197 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 07:08:11 0
世界の支配層どもは
原油暴騰でアラブ、ロシア産油国を潤わせて
軍備を強化させて、バルカンの不安定化をそそのかす
EU・アメリカ経済失速、大統領選の混乱で
世界最終戦争とやらの準備を着々と
中露が一枚岩でないのがいやらしい
さてどこが勝者か
岡山
199 :
世界@名無史さん:2008/05/05(月) 09:07:11 0
都市は沿岸部に集中
内陸部には遺跡もろくにない
昔から砂漠だったんだな
200 :
世界@名無史さん:2008/05/06(火) 23:57:58 0
T・E・ロレンスの自伝、 角川文庫ソフィアの「砂漠の反乱」178ページには、
「7月16日の夜明けにわれわれは、ムルから出発した。」と記述されている
のですが、前後の流れからみると9月16日の間違いではないかと思われます。
これは、元々の原文通りなのか、誤訳なのか、誤植なのか、ご専門の方、
ちょっとお教え下さい。
201 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 10:16:03 0
アラブを儲けさせるな!
原油なんて買うな!
そうだ油揚げを買おう
ペルシャ湾沿いのところ、今の国でいうとクエートとかカタールとかアブダビとかバーレーンとかが
アラブ圏になったのは以外に遅くて、オスマン王朝支配期に入ってから。
それまではペルシャ湾は文字通りペルシャの内海。
かつてはインド洋の西半分を支配したオマーンのスルタンももともとはペルシャ系。
>>203 ひとつ疑問。
何を持って「アラブ圏」とみなしているの?
205 :
世界@名無史さん:2008/05/31(土) 21:58:21 0
>>200 の続きである。
ロレンスは、1917年7月に南からアカバ港攻略に成功し、いったんエジプトのカイロの英陸軍情報部に補給の
相談に出向いた。そして、補給のなった9月に紅海沿岸のアカバから死海の東側を内陸進攻した。アレンビー司
令官が地中海側からトルコ領の占領を図るのに呼応した陽動作戦だった。
結局、1918年10月にダマスカス入城をもって作戦成功となるのだが、なぜ「砂漠の英雄」では2か月日付が早
いのかが謎である。単なる誤訳なのか、カイロ行きを秘密にする意図か、地名の解釈間違いか。
ともかく、高等教育を受けた大英帝国の能吏たちが、如何に主体的に植民地支配に取り組んでいったのかが、
よく実感できた。ロレンスが自分の歴史家としての視点でアラビアの人物たちを分析評価し、応対していったか
とか、歴史学は教養ではなくビジネスの武器になりうるようである。
206 :
世界@名無史さん:2008/06/21(土) 21:36:11 0
最近のバイオ燃料批判は不当。バイオ燃料を批判するなら、コーヒーやカカオ等の贅沢品生産も非難すべき。
贅沢品生産のために貴重な水と土地を使うんなら、燃料生産に使うほうがまだまし。
養蚕向けの桑栽培、ワイン向けのぶどうなんかも非難しろ。こういう例はほかにもあるだろ。
バイオ燃料だけに対する非難は、産油国の陰謀から始まった可能性が高い。よく注意しよう。
また、バイオ燃料の生産拡大は、原油価格高騰のスピードを弱める要因になるだろう。
バイオ燃料がなければ、投機筋はさらに強気になっていただろうから、原油価格はもっと上がっていたかもしれない。
なお、食料価格高騰は日本にとって食料自給率回復の絶好の機会と捉えるべき。
208 :
世界@名無史さん:2008/10/11(土) 20:39:54 0
そうだ、紅海へいこう
209 :
世界@名無史さん:2008/10/12(日) 08:26:17 0
よく、アジアで列強の植民地にならなかったのは日本とタイだけみたいな
言い方するけどオマーンもそうじゃね?一時ポルトガルに占領されたけど
内陸ではイマーム政権が存続して自力でマスカットを奪取したし、日本よりも
早く「帝国」を築いてイギリスやペルシアと張り合ったし。まぁその後鎖国だけど。
だからアジア・アフリカで植民地経験がないのは日本・タイ・オマーン・エチオピアでガチ?
210 :
世界@名無史さん:2008/10/12(日) 13:34:07 0
日本 敗戦でアメリカに全土を軍事占領されて主権喪失
エチオピア 第二次大戦中、イタリアに征服されて一時イタリア領
何故か中国とイランが抜ける件
212 :
世界@名無史さん:2008/10/12(日) 20:41:45 0
中国とイランは半植民地化された件。
日本はGHQによる占領であり主権は失っていない件。
213 :
世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:28:42 0
GHQの占領で主権は失っている。
だからサンフランシスコ平和条約による講和により主権回復=独立
植民地とはちがうが、まともな独立国でなかったのは事実。
軍事占領された上、外交権を失い、憲法も内政も介入されまくりの間接統治で、
保護国や半植民地とたいしてかわらない。
214 :
世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:53:08 0
んで、オマーンは?
215 :
世界@名無史さん:2008/11/25(火) 01:43:08 0
216 :
世界@名無史さん:2009/02/20(金) 18:11:57 0
age
オスマン帝国も列強の半植民地?
218 :
世界@名無史さん:2009/02/20(金) 19:37:17 0
セーブル条約の内容が履行されたら、そう言えるだろうが、
第一次大戦じゃ一応ドイツ側について戦ってるから微妙だな。
半植民地とか言ってるわりに、アラブとかずっと支配してたし、
エジプトやリビアも第一次大戦直前まで宗主権下においていた。
13世紀ごろのアラビア半島の部族の分布図(勢力図)みたいなものってない
物でしょうか。イエメンやメッカ周辺は比較的資料があるのですが、現在の
オマーンやサウジ、UAEあたりの部族分布がわかりません。
221 :
世界@名無史さん:2009/07/17(金) 13:46:33 0
>>217-218 最近の研究では、オスマン帝国の官僚や軍人がアラビア半島を
植民地のように見なしていたことが明らかにされている。
これは明らかに独占だ、必須燃料の独占が許されるのか
吊り上げてる産油国に制裁と
原油に投資してる奴に厳罰を与えるべき
だと思います。
223 :
世界@名無史さん:2009/08/02(日) 21:58:00 0
>>222 それよりガソリンや原油に上乗せさせてる税金下げたら劇的に下がるぜw
225 :
世界@名無史さん:2009/09/18(金) 15:36:28 0
アラブ諸国の中でもイエメン人は、「アラブ人の源流」としての血筋の由緒正しさを
誇る一方で、侮蔑をこめて「アラブの田舎」「アラブの秘境」と呼ばれている。
一人当たり国民所得、識字率、平均寿命のどれをとっても、イエメンはスーダンと
並んでアラブ世界の底辺に甘んじてきた。
「沙漠」のイメージが強いアラビア半島の中で、イエメンは国土の大半が山岳地帯であり、
人々は山の頂に集落を構え、互いの行き来を最小限に止めながら自給自足的な
生活を送っていた。
20世紀に入って、他のアラブ諸国がそれなりの「近代化」を歩み始めたときも、
孤高を保つ北イエメン地域では歴代イマームによって採用された「鎖国」政策の
ために、庶民はラジオなどの「近代機器」の所有を禁じられ、道路、学校、医療施設
などもほとんど存在しなかった。
中世は結構栄えてたような
228 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 21:53:22 0
当たり前
>>230 おおおおお、こんなサイトがあったんですね!
本当にありがとうございます。・゚・(つд`)・゚・。感謝です!
232 :
世界@名無史さん:2010/03/16(火) 21:57:12 0
233 :
名無し募集中。。。:2010/03/16(火) 23:13:40 0
235 :
世界@名無史さん:2010/03/17(水) 01:37:05 0
イラクはイスラム教徒の支配下になった時に
アラブ人の部族が流れ着いてアラブ化したと
ウィキペディアにかいてあったが
じゃあアラブ人が住み着く前は誰が住んでたの?
ペルシャ人?
236 :
名無し募集中。。。:2010/03/17(水) 07:42:03 0
237 :
世界@名無史さん:2010/03/17(水) 12:44:19 0
じゃあイラクの地は
元々ペルシャ人が住んでいたわけか
土地、人の血統、人の帰属意識、言語は、それぞれ別々に伝わるというか、もともと結びつきの薄いものだ。
日本のような、太古から、居住地が一定、大規模な移民や移動がなく、倭・日本という紐帯意識を持ち、言語が
変容したり別の系統の言語を受け入れたりしたこともない、というようなのは特殊な例だ。
そういう感覚で世界史をみていると。訳判らなくなるぞ。
古代は勿論、遅い時代まで、広域統治の手段として、反抗的な集団を遠方に分散移動させる、
代わりに友好的な集団に土地を与えたり、別の反抗的な集団を住まわせたりするということが
行われてきた。
239 :
名無し募集中。。。:2010/03/17(水) 20:18:23 0
中東はアッシリア人やクルド人やペルシア人がいる
日本の場合弥生人の進入が最後の異民族の進入だったから
>>238日本人て意識ができたのは明治になってからでしょ
>>235 バビロニア人。
末裔は、現代アッシリア人。シリアに三つか四つ村落が残っている。
243 :
世界@名無史さん:2010/07/24(土) 21:58:17 0
アラビア半島はほぼアラブ人単一状態?
244 :
世界@名無しさん:2010/07/25(日) 08:58:16 0
>>242 バビロニアのカルデア人とアッシリア人は別でしょ。
アッシリアは新バビロニアに滅ぼされた。
>>235 イラクは元々メソポタミア文明を作ったシュメール人、その後来たアッカド人、
カルデア人、アッシリア人などが住んでいた。
フセインは自分を新バビロニアのネブカドネザル王と名乗っていたし、
私は
イラク人=アラブ化したカルデア人 シリア人=アラブ化したアラム人
エジプト人=アラブ化したコプト人 パレスチナ人=アラブ化したペリシテ人
レバノン人=アラブ化したフェニキア人 サウジアラビア人=元からアラブ人
と考えています。
245 :
世界@名無史さん:2010/07/25(日) 16:23:53 0
イエメンにはユダヤ人社会があったようだね。
他のアラビア半島にもあったのかな。
>>245 クルアーンにはマッカのユダヤ人金貸しが出てくる。