ソグド人の宗教、文化、商業活動について熱く語りましょー
ソグド人のインドでの活躍っぷりが知りたいです。
いい本ないすか?
so good!
4 :
世界@名無史さん:04/12/09 10:24:35
4様
5 :
世界@名無史さん:04/12/13 00:04:41
ソグドはねぇ、、、、文献がほとんど無いからねぇ、、、
精々中国史料での西域関係の記述くらいかのぉ。
イスラム世界にはまず史料なし。
6 :
世界@名無史さん:04/12/13 00:16:12
いやいや,最近は新出の史料,出てきているようでっせ。最近も中国で
ソグド文字で書かれた墓誌銘発見のニュース,流れまちた
7 :
世界@名無史さん:04/12/13 00:24:55
ほぅ、出てきてるのかぁ。
今後に期待して生暖かく見守るとしま。
高昌故城ちかくからソグド人貴族の墓を5つほど発掘したとかで
うち一つの墓のレリーフ群について図版が刊行されたんでしたっけ?
9 :
世界@名無史さん:04/12/13 06:18:42
| |ヽヽ
| |▽V) <新スレおめでとうございまーす♪
|_と )
|彩| ノ
| ̄|
10 :
世界@名無史さん:04/12/13 10:04:10
ものすごい昔、宮崎駿がソグド人の興亡を描いた長編漫画を、共産系の小学生新聞に別名で連載していたらしい。。。
11 :
世界@名無史さん:04/12/13 14:13:30
ソグド人の本国は、ウズベキスタンのゼラフシャン川の流域にあった。
ゼラフシャン川はアム川(オクサス川、アムダリヤ)とシル川(ヤクサルテス川、
シルダリヤ)の間を流れており、その一帯は中央アジアのメソポタミアとも
いうべき文明発祥の地であった。この川の中流域にはサマルカンドのソグド人が、
下流域にはブハラのソグド人が住んでいた。さらに、ソグド人は南方のカシュカ
川の流域にも移住した。ソグド人の言語は東イラン語の一種であった。
12 :
世界@名無史さん:04/12/14 00:54:15
>>8 興味深々。その情報,いつの?詳細,キボンヌ
固原の間違いじゃないよね?
13 :
世界@名無史さん:04/12/14 00:56:29
現在は、タジキスタンの山奥にひっそりと暮らしていて、
自称は、「ヤグノブ」に変わっている。
ソグド文字といえば、ウィグル文字、モンゴル文字、満州文字
などのもとになったアラム系文字だが、(ソグド人はペルシア系)、
いまでは、文字も使っていないそうだ。
14 :
世界@名無史さん:04/12/18 05:40:10
ヤグノブ語は辛うじて現代まで残ったようです。
15 :
世界@名無史さん:04/12/18 10:48:54
ヤグノブはソグドとは実は無関係って知らんの?
>>13
16 :
世界@名無史さん:04/12/18 11:45:46
So good!
17 :
世界@名無史さん:04/12/19 00:27:53
今のタジクがソグド人の後裔かと思ってたけど違うの?
18 :
世界@名無史さん:04/12/19 00:30:03
クセジュにずばり『ゾグド人』って本あったよね
19 :
世界@名無史さん:04/12/19 15:05:20
>>18 まじっすか?ぜんぜん,気づかなかった。今も買えるのか?
20 :
世界@名無史さん:04/12/20 02:38:31
胡がつくものはソグド原産って本当ですか?
胡椒、胡瓜、胡弓……
21 :
世界@名無史さん:04/12/20 04:44:27
スキタイの後裔
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1085026824/ 117 :世界@名無史さん :04/05/23 12:48
113 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 11:10
>>112 まず江南方面からの渡来でしょう。鎌倉の大食僧(仏教)のために庭園を整備
した。さぞかしお喜びになられる事であろう・・・という記録があります。
蘭渓道隆や無学祖元については今更申し上げるまでもありますまい。
>>113 レスどうもです。なるほど、江南も泉州でホラズム・シャー朝の親族の墓碑が発見されてますから
「大食」というだけではアラブ系かイラン系かはちょっとわかりませんね。
モンゴル帝国歴代のムスリム勢力は、例えば財務長官アフマドとか雲南のサイイド・アジャッル・ブハーリーのような
ホラーサーン・マーワラーアンナフル出身のイラン系勢力が主体でしたので、「大食」
がどのような所の出身の人物だったかは気になります。
禅僧の招聘問題ですが、金朝や大元朝への留学僧を考えると
ウイグル王国や金朝でわずかにソグド系の末裔が仏教信仰を保持していたらしいので、
鎌倉にやってきたことで有名なその大食僧も、あるいは江南ではなくてウイグル王国か金朝の出身だったかもしれません。憶測ですが(w
23 :
世界@名無史さん:04/12/21 11:58:23
>>18 おいおい,レスしてくれ!調べた範囲では,なかったぞ,そのような本。というか,
まだ翻訳されていない??
24 :
世界@名無史さん:04/12/21 14:37:01
25 :
世界@名無史さん :04/12/21 23:41:39
>>20 原産というよりも、ソグド人がこれらを中国に持ち込んだから
ソグドを意味する「胡」を付けたようです。
胡椒はやっぱりインドじゃないですかね。
>>25 サンスクリットで胡椒は「ピパリ」。
欧州へ渡って英語で「ペッパー」、
華南でも音訳で「畢撥(ひはつ)」、さらに
沖縄も「フィファチ」。
27 :
世界@名無史さん:04/12/25 04:47:17
胡麻もそうか
28 :
世界@名無史さん:04/12/25 05:47:13
安録山・・・
29 :
世界@名無史さん:04/12/26 10:28:09
↑だから,安録山じゃねえっつーの!安禄山!「録」=2ちゃん用語をねらったのか?
メイド・イン・チャイナのビデオデッキ商品名にいいな
このスレ的には、安禄山=アレクサンドロスでいいですか?
『隋書』『旧唐書』など漢籍史料によるとソグド人には「昭武姓」と呼ばれる出身国名を姓とする習慣がありました。
(イスラーム世界に一般的な「ニスバ」のようなもの。初期イスラームの大歴史家タバリーは、カスピ海南岸のタバリスターンの出身のような例)
当時ホラーサーンからソグディアナにかけてのソグド人の都市国家群は、
サマルカンドを「康国」、ブハーラーを「安国」、タシュケントを「石国」、ケシュを「史国」、マーイムルグを「米国」
などと漢字で表記されていました。
そのため、安史の乱の「安禄山」は「『安』国(ブハーラー)出身の『禄山』という人物」
「史思明」は「『史』国(ケシュ)出身の『思明』という人物」を意味します。
史思明のほうは忘れましたが、安禄山の「禄山」はペルシア語・ソグド語で「光明」を意味する
「ロクシャン」「ロフシャン」のことだそうです。
(現代ペルシア語ではロウシャンroushan)
アレクサンドロスではなく、妃のロクサネーのほうに語源的な関係があります(w
杉山氏の説の受け売りですか?
吉田豊先生の説の受け売りです(苦笑
sγwdyk MLK' sm'rknδc MR'Y δyw'štyc 保守
37 :
世界@名無史さん:05/01/26 23:23:31 0
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●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●●
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これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに1回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと一年無駄になります.
私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです
38 :
世界@名無史さん:05/01/26 23:46:40 0
エフタルの後裔のひとつがソグド。
それからタジクとはあまり関係ないと思う。
タジク人に碧眼金髪は少ない彼らはペルシャの系統。
エフタル、ソグドは碧眼金髪の多い印欧語族。
同じ印欧語族でも実はちがう。
39 :
世界@名無史さん:05/01/26 23:50:18 0
碧眼といえばヌーリスターン一帯は人種の孤島ですな。
アレクサンドロス軍末裔説は論外として、案外あの辺りの先住民だったりするのだろうか。
まつ毛の濃さ・長さは他の土地に見られない禿しさだが一体あれは・・・?
40 :
世界@名無史さん:05/01/27 00:54:54 0
そう。
しかしウズベク人もかなり碧眼金髪率が高いとおもう。
そもそも金髪、碧眼(特に金髪)は劣勢遺伝でなおかつ組み替えが
起こりやすく数世代持続するのが難しいらしいので、彼らの血が
混じっていても表示型とはなりにくい。
それにしてもイラン人やタジク人を地中海人種と記述してる
のが多いけど、これと印欧語族とセム語系とかとの関係を学者さん達は
どう考えているのだろう・・
場所柄、ブルシャスキー語の系統が気になるね・・・
メジャー語族に塗りつぶされる以前は孤立語や未知の語族などが
中央アジアには沢山あったのかも知れないね。
42 :
世界@名無史さん:05/02/03 13:32:07 0
あの辺はレッドブックに記載されそうな言語が多いと思うし
実際そうだったのであろうか大陸二国家によって長年阻まれて
多く絶滅したんだと思われ
最近、経済的活況を博している中国でソグド人の墳墓が多数発掘されてるらしい。
勿論、突厥の時代からソグド人が北方の遊牧政権と密接に関わっていたことは、
東ローマの歴史書に突厥の使節団がソグド人だったことや、ブグト碑文のソグド語文面などから
容易に想像できる。
しかし、華北、とくに現在の北京周辺にまでソグド人のコミュニティーが作られるようになったのは、
例の安史の乱以降であるらしい。
結局内部分裂と粛宗、代宗の時代に鎮圧されたが、反乱平定を援助したウイグル自身、
ソグド人コミュニティーを内部に抱え、彼らの商業活動を後援していた。
ベゼクリク千仏洞の寄進者の多くが、ウイグル王族、貴族とソグド人商人たちであったことは、
発掘された文書類となにより千仏洞の壁画群に描かれた多くの彫りの深い人物たちが雄弁に物語っている。
キョル=テギン碑文やトニュクク碑文で唐王朝のことを「タブガチュ」と言っているように、
突厥側は唐王朝を「拓跋」国家とみなしていた。華北「タブガチュ」でのソグド人コミュニティーの実体は
今後の発掘と研究に期待したいが、ソグド語文書の多くが安史の乱前後に7〜8世紀に
集中しているらしいことを考えると興味が尽きない。
44 :
世界@名無史さん:05/03/05 10:49:48 0
ソグドの7世紀頃の売買契約文書には銀貨をδrxm、貨幣一般をpnyと書いている。
δrxmはギリシア語から、pnyはサンスクリット語かららしい。
サンスクリット語についてはインド交易の影響も考えられるが、
やはり仏典の影響が強いと考えられている。ギリシア語はバクトリア王国の影響だろう。
45 :
世界@名無史さん:05/03/12 19:03:06 0
ソグド語って、アルファベット系の文字なんですか?
46 :
世界@名無史さん:05/03/12 19:16:28 0
タジク人て体格はどうなのよ
ソグド語は主にソグド文字、マニ教文字などで書かれた。
吐蕃王国のころにチベット文字で書かれた断片などもあるがこれは例外。
アルファベットは後世の発展から見てフェニキア文字から分派した
アラム文字系とギリシア文字系などに分類される。
ギリシア文字系からは西欧で使われるラテン文字系、ロシアなどのキリル文字系が派生し、
アラム文字系からは現行のヘブライ文字、アラビア文字、ソグド文字、マニ教文字などが派生した。
・ソグド文字の字母表があるサイト
ttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/C014.htm
48 :
>47:05/03/13 02:48:14 0
解説どうも
49 :
世界@名無史さん:05/03/13 05:54:40 0
宗教はマニ教?
>>49 現在発見されているソグド語の資料などをみると地域にもよるが
土着の多神教的(ナナ女神など)なゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教、
仏教、マニ教などが信仰されていた。唐代に流行した示天孝攵(けんきょう)や
景教、摩尼教、密教などは早い話ソグド人が自分たちが信仰していた宗教を持ち込んだもの。
インド・イラン的な宗教、インド・ヨーロッパ的な宗教の痕跡はあまり残ってなさそうだね
52 :
世界@名無史さん:2005/04/07(木) 21:15:46 0
age
53 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 19:48:17 0
現在のヤグノブ人の生業は?
定住して都市生活か、あるいは農村で耕作で暮らしているのでしょうか。
54 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 07:31:33 0
age
55 :
世界@名無史さん:2005/06/03(金) 08:49:35 0
age
56 :
世界@名無史さん:2005/06/26(日) 14:28:00 0
age
57 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 21:13:19 0
現在不思議発見で特集中!
58 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 21:19:00 0
so good!
せっかく特集されてたのに、この寂れ具合は…
ところで、歴代サマルカンド王の系譜ってもう明らかに
されてるんでしょうか?
断片的にタルフン王とかシシュピール王とか聞くだけで
これらがどんな関係にあったのかいまいち分かりません。
もしいい本あったら教えてください。
60 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 13:23:51 0
グーラクとかトゥグシャーダとか聞いたことがあるが・・・
九姓昭武氏? ワカンネ
61 :
なな:2005/08/02(火) 23:43:39 0
仏教の書物の漢訳にもソグド人は活躍してます。
東西の言葉のエキスパートが多かったからです。
62 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 20:00:20 0
算数に強い文字だったそうだね
63 :
世界@名無史さん:2005/08/10(水) 23:19:06 0
いわゆるソグディアナとトランスオクシアナは同じ場所と考えていいのか?
トランスオクシアナは「(オクサス=アム)河の向こう側」の意味で
有力都市のひとつブハーラーがソグド人の地域としては西隅にあるが
アム河の東側にある。
だいたい「ソグディアナ=トランスオクシアナ」と見て良さそうだが、
アム河とイラン高原のちょうど中間にあるマルヴも確かソグド人の都市
だったような・・・
建設当時のニーシャープールは現在と違ってトゥースの東側にあったとかで
そこが「イランの東部国境(フワラーサーン)」の際とされてたそうだが。
65 :
世界@名無史さん:2005/08/11(木) 00:49:55 0
>>64 ニーシャープール(ネイシャプール)ってオマル・ハイヤームの詩にも
出てくるけど、イラン人にとって郷愁を誘う地名なんですかね?
你殺不兒
>>65 >イラン人にとって郷愁を誘う地名なんですかね?
うーん、「イラン人の」というよりも、
「彼の故郷」がニーシャープールだったからだと思われ。
彼の名前はウマル・ブン・イブラーヒーム・ニーシャープーリーで、
父親のイブラーヒームが「天幕作りの職人(ハイヤーム)」だったため
「ウマル・ハイヤーム」とあだ名されたんだとか。
ちなみに、彼の生前も以後も世間ではもっぱら数学者=占星術師として有名で、
彼と知己を得ていた『四講話』の作者ニザーミー・アルーズィーも「占星術師」
の章で彼にまつわる逸話を上げている。若くに故郷を出てからカラハン朝や
セルジューク朝に仕えて特にマリクシャーの時代にジャラーリー暦を制定した
ことで有名で、マリクシャーの宮廷に仕えた高名な8人の天文学者の1人に
数えられていた。
宮廷とともに各地を転々としたらしくて郷里のニーシャープールに落ち着いたのは
齢80を超すくらいになった晩年だったそうな。現在でもニーシャープールに
ウマル・ハイヤーム廟がある。
>>67 ニーシャープール出身なんですね。なるほど、言葉の真の意味で
郷愁なのか。
69 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 03:00:37 0
70 :
世界@名無史さん:2005/09/06(火) 22:26:19 0
age
71 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 20:45:50 0
ヤグノブ人がソグドの末裔というのは自称なだけで実は無関係って本当かいな?
72 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 18:41:50 0
タジキスタンに住んでいるんだよな。
今は生業なんなんだろうな。
73 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 14:54:06 0
age
74 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 12:54:11 0
月例保守に参りました。
75 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 13:46:31 0
東イラン語系ということでソグドと現パシュトゥーは同族か?
76 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 23:11:36 0
スレ建て一周年おめ!
77 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 15:40:43 0
北魏が滅んだときに捕虜の中にソグド人が大勢居たそうですが、
中国にも相当数移住していたんでしょうかね。
80 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 22:17:59 0
439年に北魏が北涼を滅ぼしたときの捕虜だね。
ソグド兵が多数いたらしい。
81 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 23:57:17 0
なんだか、ソグド人は渤海国にも入り込んでいて、日本に遣使された事もあるとか無いとか、本当かな?
82 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 14:34:08 0
奈良時代末期の史都蒙のことかな。
松本清張が「斉明天皇の時代にゾロアスター教徒が来日した」とか唱えていた記憶が。
83 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 01:06:12 0
あげ
84 :
世界@名無史さん:2006/02/06(月) 22:23:22 0
ソグド人なら、家の裏に住んでますがなにか?
85 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 20:02:30 0
age
86 :
世界@名無史さん:2006/02/16(木) 00:33:28 0
>>59 > ところで、歴代サマルカンド王の系譜ってもう明らかに
> されてるんでしょうか?
今さらながらのレスだけど、本じゃないが
岡本孝
ソグド王統攷−オ=イ=スミルノワ説批判を中心として−
東洋学報 65-3・4(1984/3)
に、これまでの研究成果がまとめられているよ。
87 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 15:27:37 0
>>81-82 史都蒙は777年に渤海大使として来日しているね。
橘清友のもてなしを受けた席で清友の風貌を観じて
「骨相から見るに、あなたの子孫は繁栄するが、あなた本人は32歳で厄があるでしょう」と告げたそうな。
786年(延暦5年)に内舎人となったが、
3年後の789年(延暦8年)に・・・史都蒙に予言された通り32歳で没した。
ソグドには人相占いが発達していたのか?
88 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 16:18:09 0
>>82 「火の回路」という新聞小説で書いてたと記憶。
例によっていい加減な説なんだが、有名人だし一時は日本古代史ブームに乗って、
ちょっとした史学界のボス気分になってたみたい。
がんらいは無学な人物だった。
無学な人間でも渤海大使は勤まるのか…
よく読め!
清張のことだよ>無学
独学で勉強したという点では白川静みたいんだな
92 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 00:20:34 0
単行本では「火の路」
ゾロアスター教が日本にまで来た、というのはあながち「トンデモ」ではない。
正倉院を見ればペルシア文化が日本に及んでいたのは明白だから。
お水取りがゾロアスター教の儀式だとか、酒船石とか謎の石造物がゾロアスター教に
関係するというのはどうなんだか…。
伊藤義教ね。
ただ、彼の日本イラン関連説は青木健がものすごいひどい言い方で批判してるw
95 :
世界@名無史さん:2006/04/03(月) 09:36:15 0
age
96 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 00:59:31 0
京大の吉田先生のソグド語に関する授業を聴講したいのですが、
何曜日の何限かご存知の方いらっしゃいますか?
97 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 22:26:42 0
96です。分かりました。
98 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 23:05:46 0
ソグド人ってのは複合人種なんだろ?
99 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 23:07:32 O
えっ、イラン系じゃないの?
>>99 言語はな。人種と民族とをごっちゃにしないように。
101 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 23:23:34 0
>>93 松本清張なんかは伊藤さん一辺倒だった。
シロートだから仕方がないが。
102 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 23:24:35 O
でもトルコ系、モンゴル系はまだトルキスタンに来ていないはずだからイラン系と何の民族の混血?
セム系?
103 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 23:37:40 0
トルコ・モンゴル以前だから「複合」というほど混血してないでしょう。
北アジアにいた突厥はトルコ系だし交流して混血の人が生まれていても
おかしくはありませんが、混ざってしまうほどではないでしょう。
104 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 23:45:27 0
何時代を以てソグド人と呼ばれる民が生まれたかをまず明らかにしないと。
105 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 00:00:19 O
ゾグディアナに住んでいたと思われるイラン系以外は・・・
アレクサンドロスに連れてこられた少数のマケドニア・ギリシア人
スキタイ人
マッサゲダイ人(ヘロドトスの「歴史」より)
チベット系はタリム盆地東部には居住していたんだが
すぐお隣にハザール人、ブルガール人がいたわけだから
突厥ではないテュルク民族がソグディアナにいてもおかしくない。
フン本体もしくはフンにくっついて西遷したテュルク民族でしょう。
康居もテュルク民族だったという説もあるし、クシャンやエフタルも
テュルク民族だったと唱える人もいる。
107 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 00:30:27 O
漢時代タリム盆地北西には烏孫という遊牧民がいたそうですが
烏孫も、匈奴の同類、テュルク系、イラン系(サカの同類)
と諸説紛々。
109 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 01:19:04 0
ソグド人は何世紀くらいからいたの?
110 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 02:12:08 O
アケメネス朝3代キュロス2世はソグド人の土地を征服した云われていますね
漢の武帝の西域征服によりソグド商人が漢まで来訪するようになったと云われています
アヴェスタにはソグドという地名がでてくるらしいよ。
112 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 03:58:41 0
ソグド人って唐代のイメージがあるのだが・・・
唐代にはエフタルやら突厥やら色々混ざって一言に
ソグド人なんて言うのは大変だと思うんだが?
要するに、どんな人種であろうとソグド語を使うようになった
人々がソグド人になったんだよ。もちろん中核はコーカソイドの
形質が強い人々。
>>109 ビーソトゥーンなどのダレイオス王碑文に帝国の支配・帰順地域のリストが載るけど
それらに出てくる「Suguda」がおそらくソグド人についての初出。
だから紀元前六世紀末にはすでにトランスオクシアナ方面のソグド人がいたことになる。
ちなみに「ホラズム」「バクトリア」の名も同じ箇所に出ている。
アレクサンドロス大王が東方遠征でトランスオクシアナのソグド人の反抗に大苦戦したのは有名で、
彼の妻ロクサネー(ロクシャナク)はソグディアナ太守アクシュアルテス(オクシュアルト)の娘
だというのも史上名高い。
パルティアやバクトリア王国、クシャン朝のころはどうだったか良く分らないが、漢籍だと
『史記』には「大宛(フェルガーナ)」や「大夏(バクトリア)」、「康居(ホラズム?)」
「大月氏」の名前はでてくるけど、「ソグド」に類する名称が出てくるのは『後漢書』「西域伝」
に出てくる「粟弋」が最初みたい。
ストラボンやプリニウスも見ないと何ともだけど、『後漢書』では「粟弋國は康居に屬す」と
述べているから、ソグディアナの諸都市はその時々でサカとかホラズムとかバクトリア王国などに
服属していたんじゃないかと思う。突厥時代もソグディアナは突厥の傘下にあったけど都市支配
自体はその地域のソグド人貴族たちが掌握していたみたいだから、紀元前後でも同じだった
のではないか。よくわからないけど。
とりあえず、
ソグディアナ本土のソグド人と、北魏あたりに華北地域までコロニーを展開していた
東方のソグド人の状況はある程度分けて考えるべきだろう。
確かに突厥時代にソグディアナ方面まで西突厥の可汗たちが現地のソグド人たちと
積極的にコンタクトをとっていたけど、だからといって突厥のテュルク系の諸部族が
即ソグド人化したかのような意見はさすがに勇み足が過ぎる。
両者の言語も風俗も(ある程度の影響はお互いあるにしろ)異なり截然とした区別が
あったことは、7〜8世紀に描かれたサマルカンドのアフラシアーブの壁画などを
見れば容易に判明する。統葉護可汗などの軍団がソグディアナに駐屯するにしても、
当時、西方のテュルク系部民が都市部に定住したような話はあまり聞かないので、
多分都市圏郊外の草原地域にいるかして、基本的に都市部を中心としたソグド人は
生活圏の違いから住み分けを行っていたのではないか。
(ザーブリスターンのリトベールとかはいるけど)
116 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 06:20:38 O
康居はシル・ダリア流域にあった国家で都はチムケント(張騫派遣時)
張騫が派遣されたときはソグディアナは大月史の支配下にあったと思われます
117 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 06:26:06 O
X 大月史
○ 大月氏
後に康国という地名が出てくるけどこれはサマルカンドのソグド人都市国家
118 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 16:24:25 0
ソグド語なんてのは古代のアラム語みたいな商人の共通語みたいな
もんじゃないの?
アラム語を共通語にしてたヤツらは全部アラム人じゃないのと
同じくソグド人という呼称はナンセンス。
紀元後に限って言えば、ユダヤ系やアラブ系の人々、ハトラなどのイラン系政権の当局が
アラム語を使っていたのは、碑文や文書資料から発令者の肩書き、人名などから分かっている。
旧約聖書の一部とかミシュナといったユダヤ教文献も当時のかれらの口語だったアラム語で
書かれているのは周知の通り。
ただ、ソグド語の場合、碑文にしろ書簡にしろ、文面に記載されている人名から判断すると
実際にソグド文字の文章を書いているのは殆どの場合高い確率でネイティヴのソグド人であった
可能性が高い。ウイグル王国の中期頃に書かれたソグド語文書だと言い回しがウイグル語っぽい
妙な文章が出て来て、この頃だとソグド語はもう文章語のみの状態になっていたのではないかと
思われている。しかし、これは10世紀とか11世紀とかの話なのでそれ以前はその限りでは無い。
120 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 17:52:51 0
ネイティブのソグド人って表現自体、ソグディアナ住民は
突厥やらエフタルやらインド系までごちゃ混ぜなんだから
意味ないと思うのだが・・・
121 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 18:26:14 O
上層支配階級はともかく遊牧民はあまり都市には住みたがらないし、双方の住民数がかなりの違いがない限り文化言語の違いはそう簡単には埋まらない
フィンランド、エストニア、ハンガリーのウラル・アルタイ語族のモンゴイロドがコーカソイド化したのにも長い年月が必要だったし、トルキスタンのテュルク化もかなり長い時間を要した
122 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 18:55:28 0
モンゴル人だって中国国内に侵入した後は都市で暮らしてたんじゃないの?
多分5〜8世紀頃のことを言ってるんだろうけど、エフタルは微妙だけど、
突厥系やインド系は名前で分る。
ソグディアナ全体で見れば混在しているように見えるだろうが、彼らソグド人は
ソグド人なりに彼ら自身の土着のゾロアスター教の習俗を守っていたり、外部の
コロニーであれば、サマルカンドやタシュケントなどの名族であることを意識して
婚姻や約定、コロニーの形成を行い、彼らの生国との関係も重要な意味をもって
いたことは、発掘された文書資料とか墓碑銘、墓石のレリーフといった図象資料
などに現れている。
特にこれらの墓碑に記載されている人名も多くは純粋にソグド語で解析可能な者が
殆どだと聞いている。当時のソグド人自身に「生っ粋のソグド人」的な意識があった
とみてまず間違い無いと思う。少なくとも都市社会の内部では、交易や政治絡みとか
他の宗教関係の事柄で無いと、突厥系やインド系の人名は出てこない。
そういう意味を踏まえて「ネイティヴの〜」という表現を使った。
モンゴルの場合、大元朝時代に雲南などに派遣された部隊が村落をつくるようになって
定住化するということもあったようだが、これは遊牧できるような広大な平原が華中華南には
あまりなかったから起きた現象。華北では明代でも都市部以外の地域では遊牧生活を行い、
近代になるまでこれをずっと続けていた。
勿論、オルドバリクやカラコルムのように遊牧政権も都市を建設することは盛んだったが、
遊牧部民が都市を住居としていたかというと、必ずしもそういうことでは無いだろう。
遊牧政権の都市建設と遊牧民の定住化は多分別個の問題だろうけども、これはこれで
両者の関係はかなり重要な問題だとは思う。
125 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 19:50:17 0
エフタル・突厥・インド系それぞれ何十万単位でいたと思うんだがなあ。
それらとの混血もあっただろうし、大体ソグド人なんて被支配民でしょ?
宗教だ血筋だってそんな己を貫き通せたとは思えないが・・・
126 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 20:43:44 O
例えばソクドと突厥は単なる政治的支配・被支配の関係でない
お互いの長所(ソクドの経済・文化力、突厥の軍事力)を利用しあう相互依存の共存関係にあった
そのため経済的繁栄した
その共存の象徴が突厥の官称号(シャト、ヤブク)と突厥文字、いずれもソクドのそれの強い影響を受けている
突厥はこのようにソクドに対し終始友好的であったが、意外にも中国人はソクド人に対しては守銭奴的見方をしていたらしい
ちなみに後の安史の乱の安禄山はソクド人の血を引いているらしい
禄山(ソクド語のロフシャン=明るい)
〈豆知識〉ソクド語は現在も生き残っている
ザラフシャーン川上流でわずか3000人にしか話されていないヤグノーブ語である
ソグド文化に打撃だったのはトルコ人の支配よりイスラムの侵略では?
あっちは最初から改宗させるつもりで戦ってるから。
つい最近ソグド人のことを知りました。
私は在日韓国人で、珍しい姓を持っており元々先祖は中国出身です。
(600年程前に朝鮮半島へ移住したということが族譜に書かれているそうです)
当家はこの日本で絶滅寸前(跡継ぎが生まれない−私も未婚なので)
のようなので、絶滅する前にルーツを知るのもよかろうという気持ちでぼちぼちと
史書を読んでおりました。
姓はソグド九姓のうちの一つで、それだけならあまたの同姓がいるというのに
なぜソグドか?という疑問が湧いて来るのも当然かと思われます。
実は当家の族譜には先祖が書いた謎の戒律が残されているのです。
それは、「胡の者と決して縁を結んではいけない」というものです。
随分昔に聞かされたのですが、その時は先祖が胡のいう人に恨みがあって
そう記したのだと思っていたのです。胡という姓は中国に多くありますので、
我家の先祖が中国から逃れて?来る原因が胡さんにあったのだと。
(続きです)
しかし、ソグドに関して学ぶうちに、ソグド人はおおまかに「胡人」と
分類されていたこと、上記にも記述のある古代中国でのクーデター騒ぎの
張本人のいずれかである姓であること、以上を考えると、当家はのルーツは
ソグドで、クーデター後、処刑を逃れて漢人化する過程において二度と再び
「胡人」として生きてはいけないという戒めを子孫に残したのではないかと
推察するのです。
モンゴルやイスラムから逃れて東へ東へと流れ、今は東の果ての日本で
埋もれようとするソグド人の末裔(?)の一人とすれば、このスレは大変
勉強になります。 以後、ロムに徹しますのでどうぞ宜しく進行の程お願い
致します。
失礼致しました。
131 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 21:56:45 O
自分の職場の同僚で台湾出身で胡さんという人がいます
その人に先祖はイランの人?と聞いたら一笑にふせられ、あまり名字は意識してないとのことでした
600年前というと元末明初か・・・
「胡氏」の起源は匈奴やソグド人だけじゃないからねえ。
西周代にあった胡国の子孫とか、春秋の陳国滅亡後離散した
後裔も胡姓を名乗ったし、南北朝時代に鮮卑など諸民族が
改姓して胡姓を名乗ったケースもあるらしいし、いろいろだよ。
第一、胡錦濤がソグド人の子孫だったら笑っちゃうでしょw。
134 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 23:20:11 0
オクシュアルテスもソグド人ですか?
135 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 23:39:27 0
日本人の姓で「胡(えびす)」さんというのがあるが、これはどうなんだろな。
オクシュアルトはイラン語で「オクサス河(神)は高貴である」というほどの意味。(多分ソグド語)
似たような人名が7世紀頃のソグド語の書簡文書に出てくる。
137 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 11:13:36 0
イラン系とソグド系をごっちゃにしたらいかんのじゃないの?
アケメネス朝やパルティアもソグド人国家になっちゃうよ。
138 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 12:05:10 0
九姓って康、安、石、曹、何、米、史の外になんだったっけ?
139 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 12:07:38 0
140 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 13:08:03 0
つ安重根
>>137 ならないよ。ソグド語はイラン系言語だが、ペルシア語を
「ソグド系言語」などという用法はないから。
142 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 16:04:51 0
イラン語で解釈してるのに多分ソグド語などと書かれてはなあ。
143 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 22:59:00 0
(穴卒)利というのはソグドの当て字じゃないよな?
「Sogdの当て字だ」という人もいるし、
「ペルシア語でSogdがなまったSuli/Sulikの当て字」という人もいるし
「テュルク語で『水の多い所』=suliqの当て字」という人もいるし
様々。
それにソグディアナ本土からはかなり遠いスイヤーブ(イシククル湖近辺)
あたりがなぜソグドの地になるのか?(ソグド商人がたくさん来て居住
していただけでソグド国なんて呼ぶだろうか?)とか、窣利/速利/蘇哩
にはわかんない点が多々ある。
今日の朝日に墓誌解析について出てんね。
いまソグド語使用者っているの?
>>146 「一応は」まだ居る。このスレでも何度か話題になっている、現在のタジキスタン共和国内の
ザラフシャン河上流に位置するヤグノーブ渓谷の人々が話すヤグノーブ語。これがソグド語の
一派の最後の生残りだそうだ。1966年の統計で2,500人程度だったそうだけど今現在はどのくらい
いるんだろうか。
ただ、このヤグノーブ語は8世紀のクタイバ・イブン・ムスリムによる征服までのサマルカンド方言や
ブハーラー方言といったソグディアナで主流だったソグド語とはやや毛色が違う、飽くまでも
ザラフシャン河上流方面のソグド語方言の子孫らしい。
例えて言うなら、日本に中央アジアのテュルク系の住民が押寄せて、日本人の殆どがテュルク語話者
なってしまったけど、唯一、青森県津軽地方に津軽方言の日本語のみが残っているとかそんな状況とか。
148 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 13:50:30 0
pwrz wcn kr'm 'm' xrwynw
pδ 'yw ky'n
'wδ 'w tw xrws'm
n'm pw'b nry-sβ yz-δ
大きな声をあげ、我らはみな、
一つの心で、あなたを呼ぶ。
清浄なる名、ナリサフ神。
sage
150 :
世界@名無史さん:2006/08/04(金) 22:59:14 0
ソグド最後の王・デーワシュティッチ。
アラブの遠征軍に追われてムグ山の城砦に立てこもったな。
陥落後は徹底的に破壊されたとも。
ムグ山文書が残ったのはまさしく奇跡かも。
151 :
世界@名無史さん:2006/09/04(月) 22:02:29 0
age
152 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 05:46:19 0
ソグディアナのギリシア化について知りたいのですが・・・
153 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 05:54:47 O
『バクトリア王国の興亡』前田耕作著
が詳しいのでは?
154 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 09:18:43 0
前田先生はそんな本も書いてたのか・・・
155 :
世界@名無史さん:2006/09/27(水) 12:37:57 O
前田耕作って誰?
前田先生、NHKのクローズアップ現代に出た時に「タイ」のアンコールワット遺跡・・・と言い間違い。
国谷さんが「カンボジア」のアンコールワット遺跡ですねと急いで訂正した時にはワロタ。
157 :
世界@名無史さん:2006/09/27(水) 23:32:24 0
TVにも出ていたのか・・・
和光大の教授だった人だよね。
158 :
世界@名無史さん:2006/09/28(木) 22:41:47 0
アンコールワットを巡るカンボジアの新聞のガセ報道で
両国の緊張が高まったことも記憶に新しいだけに
あの発言にはスタジオも凍りつく罠。
159 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 00:11:55 0
ソグディアナは
アケメネス朝の属州→アレキサンダーによる征服→セレウコス朝の支配
→バクトリアの独立→サカ族による征服→東から康居がサカ族を駆逐
→クシャナ朝の支配→ササン朝の支配→イスラム教徒により征服
こんな感じ?
>>159 5、6世紀頃からアラブ征服までソグディアナは、サーサーン朝ではなくて
突厥の宗主権下にあったらしい。8世紀頃のサマルカンドだったかブハーラーには
突厥の「ハトゥン」が滞在していたようで、アラブ軍側と戦ったり講和を結んでいたりしている。
>>159 >.160
当時のソグディアナは独立した都市国家の集合で、突厥の宗主権といっても
名前だけのゆるいものだったのでは。
ササン朝に支配されてないことは確か。
>東から康居がサカ族を駆逐
月氏じゃないの?
でそこで大月氏になったとか
163 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 22:49:17 0
張騫が月氏に赴いた時、康居がソグディアナを支配していたのは確か。
康居=サカでないなら、康居がサカを駆逐したと考えるべきでは?
164 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:31:12 0
あげ
さげ
クタイバ・ブン・ムスリムなどのアラブ征服軍に制圧され、8世紀にはソグディアナ本土は
完全にイスラム帝国の手に落ちた。その後のソグディアナはアラブ人やサ−サ−ン朝系の
入植者の流入によって、社会構造の変化と地域的な言語の変化を徐々に受けていったようだ。
この時代の変化が、後の中央アジアにおける近世ペルシア語の成立に関わっていく訳だが、
同時に現地の住民にソグド語の死語化も進行していったらしい。イブン・スィーナーや
ビールーニーの活躍した10世紀には都市部ではソグド文字はもはや判読すら出来ず、
都市部はペルシア語に置き換わっていた。当時の記録ですら、わずかに都市郊外の村落の
言葉としてソグドの言葉が生きていたらしいことを伺わせる伝聞のみが知られるに過ぎない。
アラブ征服を免れ、ソグド系やサ−サ−ン朝系の住民の避難先となった東方のいわゆる西域、
東トルキスタンなどと呼ばれる地域でも、ソグド語の変化は訪れていた。
トルファンのベゼクリク千仏洞で発見されたマニ教徒の書いたソグド語の手紙が残されているが、
属性を表す関係詞を用いずに定動詞を連体形として使う妙なソグド語が一部使われていた。
ちょうど日本語やトルコ語が「兄弟であったフワル・ザーダグが…」という文章が文法的に
何ら問題ないが、本来のソグド語では、英語などのように名詞を修飾する動詞句がthatのような
関係詞で結ばれるはずがそれが無かったりする。書き手がウイグル語化の激しいソグド語話者
なのかソグド語に未熟なウイグル人によるものなのかは分らないそうだ。
10世紀ころにはこの地域のソグド語もウイグル語の影響が色濃く表れるようになり、ソグド語文と
ウイグル語文が特別理由も無く入り乱れる不可思議な文書も見られる。
167 :
世界@名無史さん:2006/12/12(火) 00:14:30 0
祝二周年おめ!
168 :
世界@名無史さん:2006/12/29(金) 20:16:51 0
ソグド商人ってアケメネス朝の時代から活躍してたの?
169 :
世界@名無史さん:2007/01/10(水) 00:30:28 0
国際商人のソグド人ならば、イスラムの侵攻を逃れて他の土地に移住することも
容易だったろうに、と思うのだけど。
ツテもコネも広かったろうから、唐なり新疆あたりなりならば受け入れてもらえたようにも思えるが・・・
唐では安史の乱の事後処理で胡面排斥令が出されてガイジン風な風貌していると
殺されてしまっていたから無理。
ササン朝の王子や側近は長安に逃れてきましたが?
172 :
世界@名無史さん:2007/02/23(金) 23:14:27 0
ソグドが大きく取り上げられてますよ
↓
シルクロードと唐帝国 興亡の世界史(5)
著者: 森安孝夫
発行年月日:2007/02/16
サイズ:四六変型 ページ数:396
ISBN:978-4-06-280705-0
定価(税込):2,415円
内容紹介
イメージ先行のシルクロード観を覆す
騎馬遊牧民とソグド人が世界を動かした
シルクロードとは、単なる「東西交易路」ではなく、突厥、ウイグル、
チベットなど諸民族が入り乱れる激動の世界史の最前線だった。
近年注目の「ソグド人」とは何者か。唐は漢民族の王朝なのか。
中央ユーラシアの草原から、西洋中心史観と中華主義の克服を訴える。
【特集ページ】
http://shop.kodansha.jp/bc/books/koubou/ 目次
序章 本当の「自虐史観」とは何か
第1章 シルクロードと世界史
第2章 ソグド人の登場
第3章 唐の建国と突厥の興亡
第4章 唐代文化の西域趣味
第5章 奴隷売買文書を読む
第6章 突厥の復興
第7章 ウイグルの登場と安史の乱
第8章 ソグド=ネットワークの変質
終章 唐帝国のたそがれ
173 :
世界@名無史さん:2007/02/25(日) 04:09:29 0
13世紀ごろのソグド人はどの辺りに割拠していたのでしょうか?ホラムズ帝国や
モンゴル帝国との交流について記述はありますか?
175 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 22:02:51 0
>>166から察するに、13世紀にはもはやソグド社会は残っちゃいまいよ・・・
176 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 22:42:21 0
東の唐から西の東ローマまで
177 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 12:26:39 O
ソグドではないが
イラン系の商才とゾロアスター教はインドのパルシーに受け継がれている
その際たるものがインド最大の財閥タータ
178 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 13:44:22 0
ソグド人ってソグディアナ住民の何パーセントくらいなの?
ソグディアナ代表みたいに見えるけど、実は結構少数なんじゃ
ないかなと。
179 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 00:04:27 0
偽物ではない方の有栖川宮さんが、
ソグド人の物品のコレクションをしている。
>>182 森安氏は史書の「康国はかつての康居」てのを単なる混同としてるようですが
突厥系ソグド人やらソグド系突厥人やらが成り立つなら康居が康国になる
ぐらい余裕って気もするなあ。
そいえば軍人のソグド人も居ることだし、その先祖なんかにどう?てなもんで。
184 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 08:28:00 O
六胡州あげ
185 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 13:59:49 0
中央アジア諸国は、政情や治安の関係で考古学調査がまだ及んでいない地域も
数多いんでしょうかね。
部族社会や軍事上の制約により立ち入れない地域が多いのは世界各地にまだ多いですけど。
砂漠だと遺跡の風化とかどうなんでしょうね
187 :
世界@名無史さん:2007/10/06(土) 15:34:05 O
ソグドネットワークあげ
>186
ほとんど埋まってる遺跡しか残らないから大丈夫。
調査後は埋め戻す。でないとモエンジョダロみたいな
悲惨なことになる。
石槃陀
hoshu
191 :
世界@名無史さん:2007/12/27(木) 08:54:06 0
トルファン出土文書あげ
192 :
世界@名無史さん:2007/12/27(木) 10:39:39 0
デーワシュティッチ・・・スラブ的な響きのする名称ですな。
イラン系とスラブ系は比較的に近縁なのでしょうな。
193 :
世界@名無史さん:2007/12/27(木) 21:14:12 0
Δēwāštīč
194 :
世界@名無史さん:2007/12/29(土) 02:51:45 0
オセチア人はイスラム化しなかったイラン系
オセチア語はオリジナルのペルシア語
195 :
世界@名無史さん:2007/12/29(土) 07:42:31 0
バグダッドに近いクルドがペルシャ化していないのに、遠く離れたソグドが
ほぼペルシャ化してしまった事は、いささか不可解でありますな。
クルドがペルシャ化あるいはアラブ化せずに、一方ソグドがアフガンの様に
現存していないのは何故だろうか。
ソグドが都市化していたからなのであろうか?
ただ単純にテュルク化したからじゃないの?
197 :
世界@名無史さん:2007/12/30(日) 06:05:39 0
>>196 西トルキスタンの成立は、モンゴルの虐殺で都市住民が激減した一方、逃げ回る事が
可能であった遊牧民の方が生きのびられたからなのだそうだ。
198 :
世界@名無史さん:2007/12/30(日) 06:11:38 0
アケメネス朝の時点で、ソグドがペルシャ化してしまわなかったのは、不思議といえば不思議だな
>>197 中央アジア史ではパミール以東のオアシス地帯でのテュルク化したのは12〜1
3世紀のウイグルの西遷とカラ・ハーン朝成立とされ
パミール以西のオアシス地帯でのテュルク化は16世紀のウズベクの進出とされ
ているみたい
もっともパミール以西ではイラン系は若干ながら生き長らえたらしいけど
間野教授の説では国家形成期のウイグルでの都市的宗教であるマニ教の伝播など
が遊牧生活から都市文明への憧憬を増大させたと言っているね
200 :
世界@名無史さん:2007/12/31(月) 09:28:06 0
>>199 チムールの頃は、おそらくテュルク化がまだ完了していなかったでしょうな。
サマルカンドを大都市にする為に、チムールは、ダマスカス、バグダッド、
デリー等遠征地各地から住民を、サマルカンドへ強制移住させたそうですな。
201 :
梵阿弥:2008/01/19(土) 18:21:59 0
<<114
アレクサンドロス軍の分遣隊の1つを全滅させたスピタメネスは結局敗死するが、
娘のアパマは合同結婚式でセレウコス1世と結ばれた。アレクサンドロスの死後
合同結婚はほぼ全て解消されるがこの2人は離縁せず後継者アンティオコス1世を
生んだ。
セレウコスにとりソグドの大貴族スピタマ家の娘との縁が東方安定に有効という
判断も有ったろうが実際に仲睦まじかったと言う。2人の間の娘はアパメという。
アパメイアという都市も幾つか在り、国母の様な扱いを受けていた様子が伺える。
ローマとの間にアパメイアの和約というのもある。
セレウコス朝を通じてスピタメネスの「血」は代々伝えられていった。
またエジプトのプトレマイオス朝とも盛んに通婚したので此方にも伝わった。
202 :
世界@名無史さん:2008/02/17(日) 20:25:59 0
ソグドといえばゾロアスターというイメージですが、ゾロアスター教は鳥葬ですよね?
でもソグドがいた土地の墓所からミイラが大量に出たりしてる。
なぜでしょう?
>>202 ゾロアスターと言うのはアフラマズタ信仰の一宗派でしか無い。
ソグドはアフラマズタ信仰をしていたからと言って、それがゾロアスターであったかどうかってのは別。
>202
それは中国漢土の話だよね。そこでは鳥葬できる場所がないから、
仕方なく土葬にしたが、棺桶を台かなんかに乗せてなるべく土を
汚さないような形で葬ったのだろう、なんて話を読んだ気がする。
>>203 ということはアフラマズダの方が古いわけですね?
>>205 そのとおり
アフラ信仰の起源は原アーリア人種にまで遡り、
ヒンドゥー教の悪神アスラや仏教の阿修羅も同じ流れを汲む
207 :
世界@名無史さん:2008/02/18(月) 22:55:34 0
ソグド人がアフラマズダーを信仰ってなんか資料あったっけ
使ってる言語のタイプと宗教は似ると思う
日本人は循環曖昧型。主客消滅可能。
ソグド語ってどんな感じだったのかな?
ソグド文字をもとにウイグル文字が作られたんだっけ
ソグド人マニ教徒が使っていた、ソグド文字の草書体から派生したらしい。
> ウイグル文字
ソグド文字にも「楷書」「草書」みたいな区別があって、楷書体は東方系の
アラム文字の影響がまだ強く残っていて、しかも文字同士の続け書きが
あまりされていない。
ソグド文字や初期のウイグル文字は、まだちゃんとアラム文字としての
「アルファベット」が保たれていて、トルファンなどで発掘された文字の練習に
使われたらしい木片や布切れなどには、アレフaから始まってベートb、ギメルg…と
続いて、タウtと続いてラメドl(バクトリア語などの中央アジアの中期イラン語では
l 〜 d という音韻変化の影響のためか、ソグド文字では本来アラム文字のlの文字に
d,tの音価を与えて使用していた。これはウイグル文字やモンゴル文字に受継がれる)
で終わる、アラム文字やヘブライ文字と同じアルファベット順に書かれた
「アルファベット表」が良くあるそうだ。
>>200 徳川家康の頃は、おそらく日本化がまだ完了していなかったでしょうな。
江戸を大都市にする為に、徳川家康は、名護屋、大坂、
伏見等遠征地各地から住民を、江戸へ強制移住させたそうですな。
212 :
世界@名無史さん:2008/04/17(木) 03:28:24 0
ヤグノブ峡谷に誰か調査しに行ったんだろうか?誰か知ってますか?
213 :
世界@名無史さん:2008/05/10(土) 10:05:19 0
>>211 日本化とは?
名古屋、大阪にいたのは現日本人でしょ?
>>214 古イラン人の民族宗教。それがペルシア帝国の形成とともに体系付けられ、主神であるとされたアフラマズタが
その象徴である、とされアフラマズタ信仰と呼ばれるようになった。
アフラマズタ信仰から派生した宗教はゾロアスターの他にもたくさんある。ローマ帝国で一時期キリスト教と
勢力を二分したとも言われるミトラ教もそう。
>>215 ゾロアスターはユダヤ教などにも影響を与えたそうですが、
アフラマズタ信仰というのは相当大きな影響力があったのですね。
>>216 そりゃあペルシア帝国、特にアケメネス朝は、当時の文明世界の最大最強最先端の国家ですもの。
その国家の国家思想。あの辺の地域全ての民族が、大きな影響を受けていますわな。
218 :
世界@名無史さん:2008/05/23(金) 22:43:20 0
伊藤義教「ペルシャ文化渡来考」 からの紹介になるが、
AD6世紀に渡来したペルシャ人と思われる人は
@ 司馬達止(しめ だっとう・ダルダー) 司馬は中国の姓になぞらえているが。
追求するとスヤースプ(黒馬)家のディルタブ〈心篤い者〉となる。
A その娘 嶋 Asahm 用明紀2年584
B 子の 多須奈(タスナ)Tarsnay(畏敬をささげるもの) 用明紀2年584
C 孫の 鳥(止利)ツゥーリ: 推古紀14年606
崇峻元年588春三月、大伴糠手連(おおとものあらて)の娘小手子(こてこ)
を妃に立てた。蜂子皇子(ハチコノミコ)と錦代(にしきで)皇女とを生んだ。
この歳、(同じく588(崇峻元年)百済の使節団が来きた。
その中の寺院技術者の名前をみると、ダラミダ・太良未太(寺工)、
モンケコシ・文○古子(お堂)、ハクマイシン・白昧淳(露盤博士の将徳)、
・マナモンヌ・麻奈文奴(屋根葺き)、ハクカ・白加(丸瓦)、ヤコ・陽古(彫刻)他
これらはペルシャ語で、細分化したペルシャ語職種名・製品名らしい。
路子工rar(道に)askar(明るい人)Raraskarは別名、芝耆摩呂(計算に明るい)
askar amar(計算) 推古紀20年612 百済から帰化 顔や身体が斑だったが
須弥山を巧みに作る技術をもっていたため登用された。
彼らはペルシャ人もしくは、専門職・製品の名前らしいということであったが、
もし人ならば、百済の王権に職を得ていた人々である。ソグド人のような、
政権の中枢に関わった人々でなかったのか。安(ブハラ)・白(クチャ)など
からの出身者だろう。ソグド人以外の人々でペルシャ語ないし、それに近い
葉を話す人々は、クシャーンノ大月氏だったが、彼らはアラム文字を使用
していなかったはずだ。
219 :
梵阿弥:2008/06/21(土) 19:16:10 0
>>212 週間『シルクロード紀行』の13-タジキスタンでは下川 裕司氏が訪れて寄稿してます。
今はソグド的風習は廃れたが更に上流に行けば…と蜃気楼みたいに書いてます。
もう全巻終えたので店には中々無いでしょう
220 :
梵阿弥:2008/07/14(月) 20:32:34 0
鑑真と共に来日した如宝は安如宝と書かれる事が在ります
221 :
世界@名無史さん:2008/09/21(日) 17:35:22 0
>>218 > 彼らはペルシャ人もしくは、専門職・製品の名前らしいということであったが、
人名か専門職・製品の名前か分からないって、どんな記述なんでしょう?
222 :
世界@名無史さん:2008/12/18(木) 00:36:22 0
誰か優しい方。
ソグド人や文化、その言語などの入手可能な書籍があったら教えていただけませんか?
すいません。。
223 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 17:25:27 0
>>222 文科省の科研費報告書に吉田豊『ソグド語の共時言語学的研究と記述文法の提出』(2006.3)
というレポートがあるけど、これが多分日本語で読める唯一のソグド語文法書だと思う。
「入手し易い」かどうかはちと微妙かも知れないが、国会図書館とか言語関係の大学、
研究機関だったらおおよそ置いていると思う。まあ、ソグドそのものについての知識だったら
吉田先生のソグド関係の論文を漁って行けばソグド研究のだいたいのところは追えると思うけど。
225 :
世界@名無史さん:2008/12/29(月) 03:17:59 0
そんなに特殊な分野だったのですね。。
どうもありがとうございます。
当分は一般の人には縁がない分野ですね。
226 :
しがないソグド人:
ウズベキスタンの歌手
ANoRAをよろしくね★
(月の光がとってもいい曲〜♪)
もしかしたらソグド人かも...