【シャー・ルフ】将棋の歴史【王手飛車取り】

このエントリーをはてなブックマークに追加
248梵阿弥:2008/05/29(木) 19:42:34 0
以上、シャンチィが日本で普及したのは18世紀中頃であり、それ以前は知られていなかった様です。
しかし全く伝播しなかった筈はありません。
博多には平安後期以後「唐房」が在りました。聖福寺は「宋人百堂」の地に建てられ、承天寺の壇越は
綱首の謝、張といった諸氏でした。元代にも交易は続きました。
肥前の松浦党は時期によっては倭寇そのものです。彼らは無国籍な存在であり、文化交流も
行われた事でしょう。
禅僧の策彦良周は渡明し碁を打っています。向こうで覚えて持ち帰る可能性も在ります。
細々と入ってきても、日本将棋に勝てずに普及しなかったのでしょう。今のところ日本でシャンチィの
盤駒の出土報告は在りません。しかし今後必ずや出るでしょう。既に出ているかも知れません。
知識が無くて「用途不明」とされているかもしれません。各地の資料を見る時に気をつけてみて
下さい。遊戯史の充実に貢献出来るかもしれません。ご活躍を期待しております
249梵阿弥:2008/06/21(土) 17:27:29 0
策彦「周良」でしたね。御粗末でした。彼は初度明で范大人の宴で碁を打っていて、相手は明人では
ないかと言われています。また琉球長吏の河上会と「棊酒の盟」を成しました。
あくまで碁を打ったのであり、シャンチーを指した記録は在りません。しかし総員で450人程が2年位
滞在したので、中には向うで指して覚えて帰った者も居たかも知れません。策彦はもう一度度明
してますし、他にも行き来した者は幾らでも居ますから。
なお、「棊」という字は形声文字で、「其」が音、「木」が意味で、「キ」という名の木で出来た遊び、
と言った意味なので、一応碁と将棋類双方を含みます
250梵阿弥:2008/07/14(月) 18:39:44 0
5月5日に世界コンピュータ将棋選手権が行われました。決勝は8ソフトの総当りで、6勝1敗が2つでした。
同星の時は負かした相手の勝星の多いほうが上位、と言う規定により優勝が決まりました。
結果として直接対決に買った方が優勝ですっきり、と思いきや、実はこの時は2位となった方が
終盤で必勝形でした。しかしこのソフトの宿る電脳よりホスト電脳のほうが持ち時間が減っていて、
時間切れで負けてしまいました。これが無ければ全勝優勝でした。
ここもその内に打切られそうでやですね。
恒例の余興として1、2位のソフトと二人のアマ名人が対局し、電脳の2勝でした。1970年代の
開発開始以来ついにアマ強豪を上回る所まで来た様です
251梵阿弥:2008/07/28(月) 20:12:09 0
13世紀の南宋末期の沈船が泉州で引揚げられました。シャンチーの駒が多数出たそうです。
韓民国の新安の沈船は、1323年に慶元府(明州/寧波)から博多への途中で沈みました。東福寺船の性格を持って
いました。日用品等から、日/シナ/高麗の水夫が乗り合わせていた事が判ります。
日本の将棋の駒が2枚出たのが注目されます。1枚は字が消えてましたがもう1枚は「桂馬」でした。
船乗りが船中で各地の将棋を持ち寄り教え合っていたかも知れません
252梵阿弥:2008/08/14(木) 19:11:28 0
ついに最後尾ですね。
『日本将棋集成』 著:窪寺 紘一 に拠ると、
新安の沈船から「桂馬の駒が出た」との事です。
上で2枚出たと書いたのは、
『中世都市・博多を掘る』に、博多で13世紀の駒が2枚出て、
1枚は字が消えてましたがもう1枚は「玉将」、と在ったのと混同したようです。御詫びします。
猶、『将棋の来た道』 著:大内 延介 の小学館文庫版では新安の沈船から12枚の駒が出たと在ります
253あ ◆CV.gB8yopo :2008/08/27(水) 00:23:16 0
テスト
254の ◆O./KFKlSuo :2008/08/27(水) 00:25:14 0
テスト
255梵阿弥:2008/08/30(土) 18:56:49 0
近頃話題のチベットですが、ものと人間の文化史23-1 『将棋T』 著:増川 宏一 刊:法政大学出版局
に拠れば、チベットの将棋はミグ・マンスと呼び、1775年に伝導したハイスティングによると
チェスとほぼ同じだそうです。その後のジェスイット派のフック神父の見聞では、駒は象牙製で
様々な動物の形の彫刻で、チェスとほぼ同じだそうです。
ジェスイット派とはイエズス会でしょうね。
しかし岡野 伸氏に拠れば名はチャンドラキだそうです。
ミグ・マンスは『将棋T』では「升目の多い盤」の意味だという事なので、
「何と言う遊びか」と尋ねたら、聞かれた方が「盤」の意味だと思って答えてしまった、という可能性は
無いでしょうか。
何れにせよ、チェスに似ているからには8*8盤でしょうね。岡野氏は蒙古のシャタルとの関連を
想定しています
256世界@名無史さん:2008/09/16(火) 22:58:27 0
チェスと同じように、将棋でコンピュータが人間のチャンピオンを負かすまで
あと何年だろう
257梵阿弥:2008/09/29(月) 20:00:57 0
1959年にシッキム王国の大使が来日し、持参した碁具を使い4月2日に日本棋院の伊豫本 桃市6段と
対局しました。盤は布製17路(17*17、日本等は19路)、星(花点)が三々から3線上に4路おきに計12、
及び中央に1。3線上の星に白黒交互に6個づつ置き、白から初手で始めます。「石」は竹製でした。
朝鮮では百年前まで、8個ずつ置いて始める巡将碁(スンジャンパドック)だったので似てますね。
また、石を取られて空いた点には、直後の手では打てません。故に「打って返し」「中手」は上手くいきません。
「劫立て」の様に他所に打つ必要が在ります。
「客」の顔を立てて伊豫本が白(先手)を持ちました。その場で教わったといえやはりプロは強く、「時間切れ」
として打掛け(中断)としましたが白の勝は明らかで、再開されませんでした
258梵阿弥:2008/09/29(月) 20:19:36 0
太子(上の「大使」は誤り)は碁をチベットのダライ・ラマ14世に教わりました。シッキムはチベット文化圏で、
「シッキム碁」はチベット式の碁です。シナの碁も漢代は17路で、隋代までに19路と変りました。
一応碁のインドやチベット起源の説も在ります。
丁度前月にダライ・ラマ14世がインドに亡命しているので、「西側」の日本でチベットに関心を向けようという
意図で実現した対局かも知れませんね。
シッキムは1950年にインドの保護国となり、75年に併合されて「州」と成りました。その間の時期ですね。
伊豫(予)本も面白い人で、有名な呉 清源氏の弟弟子に当ります。呉氏を通じて大陸への関心が在ったかも。
また、対局場となった日本棋院中央会館(現八重洲囲碁センター)の設立に尽力しましたが、運営が独善的と
65年に解任され訴訟沙汰となりました。
これは囲碁と世界史事件_のほんの一例です
259梵阿弥:2008/10/20(月) 18:56:07 0
『近代将棋』という雑誌が6月号を以って休刊しました。殆んど手に取った事も在りませんでしたが、
図書館に1年分在ったので眺めてきました。
5月号の事典で、3/26に出る筈が遅れて4月に成った様です。性欲物書きの団 鬼六氏の連載他、纏めると
赤字の累積で稿料が遅れて未払いとなり、経営元のナイタイ社の圓山オーナーに抗議が在りました。
圓山氏は以後、無償で書かせろと指示、それは無理だと編集長は平の編集員に降り、変った白岩氏は
編集経験は乏しかったとの事。この時点で投げてますね。
これが印刷会社に知れて取引を拒まれ、他の印刷所確保で遅れたそうです。
新編集長となった6月号は「新連載」が6本も在ります。しかし1号で終わってしまいました
260梵阿弥:2008/10/20(月) 19:08:41 0
2007年12月号では「新宿将棋センター」に近代将棋が経営参画、とあり、主催棋戦の告知や結果が載るように
なります。団氏に拠れば、将棋道場の衰退が酷いので、ここも近代将棋を通じてナイタイ社の庇護を受ける事に
成ったと言う事だそうです。ナイタイ社は風俗産業を手広く手がけていて、団氏といい、何故将棋と関るのか
不思議に思う人も居るかもしれません。しかし、将棋は賭けと深く関ってきました。非合法との境目に
生きる人々が集まる性格が在った訳です。しかし「真剣士」と呼ばれた賭け将棋の大物も大分減ったようです
261梵阿弥:2008/11/12(水) 19:11:06 0
福岡市博物館に行ってきました。>>251,>>252の新安沈船の駒の複製が展示してました。
歩兵*3、香車*3、桂馬*3、金将*2、王(玉)将*1、「へ」というか、金の傘の様なのが1枚の計12枚でした。
当時は玉が普通なので、点が擦れて消えかけかも知れません。
「へ」は書きかけでしょうか。裏も見たかったんですが。
映像ブースでは引揚げ場面を見る事が出来ます。
猶、将棋とは別物ですが、幕末の西洋兵術習得用の兵棋用駒も展示してます。
積木様で、凸みたいな模様が在ります
262梵阿弥:2008/12/19(金) 17:51:32 0
6月終った名人戦で挑戦者の羽生善治9段が勝って復位、通産5期となり「永世名人」
の資格を得ました。19世です。振返ってみましょう。
初代宗桂(大橋本家、慶長頃?)/宗古(本家2代)/初代宗看(伊藤家)/5代宗桂(本)/
2代宗印(伊)/3代宗与(大橋分家)/3代宗看(伊)/(空位)
9代宗桂(本)/宗英(分家6代)/(空位)
6代宗看(伊)/(空位、幕府消滅)
伊藤 8代宗印/(空位)
小野 五平/(短期の空位)
関根 金次郎(名人位を連盟に譲り引退、「名人戦」選手権発足)
木村 義雄/大山 康治/中原 誠/
(以後有資格者)谷川 浩司/森内 俊之/羽生 善治
有資格者は原則として引退後に名乗ります。
263梵阿弥:2009/01/19(月) 19:43:15 0
国策放送局の将棋講座テキストの1月号を手にとって見たら、
1月は森下 卓九段による「横歩取り」でした。
大橋 柳雪の棋書にも載っている、と書いて在りました。
横歩取りの最古の棋譜は、
1778(安永7)年の(先手)伊藤 宗印(5代)―大橋 印寿(本家9代、後に宗桂と改号)
で、先手の宗印が横歩を取りました。
柳雪も、1824(文政7)年に横歩を取っています。当時は柳雪でなく、英俊という号でした。
柳雪の棋書に載っている、と言うのは本当かも知れません。しかし、柳雪が生れるより前に
指されているからにはこちらを紹介するのが親切です。
放送で森下氏はは単に、「江戸時代から」と語ってました。してみると、テキストを別人が書いたでしょうか。
森下氏の真面目さは有名です。幽霊筆者に任せすぎでしたかね
264梵阿弥:2009/02/19(木) 17:51:42 0
日曜10時からの将棋講座は2月も横歩取りです。気に成ったんで見てみました。
1/8/15日の三回に亘り、先手が横歩を取った時の後手の
「3三角」は大橋 柳雪が始めた、といった事を講師の森下 卓9段が語ってました。
誤りです。上の1778(安永7)年の出だしを載せます。
先手7六歩、後手3四歩/2六歩、8四歩/2五歩、8五歩/7八金、3二金/2四歩、同歩/
同飛、8六歩/同歩、同飛/3四飛、3三角/3六飛、8四飛…以下119手迄先手勝
御覧の様に脇目も振らぬ典型的な横歩取りです。従って、
初めて横歩を取ったのは伊藤 5代宗印
初めて3三角で応じたのは大橋(本家) 9代宗桂名人(当時の号は印寿)
です。勿論現存の棋譜によれば、の話です。
柳雪は立派な将棋指しですが、間違いは間違い。森下氏自身が知らなかったんでしょう。
上で幽霊筆者に濡衣を着せてしまった様ですね。お詫びします。
265世界@名無史さん:2009/03/09(月) 05:27:14 0
保守
266梵阿弥:2009/03/19(木) 18:32:47 0
2月22日の放送は変でしたね。講師の森下氏も聞き手の熊倉 紫野女流1級も表情が硬かった。
横歩取り山崎流という事で山崎7段のイケメン話や、来月からの相懸りの話で時間潰してた感じ。
しかも度々礼賛してた大橋 柳雪の名を一度も出さず、単に最後に、
昔の人の積重ねの上に今の定石がある、とぼかして締め括ってました。
>>264を読んで急いで撮直したんじゃないでしょうか。矢鱈と黒っぽい姿だったのも、
畏まった姿勢を表したかったのかも。初めて将棋板を覗いたら「喪服だ」と話題でした。
そうかも知れませんが、柳雪の名を出さなかったのは奇異です。
ああいう講座というのはあくまで手の意味を解説して強くなって貰おうというのが第一で、
歴史的正確さは二の次に成るのは止むを得ない。特に放送は時間も限られてますし。
その分テキストで補足すれば良いんですが、>264のは出て無くて残念です。
あの対局は横歩取り第一号(現存で)と言うだけでなく、好手連発の名局です。あれを紹介したく、
森下氏達の言葉尻を捕らえるような事に成ってしまいましたが、これも将棋史への関心故の事、
ご理解頂きたいですね。
267梵阿弥:2009/04/16(木) 18:02:16 0
>>256
もう1年近くなりますが、コンピュータ将棋選手権の余興の後、森下 卓九段が語ってました。
 16年前に大会が始まった頃は初心者並だったが、あと16年経てばトッププロ最大の敵は電脳だろう
そして、
 電脳相手には「雁木」等の訳の判らない戦形が良いかも知れないが、それをやると
 人相手に勝てなくなってしまう
との事でした。確かに定跡化されて無い戦形だと、電脳も「自分で考える」必要が在る。
また、どうしても数値化しやすい「駒得」を重視するから、駒の当たりにくい戦形が良さそう。
16年は少し長い気もしますが、プロとしての矜持も在るでしょう。
ちょうど3月までの森下氏の講座の疑問点を書いてたから間が悪いですが、
電脳の棋力の判定と江戸期の棋譜の知識は直に関係ない
268梵阿弥:2009/04/16(木) 18:20:15 0
尚、昨年11月に、5月の余興の再戦が行われました。実は加藤・朝日アマ名人はその間の防衛線で
負越して失冠してましたが登場しました。「再戦」を重視した企画だったんでしょう。
再戦にあたり加藤氏は「角交換、及び駒が当らず自陣整備合戦」の2点を電脳の苦手と分析。
もう1人の、全日本アマ名人の清水氏も似たような感触でした。
再戦の結果は、加藤・前朝日アマ名人は勝ち、清水・全日本アマ名人は負けでした。
興味深いのは、加藤氏は先手で、清水氏は後手だった事です。苦手を突こうにも後手では難しい、
という事でしょう。また、将棋は先手の勝率が52%位で少し有利です。
という訳で、今まさに電脳とアマ頂点が互角といえます。
今後も暫くこんな感じでしょう。人も電脳に学びます。将来はプロ頂点に並ぶ日も来るでしょう。
しかしプロも当然電脳に学ぶ。学んでも追い付けないほど引離す日が来るかどうか、楽しみです。
きっとその日は来ます。何時かは判りませんが
269世界@名無史さん:2009/05/12(火) 17:05:39 0
>>267
確かにコンピュータ将棋って定跡通りに指す相手には強いが
つまらない嵌め手に絵に描いたようにひっかかることがあるよな。
それも学習能力のないソフトだと同じ手に何度でも引っかかる。
270梵阿弥:2009/05/14(木) 15:15:32 0
北京五輪の影響か、多田等観の『チベット』が復刊されました。まだ置いてる店も在りますね。
164ページに、
 ダライ・ラマ13世は蒙古将棋を好む
と在ります。
>>255で紹介した様に、チベット将棋チャンドラキは蒙古将棋シャタルに似ていると
岡野氏が書いているのを思い出します。
とはいえ、なぜ多田は「蒙古将棋」と書いたんでしょうか。蒙古将棋を知る機会が在ったのか。
或いはチベットでも「蒙古将棋」と呼ぶことが在るのか。
多田も相手をしたことが在ったかも知れませんね。持帰った資料は花巻市博物館に収められてます。
その中にひょっとするとチベット将棋チャンドラキ(ミグ・マンス)が在るかも知れません。
シャタルを知る人による調査を期待します。
尚、以前長崎に行った時に、「東山手洋風住宅群」の1棟を「地球館」という国際交流施設にしていて、
その2階にシャタルらしき物を置いて在りました。将棋・チェスクラブや教室も在る様です。
中にはシャタルを指せる人も居るかも知れません
271梵阿弥:2009/05/14(木) 15:25:43 0
久し振りに世界史的に文句出無さそうな事書けて気分がよい、と思ったら訂正。
>>267で、森下氏の言葉として「16年」と書きましたが、第1回は1990年で、
発言は2008年だから「18年」でしょう。1年近くなんで私が記憶違いしたようです。
また、>>268の「清水氏」は「清水上氏」の誤りでした。
森下/清水上両氏と読者の皆さんに御詫びします
272世界@名無史さん:2009/05/15(金) 10:19:00 0
でもチェスは事実上、そしてまだまだとか言っていた将棋ですら、現実には最近は超一級の
プロ以外は勝てなくなりつつあるという。
一度でも名人級が負けたら終わり、という意味ならあと数年だろうな。
273梵阿弥:2009/06/05(金) 14:35:07 0
<ミャンマ将棋シットウィン(古名シビィイン/シベイン)>

\□□□□□□/
□\□□□□/□
□□\□▼▼▼▼
▼▼▼▼/□□□
□□□/△△△△
△△△△副象馬□
□/象□馬王\□
/車□車□□□\

ミンジー(大王):縦横斜1升(玉将と同) 
シッケ(副官) :斜1升
シン(象)   :前と斜1升(銀将と同)
ミン(馬)   :八方桂
ヤター(戦車) :縦横自由(飛車と同)
△ネ(兵)   :前1升、駒を取るのは斜1つ前
ヤターは最下段、他の駒はネ△の列の手前に「自由配置」
図は配置の一例、色は白では無く赤(先手)、と黒
274梵阿弥:2009/06/05(金) 14:38:16 0
>>234,>>238のシットウィンの配置の書直しです。ユニコードにチェスの駒含まれてますが、
出無いかも知れないからこの様に描きました。対角線は何かと言うと、
シッケが取られると敵陣の対角線上に居るネ△が昇格出来ます。
その升かその斜隣に置ける。また自陣(軍?)のネ△が1個に減ったらどこに居ても昇格
出来ます。但し斜め隣に敵駒が居る位置では昇格出来ません。尚シッケは2個以上
にはなりません。他に「成り」制度は在りません。また、初手はネ△を動かします。

\□□□□□□/ 例えばネ△がこの升に居る時は
□\□□□□/□ 一手使って、その位置か
□□\●□●□□ ●の升に移動してシッケに昇格出来る
敵陣□\△□□□
自陣□●\●□□
□□/□□\□□
□/□□□□\□
/□□□□□□\ 以上、岡野 伸氏の『世界の主な将棋』に拠ります
275梵阿弥:2009/06/05(金) 18:18:25 0
>>269
嵌め手も定石からの変化手順として教えてしまえば良いんですけどね。記憶容量と検索力を要しますが、
電脳の特質を思えば手を読んで「嵌る」のに気付いて別の手を選ぶ様にするよりよほど易しい。
人でも嵌め手はある程度暗記しますしね
>>272
実は前回優勝の「激指」と稲葉 聡アマが3月に対局し、稲葉氏の勝ちでした。昨年度の
成績は電脳から見て5月に2勝、11月に1勝1敗、3月に1敗で、寧ろ悪くなっていた。
今までは持ち時間が15分位が多くて、駒を手に取り置く分でも人が不利でしたが、
時間が長ければ人も落着いて出来ますね。稲葉氏は県代表級ですから。
昨年11月の再選の後で、開発者(激指と2位の「棚瀬将棋」どちらか忘れた)は、
2年後には羽生名人にも勝てる、と語ったそうです。幾らなんでもそれは早い。
未だに撹乱に弱そうだし。しかし10年経てば分りませんね
276梵阿弥:2009/07/14(火) 16:02:44 0
>>228
<蒙古将棋シャタル(Шатар/沙特拉)>

車馬駱虎貴駱馬車 ノヨン(貴族):縦横斜1升(玉将と同)、「裸玉」は引分
▼▼▼▼▼▼▼▼ ベルス   :弱=縦横自由と斜1升(竜王と同)
□□□□□□□□  (右腕=虎) :強=縦横斜自由(チェスの女王と同)
□□□□□□□□ テメ(駱駝) :弱=斜1〜3升
□□□□□□□□        強=斜自由(角行と同)
□□□□□□□□ モリ(馬)  :八方桂(チェスの騎士と同)、ノヨンを詰める事は不可
△△△△△△△△ テレグ(牛車):縦横自由(飛車と同)
車馬駱貴虎駱馬車 △フー(息子):前1升、駒を取るのは斜1つ前、敵陣最奥でベルスに昇格

地域によって差があるので代表的なものです。
また、チェス式にノヨンを同じ筋に向い合せて置く例も増えてます
277梵阿弥:2009/07/14(火) 16:03:57 0
講談社学術文庫から多田 等観の『チベット滞在記』が出ましたね。
これにもダライ・ラマ13世は「蒙古将棋」を好んだと在ります。
駒の動きは日本の将棋と同じ、なんて書いてますが、チェスを知らなかったんでしょう。
知ってれば当然、将棋よりチェスに近い、と書いた筈です。
王(玉)は鏡、飛車は兵隊の形、なんて書いてます。「鏡」とは将棋類でも他に見ない。
また、蒙古のシャタルでは、飛車の動きの駒テレグは荷車の形が多い。
貴重な報告と言えるでしょう。
14世は指せるんですかね。指せそうなもんです。何せ先代の「転生者」だから
278梵阿弥:2009/08/03(月) 14:10:36 0
<シャタルの改良版、ヒャーシャタル(Хиашатар)>

車馬駱参虎貴参駱馬車 ノヨン(貴族):縦横斜1升(玉将と同)
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ ベルス   :縦横斜自由(チェスの女王と同)
■□■□■□■□■□  (右腕=虎)
□■□■□■□■□■ ヒャー(参謀):縦横斜2升、勢力圏を持つ、王手出来ない
■□■□■□■□■□ テメ(駱駝) :斜自由(角行と同)
□■□■□■□■□■ モリ(馬)  :八方桂(チェスの騎士と同)
■□■□■□■□■□ テレグ(牛車):縦横自由(飛車と同)
□■□■□■□■□■ △フー(息子):前1升、駒を取るのは斜1つ前、初手は前1〜3升、
△△△△△△△△△△ ▼      敵陣最奥でベルスに昇格
車馬駱参貴虎参駱馬車
279梵阿弥:2009/08/03(月) 14:14:08 0
□★□□□ ◎=ヒャー(参謀)の勢力圏、
□◎◎◎□  そこは敵味方問わず1升づつしか進めない
□◎参◎□
□◎◎◎□ 車=テレグが★の位置に行くには、
□車□□□ ヒャーが敵味方どちらであれ4手掛る

モリ(馬)はどうなるんですかね。「跳ねる」駒だから
ヒャーの影響受けないんじゃないでしょうか。馬が活躍するのは蒙古らしい。
世界的に稀な「勢力圏」の概念を持つ独特なヒャーシャタルですが、
500年以上の歴史があると言われてます。
猶、盤が広くて寂しいのでチェス風に市松模様にしました。実際在ります。
シャタル/ヒャーシャタルも岡野氏の『世界の主な将棋』に拠ります。深く感謝します
280梵阿弥:2009/08/21(金) 15:07:43 0
5月30日の囲碁将棋ジャーナルで5月のコンピュータ将棋選手権を取上げてました。
優勝した「GPS」は奨励会(プロ養成機関)3段並だと勝又 清和6段が語ってました。
アマの3段とは全く違います。確かに紹介された場面の解説を聞くと物凄く強い。
とはいえ特に出来の良いのを選んだんでしょう。そしてあくまで電脳同士の対局であり、
人が撹乱してきたらどうなるか。しかし今回は恒例の余興の対人戦が無くて残念。
前回準優勝(激指と同星)の「棚瀬将棋」は開発者の都合の不出場でこれも残念。
猶、有名な「ボナンザ」の革新性について、勝又氏は「全手検索」には一言も触れず、
「機械学習」を強調してました。棋譜を入力すると電脳自身が局面評価法を改善します。
但し、評価項目自体は人が設定します。電脳は項目の点数を加減するという事です。
以前は指させてみて開発者自身が点数を加減してました。
しかし項目数が増えてくると自動化したく成る。
今大会では決勝総当りの8ソフトの内6ソフトが「機械学習」でした
281梵阿弥:2009/08/21(金) 15:09:17 0
また、「文殊」というソフトはボナンザを6台繋げて合議するそうです。
乱数を組合わせてあるので、或る程度手がばらつきます。人でも話し合うと
強いですが、「没個性」に成らないでしょうか。勝又氏も「妙手を見逃すかも」と語ってました。
ボナンザのプラグラムが公開されてるからこその「作品」ですね。ボナンザの開発者の保木氏は
普段は外国で分子の研究をされてますし、朝鮮共和国のKCCも活躍しました。
人の世界よりも国際化されてますね。「情報化」の効用でしょう。
GPSについては、駒の働きや効率を重視してると勝又氏が褒めてました。
人(プロ)に近づいていると。特に寄せへの構想が良い。
「終盤は駒得より速度」
とは4百年前に大橋 初代宗桂の残した訓戒ですが、きちんと消化してる様です。
開発元では普段から24時間状態で電網を通じて電脳同士の対局を重ねていて、
改善点を焙り出してるそうです。電脳は文字通り「寝食を忘れて」やりますからね。
そのうち「評価項目」自体も局後検討で自力で生み出せると楽しいんですが。
これが出来ると本当に人の手を借りずに経験で勝手に強く成る。「自己学習」と呼べる。
人工知能への一里塚と成る事でしょう
282世界@名無史さん:2009/09/06(日) 15:11:06 0
チェス・チャンピオンに余裕で勝てるスーパー・コンピュータまだ?
283梵阿弥:2009/09/16(水) 13:53:16 0
アラブ将棋シャトランジ

♖♘♗♔♕♗♘♖ ♚シャー(王)   :縦横斜1升
♙♙♙♙♙♙♙♙ ♛フィルツェーン/
☐☐☐☐☐☐☐☐  ワジール(将軍) :斜1升
☐☐☐☐☐☐☐☐ ♝フィール(象)  :斜2升
☐☐☐☐☐☐☐☐ ♞ファラス(馬)  :8方桂
☐☐☐☐☐☐☐☐ ♜ルク(戦車)   :縦横自由
♟♟♟♟♟♟♟♟ ♟バイダク(兵)  :前1升、取る時は斜1つ前
♜♞♝♚♛♝♞♜           敵陣最奥段でフィルツェーンに昇格

ユニコードのチェス駒を使いました。出ない時はフォントも変えてみて下さい
284梵阿弥:2009/09/16(水) 13:57:11 0
・シャー1枚になったら負。ただし次の手で相手もシャー1枚に出来れば引分
・動ける駒が無くなったら(スティルメイト)、 シャーと、相手の駒の利きになってない
 自軍の駒の位置とをを入れ替えてよい。これを1手と見做す。それが出来ない時は負

インドで生まれたチャトランガは6世紀頃にイランに伝わりました。
駒は素朴な形ですが、イスラムの影響で抽象的に成ったらしい。
更に西に伝わりチェスとなります。
駒の利きが弱く、象を除けばタイのマックルック>>160と良く似てます。
従ってチャトランガからあまり変化して居ないまま、だと言えるでしょう。
但し、王/将は対面式で、チェスと共通しています。白黒どちらが先手か、等は存じません。
今ではシャトランジは殆ど指されず、この盤駒を使ってチェスを指すのが専らだそうです。
また、ルクは「塔」で表す場合も在り、チェスの「城」の原型に成ったのはこの方ですね。
よかった。表示されてる
285梵阿弥:2009/09/16(水) 13:59:07 0
インドのシャトランジ:>>282の図を参照

♚ラジャ(王)   :縦横斜1升、1度だけ8方桂も可、是1枚に成ったら引分
♛ワジール/
 マントリー(将軍):縦横斜自由
♝フィール(象)/
 ウーント(駱駝) :斜2升
♞ゴーラー(馬)  :8方桂
♜ルク(方向)/
 ハーティー(象) :縦横自由
♟バイダルセーナー:前1升、取る時は斜1つ前
 (兵)       敵陣最奥段でその筋の駒(例えば端ならルク)に昇格
          ラジャの筋の時はワジールに成る

猶、王/将はアラブと異なり、>>160のマックルック等と同じく交差式に置きます。♔♕
ただし、マックルックでは王が左ですね。チャトランガもそうだったらしい。  ♛♚
何時の間に入れ替わったんでしょうか
286梵阿弥:2009/09/16(水) 14:03:19 0
ありゃ、ずれちゃった。下段のを右に寄せて観て下さい。図も>>283です。
現代インドではチャトランガで無くシャトランジと呼びます。
駒の名を見ても「方向」とは如何にも不自然。ルクの名をアラブから仕入れて、
無理やり意味を捻り出した様に感じますがどうでしょうか。
将の駒の利きはチェスの女王と同じです。チェスの影響かも知れません。
という訳で、発祥の地の割に、他地域からの影響を感じます。
今指せる人はとても少ないらしい。仮に駒を持っていても、
ここでも矢張り、シャトランジの駒でチェスを指す方が多そうです。
大内 延介『将棋の来た道』では辛うじてシャトランジを指せる人を見付けて対局してましたが、
お年寄りでした。後継者が居るのかどうか。チェスの方が世界的に活躍出来ますし。
また、大型のアトランジも在り、12*12盤を使います。駒は白黒24づつ。
更に大型の14*14盤のアトランジ(28駒)も在ります。
しかしこれらは盤の奥行きに比べて駒が2列ずつしか無いから広すぎでしょう。
駒も、象/戦車を増やしただけの様で発想が安直な感じです。
果たして如何ほど指されたやら、疑問に感じます。
今回も主に岡野氏の『世界の主な将棋』を参考にしました。感謝。
発行元を紹介したいんですが、彼の住所らしい。安易にこういう場に載せるのは憚られます
287世界@名無史さん:2009/09/17(木) 12:06:19 0
世界の将棋の今こうして見てるんだけど
頭がshやchで始まる言い方ってのも何かしらの共通点が有るのかなって思ったりする
各地に広まってローカル化するに当たってもそこら辺の語感とかは言語体系越えて語り継がれたのかなぁって
288世界@名無史さん:2009/10/05(月) 14:30:12 0
囲碁ソフト、あと10年で人間を破る? (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/091005/sty0910051320007-n1.htm

俺の生きてるうちに囲碁も終わりかねえ
289梵阿弥:2009/12/16(水) 14:41:13 0
宮崎県の出版社の鉱脈社から刊行された『都城唐人町』に拠れば
日向国都城の旧「唐人町」からシャンチーの駒が出ました。白磁製の「兵」です。
今の「中町」です。"中"国を意識した町名なんでしょうか。
立読みなので詳しくご紹介出来ませんが、寛永頃に来日した明人の
何 欽吉の一行が持込んだか、と在ります。彼等は大隅国内之浦から都城に至りました。
都城というと内陸の印象が在るかも知れませんが、志布志湾なら近い。
この辺りは元々倭寇の基地だった所で、大陸への窓口でした。
「薩南学派」で知られる様に禅宗/朱子学も盛んでした。
但し、都城辺りの日本人にシャンチーが広まった、という形跡は在りません。
あくまで「唐人」に限られた遊びだった様です。
実は、シャンチーの「砲/炮」の駒の位置と、将棋の飛車/角行の位置が似てるので、
小将棋に飛角を加える最にシャンチーを参考にしたかも知れない、とも思うんですが
天正期には既に日本将棋が完成しているので、この想定の根拠としては使えません。
もっと古い時期のシャンチー伝播の証拠が出ないと駄目ですね。
とはいえ>>248で、シャンチーの伝播の証拠は今後必ず出るだろう、と書いたのが叶いました。
尤も、私が知らなかっただけで、既に出土してたかも知れませんが。
他に、那覇市の首里でも磁製のシャンチー駒が出てるそうです。
しかし琉球では明治になるまで将棋類といえばシャンチー(琉語でシ(チ)ュンジー)でしたから
出るのも当り前といえば当り前ですが。
猶、同書では都城の媽祖信仰も取上げてます。
石敢当もそうですが、九州南部とシナの民俗の近さを改めて感じます。
島津領は日本の他家に対して閉鎖的でしたが、琉球等を通じて大陸に窓を開いていました
290世界@名無史さん:2009/12/28(月) 11:41:08 0
【技術】確率を重視した「モンテカルロ法」の採用で急速に進歩、コンピューター囲碁の実力は? トップ級プ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1260515613/

将棋はもう公式なコンピュータ対戦は制限されてるし、囲碁もトップ棋士が
負けたり、制限される日も、そう遠くなさそうだな。
291梵阿弥:2010/01/27(水) 15:55:07 0
【ラオス将棋マックフク】
お馴染の岡野 伸氏が大谷 恵洋氏と共著で『タイの将棋』を出しています。
現地情報は大谷氏の執筆で、
ラオスでは「マックフク」の名で、タイのマックルック(หมากรุก)とほぼ同じ、と在ります。
そして黒田 実氏の、
シャム(タイ)語のR音はラオ/イサーン語ではH音に変るし、マックフクとマックルックには
ローカルルール程度の違いしか無いだろう、との言葉を紹介しています。
このサイトの文の3番と、ほぼ同じです。
 www.geocities.jp/sukhumvit_yiipun/makfukei.htm
ラオ語とタイ語は共通性が高いんですよね。
そして18世紀には現ラオスの辺りはタイの支配下に置かれていたが
フランス領と成った部分が後にラオスとして独立した。
現タイ国の北東部イサーンの住民は、ラオ人と言って良い。
将棋類がほぼ同じなのも、この2国の文化的な絆を表していると言えるでしょう。
最後に、岡野氏の著作を載せるサイトを御紹介します。
 www18.ocn.ne.jp/~qw1590/sub3.html
292世界@名無史さん:2010/02/10(水) 15:24:51 0
保守
293世界@名無史さん:2010/02/11(木) 15:05:42 0
DSソフトの「世界の将棋」(2007)がおすすめ。
チェス、将棋、シャンチー(中国)、チャンギ(朝鮮)、マックルック(タイ)は実際にプレーできるし、それぞれに詰め将棋もある。

また、世界の将棋の資料で、21種類の「将棋」が紹介されている。モンゴル将棋も2種あり、ルールがきちんとわかる。
294世界@名無史さん:2010/03/22(月) 11:56:55 0
中将棋はないのか。まあDSの画面では無理かw
295世界@名無史さん:2010/05/14(金) 22:39:30 0
>>107
【山口新聞/四季風】将棋は捕虜を虐殺しない、常に全部のこまが生きてる、チェスこそ捕虜の虐殺だ…将棋が説いた民主主義
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1273840006/
296梵阿弥:2010/05/19(水) 14:38:53 0
>>272
2006年に、カスパロフ氏が後継者としたクラムニク氏と、パソコンのディープ・フリッツが対戦し
電脳の2勝4分だったそうですね。>>275を書いた時は知りませんでした。
棋譜や解説を見ていませんが、第2局でクラムニクが酷い手を指して負けた様です。
最終局で負けたのは、負越しを避けて無理して勝とうとしたんでしょうか。
当時のクラムニクは人の世界で必ずしも絶対的な覇者では無く、また若かった為も在るでしょう。
とはいえ1997年に大型専用機を使ってカスパロフ相手に2勝3分1敗でしたから、随分進歩しました。
そういえば電脳は「緊張」とか、しませんね。その分、創造性は人の方が上でしょうけど。
一応、もっと局数を増やせば、電脳の方が「棋風」を見抜かれ易いと思います。
1局終る度に微調整して変える事は出来ますが、結局は人が調整するから
名人と調整者の化かし合い、みたいに成れば名人が有利でしょう。
6局位だと、未だ底が割れないんでしょうね。
あと、人は序盤で工夫すると良いでしょう。電脳は序盤で定跡から外れたがらない。
先が長いと曖昧模糊として「計算」が立たないからです。
勿論、有望な形は既に研究が進んでいる。
してみると坂田 三吉がよくやった様に、わざと少し不利な手を指す代りに
電脳の「定跡集」から外れるのも在りかも。
猶、先日、日本情報学会とか言う所が日本将棋連盟に挑戦状を提出し
秋の電脳と清水 市代女流6段の対局が発表されました
297世界@名無史さん
>秋の電脳と清水 市代女流6段の対局が発表されました

へぇ
ちょっと楽しみ