1 :
世界@名無史さん :
2005/05/27(金) 03:28:46 0 世界史板でいいんかな? 隋で始まり明で確立した超有名な官吏採用試験ですが細かいところが知りたいのだ。 試験科目とか。
2 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 03:34:17 0
3 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 04:35:34 O
昔、親書で出てる「科挙」を読んだら、受験の苦労がふっとんだよ。 あんな無茶な試験を受けろと言われても、間違いなく投げ出しますわ
4 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 04:36:36 O
>>3 あっ、親書じゃなくて「新書」だった。
科挙なら間違いなく不合格だわねこりゃ
,,, ,,,,,, いいかね
>>3 君・・・
_ = ~~ ``ヽ_,=''~´ ´~ヽ
r'ニヽ-、~ ヽ こぶしを上に上げて「かっ」
| 'ー' ノ、 ミゞ、 , -彡 ヽ 下に振り下ろして「きょ!」 だ。
|ー- イ ~=、、、Cl~evj <e~}6)_ 、、、ミ
| |,-ー ミ.~~ /', ゚ ;'7 ミ7ヾ~- 、 忘れてはいかんぞ・・・
| | ≡ (','゚, '.人 ゝ | ヽ
ヽ \\ `= `ー' iノ' | / |
`ー\\\ ~ーノノノノノ'′
| , ー―r―iノ´~ー、
ヽ l |__ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄
( ;´゚Д゚) 宮崎市定先生ー―――!!
c(,_U_U
_,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T | l,_,,/\ ,,/\
_ ∩
( ゚∀゚)彡 科挙!科挙!
( ⊂彡
| |
し ⌒J
司法試験よりは楽なんじゃないの
7 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 05:51:34 O
>>6 司法試験は受けたことないし、どっちがとか比べられるものでもないかもしれないが。
現代の試験制度では考えられないほどの精神的プレッシャーが受験者には
あったはずだ。宮崎センセの「科挙」、あれ面白いなあ。壮絶さが伝わる。
8 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 07:26:04 0
また支那一流の「ウソ、おおげさ、紛らわしい」の部類なんじゃないの?
9 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 08:05:08 O
>>8 それはあるかもしらんが司法試験など屁でもないほど困難なことは確かだろう
科目とかはともかく、狭くて火の気もない房に泊まり込みで試験受けるんでしょ? 気ぃ狂うよ俺なら
11 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 08:50:23 0
進士科に合格した人が「いやー難しい試験だったよ。」と言わなければ 自分の価値を上げられないだろ。
ところでいつの時代の科挙を中心に研究するん?
やはり殿試がある宋だな
14 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 15:02:28 0
まぁ試験そのものより親戚一堂の期待というプレッシャーが凄かったろうなぁ。
15 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 15:22:51 0
北京の大学で、有名なカンニング用の服の実物を見てきたけど、ありゃ凄い。 印刷したかのようなおそろしく綺麗な字が一面にびっしり。 字の大きさは5ミリくらいで、とても筆で布の上に描いたとは思えない。 「ていうか、おまえ職人になれよ」と思った
16 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 15:35:00 0
17 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 15:39:33 0
ショック! そんな職人がいたんだ!
そんな服まであるのか。知らなかった。ばれないのかな
19 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 16:12:32 0
ばれて捕まったからその証拠品が今に残っているのではないの?
>13 清代でも殿試はありましたよ。乾隆帝以後は形式化され、皇帝じきじきにお出まし と言うことはなかったそうですが。 >10 建物自体は三方が壁で2m四方ほどの空間でした。入り口に2mほどの長さの板をわたし 机兼ベッド、中に段差が作ってありそれを椅子にしています。 そのような部屋が5つくらい連なったものが1,000個ありました。現在は南京の貢院に 10ほどが残っています。 連続三日間続くので煮炊きをする道具、食料などの持ち込みは可能ですが、途中の差し入れ は原則できなかったようです。 試験期間は旧暦の8月初で南京では蒸し暑くて眠れない日々が続く頃ですから、雨さえなければ 寒いと言うことはありません。入り口に白布を下げて風を防ぐのは許可されていたようです。 南京にある科挙の試験場跡が博物館になっていてそこには靴底に『十三経』を書き込んだものや 筆の軸に仕込んであったというカンニング用紙やらが展示してありました。 >14 一族よりも出身地全体のプレッシャーも凄かったようで南京近郊の農村に行ったら挙人XXの生地と 言う碑が立っていました。
清末はカンニング事件が相次いだという話を聞きました。 清史稿などの公の記録文書より民間の雑記にはそういう話が多くあるとか。 カンニング用の服も持ち込んでしまえばあとはこっちのものって感じらしいです。 科挙には疎いので私にはよくわからんのですが。スイマセン
22 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 20:27:45 0
>>16 ガイドさんの説明によれば自分で書いたっぽい
宮崎市定氏の科挙で取り上げられてる豆本は四書全書注となっており、 明らかにカンニング用の書籍があったことを物語ってると思うけど。 カンニング用に字の書き込まれた下着は京都の藤井有林館蔵となってるから、 いつか見に行きたいな〜。
基本的に暗記だけでしょ 司法試験や会計士のように、計算や思考能力が試されないのなら 楽なんじゃねえのか
カンニングで捕まると逮捕ですか。刑罰はありますか
基本的に科挙をうけるくらいの香具師は 経済面や時間の面では特に不自由の香具師ばかりだったと思うが 今ほど、予備校やらテキストやらが充実していたわけではないし やはり難しかったと思う
27 :
世界@名無史さん :2005/05/28(土) 02:19:12 0
暗記だけじゃないぞ。音楽や絵画や現在で言う物理らしきものなどもあったらしい。 音楽では作曲や作詞とかやってたらしい。
台湾(中華民国)では今でも考試という名で科挙をやってますよね そのための政府機関が考試院。立法・司法・行政・考試・人事で五権分立だと申します
29 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 03:43:25 0
試験科目は? 英語ねえだろ? 数学はあんの?
30 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 05:19:24 0
太平天国の洪秀全は科挙に落ちまくったショックでデムパになってしまったとか。
31 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 08:34:10 0
英帝や仏国が大砲をもって攻めてきたときに、科挙に合格したような官僚が 一生懸命支那でしか通用しない考え方で対応したら、 見事大負け、ここに大国清はホロン部。 しかし、その官僚主導の政治は日本などに引き継がれ、 相変わらず科挙まがいの国家公務員試験T種合格者が幅を利かせている。
32 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 10:31:14 0
科目が知りたい
33 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 10:32:39 0
これからの国家戦略を述べよ、 という項目はあったらしいよ。
>>25 昔読んだ歴史小説では、カンニングをしたらその場で首を切られる、
とあったけど、小説だから本気にするわけに行かないし。
35 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 13:04:35 0
科挙は文系の問題だけなんだろ? だから重工業や科学技術を発展させた 西洋文明にいとも簡単に敗れた。
36 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 13:08:41 0
選挙
37 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 13:29:39 0
科挙廃止以降の清国や中華民国、中華人民共和国の官僚採用制度が知りたい。
38 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 14:22:19 0
キョウキョリセン キュウホンチュウセイ
39 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 14:32:02 0
以前あった「【ネタ】打倒−科挙− 」というスレから過去ログから再録します。
29 :あやめ :02/11/26 17:18
>>9 過去問キボウということですので、光緒二十四年戊戌科の會試題目を紹介します。
この年(1898A.D.)は例の戊戌政変があったことで記憶されています。
會試は3年1回(丑・辰・未の年)挙行されます。応試資格は前年の郷試合格者(擧人)
中から予備試験(覆試)で篩い残された者です。乾隆初年に試験期日は例年三月中の
3ヶ日です。当初は二月だったのですが陰暦二月はまだ寒いので、乾隆帝の思召しで
ずらしたんだそうです。
試験は3場に分けて実施します。即ち三月九日(第一場、四書題・詩題)・十二日(第二場、
五經題)・十五日(第三場、策問)で、各場とも前日に入場し翌日に答案提出、入場時には
厳重な身体検査があります。
會試は水準試験で及第定員というものはありませんが、最多が406名で最少が96名でした。
合格発表は四月十五日までに禮部の門外に貼り出されます。
これから合格答案の再チェックがあり、更に殿試のための予備試験があり合格者は殿試の
受験資格を獲得し、引続き四月二十一日の殿試に臨むことになります。
40 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 14:34:16 0
32 :あやめ :02/11/26 18:25 さて戊戌科の題目ですが何しろ試験問題なので、読下しにせずそのまま書くことにします(笑) 第一場 欽命四書題 子曰放于利而行多怨子曰能以禮譲爲國乎何有不能以禮譲爲國如禮何 不誠無物 所以動心忍性曽益其所不能 欽命詩題 賦得雲補蒼山缺處齊(得山字五言八韻) 第二場 五經題 君子以除戎器戒不虞 厥貢キュウ(謬の言偏を玉偏に代える)鐵銀鏤ド(奴の下に石)磬熊羆狐狸織皮 吉日爲戊 叔孫豹會晉趙武楚屈建蔡公孫歸生衛石悪陳孔奐鄭良霄許人曹人于宋 命大師陳詩以觀民風命市納賈以觀民之所好悪
41 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 14:35:48 0
36 :あやめ :02/11/26 19:15 四書題については三問を、五經題については五問を出題するのが常例となっています。 四書題の第一題は「論語」、第二題は「中庸」、第三題は「孟子」から出されています。 「論語」と「孟子」からは必ず出題され、「大學」と「中庸」はどちらかが出ます。 「大學」を出す場合は第一問に、「中庸」の場合は第二問に置きます。 五經題の第一問は「易」「書」「詩」「春秋」「禮」の順で出題されています。 詩題は五言八韻唐律を一首だけ作らせる例となっています。
42 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 14:44:43 0
37 :あやめ :02/11/26 19:48
訂正
>>29 會試は3年1回(丑・辰・未の年)>會試は3年1回(丑・辰・未・戌の年)
>>36 五經題の第一問は「易」>五經題は「易」
43 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 14:48:59 0
46 :あやめ :02/11/27 17:46
>>36 続きです
出題文が千数百字もあって書ききれません、1題5問の構成なので4問を省略します。一応改行しましたが原文は段落も句読も無しのノッペラボウです。
第三場
策五道
問(經義と治理の関係)
問(修史)
問(教化)
問(軍制)
問貨布刀泉起于上古權衡百物儼與布帛菽粟同爲日用之需是以歴代相沿各有制造錢
之輕者有楡莢コウ(草冠に行)葉鵞眼エン(糸偏に延)環四銖三銖二銖沈郎諸名錢之
重者有當三當五當十當三十當百當千諸名能考其時代與當時奉行之利弊歟周景王鑄
大錢有諌之者漢文帝鑄半兩錢亦有諌之者能知其意旨歟錢法之壞莫患乎私銷私鑄欲
杜其弊何爲善策唐有飛錢宋有交子會子金元皆有交鈔其行用之法如何能使國用富實
財貨流通歟夫農桑衣食百工器用生民所資爲生也金銀錢幣不可衣食而國恒視以爲貧
富其故何歟古時錢幣少而國恒有餘後世錢幣多而國恒不足其故又何歟方今中外通商
財貨流溢欲使民物康阜府庫充盈果遵何道歟
44 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 15:04:28 0
乙。 0点だな俺orz
ふむ。これは台湾で教えておったご老人から聞いた話 の伝聞なので、清末だけのことかも知れんが、科挙の 受験勉強を子供の頃にさせられた支那のインテリの話 として、科挙の答案というものは内容が正しければよい というものではなく、文字が美しく、文体が八股文という 独特の形式に沿っていることが重視されていたとのこと じゃった。 そのご老人の教えた中の支那人の優等生の答案という のを見せてもらったが、堂々とした楷書のペン字で一画 もゆるがせにせず、見た目にも実に立派な答案じゃった。
46 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 15:43:03 0
第三場第五道の策問については過去スレでは原文だけ出しておきましたが、本スレでは 一応の書き下し文を出しときます。 問ふ、 貨布刀泉は上古に起り、百物を權衡し儼として布帛菽粟と同じく日用の需と爲す、 是を以て歴代相ひ沿ひ各の制造有り、錢の輕き者に楡莢・荇葉・鵞眼・綖環・四銖・三銖・ 二銖・沈郎の諸名有り、錢の重き者に當三・當五・當十・當三十・當百・當千の諸名有り、 能く其の時代と當時奉行の利弊を考ふる歟 周景王の大錢を鑄るや之を諌める者有り、漢文帝の半兩錢を鑄るも亦た之を諌める者 有り、能く其の意旨を知る歟 錢法の壞るるは私銷私鑄より患なるは莫し、其の弊を杜がんと欲せば何をか善策と 爲すや 唐に飛錢有り、宋に交子・會子有り、金元には皆な交鈔有り、其の行用の法は如何、 能く國用をして富實に、財貨をして流通せしむる歟 夫れ農桑衣食百工器用は生民の資りて生を爲す所也、金銀錢幣は衣食す可えからず、 而して國恒は視て以て貧富を爲す、其の故は何なる歟 古時には錢幣は少くして而も國恒は餘り有り、後世には錢幣は多くして而も國恒は 足ず、其の故は又た何なる歟 方今は中外の通商に財貨は流溢す、民物をして康阜に府庫をして充盈なら使めんと 欲せば果して何道に遵はん歟
47 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 15:52:36 0
御覧のように経済問題が出ています。「國恒」という単語が出てきますが今のGDPと といったところでしょうか。
48 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 15:54:37 0
文系のみじゃんw四書五経の暗記で大砲に勝てるわけがない。 支那って文系バカ。
49 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 15:58:46 0
44 :世界@名無史さん :02/11/27 00:08 >29 あの、すみません、会試(の予備試験)の受験資格って いちど郷試に合格すれば終身あるのではなかったのですか? 45 :あやめ :02/11/27 15:41 >44 會試に応ずる資格は擧人に終身保証されています。しかし実際に會試を受けるためには 「磨勘」と「覆試」の2関門をパスしなければなりません。これは「郷試」が確実に 受験水準に達した人物を選抜しているか、事後チェックするために採用された手続きで、 場合によっては擧人としての身分そのものを失うこともあります。 磨勘は會試受験者の郷試の合格答案を細かくアラ探しをすることです。御存知でしょうが 科挙の答案には煩瑣な制限規定ががんじがらめになっています。ある答案に「衣鉢」という 語を用いたところ、磨勘で佛教用語を交えたのが不相当と咎められ、擧人身分のみならず 元来保持していた「訓導」や「歳貢生」の資格まで取り上げられてしまったそうです。 もっとも清末には大分緩やかになって罰銀で勘弁してくれるようになったそうです。 覆試は予備試験で試験管の収賄事件から清初から行われるようになったそうです。 後年になると実質上は受験人数を制限するため機能していたようです。覆試の成績は 4等に振り分けられ、一二三等は會試を受けることができますが、四等ともなると 罰として1科または数科を停止され、よっぽど酷ければ身分を奪われることもあり、 遠路から受験するため期日に遅れたものには補試として、會試と一体に覆試も実施 していましたが、それにも失期した場合は會試が受けられなくなります。なお3年に 1科挙行される覆試を3回受けないでいると永遠に會試の受験資格を失ってしまいます。
50 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 16:03:11 0
世界史にはまるのも文系人で、とりわけ支那史がすきという人間は 数学が苦手。多分。
51 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 16:04:22 0
儒教は確実に文明を衰退させる。 支那や朝鮮しかり、日本しかり。
52 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 16:06:21 0
いけない! 「試験官」が「試験管」に誤変換してる(A^^; こういうのは即落第です(><)
53 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/29(日) 16:08:57 0
支那の大学者はみんな数学が得意でした。顧炎武しかり、沈括しかり。
54 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 16:36:34 0
日本史のややこしい人名を覚えられなくて世界史に逃げてきたわけだが どっぷりはまっちゃった。かくいう俺も数学好きだぞ。中国史は嫌いだが。 蒋介石以外はだめ。蒋介石最高。
55 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 17:10:05 0
>53 数学が得意というレベル以前に、六藝のひとつじゃん 詩・書・礼・射・御・算、君子の必須科目というか教養・技術
武人の科挙は、明朝史を全く面白味が無いといいながらも必死 こいて研究した宮崎さんでさえもが、武人は戦場での叩き上げ たキャリアこそと、武人の科挙など取るに足らぬモノとして殆 ど一蹴してる点が可笑しかった。
>>48 笑っちゃうね
ここに居る連中の殆どは、理系が嫌いで逃げてきた史学科のウンコどもでしょ?
オマイラに、科挙を馬鹿にする資格はない。
あるいは、お前らも末期の文型の清国官僚たちと同様、全く日本社会の役に立たない存在ということだな
文系は理系を見下し 理系は文系を見下す。 不毛すぎないか?
>>56 軍部の士官養成機関が機能している近代国家では、
たとえ100年以上戦争がない国でも、軍人候補として優秀な人材を選抜する制度があるわけだが。
http://www.sinorama.com.tw/jp/9705/705008j3.htm 実際、中国では昔から文武は別の道とされてきた。民間の歴史学者林漢章さんは『中国の科名』という本を引用して、
昔は武挙(武官を採用する試験)も弓の技術や石を持ち上げるなどの項目だけだったと言う。
清朝の武挙では武経を書くという試験もあったが、受験者の多くは文盲で十中八九は人に頼んで書かせ、試験官も
それを黙認していた。
「万般は皆下品にして、ただ読書のみ高し」という観念の下では、武科挙はあっても重視されなかった。戦争のない
平和な時代には武秀才には仕事がなく、強い肉体を利用して賭場を開いたり、強盗をはたらいたり、高利貸などになる
人もいた。
もっとも、実質実技オンリーの試験内容だし、指揮官に科挙出身の文官がつく制度だし、
武科挙は下士官選抜試験なんだろうなぁ。(それにしても、レベルが低すぎだが)
60 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 21:01:59 0
科挙での殿試を最初に行ったのは北宋太祖なのか武則天なのか判別したい。
61 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 21:52:44 0
>45 >科挙の答案というものは内容が正しければよい というものではなく、文字が美しく、文体が八股文という 独特の形式に沿っていることが重視されていたとのこと じゃった。 そうなの? 不正を防ぐために、答案を全部写しなおすというように聞いていたが。
62 :
61 :2005/05/29(日) 21:57:08 0
説明が足りなかったな。 つまり字体から、誰の答案かがわかると、採点者が手心を加える可能性があるために、 答案を書き写す係りの人がいて、全部書き写したように聞いているが。 試験の段階で違うのかもしれないけどな。 伝聞じゃなくて、なんか説明するなら、宮崎市定先生の「科挙」くらい調べないさいよ。
63 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 22:58:35 0
内容云々のはなしは、一定の形式にのっとっていないものはその時点でボツってことです。 いわゆる八股文にのっとっていないもの、詩文の韻が正確でないものはその時点でアウトなわけ。
件のカンニング下着は現実に使われたものかは、何かに付けて コマーシャルなお国柄なだけに眉唾モノ。 1000%そうだとしても、だから何?と言える中国史好きでありた い。 …つうか、こんな書き込みもどうでもいいか。
司馬光や王安石のような学者政治家を生み出したのも科挙なら、 新法旧法の泥仕合を続けるような連中を生み出したのも科挙なんだな。
66 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 00:29:16 0
>65 それは少しく見当違いでは。 あの広い中国のなかで、定期的にエリート認定試験やってれば優秀な人物が引っかかる。 むしろふるい落とされた人物も有能な人物がいたかもしれない。 まぁ歴史のイフはナンセンスだが。 宮崎先生も言っておられたが、試験で優秀な人物を獲得するにはおのずと限界がある。 むしろ、士大夫という存在が建前上にしろ有徳かつ有能な政治家であれ、といった倫理なり理念を広範に広められたという点では、 おそらくもっとも巧妙な国家装置ではなかったかとおもう。
67 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 06:43:09 0
支那の話は大げさすぎて信じるのに抵抗が・・
68 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 08:45:59 0
ちまちまとした話なら信じるのかね。
69 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 08:53:03 0
歴史は推理ですよ。
70 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 09:16:43 0
ほー、ほ科挙
71 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 09:22:08 0
歴史学者には二つのタイプがある。 一つは文字しか信じない人。 もう一つは文字から推理する人。
書呆人という言葉が中国にあったそうで、 科挙的な知識は現実には役立たない認識はあったようだ。
73 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 10:28:11 0
官僚主導の政治だと、どうしても↑のように視野狭窄に陥り、 他国に負けてしまう。 官僚は四書五経の暗記よりも、臨機応変な働き方を重視すべきだった。
74 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 11:38:13 0
>73 そんなことは、何百年も前から中国では議論されてるよ。 弊害を現在の価値観からつらつら並べるよりも、弊害が指摘されながらも、何ゆえこのように長期間維持されたのかを議論するほうがよっぽど生産的ではなかろうか。
75 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 11:39:41 0
儒教批判で落ち着くと思われ
76 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 13:51:48 0
科挙受けてやっと役人になったヤシが廃止に反対したからじゃねーの?
77 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 14:01:46 0
「役人」で一把一絡げにしないで「官」と「吏」の区別をしようよ。
諸子百家とかって、一見読んだだけでは役に立たないものが多くて いざって時にすぐ引き出してこれるように、暗記しなきゃ意味がないような印象。
79 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 14:03:32 0
科挙なんて結局のところクイズ王だし
80 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 14:25:28 0
子曰く、学んで時に之を習ふ、亦説しからずや。
81 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 14:28:37 0
↑クイズ王出現w
82 :
80 :2005/05/30(月) 14:48:06 0
これしきをクイズとは・・・ 学校で何を勉強してきたんだや?
83 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 16:16:36 0
お前はアタック25に出るためなんだろ?正直に言えよ。恥じることじゃない、 ここにいる奴はみんなそうだ。
84 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 17:57:51 0
なにそれ?
85 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/30(月) 18:00:55 0
>>55 士人の教養としての算術と学者の数学とは同日に談じられるものではありません。
>>60 武后の場合は天授二年に貢士を洛陽で殿試していますが、例によって思いつきというか気まぐれと
言うか1回こっきりです。宋の太祖の場合は開寶六年に講武殿に御して覆試を行い以来これが常式と
なったものです。この前年に太祖が進士を召見した際にボロを出した者がおり、考官に情実があった
疑惑が露見してしまい、天子の御前で下第者を含め覆試することになったのです。
86 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/30(月) 18:09:08 0
>>62 「謄録」も宋の祥符八年に始まったものですが、明清代には郷試と會試で実施されています。
87 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 18:10:35 0
あやめって女コテ?
>>87 君がこの板に来たばかりの人間だということだけはわかった。
89 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 18:43:53 0
あやめってぶっさいくなメガネ年増コテだよ。
90 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 18:44:37 0
>>88 この人はあやめに掘られた道程クンだから気にしないでネ
あの国は言語が多数存在するうえ、漢字表記による文書には文法がない。とにかく コミュニケーション不全の国。とりあえず文書の定型は四書五経とされ、それを元に 文書を作成できる者が帝国の政治には必要だった。 というのが岡田英弘説の要約ということでOK? ダメなら補足してちょ。
92 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 20:19:25 0
満州人用の科挙もあったと思うけどドウなの?
清代ジュルチン族には特別に貴族制度があって給料を保証されてたんだけど、 やっぱり科挙を受けて挙人にならないとみっともないって、科挙を受けてた。 結局は巨額の学費が出せるか否か問題だからね。
94 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 23:05:59 0
しかし、科挙そのものは先進的だったと思うよ だって、中国は宋時代には、近代的な官僚採用試験を行なっていたわけで 西洋だって本格的な官僚制が成立するのは近代にはいってから、しかもそれすら前近代的な家産官僚制でしかなかったわけで そう考えると、中国は西洋より千年早く、近代的な官僚システムを導入させたことになる。
千年も続けばどんなシステムも腐敗するわな。 むしろ古代のシステムが原型をほとんど留めたまま、20世紀でも通用してたという事に 驚くべきなんだろう。
96 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 23:47:50 0
>94 なんか表面的な議論ですね。 科挙改革案や反対派の言説に沿って分析した上での議論でなければならないとおもう。 『明夷待訪録』ぐらいは読んでるよね?
>>96 こ、このスレの人たちって本職は何ですか? 挙人?
このスレに書くには郷試にパスしなければならないとか?
98 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 00:45:34 0
>>97 >こ、このスレの人たちって本職は何ですか?
答:読書人
99 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 00:47:26 0
>>97 童試にすらパスできないでしょう。
100 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 01:07:04 0
ベトナムや朝鮮の科挙は制度に独自色などはあったのでしょうか? 中国の歴代王朝の制度に合わせていたのでしょうか。
朝鮮では中国と違って受験資格が家柄で制限されていたんですよね。
102 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 01:55:15 0
朝鮮の科挙制度については、『春香傳』にリ・ムリョンの受験のことが描かれてます。
じつは、日本でも寛政の改革のとき、科挙に習って幕臣限定で登用試験をしたことがあったりする。 このとき旗本の部、首席は遠山景晋(遠山の金さんの父)、 御家人の部、首席が大田覃(太田南畝、蜀山人)。
104 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 04:21:30 0
中国以外の官僚は特権階級に限定されることが多く、えてして家産官僚制に過ぎなかったと思う 日本の旗本なんて、典型的な家産官僚でしょ
105 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 17:34:32 0
中国も家産官僚では?
106 :
92 :2005/06/01(水) 17:36:34 0
>>93 満州語で受けることができると聞いたことがあるので聞きました。
107 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 17:51:48 0
「家産官僚」より「家産貴族」というほうが適切では?
108 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 18:22:34 0
それだと、宗室の扱いはどうなるの?
109 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 18:33:59 0
ここで中国の批判してるウヨはきもいなw
>>103 これは昌平黌における学問吟味という制度で、ずっと幕末まで続いています。榎本武揚も
これに及第しています。この試験を突破した者は小姓組または書院番に採用されます。
いわゆる御番入りです。
また勘定方の役人の出世コースとしては、支配勘定の吟味というものがあって、これは
「泰平時の戦場」と言われた激烈な試験だったようです。これを突破して昇進の端緒を得た
人物に川路聖謨がいます。
111 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 21:25:46 0
宦官はどうなの。偉いのか?
112 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 00:48:22 0
偉いというのはどのレヴェルをさすのだ? 権力に近いところにいるという立場上、世間で「奉られる」存在という意味では偉いといえる。
113 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 20:17:07 0
称号もいろいろあったようだけど(買官も含めて)どうなの?
114 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 01:59:44 0
今の日本で「東大生の親の年収が日本一高い」ってのと同じ。もしくはそれ以上。 あれほどの難関を突破するにはとんでもない財源が必要だろ。 あの面子社会の「科挙開元」の重みはすごかっただろうな
115 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 14:39:02 0
科挙なんてすごくねーよ。イギリスの大砲に四書五経の内容で立ち向かおうとするくらい 現実離れの非常識人を大量に輩出した人材登用法じゃねえか。
116 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 15:09:20 0
ん、いいこと言う! それを隋の文帝、煬帝、唐の高祖、太宗のうちの誰かに上申してくれ。
科挙がなくなると縁故採用、貴族政治への罠が
>>114 状元出身で大成した人はあんまりいないらしいが・・・。
>>115 核ミサイルに憲法九条の内容で立ち向かおうとするくらい現実離れの非常識人を
大量に輩出した人材登用法を採用している国の国民が文句を言えた義理では無い。
B29に竹やりで(ry
121 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 01:12:14 0
>>114 文天祥みたいに「科挙開元」の重みで走るやつが出れば十分だろ。
永楽のころから「開元はコネ」風潮が発生している。2・3席が「実質最優秀」。
現在の日本の国Tでも「首席」はでかい。
122 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 01:51:20 0
>>117 紅楼夢なんかだと、買官して、途中の試験を飛ばしているけど。
123 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 01:25:26 0
本当に優秀で翰林院では皇帝に重用されていたのに、殿試のときになって 雍正帝が「こいつ状元にしたら贔屓したって皆が疑うんじゃないか?」と 余計な気を回したせいで三等に落とされたことに絶望して 官僚から歴史家に転向した清の天才歴史家、趙翼なんかはどう?
124 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 17:14:58 0
>>123 戦災を受けた地域の出身者を優遇するために入れ替えたのでは?
暗記教科ばっかりだと逆に苦痛だよ。 公式覚えて計算するほうが楽。 科挙って、文頭の●がない箇所はどこかとか、 受験者を振るい落とすためにへんな問題だしてたんでしょ。 本当にいやらしいね。
126 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 23:17:13 0
結局受験生が多いんだから、何が楽なのかは個人差あるだろうなあ。 暗記教科だけだとダメなのは事実だろうが…単に公式つーのも一種の新たな暗記かもね。
127 :
世界@名無史さん :2005/06/10(金) 14:25:38 0
数学も公式の暗記と機械的な当てはめでそこそこの成績までいくのでは?
128 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 06:20:26 0
武科挙はチョー低レベルという思い込みは、捨てたほうがいいかも。
464 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/22(水) 22:16:54 0
>>459 >武試出身の高官はほとんどいなかったようです
確かに武科挙出身の高官(高官の定義にもよりますが)が至って少ないのは事実ですが、
殆ど(ほとんどの定義にもよりますが)いなかったわけでもありません。
清朝初期には武科擧出身者の任官については、清初では第一甲第一名(武状元)は參將
(正三品)、第一甲第二名(武榜眼)は游撃(從三品)、第一甲第三名(武探花)は都司(正四品)、
第二甲は守備(正五品)、第三甲は署守備に補する定めでした。「署」というのは「取扱」と
いった臨時の発令です。康煕年間からは武科挙出身のうち上位の及第者は先ず侍衛に
任じてから外官に補する例になったようです。即ち第一甲第一名は一等侍衛(正三品)、
第二第三名は二等侍衛(正四品)、第二甲第十名までは三等侍衛(正五品)、第三甲第十六名まで
藍翎侍衛(正六品)とされています。因みに正三品は文職の京官では都察院副都御史・通政使・
大理寺卿、文外官なら順天府尹・按察使といったところに当たります。文試の状元は初任の
翰林院修撰が從六品ですから、武試の任官が信じ難いほどの優遇と言ってよいでしょう。
129 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 06:20:51 0
465 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/22(水) 22:19:50 0 問題はその後の昇進がぱっとしないことでしょう。清朝一代の武進士8000人のうち武状元 109名、このうち從一品の提督まで昇った人をざっと数えてみると19名が挙げられます。 總兵(正二品)副將(從二品)は数知れずといったところですから、文官に比べると少ないながら 上位及第者はまずまずの地位まで行ってるようです。 最も出世したのは康煕三十九年の武状元の馬會伯で、雍正三年に貴州提督・署雲貴總督に 翌年に四川巡撫、同六年に湖北巡撫を歴任したあげくに、翌年には兵部尚書と武職の極官に 至っています。これは彼が軍務や行政での手腕により雍正帝から「儒將の風有り」と褒誉され、 大変なお気に入りだったためですが、やりすぎて最後には天子の旨に違い遂に雍正八年に 革職されてしまいました。なお兵部尚書は從一品官ですが文京官ですから武外官の提督より 格上と言えるでしょう。 次が康煕三十年の武状元の張文煥で、同五十二年と六十年に雲貴總督に再度に亘り任ぜられ、 また同年の武探花であった韓良繧ヘ廣西巡撫に任ぜられています。なお清代の總督の品級は 正二品で巡撫は從二品ですが、兼職として總督・巡撫はそれぞれ兵部尚書(從一品)兵部侍郎 (正二品)の肩書も持つ例ですので、これも總兵・副將と同格ではないのです。 変っているのは乾隆五十五年の武状元の玉福で、乾清門侍衛から嘉慶十三年に内閣學士に 遷り、同十九年には理藩院左侍郎に任じられています。乾清門侍衛は宮内武職の最高官で エリートコースと言ったところです。内閣學士は從二品で部院侍郎は正二品です。
130 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 07:48:26 0
科挙には問題ありまくりだった。中国国内ですら、改革派が問題意識を持っていた位だからな。 これは事実。 そして、それが現在日本にまで引き継がれているのも事実。 日本の国T、都道府県上級試験、および官僚制度って見方によっては科挙等に酷似してないか。 ま、そんな日本でもある程度機能しているのも事実だから、科挙も有効に機能した時はあったん だろうが。 未だに官僚制の陥穽の克服は難しい。正に千年に渡る呪縛。
131 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 10:19:36 0
武科挙出身者であまりにも読み書きが下手だと昇進は難しいかもしれないけど 実務がこなせるレベルであればどうにかなるようですね。 ほかのスレでも書きましたが、騎馬関係の科目は、武官の再生産につながる ような気が?
132 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 10:31:36 0
>>130 日本の高等文官試験が科挙制度直輸入だとは思わないようにしようね。
133 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 10:49:37 0
>>130 ドイツの学制やイギリスのインド高等文官制度を参考にしたのでは?
135 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 12:06:05 0
>>133 フランス。
フランス革命以降の内乱を経て、貴族の没落と行政需要の激増による官僚の
質と数の不足に悩んでいたナポレオン3世の政府が中国の科挙制度を知り、
フランスの国情に合うよう改変してスタートしたのが高等文官試験制度。
それをさらに欧米各国や日本が自国に導入、日本での高等文官試験となる。
特徴は官としての身分と職を分けたこと。
試験に合格した人が天皇から「官」として任ぜられ、その上で各省庁などに職を得る。
「吏」はその官が職責を分担させるために採用する。
さらにその下に「吏」が雇う「雇員」がいる。
以上、戦前の官吏制度。
>>135 しかし、そのフランスはシナの科挙を参考にしたのでは?
フランスの百科全書派はシナ思想の影響を受けていると聞いたことあるよ。
失礼 ちゃんと「中国の科挙制度を知り」とあったね
138 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 19:04:49 0
試験成績で出世が大きく左右される(と言われている)ところとか、 キャリア組とノンキャリア組、場合によっては専門職との区別とか、 科挙とは違うけど各任地の平均年数が3年とか、若い内は地方回りを させられることとか、結構似てる気がするな〜。 今の日本の公務員制度も問題ありまくりだよね。 筆記試験による選抜というのが、もう時代遅れかもしれない。 民間は面接オンリーとかも多いし。
>>138 民間では有資格者にペーパーテストする必要はないからね。
結局、官や半官もコネ重視だから、一緒じゃないかな?
科挙は宋代に学校制度をテスト導入したのを倣って、
司法試験も学校制度(ロースクール)を導入したけど、
旧来の司法試験を並列させたり、
ロースクール卒業者の法曹関係への進出率を抑えたりと、
宋代の失敗の轍を踏まないか心配だよ。
140 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 21:15:01 0
筆記試験と面接とで、どっちが公平に選べるかというと・・・
141 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 21:16:10 0
142 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 21:50:28 0
国家一種試験は東大絶対主義が完璧を通り超えて素敵にオワットル。 時代遅れな貴族制度は廃止して国家二種に統合した方が良い
>>141 さん
今更、kleros!?…いいかも。
144 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 22:57:00 0
国Tに合格できない人たちのスレはここですか? 所詮、吏どまりの人が官を羨むとは寂しいな。 あ〜あ、盆暮れの付け届けが今から楽しみだぜ。
騙るなよ
>>144 キャリアの人は予算、決算、重要な国際会議前には「帰れない」生活を送っているぞww
146 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 23:29:10 0
嵐はおいといて、国家一種、二種とか、地方の上級、中級、初級!とか
って存続させるべきなのか。それこそ、現代の科挙そのものと言われた
司法試験は改革しようとしてるようだけど、こちらの方はほとんど手つかず
だと思うが。
>>138 個人的には良いこと言うと思うよ。
言われてみれば似てる面はあると思う。良くも、悪くも!
千年前から積み残した問題もありそうな気がする。
147 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 23:32:09 0
大日本帝国で勝手に挑発に乗って戦争おっぱじめたのも官僚なら、 支那清朝でイギリスにコテンパンにやられたのも官僚制度なのにね。
148 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 23:36:57 0
しかし、いかなる国家であろうと官僚がいなければ 運営は不可能に近いのも事実。 ただ、官僚を批判するだけでは不毛。 外国旅行すれば(行く国によるとも思うが)日本の官僚がかなり マシ、というか宝物に思えてくるのも事実。
149 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 01:15:17 0
ラインとスタッフを分けるしかないのかな?
150 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 01:34:39 0
あやめ氏の話を聞く限りでは武科挙が立身のために一番効率が良いような気が する。
151 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 09:46:21 O
タマヌキが出世の早道
152 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 10:47:44 0
>>151 下っ端は食えなかったらしいですが?
その点、武科挙はそれなりの官職に付ける様だし。
153 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 12:40:29 0
154 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 17:48:20 0
アメリカって官僚制度なの?
155 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 18:43:29 0
いわゆるお役所仕事は結構ひどいらしいよ。
>>154 アメリカは猟官制度。
選挙のときにお金を出した人が出資額に応じたポストに就けるシステムなの。
日本のように一度テストに合格した人間が官僚ポストでふん反り返らない反面、
政策がプレッシャー団体に左右されやすいデメリットがあるの。
官僚が入れ替わっちゃうから、
政権交代のときにホワイトハウスで嫌がらせとかがあるの(藁
157 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 21:33:12 0
いつの間にか科挙から、日本の官僚をどうするかって方に話がシフトしてしまっている。
古くて新しい問題だから仕方がないが。
>>156 それはマジですか。それだったら、個人的には日本の方がまだマシに思える。
158 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 21:37:48 0
>>156 官僚の「官」のほうはそうだが、「僚」はそれぞれの仕事の専門家。
【楽して】 【がっぽり】 /\ \ | ∩∩ 現 業 の 春 は こ れ か ら だ ! V∩ (7ヌ) (/ / / / ∧_∧ || / / ∧_∧ ∧_∧ _(´∀` ) ∧_∧ || \ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄ ⌒ヽ (´∀` ) // \ /⌒ ⌒ ̄ヽ、公用車 /~⌒ ⌒ / |清掃工場 |ー、学 校 / | 運転士 //`i 給食の / |浄 水 場| |用務員 / (ミ ミ | お ば | | | | | / \ |ちゃん | | | ) / /\ \ | ヽ / ノ | / ヽ ヽ、_/) (\ ) ゝ | | | | / /| / レ \`ー ' | | / ・年収1200万 ・年収1100万 ・年収900万 ・年収850万 ・俺たち、中卒・高卒・高専卒のトップエリートですが、何か? ・1日 実質3時間 の 超長時間労働 ですが、何か? ・年間 実質180日 の超過酷な勤務ですが、何か? ・風呂・サウナ・仮眠室つきの 劣悪な 労働環境で耐えてますが、何か? ・業務内容は、バイトさんでも習得に1ヶ月はかかる程の 超高度専門技術職ですが、何か? ・庁舎や便所のそうじは当然民間委託。俺たちトップエリートは 庁舎や便所のそうじなんかしませんが、何か? 現業は影の最強勝ち組ですが何か?
161 :
世界@名無史さん :2005/06/25(土) 03:53:19 0
へえ・・猟官制度なんてはじめて聞きました。メモメモ・・・。
>>161 日本でも大正時代に猟官制度がとられていたと聞いたら驚くかな?
ちなみにアメリカの猟官制度(spoils system)はジェファーソン大統領が始め
リンカーン米大統領に至っては、1639の公職のうち1457を勝利品(spoils)として分配した。
しかし、第20代ガーフィールド大統領が選挙協力の見返りとして期待していた官職を得られなかった男に狙撃され、
2ヵ月後に死亡。さすがにやりすぎだという声が上がり次のアーサー大統領が競争試験による有能な人材の
確保を狙う連邦文官任用法を制定し、猟官制度と併用しながら、下級職員から徐々に上級職へと広げて
現代に至っている。たた゜し「猟官制度は民主主義において不可欠」という考え方が根強いので無くなることはない。
で、猟官制度のメリットは、民間からの優秀な人材登用、前例主義に陥らない組織の活性化等があるが、なんといっても
バ カ や ミ ス し た 奴 は 即 ク ビ に で き る 。 これだね。
163 :
世界@名無史さん :2005/06/25(土) 09:25:18 0
spoils system これは聞いたことあります。なるほど。 ニポーンの猟官制度についてご教授くださいよ。
164 :
世界@名無史さん :2005/06/26(日) 11:46:42 0
日本の猟官制は日本史板の 政友会vs民政党スレの方が詳しいことが聞けるんじゃないか。 選挙に関係ある警察関連のポストが自由任用だったらしいし、 政党政治が腐敗の温床とみなされていった原因の一つではあったでしょう。
165 :
世界@名無史さん :2005/06/26(日) 11:48:25 0
>>153 高畑書店でなく中文出版社か…世の中、そんなもんかな?
166 :
世界@名無史さん :2005/06/26(日) 14:39:43 0
アメリカは最近まで大使、公使も買官でした。
167 :
世界@名無史さん :2005/06/26(日) 14:43:16 0
科挙に話が戻りますが、買官、恩位により官職を得た人間に進士及第や出身 同出身などの学位を与える裏技はあったのかな?
168 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/28(火) 20:34:31 0
>>150 武科挙の方が有利だとか早道だとかいうことは言ってませんよ。ただ武試出身者に
高官になった者は殆どいないとか言ったレスを見かけたので、それもちょっと言い
過ぎですよと書いただけです。全体から言ったら文官の方が出世の道が開けてると
思います。清代の鼎甲(状元・榜眼・探花)登第者で軍機大臣や内閣大學士に至った者
419人、うち状元は169人、これに対し武状元で一品官に進んだ者は十数人、
文官の途径が廣闊であったことが明らかです。
169 :
150 :2005/06/29(水) 16:33:39 0
>>168 合格率などはどうなのでしょうか?
武科挙の試験を見る限り、世襲的に継続した訓練、教練を受けることのできる人は
合格率が高そうに見えたので書き込みました。(逆に言えば独習は不可能でしょう)
いつ受かるか分からない、科挙に比べ、ある程度目処の立ちそうな内容で、そこそこ
の官位になれるのであれば効率が良さそうな気がしただけです。
誤解を招きました。
猟官制度でもいいや 官僚による官僚のための行政より
171 :
世界@名無史さん :2005/07/08(金) 19:29:22 0
>>170 コネ採用があたりまえの村役場を一度ご覧ください。
資格任用であろうが、猟官制であろうが、官僚は組織防衛を第一と考えて行動しがちです。
172 :
世界@名無史さん :2005/07/08(金) 20:54:56 0
そういう村役場は今年から来年にかけて急速に消滅。
うちは村じゃないけど コネ採用があたりまえの市役所ですが何か? 近隣との合併話もすべて絶対多数で拒絶 小さな市だけど工場が多くて合併しないほうが美味しい
174 :
世界@名無史さん :2005/07/08(金) 21:30:57 0
考えて見りゃ唐代は筆記試験と猟官制度のミックス。あ、貴族性も残っていたか。 コネから汚職からたんまりあったし、無味乾燥な受験地獄、無意味な受験勉強もあった。 年功序列も現場を知らないキャリア官僚も、国家財政を食いつぶす冗官まで揃っていた。 能吏も酷吏もおれば、窓際族までいた。 うーむ、考えれば考えるほど、全部揃っていた。なんか段々現代の縮図に思えてくる。 いや逆だ、現代が唐の縮図なのか?
175 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 07:59:24 0
何で日本では「キャリア」が逆の意味に使われるのだろう。 現場や実戦で経験を積んだ人が「キャリア」と呼ばれる資格を持つはずだと思うのだが。
保菌者もキャリア
177 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 22:41:53 0
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=career&stype=0&dtype=1 career
〔名〕
1 (ある分野での)経歴,履歴,活動(歴);(一生の仕事とする専門的)職業.⇒OCCUPATION〔類語〕
2 (職業での)成功,出世
〔形〕《限定》専門の,本職の,職業的な
・ a 〜 diplomat
(特別任用による大公使などと違う)はえ抜きの外交官
・ a 〜 military officer
職業軍人.
つまり、政治任用ではなく、高等試験行政科出身の生え抜きの高等官だから「キャリア組」
それじゃーということで高等試験と関係のない判任官が「ノンキャリア組」
米のTV番組を見ている限りでは、「クリア」とか「カリア」に聞こえる。
179 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 01:08:16 0
>>174 科挙制度が農奴反乱を誘発した主要因な気配がする
平気で地主と結託する屑官僚しか居なかったようだし。
と言うか科挙一同は農民を何だと思ってたんだ。虫ケラか?それともゴミか?
ご大層な評価通り本当に科挙が優秀なら日清戦争にも勝てたと思う。
180 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 04:19:19 0
>>179 有効だった時代もあっただけで、常に有効だったわけではないのでは?
尤も、常に有効な制度というものが在るかどうかは解らないけど。
181 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 12:33:45 0
古い文明国で定期的に王朝交代がおきるペルシアなんかと比較すると科挙の有効性が浮かび上がると思う。 ペルシアでは歴代王朝はトルコ・モンゴルなどの遊牧民系で、文官はペルシア系から起用された。 しかし文官の給源は特定の一族の世襲で科挙のような幅広い基盤を持たなかった。 支那史で言えば、元王朝のやり方がそれに近い。 ペルシアの王朝が100〜150年くらいで易姓革命するのは、文官給源の狭さが一因だと思う。 支那の科挙は、異民族や軍閥や流賊あがりの王朝が、支那の伝統文化を尊重し、地方の紳士の支持を獲得して 支配の正統性を得るのに大きな役割を果たした。
182 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 13:45:28 0
>>181 いや100〜150年くらいで易姓革命するのはいたって健全だと思うぞ。
それに定期的に王朝交代が起きないと農民の生活改善できませぬ。
農奴を量産する科挙は大変イクナイ
宮崎一定爺が、日本の三等郵便局みたいなものとゆっていた、 請負制度というものの悪いところを教えてください。 科挙よりその下の木っ端役人の世界(あるいは無頼の世界?)のほうが面白そう。
184 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 14:57:33 0
>>179 科挙役人と地主層が一枚岩で農民を搾取って、ずいぶん古色蒼然とした左翼史観だな。
「昔の中国の役人は貧しい農民から過酷に搾取をした、などという人がよくあるが、
それはどうもあまりあてにならない。多数の貧しい農民からしぼるというのは
手間がかかるし、手間をかけてしぼったところでもともとカラカラなんだから
大した成果はあがらない。役人が狙うのは豊かな農民、豪農である。このほうが
能率がいいにきまってる。それも一番いいのは何かいいがかりをつけて、死刑、
財産没収、とやることである。一発でゴッソリ実入りがある」
「それから中国では、地方のお役人というのは、その土地といろいろかかわりがあっては
まずいというので、必ずよその土地出身の者が任命され、二年か三年くらいでまたほかへ
転勤してゆく。土地との結びつきが薄い。だから人々は地方官に対する敬意はもっていても
親近感はない。これに反して、その土地の地主や豪農に対しては敬意もあれば親近感も
ある。だから外来の役人と土着の豪農のケンカということになると、豪農のほうに
つきやすいのである」
高島俊男「中国の大盗賊」より
185 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 15:19:51 O
まあ役人が直接やるか豪農が間に入ってやるかの違いだけで、貧農が誰かから搾取されることには変わりはないがな。
農民起義史観か
187 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 16:29:30 0
豪農は土地に根付いてる分、貧農にうまく恩に着せて 「人情味のある親分」的な感じで掌握していたんではなかろうか。 たとえばこんな感じで。 富農: 「今年は不作?そうだな。確かに天候がよくなかったからな。 種籾と当座食う分ぐらいならおれが貸してやるから、まあ心配するな。 来年の収穫の時に 倍 に し て 返してくれりゃいいよ」 苦しい時に金でも穀物でもパッと貸してくれる人は、借りたい側にとっては ある意味すごくいい人みたいに見える。高利で搾取されるとか そんな判断する余裕があったら人から借りたりしない。 その点役人は、税金という名目で問答無用で取り立てる。 農民の目から見れば、どちらのほうがより悪者に見えるかは自明のこと。
189 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 20:20:17 0
>>184 農民が苦しんでたのは事実だし。二年か三年ありゃ癒着など余裕。
科挙制度が鉄壁なおかげで欧州と違って徴兵マンセーだったのに
共和制が育つ余裕さえ無かったからな。
190 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 21:06:45 0
>>189 中央から派遣されてきた地方官と土着の地主層を一緒に考えるべきではない。
日本や西欧の封建社会で、ロシアや中国のようなオリエンタル・デスポティズム国家で
みられるような常軌を逸した収奪が行われなかったのは、封建領主にとって過度の収奪は
長期的に見て己の首を絞めることになり、領民と多少なりとも利害が一致していた
という事情がある。
ロシアや中国の地方官は土地の荒廃など気にせずに、任期中にできるだけ収奪すれば
それでよかった。地主はそうはいかない。
唐代の某有名詩人(官僚)は、弟の病気治療で金が必要だったから地方任官を希望したとか。
唐といえば阿倍仲麻呂もやっぱりヴェトナム人の財産を巻き上げたりとかしてたんだろうか?
>>190 それじゃダメじゃん。
汚職しながら農民を餓死or反乱に追い込んでどうするんだ?
そもそも科挙試験の糞知識が農民支配の役に立つのか?
194 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 00:03:12 0
>>193 >そもそも科挙試験の糞知識が農民支配の役に立つのか?
そこで吏胥の登場ですよ。
195 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 00:08:47 0
>>190 仕事というのは現場で覚えるもの。
これは多分洋の東西、過去現在未来を問わない普遍的な原則だと思う。
たとえ東大卒の超優秀なキャリアでも入ってペーペーの頃は物の役に立たない。
役所に入れば農民支配のノウハウも、そこで教えられるものだろう。
もちろん汚職のやり方も(これは勉強では身に付かない)
「良鉄は釘にならない」とか「盗は梳くが如し、兵は剃るが如し」という言葉が生まれるお国柄。 立身出世の為には、自分の子供も料理の材料になるお国柄。 立身出世の為には、自分の性器も切り取るお国柄。 立身出世の為には、自分の体の一部を切り取って両親に食わせる、両親も喜んで食べるお国柄。 ・・・とか、他にも色々とありそうだけど? 自分や身内の扱いがこんなんじゃ、他人の事なんて全く気にしないんじゃないの?
197 :
190 :2005/07/25(月) 13:24:26 0
>193 だから「何で科挙官僚は汚職して農村を荒廃させるのか」って話をしてるんだよ(w
198 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 14:04:38 0
科挙官僚はおっそろしく俸給が安い。(それが幾らかは今手許にないが) しかも下僚を雇わなければならない。 それでいて権力は強大。地位も極めて高い。 だから賄賂でももらわなけりゃ生活そのものができない。 現在の共産中国でも同様に大変に俸給は安いらしい。 それを数十年前のとある左翼系雑誌に、中国の役人は安給料にもかかわらず 清廉を保っているなどとほざいていたが。
199 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 14:17:21 0
人民中国を抽象するのはやめていただけませんか? 米英は無実の人や国家を殺傷滅する暴虐を犯していますが、 人民中国は帝国主義への怒りから民衆がまちのぞんだ人民の政権なのですから。
>>198 岡田英弘の本では無給とか書いてたような気がするが
201 :
どん・しゃおぴん :2005/07/25(月) 14:43:02 0
な、なんだって??
202 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 14:44:26 0
>>198 そこで養錬銀制度の導入ですよ
by雍正帝
203 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 14:47:08 0
>>198 宮崎市定の雍正帝の記述をそのまま引用しているだけっじゃんプッ
204 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 14:48:22 0
たぶん202も市定の本を読んでそのまま書いただけプププ 同一人物の自作自演レスでちゅかー?
205 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 14:51:11 0
>>203 ・204
おれ202だけど違うよ…
チミもさ、無意味にけなすだけじゃなくてネタふりなよ
206 :
198 :2005/07/25(月) 15:12:27 0
それは図星ですが、引用することになにか問題でも?
あっ開き直りやがったか。いやー大家であらせられる故宮崎先生の 文を今日の言葉になおして引用を明示せずに自分の意見として披露する など匿名掲示板とはいえ恥を知るものにはできませぬなあw
208 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 15:54:09 0
故宮の崎(キ)先生・・・
開き直りといえば、28日は土用の丑の日だね。 蒲焼きを食べて力を付けて次の科挙にそなえましょうや。
210 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 17:19:11 0
>>207 非生産的な不毛論争好き。友達いないんだろうね。そっとしといてやれ。
211 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 19:50:06 0
>>207 ほう。貴殿は2chに書き込む内容は古今の誰かの著作を一切使用せず、
すべて自ら取材してきたことのみなのか。
時事問題はそれでも取材可能だけど、歴史の彼方のできごとはタイムマシンでも
持っていない限り、取材は不可能だよね。
荒らしはスルー。 明日は台風が来るー。
213 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 21:45:23 0
禿陛下スレより明代の俸給表 158 :趙明誠 :2005/05/17(火) 16:25:39 0 手抜きで申し訳ありませんがネタ振りです。 今回は明朝の官品ごとの給与一覧です。 正一品は、千四十四石。 従一品は、八百八十八石。 正二品は、七百三十二石。 従二品は、五百七十六石。 正三品は、四百二十石。 従三品は、三百十二石。 正四品は、二百八十八石。 従四品は、二百五十二石。 正五品は、百九十二石。 従五品は、百六十八石。 正六品は、百二十石。 従六品は、九十六石。 正七品は、九十石。 従七品は、八十四石。 正八品は、七十八石。 従八品は、七十二石。 正九品は、六十六石。 従九品は、六十石。 ちなみに明代では1石=約72s。
214 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 21:58:49 0
なお、状元が任じられる翰林院修撰は従六品(96石=約6912s)、榜眼・探花は翰林院編修(正七品、90石=6480kg)。 米の卸売価格を10キロ3500円とすると、主席合格者の初任給(年額)は2,419,200円、次席三席は2,268,000円。
>>197 >何で科挙官僚は汚職して農村を荒廃させるのか
人間だから。
王族、貴族、議員、会社員、共産党員みんな汚職ぐらいするわいな。
それを言っちゃあ停滞史観よw
217 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 10:25:44 0
でもさ、汚職汚職というけれど それでうまくいってるからこそ長年続いたわけで 「貧しい善政」よりも「豊かな汚職」のほうが 大衆にとっても良かったという事は考えられない? なんか科挙官僚の酷い話ばかり取り上げられているけれど うまく統治していたパターンとか、いい話とか具体的かつミクロな話を 知っている人いたら、教えておじいさん!
218 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 10:33:59 0
「賄賂だと? 日本の手数料とどこが違う?」
科挙が国を停滞させて中国を破綻させた元凶。 コネ至上主義なら農民もやる気を出して下克上を繰り返した筈だ。
220 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 10:59:31 0
>>219 ここ150年ほどの、近代に関してはそうかもしれない。
でも宋から清にかけて、約900年もの間
世界トップクラスの豊かさを誇ったのも
科挙システムに代表される中央集権システムのおかげ。
221 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 12:23:50 0
科挙がその役割を果たすのは、各王朝が創業されたばかりで官僚が不足しているときでは? だんだん安定して官僚も充足され、やがて合格者が供給過剰になるとたちまち弊害が出てくるのだと 思うが。
>>220 中国に世界トップクラスの豊かさなんてあったか?
貧農を虫ケラ扱いして農奴反乱起きまくりじゃねえか。
王朝繁栄のための絶対支配が豊かさなら苦労しない
>>222 いわゆる「農民起義」が起きるのは士大夫が農民を差別してたからじゃないよ。
食うものがないからだよ(w
しかしすごい暗黒史観だな。「貧農を虫ケラ扱いして農奴反乱起きまくり」って今時左翼でもなかなか言わないぞ。
>>222 ねえ、ボク。中学でもうちょっとお勉強してきてね。
科挙の弊害といわれるものは、科挙の弊害と言うより すべて”官僚制”の弊害のように思えるが。 官僚制は行きすぎるとどこでも弊害を起こす
226 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 19:58:36 0
>>223 アラブ過激派の自爆テロに関しては、今でも「差別→反乱(テロ)」理論が当たり前のようにいわれてますが。
まあ、民族問題、宗教問題、貧困問題を意図的に混同させようとする勢力があるせいでもありますが。
>>221 合格者が供給過剰にならないように抑えられたため、異常な受験競争地獄に陥ったわけですが。
ただし、これは中国限定。朝鮮の場合は、本来試験は3年に一度、文科武科ともに合格者30人前後だったのに、
後期になれば、毎年試験実施合格者100人ほど、ついでに賄賂OK状態なので、科挙合格しても官職無しが当たり前。
まるで日本の博士みたい。……orz
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html
官吏は国家運営に必要不可欠なものだし、それに関する制度も必要だけど、色々な弊害が無いわけじゃない。 ここじゃスレ違いだと言われそうだけど、科挙以上の問題点だったのは、やはり宦官では?
ばんばん遠征して領土拡大→官吏需要増加すればよかったのに
229 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 21:28:51 0
王安石のような能吏を生み出したこともある点で、科挙にも 良かった面はあったんだと思うが。 王安石は現在の観点から見てもかなり優秀だと俺は思っている。 改革の目的とそれに至る方法がかなり明確であるという点でね。
>>226 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/07/29(金) 19:58:36 0
>>223 アラブ過激派の自爆テロに関しては、今でも「差別→反乱(テロ)」理論が当たり前のようにいわれてますが。
まあ、民族問題、宗教問題、貧困問題を意図的に混同させようとする勢力があるせいでもありますが。
お前さんの知識の程度にワロス
>>229 科挙とは対極にある、本邦の江戸時代の幕藩体制下の世襲の士族階層から
だって、能吏は沢山出てるじゃんよ。
232 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 23:53:26 0
>>231 日本だって学問による選抜はあったんだが。→昌平黌での学問吟味
>
松平定信の寛政の改革期になると、昌平黌が行う学問試験が番入り
選考の基準となった。(略)・・・ここにきて旗本の役職採用試験を担うことと
なったのである。選考の基準は成績評価「甲乙丙」の3段階により、甲=学問優秀により無条
件の番入り、乙=武芸や父親の永年勤続を考慮しての番入り可、丙=不採用、
というものである。
特に幕末に活躍した外務官僚にはこの学問試験に合格した者が多く、岩瀬忠
震(いわせただなり)はその代表的人物である。
だから、学問優秀で領地を拝領するのではなく、世襲の領地を持っていることか 先に条件になってるじゃん。 ボーダー上だと父親の役職がモノを言うんだろ。 もひとつ言うと、どんなに優秀でも、大名格の役職にはつけないし、な。
234 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 00:43:41 0
日本だと優秀な人間は養子というバイパス路を用いて出世が可能だった。 間宮林蔵はそこそこの地位。 勝海舟は3代を経て大名役。
>>235 川路は学問吟味ではなく勘定所の下級官吏からの立身。
岩瀬は今で言えば東大法→官僚のエリートだとすれば、川路は高卒ノンキャリから
財務次官に上り詰めたような異例の出世。
237 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 16:59:51 0
田中角栄みたいなもんか
238 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 21:41:01 0
>>237 角栄は最終学歴高等小卒のように言われることもあるが、実際には中央工学校卒業。
確かに帝国大卒から見たら見劣りするが、
高卒ノンキャリア(三種)よりは学歴がある。(といっても専門卒二種ノンキャリアだが)
ちなみに、角栄は一級建築士第一号でもある。(これは、角栄が議員立法にかかわったためでもあるが)
239 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 23:11:52 0
中央工学校は、学校教育法が規定する各種学校である。
じゃあ、朝校一直線の在日と同じ学歴ということか
241 :
世界@名無史さん :2005/07/31(日) 22:50:49 0
結局、東洋4ヶ国(中国、日本、朝鮮、ベトナム)はすべて 学力試験で人材を採ってたのね。 勤勉学問好きの東洋人の性格はここに由来してるのかも
242 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 02:18:45 0
本田総一郎も、夜学で教育を受けていた。 何だかんだいっても、そこそこの学歴はあった。
243 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 02:19:44 0
律令制度下での試験や学校は見事に有耶無耶になってしまった。
>>243 律令制下の学校制度と近代学制の過渡期のエピソードとかない?
245 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 12:24:47 0
>>243 金が無かったのが最大の原因かと(社会に教育というものを維持するコストを
負担するだけの余剰生産力がなかった)
246 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 12:38:51 0
>>244 律令制下の学校の名称がそのまま引き継がれた例としては、
韓国の成均館大学校が挙げられる。
もともと高句麗の太学、新羅の国学、高麗の国子館の流れを汲む国家の最高教育機関で、1398年設立。
植民地時代には経学院と改称されたが、韓国独立後に近代的大学・成均館大学校として生まれ変わり、
現代に至る。
最高教育機関の地位はソウル大学校に譲ったものの、(多分)世界唯一の儒教学科などユニークな学科を保有。
あと、康有為らと光緒帝が組んで起こした戊戌変法で、唯一成果が残ったものが
近代的教育を行う北京大学堂(今の北京大学)だった。
247 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 19:11:25 0
科挙の洗礼を受けた政治家の、平均的な質が良かったかどうかというと疑問だわな。
そりゃ、たまには偉大な政治家でたさ。
>>229 でも言ってるけど王安石とかね
でも平均的にはどうかね
王朝もどうせ統治能力という点では、期待してなかったでしょ。
実際の業務は胥吏が全てやってたわけだし。
「有為な人材」を出すことを目的にしたというよりも
(…いやもちろん、当初はそういう目的だったんだろうけれど)
時代が下るにつれ、「中央集権をよりストレスなくスムーズに運営するために
特化していったシステム」と捉えたほうが、いいんではないかい?
248 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 19:15:21 0
皇帝権力を転覆させるような能力を持ちうる人材を 苛酷な試験勉強で押さえ込む。 というのは?
249 :
続き :2005/08/01(月) 19:23:13 0
政治マニアで、究極の独裁君主である雍正帝も 科挙出身の優等生の政治家、あまり信頼せずに学歴関係なしで ガンガン政治能力の高いやつを登用していったじゃない? これって、科挙の理念を否定しているようなもんだよね。 でも科挙の構造改革?みたいなことには手を付けなかった。 中央集権−「統治のシステムとして必要不可欠」だということじゃないかな? 私見だけど…
科挙の根本理念は、世襲貴族の排除だろ?
科挙を通過せずして高官に就く道を可能な限り狭くしていった。
したがって、
>>247 「有為な人材」とは
「中央集権化=貴族層の排除」を進める人材、
すなわち、市井の出の科挙官僚ということになる。
>>248 上記のような論点から見れば、世襲貴族を政権中枢から
遠ざける、という意味で機能したといえる。
251 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 23:25:34 0
現在だって国家1種の成績順に仕事ができるわけではあるまい。 2種や3種でもガンガン仕事をやってる人はいる。ただ、出世ができにくいだけで。 1種でも落ちこぼれは相当いる。それでも”ある程度”までは出世しちゃう。 能力と学歴はほんと比例しない。 仕事は勉強じゃないよ。場数を踏まなきゃ仕事は覚えない。 スレの前の方に出てきてたと思うけど、仕事は現場で覚えるもの。 大学でギリシア哲学オンリーとか、墨家思想の研究とかしかやってこなかった奴 でも、許認可行政で民間と丁々発止のやり取りをしたりするんだから。 どんな方法で人材を採用したって、できるやつもいりゃ、できない奴(こっちの方が常に多い)も でるのはしょうがないことだと思う。 だから、昔の儒家思想中心の科挙だって、そんなに言われるほど悪かったんだろうか?とは 思う。それなりに優秀な奴だって自然と出てきたろうし、以外と機能してたんじゃないか、 というのが俺の考え。
>>251 近代国家はそれでは富まんわな。
底辺の底上げなしに官僚だけ育成しても意味なし。
>>245 が今でも通用するのが、やれんよ。
253 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 14:14:54 0
中国の科挙は、近世においては中央集権化を 維持するのに良く機能したといえるが、逆に機能しすぎて 近代国家に脱皮するタイミングを逸したということでは 西洋における産業革命がなんらかの原因で発生しなければ… どうなっていただろうか でも近世中国で「市民権」とか「資本家」みたいな発想ってあったんですかな スレ違いな質問かな
254 :
61 :2005/08/03(水) 17:05:54 0
>225 儒教の絶対化の弊害。
255 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:10:00 0
>>251 ”仕事は現場”なんて言ってて大学教育をおろそかにしていたおかげで
日本は落ちこぼれそうなんですが。
日本経済に勢いがあったから、欠点が目立たなかっただけで、その欠点を
長所と錯覚してはいけない。欠点は欠点!
256 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:51:15 0
大学で学ぶことは、専門性ではなく一般教養を身につけることだろう。 専門性なんかは社会に出れば自然に身に付く。 だから、義務教育もそうだけど大学教育のレベルを上げることで国民の知的レベルを上げることは出来ると思うよ。
中高教育のレベルを上げてくれ 絶対に中退や不登校が出来ないよう地域ぐるみでがんじがらめに縛り上げた上で
258 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:57:10 0
>>255 二昔前までは「可山優三」でも、サークルの主催者や運動会系が就職で有利だったらしいからね。
真面目に勉強している奴はあまり評価されなかった。
>>256 とりあえず、真面目に勉強しない奴をオミットする仕組みが必要だね。あ、研究しない教授もか。
259 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:58:38 0
>>257 最近の中国の小学2年生は、日本の小学4年生のカリキュラムをこなして
いるらしいぞ。明治日本の頃のように、もっとガシガシ勉強させるべし。
>>256 政治学を学びました〜、でもアリストテレスで打ち止めです。とか、
大学では浅田彰しか読んでません、とかいうのが入ってきたら企業は
大変なんですが。
貸借対照表など読めない学生の方がまだ多いし、一昔前ならワープロ
代わりにしかパソコンを扱えない一流大学学生もいたくらいで。
ヨーロッパとかなら、高学歴の学生はそのまま企業の課長クラスに就いてたり
するんですよ。正直、科挙を笑えません。
261 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 00:27:45 0
>貸借対照表 テンプスタッフが弥生会計で処理してくれるよw
262 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 00:38:39 0
>>261 B/Sも読めない奴なんかに、危なくてプロジェクトとか任せられないじゃん。
263 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 06:17:54 0
近頃の日本は「先生様」が激減して「先公野郎」ばかりになっているからなあ。
国連なんかだと、各国が送り込んでくる要員は別として、通常採用される 職員については博士号がなければ一人前には扱われないですね。 学卒や修士では、アシスタントの職しかないです。
265 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 23:25:40 0
すげーなこのスレ。科挙をそっちのけで官僚がどうたらこうたら。 ものすごいルサンチマンを感じる。
>>265 宮崎おんたいの例の本がロングセラーなのは人々のルサンチマンに訴えかける
ものがあるからだと思われ(w。
267 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 10:49:40 0
小中高の先生の給料を2倍にする そのかわりレベルの低いのはガンガンクビにする 「教師」の社会的なステイタスも上げるのだ そうすりゃ優れた人材が教師に集まってくるだろ 日本の未来も明るくなる 今みたいに「薄給+社会的な地位そんなに高くない」んじゃ 野心あって能力高い、若い人は教師になりたいというモチベーションでないでしょ
>>266 > 宮崎おんたいの例の本
何?「風の谷のナウシカ」?
269 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 20:46:04 0
とうてい払いきれない借金を背負い、不景気からは抜け出せず、
外交は犯罪的なまでに無為無策で、日本全国天下り天国。
特殊法人もうまい汁を吸い続け、官公労は賃上げを叫び続け、
警察まで不法行為を働き(道警裏金)、カラ出張も乱発し、
危険物質を長らく放置し、
ここまでされたらルサンチマンも正当な反感になるだろう
>>265 よ
日本は清潔な官僚群に汚職官僚が混じるから目立つ、なんて言ってた人がいたが、
俺は信じられない。
どの官僚も自分のことしか考えてねぇだろ
270 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 20:52:50 0
だから郵政民営化をやろうとしてるんではないか? そういうからには269氏は民営化に賛成だよな?
つか、もう「特殊法人」という法人形態はほとんど(すべて)なくなっていると思うのだが。
272 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 22:06:44 0
官僚はいつの時代もかわらないなー 科挙は中国の誇りなんて言ってた奴が前にあったが、むしろ逆、 (フランスを経由して?)中国から発した世界史上の汚点。 共産主義が20世紀を狂わせたように、科挙が21世紀の今も影を落とし 続けているとは。克服する方法はあるのか?
>>272 禿同。中国人全体の民度を堕落させた元凶だな。
なるほど。272は貴族主義者なのですな
275 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 23:43:34 0
官僚主義(官僚が権力を持った状態)がダメということさ。 筆記試験選抜方式は官僚主義を維持するのに最適。
276 :
朱由檢 :2005/08/06(土) 00:17:35 0
ビューロクラシーの弊害は多いけど、代案がないのも痛いよね。
>>276 代案としては猟官制との併用、監視機構としてのオンブズマン制とかは出ている。
>>277 容易に腐敗の過程が想像ついてしまうがな。
監察御史
280 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 15:19:08 0
監察御史もついでに籠絡すればいいのだ!
281 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 20:10:06 0
監察御史=会計検査があったから不正は減ったか? 検査が来るたびに誤魔化すだけじゃん 身内が検査してるんでは意味なし
282 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 20:43:31 0
会計監査な。
283 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 22:10:47 0
会計検査=帳簿、伝票などの記載、税金のための書類などが適正に処理されているかどうかを検査する。 会計監査=予算、決算が予算書通り執行されているかどうか監査する。 あれ?逆かな?
ヒント:監査法人
285 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 00:32:55 0
もういい。仮想化されたコンピュータにすべてを委ねよう!
286 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 11:31:38 0
>>272 >>275 官僚制が発達する前の世界各国の社会制度は、より効率が悪い。
世の中の仕組みが変わるにつれ、社会制度も発展していくもの。
近世に官僚制が発達したのは、歴史の必然だと思うし
科挙はそれを極めたと言う点では、高く評価されるべきもの。
(まあ、たしかに極めすぎかもしれんが・・・程々が良いね)
その論点だと、官僚制に限らず
「現時点で」弊害のある全てのシステムは全否定されてしまう。
物事を見る時系列の軸足を、「現在」ではなくもっと柔軟にみるべきでは。
287 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 11:55:03 0
>>275 官僚を全部廃止した場合どうなるかを考えてみたか?
科挙試験の赤本どこで買える?
289 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 12:51:11 0
アマゾンで買えるかな?
290 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 22:27:36 0
今度出た朝考対策本はマジオススメ。 もっとも童試にも受からないDQNらには必要ないけどね(プゲラ
>>290 どこ?駿台文庫?
てか武科挙との併願って可?
>>291 いやZ会の「朝考対策シリーズ」。進士及第はちょっと無理なので、庶吉士狙いの
漏れにぴったり。
でも、また3年後に試験があるんだよなorz
>てか武科挙との併願って可?
可能だけど、新幹線に喩えると進士は「のぞみ」なのに対して、武進士は「こだま」みたいな
もんだから、進士一本にしとけ。
293 :
世界@名無史さん :2005/08/09(火) 23:52:23 0
>>291 そういうおまいはどこまで受かってるの?
294 :
世界@名無史さん :2005/08/10(水) 00:26:04 0
今時進士になっても良いことないぞ。 岡田なんか俸給2割減とか言ってるぞ。 これからは処士(庶民)こそが勝ち組!
295 :
段玉砕 :2005/08/10(水) 22:39:55 0
臣對臣聞帝王之致治以科擧試爲主臣謹對雖科擧試與 日東司法試驗畧同而其難百倍於司法試驗正選吾 朝之股肱愙勤者也臣固末學新進使吾爲元必治世矣 君所統之處其參天贊化之功宛然如繪矣臣雖不敏盡丹髓 捐私心以勤辨理之事伏請使臣及第焉
彡¶ _____∩____ /;;;/;;;;/;;;;/丶;;;;;ヽ;;;;;; ヽ /;;;;;/;;;;;;;/;;;;/;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ _/;;;;;;;/;;;;;;;;/;;;;;|;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ_ ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(元) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ ヽ____________/ §l::||:::: |l§ / ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||§ r┤ ト::::: \___/ || § <科挙は廃止する。 / \_/ ヽ::: . \/ ,ノ 《》 | _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__ | _)_ノ \\ハ// / ヽ ヽ____)ノ \ソ/ / ヽ、
>>286 官僚制が進むとその効率の良い筈の官僚が概得利権作って
国の資産を食い潰す素敵クオリティは無視ですか?
結論が同じなら元から効率が悪い方がマシだと思われ
298 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 10:20:08 O
結論がなら、なおのこと最初だけでも効率的な方がいいだろ。 「仕事してもしなくても人はいつか死ぬ。だから仕事しないほうがいい。」 ってことですかひきこもりさん?
299 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 18:29:33 0
>>297 「官僚の既得権」と、それ以前の「貴族の富の独占」と比べると結局同じだ!
という意見だが・・・
どんなシステムでも長年やってりゃ、ある程度の既得権できるのはあったりまえ。
逆にそうじゃないシステムあるんなら教えてくれ!
今現在の日本で腐敗した官僚制の不満から、革命起こって
新体制になったとしたら、それがどんなシステムであれ
初めの数年間はクリーンな体制になるだろうよ
共産国家がそうだったように。
でもすぐに腐敗するのは目に見えることだ。
問題にすべきは
>>298 の言うとおり効率の問題だ。
官僚制は歴史上まだマシな方のなシステムです。
>>299 そうか?平等謳ってる官僚制も酷いぞ。
至高と呼べるほどの制度だとは到底思えん。
科挙の残したもっとも大きなツケは、学問即立身出世ではないでしょうか。 科挙の落ちこぼれが寺子屋の先生になるのでは、教育できません。 どの宗教でも坊さんが学問を教えますが、坊さんは偉いことになっている。
302 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 21:24:15 0
科挙の悪弊から唯一逃れているのがアメリカ合衆国と言ってみる 猟官制!猟官制! 政権交代の度に3000人の高級官僚を入れ替える凄み!
挙句の果てに派遣国のことは何も知らずに駐在大使になっている高額献金者とかいるようですが。
304 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 21:45:44 O
結論 スポイルズ システム マンセー
305 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 22:19:47 0
福建省泉州府金門島出身の陳国樑は長崎泰益号の儲けを清朝に献納して官位を得たといいますね。 科挙だ武科挙だいっても、カネで買える官位もチャンとあったわけで、別にいいじゃん。
306 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 22:32:18 0
>>303 自国の都合を一方的に押し付けるだけだから、派遣国のことは
知らなくても良いのです。
・・・
いや、冗談です。こういう安易な嫌米思考に走るのも問題ありますね。
分かっちゃいますよ。
でも、その話のソースは知りたいです。
スポイルシステムもやってみると案外良いのかもしれませんね。
・・・
・・・
・・・
何を言いたいんだオレ
・・・
皆さん、スレ汚しでした。さらば・・・
307 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 11:55:35 0
アメリカの猟官制は、詳しいことしらないけど 汚職とか利益誘導とか起こらないの? 日本でやったら、すごい勢いで腐敗しそうだけど
エンロン
大統領暗殺の原因にもなったぐらいだし
311 :
世界@名無史さん :2005/08/17(水) 00:49:40 0
>>307 政権が永続できるわけでは無いので、たかが知れるでしょう。
>>309 >>310 その辺は
>>162 でガイシュツ。
>で、猟官制度のメリットは、民間からの優秀な人材登用、前例主義に陥らない組織の活性化等があるが、なんといっても
バ カ や ミ ス し た 奴 は 即 ク ビ に で き る 。 これだね。
313 :
世界@名無史さん :2005/08/17(水) 13:07:38 0
ミスの認定が難しいのでは それよりも政権や上司が変わるたびに 方向性が変わって長期の計画が立てずらそう
314 :
世界@名無史さん :2005/08/17(水) 21:37:19 0
役所の仕事の約8割は単純事務作業。
315 :
世界@名無史さん :2005/08/17(水) 21:40:54 0 BE:76921643-
>>314 上級公務員のお仕事は「調整」という名の交渉ごと。
もちろん試験なり学歴なりで箔がついてないと、相手になめられる。
316 :
世界@名無史さん :2005/08/18(木) 00:16:13 0
>>307 ロビー活動が厳しそう。
民間の人材が多く入ってくる実績はあるけど、一歩間違えば現政権のように
やたら偏りそう。エネルギー業界からの圧力で京都議定書まで離脱しちゃった。
業界エゴをコントロールできないと・・・
アメリカで軍産複合体が異常に力を持ってしまい、定期的に 戦争が起こるとすらいわれているのも猟官制が影響していそうだ…
318 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 03:17:59 0
朝鮮・ベトナムの科挙が話題にならないのはなぜ?
琉球王国の科挙モナー。
320 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 07:51:21 0
琉球やベトナムにも科挙ってあったのか?平民も受けてたのか?
321 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 08:51:41 0
共産党は「日本の公務員の数はまだまだ足りない」という。 ほーぉ・・・
>>320 ベトナムの科挙は仏植民地時代の1910年代まで続いていた。
当然、平民でも受験可能で、ホーチミンの父親は貧しい家庭の生まれだったが、
科挙に合格して知県になっている。
323 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 13:10:10 0
>>318 日本に科挙は
フランス経由で入ってきたね
中国科挙→フランス高等文官試験→日本の国家公務員
第一種試験
科挙は天皇や家元制度がある日本に馴染まず、
宦官は食用哺乳動物の飼育が禁忌だった日本には入らなかった。
天皇が西欧の皇帝や国王を模した形に変質した時点で、
科挙は上級公務員試験という形で日本にも導入された。
324 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 18:57:25 0
>>323 日本にも旗本子弟限定だが、一種の科挙制度があったというのはさんざんガイシュツ
甲乙丙丁はその名残。
こっから取り立てられた高級官僚も多いし、日本に科挙がなかったというのは
一面的な見方。
東洋人は学問好き、試験好きなんだよ。良いか悪いかは知らないが
325 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 19:10:21 0
>>324 世の中がそのために動いている、というほどのものでなければ
「一種の科挙制度」とさえ呼べないはず。
326 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 19:29:37 0 BE:102562728-
327 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 20:10:52 0
学問吟味は重要な施策の一つだったと思うんだけどねぇ
>>110 を見れば、支配勘定の吟味なんてやっていたようだけど。
昌平コーは江戸時代における儒学の牙城だから、試験問題は多分バリバリの朱子学
だったんではないかな。推測だけど。
儒学やらなんやらに実用性があったとは思えないけど、多分、勉強した、勉強できる
ということ自体が重要なんだろうねぇ。
>>326 なんかバリバリの漢学だねぇ。でも、五問しか出ないなんて随分問題数が少ないな。
230年で65人とは4年に1人の合格か!どんな試験やったらそんな合格率になるんだか
不勉強なものでよくしらんのだが、
方略試ってやつは、官吏登用試験と定義できるのかい?
>>326 を見る限りでは、一種の昇進試験のような印象を受けるのだが、
329 :
世界@名無史さん :2005/08/30(火) 01:31:36 0
>>327 合格者に対しても、難癖をつけて、低い点数をつけるテストだったようです。
「学問吟味」は御目見以下で主席だった大田南畝でさえ支配勘定、孝行奇特者取調御用、大坂銅座詰、 長崎奉行所詰程度にしかなれないんだから、とても「科挙」の一種とはいえないでしょう。 「方略試」だって、230年も続けて大臣になったのがたった一人、おまけに上級貴族に排斥されて 左遷では、あまりたいしたことない試験かと。 菅原道真が「方略試」に合格して任官したのは兵部少輔で、これもぱっとしない地位です。 蔵人頭になったのは17年後。試験合格後、すぐに蔵人頭になれれば影響力も大きいでしょうが。 蔵人頭は秘書室長みたいなもので、文官・武官一人ずつですが武官はほとんど名前だけで、 後には名門のお坊ちゃまの出世コース。「源氏物語」の頭の中将みたいなので藤原伊周もやってます。
331 :
世界@名無史さん :2005/08/30(火) 22:38:16 0
>>330 学問吟味とか不勉強で全然知らなかったんだけど、スレを読み返してると
>>232 に
>松平定信の寛政の改革期になると、昌平黌が行う学問試験が番入り選考の基準と
>なった。(略)・・・ここにきて旗本の役職採用試験を担うこととなったのである。
>選考の基準は成績評価「甲乙丙」の3段階により、甲=学問優秀により無条件の
>番入り、乙=武芸や父親の永年勤続を考慮しての番入り可、丙=不採用、という
>ものである。特に幕末に活躍した外務官僚にはこの学問試験に合格した者が多く、
>岩瀬忠震(いわせただなり)はその代表的人物である。
とあるんだけど、これを読んだだけだと、高級官僚を輩出していたように読めるんだけど
岩瀬忠震って日米修好通商条約を調印した人だよね。
>>331 旗本の出世ルートは基本的に家柄で決まる。
学問吟味は家柄のいい旗本にとってはただの勲章だし、家柄の悪い旗本に
とっては、有力者への賄賂やコネとならぶバイパスの一つに過ぎない。
それから勘定方の試験は、算盤や公文書の書式などの実務試験。 科挙と比べられるようなものではない。 確かに寛政の改革以降、林家の政治的地位は上昇したし、昌平黌の秀才であることは 出世のための一つの材料として重んじられるようになったけど江戸幕府というのはなんや かんやいって軍事政権だから儒教的教養は「あればいいな」程度でそんなに重きは置かれていない。
幕末の有名官僚でいえば、
勝海舟は、不良御家人の息子だけど秀才なので田安家の小姓になったけど主人は早世。
しかたがないので、剣に凝ったけど、剣では出世の可能性が低いんで20過ぎで一念発起して
蘭学をやってそれが大当たりして出世コースに乗った。
大久保一翁は苗字の通り三河以来の名門旗本だから出世のためのがり勉は必要なかった。
彼の教養は儒学ではなくて国学。
川路は
>>236 にあるように勘定方ノンキャリからのたたき上げ。
遠山景晋(金さんの父)は千石取りの遠山家に養子に入った人ですから、能力を見せる機会があれば、 出世可能な家柄です。長崎奉行、勘定奉行を勤めていますが、異例の抜擢というほどではない。 太田南畝は、学問吟味で取り立てられたとはいっても、もとが御徒なので奉行などにはなれません。 かえって中途半端に家格が上昇したため、息子が跡を取れず(御徒は阿呆でも良い)孫が育つまで 現役で苦労したそうです。 榎本武揚の父親は百姓出身(といっても豪農と思われますが)で、天文学者でしたが、株を買って 御家人になりました。武揚は直参というより学者の子で、幼少から江川太郎左衛門に蘭学を学び、 ジョン万次郎に英語を学びました。出世のきっかけは長崎海軍伝習所の伝習生に選ばれたことですが、 もともとの条件が蘭学の素養のあるものですから、時勢による、洋学者としての出世です。 榎本武揚が学問吟味に合格したかどうかは知りませんが、子どもの頃から蘭学ばかりやっていたので 漢学はさほどできないはずです。
幕末の高官について考えると、岩瀬忠震はたしかに昌平黌の秀才ですが家柄がいい。 婿養子で、実家は設楽家、三河以来の直参というより幕末まで三河に領地がありました。 父の設楽貞丈は高名な本草学者で、母は林大学頭の娘です。 岩瀬家も三河以来の旗本で書院番なので、能力があればいずれ誰かの目に留まるはずですが。 永井尚志も養子で、実父は松平乗尹(三河奥殿藩藩主)なので、血統はご一門です。 だんだん、試験はどうでもいいような気が・・・家柄がいいか、蘭学者
337 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/08/31(水) 15:28:37 0
338 :
世界@名無史さん :2005/08/31(水) 16:46:58 0
ってなわけで、江戸幕府の試験は「科挙制度の一種」ではないということでチャンチャン。
実務重視だから、むしろ科挙より進んでたかもしれん。 もっとも、そのせいか北方探検で有名な近藤重蔵みたいな変なヤツも生み出したがな。
340 :
世界@名無史さん :2005/09/02(金) 00:38:25 0
うーん、江戸時代の人事考課は家柄が重視されているイメージがあるんだけど。 実務派ももちろんたくさんいたけど、全体として実務重視と言えるんかいな。 後、科挙をどう定義するかだけど、出世云々とは関わりなく、現在の公務員試験 みたいな単なる学力試験採用制度、という見方に立つなら、学問吟味や勘定所の吟味は 科挙と同じ種類に分類しても良いかもしれない。この試験によって始めて採用された者は (たとえ出世できなくとも)結構いたろう。逆に古代の方略試は採用を目的としてないよう だから、科挙とは違うものかもしれない。 西洋やイスラム・インドに同じような試験選抜制度があったかどうかも知りたいな
341 :
世界@名無史さん :2005/09/02(金) 10:06:31 0
>>340 江戸時代の幕府の試験はいずれも直参限定、それもお目見え以上と以下を分けるし、家格から飛び離れた出世は
できないし、結局、科挙と同じ種類に分類するわけには行かないと思うんですが。
日本の試験で、科挙とほぼ同等といえるのは、明治21年の文官試験高等試験まで待たなければならないのでは。
西洋は科挙の影響で19世紀の中頃、高等文官試験(正確な訳はないようなので)が設立されるまで、国民の
意識に影響を与えるような試験はありません。
勉強さえすれば高位高官に昇れるものなら、ラスティニャックもジュリアン・ソレルも
上流階級のご機嫌取りなんか止めて、ひたすら勉強していたでしょう。
改行失敗、ごめんなさい。おまけに挙げてしまいました。 高等文官試験は日本の場合は、帝国大学を卒業していないものには予備試験があります。 建前としては学歴はなくても可。身分は不問。 諸外国も同様のはずです。実際はフランスは昔はエコールノルマル、現在は国立行政学院を 卒業しないと入れないようですが、科挙も学問できない家からは受験者も出ないので同じです。
家格から飛び離れた出世が出来るようになった幕末が異常だったってことですな。
344 :
世界@名無史さん :2005/09/02(金) 11:30:08 0
>>342 ふむ。細かいことのようじゃが、予備試験免除の条件は大学卒業ではなく、旧制
高等学校か大学予科卒業あるいはこれと同等の学力を有するということじゃな。
[高等試験令]
第8条 高等学校高等科ヲ卒リ若ハ大学予科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定
ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力ヲ有スト認ムル者ハ予備試験ヲ免ズ
それと、ENS、エコール・ノルマル・シュペリオールは昔も今も高等師範学校、主に
教授や学者を養成するのが主目的の学校と思うのじゃがのぉ。
幕末の幕府高官で能力があるというのは、あとは小栗上野介忠順くらいですか。 このひとも三千石くらいの旗本の出身で、母は(どこか忘れましたが)大名の娘です。 徳川幕府の方針では老中が最高決定機関だったはずですが、老中にはなる人いないし、 能力さえあれば譜代の旗本でも、洋学者でも、という感じじゃないですか?
勝海舟の軍艦奉行ってどの程度の役職だったんだろ?
>>364 老中 海軍総裁
若年寄 海軍副総裁
中将 海軍奉行
少将 海軍奉行並
大佐 軍艦奉行 ←ここ
中佐 軍艦頭
少佐 軍艦頭並
大尉 軍艦役
中尉 軍艦役並
兵科士官候補生 軍艦役並見習
機関長 軍艦蒸気方
機関科将校 軍艦蒸気方並
機関科候補生 軍艦蒸気方並見習
兵曹長? 軍艦添役取締
下士官 軍艦添役
下士官 軍艦添役並
>>347 Thanks. 艦長クラスか…。戊辰戦争時になると陸軍総裁や軍事総裁だから
一気に老中クラスになるわけですな。とんでもない出世だ。
349 :
世界@名無史さん :2005/09/03(土) 05:42:09 0
>>345 エコール・ノルマルはリセ教員や学者養成機関だけど、フランスは大革命以後も
外交官や裁判官や将校は貴族やブルジョアに事実上独占されていたから、プチブル以下の
階級から権力中枢に成り上がるためには、実力試験で入学可能でかつ奨学金つきの
エコール・ノルマルを卒業してリセの教員をやりながら政治家のブレーン→政治家になること
を狙う者が多かった。
第三共和制下の左派政党には教員出身者が多いのはそのため。
理系だとエコール・ポリテクニークが名門以外の秀才に門戸が開かれていた。
兵科将校は19世紀は貴族の牙城だったけど技術将校は実力主義だったから。
エコール・ポリテクニーク出のユダヤ人ドレフュス大尉が貴族出身者が多数を占める
陸軍で冤罪に陥れられたのは実にシンボリックな事件。
ENAは、それまで文系官僚の任用が貴族・ブルジョア出身者に偏っていたのを是正する
ため第二次大戦後に作られた。ノンキャリ下級職員からENAへの入学枠があるのは、
労働組合出身者に出世の道を開いて共産党のレジスタンスの功に報いるため。
学力試験オンリーだとブルジョアの優位を再生産してしまうことになるから。
350 :
世界@名無史さん :2005/09/03(土) 23:49:41 0
なぜ、学力試験オンリーだとブルジョアの再生産になるのか? 日本だって学力試験のみで勝ち上がっていくでしょ
現代フランスは日本以上の学歴官僚社会なのな。
ある程度以上の学力をつけるのにかかるコストを負担できるのは そこそこ以上のブルジョアだけ、ブルジョアになるには高学歴が必要、 ってサイクルの話か。公務員連中はともかく、 なんだかんだいってまだ日本は流動性あるような感じはあるけどね。
1960年代までくらいだと、労働者階級の子弟はリセには行かないし、バカロレアは受験しない のが常識だったようです。 ブルジョワジーの息子がバカロレアに合格できないのは恥だったとのことですが。
354 :
世界@名無史さん :2005/09/05(月) 23:04:49 0
奨学金があれば解決する問題だと思うんだけどな。 フランスにはまさか奨学制度もないとか?
奨学金で補えないというか、金で解決できないなんやかんやも多いよ。 それより試験制度と教育制度って本来はほとんど逆のベクトルのもんだよな。 挙人さまにしろ現代の公務員にしろ一般人の感覚からすると 試験内容と実際の業務に相当開きがあるように見えるが 特化したエキスパートの養成とかしてたのかな? いや、業務のほとんどがルーチン化された どうでもいいような事務がほとんどなのは分かってるんだが。
>>355 どこの世界でも大学出たての新人は使い者になりませんよ。
社会人としてまともになるには3年位勤めないと。
技術職は別でしょうけど
357 :
元公務員 :2005/09/06(火) 08:12:12 0
>いや、業務のほとんどがルーチン化されたどうでもいいような事務がほとんどなのは分かってるんだが。 そのとおり。8割はそうだと思う。 だから民営化できそうなもなんだが、しかし個人情報・企業情報がぎっしり。 民営化してもいいもんかどうか。
358 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 11:46:19 0
>個人情報・企業情報がぎっしり。 >民営化してもいいもんかどうか。 公務員は聖人君主か? 国防上の秘密をロシアに売り渡した防衛官僚や 潜水艦の技術を中国に売り渡した技官がいたがな
359 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 11:55:32 0
そうならないように、そういう仕事をする人には充分な給料を・・・
かくして公務員だけが肥え太ることになるわけか。 その給料は一体どこから・・・
361 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 13:09:17 0
公務員が無窮で働くとでも?
362 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 13:10:25 0
訂正(近頃変換ミスが多いな・・・) 公務員が無給で働くとでも思ってるの?
363 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 13:24:37 0
そろそろ現代ネタというか時事ネタはヤメレ
>355 宮崎爺やんは特に明以後の科挙制度が 教育制度の萌芽を食いつぶした面を指摘してたね
無意味にハードルだけが高くなっていったからなぁ。
>>354 > 奨学金があれば解決する問題だと思うんだけどな。
お金のかからない公立学校でまともな義務教育がなされているのでなければ、
奨学金に値するだけの学力を自腹で身につけるしかないけど、
本当に貧乏な人間にはそれが出来ない。そういう家庭は親も無学で、
だから教育に無理解で、学校行くより働けってのが多いから。
367 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 01:36:44 0
>>366 フランスがそこまで貧しいとは思えないけど。
発展途上国の多くには当てはまるだろうけど。
>>364 教育制度の維持には金がかかるよね。寺子屋みたいのは日本でも中国でもあったけど、
あんなのではダメかな?社会の余剰生産力を考慮に入れずに制度云々してもしょうがない
と思う。
まあ、もっとうまくやれた面はあったとは思うけど。大学を充実させるとか。
>>365 来る者は拒まずこそが最大の問題だったのか?あんな倍率ならどうにもならないよね。
最後に最近思ったこと。アメリカのお役所仕事も大したことないことが分かった。
むしろ、日本の方がまだマシ?
368 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 02:40:07 0
最低限の義務教育が存在すれば、辻参謀みたいな例も出るのでは?
369 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 06:14:28 0
>>367 今頃わかったの?
日本のお役所は世界で最も清廉で薄給で忠実だといわれているんだよ。
370 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 07:27:36 0
>>369 言い過ぎ。日本は取りあえず天下りを何とかしろ!
たった数年勤めただけでうなるほどの退職金をかっさらってゆくぞ
371 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 07:35:49 0
日本ネタ、現代ネタうぜえええええ!!! 公務員板か政治板に逝け、ウンコどもが!!
372 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 08:43:34 0
>>370 公務員全部が高給取りで天下りしてると思ってんの?
国でいえば、局長・部長級以上の一部の再就職がいわゆる天下り。
ほとんどは初任給程度の給料での属託やアルバイトへの再就職なんだよ。
うちの会社でも毎年ひとりづつ。
>>366 漏れの家にある親が厨房のとき読んだ
1960年代出版の「フランスと言う国」によれば、
労働者階級の子弟は、高等教育を受けても就職先がないので上級学校には
行かないとの事。
.
375 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 09:14:29 0
376 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 10:36:04 0
幕末を除いた江戸時代において、武士階級、直参以外の商人とか農民とか そういう階級出身の人が登用されたって例は無いの? 幕府に限らず、藩でもいいけど
377 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 10:41:39 0
二宮尊徳
ジョン万次郎
379 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 11:55:08 0
>376 腐るほど例があると思われ。 形だけ養子縁組して「武家」にしちゃったり 御家人株買い取ったりって手もあるし。 あと、官民共同事業みたいな形の登用も含めれば 鉱山開発、航路開拓、干拓、新田開発など山盛り。 江戸時代の階級身分って現代人が思うよりずっと 人間味のあるというか柔軟性のあるもんだったようで
伊能忠敬なんて商人を隠居してから、蝦夷地測量の功績で名字帯刀を許され、 以後日本全土の測量という国家的プロジェクトのリーダーだものなぁ。
382 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 21:45:00 0
>>376 あと、江戸時代は武士とも農民とも(町人)言いがたい、周縁身分(最近の
用語ですが。)と位置つけられる人々がいました。
千人同心や牧士、などです。
宗門改め帳では幕末期まで農民扱いをされていますが、基本的には苗字をもち
幕臣です。
彼らのなかから普通の幕臣になる例もあります。
又、代官の配下の手代を概ね20年、もしくは2代勤めると、概ね御家人になります。
しかし、スペシャリストや実務家としての登用となるので、ゼネラリストとなり
高位を得ることのできる科挙とは本質的に異なると思います。
そういや八百屋の娘が大奥に務めていて将軍様のお手が付いて綱吉公を産み、 養家が大名になっちゃた例があったな。本庄家だっけ?家紋に大根が入ってるw
>>373 >1960年代出版の「フランスと言う国」によれば、
おそれいりますが、正確な書名と著者、出版社を教えていただけますか?
読んでみたいのですが、ぐぐっても見つからないので。
『絶対の探求』(バルザック著、水野亮訳、岩波文庫)からの引用です。 ガブリエル君は同じクラスの中で数学がいちばん得意なんですよ。 もし理工科大学へ入ろうと思うならば、あそこでどんな職業にも 有用な知識を身につけるだろうと思います。理工科大学を出てしまえば、 ガブリエル君は自分で自由にもっとも好きな道を選ぷことになるでしょう。 あなたはそれまでは、弟さんの将来についてべつに前もってあれこれ考えずに、 時をかせぐことになるでしょう。あの学校をりっぱな成績で出たものは、 どこへ行っても歓迎されます。これまで行政官、外交官、学者、技師、 将官、海員、司法官、工業家、銀行家などが、あの学校から出ています。 ですから金持の息子とか良家の子弟が、あそこへ入学するつもりで勉強 してるのは、ちっとも不思議なことではありません。
長くなったついでに説明しておきます。 場面はブルゴーニュの豪商の子孫(スペインの貴族とも親戚)、バルタザール家の破産騒動。 ガブリエル君は長男、語り手はガブリエルの通っている高等中学校の教師で、その姉の求婚者。
ある意味では試験や学歴ごときで 将来が保証されるってのんびりした世界だよな。 努力と結果がわかりやすく結びついてて懊悩が入り込む余地がないっつうか
>>384 失礼
1960年代出版、ではなく、1960年代に出版された、です。
親が中学生のころ読んだ本です。
今、家を出ているので手元になくて、出版社名がわかりません。
ただ、子供用の本ですので、たいした本ではありませんでした。
もうすでに絶版でしょう。
>>388 さま
>>384 =385=386です。
お返事ありがとうございました。
労働者階級の子弟は上級学校を卒業しても職がない、というのが、1960年代まで
フランスやドイツでも労働者が子弟を進学させたがらなかった理由としては一番
納得いくので、読んでみたかったのですが。
その頃のエッセイで、宮崎氏がドイツでは義務教育が充実しているため、労働者は上級学校は
無駄だと考えるので、大学進学者が少ないと書いておられました。日本も義務教育のレベルは
高かったのに、中卒でよいとする親は殆どいなくなっていたのが疑問でした。
もし、見つかった時はよろしくお願いします。
1816年の時点でエコールポりテクニクに行けば出世間違いなし、といわれるのに対し エコールノルマルには19世紀半ばまで、出世した人はあまりいないようです。 数学者のガロアはエコールポリテクニク受験に失敗しましたが、エコールノルマルの学生でした。 どうも、エコールポリテクニクの方が入りにくかったようです。
連続でごめんなさい。 なぜ、エコールポリテクニクが早く社会的に認知されたかというと、理科系、技術系では 学校教育の効果が高く、正規の教育を受けていない者との能力差が大きかったからでしょう。 宮崎氏のおっしゃるように、特に理系の学問では、学校教育でないと人材はでない、 ということですね。
393 :
世界@名無史さん :2005/09/12(月) 13:33:34 0
科挙そのものを語る気はないのか。スレタイ変えろよ。
394 :
世界@名無史さん :2005/09/12(月) 13:36:03 0
結局、科挙を語れるだけの知識のない連中が日本の近現代や江戸時代のネタを、 自分の得意分野にこじつけたいヤツがフランスネタで書き込んでるんだな。
専門分野外の人間を排除するつもりはないんだろうけど、 お互い学びあったら横断的研究が進むんじゃないの、とは通りすがりの弁
396 :
世界@名無史さん :2005/10/02(日) 23:58:46 0
398 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 22:54:07 O
宗学を大成させたシュキなんかは19歳で受かってるし、 司場光なんかも20歳で受かってる。やっぱり歴史に名を残すだけあるね。 5歳から科挙一直線で勉強(暗記)し続けるんだから、精神力も相当なモノ。 こういう人達にとって、東大入試や国1、司法試験は朝飯前だとマジに思う。
399 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 23:14:00 0
ミンジョンホは15歳で科挙に首席で合格。
400 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 23:19:03 0
王様もちゃんと憶えていたね。
琉球王国科挙では14才で合格した程順則というのがいる。
402 :
朱由檢 :2005/10/09(日) 00:56:01 0
科挙制度は東アジア圏諸国で官吏採用制度に強い影響を与え、 科挙制度もしくはその類似の制度が導入されたよね。 日本で科挙(省試)制度、大学制度導入されたのは879年。 学校制度との併用試験で、既存の貴族制度との並存したため、 実効性を疑問視する方もいるけど、学科は四書五経(明教道)以外に、 法律(明法道)、算道など実務的な科目があり、内容的にはいいと思う。 当時の女官達は「大卒?男はやっぱり育ちよね!」といってた。…確かに。 お隣の高麗で科挙制度が導入されたのは958年になってから、 科挙を受けれる階層も限定されており、後世にはご存知の両班を生みます。 李朝ベトナムで科挙制度の導入は1075年。 ただし、“太学所”設置つまり大学制度の導入は1070年ね。
403 :
世界@名無史さん :2005/10/11(火) 16:48:15 0
琉球にも科挙があったんだ。
404 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/10/11(火) 20:44:00 0
>>403 琉球が独自に科挙を実施していたわけではありません。程順則が14歳で合格したのが
どういう試験か判りませんが、彼は「秀才」という地位になったとか國子監で学んだとか
書いているサイトを見かけますので、恐らく琉球から南京の國子監に貢進する学生として
選抜され、秀才つまり生員となって勉強していたのでしょう。彼が會試に応じたかどうか
不明ですが、擧人になった形跡はないみたいです。この辺は琉球史に疎いので判りません。
どうか
405 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/10/11(火) 20:46:51 0
最後の「どうか」は4行目の切れっ端です。
406 :
世界@名無史さん :2005/10/11(火) 21:13:59 O
かきょけきゅかきこ
>>398 燃え尽き症候群になりそうな奴は受かるまでに脱落するからな。
極限状態にも耐えられる人間ばかり残りそうな予感。
ところで洪武帝の治世にも科挙は実施されてたよね?
大粛清が何度かあったけど、やっぱり志望者減とかあったのかな?
洪秀全は郷試にも合格しなかったんだっけ?
>>370 それまでの給料が能力(仕事量)と相対して安すぎるからな。
早期退職制度もあるから、どこかで帳尻をつけないといかんわけで。
ただやっぱり天下りと高い退職金というのは、外聞が悪いのも事実。
そこで科挙よろしく国1受かったキャリアには絶大な名誉と多額の給料を保証したら?
科挙にしても自分達が国の中枢を担っていくんだという強烈な自負を秀才達に植え付けるという
効果があっただろうし。
410 :
世界@名無史さん :2005/10/12(水) 00:01:32 0
やっぱ世界で一番難しいテストは科挙なのかなぁ。数学オリンピックとかは難しいらしいけど、 倍率はそんなじゃないだろうしね。
411 :
401 :2005/10/12(水) 04:40:35 0
訂正 以下のよると→以下によると
413 :
世界@名無史さん :2005/10/25(火) 00:42:27 0
科挙とは違うけど、スペシャリストはどうやって登用したの? 清なんかだと、公用語として満州語と漢語、蒙古語があるから、文書の翻訳、 作成だけで恐ろしい人数と手間が必要では?
414 :
世界@名無史さん :2005/10/25(火) 03:55:41 0
そこで繙訳科挙ですよ。
415 :
世界@名無史さん :2005/11/16(水) 23:14:10 0
age
416 :
414 :2005/11/16(水) 23:39:45 0
>>413 過疎気味なので、もう少し真面目に書きます。
元朝ではペルシア語の科挙があった……らしいです。
清朝では繙訳科挙の制度がありました。
雍正元年4月以降、特に八旗の満洲人を対象にして、繙訳科挙と武科挙とが実施されることとなった。
一般の文武科挙と同様に、郷試、会試、殿試からなり、試験に際しては貢生、監生、生員、現職の筆帖式、
それに文科挙の挙人で翻訳する能力のある者をその対象としている。
ただし、繙訳科挙では、その前提として弓の歩射と騎射を受けておかなければならなかった。
これは満族の武芸として、歩射と騎射の習得が義務付けられていたからである。
(石橋崇雄『大清帝国』より抜粋)
417 :
世界@名無史さん :2005/11/22(火) 12:35:41 0
中華は宋の時代に科挙を完璧なものへ仕上げ、その後中華は落ちぶれる一方だった。
418 :
413 :2005/11/23(水) 00:29:12 0
>>416 武科挙と並んで、完全な官僚の再生産試験だったのですか?
騎射などは、馬を維持できる家でなければ受験そのものが不可能だと思います。
実質上は不可能に近くても、旅費と自己の能力が受験と合格の原動力になる文科挙
とはまったく色彩が異なるものなのでは?
419 :
世界@名無史さん :2005/11/23(水) 01:37:52 0
>>418 あくまで八旗の満洲人対象の科挙ですから。
翻訳官を確保すると同時に、
満洲人に科挙という努力目標を与えて鍛錬を怠らないようにさせ、
さらに満洲人がアイデンティティを失って漢化するのを防ぐ意味もあったとか。
そういう意味では官僚より満洲人の再生産装置といえるかも
420 :
413 :2005/11/23(水) 01:42:54 0
>>419 なるほど。
確かに、よほどに強力な再生産を行わないと、圧倒的多数の漢人に飲み込まれてしまいますね。
緑営なんかはどうやって再生産をしたのだろうか?
421 :
世界@名無史さん :2005/12/14(水) 22:13:47 0
age
422 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 23:00:40 0
age
423 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 23:54:19 0
科挙でもそれに至る前の試験で数学とか物理学とかの試験をやっていたんですよね? その試験の問題は、誰の論(教え)が機軸となっていたんですか?
424 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 20:46:23 0
祖沖之あたりが使われそう。でも分かんないわ。
425 :
世界@名無史さん :2006/01/24(火) 23:04:16 0
入試シーズンage
426 :
世界@名無史さん :2006/01/25(水) 00:26:30 0
天元術の本なら結構あるはず。明代以降はあまり顧みられなかったようだが。 「九章算術」くらいなら誰でも読んでたんでないの。知らんけど。 中国科学と言えば沈括が有名だけどね。本としては夢渓筆談か。でもこれが 教科書みたいな扱いされるとは思えんし、物理学の試験までやってたのか?
>>423 『中国の数学』藪内清(岩波新書)によると、唐代に数学の試験はやっていたらしい。
その教えは、当時の先進国天竺からもたらされたものだったとか。
だからこそ、唐人は天竺を「中国」と呼び、自らを「支那」と呼んでいたわけで。
しかし唐人は将来された天竺人たちと打ち解けようとせず、互いに壁を作りあったため、
研鑽しあって学問を高めていくベクトルにはならなかったらしい。
数学試験も、毎回同じ問題が出題されるという創造性と無縁の方向に進み、
数学を扱う官吏が世襲制だったこともあって、やがて廃れてなくなってしまったという。
428 :
423 :2006/01/25(水) 01:22:27 0
ありがとうございます
429 :
世界@名無史さん :2006/01/25(水) 12:33:33 0
430 :
世界@名無史さん :2006/02/08(水) 02:14:04 0
でも幾何学は耕地測量や建築や軍事に必須なはずだし、実用面からも 欠かせない分野だったのにね。勿体ないことを・・・
431 :
世界@名無史さん :2006/02/08(水) 09:56:04 0
>>430 そんなわずらわしい計算は、下っ端が全部やります。
エリートが自らやる仕事ではございません。
現代日本で、技術系キャリア官僚が事務系キャリアと比べて冷遇されているのと同じ。
432 :
世界@名無史さん :2006/02/16(木) 19:10:00 0
>>416 清朝では翻訳科挙の制度がありました。
清朝では、外国の使節の接待を行う会同館は翰林院の管轄下にあり、
会同四訳館と言っていたからね。そこの長官は、提督会同四訳館。
433 :
世界@名無史さん :2006/03/02(木) 16:28:29 0
入試シーズンage
434 :
世界@名無史さん :2006/03/19(日) 01:13:04 0
436 :
世界@名無史さん :2006/04/02(日) 15:10:44 0
武科挙って当初は文武両道に通じた人材を取るための科挙だったのに、 力自慢の軍人を集めるための科挙に成り下がってしまっているな。 何故なんだろうね。
437 :
世界@名無史さん :2006/04/02(日) 20:51:27 0
>>416 外国語の翻訳試験が満洲人にあったっていうのは
理藩院の官吏は満洲人しかなれなかったってことかな?
438 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 10:55:12 0
>>436 中国の王朝では伝統的に儒教的な崇文軽武の思想があったのに加え、たたき上げの軍人に対する警戒感が常に存在した。
そのため、司令官クラスにはたいてい文官を任命した。
だから仮に文武両道に通じた人物がいても、馬鹿馬鹿しくて武科挙のために勉強する気にはなれない。
結局、腕力・武芸には自信があるが科挙で合格するほど頭に自信がない奴だけが
武科挙を受けるようになってしまったってことだろう。
そうすると武科挙を受けるような奴は二流の人材という評価が定まり、武科挙自体に対する評価はますます下がる。
こうして一流の人材はなおさら武科挙を忌避し、文科のほうにのみ集中するという悪循環に陥った。
439 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 10:07:25 0
清朝科挙では満洲語必須?
440 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 10:20:21 0
唐は外国人も科挙を受験できたけど、清は?
441 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 13:41:34 0
清朝でも満州語なんて不要だろ
442 :
世界@名無史さん :2006/04/06(木) 01:24:34 0
南方中国語の人間は科挙も苦労?
443 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 13:56:00 0
だろうな
444 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:07:36 O
東大生から合格者が生まれるかな? その時代の中国人として やはり、頭の出来が違うのだろうか?
445 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:14:37 0
漢詩も作れないと官僚になれないって厳しいな。 アーティストの才能と官僚の才能は別だと思うのだが。
>>442 明・清時代の科挙の合格者は福建省など華南出身者が圧倒的に多いよ。
447 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 19:33:32 0
国士監というのは教育機関?
448 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 19:34:21 0
449 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 19:46:17 0
>>448 通訳つきで出仕なんて話は聞いたことないから、
たぶんあらかじめ個人で官話を習っておいたんじゃない?
個人教師を雇ったり、身近にいる仕官経験者についたりして、
都や朝廷での礼儀作法と込みで教わったりしたと思われ。
450 :
世界@名無史さん :2006/04/15(土) 13:27:11 0
>>449 科挙合格者でも官僚として仕えず地元に留まるー免税特権は有ったらしいー者も居たそうですが、
それは
>>449 そういうことが出来なかった場合というのが任官辞退の動機だったのでしょうか?
科挙合格者の任官辞退の割合は、南方中国語地域で高かったのでしょうか?
官僚が地方官として赴任する場合、
ショ吏の多くが官話を話せたのでしょうか?
官話通訳専門のショ吏が居たのでしょうか?
451 :
世界@名無史さん :2006/04/15(土) 14:41:02 0
官話って明の都(最初は南京ですよね)が北京に移ってから宮中の公用語ですか? やはり元のときはモンゴル語、清も最初のうちは満州語ができないと出世が無理だったと思うのですがどうなんでしょうか?
452 :
世界@名無史さん :2006/04/15(土) 14:52:18 0
都でも官僚同士の主なコミュニケーション手段は筆談? よって、どうしても、同じ省の出身者で固まったはず。 科挙受験も同郷会館みたいなところがあったと思うが・・・忘れた。
同郷会館! それだ!!
454 :
世界@名無史さん :2006/04/28(金) 04:13:00 0
教養が第一 君子は器ならず。
455 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:59:09 0
へー、検索してたら引っかかったんだが科挙のスレなんか存在してたんだすごいな2チャンは。 でも科挙ってすごいよな倍率3000倍で平均合格年齢36歳とかな。 試験の途中で死んだり発狂したりするやつがいたり。 合格者も実際合格通知見るまでは、合格したときかされても全く本気にしなかったというからな。 違う面でも官僚制の手本になったのはこの身分に関係なく知識で登用するというこの試験だし。 ただ合格者はあまり社会貢献しようとは考えなかったみたいね。 給料も半端で賄賂が横行してたとか言うし。
456 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 18:54:58 0
地方役場のショ吏で満足すれば良かったんじゃ?
そうはいかんざき。 村や町が総出で、合格のために送り出したんだ。 合格のために、風水で適した位置に塔を建てたり、 毎日、祈願しているんだ。もはや本人の問題じゃない。
458 :
世界@名無史さん :2006/05/04(木) 19:06:27 0
有能な人材が地方には残らなくなった。 地方の大都市に大学のようなものが出来てもおかしくなかったのに
460 :
世界@名無史さん :2006/05/08(月) 03:37:57 O
しかし、ここまで来ると努力より才能としか思えないよ
461 :
世界@名無史さん :2006/05/08(月) 08:26:45 0
ただ合格者はあまり社会貢献しようとは考えなかったみたいね。 給料も半端で賄賂が横行してたとか言うし。 > 我が国の役人かんがえてみろ。 社会貢献のために官僚になったか?寄付したか? みな天下って贅沢三昧だろ。 古今東西、官に就職する奴の大半は肥え太る事を目的としているんだよ。 別に国民に何かしてやろうなんて建前だけですぐ私欲に走る。 そんなもんさ
>古今東西、官に就職する奴の大半は肥え太る事を目的としているんだよ。 王や領主の奴隷にされてしまい役人として使われる例も結構ある。 まあ暮らしには困らないが。
いい人生です
464 :
世界@名無史さん :2006/05/10(水) 11:25:53 0
>>449 広東や福建など出身の官僚でも、台閣では官話を話していたのでしょうか。
これは殿試の前あたりに詰め込み即勉したものなのでしょうか。
それとも殿試で出身地のことばで皇帝と面接して問題なかったのでしょうか。
近代以前の中国では、発音は真剣な研究の対象になっていなかったため
口語の学習はかなり困難だったのではと想像しています。
それとも台閣に通訳を連れていたのでしょうか。まさか筆談だったのでしょうか。
以前に読んだ本で、現地吏員との会話のため知県が通訳を帯同していたと
記してありました。これは官話と現地語の通訳なのでしょうか。
それとも知県の出身地のことばと現地語の通訳なのでしょうか。
お願いします。
466 :
世界@名無史さん :2006/05/10(水) 11:43:34 0
>>461 >我が国の役人かんがえてみろ。
>社会貢献のために官僚になったか?寄付したか?
>みな天下って贅沢三昧だろ。
>古今東西、官に就職する奴の大半は肥え太る事を目的としているんだよ。
ふ〜ん。
あんたの廻りはそういう人ばかりだったのか。
市役所勤めだった俺の親は退職金でようやく家を建てられたんだけどね。
467 :
世界@名無史さん :2006/05/10(水) 12:27:26 0
日本は天下りさえなければ・・・ 後、カラ出張が再発してなければよいが・・・ でも、厚生年金の無駄使いは許せん。おれの払った年金返せ
468 :
世界@名無史さん :2006/05/10(水) 13:08:36 0
天下りをやめさせる究極的解決策はあるよ。 それは、恩給制度の復活。
台湾の科挙について知りたいんですけど、良い参考文献とかってないもんですかね? 調べてみたんですけど見つからないんです
>>466 市役所勤めと高級官僚はまた別では?
とゆうか、日本は分野問わず中堅どころの質が高いと思う。
まあ、461も嫉妬交じりのやや大仰な意見だとは思うけど。
出世する人間は多かれ少なかれ普通より野心や欲が強い傾向にあるのは当たり前だろう。
高潔な理想だろうが、脂ぎった野心だろうが、それが公共の福祉と一致するようにもって
いくシステム作りが重要なんだろう。
472 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 19:06:42 0
473 :
世界@名無史さん :2006/05/25(木) 23:52:12 0
>>471 >とゆうか、日本は分野問わず中堅どころの質が高いと思う。
トップになったらダメダメになるということですか?
475 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 18:39:14 0
日本のトップはなあ・・
477 :
世界@名無史さん :2006/06/13(火) 15:41:01 0
>>474 科挙漢文のような文法、語句の話し言葉だが、発音は地方発音が抜けなかった。
でもそこそこコミュニケーションできたってこと?
478 :
世界@名無史さん :2006/06/16(金) 21:59:36 0
中国で出版された書籍の殆どというのは、科挙の受験勉強の参考書といっていい?
田中芳樹が平安時代に生まれていれば、すぐさま宋にわたり、科挙受けたのかな。 そして落第し続け、世を恨みブッサイク面を呪い・・・ 日本人の阿倍仲麻呂も科挙受けたんだからな。よく合格したものだ。
481 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 08:34:08 0
中国人でなくても科挙受けられたの? 清の時代も?
482 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 18:53:14 0
483 :
世界@名無史さん :2006/06/23(金) 21:50:25 0
世界史を学んでいる高校生です。
宋代の科挙についてなのですが、殿試というのは「面接試験であった」のか「面接試験ではなかった」のかがよく分からないので教えてください。
教科書にははっきりと面接試験であったとは書いてないのですが、面接試験であったと書いてある資料集もあるしではっきりしません。
ネットで調べましたが「世界史講義録 」には「会試を通った受験者が最後に受けるのが殿試。これは宋代からはじまった。皇帝自身による面接試験です。宮殿でおこなうから殿試だ。」とありました。
『追跡・則天武后』(著:今泉恂之介。新潮選書)によると「皇帝による面接試験「殿試」も武后の時代に始まった。〜高宗と武后の二人が洛陽城内で受験者と直接、問答をした。〜皇帝の意見に対する
反論も許された」(
http://homepage3.nifty.com/alacarte/hajimete-5.htm )というのもありました。
逆に「面接試験ではなかった」と明記してあるところは見つけられませんでした。
484 :
世界@名無史さん :2006/06/23(金) 23:52:20 0
最初期には不合格者が出たこともあったようだが・・・ 後には殿試で不合格になることはなくなり、全く形式的なものとなった。 殿試は紛れもない試験ではあるけど、不合格になることがない試験なのです。 筆記でほとんど決まっていて面接はセレモニーのようなものでした。 今でも公務員試験とか、そういう試験は珍しくないけどね。逆に筆記は簡単で 面接がキモというのも企業の採用試験とかではあるけど。
485 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 10:09:37 0
「形式的な」口頭試問とはいえ、官話の会話能力は・・・・? 南方出身者は北京に数年滞在して会話能力はある程度は身につけていたのだろうか? 話す文法、文例は官僚の共通に身につけていた科挙漢文みたいなものだったのかもしれないが。
486 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 10:10:56 0
北方の発音だけ身につけて、官僚の共通に身につけていた科挙漢文みたいなのを話していたのだろうか?
487 :
世界@名無史さん :2006/06/26(月) 00:15:12 0
>>135 今、平川祐弘著『マッテオ・リッチ伝』平凡社を読んでるけど、それと同じ
指摘がこの本に偶然見つけてかなりびっくりした。この本に従って付け加えると
西洋に中国の科挙制の情報を最初にもたらしたのはリッチらイエズス会士だと
いうことであり、リッチの死後1613年にリッチの『報告書』の草稿を中国から
西洋に持ち帰ったイエズス会士ニコラ・トリゴーが最初の人物。この『報告書』
の日本語版は岩波書店の大航海時代叢書『中国キリスト教布教史』に収録。
興味のある人はこの伝記の三巻「第十二部 ヨーロッパでの反響」を参考に
してほしい。なぜ西洋が伝統的に中国の科挙制を絶賛してフランスでそれが
採用されたのか?や、日本で1980年代に起こった試験地獄に対する反発が
実はフランスで日本の一世紀も前に起こった反発の焼き直しであったこと、
などかなり驚くような歴史的経緯の詳細を知ることができる。全部は紹介
できないので最後の結論部分だけ引用しておくと・・・
・・・こうしてリッチの名前は、彼の影響が文化史的に最も有意味であった
面においては忘れられて、『報告書』が伝えた公務員試験制度の内容だけが、
著者の名前と関係なく、作用したのである。リッチの明末の科挙の報告が
西洋の近代的な選抜試験の制度成立に間接的に貢献し、その西洋の新制度の
日本への導入が中国における科挙の全廃をもたらした、という影響の行きつ
戻りつの波動は、歴史の皮肉である。しかし文明の意味や特色は、そうした
際の微妙な手直しや変形の中に示される。その細部の真実に人々はなかなか
気づかないでいるのである(リッチ伝3 P.140)。
日本の東大至上主義は中国型科挙作用が日本版として根付いたその成れの果てだ。
「科挙という試験は偉物を作りはしない。しかしこの試験に偉物が通る事がある」
ある中国の知識人が科挙の反省の弁として語ったこの言葉は日本人には耳が痛い。
488 :
世界@名無史さん :2006/06/26(月) 05:24:34 0
どこの国にも最高学府至上主義はそれなりにあるものなのだが。
>>469 台湾はずっと化外の地で、中原王朝からすれば無主地。
日清戦争の賠償代わりに割譲の話を持ち出した際にも、
金子や朝鮮の宗主権よりも簡単に話がまとまったくらいだ。
ずっと化外の地だったら鉄道引いたりしないだろう。
491 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 21:03:23 0
シナの科挙制度の頂点に君臨した「翰林院」の機能がイマイチよく判らない。 19世紀フランスのアカデミーも日本語では「翰林院」と翻訳される。最高学府 としてはグランゼコールや東大法学部よりも権威は遥かに高かったようだけど、 ものの本には「天子の輔弼機関」ともある。最高学府であると同時に行政機関 だったと考えていいのだろうか?また現在の北京大学は同程度の権威がある?
492 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 00:44:25 0
>>491 >現在の北京大学は同程度の権威がある?
日本人留学生枠は緩くて入りやすいよ。
494 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 19:18:59 0
>>491 たしか、高齢者の合格などでも、翰林院の役職が与えられたはずです。
495 :
世界@名無史さん :2006/08/04(金) 22:19:52 0
月例郷試に上がりました。
496 :
世界@名無史さん :2006/08/28(月) 22:50:22 0
保守
497 :
世界@名無史さん :2006/09/05(火) 10:49:38 0
月例殿試に上がりました。
498 :
世界@名無史さん :2006/10/10(火) 23:35:57 0
499 :
世界@名無史さん :2006/11/01(水) 18:47:32 0
月例放榜に上がりました。
500 :
世界@名無史さん :2006/11/01(水) 23:17:54 0
500ゲット
科挙の試験は容姿・態度・字体・裁判の判決で振り分けられると聞いたんですが、 これは殿試合格後の順位決めに影響するのですか? だとすると一位の人は天下一のイケメンだったんだろうか…
選り取りみどりだからなんだかもうそういう所でも差別化しないと 希望者多すぎて選べなかったのかもな。 条件はジャニ系で180以上の車持ってる人☆ ブサメン長文プロフなしマジ勘弁(☄ฺ◣д◢) とかメル友募集してる昨今の勘違い女を思い浮かべた
>>501 そんな事は無い。
答案も専門官が筆写した物を採点するから、容姿どころか筆跡も分からない。
>>503 謄録法は宋代以降の制度じゃないか?
501は唐代の会試の身言書判の話をしてるんだと思うが
でも「殿試合格後の…」とか書いてるから やっぱ501は宋代を念頭に置いてるのかな? 自信なくなってきた……。
506 :
501 :2006/11/19(日) 20:35:38 0
唐と宋が混ざってしまった、申し訳ない みなさんのレスで宋代は身言書判はなく、試験の結果で順位が決まるとわかりました ありがとうございます
科挙合格者に対してさらに、官僚任用試験である吏部銓試を課し、その基準が「身言書判」 と言う理解でいいのかな。
508 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 02:18:33 0
字が下手だと殿試が不利になるのかな?
509 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 07:07:42 0
つうかなんだ、こんな試験でイギリスに勝てるわけ(ry
510 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 09:05:00 0
モサくてくせ字で声小さい俺は当時においても完全な負け組か('A`) 健常者のレベルでもそんな具合なら 体に障害のあるやつはどんなに優秀でも出世の機会が限られてたのかな?
>体に障害のあるやつはどんなに優秀でも出世の機会が限られてたのかな? 現代の韓国では身言書判はいきている。出世どころか生命も危ういらしい。
513 :
世界@名無史さん :2006/12/29(金) 17:35:35 0
514 :
世界@名無史さん :2007/01/17(水) 19:43:14 0
age
515 :
世界@名無史さん :2007/01/18(木) 00:23:05 0
数学の問題もあったのかな?しかもかなり高等な・・ そしてフランス・日本・支那以外の国々の国家公務員試験はどんなものなんだろ?
台北の故宮に陛下に上奏した文書が かなり展示されてる中で 「お前、字が細すぎる」って陛下から 朱もらってるやつあった。 確かにものすごい細いんだけど、 基本的に科挙の答案の文字って 秀麗ならば何でもよかったの? がんしんけー並の楷書体でかちっと書くのが 基本だと思ってたんだが、そうならば そいつは受かってないだろうし。
>>491 翰林の定義ってよくわからんけど、協修が編集の見習いで…
とかあそこの中でも差異があるよな。
しかも翰林に入ってからも試験がたびたびあるし、
基本的には官僚のプールであるとしか言えないんじゃ
ないだろうか。
でも歴史編纂事業に携わったり、清末の徐世昌なんかは
翰林にいた時代に近代警察の枠組み作ったりしてる。
ある程度なんでもできる緩い空間だったのかもしれない。
じゃあでもそこで彼等の直属の上司はどういう立場の人間が
やるんだろう?
>516 殿試とかの場なら欧陽詢っぽいつややかで端正な感じのが 受けたんじゃないかと思う。 顔真卿は楷書に関しては宋代でも異端児だったと思う。 悪く言えば不安定ていうか、なんか、甲骨文字へのオマージュというか、 一字一字に意味があって微妙にリズムを作りながら 込めらた意を紙の上に置いてる感じで。俺はいいと思うが。
519 :
世界@名無史さん :2007/02/11(日) 14:41:41 0
朝鮮にも科挙があったの?
520 :
世界@名無史さん :2007/03/11(日) 19:44:47 0
太平天国は唯一、女性にも科挙の門戸を開いたよな。
521 :
世界@名無史さん :2007/03/11(日) 23:22:19 0
鮮卑人が作った科挙が日本にまで影響を与えているとなぁ
522 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 19:02:09 0
阿倍仲麻呂って、科挙に受かったのでしょうか。 宮崎市貞の本では、果たして進士になったか疑わしいとあるのですが。
523 :
世界@名無史さん :2007/03/18(日) 16:59:56 0
>>522 後年の丸暗記テスト化の科挙と違って、受験生も少なくその当時のはまだかなりやさしかったから
あり得ると思う。それに皇帝のお気に入りだから最終の門下省の面接も有利に受かるわけだしな。
うむ。科挙に受かったかどうかよりもなぜ皇帝の信頼を受けたのかに興味がある。 井上靖の小説にちょっと阿倍仲麻呂が出てくるんだが、ムダなことは喋らず 頼まれたことはキチンと期日までにこなす能吏として描かれている。
525 :
世界@名無史さん :2007/03/20(火) 15:08:00 0
>>524 能吏な上に中国の役人の負の部分、汚濁な所が無かったからでないか?
526 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 16:38:55 0
ベトナムの阮朝が最後まで科挙を行なった王朝だったな。 1919年に廃止されるまで存続した。
527 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 19:12:04 0
明清時代の科挙は個室で自炊しながら行われたらしい。出題は暗記一本で 四書五経から出題された。よって受験者の中には四書五経の文字がびっしり とミクロの字体で書き込まれた帷子を着込んで試験に向かった(要するに 究極のカンニングを行った)者もいたという。 官僚は事務処理の遂行が優先された。考える能力の持ち主は政治的に危険 とみなされたのだろう。ただこのことは現代日本にもあてはまろう。 暗記優先で思考能力は余り問われない。やはりこのことが日本の悲劇の 一つと言えまいか?
明星のカップラーメンは日清より美味い、まで読んだ
529 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 19:55:56 0
思考能力や判断力が問われる選考方法を、527は是非とも考案してくれ ・・・・考えてみたら、それらが有ったらしいのは最近では 明治の元勲、高度経済成長期の経済人だな。
530 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 17:13:24 0
まあ、進士になれなかった人間が詩家などになって、地方にも文化が花開いたともいわれるな。
531 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 17:38:19 0
しかし王朝を揺るがす反乱の首謀者は、科挙試験の落第生の成れの果てである場合が多い。
何そのアドルフ
ネタ元が宮崎の本しかないから話がふくらまないな
534 :
世界@名無史さん :2007/03/27(火) 08:42:12 0
>>519 「海游録」を著した朝鮮通信使の申維翰は科挙の合格者じゃなかったかな?
日本のことをぼろくそ書いてるとかいうやつ。
朝鮮独自の試験をやったのかは知らん、支那に受けにいったのかも。
調べてみようかとも思ったが朝鮮のことなど面倒だからやめた・・・
韓国の受験戦争や学歴社会をみても科挙の伝統はあると思う。
それはともかく韓国にいわせるとソウル大学は京城帝国大学といっさい無関係らしいがw
535 :
世界@名無史さん :2007/03/28(水) 01:33:48 0
朝鮮の科挙試験はソウルで行っていたよ。 しかし本場宗主国様の科挙試験と比べれば、かなりなおざりだった。 何せ、「試験場に従者を連れ込んでもいい」だからね。 これで、従者に扮した替え玉や家庭教師が解答することも可能だったのだ。
>>527 創造力や判断力を(ペーパーに限らず)試験で見るのは難しい。
学校や会社で自分の周りにいて毎日接している人間の能力を
見極めるのだって常人には難しいと思うんだけど。
結局、ある程度平等で客観的な選抜方法を考えていくと、
記憶力、事務処理能力を判断基準とする手法を取らざるを得ない。
判断力なんかの無形の価値で人を判断しようとすると、主観の入り込む
余地が多いから、結局はコネが優先する選抜方法になると思うよ。
(まあ、そういう判断力や創造力を当初からある程度出自の良い人間に
帝王学として集中的に授けてエリートを育てる、という考え方もあるけど、
こりゃ典型的な階級社会だわな)
暗記「しか」できない人間がイコール能吏という体制は確かに困るけど、 実際のところ暗記「も」できる優秀な人間の方が多い、 とまではいかなくても相当数いるんじゃないかな。 権威や門閥というのはそう馬鹿にしたものでもないと思う。 腐敗は結局どんなシステムでも免れないんだから、 その人材の収集力みたいなものは捨てたモンではないだろう。
538 :
世界@名無史さん :2007/04/05(木) 02:10:38 0
科挙が長年続いたのもそれに代わる有効な手段が考え付かないからに尽きる。 それに、これのおかげで科挙関連商売(家庭教師、塾、本屋)も潤ったわけだし。
539 :
世界@名無史さん :2007/04/06(金) 21:44:37 0
>>535 それでも、限界はあったんじゃないか?
いざ任官してあんまり無能(実務というより読み書きみたいに本当の基礎学力が)だと、
「こいつ本当に合格したのか」という疑いをもたれそうな気がする。
朝鮮なんか何でもありだろ
暗記すら出来ない人には、官僚仕事は出来ないでしょう。
まあ政治に携わる人間が文字も読めんようじゃあ話にならんわな。 スレ違いだが日本でも右大将藤原道綱(蜻蛉日記の作者の息子)は 文字が読めんから大臣にはなれなかったって逸話があるし。
文字が読めんてどのくらい読めなかったんだ。 漢文がよく読めなかったという意味か、本当に文盲に近かったのか。
日本では有力貴族でもアホは出世できない仕組みが働いていたから 科挙みたいな制度は必要なかったって根拠になるのかな。
でも何をもって「アホ」とするかは日本の制度じゃ主観的になるからねえ。 事実道綱は右大将・大納言にまでなっているわけだし。 むしろ古代からの有力豪族が太政官を独占したことで 科挙などの客観材料による出世、昇進が妨げられたとも言えよう。 もちろん中国、朝鮮、ベトナムでも科挙制が皇帝独裁を支えた面は 否定できないし知的階級を育成したのは事実だろうけど権力というのは それだけに依拠するものではないからねえ。 また新思想の出現を妨げた弊害も小さくはないわな。 科挙制が良いか悪いかは結局国情によるんだろうなあ。 ただ西洋の買官に比べて公平な文官登用方法ではあったと思う(by宮崎市定)。
>>545 家柄がよくてもアホは出世させない、というのは日本に限らず
どこでも広く見られる現象だと思う。身分制のメリットは、
・社会のエリート層の構成員を血筋によって早期に選抜することで、
そいつらに社会の教育資源を集中させる(帝王学的教育)
ことにあるように思われる。
ただ、どうしてもアホは出てくるから、それをシステム上うまく
権力の中枢から排除できない場合は、国全体が苦しむことになる、という弊害もある。
例としてあがっている平安中期の場合、貴族同士や藤原氏内での権力闘争が
激しかった時代だから、無能な人は顕官から排除していかないと家全体の
浮沈に関わるという危機感が当事者にあったんじゃないのかなあ。
あと、「科挙は日本でなぜできなかったのか」よりは「中国でなぜ
科挙が可能だったのか」という風に考えた方がよいように思われる。
世界的には科挙の方が異質な制度なんだからさ。
宋代以降科挙官僚が貴族よりも優位に立てたのは、
唐末〜五代十国の混乱で有力貴族がみんなあぼーんされてしまったこと、
戦乱期の軍閥の跋扈に対する反省があったこと、統一直後で
皇帝個人の権力が大きかったこと、
という特殊事情があったことは念頭に置いておくべきではないでしょうか。
欧米の研究者で科挙制度を評価する人っているんでしょうかね。 そのままでないにせよ、自国の参考にした例とか。
550 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 05:27:43 0
日本の公務員試験は科挙を参考にして誕生したとか
551 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 05:51:37 0
552 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 05:52:54 0
553 :
世界@名無史さん :2007/06/26(火) 02:58:46 0
つルイ14世。 文官採用試験を実施。
りょうさいしい(漢字探すのマンドクセ)の作者も科挙に落第しまくって あんな傑作を書き残せたんだから むしろ科挙に落ちたほうが文人としての箔が(ry
つめこみ教育
556 :
世界@名無史さん :2007/08/25(土) 17:05:41 0
日本の公務員試験は科挙を参考にして誕生したわけではないということか
テスト職人に高い地位を与える官僚制なんて碌なもんじゃないよ。 清朝も大日本帝国も官僚に高い地位を与えすぎて滅んだ。
558 :
世界@名無史さん :2007/08/25(土) 17:19:26 0
清朝と大日本帝国じゃ、出題される問題の範囲が全く違うだろ。
東大生がみんな八股文の練習ばっかしてたら、そりゃほんとにその国滅びるよw
今の公務員だって威張れるもんじゃないが。
厚生省を見ろよ。俺らの想像の斜め上を行ってるぜ。亡国は近いんじゃないか?
>>559 八股文の代わりにポストモダン哲学だったりして・・・
561 :
世界@名無史さん :2007/08/28(火) 19:49:00 0
公務員U種試験は、普通の高校・大学の入学試験をもっと柔軟な発想にしたような内容。 T種は、国家的・経済的・国際的にありそうな仮想問題が出題され、それにような対応をするか、 どのように行動するか、というような政治家でも難しい内容。
実際の科挙は このT種のような設問も行っていたのでわ?
設問だけあってもなあ。すぐ形式だけになるし。 皇帝が熱心に関わってた時は生きた答案が書かれただろうけど。
564 :
世界@名無史さん :2007/11/03(土) 17:53:30 0
宋だな
565 :
世界@名無史さん :2007/11/03(土) 19:33:48 0
そうだな
受験シーズンが近づいて参りましたので、保守
阿部仲麻呂が科挙に合格していないという異説があるようだけど、 ぐぐったがわからんかった。 誰かどういう説なのか教えてくれや。
仲麻呂が科挙に合格したという確実な根拠があるかどうか調べてごらん。 ないなら(実際ないけど)異説が存在し得るということ。そんだけ。
570 :
世界@名無史さん :2008/01/21(月) 03:14:07 0
科挙は長期間泊まり込みみたいなイメージを宮崎御大が作ってしまったが、
それは郷試。
>>39 に書いてあるように、進士を選ぶ会試は一泊だけ。
571 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 00:06:42 0
>>569 科挙に合格せずに官吏になったヤツっているの?
572 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 04:18:02 0
573 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 11:49:36 0
科目選挙による官の登用といってもその制度は時代によって違うが基本は皇帝が最終判定を下す。 政治を貴族の手から離し、皇帝が一手に権を握るためのものだから。 遣唐留学生のなかに学問もあり皇帝が特に気に入ったものがあれば官につかせる。 制度が固まっていない唐期にはそういうこともあったと考えられる。 時代がくだれば、その皇帝試験(殿試)にたどりつくまでに厳格な筆記の関門がいくつもあるので、 ほぼ公正公平な試験制度になったといえるだろう。
日本でプロサッカーの監督になるには何段階ものライセンス試験を パスしなければならないが、外国から優秀な選手が来日した場合、 引退後に協会会長の判断で代表監督を任せたりするのと同じか。
575 :
世界@名無史さん :2008/04/05(土) 01:20:06 0
age
576 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 17:52:18 0
唐はまだ貴族政治が主。宋になって皇帝独裁と科挙が確立。
577 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 18:11:18 0
欧米諸国の官僚制に科挙をモデルにした競争試験が導入されたのは、 英領時代のインド高等文官からというが、それまでは全部コネと買官?
つーか、中国でも科挙が(良くも悪くも)機能した時代なんて、それこそ北宋の時代だけだろ。
>>577 下位官吏からのたたき上げ、と言うのもある。
580 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 23:59:38 0
>>187 >>190 少しは地元のことを考えていたそういう地元の名士層を一掃して、共産党に
従順なだけのチンピラに首を挿げ替えたのが中国共産党らしい。
日本が整えた官僚制度が残った台湾朝鮮とはそこが違うと。
そういう連中が改革開放で企業と結びつき、甘い汁を吸いやりたい放題
やっていると。
>>267 それはソ連だな。ソ連崩壊してから教育はガタガタになったらしい。
583 :
世界@名無史さん :2008/05/13(火) 02:18:25 0
松平定信は準科挙のようなものを実施
584 :
とびどぐもたないでください :2008/05/13(火) 04:35:05 O
≫506 宋代も一応「身言書判(吏部銓試)」はあったはず。 細かいことを言うと「身言書判」は吏部による銓試で、科挙とは違う。 科挙は言わば資格試験で、合格して即任官できるわけではない(この点も日本の公務員試験に似ている)。この吏部銓試によって科挙合格者殿試合格者はランクづけされ、ランクに応じた任官をする。 しかし宋代になると殿試が始まり、天子によってランクづけされ、それに吏部が口をはさむことはできなくなり、吏部銓試は無力化した(宮崎爺さんの『東洋的近世』より)。
585 :
とびどぐもたないでください :2008/05/13(火) 04:38:35 O
≫518 禿同。『祭姪文稿』なんか後半草書もぐちゃぐちゃで好き。カチッとした楷書はちょすいりょー。
586 :
とびどぐもたないでください :2008/05/13(火) 05:02:29 O
訂正m(__)m
584の「科挙合格者殿試合格者」は「科挙合格者」。
>>573 杉山正明氏(このオッサンもなんだかなぁ、だが)は『耶律楚材とその時代』(白帝社)で耶律楚材が科挙をズル受験した可能性を指摘している。「公正になった」という宋代以後でも似たようなことは山ほどあったんじゃないかな。
そもそもなにをもって「公正」なのか。糊名法の始まった宋代は、現代のわれわれから見ると「公正」に見える。唐代は科挙の試験官自らが塾を開き、受験生を教えていた。これは「不正」に見える。
しかし、唐代のやり方では、試験官は受験生を教えることでその「人物」をじっくりみることができた。官僚・政治家に向いてない人間を排除することができたわけだ。ペーパーテストだけで合否をきめるのより、唐代の方式のほうが弊害は少ないのかもしれない。
ちなみに、「盛唐」と呼ばれる唐代の最盛期を現出したのは、武后の選んだ科挙官僚に負うところが大きい。
要は為政者がどう活かすかであって、システムに問題があるわけではないんじゃないかと。
587 :
世界@名無史さん :2008/05/14(水) 20:42:02 0
科挙の合格率は何パーセント?
この科挙の権威が支那の「ペーパー重視」の民族性となり、 想像力がなくなり官僚ばかりがはびこり、今もその禍根をひきずっているんだなあ。
はいはい。
590 :
世界@名無史さん :2008/05/28(水) 22:43:58 0
第一試験にさえ受かれば、たとえ最終的には不合格だったとしても、 地元の貴族が雇ってくれたので食い扶持には困らなかったそうだ。
591 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 08:11:12 0
塾の経営
592 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 14:49:13 0
宋以後は地方に「貴族」は居ないはずだが?
593 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 16:21:15 0
あー? 士大夫のことだろー?
日本の現在の公務員試験の場合 OB訪問 ……… 上役への顔見せ ↓ セミナー …… 実質的な面接 ↓ 内々定 ……… これがなければどこも採りません ↓ 公務員試験 … 公開での試験、合格しなければ内々定が取消 ↓ 合格挨拶 … 実際には意思確認 ↓ 内定告知 公務員試験を先に受けに行って合格しても、公務員にはなれません。 試験はセレモニーで、実質的には、公務員試験の始まる前の内々定が とれていることが重要。
595 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 20:08:29 0
ふ〜ん。 30年ほど前、俺の時は9月に試験、11月に人事課面接、1月中旬に内定、2月末に決定通知だったがな。 いくらなんでも遅すぎるということで、そのあと年々早くなってるようだが。 上の「セミナー」って何やるの、それ?
596 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 20:25:14 0
594は公務員の採用手順をテケトーに想像してるようだな。 国:人事院、地方:人事委員会、公平委員会が実施する公務員採用試験に合格して 各公務員に採用される資格を取得する。 その名簿から国や地方の各人事部や人事課が公務員として採用すべく、 2次試験や面接、オリエンテーションを経て採用されるんだよ。
597 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 20:28:31 0
訂正 公平委員会は採用試験はやらないんだっけ
599 :
世界@名無史さん :2008/06/02(月) 03:49:58 0
都だけ
600 :
世界@名無史さん :2008/06/15(日) 11:47:58 0
601 :
世界@名無史さん :2008/06/15(日) 23:50:35 0
武科挙に受かると何かいいことあったの? いきなり士官として配属されるとか?
602 :
世界@名無史さん :2008/07/04(金) 08:31:21 0
岩波の「詩経」読んだけどさ、振り仮名を記してないから まったく面白くないんだよね。漢字が羅列してあるだけで、 全然楽しめない。熟語の意味や歌われていることの内容が 分かるのはいいんだけどさ。
604 :
世界@名無史さん :2008/07/04(金) 09:55:17 0
桃夭 Tao yao 桃之夭夭 Tao zhi yao yao, 灼灼其華 zhuo zhuo qi hua. 之子于帰 Zhi zi yu gui, 宜其室家 yi qi shi jia. 桃之夭夭 Tao zhi yao yao, 有蕡其実 you fen qi shi. 之子于帰 Zhi zi yu gui, 宜其家室 yi qi jia shi. 桃之夭夭 Tao zhi yao yao, 其葉蓁蓁 qi ye zhen zhen. 之子于帰 Zhi zi yu gui, 宜其家人 yi qi jia ren. こういう「発声を伴う漢詩」を読みたいの。 漢字とその意味だけ書かれていてもまったく 面白くない。
606 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 07:43:19 0
402 :氏名黙秘:2008/07/04(金) 03:34:45 ID:???
>>399 ( ^ω^)お爺さんが答案をすり替えて亡くなっていった話は泣けたお
417 :氏名黙秘:2008/07/04(金) 13:56:28 ID:???
>>402 ( ^ω^)実はお、あのお爺さんは自ら命を絶ったんだお
( ^ω^)周囲は、そのお爺さんが答案を書けなかったから自殺したと思い込んだみたいだけどお
( ^ω^)真実を知ってるのはあの青年だけだお
( ^ω^)あの青年はその後猛勉強して、のちに偉い人になるんだけどお
( ^ω^)自分の恩人であるお爺さんのことを後世に語り継がせることにしたらしいお
( ^ω^)それがあの話だお
607 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 22:04:51 0
科挙の制度は初めた最初のころは上手く機能していた。 科挙に受かったら、本人はそれを誇りに思い、国のために生きてゆこうとした人が多かった。 しかし、ある時から科挙の制度がうまくいかなくなった。 紙の普及である。 それまでは、どうすれば試験に受かるのか、どのような問題が出るのか、 とても予想できるものではなかった。 また、勉強するための環境を持てるお金持ちの子供は少なかった。 しかし、ある時から、紙が普及しはじめ、ある人物が、問題集を作ったのだ。 紙の普及でちょっとした小金持ちならだれでも科挙に挑戦することが可能になり、 さらにその問題集が普及したことにより、 どこの、誰でも(小金持ちなら)、ある本を徹底的に暗記すれば、 試験に合格することが可能になったのだ。 もちろん、人間生まれつき才能は違うだろうし、運もあるだろう。 だが、ある本を徹底的にやれば必ず誰でも合格してしまうことになれば、 合格した人間から、不合格した人間を見た場合、 「あいつらは努力しなかったから貧乏なのは当然だ。」 というふうになるだろう。 国家の財産は科挙合格者にとっては私物なのだ。
608 :
世界@名無史さん :2008/07/06(日) 01:31:34 O
カンニングでどうこうなる試験なんて司法試験のがむずいんじゃないかな しかも服の裏に書ける量なんて意外と大した事ないかも? 当時読み書きできる人も限られてたろうし つかカンニング何て国家資格レベルはほとんど役に立たないすけど
609 :
世界@名無史さん :2008/07/06(日) 05:37:34 0
むずがゆそうな御意見乙
610 :
世界@名無史さん :2008/07/06(日) 10:25:07 0
司法試験って六法全書持込可だぜ。 「すべての法律を暗記しなければならない」なんて 漫画の世界だ。
611 :
世界@名無史さん :2008/07/26(土) 04:37:51 0
どこの大学の法学部に入っても、入学式で最初に言われる言葉は、 「世の中の法学者、弁護士、裁判官。あらゆる法律を諳記している人は一人もいません」だ。
612 :
世界@名無史さん :2008/07/27(日) 02:56:28 0
明代の思想家だった李卓吾は、 八股文の読むに堪えるものをあらかじめ数百ほど暗記しておいて 科挙(郷試)の本番ではそれらを適当に組み合わせて答案を書いたら 優秀な成績で合格したとか。
>>608 いいとこのボンボンが便所から硯の水汲みから自炊まで閉鎖空間で一人でしなきゃならんのだし
自作課題もあるしNGワードもあるし科挙はカンニングしてもしんどいと思うけどなあ。
記憶力が問われるからレベルが低いってことないよね 四書五経の暗記は受験資格みたいなもんでしょ、少なくと挙人クラスなら 記憶力の優劣は合否に何の影響もない 結局、構成力・文章力・筆跡・運不運で合否が決まるんだからかなりタチが悪いとしか思えん
講談社文庫から出てる「科挙の話」って本に試験内容がチラって書いてるよ。 空欄穴埋め系の暗記問題は明経科の問題(だから世間の評価低くて廃れた)。 進士の方は付け焼刃の教養と文章力じゃ通用しないからこそ、世間に持て囃されて 競争激甚だったって。
616 :
世界@名無史さん :2008/08/04(月) 14:32:59 0
もしも宋代あたりの皇帝が、 科挙の選択科目として『斉民要術』や『黄帝内経』を取り入れていたら、 歴史は変わっていたのであろうか。
農業も中華料理もダメになってただろうな
わしはむしろ発達したと思うが。
変な話だけど、試験の解答って基本的には捨てちゃったのかな? 特に政策に関する論述試験っぽいやつなんかは 各解答を比較しながら読んだりしたらかなりおもしろそうなんだが。
620 :
世界@名無史さん :2008/11/13(木) 00:11:20 0
あげ
621 :
世界@名無史さん :2008/11/13(木) 03:10:58 0
あー俺も科挙受けてみたいなー いくら形骸化や丸暗記化に堕したといっても、格調高い古典を学習するんだから 得るものは大きい。現代日本にもこういう試験がひとつくらいほしい。 単に難関というだけじゃ魅力なし。
622 :
世界@名無史さん :2009/01/26(月) 09:44:32 0
古典は各人で読むもんだ
623 :
世界@名無史さん :2009/01/26(月) 12:35:19 0
621はコテンと倒れた
おまいら宋代の皇帝クラスの権力者だったら現行の日本の公務員試験どう改革する? 四書 ニコロ・マキャヴェリ『君主論』 シャルル・ド・モンテスキュー『法の精神』 アダム・スミス『国富論』 マックス・ヴェーバー『経済と社会』 五経 ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』 ロバート・ダール『統治するのはだれか』 ニクラス・ルーマン『社会システム理論』 ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』 ヘンリー・キッシンジャー『外交』 思いつくままにあげてみた。 殿試は20対1で連続5時間ぐらいの圧迫面接プレゼンにして 胆力と国と国民を思う真心を確かめたいw
>>624 >殿試は20対1で連続5時間ぐらいの圧迫面接プレゼンにして
皇帝が圧迫面接やったらイカンだろうw
ションベンちびるじゃないか
626 :
世界@名無史さん :2009/02/23(月) 08:44:43 0
答案の研究とかないかな
628 :
世界@名無史さん :2009/05/09(土) 03:56:24 0
越南の科挙も中国と同じぐらい難しかったのでしょうか?
629 :
世界@名無史さん :2009/07/18(土) 22:44:32 0
愚問かもしれない質問だけど、最高倍率だったときの東大理Vとどっちが難しかったのかな?
>>619 全部捨てたってことは無いんじゃない?
明代に模範答案を本屋で売ってたと聞いたことがある
儒林外史を読むと面白いよ
>>629 科挙と近代の試験は「難しい」の意味も違う。
633 :
世界@名無史さん :2009/09/07(月) 16:01:34 0
大学時代に東洋史の教諭に朝鮮科挙は中国に受けに行ってたと聞いてるんだが、 最近NHKなんかで朝鮮だけでやっていたかのように放送してる。 いったいどっちが正しいんだ?詳しい人教えて。
どっちも正しいでしょ。 わざわざ中国の科挙を受験した者もいただろうけど、 大多数の官僚は朝鮮国内の科挙で任官でしょ。
635 :
世界@名無史さん :2009/10/15(木) 20:10:57 O
俺は浪人生 科挙にくらべたら大学入手なんて…ッ!!
636 :
世界@名無史さん :2009/10/15(木) 20:52:41 0
科挙の倍率は時代によって違うがおよそ3000倍だそうな(進士合格)。
637 :
世界@名無史さん :2009/10/15(木) 21:04:14 0
>>631 同じだよ。どんな試験も暗記だし(数学なんて式の暗記と当てはめ)。
というかペーパーに「考えさせる」試験なんてあるわけなかろう。IQテストだって
訓練で上げたり下げたりが可能であることはアメリカの連続殺人犯が実際に
証明している。科挙の記述も現代の試験の記述問題もおなじ。君はなにか
試験に変な期待・幻想をもってないか?
638 :
世界@名無史さん :2009/10/17(土) 19:14:52 0
朝鮮の科挙は、都の漢陽で行われた。 しかし宗主国様のような、決められた個室に数日間泊り込むわけでもない。 専用の試験場で受験するわけでもない。 それどころか、試験場に従者を連れ込むことすら可能だった。 だから従者に扮した家庭教師や替え玉が・・・ ところで、朝鮮の有名なハングル筆記の小説「洪吉童」の作者は、 1594年に科挙に及第したことになっている。 1594年といえば文禄の役の真っ最中。 そんな時期に受験する余裕があったのか?
639 :
世界@名無史さん :2009/10/18(日) 07:08:42 0
>>637 まあ何にせよ、試験で優秀かどうかと仕事ができるかどうかは全く別の話。
上級試験で入ったエリート候補様が今や職場のお荷物というのはよくある話。
人間の本質は基本的に石器時代から変わらんから、科挙の状元様でもろくでもなかった
ものはたくさんいただろうね。試験で優秀な人間を選抜することはできない。
実際に1年間くらい職場で働かせてみるのが一番分かる。
641 :
世界@名無史さん :2009/11/09(月) 01:04:52 O
>>638 太平洋戦争中で敗色濃厚状態の我が国でも高等文官試験が行われていたわけで、特に不思議とは感じない。
642 :
世界@名無史さん :2009/11/09(月) 07:51:37 0
科挙の場合は実務と無関係な四書五経のテストだったので、 そういうこともありがちだったけど、 公務員試験は実務能力が試されるものが出題されているのだぞ。
1000年前の時点で四書五経は古くなってたからな 科挙の試験内容も歴史や理数系にシフトさせていくべきだったかもな 特に歴史は軍事政治の具体的な成功例や失敗例がつまっていて官僚や武将にとって有用だからね 実際に古来より名将には歴史オタが多かった 春秋は1500年前は新鮮さが残っていたけど、1000年前の時点ではあまりにも古すぎる
漢の時代にまとめられた漢籍ではなく、 宋の時代には、実務的な内容が要求されてくるけど 政争の道具になってしまった。
四書五経で30% 兵法と始皇帝以降の歴史で30% 現代の法律と経済と農業と工業と地理で40% 宋代でこんな感じにするべきだった
>>645 王安石が抜擢された宋朝のころ、農業や商工業の発展があり
経済政策や軍事政策が、王朝により行われるよになったが
明朝は、そういう新政策が、北宋を滅ぼしたと解釈して
停滞してしまうのだ。
武科挙が失敗したのも不思議なんだよな。 武科挙に合格するのは一般に家柄の良い優秀な武術家で、後漢末時代で言うなら孫策や曹仁や董卓みたいな連中で 優秀な人材も多いはず。欧州では士官学校も成功を収めてるしね。
武科挙は馬術・弓術の試験がメインだから、受かる奴は北方の遊牧民系の子弟も多いだろ
漢の李広、唐の郭子儀 いずれも、北西の西安周辺の人だな。 李広は、漢化した秦の遺臣の家系であり 郭子儀は、客家だとされている。
650 :
世界@名無史さん :2009/11/13(金) 01:50:59 0
中国拳法道場で修行した武術家は武科挙を受けて仕官しなかったの?
弓術が必須科目だから、仕官できないかも。
652 :
世界@名無史さん :2009/11/13(金) 20:03:19 0
基礎体力と身体検査は?
李広って李信の子孫でしょ?
みな科挙を誤解しすぎだよ。 あれは、一言で言えば 「国語の試験」 これに尽きる。ただし、近代語の感覚で理解してはいけない。 中華帝国の公用語は、古典漢文(文言)ただ一つ。 これに通じていなければ、帝国の官吏は絶対に勤まらない。 そして、古典中国語をマスターするためには、 四書五経をはじめとする中華古典を丸暗記して、 いつでもフレーズを思い出して、書きだせるようにしなければいけなかった。 さらに、中国語特有の事情が加わる。 古典中国語には、「文法がない」という学者すらいるくらいで、 丸覚えしたフレーズを、パッチワークのように組み合わせて 間違いの無い韻文を作りだす能力が問われていた。
新潮だと科挙官僚と満人貴族が半々なんでしょ? 満人貴族の養子にでもなった方が早いんじゃないの。
北方の漢人は、もともと自分の宗族の外へ養子に行くのが珍しい。 満人貴族でも、当主や当主に近縁なものしか特権はなかったと思う。 満人の社会でも、氏族の違うところから来た者が当主になれたかどうかわからない。 官員になると役得があるので、個人の栄達は二の次で その宗族の利益が優先される。 官員になるために、満人に養子にいくことは奇異だろう。
古典中国語に文法が無いとか、どんな電波だよ。 それに、どんな言語も丸暗記した語彙・フレーズを喋ってるだろ。
>>657 古典中国語が、文法規則があまりにも簡素すぎて、
言語として揃えるべき文法に足りないのではないか?
実は、極端な話「言語では無かった」のでは無いか?ということは、
中国語研究としては、古典的な説に属するんだけど。
要するに、漢文とは、パロール(口頭言語)を文字に起こしたものではなく、
文字が先行して、それを組み合わせることにより、意思疎通をした、
「知られている『絵文字の列』のパッチワーク」だった、
という考え方のこと。
最も先鋭的にこれを言うのは岡田説だが、中嶋説あたりも似たようなことを言う。
白河や藤堂も、漢字研究から、かなり近い線のことを言う。
659 :
世界@名無史さん :2009/11/15(日) 01:43:24 0
中国庶民の話し言葉は?
660 :
世界@名無史さん :2009/11/15(日) 03:57:57 0
>>659 話し言葉は地方によってバラバラ。
だから古典漢文が中華帝国の共通語になった。
中華帝国の官僚にとっては古典漢文は必須の実用知識。
詩経や易経があまりに簡素な文だからと言って、 官僚がそのフレーズのみを組み合わせて作文していた訳じゃない。 無茶苦茶な論理だ。 古典漢文と言うが、文言文は長い歴史があり、発展してきたものだ。 詩経や易経のような最古の文を持って、科挙全体、官僚の使う文言文 そのものの文法を語るのは、典型的なトンデモ論法だ。
日本の古文も枕詞とかよく分からないしな
たらちねの母とか?
ま、すくなくとも『漢書』の漢文読解知識じゃ明代のトウ案どころか『清明集』も読めないわな。
665 :
世界@名無史さん :2009/11/23(月) 01:06:18 0
江戸時代の日本の漢学者がもしも清に渡航していたら、科挙に合格できるレベルだったか?
666 :
世界@名無史さん :2009/11/23(月) 01:10:48 0
健訟(けんしょう)は、前近代中国で、訴訟が激しい状態を指す言葉。中国北宋代に生まれ、その言葉は現代日本の裁判判決文にも見られる。 清代の農民は、一生のうちに一度か二度は被告か原告になる計算だと言われるほど、帝政時代の中国農村は訴訟社会であったが、その多くは、不動産をめぐる争いであった。 南宋の裁判記録である『名公書判清明集』には、相続に絡む骨肉の争い、長期にわたる消耗戦的な訴訟など、生なましい光景が見られる。この健訟の背景として、地価高騰と訴訟コストの低減、 科挙による法律知識の普及で訴訟介入者が増加したことなどが挙げられる。
667 :
世界@名無史さん :2009/11/23(月) 01:55:09 0
>>660 そういや李香蘭のこと日本人だと見抜いてた人がいたらしい
中国語(北京官話)がメチャクチャ上手いんだけど訛りが全くない
北京っ子の訛りもなければ満州人の訛りもないからって
668 :
世界@名無史さん :2009/11/23(月) 02:13:20 0
舞台に出る人間はみな訛りがないように訓練させられているのでは?
669 :
世界@名無史さん :2009/11/23(月) 02:14:05 0
科挙に合格して宮中に出仕する人間はみな訛りがないように訓練させられているのでは?
そもそも北京官話は文言とは全然別物だし…
671 :
世界@名無史さん :2009/11/23(月) 12:28:12 0
665 :世界@名無史さん:2009/11/23(月) 01:06:18 0 江戸時代の日本の漢学者がもしも清に渡航していたら、科挙に合格できるレベルだったか? 荻ウ徂徠しか無理
672 :
世界@名無史さん :2009/11/24(火) 00:13:32 0
>>669 科挙で統一できるのは書き言葉だけ。
なまりは机上の受験勉強では矯正できないよ。
だから中国政治史では出身地閥の役割がでかい。
話が通じる者同士でつるむから。
まあ日本でも明治時代の藩閥なんてのは方言によって維持されていた面が
でかいと思う。
大久保利通の次男の牧野伸顕の娘婿になった吉田茂なんか
親戚の集まりでいつも疎外感を覚えていたらしい。
それが孤独に強い吉田茂のキャラを作ったんだよ(←嘘です(w)
673 :
世界@名無史さん :2009/11/24(火) 11:19:36 0
先に出世した=都の宮中言葉を早くに習得した同郷人脈の周りに後進が終結する? 最近までは中国共産党も客家語や湖南語ができる連中が終結してブイブイしてたのかな?
郷閥の力はでかいし、同じ出身同士で話すときは方言で話しただろうけど、 古典は音読・暗誦するものだから古典教育は共通語教育として大きな役割があったと思うよ
>>673 ミャオ族言語で、ひそひそ話ではないか?
676 :
世界@名無史さん :2009/12/04(金) 16:23:45 0
科挙の試験って今で言う国語の試験を超特化しただけなんだろ? 理数系や経済学も盛り込まなきゃだめだよな。
677 :
世界@名無史さん :2009/12/04(金) 23:35:52 O
そもそも理数系は発達してないし、 農業主体の経済に経済学は必要ない。
678 :
世界@名無史さん :2009/12/05(土) 08:20:36 0
数学は試験科目に入っていた(六芸の一つなんで)。九章算術とかから 出題されている。さすがに金元四大家レベルのものは出題されなかったけど。 でも、理数系が高等文官試験で重視されるようになったのは世界でも最近(ここ100年?) のことなんでは? ヨーロッパで試験が始まったときは主要科目がラテン語とかだし。当初は 文系エリートが行政官の主体だしね。
ところが、フランス革命時にはカルノーやラプラスといった優れた物理・数学者が 軍人や政治家をやっていたりもする
フーリエも末期は、政治家だね
ニュートンも晩年は下院議員 -> 造幣局長官と政治家の道を歩んだし。
>>682 ニュートンの家は、代々錬金術師を陰の生業としていて(ry
改鋳して、インフレ気味にして、景気がよくなる効果があったみたいね。
>>682 フランスは、エコールポリテーク以前は、外科医経由で
理科系の学問をやり、経済政策考えて、政治家になるコースがあった。
フランソワ・ケネーの時代だと、そのコースだな。
685 :
世界@名無史さん :2010/02/02(火) 03:53:23 0