西洋でもヴァイキングやイタリア商人によって奴隷が輸入されてたらしいが
どういう風に使われてたのか実態がよくわからない。
2 :
1:2005/03/22(火) 14:36:16 0
「中世ヨーロッパの奴隷」と書こうとして失敗orz
俺も分からない。
4 :
世界@名無史さん:2005/03/22(火) 14:38:06 0
私も分かりません。
オイラもしらねーぞ、ブー
I have no idea.
Ich weiss nicht.
糞スレの予感
Не знаю.
10 :
世界@名無史さん:2005/03/22(火) 14:49:21 0
En ymmarra
執事とか召使系は奴隷身分のものが多かったらしい。キエフ・ルーシでの話だが。
西欧ではどうだったか知らん。
Je n'ai aucune idée.
13 :
朱由檢:2005/03/22(火) 16:25:47 0
スラブ人の12歳の少女が50ドゥカート。現在の金額で245000円。
タタル人の10歳の少年が49ドゥカート。現在の金額で240100円。
歳をとるともう少しやすくなっていた。うろ覚えですまん。
Ik weet niet het.
マルコポーロの実家にクマン人のメイドがいたとか何かで読んだ気が
15 :
世界@名無史さん:2005/03/22(火) 17:08:21 0
>>1 I know it very well, but I don't tell you about that. Bye !
地中海地域では家内奴隷がけっこういたみたいだね。
「プラートの商人--中世イタリアの日常生活」(イリス・オリーゴ著)
で漏れもそういう事例を読んだ記憶が。
17 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :2005/03/22(火) 21:42:15 0
ダルマティアから連れてきて、
ラグーザあたりを経由して、
ミラノに連れてきて、色々と礼儀作法を仕込んで、
高値で転売するという話を、
昔読んだ英語論文で見た記憶があります。
多分、家内奴隷だったはず。
18 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 11:58:44 0
「千年医師物語」という小説の冒頭がクヌート王時代のイギリスだったが
港で奴隷が荷役に使われてて、丸坊主で髭を剃ってるから自由人でないのが
すぐわかる、という描写があった。
20 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 14:52:47 0
>>19 クマン族は黒海の北岸にいたトルコ系遊牧民。
イタリアくんだりまで出稼ぎにきたとも考えられないので
たぶん売られてきたんだろう。
クマン(クン)の大部分は13世紀にモンゴルに追われてハンガリーに逃げてきて、
紆余曲折の末国内に定着してキリスト教を受け入れ、マジャール人に同化してしまう。
ポーロの時代には、まだキリスト教化されていないクマン人がハンガリー国内に
たくさんいただろうから、奴隷として売買するにはちょうどよかったと思う。
22 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 01:55:21 0
ヴァイキングというか北欧の奴隷制については、
熊野聰『サガから歴史へ』東海大学出版会
の「第7章 北欧の奴隷制」がまとまっています。
北欧の奴隷制の始まりは、
北欧の叙述史料の最初にはすでに登場することからそれ以前から存在
することは確実ではあるが、絶対年代はわからない。アイスランドの
『エッダ』の「リーグの歌」に登場することから起源は古いという
見方があるが、エッダ自体の古さが疑問視され、9世紀以後に成立
した北欧の社会的構成要素に関する起源・説明として以外の資料価値が
置かれていないという。
これにたいして終焉は、
最初の法には奴隷と奴隷制の規定が存在するが、そのすぐあとに
書かれた法典には言及がないことから、大まかな推定として、
アイスランド 11−12世紀
ノルウェー 12世紀後半から13世紀前半
デンマーク 13世紀後半
スウェーデン 13世紀末(「破棄」は1335年)
とされる。