1 :
世界@名無史さん :04/12/30 12:10:55
千年帝国の崩壊 30年戦争〜WWTまで、苦難の歴史を語ろうぜ!
2 :
世界@名無史さん :04/12/30 12:17:04
聖職者である大司教領がなくなったんですよね? モーツァルトが仕えたことのあるザウグスブルクも、元は大司教領だった。
3 :
世界@名無史さん :04/12/30 17:11:37
>>2 >ザウグスブルク
どこだそりゃ?
ザルツブルク(Salzburg・塩の城塞都市という意味)なら知っているが?
神聖ローマ帝国は崩壊してはおらん。朕も退位はした覚えはない。 ただ、多くの領邦、都市が離脱してしまい、 朕の家領のみが残ってしまったが。 その後、朕の家領のうち、元は帝国に属しておらんハンガリーなどが 加入を望み、帝国議会で反対があるはずもなく、認めたのじゃが。 帝国の名称じゃが、その後、オーストリア帝国としたんじゃが、 なにほどのことはない。もともとの神聖ろーま帝国も、「神聖ローマ帝国」であると 正式に決めたことなどないのじゃ。 皇帝のもとに結集する諸邦の集まりということでしかないのじゃ。 それが、ローマ皇帝の理念じゃないかの。
5 :
世界@名無史さん :04/12/30 20:10:34
ライン同盟の条文翻訳ないかな
アレを神聖ローマ帝国と呼ぶことに対してはどうも拒否反応が
7 :
世界@名無史さん :05/01/08 01:54:41
8 :
世界@名無史さん :05/01/24 02:07:45 0
岩波書店から神聖ローマ帝国の本がでるみたいだね。 ピーター・H.ウィルスンという人が書いているみたいなんだけど タイトルが「神聖ローマ帝国1485-1806」となっているから ハプスブルク家以降の話だな、
>>1 スレタイを「【カール】神聖ローマ帝国【オットー】」に変更の上、立て直しを命ず
10 :
世界@名無史さん :05/02/13 17:22:54 0
ドコドコ < チャンドラーの全巻セットまだぁぁあぁぁ〜!? > ☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _| ☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ =≡= ∧_∧ ☆ ♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン ♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ || γ ⌒ヽヽコ ノ || || ΣΣ .|:::|∪〓 || ♪ ./|\人 _.ノノ _||_. /|\
11 :
世界@名無史さん :05/02/13 19:04:15 0
>>2 マインツの大司教領は一部残った記憶が・・・
12 :
世界@名無史さん :05/02/13 19:30:00 0
フランツ2世が神聖ローマ皇帝を辞めちゃったことって、結局ドイツ統一の主導権を失った ことにつながるんじゃないのかな。 ウィーン会議でも最初はルールを含むラインラントはカトリックが多いこともあり、オーストリア が領有するのが有力だったらしいし。
13 :
12 :05/02/13 19:34:28 0
言葉が足りなかったけど、ラインラントを領有するって言うのは、(フランスから)ドイツを 守る役目を担うって意味を持つから。 フランツやメッテルニヒがドイツの大儀を担うことを忌諱したせいで、結局プロイセンにドイツ 統一の主導権を渡してしまったってことで。
14 :
世界@名無史さん :05/02/14 02:20:12 0
マインツの大司教領はフランクフルト大公国になったんじゃなかった?
15 :
世界@名無史さん :05/02/14 02:27:12 0
Charter members - King of Bavaria - King of Württemberg - Elector-archchancellor (formerly archbishop of Mayence) - Elector of Baden, becomes a grand-duke - Duke of Berg and Cleves, becomes a grand-duke - Landgrave of Hesse-Darmstadt, becomes a grand-duke - Prince of Nassau-Usingen, senior of these two becomes a duke - Prince of Nassau-Weilburg - Prince of Hohenzollern-Hechingen - Prince of Hohenzollern-Sigmaringen - Prince of Salm-Salm - Prince of Salm-Kyrburg - Prince of Isenburg-Birstein - Duke of Arenberg - Prince of Liechtenstein - Count of Leyen, becomes a prince
16 :
世界@名無史さん :05/02/14 02:30:01 0
From 15 Sep 1806 - Grand-duke of Würzburg From 11 Dec 1806 - King of Saxony From 15 Dec 1806 - Duke of Saxe-Weimar - Duke of Saxe-Gotha - Duke of Saxe-Meiningen - Duke of Saxe-Hildburghausen - Duke of Saxe-Coburg - Duke of Anhalt-Dessau - Duke of Anhalt-Bernburg - Duke of Anhalt-Köthen - Duke of Mecklenburg-Schwerin - Duke of Mecklenburg-Strelitz - Duke of Oldenburg - Prince of Lippe-Detmold - Prince of Schaumburg-Lippe - the four Princes of Reuss - the two Princes of Schwarzburg - Prince of Waldeck From 15 Nov 1807 - King of Westphalia
>>12 プロイセンもラインラントとの価値観の相違などで混乱したようですから
多民族国家として大混乱に陥りつつあった当時のオーストリアでは
多分、分裂のキッカケになってしまったのではないかと思いますがどうでしょう?
18 :
世界@名無史さん :05/02/15 00:04:23 0
>>14 「それまでマインツ大司教、帝国宰相であったダールベルクがライン同盟の長と
してフランクフルト大公国(フランクフルトの他に、ヴェツラー、アシャッフェン
ブルク、フルダ、ハナウ伯爵領を統合)の統治を行なうようになった。」
そのようですな。
19 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/07 21:32:26 0
>>8 この本きのう買いました。
第1章 神聖ローマ帝国はどう説明されてきたか
第2章 国制の発展
第3章 主要な制度と傾向
といった内容です。
第3章は皇帝/帝国議会/帝国裁判所/帝国税/帝国防衛/帝国クライス/帝国教会/帝国イタリア
/領邦絶対主義といった節立てになってます。
20 :
世界@名無史さん :05/03/07 21:34:57 0
これがどこまで信頼できるリストか分からないけど、ブラックの上げる世界の列強。 1500年次 欧州:スペイン、ポルトガル、ロシア、ポーランド、ヴェネティア、フランス 中東:オスマントルコ、ペルシャ、マムルーク インド:デリースルタン 極東:明 アフリカ:ボルヌ、ソングハイ、アデル アメリカ:インカ、アステカ、マヤ 1600年次 欧州:スペイン、ポルトガル、ロシア、ポーランド 中東:オスマントルコ、ペルシャ インド:ムガール 極東:明、日本 アフリカ:ボルヌ、モロッコ、エティオピア、ムタパ 少なくとも神聖ローマ帝国は入ってないよ
21 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/07 21:43:52 0
ところでナポレオンによってライン連邦が成立し、放り出された形の皇帝が、 せっかく古代ローマ>西ローマ>神聖ローマと続いてきた正統原理をあっさり 棄てて、相対的割拠的な地位であるオーストリア皇帝に甘んじてしまったことに、 臣民の間で議論はなかったんでしょうか。 もちろん何を言ってもアナクロニズムにしか聞こえないにもせよ。
22 :
世界@名無史さん :05/03/07 21:49:18 0
>西ローマ>神聖ローマと続いてきた正統原理 その流れは神聖ローマが勝手に作った部分ですからね 西ローマ>フランク王国ならそれなりに正当性はありますが
23 :
世界@名無史さん :05/03/07 21:55:57 0
「神聖ではないし、ローマ的でもない。それどころか帝国ですらない」byヴォルテール
24 :
世界@名無史さん :05/03/07 21:56:02 0
メッテルニヒなんかは、もはやオーストリアの資源では「ドイツの大儀」を支えられないと 考えていたみたい。 もうハプスブルク家には過剰な期待はしないでくれよと言う雰囲気が大勢だったのでは?
ライン同盟って全然知らないんだけど、 解体賛成派と反対派はそれぞれどんな感じだったの? 賛成:ブランデンブルク公、バイエルン公、ザクセン公、ルクセンブルク公・・・ 反対:オーストリア公・・・
26 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/07 22:41:05 0
>>22 理念なんだから歴史上の真実という問題とは最初から無関係です。しかし
人々の間にそのような通念が成立していたればこそ、長い中世を通じて
ゲルマン系人民の意識を統合できていたわけでしょう。
>>24 周りを見まわせばコンパクトな国民国家ばっかり、もう見切り時という
とこなんでしょうけど。
27 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/07 23:00:36 0
逆に言えば領邦諸国に「うちらもうローマ帝国コンツェルンやってる意味も 実力も根気ものうなってしまったさかい、あんたらもバイエルンあたりを 中心にして組合作るなり、プロイセンはんみたいな大店に勤め換えするなり しなはれ、うちはうちだけで同族会社にしますわいな」ともっと早く宣言 するチャンスは無かったんでしょうかね。
28 :
世界@名無史さん :05/03/08 00:11:34 0
あっちのスレは中世が主か。 こっちは近現代史でいいんだな? ところで近代史における神聖ローマ帝国って30年戦争以降がよくわからないんだよな。 いつの間にか7人の選帝侯が違う人と入れ替わったり増えたりしてんだもん。 確か、カール四世の定めた金印勅書で選帝侯は長子単独相続で分割は禁止だったんじゃないのか?
30 :
カラジチ ◆mWYugocC.c :05/03/12 10:42:25 0
>>29 そんなあなたにこれをプレゼント。
〜選帝侯の変遷〜
1198 二重選挙 マインツ、ケルン、トリールの大司教とライン宮中伯の関与が不可欠とされる。
13世紀前半頃 ザクセン公とブランデンブルク辺境伯が加えられる。
1289 ボヘミア王が加えられる。七選帝侯の成立
1356 金印勅書 選帝侯の地位の明文化
1623 三十年戦争の功績により、ライン宮中伯に代わりバイエルンが選帝侯に
1648 ヴェストファーレン条約 ライン宮中伯、選帝侯に復帰。選帝侯、8人に
1692 ハノーファーが選帝侯に。選帝侯は9人
1778 バイエルンとライン宮中伯の同君連合。
ヴェストファーレン条約の規定によりライン宮中伯は選帝権を失う。選帝侯8人。
1803 バーデン、ヴュルテンベルク、ヘッセン=カッセルが選帝侯に。11人
1806 神聖ローマ帝国消滅
>>29 ライン宮中伯にかわってバイエルンが選帝侯になったときは、かなりもめたらしい。
帝国法によって規定されている選帝侯の地位を、逆らったからといって奪っていいのかどうか。
結局ヴェストファーレンでは妥協が成立して、選帝侯位を新設することになった。
以後は全て選帝侯位の「新設」なので、長子単独相続を定めた金印勅書に反しているわけではない。
ハプスブルクはどうやって過半数を抑えていたの? ベーメン王は自分だからいいとして、後は聖職諸侯の3票?
>>32 ハプスブルクは婚姻政策により選帝侯ほか諸侯に取り入って権力を得た。
>>32 ハプスブルク家が帝位をほとんど世襲するようになってからは
皇帝在位時に継承者を国王に選出するよう選帝侯に働きかけるのが慣例になっていました。
対立候補が誕生する=国内に波瀾が起きるという事になり
領邦政策を推進していた諸侯にとってはマイナスにしかならず
同政策の堅持を確約するハプスブルク家の世襲は諸侯にとっても利益のある事だったと
思われます。
35 :
世界@名無史さん :
05/03/16 21:52:15 0 オットー大帝の頃のザクセンとフリードリヒ賢公の時代のザクセンじゃ場所が違うような気がするんだけど これって同じザクセンなの? オットー時代のザクセンは現在のザクセン州辺りではなくてニーダーザクセン州辺りだったと思うんだけど。