1 :
世界@名無史さん :
エジプト暦2329/04/02(土) 01:30:06 0 1
2 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/02(土) 01:52:26 0
2get
3 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/02(土) 02:03:09 0
3ゲット 何か意味ある?
4 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/02(土) 02:05:58 0
4とれた 意味? 意味は自分でつけるもの
5 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/02(土) 02:20:38 0
6 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 22:16:58 0
セルビアには天然資源あるの?
7 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 22:45:08 0
被害妄想にならぬように。 ここの板でもROMっているだけで、 書き込みは極小。
8 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 22:49:30 0
他板の住人さんこんにちは。
この板は
>>2 がつくまで数日ということもあるので2getはむなしすぎますよ。
9 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 23:43:49 0
レリン かむばっく
まぁ一応10ゲットなわけだが
11 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 20:06:00 0
ttp://www.janjan.jp/world/0504/0503315200/1.php バルカン半島情勢、民族主義が生み出す言葉の壁
クロアチアの映画配給会社は、今やハリウッドやフランス映画と同様、
セルビア映画に対しても字幕を付けるようになっている。ザグレブ
(クロアチアの首都)の映画館では、「こんにちは」といった表現に対して
さえ字幕が付けられる始末で、このような字幕がスクリーンに映し出される
度に、観客の失笑を買っている。
今日、クロアチアの言語学者は、クロアチア語の独自性を出すために新たな
単語の導入を試みているが、ほとんどのクロアチア人に理解されていないのが
現状だ。例えば、FAXは新表現では“dalekoumnozitelj(長距離コピー用
機械)”となる。
12 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 20:07:00 0
このことに関して、ザグレブの銀行家ミリアナ・トンチッチ氏 (36歳)は、「公的なコミュニケーションでFAXという単語を 使えないとは信じられない状況です」「新しい単語を使うことには なっているけどどうやって発音していいかさえ分からないのよ」と IPSに語った。 他にも、ヘリコプターは今では“zrakomlat (空を切る機械)”、ハード ディスクは“kruzno velepamtilo (大きな記憶容量を持った円形機械)” といった具合だ。 しかし政界のエリート達は、それでも異なる民族がそれぞれの言語を 持っていくべきだと主張している。
13 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 22:36:19 0
こうしてまた、民族間の距離が大きくなっていくんだな・・・・。 いい情報ありがとう!
14 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 22:53:28 0
“民族浄化”ならぬ“言語浄化”だな…
15 :
世界@名無史さん :2005/04/05(火) 13:02:35 0
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20050324k0000e030073000c.html EU:クロアチアでの戦犯摘発状況調査へ 加盟交渉延期も
【ブリュッセル福原直樹】
欧州連合(EU)は23日開いた首脳会議で、旧ユーゴ紛争の戦犯のクロアチア
での摘発状況を調査する委員会の設置を決めた。調査結果によっては、09年
に予定される同国の加盟が大幅に遅れそうだ。
同国の退役将軍、ゴトビナ被告(49)は「民族浄化」を目的に95年、同国
在住のセルビア人約150人を虐殺、15万人を追放したとして01年、
旧ユーゴ戦犯国際法廷(オランダ・ハーグ)から起訴された。だが、同被告は
一部の国民から英雄視されており、クロアチアは摘発に「消極的」(同法廷)
で、現在も逮捕されていない。
このためEUは今月17日に開始予定だったクロアチアの加盟交渉の無期限
延期を決定。調査委員会は、同国政府の関係者から聞き取り調査を行い、加盟
交渉の是非を検討する。同委は戦犯摘発を強く求める英国や、クロアチアの
早期加盟を求めるオーストリアなどで構成する。
クロアチアのサナデル首相は23日、EUに全面協力する姿勢を表明した。
EUが加盟交渉を延期したのは今回が初めてで、一連の措置は将来加盟が
確実視される旧ユーゴ諸国に対し、民主化促進を求めるEUの強い姿勢の
表れとみられる。
16 :
世界@名無史さん :2005/04/05(火) 13:14:41 0
ほう、ウラでの政治的取引もありそうだが・・・・
17 :
世界@名無史さん :2005/04/05(火) 17:26:20 0
ボスニア語やモンテネグロ語は作らないの?
18 :
世界@名無史さん :2005/04/05(火) 17:39:56 0
ベラルーシ語は廃止されたの?
19 :
世界@名無史さん :2005/04/05(火) 23:19:14 0
>>17 ボスニア語は90年代の内戦後あたりから作られてますよ。
20 :
世界@名無史さん :2005/04/06(水) 00:08:17 0
>>19 「ボスニア語」がつくられたのは1994年の春だった。
ムスリム人も、「ボシュニャク人」という民族名に変更した。
21 :
世界@名無史さん :2005/04/06(水) 10:10:19 0
脱構築かポスト構造主義のアプローチで、ユーゴ紛争を分析した本ある?
23 :
世界@名無史さん :2005/04/06(水) 15:16:12 0
>>22 ユーゴ紛争を分析した本って言ってるだろ
文章嫁
24 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 21:36:12 0
「ボスニア人」という言い方は19世紀には無かったの?19世紀にボスニア・ヘルツェゴビナ住民はなんと自称していたのですか?
25 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 21:46:35 0
セルビア人かクロアチア人かトルコ人。
>>24 基本的にスラブ語話者のムスリムは「トルコ人」、トルコ語話者のムスリムは
「オスマン人」、正教徒は「正教徒」、カトリックは「カトリック」と自称してた。
あるいは、住んでいる地域に準拠して「フム人」「ドーニ・クライ人」とか。
27 :
世界@名無史さん :2005/04/13(水) 14:42:17 0
スラブ語話者正教徒は「ギリシャ人」「ルーム(ローマ)人」と自称しなかったの?
28 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 11:35:01 0
モンテネグロ独立
29 :
世界@名無史さん :2005/04/18(月) 14:08:24 0
465 名前: 投稿日: 01/08/28 14:17 ID:H44aizSk
>>464 モンテネグロ人は純血主義ってのはあまりないと思うよ。
一部の上の政治家が願ってるのは確かなようだけど。
モンテネグロの国民投票でも40%独立に対し55%以上が独立反対だったし。
ミロセビッチ政権が続いてるなら話は別だけど、
親欧路線のコシュトニツァに変わったことにより、以前より独立気運は
柔軟化してるよ。それにあれだけコソボに肩入れしていたアメリカやドイツは
今やマケドニア危機&加えてモンテネグロ独立(かくてのクロアチアに対してのように単独独立承認)
によるバルカン周辺諸国の民族紛争再燃を危惧し、反対している。(全くもって都合がいいが)
投票ってまだやってないんじゃ?
30 :
世界@名無史さん :2005/04/19(火) 21:13:29 0
ダルマチアは独立民族にしよう
31 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 13:17:21 0
bosniaksの定まった日本語表記ってまだないんすか? ぐぐるとボシュニャク、ボシュニャック、ボスニアック、ボスニアク、ボスニャックとか いろいろみたいですけど
32 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 16:35:27 0
2003年3月に、セルビアのジンジッチ首相が、ベオグラード中心部の首相府を 出たところで腹と背中を撃たれて死亡したが、100年前にも国王アレクサンダル が治安部隊に暗殺されるという事件が起きている。 アレクサンダルは気まぐれで無能な暴君で、議会を解体して軍による圧政を 敷き、一方でオーストリアに媚びへつらったため国民から嫌悪されていた。 一九〇三年、ベオグラードで王の警察が市民のデモ隊に向かって発砲したこと に怒った軍の高官らが、2カ月後、王と王妃を宮殿で殺害し、その裸の遺体を ベッドルームの窓から投げ捨てた。 この後、ペタル1世が40年以上亡命していたスイスから戻って王位に就いた。 彼には政治の経験はなかったが、ジョン・ステュアート・ミルの『自由論』を セルビア語に翻訳するなど、教養の高い穏健な人物だった。
33 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 11:37:56 0
34 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 15:53:12 0
ブルガリアはバルカンのプロイセンと呼ばれ、その尚武の精神は周辺諸国に おそれられていた。
ヨーロッパ地域でモンゴルを最初に破ったのもブルガリアだったな。
36 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 21:03:28 0
ブルガリアの「尚武の精神」というのはどこからきているんだろうか。 遊牧民だったブルガール人の影響?
37 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 16:35:33 0
第二次大戦中にドイツがセルビアに立てた傀儡政権の名称って何だっけ? セルビアナントカ政府だったような・・・・
38 :
世界@名無史さん :2005/05/23(月) 00:53:13 0
クロアチア独立国?パベリッチ総統が元首だったはず。
39 :
世界@名無史さん :2005/05/23(月) 07:20:42 0
チェトニクじゃないのか。
>>37-39 ネディチ政権のことでしょう。
ドイツの傀儡政権とかいう言い方しか見たことないけど……
41 :
世界@名無史さん :2005/05/28(土) 20:43:47 0
「クロアチア独立国」 正式名称は「共和国」?
王国だったはずだが。 イタリア王の弟かなんかが国王になってなかったか?
43 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 23:37:52 0
第二次世界大戦での、ドイツ軍VSパルチザン(ゲリラ?)の戦いについて いろいろおせーて。
44 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 16:24:22 0
悪の枢軸国に占領された東欧諸国の扱いは、 アルバニア、スロバキア、クロアチアは「独立国」という建前の扱いだったの? チェコは「保護国」。ポーランドは全くの取り潰し。 バルト三国の扱いは?
45 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 22:37:07 0
フツーにスレ違い。
46 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 21:45:19 0
セルビア王家は今いずこ?
セルビア・モンテネグロにいるぞ
49 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 05:18:43 0
ギリシャ王家は?
50 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 16:41:41 0
ルーマニア王家は?
51 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 23:26:46 0
旧オスマン領にはキリスト教徒従属民族には世俗の貴族居なかったから 王はみなドイツ産
セルビアはドイツ産じゃないぞ
おとんがいるなら、おかんが居てもいいはず。
(・∀・)オットマントルコ!!
55 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 03:59:20 0
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050604i412.htm 【ウィーン=石黒穣】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の1995年7月、イスラム教徒約8000人が犠牲になったスレブレニツァの虐殺で、
残忍な殺害場面を写したビデオが初めて公になり、これまで事件に目を背けてきたセルビア人社会にも動揺が広がっている。
ビデオはセルビア人民兵組織がイスラム教徒の若者6人に暴行を加え、銃で殺害するまでを記録している。トラックから降ろされた
若者たちは両腕を後ろ手に縛られ、その前で銃を振りかざす民兵たちの人相もはっきりわかる。後から殺される若者が、先に殺された
仲間の遺体を運ばされる場面もある。
ビデオは民兵自身によって撮影されたもので、ベオグラードの人権団体が入手し、旧ユーゴ戦犯国際法廷(オランダ・ハーグ)で1日、
証拠として上映された。続いて、セルビア・モンテネグロのテレビ各局でも放映され、同国の警察は4日までに、ビデオから特定された7人を逮捕した。
ミロシェビッチ元ユーゴ大統領は、同法廷で、スレブレニッツァ虐殺をめぐってジェノサイド(集団殺害)罪を問われている。だが、セルビア人
社会には紛争時代の残虐行為を否定する空気が強く、ボスニアの元セルビア人勢力指導者カラジッチ被告ら大物戦犯が逃亡を続けられる土壌と
なっている。
(2005年6月4日20時33分 読売新聞)
56 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 12:29:15 0
天皇家断絶で、リヒテンシュタインかルクセンブルク王家からの入部
57 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 17:59:24 0
>>56 ハプスブルクかボナパルトから貰ってほしいなぁ。
58 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 18:03:15 0
一度でも民間人に転落した家からでは駄目だと宮内庁がいうと思う
59 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 18:07:10 0
大きい国、外交関係が目立つ国も拒否されるだろうから、小国からだろう。 デンマーク王家はギリギリの線
60 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 19:52:03 0
むしろ天皇家からどっかの王様出してほしい。 ハンガリーに日本の皇室から国王を招聘しようって話があったとかなんとか。
61 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 19:58:08 0
外国人の君主によく我慢できるなヨーロッパ人は。
62 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 02:54:04 0
神輿は他所からつれてくる方が良いといえるのでわ?
63 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 02:56:01 0
国際結婚しまくりで王族は全部親戚、外国人なんて感覚ないだろ
64 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 03:02:04 0
むしろ感覚的には江戸時代の殿様の国替えに近いんじゃ?
65 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 10:10:54 0
>>61 日本も天皇を追放して、将軍様を推戴すべきでは?
主体思想は日本人によくあっていると思います。
66 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 10:27:47 0
>>65 半島人のようにどこの馬の骨ともつかない下々の血統の者を崇拝出来ない。
将軍様が宇宙大将軍を称して中国と韓国とアメリカを武力併合したら考えてやってもいい
68 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 11:51:47 0
69 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 11:54:01 0
70 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 12:01:19 0
よーくかんがえよーちすじはだいじだよー てか藻前ら両班だとか、姓が同じなら結婚しないくせに馬の骨の将軍崇拝するな
71 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 12:20:09 0
バンカンスレに半島ネタが入るとよくスレが伸びる事・・・・・
72 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 17:43:56 0
じゃあバルカン半島と東アジアはどっちが民度が高いか語ろうか
73 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 23:24:51 0
モンテネグロはイタリア語
74 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 21:12:10 0
バルカンの歴史について調べていたら「リブルニア人」という言葉に ぶつかったんですが、これはどういう民族ですか?
75 :
世界@名無史さん :2005/06/18(土) 05:03:51 0
76 :
カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/06/28(火) 06:33:20 0
今日はヴィドヴダンですよヴィドヴダン!
>>73 イタリア語で「黒い」はネグロではなかったと思う。
77 :
世界@名無史さん :2005/06/29(水) 00:35:49 0
>>72 民度、ってどうやって計るのか?
ブルの選挙は予想通りだったわけだが、良い選択だったのかな?
78 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 15:46:23 0
アルバニア関連スレ最後の生き残りだった 「エンベル・ホッジャ」スレまでいつの間にか落ちてたよ・・・ もう単独でスレ立つような地域じゃないのかなあorz
79 :
世界@名無史さん :2005/07/13(水) 10:19:17 0
中世のバルカンについてはみんな興味なし? 近現代関連のカキコばっかり続いているけど。
80 :
世界@名無史さん :2005/07/13(水) 12:49:23 0
>>79 ブルガリア第2帝国が独立したとき主力になって戦ったのはクマン人とヴラフ人で、
ブルガリア人がその間何をしていたのかはよく分からない、という話を何かで読んだ。
81 :
世界@名無史さん :2005/07/13(水) 21:47:09 0
>>80 ペタルやアッセン自体、クマン人もしくはヴラフ人だしね。
彼らがボリスやシメオンの国家の後継者を名乗ったので「第二次ブルガリア
帝国」と呼ばれるんだけど。
82 :
世界@名無史さん :2005/07/15(金) 20:11:33 0
ワラキアを建国したバサラブ公もクマン人だとか言われてるらしい。 ルーマニア人の書いた本では「よしんば彼の名がクマン系であったとしても 彼の愛国心に変わりはないのである」とか苦しい言い訳をしてたが。
>>82 そーいやモルドヴァ公国を建国したのもヴラフ人のボグダンだったな。
84 :
世界@名無史さん :2005/07/16(土) 17:19:08 0
だいたいドナウ川の北ってワラキア、モルダヴィアができるまでは ずっとクマン人やモンゴル人といった遊牧民の支配下だよな。 当時のヴラフ人も馬に乗って弓矢で戦ってたらしい。
85 :
世界@名無史さん :2005/07/16(土) 22:15:44 0
アヴァール人は、中国とサーサーン朝の影響を受けて、ブルガール人やスラヴ人 よりも進んでいたらすぃ。 アヴァール人の社会は諸制度、組織された軍隊、王あるいは可汗を持っていた。 アヴァール人はビザンツやランゴバルドやフランクと条約を結んだが、この時期の スラヴ人は政治的なまとまりがなく、外交交渉や条約を結んだ例が無い。
86 :
世界@名無史さん :2005/07/19(火) 20:26:41 0
第一次ブルガリア帝国のペタルは、ロマノス・レカペノスの孫娘マリア・レカペナ と結婚した。ちなみにペタルはシメオンの次男で、長男のミハイルは、理由は わからないが修道院に監禁され、のちに修道院から脱走して西ブルガリアで 反乱を起こしている。
87 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 23:51:10 0
ブルガリア王カロヤンはギリシア系?
88 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 00:02:26 0
>>56 モナコ新大公の甥っ子もらうと
腐女子が喜ぶと思うぞ
正教の絵ってちょっと怖いよね
92 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 21:40:57 0
>>91 東方正教会の聖堂の内部は暗いから、よけいに怖く感じるのかな?
それと、イエス・キリストが、威厳に満ちたきりっとした表情で描かれている。
(ギリシアのダフニ修道院とかがその典型)
93 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 19:49:24 0
セルビアでは11世紀にディオクリア(ゼータ)の支配者ミハイロが、ビザンツ 帝国に反抗してローマ教皇から戴冠されている。 この王国の政治の中心はスクタリで、教会の中心はバールだった。
94 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 22:02:47 0
モンテネグロとセルビアが異なった「国」である理由は何処にあるのですか? 「トルコに支配されずに残っていたセルビア人」ということ?
95 :
カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/07/28(木) 10:55:11 0
・言葉が違う(ということにしようと今必死なのでそっとしておいてやってください)。 ・教会組織が違う、あるいは違っていた。 とか。
ミロシェビッチはモンテネグロの出身。
97 :
世界@名無史さん :2005/07/28(木) 19:38:46 0
モンテネグロ出身のセルビア人?
98 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 11:14:28 0
もともとアルバニア人だったのがスラブ化したとか、というの?
99 :
カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/07/30(土) 10:19:12 0
もうちょっとまじめに検討するか……
モンテネグロは
>>94 氏の言うように、オスマン朝に征服されることなく第一次大戦を迎えた。
1918年にセルビア・クロアチア・スロヴェニア王国に統合。
モンテネグロ王は1922年まで名目的に王号を保持したけど、結局放棄したらしい。
たぶんこの時点で政治的統一体としてのモンテネグロは消滅。
(ひょっとすると1929年の改革の時かも。どちらにせよWWII前には「モンテネグロ」はなかった。)
だから、モンテネグロが連邦内の国として成立するのには、チトー政権にそういう意図があったんだと思われ。
というのも、ユーゴ王国ではセルビア人人口が他を圧倒していたというのが、政治的不能に陥った一番の原因だったので。
(くわえて、選挙制度が悪かったというのもある。まあ、セルビア人に有利な選挙制だった。)
チトー政権はセルビアの力を制限する方向に共和国編成を行ったふしがあって、
・マケドニア共和国を認める(VMROとユーゴ共産党の協力があったからでもある)、
・ボスニア・ヘルツェゴヴィナを独立した共和国と認める、
・セルビア国内にヴォィヴォディナ、コソヴォの2自治州を作る、
・その一方でクロアチア国内に自治州を作る案は却下
といった具合で、多分セルビアとそれ以外のバランスを取ろうとしたのだと思う。
その結果が、セルビア国外のセルビア人をどうするのかが問題になって紛争に突入するわけだけども。
独立国家がある、言語が違うなどの理由もさることながら、こういった政治的判断が大きかったんじゃないかと。
>>96-97 ユーゴの人口統計では「モンテネグロ人」という種別がなかった、はず。
いつからあるようになったのかはちょっと今調べつかなかったけど。
>>98 むしろ中世にセルビアが中心としていたのは、今のモンテネグロからコソヴォ、マケドニアにかけて。
アルバニア人の方が新参かと。
100 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 13:19:38 0
VMROに居た関係者はユーゴ共産党に全員合流?
101 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 17:49:25 0
でも今はモンテネグロ人意識ってちゃんとあるんだよね?ミロシェビッチの自意識としてはどうなんだろ。 モンテネグロ住民の間でもセルビア人意識をめぐって対立とかないんかな?
102 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 20:39:41 0
実は「最も筋目正しい(血筋の正しい)南スラブ」として畏敬の目で見られているモンテネグロ人?
103 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 20:44:13 0
>1929年の改革 地方行政区の改編(クロアチア、ボスニアなどの旧王国の領域は無視して解体)だった?
104 :
カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/07/31(日) 10:28:09 0
>>100 まあその前にVMROが分裂してますんで……
戦間期のテロで有名なVMROとこのVMROは別物っす。
>>102 軍人の輩出する土地柄として有名、とは聞きますが。
>>103 それです。モンテネグロはコソヴォはセルビア南東部なんかといっしょにゼツスカ州。
105 :
世界@名無史さん :2005/07/31(日) 21:58:27 0
106 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 22:35:02 0
11世紀のセルビアではアドリア海沿岸とその後背地ドゥクリャ(スクタリ湖と コトル湾を含む地域)がセルビアの中心だった。 12世紀後半にステファン・ネマニャが大ジュパンと名乗り、ビザンツ領内に 版図の拡大を始める。 13世紀には、ステファン・ウロシュ2世ミルティン王が、父とシャルル・ ダンジューとの協定に従ってスコピエを攻略、マケドニアの大半を版図に 加えた。 ステファン・ドゥシャンはセルビアの版図をさらに南に拡大し、ペーチの 大主教を「セルビアとギリシアの大主教」とした。
107 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 21:47:02 0
ビサンツ滅亡後西欧に亡命したギリシャ人のコミュニティは残っていないのですか?
108 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 21:52:34 0
カトリックでない人間はベネチアなどからは奴隷として売買された。 ビサンチン滅亡後に古典文化を伝えた椰子も奴隷として売られてきたもの
109 :
世界@名無史さん :2005/08/09(火) 21:30:22 0
ttp://www.na.rim.or.jp/~aees/reikai/yanagita.html III. ロバート・D・カプラン(宮島直機、門田美鈴共訳)
『バルカンの亡霊たち』NTT出版、1996年(Robert D. Kaplan,
Balkan Ghosts; a Journey through History, Papermac, 1994)
近年のバルカン・イメージを極端な形で表出している一例であろう。
本書には偏見に基づくと思われる史実の誤認があると思われるので、
一部抜粋してみる。
「カトリック教会はヨーロッパで生まれ、東方正教会はアジアで生まれたため、
両者の違いはカトリシズムとプロテスタンティズムとの違いや、キリスト教と
ユダヤ教の違いよりもっと大きいのである(p.54)」
「ナチズムもバルカンに端を発しているといってよい(p.14)」
「クロアチアの悲劇は近代的ナショナリズムがファシズムの登場と時を同じく
して登場してきたということである。その結果、彼らはナチズムと深く関わり
合うことになってしまったのである。(p.48)」
「(セルビアとバルカンの)トルコの支配は1912年の第一次バルカン戦争まで
続くことになる(p.70)」
「1989年、別のより歴史に根ざした分割が始まろうとしていた。民主主義の
西欧と共産主義の東欧が対決していた時代に代わってヨーロッパとバルカンが
対決する時代が始まろうとしていた(p.86)」
110 :
世界@名無史さん :2005/08/19(金) 00:04:51 0
バルカンに対する西欧人の偏見について語るのはOK?
111 :
世界@名無史さん :2005/08/22(月) 00:39:18 0
112 :
世界@名無史さん :2005/08/22(月) 16:06:51 0
113 :
世界@名無史さん :2005/08/22(月) 16:07:37 0
発掘は、農民が畑を耕していてたまたま金の装飾品を発見したのを きっかけに、同国の考古学者のチームが1年間かけて進めてきた。 出土品はさらに増える見込みで、チームは「(ドイツ人考古学者の) シュリーマンが発掘した、金の出土品で有名なトロイ文明をしのぐ発見」 と述べている。 ブルガリアは、ローマ帝国による支配を受ける紀元1世紀ごろまで勢力 を張ったトラキア人が金細工を得意としたことで有名。発掘チームは、 今回見つかった文明の担い手は、トラキア人の祖先だったとの見方を 示している。
114 :
世界@名無史さん :2005/08/27(土) 21:37:39 0
いま世界不思議発見がクロアチアやってる。
115 :
世界@名無史さん :2005/08/28(日) 21:35:05 0
ttp://www.worldtimes.co.jp/ サッカーチームのオーナー射殺される―ブルガリア
【ベルリン26日豊田剛】
ソフィアからの報道によると、ブルガリアのサッカーリーグの名門ロコモティブ・
プロフディフのオーナーであるジオルジ・イリエフ氏(39)が25日、同国
東部黒海沿岸のリゾート地で射殺された。
現地警察によると、電話中に胸部に銃弾を受け即死したという。ブルガリアで
は近年、麻薬販売や売春婦がらみでの組織犯罪が目立っており、警察当局は
犯罪集団のスナイパーによる犯行とみている。
ロコモティブ・プロフディフは最近、セルビア・ベオグラードのクラブを
破って欧州連盟(UEFA)杯の出場を決めたばかり。イリエフ氏は祝勝会に
参加する予定だったという。本選での対戦相手はイングランド・プレミアリーグ
のボルトン。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
メカバルカン
123 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 22:36:42 0
age
124 :
世界@名無史さん :2005/11/18(金) 16:41:38 0
★コソボ議会、独立目指す決議を採択
【ウィーン=桜庭薫】セルビア・モンテネグロ(セルビア、モンテネグロの
両共和国で構成)のコソボ自治州の議会は17日、独立を目指す決議を採択した。
国連暫定統治下にある自治州の最終地位を確定するための協議が来週中に
始まるのを前に、分離独立に反対するセルビア共和国と自治州内の少数派
セルビア人をけん制した。
コソボ自治州議会は独立を志向するアルバニア系住民の政党が議席を
ほぼ独占している。一方、自治州内のセルビア人を支援するセルビア共和国
議会は15日に自治州の分離独立を認めない決議を採択、共和国と自治州の間の
対立が続いている。
日経新聞
ttp://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20051118AT2M1800C18112005.html
125 :
世界@名無史さん :2005/11/22(火) 23:51:43 0
>>124 独立の暁にはアルバニアと合併するんだろうか。
一応「大アルバニア主義」もまだ生き延びているらしいし。
コソボのほうが経済的にずっと豊かなので上手くいかないと思う
ケーブルTVのトラベルチャンネルでクロアチア特集やってたんだけど 進行役の霧島ローランドがアホでちっとも面白くなかった。
128 :
世界@名無史さん :2005/12/22(木) 09:04:30 0
age
129 :
世界@名無史さん :2005/12/26(月) 23:27:02 0
セルビア黒山
130 :
世界@名無史さん :2005/12/31(土) 18:54:01 0
昨日NHKBSでボスニアの内戦やってたよ。 旧ユーゴはこれからどうなるのよ?
131 :
世界@名無史さん :2006/01/11(水) 21:40:02 0
ho
132 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 01:23:02 0
ヘアトニック
134 :
世界@名無史さん :2006/02/05(日) 00:47:04 0
あげ
135 :
世界@名無史さん :2006/03/02(木) 19:02:44 0
カロヤンの四股名、無頓着な「琴欧州」以外にもうちょっとひねった命名はなかったものか。 「虎鬼谷(とらきや)とかw 黒海も海から離れたウラジカフカス出身。むしろチェチェンに近い。 カフカスの漢訳からとって「大雪嶺(だいせつれい)」とか色々選択肢はあったろうに。 昔ほど古語に詳しい親方がいなくなったせいだろうか?
hosu
137 :
世界@名無史さん :2006/03/31(金) 08:40:59 0
age
139 :
世界@名無史さん :2006/04/12(水) 20:36:34 0
ttp://lemonodaso.exblog.jp/2007744 ドイツ元首相ヘルムート・シュミット氏へインタビュー
2005年5月8日のギリシャ新聞カスィメリニ紙より
私はEUのやり方に満足をしていない。このままで行くと失敗は免れない。
フランスのジスカールデスタン元大統領もまったく同じ考えである。
EUにトルコが加盟した場合、トルコ人は大挙してヨーロッパにやってくる
だろう。特にドイツにやってくる。トルコはヨーロッパの文化を壊す。
過去にドイツに来てドイツ国籍となったポルトガル人、スペイン人、ギリシャ人
はドイツ国民として動く。ところがトルコから東の人々たちはドイツに来て、
ゲットーや敵意(反独主義)を作る。そこから問題が起こる。最初に来たの
トルコ人たちは1950年代から1960年代にやってきた人々でドイツ人社会に
なじむことができた。2番目に来たはトルコ人は違う。彼らは妻をトルコの
東から連れて来て、イスラムとしてドイツに残りスカーフをしている。それが
もしも中国人だったならずっとましである。
140 :
世界@名無史さん :2006/04/12(水) 20:36:59 0
キプロス…この問題はヨーロッパ人とアメリカ人の頭の中からすっかり 消えている。分かっているのは歴史家、ジャーナリスト、政治家の中に だけ存在しているのである。私はキプロスの北から南まで歩いてみた。 結論から言えばここはふたつに分けておくしかない。なぜならば、私が 北キプロスに行ったときに、土地や家を奪ったトルコ人たちがそこに 住んでいた。ギリシャ人はそこにはいなかった。そして南キプロスに 行ったときに、そこにはギリシャ人が住んでいて、トルコ人も住んでいた。 私はこのキプロスで分かったのはトルコ民族の持つ民族浄化思想の深さ である。だからトルコがEU加盟することに反対する。もし加盟がなった 場合EUは必ず壊れてしまうのである。 ↑カナーリ人種偏見の強い意見に思えるけどな。そもそも最初にキプロスで 攻撃を仕掛けたのはギリシア人の側だったと記憶しているが。 (エオカだかエノシスだかそんな名前の組織があった)
141 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 18:48:40 0
>>130 残るはツルナゴラの分離独立かな。
コソボとボイボディナもどうなるやら。
142 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 18:56:41 O
マケドニアのアルバニア人達はおとなしくなったのかな
144 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 18:51:29 0
モンテネグロ独立おめ
146 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 20:16:04 O
第1次大戦後のユーゴスラビア王国の前身セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国建国はセルビア主導のはずだが
ユーゴ王国とユーゴ連邦に連続性ないだろ
名前も領域も同じ
>旧ユーゴで人口の半数近くを占めていたセルビア人が、
>国内で大きな力を持っていた
んなこたーない。
チトーのユーゴの戦間期ユーゴとの大きな差は、戦間期ユーゴがセルビア主導だったのに対してチトーのユーゴが反セルビアだったことにある。
チトーはユーゴがセルビア主導になったことがクロアチアの反発をうんでうまくいかなくなったと考えた。
戦間期にセルビアの一部とされていたマケドニア、モンテネグロ、ボスニアを独立した共和国としたのも、
ボイボジナとコソボを自治州として認めながらダルマチアの自治州化案を蹴ったのも、その現れ。
結果としてセルビア人は人口の多数を占めたにもかかわらず6共和国のうちの1つでしかなかった。
のちには自治州も共和国並みの権限を与えられたから、実質的には8分の1。
>>145 は「旧ユーゴを作ったのはクロアチア人」とか言っているが、建国の経緯を見ると戦間期のSCS王国もクロアチア主導。
建国するときは一緒にやろうぜと言ってくるくせに危なくなるとさっさと独立する奴ら。
それがセルビア人のクロアチア人観。
151 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 14:49:24 0
ヴラフ・アリヤって実在の人物?
152 :
世界@名無史さん :2006/06/14(水) 01:54:46 0
クライナ分離の件はもう落着したのでしょうか。
153 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 15:37:03 O
中世セルビア王国のステファン・ネマーニャはビザンティンのマヌイル1世に屈伏したんだっけ? マヌイルはネマーニャに対する宗主権だけ認めさせ、テマ長官を派遣し直接統治しなかったのかな
154 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 21:52:18 0
セルビア・モンテネグロとしてのW杯出場も最後になったねえ・・・ 残るはコソボか?
155 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 18:30:59 0
月例火薬庫点検に伺いました。
156 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 20:58:12 0
バルカン砲 パーツ構成や組み立てが複雑怪奇でしょっちゅう暴発している危険な砲。 尾栓には双頭の鷲の刻印がある。
157 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 21:35:52 0
〜‐. _―'' ̄ ̄| ノルウェー┌─┤ -〜 / |スェーデン -〜 | | / ヽ _,,_ | /ヽ/ ,| 大西洋 / / デンマーク /\ ヽ ~) 〜- . r \___,,/ ̄ ./ -〜__/ | フ ̄ ̄ / ゝ大英帝国 オランダ \ ロシア帝国 〈 ) / ̄ベルギー | 〜‐ > / / ̄ | ドイツ帝国 \_______ ~―─_/ | | オーストリア| __j ̄ / ̄ ̄ ̄\___/ ハンガリー | ヽ フランス | スイス | 帝国 ./ | \_ _ / ̄ ̄ ̄|__,,,___/ ___ | ― 、_|_ ̄ | セルビア|ルーマニア  ̄~\ / ̄\__ ノ~  ̄\ \ |アルバニア | 〜- ) | ̄ ( 地中海 \ ヾ ヽ ブルガリア> __,,,,,ー'~ |─, スペイン | 〜 \ イタリア ヽギリシア < オスマン・トルコ帝国 | │ ノ 〜- \ \ /_/ \
158 :
世界@名無史さん :2006/08/05(土) 02:18:48 0
琴欧州関、四股名を聞いてもブルガリアと分からない漠然としたネーミングでさえない。 どうせなら、ブルガリアにちなんで 「虎鬼谷(とらきや)」「昴沢洲(すぱるたくす)」とでもしたほうが強そうだったのにな。 え?なら黒海関は「寿牙刺毘裏(じゅがしびり)」とかw
琴締帯(ことしめおん)
160 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 20:43:24 0
ボスニアヘルツェゴビナやセルビアモンテネグロは 「二重共和国」なんて呼ばれ方はしないのかな。 (不吉だから呼ばないほうがいいだろうけど)
ボスニアやセルビアなんかと同じような呼びかたされたら むしろオーストリアやハンガリーに失礼
セルビアモンテネグロはすでに過去の国になっている
別に二重ってわけでもないような……
近代ギリシアの話題はここでおk?
当然おkだろ
バルカン栗毛
バリカン脛毛
168 :
世界@名無史さん :2006/10/17(火) 20:11:57 0
あげ
169 :
世界@名無史さん :2006/10/17(火) 21:32:54 0
おとなしくバルカンも中東もオスマン帝国のままだったら紛争もおきなかったのにな。
170 :
世界@名無史さん :2006/10/17(火) 23:05:51 O
アルメニア人はトルコ人に絶滅されたかもしれんけどな
171 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 22:39:10 0
age
172 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 22:04:54 0
>>158 露鵬もロシア出身とはいえ、チェチェンにほど近いウラジカフカス出身なんだよな。
カフカスの少数民族の出かも知れない。
173 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 22:34:40 O
オセット人じゃないの オセット人はアラン族の末孫っていわれていますね
174 :
世界@名無史さん :2006/12/05(火) 23:21:12 0
>>956 ポ独関係史
といっている以上、あんたもポーランド至上主義者の仲間なんだろうがね。
プロイセン史、シュレージェン史、ポンメルン史、いずれもドイツの歴史を語る上で
欠くべからざるものだ。
プロイセンは近代ドイツの統一の原動力となった地域だ。
そこを抜きに近代ドイツの歴史は語れない。
第一次、第二次大戦で、その地方のほとんどをポーランドは連合国のトラの威を
借りるキツネよろしく狡猾に奪い、そこのドイツ人住民の土地財産、あまつ多くの
命を奪ったその過去のポーランド人の許されざる罪業はいまだ隠されたままだ。
つい最近になって、イェドワブネのユダヤ人虐殺を卑劣にも21世紀にいたるまで
ドイツ人に押し付け、自分たちは被害者(実際は卑劣な加害者、ドイツ人、ユダヤ人に対して)
ぶった態度を取り続けてきたことだ。
それを重要な話とは思わんねと言うあんた自身、ポーランドの罪を覆い隠し、両国の歴史の暗部、
特にポーランドの悪逆を覆い隠そうとする、ポーランド至上主義者の仲間と思わざるを得ない。
175 :
世界@名無史さん :2006/12/06(水) 01:34:21 0
パウル カレルの「捕虜」を読んだけど、旧ユーゴスラヴィアのチトー共産党は、第二次大戦後 捕らえたドイツ軍捕虜に、すでに戦争が終わっているにもかかわらず、ありとあらゆる拷問、死の行進を 女性を含む捕虜にくわえた その多くは死んだ 明らかに国際法違反だ そして、戦後、長きにわたってドイツ人捕虜を拘束し、チトーのやってき自らの国民に対する非道を悪逆を、 そのドイツ人捕虜がやったことにするよう、彼らを拷問し、いわれのない罪を認めさせ,その罪状にサインを させた上で、射殺、処刑した そのような形で、戦後、チトーは同じスラブとはいえ、その国家をまとめるための意志杖にしてきた スラブ民族、ポーランド、セルビア、ロシア、滅んでしまえ 人でなし民族、国家!
176 :
世界@名無史さん :2006/12/06(水) 10:24:34 O
パベリッチなんかを支援したのがドイツの運の尽き
177 :
世界@名無史さん :2006/12/06(水) 11:23:29 0
ユダヤの見せしめだな。 ユダヤ人にさからうとどうなるかドイツ人を全世界に見せしめたわけだ。 だからイスラエル報道はユダヤよりになっている。
米国やイギリスもドイツ人捕虜をドイツ降伏後に虐殺してるし こーいってはなんだが負けたのが悪い 自分らがやってきたことをやり返されてるだけだしな
179 :
世界@名無史さん :2006/12/07(木) 14:42:00 0
つまりユダヤ人を虐殺したらどうなるか、ユダヤに支配された米英がドイツ兵を虐殺した訳か。
180 :
世界@名無史さん :2006/12/11(月) 08:04:15 O
バルカンで一番戦争つおい民族ってどこ? セルビア?トルコ?ブルガリア?
個人レベルで強いのはアルバニア人あたりじゃないですか。
モンテネグロだろ
183 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 00:38:48 0
バルカンでの民族は宗教の違いはあってもスラブ民族が多勢を占めてるよね。 そのなかでも、人口的にはセルビア人が一番多い。 戦争に強いと言うより、その比率ゆえについ最近までユーゴスラビアという 統一国家を維持してきた。 しかし、その悪逆支配者チトーの共産主義政権の 破壊とともに、民族敵対立、同じスラブといいながらクロアチア、スロベニアなどと セルビアなどの支配民族の対立は向きがたいものだった。 同じようなことで、やはり同じスラブのチェコとスロヴァキアが分離したのもうなずける。 バルカンではいずれも、同じスラブといいながら、ドイツ、オーストリアなどゲルマン民族の影響の 強い経済的にも強いスロベニア、クロアチアと、本来のスラブ、ロシアの影響の強いセルビアなどは 過去に歴史的にも対立を繰り返してきた。
184 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 01:08:23 0
>ロシアの影響の強いセルビア それは近代になってからの話では? 俺は中世史の本ばかり読んでるので セルビアというとビザンツ文化圏の印象が強いのだが
>>183 ユーゴスラヴィアの支配民族ってセルビア人だったんだ。
へーへーへー
チトーってどこ出身か知ってるか?
ハーフの出身って結局は本人の自意識だよね
チトーはクロアチアとスロヴェニアのハーフだけどな。
188 :
世界@名無史さん :2006/12/30(土) 03:22:54 0
youtubeとかで旧ユーゴ関連のワードで検索かけると 各勢力とも民族対立を煽る様な映像が大量にうpられてるな
ユーゴスラビアって構成する民族全部が被害者意識(被支配者意識?)もってそうなイメージがあるなぁ
190 :
世界@名無史さん :2007/01/04(木) 06:00:28 0
>>185 チトーってどこ出身か知ってるか?
クロアチア人(母はスロベニア人)出身だが、民族主義者というより狂信的に共産主義をかかげ、
第二次大戦では共産党パルチザンとして独伊、王党軍と戦っていた。 パルチザンのなかには
共産党員のクロアチア人、スロベニア人、強制的に徴用されたものもいた。
チトーの出身もそうだが、だからこそ戦後共産政権下というくくりのなかでユーゴスラビア連邦という
国家を一時的にまとめていくことが出来た。
戦中(いやそれ以前からも)、クロアチアとセルビアは対立し、内戦を続けてきたが、
ドイツの敗戦とともに、ドイツ側についていたクロアチアの勢力が一時的に衰えたことによって
セルビア人中心のユーゴスラビア国家を樹立、チトーを中心においてしばらく維持していくことができた。
しかし、チトーの死を契機として、その対立関係が表に出るのは当然だった。
スロベニア、クロアチアのような西欧ゲルマンの影響の強かった地域は戦後も経済的に強い
地域であったし、ユーゴスラビア経済力の大半はこれらの地域に依存していた。
その経済力による利益をセルビア人たちは容赦なく取り上げていった。
そういった事実を無視して、チトーの死後もセルビア人たちは軍事力をもって他の民族を
押さえ、連邦を維持しようとした。
その結果は連邦の解体という当然の帰結だった。 同じようなことはやはり、同じスラブといいながら
チェコ人とスロバキア人が第二次大戦後、チェコスロバキアという国家を作ったが、やはり
似たような理由で分離している。 チェコスロバキアは最初第一次大戦後、人工的に作られたが
やはり解体している。 このときはヒトラーのせいにされたが、もともと呉越同舟の状況が長期間
続くわけがない。
191 :
世界@名無史さん :2007/01/04(木) 18:22:57 0
ユーゴスラビアの解体はおそらくアメリカの陰謀だろう。 あの時期イラク情勢もおちついていて軍需産業を潤わせる必要があった。 もくろみは見事に成功し、EUの権威失墜およびアメリカウハウハモードに むすびつけたと、まあこういうわけだ。
192 :
世界@名無史さん :2007/01/04(木) 18:45:38 0
>チェコ人とスロバキア人が第二次大戦後、チェコスロバキアという国家を作ったが、やはり >似たような理由で分離している。 チェコスロバキアは最初第一次大戦後、人工的に作られたが >やはり解体している。 このときはヒトラーのせいにされたが、もともと呉越同舟の状況が長期間 >続くわけがない。 一応どちらもハプスブルク帝国の属領で、言葉も通じる程度の違いしかないのだが 宗教的対立もない
>>190 チトーの施策を知らないとしか思えない論だな。
戦前「セルビア」と見なされていた部分からモンテネグロとマケドニアを切り離し、
セルビア共和国内にもヴォイヴォディナとコソヴォの2つの自治州を作ったことで、
「セルビア人」が戦前のようにユーゴ内で大多数を占めることが出来ないようにしたのはチトーだ。
逆に彼はクロアチアからのダルマチアの独立もしくは自治州化を拒否している。
チトーの政策の基本はセルビアいじめだったのだ。
だから、スロヴェニアとクロアチアが独立へ向かったとき、セルビアにはこれを止める力はなかったし、
ユーゴが崩壊するとセルビアはセルビア国内のセルビア人をどうやって保護するのかという難問に直面することになった。
194 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 16:42:24 0
だから、スロヴェニアとクロアチアが独立へ向かったとき、セルビアにはこれを止める力はなかったし、 意味不明。 チトーはとっくの昔に死んでいる。
195 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 23:38:18 0
一応どちらもハプスブルク帝国の属領で、言葉も通じる程度の違いしかないのだが 宗教的対立もない じゃ、なぜ第二次大戦後も最近になって分離したんだ? スロバキア人は第二次大戦以前から自分たちを搾取してきたチェコ人を憎んでいたのではないか。 ティソの銅像などチェコ人、ユダヤ人への意趣返しだろ。
196 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 23:41:36 0
ユーゴが崩壊するとセルビアはセルビア国内のセルビア人をどうやって保護するのかという難問に直面することになった。 その保護の結果が、ムスリムやアルバニア系住民の大量殺害につながったと言う訳か。
197 :
世界@名無史さん :2007/01/06(土) 04:55:07 0
全てはアメリカの陰謀で説明できる。 紛争のある所にアメリカあり。
コソボ紛争でアメリカに爆撃されたのは殺されたのはセルビア人だよ
199 :
世界@名無史さん :2007/01/06(土) 05:21:53 0
>>198 セルビア人の味方をしたなど一言もいってない。
クロアチアの故ツジマンがユーゴ時代から民族主義者で
何度も投獄されているが、チトー死後急速に浮上し
ユーゴからの離脱を表明するとアメリカのハリバートン社と
軍事方面での契約を結んで独立にいたった。
ちなみにハリバートンの当時のCEOは今のブッシュ政権の副大統領
チェイニーであり、役員にはライス国務長官が名前を連ねている。
さらに付け加えるならライスは「ロシア関連の専門家」
つまり対スラブの切り札でもあるんだが。
200 :
世界@名無史さん :2007/01/06(土) 05:41:50 0
オルブライトはセルビア人
201 :
世界@名無史さん :2007/01/06(土) 05:53:55 0
>>200 嘘つくな。
元国務長官はプラパで生まれたアシュケナージだ。
しかも、彼女はクリスチャンとして育てられていたので
いわゆるセルビア正教徒とは縁が薄い。
在任中にミロシェビッチの失脚やコソボの自治権獲得にも
関与している。
とてもじゃないがセルビアの利益代表者とはいえない。
アルバニア人というのはギリシャにも多いんだよな そしてアメリカでは意外や意外ギリシャロビーというのはユダヤロビー並 に強い力をもっている だからこんなわけわからない紛争になって最終的に損したのはセルビア人ということになった アルバニア人といのは日本人からするとあまり印象よくないがマフィアとして恐ろしい力をもっている イタリア、シチリに君臨しているのもアルバニア系マフィアでしょう アメリカで恐れられているイタリア系マフィアというのもアルバニア人でしょう 第2次世界大戦でもイタリアがなぜか戦勝国になったのはアルバニア系マフィアの手柄 アメリカはやっぱりいまだにマフィアとか強い力をもっている国だとは感じる 夜の大統領とかいた時代だからねw
203 :
世界@名無史さん :2007/01/06(土) 07:39:59 0
>>202 おまえは何をいっているんだ?
ギリシャはセルビア人と同朋意識をもっている。
自称古代ギリシャの子孫だが、連中は血族的にはスラブの近縁で、古代ギリシャ民族とはほとんど関連性がない。
ユーゴ内戦にからんだセルビア空爆でもギリシャ各地で反米デモがおこっている。
付け加えると当時クリントン政権の国務長長官オブライトはコソボの自治権獲得に尽力し、ミシェロビッチの失脚にも
関わっている。 ロシアとギリシャは一連のユーゴ問題で終始セルビアよりの立場をとっていたのだが。
ギリシャをスラブというのは無理ありすぎだが 要はギリシャでも権力もってるのもアルバニア人ということになる
>ギリシャはセルビア人と同朋意識をもっている。 興味あるので詳しく ステファン・ドゥシャンの侵略とか根に持ってないのか
207 :
193 :2007/01/08(月) 16:04:45 0
>>194 言葉が足らなかったか。
チトーがセルビアをいじめたせいで、ユーゴ内でセルビアが主導権を握ることはなく、
結果独立を阻止できなかったって意味だよ。
>>207 だから40年以上纏まっていられたんだろ?
アレクサンダル王と同じようにセルビア以外劣等民族ウラーってやってたら
10年かそこら持たずに崩壊しただろう。
話が噛みあってなさげ。
210 :
193 :2007/01/16(火) 17:23:50 0
噛み合ってないなあ。
私は
>>190 の
>セルビア人中心のユーゴスラビア国家を樹立、チトーを中心においてしばらく維持していくことができた。
を批判しているわけだけども。
211 :
世界@名無史さん :2007/01/18(木) 16:07:17 O
もし戦前のユーゴ王国が生き残ったら
212 :
世界@名無史さん :2007/01/20(土) 23:04:18 0
アルバニアのトーチカ群を世界遺産に登録しましょうw
バカルン超特急!
214 :
世界@名無史さん :2007/02/02(金) 19:24:19 O
チトーがセルビアをいじめた? 1971年のクロアチアの春(クロアチア自由化運動)を弾圧したのは誰か 連邦レベルの要職がチトー時代にセルビア人がほぼ独占したのはなぜか 父母がクロアチア、スロヴェニア人であろうとも共産主義体制下では民族主義はタブー、特に独立指向が前王国時代から強かったクロアチアには警戒していた 1989年3月に連邦首相に就任したアンテ・マルコヴィッチもクロアチア人 だがスロヴェニア、クロアチアの独立を妨害し、両民族から恨まれた
215 :
193 :2007/02/02(金) 21:26:43 0
>1971年のクロアチアの春(クロアチア自由化運動)を弾圧したのは誰か 弾圧ねえ……。 クロアチアの春はクロアチア対セルビアではなくクロアチア対ユーゴ。 ユーゴ政府の、コソヴォやマケドニアといった国内の最貧地帯への投資を、富裕なクロアチアが恨んだもの。 連邦としてはクロアチアの独立など弾圧して当然。 しかもクロアチアの春の後で制定された74年憲法は各共和国の権限を拡大するもので、 クロアチアの春でクロアチアは更なる権力を得た。弾圧されて抑圧されたわけではない。 結果としてクロアチアは、戦前のほとんど何も言えない状態とまったく違って、 自己意志で独立を宣言してそれを押し通すだけの力を身につけた。 クロアチアの春の時の独立運動はチトーと連邦が止めた。 しかし74年憲法以降の共和国への分権とチトーの死で、クロアチアの独立、連邦の崩壊はもう止まらなかった。 >連邦レベルの要職がチトー時代にセルビア人がほぼ独占したのはなぜか 初耳。具体的ソースをくれ。
216 :
世界@名無史さん :2007/02/02(金) 21:36:31 O
>>215 お前が何様か知らんが、偉そうに上からモノ言うなよ
ユーゴ内戦
月村太郎氏 著
東京大学出版会
217 :
世界@名無史さん :2007/02/02(金) 22:44:41 O
そうそうお前もソース出せよ チトーがセルビアをいじめたとか セルビアが主導権握れなかったとかのな ニコリッチとかライッチとかいうセルビアお抱えの歴史学者出すなよw トルコを含むバルカン諸国が作成したバルカン共通歴史副教材に対して やれセルビア史がギリシャ史に比べ比率が低いとか やれオスマン・トルコが寛容さを示すとか 難癖つけて他の諸国の歴史学者を閉口させた連中だからな
218 :
世界@名無史さん :2007/02/02(金) 22:46:46 O
示すとか→示す史料が多すぎるとか
219 :
193 :2007/02/05(月) 13:39:20 0
>>216 すまんそれ俺読んでたわ……
チトーのセルビアいじめ、特にダルマチア自治州案ぽしゃった話は、
Lampe, John R. "Yugoslavia as history," Cambridge University Press
だったはず。クロアチアの春の弾圧問題も同上。
イギリスの共産圏研究の伝統の上に立ってるとは思うけど、著者自身は経済史が専門みたいだ。
戦間期のユーゴの問題についても経済面から分析してて、まあ概説書なんだけど面白い。
>連邦レベルの要職がチトー時代にセルビア人がほぼ独占した
よく考えたらアレだよな、チトーって元々セルビアで蜂起して、その後ボスニアに移ったんだから、
セルビア人が多いのは当然だよな。
NDHの虐殺問題についての研究、例えば
Dedijer, Vladimir, "Jasenovac: das jugoslavische Auschwitz und der Vatikan", Ahriman-Verlag
なんかでも、セルビア人を「共産主義者」呼ばわりしている一次史料は多い。
NDHでセルビア人が迫害されて、チトーに引き寄せられるという現象もあったんだろうな。
ちなみにこのデディイェルはセルビア人だがチトーと喧嘩して亡命した人だ。
220 :
世界@名無史さん :2007/02/14(水) 11:04:50 O
セルビアは文化・文字・宗教の違うクロアチア、スロヴェニアとではなく 文化・文字・宗教が同一のブルガリアとユーゴスラビアを作ればよかっただけ むろん独立前後じゃないと可能性はなかったと思うが
いっそセルビア人・ブルガリア人・ローマ人三位一体帝国に ・・・ロシアに潰されるのが先か内紛で自滅するのが先か。
以前読んだ架空史の地図に 「オーストリア=ハンガリー=ユーゴスラヴィア三重帝国」 という国がありました。
セルビアとブルガリアは19世紀〜大戦を通じて不倶戴天の敵じゃん。 あの時点ではクロアチアのほうが親和性が高い
セルビアは大人しく自称マケドニアとコソボとモンテネグロとボスニア半分で我慢しときゃよかったんだな
いや、バルカンの問題を一言で片付けるのは無理なんだが マケドニア問題とボスニア問題はセルビアやブルガリアの能力では どうしようもない問題だろう。 オスマンの退潮と墺露の衝突、英独のオスマンへの利害… 近東問題は当事者間ではそもそも解決不可能で可能な限り オスマンの領土保全が為されることが、英独墺がロシアの分割を妨げることが、 ベルリン体制を諸列強の圧力で堅持することが地域安定には不可欠だった。 それが青年トルコ革命を契機としたブルガリア独立、オーストリアのボスニア併合、 ベルリン条約締結国会議拒否で全て崩れてしまった。 このベルリン体制の一番の受益者はオーストリアだったのになあ。
226 :
世界@名無史さん :2007/03/10(土) 16:44:18 0
元ダルマチアこと、クロアチアのクライナ地方の 分離独立騒ぎはもう立ち消えたのでしょうか?
227 :
世界@名無史さん :2007/03/20(火) 07:16:54 O
バルカン戦争でブルガリアだけやたらと戦争強いのは民族性の問題? それとも国際標準はあんなもんだけどルーマニア、セルビア、ギリシャが弱すぎるだけ?
14世紀あたりだとセルビアとワラキアが強国で ブルガリアが分裂してたりしますが
229 :
世界@名無史さん :2007/03/20(火) 14:23:17 O
第2ブルガリア帝国はブルガリア人でなく、近代ルーマニア人の基幹民族になっ たと言われるヴラフ人が建国したのではないかという仮説があったような 間違っていたらスマソ
>>229 蜂起のリーダーになったぺタルとアセンがヴラフ系で
戦闘の主力はドナウ河以北の草原地帯から呼び寄せたクマン人だったとか。
あとハンガリーから追放されたクマン人もブルガリアに逃げ込んだようですね。 たしかテルテル家がそういう家系だったと思った。
232 :
世界@名無史さん :2007/03/20(火) 15:57:48 O
14世紀初頭だとアラゴンの悪名高い傭兵部隊アルモガバルスがバルカンのビザン ツ領内に建国していますね ビザンツがアラゴンからアルモガバルスを借りて小アジアのオスマン軍を撃破し て都市を次々奪回したにも関わらず、帝国はアルモガバルスの頭領を虐殺して 生き残ったアルモガバルスが激怒した結果だけど
233 :
世界@名無史さん :2007/03/21(水) 00:07:08 O
ルーマニアって串刺公とか勇敢公みたいに粘りはあるけどなんか戦争弱いよね 第一次、第二次大戦とは全然違うじゃん・・・
やたらと格付けしたがるのはAOEか何かの影響なんかね
235 :
世界@名無史さん :2007/03/21(水) 07:21:38 O
その通り、と言いたいところだけど これだけ色んな勢力で賑わってる所で どの民族も一度ぐらい輝かしい栄光の歴史があったりするなかでも 結局バルカンの地域からバルカンの中でそこそこまとまった勢力が出現せずに、 外来のオスマンやハプスブルクやハンガリーやポーランド(後にはロシア)に この地域が分割されたのが何故なのか知りたい
何か「ハンガリーとコンスタンティノープルの間」って感じなんだよな。
アルバニアなんてローマとコンスタンティノポリスの間にあるのに未だに部族社会だし バルカンの未開性は一体なんなんだろう
西欧の発展が滅びたローマの衣鉢を継ぐことから始まったのに対して バルカン地方にはビザンツ・オスマンっていう超大国が厳として存在し続けたからでは 大国側にとっても地位の安泰のために周辺国が弱小集団で合従連衡しててくれた方が 都合がよかった側面もあるだろうし その点じゃ西欧やロシアは辺境だったのが逆に幸いしたと思う
「前近代」的なオスマン支配がうまくいっていたからでないか? マキャベリ『君主論』のような支配者(スルタン)が被支配者の国 (コンスタンティノープル)に住む、バルカン支配も円滑に。 「近代」になって独立したバルカン国民国家は独立したはいいが 第一次産品輸出国、前近代的農地制度、民族支配者寡頭政治、 急速な近代化と農地問題の相互補完的な悪弊を除去する方法論としての 民族主義、そして突然失われた独墺露の政治的、経済的支援。 「近代」の到来はあるいはバルカンにとって不幸であったかも知れんなあ。
240 :
世界@名無史さん :2007/03/22(木) 19:14:46 O
オスマンの支配が本当にうまくいっていた? 確かに宗教的寛容なミレット制を施いたたが それはうがった考えで見るとオスマンの最も重要な税収であるハラージュ(非イ スラム教徒に課せられる重い人頭税)を失いたくないからではないのか 改宗した、特にギリシア人は高官になったが 早期からギリシアのクレフテス(山賊)やバルカンの諸民族の反乱を頻発させて いたのも事実 オスマンのイスラム教徒にとってキリスト教徒はたとえ経典の民とはいえ、所詮 2級市民にすぎない 現にオスマンのイスラム教徒はギリシア人をはじめとするキリスト教徒を“家畜 ”と称していたことからでも推測できる
君主がコンスタンティノープルに常駐して反乱に迅速に対応でき ギリシア人商人が跋扈してキリスト教徒の離間を図ったなら 「うまい支配」だと思うよ。別に「善政」である必要はないんだから。 バルカン側からみたら違うだろうけど前近代の話だからねえ。
242 :
世界@名無史さん :2007/03/22(木) 21:58:47 O
オスマンのイスラム教徒は商行為を毛嫌いしていたからギリシア商人が台頭する のは必然だったのだろう 改宗ギリシア人はバルカン諸国を厳格、冷徹に統治した バルカン諸民族の怒りはギリシア人にでなくイスラム教徒に向かった そりゃそうでしょう 重いハラージュや親の意志を無視して子供を拉致ってイェニチェリにぶち込んだ りするイスラム教徒に対しては恨みも積もり積もるだろう 帝国の後期にはキリスト教徒に対する虐殺も頻発したし
うーん、前近代の「上手な支配」ってそんなもんじゃないの? 実際前近代にはアルバニアやボスニア、マケドニアで顕著なように イスラムへの実利的な改宗も進んでいる。 宗教の差は大きいがそれを上回る実利があれば支配層はすぐに転ぶ。 彼らは小作農(てか隷農かな)たるキリスト教徒を支配する地主層。 あるいはバルカンの交易を実質支配したギリシア商人。 それは貧農はオスマン支配を恨んだかもしれんが実質支配する階層は 揺るがなかった、と。 キリスト教徒虐殺は「近代」の産物だと思うが。 18世紀まで軍、官僚の腐敗は進んでいたがオスマン支配はよく機能していた。 まあこの間、オスマン支配下にあったバルカン地域が西欧に遅れをとったのは 否定しないけれども。
欧州の火薬庫
245 :
世界@名無史さん :2007/04/19(木) 12:02:31 O
スポック
246 :
世界@名無史さん :2007/04/30(月) 19:58:14 O
247 :
世界@名無史さん :2007/05/05(土) 12:07:38 0
ユーゴ
248 :
世界@名無史さん :2007/06/02(土) 19:26:59 O
クロアチア・スラヴォニア・ダルマチア三位一体+ヘルツェゴヴィナ・モスタル 地域→真のクロアチアの領域 セルビア−(ヴォイヴォディナ+コソヴォ)→真のセルビアの領域 ☆クロアチアの英雄たち ・トミスラヴ王―10世紀初めにフランク、ハンガリーを破り、ダルマチアを含む クロアチア王国を樹立したの初代国王 ・クレシミル2世―11世紀、現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナの大部分を領域 に編入したクロアチア王国黄金期の国王 ・ズリンスキー―ハプスブルク帝国のクロアチア総督、わずか2500の兵力でスレ イマン1世率いる10万のオスマン軍の包囲に対しセゲドで5ケ月に渡り頑強に抵抗 ・イェラチッチ―ハプスブルク帝国クロアチア総督、1848年クロアチア弾圧を目 論むハンガリー革命政権に対し抵抗、1848年10月30日シュヴェハットでハンガリ ー革命軍を撃破 ・フランク―19世紀後期、真正権利党党首、大セルビア主義に反対し、帝国内に 三位一体王国を第3の王国樹立に尽力
249 :
世界@名無史さん :2007/06/02(土) 20:15:29 0
真の領域・・アホですか? それを言い出すとクロアチアはハンガリー領だの、トルコ領だのという 論法も成り立ちますけど・・。 ズリンスキーが「ハプスブルク帝国」のクロアチア太守wwww >セゲドで5ヶ月に渡り セゲドですか・・本当にそうですか・・www >イエラチッチ ハプスブルク家に利用されてご苦労さんwww
250 :
世界@名無史さん :2007/06/02(土) 20:52:13 O
ガハハハ 釣られた、釣られた
251 :
世界@名無史さん :2007/06/02(土) 20:53:29 0
負け惜しみご苦労さんwww
252 :
世界@名無史さん :2007/06/02(土) 22:32:17 O
ザグレブにイエラチッチの銅像があるが利用された人間の銅像を今だに残していると言 うことはクロアチア人って相当アホなのか
253 :
世界@名無史さん :2007/06/02(土) 23:17:22 0
他に銅像建てられるような人物がいないんだろう。
254 :
ドン・ベムーゴ ◆eaYqa3SeLE :2007/07/08(日) 00:24:01 0
なんでクロアチア人がチリの最南端に移民したのか気になる
255 :
世界@名無史さん :2007/07/14(土) 20:06:53 0
厚顔無恥に過酷な支配を強いたセルビア人どもを駆逐したパ―ヴェリッチ
257 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 01:38:53 O
ニコラ・テスラ
258 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 02:04:01 0
289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 14:48:13 ID:yGLGHExK
youtubeで見かけたコメント
セルビア人:セルボクロアチア語は1990年以降公式的に存在しない。
あいつらがしゃべっているのは「セルビア語」だ。
クロアチア人:クロアチア語と、耳障りなセルビア語の違いが分からない
ヴァカがいるぞw
293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 21:47:28 ID:xRkVjjx3
>>289 こりは疑問だなw
どう考えても原語の美しさを損ねているのは
無理やりな造語を粗製乱造している
クロアチア語www
セルビアでは空港はアエロドローム。
(aerodrom)
クロアチアでは新しくズラチナルーカという名称に。
(zracna luka)
元々はクロアチアだろうがセルビアだろうが、
空港はアエロドローム。
ハネ上がりモンのクロアチア人が勝手に造語して、
ネイティブにしか分からない言葉に換えちゃったwww
アエロドロームなら何となく外国人にも、
航空関連の言葉だと分かる。
道路標識なんかで見りゃ、スグ空港の事だと分かるし。
ま、実際にゃ、英語を併記している事も多いから、
何とかなるんだろうがw
何となく漢字を嫌うあまり、外国人にゃ
殆ど馴染みの無いハングル一色にして悦に入る
韓国人に似ている罠。
259 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 02:05:41 0
長寿と繁栄を
韓国人に例える奴って無知を曝け出しているよな・・・
>>258 という豚よりメタボっている人モドキの紹介でした
262 :
世界@名無史さん :2007/07/16(月) 00:27:46 O
なんでプンタアレナスにクロアチア人がいるの?
>248 ズリンスキーとはニコラ・シュービッチ・ズリンスキー(ハンガリーでは ズリーニ・ミクラーシュ)のことだと思いますが、彼が篭城したのはセゲド ではなくシゲトヴァール(シゲト城)です。 あと、彼はハプスブルクのというよりも、ハンガリー王国の貴族でしょう。 彼の同名の孫や、その弟、あるいは縁戚関係のフランコパン、ナーダシュディ、 ラーコツィといった大貴族が叛乱を企てて処刑されています。
264 :
世界@名無史さん :2007/07/16(月) 19:16:31 0
バルカン半島って最近のユーゴ内乱といい 中世以降、常に隣人同士で殺しあってるイメージがあるな
どこもそうだろ
266 :
世界@名無史さん :2007/07/25(水) 01:37:13 0
コソボを含むバルカン諸国は残存トルコ同胞の虐待をやめろ!
コソヴォっていうかアルバニアは比較的親トルコじゃないか? ギリシャやブルガリアのほうがキツそうなイメージだが・・・
アルバニアとトルコの関係は敵の敵は味方理論なんでは……
>>258 ドイツ語もそういうの多いよね。
フルクハーフェン(空港)てなんやねんと言いたい。
ようつべを見ると、ギリシャとセルビアの友好を強調するビデオや、 アルバニア・ボスニアとトルコの友好を強調するビデオが 掃いて捨てるほどたくさんある。
Flughafenってそのままじゃん 何も変じゃない
>>270 ドイツ語もクロアチア語も外来語をそのままにする(日本で言えばカタカナ語?)よりも、
自国の言葉に翻訳してから使う例が目立つというお話です。
ていうか日本語の「空港」もそうじゃないか。
テレビもドイツ語ではわざわざフェルンゼーエンって言いますよね。
フェルン=テレ、ゼーエン=ヴィジョンというわけですが。
それは分かっているが 自国の言葉に翻訳して使うのが さもおかしいことであるかのような書き方だったから 別に変なことじゃないと思ったので
全く関係ない新しい単語を造語してしまうフランスが一番変です
274 :
世界@名無史さん :2007/09/01(土) 03:59:42 O
あげ
275 :
世界@名無史さん :2007/09/01(土) 10:47:55 0
旧ユーゴ統一スレ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1046450648/l50 620 :異邦人さん:2007/07/25(水) 00:35:51 ID:3N9824gW
まぁ、そだけど、EUのユーロ圏(?)に比べればかなり安上がりだよ。
パリのレストランは財布に相当きついけど、ベオグラードのスカダルリヤなら
3000円もあれば結構いい雰囲気でおなかいっぱいになるよ。
山盛りのキャビアとかおいしかったなあ。グラーシュとか。パプリカペーストとかおいしいよ。
モンテネグロならシーフードもおいしいしねー
ユーゴ圏なら国境越えるバス代も安いし、パスポートにいっぱいスタンプ押してもらえるのもうれしい。
それでも一時期よりはだいぶ高くなったけど、、、
旧ユーゴって今どうなってんの?
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1135920362/l50 ことセルビア人ほど、
気前が良くて人好きのする連中はそうはいないが。
けちけちしないし、とても堂々としている。
陽気でお人好し。
自分らに誇りを持ちプライドが高く、メンツを重んじるため、
気位の高さを感じることもあるが、
基本的には豪放らいらくで気宇壮大、どこか大ざっぱな、
昔の日本人にいそうなタイプ。
たぶん、細かいことにくよくよするタイプはセルビア人は理解しづらいだろう。
お菓子とかシャンプーとかのパッケージにいろんな言語で 注意書きや成分が書かれているのを見ると、 セルビア語とクロアチア語で同じ単語を見つけるほうが大変だったりするw わざと構文変えたりして違う書き方してるんだろうけど チェコ語とスロバキア語も チェ:翻訳借用 スロ:外来語そのまま っていう傾向があって似たような関係だけど こっちのほうが同じ文章だということはわかりやすい
亀だが
>>248 はきっとグリーメン
ズリンスキー+セゲドでググると関学グリーのページと
そこから引用した和田大学のページしか出てこない
ブダペストの国防大学ってズリーニ・ミクローシュの名前を冠してるんだね
大詩人のほうじゃなくて総玉砕のほうだと思うからなんか縁起悪いけどw
クロアチアにもズリンスキーの名を冠した有名どころってあるの?
278 :
世界@名無史さん :2007/10/14(日) 09:05:34 0
バルカンの範囲ってどこまでよ?
◎ギリシャ、アルバニア、マケドニア、コソヴォ、セルビア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴヴィナ、クロアチア、ブルガリア ○トルコ、ルーマニア、スロヴェニア、モルドヴァ △ハンガリー、キプロス 現在の国名でいうと、だいたいこんな感じか?
>>276 わざと違う書き方をして、民族的差異を強調しているってことでしょうか?
281 :
世界@名無史さん :2007/12/21(金) 02:35:52 0
>277 通りの名前でズリンスキー通りというのはあるよ。
282 :
世界@名無史さん :2007/12/21(金) 03:52:50 0
>>280 >>11 ,12 涙ぐましい努力やね
ドイツ語も国語を確立する時に外来語の影響を廃するために造語の名詞を作りまくったそうで
だから
>>268 みたいな話になるんだろな
独立するなりスラブ風な綴りからドイツ風な綴りに変えたヘルツェゴヴィナ…… Hercegovina→Herzegovina まあ起源をたどればドイツ語のHerzogだから、zのほうが本来なんだろうけど。
285 :
世界@名無史さん :2007/12/29(土) 21:41:05 O
セルビア語とクロアチア語とモンテネグロ語のトリリンガル
次は「コソヴォ語」が出来るかもしれん訳か
287 :
世界@名無史さん :2008/02/07(木) 21:59:46 0
イリュリア人の末裔たるコソヴォが独立するのは喜ばしいな。
288 :
世界@名無史さん :2008/02/10(日) 12:04:39 0
コソヴォ単体で独立してやっていけるとは思えん。アルバニアと合併した方がコソヴォにとっては良いと思うが。 周辺諸国にとって良いことかどうかは別として
>>288 「事実上の」独立の後は当然アルバニアとの「事実上の」連合するんでしょ。
国連が機能しない以上そう言う既成事実で物事を作っていくしか無いわな。
290 :
世界@名無史さん :2008/02/10(日) 22:03:24 0
いや、周辺国のアルバニア人も含んだ大アルバニアを建設するべき。
291 :
世界@名無史さん :2008/02/18(月) 03:57:37 0
>>289 アルバニアは過去破綻しなかったか?
アルバニア難民がイタリアに流れ込んだことがあったし。
かなり前の話だけどな。 今は違うか……。
ロシアはウゴカンと思うが、安全保障理事会でごねまくるだろうなw
交換条件としちゃ チェコとポ−ランドのMDシステムとリンク、
ウクライナのNATO加盟に一定条件、グルジアの少数民族問題における西側の干渉排除。
イランに対する援助の黙認。 もう8割方話は付いていると思うけどね。
バリカン戦争勃発?
294 :
世界@名無史さん :2008/02/18(月) 17:39:40 O
クロアチアのサッカーの強さは異常
バルカン史の入門書で良いのがあれば教えてください。
296 :
世界@名無史さん :2008/02/20(水) 08:18:15 0
アルバニアって言語的にはどういう系統?
>>295 山川の世界各国史の『バルカン史』
なんだかんだでこれ以上の入門書はないだろ
これと比べたいならユーゴ解体前だけどジェラヴィチ『バルカン史』恒文社
ナショナリズム関係なら東欧史研究会訳の『東欧のナショナリズム』刀水書房
一番お手軽なのは岩波新書の『ユーゴスラビア』、まあほぼ近現代史だけど。
次に河出書房新社の『図説 バルカンの歴史』、図説だけに地図や資料が豊富で見やすい。
>>296 インド・ヨーロッパ語族に属する独立の一語派。
南北で方言があって南方言が公用語。文字はラテン・アルファベット。
歴史的背景からラテン・ロマンス系の諸語からの借用語が多い(全語彙の過半を占める)。
現代語では他のバルカン地域の諸言語と共通の傾向を示しているが、
動詞の人称変化、時制組織にはなお古いインド・ヨーロッパ語の特徴がうかがわれる、らしい。
ボスニアみたいに国内にセルビア人共和国が出来るオチだったりして>コソボ
北ミトロビツァ・セルビア人共和国とかになりそうだな
300 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 15:19:08 0
セルビア正教の総主教座がおかれていたのってプリシュティナなの?
チトーのパルチザン政府が終戦時取り逃がした ウスタシの大物にエウゲン・クヴァテルニクっていう 秘密警察の長官がいて 最近ウィキにアルヘン逃亡後の消息が載ったんだけど 1957年に自動車事故で死亡とのことで 丁度ボスのパヴェリッチも1957年にチトーの特殊部隊に 襲撃されて重症を負ったから同時に抹殺する作戦だったみたいだな
302 :
世界@名無史さん :2008/02/26(火) 01:19:28 0
チトーってクロアチア人?
304 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 00:33:16 0
じゃあカトリック?
306 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 22:11:07 0
共産主義者だと自動的に信教が分かるの?
>>306 …少しは共産主義と宗教がどういう関係かを勉強してくれないかね?
308 :
301 :2008/02/29(金) 21:09:40 0
バルカンのヒムラーっていわれた ウスタシ政府内相アンドリヤ・アルツコヴィッチ とこのエウゲン・クヴァテルニクがウスタシの治安、警察、弾圧機構を 取り仕切っていたんだけど アルツコヴィッチもまたアメリカへの逃亡に成功して ユーゴに送還されたのが終戦後40年経った1986年。3年後刑務所にて死亡している
309 :
世界@名無史さん :2008/03/05(水) 03:30:43 0
共産主義者=無神論者ってわけでもないだろ
>>309 共産主義者は無心論者だ。少なくとも表向きには。
311 :
世界@名無史さん :2008/03/07(金) 20:49:43 0
バルタン星人はバルタン半島に住んでいるんですか?
312 :
世界@名無史さん :2008/03/07(金) 23:19:57 0
ババダン遺跡とは関係ある?
313 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 00:39:15 0
馬場壇は藤村の捏造遺跡
314 :
売国 :2008/03/10(月) 03:29:07 0
315 :
世界@名無史さん :2008/03/10(月) 21:19:40 0
バルタン星人の語源は仏アイドルシルヴィー・バルタン。 豆知識奈
316 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 11:31:49 0
>>316 バルタン言うたら宇宙人に決まってますがな。
ギリシャ王国のアレクサンドロス1世。 死因はペットの猿に噛まれたことって悲しすぎる…。
そういえば「ゾフィー」って「ソフィア」のドイツ語読みだよな。
320 :
世界@名無史さん :2008/03/13(木) 03:38:42 0
クレオパトラの死因は毒蛇に噛まれたことだな
321 :
世界@名無史さん :2008/04/05(土) 12:33:02 0
英語読みはソフィー?
322 :
世界@名無史さん :2008/04/06(日) 13:01:49 0
ソフィスト
323 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 23:32:57 0
15世紀になるとオスマン・トルコ帝国がビザンチン帝国もセルビア王国も攻め滅ぼし、バルカン半島の支配者となる。 すると、アルバニア人はイスラム教に改宗するなどしてオスマン帝国に取り入り、それまでとは逆にセルビア人を弾圧しコソボ地方を奪い取ったりしている。 20世紀に入り西欧列強との争いに敗れたオスマン帝国が衰退し始めると、帝政ロシアの後ろ盾を得たギリシャやセルビアなどのバルカン諸国は同盟を結んでオスマン帝国に対抗し、1912年の第一次バルカン戦争で勝利してトルコ人を追い払った。 こうなると、今までオスマン帝国に媚びへつらっていたアルバニア人の立場は悪くなる。「僕達だってオスマン帝国に支配されていた民族なんですよ!」と被害者面して独立を宣言するもののバルカン諸国がそれを認めるはずもなく、周辺各国によって領土を分割されそうになる。
324 :
世界@名無史さん :2008/06/03(火) 02:27:14 0
325 :
世界@名無史さん :2008/06/25(水) 11:28:40 0
ベオグラードではっけん! からぢっち
>>327 うまい!
最近はアルバニアが気になっています
そーいや、イビチャ・オシムはボスニア人だったけか?
ボスニア出身だけど、カトリックなので区分上は「クロアチア人」? 本人はそういう区分は嫌いだそうだけど。
331 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 21:02:00 0
申し訳ないのですが教えてください。 日本語か英語でアルバニア、モンテネグロ、マケドニアの 通史の書籍を探しています。なにかあったら教えてください。 ほとんどのバルカン諸国は英語といわずとも日本語でも通史は あるのですがこの3つだけは英語でも見つけられませんでした。
332 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 21:58:26 0
333 :
世界@名無史さん :2008/08/04(月) 20:42:48 0
アルバニアとマケドニアに歴史など無いだろう。
334 :
世界@名無史さん :2008/08/04(月) 21:56:52 0
社会主義時代に無神国家宣言したり 国民の大半がねずみ講にハマり、その破綻で暴動が起って無政府状態になったりした 素晴らしい歴史を忘れないでやってください。>アルバニア
スカンデルベク
もっとマイナーなところでカール・トピア
アルバニアとかモンテネグロは「俺たちゃ山賊ヘイヘイホー♪」ってイメージ
ユーゴ史の概説書で、モンテネグロは貧しすぎて国家ぐるみで旅人おそってた、みたいな記述あったよ……
>国家ぐるみで ヴラディカが山賊業の総元締めだったってこと?
340 :
世界@名無史さん :2008/08/07(木) 05:33:00 0
セルビア人ってすごいチビが多い
341 :
世界@名無史さん :2008/08/07(木) 05:36:08 0
間違えた、ブルガリア人でした。。
342 :
世界@名無史さん :2008/08/07(木) 05:37:37 0
あれ、誰が誰だかわからなくなった。。寝惚けていますもう消えます、
疑問なんだけど日本やチョンやチャンや西欧で言えばイギリス、フランスなどは ずっとその国が古代(あるいは中世)から連綿と続いているよね。一部支配されたりとか あるけど。 でもマケドニアのように古代はマケドニア帝国があったけどこれはヘレニズムでしょ。 その後に今に続くスラブ人が居住を開始したけどブルガリア、セルビア、ビザンチン、トルコ などに支配されてここにきてやっとマケドニアという枠が出来たわけだけど マケドニア史を語る場合って古代帝国からなのかスラブ進入からなのか1991年ユーゴ解体からなのか どこからどういう風に語るんだろ。
ブルガリア史の場合は最初にトラキア史、スラヴ史、ブルガール史を 記述してアスパルフ汗以降にそれらが合体と言う形で記述することが できる。
>>339 総元締めってよりは黙認って書き方だったかと。
>>343 >イギリス、フランスなどは
>ずっとその国が古代(あるいは中世)から連綿と続いているよね。
とんでもない。フランスの始まりはシャルルマーニュか、ユーグ・カペーか、革命かで論争がありますよ。
マケドニアの場合古代マケドニアと関連させるんじゃねえとギリシアから文句付けられて 国名や国旗まで変えさせられてるんよね あっちでも歴史教科書問題とかあったりしそう…
歴史教科書問題ぐらい何処でもあるっしょー
保守
349 :
世界@名無史さん :2008/11/07(金) 02:28:10 0
あげ
350 :
世界@名無史さん :2008/11/07(金) 20:55:14 0
マケドニア人は古代史とかやってると自国がいやになりそうだな
なんで?