黄河、大運河をめぐる歴史

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
有史以来26度に渉って流路を変えた黄河、
中国の経済構造を変えた大運河、
を、語れ。
2煬帝:05/02/23 21:45:23 0
大運河を造った朕に対する評価はいかほどかな?
3世界@名無史さん:05/02/23 21:50:16 0
民百姓のために造ったんじゃなくておのれの遊びのためだろうが。
4宇文化及:05/02/23 21:53:04 0
>>2
逝ってよし
5世界@名無史さん:05/02/23 21:58:23 0
春秋戦国時代、黄河は天津市付近を流れていた。
その流路は明の大運河で再利用された。
6世界@名無史さん:05/02/23 22:31:12 0
開封の街は、何度も黄河の洪水であぼーんした。

宋時代の開封は、地下15mに埋もれているという。
7世界@名無史さん:05/02/24 06:39:10 0
黄河は長江の支流だったことがある。確か元の時代?
8世界@名無史さん:05/02/24 13:03:19 0
>>2
運河を開くと運が開くと思ったのでせうか。
9世界@名無史さん:05/02/24 14:42:25 0
元代は大運河が埋まってしまい、海運で揚州から山東半島を迂回、天津付近
から河川に入り、大都まで産物を運んだ。
明代に再び運河を使えるようにしたけどね。
10世界@名無史さん:05/02/24 14:52:59 0
随の大運河と明の大運河は揚州以北は別のルート。
「再び使えるように」ではなく「新たに開削」。
11世界@名無史さん:05/02/24 15:12:50 0
12世界@名無史さん:05/02/24 21:59:18 0
世界の5大運河
 中国の大運河
 スエズ運河
 パナマ運河
 ボルガ=ドン運河
 ライン=マイン=ドナウ運河
13世界@名無史さん:05/03/04 02:31:40 0
カラクム運河はやはり結局「巨大空堀」?
14世界@名無史さん:05/03/04 08:56:29 0
カラクム運河はむしろ農工業用水ではないかと思う。
15世界@名無史さん:05/03/04 11:59:30 0
黄河断流の原因と対策
http://www-cger.nies.go.jp/lugec/Survey99/Report99Survey.htm
黄河は中国北部において21世紀の持続的発展の「生命線」と言われている。
黄河の水は中華民族五千年の文明を育ててきた。
しかし、人口の増加と経済発展に伴って、水資源の利用量が大きく増加し、
有限の黄河の水量に重い負担をかけ、黄河下流域に断流が毎年発生している。
16世界@名無史さん:05/03/04 20:26:45 0
483 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 21:46:39 ID:zA27KhYi
厳密に言うと源流紀行ではありませんが、江戸時代のプロジェクト×(ペケ)として有名な
茨城県茨城町〜鉾田町の勘十郎堀=紅葉運河を辿ってきました。
持ち物は明治の迅速測図二万分の一「小幡村」、二万五千分の一「小鶴」「下吉影」。
こちらhttp://business2.plala.or.jp/ibarakit/tekuteku/tekukan02.htmの印刷

冬だから、水田の脇の道路を自動車で通れるだろう思っていたが甘かった。
ほとんど休耕田となっていて、藪と倒木だらけ。 堀を横切る道路を辿る結果となった。

運河は、茨城町海老沢から谷津を利用して南下し、標高は少しづつ上昇する。
途中水門が作られたと思われる所になぜか梅林。その先は森の間で、
どう見ても日が差さず、初めから水田ではなかったと思える。 幅も狭くなって十メートルもない。

中間地点で「逆川」という川と交差する。ここだけ運河は途切れている。
使われなかったのに、運河の形を残す必要もないけれど。

ここから運河の水は逆転して南へ流れる。(といっても、ほとんど流れず淀み水ではあるが)
しばらく幅十メートル以下が続く。

やがて幅が広くなり、森も開けて休耕田が続き、小さなため池に至る。
迅速測図を見ると、その頃はため池の下の水田を含むもっと大きな池だったらしい。

その水田は、紅葉村の北側で締めきられて大きな池になっていたのが、
それが締め切りを抜かれて水田になったものだろう。

締め切りから横に向かって水路の跡。
すっかり林が水路の底にまで侵し、地面もかなり高くなっているようだ。
このさき、トンネルがあったはずだがそれは深い藪の向こう。

紅葉地区を抜け、鹿島神社の脇の沢が巴川に合流する前の最後の堀。 神社の境内から淀んだ水が見えた。
17世界@名無史さん:05/03/04 20:27:13 0
484 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 21:54:28 ID:zA27KhYi
(続き)
一応源流スレなので、そのついでに逆川ともうひとつ名称不明の川の源流にも行きました。
逆川の源流は花粉たっぷりの杉林、もうひとつの川は畑地の間に窪の水田から。
まるでドラマのない源流でした。


485 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 22:04:17 ID:zA27KhYi
運河の説明はこちらが
http://homepage1.nifty.com/hinuma/kiyou16.htm
18世界@名無史さん:05/03/06 18:52:05 0
そして21世紀。
断流やまぬ黄河流域と
洪水絶えぬ長江流域を救うべく、
「南水北達」プロジェクトが立ち上がった・・・
19世界@名無史さん:05/03/09 23:45:02 0
始皇帝が造った、長江水系と珠江とを結ぶ運河、なんという名前でしたっけ?
こっちはあまり評価を聞かないが、当時としては画期的だったのでは。
20世界@名無史さん:05/03/09 23:57:59 0
宗次郎 - 大黄河.mp3
21世界@名無史さん:05/03/18 19:22:45 0
>>12
ボルガ=ドン運河って、ソ連が元気な頃の教科書では評価が高かったが
今はどう書かれているのかな?
22世界@名無史さん:05/03/18 21:50:04 0
黄河のうねりの移り変わりが見れるサイトとか本ってないですか?
スゲエ見たいのですが。
ちなみに折角の>>11は文字ばっかで読む気も失せる。
23世界@名無史さん:05/03/18 22:55:22 0
>22

図書館に逝って「NHK特集 大黄河」でも読みなさい。
昭和61年に一年間にわたってNHKで放映された「大黄河」の書籍版。
その第四巻あたりに河道変遷図が載っている
24世界@名無史さん:05/03/21 00:22:27 0
長江から黄河へ導水:「南水北調」工程
http://www.spf.org/sjcff-j/nansui/c_web/project2.html
25世界@名無史さん:2005/04/08(金) 20:42:39 0
ボルガ川のように大運河にも船曳きを職業とする人夫っていたの?
26世界@名無史さん:2005/04/08(金) 23:26:55 0
運河は要所ごとに水位調整堰があったんですよね?
自然水位差だけであの長距離を渡れるわけない気がするし。
とすれば>>25の船曳は当然必要と思うが
27世界@名無史さん:2005/04/09(土) 18:37:38 0
南宋の武将で、金軍を倒すためと称して黄河を決壊させて
物凄い被害を出した人がいませんでしたっけ。
28世界@名無史さん:2005/04/16(土) 23:53:18 0
age
29世界@名無史さん:2005/04/23(土) 13:36:32 0
冬季は凍結する地域はなかったんでしたっけ?
30世界@名無史さん:2005/04/23(土) 15:20:38 0
北京・天津近くは凍った記憶が。
船を荷橇に替えて運搬してたのはもっと北のほうかなあ。
31世界@名無史さん:2005/04/23(土) 19:55:49 0
隋の煬帝を倒した唐王朝が有効活用した
32世界@名無史さん:2005/04/24(日) 10:28:59 0
三石善吉『中国、一九〇〇年 義和団運動の光芒』中央公論社、127〜128ページより

 一九三八年六月一二日、蒋介石軍(湯温伯将軍)は日本軍の徐州作戦を阻止するため、鄭州の
東北で黄河の堤防を破壊して、日本軍の追跡を断ち切ろうとした。黄河は流れを変え、淮河に流
れこみ、黄海に注ぐことになった(第七回目の河道改変・南流である)。淮河の氾濫でこの流域の
人民は壊滅的な打撃をうけ、日本軍の追撃作戦も足止めを食った。この時の被害は四四の県市と
約五万平方キロの土地が黄色の「みずうみ」と化し、一二五〇万人が災害を受け、三〇〇万人以
上が故郷を離れざるをえなくなり、八〇万人以上が死亡したとみられる。
33ぢゅらさん:2005/04/24(日) 10:46:39 0
>>32
「敵を倒すにはまず味方から」

「究極超人あ〜る」のギャグだがそれを地で行くとはなw
34世界@名無史さん:2005/04/24(日) 18:19:59 0
>32
>27のアンサーかと思ったら20世紀かよ!
35世界@名無史さん:2005/04/29(金) 18:39:28 0
>>25
船曳きは牛馬にやらせてたんじゃないの?
36ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :2005/04/29(金) 19:13:53 0
>>25
イリヤ・レーピンの『ボルガの船曳』が非常に有名ですが。
37世界@名無史さん:2005/04/29(金) 19:36:21 0
>>35
淀川や木津川も人足がいたはず。
38世界@名無史さん:2005/04/30(土) 00:50:00 0
>>29

寒さの厳しい黄土高原あたりは、当然凍結する。
春先には、解けた氷のせいで流れが詰まり、洪水が発生することがある。
氷塊を含んだ濁流はとにかく破壊力が大きく、恐れられた。
39世界@名無史さん:2005/05/01(日) 03:20:43 0
>>38
凍った黄河の氷を村人が爆破するのは晩冬〜早春の風物詩だったそうで、漢詩にも
春の訪れを待ちわびる場面で登場するとのこと。
40世界@名無史さん:2005/05/01(日) 12:41:43 0
>>39
凍った黄河の氷を村人が……爆破!? 
「氷を村人が爆破」と「漢詩」のギャップがすごいが、
宋代から中国には火薬があったぐらいだから、あり得ない話ではないかも。

現在では凍結した黄河を春先に中国軍が戦闘機から爆撃して氷を砕き、
水害を防いでいるという話は聞いたことがある。
41世界@名無史さん:2005/05/06(金) 18:48:50 0
水量を調節する取水口にあたる川が凍結すると、運河の水量も
不足する事態も招くのです。
故に、冬季も運河を使うためには氷結した川を砕いて砕いて……
大変な労働です

ちなみに金と南宋に二分割された運河は
当然南北(漕運)交通の必要性も薄れたために放置された場所もあり
荒れるに任せたり、運河を埋めて麦を植えた耕作地、住居地へ有効
利用をはかる有様が垣間見えます。
42世界@名無史さん:2005/05/14(土) 19:13:50 0
埋め立てされた地域もあるんですかあ・・・
お役ご免とはいえ寂しいねえ。
43世界@名無史さん:2005/05/15(日) 15:18:05 0
そこで今度は南水北達ですよ。
44世界@名無史さん:2005/06/02(木) 01:09:16 0
その長江の水量も危ういとの噂・・・どうする十三億人民?
45世界@名無史さん:2005/06/03(金) 23:50:19 0
そこでリーベン解放アルヨ
46世界@名無史さん:2005/06/04(土) 00:19:27 0
今年の満洲(つか黒龍江省)の穀物作付面積はコメの三減コーリャン五増と聞いた。黄河じゃないけどね。
47世界@名無史さん:2005/06/12(日) 21:12:50 0
北京あたりだとむしろ遼河から導水したほうが近そうだがなあ。
48世界@名無史さん:2005/06/18(土) 19:32:32 0
>42
埋め立てされたというよりも、放置してたら自然と川底が埋まったので
そういう使い方ができたということ。東京の首都高速道路の一部は
堀・水路だった場所を道としたように、天然道路に変わったりとか。
元代に海運が叫ばれ、明代に新しく運河がつくられたのも、ねぇ?
49世界@名無史さん:2005/06/19(日) 12:09:47 0
        \ | /
           ⌒丶
       ― ( ´∀`) ―   日の本の民にたてつくとは愚かな!
         丶_ノ       天照大神の怒りを思い知るが良い!!
        / | \

         ∧∧
        / 中\  アイヤー                     ∧__∧
       (;`ハ⊂ヽ   みんな枯れてしまったアル      (TハT) ウツダシノウ
       (    ノ                         (∩∩)
    ̄ ̄<_)_) ̄ ̄ξ ̄〜∈ ̄ ̄ζ ̄ ̄ ̄〜⊂ ̄ψ ̄ ̄θ ̄ ̄
   ∵∵∵∵∵∵∵    ψ    〜   θ   ξ   〜∈
   ∵∵∵∵∵∵∵   ζ   〜⊂  〜∈  ψ   θ  〜
   ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
【中国】国家林業局「国土の46%が乾燥・砂漠化」【06/14】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118748314/
50世界@名無史さん:2005/07/01(金) 20:21:31 0

       /\___/ヽ
    /ノヽ       ヽ、
    / ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' :::ヘ
    | ン(○),ン <、(○)::|.  .|`ヽ、  
    |  `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ ::l.  .|::::ヽl     俺達VIP海賊団!50はいただいてくぜ!!
.   ヽ ヽ il´トェェェイ`r ;/   .|:::::i |
   /ヽ  !l |,r-r-| l!   /ヽ   |:::::l |
  /  |^|ヽ、 `ニニ´/|^|`,r -|:「 ̄
  /   | .|           | .| ,U(ニ )
 /    | .|           | .|人(_(ニノ
51世界@名無史さん:2005/07/25(月) 22:09:45 0
age
52世界@名無史さん:2005/08/06(土) 00:11:29 0
考えてみれば、黄河のほとりに首都があったのは北宋の汴京が最後なわけか。
53世界@名無史さん:2005/08/06(土) 10:12:48 0
>>52 当時は100キロほど離れていたのだが。

それから金の都も一応は汴京。
54世界@名無史さん:2005/08/06(土) 14:44:26 0
宋代は汴京の少し上流あたりで黄河が分岐して淮水に合流していたようだけど、
そのころは汴京も分岐したほうの川のほとりに位置してはいなかったのかな。

汴京を除外するなら、後唐(923-926)が都した洛陽になるのかな。
55世界@名無史さん:2005/08/06(土) 14:59:04 0
もちょっと地図を確認しましょうね。
洛陽は新旧どちらも、黄河の支流「洛水」川岸。
黄河とは丘陵を一筋隔てている。
5655:2005/08/06(土) 15:08:03 0
うう、俺もちゃんと確認する必要がある。
「洛水」ではなく「洛河」だ。
57世界@名無史さん:2005/08/06(土) 19:36:13 0
>>54 >黄河が分岐して淮水に合流していたようだけど、

それは隋代に掘られた大運河・通済渠。
標高差があって汴州で荷物を積み替える必要があった。
それで唐の時代に汴州が繁盛し、五代〜宋〜金の都となる基礎となったんだけどね。
元の時代は、黄河が氾濫して流路が変わってこの通済渠がそのまま黄河となって
汴梁が泥に埋まり、再建したけど黄河に直に面してはかつての繁栄は無理。
58世界@名無史さん:2005/08/21(日) 21:48:41 0
大運河は軍隊の移動にも効果を発揮していたの?
59世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:30:55 0
後周の世宗は南唐の征服には大運河で行った。
60世界@名無史さん:2005/08/23(火) 09:41:17 0
星斌夫アヤオ著「大運河ー中国の漕運ー」世界史研究双書3、
              1971年、近藤出版社
61世界@名無史さん:2005/08/23(火) 10:05:01 0
平時から、地方の財物を中央に納める際は運河が重要な役割を
果たしていました。軍への支給物資も同様です
北宋末期・南宋初めは?京の底が詰まってろくに使えませんでした。
62世界@名無史さん:2005/08/23(火) 10:09:49 0
>61 訂正  ?京 はべん河で
べんの字がでないです…
63世界@名無史さん:2005/08/23(火) 17:47:17 0
>>62
脇にエディターを起動しておき、文字セットや>>57から「汴」の字をコピーして貼り付け、
あらためてそのエディターから「汴」の字をコピーして2chに貼り付けます。
64世界@名無史さん:2005/08/23(火) 20:43:15 0
>>50
うわビックリ。こんな所にも来てたのか
65世界@名無史さん:2005/08/29(月) 00:56:45 0

中国大陸を彩る七色の川
http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/
 
66世界@名無史さん:2005/09/02(金) 22:46:58 0
>>65
自治体名が公害病の名に冠された誉れ高い町の住人としては
なんだか郷愁をそそる写真ばかりなんだがw
67世界@名無史さん:2005/09/28(水) 01:17:27 0
age
68世界@名無史さん:2005/09/28(水) 07:02:16 0
..
69世界@名無史さん:2005/10/06(木) 22:28:22 0
>>65
流れ流れて黄海・東シナ海に大量流入しているわけか…ウツダ
70世界@名無史さん:2005/10/08(土) 03:14:28 0
>>21
もともとあの辺に連水陸路があったはず。
ヴァイキング時代から使われていた。
71世界@名無史さん:2005/10/29(土) 16:23:39 0
南水北調プロジェクト
http://www.spf.org/sjcff-j/nansui/c_web/project1.html

西線(四川〜青海)
中線(宜賓〜北京)
東線(杭州〜北京)

現在東線は一部完工。ちなみに黄河横断は水道橋案と河床下暗渠案とがある様子。
完成はいつになるやら。
72世界@名無史さん:2005/11/22(火) 01:26:20 0
10年はかかるだろうな
73世界@名無史さん:2005/11/23(水) 01:26:32 0
よくて20年かかる気が。
西線が一番過酷な工事になりそうだな。
74世界@名無史さん:2005/12/04(日) 22:16:41 0
地図見てみたが、地形から察するに
トンネルと水道橋の連続じゃんか・・・ <西線
75世界@名無史さん:2005/12/23(金) 23:18:40 0
中線は三峡ダムから導水するってことか?
76世界@名無史さん:2005/12/24(土) 09:53:31 0
大運河というとものすごい工事を考えるが、中国平原や
ロシア平原というのは、広大な高低差のほとんどない平野。
川の水もどちらに流れてよいか解らないのでやたらみずたまりに
なる。霞ヶ浦、印旛沼の大掛かりなものか?だから運河もそれを
つないでいくだけのようだ。
77世界@名無史さん:2006/01/13(金) 19:02:47 0
>>71
大運河は再整備しないのかな。
埋めちゃった区間もあるらしいけど、もったいないし。
これからは「大用水路」と改称w
78世界@名無史さん:2006/01/14(土) 20:41:39 0
元朝が滅びたのも運河工事がきっかけだったな。
79世界@名無史さん:2006/01/15(日) 13:21:40 0
黄河から長江へ合流していた時代の河道はいまどんな状態になっているんだろう。
地形すら残っていないのかな。
運河として再利用ってのは無理?
80世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:41:40 0
元の時代に通済渠が黄河の本流となったのが清代に現在の流路に替わったあと、廃黄河という細流。
天井川になっていると聞いた覚え有り。
81世界@名無史さん:2006/01/16(月) 17:11:15 0
日本の感覚で考えちゃだめなんだよな。
イギリスもそうだけど、平坦な地形だから運河を作るのは比較的楽。
82世界@名無史さん:2006/01/19(木) 21:34:20 0
いくら平坦でも固い岩盤の場合は大変だと思うよ。 by PROJECT X
83世界@名無史さん:2006/01/21(土) 11:15:14 0
黄河、淮河、長江の下流地域は、網の目のように分流し
木の枝のように広がっており、互いに重なっていた。
だから、黄河周辺から、長江周辺まで、もともと小船で
航行することができた。
それに手を加え運河とするのは秦から始められている。
隋は、体系化大規模化した。
で、固い岩盤か。まあ、どっかにはあったろうが・・・。
84世界@名無史さん:2006/02/06(月) 20:31:06 0
age
85世界@名無史さん:2006/02/22(水) 11:35:46 0
大運河の様子を見た人物には、乾隆帝に謁見したG.マカートニーもいる。
86世界@名無史さん:2006/02/24(金) 07:54:22 0
日本でこけた運河プランといえば
琵琶湖と日本海を直結するものや
戦後高度成長期陸奥湾太平洋を結ぶという運河とか(石油ショックが無かったらぞっとするw)
87世界@名無史さん:2006/02/26(日) 10:13:47 0
あと、大洗→涸沼→巴川を結ぶ勘十郎堀とか。
88世界@名無史さん:2006/02/27(月) 06:06:22 0
>琵琶湖と日本海を直結するもの
小さいやつは戦国時代末期にできたみたいだけどね。
遺構はほとんどドブ川でした
89世界@名無史さん:2006/02/27(月) 06:24:28 0
90世界@名無史さん:2006/03/01(水) 00:46:15 0
世界的に見ても大運河は今なお世界最長の運河に入るんじゃない?
91世界@名無史さん:2006/03/01(水) 08:13:09 0
日本の感覚で考えると、運河って難しいものだな
92世界@名無史さん:2006/03/01(水) 15:36:42 0
揚子江で終わりでなくて杭州あたりまで行ってたのか?
93世界@名無史さん:2006/03/14(火) 06:09:32 0
地図を見ると杭州まで伸びているな。
94世界@名無史さん:2006/03/14(火) 10:30:55 0
大運河のあるあたりはあまり硬い岩盤は無いような気がします。
安徽省から湖北省にかけて大別山山脈というか山系というかが
あって、あそこは地質学などで興味のある土地らしい。隆起の
仕方が特異なのかもしれません。
95風又:2006/03/16(木) 16:13:43 0
現在、大運河を使って、上海→北京まで船旅できますか。
どなたか、旅をした人はいるのでしょうか。
教えて下さい。

96世界@名無史さん:2006/03/16(木) 16:20:49 0
NHK・BSで大運河を特集したのによれば
黄河〜北京間は概ね干上がっているらしい。
97世界@名無史さん:2006/03/16(木) 16:25:29 0
て言うか、黄河は下流で水がなくなってるようだ。
98世界@名無史さん:2006/03/16(木) 17:09:13 0
黄河暖流ってやつだね。
森林の乱伐が原因とかっていわれているらしいが。
99世界@名無史さん:2006/03/16(木) 17:23:26 0
黄河断流は、人口増加での華北平野の住民による水の取り過ぎが原因。

大運河北部の干上がりは、黄河から泥水が流れ込んで溜まり、くわえて黄河の水位が下がり、
戦争によるメンテナンスの怠りなどとか。
100世界@名無史さん:2006/03/16(木) 23:52:49 0
100ゲット
101世界@名無史さん:2006/03/16(木) 23:55:10 0
>>97
>>15
102世界@名無史さん:2006/03/26(日) 12:18:56 0
773 :韋駄天はふと考えた :2006/03/25(土) 00:31:42 0
※サハラ計画とは、人類の食料ダム計画のことで、砂漠の中央部に巨大な人工湖を作り、
そこから人工河川を流して、砂漠全体を森林にして、生物や人間がたくさん住める環境に
して、戦争難民を一時的に受け入れたり、世界的食料危機の回避に使ったり、世界的人口
増加を食い止めるため一時的に移住したり、森林の断熱効果による世界的気候不順を解消
したり、仕事がなく暴動に発展するのをサハラ計画に参加する事で防いだり、、世界中の
生物や民族が共存していくために、何千年もかけて建設する人類初の壮大な試みです。
http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/philosophy/0112/
103世界@名無史さん:2006/03/26(日) 16:10:38 0
で、その巨大な人工湖の水源はどうするのか、と・・・

そういう水があれば沙漠にならないのは餓鬼でもわかる理屈。
104世界@名無史さん:2006/03/26(日) 17:29:25 0
>103
ザイール川をダムでせき止めてコンゴ盆地を巨大な「コンゴ湖」に。
チャド湖へ北流するシャリ川へ運河をドッキングさせてチャド湖へ導水、と。
かつて巨大な淡水湖だったチャド湖は元の面積を取り戻し、サヘルを潤おす、という計画だそうな。

サハラ計画とセットで唱えられる「コンゴ湖計画」ってやつです。
105世界@名無史さん:2006/03/26(日) 20:27:50 0
チャド湖の再生とコンゴ盆地の熱帯雨林の喪失とどっちが大事か、と
106世界@名無史さん:2006/04/22(土) 12:44:20 0
百年河清を待って保守するアルネ
107世界@名無史さん:2006/05/05(金) 18:41:37 0
冗談抜きで黄河がワジと化す悪寒・・・
108世界@名無史さん:2006/05/09(火) 20:50:28 0
山東省の河口付近、河道に雑草が生えて
橋のないところを人々が歩いて渡ってたぞw
109世界@名無史さん:2006/05/10(水) 18:43:47 0
運河の舟の曳き人の組織が青幇で、蒸気船が入ってきて失業して
本物のヤクザになっていく。
110世界@名無史さん:2006/05/28(日) 23:50:02 0
黄河の水が黄色く濁りだしたのが有史時代に入ってからのことって本当ですか?
だとしたら人為的な理由であんな泥水川になっちゃったのだろうか・・・
111世界@名無史さん:2006/05/29(月) 00:07:15 0
サンキョーダムに貯めた水を黄河に流したいな。
112世界@名無史さん:2006/05/29(月) 15:34:23 0
>>110 黄土高原の森を切り尽くして裸地にしてから。
「黄河」という呼び方は2000年前にはまだ無い。
その前は「河」「河水」。
113世界@名無史さん:2006/05/30(火) 01:51:38 0
>>110
ちなみに秦の象徴の色は黒、役人や軍人に黒い制服をやたら着せていたらしい。
当時の黄河が黒かったから、黒になったんだといわれている。
114世界@名無史さん:2006/05/30(火) 10:38:10 0
「黄河」という文字は南北朝のころから、とうろ覚え・・・
115世界@名無史さん:2006/06/10(土) 21:41:56 0
>>111
その計画が>>71ね。
116世界@名無史さん:2006/06/11(日) 22:44:16 0
>>113
全国統一以前から黒衣だったらしいから、黄河上流からして
もう黒かったんだろうな。
117世界@名無史さん:2006/06/12(月) 08:22:18 0
今の黄河どこからもう黄色くなっているのかねぇ
あと何年で年がら年中水が断流するようになるのだろうか
今でも場所によっては、半年くらい水が断流していると聞いたような気がする。
118世界@名無史さん:2006/06/17(土) 18:36:15 0
黄河に関しては、この情報無しにはもう語れない時代になったようだ。
衛星写真が凄い!!
この中の山門峡ダムのトラブルに注目している。
何か山峡ダムもこれに関連したようなトラブルがあるような無いような情報?
ttp://blog.goo.ne.jp/k-74/c/fd0560aadc54a16f4a4aa21d03c28259
119世界@名無史さん:2006/06/17(土) 19:32:32 0
>>117
「大黄河」によると、蘭州ではまだ清流で、
オルドス曲流部を通過中に濁流になるらしい。
120世界@名無史さん:2006/06/17(土) 23:05:09 0
>>118三門峡ね。ソ連も初めて大河にダム作ったから失敗した。
この失敗があったからアスワンハイダムが有るんだな。
所詮、治水・ダム建設なんて人間が楽をするための所業。自然破壊でしかない。
当然下流域に影響があるわな。
121世界@名無史さん:2006/06/18(日) 16:26:46 0
(三)門峡,(三)峡ダムでした。
盛世時代には黄河が清水とありますが、盛世とは漢唐時代でいいですか?
百年河清を待つというのが黄河のことらしですが、いつの言葉だろう?
18日の日経新聞では2年後に天津に揚子江の東水がくるとあったが
予定は未定か。
122世界@名無史さん:2006/07/05(水) 02:02:32 0
月例浚渫に上がりました。
123世界@名無史さん:2006/07/05(水) 10:14:45 0
自然の河が東西に流れる。
運河が南北に流れる。
場所によって立体交差してる場所があるという話がなかったっけ?
パナマ運河方式で。
124世界@名無史さん:2006/07/05(水) 11:27:26 0
「パナマ運河方式」→普通は「閘門式」という。
125世界@名無史さん:2006/07/30(日) 18:16:12 0
>>123
淮河や漢水のあたり?
126世界@名無史さん:2006/07/30(日) 18:27:31 0
>>123
あった。どこだか忘れたが。長江を船で下るとわかる。
127世界@名無史さん:2006/07/30(日) 23:42:15 0
>>123
交差地点は
ローマの水道橋のように運河のほうが川をまたいでいるのだろうか?
128世界@名無史さん:2006/08/21(月) 22:09:43 0
月例開削に上がりました。
129世界@名無史さん:2006/08/28(月) 14:29:09 0
よくあんだけ流れ変わるなあ
130世界@名無史さん:2006/09/24(日) 22:53:54 0
月例築堤に上がりました。
131世界@名無史さん:2006/09/25(月) 10:28:06 0
天津で南運河というのを見ました。
神田川の下流くらいの広さであそこに揚子江から
水が来てもたいしたこと無い感じ。
先日の読売新聞、日曜版に杭州の運河の写真が出てましたけど
これはかなり広い。
運河も南ほど太いようだ。
132世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:57:24 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/
133世界@名無史さん:2006/11/07(火) 02:04:46 0
月例浚渫に上がりました。
134世界@名無史さん:2006/11/08(水) 07:14:06 0
冬に黄河は凍結します。馬で黄河を渡って攻戦がおこなわれた例が史上にみられるのは、そういうことです。
現代では、春先に氷を割るために軍が爆弾を投下しています。いっせいに解けて洪水になったら困るからです。
135世界@名無史さん:2006/11/24(金) 00:45:15 0
現在、年間「断流」日数、266日間に・・・
海まで注ぐ日のほうが珍しくなってきたのか。
黄河の水が流れ込まなくなったおかげで、渤海湾内の海流もほとんど循環が止まってしまっているらしい。
すなわち、一度汚染されると、湾外へ海水が出て行かずに汚水のままグルグル湾内を循環し続けることに。
もしや巨大エチゼンクラゲのふるさとって富栄養化された黄海あたりか?
136世界@名無史さん:2006/11/24(金) 19:14:26 0
中国の環境破壊は、危機的レベルに達している。
中国政府も漸く本腰を挙げ始めたけど、地方政府が半独立状態にあるので
統制が効かない。

なんとかせんと東アジア地域の存亡に関わる。
ハッキシ言って、アフリカにカネをばらまいているどころの話ではない。
137世界@名無史さん:2006/11/25(土) 18:07:48 0
しかも季節風、海流とも日本は下手(しもて)に位置するという不運。
本来は中国自身が始末すべき問題なのだが、百年河清を待つような連中だ、日本も動かざるをえないのだろうなあ。
138世界@名無史さん:2006/12/27(水) 21:48:11 0
一応日本も長江水質浄化に動いているらしい。
ただし技術供与などはせず、あくまで日本へとばっちりが及ばないよう手を打つに留めるもの。
本当ならば中国政府に浄化費用を負担させたいところだ。
139世界@名無史さん:2006/12/30(土) 00:26:16 0
オイルフェンスで海上版「万里の長城」でも敷設できないもんかねw
140世界@名無史さん:2006/12/30(土) 00:29:59 0
昭和61年にNHKで放映されたドキュメンタリー、『大黄河』。
最終回、河口の場面では黄河は広大な干潟に阻まれて海に流れ込まず、潮が満ちて干潟が水没して
ようやく海とつながっていた。

つまり、「絶流」はこの時代から起こっていた、ということ?
141世界@名無史さん:2007/01/08(月) 03:59:20 0
げ、そんな前から始まっていたのか・・・
あの大人口を支えてきたんだ、無理もないか。
142世界@名無史さん:2007/01/21(日) 21:12:19 0
米国のコロラド川も河口部は断流しがちだそうな。
カリフォルニア方面への生活用水取水と灌漑が主因と思われ。
143世界@名無史さん:2007/03/23(金) 10:00:11 0
パナマ運河、エジプト運河は戦争の原因にもなった
144世界@名無史さん:2007/03/24(土) 11:17:08 0
>>108
NHK特集で、もと黄河の川底だった場所を開墾して畑にしている農家を取材してたなw
羊まで放牧してた。もと川底の泥だから、肥えた土壌かもしれないな。
145世界@名無史さん
黄河に限らず河川のデルタ地域の土は豊穣だよ