オマーン国際

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
オマーン国について語ろう
2世界@名無史さん:05/02/18 21:45:32 0
国名目当てだろ
きょうび流行んね
3世界@名無史さん:05/02/18 21:46:57 0
おまんこく
4世界@名無史さん:05/02/18 21:49:29 0
クソスレだと思うがせっかくだからオマーンの歴史を語ってみようじゃないか
5世界@名無史さん:05/02/18 21:53:28 0
そうはいっても中東の小国なんて分からん。
6世界@名無史さん:05/02/18 21:54:13 0
>おまんこくさい

毎日ちゃんと風呂入れ
7世界@名無史さん:05/02/18 21:58:14 0
オマーン、クウェート、カタール、UAE、などなど?
8世界@名無史さん:05/02/18 22:00:58 0
今は小国だけど
昔は大海洋帝国を作ってたよね
今でもアフリカの領土とかにちょっと面影がある
9世界@名無史さん:05/02/18 22:02:51 0
ザンジバルだったっけ?
10世界@名無史さん:05/02/18 22:03:27 0
サイイド・サイードか
11世界@名無史さん:05/02/18 22:04:55 0
だな。交易立国だったか?
12世界@名無史さん:05/02/18 22:58:43 0
オマーンの問題が昔慶應の世界史の問題に出た
13世界@名無史さん:05/02/18 23:38:56 0
オマーン国際女子マラソン
14世界@名無史さん:05/02/18 23:46:39 0
前はNHKでもオマン国と言ってたけどな。
15世界@名無史さん:05/02/19 00:11:41 0
まじでマスカット・オマーンとかクウェートとかがなんで残ってるのかがわからん
16世界@名無史さん:05/02/19 00:21:37 0
まんこ・かばっく
17世界@名無史さん:05/02/19 01:16:59 0
スルタン国家
18世界@名無史さん:05/02/19 01:32:14 0
オマーンには、現在のイエメンから紀元前2世紀頃にアラブ系の
カフタン族が移住してきた。
オマーンの主要部族であるヒナイ族はこのカフタン族の子孫に当たる。
19世界@名無史さん:05/02/19 01:37:06 0
オマーンとは、古代アラビア語で「滞在地」の意。
20世界@名無史さん:05/02/19 02:22:49 0
オマンのほうが発音がちかいのに
21世界@名無史さん:05/02/19 10:39:34 0
おまんこくさい
22世界@名無史さん:05/02/19 11:09:43 0
レマンコ
23世界@名無史さん:05/02/19 14:23:05 0
誰だオマーンが小国だなんていってるのは。
>>8のいう通り、18〜19世紀前半はインド洋きっての強国だったんだぞ。
ポルトガルとガチで戦って勝ったのは、アジアではこの国ぐらいだ。

もともとソハール港を中心とした中継貿易地だったが、1507年にポルトガルに
よって沿岸部を占領され、アミール勢力は内陸に逼塞。そこから勢いを盛り
返し、1650年にマスカットを占領して国土を回復。そのままポルトガル人を
追いかけて東アフリカに進出、艦隊戦で散々に打ち勝って1698年ザンジバル、
モンバサなどを制圧。インドのポルトガル植民地を襲撃もしている。
19世紀に入ると英主サイイド・サイードが再び征服戦を開始し、モンバサを
恒久占領、バルチスタン(現パキスタン西部)のグワダル港を征服、領土は
最大に。
1832年にはスルタンを名乗ったサイイド・サイードがザンジバルに遷都。
1856年に死去すると、国は東アフリカ(首都はザンジバル)とオマーン本国に
分裂してしまい、以後イギリスの影響力が強まり衰退する。
24世界@名無史さん:05/02/19 14:28:47 0
>>18の続き
次に、アラビア半島北部からアドナン諸部族に属するアラブ人がやってきた。
ガーフィリー族はアドナン諸部族の子孫に当たる。
25世界@名無史さん:05/02/19 14:29:24 0
オマーンの西隣の南イエメン(南アラビア連邦)も英国保護領だったのに、
独立後、すぐに社会主義国家になっている。

なんでオマーンやアラブ首長国連邦みたいに君主制を維持できなかったんだろう。
26世界@名無史さん:05/02/19 14:31:55 0
南アラビア連邦の各首長は南イエメン政権のもとでは追放されたの?
それとも地方で部族長として勢力を維持できたの?
27世界@名無史さん:05/02/19 16:13:50 0
>まじでマスカット・オマーンとかクウェートとかがなんで残ってるのかがわからん
だよな。つーか、中近東&アラビア半島の国境の分け方の規則ワカンネ(;´Д`)
通商国家シリアがあるのは分かるし、ペルシャ帝国イランがあるのも、
サウド王家のサウジアラビアがあるのも、ハシーム家のヨルダンがあるのも
狂信?シオニストのイスラエルがあるのも、スフェラディーユダヤのパレスチナがあるのもわかる。
じゃあ、他は?
28世界@名無史さん:05/02/19 16:18:27 0
首長というのは、イラクにいっぱいいる部族長と本質的には同じものだろ?
29世界@名無史さん:05/02/19 16:32:52 0
アミール?
30世界@名無史さん:05/02/19 16:35:35 O
漏れは首が長くないのでつが、オマーンに逝けまつか?
31世界@名無史さん:05/02/19 16:36:54 0
>>23
独立後のインドがかのらゴアだxtysちゅ「すいた
32世界@名無史さん:05/02/19 17:08:13 0
オマーンの部族は116あり、そのうち68部族(約60%)がイスラム教
イバード派であり、40部族(約34%)がスンニー派である。(残りはシーア派)
部族は生活形態から遊牧部族であるベドウィンと、都市定住型部族である
ハダルという二つのカテゴリーに分類される。
3323:05/02/19 17:14:28 0
>>29
すまん、×アミール ○イマーム だ。素で間違えた。

>>31
すまん、読み取れん。
34世界@名無史さん:05/02/19 17:21:02 0
1856年におけるオマーン領
ttp://www.zum.de/whkmla/histatlas/eastafrica/oman1840.gif

>>23
グワダルはサイイド・サイードの占領地ではないよ。詳しくはこのサイト
参照。
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/middleeast/gwadar.html
35世界@名無史さん:05/02/19 20:05:13 0
オマーンスレだがザンジバルも含めて語っていいのか?
36世界@名無史さん:05/02/19 20:19:16 0
ザンジバルのスルタンって、やっぱり黒人と混血してたの?
37世界@名無史さん:05/02/19 20:36:42 0
現在オマーンの統治を行っているのはブーサイード族であり、同部族は
1749年以来、連綿と継続している。(ちなみに前王朝はヤールバ朝)
現国王であるカブースはブーサイード朝直系8代目である。ブーサイード
族は、系図上ではヒナイ族の一派から派生した部族である。
38世界@名無史さん:05/02/19 20:44:59 0
>>36
ザンジバルのスルタンについてはよくわからないが、サイード大王
(1806−1856)の息子トルキー国王の長男ムハンマド・ビン・トルキーの
実母は黒人だった。
次男のファイサル・ビン・トルキーの母はアビシニア人女性だった。
39世界@名無史さん:05/02/19 21:22:38 0
>>27
>中近東&アラビア半島の国境の分け方の規則ワカンネ(;´Д`)

オスマン帝国は第一次世界大戦で解体したが、旧帝国のアラブ民族が住む
部分はイギリスとフランスによって分割された。現在のイラクに当たる
地域はイギリスの委任統治下に入った。クウェートとイラクの国境の
線引きをするに当たり、イギリスはイラクのペルシア湾の出口に当たるワルバ
とブビヤンの両島のクウェートへの帰属を決定した(これによってイラクの
海岸線は不自然なほど狭くなった)。将来イラクが湾岸のイギリスの権益を
脅かすことがないようにとの思惑からである。
40世界@名無史さん:05/02/19 21:35:04 0
もともと、イギリスが湾岸の各首長と保護条約を結んだのは、ここに
他の勢力が進出してきてイギリス本国とインドの交通を脅かされる
ことがないようにするためだった。
1947年にインドがパキスタンとともに独立すると、インドとイギリスを
結ぶルートとしての湾岸地域の役割も終わった。
41世界@名無史さん:05/02/19 22:26:16 0
>23
オマーンの強さにけちをつけるわけではないが、
ポルトガルって結構あちこちで負けているような気がする。
42世界@名無史さん:05/02/19 23:02:23 0
マンコビッチ
43世界@名無史さん:05/02/19 23:03:29 0
>>42クソスレを良スレにするのだ
44世界@名無史さん:05/02/19 23:33:42 0
ザンジバルってアフリカでもちょっと特殊な歴史だよな
45世界@名無史さん:05/02/19 23:50:37 0
オマーンにザンジバル系の部族集団といったものは存在しないが、
歴史的なザンジバルの統治により、王族を含めた数多くのオマーン部族の
中にザンジバル人が入り込んでいる。ザンジバル人のお互いの結びつきは
強く、また、ザンジバルの土地に対する郷愁も強い。特にオマーンの
部族の中でもザンジバル人の割合が多いのは、サーリミー族、マスカリー族、
ラワーヒー族、マフルーキー族、アムブーサイーディー族などである。
46世界@名無史さん:05/02/20 00:16:09 0
ふーん。タンガニカと合併しちゃった件はどーおもってんだろーなー
47世界@名無史さん:05/02/20 02:03:37 0
オマーンには、1970年代に入るまで近代的な病院もなければ学校もないという
状況であった。近代化によって国民の意識が向上し、絶対主義支配に反抗する
ことを懸念した為政者による歴史の流れを凍結するような政策の成果であった。
イギリスの研究者フレッド・ハリデーが1970年代までのオマーンをいみじくも
ウルトラ・チベットと呼んだようにである。
48世界@名無史さん:05/02/20 14:42:43 0
オマーンには非アラブ系諸部族も存在している。代表的なものには、パキスタン系
(バルーシー族、ザッジャーリー族)、インド系(ラワティヤ族、ザワウィー族)、
イラン系などがある。
バルーシー族はバルチスタン地方より、数世紀にわたって移住してきた
グループである。同部族民の多くはマスカットから北部海岸地帯バティナ地方
にかけて住んでおり、一部は内陸部ザーヒラ地方にも住んでいる。
49世界@名無史さん:05/02/20 20:42:30 0
石油とれるの?
50世界@名無史さん:05/02/20 20:46:54 0
>>49
とれるよ。
そのほかに天然ガス・銅もある。
51世界@名無史さん:05/02/20 21:46:00 0
ということはオマーンは石油パラダイスだな
52世界@名無史さん:05/02/20 22:06:06 0
ザンジバルとタンザニアの統合後、日本では表立った内紛の話は
聞こえてこないが、原理主義者の蔓延は旧ザンジバル出身者が
震源地なのかな?
53世界@名無史さん:05/02/20 22:42:25 0
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ee1s-ari/zhaft1.html

*シラジ人、シラジ系住民について
ザンジバルには紀元後すぐぐらいから、偏西風や海流を利用してインド、
アラブから多くの人々が漂流や自発的にたどり着いていた。これはその後、
貿易という形に発展する。その中で、神話化されたのがペルシャのシラジ国
からの漂流者(一人の漂流した王子が現存するザンジバルのシラジ系住民の
祖先)であり、何故か彼らたちだけは他の民族とは違い、混血を重ねつつも、
その純血性を保ったとされている。つまり混血が進み肉体的(例えば皮膚の色)
にはシラジつまりアラブ的な要素が見られないのに、自分たちはシラジの末裔
だと信じているグループが存在する。これは、神話的ではあるが風習的には
シラジ的な物が確実に残存しており微妙である。一説では、オマーンの
スルタンの黒人イスラム教徒への蔑視に対抗するための、潜在的な対抗意識が
この神話を形成したのではないかといわれている(黒人であっても我々は
ペルシャの末裔の正統なイスラム教徒であるという意識)。
54世界@名無史さん:05/02/20 22:49:47 0
うほっ初耳。もしや「シラジ=シーラーズ」だったりして?
55世界@名無史さん:05/02/20 23:05:02 0
>>48の続き
ザッジャーリー族はパキスタンのハイデラバード、カラチよりの新移住者
でその多くはマトラに住んでいる。

ラワティヤ族は、過去にインドから商人としてオマーンに移住してきて
おり、そのほとんどが現在でも商業を営んでいる。宗教的にはオマーン
ではマイノリティーであるシーア派である。
バフワン族はソハール地方を中心に居住しており、ラワティヤ族同様、
商業を生業としている。
ザワウィ族は人口は少ないが、オマーン随一の財閥を有する。もともと
スルタンのインドにおける御用商人であったカイスおよびオマル・ザワウィ
は現カブース国王の治世にその側近として莫大な資産と権力を手にした。
オマーン人の中には同財閥を敵視・蔑視している部族が多い。
56世界@名無史さん:05/02/20 23:34:49 0
シラジ=「シーラーズの」という意。シラジ渡来伝説はザンジバルだけでなく、
コモロ諸島にも残っています。
57世界@名無史さん:05/02/20 23:40:41 0
なんでこんなスレッドが良スレに?
58世界@名無史さん:05/02/20 23:47:03 0
どんな糞スレもリサイクル

              それが世界史クオリティhttp://academy3.2ch.net/whis/
59世界@名無史さん:05/02/20 23:47:53 0
60世界@名無史さん:05/02/20 23:58:34 0
オマーン国債
61世界@名無史さん:05/02/21 00:10:59 0
>>59
まじすげえな
62世界@名無史さん:05/02/21 01:03:10 0
ただ実際はタンザニアやケニアは米国も憂慮するイスラム過激原理主義の
震源地でもある。
旅する方は用心なされ。
63世界@名無史さん:05/02/21 12:39:41 0
やはりそこに行き着くか。
ナイロビは治安が悪いらすいが・・
64世界@名無史さん:05/02/21 12:48:42 0
65世界@名無史さん:05/02/21 14:11:26 0
ttp://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi2/page002.html
マスカットの西に位置するスハール(新唐書の「没巽国」)は早い時期から
ペルシア系の商人が居留する交易都市になっていた。シーラーフ(イランの
アバダン近郊)が979年に地震によって壊滅すると、これに取って代わり、
エジプトのフスタートや紅海入口のアデンと並ぶ三大交易都市となったと
される。アッバース朝前期のインド洋交易の一大拠点、ペルシア湾真珠の
取引センターであった。

947年頃に書かれたマスウーディーの『黄金の牧場と宝石の鉱山』によれば、
「シーラーフ人やオマーン人のイスラム教徒の大きな商船はカラ(マラッカ
海峡の西の入口。現マレーシアのペンカラン・ジャン)でシナからの船で帰って
くる者と遭遇する。しかし、かつてはこれと違って、シナ向けの船がオマーンや
シーラーフ、ペルシアの海岸、バフラインの海岸、ウブッラ、バスラなどから
きており、それらの地の船がシナに赴いていた。ところが……シナの事件
[875-84年の黄巣の乱]が起こってからは、各国の商船はこの中間点で
接触することを選択した。商人たちはシナの船に乗り、カラからカンフー(広州)
に向かう」とある。このように、スハールに拠点を構える商人たちは、9世紀には
中国まで直接船を出すほどの力を持っていたことがわかる。
66世界@名無史さん:05/02/21 14:11:42 0
しかし、ブワイフ朝(932-1055)は後期になるとペルシャ湾岸諸都市やシンド、
イエメンに軍事的・政治的影響力を及ぼし、インド洋貿易を国家統制下に
置く動きを見せた。そのために、自由な商業活動を妨げられた商人・富裕者
及び手工業者たちは、上イラク、シリア、エジプトやイエメンの諸都市に移住
し、貿易のメインルートは紅海ルートにシフトしてしまう。
スハールは衰微し、同じペルシア湾岸に位置しながらも紅海ルートに武装
艦隊を派遣して割り込む力のあったキーシュ(カイス島)やホルムズの後塵を
拝し、あるいは支配される状態となった。
その後、ポルトガルの進出を受けることになる。
67世界@名無史さん:05/02/21 14:57:44 0
おまいらソハール(スハール)といえばシンドバッドを忘れるなよ。
68世界@名無史さん:05/02/21 18:47:30 0
イエメンとはオマーンの諸部族は歴史的にも地理的にも深い関係を有している。
オマーンの諸部族を二分している片方の雄であるヒナイ族はイエメンからの
移住民の末裔であり、現在でもヒナイ族系に属する部族の多くが家系的に
イエメン南部、特にハドラマウト地方にもつながりを有している。また、
南部ドファール地方の諸部族はさらに強いつながりを有しており、ベドウィン
は国境にまたがって広がっている。
69世界@名無史さん:05/02/21 19:01:44 0
南イエメンの首長国が結成した「南アラビア連邦」が英保護領から独立したとき、
アラブ首長国連邦やオマーンのように君主制を維持できなかったのはなぜ?
70世界@名無史さん:05/02/21 19:36:56 0
>>69
1964年から反英武装闘争をしていた民族解放戦線(NLF)と、
占領下南イエメン解放戦線(FLOSY)が、イギリス軍を打ち負かしたから。
71世界@名無史さん:05/02/21 20:33:53 0
オマーンとサウジアラビアとは、イエメンと同様歴史的に関連があり、
ガーフィリー族系諸部族の先祖が同国北部出身であることから、現在でも
同部族に属する諸部族の家系をサウジで見ることができる。
他方、現在では特別な状況下でオマーン諸部族の一部勢力(きわめて少数)
がサウジに存在している。これは、現在のオマーンとサウジの政治的関係
に起因するもので、従来よりサウジはオマーンの現統治王族であるブーサイード
族に反対する勢力をかくまってきた。
72とてた ◆0Ot7ihccMU :05/02/21 22:48:03 0
先代のスルタンの夫人の一人が日本人女性でしたっけか。
73世界@名無史さん:05/02/21 23:55:47 0
スレタイはクソスレだが、世界史板の人間は本当にスレの再利用が上手いな。
74世界@名無史さん:05/02/22 01:40:15 0
オマーンの有力部族のひとつであるハルシー族は、マスカット南部および
オマーン東部地区を中心に居住しており、イブリ、アルカビルがその中心地
である。
ハルシー族は起源的にはガーフィリー族に属するが、現在はヒナイ族に
属している。オマーンの部族の中でもっともザンジバルにおいて中心的な
役割を果たした部族である。
75世界@名無史さん:05/02/22 04:49:18 0
ttp://www.pluto.dti.ne.jp/~ohto/sunday/sun97/sun971015.html
らくだレースと少年奴隷(10-12)

年端も行かない少年たちが、湾岸諸国で行われるらくだレースのために、
インド・バングラデシュから売られていくという話です。一種の人身
売買みたいなもので、命を落とす少年も多いようです。たぶんらくだ
レースは公式のというか、競馬などと同じように公共賭博として行われて
いるのもあると思います。ここでは、そうしたのではなく違法性の高い
レースのことです。これは砂漠の私有地で開かれるみたいですから、
政府の監視も行き届かない。
少年たちは貧しい村から集められる。しかもこの場合親は子供たちが、
よりよい生活を送るためにと願って送り出す。親たちは子供を外国に
送り出すために、土地や宝石を売って金を工面し、世話役に渡す。
だからこれは普通いう意味での人身売買とは言えない。しかし世話役は
親たちと、さらにはレース開催者からも斡旋料を受け取る。
76世界@名無史さん:05/02/22 04:50:17 0
このらくだレースは過酷なレースで、砂漠の中で行われるレースですが、
時には5才くらいの外国の少年たちが、かり出される。子供たちは
らくだに縛り付けられ、彼らの悲鳴が、らくだを時には時速40マイルの
速さで競争させる。落下すれば重症を負うし、時には命を落とすという
わけです。さらにジョッキーは軽い方がいいから、体重を増やさない
ために満足な食べ物を与えられない。子供たちの年齢は5才から12才
だということです。レース期間は4カ月ということになっているようです。
親たちは、うまい話にだまされていますが、少年たちの境遇を考えると
これは一種の人身売買だといえるでしょう。
77世界@名無史さん:05/02/22 16:59:05 0
ひでぇ話だ。。。
この世界、まだそういうのいっぱいあるんだろうなと思うと鬱になる。
78世界@名無史さん:05/02/22 17:14:38 0
つかそれってUAEの話だろ。オマーンは上でも出てるが南アジア系の人が
もともと沢山住んでいるから、UAEと同じことをやると同胞が黙ってないんじゃ
ないか?
79世界@名無史さん:05/02/22 18:32:16 0
世界史板って懐広いのね
80世界@名無史さん:05/02/22 18:35:33 0
この国、物凄い親日国だと聞いた事があるけど。
81世界@名無史さん:05/02/22 18:51:58 0
日本人の血を引くお姫様がいたからでしょ
82世界@名無史さん:05/02/22 19:01:49 0
いつも思うんだけど特定の国に対して特別な親しみを感じるなんてことがあるんだろうか。
なんか自意識過剰じゃない?
83世界@名無史さん:05/02/22 19:40:50 0
俺はオマーンっ子がすきだぞ
84世界@名無史さん:05/02/22 19:41:10 0
>>81
しかし本人は日本人と面会するのを拒んでいる。
85世界@名無史さん:05/02/22 19:58:00 0
>>82
日本の新聞を読んで見ると、アメリカや欧米なんかは物凄く良く取り上げられてるよね。
そんな感じでオマーンでは日本が取り上げられてるらしい。
少なくとも注目を浴びている事は確かみたいだけれど。
86世界@名無史さん:05/02/22 20:15:41 0
日本はちょっと違うのだ
87世界@名無史さん:05/02/22 20:19:35 0
なんでムスリムって日本に擦り寄ってくんのかね。
宗教的に言えば、君主崇拝の多神教徒なんて不倶戴天の敵だろに。
人種的にも宗教的にも、ヨーロッパのが近しいと思うが。
88世界@名無史さん:05/02/22 20:35:09 0
>>87
近いからこそ、僅かな違いが許せないのかも
日本人ほど違っているともはや別人種、宇宙人ぐらいに思われるのでしょう
89世界@名無史さん:05/02/22 20:39:46 0
コミュニティの密度を見れば理解できると思うが
日本と欧米のムスリムとでは歴史も深度も
まるで異なる。

忌憚ない意見をいえばムスリムは日本において
政治的主張を顕在化させるほどには移民たちはマジョリティを形成していない

90世界@名無史さん:05/02/22 20:42:39 0
>>89に絡めると別スレで自転車小僧氏が日本ではムスリムは
勧誘活動をしておらず、過激発動もしていない旨の発言をしておられたが、
前者の主な理由はそういう>>89にあげたとおり、後半はちょっと異論がある。
過激原理主義者は既に侵入していると思しき形跡がある。
すれ違いなのでまた別スレで機会あれば言及したい。
91世界@名無史さん:05/02/22 21:10:36 0
家族・親族の付き合いはオマーン人の生活の中で、もっとも重要かつ不可欠な
ものである。都市部に居住するオマーン人であっても、週末には家族あるいは
親族の住む出身部族の地域へ帰り、互いに顔を見せ合うことで暗黙のうちに
同族内での連帯を確認しあっている。
核家族化が進む今日であっても、この習慣が比較的根強く続いている理由の
ひとつに、心理的な強迫観念がある。親族や出身部族との交流が一時的に
疎遠になった場合、グループの中で冷遇されてしまうと感じている人が多い。
92世界@名無史さん:05/02/22 22:12:55 0
1331年、東アフリカから海路北上してきたイブン・バトゥータがオマーンの各所
を訪ねている。
まず現オマーン南部、イエメン国境に程近いザファーリ(ズファール)に上陸。
住民はインドから輸入した米を主食とし、インド綿を衣服としていた。もとは
イエメンのラスール朝が一門を総督として派遣していたが、総督が土着し、
孫の代にスルタンを名乗って独立した。
続いてスールに上陸し、カルハートの街を訪問。双方ともマスカットの南東に
位置し、当時はホルムズのスルタンが統治していた。やはりインド米を主食と
していたとある。
そこから内陸に入り、ナズワー(ニズワ)でナブハーン朝オマーンのスルタンに
拝謁。女性が自由に振舞うことや、ハディースで禁じられている飼育ロバ肉を
食べる習慣について触れている。在地勢力であるナブハーン朝は主に内陸を
領し、大きな海港はスハールを押さえる程度で、沿岸の大部分は前述の通り
ホルムズの支配を受け入れていたようだ。
おそらくスハールから乗船して、バトゥータはホルムズに去る。
また、1346年、インドからの帰途に彼は再びザファーリに上陸、マスカットを
経てホルムズに向かっている。
93世界@名無史さん:05/02/23 00:33:47 0
ムスリムの人は日本人を原始的な多神教を信仰する劣った民族と
見ているよ。友好的なんじゃなくて見下されてるの。
94世界@名無史さん:05/02/23 00:50:28 0
原理的には軽蔑の対象どころか即座に抹殺すべき存在じゃないの?>多神教徒。
コーランに問答無用で打ち首にしなさいみたいな記述なかったっけ
95世界@名無史さん:05/02/23 22:25:55 0
ムスリム圏とキリスト教圏の憎悪(や
東方正教会、シーア派などの派閥争い)は
左翼テロリストが右翼と争わずに、
分裂・内ゲバを繰り返すのと同じことじゃない。

日本人からみるとおなじ白人・一神教徒なのに、
教義・解釈や方針の違いで対立するわけで。
96世界@名無史さん:05/02/24 02:37:11 0
こんだけまともなスレになってるのみて>>1も反省しただろな。
97世界@名無史さん:05/02/24 02:39:55 0
次あたりインカ皇帝の名前で出直してくるほうに500ディナール!
98世界@名無史さん:05/02/24 02:41:55 0
むしろ>>1は「我が意を得たり」とほくそ笑んでいると思われ
なかなかの策士だ
99世界@名無史さん:05/02/24 13:44:28 0
>>1に全米が涙した
100世界@名無史さん:05/02/24 18:48:13 0
マンコくさいのイヤか?
漏れはむしろくさい方が興奮する(;´Д`)ハァハァ
101世界@名無史さん:05/02/24 21:24:32 0
アフリカの話題がでているけど
ケニアでマサイ族がキクユ族と殺し合ってる件について
誰か詳細知らない?
102世界@名無史さん:05/02/24 21:26:00 0
「サン=ジュスト研究会」http://www.kt.rim.or.jp/%7Evulcan/saintjust/
(URLにあるバルカンという文字は、自称画家・長谷川佳子氏(60歳)
が作った自費出版会社/代表取締 兼 社員一名・長谷川佳子氏)
これは私がサン=ジュストを研究するサークルの人間と関わったことから生じた
トラブルの一部始終である。交わした会話のごくごく一部もアップした。
実際のところ、元をたどれば、この研究会のドン(60才女性独身)が、私が
ネットで発表している小説が気に入らない、という個人的感情に端を発している。
恐るべしサン=ジュスト「の」研究会。

根拠もないのに「お偉いさん」だと思いこんでいる人々ほど、扱いにくいものはない。
意見を出し合い、それが自分の意に添わないものであれば、ネチネチ嫌みから始まり
やがてヒステリックな攻撃となる。善意で人が何かを引き受けたら、確認を求めても
気が乗らなければ返事をしない、それでいて相手が思い通りに動かなければ、悪口を触れ回る。
それがサン=ジュスト「の」研究会の実態である。
103世界@名無史さん:05/02/24 22:10:07 0
>>101
アフリカスレで話題になってましたね。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1032133912/869-871
104世界@名無史さん:05/02/24 22:16:49 0
このスレでイエメン、アラブ首長国連邦、サウジアラビアなどの他の湾岸諸国
について語ってもいい?
オマーンだけじゃスレを使い切るのは難しそうだし。
105世界@名無史さん:05/02/24 22:23:32 0
えーんでないの?すでにラスール朝イエメンとかUAEの話も出てるし。
バーレーンなんか、シュメールの文書に出てくるほど歴史古いらしいしな。
106世界@名無史さん:05/02/24 22:31:33 0
どっかの漫画で公国になっていたのがあったな・・・やばくないかと冷や冷やしたもんだが。
107世界@名無史さん:05/02/24 22:53:14 0
バーレーンの現首長のハリーファ家は1782年にカタールから移住
してきた。
108世界@名無史さん:05/02/24 23:10:16 0
>>105
ディムルンだったっけか?
109世界@名無史さん:05/02/25 00:16:59 0
ttp://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page004.html
古代ペルシア湾の交易地に関する文献は、ジョフレー・ビビー著、矢島文夫ほか訳『未知の
古代文明ディルムン』(平凡社、1975(原著1970))が、いまなお身近で唯一の文献らしい。それ
は、ディムルンをバーレーン島、マガンあるいはマカンを現アブダビのウンム・アン・ナール島、
また現クェートのファイラカ島をギリシア神話のイカロス島とみなし、それらを発掘してきた記録
である。
 近年、それら交易地の発掘が進んでいるようであるが、ビビー氏の発掘時期、すなわち
1950、60年代にあっては、墳墓円丘や印章は多く発見されているものの、海上交易の文書や
遺物は未発見のようである。したがって、その史実の説明は、ほぼもっぱらメソポタミアの文書
や先行文献に頼ることになっている(ディムルン発掘記録の要約は、前出『古代文明と遺跡の
謎』にある)。
 ウンム・アン・ナール島はホルムズ海峡を通り、オマーン半島を回ったところにある。そこは、
バーレーン島にくらべ小さく、また本土と近接しており、銅の積み出しには便利であろう。
しかし、ビビー氏にあってもウンム・アン・ナール島は未解明らしい。「ウンム・アン・ナールは…
…インダス河谷文化と同時代か、いくらか早い時代のものであった。ところがインダス河谷文
化は、われわれの[いう]バルバル文化、すなわちバハレーン島上の初期ディルムン期、都市
2[前2300-1750年頃]と同時代であった」(前同、p.293)。
110世界@名無史さん:05/02/25 00:17:34 0
古代のディムルンあるいはティムルンは、現在のバーレーン島とされている。バーレーンは、
ティグリス河とユーフラテス河と合流したシャット・アルアラブ河の河口より、さらにまたホルムズ
海峡より、それぞれ約450キロメートル、すなわちペルシア湾の中央に位置する。いずれからもダ
ウ船で2日の距離である。それに加え、ディムルンがペルシア湾で唯一の給水地であった。な
お、ナツメヤシの産地であった。
 ディムルンが、メソポタミアの文書に最初に現れたのは前2520年頃に生存していたラガッシ
ュの王ウル・ナンシュの治世であり、「ディムルンの船、外国より、貢納として木材を私のもとに
運んできた」とある。最後は、新バビロニアの王ナボニドス(在位前556-539)の治世前544年で
あり、「ディムルンの治政官」にふれているという(ビビー前同、p.49)。
 ビビー氏は、メソポタミア商人たちについて、ニンガル神殿出土の文書から「ディルムン行き
の渡航貿易で〈魚の眼〉[特産の真珠]その他商品を購入するため……資金を集め、船荷をと
りまとめていたこれらの商人たちは、なにも既知の世界のかなたの神話的な不死の国に向う、
無謀な商船隊に出資していたわけではなかった。それは日常的な商売だったのであり、彼らが
生計を立てる手段だったのである」と高く評価する
111世界@名無史さん:05/02/25 18:49:56 0
サウジアラビアやアラブ首長国連邦では、国王や首長によって「雨乞い」の
儀式が執り行われる。たとえば、サウジアラビアでは1992年から2000年の間に
14回の雨乞い礼拝が行われている。
112あずみ:05/02/25 18:51:17 0
なんか文句ある

これうざい


http://homepage2.nifty.com/akahanejimusyo/

113世界@名無史さん:05/02/26 22:20:15 0
ttp://sekitori.web.infoseek.co.jp/Hito/hito.html

カラシニコフAK-47《ブンドキーヤ》は、部族民の成人男性の必需品。ロシア
製のものが人気高く、ほぼ全員が所持している、らしい。旧式のコピー製品
なら一丁200ドル前後で買える。この他に短銃も所持している。部族民の子供
は、1つ5ドル前後で買える手榴弾《ゴンボラ》をぶん投げる。イエメン国内
には推定で、国民の3倍にあたる6千万丁の銃が出回っているとされる。
銃は、1994年内戦での軍からの流出品、密輸品がほとんど。北部山岳地域に
ある都市の郊外には武器市場(フリーマーケット)があり、ここで買える。
弾はガソリンスタンドやよろず屋で簡単に買える。
北部最大の都市サーダ近郊で木曜日に開かれる、大規模な軍用武器市場
「スーク・テルフ」では、対戦車砲(400ドル前後)、地対空ミサイル、
戦車など重火器も売られている、らしい。イエメン政府軍も部族も所持する
武器はほとんど同じ。ただし志気は部族の方が断然高い!
114世界@名無史さん:05/02/26 22:20:55 0
銃は散発的におこる部族間抗争で使われるが、よく使われるのは結婚式
などの祝い事。部族の男性は郊外の岩場などで、銃をぶっ放す。ガキは
手榴弾を投げやがる。結婚式関連の祝い事では、木曜日の夜、部族が
所有する軍用の12mm機関銃《ラッシャーア》を乱射する。
しかーし首都サナアでは、銃や手榴弾を持って歩くことは禁じられた。
でも短銃は隠し持っているヒトも少なくない。旧南イエメン圏では、
銃を持って歩く男性はほとんどいない。
115世界@名無史さん:05/03/02 20:17:23 0
>>93
いちいち一般人が一神教だの原始的な多神教だの思ってねーよw
主観じゃなくて「常識」を働かせろよ。
偏狭なイスラムマンセーならあるし、異教徒とは思ってるだろうがな。
116世界@名無史さん:05/03/02 20:18:19 0
★尊敬する国、日本が2位 アラブの若者意識調査

・最も尊敬する国は米国で、次は日本とエジプト−−。
 11日付の英紙デーリー・テレグラフは、英文化交流機関のブリティッシュ・
 カウンシルがアラブ諸国に住む若いイスラム教徒を対象に行った意識調査の
 結果を掲載した。
 ブリティッシュ・カウンシルは、米中枢同時テロ後の外交姿勢に不満を
 抱きながらも、経済的な要素が反映していると分析している。
 調査はパキスタンやサウジアラビア、パレスチナ自治政府など9つの国・
 自治政府に住む15−25歳の約4700人を対象に、今年2月から3月にかけて
 実施。その結果、米国を最も尊敬する人は約25%、日本とエジプトが各12%、
 英国が11%で続いた。
 エジプトが2位に入ったのは、サウジアラビアやパレスチナ自治区で、リーダーと
 しての期待が集まったためと見られる。

 http://www.kahoku.co.jp/news_s/20020611KIIATA62400.htm
117世界@名無史さん:05/03/02 20:29:40 0
ベルサイユ条約賠償条項第8章246条
本条約が発効して6ヶ月以内に、トルコ官憲によってメジナから持ち去られ、
廃帝ウィルヘルムU世に献上されたとされるカリフ・オスマンのコーラン原
本をヘジャズ国王陛下に返還せねばならない。
同様の期間にドイツ領東アフリカから持ち去られ本国に持ち込まれたスルタ
ン・ムクワワの頭蓋骨を英国政府に返還せねばならない。
118世界@名無史さん:05/03/03 15:45:15 0
>>117
ttp://ww1.m78.com/question/sultan%20mkwawa.html
ttp://www.kaho.biz/higasiafrica.html
タンガニーカの在地勢力の長であるムクワワやアブジリは、オマーン
(ザンジバル)のスルタンにじゃなくて、オスマン朝と友好関係を結んで
たらしい。オマーンはスワヒリ海岸を満遍なく支配してはいなかったようだ。
スワヒリ海岸は、オスマン朝というよりイエメンとのつながりが昔から
濃かったから、イエメンを占領したオスマン朝に使いを送るのは仕方ない
といえば仕方ないが。
119世界@名無史さん:05/03/04 18:45:57 0
>>118
イエメンの場合、オスマン帝国の支配下にあっても、実質的にはザイード朝が
権力を握っていたようですな。
オスマン帝国が崩壊すると、イマーム・ヤフヤがイエメン王国を樹立。
120世界@名無史さん:05/03/04 18:57:20 0
>>113-114
マスゴミはまるで米国のみが銃規制の無い異常な国のように
報じるが、実際には銃に関する法規制が無いか、あっても非力な
国が多い。
121世界@名無史さん:05/03/04 20:55:34 0
おお、こんなスレがあったとは・・・
中央アジアとかシリアの周辺はなんとか情報が多いから良いけど
イェメンやオマーンはほとんど知らないのでためになります。
122世界@名無史さん:05/03/06 00:03:03 0
アラブ首長国連邦は、イギリス統治時代「休戦海岸」と呼ばれていた。
123世界@名無史さん:05/03/06 00:23:13 0
>>122
その前はPirates Coast(海賊海岸)だったけどな
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/middleeast/oman.html
124世界@名無史さん:05/03/06 01:58:17 0
ぐぐって来て得意げにソース付ける奴って嫌な奴だな
125世界@名無史さん:05/03/06 01:59:20 0
すまん許せ。背景とか紹介した方がいいかなとか思って。
126世界@名無史さん:05/03/06 02:04:17 O
昔あった満州事変スレはおもしろかったw
127世界@名無史さん:05/03/06 02:07:17 0
それもそうだな。背景がわかった方が親切だよな。
128世界@名無史さん:05/03/06 13:33:41 0
ttp://www.dab.hi-ho.ne.jp/dandh/dobaihotnews03.8-12.htm
日本にはないこのハウスメイドというシステムは、中東特有の文化のひとつ
であり、いわゆる日本との「文化の違い」のひとつでありますが、実は、
これが私にとって未だに馴染めない一番の「文化の違い」なのです。
奥さん同士が集まると、「うちのメイドはフィリピン人よ。よく働くわよ。
おたくのは?スリランカ人?」なんて、まるで持ち物の品評会かなにかの
ように話すのはまだいいとして、ジムでものすごーく太ったおばさんたちが、
「動かないから体重が減らなくって・・・。ところで聞いてよ、うちの新しい
メイド、トロいのよ。掃除が遅くってね・・・」なんて話しかけてきたりすると、
「だったら、自分でやれ!!」と思わずツッコミを入れたくなることもしばしば。
たまに、年端もいかない子供たちが、「うちのメイドはバカ」「うちの運転手
は臭い」「うちの奴隷がね(メイドのこと)・・・」と平然と話すのを聞く
ことがあり、階級社会という中東独特の文化が、こんな小さな子供のうちから
しっかり根付いているんだなー、と感じます。
その他、うちに遊びに来た子がお菓子の包装紙を食べるそばからポンポン床に
ほうり投げるので、「ゴミ箱、ここにあるよ」といったら、「どうして?メイド
に片付けさせればいいじゃない。」といわれて唖然としたり・・。こういった
場面は、昔から各家庭でハウスメイドを使っているのがあたりまえのアラブ人
や中東出身の家庭でよく見かけます(つまり、親もそうやって育っている)
129世界@名無史さん:05/03/06 19:55:20 0
イエメン年表(仮)

1300?−950 ?BC  ミナ王国
950?〜115B.C.   サバ王国 ※首都マーリブ。乳香交易で繁栄。同時期に
                     ハドラマウト王国なども繁栄
115B.C.〜525A.D. ヒムヤル王国 ※115以前はサバに従属。最後の王ドゥー・
                      ヌワースはユダヤ教に帰依し、キリスト
                      教徒を弾圧したため、東ローマ皇帝の意を
                      受けたアクスム王に攻められ滅亡
525-575       アクスム王国(エチオピア)の支配
575-?        サーサーン朝ペルシアの支配
631-1018      イスラム勢力による占領〜ウマイヤ朝〜アッバース朝の支配
819-1018?    ズィヤード朝 ※アッバース朝の総督ムハンマド・イブン・
                      ズィヤードが独立して建設
?-1174?     ズライ朝 ※詳細不明。誰か追加よろしく
1135-1174     キーシュ(カイス島:現イラン)によるアデン占領  
1174-1229     アイユーブ朝の支配
1229-1454     ラスール朝 ※首都はザビード。交易の最盛期。スワヒリ
                     海岸にも影響力を及ぼす。
1454〜1538    ターヒル朝  ※アリー・イブン・ターヒルがラスール朝を打倒
                      して建国。インド洋貿易の支配権をマムルーク
                      朝と争うが、オスマン朝に征服される
1538-1918     オスマン朝の支配
1918-1962     ザイード朝(ザイード派のイマーム・ヤフヤー→アフマド)
130世界@名無史さん:05/03/06 20:29:41 0
ttp://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi2/page002.html
▼戦闘的な港市国家キーシュの登場▼
 シーラーフの街が地震により崩壊し、その住民の多くが移住した。それとともにペルシア湾を
発着地とする交易が衰退したわけではなかった。シーラーフの衰退の要因となったクルド系遊
牧民の一族が、10世紀末シーラーフ南東250キロメートルにある小島キーシュ(カイス、記施国)に
も入り込む。
 キーシュの支配者となった遊牧民たちは海上にも進出して、10世紀後半から11世紀後半に
かけて、シーラーフ系海上交易人が活躍してきた海上交易ルートに沿って、前近代社会におい
ては重要な商行為の1つの段階とされる海賊行為を展開した。12、3世紀の地理学者の記録に
よれば、「大小の船隊を編成して敵対する商船や交易港を襲い、またペルシャ湾の主要な真
珠採集場やウワール(バーレーン)島、カティーフ、オマーンのスハール、マクラーン海岸、イン
ドのカンパーヤ、ソムナート、東アフリカのザンジュ地方、イエメンのアデンなど、アラビア海や
インド洋西海域周縁部の重要な航海上の寄港地を広く、その支配下に収めた」とされる。
131世界@名無史さん:05/03/07 05:32:45 0
>>129
南イエメンの後ヒムヤル王国のユダヤ教改宗ってのは興味深いよね。
ヘブライ人以外の民族でユダヤ教に改宗したのはハザールハン国と
後ヒムヤル王国だけだ、って漏れの教授が言ってた
132世界@名無史さん:05/03/07 09:34:58 0
最後のヒムヤル王ズー・ヌワースはユダヤ教を奉じてキリスト教徒を
虐殺し、逃れたキリスト教徒がビザンティン皇帝に救援を求め、その
要請を受けたアクスムがキリスト教保護のためヒムヤルに侵攻し、
ズー・ヌワースを殺害して南アラビアを統治した。しかしアクスム勢は
ササン朝ペルシャの援助を受けたヒムヤル王家サイフ王子による抵抗
勢力によりアラビア半島から駆逐された。
133世界@名無史さん:05/03/07 12:42:10 0
イエメンの摩天楼都市シバーム(下)
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~t-ohashi/images10/shibam08.jpg
は、NEUTRALという雑誌(下)によると、「8世紀には、今の姿になっていた」
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893679422/qid=1110166710/ref=pd_ka_1/249-0993462-8177910
とある。 8世紀に10階建ての高層建築群が都市を構成する規模であったとは
とても信じられないが、誰かこのあたりの詳細情報について知っています?
134世界@名無史さん:05/03/07 14:52:40 0
乾燥してて地震もないから単に日干し煉瓦積み上げただけの建物でも
問題ないんじゃないの。
135世界@名無史さん:05/03/07 17:22:27 0
ttp://forum.nifty.com/fworld/pictures/yemen0212/14.htm

建物の下層部分に石を用いるのが一般的なサナアと異なり、シバームでは
1棟全てが日干しレンガで作られている。これは泥で作られる日干しレンガが
この地で唯一の建材だったこと、熱を吸収しにくいレンガを利用し、砂漠の
熱を防ぐためであった。一方で、その弱点であるもろさは、土台を頑丈にする
ことで補った。岩盤に達するまで溝を掘り、湿気と害虫を防止するために地中
に枝気と塩を敷き詰め、その上から漆喰セメントを流し込んだのである。
こうして頑丈な土台に築かれた建物の高さは平均80mで、サナアの建物より
細くて高い。中層階に隣家との連絡橋が設けられた建物もあるが、それは敵の
襲来時には避難路となった。外壁は防水と太陽光反射のために白くとそうされ
ているが、建物によってその範囲が異なるのは、ヌラー(漆喰と石膏を混ぜ
合わせて作る)と呼ばれる塗料が高価なためである。多くの建物は必要最低限
の土台と最上階を塗装するにとどまっている。修復できるのは裕福層に限られ、
崩壊する建物も見られる。日干しレンガの建物は崩壊後、文字通り砂漠の砂と
化すのである。
136世界@名無史さん:05/03/07 17:57:13 0
近代以前に建物が高層化したということは、

1 市壁の内部に過密な人口が居住している
2 地形的な理由などにより、市壁を広げて居住域を拡大することができない
3 外敵の侵入が頻繁であるため、市壁の外側に新市街を建設することができない

まあこの辺が理由じゃないかと推測。外敵はベドウィンなどが考えられる。
137世界@名無史さん:05/03/08 19:53:28 0
ttp://pws.prserv.net/hosaka/shuji/pearl/pearl.htm
このHPは湾岸地域の歴史についてくわしい。
138世界@名無史さん:05/03/08 20:08:04 0
南アラビア連邦の首長国って、どうなったの?
1391:05/03/10 20:12:45 0
お前ら悪かった
140世界@名無史さん:05/03/12 03:16:00 0
>>1
ゆるす
141世界@名無史さん:05/03/12 19:53:46 0
オマーンの歴史ってアラビア史に属するの?
それともアフリカの方が近いのか?
142世界@名無史さん:05/03/12 22:40:40 0
環インド洋史、と格好よく言ってみよう。
143世界@名無史さん:05/03/12 22:42:47 0
今流行りだね。海の世界史ってやつだな
144世界@名無史さん:05/03/13 00:17:08 0
家島彦一の『海が創る文明―インド洋海域世界の歴史』は絶版なんだよな。
確か例の170が持ってたと思うが。
145世界@名無史さん:05/03/14 06:09:57 0
>>138
南アラビア連邦についてはここが詳しいよ。
各首長国の勢力分布図も載ってる。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/southarabia.html
146世界@名無史さん:05/03/20 04:01:30 0
オマーンの飛び地があるムサンダム半島には、シフーフ人という非アラブ系の
少数民族が住んでいるらしいね。ペルシア起源?
オマーンの銅鉱山は、アケメネス朝ペルシアが採掘を行っていたから可能性は
あるような。
147世界@名無史さん:05/03/20 21:29:44 0
オマーンは実は世界最古の銅精錬が行われた国。
BC2000年頃のシュメールの石碑に「銅を産出する伝説の王国マガン」と
記されていて、これが現在のオマーンであるらしい。

8世紀に、7000kmの波涛を越えて遥か広東までの大航海を成しとげた
オマーン人船乗り、アブ・ウバイダ・カッシムは科学的航海術の開祖
として広く知られている。
また、バスコ・ダ・ガマによる喜望峰回りインド航路の発見の水先案内人
をつとめたのは、オマーン人の航海士アーマッド・ビン・マジッドであった。

148世界@名無史さん:05/03/20 21:39:18 0
>>147
おお、昔コーエーのゲーム「大航海時代III」でアフマド・イブン・マージド
(という表記だった)にはお世話になったなあ。普段は腕のいい航海士、
インド洋では通訳として重宝したもんだ。実在の人物だったのかよ!
149世界@名無史さん:05/03/20 22:58:20 0
現イエメン東部のオマーン寄りの地域が、ハドラマウト地方。ここは乳香の
本場で、紀元前から独立王国が栄えていた。船乗りの拠点としてはイエメンや
オマーンにやや遅れを取ってきたが、18世紀後半に入ると、移民を各地に
送り出し始める。
はじめはインド西岸に、19世紀にはスマトラのアチェにはじまり、マレー半島、
ジャワ北岸、カリマンタンなどにそれぞれ数千人単位で移住している。
ハドラミーと呼ばれた彼らは、貿易や小売などに従事して得た資金を本国へ
せっせと送金し続けた。
第二次大戦で日本軍が東南アジア一帯を征服すると、イギリスの保護下に
あったハドラマウトへの送金は禁止された。ハドラマウトではそのせいで
生活苦に陥る者が多かったという。
現在でも東南アジアのハドラミーと本国との交流は続いていて、イスラム法の
勉強をさせにハドラマウトに子弟を送る者がしばしば見られる。
150世界@名無史さん:2005/03/21(月) 18:55:42 0
シンガポールの建設者、T・S・ラッフルズは、東南アジアのアラブ人に
ついて、

彼らは港から港へ、シェイクだ、サイード(預言者ムハンマドの子孫)だと
いって、「単純で疑うということ知らない原住民」を騙し、マレーの王たち
に取り入っては高位の官職を得て強盗のように利を求める。たとえば、
西ボルネオのポンティアナの前王は、中国人に関税請負、貿易独占を与える
ようなことはなかった。しかし、アラブ人の「冒険者」には手もなく騙された。

と書いている。
151世界@名無史さん:2005/03/22(火) 08:12:13 0
  ̄    /_,,        . _        ::::::::::::\    ̄  人_人人_人人_人人_人人_人人_人
      /  \\゙.l |  / ::// ̄ ̄ ̄ ̄/  ::::::::\      
      | ● |  . | | / :::: /  ●    //   :::::::ヽ   ダ  ス  キ  ン  多  摩   
     /i,.\__ |     :::: /      //      ::::::::|    
    / \ \|.      // ̄ ̄ ̄          :::::|   ⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒
    /. ┏━━━     ̄ ̄━━━━━┓,,、 i し./ :::::|
   /.  ┃/__,,____,/ ̄ \ \    ┃  ノ (   :::::::|
   |  ┃|.. | /└└└└\../\ \  ┃  '~ヽ    ::|
   │  ┃∨.|llllllllllllllllllllllllllllllll∨lllll|     ┃        :::::::|
   \ ┃ |.|llllllllllll;/⌒/⌒  〕     ┃    :::::::::::::::|
     | ┃ |.|lllllllll;   ./ .   . |     ┃   :::::::::::::::::::|
     .|.┃ |.|llllll|′  /    . |     .┃    ::::::::::/
     .|┃ |.|llll|    |     .∧〔   / ┃   :::::::::::::|
    / ┃.∧lll    |    ../ /  / ┃  :::::::::::::::::\
152世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:11:00 0
ttp://www.diplo.jp/articles05/0503-3.html
バーレーンの進まぬ民主化改革
マルク・ペラ(Marc Pellas)
湾岸地域・アラビア半島安全保障問題専門家

153世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:38:36 0
>>122
山川出版社の小型の黄色い世界史辞典だと、オマーン休戦土侯国になっている。

あの辞典の付録の各国要覧、全然メンテナンスしていないから、
最新版でも、イラン帝国や、エチオピア帝国のままではないだろうか。
154世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 17:01:37 0
>>153
そういえばドイツもベルリンの壁が壊れたというのに神聖ローマ帝国のままだった
155世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 16:01:36 0
チンーコ国と仲いいよね!!
156世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 16:57:37 0
>>155
仲は決して良くないぞ。
建国以来20有余年、未だ嘗て接触がない。

オマーン国の実情は、裏ルートを経て辿り着いた
ビデオ映像や写真、それに様子を伝えるイメージ画像だけだ。

果たしてオマーン国というのは本当に存在するのだろうか。
157世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 17:49:02 0
>>155= >>156 ジサクジエーン
そのネタつまらんから、もう消えていいよ。

「オマーン休戦土侯国」って、どことどこの休戦なのかな?
158あやめ ◆C0.O2CxIMg :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:33:14 0
>>157
ラースハイマのエミールとイギリスが1853A.D.に締結した永久休戦条約です。
ムサンダム半島一帯は元々マスカットのスルタンが領有していたのですが、
19世紀初頭から支配力が弱まり、ラースハイムを始め東部湾岸のエミール
配下の海上勢力の跳梁が激しくなりました。中でもイギリス東インド会社の
被害が甚だしく、遂に海賊討伐に乗り出した結果が休戦条約に至ったものです。
それまではこの辺一帯は「海賊海岸」と呼ばれていましたが「休戦海岸」と
改称されるようになり、この辺のEmiratesを「休戦オマーン」と称することに
なり、1892A.D.にはイギリスの保護領となりました。1971からは「アラブ首長国
連邦」として独立しました。
159あやめ ◆C0.O2CxIMg :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:47:36 0
ところで"Emir"は現在では「首長」と訳されていますが、昔は「土侯」と
訳すのが普通でした。朝日新聞なんかでもアイヌを「北海道旧土人保護法」
なんて差別扱いしてるのはけしからんといったキャンペーンをしてる同じ
紙面で、平気で「土侯国」と書いてるんだからいい加減なものです。因みに
アイヌを「土人」と明治政府が呼称したのは差別意識からではなく、単純に
土地の人とかネイティブという意味でしかありません。後世になってから
「南洋の土人」みたいなニュアンスが付加されたのです。ところで「土侯」が
「首長」に昇格したのは彼の石油ショックの影響です。それまでは「土百姓」
「土田舎」扱いでした。
160世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:26:10 0
>>159
>朝日新聞なんかでもアイヌを「北海道旧土人保護法」
>なんて差別扱いしてるのはけしからんといったキャンペーンをしてる同じ
>紙面で、平気で「土侯国」と書いてるんだからいい加減なものです。

朝日新聞が「北海道旧土人保護法」はけしからんとキャンペーンしたのは1980年代。
石油ショックは1970年代だから、「同じ紙面で」はありえない。

君こそいい加減なもんです。
161あやめ ◆C0.O2CxIMg :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:32:16 0
「北海道旧土人保護法」はけしからんとキャンペーンはかなり前から
なされていたようです。キャンペーンの規模にもよるでしょうが。
162世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 20:55:40 0
「かなり前から」で逃げちゃったよw

だいたい「北海道旧土人保護法」はけしからんと主張したのは、読売も一緒だったし。
本当にいい加減だな。


163とてた ◆0Ot7ihccMU :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:02:55 0
うろ覚えでソースは明示できませんが、
「北海道旧土人保護法への批判」そのものは、
60年代以前からアイヌ団体が主張していましたが、
「内容」が先で「土人」という名称のニュアンスが問題になったのは
80年代以降だったかと。

164かきつばた ◆O1SdlnknBs :2005/04/06(水) 03:02:56 0
すると、清代に非漢人の諸侯に授与された、土官・土司について、
「中華思想による非漢人蔑視の思想がよく現れている呼称」など
とみなすのは時代錯誤、ということですね。
165ぢゅらさん:2005/04/06(水) 03:20:44 0
>>164
土司、土官の土というのは単に土着の土、つまり「現地出身の」という程度の
意味なんでしょうね。
日本でも戦前の柳田國男なんかの本では、日本国内の「現地の人」という
ほどの意味で「土人」という言葉が使われてたりしているそうです。
ところがいつの間にか南方などの原住民を指す言葉になって、日本人を
「土人」と呼ぶことはなくなり、そのうちに「未開」「野蛮人」という
否定的ニュアンスが付け加わるようになったようです。
これには、土(ど)の音が百姓を賤しめて呼ぶ「どん百姓」などの「ど」と通じる
という連想が働いたという面もあったと思われます。
166世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:52:59 0
キタ━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━!!!

あいのり、オマーン国へ!↓


27 名前:まっこり 投稿日:2005/04/08(金) 22:16:13
2月にオマーンでラブワゴンに会いましたよ。
なんかカメラやら照明やらに囲まれて撮影が大変そうでした。

ttp://www.ryokojin.co.jp/mfb/float.cgi?bbs=forum&thread=11128175418
167世界@名無史さん:2005/04/30(土) 22:36:25 0
オマーンの人ってクロンボ?
168世界@名無史さん:2005/04/30(土) 23:10:41 0
>>167
黒人的形質を持つ人「も」住んでいる。>>45の通り、ザンジバルからの
移住があったし。
まあオマーンに限らず、湾岸諸国に黒人的形質を持つ人が少なくないのは
サッカーWC予選を見てるとわかる。
169世界@名無史さん:2005/05/01(日) 20:11:34 0
おまんこ臭い空港
170世界@名無史さん:2005/05/02(月) 02:28:47 0
アルゼンチン国際空港
171世界@名無史さん:2005/05/02(月) 19:51:51 0
珍宝島事件
172世界@名無史さん:2005/05/04(水) 01:22:26 0
船乗りシンドバッドの「シンド」って、インドのシンド地方のことなの?
いやスレ違いじゃないぞ >>67参照
173世界@名無史さん:2005/05/04(水) 06:21:55 0
>>170
「スィンドバード」とはペルシア語で「スィンドの風」という意味。
元々「India」の語源になった古代ペルシア語の「Hindu-」は、インド語のs音が
イラン語ではh音に置き換わる現象によって sindu->hindu-に変化したしたもの。
(近世ペルシア語でインドのことはhind/hindu)

この「シンドバッド」というときの「シンド」はインドなのかシンド地方なのか忘れたが、
「sind-baad」はペルシア語でモンスーンのことだったと思う。
174世界@名無史さん:2005/05/05(木) 20:14:17 0
>>173
Mr.モンスーンなんて、帆船を操る民らしいネーミングだね。
情報ありがとう!

やっぱりオマーンにとってはインドが一番の交易相手なのかね。
インド側の記録にはオマーンなどのアラブ商人やペルシア商人は
どう描かれてるんだろう。
175世界@名無史さん:2005/05/12(木) 11:29:12 0
「シンバッド」って表記もよく見るんだが
176世界@名無史さん:2005/05/16(月) 00:21:05 0
「休戦オマーン」か、何回戦までやれるか、精力絶倫。
177世界@名無史さん:2005/05/16(月) 00:25:31 0
>>56
玉座の真上の天上、天蓋に鉄球が吊り下げられております。
玉座に本物の皇帝以外の者が座るやいなや落下すると伝えられています。
 
178世界@名無史さん:2005/05/16(月) 12:27:49 0
>>177
何の誤爆か知らないが、あの玉座にはずーっとコオロギが隠れていたのに鉄球は落ちなかったぞ。
だからお前も安心して座れ。(警備員に止められること確実だがな)
179世界@名無史さん:2005/05/25(水) 10:38:01 0
オマーン国際会館(快感)
オマーン国際委員会(いいんかい?)
180世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:36:42 0
>>168
アフリカ系の住民はいつごろからやってきたのでしょう。
近代以前から交易などで渡ってきていたのかな。
181世界@名無史さん:2005/06/15(水) 11:08:22 0
奴隷だべ
182世界@名無史さん:2005/06/27(月) 02:42:56 0
女性器を「オマンコ」呼ばわりするのは、しょせん関東ローカルだからな。

関西人にはおもしろくもなんともない(プゲラッチョ、(ワラププ
183世界@名無史さん:2005/06/27(月) 03:02:03 0
>>182
「御目溢し」なんかどう?

ただし関西人以外にはおもしろくもなんともない罠。
184世界@名無史さん:2005/07/20(水) 22:37:06 0
このままでは落ちてしまう
185世界@名無史さん:2005/08/05(金) 20:34:41 0
オマーン国って1950年代まで2つあったんだね。
オマーン・スルタン国VSオマーン・イマーム国
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/omanimam.html
186世界@名無史さん:2005/08/06(土) 16:35:14 0
手元にある山川の世界史歴史地図では、オマーン一帯はほとんどの時代で
空白のまま。扱いが軽すぎないかい・・・
187世界@名無史さん:2005/08/18(木) 00:52:48 0
沖縄県那覇市漫湖
188世界@名無史さん:2005/08/18(木) 00:58:37 0
>186
ハドラマウトモナー
189世界@名無史さん:2005/09/15(木) 21:24:41 0
みんなもニュース速報プラスのスレ立て応援してくれ。特に英訳できる人

http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1126618654/263
◆◆◆スレッド作成依頼スレ★220◆◆◆
263 :防? :2005/09/15(木) 21:21:44 ID:RaaUbIMu0
スレ立てどうぞよろしくお願いいたします。。。。ソース英文ですけど。。。

【このネタを待っていた】モーターショー2005が開催 オマーン国際展示センター

英文ソース
http://www.strategiy.com/inews.asp?id=20050914023437
自動翻訳
http://honyaku.yahoo.co.jp/url

(オマーン国際展示センター)Oman International Exhibition Centre
190世界@名無史さん:2005/11/01(火) 09:22:48 0
イスラム圏のスレは盛り上がらないのかな?
191世界@名無史さん:2005/12/18(日) 06:05:50 0
研究者の数が・・・。
192世界@名無史さん:2006/01/04(水) 00:57:41 0
オマーンとかUAEとかクウェートとか国制がいまいち分からんのだが・・・
193世界@名無史さん:2006/01/04(水) 01:00:49 0
UAE
複数の「首長国」による連邦制
代表権は確か各首長の持ち回り

クウェート
君主制の王国
194世界@名無史さん:2006/01/04(水) 01:04:11 0
首長っていうのはどんな集団の頂点なんだろう?
195世界@名無史さん:2006/01/04(水) 01:43:07 0
>>194
各地方を牛耳ってたりする有力部族の長なんじゃない?
日本古代の豪族なんとか氏みたいな感じの
196世界@名無史さん:2006/01/04(水) 10:25:50 0
UAEの元首って「大統領」だけど、連邦レベルでは共和制になるのか?
197世界@名無史さん:2006/01/05(木) 21:44:21 0
UAE副大統領兼首相のドバイ首長の訃報には、「殿下」ではなく「氏」とあったから、
君主制なのか共和制なのか微妙だな。
198世界@名無史さん:2006/01/06(金) 14:43:05 0
http://upa-rupa.seesaa.net/article/9085751.html

●元首級以上
01:ポードワン国王王妃両陛下(ベルギー)
(略)
13:ミッテラン大統領閣下(フランス)
(略)


●皇太子・王族級
01:ハラルド皇太子殿下(ノルウェー)
(略)
11:ムハマド・アル・ナハヤン殿下(ザイド大統領殿下三男)(アラブ首長国連邦)
(略)

●副大統領級
01:マルーフ副大統領閣下(イラク)
(略)

●首相級
01:デクエヤル事務総長同夫人閣下(国連)
(略)

●閣僚級
01:フェルバー連邦参議閣下(スイス)
(略)

●特派大使級以上:派遣国数11ヶ国
1:ベイ事務総長閣下          経済協力開発機構(OECD)
(略)
199世界@名無史さん:2006/01/06(金) 14:47:22 0
「大統領殿下」…とても変わった響きですね。
英語でも「His Highness 」を使っていることが多いようですが…
200世界@名無史さん:2006/01/06(金) 23:00:26 0
200ゲット
201世界@名無史さん:2006/01/06(金) 23:05:41 0
日本だけになってしまったま
「His Imperial Highness 」
202世界@名無史さん:2006/01/09(月) 17:57:29 0
オマーンと言う国の歴史が複数存在する事についてレポートを出されました。なにか良いサイトはありません?
参考にする程度なのでお願いしますorz
203世界@名無史さん:2006/01/09(月) 21:52:31 0
204世界@名無史さん:2006/01/30(月) 06:21:27 0
マスカッキ
205世界@名無史さん:2006/02/06(月) 14:38:11 0
衆議院におけるオマーン論議
280 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:04/10/13 09:10:31 ID:a90678ZX
○渡部(一)委員 
それならここのところに、オマーンのところだけは
「オマーン国のために」と「国」がついているじゃないですか。
あなた、ちょっと読んでごらんなさいよ。
さっきからあなたの言われることは一々変で、
国のついているところはところどころあるのです。
「オマーン国のために H・A・アッサイド」と書いてあるじゃないですか。

○伊達政府委員 お答え申し上げます。
 「オマーン国」と訳しましたのは、これはただ単にOMANでございますれば
オマーンと訳すことにしております。
オマーン国と訳す場合には、サルタネート・オブ・オマーンといいますか、
そういうふうに書いてあるときにはオマーン国というふうに訳す
というように統一して使っておる次第でございます。
この署名欄によりますと、これはフランス語でございますけれども、
プール・ル・シルタナ・ドマンというふうに
サルタネートという言葉が使ってあるわけでございまして、
「オマーン国」というふうに訳してあるわけでございます。

○渡部(一)委員 
それはサルタネートという場合は、王様の国に準ずる公国という意味でしょう。
それを「オマーン国」なんと訳すのは、あなた、大体誤訳じゃないですか。
206世界@名無史さん:2006/02/12(日) 02:57:30 0
>>202
185を参照
207世界@名無史さん:2006/02/22(水) 23:10:43 0
祝一年でオマす
208世界@名無史さん:2006/02/22(水) 23:35:11 0
>>1は、まさかこのスレが一年続くとはオマってもみなかったろうな。
209世界@名無史さん:2006/03/12(日) 19:05:33 0
UAEには7つの首長国以外にも、非公認の首長国がたくさんあったらしいね
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/kalba.html
210世界@名無史さん:2006/03/12(日) 19:51:26 0
オマーンでは今日でもなお男性同士の結婚が
盛んに行われていると聞きますが、
宗教上、問題はナイのでしょうか?

211世界@名無史さん:2006/03/27(月) 00:29:56 0
>>209
結構適当なんだな
212世界@名無史さん:2006/04/03(月) 18:12:36 0
スレタイは下らんが中身のレスはまあまあのスレだな
213世界@名無史さん:2006/05/10(水) 14:12:38 0
a
214世界@名無史さん:2006/05/10(水) 19:27:18 O
全部ロムってみました

てっきり、エロマンガ島とかスケベニンゲンで盛り上がってんのかと思いきや、意外に真面目なスレでびっくりしますた


で質問なんですが、南北イエメンが合一後内戦みたいになって、旧南北のどっちかの勢力がその国土を全て抑えたという話があったと思うんですが、詳しいことをお教え願ませんでしょうか?


ただ単に興味が有るというだけなんですが


あと、サウジアラビアなんかの民主化事情とか
215世界@名無史さん:2006/05/10(水) 19:31:28 0
イエメン:南
サウジ:全然
216世界@名無史さん:2006/05/11(木) 08:20:14 0
217世界@名無史さん:2006/05/11(木) 11:24:55 0
前々から気になってたんだが、オマーンって造船材をどこから調達してたのかな?
スペインも調達のための伐採で身持ちを崩しているくらいなのに、あんなところにあった国家が…

やっぱアフリカ方面かね?それともあの頃はまだ半島にも木があったとか
218世界@名無史さん:2006/05/11(木) 12:00:02 0
オマーン アラブ の検索結果 約 402,000
オーマン アラブ の検索結果 約   930

オマーン が正しい発音なのか?
219世界@名無史さん:2006/05/11(木) 18:41:52 0
سلطنة عُمان Saltanat ‘Umān (スルタナト・ウマーン)だから
「ウマーン(正則アラビア語)」ないし「オマーン(口語)」で合ってる。
タバリーとかアッバース朝の歴史書や地理書から現在に至るまで一貫して、
عُمان ‘Umān と綴っているから「オーマン」は明らかな誤記。
220世界@名無史さん:2006/05/12(金) 21:11:36 0
以前は「オマン」って表記も結構あったけど
221世界@名無史さん:2006/05/13(土) 14:15:17 0
>>217
完成した船をそのまま輸入していたんだろうか。
廃船になったら船材は新たにリサイクル、とかね。
222世界@名無史さん:2006/05/26(金) 23:49:13 0
222ゲット
223世界@名無史さん:2006/05/27(土) 11:16:38 O
すごいスレだ
オマーンだけで200以上もレスがある
よくネタつきないね
224世界@名無史さん:2006/05/27(土) 11:54:32 0
オマーンだけでって、かつてのインド洋の覇者なんだし
225世界@名無史さん:2006/07/30(日) 02:11:05 0
【鉱物】オマーン南部の砂漠で発見された隕石(いんせき) 鑑定の結果は、、、、月の裏側の石だった! 
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1154103849/
226世界@名無史さん:2006/08/22(火) 18:03:38 0
age
227世界@名無史さん:2006/08/23(水) 00:12:48 0
糸満国際
228世界@名無史さん:2006/08/31(木) 01:22:42 0
オマーンの国王には子供がいないのは宗教的な理由とかあるの?
229世界@名無史さん:2006/08/31(木) 21:19:59 0
ここいtらの部族って集団は民族とは違う概念ですよね。
部族長=世襲村長っていう感じかな?
230世界@名無史さん:2006/08/31(木) 21:47:17 0
アラビア語の発音をカタカナ表記すると「オマン」が一番近いといわれるが、
「オマーン」となった背景には日本外務省の「配慮」があったと言われる。
231世界@名無史さん:2006/08/31(木) 21:48:11 0
>>229
ヤクザの組みたいなもん
232世界@名無史さん:2006/08/31(木) 21:50:42 0
オマン湖草荘
233世界@名無史さん:2006/08/31(木) 22:53:27 0
>>230
アラビア語の発音をカタカナで表記すると一番近いのは「オマーン」。
ちなみに、ヨルダンの首都アンマンも、母音符号がなければアラビア
文字ではまったく同じ綴り。
234世界@名無史さん:2006/09/02(土) 07:09:07 0
江戸っ子とオマーンっ子が喧嘩したらどっちが強いかな
235世界@名無史さん:2006/10/10(火) 17:54:30 0
    ハ,,ハ  
    ( ゚∀゚) おいらをどこかのスレに送って!
  〜(ouub  お別れの時にはお土産を持たせてね!
現在の所持品:たばこ他48品圧縮.zip・どようび・ドエット
糞スレ・rigel・ギコペ・Jane・チョン・あんまん
236世界@名無史さん:2006/11/11(土) 14:21:46 0
強国だった頃のオマーンの主戦力や武装はナニ?
237世界@名無史さん:2006/11/11(土) 16:52:30 0
70年前にアラビアのロマンス オマーン元国王と神戸の少女
ttp://www.chunichi.co.jp/00/sya/20061111/eve_____sya_____012.shtml

> アラビアンナイトのシンドバッドの出生地ともされる中東の国オマーン。
>七十年前、同国のタイムール元国王がお忍びで訪日し、
>神戸市の大山清子さん=当時(19)=と結ばれたロマンスがあった。
>二人とも既に故人だが、在日オマーン大使館によると、娘のブサイナ王女は今も健在。
>清子さんの妹三人が初めて取材に応じ、当時の経緯や王女への思いを語った。

日本とこんな繋がりがあったのね
238世界@名無史さん:2006/11/20(月) 20:10:20 0
オマーン君主の称号って「スルタン」なんだな。
一応、皇帝に相当するわけだが。
239世界@名無史さん:2006/11/21(火) 22:45:22 0
アラブの「スルタン」は王じゃないの?サウジだって王でしょう。
「アミール」を日本語訳すれば首長(サウジじゃ事実上知事)かな。
オスマンを念頭に置いているなら彼は「スルタン」にして「カリフ」だったから
特殊な地位と考えるのが妥当かなあ。
240世界@名無史さん:2006/12/16(土) 17:28:08 0
ttp://www.kaho.biz/at.html
オマーン・ザンジバルの歴史
241世界@名無史さん:2006/12/16(土) 17:34:48 0
「オーマン」は、どっちがというと英語の発音から

英語でも後半の音節にアクセントが来るが、
読み方として、[oum'aen]と、[oum'a:n]の二つが許容されている。
242世界@名無史さん:2006/12/17(日) 23:02:29 0
「スルターン」は厳密にいうと「支配者」って意味だから、その政治組織の内容に応じて
「王」でも「君主」でも「皇帝」でもいかようにも意味付けられる。
「アミール」は歴代、カリフやスルタンなどのもと任命されて地方や軍部隊を率いていた
人たちを言うので「スルターン」が「アミール」の下位になるということは無い。
日本語の地方自治体などの「首長」という場合の「首長」と確かに立場的に似てはいる。

サウジアラビアの場合、君主号は「マリク」なので普通に「王」で問題ない。
243世界@名無史さん:2007/01/31(水) 06:47:17 0
それ考えると>>205のヒトたちは二人ともおかしいね。
サルタネートが常に王の下である公国であるという認識もおかしいし、
サルタネート・オブ・オマーンを「オマーン国」と訳すのもおかしい。
「オマーン王国」が適当な訳だろう。

日本が実質的にエンペラーを頂く立憲君主制であるのに「日本帝国」を名乗らず
「日本国」を名乗っているからみの議論なのかな。
正直深入りしたくないな。
244世界@名無史さん:2007/03/19(月) 23:46:35 0
>>243
日本の天皇は君主ではない。
君主とは主権を有する者を指す言葉
現在の法制では、天皇は主権者ではない

立憲君主国と言うには、少なくとも君主が国民と共に主権者でなければならない
日本国憲法では、主権は国民に存するとし、天皇が国民と共に共治する存在であることを規定してない
つまり、天皇は日本の主権者ではないから、日本は王国ではない

よって戦後の日本は、「日本帝国」ではありえない。「日本」より正しくは日本共和国が正解
245世界@名無史さん:2007/03/19(月) 23:50:36 0
首長がどのような立場を指すとしても
首長がその国の主権者として位置づけられる存在なら王国と呼ぶべき

首長であろうが土侯であろうが、呼称など関係ない
問題は、君主とされるものが主権国家において特別性を有する主権者かどうかが問題

日本の例で言えば、天皇は君主ではない
なぜなら、天皇は日本国の主権者ではないから
アラブの諸君主国で言えば、アラブ諸侯はまあ君主と呼んでよい
なぜなら、かれらはそれぞれの国々で特別の主権者として位置づけられているから
246世界@名無史さん:2007/03/19(月) 23:58:03 0
昔のように君主がオスマントルコや宗教上の主権者に従属していた時代ならともかく
現在はどの王国も主権国家なんだから、呼称はどうであれ王国
王国でないなら、王以外の王国外の主権者が他に存在することになってしまう
王国を素直に王国と呼べないのは、日本の天皇を明確に王でないと言えない事情があるからだ

この問題に対する解答は単純
形式的であれ実質的であれ、至上権を持つ特別な主権者が王
形式的であれ実質的であれ、王が主権者として統治に関わる国が王国
よってオマーンは王国。呼称はオマーン王国とすべき
247世界@名無史さん:2007/03/20(火) 00:02:34 0
13世紀ごろのオマーンはどこが支配していたのでしょうか?
カリフですか?それとも都市国家でしょうか?
248世界@名無史さん:2007/03/20(火) 00:50:15 0
>>246
そうね。

>>247
沿岸部はペルシアやホルムズ王国の影響が強い港市の連なり
内陸山岳部はイバード派イマーム(選出制)を戴く部族連合
カリフとはすでに七世紀くらいに断絶

こんな感じ
249世界@名無史さん:2007/03/22(木) 01:30:58 0
ちょwwwおまwwwオマーン国際通信って
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kengogogo68
250世界@名無史さん:2007/04/08(日) 08:52:43 0
オマーンでおま
251世界@名無史さん:2007/06/16(土) 01:05:16 0
オマーンの船乗りは喜望峰を越えてないの?
252世界@名無史さん
オマーンの歴史を学ぶよい入門書を教えていただけないでしょうか?