エドワード一世について

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76世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 20:43:27 0
>>74
どうも書き込み見てると猫は王制の相続に血統が絡む=世襲と勘違いしてる罠。
ジッペを猫は知らないようだから、話したところで議論は成立せんわね。
トンヌラももっと用語は厳密に使わないといけないだろ。

言われてみればスレ違いな話題だ。
選挙王制には血統が重要な要素であるという事でFAでOK?
77世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 20:54:38 0
そうだな。sippe概念を知らない奴の方が多いだろうからこの絡みを話す時は気を付けないといけないな。
重要な要素か。いいポイントだな。賛成だ。
78世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:13:26 0
>選挙王制には血統が重要な要素であるという事でFAでOK?

言われてみれば、現代の合衆国大統領も血統が重要だなw
79世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 22:13:40 0
>>78
それは事実上の問題でしょう。血統がもたらす諸特権があるかないかの話しで。
選挙王制における血族的栄光は、持ってないとスタートラインにすら並べなかったわけで。

でもアメリカというか欧米って、こういう面は強く残ってるみたいですね。
80世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:30:01 0
こらこら。スレ違いをいつまでやってるんだ。
>>79 必ずしもそうではないぞ。教会がそれを望まなかったからな。
Sachsenspiegel Landrecht 3.54.3 にも教会側の理念が表されてる。12か13世紀以降なら理論的には血統権は関係ない。
だからスタートラインに立つことはできる。だが血統権は事実上大きく作用したからないとかなり不利になるだろうな。
12世紀のドイツの二重選挙について調べてみればわかるんじゃないか。
それから上の話は王の権威の源泉はなにかという話じゃないのか。
>>26にある通りだろ。ただし12世紀以降なら1を絶対とするのは俺も賛成しないな。
>>29>>48をみると猫もそういいたかっただけじゃないか。
トンヌラが血統権を絶対と見るのは12世紀以前を想定して話してるからなんだろう。
その意味だと家をgeschlechtかsippeとするかだけでなく時代までずれた議論をやっていたのか。
もしそうなら二人とも中世史を学んだとは思えないようなポカをやってるよな。
熱くなりすぎたか。
81世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:22:17 0
>>80
おいおいドイツ王権は最後まで血縁が重要視されてたぞ。
シュタウフェン朝崩壊後の選挙は、シュタウフェン王朝の血縁者を
意図的に外して選ばれてたし。
皇帝戴冠はキリスト教の保護者という理念上、教会の意図が強く出るのは当然だけど。

高期中世前後からは国制も固まってくるから、>>67で良いと思う。
そしてこの話題はスレ違いなわけだが。
>>20は中世初期に話を限定してるんだから、正しいで終わりだろ。
82世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:40:58 0
当然だろ重要視してるぜ。絶対じゃないがな。
血統無視はあくまでもSachsenspiegel Landrecht 3.54.3 にも示された教会の理念としてだぜ。
教会はそれを実現しようと動いてるじゃないか。だからスタートラインには立てるがそこまでって事だろ。
>>20は正しいぜ。だからトンヌラが12世紀以前を想定しているといってるんだろ。
何かへんか?というか>>81>>80の対立点がみえんな。
83世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:50:46 0
>>82
正直スマンカッタ。言われてみると確かに同じ事言ってるな。
84世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 18:14:48 0
ところで、スレたてた>>1氏はまだここを見てる?
何か質問とかある?
85世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 20:17:17 0
>>16
>>40
ピエール・ドゥ・ギャヴスタンは、映画と違って実際には殺されておらず、
エドワード1世の死後、息子のエドワード2世は彼をコーンウォール伯に叙任。
その後も、枢密院議員、宮内庁長官への抜擢などに取り立て、貴族たちの反感を
買うことになります。
エドワード2世は父に似ぬ暗愚な国王で、1314年、スコットランド中部の
バノックバーンでロバート・ブルース率いるスコットランド軍に、将兵の
8割以上が死傷または捕虜になるという大敗北を喫し、1323年、事実上の
降伏である屈辱的な休戦条約を締結し、イングランドはスコットランドを
失いました。
86例のにゃあにゃあ ◆9IIO2KvSgc :2005/04/05(火) 17:52:28 0
凄いことになってる。スレ違いな方向になってごめんなさい。

>>69 こんなことになってごめんなさい。
今、手元に森護先生の本しかないけど、
母エリナーが13歳の頃に産んだ子だから虚弱だったのだろうってありましたね。
13歳で子供を産むってかなり厳しい気がします。

こんなの見付けました。ウェストミンスターアビーのエリナー関連の画像です。
ttp://www.mkheritage.co.uk/mkm/stonystratford/docs/eleanor.html
87世界@名無史さん:2005/04/05(火) 20:31:32 0
プランタジネット朝はリチャード2世をもって終わりますが、彼の死後、
スコットランドに自分がリチャードであると主張する若い男が現れ、
真のイングランド王として自分を支持するよう要求しました。
結局、この男は反逆罪でスコットランドからヘンリー4世に引渡され、
自らも王位簒奪者であるヘンリーによって処刑されます。

神聖ローマ帝国で偽フリードリヒ2世が現れたり、ロシアで偽ツアーリが
現れたりといった事件がありましたが、イングランドにもこういう例が
あったんですね…
88世界@名無史さん:2005/04/06(水) 22:27:37 0
ええ!!?ねこさん!!
エドワード一世ってママが13才の時に生まれたんですカーーー(=o=;)!?
ヘンリー三世って…ヘンリー三世って…!!(以下略)

それはともかく何であんなに大きくなったんでしょ?虚弱児だったのに(。_。;)
ヘンリー五世もそうですよね。…確か…




89世界@名無史さん:2005/04/07(木) 00:41:28 0
エレナー・オブ・プロヴァンス(1223−1291)
エドワード1世(1239-1307)

エレナーがヘンリー3世と結婚したのは1236年。
90例のにゃあにゃあ ◆9IIO2KvSgc :2005/04/07(木) 19:51:11 0
>>88-89 他の本も確認したところエリナーの生年について諸説あるみたいです。
森護先生は1226年と見ていて、石井美樹子先生は1224年頃、それで>>89によると1223年。
但し、森護先生は年代記が正しいのならって前提を付けてます。

根拠史料がわからないからなんとも言えないですが、
おそらく森護先生の根拠はマシュー・パリスの年代記だと思います。
パリスはけっこう危うい部分を多く持つ史料なので実際のところはわかりません。
プレストウィチは明言を避けているみたいに見えます。
私の参照資料名出しますね。

森護,英王室史話,大修館書店,1986,pp.89-121
石井美樹子,イギリス王妃たちの物語,朝日新聞社,1997,pp.147-180
michael prestwich,edward I,yale,1997(orig.ed.1988)

すみませんが、>>89の参照資料教えて頂けませんか?

だけど、中世に虚弱児で生き残るんだから運が強いのか、体は弱いけど精神力が強いのか、
いろいろと想像できますね。

>>87 この事件は知らなかった......
9189:2005/04/07(木) 21:40:26 0
>>90
The Penguin Dictionary of British History と、
Oxford Dictionary of British History です。
そもそもの元ネタは知らんけど。
けどまあ、少女を14でセクース、17で妊娠させたとなれば、今だとどっちみちナントカ条例違反やね。
>ヘンリー3世

>>87
ヨーク朝断絶の時も天一坊みたいな事件がありましたね。
パーキン・ウォーベック(Perkin Warbeck)→エドワード4世の息子ヨーク公リチャードを名乗る。
ランバート・シムネル(Lambert Simnel)→エドワード4世の甥ウォリック伯エドワードを名乗る。
92世界@名無史さん:2005/04/08(金) 10:32:57 0
>>90
読み物としては楽しいが、森護を史料扱いするのはどうだろう?
93世界@名無史さん:2005/04/08(金) 11:20:11 0
森護は史料でなく参照資料ととしているだけに見えるがな。
森護がマシューを史料にしてるってことだろ。
94世界@名無史さん:2005/04/08(金) 13:41:26 0
でも森護が怪しいって事には違いない罠。
95世界@名無史さん:2005/04/08(金) 13:50:06 0
>>90を見てもそう見えるな。
森護は危うい史料を基に書いてるぞってことなんだろうからな。
そしてそれを意識しているようだってことだろ。
96例のにゃあにゃあ ◆9IIO2KvSgc :2005/04/08(金) 18:07:17 0
>>91 ありがとうございます。
今日他の本も調べてみたのですが、1223年生まれの方が有力に見えます。
17歳なら出産もそう厳しくないかも.........
でも今ならホントにナントカ条令違反で新聞沙汰ですね。

john carmi pasons(ed.),medieval queenship,new york,1993,p.67

>>92-95 森護先生の本はネタを拾うには面白くていいですよ。
森護先生が依拠したと思われるマシュー・パリスも
エピソードが多くて使い勝手のいい年代記みたいです。
王侯貴族の手紙なんかもたくさん収録してあってネタを拾うにはもってこいなんだと思います。
マシュー・パリスで収録されている手紙などはともかく、
エピソードの信頼性は森護先生ですら疑うようなものみたいですが..........
97世界@名無史さん:2005/04/09(土) 03:52:37 0
レーモン・ベレンガール5世 Ramón Berenguer V
1209-1245 プロヴァンス伯
妻:ベアトリス(父:サヴォイア伯トンマーゾ1世)
1221-1295 マルグリート(夫:フランス王聖ルイ9世)
1226?-1291 エレオノーレ(夫:イングランド王ヘンリー3世)
????-???? サンチャ(夫:コーンウォール伯リチャード)
1234-1267 ベアトリス (夫:アンジュー伯シャルル)

ある意味、プロヴァンス伯最強。
98世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:12:05 0
ヘンリーを条例違反で糾弾するなら、12歳(30歳以上年下)
の嫁に軍事助力を求めたドイツのヘタレ赤ひげ王の立場は
どうなる?こちらは嫁さんが20まで子供は生ませてないが。
99世界@名無史さん:2005/04/10(日) 17:42:27 0
13歳はもう立派なレディだと聞きましたけど。
でも本当に13歳で産んだとしたら
中世ながらすごいですねえ(^^;)

100世界@名無史さん:2005/04/10(日) 18:19:41 0
>>99
現在でも13歳では、一般的に出産能力はありません。
中世だと10歳で結婚しても、14歳になるまでは「白い結婚」が慣習ですが。
101世界@名無史さん:2005/04/10(日) 21:08:54 0
つまり、初潮があって妊娠できるようになっても、骨盤はまだ出産できる形状に発達していない・・・か。
102世界@名無史さん:2005/04/10(日) 21:20:48 0
あまり早すぎる段階で結婚させると、
兄妹のようになって第一子の出産が遅れます。

曾爺ちゃんが28歳のとき、曾婆ちゃんは13歳で嫁いできた。
103世界@名無史さん:2005/04/11(月) 21:40:21 0
>>88
中世ヨーロッパでは、結婚の法定年齢は、
男子は14歳、女子は12歳ときいたけど…

ところで、「白い結婚」が続いた場合、床入れ式などは行われないの?
104世界@名無史さん:2005/04/11(月) 21:43:27 0
やるよ。足入れるだけの奴だけど。
105世界@名無史さん:2005/04/11(月) 21:44:18 0
戦前の民法では男16歳、女14歳で結婚可
106世界@名無史さん:2005/04/11(月) 21:44:54 0
>>104
ハァハァ
107世界@名無史さん:2005/04/13(水) 21:11:22 0
スコットランドは長い間クラン(氏族)意識が強く残っていたけど、
ウェールズの場合はどうだったんですか?
108世界@名無史さん:2005/04/14(木) 00:26:13 0
>>107
ウェールズには無いかもしれない。
少なくとも聞かないね。
スコットランドの連中とはちょいと違う流れだし>ウェールズ人。
かなり初期にクランの様な氏族意識は希薄になったのかもしれない。

ちなみにお土産物屋はでっちあげた民族衣装(緑のキルトとか)売ってますが、当然後代の商売用ですから
109世界@名無史さん:2005/04/14(木) 10:59:48 0
同じケルトでもスコットランド、アイルランド、ウェールズ、ガリシア、
ブルターニュとまったく違うのが面白いな。
110世界@名無史さん:2005/04/14(木) 15:40:24 0
言語の差で言うとケルト系といっても大陸系のケルトと島嶼ケルトは違うわけで、同じ島嶼ケルトでも
ゴイデリックと呼ばれるアイルランド、スコットランドのゲール語とブリソニックと呼ばれるウェールズ、
コーンウォール、ブルターニュ(ブルトン)はそれなりに系統が違う。
そこから見ると文化的な差異も何となく判るかな?という程度ではあるけどね。

111世界@名無史さん:2005/04/15(金) 00:45:21 0
イングランド人は「ブレイブハート」についてどう思ってるんだろう。
112世界@名無史さん:2005/04/15(金) 16:56:06 0
>>111
そーゆーところは懐が深いイングランド人(たぶん…)
113世界@名無史さん:2005/04/16(土) 00:25:18 0
原始ゲルマン人は、五体満足でなければ王になれないという考え方があったけど、
ヨーロッパ諸国でこういう考え方が無くなったのはいつごろ?
114朱由檢:2005/04/16(土) 01:10:59 0
>>113
それはゲルマンじゃなくてローマじゃない?
先代皇帝の目を潰して身体的障害を理由に追放するでしょ。
115世界@名無史さん:2005/04/16(土) 22:39:14 0
>>114
それは身体障害者だから追放するのではなく、皇帝が不完全な存在になったから。
ゲルマンでも同じ。目を潰すことや腕、特に右腕の切断は対象者の権利を
奪うという意味合いがあった。
116世界@名無史さん:2005/04/19(火) 19:43:29 0
中世のイングランド人に対する評判は、
「暴れん坊で喧嘩好き、しかも戦わせるとめっぽう強い」
というものだったらすぃ。
117世界@名無史さん:2005/04/19(火) 21:35:26 0
身体的障害が王位の不適格事由となる話。
>>115の意見は卵鶏論争。
118世界@名無史さん:2005/04/19(火) 21:51:05 0
違う。皇帝や王の資格の問題であって、彼は身体障害を負ったからではなく
それによって資格を失ったと考えられたから。
確かに卵鶏論争のにおいもするが、障害はあくまでも様々ある喪失の一要因に含まれている。
119朱由檢:2005/04/20(水) 01:36:36 0
>先代皇帝の目を潰して〜追放と、書いたのに、
「追放」の部分だけクローズアップしてるよね。
「廃位」に変えたほうがわかりやすかったかな。
身体的な健全性をローマ皇帝の資質と考えていたから、
目を潰すことで、資質が失われたと大義名分をつけて、
簒奪者が前帝を廃位したという話だったのに。
120世界@名無史さん:2005/04/20(水) 02:29:45 0
>>116 プレミアリーグ見ると納得できるな
121世界@名無史さん:2005/04/20(水) 22:06:48 0
まぁ、どっちみちローマに限った話じゃないわけだ。
122世界@名無史さん:2005/04/22(金) 03:59:35 0
ローマ帝国やビザンツで、クーデターや反乱で打倒した皇帝の目を潰したり
鼻を削いだりするのは、本来なら殺すべきところをその代わり生命は助けて
やるための慈悲の措置。
123世界@名無史さん:2005/06/11(土) 00:01:50 0
そうかな?
124世界@名無史さん:2005/06/14(火) 01:04:25 0
エドワード2世はおそらくホモ
125高橋
ゴールデンウィークにスコットランド行ってきました。
ホームページに「スコットランド歴史紀行」をアップロードしたので
興味のある方はどうぞご覧下さい。
エドワード一世と戦ったスコットランド独立戦争の記述もあります。

http://bluejays.ld.infoseek.co.jp/
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