1 :
世界@名無史さん:
インドで発生したと言われる疑似戦争ゲームが
東では将棋や象棋に
西ではチェスやシャトランジに
なった歴史を辿る。このゲームに憑かれた歴史人物も登場させて
このゲームの世界史的な意義について語る。
囲碁も入れとけばかなり伸びるだろうに。
将棋だけでは厳しいかもな。
3 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:28:13 0
いちいち板違いって書かないとわからない??白痴が
糸冬 了 ・・・・
囲碁は古代には奈良時代から民間に普及しており、『源氏物語』ほかの文学
作品にもよく登場していますが、将棋はやや遅れますね。
それでも、平安後期の奥州平泉では既に楽しまれていた様ですが。
頑張って斧の柄を朽ちさせましょう。
5 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:33:04 0
6 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:33:30 0
>>4 山野は嫌いじゃないが、これはスレ違いだなぁ。
7 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:36:13 0
いちおう遊戯史に入るんだろうけど、スレ違いかなぁ
8 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:36:56 0
>3
歴史的に語る事は多少はあるけどね。
いずれにせよ、将棋の話は出ずに囲碁の話が出るようでは余命はないかな。
10 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:40:08 0
スレタイのシャー・ルフってティムールの息子のことか?
11 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:41:49 0
12 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:47:55 0
囲碁・将棋板に帰れ
シャー・ルフのルフってインド将棋の飛車のことって本当なの?
将棋好きだったティムールが勝負の途中に出生の知らせを受けて命名したとか。
チェスと似てるけど、ルーツは同じだったよね?
15 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 23:46:05 0
>>13 シャー・ルフのルフの綴りはrukh、チェスのrookと同じ場所(盤の隅)
に置かれ動きも同じ(前後十字)
シャーはshahだろうからking。
とすると日本の将棋と比較してみると
「シャー・ルフ」=「王・飛車」
そもそもシャー・ルフって尊称?幼少からの名前?
ここでボードゲーム全般を語ればいいじゃないの。
案外無かったスレタイだと思うよん。
1にその気はないだろう、どうみても。
18 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 23:51:53 0
ホリエモンネタは各板でそれぞれたっているし、ここでは囲碁将棋板とは違った切り口でやっていけばいいのでは?
簡単に削除するなら世界史板の名スレの多くが「○○板に帰れ」でオワだよ
19 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 23:53:10 0
そもそも1を叩いてるのは1自身ではないのだろうか、と思わないでもない。
21 :
1:2005/03/27(日) 23:56:42 0
いろいろ言われているようですが…
インドで発生したチャトランガが東に伝播し列島に至って将棋になる
過程で、大陸のさまざまなボードゲームの影響を受けて駒も立体から
平板になり現在見られる将棋のルールになったのだと思うんですよ。
西へ行ったチェスも同様だと思います。
もちろん囲碁やチェッカー、双六も世界史に影響を与えたゲームだと思いますし
将棋族のチェスなどに影響を与えたゲームであるはずです。
そういったボードゲーム群の中でも特にチェスを軸に世界の遊戯のルール史
の変遷とか文化、芸術に与えた影響とかについて考察してみたら面白いかな?
と思ったんです。スレ違いであれば削除依頼しますが?
22 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 23:58:56 0
カエサルが投げ、白河院が匙を投げられたのです。>サイコロ
双六や麻雀の賭博まで話に絡めれば、なかなか面白いスレになりそうですが。
24 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:02:36 0
>>23 こんなところにいないで、投票してくれた板の御礼にいけよ。
雑用は、抱朴子と名無しにおまかせか?
25 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :2005/03/28(月) 00:10:05 0
先日、日本に拘留されていたチェス元世界王者(米人)が、
アイスランドに受け入れられましたね。
経済制裁下の国でチェスで勝って、
賞金を得たから、アメリカに帰ればタイーホだとか。
政治によるスポーツへの影響って、未だにあるんですね。
26 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:12:12 0
タレーランがナポレオンに「絹のストッキングの中の糞」と罵られた
チェスで大勝ちしたから
手持ちの英和辞典では英語checkの語源はペルシア語「シャーshah」より由来、
と書かれています。
日本語の「王手」をふと思い出しますね。
28 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:13:54 0
>>25 こんなところにいないで、投票してくれた板の御礼にいけよ。
雑用は、抱朴子と名無しにおまかせか?
29 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:16:03 0
30 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:20:25 0
>>27 手持ちのHans wehrのアラビア語辞典だとshah matの意味がcheckmate
になっています。check=shahとするとmateはmatが語源ですね。
こういう春厨が沸いた時に、IDがないとあぼーんできなくて不便ですね(・ω・ )
32 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:25:28 0
>>30 ma:tは三人称完了形「死んだ」だからsha:h ma:tは「王が死んだ」
チェックメイトの語源はアラビア語の「王が死んだ」
ヒカルの碁に出てくるサイとか平安時代からやってたらしいが、実際どうなの
あれは?三国志にも関羽が碁を打つシーンがあるが、起源はやはり中国?
34 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:34:31 0
碁の黒石白石は洛書起源との説もあり。
>33
>4でも書いた通り、当時から好まれていましたよ。
『源氏物語』の主人公光源氏も、帝と囲碁で賭けをしているぐらいです。
『懐風藻』には、僧弁正が唐に渡って囲碁の上手かった事から玄宗に重用さ
れたと記されており、唐代の小説にも、日本一の囲碁の名人であった王子
が唐に来て唐の名人に敗れ、「この人は唐で何番目の名人か」と問うたので、
「三番目です」と答えたところ、「小国の一番は大国の三番に及ばない」と歎
いたが、実は名人は唐で一番の人で、日本に見栄を張ったという話があります。
唐関連では、吉備真備が唐で双六・囲碁を利用して天変地異を引き起こした
という話がありますが、これも「大国」に対する「小国」の意地を示した説話
と言えるでしょうね。
漢代の名人が唐代の霊媒を通して碁を打ったところ、僅差で負けたので手
加減したのでしょうと言われたが、「いや、時代の進歩だ」と口にしたとい
う話もあります。
なお、碁石の丸いのは天を、碁盤の四角いのは地を表しているなど、色々
とこじつけめいた由来があった筈です。
平安貴族の生活は、役目があればかなりハードなものでしたが、それでも夜
は長かったですからね。囲碁は暇つぶしとしても重要なものでした。
他に「はかなき遊び」と言えば、石なご(石を使ったお手玉)やへんつくり
(漢字の扁と旁で組み合わせを楽しんだか。詳細不明)や双六ぐらいでした
から、なかなか重要です。
『十訓抄』巻一には、源義家が暇さえあれば右大臣と囲碁に興じていたと
あり、囲碁の最中に逃亡犯が庭に入って来たのを「八幡太郎がいるぞ」と
伝えさせただけで降参させたといいます。
38 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 03:21:36 0
>>25 冷戦構造の中でのチェスって特殊だったから。
おまけにユーゴは国技扱いにしてたし。でもフィッシャーは好きなんだよな。
我々では憧れる位しか出来ない人だと思う。
少なくとも漏れには棋譜をなぞっても、発想に想像が付かなかった。
>>26-27 せっかく良スレになりそうなので、スレ違いの話題は止めて欲しい。
日本史板かせめて雑談スレにいってくれ。
別にすれ違いというほどでもないのでは
>>39 そうだな。スレじゃなくて板が違う。
山野の話は面白い事もあるけど、日本史と世界史が混同すると
向こうの厨が乱入するから嫌だ。
最低限のルール位は守って欲しい所。
そもそもそれが嫌でこっちに逃げてきたとか何とか言ってるんだからさ。>山野
41 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 04:01:29 0
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■氏■■■■■氏■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■氏氏■■■■■氏■■■■■■■ねねねねねねねねねねねね■■
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■氏氏■■氏■■■氏■■■■氏■■■■■■■■■■■■ねね■■■
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■■氏■■■氏■■■氏氏氏氏■■■■■■■■■■ね■■■■■■■
■氏氏氏氏氏氏■■氏氏■■氏氏■■■■■■■■■ね■■■■■■■
■■■■氏■■■氏氏■■■■氏氏■■■■■■■■ね■■■■■■■
■■氏■氏■氏■■■■氏氏■■■■■■■■■■■ね■■■■■■■
■■氏■氏■氏■■■■■氏氏■■■■■■■■■■ね■■■■■■■
■氏氏■氏■氏■■■■■■■■■■■■■■ねね■ね■■■■■■■
■氏■■氏■■■■氏氏氏■■■■■■■■■■ねねね■■■■■■■
■■■■氏■■■■■■氏氏氏■■■■■■■■■ねね■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ナポレオンはチェス好きでネイ元帥とかと、よく指していたそうな。
ナポレオン定跡というチェスの定跡があったような…。ただ
>>26でいわれてるように
腕前はヘボだったとも。
徳川吉宗の息子でアフォ将軍で有名な徳川家重は残された将棋の棋譜から
アフォでなかったことがわかっている。て、これ山野氏がどこかのスレで書いてたな。
あと、羽生善治三冠は
>>25の元世界王者ボビー・フイッシャー救済の為に
小泉総理にメールを送ったりしている。羽生はチェスも日本代表クラス。
43 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 09:16:15 0
ファーティマ朝の6代ハリーファ・ハーキムはヒジュラ402年ごろに
チェスを禁止する法令をだしている。
コーランでは
あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭矢、偶像と占い矢は、
忌み嫌われる悪魔の業である。(5章90項)
というように賭事を禁じている。酒も女性の外出も禁じたハーキムであった
のだからチェスを禁止したのは中世アラブ世界でチェスによりコーランに
禁じられた賭事が行われていた背景があったからなのだろう。
>42
家康からして囲碁・将棋好きだったと思いますが、家重は能と将棋に、家治
は将棋と囲碁と絵に興味を示しており、どちらも著作がある程の実力の持ち
主でした。
賭けについては、秀吉が茂庭綱元と囲碁で勝負して負け、側室香の前を与え
たという真偽の定かでない話がありますが、どうも将棋は中世史上では分が
悪い様です。
しかし、『鳥獣戯画』(丙巻)にも出て来ており、その伝来は仏教伝来と同じ頃
だと言いますから、それなりの歴史はありました。
『明月記』建仁3年(1203)には、囲碁双六将棋と併記されており、当時遊
びと言えば音楽だった時代の楽器と対になって記されています。
また、文治元年(1185)には、文覚が寺院での囲碁・双六・将棋・蹴鞠を
始めとして博打行為を禁じていますが、『鳥獣戯画』はこうした当時の風潮を
反映したものと言えるでしょう。
『新猿楽記』には、
箏・琴・琵琶・和琴・尺八・囲棊・双六・将棊・弾棊・鞠・小弓・包丁・料理
・和歌・古歌
の名人である「一宮先生柿本恒之」という文人貴族が登場しています。
当時の主要な芸能の一つである以上、寺院への流入も自然な現象でしょうね。
インドのチェスは、もともと、王子の教育用だった、と何かでよんだ記憶がある。
兵隊や臣下の重要性をわからせるための、シュミレーションだったとのこと。
また趣味レーションか
>>44 だから日本史の話は該当板に逝けよ。もしくは雑談スレへ。
48 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 16:50:26 0
>>45 戦争好きの王の気を紛らわすためとも。まあ起源は謎なんでしょう。
あと発明者が王からもらったご褒美の話は数学でよく聞きますね
49 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 17:14:28 0
山野氏ね
将棋は『説苑』などに「象棋」とあり、梵語チャツランガの音訳と言います。
梵語の方は、象・馬・車・歩兵の四軍を意味したもの。
しかし、調べれば調べるほど我が国における将棋の地位は不遇でしたね。
10世紀の辞書『倭名類聚抄』にも、碁や独楽は出て来るのに、出番無し。
ものがものだけに、戦乱の時代以降に好まれたのでしょうか。
山野氏ね
52 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 20:25:05 0
おいおい、「将棋の歴史」なのになんで日本将棋の話をしちゃいかんのよ。
53 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 20:47:41 0
世界史板だから、日本に来るまでの歴史っつ〜ことでは?
外国の将棋にも王手飛車取りなんてあるの?
55 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 20:53:54 0
>>36や
>>50は良かったけどあまり日本史に偏りすぎるのはどーかと
タイとかモンゴルにもチェスがあるらしいけど知っている人いる?
あと中国象棋の歴史とか、あの駒は麻雀と近しいものがあるような気がする
56 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 21:03:31 0
>>54 例えばチェスで飛車と同じ動きをするルークとキングを両取りできる状態に
あった場合、「キング・ルーク両取り」となり和訳すれば「王手飛車取り」となる。
ティムールが武将とシャトランジ(アラブ将棋)を指していて「キング」(シャー)
と「ルフ」(ルーク)を両取りした時に息子の誕生をしったのでその息子の名前を
「シャー・ルフ」と名付けた。
チェスで、ナイトによる両取りは、
「ナイトフォーク」と言ったと思います。
取った駒を再利用できる、できないといった境目はどの辺りにあるんでしょうね?
59 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 21:25:38 0
日本の将棋では持ち駒があるのは今の将棋ルールだけで中将棋とか
小将棋(酔象なんて駒がある)とか古いものはは持ち駒はないらしい
60 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 21:28:02 0
日本の将棋では持ち駒があるのは今の将棋ルールだけで中将棋とか
小将棋(酔象なんて駒がある)とか古いものはは持ち駒はないらしい
61 :
60:2005/03/28(月) 21:29:15 0
二度も失礼
>>59 大将棋もあるぞい。
日本将棋は中国から伝わったとされるけど、中国象棋は日本将棋やチェスとも
かなり異なる。盤の真ん中に河が流れてるし、陣地はあるし。
意外と、将棋は奈良・平安時代にインド、ペルシアから直行で
日本に伝わったのかもしれん。
63 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 22:56:58 0
>>62 でももしインドから直行で伝来したとしたらなんで日本の駒は板状で
インドとかチェスの駒は立体なのでしょうか?象棋も円形ですが板状なので
将棋との関係性もあるのでは。
>>63 日本の将棋は「成金」があるから板じゃないとまずいのでは。
ルールが先か、駒が先かが問題だけど。
そういや、貧乏人が急に金持ちになる「成金」も将棋用語から来てるな。
また怒られそうですが、全国の鎌倉時代の遺跡からは、将棋の駒が時折出土
しており、韓国沖で発見された沈没船からも、裏に「と」と書かれた桂馬や歩
兵が出土しています。越中では「き」と書かれた銀将も。
中将棋(竜王・盲虎)や古式の小将棋(酔象)の駒もあり、東北から九州までの
日本各地に広がりを見せています。
京都にあるモンゴル料理店の土産物コーナーで、モンゴル将棋の駒と
板(といっても升目のはいったフェルト)を売っているんですが、チ
ェスの駒をモンゴル風に彫ってあるだけなのか、それともモンゴル将
棋自体がチェスなのか、いまひとつわからない。
こんどお店の人に聞いてみます。
67 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 11:43:27 0
>>66 お願いします。いろんな国の将棋の情報があつまると流れがつかめるかも
68 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 15:18:01 0
>>59 世界の将棋類似ゲームの中で持ち駒(取った駒の再利用)が出来るのは
小将棋(ほぼ今の将棋)のみ。(異説もあるらしいが)
中将棋はできない。
69 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 15:32:40 0
>>62 インドから東南アジアを経由した東南アジア系の将棋が
古い時代に日本に伝わったらしい。
王将に該当する駒が、
一定範囲から動けないのは、
中国将棋でしたっけ、韓国将棋でしたっけ?
(少ししかやったことないので、
どっちがどっちだったか忘れてしまいました)
で、それも可成り独特ですよね。
71 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 19:54:08 ID:0
>>33さん
「忘憂清楽集」という最古の棋書には、孫策と呂範や、晋の武帝(司馬炎)と王済が
打ったとされる棋譜などが載っています。ただし、この書が成立したのは宋代のことで、
1000年近い開きがありますので、実際に孫策が打ったものではないだろうというのが
通説です。ですが、囲碁自体は春秋戦国期には既に存在していました。
囲碁の登場する説話といえば、寛蓮上人が醍醐天皇と金の枕を賭けて勝負して、謎の
女碁打ちに負ける話なんかがありますね。まぁ、平安時代には盛んに打たれていたん
でしょうね。
ヒカルの碁といえば、サイの「黒番では負けたことが無い」という台詞がありましたが、
実際には本因坊秀策は黒番で結構負けてます。道策と道的は黒番で負けた棋譜が
残っていないそうですね。
あと、ボビー・フィッシャーがアイスランドに出国しましたね。確か彼は1972年にレイ
キャビクでスパスキーと対戦した時は、あまりアイスランドにいい印象持たなかった
ようですが、今は好きになったのかな?
「ボビー・フィッシャーを探して」という映画があるんですが、結構いい作品です。
>寛蓮上人が醍醐天皇と金の枕を賭けて勝負して
参照されたのは『今昔物語集』ですか。「碁勢寛蓮」と出ていますね。
碁勢は碁聖の事ですが、編者はこれを人名と誤解していたらしい。
同書には、達磨が天竺で碁打ちの比丘を見たという話もありますが、これは
どうもインド原産の話では無い様です。
将棋は欽明天皇の時代に伝来したという話がありますが、記紀には出て来な
い様なので、ただの伝説でしょう。
74 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 21:59:15 0
75 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 21:59:40 0
「ボビー・フィッシャーの最良手」
初手:ボビー、投了
76 :
68:2005/03/29(火) 22:08:37 0
>>59 文章を読み間違えました。失礼しました。
確かに中将棋や昔の少将棋は持ち駒はないようです。
77 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 22:16:07 0
貼り駒ルールがいつ出現したのかは明らかになっていないのですが、
酔象の消滅の直後あたりだろうという話を何かで読んだ覚えが。
78 :
世界@名無史さん :2005/03/29(火) 22:35:27 0
>>77 酔象の消滅の頃とは16世紀の初めということですか。
79 :
つづき:2005/03/29(火) 23:00:52 0
>>75 後手:小泉、勾留
先手:婚約者、現る 後手:小泉、米国引渡し延期
先手:救う会、告訴 後手:ブッシュ、再選
先手:氷、旅券準備 後手:小泉、米国引渡し表明
先手:氷、旅券発行 後手:小泉、氷国引渡し(←現時点)
>69,71
タイにマック・ルックと言う将棋があります。駒の数はチェスと同じですが、チェス
でビショップに当る駒が日本将棋の銀と同じ動きをします。
凝った彫刻の駒ではナイトが象の形になっていたりしますが、普通は宝珠型の駒で大小
で駒の区別をします。
モンゴルの将棋はほぼ中国将棋と同じですが、名称が全て動物の名前です。
中国の象棋はよく差しましたが変形で三国棋や六国棋と言った変わり象棋もありますし
バラエティーに富んでいて漢代の資料にも象棋を差している絵があり歴史的にもかなり
古いようです。
韓国・朝鮮の将棋は中国将棋とほぼ同じですが真中の「河界」がありません。
後、九宮と呼ばれる王(漢・楚)と士がいる場所では兵/卒、車/俥というまっすぐにしか
進めない駒も斜めに動けます。昔『労働新聞』に棋譜があるのを見たのですが、ルールは
いまだに分かりません。
>77,78
酔象は小将棋では天文年間に取り除かれましたが、中将棋などではいまだ健在です。
中将棋は関西ではいまだに打つ人がいます。
81 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 00:51:39 0
チェス・日本将棋の元祖とされるインド将棋(チャトランガ)の盤と駒
┌──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┐
│▽船│▽馬│▽象│▽臣│▽王│▽象│▽馬│▽船│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲船│▲馬│▲象│▲王│▲臣│▲象│▲馬│▲船│
└──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┘
【各駒の動き】
王 ラージャー全方向に1ずつ。
臣 ? 斜め前後に1ずつ。
象 ハスティ 斜め前後に2歩。駒を飛び越えられる。
馬 アシュワ チェスのナイトと同じ。
船 ロカー 将棋の飛車と同じ。駒は飛び越せない。
歩 パダチ 将棋の歩兵と同じ。
小学生五年生のころ、クラスの男子たちの間で将棋がはやって、その時期は外でボール遊びもせず、休み時
間に盛り上がってたことがありました。
プレーヤーたちの間で順位が付いて、そろそろブームも煮詰まったかな、というころ、「摩訶大々将棋」
をもってきた子がいて(普通の将棋にない駒と板は手作り。駒は厚紙を張り合わせて厚さ5ミリ位で、文字
はカッターで切り抜いて彫り込んである凝った作り)、No.1とNo.2の間で勝負が始まりました。
勝負決着まで一週間くらいかかったかな。
>>81の図を見て思ったんですが、
チェスの場合、キング同士、クィーン同士が、
互いに正対するように並べますが、
これはチェス特有なのかな。
┌──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┐
│▽R│▽N│▽B│▽Q│▽K│▽B│▽N│▽R│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▽P│▽P│▽P│▽P│▽P│▽P│▽P│▽P│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲P│▲P│▲P│▲P│▲P│▲P│▲P│▲P│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲R│▲N│▲B│▲Q│▲K│▲B│▲N│▲R│
└──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┘
ちなみに、NはKnight、Kingと紛らわしいので、
このように採譜することになってます。
凄いズレっぷりですね
>>83orz
K同士、Q同士が正対していることは、
分かると思いますが、何だかなぁ。
83
マックでみてますが、大変きれいにでています。
>>85氏
どうもです。
うちのPC&OS&IEが古いということですかw
87 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 14:16:13 0
うちもマックですが普通です。
>>83 チェスの実父ともいえるシャトランジ(アラブ将棋)では先手も後手も
自分から見てshah(王)は左に、firzan(将=女王)は右に置くので正対しません。
89 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 22:15:43 0
>>87氏
御教示有り難うございます。
>>70の件は象棋(=中国将棋)のようですね。
これの砲(火編だったかも)は、
通常移動は「飛車」と同じですが、
相手の駒を取る時には、
1つ駒を飛び越えないとイケナイという変わり種。
砲――(飛び石)――→敵駒
といった感じ。
91 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :2005/03/31(木) 03:23:01 0
後、象棋は将と帥とが(「王将」「玉将」に対応)が、
間に駒を挟むことなく、
正対することが出来なかった筈。
色々と面白いルールだった気がします。
(うろ覚えでスミマセン)
>90
象棋もチャンギも王(象棋:将/帥、チャンギ:漢/楚)、士/仕は九宮から出られません。
>後、象棋は将と帥とが(「王将」「玉将」に対応)が、
>間に駒を挟むことなく、正対することが出来なかった筈。
「対面笑」と言うルールで負けになります。
93 :
世界@名無史さん:2005/03/31(木) 11:53:06 0
>>92 対面笑
将「あっ!」(帥を指して)
帥「あっ!」(将を指して)
将「てへへ、あはは!」
帥「うふ、うっはは!」
94 :
世界@名無史さん:2005/03/31(木) 20:25:26 0
軍人将棋ってどんなルールだっけ、あれって中国象棋と似てるけどなんか関係
あるのか?
>94
軍人将棋は普通の将棋とはかなり異なります。
陣地に兵、地雷、密偵、将軍などの駒を"裏返し"で並べそれぞれを縦横に動かし
向かい合った駒同士の優劣で相手の駒を取り合うと言うものです。
勿論、将軍なり元帥が取られると負けです。
駒の並べ方に特に決まりは無く、いきなり敵陣に並べることも出来ますし、駒の
動き自体は全て同じです。
駒の種類は製造元や地域によって違いますし、それぞれのローカルルールもある
ので一概には言えませんが・・・。
>80
ご教示ありがとうございました。
となると、わたしがモンゴル料理店でみかけたのは、たんにチェスの駒を
モンゴル風に彫っただけのもののようです。
>95
軍人将棋って、アウェイ側と比べて、ホーム側(=駒の持ち主)が圧倒的に有利ですよね。
97 :
94:2005/03/31(木) 22:44:48 0
>>95 よくギャグとかで使われるけど結構奥深いもんだね
軍人将棋でひとつ大事なことを書き忘れてました。
打つときは二人ではなく、三人。一人は審判で両者の駒がぶつかった時にどっちが勝ちか
を判定すると言う役。
勿論、審判と組んでイカサマをすることも出来ますし、駒同士の優劣がかなり複雑ですので
お互いの持ち駒が分からないから何をどう進めるかでかなり楽しめます。
>お互いの持ち駒が分からないから
流布して実際に使用された駒といえば、駄菓子屋で、小学生のこずかい程度で購入できる
程度のものが多く、そういうのは、作りも粗雑で、駒いっこいっこの木目が違って
いる場合がままあります。
木目が違うと、持ち主は、反対側からでも駒の種類を識別できちゃうんだんぁ。
100 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 01:25:22 0
100手目で王手!
102 :
世界@名無史さん:2005/04/11(月) 01:25:42 0
世界のいわゆる「合戦」系ボードゲームの起源は全てインド起源なのでしょうか。
他の流れはなかったのかな。
囲碁は中国起源らしいが。
ま、合戦系ってのが結局将棋型の事になるなら起源
が一国になるのは仕方ないけどね。
将棋の起源と言えば、インドのチャトランガですが、単に将棋の起源を
ひとくくりにしてしまうには惜しい気がします。
将棋の起源については、
増川宏一『将棋の起源』平凡社ライブラリーが手軽でしょう。
本書は、将棋そのものの起源と日本の将棋の起源について取りあげ、
日本の方は、最近の奈良興福寺から出土した駒などを、
将棋そのものの起源については、旧ソ連の崩壊に伴うサマルカンドの
出土の駒・ウズベク共和国の駒などに考古学からの新たなる解明の
可能性もあることを紹介している。
また研究においては、旧来、チェスの歴史の基本文献とされた
マレーの『チェスの歴史』にも批判がなされはじめ、研究グループの
「ケーニッヒシュタイン・グループ」など活動もあり、将棋の起源や
研究をめぐる動きが、活気であることを伺わせる執筆で、今後とも
期待したいところです。
マヤ民族にパトリゲームと呼ばれる将棋に似たものがあるとか。
まぁ、兵棋演習ていどならいつ、どこの民族が考えても不思議ではないわな。
106 :
世界@名無史さん:2005/04/24(日) 11:11:41 0
>>105 おおっ!
新大陸からはボードゲームの類は見付からなかったと言われてきたが、
やはりあったんですか。
昭和23年の夏、日本将棋連盟は連合国総司令部(GHQ)に呼び出され、将棋に関する事情聴取を受けることになったのだそうです。
その時に、代表に選ばれたのが「升田幸三」です。
GHQは「チェスと違って日本将棋では、取った駒を自軍の兵隊をとして使用する。これは捕虜虐待で国際条約違反だ。日本軍の捕虜虐待に通じる思想なのではないか。」と難くせをつけてきたのだそうです。
ホイットニー准将という人からこう質問されて升田は、まず「少し酒を飲ませろ。」と言った。ビールが出されて、それを飲むと、「冗談を言われては困る。チェスで取った駒を使わないことこそ捕虜の虐殺だろう。
日本の将棋は敵の駒を殺さない。常に全部の駒が生きている。これは人の能力を尊重し、それぞれに働きを与えようという正しい思想である。」と言ったのだそうです。
さらに彼は、「アメリカ人はしきりに民主主義を振り回すが、チェスでは王様(キング)が危なくなると女(クイーン)を盾にしてまで逃げようとするじゃないか。あれはどういうわけだ。」と続けたのだそうです。
これには係官も呆れたらしく「貴君は実によくしゃべる。珍しい日本人である、みやげにウイスキーを持って行け。」などと言ったといわれています。
108 :
世界@名無史さん:2005/05/03(火) 23:24:37 0
将棋は国によって差が大きい一方、囲碁はあまり違いがないようだが。
国際試合が盛んなのもそのおかげかな。
109 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 00:32:46 0
>>107 その時ナポレオンを貰ったんだけど
「あんな冬に弱い将軍はいらん」と返したんじゃなかったかな
>>108 囲碁はつい最近、世界に広まったんだよ。
シャールフは発祥から各地に伝わるうちにさまざまに変化してしまったが、
碁は一部の例外を除き、発祥の中国と、日本などその周辺にしか伝わらず、
世界中に広まるようになったのは近世、特に戦後だったりする。
とっつきは将棋よりも悪いが、白黒のみの石で陣地取りで完成されていたのが
差異を生じさせなかったのか、日本や朝鮮半島でも基本的なルールは変
わらない。違いは事前の置き石制だが、今日では中国も朝鮮半島もその
自由度の高さゆえか日本で始まった置石なしの自由棋法が主流。
>>111 日本ルールと中国・台湾ルールとでは、現在も得点計算の方法が異なる。
「地合取り」と呼ばれる日本ルールの方が若干複雑。
現在の国際ルールは日本式。
113 :
世界@名無史さん:2005/06/09(木) 01:03:21 0
とりあえず将棋系と囲碁系とが挙がったが、他にはどんなのがあるだろう?
オセロは次元がまた別か。
オセロはリバーシというほぼ同じものが既にあったのに、なぜかツクダ
だったかな、あたりに特許が通ってしまったというのは聞いたことあり。
将棋・チェス系、囲碁、連珠、オセロ、チェッカー、
ちょっと違うけどダイヤモンドゲーム、フォックス&ギース、マンカラ・・・
あとはバックギャモンみたいに運の要素が入ってくるものか
>>114 日本人がオセロを発明して売り出したところ大ヒット。
日本での特許もとってある。
ほぼ同じルールのゲームが昔からイギリスにあった。これがリバーシ。
ツクダ以外の会社は特許回避にためにリバーシの名前で売ることにした。
当時リバーシは無名で、広く知られるようになったのはオセロのヒット以後。
既にあるのになんで特許が通ったのやら。
単に局員が無知でツクダがうまくやっただけかね。
>>116を別例に変えてみよう
エニックスがドラゴンクエストをファミコンで売り出したところ大ヒット。
これに目を付けたホビージャパンがロールプレイングゲームの特許を取った。
似たルールのボードゲームが昔から欧米にあった。これがロールプレイングゲーム。
ホビージャパン以外は特許回避にためにロープレの名前を日本で売ることにした。
当時ロールプレイングゲームは無名で、広く知られるようになったのはドラクエのヒット以後。
…ちょっと無理があったかな
119 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 00:14:22 0
特許じゃなく「オセロ」という商標だろ
「オセロ」の由来はシェークスピアの作品から?
ツクダの真似してもう一回商標取れますか?
122 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 04:32:56 0
>>120 ツヅリ「はおなじですが
日本将棋が独創すぎるのは
・取った駒の再使用
・初形で空間がある
・はじめからイレギュラーな駒移動が許されている駒がない(チェスでは最初のポーンは2マスうごけます)
日本オセロ連盟 オセロの歴史 長谷川五郎 記
ttp://www.othello.gr.jp/r_info/history/ オセロの原形は、1945年9月に茨城県水戸市で生まれました。……
私(長谷川五郎)の家も、私の通う水戸中学校(現水戸一高)も、全部燃えて灰になりました。
1945年9月からは土手に腰をおろして土手の下に一つだけ黒板をおいて青空授業が再開されました。
オセロの原形はそういう環境の下に生れました。
囲碁(相手の石を囲んだら取る)を良く知らない中1の生徒達のガヤガヤワイワイの中から、
相手の石を挟んだら取るというルールが私の発案で生まれました。だからオセロの石は黒と白です。
初期のオセロは挟んだらいちいち黒石、又は白石を全部そのつど取りかえて行っていました。
それでは手数が進むにつれ大変な作業となるので、表裏を黒と白にしたボール紙を使うようになりました。
オセロは1945年9月から1950年ごろにかけて水中、水戸一高の10分の休み時間に徐々に
はやって行きました。友人のM君(現存)もボール紙製のきれいなオセロの石を作って学校に
持ってきていたことをなつかしく思い出します。
……
オセロゲームのオセロの名は、シェークスピアの劇「オセロ」からとったものです。
美しき白人の妻デズデモーナ(白石)を持つ黒人将軍オセロ(黒石)が緑の平原(緑の盤)で勇敢に戦う
波瀾万丈の物語ですが、それはオセロゲーム(黒石、白石、緑の盤、波瀾万丈の内容)そのものでしょう。
学校の休み時間作ったんかい! (゚Д゚;)
大将棋の類って駒は多いけど戦略なんてほとんど無く単に兵力を削りあうだけなのね
125 :
大将棋復活の名無しさん:2005/06/21(火) 13:12:55 0
確かに大将棋系列の将棋は、駒得になるようなるべく相手
の駒を少なくするようゲーム進める事だけが、
124の言うようにコツになっているような所はあると
思う。
だが大将棋系列がそうなるのは、盤と駒数の多さにあるの
ではなく、ルール、特に成りを、次のようにしている事が
あるのではないか?
摩訶大大将棋系列では、成りが駒を取った時になっている。
===>こうすると、取ると駒得が開く一方になる。
大将棋系列では、小駒が成るのに一列の升目の数が多く
敵陣が遠いので手数がかかる。
===>配列を変えた所で、総合戦力は初期配列に比べて
なかなか強くならない。=>相手の駒を取り、
相手の戦力を落とすしか、有利にする方法が
事実上なくなる。
もともとゲームのルールは人為的取り決めなのだから、
これらの将棋のルールを、ゲームの原型はとどめる程度
に、いじればなんとかなるのではないか?
たとえば、駒の一部を、駒組みの途中で成らせるような
ルール(前段に出ると、敵陣に入る以前に成るものがある。)
とかに変えると、駒組みをする事自体が戦力を上げるため、
「大将棋系列の戦い方のコツが、駒得に進めるだけ」と
いう事にはならなくなるのではないかと、おもうのだが
どうだろ。
敵陣との距離が遠くて駒組みを妨害しづらいから
「まず成れるだけ成るのがコツ」に変わるだけじゃないだろうか
ここはひとつ平成版大将棋を試作してみてはどう?
昭和の時期にも新しいタイプの将棋がいろいろ作られてる事だし。
128 :
大将棋復活の名無しさん:2005/06/21(火) 17:25:12 0
あんまり小駒が皆、簡単に成れるように変えて
しまうとたぶん、126の言う通りになると思う。
相手の大駒を潰して戦力に差をつける戦略と、
一升おいてにらみ合う位置まで歩を動かし、領
地を広げておいた状態て、小駒を繰り出すと、
早く成れるルールにしておいて、その特例で、
自分の戦力を上げる戦略とが拮抗するように、
ルールの変更の内容を、微妙に調節しないと
だめだと思う。
何でも成れるような、いいかげんなルール変
更ではだめだという事だと思うが。
129 :
世界@名無史さん:2005/06/21(火) 19:04:02 0
ディープ・ブルーがカスパロフに勝ったが、この形のゲームは「必勝法の存在」が数学的に予言されている
・2人交互にやる
・情報完全公開(麻雀のように、手の内を隠すことがありえない)
静的、非確率、完全情報ゲームであっても
両者が最善手で応酬すると引き分ける解があるから必勝法があるとは限らない。
囲碁はコミで調節できるから必勝法が存在しなくていいな。
132 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 19:48:43 0
>>130 将棋の場合、千日手のことですか?持将棋のことですか?
「待った」じゃね?
>>132 俺は
>>130じゃないけど千日手などによる引き分けのルールがあること
が前提。より正確に言うとチェスの場合、『「白に必勝法がある」、
「黒に必勝法がある」、「引き分けに持ちこむ方法がある」』のいずれ
かが成立することが数学的帰納法で簡単に証明できる。証明自体はして
いないけど、チェスを数学的に定式化した数学者、E.ツェルメロの名を
取って「ツェルメロの定理」と呼ばれている。
135 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 21:47:03 0
>>56 チェスの最強の駒は飛車と角の動きを兼ねるクイーンだから、キング・ルーク取りはそれ程の痛手ではないのでは?
>>58-62 日本には小将棋、中将棋、大将棋とあり、
小将棋が現在の将棋の原型となりました。
ちなみにどれも取った駒は使えないです。
それと小将棋は現在の将棋と升目の大きさは同じで駒がニ枚多く、
中将棋・大将棋はもっと大きな升目で駒も数倍ありました。
136 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 21:57:07 0
>>107 ちなみに升田は日本では城を攻められた時は先に女を逃がしておくとか、
事実ではない事も言ってた。
多少異なりますが、『後三年合戦絵詞』でも読んだのでしょうか。
犯科の無い非戦闘員に関しては、落ち延びるのを許容する事がありました。
柵内の食料が減少したので、女子供を外に出して来たのを、源義家は保護し
ようとしましたが、側近の進言により、矢を射掛けて城内に戻しています。
平将門が、敵将の妻を解放したというのも、個人の温情だけでは無い。
時代下って、結城合戦の時、幼い兄弟が女装して落ち延びようとしたという
のも、有名な話です。大坂の陣屏風では、脱出した女が捕まって、おそらく
は売り飛ばされそうになっているのが見えますが・・・。
もっとも、どの時代のどんな例を参考にしていたのか、詳細が分からない事
には、なんとも言えませんが。
つか、山野はこのスレには書くのをやめるとか何とか言ってたんじゃないの?
自分の言動くらいには責任持とうぜ。
140 :
世界@名無史さん:2005/07/03(日) 13:17:57 0
トランプや麻雀など卓上ゲームの歴史のスレッドがあってもいいかもね。
そうだな。そういう意味ではこのスレはタイトルで損をしていると
いうか、限定しすぎ。
142 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 00:57:50 0
ギャンブル史スレがあったら盛り上がるかも。
トリックとその看破の攻防、占いや科学との腐れ縁・・・
まあ政治・経済・軍事、と人生自体が壮大な博打絵巻なわけであるが。
>>129 まず「ゼロサム」「有限」「確定」も条件として必要だよ。
それと理論的にいえるのは「手番を決めた時点で勝敗が決まる」だけ。
先手必勝ではなく先手必敗かもしれないし、引き分けかもしれない。
あとこれはCOM対人の話とは何の関係もない。
144 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 11:41:46 0
軍儀
東ゴルドー発祥の盤上競技。東ゴルドーの国民はほぼ全員が打てる。
「王を詰む」という点ではチェスや将棋と同じだが、駒を3枚まで重ねることが出来る。
開始時の駒配置も自陣地内なら自由。盤は9×9。立体的な視点が必要らしい。
15年ほど前から世界大会が行われているが、東ゴルドー代表は未だ無敗。
現世界王者は3代目で、大会5連覇中。
145 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 03:25:17 0
146 :
世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:03:37 0
>>142 数学の統計・確率論の育ての親みたいなものだしな。
147 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 21:42:40 0
そういやイスラム圏ではゲームの類は戒律に抵触しなかったの?
賭博は「神のみが司る運命を弄ぶ行為」として禁じていたはずだし。
148 :
世界@名無史さん:2005/10/09(日) 17:17:10 0
>チェスの最強の駒は飛車と角の動きを兼ねるクイーン
フェアリーチェスや詰めチェスにはもっとすごい駒がある
飛車角プラス八方桂
不死身銀(取らず銀)や獅子なんとかも凄い
149 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 12:34:11 0
シャートレング
>147
個人の力量や能力によって勝負の決まるボードゲームの類は抵触しません。
細密画にもチェスやボードゲームを楽しむものが多く残っています。
しかし、それを賭博に利用することは『コーラン』「食卓章第90」にあるように
あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭矢、偶像と占い矢は、忌み嫌われる悪魔の業である。
これを避けなさい。恐らくあなたがたは成功するであろう。
と禁止されています。
151 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 18:20:16 0
「覆面金」も凄いぞ
どちらかの金のうらに赤で「王」て書いとく
(「玉将」「王将」は単なる駒で取ったり打ったりできる)
成るまでどっちが「本当の大将」かわからない(不成が当然だが、逃げる為成ることもある。
斜め下に動けるようになり逃げ場所ふえるから正体ばれても命が大事)
152 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 18:16:13 0
たしかカードゲームの源流もインドじゃなかったっけ。
西洋へはタロットを経由してトランプになったらしいけど。
チェスが伝播した際に駒の名称を変更したために、
兵士(バイダック、バイザク)が成って、大臣(ファイルツァーン、フィルツ)
になるのはわかるとして、ヨーロッパのチェスは、大臣を女王(クィーン)
にしたから、兵士(ポーン)が女王(クィーン)になるんですね。
154 :
世界@名無史さん:2005/11/07(月) 22:07:41 0
155 :
世界@名無史さん:2005/11/10(木) 18:16:32 0
>>153 ポーンの中に女性兵士がまぎれていたと、なぜ思わないんだ?ついでに、キングよりクイーンが強いことについても。
女性兵がクイーンに.....何故か萌えっす。
>女性兵がクイーンに
なぜか傾国という言葉が思い浮かんだ
158 :
世界@名無史さん:2005/11/22(火) 10:01:20 0
>>122 ・初形で空間がある
これ、確か東南アジアの将棋にもあったはず。
これが日本の将棋のルーツだという説もあるくらいだし
女王が強いでなぜか西太后を思い浮かべた
>>122 それがタイのマックルック(
>>80)。こんな配置で、
>>81と比較すると面白い。
┌──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┐
│▽船│▽馬│▽根│▽種│▽王│▽根│▽馬│▽船│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▽貝│▽貝│▽貝│▽貝│▽貝│▽貝│▽貝│▽貝│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲貝│▲貝│▲貝│▲貝│▲貝│▲貝│▲貝│▲貝│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲船│▲馬│▲根│▲王│▲種│▲根│▲馬│▲船│
└──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┘
【各駒の動き】
王 クン 全方向に1マス。
種 メット 斜め前後に1マス。
根 コーン 前と斜め前に1マス。
馬 マー チェスのナイトと同じ。
船 ルア チェスのルークと同じ。
貝 ビア チェスのポーンと同じ。
チェスのポーンは最初の移動のみ二歩分進めるけど
このルールは何時できたんだろ
増川宏一氏の『ものと人間の文化史 チェス』によれば、
アラブでは歩(ポーン)は、1歩だったという。しかし、
ヨーロッパにもたらされると変化をしはじめ、中世では、
『デックス・アルフォンソ』(1283年)として知られる遊戯書には、
最初は三番目の升目に行くことができるとしている。この三番目の
升目というのが現代で言うところの二歩進めると同じであるとマレー
(『チェスの歴史』)は解説している。ルネサンス期には、スペインの
チェス名人ルセナが皇太子に献上した著作に、初手で王の前のポーンを
二歩進めている動きが書かれている。執筆時期は不明であるが、皇太子は
1497年には死亡しているので、これより少し前に書かれたものと推測
される。ほかに15世紀末頃の『貴夫人のチェスの教訓』という手稿にも
初手で二歩進めている。
これらのチェスの書は、初手で王の前のポーンを二歩進めることを定跡
としていることから、ある程度広汎に知られているルールとして定着
していると考えられる。
164 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 17:55:00 0
チェスは最初から、白黒のマスだったの?
165 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 00:06:46 0
月例保守。
>>164 孫引きかつ記憶頼りですが。
もともとは将棋のような升目を地面に刻んでいたのが、
15世紀のフランスで市松模様のチェス盤が考案され広まったようです。
出典は、「シーザーの晩餐」「将棋の駒はなぜ40枚か」だったと思います。
引越しで紛失してしまったので確認できませんが…
ヴァイキング時代の遺物で、穴あきのチェス盤とかもあった。
168 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 03:46:22 O
エジプトだか西アジアだかにバックギャモンの原型みたいなのもあったな
>>135 歴史には関係ないけど、キング・ルークの両取りは普通なら「勝負あり」の大損害
>>169 将棋ならいったん敵にくれてやった後で取り返すことも出来るけど、チェスの駒は死んだらそれっきりだからね。
172 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 22:54:43 0
囲碁は中国起源らしいが。
ま、合戦系ってのが結局将棋型の事になるなら起源
が一国になるのは仕方ないけどね。
173 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 22:45:03 0
あげ
174 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 20:00:39 0
age
175 :
蟻太郎 ◆J7M7PQyXkE :2006/04/13(木) 02:11:55 0
176 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:01:03 0
囲碁は近代以前に漢字文化圏の外へ出た形跡がないね。
チェス〜将棋系に比べ、この差はなんだろう?
囲碁と将棋の起源がどちらが先かに影響するのでは?
178 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:41:06 0
チェスはアラブ商人が世界に広めた。中国は歴史的に海運力が弱く、20世紀になってから日本人が囲碁を世界に広めた。
179 :
世界@名無史さん:2006/05/06(土) 01:57:38 0
でも陸路で近隣のモンゴルや新疆へ囲碁が伝わった形跡もなさそうだね。
易、陰陽思想とセットじゃないと楽しめなかったのかな?
若干ルール教えにくいってのはあるかも。
チェッカーがドラフトや西洋碁とも呼ばれてるようだ。
欧州やトルコなど広域的に遊ばれいる。
ただ、駒が丸いのが囲碁に似てるってだけで、あとは全然別物なんだが
囲碁伝播に関しての影響あったのだろうか?
ルールの複雑さと、勝負がつくまでの手数だろうか。
hoshu
時間がかかるからギャンブルには不向き。
確かに金銭宝物を賭けるには決着への時間が掛かり過ぎる
明日の生活費を心配しなきゃならない貧民には向かないよね
何もしなくても収入がある富裕な王侯貴族向けだよなぁ
186 :
世界@名無史さん:2006/06/21(水) 01:46:54 0
一対一なので、一度に二人しか参加できないという点でも賭け向きではないな。
187 :
世界@名無史さん:2006/08/06(日) 08:59:26 0
そうか
188 :
世界@名無史さん:2006/08/06(日) 11:36:49 0
>>160 これ、大内延介九段が『将棋の世界』(角川書店)で日本将棋の元ネタでは
ないかと推測しているやつだね。
なんか日本将棋の銀将の駒の動き方と共通点があるのがあるのはこれだけらしい。
この盤の配置も小将棋と類似しているらしい。
後は「初形で空間がある」「中国将棋・朝鮮将棋と異なり
駒を升目の交差点に置かない」などの共通点があり、おそらく
海路日本へ伝来したのではないか…中国将棋・朝鮮将棋と日本将棋とは
余りにも違いすぎる、駒もルールも共通点が乏しい、だとすると元ネタは
こっちじゃないの…というのが大内氏の推測。
大内氏は世界各国の将棋型ゲームを研究しているので、この人の本を読むと
案外各国の将棋がわかるねえ。朝鮮将棋(チャンギ)が余りかの国では
いいイメージをもたれていないとか、中国将棋を台湾に指しにいったら
2500年前の駒なるものを見せられた話とか。
(大内氏も書いているが、2500年前の駒などというのは明らかに眉唾)
つ秦将棋
それ↑はなに?
泰将棋と違う別物なの?
泰将棋って大局将棋の次に超デカい将棋じゃん
余談だが将棋&チェス板の大局将棋スレはすっかりネタスレに
保守
193 :
世界@名無史さん:2006/08/28(月) 19:15:31 0
194 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 04:22:56 0
月例対局に上がりました。
羽生さんと赤松健って似てるよね
196 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 12:10:50 0
月例投了に上がりました。
197 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 12:34:57 0
月例まったを掛けました。
>>195 そういえば漏れも似てるなあと思った。
「ラブひな」の主人公にも似てるな。主人公の彼女(しのぶちゃんだっけ)と
羽生さんの奥方も似てるんじゃないかな。
彼は日本将棋と日本に於けるチェスの両方を極めてるから、
このスレ的には貴重な人材だ。
200 :
世界@名無史さん:2006/11/28(火) 22:48:08 0
200ゲット
では201をば
202 :
世界@名無史さん:2007/02/22(木) 00:39:53 0
『 チャトランガとシャトランジ』
ttp://www.ffortune.net/play/bgame/syogi2/chaturanga.htm >●将棋のルーツ
チャトランガ(Chaturanga)とはインドの古代のボードゲームで将棋やチェスのルーツと
言われています。だいたいBC2000年頃から行われていたのではないかとも言われて
いますが、最初は下記のようなレースゲームであったようです。
>4人で遊びます。各々は3個のコマを使用し、それぞれの出発点からサイコロにより駒を
進め、最終的に真ん中に到達することを目標とします。
これはウル王朝のゲームと似たパターンですが、4人で遊ぶ点が異なっています。
同じマスに駒が同居した時にどうしたのかまでは分かりませんが、このゲームを「発見」した
ユーリー・アウエルバッハは、同じマスに入った場合相手の駒はスタート地点に戻された
のではないかとしています。(「チェスはどのようにして生まれたか」)それだと完全に
双六型ゲームということになりそうです。
なんと!将棋・チェスの祖先は双六だった!
そう言われてみればチャトランガは双六型だな
チャトランガは二人制の方が先
205 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 22:07:52 0
>>202の
>ウル王朝のゲーム
とは一体いかなる遊戯なのだろう?
前後から察すると双六風のゲームなのかな。
207 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 14:56:44 0
祝二周年!
いずれ近いうちにボナンザのようなコンピュータソフトによって知的探求としての歴史が終わる。
暇つぶしとしては細々と残るだろうが。
最後の砦は囲碁だろうが、これも時間の問題かも名。
もしそうなら俺の生きてるうちにその目処ぐらいは
みておきたいものだ。
チェスにしても終わってはいないよ
はしゃいでるのは将棋・チェスにもコンピュータにも疎い連中
特にマスコミとおっぱいだけの女子アナ。
それと英語の読めない連中なwwww
終わってないというならオセロだって終わってないさ。
もちろん、そう思うのは勝手だがね。
ビリヤードは?
213 :
世界@名無史さん:2007/04/29(日) 00:02:13 0
>>209 激しく同意。
名人がコンピュータに負けたらそのゲームオワタ、という考え方は短絡的過ぎる。
人と人とが向かい合ってゲームすること自体が楽しいのであって、別にコンピュータにより解析され終わったら
ゲームが楽しくないというのは違うからなあ。
女子アナを馬鹿にするわけじゃないが、漢字も書けない人が居るらしいね。
頭がいい子の方が可愛いと思わないか?
だから趣味としてはいきるだろ。
だが、百円ショップで売られてるソフトに名人でも勝てない、となったら
もはや、プロいっても虚しい、あほらしくなるし、将棋でプロを目指そうという子も
あまりいなくなるだろうね。
将棋関係の板のコンピュータスレとか行ってみ?いろいろな意見があるが総じて
その日がきたら流行らなくなるだろうってのは一致している。
215 :
世界@名無史さん:2007/04/29(日) 21:46:53 0
「ありえない」ことではないな。プロの公式対局でもたまにある。
217 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 04:04:01 0
>>216 今は引退したが実際にこう言う相手の錯覚を利用するつもりで
わざと挙動不審な態度で相手の焦りを誘って反則を誘発させて勝ってた棋士がいたからな
女流はともかくも一昔前の男性プロなら割と有名な話
219 :
世界@名無史さん:2007/07/01(日) 03:00:01 0
>>218 既にプロ棋士が開発に携わることも珍しいことではないですし、羽生さんの対局時の目線の動きの研究なども
ありますから、そのうち名人と竜王が開発したソフトはどちらか強いか競うようになるかも知れませんね。
YSSの作者もアマ強豪ですし。
量子コンピュータが実用化されたら並列でえらく演算できるようになるから、
将棋ソフトも強くなるかもね
222 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 02:35:56 0
先手、222ゲット、十秒・・・
223 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 08:04:36 0
実際の戦争には碁の方が活用できるそうだ
224 :
世界@名無史さん:2007/10/05(金) 16:28:15 0
225 :
◆.dZGrsR71s :2007/11/06(火) 23:09:22 O
226 :
梵阿弥:2008/01/19(土) 15:45:42 0
>>60 >>80 蒙古将棋「シャタル」はむしろチェスに近い。と言うか元々統一性が乏しかったのが、
ソ連邦の影響で似せていった。その前はマックルックの様に駒の利きが弱かった様です。
>モンゴルの将棋はほぼ中国将棋と同じ
何かの間違いでしょう。蒙古にも象棋(シャンチイ=シナ将棋)愛好家が居ても可笑しくない。
因にヒャー(副官)と言う、相手の駒の利きを遮る勢力圏を持つ駒を加えたヒャーシャタルも在り
世界の将棋類の中で独自性を放っています
227 :
梵阿弥:2008/01/19(土) 18:39:04 0
>>25 >>42 ボビー・フィッシャー(ロバート・ジェームズ・フィッシャー)が亡くなりましたな
229 :
梵阿弥:2008/01/22(火) 17:37:52 0
230 :
梵阿弥:2008/01/26(土) 18:55:47 0
>>81を使わせて頂いてシャタル(ШАТАР)の駒の並び紹介
王=ノヨン(貴人):腰掛けた人
臣=ベルス(片腕):虎のような獣
象=テメ(駱駝)
馬=モリ(馬)
船=テレグ(車):荷車
歩=フー(子):犬、兎、羊等
ヒャー(ХИА)は
>>226で副官としましたが「参謀」の方が良い様で、
ノヨンとベルスを挟んで置きます。従って盤は10*10と成りフーが4個増えます
ありがとうございます。
大抵の将棋には馬がいるな
232 :
梵阿弥:2008/01/27(日) 19:23:16 0
シャタルでも本来は
>>81の様に王と臣を交差させて居ましたがチェスの影響で対面させる事も
多い様です。シャタルには強と弱と2つ在り、元は弱だったのがチェスの影響で強が生まれた
様です。さらにシャタルの駒でチェスを指す事も多い様です。
弱の方は特に統一性が無く、人毎に違う駒の動きだとのこと。可笑しな話でこれでは「対局」が
成立ちません。
具体的な動きは各自検索願います。統一性が無くて説明しづらいので。
なお、ヒャーの駒は台にあぐらのような人物の形です
233 :
梵阿弥:2008/02/02(土) 18:31:05 0
>>71 カンボジアとジャワの将棋はマックルックに近い物でしたがチェスの影響も受けているとの事。
ミャンマのシットゥインはマックルックと似てますが独特です。
越南のカートンと沖縄のシュンジィは象棋とほぼ同じだそうです
234 :
梵阿弥:2008/02/08(金) 20:45:43 0
シットゥインの駒を紹介します。今度は
>>160を使わせて貰います。
王=ミンジ:大王 全方向に1マス(大きな人物の姿)
種=シッケ:副官 斜め前後に1マス(小さな人物の姿)
根=シン :象 前と斜め前に1マス
馬=ミン :馬 チェスのナイトと同じ
船=ヤタ :戦車 チェスのルークと同じ(駕籠?の様な形)
貝=ネ :兵 チェスのポーンと同じ
詰りタイのマックルックと同じ動きです。但し自由配置なのが特徴です
235 :
梵阿弥:2008/02/12(火) 18:16:24 0
>>81 確認しておきますが、チャトランガの下段両端の駒は初めは「戦車」だったのが南インドでは「船」に
換わった物もある、と言うのが定説ですよね。
>>50でも「車」とされてますね
236 :
梵阿弥:2008/02/20(水) 19:32:34 0
>>60 「禽将棋」と言うのが在ります。7*7の盤で17駒つづで指します。駒が全て鳥の名で、
持ち駒使用可です。大橋分家の6代目の宗英名人の考案説が在りますが不明です
>>94 行軍(軍人)将棋は元はフランスのラタック(L'attaque)です。但し審判は居ません
237 :
梵阿弥:2008/02/22(金) 19:02:23 0
訂正です。
>>236で禽将棋は17駒ずつ、と書きましたが「16駒」ずつの先後計32駒でした。
象棋やチェスと同じ個数なので関係あるのか気に成ります
238 :
梵阿弥:2008/02/26(火) 19:44:43 0
・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・VVVV
vvvv・・・・
・・・・AAAA
AAAA・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
239 :
梵阿弥:2008/02/26(火) 19:59:11 0
御免なさい。変な図に成って仕舞いました。
>>234のシットゥインの初期配置です。
VとAを半角に見立てて下さい。ネ(兵)をこの位置に置きます。次に赤(先手)がAの列の
手前に他の駒を置き、後に黒(後手)がVの列の向こうに他の駒を並べます。
赤が全て置いてから黒が置く場合と、赤黒1駒づつ置く場合と在ります。
チェスでも「ビルマチェス」といって同じ様にすることも在ります。
将棋でも「衝立将棋」と言って、衝立で遮って初期配置する事も在りますが
シットウィンではこれが標準です。マックルックは序盤が冗長、と言う
評が在りますがそれを解消する優れたやり方と言えるでしょう。
「成り」等の詳細は略します
240 :
梵阿弥:2008/03/03(月) 18:29:01 0
東南アジアへの将棋の伝播はモン人が担ったのではないかと考えられています。
ミャンマではタトンに拠点が在りました。8世紀以降セイロンから海路伝えられたとされています。
そしてパガン朝のアノーヤター王が11世紀中頃にタトンを攻め落としてモンから上座部佛教や
文字体系を得たのでその頃に現ミャンマの地に伝わったと考えられています。
現タイの地にはモン人のドヴァラヴァティが在ったので、その縁でタイにも伝わったと
考えられています。スコータイ時代の駒が出土していますが、伝播は遡り得るという事です。
241 :
梵阿弥:2008/03/07(金) 20:41:26 0
>>55 象棋はシナ起源説も在りますがチャトランガの改良でしょう。駒数が32で同じです。
盤は8*8に対し9*10ですが、8*8の盤の線を使えば9*9に成る。シナでは奇数を陽、
偶数を陰とし、陽を尊びました。
そして盤を中間で裁って少し引き離せば「河界」が出来て9*10に成る。
一段目が1つ足りないので歩兵を1つ取って二個目の臣として王を挟む。9列に歩兵7個は
座りが悪いのでもう2個捕って5個として一列ごとに置く。取った2個は新駒「砲」とする。
こんな事情を想定しています。
242 :
梵阿弥:2008/03/14(金) 19:42:56 0
北宋の徽宗の時代の開封の遺跡から黄銅製の象棋の駒が出土し、現状で最古(かそれに近い)と
見られています。現行のは
将/帥、士/仕、象/相、馬/イ馬、車/俥、卒/兵、砲/炮
と黒(後手)/赤(先手)で字を変えますがその駒は左側(現行の黒)の字しか使われていません。
また文字の反対面に絵が描いてあります。車はチャトランガの戦車では無く荷車になっていて、
>>230のシャタルと共通なのは気になります。
そこでシナでは、唐代に立像型のが入って来て、その後に絵で描くようになり、更に文字で書く
様に変化したのだろうとされています。また当初は文字は先後で同じだったのが後に
使い分ける様に成った様です。
この様に、象棋が成立したのは北宋期とされています
243 :
梵阿弥:2008/03/20(木) 20:16:56 0
チャンギ(朝鮮の将棋で、漢字では日本と同じ)と象棋には幾つか相違点が在ります。
盤に河界が無い事からチャンギの方がより古い要素を残しているのでは、と言う説もあります。
しかし駒の動きは象棋の方が明らかにチャトランガに近い。更に、
・象と馬の位置を入替えて始めてよい
・兵/卒が始めから前と横に動ける(成りが無い)
と言った点は独特です。河界が無いのは風土の影響で除かれたのでしょう。
朝鮮には高麗期に伝来し、李朝期に成立したと見られています。
244 :
梵阿弥:2008/03/30(日) 18:45:36 0
象棋は日本に伝来したでしょうか。結論として、しました。岡野 伸氏によると、
遅くとも徳川 家治将軍の頃(18世紀後半)には伝わり、一部の人の間で流行ったそうです。
また享保年間に囲碁/将棋の事績調査が在り、大橋(分家) 3代宗与名人が代表し、
本朝の将棋は唐から伝わったらしいが詳しい事は判らない、
唐の将棋は駒が丸く盤の筋目に置くので本朝のと異なる、
と書くのでその頃にはある程度知られていた事に成ります。
また元禄期の『古今象棋図彙』には朝鮮将棋、大小象戯が載っています。
但し朝鮮将棋がチャンギかどうか判りません。「天竺将棋」と同類の日本製の
大型将棋かもしれません。
また岡野氏によると、「小象戯」として象棋とよく似た物が紹介されました。升目に
駒を置き、他にも多少の違いが在ります。大小象戯というのが大象戯/小象戯であれば
この時に紹介されたのでしょうか。生憎原典を見ていないので判りません。
何れにせよ日本将棋(小将棋+飛角)成立後の時期です。
245 :
梵阿弥:2008/04/17(木) 18:21:23 0
長崎歴史文化博物館で展示されている『唐人屋敷図』に、溜池の傍で唐人が象棋の対局姿が
描かれています。9*10路で河界も九宮もあり、駒が盤と同色の円なので象棋なのは明らかです。
解説では「碁」と成っていて学芸員には再考を求めます。同図は元禄期の渡辺 秀石の図を元に
18世紀中頃に書かれたとされています。
同じ構図で『長崎図屏風』(個人蔵)、『唐館図』(善養寺)の両図が在り、『唐人屋敷図』より
古いが秀石の原図でも無さそうだ、とされています。両図は図版で見ただけなので小さくて
判り難いですが、盤は7*7位、駒は円く、黒白斑な感じです。これも解説は「碁?」です。
こちらは碁を描いて、見易い様に路を減らしたのかもしれません。それとも象棋を
描こうとして不正確に成ったのかもしれません。
これらの画もまた、18世紀中頃に日本で象棋が馴染まれ始めたという傍証に
成るのではないでしょうか。
246 :
梵阿弥:2008/04/27(日) 18:11:17 0
先日、関西大学出版部刊の『長崎唐館図集成』を見ました。上で書いた他にも多くの図を載せます。
見比べると明らかな象棋の図、碁の図、曖昧な図、と様々です。
『和漢三才図会』に「象戯」が載っています。盤は9*10ですが河界/九宮が無く、駒の数、種類は正しいが
配置が間違っています。同書は正徳年間頃(18世紀始め)の刊行らしい。著者は大坂の医者です。
これもまた象棋の日本社会での浸透時期を考える手掛りの1つと言えるでしょう
247 :
梵阿弥:2008/05/14(水) 14:10:35 0
明和年間には『金鵬秘訣』『白溝戯和解』という棋書が出ています。需要があったのでしょう。
一方で1894年に「川中嶋将棋」が発表されました。川中嶋合戦に似せた新しき将棋、等と歌って
いますがシャンチィを升目に置いた物です。駒が将=将軍、士=近衛、象=士官、馬=軍曹、車=騎兵、
砲=砲兵、卒=歩兵と成っていて、明治の軍制にあわせてあります。これでどうして「川中嶋」
なのか不思議ですが。河があるので「鞭声粛々…」を連想するという事かも知れませんが
無理があります。
時期から見て日清戦争に関わりが在りそうです。また、シャンチィが広まっていればこんな物を
「新発明」として世に出す事も無いでしょう。18世紀後半以降はシャンチィが衰退して行ったと
いう事ではないでしょうか。阿片戦争や黒船、明治維新によって日本に於ける「中華」の輝きも
褪せてきましたからね
248 :
梵阿弥:2008/05/29(木) 19:42:34 0
以上、シャンチィが日本で普及したのは18世紀中頃であり、それ以前は知られていなかった様です。
しかし全く伝播しなかった筈はありません。
博多には平安後期以後「唐房」が在りました。聖福寺は「宋人百堂」の地に建てられ、承天寺の壇越は
綱首の謝、張といった諸氏でした。元代にも交易は続きました。
肥前の松浦党は時期によっては倭寇そのものです。彼らは無国籍な存在であり、文化交流も
行われた事でしょう。
禅僧の策彦良周は渡明し碁を打っています。向こうで覚えて持ち帰る可能性も在ります。
細々と入ってきても、日本将棋に勝てずに普及しなかったのでしょう。今のところ日本でシャンチィの
盤駒の出土報告は在りません。しかし今後必ずや出るでしょう。既に出ているかも知れません。
知識が無くて「用途不明」とされているかもしれません。各地の資料を見る時に気をつけてみて
下さい。遊戯史の充実に貢献出来るかもしれません。ご活躍を期待しております
249 :
梵阿弥:2008/06/21(土) 17:27:29 0
策彦「周良」でしたね。御粗末でした。彼は初度明で范大人の宴で碁を打っていて、相手は明人では
ないかと言われています。また琉球長吏の河上会と「棊酒の盟」を成しました。
あくまで碁を打ったのであり、シャンチーを指した記録は在りません。しかし総員で450人程が2年位
滞在したので、中には向うで指して覚えて帰った者も居たかも知れません。策彦はもう一度度明
してますし、他にも行き来した者は幾らでも居ますから。
なお、「棊」という字は形声文字で、「其」が音、「木」が意味で、「キ」という名の木で出来た遊び、
と言った意味なので、一応碁と将棋類双方を含みます
250 :
梵阿弥:2008/07/14(月) 18:39:44 0
5月5日に世界コンピュータ将棋選手権が行われました。決勝は8ソフトの総当りで、6勝1敗が2つでした。
同星の時は負かした相手の勝星の多いほうが上位、と言う規定により優勝が決まりました。
結果として直接対決に買った方が優勝ですっきり、と思いきや、実はこの時は2位となった方が
終盤で必勝形でした。しかしこのソフトの宿る電脳よりホスト電脳のほうが持ち時間が減っていて、
時間切れで負けてしまいました。これが無ければ全勝優勝でした。
ここもその内に打切られそうでやですね。
恒例の余興として1、2位のソフトと二人のアマ名人が対局し、電脳の2勝でした。1970年代の
開発開始以来ついにアマ強豪を上回る所まで来た様です
251 :
梵阿弥:2008/07/28(月) 20:12:09 0
13世紀の南宋末期の沈船が泉州で引揚げられました。シャンチーの駒が多数出たそうです。
韓民国の新安の沈船は、1323年に慶元府(明州/寧波)から博多への途中で沈みました。東福寺船の性格を持って
いました。日用品等から、日/シナ/高麗の水夫が乗り合わせていた事が判ります。
日本の将棋の駒が2枚出たのが注目されます。1枚は字が消えてましたがもう1枚は「桂馬」でした。
船乗りが船中で各地の将棋を持ち寄り教え合っていたかも知れません
252 :
梵阿弥:2008/08/14(木) 19:11:28 0
ついに最後尾ですね。
『日本将棋集成』 著:窪寺 紘一 に拠ると、
新安の沈船から「桂馬の駒が出た」との事です。
上で2枚出たと書いたのは、
『中世都市・博多を掘る』に、博多で13世紀の駒が2枚出て、
1枚は字が消えてましたがもう1枚は「玉将」、と在ったのと混同したようです。御詫びします。
猶、『将棋の来た道』 著:大内 延介 の小学館文庫版では新安の沈船から12枚の駒が出たと在ります
テスト
テスト
255 :
梵阿弥:2008/08/30(土) 18:56:49 0
近頃話題のチベットですが、ものと人間の文化史23-1 『将棋T』 著:増川 宏一 刊:法政大学出版局
に拠れば、チベットの将棋はミグ・マンスと呼び、1775年に伝導したハイスティングによると
チェスとほぼ同じだそうです。その後のジェスイット派のフック神父の見聞では、駒は象牙製で
様々な動物の形の彫刻で、チェスとほぼ同じだそうです。
ジェスイット派とはイエズス会でしょうね。
しかし岡野 伸氏に拠れば名はチャンドラキだそうです。
ミグ・マンスは『将棋T』では「升目の多い盤」の意味だという事なので、
「何と言う遊びか」と尋ねたら、聞かれた方が「盤」の意味だと思って答えてしまった、という可能性は
無いでしょうか。
何れにせよ、チェスに似ているからには8*8盤でしょうね。岡野氏は蒙古のシャタルとの関連を
想定しています
256 :
世界@名無史さん:2008/09/16(火) 22:58:27 0
チェスと同じように、将棋でコンピュータが人間のチャンピオンを負かすまで
あと何年だろう
257 :
梵阿弥:2008/09/29(月) 20:00:57 0
1959年にシッキム王国の大使が来日し、持参した碁具を使い4月2日に日本棋院の伊豫本 桃市6段と
対局しました。盤は布製17路(17*17、日本等は19路)、星(花点)が三々から3線上に4路おきに計12、
及び中央に1。3線上の星に白黒交互に6個づつ置き、白から初手で始めます。「石」は竹製でした。
朝鮮では百年前まで、8個ずつ置いて始める巡将碁(スンジャンパドック)だったので似てますね。
また、石を取られて空いた点には、直後の手では打てません。故に「打って返し」「中手」は上手くいきません。
「劫立て」の様に他所に打つ必要が在ります。
「客」の顔を立てて伊豫本が白(先手)を持ちました。その場で教わったといえやはりプロは強く、「時間切れ」
として打掛け(中断)としましたが白の勝は明らかで、再開されませんでした
258 :
梵阿弥:2008/09/29(月) 20:19:36 0
太子(上の「大使」は誤り)は碁をチベットのダライ・ラマ14世に教わりました。シッキムはチベット文化圏で、
「シッキム碁」はチベット式の碁です。シナの碁も漢代は17路で、隋代までに19路と変りました。
一応碁のインドやチベット起源の説も在ります。
丁度前月にダライ・ラマ14世がインドに亡命しているので、「西側」の日本でチベットに関心を向けようという
意図で実現した対局かも知れませんね。
シッキムは1950年にインドの保護国となり、75年に併合されて「州」と成りました。その間の時期ですね。
伊豫(予)本も面白い人で、有名な呉 清源氏の弟弟子に当ります。呉氏を通じて大陸への関心が在ったかも。
また、対局場となった日本棋院中央会館(現八重洲囲碁センター)の設立に尽力しましたが、運営が独善的と
65年に解任され訴訟沙汰となりました。
これは囲碁と世界史事件_のほんの一例です
259 :
梵阿弥:2008/10/20(月) 18:56:07 0
『近代将棋』という雑誌が6月号を以って休刊しました。殆んど手に取った事も在りませんでしたが、
図書館に1年分在ったので眺めてきました。
5月号の事典で、3/26に出る筈が遅れて4月に成った様です。性欲物書きの団 鬼六氏の連載他、纏めると
赤字の累積で稿料が遅れて未払いとなり、経営元のナイタイ社の圓山オーナーに抗議が在りました。
圓山氏は以後、無償で書かせろと指示、それは無理だと編集長は平の編集員に降り、変った白岩氏は
編集経験は乏しかったとの事。この時点で投げてますね。
これが印刷会社に知れて取引を拒まれ、他の印刷所確保で遅れたそうです。
新編集長となった6月号は「新連載」が6本も在ります。しかし1号で終わってしまいました
260 :
梵阿弥:2008/10/20(月) 19:08:41 0
2007年12月号では「新宿将棋センター」に近代将棋が経営参画、とあり、主催棋戦の告知や結果が載るように
なります。団氏に拠れば、将棋道場の衰退が酷いので、ここも近代将棋を通じてナイタイ社の庇護を受ける事に
成ったと言う事だそうです。ナイタイ社は風俗産業を手広く手がけていて、団氏といい、何故将棋と関るのか
不思議に思う人も居るかもしれません。しかし、将棋は賭けと深く関ってきました。非合法との境目に
生きる人々が集まる性格が在った訳です。しかし「真剣士」と呼ばれた賭け将棋の大物も大分減ったようです
261 :
梵阿弥:2008/11/12(水) 19:11:06 0
福岡市博物館に行ってきました。
>>251,
>>252の新安沈船の駒の複製が展示してました。
歩兵*3、香車*3、桂馬*3、金将*2、王(玉)将*1、「へ」というか、金の傘の様なのが1枚の計12枚でした。
当時は玉が普通なので、点が擦れて消えかけかも知れません。
「へ」は書きかけでしょうか。裏も見たかったんですが。
映像ブースでは引揚げ場面を見る事が出来ます。
猶、将棋とは別物ですが、幕末の西洋兵術習得用の兵棋用駒も展示してます。
積木様で、凸みたいな模様が在ります
262 :
梵阿弥:2008/12/19(金) 17:51:32 0
6月終った名人戦で挑戦者の羽生善治9段が勝って復位、通産5期となり「永世名人」
の資格を得ました。19世です。振返ってみましょう。
初代宗桂(大橋本家、慶長頃?)/宗古(本家2代)/初代宗看(伊藤家)/5代宗桂(本)/
2代宗印(伊)/3代宗与(大橋分家)/3代宗看(伊)/(空位)
9代宗桂(本)/宗英(分家6代)/(空位)
6代宗看(伊)/(空位、幕府消滅)
伊藤 8代宗印/(空位)
小野 五平/(短期の空位)
関根 金次郎(名人位を連盟に譲り引退、「名人戦」選手権発足)
木村 義雄/大山 康治/中原 誠/
(以後有資格者)谷川 浩司/森内 俊之/羽生 善治
有資格者は原則として引退後に名乗ります。
263 :
梵阿弥:2009/01/19(月) 19:43:15 0
国策放送局の将棋講座テキストの1月号を手にとって見たら、
1月は森下 卓九段による「横歩取り」でした。
大橋 柳雪の棋書にも載っている、と書いて在りました。
横歩取りの最古の棋譜は、
1778(安永7)年の(先手)伊藤 宗印(5代)―大橋 印寿(本家9代、後に宗桂と改号)
で、先手の宗印が横歩を取りました。
柳雪も、1824(文政7)年に横歩を取っています。当時は柳雪でなく、英俊という号でした。
柳雪の棋書に載っている、と言うのは本当かも知れません。しかし、柳雪が生れるより前に
指されているからにはこちらを紹介するのが親切です。
放送で森下氏はは単に、「江戸時代から」と語ってました。してみると、テキストを別人が書いたでしょうか。
森下氏の真面目さは有名です。幽霊筆者に任せすぎでしたかね
264 :
梵阿弥:2009/02/19(木) 17:51:42 0
日曜10時からの将棋講座は2月も横歩取りです。気に成ったんで見てみました。
1/8/15日の三回に亘り、先手が横歩を取った時の後手の
「3三角」は大橋 柳雪が始めた、といった事を講師の森下 卓9段が語ってました。
誤りです。上の1778(安永7)年の出だしを載せます。
先手7六歩、後手3四歩/2六歩、8四歩/2五歩、8五歩/7八金、3二金/2四歩、同歩/
同飛、8六歩/同歩、同飛/3四飛、3三角/3六飛、8四飛…以下119手迄先手勝
御覧の様に脇目も振らぬ典型的な横歩取りです。従って、
初めて横歩を取ったのは伊藤 5代宗印
初めて3三角で応じたのは大橋(本家) 9代宗桂名人(当時の号は印寿)
です。勿論現存の棋譜によれば、の話です。
柳雪は立派な将棋指しですが、間違いは間違い。森下氏自身が知らなかったんでしょう。
上で幽霊筆者に濡衣を着せてしまった様ですね。お詫びします。
265 :
世界@名無史さん:2009/03/09(月) 05:27:14 0
保守
266 :
梵阿弥:2009/03/19(木) 18:32:47 0
2月22日の放送は変でしたね。講師の森下氏も聞き手の熊倉 紫野女流1級も表情が硬かった。
横歩取り山崎流という事で山崎7段のイケメン話や、来月からの相懸りの話で時間潰してた感じ。
しかも度々礼賛してた大橋 柳雪の名を一度も出さず、単に最後に、
昔の人の積重ねの上に今の定石がある、とぼかして締め括ってました。
>>264を読んで急いで撮直したんじゃないでしょうか。矢鱈と黒っぽい姿だったのも、
畏まった姿勢を表したかったのかも。初めて将棋板を覗いたら「喪服だ」と話題でした。
そうかも知れませんが、柳雪の名を出さなかったのは奇異です。
ああいう講座というのはあくまで手の意味を解説して強くなって貰おうというのが第一で、
歴史的正確さは二の次に成るのは止むを得ない。特に放送は時間も限られてますし。
その分テキストで補足すれば良いんですが、>264のは出て無くて残念です。
あの対局は横歩取り第一号(現存で)と言うだけでなく、好手連発の名局です。あれを紹介したく、
森下氏達の言葉尻を捕らえるような事に成ってしまいましたが、これも将棋史への関心故の事、
ご理解頂きたいですね。
267 :
梵阿弥:2009/04/16(木) 18:02:16 0
>>256 もう1年近くなりますが、コンピュータ将棋選手権の余興の後、森下 卓九段が語ってました。
16年前に大会が始まった頃は初心者並だったが、あと16年経てばトッププロ最大の敵は電脳だろう
そして、
電脳相手には「雁木」等の訳の判らない戦形が良いかも知れないが、それをやると
人相手に勝てなくなってしまう
との事でした。確かに定跡化されて無い戦形だと、電脳も「自分で考える」必要が在る。
また、どうしても数値化しやすい「駒得」を重視するから、駒の当たりにくい戦形が良さそう。
16年は少し長い気もしますが、プロとしての矜持も在るでしょう。
ちょうど3月までの森下氏の講座の疑問点を書いてたから間が悪いですが、
電脳の棋力の判定と江戸期の棋譜の知識は直に関係ない
268 :
梵阿弥:2009/04/16(木) 18:20:15 0
尚、昨年11月に、5月の余興の再戦が行われました。実は加藤・朝日アマ名人はその間の防衛線で
負越して失冠してましたが登場しました。「再戦」を重視した企画だったんでしょう。
再戦にあたり加藤氏は「角交換、及び駒が当らず自陣整備合戦」の2点を電脳の苦手と分析。
もう1人の、全日本アマ名人の清水氏も似たような感触でした。
再戦の結果は、加藤・前朝日アマ名人は勝ち、清水・全日本アマ名人は負けでした。
興味深いのは、加藤氏は先手で、清水氏は後手だった事です。苦手を突こうにも後手では難しい、
という事でしょう。また、将棋は先手の勝率が52%位で少し有利です。
という訳で、今まさに電脳とアマ頂点が互角といえます。
今後も暫くこんな感じでしょう。人も電脳に学びます。将来はプロ頂点に並ぶ日も来るでしょう。
しかしプロも当然電脳に学ぶ。学んでも追い付けないほど引離す日が来るかどうか、楽しみです。
きっとその日は来ます。何時かは判りませんが
>>267 確かにコンピュータ将棋って定跡通りに指す相手には強いが
つまらない嵌め手に絵に描いたようにひっかかることがあるよな。
それも学習能力のないソフトだと同じ手に何度でも引っかかる。
270 :
梵阿弥:2009/05/14(木) 15:15:32 0
北京五輪の影響か、多田等観の『チベット』が復刊されました。まだ置いてる店も在りますね。
164ページに、
ダライ・ラマ13世は蒙古将棋を好む
と在ります。
>>255で紹介した様に、チベット将棋チャンドラキは蒙古将棋シャタルに似ていると
岡野氏が書いているのを思い出します。
とはいえ、なぜ多田は「蒙古将棋」と書いたんでしょうか。蒙古将棋を知る機会が在ったのか。
或いはチベットでも「蒙古将棋」と呼ぶことが在るのか。
多田も相手をしたことが在ったかも知れませんね。持帰った資料は花巻市博物館に収められてます。
その中にひょっとするとチベット将棋チャンドラキ(ミグ・マンス)が在るかも知れません。
シャタルを知る人による調査を期待します。
尚、以前長崎に行った時に、「東山手洋風住宅群」の1棟を「地球館」という国際交流施設にしていて、
その2階にシャタルらしき物を置いて在りました。将棋・チェスクラブや教室も在る様です。
中にはシャタルを指せる人も居るかも知れません
271 :
梵阿弥:2009/05/14(木) 15:25:43 0
久し振りに世界史的に文句出無さそうな事書けて気分がよい、と思ったら訂正。
>>267で、森下氏の言葉として「16年」と書きましたが、第1回は1990年で、
発言は2008年だから「18年」でしょう。1年近くなんで私が記憶違いしたようです。
また、
>>268の「清水氏」は「清水上氏」の誤りでした。
森下/清水上両氏と読者の皆さんに御詫びします
でもチェスは事実上、そしてまだまだとか言っていた将棋ですら、現実には最近は超一級の
プロ以外は勝てなくなりつつあるという。
一度でも名人級が負けたら終わり、という意味ならあと数年だろうな。
273 :
梵阿弥:2009/06/05(金) 14:35:07 0
<ミャンマ将棋シットウィン(古名シビィイン/シベイン)>
\□□□□□□/
□\□□□□/□
□□\□▼▼▼▼
▼▼▼▼/□□□
□□□/△△△△
△△△△副象馬□
□/象□馬王\□
/車□車□□□\
ミンジー(大王):縦横斜1升(玉将と同)
シッケ(副官) :斜1升
シン(象) :前と斜1升(銀将と同)
ミン(馬) :八方桂
ヤター(戦車) :縦横自由(飛車と同)
△ネ(兵) :前1升、駒を取るのは斜1つ前
ヤターは最下段、他の駒はネ△の列の手前に「自由配置」
図は配置の一例、色は白では無く赤(先手)、と黒
274 :
梵阿弥:2009/06/05(金) 14:38:16 0
>>234,
>>238のシットウィンの配置の書直しです。ユニコードにチェスの駒含まれてますが、
出無いかも知れないからこの様に描きました。対角線は何かと言うと、
シッケが取られると敵陣の対角線上に居るネ△が昇格出来ます。
その升かその斜隣に置ける。また自陣(軍?)のネ△が1個に減ったらどこに居ても昇格
出来ます。但し斜め隣に敵駒が居る位置では昇格出来ません。尚シッケは2個以上
にはなりません。他に「成り」制度は在りません。また、初手はネ△を動かします。
\□□□□□□/ 例えばネ△がこの升に居る時は
□\□□□□/□ 一手使って、その位置か
□□\●□●□□ ●の升に移動してシッケに昇格出来る
敵陣□\△□□□
自陣□●\●□□
□□/□□\□□
□/□□□□\□
/□□□□□□\ 以上、岡野 伸氏の『世界の主な将棋』に拠ります
275 :
梵阿弥:2009/06/05(金) 18:18:25 0
>>269 嵌め手も定石からの変化手順として教えてしまえば良いんですけどね。記憶容量と検索力を要しますが、
電脳の特質を思えば手を読んで「嵌る」のに気付いて別の手を選ぶ様にするよりよほど易しい。
人でも嵌め手はある程度暗記しますしね
>>272 実は前回優勝の「激指」と稲葉 聡アマが3月に対局し、稲葉氏の勝ちでした。昨年度の
成績は電脳から見て5月に2勝、11月に1勝1敗、3月に1敗で、寧ろ悪くなっていた。
今までは持ち時間が15分位が多くて、駒を手に取り置く分でも人が不利でしたが、
時間が長ければ人も落着いて出来ますね。稲葉氏は県代表級ですから。
昨年11月の再選の後で、開発者(激指と2位の「棚瀬将棋」どちらか忘れた)は、
2年後には羽生名人にも勝てる、と語ったそうです。幾らなんでもそれは早い。
未だに撹乱に弱そうだし。しかし10年経てば分りませんね
276 :
梵阿弥:2009/07/14(火) 16:02:44 0
>>228 <蒙古将棋シャタル(Шатар/沙特拉)>
車馬駱虎貴駱馬車 ノヨン(貴族):縦横斜1升(玉将と同)、「裸玉」は引分
▼▼▼▼▼▼▼▼ ベルス :弱=縦横自由と斜1升(竜王と同)
□□□□□□□□ (右腕=虎) :強=縦横斜自由(チェスの女王と同)
□□□□□□□□ テメ(駱駝) :弱=斜1〜3升
□□□□□□□□ 強=斜自由(角行と同)
□□□□□□□□ モリ(馬) :八方桂(チェスの騎士と同)、ノヨンを詰める事は不可
△△△△△△△△ テレグ(牛車):縦横自由(飛車と同)
車馬駱貴虎駱馬車 △フー(息子):前1升、駒を取るのは斜1つ前、敵陣最奥でベルスに昇格
地域によって差があるので代表的なものです。
また、チェス式にノヨンを同じ筋に向い合せて置く例も増えてます
277 :
梵阿弥:2009/07/14(火) 16:03:57 0
講談社学術文庫から多田 等観の『チベット滞在記』が出ましたね。
これにもダライ・ラマ13世は「蒙古将棋」を好んだと在ります。
駒の動きは日本の将棋と同じ、なんて書いてますが、チェスを知らなかったんでしょう。
知ってれば当然、将棋よりチェスに近い、と書いた筈です。
王(玉)は鏡、飛車は兵隊の形、なんて書いてます。「鏡」とは将棋類でも他に見ない。
また、蒙古のシャタルでは、飛車の動きの駒テレグは荷車の形が多い。
貴重な報告と言えるでしょう。
14世は指せるんですかね。指せそうなもんです。何せ先代の「転生者」だから
278 :
梵阿弥:2009/08/03(月) 14:10:36 0
<シャタルの改良版、ヒャーシャタル(Хиашатар)>
車馬駱参虎貴参駱馬車 ノヨン(貴族):縦横斜1升(玉将と同)
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ ベルス :縦横斜自由(チェスの女王と同)
■□■□■□■□■□ (右腕=虎)
□■□■□■□■□■ ヒャー(参謀):縦横斜2升、勢力圏を持つ、王手出来ない
■□■□■□■□■□ テメ(駱駝) :斜自由(角行と同)
□■□■□■□■□■ モリ(馬) :八方桂(チェスの騎士と同)
■□■□■□■□■□ テレグ(牛車):縦横自由(飛車と同)
□■□■□■□■□■ △フー(息子):前1升、駒を取るのは斜1つ前、初手は前1〜3升、
△△△△△△△△△△ ▼ 敵陣最奥でベルスに昇格
車馬駱参貴虎参駱馬車
279 :
梵阿弥:2009/08/03(月) 14:14:08 0
□★□□□ ◎=ヒャー(参謀)の勢力圏、
□◎◎◎□ そこは敵味方問わず1升づつしか進めない
□◎参◎□
□◎◎◎□ 車=テレグが★の位置に行くには、
□車□□□ ヒャーが敵味方どちらであれ4手掛る
モリ(馬)はどうなるんですかね。「跳ねる」駒だから
ヒャーの影響受けないんじゃないでしょうか。馬が活躍するのは蒙古らしい。
世界的に稀な「勢力圏」の概念を持つ独特なヒャーシャタルですが、
500年以上の歴史があると言われてます。
猶、盤が広くて寂しいのでチェス風に市松模様にしました。実際在ります。
シャタル/ヒャーシャタルも岡野氏の『世界の主な将棋』に拠ります。深く感謝します
280 :
梵阿弥:2009/08/21(金) 15:07:43 0
5月30日の囲碁将棋ジャーナルで5月のコンピュータ将棋選手権を取上げてました。
優勝した「GPS」は奨励会(プロ養成機関)3段並だと勝又 清和6段が語ってました。
アマの3段とは全く違います。確かに紹介された場面の解説を聞くと物凄く強い。
とはいえ特に出来の良いのを選んだんでしょう。そしてあくまで電脳同士の対局であり、
人が撹乱してきたらどうなるか。しかし今回は恒例の余興の対人戦が無くて残念。
前回準優勝(激指と同星)の「棚瀬将棋」は開発者の都合の不出場でこれも残念。
猶、有名な「ボナンザ」の革新性について、勝又氏は「全手検索」には一言も触れず、
「機械学習」を強調してました。棋譜を入力すると電脳自身が局面評価法を改善します。
但し、評価項目自体は人が設定します。電脳は項目の点数を加減するという事です。
以前は指させてみて開発者自身が点数を加減してました。
しかし項目数が増えてくると自動化したく成る。
今大会では決勝総当りの8ソフトの内6ソフトが「機械学習」でした
281 :
梵阿弥:2009/08/21(金) 15:09:17 0
また、「文殊」というソフトはボナンザを6台繋げて合議するそうです。
乱数を組合わせてあるので、或る程度手がばらつきます。人でも話し合うと
強いですが、「没個性」に成らないでしょうか。勝又氏も「妙手を見逃すかも」と語ってました。
ボナンザのプラグラムが公開されてるからこその「作品」ですね。ボナンザの開発者の保木氏は
普段は外国で分子の研究をされてますし、朝鮮共和国のKCCも活躍しました。
人の世界よりも国際化されてますね。「情報化」の効用でしょう。
GPSについては、駒の働きや効率を重視してると勝又氏が褒めてました。
人(プロ)に近づいていると。特に寄せへの構想が良い。
「終盤は駒得より速度」
とは4百年前に大橋 初代宗桂の残した訓戒ですが、きちんと消化してる様です。
開発元では普段から24時間状態で電網を通じて電脳同士の対局を重ねていて、
改善点を焙り出してるそうです。電脳は文字通り「寝食を忘れて」やりますからね。
そのうち「評価項目」自体も局後検討で自力で生み出せると楽しいんですが。
これが出来ると本当に人の手を借りずに経験で勝手に強く成る。「自己学習」と呼べる。
人工知能への一里塚と成る事でしょう
282 :
世界@名無史さん:2009/09/06(日) 15:11:06 0
チェス・チャンピオンに余裕で勝てるスーパー・コンピュータまだ?
283 :
梵阿弥:2009/09/16(水) 13:53:16 0
アラブ将棋シャトランジ
♖♘♗♔♕♗♘♖ ♚シャー(王) :縦横斜1升
♙♙♙♙♙♙♙♙ ♛フィルツェーン/
☐☐☐☐☐☐☐☐ ワジール(将軍) :斜1升
☐☐☐☐☐☐☐☐ ♝フィール(象) :斜2升
☐☐☐☐☐☐☐☐ ♞ファラス(馬) :8方桂
☐☐☐☐☐☐☐☐ ♜ルク(戦車) :縦横自由
♟♟♟♟♟♟♟♟ ♟バイダク(兵) :前1升、取る時は斜1つ前
♜♞♝♚♛♝♞♜ 敵陣最奥段でフィルツェーンに昇格
ユニコードのチェス駒を使いました。出ない時はフォントも変えてみて下さい
284 :
梵阿弥:2009/09/16(水) 13:57:11 0
・シャー1枚になったら負。ただし次の手で相手もシャー1枚に出来れば引分
・動ける駒が無くなったら(スティルメイト)、 シャーと、相手の駒の利きになってない
自軍の駒の位置とをを入れ替えてよい。これを1手と見做す。それが出来ない時は負
インドで生まれたチャトランガは6世紀頃にイランに伝わりました。
駒は素朴な形ですが、イスラムの影響で抽象的に成ったらしい。
更に西に伝わりチェスとなります。
駒の利きが弱く、象を除けばタイのマックルック
>>160と良く似てます。
従ってチャトランガからあまり変化して居ないまま、だと言えるでしょう。
但し、王/将は対面式で、チェスと共通しています。白黒どちらが先手か、等は存じません。
今ではシャトランジは殆ど指されず、この盤駒を使ってチェスを指すのが専らだそうです。
また、ルクは「塔」で表す場合も在り、チェスの「城」の原型に成ったのはこの方ですね。
よかった。表示されてる
285 :
梵阿弥:2009/09/16(水) 13:59:07 0
インドのシャトランジ:
>>282の図を参照
♚ラジャ(王) :縦横斜1升、1度だけ8方桂も可、是1枚に成ったら引分
♛ワジール/
マントリー(将軍):縦横斜自由
♝フィール(象)/
ウーント(駱駝) :斜2升
♞ゴーラー(馬) :8方桂
♜ルク(方向)/
ハーティー(象) :縦横自由
♟バイダルセーナー:前1升、取る時は斜1つ前
(兵) 敵陣最奥段でその筋の駒(例えば端ならルク)に昇格
ラジャの筋の時はワジールに成る
猶、王/将はアラブと異なり、
>>160のマックルック等と同じく交差式に置きます。♔♕
ただし、マックルックでは王が左ですね。チャトランガもそうだったらしい。 ♛♚
何時の間に入れ替わったんでしょうか
286 :
梵阿弥:2009/09/16(水) 14:03:19 0
ありゃ、ずれちゃった。下段のを右に寄せて観て下さい。図も
>>283です。
現代インドではチャトランガで無くシャトランジと呼びます。
駒の名を見ても「方向」とは如何にも不自然。ルクの名をアラブから仕入れて、
無理やり意味を捻り出した様に感じますがどうでしょうか。
将の駒の利きはチェスの女王と同じです。チェスの影響かも知れません。
という訳で、発祥の地の割に、他地域からの影響を感じます。
今指せる人はとても少ないらしい。仮に駒を持っていても、
ここでも矢張り、シャトランジの駒でチェスを指す方が多そうです。
大内 延介『将棋の来た道』では辛うじてシャトランジを指せる人を見付けて対局してましたが、
お年寄りでした。後継者が居るのかどうか。チェスの方が世界的に活躍出来ますし。
また、大型のアトランジも在り、12*12盤を使います。駒は白黒24づつ。
更に大型の14*14盤のアトランジ(28駒)も在ります。
しかしこれらは盤の奥行きに比べて駒が2列ずつしか無いから広すぎでしょう。
駒も、象/戦車を増やしただけの様で発想が安直な感じです。
果たして如何ほど指されたやら、疑問に感じます。
今回も主に岡野氏の『世界の主な将棋』を参考にしました。感謝。
発行元を紹介したいんですが、彼の住所らしい。安易にこういう場に載せるのは憚られます
世界の将棋の今こうして見てるんだけど
頭がshやchで始まる言い方ってのも何かしらの共通点が有るのかなって思ったりする
各地に広まってローカル化するに当たってもそこら辺の語感とかは言語体系越えて語り継がれたのかなぁって
289 :
梵阿弥:2009/12/16(水) 14:41:13 0
宮崎県の出版社の鉱脈社から刊行された『都城唐人町』に拠れば
日向国都城の旧「唐人町」からシャンチーの駒が出ました。白磁製の「兵」です。
今の「中町」です。"中"国を意識した町名なんでしょうか。
立読みなので詳しくご紹介出来ませんが、寛永頃に来日した明人の
何 欽吉の一行が持込んだか、と在ります。彼等は大隅国内之浦から都城に至りました。
都城というと内陸の印象が在るかも知れませんが、志布志湾なら近い。
この辺りは元々倭寇の基地だった所で、大陸への窓口でした。
「薩南学派」で知られる様に禅宗/朱子学も盛んでした。
但し、都城辺りの日本人にシャンチーが広まった、という形跡は在りません。
あくまで「唐人」に限られた遊びだった様です。
実は、シャンチーの「砲/炮」の駒の位置と、将棋の飛車/角行の位置が似てるので、
小将棋に飛角を加える最にシャンチーを参考にしたかも知れない、とも思うんですが
天正期には既に日本将棋が完成しているので、この想定の根拠としては使えません。
もっと古い時期のシャンチー伝播の証拠が出ないと駄目ですね。
とはいえ
>>248で、シャンチーの伝播の証拠は今後必ず出るだろう、と書いたのが叶いました。
尤も、私が知らなかっただけで、既に出土してたかも知れませんが。
他に、那覇市の首里でも磁製のシャンチー駒が出てるそうです。
しかし琉球では明治になるまで将棋類といえばシャンチー(琉語でシ(チ)ュンジー)でしたから
出るのも当り前といえば当り前ですが。
猶、同書では都城の媽祖信仰も取上げてます。
石敢当もそうですが、九州南部とシナの民俗の近さを改めて感じます。
島津領は日本の他家に対して閉鎖的でしたが、琉球等を通じて大陸に窓を開いていました
291 :
梵阿弥:2010/01/27(水) 15:55:07 0
【ラオス将棋マックフク】
お馴染の岡野 伸氏が大谷 恵洋氏と共著で『タイの将棋』を出しています。
現地情報は大谷氏の執筆で、
ラオスでは「マックフク」の名で、タイのマックルック(หมากรุก)とほぼ同じ、と在ります。
そして黒田 実氏の、
シャム(タイ)語のR音はラオ/イサーン語ではH音に変るし、マックフクとマックルックには
ローカルルール程度の違いしか無いだろう、との言葉を紹介しています。
このサイトの文の3番と、ほぼ同じです。
www.geocities.jp/sukhumvit_yiipun/makfukei.htm
ラオ語とタイ語は共通性が高いんですよね。
そして18世紀には現ラオスの辺りはタイの支配下に置かれていたが
フランス領と成った部分が後にラオスとして独立した。
現タイ国の北東部イサーンの住民は、ラオ人と言って良い。
将棋類がほぼ同じなのも、この2国の文化的な絆を表していると言えるでしょう。
最後に、岡野氏の著作を載せるサイトを御紹介します。
www18.ocn.ne.jp/~qw1590/sub3.html
292 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 15:24:51 0
保守
293 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 15:05:42 0
DSソフトの「世界の将棋」(2007)がおすすめ。
チェス、将棋、シャンチー(中国)、チャンギ(朝鮮)、マックルック(タイ)は実際にプレーできるし、それぞれに詰め将棋もある。
また、世界の将棋の資料で、21種類の「将棋」が紹介されている。モンゴル将棋も2種あり、ルールがきちんとわかる。
中将棋はないのか。まあDSの画面では無理かw
295 :
世界@名無史さん:2010/05/14(金) 22:39:30 0
296 :
梵阿弥:2010/05/19(水) 14:38:53 0
>>272 2006年に、カスパロフ氏が後継者としたクラムニク氏と、パソコンのディープ・フリッツが対戦し
電脳の2勝4分だったそうですね。
>>275を書いた時は知りませんでした。
棋譜や解説を見ていませんが、第2局でクラムニクが酷い手を指して負けた様です。
最終局で負けたのは、負越しを避けて無理して勝とうとしたんでしょうか。
当時のクラムニクは人の世界で必ずしも絶対的な覇者では無く、また若かった為も在るでしょう。
とはいえ1997年に大型専用機を使ってカスパロフ相手に2勝3分1敗でしたから、随分進歩しました。
そういえば電脳は「緊張」とか、しませんね。その分、創造性は人の方が上でしょうけど。
一応、もっと局数を増やせば、電脳の方が「棋風」を見抜かれ易いと思います。
1局終る度に微調整して変える事は出来ますが、結局は人が調整するから
名人と調整者の化かし合い、みたいに成れば名人が有利でしょう。
6局位だと、未だ底が割れないんでしょうね。
あと、人は序盤で工夫すると良いでしょう。電脳は序盤で定跡から外れたがらない。
先が長いと曖昧模糊として「計算」が立たないからです。
勿論、有望な形は既に研究が進んでいる。
してみると坂田 三吉がよくやった様に、わざと少し不利な手を指す代りに
電脳の「定跡集」から外れるのも在りかも。
猶、先日、日本情報学会とか言う所が日本将棋連盟に挑戦状を提出し
秋の電脳と清水 市代女流6段の対局が発表されました
>秋の電脳と清水 市代女流6段の対局が発表されました
へぇ
ちょっと楽しみ