1 :
世界@名無史さん:
鄭和、倭寇、朝鮮出兵、南蛮進出、鄭成功・・・話題はたくさんありそうです
また、東南アジアにおける日本、中国、イスラム、ヨーロッパの勢力争いで
なぜヨーロッパが勝ち残ったのでしょうか?
2 :
世界@名無史さん:2005/04/17(日) 17:43:43 0
日本が鎖国したから
3 :
世界@名無史さん:2005/04/17(日) 17:47:03 0
明〜清代の中国は海禁政策をとっていたから
4 :
乳1号:2005/04/18(月) 19:20:28 0
5 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 21:01:23 0
ヨーロッパが大航海時代に世界の海を席巻したと云うのは誇張
ムスリムや中国の商人が往来しているインド洋に進出しただけ
6 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 21:03:22 0
海洋上に国境を引くのは近現代以降の現象。
海は万人を拒み、万人に開かれた存在だった
俺の母方の先祖、どうも倭寇の可能性があるらしいんだけど・・・
8 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 22:12:58 0
>>4 レキオ人こと琉球の貿易船がマラッカまで通っていましたね。
けれど向こうから琉球や日本にやって来た話は聞いたことないですが、どうなんでしょ。
しかしムスリム
今はあはれ
10 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 22:57:57 0
鉄砲のように外洋船を世界一量産して世界に冠たる海洋帝国になれなかったのかな?
11 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 23:02:29 0
十分可能だった。
スギルが侵略してこなければ七つの海はウリの天下だったニダ
12 :
乳1号:2005/04/18(月) 23:29:07 0
>>8 マラッカは16世紀初めにポルトガル領になり
ヤジロウとザビエルの出会った場所、つまりむしろ日本とキリスト教の接触のほうで知られてますね。
とはいえこの時期にイスラムとの接触がなかったわけはないと思うので、
なんらかの記録とかきっとあるのでしょう。
13 :
朱由檢:2005/04/18(月) 23:39:17 0
イエズス会のバスク人宣教師ザビエルが日本へ関心を持ったのも、
マラッカで礼儀正しい日本人に出会った事がきっかけだったよね。
14 :
朱由檢:2005/04/19(火) 01:14:22 0
うっ…鯖の関係か、重複ネタが見えなかったや。
恥ずい
15 :
乳1号:2005/04/19(火) 01:21:59 0
17 :
世界@名無史さん:2005/04/19(火) 19:33:06 0
>>3 16世紀の明の隆慶年間から海禁政策が緩和されて、民間の貿易も認められる
ようになって、東南アジアと盛んに交易が行われたらしいよ。鄭成功の父の
鄭芝龍はこの時期に力をつけた海賊まがいの大商人だった。この時期の東アジアの
海は中国人、琉球人、日本人、さらにヨーロッパ人が盛んに行き来して活気が
あった。
この時代に倭冦やら幣やらが合資会社の先駆けっぽい商船団でも結成して
各国の東インド会社と張り合ったりしてたら、
かなりその後の世界史の潮流に変化が起きたような気もする。
19 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 00:35:40 0
山丹交易どうよ?
20 :
乳1号:2005/04/27(水) 00:37:59 0
21 :
朱由檢:2005/04/27(水) 00:50:57 0
歴史から抹消されつつある日本人町について、
一次ソースが少ないことは悔やまれる。
22 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 00:53:22 0
インド洋の覇者イスラム商人の事も時々で良いから思い出してやってください
24 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 11:30:03 0
西欧が大航海時代に突入した後も、アジアは自らの交易ネットワーク圏で事足りてた。
物が豊であればこその閉鎖体制だよね。
ヨーロッパにわざわざ出向いてでも求めたくなるような物があれば・・・
>>23 イスラム商人と張り合ってたバニア商人も忘れないでくれ。
26 :
世界@名無史さん:2005/04/29(金) 03:17:50 0
29 :
世界@名無史さん:2005/04/29(金) 10:18:53 0
ヨーロッパのハングリー精神はすばらしい。
少しはアジアも見習え
古い時代の東アジアにおける海洋国家の流れについてちょっとまとめてみる。
2C
フナンとチャンパーが南シナ海でシルクロード交易を競う。(〜6C)
3C
邪馬台国が魏に朝貢。
呉の南方進出&シルクロード交易参入。
4C
東晋が南方交易に力を注ぐ。
5C
東晋に代わり宋が成立し、倭や南方諸国と積極的に交流
6C
シンロウ誕生。その後フナンを潰し、シルクロード交易参入。
シンロウとチャンパーが交易を競う。(〜7C)
倭と百済の間で交流が活発となる。(〜7C)
7C
唐が東アジアの各地に朝貢を求める。
南シナ海ではリンガスカ、シュリーヴィジャヤ、カリンガ等もシルクロード交易に参入し、
海洋国家が乱立する。
百済が滅びる。
8C
シンロウの分裂。
シャイレーンドラ朝が成立しインドネシア各地に進出し、
シュリーヴィジャヤやリンガスカ等と対立。
渤海が誕生。日本との間で交流が活発となる。
こんな感じですかな?
31 :
世界@名無史さん:2005/05/12(木) 10:23:40 0
>>29 精神じゃなくてほんとにハングリーだったからだ
32 :
世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:12:18 0
33 :
世界@名無史さん:2005/05/22(日) 02:15:15 0
┌─────────────────────┐
│ ∧∧ ..... .....│
│ / \ ../ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\..........│
│ ( ) < 考えるに沖ノ鳥島は.. | │
│ ( O ) ...\_________/..........│
│ │ │ │ . │
│ (__)_) .... . ......│
├─────────────────────┤
│ ∧∧ ........│
│ / 支 \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ...│
│ ( # `ハ´)彡< 島じゃなくて.... |""│
│..ビッシ! (m9 つ .. \ 単なる「岩」アル!.....|"...│
│ .人 Y 彡.. \________/.......│
│ レ'(_) ....│
├─────────────────────┤
│" .... "│
│ .....南沙諸島. ..."..│
│------------------------------------------│
│ .;∧∧... ▲ ← 支邦が領有を ....".. │
│ ../ ;;;\ .. ^^^^^ 主張してる「岩」 ........""│
│;;;;;;;;( );;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;│
│;;;;;;;;;( O つ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;│
│;;;;;;;ノ ,イ".;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;│
│;;;;;レ-'(_);;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;│
└─────────────────────┘
支「那」だろ。「邦」ってなんだよ
インド洋沿岸部で使用される船舶は鉄の釘を使用しないし、
船食い虫がつきにくいチーク材で作られているから、
高温多湿なこの地域に適応した船を使用してるのは確かだね。
36 :
世界@名無史さん:2005/06/11(土) 02:03:48 0
海洋王国だったオマーンなんかは船材をどう調達してたんだろう。
自国に木なんてどれほど生えているやら。輸入に頼ってたのかな。
37 :
世界@名無史さん:2005/06/11(土) 22:00:30 0
フィリピンは大航海時代からスペインに統治されたけど、シナリオできないかな。
ちなみにマゼランがフィリピンに到達した15世紀にはすでにイスラムが浸透していた。
しかし、スペインが本格的にフィリピンを統治するにあたり、カトリックを布教して
イスラム掃討作戦をしてフィリピン本土から追いやった。
しかし全土のムスリムは南部のホロ等を中心に移動し、ミンダナオではスペインに徹底抗戦した。
ミンダナオ島のサンボアンガやダバオなどの拠点には、スペイン軍が数百年に渡り駐留し、
カトリックのフィリピン人もたくさん移住させた。
これは現代でも同じ状況が続いていて、山岳地帯など辺地ではイスラムが支配していてカトリックと紛争が続いている。
同時にここら辺には中国人の華僑もたくさんいる。実際はほとんどが現地人との混血だが。
南方のイスラムとの交易が盛んだったからだ。
その為、南部フィリピンのカトリックは、スペイン人の血が濃くて華僑の血も混ざったりしていて
素晴らしく美人なフィリピーナの産地でもある。
特にサンボアンガの言語は、限りなくスペイン語に近い。
PUBで知り合った俺の彼女は、父親が中国とのハーフで母親がスペインとのハーフのフィリピーナw
38 :
ポリネシアン:2005/06/12(日) 00:33:33 0
おめーら、俺様のこと忘れてないかい。
大航海だなんだとホザき始める何百年も前にアフリカから太平洋両極端まで
航海したんすけど。アメリカ大陸にも行こうと思えば行けたんすけど。
六分儀も羅針盤もいらないよ。
秘法、星の航海術に不可能はないっす
39 :
世界@名無史さん:2005/06/12(日) 08:38:46 0
>>38 まあ、移動に2500年くらいかかるのが難点だがなw
40 :
世界@名無史さん:2005/06/12(日) 08:52:36 0
2500年もかかっていたら星座も変わっていそうだがな。
北極点の移動周期が2万6千年だっけ?
41 :
世界@名無史さん:2005/06/12(日) 12:35:53 0
星の航海術(スターナビゲーション)って最近よく聞くけどどういう技術なの
教えて君で悪いが
欧州の後進国(これからも栄える見込みが無い)のポルトガルが
世界最強と言われたのが不思議でしょうがない。
現在のポルトガルなんて世界からみても後進国なのに・・・
世界から見て後進国??一人当たりGDPは十二分に先進国のレベルですが。
欧州の中では低めだけどね。
44 :
世界@名無史さん:2005/06/13(月) 20:01:46 0
45 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 01:00:02 0
中国嫌いの杉様は、鄭和の宝船は虚構に過ぎると、
蒙古襲来絵詞のキャンプションにもかかわらず、わざわざ言及してる。
実際のところ、どうなの?
ジャンクは実際巨大だしなあ。
ラ・レアルよりでかいのがザラにあったんなら、マスト9本あってもいいんじゃないの?
47 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 20:42:42 0
「平張り」は西洋で主流の「よろい張り」に比べて
やや頑丈さで劣る代りに、船体をいくらでも巨大に作れるメリットがありまして。
紫禁城をおったてた永楽帝の時代だったら、有り得ないこともないんでは。
オホーツク文化や山丹交易もヨロシコ。
49 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 02:14:23 0
北の元寇とか。
ありゃ結氷した間宮海峡を徒歩だっけか。
50 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 17:09:08 0
50ゲット
51 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 00:28:39 0
>>41 日本人の大学生が実際にポリネシア人のグルから秘法を授かっていたはず。
早稲田の学生だったような記憶があるが。
星の位置を見ることで現在地を割り出せるという秘術らしい。
カノープスが鍵だったようなことを聞いた気がするが、かなり曖昧な記憶。
ほかに、天候の判断や海流の詠みなどもやるとか。
人間の五感を究極まで研ぎ澄ますと、海図も羅針盤もいらないらしい。
まあ、人間の脳細胞には磁鉄鉱が含まれているらしいし
52 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 21:43:25 0
石川直樹のことでしょう。
ポリネシア人のマウ・ピアイルグに弟子入りして修得しています。
彼はエベレストにも登っています。
あと、ポリネシア人の航海技術は想像以上に高度で、
ヨーロッパ船との接触以前から三角帆を使い、当然風上にも航行できました。
カヌーといっても、30人乗りのかなり大型のカヌーもあったようです。
18世紀初頭の西洋の航海者は
「彼らのカヌーは、時速20マイルくらいの早さで、鳥が飛ぶように、
われわれの船を追い抜いて行く」
と驚いていたようです。
53 :
世界@名無史さん:2005/07/15(金) 22:11:21 0
>>51 一応、海図に相当するようなものはあるんだけどね。
短い木の棒を何本も交差させて作る格子のようなもので、
読み方がわかるポリネシア人が見れば地図として機能するらしいんだが、
一般人が見ても、何がなんだかさっぱりわからない。
54 :
世界@名無史さん:2005/07/30(土) 22:30:50 0
55 :
世界@名無史さん:2005/08/21(日) 22:17:54 0
56 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 14:12:33 0
刀伊が乗ってきた船はどんなだったんだろう。
別の時代に越後に粛慎人らしき一団が漂着したときは
「木の枠に革張りの小船数隻に分乗」してたと読んだ記憶が。 ウミアックみたいな感じか?
57 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 10:11:36 0
獣皮ボートか。
原始的なものだと思ってたが、人間の30人くらいは乗れるそうだから
けっこう馬鹿に出来ないものなんだな。
遣唐使船が、あれだけ本格的な船なのに
何であんな難破ばかりしていたのか不可解だったんだが、
どうやら出航の日取りを、季節風など完全に無視して
都の陰陽師が占いで決めていたせいらしい・・・
58 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 23:54:31 0
> 遣唐使船が、あれだけ本格的な船なのに
???
遣唐使「船」自体に関する史料は殆ど無く、実際どんな船だったのか殆ど分かってないんじゃないの?
59 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 12:14:12 0
60 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 02:58:35 0
隔壁がないと普通はジャンクと呼ばないと思うけど。
894年以前にジャンクが普及してた?普通は宋代以降とされているはずだが。
61 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 07:58:17 0
>>60 「ジャンク」という名は中国産の船をヨーロッパの人が呼ぶ際の総称だから
宋代以前の船もジャンクでいいんじゃないの。
隔壁はどうなんだろうね。
宋代以前の記録が無い以上断言はできないが、
隔壁は水密機能だけでなく、船体を支持する構造材としての意味もあるから
無いと船自体が成り立たない気もする。
ヨーロッパでは大航海時代でも全然発達してないよね>隔壁
梁と竜骨でなんとかしてたみたい
>>61 いや、そりゃジャンク語の語源はマレー語のジュンコで…、とかあるけど、
ジャンクと呼ぼうが呼ぶまいが、構造的に唐代以前の船から飛躍的に進
歩して東シナ海や南シナ海の荒海での長期航海に堪えうるようになり、
華人商人の海外進出が盛んになったという点が船舶技術史的には重要でしょ。
64 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 22:30:53 0
>>62 設計思想が広い倉庫を必要としたんだから仕方ない。
65 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 23:28:15 0
66 :
&rlo;水&lro;( ´_ゝ`) ◆TCygujgOWY :2005/09/24(土) 08:10:20 0
大航海時代のヨーロッパから見たら支那と日本は蛮族扱いだからね。
なんとも言えんよな。この評価は。
67 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 09:38:14 0
68 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 18:53:06 0
>>67 蛮族かどうかは別としてヨーロッパ人がそう思ってたのは事実だろが。
種子島漂着も向こうでは「日本発見」って事になってるし。
69 :
&rlo;水&lro;( `_ゝ´) ◆TCygujgOWY :2005/09/24(土) 20:43:47 0
>>67 うるせー!!
岩波書店の大航海時代叢書じゃなくて、もう片方の
大航海時代の叢書関係のやつ読めよ。
文字も無く、政治機構の発達していない文明を第一段階の蛮族。
未開社会というか、国も無い先住民はこれにあたる。
文字は無いが、政治機構の発達している文明を第二段階の蛮族。
アステカとかがこれにあたる。
文字のようなもので文書を作成でき、政治機構が発達している段階の蛮族が第三段階。
中国・日本はここ。これは名指しで明記されてる。
概要はこんな感じだな。
漢字も、昔のヨーロッパ人から見たら、「文字」じゃなくて「文字のようなもの」だった。
アルファベット系じゃないと文字とみなされなかった。
70 :
&rlo;水&lro;( ´,_ゝ`) ◆TCygujgOWY :2005/09/24(土) 20:45:28 0
中国語と日本語を比較してみたりとかいろいろ調査はしてたみたいだよ。
71 :
朱由檢:2005/09/24(土) 21:50:40 0
マルコ=ポーロによって紹介されていた日本も新大陸同様に発見されたことになってるの?
宣教師オルガンティーノ(Organtino Gnecchi Soldi 1532-1609)の日本評を紹介させてもらえると…。
“我々ヨーロッパ人は互いに賢明に見えるが、彼ら日本人と比較すると、はなはだ野蛮であると思う。
私は真実、毎日、日本人から教えられることを認めている。私は全世界中でこれほど天賦の才能を持つ
国民はないと思われる。”
72 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 00:48:16 0
「種子島」について「日本発見」?
>>68って馬鹿じゃない?
73 :
&rlo;水&lro;( ´,_ゝ`) ◆TCygujgOWY :2005/09/25(日) 02:24:48 0
俺のやつソースはアコスタ。
74 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 08:04:23 0
>>71 ジパングは限りなく怪しげなホラ話だからな
上陸して公式文書に記されなきゃ発見とは呼ばない。
>>72 ポルトガルの教科書にもエンリケ航海王子の記念碑前広場の地図にもそう書いてあるが何か
75 :
朱由檢:2005/09/26(月) 00:27:36 0
アブラハム=クレスケス、ジェフーダ=クレスケス父子により1375年に作成された、
キリスト圏の世界地図『カタルーニャ地図(Catalan Atlas)』では、
既に日本が紹介されているよね。
この地図はインド以東がかなり大雑把なものの、
仏王シャルル6世がアラゴン王ペトロ4世に依頼して作らせたもので、
当時の地中海世界(イスラム圏&キリスト圏)にとっての世界観と、
東の果ての金を産する島という漠然としたイメージの日本観を表してる。
モンゴルによる世界の一体化、情報の共有化が背景にあるんだろうけど。
インドに到達したときも、インド発見じゃなくって、インド航路の発見だったし、
既にキリスト圏で知られていた日本の扱いってどうだったのかな?
76 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 21:24:20 0
犬頭人や無頭人が住んでると思われてたよ
77 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 22:30:21 0
>>60 三国志の資料を見てたら
後漢末期の軍船の推定復元図には内部隔壁が描いてあった。まあ推定は推定だけどな。
竜骨と肋材から組み立てて行くのが西洋の造船術だが、
中国では間仕切りから組み立てて行くのが造船の基本のようだ。
(隔壁が「発達していた」というよりは、他に作り方を知らなかったんだな)
78 :
朱由檢:2005/10/08(土) 23:06:44 0
泉州の海底から発見された13世紀の船が横隔壁の確認できる最古のものかな?
79 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 16:55:04 0
博多湾に沈む元寇の沈船はもう原型を留めていないの?
砲弾とかいろいろ引き揚げられてるようだけど
81 :
世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:40:45 0
ジャンクはもともとは河船だったんだから
長江の底とかにいっぱい沈んでそうだけどな
82 :
世界@名無史さん:2005/10/14(金) 01:11:24 0
海水の中では木製品はまず残りません。バクテリアのエサです。
運良く海底の土砂に埋まるとか、無酸素水塊域に沈めば化石化
しますが。
第二次大戦の沈没艦船も60年経てばもう赤サビでボロボロです
からね。
83 :
朱由檢:2005/10/15(土) 00:19:58 0
>>82 だね。
泉州で見つかったジャンク船も泥に埋まっていた部分だけしか残っておらず、
船首部分や帆の構造などはまったくわかりませんでした。
84 :
朱由檢:2005/10/15(土) 01:31:13 0
>>67 17世紀のヨーロッパではシナ研究の権威であった、
アタナシウス=キルヒャー(1601-1680)によって、
表意文字はヒエログリフに劣り、
マヤ・アステカの象形文字は漢字に劣ると主張しており、
概ね似たような説が流布していたから、
水さんの主張は間違ってない。
キルヒャーは磁力の研究、拡声器の考案でも有名で、
ヨーロッパでは当代随一の天才とされていた。
ただし、シナについては…。
@シナの歴史はバビロンまで遡る。
Aシナ人はハムの子孫。
B孔子とはモーセのこと。
C漢字はヒエログリフ起源。
…って、お〜い(藁
85 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 22:10:19 0
86 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 23:00:36 0
モーゼて。
孔子が怪力乱神を語るなよorz
87 :
&rlo;「水」員党銀鹿&lro;( ´,_ゝ`) ◆TCygujgOWY :2005/10/19(水) 06:19:02 0
>>84 俺のは俺の主張じゃあなくてソースはアコスタ。
>>73のレスで書いた。
アコスタってのは宣教師で、何会に入ってたか忘れた(確かイエズス会士)が
著書の中で進化論に疑問を投げかけてるので、思想史とかでも取り上げられる
事が多いらしい。
全ての種がノアの箱舟に乗って、大洪水後世界に広がっていったなら、
この生息分布っておかしくね?
とかそんな感じの記述だな。
88 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 23:07:51 0
箱舟、「方舟」とも書かれるが、文字通り「四角いハコ形の船」だった、とする
想像図を見かけたことがある。
聖書の記述を頼りに再現したものだろうけど、よく絵で見る屋形付きの船ではなく
前後天地も全く同じ「長方形の巨大木箱」だった。
こんな構造の船が実際にあったんだろうか?
最近の模型実験では荒海でも転覆に強い形体だとの結果が出たそうだが。
89 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 23:17:08 0
つーか、そんな換気の悪そうな舟の中で、馬糞にまみれ、虎に襲われ、
象の下敷きになりかけ、鼠に舟を齧られた日にゃ、情けなくなると思
うよ。多分。
90 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 06:17:11 0
91 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 00:43:07 0
>>88 方舟は要は浮きさえすればいい船だったわけだから、それもありなんじゃないかな。
河船は耐波性がなくてもいいから箱っぽい船が多いよ。
農文協刊:「歴史の海を走る」山形欣哉・著
おすすめ。ジャンク船に関してはたぶん日本一詳しい本
俺は船の構造とかについては全く知らないんだが、耐波性能ってのは具体的に
どうやって船に装備させるの?
そもそも船の耐波性能の有無はあるの?
単純に外洋に出れ得る頑丈さ、を持ってるかどうかの違いなのかな?
>>92 船体の断面を楔形にして、喫水線を深くする、
全体も弓なりに反らせ、船底に重り=バラストを積む、など。
そうすると波浪にもまれて傾いても、おきあがりこぼしのように姿勢が復元して転覆せずにすむわけ。
平底の船はそういう構造をしてないので、波を受けるとひっくり返りやすい。
座礁しにくいというメリットもあるので一方的に劣るって訳じゃないけどね。
>>93 耐波性ってのを耐久力のことだと思ってました・・・・・・・。
どうやったら波ごときで船が破壊されるんだろう?と。
だってよ、ゲームの大航海時代とかで耐波性ない船で外洋にでると耐久力下がるじゃん?
でも長年の疑問が解けましたw
あれは高波とかでダメージ受けてるんジャマイカ。
>>94 浪ごときと言うが、外洋の浪ってのは要するに巨大な水の固まりが繰り返し体当たりしてくるって事なんだが。
>>95-96 でもさ、そうすると、耐波性能の増強ってのは
>>93の他にもあるということだよな?
確かに何度も圧力が加われば破壊される可能性は高くなるのは解る。
そう考えるとやはり波に対する衝撃の防御材があるということなのかな?
まあ、つり用のアルミボートなんかも、平底はいつの間にか波で凹んでたりするんだよ。
Vハルはぶつけでもしなきゃ、流石に波では凹まんがな。
100 :
世界@名無史さん:2005/11/05(土) 03:34:10 0
100ゲット
102 :
世界@名無史さん:2005/11/07(月) 22:28:02 0
>>94 船に波が当たって壊れるんじゃなくて、
船が波の部分だけで船全体の重さが一ヶ所で支えることになる。
最近読んだ本に書いてあった。
103 :
世界@名無史さん:2005/12/19(月) 09:31:32 0
要するに、船舶の形状がその後の発展を左右したって事か?
104 :
世界@名無史さん:2005/12/24(土) 05:20:04 0
>>75 >キリスト圏の世界地図『カタルーニャ地図(Catalan Atlas)』では、
>既に日本が紹介されているよね。
されていないのでは?
ヨーロッパ人が日本を描いた最初の地図は1459年のフラ・マウロ地図ではないでしょうか?
105 :
世界@名無史さん:2006/01/06(金) 23:04:55 0
元代に中国の地図が欧州に伝わってもおかしくなさそうだけどね。
マルコ・ポーロも行っていることだし。
元じゃなあ。海図は作らなかったんじゃないか。
107 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 18:25:19 0
2月にNHKハイビジョンにて2夜連続 鄭和 特集をするらしい。
CGフル活用
110 :
世界@名無史さん:2006/01/23(月) 12:06:25 0
>107
2月1日と2日
NHKにメールだせばBS1もしくは地上波でやってくれるかもよ。
NHKは金かけているみたいだから評判よければ再放送するはず。
111 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 16:55:52 0
age
112 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 21:21:18 0
113 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 23:40:24 0
出航準備
間宮海峡進行中
スレが凪いでいるな
スレ主しっかりしろ
>>107 番組全然話題になってない。放送されたのか?ってくらい話題になってない。
誰か感想書いてよって誰も見てないのかな
119 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 03:17:48 0
鄭和全然面白くなかったな。
相変わらず中国マンセーなNHKだった。
120 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 04:04:35 0
日本人は、中国人ではなくヨーロッパ人から
地球儀を見せられて地球が丸いと教わった。
121 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 07:10:14 0
あのNHKの政治臭はやめて欲しいよな。
ああいう事ばっかりしてると、
全ての番組がなんか信用できなくなる。
「1421」著者出た?
保守
124 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 08:19:58 O
保守だ
125 :
世界@名無史さん:2006/04/10(月) 14:14:31 O
保守
126 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 00:51:52 0
>>84 今でもそういう「中国文明オリエント起源説」を唱える学者って欧州に
まだいるんだよねえ・・・
127 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 00:54:34 0
128 :
世界@名無史さん:2006/04/28(金) 06:49:51 0
最近、中国が水中考古学に力を入れてるようだけど?
アフリカの東海岸で鄭和の船を発掘するらしい。
成果に期待。
129 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 14:45:58 0
>128
その内、アフリカまでわが国固有の領土と言い出すに北朝鮮製偽100ドル札1枚www
130 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 14:57:29 0
メンジーズ御大の著書の中国での評価が気になるところ。
国を挙げてのえらい持ち上げようだったりしてな。
>>130 まともな学者は相手にしてないよ。
邪馬台国関連本と同じで、地方のお役所や郷土史家みたいな
人で持ち上げている人はたくさんいる。
昨年中国に行ったとき、翻訳は平積みだった。
132 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 18:47:31 0
速報!!!
5/3 (水)
NHK総合
夜7:30〜8:45 鄭和第一部
夜10:00〜11:15 鄭和第二部
おお、とうとう地上波もか
この際、中国には金かけて宝船の実物大復元船作って欲しいものだな。
中に鉄骨とか入ってそうだがw
復元プロジェクトやってると聴いたような。
鄭和第一部見たけどそのなかで
コショウは同じ重さの金と交換されていたという とか伝聞で言ってた。
そういえば同じ重さの金と交換したって話は漠然と知っていたが、
これって伝聞情報しかないような。
銀ってのはあったけど。
某漫画、忍たま乱○郎でもたびたびコショウ=金と言っていたな。
鄭和の番組は忍たま○太郎をソースにしてコショウを語ったのか
両者NHKだしあり得るね
>>137 いや、ないない。
まぁ…鄭和に
「再びジオンの理想を掲げるため…星の屑成就のため…ソロモンよ!!私は帰ってきたぁ!!」
と、行って欲し(ry
ひょっとしてコショウ=金はガセビア!?
去年の新シルクロードと制作スタッフ一緒なのかな?
気味悪いほどのシナマンセーだったんだが。
鄭和第2部終盤では、15世紀末にインドに来着したバスコ・ダ・ガマは、
鄭和と違って、現地でアラビア商人や住民を大量殺戮したと述べていたが、
バスコ・ダ・ガマって、ピサロやコルテスと同類だったのか。
>>141 ガマのお土産がしみったれていたので現地の王様が無視
逆ギレしたガマが大砲ぶちかます。王様対抗、ガマ反撃
どんどんエスカレートして殺戮・・
細かく見れば違う部分もあるけど結果からすれば同類。
NHKの番組がその点を強調したのは鄭和の偉さを強調するためだろう。
イスラム教徒の鄭和はインド洋のイスラムネットワークを利用してたわけで
わざわざ戦争やる必要もなかった。だから鄭和が平和主義者というわけじゃない。
じつはガマもイスラムネットワークを利用してたりする(w
ガマが軽視されたのはイスラムとキリストの対立も影響してたりする。
鄭和は実質砲艦外交をやっていたのに
平和だのなんだの言い訳するNHK
朝貢の意味を隠すNHK
144 :
世界@名無史さん:2006/05/12(金) 00:22:52 0
age
忍たま乱太郎と言えば、時々安宅船が出てくる
なかなかマニアックに調べてあるんだこれが
146 :
世界@名無史さん:2006/05/12(金) 12:27:41 0
>>142-143 でも中国が平和的な国だったというのは欧米人の間でも結構信じられて
いたりするんだよな。
147 :
世界@名無史さん:2006/05/12(金) 12:30:55 0
往時のヨーロッパに比べればどんな国でも平和的だろ。
比較の上での話だ。比較対象が些か悪すぎだけどモナー
148 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 00:02:35 O
鄭和以外にいないんけ?
149 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 00:36:07 0
そっかー!歌舞伎の天竺徳兵衛が蝦蟇に乗ってるのは、バスコダガマのことだったのか。
>148
国営であれだけの規模はないな。
151 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 13:05:45 0
和辻哲郎が『鎖国』で、ヨーロッパが大航海時代を迎えていたころ、日本人も
勘合貿易・倭寇・八幡船などのかたちで南シナ海に出て行った、しかし
ポルトガル人の海外進出は国家の支持を得、公共的な企業の精神と結びついて
いたのに対し、日本人のそれは倭寇によって代表されるように、「あぶれ者」
として終わってしまったみたいなことを書いていた。
そしてそれは日本にはポルトガルのエンリケ航海王子のような、外に開かれた
部分を意識し、後押しするエリートがいなかったからであると。
これは明にも当てはまるんじゃないのか?鄭和の大航海以後の明は再び内向きに
なっていった。
153 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 19:34:27 0
ディスカバリーチャンネルで
鄭和の番組が今、流れてる
>>153 鄭和より「ジャンク航路を追って」の方が気になる
155 :
世界@名無史さん:2006/06/05(月) 18:54:30 0
>>151 逆に明が永楽帝以降も国家の支持を背景にした海外進出やら
実行してしまっていたら、日本はこれまた明のネットワークの
齎す交易の中継地であるに満足して
鎖国状態に陥っていたろうし
どっちにしても日本は鎖国状況に入らざるを得ないような気がする。
鄭和ってなんだか支那の儒教精神のおろかさの表れにしか見えないよ。
儒教ってのは新しい勢力や価値観を徹底的に否定するのがその本質だ。
鄭和の時代、あの進んだ支那なら「竜骨(キール)」くらい利用できそうなものだが、
そうではなかった。今までの箱舟のでかいもので大航海をしている。キールを
使わずに、だ。バカだ。本来ならあの支那の国力を持って「普通な」国家の
発展をしていれば、後に阿片戦争で陵辱されなくてもいいものを。本当に儒って
禄でもないな
157 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 09:48:29 0
>151
ヨーロッパの連中は国のトップも「あぶれ者」みたいなもんだw
また、極めて土地の生産性も低くまともな産品もない地域だから、外の世界に対する渇望が他の文明地域よりも
強かったんじゃないの?
つまり貧乏人ほど、富への執着が強いってやつ。
また、日本が鎖国に走った最大の要因はキリスト教を標榜しながら侵略行為に走っていった南蛮勢力による所が大きい。
日本人奴隷の売買なんてこともやっていたし、民心を安定させる為にも為政者としてそれらの勢力を排除する必要が
あったと思う。
まあ、明が鄭和の大航海以降、全くそれらを取りやめにしたのは費用が膨大になり国家財政に大きな負担となったことが
最大の要因だったから、富を求めての海洋進出ではなく、覇権を得るための海洋進出であった、という違いがヨーロッパと
の間にあった。
そもそもの動機が違う事からして、上からの命令だけで行われた明の大遠征は所詮長続きしなかっただろうな。
もし、明の経済に欠かす事の出来ない産品が南海に眠っていたとしてそれを明の大衆が渇望したのであれば
その経済的動機により、国家主導でなくとも継続して海外貿易は増大の一歩を辿ったと思うが・・・・・・・
158 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 23:20:39 O
age
159 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 17:12:40 O
age
160 :
世界@名無史さん:2006/07/02(日) 12:12:27 0
月例停泊に上がりました。
161 :
世界@名無史さん:2006/07/05(水) 15:31:13 O
age
162 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 21:21:52 O
age
>>151 日本は「あぶれ者」だったが。
ヨーロッパは、政府などの組織的だったため、外の世界に対して他の文明地域よりも
強かったんだじゃないの?
つまり組織的なため有機的に働いたが、
日本は、そうした組織を作ることすらできなかった。
164 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 18:01:00 0
ぬるぽ
165 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 18:49:02 0
>>163 必要性が無かった為でもあるだろう。
国内の開拓開墾&対外的に交易にたる産業の育成余地はまだ結構あり、
全国乃統一市場すらまだ未完成に等しい状況であったし
鎖国といいつつ内向性重視で国内内政を充実させる必要はあっただろう。
ヨーロッパの場合、外部進出しなければやっていけない側面はあったから
否応無く政府ぐるみの組織立った行動に・・
信仰という宗教的情熱ってのも結構な動機だったシナ。
>>163-164 江戸幕府の官僚機構や側用人制度について何か一言あるか?
江戸時代のコメ先物相場や元禄以降の商業流通の変化とか、
開発主義に走りすぎて環境保護政策をとったこととか調べたか?
その外にも突っ込みどころ満載の痛い内容だ。
四つの開かれた窓による鎖国の嘘は知っているか?
官僚機構が未発達だった大英帝国がなぜトップになった?
世界史板に書き込むには早すぎだ。
半年ロムってろ。
167 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 21:39:53 0
168 :
世界@名無史さん:2006/07/25(火) 16:24:10 O
ぬるぷ
169 :
世界@名無史さん:2006/07/28(金) 01:41:34 O
age
170 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 22:57:38 0
日本海を横断する交易というと、もしかして遣渤海使が最後とか?
奥州藤原氏も日本海交易してたんじゃなかった?
つか、今でもやってるじゃん。北朝鮮産のシジミとか。
マンギョンボン号だって、工作員だけ乗せてる訳じゃないし。
173 :
世界@名無史さん:2006/08/02(水) 10:02:45 O
age
174 :
世界@名無史さん:2006/08/03(木) 21:49:35 O
ぬるぽ
175 :
世界@名無史さん:2006/08/07(月) 12:35:07 O
保守
176 :
世界@名無史さん:2006/08/15(火) 00:05:01 O
age
177 :
世界@名無史さん:2006/08/23(水) 02:23:38 O
保守
178 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 18:16:24 0
179 :
世界@名無史さん:2006/08/27(日) 15:46:19 O
mage
180 :
世界@名無史さん:2006/09/04(月) 20:47:33 0
hage
181 :
世界@名無史さん:2006/09/06(水) 16:48:06 0
スレ主どうした?トンズラかコノ野郎!
182 :
世界@名無史さん:2006/09/06(水) 18:04:46 0
age
183 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 04:27:53 0
>>178 日本の船が海外へ出向くことは当時あったの?
北方民族によるバケツリレー式交易だったんだろうか。
184 :
世界@名無史さん:2006/09/15(金) 00:26:46 O
age
185 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 03:37:35 0
日本船は遠くても渡島どまりでは。
以北の交易路はアイヌの交易船が掌握していたと思われ。
186 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 12:34:33 0
昔の中国では金と銀の価値が転倒してなかったか?
さすがに銀産地の日本ではそんなことは無いけど、西洋ほどの差は無かった。
187 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:51:21 O
age
188 :
世界@名無史さん:2006/09/27(水) 12:31:13 0
アゲ
189 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 00:03:34 0
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
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(;´Д`)焦らないで・・・
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(;´Д`)焦らないで・・・
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(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
190 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 08:14:39 O
age
ジャンクの筵の帆ってかっこいいけど潮でしっけたらすごく重そうだよな。
ズック地より乾きが悪そうな気がする。
鳥の子紙に漆でもコーティングしたら良い感じになりそうだけど
ものすごく高くなりそう。
ゴザが濡れた時みたいな感じかねえ。
ま、帆の自重でさっと畳めるのも重いおかげではあるがな。
193 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 08:46:07 0
194 :
1:2006/10/14(土) 22:03:04 0
195 :
世界@名無史さん:2006/10/18(水) 13:32:06 0
age
196 :
世界@名無史さん:2006/10/24(火) 17:37:26 0
アゲ
197 :
世界@名無史さん:2006/10/28(土) 17:32:04 0
age
198 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 17:09:24 0
アゲ
199 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 13:52:49 O
age
200 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 14:53:57 0
201 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 03:44:40 0
>>200 それは誤訳が多いから要注意。
middle kingdom=中部の王国とか、
高校生の誤訳レベルが満載。
202 :
世界@名無史さん:2006/11/12(日) 00:41:45 O
age
203 :
世界@名無史さん:2006/11/16(木) 14:54:37 O
保守
204 :
世界@名無史さん:2006/11/18(土) 23:16:39 O
保守
205 :
世界@名無史さん:2006/11/27(月) 09:22:51 O
錨age
206 :
世界@名無史さん:2006/12/02(土) 03:07:26 0
あげ
207 :
世界@名無史さん:2006/12/02(土) 21:28:05 0
age
208 :
世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:44:01 O
か
自分は長崎なんだが 郷土史調べてると大航海時代と連動してることがよくわかる
210 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 00:13:37 O
保守
211 :
世界@名無史さん:2007/01/05(金) 02:20:02 O
賀正
212 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 11:57:14 0
山丹交易もヨロシコ。
でも日本側以外は大都市って経由しないんだよねえ・・・
213 :
世界@名無史さん:2007/01/14(日) 22:53:55 O
age
214 :
世界@名無史さん:2007/01/18(木) 12:49:14 O
age
215 :
世界@名無史さん:2007/01/20(土) 12:29:43 0
every night
216 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 18:25:54 O
age
217 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:40:58 O
age
218 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 03:44:56 0
津軽の安東氏はどのくらい遠くまで航海していたのだろう?
ヨーロッパ覇権以前
―― もうひとつの世界システム ――
■構成 全2冊
J.L.アブー=ルゴド
佐藤 次高,斯波 義信,高山 博,
三浦 徹 訳
これ面白かった。
220 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 22:47:29 O
221 :
水 株主【whis:135/1619=8.33(%)】 ◆TCygujgOWY :2007/03/10(土) 01:14:26
桜 0 株主優待
222 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 01:04:19 O
age
223 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 18:53:17 0
224 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 19:56:39 0
>>35-36 しょぼいカヌーみたいなのはナツメヤシ。
大きな船はインド西海岸は西ガーツ山脈のチーク材を輸入していたよ。
オマーンは中継貿易で儲けていただけではなくて
騎馬戦術を持ち込んだインドのイスラム諸王朝とそれに対抗するヒンディー王朝に馬を輸出していた。
このスレではどうしても日本関連に話題が偏りがちだけど、
東シナ海なんて支線もいいとこ、アジアの海洋交易の本場はインド洋・南シナ海ですよお客さん。
中国船は元代までは南インドまで来てイスラム商船に引き継いでいたのに
あとになるとマラッカまでひっこんじゃったね。
225 :
世界@名無史さん:2007/03/23(金) 17:27:03 O
age
香辛料貿易
227 :
世界@名無史さん:2007/03/29(木) 18:00:43 O
age
228 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 18:14:21 0
April Fool age
229 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 11:10:31 O
age
230 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 16:18:42 O
1571マニラを建設したスペイン総督レガスピ
231 :
世界@名無史さん:2007/04/12(木) 13:05:52 0
O
o と
。 ,. -ー冖'⌒'ー-、 思
,ノ \ う
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ キ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、 モ
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/ オ
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 / タ
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 / で
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/ あ
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\ っ
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ た
/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃
232 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 16:10:33 0
アゲ
233 :
世界@名無史さん:2007/04/15(日) 17:44:05 0
スレ主しっかりしろyo
234 :
世界@名無史さん:2007/04/21(土) 00:48:35 O
age
235 :
世界@名無史さん:2007/04/24(火) 18:00:23 O
age
236 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 19:08:42 0
祝二周年・・・目下漂流中w
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
238 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 16:30:50 O
age
239 :
世界@名無史さん:2007/05/29(火) 09:37:22 O
age
240 :
世界@名無史さん:2007/05/29(火) 09:42:40 0
パイレーツ・オブ・カリビアンの3にシナ人の海賊が出てるぞ
なんか語れ
242 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 14:03:26 0
失礼します、大航海時代の功罪の罪にあたるものって何かありますか?
探しても、出ないんですよ!
思いつくところから
新大陸に天然痘、旧大陸に梅毒などを広めた
244 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 15:31:20 0
>>243 レスありがとうございます。そうですね。それがありましたね。
レポート提出が今週なのでいろいろ探しては見たんですが
出てこなくて。感謝します!
245 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 21:17:43 0
鄭和の時代の大砲ってどのくらいの威力だったのですか?
247 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 22:16:04 0
>>246 その大砲の砲弾は爆発するのですか?
その技術は戦国時代の日本に入ってきていますか?
>>247 ・この時代はまだ炸裂弾は発明されてない
・中国式青銅砲はしばしば輸入されて入って来ている(1450年頃に琉球使節が持ち込んで試射した記録がある)
大友宗麟の家臣が明国に渡って鋳造技術を学ぶなど国産化の試みも存在したが、
いかんせん日本国内ではコストに見合った戦果を期待できる局面が少ないため、実際に造られたものはごく少数にとどまった。
249 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 02:49:27 0
>>248 >1450年頃に琉球使節が持ち込んで試射した記録がある
>大友宗麟
鄭和よりずいぶん後ですね。ほんとにあったのだろうか。
250 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 17:15:57 0
日本の場合、大陸や欧州などと違って極めて山がちな地形だから、兵站上、極めて負担をかける
重量物となる大砲より携行火器(鉄砲)が重視されたといえるかな。
まあ、だからといって全く作られなかった訳じゃなくて大阪夏の陣とかで活躍している訳だが。
・『蔭涼軒日録』文正元年(一四六六)七月、琉球の官人が幕府から退出するさい
「鉄炮一両声」をはなち、人々を驚顛させる
・『李朝実録』一四〇九年と一四一九年、対馬において小銅銃による試射が行われる
日本には青銅製の釣鐘を鋳造するだけの基礎技術が既にあったので、
かかるコストは別として、砲の製作自体はそれほど難しい事ではなかった。
問題は火薬の入手で、献上されて大砲だけは手に入ったものの、
火薬が無いため使い方も何もわからず鋳潰されてしまうこともあったとか
その時代では砲を使う必要がさほどなかったのも大きいんじゃないの?
同じ火薬を使うのなら焙烙・棒火矢のようなもので火災を起こさせたほうが役に立ちそうだし
253 :
世界@名無史さん:2007/07/10(火) 22:45:18 0
254 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 12:08:26 0
age
255 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 13:07:38 0
>>252 日本の城は中国や西欧のように、
石の高い城壁ではなく、土塁を重ねた山城というのもあると思う。
基本的に土塁にどれほど砲弾を当てても効果は望めないし、
城壁を破壊・突破すれば一気に勝負がつく中国や西欧と違って、
郭を何個も持っている縦深型の構造だから、
一つの拠点を陥落させても、次の郭に後退させられてしまい、
また一から大砲の設置のしなおし、
しかも一瞬でも逆襲されたら高価な大砲を破壊されてしまう。
こういう事から、非常にコストパフォーマンスの悪い兵器だったんじゃないだろうか。
256 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 15:21:21 0
同様に、銃火器を持たないインディオでも山城で粘った集団は驚くほど長く
スペイン軍の攻撃を退け続けた。
コロンビアのタイロナ諸都市は1599年、
マヤのタヤサルは1697年まで陥落されなかったくらいだ。
257 :
世界@名無史さん:2007/07/25(水) 15:32:54 0
age
258 :
世界@名無史さん:2007/08/01(水) 20:25:58 O
age
259 :
世界@名無史さん:2007/08/06(月) 19:08:56 O
age
インカの場合火器が強かった、というより内乱に付け込めたから征服がスムーズにいっただけだよな
もちろん火器が非常に役にたったのもあるけど
261 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 00:57:49 0
アゲ
262 :
世界@名無史さん:2007/08/23(木) 21:58:47 0
>>260 インカ皇帝を捕らえた戦いでは3万人vs100人で、スペイン側が大いにインカ軍を破り、
皇帝を捕らえています。
火器の威力があればこそですよ。
当時の火器は威嚇兵器として多大な威力を発揮しました。戦争とは、時には威嚇だけで
勝負がつくもんなんですよ。命のやり取りですから。
現代人からは理解しがたいとしても、戦史をひもとけばそうなんです。洋の東西を問わずです。
鉄器もなかったインカ帝国にとって銃なんていうのは、
現代人にとっての「宇宙人が攻めてきた」に匹敵するショックだよな
>>263 アフリカで当時全盛を誇っていたソンガイ王国(現マリ)もサハラ砂漠を越えてきた
ばかりでヘロヘロ状態のモロッコ軍5000人(砂漠越えで兵員の1/3くらい失っていたんじゃ
なかったっけ?)に3万人超の軍勢で満を持して攻撃をかけましたが、モロッコ軍の
フリントロック式銃の前に壊滅させられました。
その年のうちに首都も落とされ、ソンガイ王国は滅んでいます。
兵法のあらゆるセオリーで優位に立った側が為すすべもなくやられるほどの威力なんですな。
火器の登場というやつは。類似のケースはいくらでもあります。
このスレっぽい例で言うと、17世紀の東インド会社VSマタラム王国の戦い(バタビア包囲)は
マタラム軍20万人をオランダ兵わずか500人で退けたとか。銃+砦の組み合わせは当時じゃ無敵ですわな。
まあ前装銃は装填に時間がかかるから、おのずと守備側の武器となってしまうが・・・
島原の乱なんかも鎮圧されるまで幕府側の死傷率がものすごいが、ひとえに一揆側が鉄砲で武装してたせいですな。
>>262 スペインが皇帝を捕らえた戦いは
インカにとって全員武器を持たずに踊るというパフォーマンスの行列を奇襲したから
あの戦いでは火器はあまり使われず、丸腰の行列相手の一方的な殺戮行為だったかと
相手が同じ文化だったら、パフォーマンスを見れば撤退するのがお約束だったのに
相手がお約束を知らないスペイン人だったというのが間が悪いというか何というか
267 :
世界@名無史さん:2007/08/27(月) 12:11:02 O
age
268 :
世界@名無史さん:2007/08/27(月) 18:27:39 0
>>266 インカ帝国をなめてない?
仮にもいにしえのローマ帝国なみの広域帝国を築き上げた軍事国家だよ。
敵対する可能性がある相手に、皇帝を担ぎ出していながら、そんなパフォーマンス
をするとは思えない。
兵は欺道なり、というのは世の東西を問わないと思う。命かかってんだから。帝国を築くまでに
そんなパフォーマンスをしてきたとでも言うの。それなら、スペインとの遭遇前に大敗を
喫してしまい、帝国を築けないと思う。必ずどっかで奇襲されていると思うが。
それに平和的な撤退を期待していたのなら、数万人も集めてこないでしょ。どう考えても。
文化の違いと言っても人間の本性は変わらない。抜け駆けしたい、嘘をつく、陰謀をめぐらす、
規則を破る、慣習にそむく、命が惜しい、なりふり構わず勝利を求むっていうのは人間の本性
だと思う。そのような本性に脆いままで一大帝国を築けるもんかね?
269 :
世界@名無史さん:2007/08/27(月) 23:02:09 0
同じ文化を持つ国同士の戦争は、厳密なルールに乗っ取って行うのが基本だろう
これまた世の東西を問わないが。
270 :
世界@名無史さん:2007/08/27(月) 23:45:22 0
そのルールが厳密に守られてきたのかな?
いつかは、必ずルールを破る者が出てくる。
レフェリーがいない状況において、ルールというのは容易く破られる。
武士同士の合戦が続いていく内に源義経が出現したように。
また、異なる文化習俗を持つものをも征服していったからこそ、
「帝国」なのである。
>>266の出典を知りたい。
271 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 03:13:02 0
>>268が何を言いたいのかわからん。
皇帝アタワルパが、あろう事か武装したスペイン人と
ほぼ丸腰の状態で接触し、捕らえられたのは、まぎれもない「史実」なんだが。
272 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 07:01:44 0
お付きの大軍団は何をしてたんだ?
皇帝自身はほぼ丸腰でも不思議はないが
まずピサロがアタワルパに謁見したときにアタワルパは御輿に乗ってた。
アタワルパが聖書の本を開くことを知らずに地面に放り投げた直後ピサロが
攻撃の合図を出した。
合図と同時に攻撃開始してアタワルパの御輿の担ぎ手を攻撃→担ぎ手がやられて
残った担ぎ手も御輿を捨てて逃亡→アタワルパが地面に落ちたところを捕縛。
攻撃開始とともに撃った鉄砲の音にすばらしく威嚇効果がありインカ軍が大混乱して
たのに乗じてピサロも攻撃の手を緩めなかった。
皇帝が捕縛されたのもありインカ軍はピサロに攻撃できなかった。
鉄砲があってもまともに戦ったら勝てるわけないじゃん。
ピサロとかの軍は人数が少なすぎ。鉄砲だって50丁もないんだし。
コルテスがピサロに助言した皇帝を押さえろということをピサロはすぐに実行したんだよ。
アタワルパがワスカルを倒して天下を取ったつもりでいた油断があったから
できた芸当だな。
アタワルパは興味本位だったのとピサロに皇帝の権力を見せつけるために
あれだけの軍隊を連れてピサロに会見したんだよ。
ピサロの軍が少数だったのは知っていたからね。
あ、征服が進んでくると馬とか鉄砲の威嚇効果はなくなってたな。
みんな見慣れたんだと。
威嚇効果があるのは初戦から数回の戦闘だけだろうな。
アステカの場合は先住民兵を数万人投入してるから勝てたし
インカの場合は皇帝を人質にしたから首都へは無血開城だった。
免疫や耐性がつく前に仕留めるのは電撃戦にも通じる軍略の極意だな
新大陸の悲劇は当時のスペインに強運で切れ者の侵略者がいた事かも知れん
まともに対応すればアステカやインカといった「国家」が中隊規模の部隊に後れを取る訳ないからな
277 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 18:25:31 0
インカはまあそうかも知れんね。
でも、アステカの場合、コルテスへの追撃戦で、数では圧倒していながら大敗してなかった?
正攻法で首都を攻略されてもいるし。
インカの場合も皇帝処刑で決着したわけではなく、ワスカルの弟マンコ・インカが新インカ帝国
を樹立し、40万人の大軍で反撃にでたが少数のスペイン人に返り討ちにあっている。
その他、チムーやマヤの後継都市など、インカ・アステカの陰に隠れているけど、スペイン本土
並の国土を持っていた国家の数々も結局はスペイン人の前に屈しているし。
兵器の違いがあってこそ、そういう結果になったとしか考えられんのだが。
ただ1度の敗北により、植民地化というわけではないのよ。
278 :
世界@名無史さん:2007/08/29(水) 16:39:17 O
戦争に対するスタンスの違いもあったんだろう
280 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 15:48:07 O
age
281 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 23:28:57 0
日本と西洋諸国との決定的な差は外洋航海が可能な船を作れなかったこととそして
操れなかったことだと認識しています。
朱印船貿易に使っていた船の性能はどの程度だったのでしょうか?
また、日本で本格的な外洋航海に必要な造船技術や航海術が根付かなかったのはなぜでしょうか?
>>281 >日本と西洋諸国との決定的な差は外洋航海が可能な船を作れなかったこと
違うでしょう。産業革命が無ければ西洋とそれ以外の地域に決定的な差は付かなかった。
産業革命がキーワードでしょう。
>日本で本格的な外洋航海に必要な造船技術や航海術が根付かなかったのはなぜでしょう
ま、普通に考えれば鎖国したからでしょう。
>>281 東シナ海を渡る=外洋航海じゃないの?
遣唐使はほとんどギャンブルだけど、朱印船は普通に往来してる。
技術的なことはそう問題じゃないな。
大航海時代の初期のヨーロッパの船(カラベル、キャラック)なんか、正直言ってそう大したものではない。
どんだけ難破しまくり、餓死しまくりだったかは例を挙げるまでもあるまい
それでも七つの海を制する事が出来たのは、ひとえに海の向こうに良い「儲け話」があったからで、
日本にはそれが無かった。差があるとしたらその辺。
285 :
水 株主【whis:183/2466=7(%)】 ◆TCygujgOWY :2007/09/04(火) 23:00:13
桜 0 株主優待
朱印船はさジャンク船を使ったんだよ。
輸入品が多かったけど日本でも製造してたな。
日本で製造した物はヨーロッパの技術を取り入れてたりとか
中国製のものとちょっと違ってた物もあった。
スペインとかはさレコンキスタが終了したってのも海外に積極的に出る一因だった。
失業した兵士とかが一攫千金を狙って海外に出て行ったんだよな。
海外植民地で一儲けできるっていういい前例を他のヨーロッパに提供したんだろうな。
286 :
水 株主【whis:183/2466=7(%)】 ◆TCygujgOWY :2007/09/04(火) 23:09:46
桜 0 株主優待
>>277 まあでもアステカの首都のテノチティトランを攻略したときにはアステカ軍より
多い先住民兵をコルテスは動員してるんだよな。
クスコの防衛にしたって先住民兵動員されてるよ。
先住民の中にも権力争いがあってコルテスもピサロもそれを利用してた。
先住民貴族も征服者に協力する事で自分の地位を高めたり守ろうとしたりした。
あとクスコ包囲で40万人ってのは数え切れないって意味なんだと。
18万人だったらしい。まあピサロ側も1万以上は先住民兵動員したし
篭城してたしね。要所にはスペイン人多く割いてたし上手くいったんだろう。
>>279 アステカもインカも夜襲や奇襲はしなかったな。
287 :
水 株主【whis:183/2466=7(%)】 ◆TCygujgOWY :2007/09/04(火) 23:21:49
桜 0 株主優待
>>281 なんで造船技術や航海術が根付かなかったかというのはやはり
国内事情があったんじゃないかな?
戦国時代とかで海外に目を向けるようになったのはスペインとかより遅かったし
朱印船貿易やってたところですぐやめちゃったでしょ?
日本で作った朱印船にはガレオン船から流用した技術も使われてたらしいし
長い目で見たら技術の向上はあったと考えられるけど、朱印船貿易とか
できなくなったら造船技術なんかあってもあんまり役に立たないしね。
というかこの時代のスペインとかは餓狼だよな
要は外洋に出る必要があったか否かだしね
幸か不幸かアジアにはインド亜大陸と中国という巨大すぎる生産・消費地があり
周辺諸国含めて全ての需給は事足りた
香料貿易ほどのうまみのあるビジネスがあったら、日本も積極的に海外に乗り出して
17、8世紀には朱印船の発展型みたいな船が世界中駆け回ってたんだろうけどな。
ちょうど間の悪いときに陸軍国の清が台頭して、他所との貿易を全面禁止してしまった影響もでかい
>>281 戦国時代にも海外貿易は頻繁に行われている。例えば、九州の相良氏なんていう
中規模の大名でも三十隻の船を自作(大きさ、型は不明)して、
対明貿易をしたという記録もある。
292 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 02:26:50 O
age
家康のせいだよ鎖国しちまったからまあいい面もあったけど
鎖国というか制限かけないと日本から銀なんかがもろもろと出ていくしな
295 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 00:11:37 0
江戸時代最初期までの日本って実はそんなに生産力高くないね。
だから貿易やったら赤字で、銀の海外流出。金・銀だけは驚くほど生産していたけど。
輸出できるような産物があまりなかった。
>>295 以前別のスレでそれと同じ事を書いたら
フルボッコにされたorz
? なんか295は妙な事書いてあるかな。
ほかに輸出にたる生産物といったら鉄(武器)、銅、硫黄くらいじゃないの。
中国産の絹とか陶磁器にはかなわんよ
298 :
296:2007/09/08(土) 10:53:53 0
>>297 いや、内容は禿同。単に同じことを「発展途上国型の貿易」って書いたら
感情的反発で叩かれたことが有るってだけ。
オーストラリアやニュージランドみたいな国もあるから、
資源輸出=発展途上国とは限らないけどね。
>>298 ああ、そういう事か。
資源輸出がまずいのではなく、輸入の対価として貴金属しか払えないのがまずいんだよな。
手工業生産力は相当あったと思うけど、欧州人や中国人が欲しがるような贅沢品のたぐいは何も作れないし。
>>300 一応、刀剣とか蒔絵とかがあるけどね。
絹や陶磁器に比べて使用範囲は限られる罠。
そう言えば、倭寇も日本人の振りをするために日本刀を持ったそうだ
あれって日本人のふりのためだったのか
てっきり日本刀が職業上便利だからと思ってた
やっぱ偽装のためにチョンマゲとか結ってたのかね。
月代まで剃るともとの姿に戻れなくなるからやらないだろうけど
>>303 いや、日本人でない倭寇も結構月代をそっていたみたい。
明代の図像とかを見ると、倭寇は大概月代をそっているし。
こーなると威嚇効果もあるのかもな
「俺様は凶悪な倭寇だぜ」みたいな。
月代剃るのって信長くらいの時代の流行ファッションじゃなかったっけ?
倭寇の捕虜になった者も無理やり月代を剃られることがあった。
関係ない民間人でも頭を剃ってると「倭寇」として処理されてしまうので
官軍と遭遇したときにはその連中も必死になって戦わざるをえなかった。
308 :
世界@名無史さん:2007/09/12(水) 11:39:47 O
勉強になるなぁ
月代を剃ってた連中は、生まれた国が中国や朝鮮であっても、
中国中心の華夷秩序とは完全に決別して暮らしてたんだろうね。
鄭成功みたいな国籍の不明瞭な混血児も多かっただろうし。
海は洋の東西問わず近世までは一種の治外法権的な世界だったもんな
そんな世界にフリーメンやアウトローが集まるのはある意味必然
海洋冒険物が今でも人気があるのもなんとなくわかる
311 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 01:41:44 O
鄭和が戦った最大の相手は、中国人海賊だったしね。
312 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 14:11:38 O
>>310 網野史感でも、海は統一国家の権力の及ばない
自由な地域と捉えているね。
海禁によって自由地域を制限しようとしたのがアジア国家で
積極的に貿易に乗り出す事で、自由地域を国家の枠組みに
組み入れようとしたのがヨーロッパなのではないだろうか?
>>312 一面ではそれもあると思うけど、明は商業蔑視による冊封貿易→民間貿易禁止で
江戸幕府はイエズス会に対する国防って側面があるからね
>>287 末次平蔵の唐船や天明時代の三国丸(和洋中の折衷)のように
外国の造船技術はある程度維持されていたようです。
三国丸はどうだろう?
朱印船の時代とは時代がかけ離れているし、保存されていた技術が再び活用されたわけじゃないと思うが。
316 :
世界@名無史さん:2007/09/16(日) 14:02:54 0
技術というものは絶え間なく継承していかないと途絶えるんだよ。
317 :
世界@名無史さん:2007/09/20(木) 22:21:43 O
ほう
このあいだ、何とかいう戦国IFものの小説を立ち読みしてたら
「南蛮のガレオンの技術を取り入れた、外洋航行できる安宅船」
なんてものが出てきてた。
簡単に言ってくれるなあ…
支倉常長が乗っていった和船サン・ファン・バイティスタ号はガレオン船のコピーだっけ?
320 :
320:2007/09/21(金) 00:27:53 0
>>319 ×:サン・ファン・バイティスタ号
○:サン・ファン・バウティスタ号
日本の材木で出来てはいるが、スパニッシュ・ガレオンそのものだね。
「和船」と言っていいものかどうか少し悩むが
>>318 【造船技師】安宅だとキール構造は無理だから、横板に補強材をいれてキール構造っぽくして、
後マストをガレオン式にして、うーん難しい_| ̄|○
【グラフィックデザイナー】マストはガレオンのグラフィックから持ってきて、船体は安宅を基本に手を加えて、
面倒くさいorz
【小説家】「南蛮のガレオンの技術を取り入れた、外洋航行できる安宅船」
なんだたった27文字か、楽勝楽勝。
小説家とは何ともうらやましい職業でw
>>321 いや、復元船の設計をした時の検証によると、単純なスパニッシュガレオンではなく
イングリッシュガレオンの影響も受けているらしい。記録にある寸法を全部合わせて
引いた設計図がスパニッシュガレオンの特徴とはやや異なるのと、ウィリアム・アダムスの
指導を受けた向井将監も建造に加わっていることからそう言う解釈になったとのこと。
他スレから一部転載
>もし秀吉が大名への恩賞を知行地ではなく貿易などで得た金銭や宝物の下賜って方向性にしてたら
>明征服とかではなく東南アジアへの交易路の開拓に乗り出していたかも知れないな
>そして武力は商売敵との抗争や敵対関係にある交易港湾都市攻略にこそ使われた可能性も高い
>課題としては先進造船技術のすみやかな導入だな
これって可能性としては起こりえた事かな?
そしてもし起こりえた場合はその後の近世史はどう変わっていっただろう?
>>324 ヨーロッパと違って、日本人は東南アジア産の香料には興味が無いしなあ。動機付けが問題だな。
秀吉の配下でその手の海外進出を一任できる武将と言ったら、小西行長で決まりだろうな。
もともと商人なので交易のイロハを知っているし、戦闘もこなせる。バテレンとの人脈もある。
当時の日本にあって「キャプテン」をやれる数少ない人物だと思う。あと亀井茲矩あたりか。
>もし秀吉が大名への恩賞を知行地ではなく貿易などで得た金銭や宝物の下賜って方向性にしてたら
一応、恩賞として金銭や宝物を与えるってことは秀吉や他の大名もやってたけど
知行地下賜を完全に止めて、金銭や宝物の贈与に変えるなら、それって社会体制の根本的な変革ってことになるよ。
いちおうルソン遠征計画なんてのもあったはずだが、とりあえず琉球侵攻が早まったのは確かじゃないかな。
沖縄制圧は勿論の事、もし台湾侵攻があったら明やオランダ相手に勝利してた可能性は高いね
史実ではオランダ軍に勝った鄭成功の軍では日本人傭兵の鉄人部隊が大きな戦果をあげてたし
>>328 鄭成功の勝利は、港湾封鎖による兵糧攻めに拠るもの。
キーポイントはやはり船でつよ。
安宅船では同じことはできなかったと思われ
ルソンを攻めるとスペインやポルトガルと手を切ることになり、貿易できなくなる
オランダとはまだ貿易していない以上、連中には利用価値があるから、平和裏に服従させたいのが秀吉にとって本音では
まぁ最初に引いてみて、それでダメなら押してみるのが普通だしね
>>330 貿易相手という意味では日本にとってヨーロッパ勢みんな必要なかったのでは?
彼等がやったのは日明貿易を肩代わりしただけで、ある意味日本商人のライバル。
浜田屋事件の根底にも、中国側の仕入れ拠点から日本商人を締め出そうとするオランダの動きがあったわけだし。
中継貿易の為に必要だと思ったが
秀吉の時代に、日本商人がライバルと言えるだけの活動をしていたか知らないから、これ以上はどうとも言えないな
>>333 もしかして、ヨーロッパ人が来航しなければ日明貿易は活性化しなかったとか思っているのか?
>>334 以前読んだ和船関連の本で「朱印船貿易の航海士はヨーロッパ人に依存していた」と書いてあった気がしたので、ヨーロッパ人を追放すれば朱印船貿易に支障が出ると思って書いたが
今読み返してみると単に「外国人」と書いてあった。記憶違いだったみたいだスマソ
336 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 15:48:23 O
来島……。
337 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 19:26:55 0
>>335 外国人と言うと、当時の海上で大型船を操れたのは南蛮(ヨーロッパ勢)か、琉球か、支那の
3択くらいだけど、ヨーロッパ人を追放しても琉球人を雇えば問題はないな
339 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 20:51:42 0
支那・琉球の按針(航海士)じゃ太平洋は渡れねーべ。アジアの交易圏を出ないのならいいけど
太平洋を渡る必要は無かったのでは?
341 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 01:25:27 0
まず中国の海禁を解かない事には海上発展の道はないと思う
342 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 11:14:24 O
明の海禁はアジアの発展を妨げたよな。
宋・元の時代に自由経済、自由貿易だったおかげで
中国本土では庶民層まで富が行き渡り、周辺諸国では経済が発展しだしたのに。
その反動が倭冦という形で現れて明を揺さぶることにもなる。
乞食坊主には世界の流れが見えていなかったのだろうな。
343 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 15:33:16 O
age
344 :
世界@名無史さん:2007/10/09(火) 00:00:32 0
安土桃山〜江戸初期ごろに幕末の海軍伝習所のようなものが作られたとして、
航海技術の習得には何年くらいかかるかね?
講師はウィリアム・アダムスあたりにお願いして
船1隻動かす程度なら、ウィリアム・アダムスあたりが直接少人数の水夫を育て
ればいいだけだから、そんなに時間はかからないと思う。
ただ大規模な艦隊編成するには大人数の水夫を育てなければならない。
そのためには、まず教官になる人間から育てなければいけないので
時間がかかると思う。
>>345 水夫くらい当事の日本にいないとでも?
朱印船も知らんのか?
朱印船の水夫の大多数は雇われの外国人。
日本人もいることはいるが、数はたかが知れてる。年間10隻ぽっちだしな。
海賊衆の類も、近海用の和船しか乗ったことがない奴がほとんどだから、
遠洋に乗り出すなら1から教育する必要があるだろう。
348 :
世界@名無史さん:2007/10/12(金) 14:13:04 O
age
349 :
世界@名無史さん:2007/10/13(土) 17:07:07 O
>>347 水夫の場合一から訓練し直す必要は無いのでは?
ヤードの上で何も掴まずバランスをとるのはかなり難しそうだが、
それ以外は陸者でもなんとかなると思われ。
大学のヨット部でも一年みっちり練習すれば、海がかなり荒れていても対処出来るくらいになる。
それより航海士や船大工といったあたりを育てるのが大変だろうな。
>>349 >それより航海士や船大工といったあたりを育てるのが大変だろうな。
そうだね。特に航海士は天測術とかマスターしないといけないから大変そう。
幕末の初の国産洋式船「ヘダ号」も
ロシア人のアドバイスの元、たった三ヶ月で建造したというから
造船法を洋式に切り替える事自体はそんなにハードル高くないかも。
基礎技術が十分あるからね
352 :
世界@名無史さん:2007/10/19(金) 13:47:03 O
>>351 ハードルは高いんじゃないか?
設計・現場監督といった上の話の航海士・船大工にあたる
中核を担う所はロシア人任せで船を造れたからといって、
中核の技術がすぐ習得出来るわけではないのでは?
でもその後、同じ港でスクーナーを立て続けに何隻も作ってるぞ。ロシア人に頼らずに
船の建造はコピー元か設計図があれば何とかなる。
在来の木工技術で作れない部品は無いんだから。
戦国時代に鉄砲を数丁の輸入品を元に国産化したり、
幕末には稜保式要塞を輸入洋書で学んだだけの知識で作ったりしてるように。
355 :
世界@名無史さん:2007/10/22(月) 21:45:24 O
age
356 :
世界@名無史さん:2007/10/30(火) 14:05:05 O
age
357 :
世界@名無史さん:2007/11/01(木) 16:31:03 O
age
358 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 01:23:55 0
明治時代の合いの子船なんかを見ていると、
安宅船の船体に洋式の三本マストを立てるのも、出来なくはないのかと思えてくる
いや、帆走性能が上がるだけで、外洋には耐えられないだろうが
359 :
世界@名無史さん:2007/11/17(土) 00:24:40 0
O
o と
。 ,. -ー冖'⌒'ー-、 思
,ノ \ う
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ キ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、 モ
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/ オ
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 / タ
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 / で
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/ あ
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\ っ
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ た
/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃
360 :
世界@名無史さん:2007/11/20(火) 01:55:43 O
age
コルテスのテノチティトラン攻撃の際には
先住民が製造したベルガンティンが投入されているね。
指導者がちゃんとしていればうまくいくと思う。
一ヵ月か二か月位で作ったと思う。
362 :
世界@名無史さん:2007/11/27(火) 18:10:48 O
age
マニラにあったガレオンの造船所でも先住民が作ってたんだっけな。
海軍伝習所が長崎に初めて作られてから、日本海海戦までが、ちょうど半世紀。
50年あれば一人前の海軍になるか?
残念ながら日露戦争時の主力艦は全て外国製。駆逐艦は作れても戦艦は造れなかった。
「海軍」は一人前でも「造船技術」は半人前
流石に鋼鉄艦の建造体制整備は木造船のそれとは同じようにはいかんか
乗る人間が一番重要でしょ。特に帆船は。
ナポレオン戦争時フランスの造船技術はイギリスより上で
イギリスの艦長達は拿捕艦の艦長になれるように争ったという話も有るしな。
368 :
世界@名無史さん:2007/12/05(水) 20:53:36 O
age
政宗公が船でだれかだした
370 :
世界@名無史さん:2007/12/22(土) 22:59:40 0
【中国】8百年前の宋代船引き揚げ 財宝8万点、価値は総額3000億ドルにも[12/22]
1 :coq ◆OOOOOkCOQc @;y=-( ゜д゜)・∵.ターン φ ★ [
[email protected]] :2007/12/22(土) 22:41:13 ID:??? ?
中国広東省陽江市沖で22日午前、約800年前の南宋(1127−1279年)時代に
沈没した貿易商船「南海1号」が引き揚げられた。
船内からは既に金箔(きんぱく)を張ったブレスレットやベルトなどの当時の装飾品や
景徳鎮の陶磁器など1万点以上が発見されており、調査に当たる広東省考古学研究所は、
財宝などの文化財6万−8万点が残っている可能性があると指摘。「当時の遠洋貿易の
様子を示す超一級の歴史資料」と期待されている。
南海1号は船長約30・5メートル、幅9・3メートル。引き揚げは、水中で船ごとコンテナに
納め、巨大なクレーンでつり上げる「世界初」(中国当局)の方式を採用。海水や泥などを
含んだ総重量約3400トンのコンテナが水面に現れると、関係者らは爆竹を鳴らして
成功を祝った。
南海1号はコンテナのままはしけ船に積まれ、28日までに陽江市に建設している「海の
シルクロード博物館」までえい航。「水晶宮」と名付けられた巨大な水槽で保存され、中国
国家博物館と同研究所が船内の本格調査に着手する。文化財の価値は総額3000億ドル
(約34兆2500億円)に上るとの試算もある。
中国メディアによると、中国政府は引き揚げプロジェクトに3億元(約46億4000万円)を
投入。来年にも船本体が公開されるという。
南海1号は1987年、広州市などが別の沈没船を調べていたところ、陽江市沖約37キロの
海底約20メートル付近で偶然発見。中国と、中東やインドとの間を航行していた商船で、
インド方面に向かう途中、海難事故に遭ったとみられている。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071222/chn0712222044007-n1.htm
371 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 00:05:17 O
age
中国船(外洋船)
河用の平底船と違って竜骨と甲板を持ち、船底は尖っていてバラストになる石を
積んで安定させる。 西洋帆船の肋骨(ビーム)と違い梁(仕切り板)で船型を保つ。
梁の下部はアカ水を通す穴が複数あり、いわゆる水密隔壁ではない…
15世紀に琉球を往復していたものは船長約45メートルで帆柱5本。
帆は笹の葉を竹の格子で挟んだ折りたたみ式で、入港時は帆柱を抜いて倒すことが可能…
韓国船
筏(いかだ)から発達。 角材を数本並べて底板とし、舷側板を木釘と
加龍木という横木を細かくいれて固定する。 帆は中国と同様。
和船
丸木舟から発達。 航(かわら)という、元は大木を刳りぬいた底板に
大木から切り出した幅広の舷側板を梁(はり)で固定する。
帆はムシロで帆柱は起倒式。 基本的に沿岸航海用で櫓こぎが主。
倭寇の時代には福建省あたりの大工がいったん和船を買い取り、重底という
尖った底を増設して外洋船に改造する行為が行われていた…
シングルアウトリガーカヌー
南太平洋に広く分布、外洋の荒波に耐えられるよう浮体と船体を連結する材は
縄で複雑に組まれ柔軟性を持たせている…
ダブルアウトリガーカヌー
東南アジアの、比較的波のおだやかな海域で発達。 浮体には竹を多く用いる。
373 :
世界@名無史さん:2008/03/03(月) 20:53:12 0
戦国時代の軍船とか弁才船は木綿帆でしょ
374 :
世界@名無史さん:2008/03/14(金) 22:08:01 O
ん?
375 :
世界@名無史さん:2008/03/20(木) 00:53:22 O
age
376 :
世界@名無史さん:2008/03/27(木) 22:51:08 O
日本が外洋水軍を整備しようとする場合にネックになるのは、航海士と大砲だろうな
もしかしたら水軍で利用するので、大砲が発達したかもしれないな
銅は豊富に取れるし
鉛はどうだっけ?
378 :
世界@名無史さん:2008/03/28(金) 03:53:42 O
チベットでは中国共産党による不当な占領、言論弾圧、強制収容所に於ける拷問、民族浄化という名の大虐殺が歴然と行なわれている。
多くのチベット人が投獄され、鞭打たれ、はりつけにされ生きながら焼かれ、生きたまま解剖され、生き埋めにされ、腸を取り除かれ、首を切られたりして殺害された。
この様な殺人行為は、いずれも公衆の面前でなされた。
犠牲者の友人、隣人、同じ村の人々は、それを見物する様に強制され、犠牲者は自分の家族や知人が見ているその目の前で殺されたのである。
民衆の尊敬を受ける僧侶達は中国人の糞を食べたり、小便を飲む様に強制され、人々はその光景を見る様に強要された。
中国共産党はチベット人男性を洗脳、拷問、虐殺または生殖機能を奪うために、生殖器の切断手術を行っている。
チベット人の女性に対しては大勢の中国人男性によって強姦し子供を産ませ、民族浄化を行っている。
1950年10月、3万5千の中国軍が独立国であったチベットを侵略して以来、50年間も繰り返されて来た惨劇である。
379 :
世界@名無史さん:2008/03/29(土) 01:45:33 O
380 :
世界@名無史さん:2008/03/30(日) 05:21:48 O
381 :
世界@名無史さん:2008/04/01(火) 00:46:53 O
age
>>377 鉛も豊富だったと思う。灰吹き法で銀を採取するときに使うから。
青銅砲は作れるだろうけど、鉄製の鋳造砲は難しかろうな。
たたら製鉄では無理だから溶鉱炉から作らないといけない。
383 :
世界@名無史さん:2008/04/01(火) 18:56:48 0
>>382 鉛は産出量が少なかったはず。
秀吉、家康共に鉛を南蛮人から硝石と鉛を大量に購入している。
1614年ころには、鉛100斤が、関東では60匁、大阪では45匁の相場
だった。
後の朱印船貿易では、シャムから鉛を輸入し、鉛弾を輸出していた。
>>383 戦国時代から加工貿易やってたのか。
鉄砲玉にするから戦国時代はいくらあっても足りなかったろうな
385 :
世界@名無史さん:2008/04/04(金) 11:50:01 0
>>383 1614年って、大阪冬の陣の年だから、徳川方が高値で鉛を
買占めたかったってことかな?
それもあるし、
当時は関東の交通の便がまだ相当悪いので、どうしても割高になるというのもある。
387 :
世界@名無史さん:2008/04/13(日) 13:32:11 0
中国では、外国交易船は市舶あるい互市舶と呼ばれ、外国人商人は蕃商と呼ばれた。彼ら
は、中国での交易が終わればおおむね帰国するが、海港に定住あるいは永住するものも出て
きた。彼らは蕃坊と呼ばれる居留地に居住した。彼らの交易と居留を取り締まるため、蕃長司
という役所が設けられた。その長として蕃長が、居留民の実力者のなかから、中国によって任
命された。
「宋時代には、支那政府は概して蕃客の通商を奬勵した。自然在留蕃商を優遇して、たとひ
彼等に多少の犯則非法の行爲があつても、大抵は不問に看過した」という。こうした居留地管
理は他のシルクロ−ド海港においてみられたものと同じであるが、中国にあっては彼らの出資
によつて城普請を行ったり、警備艦を作つたりすることがあった。
これら定住蕃商のなかにあって特記されるのが、13世紀後半宋元交代期、泉州で活躍した
蒲寿庚(ほじゅうこう)であった。彼は土生蕃商と呼ばれた、定住蕃商が中国で生んだ子であ
り、アラブ人またはペルシア人でイスラーム教徒であった。
明朝は交易用ジャンクのマストを一本までと法律で制限していたが
帆柱などは容易に取り外し式にできるので、実際は三本以上のマストを持つ船ばかりで
港に入る時だけ一本マストにしていたとか
389 :
世界@名無史さん:2008/04/19(土) 23:02:14 0
ポリネシア人は原始的カヌーでハワイ−イースター島−ニュージーランド
を結ぶ広大な海域を自由に往来してたわけだし、
日本の船だって沿海航海用に作られてるにも関わらず漂流して
アメリカ大陸のすぐそばのアリューシャン列島まで辿り着いてたわけだから
潮の流れと風の動きと星の位置さえ学んでさえいれば原始的な船であっても
十分太平洋横断は可能だったはず。
江戸幕府がせっかくの海外発展の可能性を閉ざしたからなぁ
392 :
世界@名無史さん:2008/05/10(土) 20:17:48 0
>>390 当時のイスパニア人の記録にもあるが、
日本人は渡航先に定住せずすぐに帰りたがるから、移民人口が増加しづらい
傾向にあった。また婦人移民者が少なかったので、現地人女性と結婚し
二世、三世は急速に現地に同化して日本への関心や愛着も持たなくなった。
また港の日本人町の隣には例外なく中国人町ができた。彼らは移住の由来も
古い上に、人口も多く中間階級として、同じ立場の日本人を大いに圧倒する
ようになった。
一方ヨーロッパ人は国家を背景に組織的に発展し、日本人の前に立ちは
だかった。
鎖国がなくとも日本人町の未来は明るくなかったと思われる。
393 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 16:35:46 0
>>392 >また港の日本人町の隣には例外なく中国人町ができた
この理由は?発展していた日本人町から利益を掠め取ろうとしていたということか?
日系人街には必ず韓国人が進出し、しまいには韓国人街として荒れ果ててしまう
という行動パターンとまったく同じだな。
なぜ彼らは日本人を嫌いつつしつこく付きまとうのか?
394 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 18:17:04 0
>>393 お前が底の浅いネトウヨだということしか伝わってこないんだぜ?
395 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 18:23:32 0
>>392 日本女は奴隷として大量に東南アジアや新大陸に売られたと聞いてるが。
キリシタン大名や天草四郎なんかは宣教師相手に奴隷女と交換に武器や弾薬を仕入れていたそうじゃないか。
>>394 ネット右翼であることは否定しないが、レッテル貼りして思考停止するのはやめた
ほうがいいよ。
>また港の日本人町の隣には例外なく中国人町ができた
という記述からは、日本人町が発展していたので中国人町ができた、あるいは
中国人町にも人が集まってきたと読める。
日本人が中国人町韓国人町のまわりにわざわざ集まったなんて話は寡聞にして
聞かないが、その逆の話はよく聞くというだけのこと。
どっちがレッテル貼りと思考停止をしてるんだかw
>>397 あんたのいうことは意味が分からん。俺がいつレッテル貼りをした?
↓の話に反論しないのなら反論なしとみなす。
これ以上本筋から外れたレスはしない。
>また港の日本人町の隣には例外なく中国人町ができた
という記述からは、日本人町が発展していたので中国人町ができた、あるいは
中国人町にも人が集まってきたと読める。
日本人が中国人町韓国人町のまわりにわざわざ集まったなんて話は寡聞にして
聞かないが、その逆の話はよく聞くというだけのこと。
399 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 19:57:03 0
>>398 たったそれだけの記述で、日本人町の利益を中国人が掠め取った、
という考えに、結びつくのかが分からん。
それに、東南アジアには日本人が進出するずっと前から中国人が居たし。
400 :
田舎に引越しをどう?:2008/05/11(日) 20:06:22 O
401 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 23:42:26 0
>>398 > >また港の日本人町の隣には例外なく中国人町ができた
> という記述からは、日本人町が発展していたので中国人町ができた、あるいは
> 中国人町にも人が集まってきたと読める。
そこだけ切り取ればそういう風に想像することも可能だが、すぐ後ろに
> 彼らは移住の由来も
> 古い上に、人口も多く中間階級として、同じ立場の日本人を大いに圧倒する
> ようになった。
と書いてあるのをなぜ無視する?
日本人町が有ったところは、だいたいが重要な港町(河川港も含む)。だから、中国人街
やポルトガル人街、オランダの商館なんかも近くにあることが多い。そんだけのこと。
> 日本人が中国人町韓国人町のまわりにわざわざ集まったなんて話は寡聞にして
> 聞かないが、その逆の話はよく聞くというだけのこと。
こちらは寡聞にして「その逆の話」というのを聞いたことが無い。是非ご教示されたい。
そりゃ南方の日本町は中国産の絹の仕入れのため出来たようなもんだから、中国人町が隣にあるのは自然だろう。
当時の中国は銀が不足していたから、物産の対価を銀で支払ってくれる日本とは、お互いに良い取引相手だったってだけのこと。
スペイン人がマニラあたりの日本人と中国人を観察して比較を書き残してたね、たしか
鎖国後の日本人町の人は長崎に渡る清国人を通じて、
日本の知人へ手紙を出したり、故郷の品を送ってもらってるんだよね。
注文状には
酒二樽、鰹節六十、氷コンニャク百、干し大根少し、醤油二樽、
黒豆五升、ケシ八合、奈良漬二樽、青豆五升、ワカメ少し、
大根漬二樽、モグサ一斤、干牛蒡少し、カンピョウ少し、イリコ五斤、
梅干少し、塩松茸少し、干しアワビ五斤、干しワラビ少し、目薬一箱、
椎茸十斤・・・」
んで鎖国から40年後にベトナムのフェフォからの手紙には
「ここもと日本人みなみな相果て、ただ二人にまかりなり。
せんかたなきありさま推量なさるべく候」
405 :
世界@名無史さん:2008/05/18(日) 15:25:04 0
> 是非ご教示されたい。
とか言いながら始めに結論ありきのバカおじさんが沸いてたのなww
>>398 低脳なネット右翼はこれだから困るwww
407 :
世界@名無史さん:2008/05/24(土) 12:16:08 O
ハワイ
408 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 15:16:49 0
はわわ
409 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 19:49:48 0
410 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 20:03:50 0
隠れ多極主義の歴史
2008年4月27日 田中 宇
欧州各国で中世以来、金融業を営んできたユダヤ人は、各国の王室に資金を貸し出すことを
通じて、宮廷政治を動かす「宮廷ユダヤ人」となった。彼らは金貸しだけでなく、手形発行など、
遠隔地間の貿易代金の決済業務も行っており、ユダヤ人どうしで、中東や北アフリカなどの
地中海周辺からロシア、北海、スカンジナビアまでの広範囲の地域に金融貿易ネットワークを
持っていた。
宮廷ユダヤ人は、野心のある国王に協力して、スペインやポルトガル、オランダ、イギリス、
フランス、ドイツといった欧州諸国が、自国の影響圏と貿易圏を拡大し、覇権国を目指した際、
黒幕的に協力した。スペインの覇権が衰退すると、スペインにいた「スファラディ(スペイン系)」
の宮廷ユダヤ人たちは、オランダに移転してオランダを覇権国にのし上げ、オランダが衰退し
始めるとイギリスに移ってイギリスを覇権国にしてやった。宮廷ユダヤ人たちは「覇権ころがし」
をしながら金融事業を続け、富を蓄え続けた。ドイツ、イギリス、フランスなどで兄弟が分担して
事業を展開していたロスチャイルド家は、その最有力者の一つだった。ロスチャイルドも
19世紀後半、ニューヨークに進出した。
http://www.tanakanews.com/080427multipole.htm
411 :
世界@名無史さん:2008/06/04(水) 21:16:47 O
男は〜ロマーン♪
女はウーマーン♪
412 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 01:23:39 O
浮上
413 :
世界@名無史さん:2008/07/16(水) 09:24:54 O
出港
414 :
世界@名無史さん:2008/07/23(水) 00:04:28 O
順調
415 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 18:57:07 O
何?
416 :
世界@名無史さん:2008/08/14(木) 14:23:02 O
時化てきましたぜ、ぼっちゃん
417 :
世界@名無史さん:2008/08/23(土) 16:55:05 O
凪…
418 :
世界@名無史さん:2008/08/25(月) 09:50:14 0
クラーケンだぁ!
419 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 12:32:25 0
鯨ですよ
420 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 07:41:38 0
age
421 :
世界@名無史さん:2009/01/18(日) 14:25:22 0
up
422 :
世界@名無史さん:2009/03/01(日) 19:14:09 0
423 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 12:31:20 0
保守
424 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 19:08:49 O
産業革命を引き起こす要因となった大航海時代にヨーロッパに負けた事が
白人優越主義につながっている
白人優越主義なんていう前世紀に終わった話はどうでもええよ。
426 :
世界@名無史さん:2009/05/12(火) 22:37:00 0
・奄美諸島に分布するゴラン、ゴリヤ、ガリヤ、グリヤ、グラルなどの名称が
「ヤマトのいくさ大将」を示唆し、久米島、宮古八重山諸島にカワラ、ガワラ、
ガーラと「頭」あるいは「頭目」を意味する名称が分布したこと
・沖永良部島に後蘭孫八、石垣島にオヤケアカハチ・ホンガワラがいたこと
・肥後方言で「ゴラ」とは頭を意味し、かわら、こうらが変化したものであろう
・中国では倭寇の頭目を指して「日本甲螺」と表記したこと
いずれも倭寇の頭目を連想させる言葉が広くみられ、東方諸国記にある
日本刀で武装した勇猛果敢なゴーレス人の性格に相応しい名でもある
因みに中世日本では「廻船式目」にあるように海事全般を「航(かはら)の事」と言う
航(かわら)とは元は瓦(かわら)であり、和船の船底板の名称である
鎌倉時代までは大木を刳り抜いたものを連接し舷側板を張り付けた準構造船が
和船の主流で、その名残りということになる
もっとも、小型の丸木舟は沖縄でも九州でも明治時代までは広く使用されていた
木材の浪費も甚だしいが、釘を多く使わずに済み、耐久性にすぐれ、また軽いせいか
船足も速かったからである
430 :
世界@名無史さん:2009/06/20(土) 18:41:42 0
>>429 鄭和の大艦隊の映像には圧倒されるけど、
「西洋に下る」みたいな上から目線のタイトルはちょっと戴けませんね
中国語は移動関係の動詞で、「下」を使うのが多いだけ。
430は無意識のうちに中国見下してる自分に気づくべきwww
鄭和下西戎
朱印船についてぐぐってみた。
朱印船の造船技術は、ジャンクにガレオンの技術やデザインを融合させた独自の帆船であった。
朱印船には、かなり外国人が乗り込んでいたらしい。
やはり海は無国籍というか、水夫の確保には不自由しなかったと考える。
日本は海賊として、倭寇として随分恐れられていたらしい。
それと区別するために、朱印状を出したらしいが、日本船にも外国船にも出しているので、
しかもポルトガルあたりにイギリス・オランダの横暴をなんとかしてくれと交渉されてるので、
むしろイギリスのように私略船に認可状を与えているのに近い雰囲気だろうか?
マニラでスペインと海戦やって倭寇がかったこともあるらしく、
それだと、スペインと戦争なんか出来ないから、
秀吉は朝鮮から明に攻め上ったという説が、成り立たない。
ここで疑問!
朱印船は海賊に出会わなかったのか?
むしろ朱印船が、海賊より恐れられていたのか?
その気になれば、東南アジアを江戸日本が征服出来たのではなかったのか?
あと、日経で連載された「江戸経済コラム」をまとめた本によると、
「朱印船は500石以上でないと外洋航海が安全に出来ない。
家康は国内統治のため、西国に力をつけさせないため、500石以上の造船を禁じた。
これによって、上方の朱印船貿易家はすべて没落していく。
以後の豪商は、「派手な商売ではなく、ひたすら地味に徹するように」という家訓を持つようになった。」
435 :
世界@名無史さん:2009/07/01(水) 15:43:34 0
白石一郎の小説なんかでは朱印船が海賊と遭遇する話が良く出てくるけど実際にあったかどうかは知らん
>>434 その記述はおかしい
朱印船は大船禁止令の対象からは外されてたはず