【「従軍慰安婦の実態」考】
ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/taigaishinryaku_jugunianfu.htm 現在判明しつつあることは次の通り。慰安所は約400カ所存在した。大部分は、1カ所で10人〜20人の
女性たちがそこで働いていた。全体ではおよそ4000の〜8000いたことになる。慰安所の労働条件は
日本での女郎部屋と同等待遇であった。慰安婦の95%が戦場から 生還した。
従軍慰安婦達の高収入については多くの証言がある。1992.5.12日、毎日新聞が、一例として
「文玉珠が2年間で2万6千円も貯めた事が、彼女の貯金通帳から明らかになった」と報じている。当時の
帝国陸軍大将の年収は約6600円でしたので、その2倍の年収に相当する。尚、当時の2等兵の給料は
僅か年間72円にすぎなかった。
■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■
米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦からの聞き取りをもとに、以下のような報告書を
残している。
女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入
で返還している。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月に1000〜2000円、兵士の月給は
15日〜25円。[1,p270]
慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たち
の暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを
許された[1,p275]
また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記では、その生活ぶりを次のように語っており、
米軍のレポートを裏付けている。
支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。
将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)
と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]
ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。
千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、
4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯めたことになる。[2,p301]
「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery(軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍に
よって郷里から強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひたすら兵士にもてあそばれた、
というイメージが定着している。しかし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されている。一体、
どちらが真実に近いのか?
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
宮沢や河野がろくに調べもしないで朝日の捏造記事を根拠に謝罪してしまったのは92年のことだ。
そして、「慰安婦狩り論」の最前線に立ってた吉見義明が、それを遂に否定したのは97年。
つまり吉見義明は適当な言説をまきちらかして国際問題に発展させ、
ずっとあとになってからさらっと否定して責任すら取らなかったわけだ。
《1992年》
1. 8挺対協、日本大使館前で第1回目の水曜定期デモ
1.11旧日本軍の慰安所設置、慰安婦募集統制を示す資料が、吉見義明・中央大教授により、防衛庁防衛研究所図書館で発見されたことを『朝日新聞』が報道
1.13加藤紘一官房長官、「軍の関与は否定できない」と談話発表
1.17訪韓した宮沢喜一首相が、盧泰愚大統領に慰安婦問題に対して公式謝罪
>従軍慰安婦の強制連行を主張する吉見義明中央大学教授は1997年1月31日放送のテレビ朝日系列の
「朝まで生テレビ」において「日本の植民地(朝鮮、台湾)については、強制連行を示す資料はない」と言い切った。
ttp://www.geocities.jp/vivelejapon1945/jugun.html