モンゴル大虐殺史

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254世界@名無史さん
>229,>230,>240
参考になるか知れないけど、>233で少し触れたドーソンの情報の元ネタになった
『集史』の記述についてちょっと書いてみる。そんなに長い内容でもないのだが、
ドーソンはそこそこ端折っている。これは、

「チンギス・ハン紀第三部;称讃すべき性格と品行、彼の選ばれた習慣と各々の時期の
ために言い命じた良い金言と言葉とビリクと命令の数々、及び先の二つの部に入らなかった
ものについて良く知られたことで各々の人物や各々の本から散乱し整理されなかったために
単独で書かれてしまった彼の治世中に生じた逸話と出来事について」
255世界@名無史さん:2005/07/23(土) 20:36:42 0
というやたらと長い題名の一章に出てくる逸話集の最後のエピソードなのだが、
面倒なので訳をそのまま載せてみる。必要そうな箇所は()で補った。

「次に曰く。チンギス・ハンがある日、諸将の首長であったボオルチュ・ノヤンに
 「男子の快楽とジルガミシュ(=テュルク語で「快楽」の意味。同義語反復の例)は何であるか?」
  と尋ねた。ボオルチュが曰くに、
 「男子のそれ(快楽)とはこれであります。すなわち、己の色の紺青なる鷹をその肩に食い込ませ
 (ペルシア語で鷹を肩にのせることをこのように言う)、冬には羽毛を生えさせ、取り巻きの全てを
  手にとり(?)、太らせた良い去勢した速く静かに走る馬に跨がり、春の緑には紺青なる頭の鳥ども
 (ワシタカの類いか)で狩猟し、立派な衣と衣服を着ることです」
  チンギス・ハンはボログル(ボロウル)にも言った。
 「汝もまた言え」 ボロウルが曰くに、
 「男子のジルガミシュとはこれであります。すなわちソンコル(白ハヤブサ)に似た動物どもを
  灰色の鶴の上に飛ばし、それらのカギヅメの傷によって空から落ちて捕らえるまで(行うこと)です」
 そしてその後ドゥラダイ、クビライにも尋ねたが、「男子のジルガミシュは狩猟と動物を飛ばすことです」
 と言った。
  その時チンギス・ハンが仰せられることには、
 「汝らは良しとすることを言わなかった。(=自分の望みに適うことを言わなかった)
  男子の快楽とジルガミシュとはこれである。すなわち謀叛人を粉砕し、敵に勝利を納め、
  彼を根こそぎに覆滅し、その持てる物を征服することである。そして彼らのボグタクを
  持てる者(既婚女性のこと)たちをの眼を涙ぐませ、彼(女)らの鼻の面の上に涙を流させ、
  彼らの尻の太った態度の良好な去勢馬どもに跨がり、彼らの見目の麗しいハトゥンたちの腹と
  臍に眠りと寝床の衣服を設け(着させる?)、彼(女)らのバラ色の頬を見ながら口付けし、
  彼女らの砂糖のナツメ木色の(ペルシア語で恋人の唇を指す詩的な言い方)唇を吸うことである」
  『イスラームの民のうえに平安あれ』
256世界@名無史さん:2005/07/23(土) 20:38:49 0
 ここでのボオルチュとは、モンゴル帝国の勲臣第一等アルラト部族のボオルチュ・ノヤンのこと。
チンギス・ハンの青年時代から幕僚となった帝国の最古参のひとり。
 ボログルとは、幼少時代ジュルキン部族から拾われてチンギス・ハンの養子となった、ムカリ、
ボオルチュ、チラウン・バアトルと並ぶチンギス・ハン四傑(ドルベン・キュルウド)のひとり
ボロウルのこと。
 ドゥラダイは主要な勲臣のひとりだとは思うが、特定はできなかった
 クビライとはジェベ、ジュルメ、スブタイらとともに勇名を馳せた、チンギス・ハン麾下の四狗
(ドルベン・ノガイ)のひとりクビライ・ノヤンのこと。

いづれも帝国の筆頭と呼ぶべき名のある勲臣たちだが、そのどれもが鷹狩りをあげていることから
当時モンゴルの人士の内では鷹狩りによる狩猟が最大の娯楽だったことがわかる。要は鷹狩りなどの
遊技を「男子の快楽」とすべきでなく、征戦による武功とそれにより馬匹と子女とを獲得しこれを
愛でるこそ「男子の快楽=本懐」たるを心せよとのことだと見るのが穏当だろう。

ボオルチュが自分の去勢馬を〜というところを、対してチンギスは征戦によって獲得した敵の去勢馬を
駆ることにこそ上とすべきと述べているが、これによってもとくに良好な去勢馬が珍重されていたことが
見て取れる。
257世界@名無史さん:2005/07/23(土) 20:42:43 0
ボオルチュが自分の去勢馬を〜というところを、対してチンギスは征戦によって獲得した敵の去勢馬を
駆ることにこそ上とすべきと述べているが、これによってもとくに良好な去勢馬が珍重されていたことが
見て取れる。

さて、肝心の「陵辱・レイプ」問題だが、チンギスの言葉それ自体からはそれらしい文言は出ていない。
チンギスが「男子の快楽」として述べた文言の内容は、1)敵対者に対する征戦とこれの撃滅すること、
2)それによる敵対者の財物を制圧すること、3)敵対者のハトゥンたちを獲得してこれを愛でること、
である。

婦人達に涙を流させることが「陵辱」の見ることもできそうだが、財物の征服と良好な去勢馬を駆ること
の間に述べらおり、テュルク・モンゴル系の遊牧諸族では家産の管理を各家の婦人たちが担っていたので
これはむしろ敵対者家族の財物を容赦なく制圧し、もう少し穿ってみれば虜囚として家族が分散されこと
で「婦人達の涙を流させる」ということではないかと思われる。
さらに最後の部分だが、「ハトゥン」とは「ハン」の女性形、「妃」とか「王妃」に類するような
王侯貴族の婦人や子女のこと。ようするに「妃、姫君」のような高貴な女性たちのこと。
「砂糖のナツメ木色の唇」とか「バラ色の頬」とかいった表現はペルシア語文学のロマンスものでも
頻繁にでてくる表現で、「バラ色の頬」などは『元朝秘史』でも似た表現がある。

つまりここでは、敵対勢力から勝利して獲得した姫君を飽くまで「愛でること」が主眼となる。
同盟者や敵対者の頭目からその子女を獲得することはモンゴルに限らず日本でも欧州でも中世期では
一般的だったので、ここではチンギス・ハンが何か特殊なことを言ったわけでもなければ、強姦らしい
ことを奨励したわけでもないと見てとったほうが妥当だろう。もっとも中世には君主が有力勢力の子女を
妻君や側室として獲得することは一般的だったし、これと睦むことが強姦だと言うのであれば別だが。
258世界@名無史さん:2005/07/23(土) 20:46:28 0
>254-257の結論からすると、
チンギス・ハンは、敵対者を征戦によって打倒しその家産を略奪しその后妃・姫君を愛でる
ことこそ男子の快楽とは述べてはいるが、婦女子を陵辱し蹂躙することこそが快楽、などとは
全く言っていない。