936 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 11:55:34 0
ホメロスを読むと
フェニキア人とアカイア人は互いに船で奴隷として拉致しあっていた。
>>932 どう考えても自分達がバルバロイの末裔だと言う伝説の方が嫌そうだが。
938 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 00:46:12 0
シュリーマンは詐欺師
939 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 16:43:32 O
自分で石器を埋める“ゴットハンド”日本人よりはかなりマシ
940 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 18:08:50 0
本邦の記紀の神話でも、たとえば、素盞鳴尊が天界を追放されて最初に降り立った
ところが韓の新羅だったり、その新羅の建国についても瓢箪に乗って海を渡ってきた
日本人の瓠公が大きく寄与したというふうに、関係のある異民族・異邦の地が登場
するものだよ。
新羅については、初代の王・赫居世居西干の姓が「朴」となった所以に、瓢箪から
生まれたということになっている。瓢箪に乗って渡ってきた重臣の瓠公と、瓢箪から
生まれた王というふうに、暗に、日本人が征服して建国したと言っているし、
その後のこととして記述した仲哀記には懲罰として出兵があったりしているしな。
スパルタはバルバロイではないが(言葉は一応通じるから)野蛮人
942 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 08:15:41 0
ギリシャはバルバロイではないが(言葉は一応通じるから)ぺラスゴイ
943 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 08:16:18 0
○アテナイはバルバロイではないが(言葉は一応通じるから)ぺラスゴイ
944 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 23:41:49 0
ギリシャ史はウソ。
オスマンの庇護の下、繁栄し他のバルカンキリスト教徒諸民族の上にたっていたのに、
列強にそそのかされて反乱、
圧制と無関係なムスリム民間人を平然と虐殺。オスマン側の鎮圧行為は虐殺と、ヨーロッパに宣伝。
>他のバルカンキリスト教徒諸民族の上にたっていた
ソース
隔離スレは今機能してないの?
947 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:32:22 0
近世の話ね。
正確にはオスマン帝国の東方正教徒「ミッレト」の高位聖職者などをギリシャ人が占めていて、
ブルガリア人がだんだん分離運動をしたことだ。
948 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:37:39 0
>>936 ヘロドトスなどの歴史家もフェニキア人自体の歴史については「紅海沿岸部から植民してきた」というだけで
ほとんど語っていないね。
ユダヤ人については全く無視。(ペルシャ帝国の頃には故地にはごく少数だった?周囲から異様に目立つ戒律はパリサイ派成立以降の事か)
ギリシャ人はフェニキアに立ち入り禁止か、それとも語る気も無いくらい憎悪の対象だったせいか?
949 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:39:36 0
ギリシャにはベニヤミン部族の生き残りが逃げたという話を、
どこかで読んだことがあったが、
それはオカルト・トンデモの歴史本?
950 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 21:11:04 0
>>948 でもアテナイにはフェニキア人の商業コミュニティーあったし
「自分たち専用の神殿をアテナイに立てたいんだけど」って申し出すら
議会で承認されるくらいには仲良かったよ
商いは相手があってこそ成り立つものだから、握手をしながら殴りあうという
ようなことはしょっちゅうだでよ、商売敵でお客さんの関係だから、商売の
邪魔にならない神殿の用地くらい金出せば貸してやるよ、くらいのものだろう。
952 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 22:02:11 0
古典期だと各地の民会から市民顕彰受けたりしてるしな
案外「隣のクラスのお友達」程度の感覚だったのかもしれん
そもそも、民族間の対立っていう概念自体がさ
現代の感覚をそのまま古代に当てはめても駄目なんだと思うよ
954 :
世界@名無史さん:2007/10/02(火) 03:43:13 0
>若者を鍛えるキャンプみたいのがあって、
>常に食糧は少なめにしか与えられず、
でもさ、成長期の少年に食料を与えないのは
体の大きな戦士を養成する点ではマイナスだよな?
>>954 集団戦で戦う戦士を育てるんだから、体の大きいことはそんな価値が無いだろ。
958 :
世界@名無史さん:2007/10/02(火) 12:33:34 0
栄養学というよりも「食餌療法」の医術があった。
959 :
世界@名無史さん:2007/10/06(土) 09:52:16 O
アゲシラオス
960 :
世界@名無史さん:2007/10/07(日) 10:13:39 0
>>950 >自分たち専用の神殿をアテナイに・・・
フェニキア人は、実際に何時頃建立したのですか?
>>960 アテナイでフェニキア系メトイコイが目立つようになるのが5世紀末からで
実際に神殿建てたのはアレクサンドロス支配下の333/2年
これより少し前にはエジプト人もイシス神殿を建てたりしてて
時代が降るほど雑多になっていく感じ
>>928 >ただしプラトンはスパルタの実態を知って撤回したようですが。。。
この部分のソースはプラトンの対話編か書簡?
963 :
世界@名無史さん:2007/11/16(金) 01:48:33 O
>>928 えっ、考古学者がドーリス人の南下を否定?
なんでまた?
遺伝子的に証明されたんですか?
見解と判断材料、基準の違いじゃないの
ハッキリとわかる材料が信頼に値するか信頼できるか信頼するかってのは
また別だし
歴史は後世の研究によって「そうだろう」と、判断されてるにすぎないし
過疎スレ
>>962 プラトンの国家とか、アルキビアデスなどと
後期の作品と考えられている法律との比較から出てきた推測ですよ。
スパルタ賛美の調子が急に変化しているのですよね。
>>963 遺伝子は関係ないのですよ。
一般的な考古学では土器とか墓の形態とかの変化を見ますので。
ドーリス人が南下されたとする時期にこれらの形態の変化が余り見られないそうですよ。
>>964 そうですね。どの史料を重視してどう判断するかですね。
考古学者は土器などの発掘史料を重視し、史学者は文字史料を重視します。
それで見解が異なりますね。
古代ギリシアどころか中学生レベルの歴史(初歩的日本史を
軸とした歴史)すらロクに覚えてない素人ですが、
「古代スパルタでは一定の年齢になるまでに結婚しな男は
結婚しろと詰め寄られ、それでも結婚しないと裸の女性たちを
集めた場所に放り込まれ、それでも拒否すると死刑にされた」
とかいう話を何処かで聞いたように微かな記憶があるのですが、
コレって実際にあったことなんでしょうか?
(それともタダの与太話なんだろうか・・・??)
それはたぶん。元ネタはプルタルコスですね。
リュクルゴスは結婚していないものには不名誉を与えた。
彼らはギュムノパイディア(お祭り)から締め出された。
冬に役人たちは結婚していない者達に裸で広場を廻るように命令した。
彼らは法に従わないから正当な罰を受けたと、彼らのために作られた歌を歌った。
彼らは若者たちからの尊敬と奉仕を奪われた。
プルタルコス『リュクルゴス伝』
処刑はないと思いますよ。
972 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 23:15:44 0
300見た
クセルクセス酷すぎワロタ
トロイみたいなのを期待していたが、いやはやギャグ映画だったとは
まあ、これはこれで面白かったが
原作は漫画で、その漫画の原作が今は昔のハリウッド映画ですからね。
それに天才ハンソン先生の西洋的流儀論を加えてありますから。。。
>天才ハンソン先生の西洋的流儀論
ひょっとして以前話題になってたミッドウェー海戦とかも例にされてるやつだろうか
そのような本もありました。
西洋対非西洋の代表的な戦いを集めたとかいう触れ込みだったような。。。
最近は軍事革命論のジェフリー・パーカー大先生と組んで軍事史の本を出していましたよ。
二枚組300のおまけDVDに歴史解説がありまして、ハンソン大先生と、ヒューズ先生がスパルタを熱く語っています。
ハンソン先生は民主主義対専制君主の戦いというのがお好きなようですから。。。。
漫画になくて、映画にある物で最も大きい部分が議会に関わるところですし。。。
ヒューズ先生は。。。歴史ドキュメンタリーの解説などで有名な方です。
本は一冊しか出していない。。。論文もほとんどないとか。。
http://www.bettanyhughes.co.uk/
赤い肌着は血が出てても出てないように見せかけるための服ってのをどっかで見た事あるな
赤って士気高揚にも繋がるらしいし着てても不思議ではないんじゃないか?
この動画のゲームに出てくるスパルタ兵の赤マントが不自然な気がするという話ですよ。
これはマントというより服に見えますよ。
980 :
名無し:2008/07/17(木) 10:34:43 O
>954-958
戦士としての狡猾さや忍耐力を身に付けさせる為に、ヘイロタイから食べ物を盗ませたんですよ。
それも戦いの訓練としてワザとやらせたそうです。
盗んでるのがバレたら鞭を打たれてました。鞭を打たれる際には悲鳴を上げてはいけなかったとか……。(それも戦士としての訓練の一つであります)
楳
982 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 15:47:12 0
梅
ほし
倦め