234 :
朱由檢:
>>184 肉食だから虫歯になりにくいなんて医学論文を見た事はないですね。
動物園のライオンでさえ虫歯になるのにねぇ。
中世ヨーロッパ人が一日当りに摂取した肉の量は、
干し肉一切れで約15g程度です。
日本人に比較してヨーロッパ人の虫歯リスクを軽減する要素は、
唾液が多いことぐらいのものです。
もさもさしたパンを食べる文化圏の人間は唾液が多い事で知られてます。
とはいえ、決定的なほどの違いがあるわけではありませんが。
>>中世ヨーロッパ人が一日当りに摂取した肉の量は、
>>干し肉一切れで約15g程度です。
なんでそんなことがハッキリといえるの?
朱由檢の言うことは眉につばをつけてきかないとね
237 :
朱由檢:2005/11/28(月) 22:12:55 0
ヨーロッパが肉中心の食事と言えない水準の摂取量でした。
イースター前の40日間(四旬節)やクリスマス前の数十日間(侍降節)、
さらに週の間にもキリスト教で肉食を禁止された期間があり、
自由に肉を食べる事はできなかったのです。
(『物質文明・経済・資本主義』/ブローデル著/みすず書房)
塩漬け肉やソーセージは祭事や婚礼などの祝祭に食べる程度で、
食卓に並ぶことは週に一度位のペースでした。
中世末期ドイツにおける一人当たりの年間肉摂取量について、
ヴィルヘルム=アーベルは100g程度であったと推察しています。
(『農業恐慌と景気循環』/アーベル著/未来社)
また、マルクブロックやアイリーン=パウアによれば、
一日の摂取量は干し肉一切れ(15g程度)と考えていました。
(『中世に生きる人々』/パウア著/東京大学出版)
(『封建社会』/マルクブロック著/みすず書房)
農村で一家族が消費した肉は豚一頭に鶏数羽程度と考えられ、
一日当たり15gとしました。
(『中世ヨーロッパの農村生活』/堀越宏一著/山川出版)
いい加減な思い込みでミスリードするのは感心しませんね。
肉中心と主張したいのであれば、
事前に欧州における一人当たりの肉摂取量程度調べましょう。
238 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 00:21:21 0
ってことは当時の支那よりも欧州は肉を食ってなかったのか。
239 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 00:37:28 0
大正末期の日本人の平均一人あたり一日の消費量は3.75g(石毛直道)。
241 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 01:12:45 0
お前はWW2後に占領軍によって強姦された大和撫子のガキなんだろ?
金髪で下手なラップとか歌ってたりして。
西洋人=「肉食人種」つーのはおかしい罠。今の日本人の方が昔の西洋人よりかも肉を喰っているし。
江戸時代の日本人は武家は歯磨きをしていたが、農民や町人はしなかったらしい。
女は尚更しなかったらしく、口臭がきつかったらしい。
西洋でも特に労働者階級になると、肉は週一度だけなんて当たり前だったみたいだね。
家計簿見ると(産業革命以後)普段の食事なんて紅茶とパンくらいなものですよ。
イギリスではビールが食事ってのも長く続いたのだ。
今のビールに比べると栄養価が高いものだったが。
貧民はビールとジャガイモ。
少し余裕があるとジャガイモが減ってパンを食べるようになり、
富裕層はパンの消費が減って肉を多くとるようになる。
「十五世紀のネーデルランドにおいては「肉はこれほどふつうに食用されていたから、
飢饉の危機にさいしても、その需要はほんのわずか減じたに過ぎない」のであり、
また十六世紀には肉の消費は増加する一方だった・・・ドイツでは1482年に
ザクセン諸侯がこういう布告を発している「各自に承知して欲しいが、親方職人には
昼食と夕食とに全部で四皿の料理を出さなくてはならない。すなわち、肉のある日の
ばあいであればスープ一皿、肉二皿、野菜一皿であり、金曜日または肉のない日の
ばあいには、スープ一皿、鮮魚または塩漬け魚一皿、野菜二皿とする・・・」
親方職人、都市生活者の献立ではないか、という人もいよう。しかし1429年に
アルザス地方のオーベルハイムでは、夫役に徴発された農民が代官の農場で
ほかの仲間といっしょに食事したがらない場合には代官が「その農民自身の家に
牛の肉を二きれ、焼き肉を二きれ、ぶどう酒を一枡、2ペニッヒ分のパン」
を送りつけなくてはならなかった。・・・1557年のパリでは、ある外国人が
語っているところによると「豚は貧民の、それも本当に貧しい人たちのふだんの
食料品である。しかし、どんなにとるに足らない職人や商人でも、肉食日には
金持ちと同じようにのろ鹿ややまうずらを食べたがる」
(『物質文明・経済・資本主義』/ブローデル著) 1-1,pp245-250
ブローデルが言っているのは庶民が肉を食えなくなったのは十六世紀後半以後で
それ以前は肉食いまくりだった、ということだと思うが?
同じブローデルの『物質文明・経済・資本主義』を利用していても、
差があるな。さすが朱クオリティー。
バウアーにしてもブロックにしてもずいぶん古いからな。
それ以後、生活史に関しては新しい研究が色々でてるんじゃないの?
248 :
朱由檢:2005/12/01(木) 22:53:57 0
ヨーロッパでは王侯貴族や聖職者、
振興の都市中産階級の肉消費量は、
かなりの高水準でした。
14世紀ペストの流行も食生活に大きな影響を与えました。
疫病を祈祷によって撲滅できなかったばかりか、
真っ先に逃げ出した教会は見放されてしまい、
来世よりも現世を楽しもうという風潮が興り、
上流階級の食生活は豪華になりました。
この時期にはヨーロッパで料理本が執筆されています。
249 :
朱由檢:2005/12/01(木) 22:57:31 0
さて、
毛織物で賑うネーデルラントの中産階級に、
ギルドの親方、
最後は働かない農民を領主が歓待した事例ですか…。
(ペストの流行以降に農奴の待遇が向上した事例ですね。)
みんなハイソサイエティーですね。
上流階級の食生活だけを引用して、肉食い放題ですかw
8割超の第三階級である農村部の食生活については、
まったくわからない事例をあげてどうするのさ?
引用した資料の内容を理解してないから、
そんなことに(ry
結局、粘着の名無しは中傷するための反論なのだから、
内容についてまで期待する方がおかしいのかな。
250 :
朱由檢:2005/12/01(木) 22:58:21 0
肉中心とは言え無くっても、
必要なカロリーは摂取できてたからいいんじゃない?
14世紀のペスト流行後少しは待遇も向上したわけだし。
食生活自体の改善はジャガイモ革命以降、
それ以前は野菜スープに脂肪浮かべたり、
冬に入るときにバラした豚を塩漬けにして、
一年間大事に食べていたりと、
慎ましやかな生活というだけの話でしょ。
251 :
朱由檢:2005/12/01(木) 23:00:08 0
>>242 そうなんですか?
江戸の町人に限って言えば、歯磨きは大変流行っていました。
江戸は現在以上に白い歯がステータスでした。
当時の歯磨き粉は房州の砂と塩に香料を混ぜたものが売られていました。
百眼という仮面をつけた歯磨き売りは人気商売で、
芝居になったほどです。
男女比率が遊女を入れてさえ、2対1の江戸では、
眉を整えたり、髭を抜いて脱毛したり、
唄や三味線を習ったりと、
男性はモテるために大変な労力を使いました。
口が臭いなんてそもそも相手にもされませんでした。
吉原などの遊郭に泊まれば、
朝には歯ブラシを用意してくれていました。
朝の歯磨きは欠かせない風習だったのです。
252 :
朱由檢:2005/12/01(木) 23:01:11 0
垢抜けのした女が美女の代名詞であったように、
女性も衛生観にうるさく、糠袋でしっかり磨き挙げ、
化粧要らずの美肌を自慢していました。
美肌自慢は男性にも強く浸透していたらしく、
博徒でさえは傷の無い肌を自慢し刺青を嫌いました。
おいおい、ヒステリーおこすなよw
>毛織物で賑うネーデルラントの中産階級に、
>ギルドの親方、
>最後は働かない農民を領主が歓待した事例ですか…。
>(ペストの流行以降に農奴の待遇が向上した事例ですね。)
>みんなハイソサイエティーですね。
>上流階級の食生活だけを引用して、肉食い放題ですかw
自分で「中産階級」(一行目)、「農奴の待遇が向上した事例」(四行目)
って書いておいて「みんなハイソサエティ」「上流階級」(五、六行目)かよw
矛盾って言葉知ってる?
だいたいハイソサエティの農奴って何さw
あと言っとくが、俺がおまいさんにレスしたのは初めてだぜ。
それを粘着ってww山野みたいに粘着がつくほど大物じゃないだろ?
>>253 頭悪すぎ?
それとも日本語が理解できてないわけ?
高所得者と言う意味のハイソサイエティーと使用したのであって、
ネーデルラントの商人(中産階級)は高所得。
「中産階級」が固有名詞であって、所得とは別でしょ(爆
同じくギルドの親方も高所得者。
最後の事例は代官が農奴に対してごちそうしている事例であって、
食事を用意したのは高所得者の代官。
おやおや名無しになったのか。まあどうでもいいけど。
>高所得者と言う意味のハイソサイエティーと使用したのであって、
それじゃ六行目の「上流階級」も高所得者という意味なのかい?
それとも五行目の「ハイソサイエティー」と「上流階級」は
まったく意味が違うの?そんなことないよね。
となると朱的には「上流階級は中産階級」だということになるぜw
ずいぶん粗雑な言語感覚の持ち主だな
まあ、朱的にはどうしてもここでは上流階級というのは所得面からの意味で
身分的には中産階級である(?)、と主張しないと矛盾が生じるから、涙目で
>「中産階級」が固有名詞であって、所得とは別でしょ(爆
と書いたんだろうが、せめて国語辞典で「固有名詞」という言葉の意味を
確かめてから書いて欲しかったな(哀
もひとつ
>最後の事例は代官が農奴に対してごちそうしている事例であって、
>食事を用意したのは高所得者の代官。
当たり前だろw問題はたかが農奴の機嫌を取る為にもこの程度の食事の質が
必要だったって事。ふだんの食事がプアならここまでする必要はないのは自明。
ブローデルもそういう意味で書いてるんだが、理解できてない?
朱由檢発狂
257 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 12:24:29 0
>>朱
荒らしを相手にするなよな。
知識が無いから屁理屈でやり込めようとする馬鹿を構っても仕方無いだろ?
風呂といえば世界的にはサウナ風呂が主流だよな。フィンランドもサウナ風呂だ。
ログハウスの中に炉を置いて焚き石を焼き、水をかけ水蒸気で部屋を熱する形式の
最近よく見かける岩盤浴と同じものだ。
フィンランドでは結婚やお産のためにサウナを使用したそうだ。
江戸時代の風呂屋は安くて庶民は毎日入っていたんだよ、
ソバの値段と比較するととてつもなく安かったんだよ。
エンゲル係数が違う何それ?
259 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 00:08:42 0
そもそも、風が強い日や行事がある日は営業しないことが
多い。江戸は行事が多いからかなり休みが多かったとされる。
まあ、風が強い日は火災の危険が大きいからね。
そもそも江戸の侍や町人が風呂を家に作らなかったのも、火事の際火元と疑われるのを
嫌がったから。
しかし江戸で風呂屋が流行ったのも、風が強かったから。
砂埃で体が汚れるからね。
そう言えば日本ではサウナはそれほどでもないですね。
江戸はゴミが一杯。
坂下にゴミを捨てたので、「芥坂」と呼ばれる場所が結構あった。
「会所地」とよばれる空地もかってにゴミ捨て場になってしまった。
商業地は埋め立てて造成し、土を高く盛り上げることが多いために、
「会所地」は窪地になりやすく水たまりや下水が流れ込み悪化させた。
綺麗な江戸は中期以降。
>>262 昔の西洋の都市も同じような状況だっただろ。
古代日本では蒸し風呂が一般的だったよ。
大寺院が民衆に施していた風呂は蒸し風呂だったし、瀬戸内には岩穴で火を焚き、
燃え尽きたところで海水を振りまいて蒸気を出させ、密閉した中に入る蒸し風呂がつい最近まで残っていた。
大量の湯を沸かすには水利のよい場所でなくてはならないし、ある程度鋳造技術が発達していないといけない。
たっぷり湯を沸かした風呂が一般的になるのは江戸以降。
さて農村では、風呂は疲れとともに、出た垢を肥やしにするために重要だった。
そのために何日も湯を換えなかったり、肥溜めの隣に風呂桶を据える事も行われた。
当然臭気は凄まじく、こんな風呂ではくつろげない。
江戸でも、お湯は取り替えない場合もある。
お風呂に入ったあと二階ののぞき穴からオナヌー。
中世の日本なら、打たせ湯もありました。湯を別に沸かして入れてもいる。
今の様な湯を沸かして入る風呂は、水フロと言われたもの。
前田利家が甥に今でいう水風呂に入れられたという話は、後世の創作でしょ
うが、事実とすればかなり早い例です。
歯ブラシというか、楊枝の使用は江戸期の庶民にも見られた筈ですが・・・。
古代の蒸し風呂は、『温室経』に倣って利用されたもので、薪、清水、澡豆と
いう小豆の粉末、油、灰、楊枝、帷が七つ道具として挙げられています。
体を健康に保つ効果があるとされており、『今昔物語集』には、宋で子をかか
えた汚い病女と犬が温室が消えたという話がありますが、これは文殊菩薩が
病者に姿を変えて出現するという『文殊般涅槃経』の説に基づいたものであ
り、後世の光明皇后説話にも、影響を与えている様です。
欧州の肉食について、阿部謹也先生の『中世を旅する人々』の中に、「肉屋
の周辺」という一節があって、1308年に、人口5000〜12000人
の市の牛肉消費量は、1人が1年につき125sを消費していた事になるも
ので、馬鈴薯栽培以降になる500年後のベルリン市民の12倍になったと
か。もっとも、同書の「農民」には、農民には香りをつけるために入れられ
ただけで、滅多に食べられなかったとある。
これは、もう古いのでしょうか。
宗教戦争直後、兵士たちは1年間に一人あたり80kgの肉を消費していた。