637 :
世界@名無史さん:2009/10/15(木) 21:04:14 0
>>631同じだよ。どんな試験も暗記だし(数学なんて式の暗記と当てはめ)。
というかペーパーに「考えさせる」試験なんてあるわけなかろう。IQテストだって
訓練で上げたり下げたりが可能であることはアメリカの連続殺人犯が実際に
証明している。科挙の記述も現代の試験の記述問題もおなじ。君はなにか
試験に変な期待・幻想をもってないか?
638 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 19:14:52 0
朝鮮の科挙は、都の漢陽で行われた。
しかし宗主国様のような、決められた個室に数日間泊り込むわけでもない。
専用の試験場で受験するわけでもない。
それどころか、試験場に従者を連れ込むことすら可能だった。
だから従者に扮した家庭教師や替え玉が・・・
ところで、朝鮮の有名なハングル筆記の小説「洪吉童」の作者は、
1594年に科挙に及第したことになっている。
1594年といえば文禄の役の真っ最中。
そんな時期に受験する余裕があったのか?
639 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 07:08:42 0
>>637 まあ何にせよ、試験で優秀かどうかと仕事ができるかどうかは全く別の話。
上級試験で入ったエリート候補様が今や職場のお荷物というのはよくある話。
人間の本質は基本的に石器時代から変わらんから、科挙の状元様でもろくでもなかった
ものはたくさんいただろうね。試験で優秀な人間を選抜することはできない。
実際に1年間くらい職場で働かせてみるのが一番分かる。
641 :
世界@名無史さん:2009/11/09(月) 01:04:52 O
>>638 太平洋戦争中で敗色濃厚状態の我が国でも高等文官試験が行われていたわけで、特に不思議とは感じない。
642 :
世界@名無史さん:2009/11/09(月) 07:51:37 0
科挙の場合は実務と無関係な四書五経のテストだったので、
そういうこともありがちだったけど、
公務員試験は実務能力が試されるものが出題されているのだぞ。
1000年前の時点で四書五経は古くなってたからな
科挙の試験内容も歴史や理数系にシフトさせていくべきだったかもな
特に歴史は軍事政治の具体的な成功例や失敗例がつまっていて官僚や武将にとって有用だからね
実際に古来より名将には歴史オタが多かった
春秋は1500年前は新鮮さが残っていたけど、1000年前の時点ではあまりにも古すぎる
漢の時代にまとめられた漢籍ではなく、
宋の時代には、実務的な内容が要求されてくるけど
政争の道具になってしまった。
四書五経で30%
兵法と始皇帝以降の歴史で30%
現代の法律と経済と農業と工業と地理で40%
宋代でこんな感じにするべきだった
>>645 王安石が抜擢された宋朝のころ、農業や商工業の発展があり
経済政策や軍事政策が、王朝により行われるよになったが
明朝は、そういう新政策が、北宋を滅ぼしたと解釈して
停滞してしまうのだ。
武科挙が失敗したのも不思議なんだよな。
武科挙に合格するのは一般に家柄の良い優秀な武術家で、後漢末時代で言うなら孫策や曹仁や董卓みたいな連中で
優秀な人材も多いはず。欧州では士官学校も成功を収めてるしね。
武科挙は馬術・弓術の試験がメインだから、受かる奴は北方の遊牧民系の子弟も多いだろ
漢の李広、唐の郭子儀
いずれも、北西の西安周辺の人だな。
李広は、漢化した秦の遺臣の家系であり
郭子儀は、客家だとされている。
650 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 01:50:59 0
中国拳法道場で修行した武術家は武科挙を受けて仕官しなかったの?
弓術が必須科目だから、仕官できないかも。
652 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 20:03:19 0
基礎体力と身体検査は?
李広って李信の子孫でしょ?
みな科挙を誤解しすぎだよ。
あれは、一言で言えば
「国語の試験」
これに尽きる。ただし、近代語の感覚で理解してはいけない。
中華帝国の公用語は、古典漢文(文言)ただ一つ。
これに通じていなければ、帝国の官吏は絶対に勤まらない。
そして、古典中国語をマスターするためには、
四書五経をはじめとする中華古典を丸暗記して、
いつでもフレーズを思い出して、書きだせるようにしなければいけなかった。
さらに、中国語特有の事情が加わる。
古典中国語には、「文法がない」という学者すらいるくらいで、
丸覚えしたフレーズを、パッチワークのように組み合わせて
間違いの無い韻文を作りだす能力が問われていた。
新潮だと科挙官僚と満人貴族が半々なんでしょ?
満人貴族の養子にでもなった方が早いんじゃないの。
北方の漢人は、もともと自分の宗族の外へ養子に行くのが珍しい。
満人貴族でも、当主や当主に近縁なものしか特権はなかったと思う。
満人の社会でも、氏族の違うところから来た者が当主になれたかどうかわからない。
官員になると役得があるので、個人の栄達は二の次で
その宗族の利益が優先される。
官員になるために、満人に養子にいくことは奇異だろう。
古典中国語に文法が無いとか、どんな電波だよ。
それに、どんな言語も丸暗記した語彙・フレーズを喋ってるだろ。
>>657 古典中国語が、文法規則があまりにも簡素すぎて、
言語として揃えるべき文法に足りないのではないか?
実は、極端な話「言語では無かった」のでは無いか?ということは、
中国語研究としては、古典的な説に属するんだけど。
要するに、漢文とは、パロール(口頭言語)を文字に起こしたものではなく、
文字が先行して、それを組み合わせることにより、意思疎通をした、
「知られている『絵文字の列』のパッチワーク」だった、
という考え方のこと。
最も先鋭的にこれを言うのは岡田説だが、中嶋説あたりも似たようなことを言う。
白河や藤堂も、漢字研究から、かなり近い線のことを言う。
659 :
世界@名無史さん:2009/11/15(日) 01:43:24 0
中国庶民の話し言葉は?
660 :
世界@名無史さん:2009/11/15(日) 03:57:57 0
>>659 話し言葉は地方によってバラバラ。
だから古典漢文が中華帝国の共通語になった。
中華帝国の官僚にとっては古典漢文は必須の実用知識。
詩経や易経があまりに簡素な文だからと言って、
官僚がそのフレーズのみを組み合わせて作文していた訳じゃない。
無茶苦茶な論理だ。
古典漢文と言うが、文言文は長い歴史があり、発展してきたものだ。
詩経や易経のような最古の文を持って、科挙全体、官僚の使う文言文
そのものの文法を語るのは、典型的なトンデモ論法だ。
日本の古文も枕詞とかよく分からないしな
たらちねの母とか?
ま、すくなくとも『漢書』の漢文読解知識じゃ明代のトウ案どころか『清明集』も読めないわな。
665 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 01:06:18 0
江戸時代の日本の漢学者がもしも清に渡航していたら、科挙に合格できるレベルだったか?
666 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 01:10:48 0
健訟(けんしょう)は、前近代中国で、訴訟が激しい状態を指す言葉。中国北宋代に生まれ、その言葉は現代日本の裁判判決文にも見られる。
清代の農民は、一生のうちに一度か二度は被告か原告になる計算だと言われるほど、帝政時代の中国農村は訴訟社会であったが、その多くは、不動産をめぐる争いであった。
南宋の裁判記録である『名公書判清明集』には、相続に絡む骨肉の争い、長期にわたる消耗戦的な訴訟など、生なましい光景が見られる。この健訟の背景として、地価高騰と訴訟コストの低減、
科挙による法律知識の普及で訴訟介入者が増加したことなどが挙げられる。
667 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 01:55:09 0
>>660 そういや李香蘭のこと日本人だと見抜いてた人がいたらしい
中国語(北京官話)がメチャクチャ上手いんだけど訛りが全くない
北京っ子の訛りもなければ満州人の訛りもないからって
668 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 02:13:20 0
舞台に出る人間はみな訛りがないように訓練させられているのでは?
669 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 02:14:05 0
科挙に合格して宮中に出仕する人間はみな訛りがないように訓練させられているのでは?
そもそも北京官話は文言とは全然別物だし…
671 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 12:28:12 0
665 :世界@名無史さん:2009/11/23(月) 01:06:18 0
江戸時代の日本の漢学者がもしも清に渡航していたら、科挙に合格できるレベルだったか?
荻ウ徂徠しか無理
672 :
世界@名無史さん:2009/11/24(火) 00:13:32 0
>>669 科挙で統一できるのは書き言葉だけ。
なまりは机上の受験勉強では矯正できないよ。
だから中国政治史では出身地閥の役割がでかい。
話が通じる者同士でつるむから。
まあ日本でも明治時代の藩閥なんてのは方言によって維持されていた面が
でかいと思う。
大久保利通の次男の牧野伸顕の娘婿になった吉田茂なんか
親戚の集まりでいつも疎外感を覚えていたらしい。
それが孤独に強い吉田茂のキャラを作ったんだよ(←嘘です(w)
673 :
世界@名無史さん:2009/11/24(火) 11:19:36 0
先に出世した=都の宮中言葉を早くに習得した同郷人脈の周りに後進が終結する?
最近までは中国共産党も客家語や湖南語ができる連中が終結してブイブイしてたのかな?
郷閥の力はでかいし、同じ出身同士で話すときは方言で話しただろうけど、
古典は音読・暗誦するものだから古典教育は共通語教育として大きな役割があったと思うよ
>>673 ミャオ族言語で、ひそひそ話ではないか?
676 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 16:23:45 0
科挙の試験って今で言う国語の試験を超特化しただけなんだろ?
理数系や経済学も盛り込まなきゃだめだよな。
677 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 23:35:52 O
そもそも理数系は発達してないし、
農業主体の経済に経済学は必要ない。
678 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 08:20:36 0
数学は試験科目に入っていた(六芸の一つなんで)。九章算術とかから
出題されている。さすがに金元四大家レベルのものは出題されなかったけど。
でも、理数系が高等文官試験で重視されるようになったのは世界でも最近(ここ100年?)
のことなんでは?
ヨーロッパで試験が始まったときは主要科目がラテン語とかだし。当初は
文系エリートが行政官の主体だしね。
ところが、フランス革命時にはカルノーやラプラスといった優れた物理・数学者が
軍人や政治家をやっていたりもする
フーリエも末期は、政治家だね
ニュートンも晩年は下院議員 -> 造幣局長官と政治家の道を歩んだし。
>>682 ニュートンの家は、代々錬金術師を陰の生業としていて(ry
改鋳して、インフレ気味にして、景気がよくなる効果があったみたいね。
>>682 フランスは、エコールポリテーク以前は、外科医経由で
理科系の学問をやり、経済政策考えて、政治家になるコースがあった。
フランソワ・ケネーの時代だと、そのコースだな。
685 :
世界@名無史さん:2010/02/02(火) 03:53:23 0