1 :
世界@名無史さん:
東洋って豊臣秀吉・劉邦・洪武帝・ティムール・ムハンマドとか
農民・下級役人とか商人から挙兵して天下とり最高権力者になった
わかりやすい話多いけど西洋ってそういうの、ないですよね
なんで?
リンカーン
毛大人否忘
君主制と民主制では、話が違ってくるじょ。
5 :
世界@名無史さん:05/03/01 20:11:30 0
大きな国だと継承するのにある程度の身分がいるので、無理でしょう。
スフォルツァ家は素性の怪しい傭兵隊長あがりで、デッラ・ローヴェレ家は
頭のいい息子は坊さんにする漁師の家系ですが。公国くらいがせいぜいで
王は無理のようです。
ローマ〜ビザンツは平民や農民上がり多そうだけど
西洋なのかどうかは知らないけど
7 :
世界@名無史さん:05/03/01 20:26:56 0
教皇がいるからじゃね?
8 :
世界@名無史さん:05/03/01 20:36:57 0
教皇なら、身分を問わずなれます。
ローマ教皇シクストゥス4世(1471-1484)はレオナルド・デッラ・ローヴェレ
という漁師の長男で名はフランチェスコ。その末弟ラッファエレの長男ジュリアーノが
ローマ教皇ユリウス2世(1503-1513)。
9 :
世界@名無史さん:05/03/01 21:34:08 0
日本は半万年の歴史を持たない国だから
CHOBIヒゲ伍長
11 :
世界@名無史さん:05/03/01 23:50:04 0
よくてバイキングくらいかな。
12 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/01 23:54:59 0
実在性は怪しいですが...
前458年、畠で耕している所から呼ばれて、
ディクタトル(独裁官)になった、
ルキウス=クィンクティウス=キンキンナトゥスを挙げてみます。
生まれが壺作りで僭主になった人がいた様な・・・?
>>8 ということは・・・有能な農民・平民は世俗の王になるよりも教皇になる方を目指したから・・・
かな??
15 :
世界@名無史さん:05/03/02 00:14:06 0
CHOBIヒゲ伍長 に一票
かのルーデンドルフもCHOBIヒゲ伍長から賞をもらうのを辞退したらしいからな
「一兵卒に賞を贈られてたまるか」って言って
16 :
世界@名無史さん:05/03/02 00:28:31 0
>>1 日本の場合、関白だの征夷大将軍だのにはなれるけど、
天皇は絶対無理だよね。
17 :
8:05/03/02 00:36:43 0
>>14 頭のいい子が幼少から修道院に入って、必死で勉強すれば学僧として有名になれるし、
修道会代表として司教や、大司教になれるコースがあるんだから、野心のある子も
そのコースに乗ることは考えたと思います。
選帝侯7人のうち3人は大司教だったから大変な地位です。世俗の選帝侯は国王とも
縁組できるくらいの身分ですから。
>>16 天皇まで行かなくても、貴種でないと地位を認められないという面も、確か
にありましたしね。
上総介・土岐・山名の反権威発言も記されていますが、デフォルメされたも
ので、何より彼ら自身自らの血統を誇っていた筈です。
そんな土壌があったからこそ、信長も秀吉も家康も、源平藤を名乗った訳で。
家康の先祖も、何代か前は徳阿弥という時宗の僧侶であったらしい。
勿論、その前に新田氏に繋がるご大層な系図が用意してありますが。
秀吉も、天皇の御落胤だと称していました。
中世には、伴大納言がもとは佐渡の郡司に仕えていた下人であったという説
話があり、貴族達にも知られていましたが、あくまでも伝説であり、貴種以
外の進出を認めていたというよりは、所詮貴種でなかったから退けられたの
だという説明に語られていた可能性があります。
そういえば、偽ドミトリー1世〜3世というのがおりましたね。
結局失敗してしまいましたが、偽者騒動の背後にはポーランドがいたという。
西欧の場合、勢力の拮抗した国が周囲に存在しており、しかも大抵の場合ど
こかで血が繋がっている為に、介入され易いという面があった。
傍系や女子の相続でも問題になったのに、氏素性の知れない人物を選んでし
まえば、継承権を主張した相手に強く出る事は出来ないでしょう。
庶子のペドロ残酷王というのがいましたが、これも駄目でしたね。
もっとも、ナポレオン兄弟や現在のスウェーデン王の御先祖は・・・。
>最後の一行
介入されまくった挙句、一旦王家自体が消滅していたので成功したのでは。
21 :
第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :05/03/03 22:43:32 0
農民だったルキウス・キンキナトゥスは独裁官になりましたよ。ローマ人代表はこの人でしょう。
たぶん、共和制-帝政を通じてもっとも有名な農民はこの人と思われ。
先祖の威風を体現している人として語り継がれたと記憶しています。
22 :
世界@名無史さん:05/03/04 00:22:00 0
>>16 摂関になるには天皇の血縁になければなれない
征夷大将軍は源氏などごく限られた血のみ
23 :
世界@名無史さん:05/03/04 00:51:25 0
>>19 ポーランドの野心的な試みが成功していたら、その後のロシアはなかっただろうし、
ロシアのカトリック化および西欧文明圏への編入のが実現していたら、後の日本にとってもそのほうがよかった。
24 :
世界@名無史さん:05/03/04 01:12:14 0
>>21 ローマは、基本的に貴族はみな農民だぞ。
だから、高貴な人々のラテン語の中にも農業用語がいっぱい。
たとえば、ニヒルという英語があるが、nihil だな。
これなんざ、「藁がいっぽんもない」という農業的な発想の語彙
である。ローマ人の名前も、偉そうな貴族でも、きわめて農民的
で、ケルト系のウェルギリウスのような都市で輝く男みたいなもの
とか、ギリシア系のアレキサンドロス(光男さん)みたいなのとか
がない。
ってことで、貴族は基本的に大農民であるから、農民上がりの、
独裁官なんて、ごくふつうのことではないのかな。
>>21 この場合、農民というよりはローマ市民というカテゴリで判断すべきかと。
初期のビザンツ皇帝ですと、貧民あがりでも軍隊たたき上げで昇進する事が可能でした。
確か皇帝でも珍しくなかったのでは・・・。
また西洋ではナポリ〜シチリアを獲得したオートヴィル家の面々は特筆に価します。
出は騎士といっても、猫の額程度も持たない貧乏な家だったのが
西洋で最も進んだ国のひとつを手中に収めたのですから。
>>21第20軍団兵氏
>>12で出しちゃってます。
伝承によると、それ以前に補充コンスルを務めているので、
タダの農民と言い難いのは
>>24氏のご指摘通りだとは思いますが、
自ら、畑に立ち、鍬を振るう、というのは、
あまり見ないトポスだと思い、私も挙げました。
キンキナトゥスは、息子が追放されたから、ローマに関わるのがいやで隠棲してたんじゃないの?
ユスティヌスとユスティニアヌスは農民出身じゃなかったけ?
ササン朝の祖サーサーンも出自はあやしい。牧人だったとの伝承も。
バシレイオス1世も、若い頃はやくざみたいなことしてたんじゃなかったけ?
29 :
世界@名無史さん:05/03/04 02:54:11 0
>>1 ヒトラーは売れない画家から総統まで出世しました。
30 :
世界@名無史さん:05/03/04 13:08:00 0
マジレスするとキリストってそうじゃね?
31 :
世界@名無史さん:05/03/04 13:19:30 0
ドイツで農民戦争が1500年代にあったけど
これがきっかで神聖ローマ帝国が崩壊して群雄割拠とか
ならなかったけど、中国なら間違いなく戦国期に突入してたと思う
よく考えると、カロリンガー崩壊後からのいわゆる封建的アナーキーの
時代には、血統によらないクラスの上昇がありました。
(確かアンジュー伯の先祖は木こりという事になっていたような気がします)
フランスなどで名門貴族とされている家門でも、カロリング以前に遡る事が
可能な家が少ないのはこの辺りに起因する様で。
33 :
世界@名無史さん:05/03/04 13:41:31 0
インド史で、下のカーストからなりあがって天下を取った人物っている?
イングランド国王の前はノルマンディー公、その前は海賊の首領、
その前はおそらく族長だろうけど良くはわからない。
もしかして頭角をあらわしたただの部族民かも?
ってのは駄目?
35 :
世界@名無史さん:05/03/04 14:14:04 0
独立後のインド初代法務大臣でインド憲法起草委員長で
現代インド仏教の父のアンベードカルは不可触民出身
ナポレオンやムッソリーニも成りあがり
秀吉は農民といっても親父は元足軽だからね
社会の最底辺から出た天下人は
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
/ ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ ||
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
朱元璋:明の建国者。貧民の子から身を起こして,群雄を平らげ,元王朝を北方に追放
有能な家臣をほとんど殺し、一万人以上の処刑者を出した
36 :
世界@名無史さん:05/03/04 14:14:16 0
ビザンツ皇帝には氏素性のわからんやつがすくなからずいる
37 :
世界@名無史さん:05/03/04 14:29:14 0
38 :
世界@名無史さん:05/03/04 14:51:52 0
ペルティナクス帝
ディオクレティアヌス帝
>>33 マウリヤ朝の開祖チャンドラグプタ
シュードラ出
後世では他地域から来たイスラム教徒の奴隷王朝とかあるけど
そいつらはカーストの階層ではどこに位置してるのかな
40 :
世界@名無史さん:05/03/04 15:38:46 0
>>35 ナポレオンは貧乏貴族だけど、コルシカでは名門ですが。
ムッソリーニは鍛冶屋の子だから、成り上がりかな。
42 :
世界@名無史さん:05/03/06 15:17:21 0
朱元璋
リンカーン
43 :
世界@名無史さん:05/03/10 20:59:30 0
界@名無史さん :05/03/06 00:51:09 0
|┃三 , -.―――--.、
|┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
|┃ .i;}' "ミ;;;;:}
|┃ |} ,,..、_、 , _,,,..|;;;:|
|┃ ≡ |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
|┃ | ー' | ` - ト'{
|┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
|┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-' /話は聞かせて貰った!
|┃ | ='" | <農奴で靴職人の小倅である
|┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \このジュガシビリ様がいまだ登場してないではないか!
|┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \>1から>42をまとめて凌遅三・・・もといシベリア片道ツアーに招待せよ!
|┃ ≡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ
ローマ帝国衰退期の職業軍人でワンクッション置いてるけどほれ、
羊飼い…トラキアの人…。でてこん。
あとペルティナクスは解放奴隷の子だったようなきがするが
結構金もってそうだしなんか統治とかできてないしぐだぐだでつか?
45 :
世界@名無史さん:05/03/11 19:23:09 0
中世ヨーロッパの農民ってのは、江戸時代の農民よりもひどい生活してたんだろ。
よく中国みたいに農民反乱が多発しなかったよな。
46 :
世界@名無史さん:05/03/11 19:41:46 0
そもそもヨーロッパに農民なんて存在しない。
あくまで農奴。すなわち労働奴隷。
牛、豚、馬と一緒で家畜扱い。
豚に裁判を受けさせる歪な人間観。
それがヨーロッパ。
47 :
世界@名無史さん:05/03/11 21:57:22 0
>>44 解放奴隷は底辺とはちょっと違うのでは?
ローマの奴隷には、生国では地位のある人もいたし、優秀な奴隷は大事にされて
教育も家族並みということも多かったから。もっとも、売り飛ばされたらそれまで。
>>46 非常に少数ではありますが、自由民たる農民も存在し続けました。
そもそも、権利にして義務である自営の武装が負担になった自由農民が
土地の有力者に防衛を委託した事が農奴化のキッカケのひとつなので。
勿論、純粋な領主の家産に近い農奴や使用人もいましたが
特に後者は中世を通じて身分の上昇が普遍的に見られます。
裁判ネタといえば、日本では雨を裁判にかけたという事例を読んだ事があります。
>裁判ネタといえば、日本では雨を裁判にかけたという事例を読んだ事があります。
『古事談』にある、白河院が雨水を盥に入れたものを禁獄なさったという話では。
あれも「王権仏授説」を始めとして、王威を積極的に主張された方の逸話ですか
ら、単なる笑い話にしてしまう訳にはいかない。
50 :
世界@名無史さん:05/03/11 22:49:51 0
>>48>>49 天皇は呪力があるから、という理由ではないでしょうか。
豚を裁判に掛ける話とは、レベルが違うような気がしますが。
その「呪力」がどの様な行動によって保証されたのか、いかなる原理・根拠を
持つとされたのかが問題でしてね。大き過ぎる問題ですが。
52 :
世界@名無史さん:05/03/12 14:37:23 0
1>>
民衆を苦境から救うという精神が、東洋の富裕層にはほとんどないから。
今なら災害地などに寄付をする話に相当する。
53 :
世界@名無史さん:05/03/12 17:47:35 0
>>50 現人神だからか…
>>52 ムスリムには富めるものは貧しきものに施す義務がある。
日本の江戸時代では町のインフラ整備は商人達が先を競って寄付した。
市民革命前夜の西洋ではパンがないならお菓子を食べればいい親切にアドバイス。
54 :
世界@名無史さん:05/03/12 18:34:36 0
ローマの開放奴隷で大富豪のトリマルキオを知らんのか
55 :
世界@名無史さん:05/03/12 19:36:21 0
中世のヨーロッパでは、商人が養老院や孤児院を先を競って建設したり、
兄弟団や同業組合で互いに助け合った。
56 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/12 22:14:15 0
ロシアでは偽ドミトリーとか偽ピョートル3世とか、廃位された皇族を冒称して反乱を
起こす人物がいますが、ヨーロッパの他国にもフェイクの貴種が政府に対抗して出現する
事例がありますか?
>53絡みで
日本では悲田院が老人・病人・捨て子を収容していました。
奈良時代限定と思われがちですが、平安京にもあり、『延喜式』にも規定さ
れています。鎌倉にも、忍性が悲田院・施薬院を設立している。
朝廷や鎌倉幕府も当然関与しており、富裕層も協力しています。
カリオストロ伯とか…
駄目か…
偽ネロも、何か違う気がしますねぇ。
話だけなら、カスパール・ハウザーとか、鉄仮面とか。
アメリカで生きていたとか言われていた(先日DNA鑑定がありましたが)、
ルイ17世とか。
61 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/12 22:40:39 0
>>48 人格を有しないものを処罰する例では、「ヒストリアエ」にペルシャ王だったかが
ヘレスポンドに手錠を投げ込む話があったように思うんですが、記憶曖昧(A^^;
最近では自然保護団体が開発阻止の訴訟を起こすのに、原告にどこそこ森の狸や梟の
類まで参加させたり・・・、それもちゃんとした弁護士が代理人になってるのに呆れる。
どうやって訴訟委任状を取ったことやら。権利義務の主体になれるのは人格を具えた
自然人か法人に限られるのは民法の初歩の初歩。はねあがり法曹の自己満足的愚挙に
過ぎないのに持ち上げる新聞があったりしています。
62 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/12 22:48:15 0
農民が悲劇の貴種を持出して反乱というのはロシア的心情からでしょうかね。
そもそも他の国では農民反乱(中共風にいうと起義ね)自体が稀なようですし。
63 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/12 23:49:41 0
支那では陳勝・呉廣が扶蘇・項燕と詐称した例くらいでしょうか。天一坊みたいなのは
歴代いくらもおりますけど。
64 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/12 23:58:31 0
>>56 大僭称者と呼ばれたジェームズ・フランシス・エドワードなどが挙げられるかと。
正真正銘の長子なのでフェイクではありませんが、公開出産を経ていないと言う事で
偽者ではないかというレッテルが貼られたと読んだ事がありますが。
66 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/13 00:27:11 0
67 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/13 00:44:42 0
>>61 野生生物に原告適格が認められないのは、プロの法律家である以上承知の上だろ。
自然環境の保護に重大な関心を有する自然人や法人が、自然そのものの代弁者として、
現行法の枠組み内において原告適格を認められるか、というのが本当の争点。
裁判所は認めなかったし、それは妥当な判断だろうな。
だが、野生生物に原告適格を認めさせることが争点だと思っているなら、それは間違い。
民法の初歩の初歩を齧ったくらいでは分からんこともあると知るべし。
中国の場合、その「農民反乱」というのが、本当に「農民反乱」というだったのか? という疑問もあります。
「黄巾」だとか「紅巾」等々の宗教指導者→反乱指導者という図式も有名ですから。
勿論、このような宗教指導者たちも、社会的な不満が高まっている状況でなければ、容易に大規模な反乱など起こせる道理は無いのですが。
70 :
世界@名無史さん:05/03/14 13:20:41 0
>55
そして教会は自分達の門前に売春宿を経営し、性に悩める男性信者たちに娯楽と快楽を与え、
臨時収入を期待する女性信者に働く場所を提供する素晴らしい互助システムを構築したのか。
71 :
世界@名無史さん:05/03/14 15:01:20 0
>>69 中国の被支配民が求めていたのは宗教それ自体じゃなくて"神がかり的な"リーダーシップだろうね
反乱の軸となるリーダーシップがあれば、後は農民がわらわらとのっかかって来るのだろうし、純正の農民反乱ってのは中国には無かったんじゃない
例え農民がリーダーシップとなって反乱を企てても、生活苦等が原因であって「農民」は重要なファクトになっていなかったと思ふ
ヨーロッパは政治が行き渡っていて農民もそこまでカッカしていないイメージがあるがな
逆に中国は広いから政治が行き渡ってないとか?ただ封建制国家だからか。
カトリック世界の場合、教会が「身分秩序は神の思し召し」的な宣伝活動をしてたんじゃ
なかったっけ?上に取って代わろうとする気持ちも萎えちまうわな。
なぜ天下を取れないか、を分析しながら、身分のきざはしを駆け上った例も分析して
みたいな。
>>5のミラノ公フランチェスコ・スフォルツァとか、メクレンブルク公
アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインとか。
こいつらがなぜ公位を得ることができて、他の奴は得られなかったのか。
73 :
世界@名無史さん:05/03/14 17:46:19 0
日本では家系図の売買がまま見られ、戦国武将には自称源氏の子孫が氾濫
>>72 武装をしているか、いないかという違いが大きいと思います。
西洋史では武装権が非常に重要で、最初は傭兵であっても
一度、武装したならば身分の上昇の可能性が開けます。
75 :
第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :05/03/14 22:46:35 0
>61 あやめさんが指摘していたクセルクセスがヘレポントス海峡に下した罰がわかりました。
「歴史」ヘロドトス,下巻p35 巻7-35です。
海に300の鞭打ちを加え、足かせ1対を海に投じたそうです。
カリグラも似たような事をしたような記憶があるのですが、「皇帝伝」のほうじゃなかったかな?まだ調べていません。
伍長から独裁者になったヒトラーもいる。
77 :
sage:05/03/15 18:45:05 0
農民じゃないけどキリスト。
78 :
世界@名無史さん:05/03/15 18:52:19 0
下賎な身分が孕ませた王妃の息子が王になった可能性はざらにあるだろ。
宦官のいない皇統王統など、すべて幻想にすぎん。
79 :
世界@名無史さん:05/03/15 18:53:02 0
>>77 キリストの父ヨセフは王の血を引くのでキリストは王族です。
さらに言えば、キリストはヨーロッパではなく現在の中近東の人です。
80 :
世界@名無史さん:05/03/15 19:54:37 0
下層民が世俗世界で成り上がるためには、まずは一旦
1 王権などによる引き立て→高位高官へ (臣下の実力を重視しなければならない
状況が不可欠)
2 戦乱に乗じた一定地域の占拠→割拠 (領土の血脈による継承が原則であるという
考え方が弱体化していることが不可欠)
3 宗教指導者に→世俗の諸権利も入手 (教会領・寺社領などの存在が不可欠)
ここからクーデターなり武力制圧なり国王選挙なりで天下を狙うとして・・・
中世西欧では、2がまずありえない話だし(どこの馬の骨ともわからん奴の所領
奪取は、周囲が認めないだろう)、3も、例えばクラクフ大司教がポーランド国王に
選出されるなんてことは無理。1も、王族の娘と結婚とかやれば何とかなるかも
しれんが、実際に何とかなったという話は聞かないな。
西欧にはなぜ「易姓革命」の概念が発生しなかったの?
何であんなに血統にこだわるんだ?
81 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/15 20:14:14 0
82 :
世界@名無史さん:05/03/15 21:41:23 0
>>80 易姓革命の概念は中国独特のものでは?
1、2のパターンともそれらしい人はいるけど、みんな一代限りの実質的な執政者どまりですね。
名実ともにトップになったと言えるのはクロムウェルくらいかな?
この人も農民じゃないですけどね。
フランスの宰相マザランもそれほどの出自ではないですね。
83 :
セプトウアギンタ70人聖訳書 ◆QgZ.F/Sgak :05/03/15 21:52:38 O
アブラハム、イサク、ヤコブは単なる羊飼い
84 :
世界@名無史さん:05/03/15 21:54:11 0
ジャンヌ・ダルクは羊飼いの娘
85 :
世界@名無史さん:05/03/15 21:55:11 0
ジャンヌは用兵の天才だった?
ジャンヌ・ダルクはただのヤリマンだよ。
ソースはシェイクスピア。
87 :
世界@名無史さん:05/03/15 23:24:55 0
>>80 中世西欧と一口に言っても長い。
>>32に在る通り、どこの馬の骨とも分からない奴等でも
有力諸侯になれるチャンスのあった時代の方がむしろ長い。
神聖ローマ帝国成立からフランス革命までの間に限定かな
>>88 神聖ローマ帝国(狭義に言ってドイツ)に厳格な封建制が導入されたのは、シュタウフェン朝以降だと言われています。
厳格な封建制の導入は、激しい封建的アナーキーへの対抗策と考える事が出来るので
逆説的に言えば、“下克上”の最も激しかった時代と言う事も出来るかも知れません。
例として挙がっている中国の農民反乱ですが、概説レベルの私の知識によると
常に重税への反発が上げられていたように思います。
中世西欧では、一律的な租税制度が確立されていませんでしたので
その点だけで考えるならば、農民達の反乱が頻発するという事は考え難いかと。
中世、特に高期中世以前だとフェーデのとばっちりを受ける事の方が
より現実的な恐怖だったような気がします。
御先祖を遡れば三代目とか四代目に奴隷が出てくるローマ皇帝なんて
何人も出てきてないか?
91 :
世界@名無史さん:05/03/16 07:31:59 0
農民は馬鹿だから無理っちょ。
>>79 一応血はつながってないって建前だけどなーw
それにしても「天下を取る」って用語法が、なんか懐かしくてよいねえ
斎藤道三を思い出してしまたーよ
93 :
世界@名無史さん:05/03/16 08:13:27 0
天下ぁ取る、天下ぁ取る、天下ぁ取る、・・・紀州ーーーーーーー
これ吉宗が八代将軍になって尾張の殿様がガックリ来る落語ですね。
95 :
世界@名無史さん:05/03/18 15:11:26 0
そういえば、西洋には庶民文化といえるものはないよな。
日本や中国にはあるけど。
96 :
世界@名無史さん:05/03/18 15:13:16 0
中国に庶民文化?なにそれ?
中世から近世にかけてだとイギリスのオリバー・クロムウェルあたりが出世頭ってことに
なるのかな。
ナポレオンは貧しかったとはいえ一応貴族出身だからな。
クロムウェルの場合は中流階級からイングランドの最高権力者にまで上り詰め、息子に
権力を継承させる事にも成功しているし。
>>96 元曲とか聞いたことないの?水滸伝や三国志演義は?
>>95 マイスタージンガーの存在なんかは、庶民文化があったという証拠となるような気がするが。
>>97 >オリバー・クロムウェルあたりが出世頭
Owen Tudor (Owain ap Maredudd ap Tudur) も忘れないでねん
100 :
世界@名無史さん:05/03/19 00:51:44 0
西洋の下層民って、征服された先ヨーロッパ人の混血とかなんじゃないの?
101 :
ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :05/03/19 00:54:56 0
あれだ、ビザンツ圏だからあんま珍しくない? かもしれないけど、
ブルガリアの豚飼いイヴァイロがいるじゃないですか。
豚飼いから王座へ。萌え
個人的な直感だが、歴史的に西欧で余り農民や商人からの政権獲得が
なかったことが、かえってヒトラーの政権獲得を許したような気がする。
旧来の保守派の中心であるユンカー層が共産党を恐れる余り、
ナチスと手を組んでヒトラーの政権獲得となるわけだが、
その時にヒトラーを「いざとなれば制御できる」と甘く考えてしまった、
というような意味で。
103 :
世界@名無史さん:05/03/19 12:34:44 0
そもそもヨーロッパに天下とるって言葉あるの?
むこうで天下とるのは、東洋みたく最強の軍事力をもつだけじゃなくて
もっと多くのハードルを越えていかなくてはいけない
非常に複雑で困難なものだったんじゃないだろうか
西欧が辺境だったからこその特殊事情なのかもね。
105 :
世界@名無史さん:05/03/19 13:13:27 0
>>102 流石に時代が違いすぎる。妄想お疲れさん。
ちなみにユンカー層はカテゴリ的には農民になるよ。
下級貴族と大きな自有の耕作地をもった農民との差は非常に曖昧。
>>103 地域間交流がほとんどないのに、天下を取るという発想が起きるわけも無く。
だからこそ汎ヨーロッパ的な拠点を持つ教会が勢力を長きに渡って保てた。
106 :
世界@名無史さん:05/03/19 13:36:30 0
中世世界は「伝統尊重」が最優先ですべての人たちが体制維持こそが最高の美徳と信じられたから。
(「古き良き法」の論理)
>>65 亀レスですみませんが、「大僭称者」ジェームズ・フランシス・エドワードは
ジェームズ2世の2度目の妃(モデナ公アルフォンソ・デステ4世の娘)が産んだ子で
ガチガチのカトリックなので即位できなかったのでは?
最初の王妃アン・ハイドから生まれた子はメアリー2世とアン女王(になった娘二人)
以外は皆、ジェームズ2世より先に死んでしまったのですが、男の子が二人います。
チャールズ1世は、王妃(こちらもカトリック)には子供がいないけど、庶子は大勢いて
ほとんど爵位をもらっています。「大僭称者」もイングランド王とスコットランド王を
名乗らなかったら、公爵くらいにはなれたと思われますが。
大僭称者の長男が小僭称者チャールズ・エドワード・ルイ・カシミアで、次男の
ヘンリー・ベネディクトは子供のときからカトリックの坊さんになって、枢機卿まで
なりながら、兄の死後は「ヘンリー9世」を名乗っています。
>>107 それは勿論知っています。
廃位された皇族(この場合は王族ですか)の子孫を名乗って
反乱を起こすという例にあたるかと思って挙げました。
彼が即位出来なかったのは、言われるとおりカトリックであったからで
改宗を宣言すれば、即位の可能性があったようです。
この可能性を否定する為に、イギリス側から流されたのが
>>65のデマのようですね。
彼の誕生が父王の廃位の決定的な要因になっただけに、彼に爵位を与えるというのは
ちょっと想像できません。
また彼にすれば僭称しているつもりなんてないわけですから、王冠を捨てて
爵位を貰おうなんて思うかどうか疑問です。その妥協が出来るなら改宗してるんじゃないでしょうか?
ちなみに
>>107のチャールズ1世は2世の間違いだと思うのですが。
こちらは弟と違って、かなり政治センスがあったようですね。
臨終の時のエピソードから心情的にはカトリックだった事がうかがえますね。
少なくともそれを隠すだけの配慮があったわけですし。
余談ですが、森護さんの公爵本は彼の庶子ばかりが良く出てきた記憶が。
ロシアの僭称者が偽ドミトリーや偽ピョートルに止まらなかったような気がしたので
少し調べてみました。
偽ドミトリーが刑死した後にもドミトリーを称して名乗りを揚げる者が絶えないので、
ヴァシーリー-シュイスキーはウグリチに埋葬されてたドミトリーの遺骨をモスクワに
移し、盛大な葬儀でドミトリーがこの世に生存してないことをアッピールしました。
しかしドミトリーが挙兵したプチヴリにボロトニコフの乱が起こると、子供がないまま
死んだと思われていたイヴァン4世の皇子フョードルの息子と称するピョートルという
者がこれに呼応し、トゥーラに立てこもりモスクワに抵抗していましたが、結局は敗れ
ボロトニコフと共に処刑されてしまいます。
更に暴動で殺害された偽ドミトリーは偽者であり本物は生きているとして、別に再び
ドミトリーと名乗る者が現れ、あまつさえ殺された偽ドミトリーの妃マリーナまでが
これを証明し同棲します。この人物を偽ドミトリー2世と表現してる本を見かけますが、
そういう言い方だと偽ドミトリーの子か跡継ぎと誤解されることになります。後出者も
自分が本人であると主張しているわけですから前出者と同じ立場なわけで、2世という
わけでは決してありません。強いて区別するなら最初のが偽ドミトリーA、後発のが
偽ドミトリーBとでも書くしかないでしょう。
偽ドミトリーBはポーランド人部隊に担がれてモスクワ付近のトゥシノを本拠として、
反シェイスキー派を結集してモスクワ政府と抗争してましたが、ポーランド軍の介入で
トゥシノ政権は壊滅し、偽ドミトリーBは配下のポーランド人部隊にも背かれた末に、
カルーガへ逃亡した後に殺害されてしまいます。
ポーランドはスモレンスクやモスクワを支配し、スェーデンはノブゴロドを占領するし、
ロシアは無政府状態でまたまた偽ドミトリーが8人も出現します。ノブゴロド陥落後
プスコフに出現した偽ドミトリーCもその一人で、一時はコサックの支持を得たものの
間もなく蜂起した市民に捕らえられてモスクワで絞首刑に処せられました。
また偽ドミトリーBを奉じてモスクワに進撃した軍勢の中に、コサック部隊を率いる
ザルツキーという者がいましたが、ロシア国民軍がポーランド軍からモスクワを解放し
ミハイル-ロマノフがツァーリに推されると、ザルツキーはアストラハンを拠点として
偽ドミトリーBとマリーナの間の息子イヴァンを擁立しようと画策しましたが、結局
各地のコサックの協力を得られずヴォロネジでロマノフ軍に敗れ、ヤイク-コサックに
捕らえられてモスクワに送られ、ザルツキーは串刺しにされマリーナやイヴァンも共に
処刑されました。
ルーリク朝の断絶からロマノフ朝の成立までのスムータ(動乱期)は王莽の簒奪から
光武帝の漢室復興までの時期の、王郎や盧芳のような劉氏を冒称する野心家の簇出を
連想させます。こうした状況もミハイル-ロマノフの登極で王権の安定を見るに至り、
宮廷革命も地方反乱も漸減に向かいます。しかし高貴な血筋による不満の解決という
民衆の願望は絶えることはなっかったようです。
ミハイルを継いだアレクセイ-ミハイロヴィチの治世には、ペルシャへの略奪遠征で
ドンコサック族内での主導権を握ったステンカ-ラージンが、ヴォルガ河を遡上して
ロシアの統治を排除し勢力を拡大します。彼は各地の不満分子を糾合するため諸方に
「魅惑の書」と題する伝檄を発しますが、その中でアレクセイ-アレクセイヴィチや
ニコンが我が軍に参加しているぞと宣伝しています。アレクセイヴィチはツァーリの
アレクセイの皇位継承者と目されていた皇子で、ニコンは総主教としてツァーリをも
凌ぐ権威を振るっていた人で、後にツァーリと対立して失脚し流刑に処せらました。
ラージンはこの両者の名を標榜することで、ロシアの聖俗伝統そのものをば否定する
意図のないことを明示したかったのでしょう。これに対しアレクセイ帝はラージンの
宣伝を否定し、皇子は既に病没しておりニコンは流刑地に現に安置されていることを
声明しました。間もなくラージンの農民軍は新鋭の政府軍に敗れ、ドンに逃れ帰った
ラージンも仲間によって政府軍に引き渡され赤の広場で処刑されました。
このようにしてドンコサックはツァーリの権力体制に完全に服従して了ったのですが、
ピョートル大帝の北方戦争の最中に有力貴族のドルゴルキー公により逃亡農民探索が
強行され、これに反撥したコンドラティ-ブラーヴィンが率いるコサック部隊が蜂起し、
この時も「魅惑の書」を諸方に発して加勢を呼びかけています。ただしラージンのように
貴種の奉戴を呼号した記述が含まれているかどうか不明です。ロシア史におけるこれら
農民反乱について詳述した文献としては、ポール-アヴリッチ著「ロシア民衆反乱史」
(彩流社刊)が邦訳されていて、ブラーヴィンについても1章が設けられておりますが
今回は参照できませんでした。お持ちの方「魅惑の書」の内容についてお教えください。
結局ブラーヴィンは政府軍に破れ仲間に裏切られて殺されてしまいます。
その後は女性の皇帝や摂政が続いた末に久しぶりの男性皇帝ピョートル3世と、その
再従妹である皇后エカテリーナがいずれもドイツから迎えられました。ドイツ贔屓が
過ぎたピョートル3世は近衛将校のクーデターにより廃位され、皇后がエカテリーナ
2世として登極すると夫である前皇帝をロプシャに幽閉し、1週間後には暗殺して
時疫による崩御と発表しました。
後は明日に・・・
偽ドミトリー2号というのはどうだろうか。
ドミトリーってなんだよw
アヤメさんロシア語出来ないの晒して長文はみっともない
115 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/23(水) 12:55:27 0
ピョートル3世の暗殺から2年後には二十数年幽閉されていたイワン6世が暗殺され、
不明朗な即位の上に統治力が未知数な新女帝にとって危険な存在は抹消されました。
アンナ女帝の姪のアンナ-レオポルドヴナの子であるイワン6世は女帝により後継者に
指名され即位した皇帝ですが、ピョートル1世とエカテリーナ1世の間の皇女である
エリザヴェータにより、摂政となったレオポルドヴナとともに嬰児のうちに廃位され、
シュリッセルブルク要塞に拘禁されていたのでした。しかしエカテリーナ2世にとり
将来の不安要素が根絶したわけではなく、過去の遺孼による脅威は残存していました。
ピョートル1世の時代に皇太子に立てられていたアレクセイは大帝の教育に反撥し、
大帝とエカテリーナ皇后との間にピョートル皇子が生まれると対立は決定的となり、
アレクセイは大帝の命令に背いてスェーデン遠征に参加せぬばかりか、神聖ローマ
皇帝カール6世の庇護を求めてウイーンに亡命します。大帝はカール6世に引渡を
強硬に要求しましたので、カール6世も遂に折れチロルに保護していたアレクセイを
ロシアに引渡します。アレクセイは大帝から反逆の名の下に処断され獄死しました。
アレクセイの遺児ピョートル-アレクセイヴィチはエカテリーナ1世によって、崩御
直前に後継者として指名されピョートル2世として即位しましたが、3年後の大婚の
前夜に天然痘で暴崩してしまいました。
116 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/23(水) 12:58:09 0
かくてピョートル大帝の血筋はピョートル3世の遺児パーヴェルだけとなりましたが、
エリザヴェータ女帝とその愛人アレクセイ-ラズモフスキー伯の間の娘がイタリアに
居るとの噂が、パーヴェルが結婚した直後にエカテリーナ2世の耳に達しました。
パーヴェルの出生についてはピョートル3世は自分の胤とは認めたくなかったようで、
実際エカテリーナ2世には何人もの愛人が存在したことは隠れもない事実でしたから、
血統に疑惑のあるパーヴェルのエカテリーナ崩後における継位にとって、ピョートル
大帝の親縁者の存在は重大な障害となるわけです。もっともエカテリーナ2世自身は
パーヴェルを嫌っていたと思われるのですが、彼と妃のマリア-フョードロヴナとの
間の子の継承には期待していたわけですから、いずれにしてもこれを妨害する要素は
早いうちに芟除しておかなければなりません。
エカテリーナ2世はこの女性を呼び寄せ糾問しましたが、タラカーノヴァと名乗る
女性は自分がエリザヴェータ女帝の娘を冒称したことはないと弁解しました。結局
タラカーノヴァはペトロパブロフスク要塞に拘禁され、やがて洪水に襲われて溺れ
生涯を閉じました。フラヴィツキーの描く「公女タラカーノヴァ」と題する歴史画が
トレチャコフ美術館に所蔵されていますが、この溺死のシーンに取材したものです。
117 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/23(水) 13:00:23 0
ピョートル3世というとヘタレ皇帝でDV亭主というイメージで語られ勝ちですが、
当時の評判はドイツ贔屓という点を除けば必ずしも悪いものばかりでもありません。
彼が発布した「貴族解放令」は貴族から重荷だった軍役や公務を免除し、自発的な
奉仕に転換して彼等の領地経営への専念を許すものでした。こんなうまい話は多分
貴族だけにツァーリが下さったということはあるまい、これまで苦しい目にばかり
遭ってきた下層農民や農奴にも、「魅惑の勅令」を皇帝は用意していたに相違ない、
次にはそれを出して下さろうとしていたのに淫乱皇后が邪魔しくさった。ロシアの
民衆に伝統的な「良きツァーリ」に対する期待は、ピョートル3世にも向けられて
彼の生存説の流布という形で発現しました。
118 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/23(水) 13:08:08 0
ピョートル3世は表向は病死と発表されていましたが信ずる者は誰もおらず、実は
別人が身代わりとして埋葬され本人は生存しているという、例により定番の流言が
広く民衆の間で語られていました。そして彼の名を騙る人物が次々と8人も出現し
処罰されました。対プロイセン戦争を終わらせたピョートル3世に反し、トルコに
戦争を仕掛けたエカテリーナ2世に対しコサックの反乱が勃発します。プーシキンの
「大尉の娘」で知られるブガチョフの乱ですが、ブガチョフもまたピョートル3世を
冒称し、また例によって偽の勅令などを発して下層階級や少数民族を広く組織して、
ロシアの東方領土への通路を扼するオレンブルク要塞を包囲しました。トルコとの
戦争を漸く終結させたエカテリーナ2世は新鋭の軍隊を投入して、ツァーリツィンで
決定的勝利を得てブガチョフも捕えられ処刑されます。反乱はなお継続しましたが
やがてノバの本拠地も破壊されてしまい、ドン-コサックの抵抗も終焉しました。
119 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/23(水) 13:12:40 0
エカテリーナ2世が崩御すると彼女の本志に反してパーヴェルが帝位を継ぎました。
彼は母帝に対する反感も手伝ってか男性長子による帝位継承法を定めましたので、
これ以後のロシアの歴史には女帝の登場もコサックの反乱も偽ツァーリの出現も
見られなくなりました。
ただニコライ1世の治世にシベリアに出現したフョードル-クジミチの素性について、
タカラーノヴァがラジヴィウ伯との間に儲けた子であるとか、突然に不可解な熱病で
崩御した先代アレクサンドル1世が実は生存していた仮身だとか、いろいろの憶測が
飛び交っていたそうです。
いずれにせよロマノフ皇室の人気は衰退に向かい、ナロードニキの活躍が激化した末
エカテリンブルクの銃声はニコライ2世一家の命脈を絶ち、アナスタシア皇女の生存
伝説を残して皇朝の光芒は消えてしまいました。
長文カキコゴメンなさいでした。
>>114 御注意ありがとう。「ドミートリー」と表記しろということですね。
ということなので皆様お読み替えください。
正直な話ロシア語は全然わかりません。高校の同級生で早稲田の露文に進んだ子がいて、
ちょっと好きだったので「アタシも早稲田でロシヤ語やろうかなー」なんて一時妄想したことも・・・(^^;;
でも「ドミトリー」って書いた本もけっこう多いですよ。
序でにネタです。ロシアとの海戦に備えて連合艦隊の訓練では砲撃演習を励行しましたが、
何といっても馴染みが薄く長ったらしい露艦の名称が、水兵さんには悩みの種でした。
そこで考え出したのが露語名称をもじった一種の綽名でしたが、中でも難物がやたらと長い
昔のモスクワ大公から取ったドミートリー-ドンスコイでした。そこで付けた綽名が振るって
「ゴミ取り権助」だったそうです。これが記憶にあったのでついつい「ドミトリー」になっちゃう。
他の軍艦の例も挙げとくと、呆れ三太(アレキサンドル三世)国親父座ろう(クニャージ-スウォーロフ)
薄いブリキ(シソイ-ヴェリキー)ボロ出ろ(ボロディノ)水漏るぞ(イズムルード)蟻寄る(アリョール)
押すとピシャ(オスラービヤ)
121 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 16:19:09 0
やっぱり,秦の始皇帝が古今東西最強だよな
父親も卑賤(どこの馬の骨だかわからない商人 商人は当時農民より下)
母親は遊女(要は売春婦 名前もわからない卑賤の出)
もうすごすぎて笑いがとまらん
122 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 16:38:58 0
>>121 実際の血統はどうあれ、秦の王族として育っているわけで。
史記にも書かれるぐらいに公知なこととはいえ。
あと、それを言ったら西欧だって公開出産以前はどうなっていたか
知れたもんじゃない。
124 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 18:44:41 0
秦では
父親が卑賤(どこの馬の骨だかわからない商人 商人は当時農民より下)
母親も遊女(要は売春婦 名前もわからない卑賤の出)
でも王になれるんだからすごい
西洋よりはるか先をいっている
125 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 18:51:27 0
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ちょ、ちょっと待って!!
| 今
>>124が何か言った
, ,-;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:,. ヽ─y────────────── ,-v-、
/;:;:;:;:;:;:ミミ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;`、 / _ノ_ノ:^)
/;:;:;:;:彡―ー-、_;:;:;:;:;:;:;:;| / _ノ_ノ_ノ /)
|;:;:;:ノ、 `、;;:;:;:;:;:i / ノ ノノ//
|;:/_ヽ ,,,,,,,,,, |;:;:;:;:;:;! ____/ ______ ノ
| ' ゚ ''/ ┌。-、 |;:;:;:;:/ _.. r(" `ー" 、 ノ
|` ノ( ヽ ソ |ノ|/ _. -‐ '"´ l l-、 ゙ ノ
_,-ー| /_` ”' \ ノ __ . -‐ ' "´ l ヽ`ー''"ー'"
| : | )ヾ三ニヽ /ヽ ' "´/`゙ ーァ' "´ ‐'"´ ヽ、`ー /ノ
ヽ `、___,.-ー' | / / __.. -'-'"
| | \ / | l / . -‐ '"´
\ |___>< / ヽ
>>120 ディミートリーじゃないのかと
少なくともドミトリーはないだろw
ドーミトリーだとホステル安宿か修道僧の居住施設だ
127 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 20:28:05 0
秦の始皇帝の親がアレの話は、漢の時代の創作だよ。
ようするに漢は秦がいかに常軌に外れた国であるか宣伝しなければならなかった。
秦の遺民に蜂起されたら嫌だから。
長安の付近にすみついた秦王の子孫や一族も脅威だったってことだ。
それには始皇帝の血筋を汚しておけば好都合
項羽が放火・略奪・虐殺したとかいうデマもおなじ。南京大虐殺と同じで証拠は何もない。
128 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 20:41:04 0
中国の本性は、そんなところでしょうね。
短命王朝だろうと、そうでなろうと、「前政権」というのは不当に評価されるもの。
現政権にとっては、不当な評価をしなければならないもの。
その内容がデマであっても、でっち上げであっても関係無い。
目的は、真実を伝え広める事では無く、現政権の正当性を伝え広めるものだから。
130 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 22:46:04 0
明や清のころの歴史家は、前王朝が倒れた後の、つぎの王朝が歴史を編纂するのはよくないと
いってる。もうすこし待って、2代交替したあとが良いらしい。
数十年前ならその歴史の経験者が存命してる例もおおく、生々しい歴史の証言は得られるが
何かの個人的都合で真実を故意にゆがめることも多いからね。
(いまの王朝への忠誠とか、存命してる関係者の名誉に対する配慮で)
その意味では、第二次大戦の歴史が正しく書かれるのは、あと50年から100年さきだろう。
いまはヒトラーも酷い言われようだが、はたしてどうなるか。
皇帝ナポレオンも、戦争に負けた当時はかなり悪口を言われたものだ。
131 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 07:16:47 0
>>127 >秦の始皇帝の親がアレの話は、漢の時代の創作だよ。
ソースは? 脳内?
132 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 07:41:16 0
>>秦の始皇帝の親がアレの話は、漢の時代の創作だよ。
>ソースは? 脳内?
本に書かれてるだけで信じるバカっているんだなw
むしろ、司馬遷のソースが知りたい
134 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 07:44:41 0
自分の妄想をさも正しいみたいに力説する基地外はうんざりだな
>>127とか
135 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 07:45:58 0
>>132 おまえは現役のイタコなのか?wもちろん文盲の無学w
136 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 07:55:56 0
まあ母親が娼婦って時点ですでに古今東西ありえない王なわけだが始皇帝も。
ソノバビッチな王だ。
ソノバビッチが最初の皇帝っていうのがすごいな中国。
137 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 08:01:23 0
斎藤義龍の出生同様、真実は闇の中だろう。>始皇帝
だが、
>>133の意見には同意。
138 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 08:04:09 0
「史記」って葬式に出られないで師匠から破門される
話が何回もでてくるよ。「白髪三千畳」の国のネタを
信じてる
>>135ってシヴァ信者?w
139 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 08:13:44 0
自分の妄想をさも正しいみたいに力説し、それを人にたしなめられるとレッテル貼り。
もう基地外というか人格障害というか
140 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 08:14:51 0
>やっぱり,秦の始皇帝が古今東西最強だよな
>父親も卑賤(どこの馬の骨だかわからない商人 商人は当時農民より下)
>母親は遊女(要は売春婦 名前もわからない卑賤の出)
勉強になるな
141 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 08:36:45 0
始皇帝が馬の骨の子孫でもいいじゃん
おまえら誰か困るのか?
ムキになって否定してるやつはどういうBGをもっているやつなんだ?
お前ら西洋ではなんで農民が天下取れなかったか論じて下さい
>>138 「白髪三千丈」は詩的な比喩表現だろ
気分的にそれだけ長い時間がたったって事だ
頭悪い事言うなよ
そもそも「一日千秋」を使ってる俺たち日本人が言うことじゃないな
秦の始皇帝みたいに母親が娼婦の帝王は流石に西洋にはいないだろう
ローマの歴史学んでないなw
スターリンはどうなの?
皇帝自身が男娼で客を取ってたとか・・・
うはは、ヘリオガバルスか。>>男娼
クラウディウスの皇后メッサリーナは皇后になってから娼館で体売ってたしな。
149 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/26(土) 13:41:06 0
>>126 再度の御教示ありがとう。ロシア語に堪能な方がおっしゃるんだから従いましょう。
でもちょっぴり負け惜しみも言わせてね。
キリールだと"Дмитрий"って表記ですよね。これを単純にラテン翻字すると"Dmitrii"。
英文サイトなんかだと確かに"Dimitrii"となってるのを見かけます。"Dimitrij"もありますね。
何でДмитрийがDimitrijになってしまうのか?
子音の重複が原因かと思い「ロシア語講座の部屋」というサイトを読んでみました。
http://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-11-3.htm すると 歯子音+軟化した唇子音 の場合は 軟化した歯子音+軟化した歯子音 で発音する、
その方が美しい正式なロシア語とされているそうです。
しかし気にせずそのまま発音する方式も混在しているので、一応知っておけば良いとのこと。
例として Дмитрий ドミートリー > ディミートリー
мが軟化した唇子音で、そのмがдを軟化させているのだとか。
こういうことなんですね。そして
>>126さんは美しい正式なロシア語を志向する方なんでしょう。
150 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/26(土) 13:43:09 0
人名の表記−特にカタカナ表記についてのサイトを探してみましたが意外と見当たりません。
そこで「怪しい人名辞典」というサイトを覗いてみました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~ros/alp/d5.htm 「ロシア語名カナ表記/タ行」で引いてみると
[ラテン] Dmitri(i) Demetrius のロシア語形
[カナ] ドミートリー
[カナ] ドミトリー(慣用表記)
[ロシア文字] Домитрий
(古形)Димитрий [ラテン]Dimitri(i)
となっていました。
151 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/26(土) 13:44:38 0
ネット上で一般的なのはどの表記かサーチしてみました。
Дмитрий 1,750,000 はロシア語サイトを中核として圧倒的。
Димитрий 72,900 とさほど支配的ではない。
Домитрий 6 と有意的な数字ではなく、かつロシア語サイトでは見かけません。
Dimitrij 145,000 次いで Dmitrii 100,000 次が Dimitrii 7,310
といったところが外字サイトの状況。
邦字サイトでは
ドミトリー 65,600 と多数派ですけど、ユースホステルなんかもヒットしちゃうので、
ドミトリー+ロシア で検索すると 6,710 と減少します。
この上位100件をサンプルとしてチェックすると4件が宿屋関係なので比例推計すると
6,710*0.96=6,441 となる。
ドミトリー 6,441 と最多ヒット
ドミートリー 4,390 ヒット4,480 上位100件のうち宿屋関係は2件なので比例推計
ディミートリー 100 と極めて少ない。
152 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/03/26(土) 13:46:46 0
という結果なので、一般的には ドミトリー が慣用されていて、
ロシアでも ドミートリー に対応する発音が一般的なようです。
そして ディミートリー はどうやら古雅な形らしいです。
多分ルーリク朝やスムータ期ころはДимитрийだったのが、
近世になってДмитрийが一般的ということに変化したんでしょうか。
ということで歴史的学究的にはディミートリーが正確、でもドミートリーも許容範囲。
ということにしておけば、いい感じ♪(歌が古くてゴメン)
「ドーミトリーだとホステル安宿か修道僧の居住施設だ」は極めつけ過ぎじゃないかしら?
>>126ではないが、回答してあげる。
ДмитрийのДは軟音化しない。したがって、「ドミートリー」で正しい。
йを長音記号「ー」か「イ」で表記すべきかは揺れている。
アクセントがくると長くなるが、必ずしも均一に長くなるわけでない。
「ミハイール」よりも「ミハイル」が原音に近いような感じがする。
しかし、ロシア語はかなり転写原則がある。ポーランド語やチェコ語だと
無法状態になっている。と言っても、Родищевは「ラジーシチェフ」と
表記するのが慣用だが、ロシア人は理解しない。
それから、フィン・ウゴール語の「ペルム」表記だが、
ロシア語では「ペルミ」と軟音化する。
>>79 キリストの父はアブラハムの子孫ヨセフなのか?
マタイ等の記述を信じるなら、
ヨセフはアブラハムの子孫であるが
キリストはヨセフの子ではなくなる。
(マタイによる福音第1章)
155 :
世界@名無史さん:2005/03/26(土) 16:24:30 0
「ディミートリー」というと、シェイクスピア:真夏の夜の夢のディミートリアスDemetriusと同源?
原義は、デメテル神と関係あるんでしょうね、きっと。
Demetrios/Demetriusって名前、
ギリシア・ローマではメジャーな名前だから、
キリスト教化しても残ったんでしょうねぇ。
157 :
世界@名無史さん:2005/03/26(土) 19:31:46 0
射精しますた
きもちいい
気になったので調べてみた。あやめ氏の記述がほぼ正しい。
Дмитрийはギリシア語のDemetrios(デーメートリオス)に由来。
Demetriosは大地母神Demeterからの派生語。
教会での正しい発音はДимитрийで、このため古形として残った。
日常語では、МитрийまたはМитрейも使用されるとのこと。
ДимитрийのДは軟音化するので、「ヂミートリイ」である。
「ディ」とはならない。ただし、普通、「ヂ」は「ジ」と表記している。
159 :
世界@名無史さん:2005/03/26(土) 23:50:14 0
>>154 イエスの父ヨセフはダビデ王、ソロモン王の子孫とされるため、
ユダヤ人のメシア王として持ち上げられた経緯があります。
マタイによる福音第1章でも私生児を受け入れるか悩んでいるところに
現れた天使がヨセフに語りかける言葉は「ダビデの子ヨセフよ〜」でしょ?
ただ、ご存知のとおりイエス自体は淫売マリアとローマ兵パンテラの間に
生まれた不義の子だからな。
160 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 03:38:03 O
>>142 古代ローマにはディオクレティアヌス大帝という、ダルマティア地方出身の元貧農皇帝がいます。
よって西洋にも農民が天下をとった例はあります。
クロアチアのスプリットという街はディオクレティアヌスの隠居宮殿跡地にできた街です。
隠居後はキャベツづくりに精をだしていました。
その楽隠居もひっかきまわされて可哀相だけどな。
キャベツってバスク人の不思議な野菜って感じだったけど
帝政ローマの頃には既にそこそこ普及してたんだ…。
162 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 17:26:21 0
中世以前なら出世できたのは確かだな。
3C〜18C初頭は絶望的だがな。
>>162 西欧のお話だよね? ビザンツなら出世できたんで。
だってローマやビザンツは一応『共和国』ってことになってるからさ。
オスマン朝でも、バルカン出身の農夫の倅がデヴシルメにあって、スルタンの
近習かなんかから大出世した奴とかいそうだしな。
165 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 18:52:39 0
ビザンツ、オスマン両帝国を西洋とするならば、
そのとおり。
西洋をカトリック文化圏(含む新教)と捉えるならば、
農奴で天下をとった人間はいない。
しっかし、こんなにクラスがガッチガチの中から民主主義だの普通選挙だのが
生まれてくるんだから面白い。
上のほうでモロたんの名前が出てたけど
ルネサンス頃のイタリア都市国家の商人とかはアッパークラスになるの?
なんか小船1艘の海運屋がきな臭いオスマンとの貿易したりして
一代で財閥ってイメージがあるんだが爵位とか買えなかったのかな?
ヴェネツィアは厳密な血の支配の国だし、
ジェノヴァ商人はあまり政界に出たがらんからなー
当時のイタリア都市国家では「貴族に封ぜられたら負けだと感じてる」って見方が主流じゃないかな?
メディチ家もトスカナ大公になったのは一旦国を追われた後だし。
オルシニのような大豪族も本家は爵位持ってなかったりするから。
>>「貴族に封ぜられたら負けかなと思う」
さすがだな。ニートくんとは似て真逆のベクトルだ。
骨の髄まで商人カコイイ!
171 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 09:19:36 0
でもなんだかんだで所領買いあさるよね。
172 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 11:01:35 0
西洋でも農民から天下とれるみたいね。
でも秦の始皇帝みたいに,
父親が卑賤(どこの馬の骨だかわからない商人 商人は当時農民より下)
母親も遊女(要は売春婦 名前もわからない卑賤の出)
で天下を取った人はいないよね?
啓蒙思想にかぶれたヴォルテールを、無神論者と激しく軽蔑していたモーツァルトみたいのが
一般的な認識だからむりでしょ。身分は神がつくられたものだからそれを否定するのは教会の
否定になる。
モーツァルト自身、主人のザルツブルグ大司教の宮廷からのがれてウィーンにいこうと辞表を
だしたとき、大司教の侍従の伯爵に「恩知らず」と足蹴にされて泣いてるんだけど。
ローマ教会の直轄領のザルツブルグ大司教領の首都、ホーエンザルツブルグ城では音楽家に
誰も敬意を払おうとしないというのが彼の不満だった。
ま、オウム真理教から脱会するようなものでしょうか。当時の教会に逆らうのは。
豊臣秀吉って確か天皇の御落胤を称してたから
農民出身に入るのは微妙かもw
>>172 自分の恥垢の臭いで狂ってしまった真性包茎くん乙
176 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 13:10:07 0
>>172 いないねぇ。
秦の始皇帝みたいに,
父親が卑賤(どこの馬の骨だかわからない商人 商人は当時農民より下)
母親も遊女(要は売春婦 名前もわからない卑賤の出)
これはいない
考古学板の 鬼塚
歴史板の あやめ
中〜北部イタリアにおける「貴族」の定義が知りたい。
皇帝から受封した形になってる人たち(ミラノ公、サヴォイア公など)や
教皇から?受封した人たち(フェラーラ侯、ウルビーノ侯など)と、
爵位がなくても領土はあるオルシーニ、コロンナなどのローマの勢力、
ヴェネツィアなどの身分制共和国における政治参加資格保持者、
これらは互いに異質な存在だと思うが、全部「貴族」と読んでいいんだろーか。
極端な話、自分は城か砦に篭って、領地から税金を取れるシステムがあれば
爵位なんぞいらない罠。
一歩間違えれば山賊だ。つーか、貴族のルーツはほとんど盗賊・泥棒だ。
盗賊騎士なんて言葉があったくらいだ。
オルシーニはローマに砦と私兵を持っていて、法王庁に睨みをきかしてた。
田舎なら山賊だが、場所がたまたまローマ市内だっただけ。
法王の跡目争いする坊主どもは、オルシー二を味方につけたほうが得だと考えた。
ただ座ってるだけで名誉と富をローマ法王庁からざくざく持ち込んでくる。
法王の権力に近寄りたいヨーロッパ中の名家、王家から縁組を持ちかけられる。
ローマ法王を輩出したフレンツェの権門メディチ家も、オルシーニの娘を貰うことで
はじめて一門から枢機卿をだすことができた。
ファルネーゼ家もボルジア家もオルシーニを縁をむすんだ。
オルシーニはローマに自分の城と兵隊を持ってるし、自分が王なのだから爵位など
もらって他人の家来になる必要はない。
ただ分家や傍系は他人の家来になって飯を食う必要から、公爵になったりした。
中世の頃、西洋って中国ほど中央集権化されてないじゃない。
中国なんか官僚化が進んで大商人とか出てこないしさ。
その点、西洋は徴税も商人任せ
その分、トップをとらなくても、そこそこの権力を振るえる地位に
上れるからそこで満足しちゃうのかもね。
181 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 21:52:05 0
age
182 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 21:58:21 0
西欧には「身分制議会」というものがあったのも大きいのでは?
身分というものは人間を縛る反面、最低限の権利を保障してくれるものでも
あった。
>>182 それは中世後期に階級が固定化した後の話だから。
権利の保障は自由人か非自由人かが重要な問題かと思う。
>>56 遅レスだが、
ラテン帝国建てたボードゥアンのフェイクが、その本来の領地であった
フランドルに現れたことがある。
185 :
世界@名無史さん:2005/04/16(土) 16:18:16 0
ローマ帝国を復興したユスティニアヌス1世は貧農出身らしいが。
まあ有力な軍人だった叔父の引き立てがあったんだが。
186 :
世界@名無史さん:2005/04/16(土) 17:27:54 0
ユスティヌス1世がホントの意味で農民上がりだろ。
貧農とは言っても
朱元璋よりはるかに上のランクだったらしいけどね。
十分食っていけるぐらいの。
188 :
世界@名無史さん:2005/04/17(日) 21:28:27 0
スレのお題とはズレるが、中世封建制から絶対王政に移行する際に、何故中世の王家の
係累が順調に権力を拡大できたのか?
中央集権化するのは歴史の必然であるにせよ、中世においては国王というのは諸侯のまとめ役でしかなく、
必ずしも最大の領主だったわけではないのだから、他の有力な貴族が天下を統一してもおかしくなかったはず。
そもそも西洋では王朝が交代するのは前王朝の断絶が多く下克上的な交代はあまり無いし、新王朝と前王朝
が血脈において全く無縁でないのは何故?
例えばヴァロア朝からブルボン朝に交代したといっても、ヴァロア家の後継者が途絶えたからであって、
ブルボン家が強くなってヴァロア家を倒したというわけではなく、もちろんブルボン家とヴァロア家は縁続きである。
イギリスにおいても、ランカスター家とヨーク家の争いがあったが、両家とも王家である事に変わりない。
織田信長が足利将軍を追放したとか、徳川が豊臣を滅ぼしたというのとは違うわけだ。
189 :
世界@名無史さん:2005/04/17(日) 21:34:59 0
>>188 でも日本でも天皇家はついに滅ぼすことはできなかったよな。
よくて流罪。
190 :
世界@名無史さん:2005/04/17(日) 22:40:11 0
>>188 バランスオブパワーの法則が働き、隣接する王権が伸張しないようにと
お互いの足を引っ張り合ったからヨーロッパ統一皇帝が登場しない。
農場中心の貧しい地域で富の蓄積がないので被支配民から突き上げも無く、
敵対する諸侯も自滅して行き王権がダラダラと継続した。
大航海時代の結果、商業中心に変わり富の蓄積を背景に絶対王権を展開するが、
新興の被支配者階級を凌駕するほど王権が伸張しなかった。
暴徒に襲われて市民革命が成立した事はヨーロッパ王権伸長の失敗を意味する。
>>190 カトリック教会の存在も大きいと思われ。
アメリカ独立のとき最大の懸案は、王の専制の害をどうやって防ぐか
ということだった。
もともと王の権力を逃れて独立を果たした背景から、それ以上の圧制者
が現れては独立した意味が無い。
しかし当時は同盟国のフランスも王政であり、過去の模範としては
二千年前の共和政ローマぐらいしか手本がなかった。
そこで議会と選挙による執政(大統領)の統治というローマ帝国風な
古い政治体系がアメリカで成立した。
大統領を軍の最高司令官なら、ローマ軍司令官=皇帝とも解釈できるが
初代大統領ワシントンは、きわめて裕福であり、妻の派手な性格から
「圧制者になるのでは」と疑惑をもたれ、事実彼の死後、国で一番の
大金持ちであることが判明した。
この反省から、大金持ちが大統領になることは警戒されるようになった。
新生国家アメリカとて初期の独立段階は領土もすくなく脆弱だった。
ニューイングランドの僅かな植民市があるきりだ。
しかも、北半分の植民市は独立に合意しなかった(いまのカナダ)
イタリアの都市国家のように、臨時の傭兵隊長が戦争につけこんで
雇い主の市民や議会を「外敵に対する守護者」として丸め込み
絶対的な独裁権限を掌握して、いつのまにか世俗領主になりおさまる
という歴史の可能性もありえた。
その場合、君主の治める小さな都市国家として永らえたのかもしれない。
アメリカが現代における共和政ローマとアメリカ人が考えてるならば、
その後の好戦的で帝国主義的な拡張路線も理解できよう。
そもそも、共和制の国のほうが、ローマとは関係なく、好戦的なものだが。
>>188 ドイツ王権はどうよ。ハプスブルクの初期なんかもろに国王と目されてなかった貴族の台頭だと思うが。
他はスウェーデンのヴァーサ朝やポルトガルのブラガンサ朝なんかは、反乱軍の推戴した貴族が王になったという例。
196 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 16:45:25 0
>>193 ウィリアムも王位継承権を一応主張して攻め入ったんだよな。
>>195 ハプスブルクは強力なグラーフだったよ。
選帝侯達が自分達から抜け駆けを許さず、なおかつ強力な指導者をという点で
選ばれている。
198 :
195:2005/04/19(火) 10:31:53 0
>>197 だから
>>188の言っている「中世の王家の係累」ではない「他の有力な貴族が天下を統一」した例として適当なんだと思うんだけど?
199 :
世界@名無史さん:2005/04/19(火) 19:29:08 0
だってドイツ王制は選挙王制だから。
帝国諸侯等族の原則は守られているから、血縁を重視していないとまでは言えないよ。
(王家に直接繋がっているわけではないけれども)
天下を統一という考え方はアレだが、その条件に当てはまる中世ドイツ王といえば
ハインリヒ1世が適当ではないだろうか?
200 :
世界@名無史さん:2005/04/19(火) 19:35:16 0
鳥刺王ハインリヒ1世は、カール大帝に征服されたザクセンの出身で
あるにもかかわらず、国民投票で神聖ローマ皇帝に選ばれた。
>>199 というかシュタウフェン家は既に滅亡している(継承権要求者はいたが)というのが
帝国の公式見解だったから、王家に宿る血縁的栄光はこの場合は既に失われている。
ルードルフから、一代挟んでのハプスブルクの選出はあきらかにこれに該当する要素を持っていると思うが。
202 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 00:20:27 0
ミラノのヴァスコンティ家についてしりたいage
203 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 00:23:56 0
ロシア革命があるじゃないか
204 :
世界@名無史さん:2005/05/14(土) 03:13:38 0
貴族ってのはどこの国でも、ご先祖は腕っ節の強いお百姓さんだよ
何代経っても腕っ節が強いだけの暴れん坊は淘汰されてしまう
205 :
世界@名無史さん:2005/05/14(土) 18:40:37 0
>>202 ヴィスコンティ家は、ミラノのギベリン派の名家で、12世紀に副伯の称号を
得た。
1277年にはミラノの支配者である豪族トリアーニ家を倒して実権を握る。
14世紀には神聖ローマ皇帝から「ミラノ公」の称号を買収。
勅す! ちなみに、明の刑罰は、凌遅三千刀→普通の死刑(撲殺)
→雲南流罪→万里の長城建設で一生強制労働(今世界遺産に指定されている
万里の長城を一生作らされる。山の頂上や砂漠にも長城があり、まず死ぬ)
の順で重い。心しておくようにのお。(ホントはもっと複雑なんだけどね)
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
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r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
フランスの歴史家ジョルジュ=デュビーは、
10世紀に登場した厳しい領主制(「バン領主制」)により、
兵農分離が進んだという「封建革命」を提唱している。
領主に従属して騎士となるか、
「武装権」を喪失して農奴となるかの選択を迫ったため、
半農半士であった自由農がいなくなったといってるよ。
また、「カンブレー教会史」でカンブレー司教ゲラルドゥスは、
“人類は最初から三つの部分、すなわち祈る人、耕す人、
戦う人に分けられていたことを明らかにした。”とあり、
領主によって武器と自由を剥奪したうえ、
教会によって階層分化が後押されたため、
ヨーロッパの農奴では天下を取れなくなったんじゃないかな。