
ムハンマドの軍師となり、クライシュ族の襲来に備えて
メディナの周囲に防御用の堀をめぐらすことを建策。
これによってハンダク(堀)の戦いの勝利をもたらした。
サールマーンと言えば、サールマーン・ルシュディー(サルマン・ラシュディー)のほうが有名だな。
トールキンの指輪物語の灰色の魔法つか(ry
ラシュディーは絵本も書いてる。
イスカンダルとなんたらっていうタイトルの絵本をみつけて
アレクサンドロス大王の話かと思ったらただの子供向けおとぎ話だった。
22 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 22:40:26 0
「クライシュ族の鷹」、アブドゥル・ラフマーン
23 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 22:41:06 0
>>20 そのルシュディーの『悪魔の詩』には、
作者の分身っぽくもあるし、
>>19のペルシア人サルマンをモデルにしたらしくもある
サルマーンという人物が登場してたような記憶が。
24 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 23:13:08 0
アムルとムアーウィヤはハワーリジュ派の信徒に危うく殺されかけた
経験がある。
アムルを狙った刺客はあやまって彼の副官を刺殺し、
ムアーウィヤは負傷するだけですんだ。
しかしアリーは、クーファのモスクでハワーリジュ派の手によって
致命傷を受けて死亡。
25 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 01:57:21 0
>>3 1260年7月末、バイバルスとクトゥーズの率いるエジプト軍はアイン・ジャールート
でモンゴル軍を撃破し、ダマスカス、アレッポを奪回した。
これはモンゴル軍の「常勝不敗」という神話を打ち砕いた最初の例。
その後、クトゥーズはバフリーのクーデターにあって殺されてしまった。
バイバルスは少年のころ、シリアのハマの奴隷市場で領主のルクヌッディーン・
アル=ブンドゥクダーリーに買い取られ、以後これを姓とする。
彼は少年のころから白内障を患っていた。まれにみる偉丈夫で弓術の才が
あったバイバルスはスルタン・サーリフに献上されてマムルークの一員となる。
その数年後、聖王ルイ9世率いる十字軍を、マンスーラの戦いで事実上の
部隊長として破る。
スルタンになってからは、イル=ハン国の脅威からシリアを守りつつ、十字軍の
都市と城を陥落させていく。17年間の在位中、両面の敵と戦うこと38回、その
半分は彼自身の指揮だった。
最期は馬乳酒を飲んで倒れ、その二週間後に絶命。
26 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 02:48:50 0
27 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 13:12:56 0
香田くん
28 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 13:36:10 0
>>15さん
アムル、イイですね〜。
639年、アムルは時のカリフ・ウマルからエジプト征服の許可をとり、軍を率いて西に向かっていた。
しかし、国境を越える前に考え直したウマルから遠征中止の命令がくる。
「まだ、パレスチナ領にいるのなら引き返せ。
もうエジプト領に入ってしまったなら仕方ない、前進せよ。」
だがアムルはウマルの変心を察知して、あえて命令書を開封しなかった。
そして軍がアル・アリーシュに到ってはじめて書状を読んだ。
「ここはまだシリアか。それともエジプト領か?」
「エジプトである。」
「カリフの命により、このまま前進する!」
ようもまあ、ヌケヌケとw
少し出来過ぎだと突っ込みがあるエピソードですが、とても面白い逸話です。
30 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 20:58:47 0
>>3 バイバルスはマムルーク時代に多くの貴人を乗せた筏を引いてナイル川を泳ぎ渡ったとか
エジプトからシリアまで全速力で駆けつけた直後にけろりとしてポロの試合をしてたとか
個人レベルの体力も超人級。
あとマンスーラで捕虜になったルイ9世の顔に白刃を当てて恫喝したり、
エドワード1世に刺客を放ったりしたこともあるらしい。
そういえばマルコ・ポーロ(実在したかどうかはともかく)の東方見聞録にも
バイバルスの小アジア・アルメニア遠征の余波かなにかで
シリア一帯の通過に苦労したという話が書いてあったような希ガス。
32 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 21:03:22 0
59 :世界@名無史さん :2005/06/02(木) 22:05:54 0
バイバルスはイスマーイール派の残党を雇ってエドワード一世の暗殺を試みたことがある。
これは嘘みたいな実話。
60 :世界@名無史さん :2005/06/02(木) 23:22:06 0
>>59 イスマーイール派の一人がキリスト教の洗礼を受けたがっているサラセン人の
ふりをして近づき、エドワード1世を暗殺しようとした事件ですな。
ちなみにイスマーイール派は同じ方法でコンラッド・ド・モンフェラートを
暗殺することに成功している。
61 :世界@名無史さん :2005/06/02(木) 23:27:55 0
>>59 同じくバイバルスは、ティルスの領主フィリップ・ド・モンフォールも
イスマーイール派を使って暗殺。
バイバルスっちゅうと、クラクデシュバリエを陥としたときの策略も有名だな。
伝書鳩に降伏を命じる偽手紙を結びつけて城内に放ったという。
34 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 23:47:23 0
シャジャル・ドッルが女性スルタンになったとき、バグダードのカリフをはじめ
あちこちから非難の声があがったけど、
クルアーンやハディースには女性が権力者になることを禁じた箇所はあるの?
ティムールを忘れるな
モンゴル扱いもされるが本人はトルコ系のムスリム
36 :
世界@名無しさん:2005/06/16(木) 11:38:51 0
十字軍を打ち破り、聖地エルサレムを奪回したサラディン(サラーフッディーン)。
最近でも映画「キンダム・オブ・ヘヴン」に出てた。
37 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 16:52:47 0
バイバルスかっこいい・・
バイバルスファンの方は蒼き狼と白き雌鹿4をお勧めします。
39 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 20:19:46 0
サラディンは現イラクのティクリート生まれ。
父のアイユーブはティクリート要塞の司令官で、後にモスルとアレッポの太守
ザンギーに弟のシールクーフとともに仕え、その死後はザンギーの息子の
ヌールッディーンの臣下となる。
シールクーフが甥のサラディンを従えて第一回エジプト遠征に出発したとき、
アイユーブはダマスカスの総督になっていた。
40 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 20:30:06 0
知名度(イスラム世界)の格付をしてみてください
どの程度の知名度か目安がないとわかりにくいっす
AAA ムハンマド
AA ティムール、スレイマン1世
A サラディン
BBB バイバルス
BB
B ロレンス
適当に自分で作りましたがこんな感じでしょうか?
S ムハンマド
AA ティムール、サラディン
A スレイマン大帝、アクバル大帝
B アリー、バイバルス、メフメト2世、T・E・ロレンス、アタチュルク
C ハーリド、アムル、サアド、アブドル・ラフマーン1世、シャジャル、イスマーイール1世
D アブー・ムスリム、アル・ハッジャージ、ニザーム・アルムルク、ジルヤーブ、ウズン・ハサン
E ウマイヤ朝のアブド・アルマリク、ムカンナー、アスキア・ムハンマド、マムルーク朝のナーシル
F 知らん
S:世界史習った事が無い素人でも名前は知ってるレベル
AA:まじめに世界史習っていれば素人でも名前はいちおう知ってるレベル
A:平均的な世界史好きなら知ってるレベル
B:多少コアな世界史好きは知ってるレベル
C:イスラム史マニアは知ってるレベル
D:コアなイスラム史ヲタは知ってるレベル
E:ヲタでも知らなかったりするレベル
F:当該分野の研究者レベル
42 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 21:30:45 0
>>39 サラディンの叔父のシールクーフも「シリアのライオン」と言われた猛将。
食い過ぎで急死したらしいがw
>>41 まて、Bが「多少コアな世界史好きは知ってるレベル」というのは異議あり。
アタチュルクは世界史かじったことあるなら普通しっているだろ。
アタチュルク知らずしてトルコは語れまい。
というか、ロレンスはSにあってもおかしくない。
今時、ロレンスを「イスラーム世界の英雄」と呼ぶ発想自体イタ杉。
45 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 21:55:05 0
話変わるが、ザンギーやヌールッディーンも
サラディンに圧されて影が薄いながら一方の雄というべき。
,─────-,
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レ" ̄ ̄ ̄\ヽ \
/ ,, , ヾ`、 ヽ
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/ ,イ ! | \ Y
| ノ_ __i |l.
| ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′l.| |l.
| f| ! |lj/ ||
. |! |!'┤ ヽゝ ,ヶ ! ! j!.
l ト ヽ. 「._つ , | / ./ ツ人
\ヾ ,へ.__/_,.ク〈 ./_/
|ヘ\_/' ├'
_,. -―√イ| V | (_ノ1 ノ)iー--、__,、__
べ’ ー1!r―‐' ̄
48 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 22:07:04 0
トゥグリル・ベクやマリク・シャーはどうよ?
49 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 22:13:25 0
ガズニのマフムードとかもいるぞ
50 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 23:09:10 0
逆に悪人・暴君といって真っ先に名前が挙がるのは、
ファーティマ朝のアル・ハーキムかな?
あと、「暗殺教団」の創始者のハサン・サッバーフ。
51 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 23:21:43 0
ウマイヤ朝の東方総督アル・ハッジャージも相当の悪。
てか少なくとも人々に深甚な憎悪と恐怖を抱かれた点で
彼を超える者は少ないと思われ。
52 :
世界@名無史さん:2005/06/16(木) 23:48:15 0
オスマン帝国のスルタン・アブデュハミド2世。
アルメニア人迫害をひきおこして「血まみれのスルタン」と呼ばれる。
>トゥグリル・ベク、チャグリー・ベク、マリクシャー、
>スルターン・マフムード、カリフ・ハーキム、ハサン・サッバーフ
ここら辺はCランクは間違いなさそう。
最後のホラズムシャー、ジャラールッディーン・マングビルニーなんかは
光栄のので有名っぽいからこれもCよりかBあたりかな? バーブルは孫の
アクバルがAランクだからBっぽいけど、宿敵シャイバーニー・ハーンとか
スルターン・フサイン・バイカラあたりはDか下手するとEっぽい(w
54 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 01:21:42 0
ホラズム朝のアラー=ウッディーン=ムハンマドも入れてやって。
55 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 01:23:57 0
オスマン朝のオルハン、ムラート1世、バヤジット1世あたりは
どのランクに入る?
>>41 ジャラールッディーン知ってるんならアラーゥッディーン父も当然知ってるだろうからBないしCかな?
Aランクにアクバル、スレイマンが来てるんだったらメフメト2世も同じAじゃないかと〜
正統カリフ・アリーもBってのは低過ぎな感じもするのでAAか少なくてもAな気が。
バヤズィット1世はティムールとの絡みがあるからこれもCかBあたりかな?
オルハン、ムラート1世はメフメト2世やバヤズィットあたりとはやはりちと
知名度低い感じがするのでDとまで行かなくてもC・・・かなあ。
57 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 12:25:56 0
スルターン号を最初に認められたのはトゥグリル・ベク(1055年、東洋と西洋のスルタン)だが、
それ以前にガズナー朝のマフムードが非公式に名乗っていたという罠
58 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 19:38:43 0
イスラーム圏の諸王朝は、マムルークの代わりにベドウィンを使うわけには
いかなかったの?
アイユーブ朝やマムルーク朝の応援軍というか同盟軍というか……に多少使ったらしいけど。
同じムスリムだし、奴隷化は無理なのかな。
60 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 22:59:33 0
ジャーヒリーヤ時代のことになるが、
ムハンマドの祖父アブドゥル・ムッタリブも一筋縄ではいかない人物。
イエメン総督アブラハの率いるエチオピア軍がメッカに責めてきたとき、
まず自分の財産の保証を願い出る。
「どうしておまえの管理するカーバ神殿の財宝の保証を願わないのだ」と聞かれて、
「神々は自分たちのものを自分たちでお護りになるだろう」と応じたという。
結局来襲したエチオピア軍は(イスラムの伝説によれば)天使の投げ落とす
石つぶてによる被害のため撤退したという。実際には疫病の流行と言う説が有力。
エチオピア軍がアラビア中央部にはじめて象軍をつれてきたため、
この年は「象の年」として長く記憶された。
のちの預言者ムハンマドが生まれたのは、この事件の直後である。
第一、マムルークは部族的な紐帯から切り離されて、
君主に絶対的な忠誠を誓うから重宝されたわけで。
アッバース朝の衰退に乗じてシリア砂漠周辺に樹立されたハムダーン朝、
ウカイル朝、ミルダース朝のようなベドウィンが建てた政権も
セルジューク朝が西方に進出してくると一溜まりも無かったな。
ハムダーン朝のサイフッダウラはビザンツとの戦いで一躍、英雄視される存在になったが。
アラブ人はトルコ人に比べてヘタレということでOK?
マムルークは君主に購入されてからみっちり軍事教練をうけてるし
しかも成人して奴隷身分から解放されてからも平時から教練を受けてるから
戦力としてはかなり強力。ベドウィンはあっちの都合でいつ何時戦線離脱するか
まるで分からないので単体戦力以前に戦略上の戦力としてどれだけ期待できるかどうか・・・
ムハンマドの頃からともかくベドウィンはあてにならない盗人連中だとことあるごとに
悪口雑言の対象になってきた感があるね(w
65 :
世界@名無史さん:2005/06/18(土) 18:34:44 0
ムハンマドの叔父ハムザ。異名は「神の預言者の獅子」。
バドルの戦いで奮戦し、ウフドの戦いで壮烈な戦士を遂げた英雄。
66 :
世界@名無史さん:2005/06/18(土) 18:38:07 0
>>62 >ハムダーン朝のサイフッダウラはビザンツとの戦いで一躍、英雄視される存在になったが。
詳しく
ttp://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q245R200.HTM 遊牧民たちはいつも自分たちがもたない資源をより恵まれている隣人(多くは
定住農民や商工業者)から,平和的方法(交易・暴力・掠奪)で奪取したいと
いう強い欲望をもっている。したがって,ベドウィンはしばしば交易活動に
従事し,ときには盗賊になる。掠奪はある意味でベドウィン遊牧社会の経済
構造の根幹をなしている。ウマイヤ朝初期の詩人アル=クターミは,掠奪
(ガズウ)を次のように歌っている。“われわれの事業は敵や隣人に掠奪を
しかけることだ。兄弟以外を見せないときは,自分の兄弟に対してでも”
ベドウィンにとって掠奪は,一種の民族的スポーツとされている。
>34
女性の相続に関する権利は男性の2分の一という規定はありますが、政治的権力となるとどうなんでしょ。
興味深いですね。
イスラムの韓信、アブー・ムスリム。
アッバース革命に決定的な働きをした人。
イラン系の元奴隷身分だったらしいという謎に包まれた前半生を経て、アッバース家に使える。
ウマイヤ朝下の8世紀半ば、アッバース家はウマイヤ朝を打倒して新帝国を建設することを画策していた。
746年、アブームスリムはイランのホラサーン地方に潜入しそこにアッバース家の拠点を築くことに成功。
強力な軍隊を編成し、ウマイヤ朝の軍を次々に撃破。アッバース朝の樹立に大功をあげる。
ウマイヤ朝滅亡後ホラサーンの総督となり、751年にはタラス湖畔の戦いで唐軍を相手に大勝する。
754年、アッバース朝初代カリフ、サッファーフが死ぬと遺言によりその兄マンスールが後を継いだが、叔父のアブドッラーがそれに反抗しやはりカリフを名乗った。
アブドッラーは勇猛で大軍を率いていたが、アブー・ムスリムはマンスールに味方しこれを破った
755年2月、アブー・ムスリムの権勢を恐れたマンスールにおびき出され殺害された。
「わたくしを生かしてお置きになされませ、アミール・アル・ムウミニーンよ。
あなたの敵どもに備えるために!」
「お前以上の敵がどこにいるか!」
>>41 の人は高校世界史ならったのかな?
イスラムの英雄かはともかく、知名度でロレンスはSでしょう。
ケマルとニザーム・アル・ムルクは、大抵の世界史教科書には太字でかかれていて
試験暗記必須項目。まじめに世界史習った素人という連中が想像つかんが。
彼らこそ、世界史版に登場するような連中ではないのか?そしてその連中は、
CかDくらいなら普通に知ってそうだが。
スィナーンは?
イスタンブールのスレイマニェ・モスクを建設したミウマール・スィナーンのこと?
建築史が好きな人とか鈴木先生の本とか読んだことのある人は当然知ってるだろうから・・
BないしCかなあ。イスラムの建築家として知られてる人物ではほぼ唯一の例かも。
ブルー・モスクの建築家メフメト・アーアはミウマール・スィナーンの弟子。
夢枕獏がミマル・スィナンを描いた『シナン』(中央公論新社)、どうでしたか?
ファーティマ朝第四代カリフのアル・ムイッズ。
エジプトを征服し、新首都カイロ(アル・カーヒラ)を建設。
アル・アズハル・モスクが建設されたのも彼の治世。
アル・ムイッズは彼が本当にアリーの子孫なのかと質問されて、剣を抜いて
「これが私の系図である」と叫び、手に持った金貨を兵隊たちに撒きながら
「そしてこれが私の親族であり子供である」と叫んだ。
次のアル・アジーズも有能な為政者であり、彼の時代にファーティマ朝は
最盛期を迎える。
学者や文化人についてもこのスレで語る?
イブン・ハルドゥーン、オマル・ハイヤーム、イブン・シーナー、
イブン・ルシュド、イブン・バットゥータはAに入るよな?
83 :
世界@名無史さん:2005/06/19(日) 21:41:48 0
ビンラディンは現代の英雄
>>69 真面目に「受験用に」世界史習って「大学入った途端に大部分の事項を忘れ去り」
「以後歴史と無縁に人生を送ってきた」「世界史ヲタでない」人々のことかと
これならそんなもんじゃない。
いくら教科書に太字で出てたって、スレイマン大帝はまだしも
ニザーム・アルムルクなんてまず普通の人間は知らないか完全に忘れてるって
85 :
世界@名無史さん:2005/06/20(月) 13:51:26 0
ニザーミア学院の二ザーム・アルムルクを忘れるとは・・・
2ちゃん世界史板住人の基準で世間一般を計っても不毛ノシ
87 :
世界@名無史さん:2005/06/20(月) 20:47:04 0
>>68 タラスで直接高仙芝軍と戦った指揮官はジヤード・ブン・サーリフとかいったっけ。
このあたりの話題おもしろそう。
>>87さん
アッバース革命は妄想を書き立てられますなあ。
・暗躍するダーイー達
・激突する白と黒のエクスタシーw
>68を見るとマンスールが小物に見えちゃいますが、
マンスールはアッバース朝の実質的創始者でバクダードの建設者。
相当な人物ですね。
でも。やっぱり陰険。
降伏した叔父アブドッラーをあんな手の込んだ方法で殺すなんてw
アル・マンスールは?ムワヒッド朝の君主
ちゅうかぽまえら、「蒼き狼と白き牡鹿」をプレイしてみろ
>>85 漏れは高校時代から世界史ヲタだったから客観性を欠くが、
高校世界史で、セルジューク朝で覚えておくことは
1.トゥグリル=ベク ->初代
2.アルプ・アルスラーン -> ビザンツを破って小アジア進出
3.マリク・シャー −>最盛期
ニーザム・アル・ムリク →その宰相。ニザーミーヤ学院。
だけだった気が。
マリク・シャーって、王という語がダブってるんだよね。今気が付いたが。へんなの。これも
世界史ヲタ暦がいたづらに長いだけの産物か。。。
>91
> マリク・シャーって、王という語がダブってるんだよね。
セルジューク家の他の家系じゃあ「スルターン・シャー」とかいう人物もいたり(w
(ケルマーン・セルジューク朝の王族にそれぞれ一人ずついる)
93 :
世界@名無史さん:2005/06/21(火) 21:29:02 0
アミン・マアルーフの「サマルカンド年代記」のなかで
アルプ・アルスラーンが捕虜を引見中に
「男おんな」と呼ばれて逆上したあげく刺されて殺された
ことになってる逸話はマジ?
>>92 たしかジョチ・ウルスのアミールでアラブシャーってのもいたな・・・
何なんだタタール人なのにアラブでシャーって(w
95 :
世界@名無史さん:2005/06/23(木) 20:15:55 0
age
96 :
世界@名無史さん:2005/06/23(木) 21:10:31 0
>>93 ホラズム総督ユースフが捕虜となってアルプ・アルスラーンの前へ
つれてこられたとき、彼はユースフの勇気を誉める代わりに彼の愚挙を
叱責し、これに対するユースフの不遜な返答を聞いて、身体を四本柱
にくくりつけて絶命させるという刑を言い渡した。
これをきいたユースフは絶望のあまり短剣を抜いて玉座めがけて
襲い掛かった。
護衛兵が斧を振り上げたとき、アルプ・アルスラーンは弓で射殺そうと
したが、折悪しく足が滑って矢が傍にそれ、彼の胸にユースフの短剣が
刺さった。
>>92 ルーム・セルジューク朝が建てた隊商宿には「スルターン・ハーン」
という名前がついているw)
誰か、カリフについて教えてください。
99 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:14:22 0
どのカリフ?
スルタン自体“権力”って、意味だからねぇ。
101 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:22:52 0
とりあえず……
英雄カリフ ウマル1世イブン・ハッターブ
二代目の正統カリフ
もともと激しいアンチ・イスラム派だったが、友人が迫害を受けるのを見て
「なんたること」と義憤に燃え、即刻イスラムに改宗して
以後、教徒中最強の護教戦士となったという人物。
ムハンマドの死後にアブー・バクルのカリフ就任を後押しし、
アブー・バクルの死後に自らカリフとなった。
その在位中にイスラム共同体はアラビア半島を超えて西南アジアの大帝国に発展した。
細かく書くとキリが無いので、ざっと概略だけ。
あとは適当に補足よろ。
カリフの称号
ハリーファト・ラスール・アッラー(神の使徒の代理人)
アミール・アル・ムーミニーン(信徒の指揮者)
アミール・アル・ムスリミーン(イスラーム教徒の司令官)
103 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:39:43 0
ビザンツ皇帝は、司法・行政・立法など国政のあらゆる面で最終決定権
を持つ絶対君主であった。
これに対しカリフは、イスラームの教義やシャリーアの分野に介入する
権限は持たなかった。
イスラーム史総合のスレはちゃんとあるんだから、
ここでは個々の英雄に焦点をあてて語ろうではなひか?
>>103 本当の意味で世俗君主としての「カリフ制度」を確立したのはムアーウィヤじゃないかな。
というわけで
>>104次はムアーウィヤについてドゾー
>>106以降
“معاوية”なんて奇妙奇天烈な名前、親父のアブー・スフヤーンはどんな考えで息子に付けたんだ?
>>97 ああ、それは「スルターンの『ハーン』」の意味で、この場合の「ハーン」は
ペルシア語の「ハーン:隊商宿(キャラヴァーンサラーイと同じ意味)」のほうね。
(「ハーネ」だと「家」の意味になる)
「チンギス・ハン」とかいうときの「ハーン」と綴りが同じなので紛らわしい(w
>>74 まあまあ、としかいえない。
普通に読めるけど、わざわざイスラムの建築家である必要はないなあと
はじめの部分の世界的なルネッサンス潮流の解釈くらいかなあ
109 :
世界@名無史さん:2005/06/25(土) 20:22:10 0
>>105 ムアーウィヤが自分の息子にカリフ位を世襲させたとき、アラブ人の間から
反発は起きなかったの?
ちゅうか、ちみらはバイバルスについてどうおもう?漏れは英雄だと思うが
キングダムヘブンって映画ではサラディンがでてくるがバイバルスってまったく
でてこないよな?映画とかでもでてもいいのでは?
ジブラルタルの語源になったターリク・イブン・ジヤードとか
ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンとかはどうか
あとはナーディル・シャーとかアフマド・アブダーリーとか
サラディンに比べれば、欧米人には全くといっていいほど無名のバイバルスを映画で取り上げて
採算を度外視するほど冒険心のあるプロデューサーはハリウッドにはおらんやろ。
サラディンにしても、少なくとも今まではあくまでも、リチャード獅子心王ら
十字軍を主人公としたときの引き立て役どまりに過ぎなかった面も否めないし。
70年代後半には、預言者ムハンマドを描いた『ザ・メッセージ』とか、
ウマル・ムフタールが主人公の『砂漠のライオン』とか、カッザーフィーのリビアが
ハリウッド俳優を起用してイスラームの歴史映画を製作していた一時期もあったのにな。
>>110 バイバルスよりも、オスマン帝国のメフメット2世のコンスタンティノープル
陥落とか、
スレイマン大帝のロードス島での聖ヨハネ騎士団との攻防戦のほうが
欧米では受けるだろうな。
>109
第二次内乱(すげーおもしろい時期)
>>114 ムアーウィヤの息子のヤズィードはDQNだったらしいね。
クーファからもしフサインが決起すればその旗下に馳せ参じる、という手紙が
届いたので、フサインは密使をクーファに潜入させて自分の支持者が多いことを
確認したが、その直後この密使はクーファの知事ウバイドラに摘発されて
処刑された。
116 :
世界@名無史さん:2005/06/27(月) 22:48:02 0
スルタンガリエフ
日本の糞審判に適応しようとしている浦和のアルパイは漢。
118 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 18:26:09 0
フサインの弟も有名じゃなかったっけ。
総攻撃がはじまる直前、敵の包囲を突破して川から水を取ってこようと
死を決して敵軍の中に駆け込んでいき、壮烈な戦死を遂げる。
イスラーム世界にはやっぱり女性の英雄っていないのですか?
120 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 18:47:52 0
>女性の英雄
アーイシャ、ラズィーヤ、シャジャルアッドゥル、ヌール・ジャハーン、パーリ・ハーン・ハーヌム
121 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 18:56:14 0
>>120 何の本を読めばいいのかな? 知らないので素人の俺にも分かるように
薦めてくれ
>>121 シャジャル・アッドゥルなら、
「カイロ:世界の都市の物語」(牟田口義郎、文藝春秋)
に彼女のことが書いてある。
新紀元社のTruth in Fantasyシリーズの『剣の乙女たち』とかどうよ。
ヌール・ジャハーンがちょっとだけ出てたような希ガス
124 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 20:47:07 0
ありがとう。図書館かアマゾンで取り寄せます。
125 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 22:19:59 0
アブー・ヌワース。腐女子どもにとっての最大の英雄ですよ。
たぶん。
さて、何者でしょう?
126 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 22:27:45 0
詩人オマル・ハイヤームと宰相ニザーム・アルムルクと
策士ハサン・サッバーフの若き日をめぐる伝説について↓
128 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:41:28 0
>>126 正解です。
”私は彼の腰のあたりで望みを果たした”とか曰った人ですな。
母親に育てられ、少年期には詩人達のサロンに出入りして仕込まれ、
恋人と失恋してからは男色・遊蕩に走り、俺は礼拝なんかしねぇとか、
飲酒はアラーも許してるとか放言して、晩年は獄死した人です。
戒律の厳しいイスラム教徒としては驚異的な放蕩人間でした。
これも英雄の一種ではないでしょうか?
>>115さん
ヤズィードはDQNということですが、アル・フサインの惨殺とカーバ神殿の破壊を背負ってますんである程度の悪名はしょうがないのでしょうかね。
個人的には、反乱を防げなかったのは不手際だけど、この2つの事件の悲劇的な結末についてはフサインとアブドッラーの意地の張りすぎじゃないのかなあと思ったりします。
このスレ見てるとイスラム好きが思いのほか多いのが確認できて嬉しいです。
その分話題が拡散気味ですが、まあ気楽に書かせていただきます。
>>127さん
それはエピソードの信憑性についてということですか?
26 :世界@名無史さん :2005/06/29(水) 23:06:31 0
預言者ムハンマドの教友、アブー・アイユーブはアラブ軍による第一回
コンスタンティノープル包囲の際にに死去。
彼はムスリムとキリスト教徒双方から神聖視されて、ビザンツ人は旱魃の
ときに、コンスタンティノープルの城壁の下にある彼の墓に詣でて、
雨乞いの礼拝を行ったと伝えられている。
131 :
世界@名無史さん:2005/06/30(木) 22:30:11 0
ブラックアフリカ代表でトゥーリ・サモレに一票。
132 :
世界@名無史さん:2005/06/30(木) 22:41:23 0
>>131 サモリ・トゥーレよりウスマン・ダン・フォディオの方が色んな点で
偉大だと思う。アフリカという点で言えばね。
サモリは結局奴隷貿易依存から抜け出せなかった
プロジェクトXにサモリ・トゥレの孫が出てた。
あのへんのどっかの国の初代大統領がサモリの孫だか曾孫だか。
でサモリ自身は14世紀?のソンガイ帝国中興の英主、
アスキア・ムハンマド・トゥーレの末裔。
135 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 01:05:43 0
セク・トゥーレのことでしょ。
しかし、サモリがアスキア大王の子孫というのはさすがに眉唾。
サモリは商人の息子じゃなかった?
136 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 05:12:28 O
モハメッド・アリ
137 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 05:50:42 0
マムルーク朝のバイバルスは好きなんだけど、
彼に関する男色譚を知っている人があれば、
是非とも教えて頂き度い。
138 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 13:35:48 0
やっぱりサラディンじゃないの?
139 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 14:12:20 0
どうも同人女が紛れ込んでいるような?
イスラム史ヲタの腐女子ならいいかもねw
ابطال العالم الإسلامي
143 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 20:20:11 0
age
144 :
ty270410:2005/07/07(木) 21:13:45 0
オイラド(オイラート,ウェラ部)の
マハムード(馬哈木)
145 :
ty270410:2005/07/07(木) 21:15:09 0
鄭和
146 :
ty270410:2005/07/07(木) 21:16:15 0
英雄とはいえないかも知れないが,
満蒙の「馬占山」
147 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 21:30:56 0
なるほど!
鄭和も確かにムスリムだわ
148 :
ty270410:2005/07/07(木) 21:53:21 0
インドネシアのスカルノ
149 :
ty270410:2005/07/07(木) 21:54:32 0
ムガール王朝の始祖バーブル
150 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 10:13:24 0
マフマルバフ
151 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 14:43:28 0
十字軍と戦ったイスラーム世界の英雄たちは、ほとんどがクルド系か
マムルーク出身者だよね。
それをいうならテュルク系かな。
153 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 15:15:39 0
ムワッヒド朝以降近代以前のマグリブにはめぼしい英雄はいないのかな?
154 :
らーめん:2005/07/09(土) 15:34:51 0
ケマル・アタチュルク
時代は第一次世界大戦頃。
イギリスのチャーチル(当時英国海軍大臣)提唱のガリポリ半島占領作戦に対して
対抗し、イギリス側に甚大な被害を与えた。
アル=アミール・アブドゥル・カーディル・アル=ジャザーイリー
الامير عبد القادر الجزائري
ウマル・アル=ムフタール
عمر المختار
ムハンマド・イブン・アブドゥル・カリーム・アル=ハッタービー
محمد بن عبد الكريم الخطابي
アッバース朝のアブー・ムスリムはどない? 唐の西進をタラスで阻んだ。
奴はまさに走狗そのもの
スィナーンってどうよ?
159 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 11:12:00 0
スィナーンってたしか、暗殺教団を指揮しててサラディンに対抗してたんではなかったのか?
アル=カーミルとフリードリッヒ2世の同盟って具体的にはどんなんだったの?
161 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 12:01:27 0
ttp://homepage2.nifty.com/Kircheis/Retu/Retu_01/bbb076.htm シリアにおけるアサシン派最大の指導者、ラシード=ウッディーン=スィナーン。
シーア派のファーティマ朝を滅ぼしたサラディンに反感を抱き、ヌール=
エッディーンの遺児の要請を受けてサラディン暗殺を図るが2度に渡り失敗する
(1175、76年)。これによりサラディンの討伐を受けるが難攻不落の
マスヤーフ城に篭城して撃退した。この攻防戦ではスィナーンが単独で警戒
厳重なサラディンの寝所に侵入して毒ケーキ・毒塗りの短剣・警告文を置いて
去ったエピソードがあり、サラディンはこれに恐れを成して兵を引いたという。
その後サラディンに対しては共通の敵・十字軍に対抗すべく同盟を締結。
仇敵同士にも拘らずこうした関係を結べたのはスィナーンもサラディンも
互いの脅威を熟知していたゆえであろう。スィナーンの没年はサラディンに
やや遅れ1195〜96年頃らしい。
オスマン帝国の建築家だったのはミナール・スィナーン。
×ミナール
○ミマール
164 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 17:19:37 0
男色を好まなかったムスリムの英雄は皆無のようだナ。
165 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 17:35:11 0
166 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 17:55:42 0
682年、北アフリカの平定を志して1万5千のアラブ軍を率いて出撃し、
マグレブを突破して大西洋岸に達っするも、帰途ビスクラ近くのタフーダで
ベルベル人とビザンツの連合軍に急襲されて戦死した英雄、ウクバ・イブン・ナーフィ。
チュニジアの大軍営都市カイラワーンを築いたのも彼だそうな。
>>164 つ預言者ムハンマド
167 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 19:38:25 0
いまでいえばオウムやザインがせめてくるようなものかカワイソス
アラブ連合のナセルが無視されとるな
169 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 21:38:40 0
>>166 ウクバ・イブン・ナーフィって、最期はアブ・ムハジールとともに戦って
戦死したんだっけ?
170 :
世界@名無史さん:2005/07/15(金) 12:35:52 0
男色を好まなかったイスラーム圏の英雄
て誰か居ますか?
もちろん「原理主義」が台頭した20世紀後半以降は別儀です。
>>166 >ビスクラ
アルジェリアの東部ですな。大西洋岸のタンジャ(タンジール)から
カイラワーンまでの距離の半分以上は来てた。
242 :世界@名無史さん :2005/07/15(金) 23:08:29 0
ペルヌー女史が描くバイバルス
このロシア出身のトルコ人は(彼はクリミアの出である)、粗暴な人物で
ルネ・グルーセが指摘しているように「その血のなかには《イヴァン雷帝》
や《ピョートル大帝》を生み出す血が混ざっていた」。(中略)このような
人物には戦争がすべてとしか理解できない。
まあ内政にも業績をあげてゃいますがね。好戦的だったのは確かだろうが。
ギメ美術館の館長を務めるなど本業は東洋美術で東洋史の専門家でもないのに、
片手間に書いた一般向けのアジア史や十字軍に関する著作の方で有名になって
しまったルネ・グルッセの文章を一端の西欧史の研究者ともあろう者が引用するとは。
キングダム・オブ・ヘブンのサラディンがかっこよかった
AoKでもサラディンかっこよかった
177 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 21:58:07 0
でも同時代の肖像画はあんまりかっこよくない気がするw
『イスラームの「英雄」サラディン』の表紙になってる絵。
むしろティムールの肖像画とかは、日本の古武士みたいな風格があっていいな。
ティムール
「世界は二人の王者に値しない」
「世界は時間である」
>>178 某有名名言サイトの掲示板から引用と見たがw
>>101さん
遅レスですが私もウマル好き。
能力も凄いがエピソードも多い。
死の床で、ウマルは次のカリフを誰も指名しなかったが、
「アブドッラーフ イブン ウマル(ウマルの息子)はいかがですか?」
と聞かれて
「死んでしまえ、アッラーに誓ってそれをアッラーに望んだことはない。」
ってあーた、痺れますw
>>168 ナセルは寧ろ「アラブ」の英雄かも?
182 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 11:14:56 0
>>180 呪い伝説のあるティムール墓を発掘した翌日に独ソ戦が始まったんだっけ。
ティムールの脚が悪かったのは有名だが、醜男とは聞いたことがないような…
あとティムールの最初の妻ウルジャイ・トゥルカン・アガは素晴らしい美女で、
ティムールとも相思相愛の熱い仲だったそうな。戦場にもティムールと一緒に出たらしいね、
217 :世界@名無史さん :2005/07/21(木) 21:54:01 0
バイバルスは西欧侵攻を目して大艦隊を建造していたらしい。
実際マムルーク艦隊でキプロス遠征を敢行している。
184 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:01:50 0
イスラーム世界の英雄といやぁ、
やっぱ同志ビン・ラディンは欠
かせないだろ。
それとも既出だったかな?
>>174 スレ違いだがルネ・グルセってそういう人だったのか。
中央ユーラシア史の参考文献によくこの人の本が挙げられてるけど。
昔の十字軍研究での有名所といったらランシマンの次に
ルネ・グルッセが来てる感じだったけど、もともとは
そういう分野の人だったのか・・・
187 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 22:23:36 0
age
188 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 21:31:22 0
ファーティマ朝のエジプトを征服した将軍ジャウハル(ゴーハル?)が西欧系だって、本当ですか?
そういえば後ウマイヤ朝のムハンマド・イブン・アビー・マンスールの
子供だか孫だかにナバラ王家の血を引いてる香具師がいなかったけ
>189 さん
マンスールの末子、アブドル・ラフマーン(サンチュエロ)のことかと。
生母はナバラ(パンプローナ)の王サンチョ・ガルセス2世の娘。
サンチュエロはマンスールの死後、後を継いだ異母兄の急死を受けて(一説にはサンチュエロの暗殺)アーミル家を継ぎます。
そしてウマイヤ家のヒシャーム2世からカリフ位を譲り受けようとしますが、
・クライシュ族でない
・キリスト教国の王の孫だ
ということが反発を産んで反乱が起き殺され、マンスール以来後ウマイヤ朝の実権を握っていたアーミル家は滅びてしまいます。
そうだった。小サンチョのサンチュエロだったか。
感謝ノシ
ハッティンベイベー!
193 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 15:20:58 0
age
194 :
世界@名無史さん:2005/08/17(水) 21:59:31 0
>>172 スレタイから外れるが、クトゥーゾフもタタール系だそうだね。先祖はムスリムか?
195 :
世界@名無史さん:2005/08/18(木) 14:29:28 O
おお、パレスチナの民よ。
恐るべきはイスラエルのユダヤ人達。
ユダヤ人達はパレスチナ人の土地を奪い、女・子供・老人を虐殺し続けている。
パレスチナ人の若者達はユダヤ人の侵略に対し抵抗運動インティファーダを行なう。
しかしユダヤ人達は最新鋭の戦車・戦闘機・ロケット砲で無抵抗の老人が住む民家を狙っては報復と称して破壊し焼き尽くしているのだ。
ユダヤ人はパレスチナ民族を絶滅させようと目論んでいる恐ろしい人種だ。
>>194 マムルーク朝にスルタン・クトゥズという人物がいるが、
かれもキプチャク草原出身のテュルク系。
クトゥーゾフの場合この「qutuz」にロシア語人名の接尾辞
「-ov」がついた形だと聞いたことが。
やはりジュチ家の郎党の末裔なのかねえ。
アゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ元大統領も、まさしくカリフの「アリー」に
ロシア語人名の接尾辞「-ev」がついただけ。個人名の「ヘイダル」もテュルク・イラン系を
問わず中央アジア・イランのムスリムにはもともと人気のある名前。
昔のソ連の人名事典みたいのを見ると、中央アジアやアゼルバイジャンの議会や党の役員の
名前なんかは元がテュルク系のムスリム人名なのをまるまるロシア語風にしてあるだけのが
山のように出てきて爆笑した覚えがある。
197 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 13:06:41 0
>>196 クトゥズはホラズム王家の血筋とかいう話をなんかで読んだけど
>>196 イワン雷帝の妻の一人にマリア・テムリュコブナってのがいて、
カバルダ公テムリュクの娘アルタン・ジャンが元の名っていうんだが、
これがムスリム・ムスリマ父娘らしいんだな。
>>197 ジェラール・アッディーンがクルディスタン辺境かどこかで殺されたあとも
ホラズム勢はシリアに居座ってこの一帯を荒らしまわっていた。
詳しい経緯はよくわからないが、マムルーク朝に合流した連中もいるんでは?
>>198 マムルーク朝に流入してきた遊牧民って格下のハルカ軍に編入されるんでないの?
バイバルス以前はまだ組織が未成熟で、なんでもありだったんでは。
アイン・ジャールートの戦いで捕虜になったモンゴル人で
のちにマムルーク朝のスルタンになったキトブカという人もいる。
202 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 19:35:34 0
>>201 キト・ブカ・ノヤンは戦死または処刑されてる。これは諸史料の伝える明確な史実。
何かの誤解でしょう。
203 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:19:52 0
>>202 いや、それとは別人。
1295年にスルタン・アンナーシルの後を襲って即位した
al-Adil Zayn-ad-Din Kitbughaというマムルークなのだが、
この人はアイン・ジャールートで捕虜になったモンゴル。
知らんかった。勉強になるスレだな。
205 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 16:17:30 0
ジャウハルはもとシチリア島のキリスト教徒出身の奴隷。
だからジャウハル・アッシキリーという。
206 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 16:18:05 0
当時のイスラムモンゴル戦争で捕虜になって生き延びれるとは
余程、才幹を見込まれたか大層美貌の人物かのどちらかだな。
208 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 17:33:49 0
んなことないんじゃ?
マムルーク朝初期にはモンゴルからの亡命軍人がいくらでもいたらしいし、捕虜でも同じじゃない?
バイバルスは強力で主人に忠実なモンゴル兵を相当高く買っていたらしい。
モンゴルもマムルーク朝もキプチャク族奴隷使っていたからね。
案外捕虜に関しては寛容だったのかも。
と言ったら当時の虐殺に対して反論が出来ない。
なぜアブー・バクルが出ないんだろう・・・
反応した人はCiv3信者
Civやってないんだけど、アブー・バクル出てくるの?
しかし彼はいまいち英雄っていうイメージがしなさす。
>>210 自分もCiv知らないけどメジャーだから今まで名前が出てこなかったんじゃない?
個人的には最後のカリフ、ムスターフィムの殺され方に興味あり。
軟禁されて今まで蓄えた金銀財宝を目の前にして餓死。
(モンゴル風の貴人の処刑方説もあるが)
214 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 21:29:55 0
>>212 ティムールの戦いを見ると実に冷酷に捕虜の利用価値を選別していることがよくわかるな。
ティムールは尊敬するチンギス・ハーンに習って
有用な職人や技術者を生かしたね。
ティムールには美術品コレクターの執念を感じる・・・w
ティムールを殺せる可能性があったのはムザッファル朝のシャー・マンスールぐらいだろうか。
若い頃なら適当にひねりつぶせただろうが、
トランスオクシアナを掌握してからは化け物と化した。
ティムールの趣味の中に頭蓋骨の塔を作るというのがあるな。
220 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 20:24:34 0
ティムールの三大趣味・・・チェス、建築、頭蓋骨のピラミッド
ティムールは文盲ながら歴史の知識はかなりのものだったとか。
歴史も趣味に入れとけ。
222 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 21:35:16 0
イブン・ハルドゥーンと2時間も対談してるしな。
何を話したのか微妙に興味ある。
北アフリカの情勢とかについて語り合ったらしいが、
帝王論とか国家論とかの話は出たんだろうか。
223 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 16:36:52 0
ユースフ・イブン・ターシュフィーン
ムラービト朝の第2代君主。セビリャのアミールの要請によりイベリア半島へ進出、
カスティリャやアラゴンの軍勢を破り、諸タイファ国を支配下においた。
224 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 17:19:35 0
エル・シッドとの直接対決がほしかったな
225 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 19:20:00 0
マンサ・カンカン・ムーサ
マリ帝国の君主。イスラム流の軍事技術を取り入れ、帝国の領土を南方と西方に拡大した。
メッカ巡礼の際に黄金をばらまいて中東の金相場を下落させた話は有名。
226 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 22:01:01 0
アル・マンスールって言われた人多くない?
>>226 「勝利者」って意味だからよくある。
アッバース朝のマンスール、コルドバの侍従マンスール、ムワッヒド朝のマンスールその他もろもろもろ
228 :
世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:20:41 0
巨根の持ち主のことをアル・カブース(破城槌)というらしい。
229 :
世界@名無史さん:2005/09/16(金) 12:32:51 0
ワロス
230 :
世界@名無史さん:2005/09/16(金) 23:33:52 0
>225
知名度は落ちるがスンディアータも英雄といえるだろうね。
あの辺の連中がちゃんとしたムスリムかどうかは結構疑問視されてたらしいが・・・
ソンニ・アリは異教徒だっけ。魔術とか使っていたらしいが。
つかスンディアータって実在したんか
ズー・アル・フィルカールとアブー・ムスリムの2本の名剣のほかに武器にまつわる話ってあったっけ?
>>233 不完全な知識ですが…
『サムサマ』
代々のアッバース朝カリフによって所有された預言者ムハンマドゆかりの宝剣。
「ローマ帝国衰亡史」の記述ですが、ハールーン・アル=ラシードは自らこの剣をふるって、宣戦布告をしにきたビザンツの使者の腕を切り落としたとか。
現在トプカプ宮殿にある「ムハンマドの剣」ってサムサマのことなんですかね?
>>235 >ムハンマドの2本の剣
湾刀3本、双刃剣1本、直剣1本の計5本あるように見える
237 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 20:07:05 0
ムハンマドの生きてた頃のアラブは直剣を使ってたとか何かで読んだけど
>>235 >それってもしかしてサムサア(shamshir)で単にシャムシール(シミター)ってことなんじゃ・・・
うわ、そうなんですか。道理で他の本には剣の名が載ってないわけだ。
衰亡史に「カリフ(アル=ラシード)は歴史もしくは伝説上で著名なサムサマなる彼の名刀を引き抜きざま…」
と書かれていたのでてっきり剣の名かと思いました。
別の前嶋信次氏の本では単に「預言者伝来という宝剣」だけでしたから、おかしいな〜とは思っていたのですが。
その本では、アッバース朝のカリフは預言者ゆかりのプルダ(マント)と剣を所有し、それが今ではトプカプ宮殿にある、と書かれていいます。
ご紹介の写真がその剣なのでしょうね。
ありがとうございました。
239 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 20:46:38 0
トプカピ・パレスには二股の剣まであるとか・・・
別のスレでもう書いたかもしれないが、
ペルシア語の「シャムシール(shamshiir)」は、セム語の「シャマシュ(太陽)」に
中期ペルシア語の派生語尾(-er)がついた「シャムセール」という複合語だ、いう話を
どこかで聞いたような気がするのだが、ともかくアラビア語の「サイフ(s.aif)」にしろ、
元々「シャムシール」とはサーサーン朝時代でものちのイスラム時代でも「短剣、短刀」
と対を成す馬上戦闘に使うような「長剣、長刀」の類いを指した言葉で、長さで区別は
されていたが、「直剣」に対する「曲刀」の意味はなかったらしい。
サーサーン朝時代のターゲ・ボスターンのような磨崖壁画やソグドの壁画や遺物を見る限り
片刃か両刃かは分からないまでも刀身は真直ぐで長いが、日本刀のような鎬はみられない。
中東で西欧絵画に見られるような「曲刀」が出現する時期は、実は良く分かっていない。
セルジューク朝時代からという話もあるようだが、現存する絵画資料を見る限りでは
モンゴル時代からだろうというのが有力の模様。
イルハン朝時代からティムール朝時代にかけて「クルチュ」とか「シャムシール」とか
言えば、だいたい大形の片手用の「曲刀」で、まさに先日イラン人同士の騒ぎで押収された
例の「シャムシール」ほどの大きさの物を使っていたようだ。
当然あの長さは本来馬上戦闘用で、降り下ろせば刀身が地面に当たるような徒歩で使われる
物では無い。
>「シャムセール」という複合語
ペルシア語の「シャムシール」の語源はラテン語の「シミテラ(ライオンの尻尾)」だったはずじゃ?
NHKがイメージ映像にシャムシールと言いながらカトラス使ってた
ササン朝は戦象部隊が、アラブ軍の7mの騎槍と、3mの槍歩兵に惨敗でぬるぽー
245 :
世界@名無史さん:2005/10/05(水) 18:03:33 0
スーダンでマフディーの反乱を鎮圧しにいったイギリス軍が、鹵獲したアラブの直剣を
十字軍の遺物と勘違いしてロンドンの教会に奉献したことがあったらしい(w
247 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 11:52:46 0
イラン人がこんな極東の地でケンカするのにわざわざリスクを犯して
シャムシールを持ち込むというのは理解に苦しむところである。
あれがないと使えない技でも持っているのか?
でもイラン人に日本刀で喧嘩されたらそれはそれで嫌だな
249 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 13:21:31 0
シャムシールってもともとモンゴル人のサーベルだったとか?
イラン人ならズルハネの棍棒で戦ってほしいものだが。
モンゴル軍の防具はペルシャ式を取り入れてるから変遷前に文化交流があったのは確か。
251 :
世界@名無史さん:
ボルヌ帝国のマイ・イドリース