ていうか鶴ヶ城には白虎隊全員の肖像があったような気がするけど
写真だったか絵だったか忘れたが
鶴ヶ城にあった肖像は絵だな。けっこう不細工に描かれてたが、あれは
いつ誰が描いたものなのか、どの程度、似せて描かれてるものなのか
分からないからなぁ。実物はもっと美形だったんだろうと信じたいよ。
129 :
世界@名無史さん:05/03/10 10:22:20 0
そういや春画にも美少年のがあったりしたのか?
130 :
イギ− ◆od0qY8Ss/. :05/03/10 22:15:49 0
どっかに幕末の志士の写真を収集しているサイトがあったが、美少年っぽいのは
ただの一人もいなかった。へたに美少年剣士がいてないものねだりするよりも安心したよ。
ちなみにマイキュートボーイはロマノフ朝のアレクセイ。すごく可愛い。射殺されたのも可哀相。
あの時代にいてアレクセイたちを助けたかった。
131 :
世界@名無史さん:05/03/11 01:29:36 0
>>6 それは肖像画w
写真と肖像画の区別もつかんのかいw
でもまあ、平安時代なら「おお、絵巻物の理想画に似た風貌!」なのかな。
美意識って時代とともに変わる?と思ってたが、江戸時代の美人画と
そのころの美人写真みると、絵は漫画みたいなもんであくまでデフォルメであって
本物は今みても綺麗だということがわかった。
土方とか当時美形で有名だったがたしかに美形だ。
あやめさんは腐女子だったのか・・・
>>124 白虎隊の写真見た事あるのか?
あるなら何に載ってるのか教えろや
あやめさんは貴腐人でつ。
そんなことどうでもいいだろ・・・
俺、あやめをあやめちゃったよ。
138 :
世界@名無史さん:05/03/17 11:23:46 0
美少年愛あげ
139 :
世界@名無史さん:05/03/17 12:33:43 0
白虎隊生き残りの山川健次郎とか陸軍大将になった柴五郎とか、武家出身者は
中年の写真を見ると端正な顔立ちです。若い頃は美少年だったかと。
大体、江戸末期の上級武士は面長で鼻筋が通り掘りの深い顔が多いから、
白虎隊は期待してよいかと思われます。
140 :
世界@名無史さん:05/03/17 13:41:55 0
141 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/17 16:11:53 0
イギリスなんかでもゼントルマン階級と労働者とは教育から飲む場所まで
完全に差別があって、容貌も骨格もはっきり違っていたそうです。
格闘してもちゃんとしたスポーツや武技を身につけた紳士の方が断然強い。
旧幕時代の人物写真を見ても武士と庶民は印象がかなり違います。
イギリス人の場合は民族違うしな
昔話というか伝説で、
お坊さんが美しい稚児を寵愛するあまり稚児が死んだ後その体をたべちゃった
つうのがあった気が。
>143
>112の『雨月物語』です。奇談集の類にも、死者の頭を剃った拍子に偶然削いで
しまった肉片を口にした時の味が忘れられない僧・・・という話が。
面白い事に、人肉食が語られる場合、引き合いに出されたのは中国の例ばかり(w
145 :
143:2005/03/22(火) 00:19:40 O
>>144 雨月物語ですか〜。
自分が読んだのは地方の伝説を地域別に集めてシリーズ化したでかい本でした。
この話が元になってたりするのかな〜と思ってみたり(´∀`)
グロくてエロい昔話がわんさか載っていたのを記憶してます。
食べちゃいたい程かわいいなんて、極めつけだよなあ…
146 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 21:59:26 O
あげ
147 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:38:35 0
映画『アレクサンダー』ってご覧になりましたか?
アレクサンダーとへファイスティオンにわたくしは大変萌えましたが、
映画館にはわたくしと相棒の二人しかいませんでした……。
公開期間が短かったのは、あまりにストレートな801が
一般に受け入れられなかったんだろうか、と邪推いたしました。
でもストレート過ぎるこの映画より、
阿刀田高の『獅子王アレクサンドロス』の微妙な関係の二人の方が
もっと萌えました。同好の士にお勧めしたいです。
あとワイルド先生の『サロメ』は、はっきり言って
サロメとかヨカナーンとかどうでもいいです。
あの話の本当の主人公はシリアの若者ナラボスと
彼を愛するエロディアスの小姓だと思ってます。
148 :
世界@発酵中さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:39:16 0
映画『アレクサンダー』ってご覧になりましたか?
アレクサンダーとへファイスティオンにわたくしは大変萌えましたが、
映画館にはわたくしと相棒の二人しかいませんでした……。
公開期間が短かったのは、あまりにストレートな801が
一般に受け入れられなかったんだろうか、と邪推いたしました。
でもストレート過ぎるこの映画より、
阿刀田高の『獅子王アレクサンドロス』の微妙な関係の二人の方が
もっと萌えました。同好の士にお勧めしたいです。
あとワイルド先生の『サロメ』は、はっきり言って
サロメとかヨカナーンとかどうでもいいです。
あの話の本当の主人公はシリアの若者ナラボスと
彼を愛するエロディアスの小姓だと思ってます。
149 :
147:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:40:59 0
二重投稿失礼しました。
150 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:20:49 0
BAD EDUCATION という映画も観ときたいです
151 :
イギー ◆od0qY8Ss/. :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:52:22 0
モナコのメガネ美少年いいね。
あやめさんおかえりなさいヽ(´∀`)ノ
日本人はお釈迦様のような中性的な魅力を持つ人間に惹かれやすい。
それは男女両面を持つものは神仏の権化だと見る価値観が根底にあるからだ。
男だからこそ男に惹かれるものというものがある。
しかもそれが美貌の持ち主であれば、同性の目にも妖しい魅力として映るのは当然。
思うに男女の愛は、近代の結婚制度などによって作られたものである。
単純に言えば、男にとって女というのは性欲の対象でしかない。
よって、美的価値観としては女は美少年には勝てない。
154 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/05(火) 03:11:38 0
155 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 02:07:09 0
信長が溺愛していた森蘭丸が非常に気になる
さぞ可愛かったんだろうな
写真あったら見たい
156 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 02:26:56 0
ねえよ
157 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 03:33:43 0
>>130 亀レスですが
>>132のリンク先にありますが、赤祢武人(赤根は誤字/長州)は
割と整った顔立ちだったと思います
友達が子孫(系図上だけど)で、その子が貸してくれた本にもっと
はっきり撮れてる写真載ってたんで
森蘭丸もですが、高坂弾正の若い頃に写真技術が伝わってれば…
浮気の釈明させるなんて、余程きれいだったんだろうなーと妄想
森乱成利の事でしたら、美少年云々の記録はなく、男色の記録も(あってもお
かしくありませんが)、当然の事ながら、ありません。
18歳で死んだので、活躍期間は3年そこそこ。
しかも、ルイス・フロイスも、山科親子も、宮中の女官も記していない。
確認出来るのは、『信長公記』と、吉田の記録ぐらいです。
現在知られている逸話も、全て後世の創作と思われます。
ただ、利発で見苦しくない程度の容貌ではあったでしょうね。
高坂の方も、当時の記録にどこまで出て来るかというと・・・?
159 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 12:59:11 0
160 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/04/21(木) 14:54:52 0
昔の週刊誌(週刊朝日?)のインタビュー記事に松坂屋のオーナー会長の人
(たぶん最後のオーナー)が御先祖の話をしてましたが、信長の家臣中には
「蘭丸」が3人いて、自分の先祖はその一人である、関が原で西軍だったので
高野山で隠遁していたが、後に商人になったのが松坂屋の創始である、とか
語っていました。松坂屋の代々の当主は伊藤次郎左衛門と称し、名乗りには
「祐」という字を用いています。この最後のオーナーは「祐基」という諱でした。
なお越後屋は三井八郎右衛門を代々の通称とし、名乗りには「高」という字を
用いていました。
ところで3蘭丸というのは森蘭丸と伊藤蘭丸と、もう一人は誰なんでしょうか?
161 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 15:10:59 0
>>158 18歳まで童形でいるので男色関係確定では?しかも加判奉行。
何か忘れたけど「黒田美作は長政の寵童なり」というようなことが書いてあったので
「黒田家譜」見返したら、17歳で元服するまで、童形のまま戦に出て活躍してました。
162 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/04/21(木) 15:11:36 0
伊勢と尾張には伊藤姓が多いですが、信長や秀吉の家臣にも伊藤何某が沢山
います。関が原合戦の際に大垣城の城主で、西軍の本営として自分の城を提供し
自分は野営していた伊藤長盛や、食事中に敵の急襲を受け、兜をかぶる遑もなく
やむなく有りあわせの編み笠を被って奮戦した伊藤七兵衛とか、大阪篭城の
七手組の大将で東軍に内通していた伊藤長次とか、松坂屋の御先祖もそういう
武士だったのでしょう。
163 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 15:15:46 0
164 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/04/21(木) 16:29:06 0
秀吉の時代の美童として三小姓というのが伝えられています。蒲生氏郷の家臣の
名古屋山三と豊臣秀次の家臣の不破萬作、もう一人が奥州大崎一揆に手こずって
改易された木村吉晴の小姓ですが、名前を度忘れしてしまいました、残念。
不破と名古屋は歌舞伎の「鞘当」に出てきたりして有名ですが、木村吉晴の小姓は
存在感が希薄です。
165 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/04/21(木) 16:37:23 0
森蘭丸は他家との交渉などに遣わされたようですが、尊氏の家来の饗庭命鶴丸なども
そうしたシーンで名前が出てきます。家康の血判取りの使者になった木村重成とか、
男性の場合もやっぱりヴィジュアル系の方が対人的な好感度が高いからでしょうか。
しかし、当時の史料では「森乱」と出ており、「蘭」は一度も使われていない
のですが。伝えもいい加減なものです。
まあ、19世紀に成立した『家譜』が俗説満載なぐらいですからね。
死亡時には、既に元服していました。使者としては、織田家の家臣に褒賞
を届ける役を司っていますが、あまり遠くには出ていません。
吉田兼見は奏者としての乱を記していますが、特に突出した存在という訳
でも無かった様です。近世を通じてイメージが膨らみました。
>男性の場合もやっぱりヴィジュアル系の方が対人的な好感度が高いからでしょうか。
巴御前は容貌優れた「便女」だったといいますが、便女(びんじょ)の名は美女を選出
した事に因むという説があったぐらいです。義経を産んだ常盤の逸話も有名。
明恵も幼い頃、宮仕えを嫌って顔を傷つけようとしていますね。
これらは古い例で、戦国期はどうだったかと思ったので、取り上げませんでしたが、尾
を引いた面もあったかもしれません。
実際、今でも美人の方が評価が高くなるといいますし。
167 :
朱由檢:2005/04/28(木) 22:22:10 0
オスマン帝国のイェニチェリとかは?
壮健な美青年を集めて生涯の独身を義務付けてたよね。
生涯独身を義務付けるのは古代ローマでも見られた風習だけど、
わざわざ美青年を集めるのは(藁
168 :
世界@名無史さん:2005/05/06(金) 02:38:29 0
まだ幼い少年の頃(12歳未満)にはりつけにされたりして処刑された有名人物っていない?
中世ヨーロッパとかで。
ヨーロッパでは、(男の)「同性愛」の形態も1700年前後に大きく変わったんだよね。
17世紀以前・地中海型
バイセクシャルな性行動(セクース相手としての「女」&「少年」の使い分け)
18世紀以後・北西ヨーロッパ型
近代型のホモセクシャルの成立(専ら「男」とセクース)
170 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 19:52:54 O
美少年に種付け(´∀ ` )たっぷり種付け(´∀ ` )
イエニチェリは10代の少年のうちに集められてたよーなきがする。
教育的指導で先生にヤられてたんだろう。
172 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 20:08:42 0
ドラキュラのモデルとして有名なトランシルバニアのブラド公は、
幼少時代弟と共にトルコの人質にされた。
夜、彼はスルタンが弟のカマを掘る場面を無理やり見せ付けられ、
それがトラウマになって性格がぶっ壊れてしまったそうな。
173 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 20:11:21 0
329 名前: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日: 03/01/14 22:52 ID:PicUkIMG
やはり皇太子さまは最強だな。これで一家揃って吉野家逝ってネギダク注文してくれれば
2ch神として崇め奉って差し上げるんだけどなぁ〜
174 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 20:13:14 0
このニセ山野コピペ飽きた。
175 :
世界@名無史さん:2005/05/13(金) 09:20:49 0
白虎隊に関して言えば今でいえば化粧っ気もない田舎の中学生だぞ。
色気づいてもいないワリに辞書でエロい単語を調べて笑うような時期だぜ。
薄幸の美少年とかを期待するほうが間違い。