1 :
世界@名無史さん :
04/12/07 21:19:03 フン族と匈奴は全く関係がないのか、それとも関係があるのか?
ぺ
4殉
5 :
世界@名無史さん :04/12/08 04:18:29
匈奴って黄色人種なの?
6 :
世界@名無史さん :04/12/08 06:03:48
フン族は格好いいよね。
ふーん
8 :
世界@名無史さん :04/12/09 17:27:10
俺はフン族の子孫だよ。
9 :
世界@名無史さん :04/12/09 17:31:21
( ´_ゝ`)族
10 :
世界@名無史さん :04/12/09 18:06:17
>>2 みれねーからそのスレの主だったレスここに貼れよ。
気がきかねーな。
12 :
世界@名無史さん :04/12/10 01:17:12
漢とローマの東西両超大国を引っ掻き回した匈奴=フン。 匈奴=フンとしたら匈奴はモンゴルに比肩するぐらい世界史的重要度の高い遊牧民族なのでは??
13 :
世界@名無史さん :04/12/10 01:22:06
同じモンゴル系だが違うのでは!?
しかし匈奴は顔の彫りが深かったというからなあ・・・
15 :
世界@名無史さん :04/12/10 09:16:50
「アッチラとフン族」という本では、フン族は元はバイカル湖周辺から出発した人間集団 だろうと書いてあったな。匈奴=フンではないかもしれないが、匈奴ともなんらかの関係 があったかもしれないし、一部匈奴が混じっていたかもしれない。軍隊組織は匈奴と似て いる組織だそうだ。蒙古あたりの遊牧民族を起源にしている可能性は高いな。
>>15 クセジュで出てる本だな。アルメニアやシリアあたりの史料も引用してて、
その辺は面白かった。
西周期に周の北西方にいた??(ケンイン)が北に移動して森林地帯を抜け、
変質しフンになったという説だったと思うが、時代的にケンインとフンじゃ離れ
過ぎだし、関連付け方もちょっと無理があったような。
17 :
世界@名無史さん :04/12/10 10:44:23
やはり時代的にも北匈奴がフン族の起源というのはある程度は正しいかも しれないな。西進した北匈奴と一緒に移動した民族の集合体がフン族なのか もしれない。
18 :
世界@名無史さん :04/12/10 10:48:08
歴史関係の板ほどループするところはないよな。 まさに歴史は繰り返す、か。
匈奴、ハザール、コシューシコを3大ループネタに認定しますた
20 :
世界@名無史さん :04/12/11 06:16:51
フン族はまず荒涼とした地方を通過し、ついで一つの湖を渡った後、 二週間に渡り山並みをよじ登ったらしい。 ローマ人ロムルスのフン族から聞いた話し。 具体体にどこを通過したか不明な話しだ。 「アッチラとフン族」48Pより
>>15 しかしその本は著者が専門家じゃないし、なんか微妙だった。
その後の歴史についての記述もほとんどないし。
22 :
世界@名無史さん :04/12/11 14:14:19
>>21 あの本は北匈奴とフン族と関係ないみたいな書き方だったけど、中欧に到達した
フン族と中央アジアにいた北匈奴とでは年代的にかなり間隔が開いているので文化
的に変容していても全く不思議はない。フン族の遺跡の出土品と匈奴の遺跡の出土
品を比べて同一性がないと論じても説得力が無かった。
Hun=Hungarianって本当 ?
本当。
>>23 どうでも良いが君、日本史は世界史には含まれないぞ。
アクセスまるみえ。
>>23 ちなみにルーマニア=ローマニア(ローマ人の国)
フン族のスレが始まるとかならず何個か駄洒落があるような気がするが、 これは一種の地鎮祭なのか。
28 :
世界@名無史さん :04/12/11 19:29:31
ロマ(ジプシー)=ローマニア(ローマ人の国)?
29 :
世界@名無史さん :04/12/11 19:34:16
「どうでも良い」なら書くな。
>>25 にとっては、日本は世界の一部を構成しないらしい。
変人の相手はできませんので精神科に入院してくださいね。
電波祭り会場はここですか?
31 :
世界@名無史さん :04/12/11 21:44:29
32 :
世界@名無史さん :04/12/11 23:12:40
フンとハンガリーはまったくかんけいないでしょ。 ハンガリーはオノグル族の国って意味だよね。
33 :
世界@名無史さん :04/12/11 23:59:22
>>32 ハンガリー語では、フン族は、hunok という。
匈奴は、当時の中国語の発音だと、HyungNag 程度の発音
フンナグとか、ヒュングナグ程度かな
だろうから、まあ、同じ語彙だろうな。
オノグルというのが、hunok と無関係かどうかはしらないが。
34 :
世界@名無史さん :04/12/12 02:22:17
147 :世界@名無史さん :04/02/21 18:14 フン、匈奴の議論については林俊雄がフク(フォントが出ない)という 青銅器の分布をもとに調査していますね。それによると新疆省と東欧で 同じ形態のものが発掘されており、年代的に4世紀後半に突然中央アジアから 南ロシア、東欧に拡大したことになるそうです。このことから、 単一民族が移動したのか、その民族が勢力を一気に拡大したのか、更に それらが政治的に統合されていたかはわからないが、 文化的同質性と短期間の拡大からみて、 一つの民族的まとまりであったことは 間違いなさそう、という方向性とのことです。 まずは林教授の論文・論述を読むべし。
35 :
世界@名無史さん :04/12/12 02:51:17
29 まぁ、そんなこというな。漏れらナカーマ
36 :
世界@名無史さん :04/12/12 13:48:45
・フン人が匈奴など様々な民族から構成されているというもの。〈フン人=匈奴+いろんな民族〉・同じ祖先から別れたもの。〈祖先=フン人+匈奴〉・匈奴がフン人など様々な民族から構成されているというもの。〈匈奴=フン人+いろんな民族〉
フン人爆発。
38 :
世界@名無史さん :04/12/12 20:06:28
フン族は爆発だ!!
39 :
世界@名無史さん :04/12/13 04:31:40
俺がフン
40 :
世界@名無史さん :04/12/13 06:26:55
おれはフン族の末裔だよ。 日本人だがな。
41 :
世界@名無史さん :04/12/15 06:10:31
エキサイトでHunsを日本語訳すると匈奴と翻訳された。 フン族=匈奴という認識が定着してきているのだろうか?
総称説。 混成の勢力どころかパラパラなものを、古代の支那人はひっくるめて北西の 遊牧民を「匈奴」と呼び、ヨーロッパ人は「HUN」と呼んだ。 支那の言う匈奴とヨーロッパ人の知るHUNとは微妙に違うんだが、支那人に HUNを引き合わせて見れば「匈奴」の範疇に収まり、逆もまた然り、と。 本州で「熊」といえばツキノワグマ、北海道で「熊」と言えばエゾヒグマ、 アメリカでBareと言えばアメリカクロクマ。 でも、それぞれを別の地域の人に見せて何かと問えば「熊」「熊」「Bare」 と答えるだろう。そのようなものだ。
43 :
世界@名無史さん :04/12/15 07:41:18
結局、匈奴とフン族は似たような連中ということは間違いないということか。
45 :
世界@名無史さん :04/12/15 12:45:06
フン族と匈奴が同一というところにロマンがある。 東アジアで大暴れしていた匈奴が、ヨーロッパでも大暴れ。 ここにロマンを感じる。
>>42 ヘロドトスを読んだらその辺の奴らをみんな「スキタイ」と呼んでるのと一緒、と。
つまり匈奴>モンゴルは世界の総意ということだ。
48 :
世界@名無史さん :04/12/15 19:51:40
フン族は偉大なり!
49 :
世界@名無史さん :04/12/15 20:18:47
>>46 スキタイは印欧語族。フンや匈奴はウラルアルタイ語族。
同じような遊牧民でも互いに全然違う人たち。
50 :
世界@名無史さん :04/12/15 20:26:05
>>48 なら何でフンと混血したであろうロシア人を西欧人より劣ると看做すのか?
ウラルアルタイ語族? そんな語族は果してあるのか。
なんでフィンランド(フン族の国)が出てこないの?
は?
>>51 多分、ウラル語派とアルタイ語派を漠然と
併せた各種族の総称では?
ウラル語派うちでも、サモイェード種族はモンゴロイドで
フィン・ウゴル種族はコーカソイドなのでは?
ワロタ
56 :
世界@名無史さん :04/12/16 03:22:25
フン族=匈奴=Hungary Finland
57 :
世界@名無史さん :04/12/16 06:26:40
中欧で発見されたフン族の墓からは背の低いモンゴロイドの骨が出土した そうだ。フン族はやはりモンゴロイドが中核なのかもしれない。
52と56は良民を惑わした罪で磔獄門
「種族」っていうのは人種的な区別なのかな? それって言語とどのくらい一致するんだ。
フン族と関連があるかわからないけど、メルキト族は 史書によると、シベリアにいたウラル語派の南サモイェード系 の民族らしく、遙か後に北蒙古に移住してトルコ化し、最終的には モンゴル化して、バイカル湖付近の有力部族だったらしい。
>>49 違うよ。
ヘロドトスの『歴史』では、ペルシャの北方の人々を全部「スキタイ」と呼んでいる。
遊牧民を指してすらいない。農耕スキタイ人というものも言及されている。
>>51 言語学の方では、系統関係が未だに明かではないので、「ウラル=アルタイ語族」なんていう人は今はいない。
ふつうは「ウラル=アルタイ諸語」。
62 :
世界@名無史さん :04/12/17 06:27:45
>>60 フン族もバイカル湖周辺から移動してきた集団だったらしいと本に書いてあった。
>>60 >南サモイェード系
ってところまで特定してるの?凄いな。何という史書に載っていたのか、良かった
ら教えてくれないかい?
>>63 詳しくはわからいないが、キプチャック汗国の人と思われるドーソン
という人物が著した『モンゴル帝国史』という史書に、メルキト族の
起源の事項が詳しく記されてるらしい。
他には、イル汗国についても 詳しく書いているらしい。
>>64 の訂正(スマソ)
モンゴル帝国史に関する史書としては、アルメニア人のドーソンの「蒙古史」というのがある。
彼は19世紀半ばの1852年に「蒙古史」を著したそうだ。メルキトの起源などを彼なりの考証で、
積み重ねた緻密さはまさに正確であると、高く評価されいるそうらしい。
67 :
世界@名無史さん :04/12/18 05:53:37
フン族はヨーロッパ初侵入直後にはシリアなどの西アジアにも侵入したみたいだな。 結構活動範囲が広い連中だ。
68 :
世界@名無史さん :04/12/18 05:54:01
フン族バンザイ!!
ネットで杉山正明に関することを見たけど、 彼はマジで遊牧民マンセーだな。 特にモンゴル帝国を美化し過ぎてるしな。
フン族 フンぞく Hunnen トルコ、モンゴル系民族が起源といわれる遊牧騎馬民族。 4〜5世紀にかけて、カスピ海北部のステップ地帯から東・西ローマ帝国に対する 侵攻をくりかえした。彼らの攻撃は、もっとも名高い指導者アッティラ指揮下で 最高潮に達し、東・西ローマ帝国双方を滅亡の瀬戸際まで追いつめた。 フン族は、絶頂期には多くのことなる民族を吸収し、同化・融合していった。 そのため、徐々にアジア的特徴をうしなっていった。ただ、ヨーロッパ侵攻以前の 時代においても、彼らの身体的な特徴は多様性をつつみこんでおり、彼らが民族的 あるいは言語的にどのような人々かを決定するのは、容易ではない。
ヨーロッパ史に彼らが登場する以前、中国の前漢時代(前202〜後8)に、フン族と 関係があるといわれる匈奴が中国西北部にいたことが知られていた。彼らの勢力は、 前1世紀〜後1世紀に衰退し、最後には、2つの陣営に分裂した。 2世紀には約5万戸をかぞえる中の一方の集団は南方にうつり、残りの大部分が、 新天地をもとめて西方および北西にむかった。 北西にむかった集団のかなり多くは、一時、ボルガ川の河岸にうつりすみ、 4世紀後半にはボルガ川とドン川の間に勢力をはっていたアラン人の領土へと進撃し、 彼らを支配下においた。
フン族はさらにボルガ流域の東ゴート族および隣接していた西ゴート族を征服したが、 その際西ゴート族の一部がドナウ川西方の東ローマ領内に移動し、これがゲルマン人の 民族大移動をひきおこす要因となった。 5世紀初め、ビザンティン(東ローマ)皇帝テオドシウス2世の統治時代に、フン族は 勢力をかなり拡大し、ロアス王は毎年ビザンティンから莫大な貢租をうけとっていた。 ロアスの死後、フン族の王は甥(おい)のアッティラとブレダ兄弟に継承された。 ブレダを殺して単独の王となったアッティラは、勢力圏を西方のイタリアまで拡張し、 帝国をつくりあげたが、451年のガリアにおける戦闘で、西ローマ軍に敗北した。 453年のアッティラの死後、フン帝国は急速に崩壊した。 (C) 1993-2003 Microsoft Corporation. All rights reserved.
73 :
世界@名無史さん :04/12/21 11:18:56
>>69 ネットで、って杉山正明を実際に読まないで決めちゃうのはもったいないよ。
杉山正明はたしかにモンゴルの虐殺に関するアレとか、
耶律楚材評価をめぐるアレとか、明朝暗黒史観とか、
いろいろ毀誉褒貶のある人ではあるんだけど、
日本におけるモンゴル史研究のパラダイムシフトを起こさせたから、
あれだけ叩かれもしてるわけで。
あの辺の歴史に興味があるなら杉山『モンゴル帝国の興亡』上下巻くらいは
読んでみて。杉山の意見に賛同できないとしても、絶対損にはならないから。
75 :
世界@名無史さん :04/12/21 23:46:13
損するから読むな。
76 :
世界@名無史さん :04/12/22 01:44:24
結論 匈奴は、フン族だったかもしれない 以上。これ以上のことは誰もいえない。
77 :
世界@名無史さん :04/12/22 02:08:00
(・∀・)フンフンフーン♪(゚д゚)キョッ!
78 :
世界@名無史さん :04/12/22 05:16:36
パラダイムシフト=おもいつきの世界への飛翔
>>23 ハンガリースレでよく質問されてるけど、それははっきりいうと欧州で人口に膾炙されつくした俗説的大嘘らしい。
最初期にハンガリー人のことをラテン語でよばれたときは、(ドイツの年代記あたりにでてくるらしいけど)
「UNGARIA」って書かれていたけど、すぐに、
「ラテン語文では、語頭が母音ではじまる外来語の固有名詞は語頭の母音の前に『H』をつける」
という中世のラテン語の慣習のせいで、
「HUNGARIA」と書かれるようになったそうな。
(どうもギリシア語固有名詞ををラテン語に転写するところから出てきた習慣らしい)
フンとの関係云々はアールパード朝などが自分の支配地域の正当性を主張するため
「マジャール人はフンの子孫だ」と盛んに喧伝したせいで、
他称であるハンガリーとフンとが意図したかしないか不明だが、混同されたようだ。
もとはハンガリア入植以前のマジャール人に隣接したテュルク系「オノグル」族が語源らしい。
ちなみにルーマニア人もいわゆるジプシーの自称「ロマ」も「(東)ローマ帝国臣民」という意味での「ローマン」なので意味は全く同じ。
ルーマニア政府は「古代の」ローマ帝国とのつながりを強調したいせいもあって、ジプシー達が「ロマ」と自称するのが気にくわないらしい。
(もし、現在のトルコ共和国アナトリア地方内陸部が前近代に一般的だった「ルーム」地方という呼び名が使われつづけたら、
やはり「ルーミア」とか「ルーミアン」とか呼ばれることになるが、
これもやはり「(東)ローマ帝国領」だったため「ルーム」と呼ばれたせい)
80 :
世界@名無史さん :04/12/22 15:56:30
「アッチラとフン族」という本の中ではフン族と匈奴の軍事組織は似ていると書かれいたな。
ほほう・・・ロマ人もローマが語源だったのか これは興味深い
82 :
世界@名無史さん :04/12/22 19:55:44
フン族はいまどこで何をしてるんだ?
子孫のうち1人位は今フンをたれているでしょう。 すみません出来心なんです、石を投げないで。
84 :
世界@名無史さん :04/12/23 10:05:31
>>82 自分がフン族だと思えば、今日からあなたもフン族です。
フン族の匈奴料理はどこで食べられるんでしょうか? あっちら
86 :
世界@名無史さん :04/12/25 15:07:43
フン族は食べ物を煮たり焼いたりすることもなく、味付けしない。 野生の草木の根を食べ、鞍の下に腐りかかった肉を食する・・・・・・・ あまり料理と呼べるべきものは無かったかもしれない。ただ、アッチラは木の皿 を用いていた言うから、年代によっては食文化は違うかもな。まあ、王族と一般人 との違いもあるかもしれないが。
87 :
世界@名無史さん :04/12/26 17:48:40
味気ない食文化だなフン族は。
88 :
世界@名無史さん :04/12/26 18:09:55
89 :
世界@名無史さん :04/12/26 18:21:46
日本人は食べ物を煮たり焼いたりすることもなく(刺身のこと)、 味付けしない(ヨーロッパ人にとって日本料理は味のないオードブルだけに見える) 野生の草木の根を食べ(山芋など)、 家の下に腐りかかった魚や豆を食する(なれずしや納豆・味噌なんかそうだな) 他民族の食習慣を野蛮なものと思い込んでいたら、どんな珍妙な記述も可能になる
>>89 言えてる言えてる 特にフン族の場合ヨーロッパを蹂躙したって部分から
風習とかそう言うのも過度に野蛮な描写をされてるきらいがあるからな
91 :
世界@名無史さん :04/12/26 18:58:28
フンガリー
92 :
世界@名無史さん :04/12/26 20:15:25
そういえば、アメリカ兵捕虜にゴボウの煮付けをごちそうのつもり で食べさせて、捕虜虐待で、B級だかC級だかの戦犯になった人 がいたらしいな。「植物の根を無理矢理食べさせた罪」。
93 :
世界@名無史さん :04/12/26 20:55:13
ゴボウがごちそうのはず無いだろ。
94 :
世界@名無史さん :04/12/26 23:03:36
北米やヨーロッパの麦畑や牧草地の雑草で、バードックというのがあるんだが、 ものすごく嫌われている。 日本人には草が汚いというのは感覚的に理解しがたいが、欧米人にとって、その バードックというのは汚い、臭い草とされている。 それが、日本の葉牛蒡と似た葉姿で、その匂いもよく似ている。 その文化的な差異があって、汚いものを食わせた、虐待行為だと、問われた。
そうか、それじゃ仕方が無いな。
96 :
世界@名無史さん :04/12/27 05:53:03
フン族は、その凶暴さ、野蛮さにおいて、あらゆる想像を絶するものがある。 彼らは、自分たちの子供の頬に縦横に傷を付け、ひげが生えないようにする。 胴体はずんぐりしており、上肢は巨大で、頭も度はずれて大きいので、怪物 のような様相を呈する。 フン族のことをかなり悪く書いてあるな。
97 :
世界@名無史さん :04/12/27 08:27:09
スレ違いだが、 ゴボウは一応栄養をつけさせるために食べさせようとしたらしい。 ま、確かにご馳走ではないけど。
98 :
世界@名無史さん :04/12/27 14:07:52
食わそうとしたときにものすごく嫌がってたのか? その時は喜んで食べてた癖に、どうぜ後になって難癖つけてきたんだろ白人は。
向こうの連中の常套手段として、異なる文化が出てきた時はまず否定的な見方をする事から始まる ってのが有るからな。 実際戦後に将棋の事でGHQが将棋指しを招いて色々質問した時も、 まずは日本の将棋を否定する様な質問を連呼して、それを反論されまくった上で だんだん少しだけど認めたって感じだからさ。 向こうの価値観からすれば、異なる文化風習はまず拒否してから始まるのが普通 今こそ当たり前の様に食べられてるトマトだって、最初に来た頃は毒物って認識だったしな。
100 :
世界@名無史さん :04/12/28 11:01:10
100
101 :
世界@名無史さん :04/12/28 21:16:19
102 :
世界@名無史さん :04/12/28 21:20:11
>>79 ロマがローマ臣民だったとは。彼らはエジプトから来たと思われていたから
ジプシーっていうんだと思ってた。彼らが西欧に現れたのは確か1400年代だったと
思うけど、それって、ビザンツの滅亡と関わっているのでしょうか?
103 :
toyo :04/12/28 23:06:24
フン族の英雄アッテイラは、トルコ語では英雄って意味があるんだそうです。 10世紀だかに坂の上田村麻呂に逆らって殺された東北のアテルイって、東の端にいたトルコ族の首領じゃないかな、って思うんですけど、どなたか感想ありません?
自分が食べるものもないのに捕虜の他人の為に牛蒡を提供した人ってその所為で死刑になったんじゃなかったっけ(;o;)
>>102 彼らの到来を受けた方はどこから来たか知らないから勝手な出身を想像してるんだよ。
ジプシーはエジプト出身って意味だし、ボヘミアンにも同じような意味がある。
>>103 スレによってこれほど違う反応も珍しいなw
107 :
世界@名無史さん :04/12/30 22:26:23
バラミールはアッチラのようなフン族全体の王だったのだろうか?
108 :
世界@名無史さん :05/01/01 10:54:07
フン族王様より年賀状が届きました。
アッティラって「父ちゃん」という意味だと聞いたが?
110 :
世界@名無史さん :05/01/01 17:09:36
フン族のお父さん。 確かにはまった解釈だな。
111 :
世界@名無史さん :05/01/01 18:13:30
アッテイラ・ハーン万歳!
父ちゃんというより「おやじ」っぽい意味
113 :
世界@名無史さん :05/01/02 11:49:01
なんで匈奴はヨーロッパまで移動して、フン族になってしまったのだろうか?
向こうの方が肉付きが良くて美味しいんです。
115 :
世界@名無史さん :05/01/02 12:56:14
ハーンよ、スイスまで攻め寄せますか?
116 :
世界@名無史さん :05/01/02 13:08:16
一気にカタラウヌムに進撃!
117 :
世界@名無史さん :05/01/02 13:28:45
海賊>湖賊>山賊>盗賊>馬賊>>匪賊=黄巾賊>>>>>>>>>>>雑巾賊>>||超えられない壁||>>糞賊
118 :
世界@名無史さん :05/01/02 16:21:47
>>116 ハーンよ!バイエルン族とアレマン族(リヒテンシュタイン人)の輩が、
連合軍を結成して、われらに刃向かいますぞ!いかがいたしまするか?
>>113 負け負け負け負け、負けが込んで世界の果てへなだれ込み
最果ての雑魚な諸部族を討ち従えて一瞬輝いたのちに雲散霧消しますた
120 :
世界@名無史さん :05/01/02 17:59:37
ところでどうして「人種」って違ってくるの? 環境が違うと骨格や皮膚の色も違うのはなぜ? また、どのくらい住めば変わってくるもの?
121 :
世界@名無史さん :05/01/02 18:09:12
>>120 地理・人類学板に詳しいスレがたくさんあるよ。
122 :
世界@名無史さん :05/01/02 20:35:58
>>118 我が騎兵隊を全面に押し立てて正面突破だ!!
123 :
世界@名無史さん :05/01/02 20:59:14
>>119 フン族の東ゴート族への攻撃からアッチラの死亡まで80年近い年月だ。
世代的に言うと、3〜4世代くらい年月。そう考えると、その当時のローマ人
やゲルマン人は、かなりの長期間フン族の脅威にさらされていたことになる。
124 :
世界@名無史さん :05/01/03 06:23:10
フン族偉大なり!
125 :
世界@名無史さん :05/01/03 17:31:46
アジア系のフン人はヨーロッパに侵入した軍隊のなかではごく少数派。 フンの軍隊のほとんどはヨーロッパ系であるゲルマンのゴート人とスラブ諸部族、そして西部イラン系のアラン人で構成されていた。 彼らは皆印欧語族の白人。 だからヨーロッパを席巻してもアッティラが死ぬと消えてしまったのは当たり前。
遊牧民だから精強みたいなことをよく聞くが 実際遊牧生活ってどのぐらい過酷なんだろうか
先ず第一に草原は寒いね。 食糧事情も悪いし・・・少なくともサバイバル能力は高いと思われ
128 :
世界@名無史さん :05/01/04 21:24:23
>>127 当時のローマ人のフン族に関する記述の中でもそのことが書かれているな。
幼い頃から飢えと乾きにならされると。馬術と弓術の巧みさは環境の賜であろう。
129 :
世界@名無史さん :05/01/05 04:10:06
なんつーか素人考えだが 左の円をフン 右の円を匈奴としたベン図を そのままユーラシアに置いたようなものなんじゃねーの?
その図の中の元が何を指すのかってことだね。 遊牧してる連中の集合なのか、それとも民族の系統が重なるのか。
匈奴の西進で玉突き衝突的に欧州へ弾き出された民族、ってな可能性は?
132 :
世界@名無史さん :05/01/05 16:30:41
>>131 「アッチラとフン族」という本によると、フン族はバイカル湖周辺あたりから
移動を開始した人間集団というのは間違いないらしい(根拠不明)。
そうすると、地域的にも匈奴の支配地域だったと思われるだけに、匈奴およびその配下に
あった人間集団という可能性は高い。匈奴といっても色々な部族から構成されていただろう。
フン族の中核は東アジア(モンゴルやバイカル湖一帯)いた遊牧民だったのではないだろう
か。
133 :
世界@名無史さん :05/01/05 23:34:19
フン族側は何か記録を残していないのだろうか。 文献でなければ碑文とか副葬品の銘でもいいから。
134 :
世界@名無史さん :05/01/06 20:19:30
>>133 碑文みたいなものが発見されたという話しは聞かない。それに最初にスタートした
地点から欧州侵入をしたまでに要した時間はかなり長く、フン族社会は何世代も代替わり
している。それ故、フン族が欧州へ到達した時には、東アジアにいた頃のことを知ってい
る人間はいない。
135 :
すべての真相はこうだ! :05/01/08 13:14:37
フン王アッティラ エフタル王ミヒラクラ 漢王朝皇帝劉淵 ↓ ↓ ↓ エフタル帝国左賢王 エフタル帝国大単于 エフタル帝国右賢王
136 :
世界@名無史さん :05/01/08 13:15:18
失敗、ずれた。
137 :
世界@名無史さん :05/01/08 13:16:56
エフタルの君主って単于を名乗ってたのか? それはしらなんだ。
139 :
世界@名無史さん :05/01/08 20:45:46
エフタルって、確か南シベリアのイェニセイ河付近にいた イラン系の可能性がある民族でしょ? ただ、スキタイ族の後裔かどうかは知らんが…。
140 :
世界@名無史さん :05/01/08 20:58:31
>>135 ヤショダルマンにコテンパンにされてからはずっと
カシミールに引きこもっていたミヒラクラが
東欧や華北にどうやって指示出していたのやらw。
アルカイーダじゃないんだから。
それにアッティラ、ミヒラクラ、劉淵とも全部年代バラバラ。
釣りというのはわかってるが、真に受ける青少年が出ないとも
限らないので一応マジレス。
ミヒラクラ・・・やっぱりイラン系なのかなエフタルって
143 :
世界@名無史さん :05/01/09 11:01:23
中欧のフン族墓の遺跡からは背の低いモンゴロイドの骨が出土しているそうです。 フン族は東アジア系なのは確かじゃないだろうか。
144 :
世界@名無史さん :05/01/10 03:54:36
145 :
世界@名無史さん :05/01/10 18:02:58
>>144 「アッチラとフン族」という本の32Pに、ハンガリーで発見されたフン族
の墓地からは、主に背の低いモンゴロイドの骨が出土していると記載されて
いるな。
それとこの本の35Pには、おそらくフン族はバイカル湖周辺から来た人間集団
と書いてある。フン族=匈奴なのかは不明だが、北モンゴル、シベリアあたりに
いた遊牧民がフン族の起源ではあるようだ。フン族の軍事組織は匈奴と似た組織
だそうで、この観点からも匈奴と何らかの関連性、又は居住区が近い遊牧民がフ
ン族の起源ではないだろうか。
もういいじゃん。 フン族は匈奴の一部、匈奴はフン族の一部って結論で。 そもそも流動的な遊牧民集団について「あれかこれか」なんて議論するのは殆ど無意味。
147 :
世界@名無史さん :05/01/10 20:01:40
>>145 だからそのソース、つまり一次資料は何だ?
背が低いだけでモンゴロイド認定していたらかなりドキュソだぞ
148 :
世界@名無史さん :05/01/11 20:16:12
フン族が匈奴を構成していた部族の末裔である可能性は高いかもね。 北匈奴=フン族と言えるかは何とも言えない。フン族が王族が出る匈奴の部族だったかは 解らない。
149 :
世界@名無史さん :05/01/11 22:51:26
ついでに名将アエティウスについても語れや。
アエティウスはもういない
151 :
世界@名無史さん :05/01/11 22:58:40
人質から成り上がって義元アッチラを倒した信長みたいなもんだ。
152 :
世界@名無史さん :05/01/13 22:21:39
フン族は投げ縄を戦闘に使用したらしいな。 骨を使った鏃とか。
密集陣形で足でももつれたらやばいことになりそうだな
きっとフン族にファランクスは出来ないとおもうぞ。
155 :
世界@名無史さん :05/01/13 23:22:47
>>103 仮にもトルコ族の一団が日本に居たら、坂上田村麻呂如きに討たれるはずがない
逆に、180人の軍勢に滅ぼされたインカ帝国のように、日本全土が焦土と化した後、朝廷もろとも滅ぼされるのがオチ
妄想乙
156 :
世界@名無史さん :05/01/14 19:20:41
フン族 バイカル湖周辺から出発(匈奴の一部か?)→ウラルのステップ地帯に到着→周辺の諸部族との融合とフン族の形成 →ヨーロッパ侵入
157 :
世界@名無史さん :05/01/15 06:34:39
フン族が一番最初に欧州まで到達した東アジア系民族かもね。 まあ、何世代も経過してはいるけど。
158 :
世界@名無史さん :05/01/16 12:25:41
出てきた瞬間からそれっぽいオーラ漂わせてたがあの神父怖すぎ
160 :
世界@名無史さん :05/01/19 05:37:47 0
アッチラは英雄です。
161 :
世界@名無史さん :05/01/19 09:26:11 0
143 144 ソースも探せばあると思う。 実際ハンガリーやトランシルバニアに行くと驚くほどモンゴロイド顔の美少女 がいたりする。本人に「両親しかアジア系なの?」と聞くと違うという。 それがひとりやふたりではない。周りの知り合いに聞いても、別に珍しくも ないらしい。 ルーマニアのチガンはインド産らしい。現地人談 顔みるともろインド人顔している。
>>161 モンゴロイド系の形質が中東欧で発現する理由は、フンの影響以外にいくら
でも考えられるだろ。アヴァール人、マジャールに混入したオノグル族の形質、
クマン人、モンゴル人、アナトリアのトルコ人、etc.
というかフンの影響が一番可能性としては低そうだがな。時代的に古いし。
また、ツィガン(ロマ)はどこのロマでもインド起源なのは同じだ。ルーマニアだけ
じゃないよ。
> 実際ハンガリーやトランシルバニアに行くと驚くほどモンゴロイド顔の美少女 オスマン領時代の移動、モンゴル帝国の後裔なども考慮する必要があるし、 問題はそんなに単純じゃないよ
164 :
世界@名無史さん :05/01/19 09:54:57 0
>>155 なにかの小説で田村麻呂のほうにペルシャ系の血が混ざっていて
先祖がえりで金髪だったとかあった。
渡来系だから可能性絶無とまでは言えず、小説としてはありでしょう。
165 :
世界@名無史さん :05/01/19 10:49:31 0
秦氏もユダヤ系だとか、西洋の血が入っていたらしい
167 :
世界@名無史さん :05/01/19 12:44:44 0
そう言えば小松左京で始皇帝が金髪碧眼って言うのもあったな。
168 :
世界@名無史さん :05/01/19 14:31:07 0
三国志でも、人物描写に紫の髭(赤毛)とか、黄色の髪、青い目、 白い肌って表現が出てくるからね。 誇張じゃなくて本当にそうだったのかも。 古代中国大陸に住んでたのは、純粋なアジア人ばかりじゃないのかも。
169 :
世界@名無史さん :05/01/19 14:34:57 0
>>166 羽賀研二も色が黒いし、ちょっと日本人ぽくない顔だよな。
先祖帰りかも。
170 :
世界@名無史さん :05/01/19 14:54:27 0
羽賀研二はこの前テレビで言ってたけどアメリカ人とのハーフだからね 子供の頃はそのせいでひどく苛められたらしい(ほら、沖縄出身だし)
> 純粋なアジア人ばかりじゃないのかも。 もうすでに存在しない人々が基準に・・・。
>171は 「いきなり、存在しない(定義不能な)人々について語るなよ」 という意味です
なんかモンゴロイドは皆茶色の肌に黒髪黒瞳だって思ってる人大杉。 それに「アジア人」って何だ?この板的には属州アシアの人のことと 解釈するが、いいのか? 形質人類学的な話は人類学板でやって欲しいが・・・ でなきゃこの板の人種民族区別スレの前半を読んで勉強してこい。
174 :
世界@名無史さん :05/01/19 17:26:16 0
>>167 秦の兵馬俑はほとんど全てがモロにモンゴロイド顔だから、それだけ
考えると始皇帝がコーカソイドってのは考えにくいが、
時の中共政府が何らかの思惑で、白人顔の像だけを破壊したってなら
俄然真実味が出てくるな。
漢民族だけが溢れ返ってる現代中国は至極残念。
日本もアイヌ人にもう少しがんばって欲しかった。
176 :
世界@名無史さん :05/01/19 22:26:15 0
フン族がバイカル湖周辺から移動を開始した民族というのが正しいなら、やはりフン族 はモンゴロイドが中核だった可能性は高いな。軍事組織や武器も匈奴に近いものだという し。ただ、フン族が強大化し、周辺民族を従属化させると欧州系の民族との混血が進んで いったとは思うが。
アッチラはどっちら? アッチラ
179 :
世界@名無史さん :05/01/20 17:48:30 0
中東欧にモンゴロイドの形質が現れるって話は伝説じゃないか? 伝説じゃなかったらソースを示せ
三国志に当時の匈奴のことって詳しく載ってたっけ? 烏丸や鮮卑については列伝にはあるが・・・
181 :
世界@名無史さん :05/01/21 20:38:42 0
>>179 ハンガリー人やフィンランド人の蒙古斑って日本発の伝説らしいね。
きょうび流行んねぇよ
184 :
世界@名無史さん :05/01/22 19:33:55 0
このスレの主題はアッチラの先祖が大陸の東の果てから エッチラオッチラやってきたかどうかってことでOK?
しくじったこんなもので上げてしまった。
氏ね
187 :
世界@名無史さん :05/01/22 20:53:26 0
北匈奴が西遷したのは何時だっけ?
188 :
世界@名無史さん :05/01/22 20:58:52 0
フン族はいつも馬上で生活していたから、足が曲がっていたとか言うけど、がに股だったって いうこと?
191 :
世界@名無史さん :05/01/23 05:41:45 0
192 :
世界@名無史さん :05/01/23 06:11:59 0
アッチラとチンギスの墓はどっちが先に見つかるかな。
193 :
世界@名無史さん :05/01/23 19:31:08 0
バラミールは存在しなかったという話しは本当?
>>192 見つけづらいが発掘に反対はない=あっちら
見つけやすいが発掘反対ばっかり=ちんぎす
195 :
世界@名無史さん :05/01/24 00:44:33 0
ドナウ川の底に葬られたらしいが。 ゴートのアラーリック王もイタリアのどこぞの川の下に墓があって 宝探しの連中が昔から探し回っているらしいね。
196 :
世界@名無史さん :05/01/24 01:27:26 0
どこぞの川に葬り、しかも、その葬ったところを知らせないために 葬ったときに働いた奴隷を、全部殺したとかいうじゃないか。 アラリック王、そして、その弟のアタウルフ王、そして、そして、 その妻となった、とらわれのローマ皇帝の姫君 ガラ・プラキディア。 萌え!やがて、ローマに戻って、西ローマの女帝にまでなったわけだが。 うーん、このあたりの歴史は、絶世の美女 プラキディアの存在により まさに、没落するローマ最後の最後の最後の輝きってゆーか。
チンギスは見つけて欲しくない訳で(モンゴルの人々が)
198 :
世界@名無史さん :05/01/24 19:46:19 0
しかしロシアにいた西ゴート族がスペインにまで移動して 王国作っちゃうエネルギーってなんだろね?
食えないから、戦争に負けて逃げる。 民族移動の原因は概ねこの二つだと思う。
アッチラにもテーマソングが必要だな! ♪あっあっアッチラ〜
201 :
世界@名無史さん :05/01/24 20:30:05 0
>>198 フン族が北匈奴又はその一部の末裔だとすれば、はるばる蒙古高原からヨーロッパしたの
だから西ゴート以上の移動距離だ。
民族移動って言うプロセスは物理学で波が伝わるのと同じもののような気がするな・・・ エネルギーだけが次々に伝達されていく。 空気や水といった物質自体は基本的に不動なんだ。 それと同じじゃないかね。
203 :
世界@名無史さん :05/01/24 21:06:07 0
やはり宇宙の運行と関係があるのだと思う。
秒の後ろについてる0が気になる
これは自作自演の回数さ
206 :
世界@名無史さん :05/01/27 01:31:58 0
ポーランドあたりにいたヴァンダル族もアフリカまで行っちゃうんだからな。 東のゲルマン人大移動ともいえる五胡の侵入はこれに匹敵するかなあ
207 :
世界@名無史さん :05/01/27 17:30:29 0
純粋に数的規模で言えば五胡の方が遥かにスケールが大きいらしい
五胡のほうが移動距離が短いもんなぁ。
209 :
世界@名無史さん :05/01/27 22:32:02 0
やはり移動距離ではフン族だな。 モンゴル高原から中欧へ。 ただ相当長い年月ではあるけど。
210 :
世界@名無史さん :05/01/28 12:24:32 0
211 :
世界@名無史さん :05/01/28 13:23:10 0
212 :
世界@名無史さん :05/01/28 16:55:28 0
アッチラ大王は結構良い王様なのかもしれない。
213 :
世界@名無史さん :05/01/28 17:40:58 0
ケンジュウ、匈奴、突厥、蒙古は基本的に同じ系統だろう。 俺はそう確信している。フンもマジャールもエフタルも ソグドもすべて内包されて突厥族の一種になった。 その外延にあるロシア、中国、インド、ペルシア、ギリシアにも 少なからず突厥系の影響を残したということ。 匈奴帝国、突厥帝国は他民族国家であり、北ユーラシアから 東ヨーロッパにいたるなぞの大帝国これからの研究次第で 明らかになる。
214 :
世界@名無史さん :05/01/28 18:24:05 0
トルコ民族の発祥って突厥でいいの? トルコ系だのトルコ人だのよく聞くけどどういうつながりがあるのかよくわからん。
216 :
世界@名無史さん :05/01/28 18:32:16 0
>>215 ほほう
で、やっぱり突厥が元祖であり大元?
217 :
世界@名無史さん :05/01/28 18:34:07 0
トルコというのは突厥のポルトガル語。 突厥帝国は他民族国家でした
219 :
世界@名無史さん :05/01/28 18:40:30 0
>>218 すまんな、中学生並で。リンクには感謝する。
アッティラの死後、ゲピードを撃破し一時は中欧を制覇したアヴァールや 黒海北岸をながきに渡って支配したハザールはフン帝国から派生した。
221 :
世界@名無史さん :05/01/28 20:35:58 0
サマルカンドを占領したモンゴル人はサマルカンド人を モンゴル人に変えることはできなかったように、サマルカンドを 占領したトルコ人もサマルカンド人をトルコ人にすることはできな かったはずである。
222 :
世界@名無史さん :05/01/28 21:19:51 0
>>220 アヴァールの最盛期の王パヤンはモンゴル語で「富める人」という意味だそうだ。
それに王はハガーン(汗)と呼ばれていたそうだ。アヴァールは蒙古系の遊牧民
の可能性が高い。アヴァールがフン帝国の派生とすと、フン族には蒙古系の人が
含まれていたことになる。
223 :
世界@名無史さん :05/01/28 21:55:32 0
というか蒙古も突厥の後裔か末裔だから紛れもなく 突厥系だけどな。
アヴァール王家はフン王家の同族と自称していた。 後のマジャールも同様だが。
今更だけど、位置的に見て新旧唐書に出てくる「突厥可薩部」がハザルのことというのが有力。
それ以前には確認できない。
ttp://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=1844871239&path=%2F&key=%A5i%C2%C4&dep=1 パフラヴィー語で書かれたザンディ・ヴァフマーン・ヤシュトによると、イランを取り巻く異族の一つに
カルミル・フヨーン Karmir Xyōn(赤いフン)とスペード・フヨーン Sped Xyōn (白いフン)というのが出てくる。
6世紀末の東ローマ帝国の歴史家テオファネス・ビザンティノスによれば、
トルコ人のことをペルシア人は自身の言葉でΚαρμιχιωνと呼んでいて、
ユスティヌス亭の時代に彼らトルコ人が贈り物と使節を送り、討伐したアヴァール人を受け入れないように要請した、
という記事を載せている。
この「赤いフン」とは「鉄勒」のことだとされている。
「鉄勒」も「突厥」もともに Türk-の音を写したもとだというのは有力な説だが、
「突厥」は「鉄勒」の有力氏族の一つ「阿史那」氏が「鉄勒」諸族を統合して
阿史那氏による「突厥帝国」を打ち立てもので、その建国の前後で表記を変えているものだとされている。
突厥語でどうだったかは忘れたが、中期ウイグル語では漢語の「富」の訳語を
bay- にあてているので「富者(bayan)」はテュルク・モンゴル語での意味になるだろうとのこと。
>モンゴル帝国のジュチ家始祖ジュチの長男オルダの曾孫にバヤンという人物がいる。
226 :
世界@名無史さん :05/01/29 10:47:17 0
そうなると時期的にもフン族は匈奴が西進した可能性が高いな。
匈奴自体は紀元前1世紀に東西に分裂し、西匈奴は漢と同盟した東匈奴によって撃破された。 残った東匈奴も紀元後1世紀に内紛で南北に分裂したが、 匈奴王家の攣醍(虚連題)氏は漢室と姻戚関係を保ち、漢王朝滅亡後も華北では支配的な地位を保ち続けた。 西晋を倒した劉淵はこの南匈奴王家の当主で、後漢や魏、西晋が、鮮卑や烏垣、烏孫といった東方、西方の諸族に対抗できたのは、 匈奴王家の強力なバックアップのおかげだった。 三国時代の主戦場が中原なのは、漢室と姻戚を結びつづけた南匈奴王国が北方領域を支配していたからだった。 東方では匈奴の王家は4世紀まで命脈を保ったが、 西方では当時、ソグド人の大宛(フェルガーナ)、康居(ホラズム周辺の遊牧勢力および都市国家)、 さらにキプチャク草原のアラン(奄蔡、阿蘭)、サルマートがいた。 南匈奴が西方へいきなり進出するのはかなり無理があるが、 『魏書』列伝第九十西域条に、匈奴王忽倪が奄蔡国王を殺して国を奪った。という件がある。 これが350年頃とらしいのだが、この匈奴は北匈奴とみる説がある。
228 :
世界@名無史さん :05/01/30 10:12:09 0
>>227 フン族がアラン族を撃破して従属させたのは確かなので、
匈奴の一部=フン族という説は正しいかもしれない。ヨーロッパ側でもアラン族
はフン族に征服されたことは知られていたし。
フン族が黒海北岸に侵攻したのが379年、前秦の符堅が東晋征服に大軍を南下させたのが378年と 遊牧勢力の大規模な軍事行動がほぼ同時期だったのは、単なる偶然とは思えない。
230 :
世界@名無史さん :05/01/30 13:05:40 0
>>229 地球全体の気候の変化や異常気象なんかも関係あるかもね。ゲルマン民族大移動
も気候の変化や食糧事情なんかの影響という話しもあるし。
231 :
世界@名無史さん :05/01/30 13:17:49 0
北匈奴がフン族というのはかなり信憑性がある。 しかし、なぜ北匈奴が西進したのだろうか。南匈奴に阻まれて、中国方面の 侵攻が不可能なため、西方に目を向けたからだろうか。
232 :
世界@名無史さん :05/01/30 13:28:28 0
アラン・サルマートの東というとエフタルくらいしかいないでしょう? だったらフンがモンゴロイドだとすると匈奴くらいしか考えられないけど アランを服従させた匈奴がゴート人を襲撃したって事じゃないのかな・・
233 :
世界@名無史さん :05/01/30 13:44:48 0
鮮卑、康居、烏孫みたいなトルコ系もいるけど、彼らが 現在のウヅベク人のように混血民族だったか、あるいは 純粋なモンゴロイドだったかはわからないよね。 もし彼らだとしても広義ではトルコ系だし、匈奴支配も 受けているから広い意味では匈奴みたいなものじゃないかな? しかし強大な軍事力を持っていたフンから想像するとやはり 匈奴と密接なつながりがあったとするのが自然。 匈奴が鮮卑、康居、烏孫、アランなどを従えながら西へ 侵攻していったと思う。
234 :
世界@名無史さん :05/01/30 13:52:24 0
>>227 さんが言うように匈奴が直接西に移動するのは無理がある、
しかしフンが概ねモンゴロイドで強大な軍事力を持っていたと
すれば、やっぱり匈奴なのかな?と思うのです。
匈奴が中心だったとしても、途中でいろいろなのが合流したりはしているんだろうね。
236 :
世界@名無史さん :05/01/30 14:36:30 0
理由は漢の拡大と、ユーラシアの人口爆発だな。 それがトコロテン式に西へと波及した。 匈奴は他の民族と同盟結んだり侵略したりしながら 西江西江 あんな好戦的民族は匈奴くらいしかいないから
237 :
世界@名無史さん :05/01/30 15:09:44 0
北匈奴が西進を始めたのはいつ頃だろう?
238 :
世界@名無史さん :05/01/30 17:31:50 0
末期のローマを好き放題に荒らしてさんざん困らせてたゲルマン人を 一瞬で屈服させてパシリとして使ったってのがカコイイなフン族は
というか、そもそもフン族が来なければゲルマン人がローマ領内に大挙して侵入すること は無かったのだが。
民族大移動前から頻繁に定刻内に入っていたけど何か?
ローマ人は戦士としてはゲルマン人よりフン族の方を高く評価していた。
フン族に凹られた敗残のゴート人にやすやすと侵入されるローマ「帝国」
243 :
世界@名無史さん :05/01/30 18:10:09 0
漢が弱ければ若しかすると、西欧のローマ社会、東欧のゲルマン社会、 中央アジアのスラブ社会、それより東のトルコ社会という感じで 漢民族は極東の一部に生息するだけだったかもしれない。
244 :
世界@名無史さん :05/01/30 18:15:44 0
>>242 まあ東半分が依然1000年持ったってのはローマの偉大たるゆえんかな
↑それもあるけど ぶっちゃけ、直接の理由はテオドシウス城壁とギリシア火
ハンガリー王国のマジャール人たちの例を見れば、 本来は「ハンガリー」という名前自体マジャール人がカルパティア越境以前に 近接したテュルク系「オノグル」族に由来したものであるにも関わらず 自らをフン族の末裔と称し、アールパード王朝の諸王はアッティラの子孫を名乗った。 権威付けとハンガリー平原での自領土の正統性を主張した物と思われる。 アランorアス(カフカスのオセチアにその名が残る)は当時何系に属すかはよく分からないが、 康居と目されるホラズムの諸族が話したホラズム語は、東イラン語に属す言語であることは サーサーン朝時代の陶片文書や碑文などで判明している。 北匈奴は分裂後、鮮卑、丁霊と漢(+南匈奴)に相次いで攻められ、 1世紀末には烏孫のいたイリ地方に移住することになった。 2世紀に入ると北匈奴は呼衍王のもと、烏孫やタクラマカン周辺のオアシス都市群を率い、 天山北麓まで勢力を回復した。この地域は車師後王国が支配した地域。 この呼衍王とは匈奴王家攣醍氏に次ぐ最貴種の一族で呼衍氏の族長が名乗った称号。 すでにこのころは旧来の匈奴の支配体制は崩れ、部族間の実力主義的社会になっていたものと思われる。 『三国志』魏書鮮卑伝の延熹9年(166)の記事によると、 鮮卑が烏孫まで攻め入って北匈奴の旧領まで征服した、という。 その後はアラン国王を匈奴王が殺したという『魏書』の記事まで、 天山方面以西の匈奴の記録はほぼ200年間の断絶する。 魏書が「匈奴」と 166年ころといえばクシャーン朝のカニシュカの治世である。 この200年の間にアルシャク朝パルティアはサーサーン朝に取って代わられ、 ローマではキリスト教が公認・国教化し、仏教が中央アジアに広く布教し、マニ教が起こり、 後漢が滅亡し、晋は南に追いやられ華北が遊牧諸政権に支配され、 鮮卑の拓跋氏から北魏が勃興した時期である。 サーサーン朝とクシャーン朝、ソグド人あたりが何らかの記録を残してくれれば、 フン族が匈奴と関わりがあるか否かもう少しわかるかもしれないが・・・ 東ローマ側の資料はフン族勃興前後の記録はどうなっていたろうか?
247 :
世界@名無史さん :05/01/31 01:10:14 0
康居はイラン系か、ホラズムだあ
248 :
世界@名無史さん :05/01/31 11:11:14 0
>>246 北匈奴がフン族だと仮定すると、最大の謎はイリ地方に移住から、フン族のアラン族攻撃
まで200年程の空白な何故かということになる。あくまでも推測だが、その200年間は
絹の道や草原の道の要衝が勢力下だったので、経済的にもそれ程困らなかったのかもしれな
い。しかし、東方の新興勢力の圧迫とアラン族の草原の道の遮断が発生。アラン族と交易路
の争いで戦争が起きた可能性もある。アラン族征服により欧州の情報がもたらされ、東ゴート
に侵攻なんてことも考えられないだろうか?
匈奴にせよモンゴルにせよ遊牧勢力が他国の脅威になるのは遊牧民の大規模な統一がされてからで、 フン族が東で負けて、あるいは飢饉になって西方征服に乗りだしたというのはおかしい。 実際漢は匈奴が飢饉になるとかさにかかって攻めたて大きな戦果を挙げている。
250 :
世界@名無史さん :05/01/31 20:22:17 0
大規模に統一され組織化されなければ侵略は不可能って事? そりゃそうだろうけど、それが匈奴がフンではないという 説にはあたらないと思うぞ。
251 :
世界@名無史さん :05/01/31 20:34:00 0
ちょと話はそれるけど、 イスラム以降の中央アジアのトルコ化(アラブ化?) と、それ以前のトルコ的な文化とモンゴル帝国以降の トルコ化(蒙古風)とかなり分けて考える必要あると思うね。 一番わかりやすい例としてはホラズム・シャー王国だろう。
252 :
世界@名無史さん :05/01/31 20:44:46 0
こないだ、NHKでサマルカンドの子供みたんだけど、 漏れの想像ではもっと西洋的な顔を想像してたんだけど、 雰囲気としては蒙古にインド人が混じった風でした。 もちろん日本人に比べると全然西洋風だけど、 金髪碧眼の子はいなかった。
253 :
世界@名無史さん :05/01/31 20:59:11 0
でもホラズムには金髪碧眼の人もいる。 漢書にも書かれている。彼らは匈奴時代の 何に該当するのだろうか?
254 :
世界@名無史さん :05/01/31 21:06:48 0
嘘でした。ホラズム(アムダリヤ流域)周辺の情報はあまりしりません。
塞=サカ=スキタイという繋がり説
五胡十六国の覇者となった鮮卑の北魏が天山・イリ以西の事情について200年間何も報告していないのは、 おそらく匈奴の勢力が西方に追い出されて以降は小勢力が分立する状況が続き、 特に記すべき事態が起きなかったのだろう、という説が有力のよう。 丁度モンゴル勃興以前のモンゴル・テュルク系諸族が分立している状況と似た感じだろうと。 北魏にとって直接わかる地域。 タクラマカン周辺諸都市や烏孫、羌といった自領土の周辺勢力、 あるいはソグドなどを通じて事情の分かるサーサーン朝やソグド本土などは情報がわかるが、 天山・イリ以西はそれらと隔たっているため微細な変化は分かりづらかったに違いない。 中央アジアのタジクはもともとイラン系(在来のソグド人&ペルシア人難民+アラブが少しだけ)で、 ティムール朝時代にペルシア語的教養というかチャガタイ語+ペルシア語のバイリンガル的な 定住化テュルク系階層、チャガタイ人が形成されるようになった。 現在のウズベク人は、 ジュチ家の裔のウズベク勢力の頭首シャイバーニー・ハーン麾下の勢力が ティムール朝のチャガタイ・タジク人の領域を征服してのち形成された。 ソ連の言語教育のせいで中央アジアのペルシア語話者もずいぶん激減したらしいが、今でもペルシア語は何とか通じるらしい。 イスラム時代に騎馬遊牧民の容貌を形容するときに 「赤い顎髭を生やしたトゥーラーンの輩が〜」という表現が出てくる。 サーサーン朝の文献では突厥や鉄勒を指して「赤いフン」といったがそれと関係あるかどうかは不明。 サマルカンドのアフラシヤーブ遺跡発掘の壁画などを見る限り、 ソグド人に碧眼はいるにしても金髪や紅毛がいたかは確認できない。
257 :
世界@名無史さん :05/02/01 00:36:41 0
詳しい資料ありがとうございます。 名前は違えど、イラン系諸族の地を越えて ヨーロッパを襲撃したモンゴロイドがいるという事だと思う。 もしイラン系の彼らが西へ行ってたなら容貌については パルティア人に似ているとか形容していたはず、そうではないのだから イランの地を越境したモンゴロイドが必ずいてこれに該当するような 勢力を絞っていけばフンが匈奴かそうでないかがわかるように思う。
258 :
世界@名無史さん :05/02/01 01:13:19 0
しかしそのモンゴロイドとイラン諸族(サルマートなど)は 元々似た文化を持っているので人種は違えど共通の価値観があり 融合するのも比較的容易だったのかもしれない。
259 :
世界@名無史さん :05/02/01 13:06:50 0
>>258 文化的に似ているいうより、フン族は色んな民族の文化を借用しているだけのようだ。
弓術と軍事組織が匈奴と似ているが、文字もなければ、フン族自体の生産能力が極めて
低い。有り体に言えば、分捕ったものを利用していたでけの話しらしい。
フン族は略奪経済。
261 :
世界@名無史さん :05/02/01 19:20:24 0
全体の流れから考察すると、北匈奴がアラン族を征服、フン族がヨーロッパ侵入以前に アラン族を従属させていたことを考えると、匈奴=フン族の可能性が濃厚だ。問題は北匈奴 が何故アラン族を攻撃するに至ったかだ。
262 :
世界@名無史さん :05/02/02 13:39:48 0
>>261 歴史上遊牧民の大移動はほとんど東→西
モンゴル高原よりもカザフステップの方が標高も低く住みやすいから。
それであの辺にいると遅かれ早かれ東から侵略者がやってくる。
17世紀のカルムイクまでずっとこのパターン。
263 :
世界@名無史さん :05/02/02 13:50:00 0
カザフステップという土地は結構住みやすい土地の ような気がするのですが、あまり発展してないように みえる。
草原の肥沃さではやはりモンゴル高原の方が上なんじゃないかな? お杉様がどこかで「地球上で最大最高の重草原」とか言ってたような希ガス カザフステップは基本砂漠に草まばら、というイメージ
265 :
世界@名無史さん :05/02/02 20:44:31 0
匈奴がフン族だとすると、東で漢帝国を圧迫し、西でローマ帝国を苦しめたことに なる。東西の大国をフン族は凄い。
266 :
世界@名無史さん :05/02/02 20:45:15 0
資料の少なさのせいでパルティアの名前が出てこないのが無念・・・
268 :
世界@名無史さん :05/02/03 00:33:17 0
>>265 遊牧民の中でモンゴルに匹敵する実績かも。匈奴は・・・
でも、漢を苦しめたのとローマ帝国を苦しめたのとは時代が大きく違うけドナー
270 :
世界@名無史さん :05/02/03 01:10:57 0
匈奴とフン族には風習や風俗で似通った点が多い、また部族名も日本語では違うが、欧州や中国の呼び名ではよく音が似ているそうだ。 そのことから中国史から消えた匈奴の一派が欧州に渡り、フン族となった。 この説は根強く欧州の歴史学で指摘されているけど。 そもそも同じ遊牧民族では風俗や習慣が似ていても不思議はないし。 決定的な確証となるものは、おそらく永遠に発見されまい。 だからいまだに結論は出てないし、また結論は出ないだろう。 論争の根拠となるものは全て出し尽くしたからね。。 DNA鑑定で長年、日本の学界を悩ませてきた日本人のルーツはかなり正確に特定できたが。 フン族の末裔とされる民族が東欧にはいるし彼らと中国の匈奴の末裔の民族のDNA鑑定で特定される可能性も。。。 かなり低いな。。 遊牧民族は定住生活をしないから、それだけ他の民族との混雑が起こりやすい 現に欧州の歴史書にかかれているフン族の身体的特徴も書によってかなりばらつきがあるし。 また、定住するようになってからも混雑はそれぞれの地域で進んでいるからな。。 DNA鑑定技術がこれから進んで行っても極めて難しいような気がするけど。
271 :
世界@名無史さん :05/02/03 03:23:59 0
小学6年生ぐらいの色白で髪が長くて大人しい赤いリボンとフリフリフリルの可愛い服がトレードマークの学校一の人気者美少女小学生が271をゲットなの
272 :
世界@名無史さん :05/02/03 03:48:40 0
フン族が匈奴なら首長は単于と呼ばれていたはずだ。 単于の発音が問題だが・・・
273 :
世界@名無史さん :05/02/03 04:02:35 0
ゼウス
274 :
世界@名無史さん :05/02/03 13:15:26 0
清で匈奴利と書いてハンガリと当て字下のだから
騎馬民族である満州人は
>>1 のようなことをかんがえたのだろう
275 :
世界@名無史さん :05/02/03 13:21:31 0
満州人は騎馬民族じゃありませんが・・・
「単于」はツングース系の言葉のtan-に関係するとかなんとかどっかで聞いたような〜
277 :
世界@名無史さん :05/02/04 04:47:51 0
当時の中国語と今の中国語では「単于」の発音は同じなのだろうか?
>>277 漢和辞典にも載ってるような常識だけど、中国語の発音は時代毎に
かなり詳しくわかっているから、調べてみ
279 :
世界@名無史さん :05/02/05 06:11:54 0
>>269 フン族=匈奴ということならば、かなり長い間活躍した遊牧民だな。
280 :
世界@名無史さん :05/02/06 03:05:59 0
匈奴の時代に「民族」としての概念を遊牧民族がもっていたか疑問だ 氏族単位での行動で、それぞれの氏族が同胞意識が養われていたのは事実だろうけどね 蒙古帝国のチンジス・カンは、遊牧民族の部族を統合して一つの民族 モンゴル民族を作り上げたとも言われるくらいで、それまで遊牧民族は個々の部族や氏族単位の同胞意識はあっただろうが 遊牧民族全体の民族意識まではなかったかも知れない 匈奴の王も、その時代の匈奴の中でもっとも有力な部族の指導者に過ぎないわけでね
281 :
世界@名無史さん :05/02/06 03:13:58 0
>>280 そういうこと。で、そのときのリーダーがいかなる言語を話して
いたかは、まあ、ふかーく見てみないとわからんし、歴史的に
どの程度残っているものなのか、わからんわな。
チンギス汗が、「モンゴルウルス」といったのはそういう意味だろ。
その中には、いろいろな言語を話す人がいて、キリスト教徒もいて、
仏教徒もいて、いろいろだ。でも、「公益のためにあつまって
一緒にやっていきましょう」ってのが、「モンゴルウルス」の意味
だよ。でもって、言語も、そのときどきの有力なリーダーと同じもの
をみんなが話すようになったりする。多言語コミュニケーションだ。
おうちの言葉がどういう言葉かわからない。
アルタイ諸語ってのはそういう形で過去数千年の間でできた、なんつう
か、公共の語彙は共通だが、生活語彙は異なるっていうような形で
できたものだ。だから、政治的な語彙になったりすると、トルコ語と
モンゴル語とツングース語などでも共通な語彙がある。トマンとか、
汗(カン)とかそういうのもそういう形ででてきた言葉だよね。
トルコ系は、トルキスタンなんていみで、ペルシア語の「スタン」
をつかってみたりする。そういう意味では、ペルシア系までふくめて
もいいだろう。アフガニスタンあたりはそういうのの見本みたいな
ところじゃないか?
だから、たぶん、ヨーロッパに近づいた匈奴は、すっかりヨーロッパ
系に近い人たちやらなにやらになっていたと思うしね。
282 :
世界@名無史さん :05/02/06 05:38:51 0
フン族は背の低いモンゴロイドが中核です。
283 :
世界@名無史さん :05/02/07 08:12:20 0
>>227 匈奴王忽倪はなんて読むのだろうか?
フン族との関連で興味深い。
>>281 キプチャク汗国が、中核はバトゥが連れてきたジョチ家の郎党三千人だか六千人だか、
あとは全部トルコ系西方遊牧集団から構成されていたようなものかな。
285 :
世界@名無史さん :05/02/08 06:11:53 0
まあ、民族大移動だったフン族のモンゴロイド系の数はジョチ家の郎党よりは 多いだろうな。
286 :
世界@名無史さん :05/02/08 21:13:59 0
フン族は西ローマを滅亡の遠因を作り、古代を終わらせた。 ここら辺がアヴァールとの格の違いなんだろうね。フン族が後々まで欧州人 の記憶に残った。同じ遊牧民でもアヴァールはそれ程記憶には残っていない だろう。フン族とアッチラ大王は永く欧州人の記憶に残る存在となった。
アヴァールなんて最終的にはフランクごときに討伐されるからなぁ。
アヴァールはアッティラ死後フン族を滅ぼしたゲルマン系ゲピードを潰滅させるなど、 一時期はパンノニア(現ハンガリー)一帯を中心にかつてのアッティラの版図の 西半分を勢力下におき、東ローマ帝国の脅威にもなった。 一方で黒海北岸の東半分はハザールが支配下に収めこの政権は長期にわたって続いた。
289 :
世界@名無史さん :05/02/09 05:43:18 0
アッチラ大王は「神の鞭」なんて呼ばれたからな。 アヴァールのパヤン王とは格が違う。パヤン王は知らない人も多数いる。 アッチラ大王は人気者だよ。
ただ、なまじモンゴルが攻めてきただけにそれに押されて日本の世界史だと影薄い
291 :
世界@名無史さん :05/02/10 00:50:16 0
でもフン族だけだと一発屋臭はするぞ、やっぱ。 匈奴=フン族でこそ最強クラスの騎馬民族。いや、匈奴だけでも十分最強クラスなんだが。
292 :
世界@名無史さん :05/02/10 05:54:47 0
フン族は、息の長い活躍、漢・ローマを苦しめた遊牧民のMVP。
293 :
世界@名無史さん :05/02/10 08:39:27 0
アッチラってなんか土建屋のおやじっていうイメージ
>>292 MVPはどう考えても圧倒的にモンゴルだろ〜
295 :
世界@名無史さん :05/02/11 08:43:46 0
フン族は文化の発展には貢献しなかったな。 新しい時代の幕開けを担ったのは確かなんだが。
296 :
世界@名無史さん :05/02/12 06:00:09 0
フン族はちゃんとした家に住んでいたのだろうか?
297 :
世界@名無史さん :05/02/12 06:39:58 0
「ニーベルンゲンの歌」だと宮殿構えていたようだが、あてにならん。
298 :
世界@名無史さん :05/02/12 20:40:12 0
幌馬車で生活しているのでは?
299 :
世界@名無史さん :05/02/12 20:41:12 0
300 :
世界@名無史さん :05/02/12 20:50:20 0
パンノニアに宮殿なんかあったか?
ローマの使節の記録にアッチラの住居がデカイ丸太小屋みたいなことが書いてなかったか?
302 :
世界@名無史さん :05/02/13 05:51:51 0
アッチラは木の皿を使っていたなんて話しもあるな。
使節を迎える為の建物はあったようだが、アッティラ自身は通常は天幕で生活していたらしい。
304 :
世界@名無史さん :05/02/14 04:15:09 0
野外生活が好きだったんだね。
>>304 フビライでもそうだったから、やっぱり慣れた生活が一番いいんだね。
306 :
世界@名無史さん :05/02/14 20:23:54 0
フン族の料理はどんなものだったのだろうか?
やはりシンプルに焼肉だと思う
元朝のころの料理書とかいろいろな文献を総合すると、 だいたい遊牧民の食事は鍋料理や乳製品が主流だったらしい。 もちろん焼き肉もあった。 (タタル自治区の首都カザンの「カザン」はテュルク語で鍋や釜のこと) 水餃子やピロシキももともとは遊牧民や西域のオアシス都市民の料理。 肉をミンチにする発想も遊牧民が最初らしい話は耳にするけど、実際はどうなんだろう? ほかにもすいとんみたいな麺類もかなり食べてたらしいが、 「史記」や「漢書」には乳製品ばっかり食べてることしか載ってなかったような。
309 :
世界@名無史さん :05/02/15 05:56:59 0
何かの本に、フン族が使っていた銅鍋の写真が出ていたな。
310 :
世界@名無史さん :05/02/15 19:52:08 0
ハンガリー人の名前で、今でもアッチラって人、いるぞ。
>308 小麦粉が原料だから、多分いつもあるというわけではなく、あったとしても 略奪か交易で手に入れたものだろうというのが一つの理由として考えられる。 やっぱり「この小麦粉はどこから手に入れた?」という問題があるんだろうと思う。 自分の国から奪われた小麦粉で作った料理なんて・・・ねえ。 漢の方の勢力が強けりゃ強いで、そういう料理が出る機会自体少なかったろうし。
312 :
世界@名無史さん :05/02/16 08:55:35 0
フン族は腐りかかった肉を食べていたのでは?
乳製品というか、あっちだと朝昼晩全馬乳酒ってこともあるからな。
314 :
世界@名無史さん :05/02/16 20:22:18 0
wwwっうぇwwwwウンコ族って何だよwwwww
>>313 いまだにそんな食生活だから、モンゴル人は寿命が短いんだ罠…
316 :
世界@名無史さん :05/02/18 05:00:05 0
確かに栄養のバランスは悪いな。
>>308 すいとん?
そういえばチェチェン料理を作って食べるってイベントが昔あって
羊肉とすいとんを一緒に煮るだけなんだけどすごく美味かったなぁ。
318 :
世界@名無史さん :05/02/18 18:21:39 0
昔、モンゴルでは羊の肉を繊維状に乾燥させ、食べるときにお湯をかけて 食べるものがあったそうだが。
319 :
世界@名無史さん :05/02/18 18:38:08 0
>>308 >元朝のころの料理書
それって売ってるんですか?
320 :
世界@名無史さん :05/02/20 05:45:24 0
アッチラも食生活が悪いのが原因で死んだのかな?
ナッツ類でも食いすぎたんか
322 :
世界@名無史さん :05/02/20 06:01:04 0
どちらかというと酒の飲み過ぎとか。
323 :
世界@名無史さん :05/02/20 08:03:39 0
確かフン族の王の1人に大食いが原因で死んだ奴がいたな。
324 :
世界@名無史さん :05/02/20 10:02:51 0
フン族って最後どうなったの?
325 :
世界@名無史さん :05/02/20 12:20:05 0
ゴルゴ13の祖先が、バイカル湖周辺の出生起源であることを隠すために 全員の眉間を一発で打ち抜いたんだよ!デュ-ク:トウゴウの祖先はアッティラ。
326 :
世界@名無史さん :05/02/20 17:19:26 0
>>324 アッティラ崩御直後に三人の息子がパンノニアのどこかで
ほとんど記録に残っていない熾烈な大会戦をやらかして跡目を争い
間もなく帝国諸部族は四散して歴史の闇に消えていきました。
トリビア:
ロムルス・アウグストゥルスの親父は元アッティラの秘書官。
328 :
世界@名無史さん :05/02/20 20:49:51 0
>>327 部族単位では東ローマやゲルマン人と交戦していたみたいだ。
ただ、以前のような脅威ではなくなっていた。山賊に毛が生えた程度の
存在だったのだろう。アヴァールがパンノニアにやってくると征服され、
同化していった。
遊牧民の大部族、大国の最後って大概それだよね。 どこかに吸収されて昔のことなんか忘れてしまう。 あるいは忘れたことにする。 なんでチンギスの子孫だけは利用価値が高かったんだろう?
曲がりなりにもインフラ整えたからじゃないの
他の地域でも連綿とチンギス裔が王権を握り続けていたし。
>>319 『飲膳正要』が代表的。たしか邦訳が出てたような・・・
333 :
世界@名無史さん :05/02/21 06:28:59 0
>>325 フン族はバイカル湖周辺の出生起源を隠したのではなく、忘れちゃっただけでしょ。
なにせ文字が無いから。
>>333 まじですか!ゴルゴ マイナス80ぐらいの祖先が狙撃したのかとおもた。
336 :
世界@名無史さん :05/02/21 18:43:20 0
もしかしたら漢王朝にバイカル湖周辺の出生であることを隠すために 狙撃したのかもしれない。
337 :
世界@名無史さん :05/02/22 21:33:22 0
フン族と匈奴が全く無関係とは言えないと思えるようになってきたな。 中国側の匈奴がアラン族を攻撃し、アラン国王を殺害したという記録と フン族がアラン族を服属させていた事実の一致を考えると、やはりフン 族と匈奴は同一だったというのが濃厚だ。
もし仮にフン族の「フン」という言葉が「匈奴」に由来していると実証できたとしても、 マジャール人たちが自分たちとは殆ど関係ないフン族の末裔だと名乗ったように フン族も実は匈奴とは殆ど関係ないのに「自分たちは匈奴だ!」と 名乗った可能性も捨てきれない。 長ったらしくて文意が分かりづらくなってしまったかもしれないが、 自分としては、>246,>256ではそのことを念頭に書いたつもり。
北匈奴は中央アジアにとどまって悦般国を建ててそれが後にエフタル(白フン)になるわけよ。 だからヨーロッパに現れたフン族ではありえない。 しかしもともと匈奴ってのは多種族の連合体で、大小各種の遊牧民族が隷属していた。 だから、その一部が中央アジアにとどまらず、さらに西進してローマを襲った ということはあり得る。匈奴の中核部族はコーカソイドなのに、ヨーロッパに 現れたフン族はモンゴロイドだったことも、これで説明がつく。 匈奴帝国に隷属した諸民族は多いが、その中で「フン」 に近い名をもつ「渾邪」がフンの正体ではなかろうか。
340 :
世界@名無史さん :05/02/23 07:50:40 0
中央アジアでノイン・ウラみたいな遺跡が発見されるといいのにね。
341 :
世界@名無史さん :05/02/23 09:18:11 0
>匈奴の中核部族はコーカソイドなのに 普通のモンゴロイドだ、電波はよそでだせ、ばーか!
>>336 >北匈奴は中央アジアにとどまって悦般国を建ててそれが後にエフタル(白フン)になる
ttp://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-1525252096&rid=3 悦般国が北匈奴起源だって情報のもとは魏書のこの部分かな?
「悦般」はエフタル説で確定してたかどうだったか。
エフタルは人名の解析からスキタイなどのイラン系説が有力だが、匈奴はテュルク・モンゴル系だけでなくて
スキタイなどのイラン系の遊牧諸族の一派も構成部族の一つだったというが有力視されたはず。
>「フン」 に近い名をもつ「渾邪」がフンの正体ではなかろうか。
「渾邪」は『史記』の匈奴列伝などによれば「休屠」とならんで匈奴の西方を守護していた部族らしいが、
「渾邪」王は霍去病に惨敗した責任を匈奴の単于を問われて死刑を宣告されたために
漢側に投降、オルドス方面に冊邦されたようだ。
『漢書』や『後漢書』に同じ記事がのるが、その後の消息は途絶えている。
「フン」と結びつけるのは少々無理が多い気がするが・・・
>>338 最近、ゴビか何処だったかで匈奴時代の王侯の墳墓が見つかったそうだ。
そこから発掘された刺繍が施された布地に描かれた人物は、
碧眼で彫りの深いコーカソイド的な顔立ちをしていて、関係者を驚かせたらしい。
>匈奴の中核部族はコーカソイドなのに
はさすがにまだ確証が取れてないので言い過ぎだとは思うが、
匈奴国家を構成した部族の一部は、スキタイ系などの
遊牧部族も含まれていた可能性も一応念頭に置いていた方が無難かも知れない。
匈奴は胡ともいい、長身で紙が赤く目が茶色、彫りの深い顔立ちをしている・・・・。
普通に読めばコーカソイドの特徴を綴ったもの。
>>343 のネタは史書の記述が裏付けられたってことだろ。
>>341 はドキュンな。
>>342 渾邪部族の中には渾邪王についていかなかった者もいて部族を再興する機会もあったかもしれない、
なんにしろ北匈奴の内部のことは漢にはごく一部しか情報が残ってないだろうし。
あるいは、晋書みると匈奴の部族といってもいろんな名前のマイナー部族が
かなりたくさんいたみたいだから、フンに似た名前のものもいたかも。
「渾邪」についてはまぁ想像の域をでないわけで、漏れの妄想です。
345 :
世界@名無史さん :05/02/23 18:53:45 0
>>342 中央研究院の検索結果をリンクにするのって無意味じゃないか?
346 :
世界@名無史さん :05/02/24 06:13:58 0
フン族もモンゴロイドだ!!
フン族はモンゴロイドだよ。
348 :
世界@名無史さん :05/02/24 22:46:41 0
フン族は俺たちの仲間だな。
349 :
世界@名無史さん :05/02/25 05:44:04 0
フン族はバイカル湖周辺にた人間集団が起源でしょ?
>>346 >フン族はバイカル湖周辺にた人間集団が起源でしょ?
その情報or説の出所というか根拠をいままで検証しようとしてたわけで・・・
351 :
世界@名無史さん :05/02/26 10:03:10 0
でもフン族は匈奴というのはある意味正しいかもね。 弱小部族が西進したところで、アラン族やゴート族といった勇猛な部族には 勝てないでしょう。アランやゴートを征服できそうで、匈奴と似た軍事組織 をもった遊牧民は、北匈奴くらしでしょ。
アランやゴートなんて軟弱な連中は北匈奴に隷属していた一部の部族で簡単に蹴散らせるってことだ。
353 :
世界@名無史さん :05/02/26 10:29:23 0
ゴートはローマでも勇猛で知られていたはずだが。アランも手強い部族だと。
そう。ローマはそこまでのヘタレの最たる者。だからアッティラのやりたい放題だったわけじゃんか。
遊牧民相手だとローマがヘタレなのはもはや定説
356 :
世界@名無史さん :05/02/26 19:27:20 0
騎兵が未発達だったんだろうな。 漢も騎兵隊が整備されるまでは匈奴に劣勢だったし。
357 :
世界@名無史さん :05/02/26 20:43:26 0
末期の死に体のローマだし。 3世紀前半ごろまでは遊牧民の名残が色濃いパルティアに対して常に優勢に出てましたよ。 まあローマを荒らしまくって有頂天だったゴートを一撃の下に散らしたフン=匈奴も十分すごいと思うけど。
ローマは遊牧としては亜流であるパルティアには優勢だったが スキタイの系統のサルマート相手には苦戦していたようだが。
359 :
世界@名無史さん :05/02/26 23:16:02 0
アランもサルマート系?
360 :
世界@名無史さん :05/02/27 10:23:44 0
匈奴が何故西進したかが謎だな。 東アジアに盤踞する他の遊牧民との抗争は無意味と判断して西進したのだろうか。
>>360 東アジア?
つまり北匈奴がなぜモンゴル高原を捨てて西に去ったかということ?
鮮卑に追い出されたんじゃないの?
浪漫が溢れ出さんばかりの名スレだな
>>360 単于が宿酔いだったせいかもしれないし、シャーマンが悪夢を見たせいもしれない。
元ネタわかる人いるかなあ?
五島勉によるとハレー彗星をみたからってことになってるがw
365 :
世界@名無史さん :05/03/01 09:56:33 0
アッチラは占い師の言うことを信じすぎた傾向あったらしいが。 これもフン族DNAだろうか?
366 :
世界@名無史さん :05/03/01 21:42:34 0
現在の日本の裁判官は一人当たり大小あわせて常時200件〜300件の事件を抱えています。 検察官も似たようなものでしょう。だから、点数稼ぎの取締り(待ち伏せ、見通しいいところでのネズミ捕り)をわざわざ裁判所で審理する余裕はないのです。 もちろん本当に危険な違反だったり、飲酒運転の常習者だったり、免許取り消しの経歴があれば、裁判になるでしょうが、 善良な一般ドライバーにはほとんど関係ない話です。だから、点数稼ぎの取り締まりのときは、サインを断るのが正解なのです。 だが、時にはかなりしつこくサインを迫る警官もいます。そういう時はどうすべきか。 1、サインをするようなフリをして切符を受け取る。 2、切符のサイン欄の、(私は上記違反をしたことに異議はありません。)というところをボールペンでざざっと消す。 3、私は取り締まりに納得がいかないので、サインはしません。と書き込む。 4、警官に切符を返す。 です。この手順をよく頭に叩き込んでもらえればよいかと思います。無意味な押し問答で貴重な時間を潰さずにすみます。 交通違反切符のサイン欄は被疑者が自由に書き入れてかまわないというのが警察庁の説明ですから全く問題ありません。
367 :
世界@名無史さん :05/03/02 03:00:07 0
フン族がフィンランド人の祖先ってきいたことあるな。たしか歌手のビョ−クって のがいてモンゴロイドの顔してるよ。(2枚目のアルバムのジャッケットみたら 日本人かとおもった) ちなみにハンガリーもフンガリアでフン族系のマジャール人とか。 それから、フランシスコザビエルのバスク人もそれ系らしくウラルアルタイ語 系の言葉とか、ザビエルが来日したとき日本人は彼をシナ人と思ったらしいよ。
お前は根本的な間違いをしている。ビョークはアイスランド人だ。 あと、言語と民族と人種をごっちゃにするな。
「ハンガリー人の先祖はフン族」という説は、ハンガリー人自身が唱えていた ことがあるので、こういうところに貼られるのはまだ理解できる。 しかし、「フィン人の先祖はフン族」というのは、いったいどこから発生した 説なんだろう。HunとFinじゃ全然違うっつーの。フィン人が自ら唱えたことが あるのか?
>>367 >ちなみにハンガリーもフンガリアでフン族系のマジャール人とか。
それ間違い。俗説だから。
371 :
世界@名無史さん :05/03/02 12:44:56 0
>>369 フィンランド人の話すフィンランド語が対岸のエストニア人の話すエストニア語 やハンガリー人のハンガリー語とともにウラル語に分類されることから、出た説
372 :
世界@名無史さん :05/03/02 13:29:32 0
あのねえ・・・hunとfinは全く無関係の語源なのよ。
しかも「フィン」はスウェーデンなどゲルマン系からの呼称でウラル語族系の呼称ですらない。
フンとフィンが同源と吹聴するのは日本人限定の誤説のはず。
>>371 は語族って何の意味か理解している?
373 :
世界@名無史さん :05/03/02 22:37:33 0
フィンランドはアジア系という話しは聞いたことがあるが、フン族との関連は 初耳。
人種にしても語族にしても「アジア系」などという概念は存在しない
375 :
世界@名無史さん :05/03/03 01:55:16 0
アジア系ってばいったい何なんだって話だ 「アジア」ってどこ?
アフリカとヨーロッパ以外の旧大陸だね。
しっかし367は偉大な釣り師だな。
378 :
世界@名無史さん :05/03/03 10:34:00 0
北匈奴はフン族なのか、それとも分裂消滅していたったのだろうか? 匈奴とフン族が無関係だとすると、フン族はどこからやって来たのだろうか?
フン族は北匈奴そのものではないというだけで まったく無関係というわけでもないだろ。スレ読んでる?
380 :
世界@名無史さん :05/03/03 18:22:25 0
フン族には統一の王はアッチラが登場するまでいなかったという話しだが、 移動なんかは誰がどのように決定したのだろうか。部族会議みたいなものが あったのだろうか。
中世のTO図みたいにドン川以東をアジアと考えるなら殆どの遊牧民はアジアから来たことになるわな。 ヘロドトスみたいに旧世界の北側は東の果てまでヨーロッパだとするなら殆どの遊牧民はヨーロッパ人だわな。
382 :
世界@名無史さん :05/03/04 05:53:15 0
そうすると、モンゴロイドかコーカソイドという観点で論じた方が良いのだろうか? その観点なら欧州のフン族の墓からはモンゴロイドの骨が出土しているそうだ。
フン族がモンゴロイドであることは大昔から異論はない。
×フン族がモンゴロイドである ○フン族にモンゴロイドがいた
385 :
世界@名無史さん :05/03/05 20:47:39 0
>>227 の内容は興味深い。
アラン(奄蔡)は中国、ローマの双方で存在を知られている。中国からかなり西方
のアラン王国を滅ぼしたのは匈奴と認識しているのは興味深い。ある程度西方で起
きた遊牧民同士の戦争まで認識している。この記載をそのまま信じると、フン族と
匈奴は同一になる。ただ、アランを滅ぼしたのが匈奴ということをどうやって知っ
たかが問題。単なる当て推量なのか、正確な情報を得ていたのか不明。考えられる
のはシルクロードや草原の道によって交易している商人からの情報か。
>>385 ソグド語の記録で洛陽炎上のことがあったりするから、五胡十六国時代でもシルクロード経由の
商人の情報を得ることは可能だと思う。もちろん、この手の情報はまた聞きが多くなるので
信頼性は低くはなるけど。
387 :
世界@名無史さん :05/03/06 20:52:27 0
商人というのはかなり正確な情報を持っている。
交易で生計を立てている商人は交通路の政治情勢を正確に把握していないと、
商売が成り立たない。もちろん
>>227 の記録がソグド商人から得た情報かどうか
は解らないが。
>>227 の記録の時期にフン族とアラン族が交戦状態になったこと
は事実なので、ある程度は信憑性があると思われる。
>>388 その史料って何らかの本に収録されているんでしょうか?
出来れば日本語か中国語に翻訳されているといいんですが。
質問厨で申し訳ありません。
391 :
世界@名無史さん :05/03/07 06:50:16 0
ソグド商人は匈奴をフンと呼んでいたそうだが。
>>387 『古代書簡』の英訳サイトがあったのか! サンクス!
393 :
世界@名無史さん :05/03/09 05:12:58 0
ソグド商人がアラン族の王国を滅ばしたのは匈奴というのを知っていた可能性は あるな。
394 :
世界@名無史さん :05/03/10 06:16:40 0
フン族は交易なんかもやっていたのかな? なんか略奪の方が有名だけど。
遊牧だけじゃとても食べていけないので、どんな遊牧民族も農耕民との交易は必須でそ。
396 :
世界@名無史さん :05/03/11 06:45:03 0
遊牧民は穀物や生活必需品が不足気味だからな。 略奪も生活手段の一環だから。
397 :
世界@名無史さん :05/03/13 05:44:34 0
フン族は剣や槍みたいな金属製の武器は作れたのかな?
398 :
世界@名無史さん :05/03/15 06:19:49 0
フン族は接近戦になると、投げ縄を使って戦ったそうだ。
399 :
世界@名無史さん :05/03/15 19:07:10 0
スキタイはギリシャ人から金細工を購入してたよね。 金属器はソグド人あたりから購入してたんじゃないかな? 遊牧民の弓は動物の骨や腱、植物の蔓や枝を使用したコンポジットボウだし、 鏃も骨とかだからなければないでいいんじゃない?
400 :
世界@名無史さん :05/03/19 03:13:15 0
フン族と匈奴は同一なの?
>>397 4世紀のソグド人は華北の南匈奴の劉淵の軍勢を「フン」と呼び、
5世紀にフン族が西方へ進出する直前にアラン人の王を倒したのは
漢籍では「匈奴」と呼び、西方では「フン」と呼んでいた。
アラン人がいた地域では「匈奴」がいなくなってから200年も経ってるので
5世紀の「フン」が「匈奴」のことなのか、それとも「匈奴」の余裔の一派が「フン」なのか
「フン」は「匈奴」の音写であるにしても5世紀の「フン」が「匈奴」を詐称した可能性もあるので
両者が同一であるかはまだ不明。
ただ、「フン」が「匈奴」そのものではないにしてもその余裔の一派である可能性が高い
というのが最も有力視されている、というところか。
中原にある中華国の呼び名でさえキッタンだったりする有り様だから、 呼び名なんぞまるで当てにならんでそ。
403 :
世界@名無史さん :05/03/20 07:50:12 0
でもソグド人は交易で生計を立てていたから、ある程度情報は正確だと思うよ。 もちろん中国側の表記がデタラメでないという条件付だけどね。中国側も異民族に 色んな名前を付けているように、遊牧民=匈奴という単純な把握ではなかっただろ う。わざわざ匈奴と表記したのは、フン族は匈奴と同じかかなり関係が深い連中と いう認識をしていたのではないだろうか。
404 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 05:51:20 0
昨日のNHKのシルクロードで突厥の話しが出ていたな。 東は満州から西はアラル海あたりまでの草原の道周辺を支配していると、 色んな部族がいるな。
405 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 08:43:42 0
>>401 まあフン族は北匈奴の末裔かそう自称していた連中だった可能性は高いということだろう。
>>404 そこでは、カザフは突厥の末裔にされてたな。
特に調べたわけじゃなくて演出用にテキトーに
言ってるだけだから、匈奴の末裔、フンの末裔、
柔然の末裔、モンゴルの末裔、なんでも使える。
407 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 10:25:42 0
遊牧民みな兄弟?
408 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 12:37:01 0
キエフ・ルーシがハザールの可汗から位を譲位されていた、とかいうトンでもない 説まであるくらいだから、ロシアは突厥の後継国とかも言えそうだ。
409 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 12:37:22 0
全盛期の匈奴や突厥の支配地域はかなり広大なので、末裔とも言える連中は かなりいるんだよね。
410 :
世界@名無史さん :2005/03/27(日) 04:53:34 0
おれもフン族の末裔。
411 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 06:54:12 0
フン族は何時から東アジア(バイカル湖周辺?)から移動を開始したのかが 問題だな。北匈奴がフン族なら歴史の空白の間はどこに滞在していかも議論 しなくてはならない。それとフン族とアラン族との戦争も、お互い隣りあっ ていたのが何かの紛争で衝突したのか、フン族の西進の途中で衝突したのか かも不明。東ゴートとフン族との衝突のケースから考えても、西進途中で衝 突の公算が高いとは思う。
412 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/02(土) 05:57:26 0
アラン族とある程度の期間隣り合っていたのなら、中国側や中央アジアの記録に 残っているだろう。中国側の資料にアランを攻撃したのは匈奴と書かれているのは、 北匈奴の動静を掴んでいたのかもしれない。
413 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 06:01:22 0
「フン族 謎の古代帝国の興亡史」E.A.トンプソン著 を読んだけどあまり面白くないな。フン族と匈奴との関連性なんかほとんと論じていない し。
414 :
世界@名無史さん :2005/04/08(金) 06:08:22 0
AGE
415 :
世界@名無史さん :2005/04/09(土) 01:57:24 0
匈奴はある地域でフンって読むって聞いた!
416 :
世界@名無史さん :2005/04/09(土) 21:22:26 0
フン=人間という意味だという話も聞いたことがある。
アイヌとかイヌイットとか、みんな似たような意味・発音だね
418 :
世界@名無史さん :2005/04/09(土) 21:48:04 0
匈奴というのはフンに漢字を当てただけのことかな?
419 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 02:43:41 0
って先生から教わった
420 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 06:32:05 0
それにしても匈奴とか突厥という当て字は酷いな。
フンというのも Hunsにカタカナを当てただけだけどな
423 :
世界@名無史さん :2005/04/11(月) 01:54:22 0
ヨーロッパの連中は何でフンと呼ぶようになったのかな? フン族自身が自分たちをフンと呼んでいたのか、それともヨーロッパの連中が 勝手に名前を付けたのか。
424 :
世界@名無史さん :2005/04/14(木) 06:00:48 0
やっぱりフン族は匈奴なんだよ。
425 :
世界@名無史さん :2005/04/16(土) 05:06:59 0
匈奴→東西分裂→南北分裂→北匈奴西遷→フン族 こんな流れか?
> 北匈奴西遷→フン族 この部分が謎で、いったい何があったのかが議論の的と なってるのに省略しすぎ。
427 :
世界@名無史さん :2005/04/16(土) 17:36:33 0
ところで北匈奴が消息を絶ってからフン族のアラン攻撃まで何年くらい空白なんだ?
428 :
世界@名無史さん :2005/04/16(土) 17:56:53 0
蒙古は遊牧文化の発祥地ではない。もともと狩猟生活。 遊牧文化発祥の地はスキタイ。そこから農耕に適さない土地(黒海北→中央アジア→モンゴル)を東へと伝わっていった。 つまりモンゴルは騎馬民族の元祖ではない。 ユーラシア大陸北方で発生した遊牧文化は中緯度附近の農耕文化になれなかった 者たち全員の文化といえる。
429 :
世界@名無史さん :2005/04/16(土) 17:58:12 0
スキタイ=キタイ=カラ・キタイ 匈奴=フン
431 :
世界@名無史さん :2005/04/16(土) 22:24:11 0
北匈奴が鮮卑と南匈奴に圧迫されて西遷。もう東方には活路がないので西進。 その途中にアラン族、ゴート族と抗戦ということだろうか。
432 :
世界@名無史さん :2005/04/16(土) 22:26:29 0
メルカトル図では遠くに感じるけれど、 地球の丸みを勘案すると、シベリアと北ヨーロッパの距離はとても近い。
>>432 「契丹」はもともと突厥のころは「キタニュ qitany 」という発音に
近かったらしいが、最後の「ニュ」はテュルク系言語のy方言とn方言の差によって
西方のy方言のほうが伝わってアラビア語やペルシア語文献などでは
「ヒターイーkhitayi」になったらしい。
スキタイはギリシア語訛りでもともとはサカ。契丹のキタイとは関係ない。
436 :
世界@名無史さん :2005/04/18(月) 05:39:57 0
ある資料にはフン族は1世紀にはボルガ周辺に定住していたなんて書いてあったけど、 それならローマとかペルシアとかの記録があるだろうし、周辺民族と抗争無しに200 年も生活していたとは思えない。
437 :
世界@名無史さん :2005/04/18(月) 07:32:22 0
しったかw
438 :
世界@名無史さん :2005/04/19(火) 06:01:48 0
やっぱりフン族は匈奴なんだよ。
439 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 04:35:42 0
エフタル(白フン)と欧州に侵入したフン族とは関連性があるの?
どっちかっつったら匈奴はフンよりエフタルの方が近いんじゃね?
441 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 08:34:43 0
ヨーロッパのフン族の墓からはモンゴロイドの骨が出土したそうだが。
442 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 18:09:59 0
インドでは「シュヴェータ・フーナ (白いフン)」と呼ばれ、ビザンツ史料でも「白いフン族」として記録される。 だそうだ。
エフタル最高君主の称号って何だったんだ? 単于でいいん?
444 :
世界@名無史さん :2005/04/24(日) 06:02:26 0
ヨーロッパのフン族は赤フンと呼ばれている聞いたことがあるが。
外部から同じ名前で呼ばれていた=同じ集団 と言う等式もあんまり確実ではないかも。 上の方でマジャール人がぜんぜん関係無いフン族の後裔を自称した事から 仮に「フン」と「匈奴」が同じ名前をあらわした表記だとしてもそのまま フン族と匈奴の同一性の証明になるわけではない、とあったが他称でもこれは同じ事と思われ。 なんとなればバビロニアやペルシアでは長らくの間様々な蛮族を「グティ人」と呼んでいたし ロシア人は中国人をキタイと呼んでいるが、だからといって契丹=中国人というわけでもない。 突厥人が中国人を指してタブカチと呼んだ例もあるそうだが、これも北魏を建設した 鮮卑の拓跋部に由来すると言われる。 従って同じ別集団から同じ名前で呼ばれている事が即、同一集団である事を証明するわけではない。
446 :
世界@名無史さん :2005/04/25(月) 05:56:07 0
北匈奴が中国側の資料から消え、ヨーロッパにフン族が現れた時期が一致する 件については?
完全な一致じゃないよ。微妙にズレてる。「北匈奴≠フン族」だよ
448 :
世界@名無史さん :2005/04/26(火) 01:59:03 0
どれくらいズレがあるの?
449 :
世界@名無史さん :2005/04/27(水) 06:26:49 0
北匈奴が西遷したのは事実だが。
450 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 00:21:31 O
カザール帝国を調べれば?
451 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 13:57:49 0
フン族と関係あるの?
452 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 14:05:24 O
あるみたいよ。
ハザール=突厥の可薩部であるという説が有力ですが・・・
>>417 大抵の未開人種が、「民族」のような概念を持っていないので集団の呼称が無く、
最初に接した外界人に対して自族を区別するとき、「我々」か「真人間」かの
単語を代用することが多い。
455 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 15:47:39 0
>>454 匈奴とフン族は同じ様な言語を用いていたことになる。
456 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 20:50:02 0
>>454 そういう事例もあるにはあるが一般化していうのは俗説の類い。
ヤクートはロシア語で兄弟って意味で付いたらしい、他のシベリア民族も似たような感じのが多いみたい。
458 :
世界@名無史さん :2005/05/01(日) 01:45:09 0
フン=人間という意味なんて話も聞いたが。 ところでこれは何語の話し?
459 :
世界@名無史さん :2005/05/01(日) 03:50:51 0
モンゴル語でフンヌ=人間 ヤブサメル=騎馬の長乗り 以上、司馬遼太郎からでした。
460 :
世界@名無史さん :2005/05/01(日) 04:57:34 0
山野が司馬遼太郎の著作の記述は信用できないといっていたけど 司馬以外にそれ唱えている人いるの? いやモンゴル語専攻だったのはしっているけどさ
462 :
シャクティパット :2005/05/01(日) 10:48:36 0
463 :
世界@名無史さん :2005/05/01(日) 11:06:07 0
倭ももともとは我だったんかな?
464 :
シャクティパット :2005/05/01(日) 11:14:55 0
倭は自称でなくて他称 明らかに後に日本人となる民族集団以外の民族集団にも その名を当てられていることある これ定説
465 :
世界@名無史さん :2005/05/01(日) 15:10:05 0
我々はフンである。
466 :
世界@名無史さん :2005/05/01(日) 20:10:43 0
ふ〜〜ん
自称が、ヨソからの他称に転用されることは、しばしばある。ってか、普通、原則。 例をあげると、インドとタイの間にある国の日本語の他称を「ビルマ」から「ミャンマー」に 変更したのも、北米極地の先住民を「エスキモー」と呼ぶのをやめて「イヌイット」と呼ぶ ことにしようというのも、他称が当地の自称に従うという原則に基づくものだ。 直接境界を接していない、もしくは、接触の少ない複数の集団を混同することも、 これまた、頻繁にある。 例をあげれば、ジュリアス・シーザーのガリア戦記ではゲルマン人とゴール人を 混同しているし、その子孫のポルトガル人やスペイン人は、狭義のインド人も、 アメリカ先住民のいろいろな民族も、太平洋・インド洋のマレー系の人種も、 みんなまとめて「インド人」だし、大昔の支那人は蒙古人もトルコ人も満人も ひっくるめて「狄」だよ。 その大昔の支那人が、東夷すなわちみんな倭とゴッチャにしたところで、何も 不思議はないわいな。
468 :
世界@名無史さん :2005/05/02(月) 12:14:25 0
ふ〜〜ん
469 :
世界@名無史さん :2005/05/02(月) 19:28:10 0
北方民族によく使われる〜部というのは モンゴ「ル」、カザー「フ」、とかの「u」とは 関係あるんですか?
日本だって、大昔は、物部とか服部とか鍛部とか部族があったじゃんよ。
471 :
世界@名無史さん :2005/05/02(月) 22:10:41 0
そして秦氏など始皇帝につらなる部族も臣従をちかった。 したがってわが国はシナの領土を併合する権利がある。 秦氏の子孫を傀儡にしてシナに東亜の秩序を整えようではないか
>496 Mongol, Kazakh。"u"なんてないよ。
>>467 多様なケースをごっちゃにいっても俗論の域を出ない。
普遍性
475 :
世界@名無史さん :2005/05/03(火) 14:06:02 0
フン族がアラン族と交戦して撃破したのは4世紀中頃。 中国側の資料での匈奴がアランを攻撃・撃破したという資料も同時期。 やはりフンと匈奴は同一だよ。
20世紀の中頃にアメリカと交戦した分断国家の共産軍ということで、 ベトナムと朝鮮は同一?
477 :
世界@名無史さん :2005/05/04(水) 00:29:27 0
>>496 が何と書いて自転車小僧に自己批判を迫られたのか興味ある。
478 :
世界@名無史さん :2005/05/05(木) 19:58:10 0
「アッチラとフン族」という本では最初はフン族はバイカル湖周辺から出発して 300年位の年月をかけて中央アジアに登場したとの説を唱えていたな。匈奴の 支配下に入った地域から移動を開始したので匈奴の一部とも言えるし、バイカル 湖周辺から移動してきた連中と、西に移動した北匈奴が合体してフン族が形成さ れた可能性もあるな。それまで目立った動きが無かった連中が突如として強大化 したのは幾つかの部族が合体して大集団化したからではないだろうか。
479 :
世界@名無史さん :2005/05/06(金) 01:47:16 0
481 :
世界@名無史さん :2005/05/06(金) 19:26:13 0
糞族
出張フン族
483 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 03:18:46 0
>>479 フン族で一番興味が持たれるのは東ゴート侵入以前のフン族だとは思う。
遺伝子レベルでの検証とか調査はないの?
遺伝子と民族と直接関係ない。
486 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 05:50:19 0
中欧のフン族の墓から出てくる人骨は主に背の低いモンゴロイドの骨だそうだ。
487 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 11:38:13 0
結論としてフン族は日本人であり、したがって欧州は日本領土
そりゃ韓国の言い分だろ
490 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 14:52:38 0
ところでフン族と同一性が論じられている北匈奴はいつ頃まで消息が解るの?
491 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 15:43:17 0
★ 『犯罪民族NO.1』としての誇り・自尊心(チャジョンシム)! ▲ 朝鮮総連 (北朝鮮系)・・・これぞ朝鮮人達の象徴! 誇り! 反日本カルト・スーパー暴力団。 「日本人拉致」 「ドラッグ密輸」 「一万円札偽造疑惑」 その他・・・・・。 メンバーの中には勿論、密航者も(大勢)いるのだろう。 北朝鮮にいたら、とっくの昔に虐殺されていた可能性が高い。 ▲ 民団 (韓国系)・・・反日本カルト集団。 朝鮮人らしく、協調性・社会貢献性は(ほとんど)無い。 日本に大きく世話になっていながら、日本・日本人対し、大嘘や根拠の無い 文句・悪口ばかり喚き散らす。 メンバーの中には勿論、密航者も(大勢)いるのだろう。 韓国で暮らしていたら、とっくの昔に虐殺されていた可能性あり。 ▲ 暴力団 ▲ 闇金融 ▲ 不動産屋(地上げ屋) ▲ パチンコ屋 (脱税・少なくとも一部は北朝鮮へ不正送金) ▲ (違法)SEX産業 ▲ 危険な医者 ▲ カルト集団 ( 統一協会、そして創価学会にも人口比でKOREANの比率が高いとう話も) ▲ 自称 ”日本の右翼” →→→ 日本人を誘拐し、騙し、蹴り、殴り、殺し、金儲け、そして日本支配。 ※ 同じ日本時代を経験した「台湾系」とは真反対といってもいい。
492 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 15:02:19 0
フン族がアラン族と交戦を始めたのは4世紀中庸頃、東ゴート族と交戦したのが 370〜375年位か。それまでどこで何をしていたのか皆目わからないし、何故 強大化したのだろうか。考えられるのは有能な王の出現があるが、それなら名前位 は伝わっているだろう。アッティラまで統一の王がいなかったようなので、強大な 王の出現が強大化の理由ではないかもしれない。では四世紀中葉に強大化したのだ ろうか?
フン族とフィン族の関係はどうなってるんですか?
関係無し
495 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 19:41:43 0
フン族と匈奴は関係があるの?
497 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 05:44:13 0
>>479 その作者はアッティラの外交、軍事的才能には否定的だった。
むしろ内治の才の方が高いと。
アッティラは大帝国を作ったものの、ビザンツはスルーせざるを得なかったし、 西ローマも結局撤退している以上、軍事・外交的な能力に合格点はあげられないのは 確かだ罠。純軍事的にはどっちも蹂躙できたはずなのに。
>>498 蹂躙してぶっ壊すことが目的ではないだろ、最初から。
東西ローマはそろってアッティラ様に貢ぎ物を差し出してたんだから
それ以上どうしろと?
カタラウヌムでの負けは評価に影響する罠
501 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 23:28:49 0
アッティラは華々しい戦闘が無いのは事実なんだよな。カタラウヌムでは負けているし。
それはアッティラの軍隊が統治には向いていないことをアッティラが知っていたから。 つまりアッティラの軍隊はモンゴル系やスラブ系、中央アジア系、白人系などの寄せ集めだったからだ。 定住することなく金を巻き上げることが目的であり、そうせざるをえなかった。
カタラウヌムは痛みわけじゃなかったっけ? だいたい165000人も死ぬ戦いならフン族滅亡してると思う。 あと、カタラウヌム自体もシャンパーニュ近郊説とトロワ近郊説があり、 あいまいな印象の抜けない戦いなんだけど。 それから、東ローマから西ローマへ矛先を変えた前年の449年には、 アッティラのもとを東ローマの使節が訪れてるから、 東ローマ帝国との間に密約でもあったんじゃないの?
504 :
世界@名無史さん :2005/05/16(月) 05:57:17 0
>>503 東ローマから搾り取るものが無くなったから、矛先を西ローマに向けただけの
話しじゃ。
>>504 やばくなると矛先を西に向けさせるのが東ローマの常套手段ですが何か?w
カタラウヌムはたしか西ゴート王が戦死してるよな。
世の中最後は書いたもん勝ちって言うのが有るからな そもそもフンが記録自体を残してない(重視してないってのも有るかも)以上 今出てる記録が別方面からのものでしかないし 実際の戦闘で敗北を喫したとしても相手が何も残さず 敗北した側が大勝利と記してそれが後世に残って正史扱いになれば 負けも勝ちにカウントされる訳だからな
507 :
世界@名無史さん :2005/05/16(月) 11:16:05 0
ゲルマン人みたいな槍もってウホウホいってるような低能蛮族と ローマ人みたいなへたれどもが連合したところでフンに勝てるわけないだろ。
ウホウホ
509 :
世界@名無史さん :2005/05/17(火) 06:11:09 0
フン族も弓を持って奇声を出している。 ゲルマン人と大して変わらない。
510 :
世界@名無史さん :2005/05/17(火) 06:14:34 0
フンは騎馬民族だからゲルマン人みたいな低能蛮族といっしょにするな
アッティラの頃のフン軍は圧倒的多数がゲルマン人の歩兵だったらしい。
512 :
世界@名無史さん :2005/05/17(火) 20:49:17 0
>>506 カタラウヌムの戦いの後にイタリアに侵入しているから、それ程カタラウヌムの
打撃は大きく無かったかもしれない。むしろ打撃はイタリア遠征での伝染病の蔓延
による打撃の方が大きかったかもしれない。その直後にアッティラ急死、フン帝国
崩壊になった。
フン帝国っていうけどちゃんと行政してたの?
514 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 03:13:17 0
行政はすべて分割民営化されていました。先進的ですね。
515 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 20:35:14 0
少々分割しすぎのような気もしますが。
分割手法はアレクサンダーの帝国を見習いました
517 :
世界@名無史さん :2005/05/19(木) 06:52:15 0
フン族はバイカル湖周辺から最終的にパンノニアに移動。 もの凄い距離の大移動だな。
べつに一気に移動したわけじゃ・・・・
うむ。移動期間はかなり長い罠。後世のモンゴルなんてそれこそ あっという間にもっと長い距離を遠征しちゃったわけで。
520 :
世界@名無史さん :2005/05/19(木) 09:55:54 0
モンゴルは13世紀、フン族は4世紀から5世紀。 フン族は800〜900年も前の話しだ。単に軍隊の移動だけでなく、 家族も連れての大移動だから凄いんじゃない。しかも300年くらい の年月を費やしての移動なのだから。
300年もかけたらそりゃいやでも遠くまで逝く罠。
522 :
世界@名無史さん :2005/05/24(火) 08:44:21 0
「アッチラとフン族」という本では最初に移動し始めたフン族は匈奴の支配 を逃れるために西方に移動した連中という主旨のことが書かれていたな。でも そんな弱小部族が結構勇猛で知られていたアランやゴートを簡単に打ち破れる 訳が無い。フン族は匈奴とよく似た軍事組織だとのことなので、やはり匈奴と 深い繋がりがるのだろう。
エフタルが単于で、アッティラは右賢王だったんだよ。
匈奴に追い出された月氏が一時的とはいえ強大だったバクトリアをあっさり支配しちゃったけどな。
525 :
世界@名無史さん :2005/05/24(火) 17:15:27 0
バクトリアが弱すぎただけでは?
526 :
世界@名無史さん :2005/05/28(土) 20:40:31 0
なんで急にフン族は凶暴化したのだろうか?
気候とか?
古代中国とモンゴルの関係を例にすると 遊牧民は家畜がふえて国力が蓄積されると 農耕圏に侵入するが、逆に気候が悪かったりして 国力が衰えると逆に下手にでて農産物を恵んでもらいにくる。 フン族ももしかしたら国力が余ってきたので とりあえずローマを襲ってみただけで あまり深い意味はないんじゃ・・・・
あるいは、ローマとかいう国がいちびってるので一丁シメといてやろう、程度の動機だったのかも知れず。
530 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 02:45:16 0
流れ的には アラン族を襲撃(350頃?)→東ゴート攻撃(375頃)→シリア周辺襲撃(395年頃) →パンノニアに移動(420年前後) という感じかな。
531 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 19:51:54 0
>>530 アッティラが活動を活発化させたのが440年前後。だいたいフン族は20年周期で
行動を起こすな。
一世代につき一回ですか。
533 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 23:22:18 0
現在のモンゴル人がずーっとモンゴルにいたのなら、 ヨーロッパで発掘された平坦な顔のモンゴロイドの 骨はモンゴル人の物だろう。 匈奴は王族のみが白人またはトルコ系の顔立ちをしていた らしいし。
534 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 06:20:54 0
匈奴の王族は白人好み?
匈奴の中核が元々イラン系で、狩猟民族だったモンゴル系を取り込んで、 モンゴル化したってことじゃね?
536 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 13:25:57 0
単于の后は確か呼延氏から出るって決まってたんじゃなかったっけ? コーカソイド系の容貌が受け継がれたのはそれによるんじゃないか? まあ、王族の中にはモンゴロイドの妾に生ませた者もいただろうが。
537 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 21:31:48 0
インドでも白人系のアーリア人が上層、被征服者は黒いドラヴィダ人(ニグロイドとは別もんだが)。 匈奴も支配層は白人系。 やっぱり人種に優劣はある・・・ってか白人が優秀ってのは事実なのかもな。 先天的には優劣なんて無い・・と理想論を持ってたけど、 世界中の文明などを詳しく知ってみるとそう思わざるを得なくなってくるよ。 主な文明はほとんどがコーカソイドのものだ。 そしてヨーロッパ以外の地域でも、白人系のコーカソイドが支配層ってパターンが大部分だ。複数の人種が共存している地域では。 例外のイレギュラーは中華文明・日本・モンゴル帝国ぐらいのもんだな。
538 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 21:34:34 0
歪んだ思想に腹一杯
>>匈奴も支配層は白人系。 だからソース出せや 人種厨ウザい。人類学板にカエレ
> 現在のモンゴル人がずーっとモンゴルにいたのなら いなかったよ。
541 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 02:06:26 0
じゃあ、どっから来たの?
アフリカ
543 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 03:05:08 0
ずーっとってのは匈奴の頃からの話だろ。
>>541 来たと云うより「モンゴル人になった」「モンゴル人ができた」
だろうな。それが紀元千年紀も終わりの方。
人種厨の理屈と最終目的は 「白人は優勢人種」 「テュルク民族は白人である」 「日本人はテュルクの末裔=白人の末裔」 「日本人は中国人・朝鮮人とは全く関係ない人種」 「ゆえに日本人が中国人・朝鮮人を差別して迫害しても問題ない」 もうこの手のプロパガンダ何年も続けてる
546 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 05:55:21 0
中欧のフン族の墓から背の低いモンゴロイドの人骨が出土しているそうだ。
547 :
537 :2005/05/31(火) 12:22:48 0
>>545 誰もそこまでは言ってない。
ただ彫りの深い白っぽいやつらが近世以降の西欧に限らず、昔からどこの地域でも優位な立場にあると純粋に感じただけ。
例外はモンゴルのロシア支配、近代の日本ぐらいだろう。
アラブ人もトルコ人も黄色人種とか勘違いしてるやつがいるが、色は褐色だが
分類としては完全に白人側だろ。
色が褐色なら白人じゃないというならイタリア人やスペイン人のような地中海人種は白人じゃないということになる。
従来まかり通っている、アジア・ヨーロッパで人種を分ける考え方って実はすごく恣意的で不自然。
見た目で言うなら中央〜西ユーラシア=白人、東ユーラシア=黄色人種、アフリカ=黒人という区分が一目瞭然なのに
巷に広まっている余計な考え方のせいでバイアスがかかってしまい、目が曇ってしまう。
コーケージアンのなかでも特に色白なのが白人と呼ばれる んじゃないの? いずれにしても白人は社会的な概念だな。
>色が褐色なら白人じゃないというならイタリア人やスペイン人のような >地中海人種は白人じゃないということになる。 こんなのヨーロッパじゃ当たり前のように言われてるっつのバカか?
>>533-534 そうじゃない、そうじゃない。
匈奴の中核部族はコーカソイドでも、単于のみは代々漢帝国から后を入れてきたから
混血がすすんでモンゴロイド顔になっていた。
551 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 14:19:19 0
漢が皇女を閼氏としてたにしては、単于が漢を親族と見なしている 感じが希薄じゃないか? 漢の閼氏の生んだ子は単于になってない気もするなあ。 たとえば軍臣とかが漢室の血を引いてるとはどうしても思えない。 実際、単于の子を生んだと明記されてるのは王昭君くらいじゃないか? しかも王昭君の子は単于候補と見なされていない。
でも単于の本家は劉氏を称するようになってるし そもそも母が判明してる単于の方が少ないんだから 非漢人の母と漢人の母とどっちが多いともいえないんじゃないか? とすれば、情況からいって漢人の母から生まれた方が多そうだ という予測の方が妥当じゃないかな?
553 :
537 :2005/05/31(火) 17:16:21 0
>>549 揶揄が目的の場合に一部言われてようが、
ちゃんとした場でイタリア人、スペイン人が白人じゃないというような認識は浸透してるか?
おバカさんはお前。
スレ違いの妄想垂れ流すバカ数字コテがうざすぎるな…
555 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 17:29:00 0
匈奴が劉氏を称したのは漢が亡んでからじゃないか?
557 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 06:01:12 0
558 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 00:44:04 0
赤いフン族といのもあるらしいが。
>>555 後漢末期の三国志の時代、既に一部の匈奴は劉氏を名乗ってた。
劉豹なんか有名なほうじゃないか?
既に高祖の時代から400年、血筋なんてさっぱりわからなくなっていたんだろう。
まぁまぁ537は知ったかな知識で いかにも分かってる風を装ってるボンクラ荒らしだから 構わない方が良いさ いずれ勝手に勝利宣言でもほざいて消えるだろうからさ
>>558 いわゆるフン族のことが赤フンで、エフタルが白フン。
562 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 12:38:02 0
>>559 それは三国時代の話じゃないか?
後漢時代から名乗っていたというソースは?
>>502 漏れは
>>559 じゃないが、後漢末期、鮮卑だか匈奴だかの劉豹(だっけ?)が
将軍位を賜り、なんていう記事を図書館で見たことがある。
漢魏禅譲のときに「劉豹」がその儀式に参列しているって記事は有るな。 でもそれと実際にこの時「劉豹」って名乗っていたかは別問題だけど
細かい時期ってそんなに問題ではないような。
つか、なんで劉氏を匈奴が名乗るようになったか、ということだ。 彼らと漢の皇帝家をつなぐ最も太い綱が前漢諸帝の匈奴入后だろう。 ということは「自分たちは漢の外戚」という意識が漢代を通じて匈奴には存在したことになる。
附馬家は外戚じゃないでしょ
568 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 01:07:51 0
考えられるとしたら三つくらいかな。 1.216年に呼廚泉単于がギョウを訪れてそのまま留められた際に 中国風の姓を名乗った。 2.220年に後漢が滅びた際にその後を継ぐつもりで名乗った。 3.魏の時代にいつか分からないが名乗った。 曹丕受禅の時に来たのは呼廚泉じゃないか? 魏書に「更授匈奴南單于呼廚泉魏璽綬」とあるぞ。
実は単于を継承できる本家の一族(コーカソイド?)と、 漢人女から生まれた劉氏一族(モンゴロイド?)の二つの系統があった。 とか???
>>569 すでに後漢当時、匈奴においてコーカソイドとモンゴロイドの人種的な垣根があったとは思えないが。
先祖がコーカソイドでも、モンゴロイド化していってると思う。
ニガー区別のような人種による区別は非常に有益だが、こと五個十六国時代の匈奴鮮卑に関する問題においては
バカのたわごとに過ぎないよ。
それとも本当のバカなのか?
とにかく「純粋コーカソイドが日本の近くにいて、それが日本に来た。 俺がその子孫」て言いたくて言いたくて仕方ないみたいだね。
なるほど。
ということは、
>>569 はハゲやすい髪の毛にむさくるしい髭、きつい体臭に歪な顔立ち、
すぐに脂肪の溜まる哀れな体を抱えているわけか。
コーカソイドっつっても、フルシチョフかチャーチルみたいな体だったりしてな。w
573 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 02:54:54 0
晋書に冉閔が匈奴・羯人を皆殺しにした際の 「于時高鼻多鬚至有濫死者半.」という記述がある。 これによるならば、匈奴はコーカソイド的特徴を具えた 物が多かったという事になるな。
574 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 20:04:25 0
あまり民族的特徴に関する記述は当てにならないのでは? ヨーロッパでのフン族の特徴にかんする記述も当てにならない感じだし。
575 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 05:27:58 0
フン族はモンゴロイドが中核です。
素人の質問です。 現在の学説では、フン族の中核をなす人々(南ロシアのイラン系遊牧民やゲルマン人 と交わる以前の、バイカル湖付近を原住地とする人々)は何語族だったと考えられて いるんですか?トルコ語?モンゴル語?それとも>573氏の話から印欧語? あと、アヴァール人はモンゴル系と教わりましたが、この根拠はなんだったんでしょうか?
>>576 さん
現在もハンガリーはウラル語族なんで、エストニアやフィンランドと同系統ね。
ただし、大きな枠組みでは日本やトルコやモンゴルや韓国と同じ系統になるの。
文法の特徴とかあるけど、うまく説明する自信ないから詳細は別の板で質問してね。
あと、アヴァール族の埋葬された骨の特徴からモンゴル系ではないかとされてるよ。
アゴが割れてればゲルマン系とか、わかる人にはわかるんだってさ。
もしも言語と人種が関係あるなら、南米の人はローマ人の末裔ということになるな。
>>578 さん
語族と民族系統が一致しないのは確かだよね。
580 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 22:14:12 0
時間がたつほど歴史的いきさつとか とくに言語や宗教なんてものは政治力学と関連が深いですし
581 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 22:14:36 0
時間がたつほど歴史的いきさつとか影響してくるからな
ウラル語族とアルタイ語族の話は興味深いね。 語族と人種の関係は関係ありそうだけど難しい ね。コーカソイドと印欧語族の分布も重なってる ように思えるけど、実際のところどうなんだろう。
583 :
576 :2005/06/05(日) 00:33:44 0
>577 返答ありがとうございます。 アヴァール人がモンゴル系というのは、、骨格の特徴から判断されたものだったのですね。 あと、恐縮なんですが >現在もハンガリーはウラル語族なんで、エストニアやフィンランドと同系統ね。 >ただし、大きな枠組みでは日本やトルコやモンゴルや韓国と同じ系統になるの。 >文法の特徴とかあるけど、うまく説明する自信ないから詳細は別の板で質問してね。 この部分の説明はフン族とマジャール人を混同していませんか? あとウラル語族が日本やトルコやモンゴルや韓国と同じ系統と言うのも賛同しかねます。 ウラル・アルタイ語族という括りは確か否定されたはずですし、アルタイ語族の方も モンゴル語・トルコ語・ツングース語などの言語が、この語族を構成するには共通性が低い ということからアルタイ諸語と呼ばれる、もしくはアルタイ諸語という括りそのものが無効だ と言う説に現在はなっている、と聞いたことがありますので。
584 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 05:49:13 0
アヴァール王のパヤンはモンゴル語で「富める人」という意味だそうだ。 言葉もモンゴル系の言葉を使っていた模様。
585 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 07:03:18 0
白鳥庫吉なんかは匈奴の言葉をトルコ語で解釈してるよな。 もう何が何だか・・・
586 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 08:08:45 0
もしも言語と人種が関係あるなら、南米の人はローマ人の末裔ということになるな。 そうだよ、みんなラテン民族と自己紹介するよ。 なかには、ペレの次に有名なロマリオという名前をつけるひともいる。 (かれは、ペレと同様 ムラートだが)
人の交流が多い土地だし、語族よりも言語連合のほうが、いろいろ説明つくんじゃね?
590 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 21:56:27 0
591 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 11:39:30 0
アヴァール族 6世紀〜8世紀、東欧を支配した東アジア系遊牧民族。 コーカサスを越えてビザンツ帝国東辺に進出し、 ユスティニアヌスI世にパンノニア平原(ハンガリー)の支配権と歳貢を認めさせた。 バイアノス汗はドナウを中心に黒海やドイツ方面にまで達する遊牧国家を樹立し、 しばしばビザンツ領にも入寇して626年にはコンスタンティノープルも包囲したが、 これはボスポラス艦隊に撃退された。 790年にカール大帝に大破され、次いでピピン帝に壊滅的打撃を与えられ、 多くはフランクの支配下に入ってキリスト教徒となり、やがて同化された。 ビザンツ史料では柔然の後裔であることが示唆されているが、少なくとも近縁民族であったことは、 遺物・人骨・習俗・人名・官職名や、古代ロシア口碑へのアルタイ語要素の導入などから証明される。
柔然の末裔が、今ではあんな完全な白人民族だからなあ。 歴史は不思議なものだ。
>>592 コーカソイドとの混血で同化したんだろうな。
名残は言語くらいしか残ってないけど。
594 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 21:17:51 0
ハンガリー人はあんまりアヴァール族のことは誇りに思っていないな。 やっぱりフン族が一番なのだろう。
というより、その後アヴァールを退治したオットーの後裔とも言える 神聖ローマ帝国の後身オーストリアと連合帝国を築いた歴史からだろう。
596 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 23:42:10 0
現在のモンゴル人にほとんどコーカソイド系の 特徴が見れないのは何でやねん。
597 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 23:45:40 0
>>596 中国人等と混血した結果では。
要するに西にいった遊牧民も東にいった遊牧民も大多数を閉める定住民との混血のため
人種的特長は、その地域の原住民に同化するってことかな。
599 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 10:31:28 0
匈奴にトルコ系の血が流れてたなら、必ずどこかに痕跡が あると思うんだがなあ・・・ 中国人をモンゴロイドって呼ぶのってちょっとおかしいよね。 圧倒的に中国人の方が多数じゃん。
600 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 13:16:21 0
現在のウイグル自治区のオアシス都市からは白系人種のミイラが出ているから 中国の近くにコーカソイドの部族がいてもおかしくはないな。
601 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 13:52:57 0
遼東半島の遺跡には白チンの骨が多数みつかるそうだ・・
602 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 14:00:49 0
でも、中欧のフン族の墓から出土する骨はモンゴロイド。
603 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 14:02:42 0
始皇帝は白人。
>>600 以前TVで見たけど、ウイグル自治区の原住民って完全なコーカソイドだったよ。
彼らはなんで大移動すんの?
606 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 21:29:13 0
騎馬民族だからよ。
607 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 21:47:26 0
食糧不足、気候の変化。
>>600 嘘かほんとか、遥かマケドニアの遠征軍がバクトリアにいたり、その国も滅んで
言葉も宗教も忘れて中国に流れてきたという話もあるね。
610 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 21:06:34 0
フン族と匈奴と同一でないという観点の本「アッチラとフン族」ではバイカル湖 周辺にいた民族がシベリアの森林を通り抜け、ウラル方面に到着。その間に色々 な部族と融合したフン族になったという説を唱えている。 一方、フン族と匈奴と同一という説は北匈奴が漢との抗争に敗れた後、西遷して その後アランや東ゴートと交戦という説。 どちらが信憑性があるだろうか?
611 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 21:12:00 0
ここだけの話だから誰にも言うなよ。 ロードオブザ○ングのオークはフン族の襲撃がモデル。
612 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 21:53:24 0
匈奴はやっぱり当時の中国人はキョウドと読んでいたんでしょ? 違うのか?
郷土料理とか言ってみたりして
Khung-naでは? 当時ってよくわからんけど
>>610 直接の子孫、つまり匈奴がそのままフンと呼ばれたわけではないだろう。
折れた旗、敗残の部族にそこまでの統率力を期待するのは無理だと思う。
家族、あるいは少数部族単位で中央アジアのさまざまな部族に溶け込んでいき
その中から一つの王家に率いられた部族が周辺を糾合して西進したのでは?
あるいはその王家が、自分たちを匈奴の王の子孫、と称していたかは定かではないが。
616 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 08:13:58 0
誰か匈奴の年代別変遷が解る人いる?
48 南北分裂 91 竇憲に敗れてイリ地区へ敗走 107 来た郷土が西域を支配 158頃 東トルキスタンを放棄して皇居方面へ 280頃 康居北部を征服 350頃 アラン国王を殺して国を奪う 375 ドン河流域を侵略 406頃 パンノニア平原を本拠地に 434 ヨーロッパを席巻 453 大西洋に集団自殺
618 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 09:29:18 0
>>617 280〜350年の70年間をどう暮らしていたかだな。
70年間大人しくしていたのは何故だろうか。
この年表見るとフン族と匈奴は同一に思えてくるな。
>>615 北匈奴の敗走からフンの出現まで相当の年月が流れてるから
「敗残の部族云々」という気分はないんじゃないの?
そんなこといったら耶律大石も敗残勢力なわけだがあまり意味ないね。
>>617 おまwwwwwwwwwwwwww漢字無茶苦茶wwwwwwwwwハゲワロスwwwwwwwwwww
つか最後の一行が笑える中にも悲哀を感じるな。
>>618 国としての発展期、あるいは内乱になんだかんだで一つところに安定していただけでは、と思ったりする。
>>619 言い方が悪かったようならスマソ。フン族=北匈奴の末裔だとして、フン族に「自分たちは中国から追い出された負け犬」という意識があったわけではない、と思う。
そうではなく、人種的には連続していても国家的には連続していなかったんじゃないか、とか
つまり北匈奴の汗という地位と北匈奴としての部族統一性は敗北によってある程度下落し、
いったん空中分解した「北匈奴」を再編成、統合したものが後にフンといわれたんじゃないか、とか思ってしまったわけだ。
浅知恵でスマソ。
621 :
世界@名無史さん :2005/06/10(金) 16:57:10 0
大西洋に集団自殺って史実?ネタ?
622 :
617 :2005/06/10(金) 19:48:17 0
>>621 ネタです。
レミングスかよ!という反応を期待してましたorz
もれは単純に「北匈奴→悦般→エフタル」と移動・拡大 しながら名前かわっただけだと思いたい。その方が萌える。
624 :
世界@名無史さん :2005/06/12(日) 05:46:32 0
フン族の言語情報が分からないと何とも言えないよ。
625 :
世界@名無史さん :2005/06/12(日) 14:13:23 0
フン族と匈奴はよく似た軍事組織だそうだ。 東アジアで出身の遊牧民なら似ていて当然だとは思うが。フン族と匈奴が同一 かは別にしても、関わり合いがあることは確かなようだ。匈奴が強盛だった時 には配下の一部族だったのかもしれない。
> フン族と匈奴はよく似た軍事組織だそうだ。 遊牧民にとっては、社会を組織化しようとすれば「土地」ではなく「人」を単位とするしかないわけで、 組織のあり方が似るのは必然ではなかろうか。と素人の浅知恵を述べてみる。
軍制が似てるのは確かに。 しかし言うほど酷似してたっけ? ソースをご存知なら教えてくれるとうれしい。
628 :
世界@名無史さん :2005/06/13(月) 20:54:44 0
>>627 「アッチラとフン族」という本にそのことが書かれていたな。
フン族と匈奴が似ているのもさることながら、モンゴル高原周辺で活躍した
遊牧民の軍制と似ているいというニュアンスだったな。
629 :
世界@名無史さん :2005/06/14(火) 00:03:10 0
軍制よりも諸侯王の制度とかで見た方がよくね? 左右賢王・日逐王・骨都侯とかそういうのに相当する位が フン族にあるのか?
630 :
世界@名無史さん :2005/06/14(火) 05:48:41 0
フン族は普段は統一の王はいなかったらしい。 大移動とかフン族全体で戦争を行う時には統一の王を選ぶというシステムだ そうだ。アッティラ大王はフン族では特異な存在だといえる。
33 :世界@名無史さん :04/12/11 23:59:22
>>32 ハンガリー語では、フン族は、hunok という。
匈奴は、当時の中国語の発音だと、HyungNag 程度の発音
フンナグとか、ヒュングナグ程度かな
だろうから、まあ、同じ語彙だろうな。
オノグルというのが、hunok と無関係かどうかはしらないが。
632 :
世界@名無史さん :2005/06/15(水) 20:54:23 0
フン族と匈奴が同一であると主張する理由 @ 族名の類似 A 民族性の一致 B 匈奴の西遷の時期・経路とフンのヨーロッパ出現の時期・経路の一致 C 共にアルタイ語の使用 D フンの侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入された E 考古学的に匈奴のヨーロッパ西移があとづけられたこと F 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記されていたこと 以上がフン族と匈奴の同一だという根拠だそうだ。
633 :
世界@名無史さん :2005/06/15(水) 22:00:16 0
>>631 それ何の根拠があって当時の音を特定してんの?
漢字古今音表によると、xiwongnaみたいな。
>F 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記されていたこと これって?差し支えなくば教えてくれぬか。 魏書ってことは南北朝の魏だろうが 「匈奴」という部族について書かれてるだけなんじゃないの?
>>631 フンがヨーロッパに来た時にはまだハンガリー語の話者はそこにいなかったので
ハンガリー語とくらべるのは無意味です。
ハンガリー語の資料は十六世紀ごろ以降のものしかありません。
あとたぶんその語はほかの西洋語からの近代の借用して複数接尾辞の「-ok」を
つけただけです。
「オノグル」はチュルク語の「on(10)」+「ogur」からできています。ogurの意味は
「oq(矢)」の集合名詞形と言われています(これには反対する説もあります)。
フンとはたぶん関係ないでしょう。
>>632 3.
>>617 を見るとわかるように、匈奴が西に移ってからフンがあらわれるまでには
けっこう時間がたっています。これを「一致」と言えるかどうか。
4. フンの言語には資料がありません。匈奴の言語といわれるものは、漢字で書か
れた四語からなる文がひとつだけ残っています。これを「共にアルタイ語」と言う
のは難しいです。
5. フンの侵入期にはまだロシア語は存在しません。ロシア語中のチュルク語要素
は、その大部分がずっとあとのタタールのくびきの時代にはいったものです。
637 :
世界@名無史さん :2005/06/16(木) 03:41:00 0
>>635 227 :世界@名無史さん :05/01/29 15:24:07 0
匈奴自体は紀元前1世紀に東西に分裂し、西匈奴は漢と同盟した東匈奴によって撃破された。
残った東匈奴も紀元後1世紀に内紛で南北に分裂したが、
匈奴王家の攣醍(虚連題)氏は漢室と姻戚関係を保ち、漢王朝滅亡後も華北では支配的な地位を保ち続けた。
西晋を倒した劉淵はこの南匈奴王家の当主で、後漢や魏、西晋が、鮮卑や烏垣、烏孫といった東方、西方の諸族に対抗できたのは、
匈奴王家の強力なバックアップのおかげだった。
三国時代の主戦場が中原なのは、漢室と姻戚を結びつづけた南匈奴王国が北方領域を支配していたからだった。
東方では匈奴の王家は4世紀まで命脈を保ったが、
西方では当時、ソグド人の大宛(フェルガーナ)、康居(ホラズム周辺の遊牧勢力および都市国家)、
さらにキプチャク草原のアラン(奄蔡、阿蘭)、サルマートがいた。
南匈奴が西方へいきなり進出するのはかなり無理があるが、
『魏書』列伝第九十西域条に、匈奴王忽倪が奄蔡国王を殺して国を奪った。という件がある。
これが350年頃とらしいのだが、この匈奴は北匈奴とみる説がある。
粟特國,〜〜,古之奄蔡,〜〜。先是,匈奴殺其王而有其國,至王忽倪已三世矣。 ス般國,〜〜。其先,匈奴北單于之■■也。 魏書ではなく北史ですな。
639 :
世界@名無史さん :2005/06/16(木) 10:55:30 0
>>632 なんか納得いかない理由が多いなぁ
@はまあいいとして
Aは遊牧民族であるという以外に当時の民族性なんてものを把握できるのかな?
Bについて時期はまるで一致してないし
Cアルタイ語にしてもフン族の言語については殆どわかってないのが現状のはず。
Dのロシア語になると殆ど信憑性が無いような気がする。スラブ系言語は最も記録が早い
教会スラブ語でさえ記録が現れるのは9世紀以後で、「フン族の侵入期に当時形成されていたか
どうかもわからないロシア語にアルタイ語が輸入された」事がどうしてわかるのだろう。
E考古学的に裏づけられるような発見のニュースを聞いた事が無い。一体どのようにして
ある遺跡が「匈奴」の遺跡であり「フン」の遺跡である事を特定したのだろう?
遊牧民の遺跡と言うのは墓以外発見されない上に類似性が高く種族の特定が困難な物なはずなのだが。
Fも、ある集団の名前が他の集団に対しても使用される例が数多く(グティ、フン、フランク、キタイ等)
根拠としては弱いと思われ。
結局、族名の類似から想像の翼が広がっているようにしか思えないなぁ
言われまくりだな。
>>632 氏は(言えるものならば)納得の逝く補足説明を希望する。
Eについては、『匈奴』沢田勲 東方書店のなかに、 ・ユーラシア内陸部に広く分布する匈奴式銅鍑がパンノニア平原にも分布する ・研究は緒に就いたばかり ・今後の研究の進展を期待したい などと書かれている。決定的な決め手に欠けると結論している。 論文見つからね。 Fは638に書いたように、来た郷土なら北單于と書かれているはず。 論文探したが、50年前の議論だったらしく、論文見れね。
642 :
世界@名無史さん :2005/06/16(木) 13:33:01 0
>>638 ■■は表示できない字かと思えば部落じゃねえか・・・
変な書き方するな。
643 :
世界@名無史さん :2005/06/16(木) 20:09:22 0
ヨーロッパでフン族の存在が確認されたのは、紀元75年頃出筆されたプリニウス の書物にChuniという型で現れているそうだ。
644 :
世界@名無史さん :2005/06/16(木) 20:46:30 0
その辺を詳しく。
645 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 02:37:24 0
>>643 それがフン族なら匈奴と同一かもしれないな。
グレゴリウスという人の書いたものにChuniというのがでてくる。 Chuniはパンノニアから出てきたとか、Chuniの王Attelaとか書いてある。 グレゴリウスはアッティラの100年ぐらい後の人。 プリニウスのほうでは、まだChuniは見つけられない。
647 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 09:49:50 0
ディオニュシオス・ペリエゲテスの紀元160年頃の作品にも出てくるそうだ。
648 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 11:08:45 0
ラテン語文献では主にHunni(フンニー)の形で出てくる事が多い。
649 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 11:15:41 0
前のほうでモンゴロイドがどうとか書いているけど、 黄色人種という意味で統一してほしい。
651 :
世界@名無史さん :2005/06/18(土) 00:30:52 0
丁零については無視ですか?
652 :
世界@名無史さん :2005/06/18(土) 05:40:00 0
653 :
世界@名無史さん :2005/06/18(土) 16:31:15 0
歴史地図を見ると、匈奴の西北に位置してる。
>>632 名前の類似や出現の時期も一致ってwwwwww
義経=チンギス説並のオカルト
義経とチンギスが同一であると主張する理由 @ 名前の類似 ジンギス ゲンギケイ モンゴル語ではGJやKSの区別がない A 義経が生まれたのは、西暦1159年(平治元年)。 ジンギスカンの生まれた年に関しては書かれた文書は見つかっていない。 しかし、死んだ年が西暦1227年ということは複数の書物で一致している。 そのときの年齢は72歳という書物と66歳という書物がある(数え年)。 これから逆算すると、1162年あるいは1156年となる。つまり、義経とジンギスカンは同年代と言える。 B 義経が義経が衣川から脱出した時期と史実(回顧的伝承除く)にチンギスが現れる時期の一致 C 共に日本独自の長弓の使用 D マルコポーロの東方見聞録によるとフビライの大汗宮殿の風俗・習慣は 日本の皇室のものと一致していた。(シーボルトが書いている) E 大英博物館にあるジンギスカンの像には笹リンドウははっきり書かれている。 また、平泉の中尊寺に伝わる兜とよろいを着けた義経像もよろいに、はっきりと笹リンドウは書かれているよ。 F ジンギスカンが創らせたモンゴル文字には、不思議なことに日本のカナ文字が4字入り、日本語と同じ50音順で構成されている。 ジンギスカンは日本語を知っていたのか? 「ジンギスカン、源義経説」を立証する新発掘の真実。 以上が義経とチンギスの同一だという根拠だそうだ。wwwwww
656 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 00:50:58 0
ホエルン=常磐なんですか?
このスレだめだわw
659 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 06:21:38 0
>>632 はオカルトとは全く関係が無いだろう。
フン族と匈奴の同一説の根拠はそんな程度のものだろうし。
決め手がないからいまだ論争しているわけで。
660 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 07:01:32 0
つか、フン族について分からな過ぎ。
考古学の論文は何語で出てるの?
663 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 16:21:28 0
>>632 の話しは「アッチラとフン族」という本の4Pに出ていたな。
ただ具体的な検証は出ていない。日本でフン族=匈奴の説を主張する人達
の論拠とのことだった。日本ではフン族=匈奴の説が有力とのことだった。
ただ、「アッチラとフン族」という本の作者はフン族=匈奴の説には否定的
だった。バイカル湖周辺からシベリアの森林地帯を通り抜け、ウラルステッ
プ地帯に到達した民族で、途中接触した民族と融合・合体してフン族になっ
たと主張したいた。だが、バイカル湖周辺から来たという論拠は何も触れら
れていない。
フン族と匈奴は同一説 義経とチンギスハンは同一説 蘇我満智と木満致は同一説 日ユ同祖説 時期が同じ、似ているで同一を論じているトンデモ学説
666 :
世界@名無史さん :2005/06/22(水) 19:29:36 0
ところでフン族と匈奴は同一の可能性は低いの?
突厥とセルジュクトルコのようにある程度の連続性はあるかもしれない。 しかし、匈奴の単ウがフンの大王の前身であり、フン族がヨーロッパに移行して猶ほ 匈奴の言葉を話し、匈奴の文字を使い、自らを匈奴であり王は漢の縁戚であるという意識を持っていたかは まったく不明。
668 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 16:48:12 0
>>666 モンゴル帝国とムガール帝国程度の関連性連続性もない
>>664 の同一性と同じで悪魔の証明
フンや匈奴じゃないんですけど、北方遊牧民でスキタイとソグドと契丹が同じだと聞いたことがあるんですが。 詳しく知っている方、いませんか?
670 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 20:14:17 0
ギリシア・ローマの古典に東方にフンニという民族がいると あるのが根拠だそうだ。
>スキタイとソグドと契丹 たぶん三つとも関係ない。とくに契丹は方向ちがい。 >ギリシア・ローマの古典 ギリシア・ローマといってもいろいろあるが…… 上に書かれているプリニウス(どこに書いてあるのか見つけられず)や ディオニュシウス・ペリエゲテス(これはネットで出典をみつけたが、 紀元前の突厥文字とかを載せているトンデモサイトだったので信用できず) のこと? そんな古いものに書かれているならば、匈奴が西遷する前にヨーロッパ人 に認識できるほどの西方にフンがいたことになるから、両者が関係ないこ との根拠になるだろう。
まモンゴロイドはきずいてないかもしれないが 眉部分が隆起していて前頭葉が後退しているネアンデルタール人顔 なのはモンゴロイドなんだけどな。 白人は目がくぼんでるだけで前頭葉はしっかりしてていかにも頭のよさそうな 形してるよ。 白人>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>絶壁で額が後退気味の猿顔モンゴロイド
フィンランド=フン族の土地(ゲルマン系言語バージョン ハンガリー=フン族の土地(ラテン系言語バージョン つーことでOKですか?
>596 モンゴルとかシベリアとか北極近辺がモンゴル人の発祥の地だから。 モンゴル今でも極寒の地だよ。 モンゴル人はかなり薄着でも平気だけどロシア人は同じ服装をしていたら 凍傷で高い鼻がもげる。
>611 フン族=オーク=豚=醜いから悪魔死ね ってこと。モンゴル人90%以上の某民族が隣にいるだろ。 あいつらだよ。そりゃ日本人でも死ねと思うんだから 白人にとっては悪魔や鬼にみえたんだろ。
テーフンミングック
なんだ? 突然基地外が湧いて出てきたな…
>>673 フィン(Fin-)とフン(Hun)では「n」しかあってませんが?
フィンランド人がいつやってきたのかは不明ですが、フンと接触があったという
話は聞いたことがありません。
ハンガリーの名は
>>636 にあるブルガール語の「オノグル」に由来します。これも
フンとは関係ありません。
>>671 E.A.トンプソンの『フン族』という一般向け概説書には、ディオニュシオス・ペリエゲテスの
本に「Ουννοι」 とあるのがフン族のことであるのではないかといわれたことがあるが、
これはもともと「Ουιτιοι」と書いてあったのが写しまちがえられたものであること
がわかっているそうです。また同書の「Phrounoi」をフン族とする説もかつてあったが、現在
この説は論破されている、ともあります(概説書なのでくわしいことまではわかりませんが)。
トンプソンによると、プトレマイオスの「Χουνοι」はフン族とかんがえられなくもない
が、2世紀初頭にすでに黒海沿岸にいたのであれば、その後二百年もの間ローマ人が気づかな
かったというのは不自然なので、かなりうたがわしい、としています。
プリニウスについては言及がありません。
高句麗の騎馬弓兵の絵をソースにしてフン族はウリミンジョク!という捏造が昔あったが >675はたぶんそれを見て本気にしたのか。 というかあの映画のオークの軍勢はむしろローマ軍に近いよ。 歩兵ばっかだしヴェクシルムみたいな旗もってる奴いたしょ?
681 :
世界@名無史さん :2005/06/27(月) 01:52:54 0
匈奴は蒲類海から秦海までの西域を制覇していたんだ。 シルクロードを通る商人がギリシア・ローマに情報を 伝えたのは十分あり得る。
オークの語源になった邪神オーカスって ローマの出自だったよな。
もともとはハーデス、つまりギリシアにもたらされた神。 ただ、ギリシア自体当時のオリエント・環地中海世界の神々のごたまぜだったようで。 アテナがリビアの神であったというのは結構有名だが、ハーデスは何だったかな。 ちなみに指輪物語のオークの語源は『ベイオウルフ』に出てくる怪物オーク・ナス。
684 :
世界@名無史さん :2005/06/28(火) 05:47:18 0
北匈奴が西方へ移動したのと、プリニウスの書物出てくるフン族らしき民族 とは年代的に同時期なので、これがフン族と匈奴同一説の一つの根拠なのだ ろう。信憑性は解らないけどね。 中国側の資料でアランを滅ぼしたのがという認識をしていたのも注目だろう。 中国は全ての遊牧民を匈奴と呼んでいたわけではない。アランみたいなかなり 西方の連中まで認識している。中国側でも西方での匈奴動静を把握していたと しても不思議はない。色々な部族がある中で、アランを滅ぼしたのは匈奴と記 載しているのは匈奴の動きを掴んでいたからかもしれない。フン族がアランを 滅ぼしたのはほぼ確実。全ての資料が疑わしいとは言えないだろう。そうした ら歴史なんて全て疑わしい。確かに疑わしいものは多いのも事実なのだが。
686 :
世界@名無史さん :2005/06/28(火) 20:41:31 0
フン族が1〜2世紀には中央アジアには存在したが、それまでは目立った活動 をしていない。それが4世紀中頃突如として凶暴化。アラン族を攻撃、370 年頃に東ゴート攻撃。有能な王が登場が考えるがハッキリしない。アッティラ 以外で比較的有名なのは、アッティラの伯父で先代の王ルアスと東ゴート攻撃 時のバラミールくらいか。3世紀中頃の凶暴化からアッティラ死去までは丁度 100年位。5〜6代くらい有能な王が続いたのだろうか?
>>686 まあ、そういうことだろうな。
初代の有能な大王のブレーンが上手く次代に伝えたとも思えるが。
688 :
世界@名無史さん :2005/06/29(水) 12:37:33 0
家畜が病気で大量死したとか、凶暴になるきっかけがあったんじゃないか?
689 :
世界@名無史さん :2005/06/29(水) 20:10:35 0
アラン族、ゴート族は結構勇猛でローマに知られていた民族。 そいつらが逃げ出すくらいフン族の凶暴化が凄かったということだろうか。 ある程度隣接していたのなら、戦法や軍制なんかもある程度は知っていた はず。それが何故全く敵わなかったのだろうか。
690 :
世界@名無史さん :2005/06/29(水) 20:54:32 0
火力の支援がなければ、歩兵は騎兵には勝てない。
691 :
世界@名無史さん :2005/06/30(木) 01:09:57 0
>>688 確かにあり得るな。
生活苦による凶暴化と略奪経済。
>>691 気候変動。
武器の進歩、弓の弦にxxを塗ると飛距離が1.3倍になったとか。
あるいは最初の大王がよい組織というか体制を残した。
693 :
世界@名無史さん :2005/06/30(木) 19:30:25 0
フン族は動物の骨を鏃に使ったなんて話しがあるから、格段に武器が優れていた とは思えない。射程に長い大型の反曲弓、投げ縄なんかを使用して戦ったらしい。 馬術はかなり優れていたのは間違いないが。
フン大王=単于とみていいわけ?ポジション的に。
695 :
世界@名無史さん :2005/07/01(金) 00:58:34 0
白鳥庫吉はハンガリー語を話せたらしいが、やはりフン族研究のために 習得していたのであろうか?
【少女監禁】「"泰剛ちゃん許してあげて"と母親が」 エロゲー1000本押収の"王子様"、同級生が当時を語る
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1116067859/ 【12歳少女わいせつ事件】の犯人 在チョソ牧師パウロ永田(本名:金保) に続いて
【18歳少女監禁事件】の犯人 小林泰剛(旧姓:木村泰剛) やっぱりコイツも 在チョソのレイパー でした。
少女を複数監禁して「ご主人様」と呼ばせていた小林泰剛容疑者、
中学時代の卒業文集で日本人と天皇を批判!!
. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「戦争の元を作ったのは、やはり、日本の人々や天皇だと思います。」 と書いている
同じ文集で、将来の日本について、「他国に乗っ取られている」とコメント
各所で在チョソ工作員が擁護しようと自演中
奴らの自演キーワードは 被害者非難 イケメン 抱かれたい エロゲーオタ氏ね です。
697 :
世界@名無史さん :2005/07/04(月) 06:14:19 0
フン族は普段は部族ごとに行動しているが、移動・戦争など重要な時に 統一の王を選んだらしい。
698 :
世界@名無史さん :2005/07/04(月) 06:35:23 0
全然匈奴っぽくないじゃん・・・
699 :
世界@名無史さん :2005/07/04(月) 15:38:07 0
>>693 フン族の弓はビザンツ帝国の歩兵の装備に採用されたらしい。
「スキタイ弓」と呼ばれてた。
700 :
世界@名無史さん :2005/07/05(火) 09:31:05 0
フン族はそもそもモンゴロイドなのか?
特定の支配部族がいないなら人種とかって意味なくね?
702 :
世界@名無史さん :2005/07/05(火) 18:44:25 0
>>700 「アッチラとフン族」という本によると、中欧で発見されたフン族の墓からは
主にモンゴロイドの骨が出土したそうだ。
703 :
世界@名無史さん :2005/07/05(火) 23:43:33 0
まあ、モンゴロイドである以上、東から北のは疑いないわな。
匈牙利(ハンガリー)
705 :
世界@名無史さん :2005/07/07(木) 09:55:08 0
>>703 問題は匈奴と関係があるのかということだな。
706 :
世界@名無史さん :2005/07/08(金) 19:44:19 0
モンゴロイドと言いましても色々でありまして。
707 :
世界@名無史さん :2005/07/08(金) 23:05:05 0
何だよ。アラル海以西にも土着のモンゴロイドがいたっての?
708 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 04:57:01 0
ところで匈奴はモンゴロイドなの?
このスレ同じ話題の繰り返し+人種厨の妄想ばっかり
馬鹿にしか見えない繰り返し記号がついてるんだよ
だからって律儀に従わなくても…
712 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 07:59:55 0
714 :
世界@名無史さん :2005/07/10(日) 18:00:18 0
匈奴は韓民族であった可能性が高い。匈奴は騎馬民族で古代韓国の騎馬民族 高句麗と文化風習言語を同じくするからだ。フン族が匈奴と同一ないし、共通 の文化風習言語を持つものであれば、おのずとフン族も韓民族の祖先という ことになる。
715 :
世界@名無史さん :2005/07/10(日) 18:38:52 0
フーン
716 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 00:27:10 0
呼衍王って誰?北単于と同一?
717 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 00:54:47 0
フン族の国ってフィンランドだっけ
>>714 既出の「フン=ハン=韓」説ですな。
ついでにマジャルオルサーグも「韓ガリー」だそうでw
韓(ハン)民族=漢(ハン)民族=フン族=匈奴
720 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 15:54:26 0
シュメール文明もウリナラ起源だそうですから・・・
そういうトンデモ説は日本にだってあるけど それを「一流紙」が堂々と記事にするのがウリナラクォリティw
722 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 19:49:13 0
騎馬民族を先祖に持たない日本人たちの韓国コンプレックスが現れていて非常に興味深い。 天皇家に関しては古代韓国の王朝と言い換えることが出来るので、騎馬民族といって も差し支えないだろうが。ともかく、日本の文化は全て韓国を経由したものか、 韓国独自のものであるかのどちらかだ。韓国の日本に対する影響は文化にとどまらず、 言語にも深い影響を与えている。日本語は韓国語を引用したため、文法が同じである。 このように、古来より日本に深い影響を与え続けてきた韓国人の優秀性に対して 日本人たちは「野蛮な島国」の劣等感を持っているようだ。
723 :
世界@名無史さん :2005/07/13(水) 00:32:06 0
続きは電波板でやれよ。 フンってのは北匈奴とイコールなのかが問題な訳だから韓国の出る幕はない。 ま、丁零・高車・鉄勒など怪しい民族もいるけどな。
朝鮮半島北部はツングース系の血統が混ざってるだろうけど 彼らは騎馬民族と言うより半農半猟民族だからねぇ。 ところで725読んで思ったんだけど チンギスハン=源義経って言うトンデモ説は 日本人としてはなるべく封印したいなぁ。 なんか某国の「○○のは起源は云々」みたいで人のコト言えない。 聞いてて恥ずかしい。 踏切り待ってたら隣のDQNの車が大音量でマカレナかけてるぐらい恥ずかしい。
>716 >246で少し書いたけど「 呼衍」とは匈奴王家である虚連題氏を支えた 匈奴国家内で最貴種の一族の一つ、呼衍氏のこと。その首長を「呼衍王」といった らしい。「単于」は虚連題氏に独占されそれが冒頓単于以来、モンゴル時代の 「チンギス統原理」のように匈奴国家の支配正統性を保証していたとみられている。 しかし、紀元後2世紀、北匈奴ではもはや旧来の虚連題氏を核とした支配体制が 維持できなくなったのか、中核部族であった呼衍氏が虚連題氏になりかわって 北匈奴の支配権を掌握したのではないかと考えられている。 「単于」ではなくて「呼衍『王』」といってるのがミソか。 ただそれ以上のことは・・・
チンギス裔とティムールの関係と似てる?
2ch、それも世界史板で>722みたいなレス付ける人って、どういう思考パターンの持ち主なんだろうか?
728 :
世界@名無史さん :2005/07/13(水) 22:59:53 0
呼衍王と単于が入り交じって出てくるから始末が悪いんだよ。
729 :
世界@名無史さん :2005/07/14(木) 01:20:09 0
ウィキペディアによると、アッティラ王の時代、 「東ゴート族などのゲルマン人一派を従えてパンノニアに本拠を置き ライン川、ドナウ川、カスピ海に渡る巨大な帝国を築き上げた」とあるけど、 この帝国の名前が分からない。誰か、教えてください。
>>725 読めないです、ふりがな please。
呼衍、虚連題、
731 :
世界@名無史さん :2005/07/14(木) 02:55:16 0
>>730 匈奴語が滅びちゃってるんだから、とりあえず日本語音で読んでもさしつかえないのでは。
呼衍→こえん
虚連題→きょれんだい
2世紀頃の古代漢字音での読み方とか、匈奴語の発音(推定)とか
わかる人がいたら応答よろしく。
732 :
世界@名無史さん :2005/07/14(木) 18:17:17 0
アッティランドでそ
734 :
世界@名無史さん :2005/07/14(木) 20:03:07 0
赤フン帝国
>>731 > 匈奴語が滅びちゃってるんだから、とりあえず日本語音で読んでもさしつかえないのでは。
サンキュー
そっか、文字しか残っていないのか、無理いって申し訳なかった。
>>735 ちゃう。中国語表記しか残っていないというべき。
737 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 05:32:59 0
匈奴=フンと主張する人の根拠は何?
>>728 たぶん無力な単于を擁立して呼衍王が取り仕切ってるって構図だろう。
ニーベルンゲンの歌にも出演してしまいました
740 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 17:47:03 0
結局、竇憲に負けても北匈奴はまだまだ元気なんだよな。 その後の記述にも登場するし。 2世紀後半にも北匈奴はかなり西域諸国に影響力を持っていたと思う。 だから、北匈奴が後漢にやられて西方に逃げていってフン族になった 説は微妙。
741 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 20:49:38 0
>>740 確かに後漢にやられたというのはともかく、西遷してフン族になった可能性は
十分あるだろう。中国側の資料でアランを滅ぼしたのは匈奴という記述がある。
フン族がアランを従属させたのは事実なのだから。
742 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 20:56:00 0
匈奴おそるべしだな。南匈奴は結果西晋潰して北方民族の大流入を 招き、北匈奴は民族大移動の原因となってるもんな。
743 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 22:10:07 0
フン族東西で大暴れだね。
744 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 04:30:23 0
フン、フン、フン、鹿のフン
745 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 09:17:52 0
何故あんな馬と弓しかない知能低そうな奴らがそんな大それた事が できたのだろう・・・
そりゃ、他のやつらがもっと低脳だったからだろうよ。
馬と弓両方自由に操れるという時点で「凄まじく」驚異的だったってことだろう。 今のサラブレッド系では背丈は高すぎるが、木曽馬程度でもこれに跨がって 遠くから四方八方から動き回られて弓矢をバンバン射られたり、間近で槍や剣を 常に頭上から振り回されたらかなり恐ろしいと思うが。 あんな何百kgあるかわからない塊が突進してきた日には・・・ 大体、ちと考えただけで徒歩と乗馬とじゃあ機動性も移動距離も格段に違うし。
748 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 09:55:41 0
ケンタウロスもスキタイのような騎馬遊牧民をモデルにして 考え出されたという話があるな。
ケンタールスってどこにチンコついてるんだろ
中脚の間です、後脚の間は女性器がありますので、ふたなりということになります
>>745 とりあえず「ダレイオスのスキタイ遠征」と「カルラエの戦い」について調べてみれば遊牧民の怖さが分かるよ。
ちなみに中世ヨーロッパ人は遊牧民の戦闘スタイルにかなり影響を受けてる。
フン族が去った後の東ローマでは弓騎兵が盛んに用いられた。
西洋中世の「騎士」もサルマタイ人やアラン人の装甲騎兵が原型だといわれている。
752 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 20:09:53 0
>>751 アラン人は重装騎兵だったらしいね。
フン族は軽騎兵の騎射が最大の武器。フン族とアラン族の戦闘はリーグニッツ
のモンゴル軍とドイツ・ポーランド軍の戦闘みたいな感じだったのかな?
753 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 22:58:07 0
馬なんて馬防柵と弩で何とでも対応できそうだが・・・
それは今の視点で考えるからそう思うかも知れんが、 当時には当時の状況があったんだろう。詳しく知らんから何とも言えんけど。
755 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 23:37:04 0
重装騎兵ってのは、騎兵の機動力を自ら犠牲にしてるよね。
756 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 00:05:19 0
エフタルもフンの一部末裔らしい
これは都市でも言えることだが、柵では弓矢が主兵装の相手に守り手が無防備すぎる。 攻め手の集中攻撃で守り手の一角が全滅した場合、最悪柵では簡単に馬で蹴破られるか 人力で引っこ抜かれるかされると、それまでになってしまう。火矢ならばなおさらか。 壁であれば迂回するか乗り越えられるような道なり崩すなりしなければならなくなるので、 こちらのほうが有効だろう。歩兵戦闘でもそうだがやはり防備のためには堀や障壁は必要。 弩は確かに強力だが遊牧民が使うような弓矢にくらべて連射に時間がかかり過ぎるため、 防備が十分なところで使用しないとすぐに射殺されてしまう。守り手はほとんど動けないのに、 馬に乗った遊牧民ような動き回って矢を射ってくる相手を迎撃するのはかなり難しかろう。 包囲戦にでもなって周辺との連絡を断たれるのもまたかなり厳しいが。
>>755 重装騎兵というか、遊牧騎馬民族の戦士で槍とか弓矢以外に刀剣、
戦斧、鎚矛(メイス)、それに重装備の鎖帷子などが必要になるのは、
騎兵同士による近接戦闘・白兵戦のとき。
(近接戦闘になる段階でたいてい矢は撃ち尽くしている)
戦術や戦闘力でほとんど互角の騎兵同士の場合、この際重装備で
求められているものは機動性よりも騎兵戦における最終的な決戦力だと思う。
フーン
760 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 05:52:43 0
>>753 都市とか野戦築城みたいに固定陣地で戦うなら正論。
ただ、戦争は会戦という場合もある。常に堅い陣地に攻めかかってくれるとは
限らない。設楽ヶ原の戦いでは鉄砲に威力のみ注目されるが、馬防柵の前に武
田軍を誘き出す謀略があったはず。しかし、その謀略は明らかではない。
>>760 をいをい、武田騎馬軍団が実在したとでも思っているのか?
762 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 18:05:51 0
フン族ってドナウ以南の城塞都市をけっこう陥落させてるんだよね。
763 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 22:55:34 0
>>761 そうじゃなくて、戦争は必ずしも堅い防御陣地に攻めかかってくれるとは
限らないと言いたいだけのじゃないの?
764 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 18:05:04 0
確かローマ側の資料かなにかにフン族は城塞を攻撃する技術がないと書かれた ものがあったけど、野戦だけであんなに征服できるのかな?
765 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 19:03:09 0
騎馬民族が戦争に強いのは、戦闘に強いからより 機動力が桁違いで、戦力の集中分散が楽だからだろ。 結局、大国でも戦力を各城塞都市に分散せざるえないから。 突然襲い掛かられて、いわゆる各個撃破されてしまうんだろう。
766 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 19:58:24 0
フン族が敵に徹底的な破壊を加えるのは、戦争を遂行するのに障害になるもの は極力排除しようという意志の現れだそうだ。
>>765 そういうことを、分かりやすく納得できるゲームがあるといいね。
768 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 05:59:50 0
歩兵の速度は時速4キロ、二次大戦でのドイツの電撃作戦の機械化部隊の進行速度は時速40キロ。 機動力が速いと、援軍なんかも間に合わない。
フンってハン?
770 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 05:36:00 0
フンはフンでしょう。
フーン
/⌒ヽ ⊂二二二( ^ω^)二⊃ | / ブーン ( ヽノ ノ>ノ 三 レレ
773 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 20:39:44 0
確かに歩兵と騎兵では戦闘力に5倍の差があるな。
774 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 21:01:58 0
楼蘭とフン族、匈奴の関係は? 楼蘭はアーリア系王国だったようだが。
775 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 00:02:08 0
楼蘭:アーリア系 匈奴:トルコorモンゴル系
776 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 00:41:58 0
アーリア系というのは言語上の「印欧語族インド=アーリア語派」のこと? あるいはコーカソイドの意味合いで使ったのか?
777 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 02:07:15 0
コーカソイドでいいよ。
778 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 17:08:21 0
フン族は何系?
ハンガリー人の名前は、「苗字→名前」の順番なのはアジア系 の名残ですか? あと年号の順番も「年、月、日」らしいですね。
>「苗字→名前」、「年、月、日」 それはハンガリー語の文法的というか統語論とか言語学的な問題だと思う(汗
>>780 ええっ! アンタ、カーン位についてんの?
>>779 >苗字→名前」の順番
そういう説明が多いですね。
住所はどうなのだろう、
アジア式に広域地域名→小地域名の順なのでしょうか。
783 :
世界@名無史さん :2005/08/15(月) 01:20:34 0
匈奴には姓はあっても姓+名で呼ばれる事は少なかったんじゃね?
まじですか?Σ(´Д`;)!! 今おならしたとこなのに.∵(´Д⊂)∴
785 :
世界@名無史さん :2005/08/19(金) 14:29:09 0
匈奴とエフタルの関係も謎だな。
786 :
世界@名無史さん :2005/08/19(金) 18:18:56 0
あんまりエフタルは関係ないんじゃない? フン族と匈奴は結構関係ありそうだけど。
787 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 00:08:51 0
エフタルって白フンと呼ばれてるじゃん。
同時期に鉄勒が「赤フン」と呼ばれている 「フン」てのは「東の方の野蛮な連中」と いった程度の呼び名
大月氏は
赤フンって鉄勒だっけ? ローマに攻め込んだアッティラのフン人のことじゃなかったっけ?
赤フンといえば風大左エ門だな
792 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 15:06:59 0
名前を僭称している場合もあるな。 パンノニアにやって来たアヴァールは偽アヴァール。 欧州で幅をきかせるために名前を僭称したという説もある。 本当のアヴァールは既に滅んでいたと。
ハナちゃんとキクちゃんならキクちゃん
>>792 パンノニアに偽アヴァールがくる前に存在した本物のアヴァールって何よ???
795 :
世界@名無史さん :2005/08/21(日) 14:02:12 0
ハザールの仲間のことかな?
796 :
世界@名無史さん :2005/08/21(日) 16:56:15 0
熊のガンマンか?
797 :
世界@名無史さん :2005/08/21(日) 17:27:00 0
798 :
ぴる来る ◆cRinn.D6KE :2005/08/21(日) 18:50:04 0
ハザールでゴザール( ̄▽ ̄) ゴダールで(ry
パンノニアに侵入したアヴァールは柔然。
800 :
世界@名無史さん :2005/08/23(火) 14:31:18 0
匈奴、柔然、モンゴルはヨーロッパでの3大お騒がせ騎馬民族。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/27(土) 14:28:50 0
このスレに「モンゴル高原にもともとコーカソイドがいた」だの、「匈奴の支配層はコ−カソイドだ」と いったり「○○で○○が見つかった」と騒いでいる白人かぶれの人種厨がいるみたいだけど その主張の根拠となるソースを出せよ。それに、そこまできっぱりと「自分の主張が正しい」と 思い込んでいる香具師にぜひ質問したい。 『何年何月何日にどこの国のどこの地域でどこの国のどこの隊が何をどれくらい発見したか』と言う事位は まさか説明できるんだろうな。そしてどこの国にそんな下らない学説を主張している学者がいるんだよ。 そんなに自分の主張が正しいと言うのならウィキペディアの『匈奴』と『フン族』の項目にカキコして 編集して来いよな。どーせすぐにデタラメな情報とみなされて削除されるのがオチだと思うけどなWWWWWWW
803 :
世界@名無史さん :2005/08/27(土) 18:03:10 0
鮮卑も騎馬民族なの?
804 :
世界@名無史さん :2005/08/28(日) 21:04:49 0
805 :
世界@名無史さん :2005/09/03(土) 20:38:01 0
モンゴル帝国がヨーロッパまで攻め入った事を考えると、 匈奴がローマ帝国に攻め込んでも全く不自然じゃないな。 やっぱり狩猟しながら進軍できるってのが驚異の移動距離 を生むんだろうな。
遊牧民の遠征はふつう「馬肥える秋」に行われるんだが アッティラの時代のフン族は季節に関係なくヨーロッパに攻め込んでたので 支配下のゲルマン人歩兵が主力だったのではないかと言われている。
バトゥやフラグの遠征軍が途中で引き返したのは大量の家畜を養う牧草地がなかったからという説もある。 実際モンゴルでもステップ地帯から極端に離れた土地を征服しようとしたのはフビライ・ハーンぐらいだ。
808 :
世界@名無史さん :2005/09/03(土) 20:58:35 0
バトゥって家畜連れてったの? 行軍速度かなり落ちると思うんだけど・・・ ヨーロッパまでどれくらいかかるんだw 羊とかがタクラマカン越えられるんかな?
へたすると女子供まで後方に連れてるよ。 「アウルク」っていうらしいけど。
ヴァイキングの本を読んでたら、 傭兵として、マジャール騎兵部隊が参加していたとある。 7ヘェー
>>808 モンゴルからジュンガル→カザフ→トランスオクシアナって移動するんじゃない?
>>802 専門書のひとつも読んだことないガキは黙ってろ
>>810 それってヴァイキングというよりキエフ・ルーシかも
814 :
世界@名無史さん :2005/09/05(月) 00:46:55 0
匈奴とチンギスハンの頃のモンゴル族って血統的に繋がりあるの?
815 :
世界@名無史さん :2005/09/05(月) 17:58:26 0
>>812 だったらそれを百科事典のウィキペディアに書き込んで編集しろっている言ってんだろ馬鹿ヲタめ。
2chでしか大口を叩き込めないお前のような腰抜けのキモヲタこそ黙ってろ!
>>814 モンゴルの先祖は満州の興安嶺あたりで狩猟民をやってたらしいけど
817 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 :2005/09/05(月) 20:55:05 O
興安嶺というと軍歌「討匪行」を思い出すのは漏れだけ? それはともかく、きょうど(←ケータイゆえ漢字が出ない)はテュルク系説とモンゴル(の先祖)系説があり、謎。 さらにはスキタイと同じようなイラン系説もあるとか。
818 :
世界@名無史さん :2005/09/05(月) 22:05:04 0
ジョーカー久々に発見。 まだ生きていたのかw
どこまで続くぬかるみぞ〜♪
アッティラ
>>815 なんで俺がお前みたいな見ず知らずのガキのためにそこまで
ボランティアしなきゃならねーんだ?
822 :
世界@名無史さん :2005/09/07(水) 20:40:30 0
フン族とか匈奴って人類の為に何か貢献したか?
824 :
世界@名無史さん :2005/09/07(水) 21:22:05 0
個人と何万からの集団比べるなよ。
東西交易を活発化させた
826 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 19:12:45 0
それはシルクロード商人のお陰では? ヤツらは商人を搾取していただけどす。
貢献って・・・ なんか幼稚な人がいますね。
>>826 ああそうだな、モンゴルも搾取しただけで東西交渉の活発化には全く貢献していないよな。
フン族がいなかったらニーベルンゲンの歌は生まれなかったかもな
830 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 23:39:36 0
匈奴の騎馬隊って 西方:白馬 東方:青馬 北方:黒馬 南方:赤馬 で編成されてたらしいね。
831 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 01:31:20 0
紀元前161年頃、匈奴の老上単于が月氏王を殺して頭蓋骨を盃に したという記述をいろんな所で見るんだけど、史記・漢書には年代 を特定できる記述が見当たらない。 どうやって年代を特定したのか、ソース分かったら教えて下さい。
832 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 02:13:46 0
月氏王の系図などは残ってないだろうか? 老上単于の在位中に月氏で王位交替があればそれかも。
833 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 02:22:21 0
そんなすごい物残ってるわけないじゃないすか!
>>832 王様の名前ひとつすらわかっていないのに
そんなもんわかるわけないだろ
河西に残留した小月氏を吸収した民族(いろいろ)の
伝承を丹念に当たれば手がかりが掴めるかもしれん。
たぶん徒労に終わるだろうが。。。
「羯が月氏の後裔か?」という説もあるらしいけど、
後趙石勒一族の記録からは何もわからんね。
835 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 14:15:43 0
>>830 それって黙示録の騎士じゃ・・・
今まで誰も指摘しなかったのか?
836 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 20:01:44 0
837 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 20:11:19 0
838 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 00:26:02 0
ヨハネの黙示録はフン族の来襲の事を言ってたのか?
まあスキタイやサルマタイがすでにいたしね。
840 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 14:09:44 0
とりあえず匈奴は支配層も被支配層も両方モンゴロイドだったと考えた方が自然だね。 だってモンゴル帝国や唐の時代に存在したウイグル(といってもモンゴル高原の国だけどね)や突厥は 全てモンゴロイド系の遊牧民の国家だったんだろ?だったら匈奴もそれらと同じと考えた方が自然だよ。 ちなみに、今の『ウイグル自治区』のタリム盆地の先住民は白人だったらしく、匈奴やウイグルの時代に モンゴル高原からやってきた、モンゴル系やトルコ系の遊牧民と混血して、今のウイグル民族の祖先となったという話です。 それで、フン族と匈奴は同一かと言うと、まだ、不明な点が多く、同一とは言い切れないと思うよ。 まあ、トルコ系の民族は元々東アジア・中央アジア・北アジアに住んでいた様で、西方へ移動する過程で ヨーロッパに侵入してフン族となったのでしょう。ハンガリー人やフィン人は黄人と白人との混血種であると 言われていますからね。したがって匈奴とフン族は同一とは言えないが、両方とも同じモンゴロイド系の遊牧民の国家で あると思われます。
841 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 15:58:20 0
パジリク古墳の冷凍ミイラの人種はどうだろう? 刺青も鮮やかなナマ皮膚が残ったくらいだから判別できそうだが。
842 :
世界@名無史さん :2005/09/12(月) 21:50:13 0
>>821 所詮自分の言う事が正しいと思い続けていたいだけの話だろ。
自分だけ高みに昇って他人を偉そうに批判しながらほざいてるくせに
自分の意見だけが絶対に正しいとしか考えていないようなナメクジ以下の下等生物が
でしゃばってんじゃねーよ、カスが。
だからモンゴル高原にもともといたのはトルコ民族やモンゴル民族で西方からやってきて
ウイグル自治区に住み着いていたのが白人と言う話なだけだ。
ちなみに白人がすんでいたという根拠は新疆ウイグルで発見された遺跡やミイラや遺伝子を
調べて解った事なんだよ。ちなみにウイグル地方以外ではそれらしき物は一切発見されていない
と言う事を考えてみれば、もともと中華世界やモンゴル高原に白人が住み着いていたと言うのは全くのデタラメなんだよ。
試しにウイグル民族の顔つきと漢人・モンゴル人・日本人との顔つきを比べてみるがいいぞ。東アジアの人種とは全く違う顔つきしてるからな。
>>821 以外の妄想とデタラメしか言えないような馬鹿丸出しの人種厨のキモヲタのオツムの弱い主張は
これで全て論破できる。モンゴル民族・トルコ民族はアルタイ山脈付近〜モンゴル高原が故郷なの。
つまり、モンゴル高原を中心とした中央アジア・北アジア・東アジアにいたモンゴロイド系の民族が
西進して、ロシアや東欧に侵入して、フン族となったのが考古学では有力な説な訳で、
モンゴル高原のモンゴロイド系の民族が匈奴になったというのは本当だろう。
詳しく調べたければ、【トルコ民族】とインターネットで検索して、
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N159L100.HTM-4kに該当するサイトを調べてみろ 。
これでもまだ何の根拠もない妄想を続ける気があるか?人種厨は相変わらず厚顔無恥なヴァカが多いよな。
843 :
ジョーカー@ケータイ :2005/09/12(月) 21:59:16 O
きょう奴(←ケータイだから「きょう」の漢字が出ない)がモンゴロイドだったのは間違いない。 始皇帝の兵士には漢人の他に、きょう奴系も古代ウイグル系・西域系(コーカソイド)もいたらしく、兵馬陵には両者の特徴を強く表した兵士の像があります。
844 :
ジョーカー@ケータイ :2005/09/12(月) 22:02:29 O
さらには現在の中国南部に住んでいたと思われる南方系民族の兵士の像もあり、ベトナム人のような顔です。 その多民族ぶりもさることながら、あの彫刻の技術も凄い。
845 :
世界@名無史さん :2005/09/13(火) 21:56:47 0
間違いないと言っていながら根拠を書いていない馬鹿ジョーカー。
846 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 :2005/09/13(火) 22:23:14 0
根拠はないよw それに、匈奴の支配層には コーカソイドの特徴を持つ遺骨もあるとか聞いた ことがあります。 しかし、ね。。。
847 :
世界@名無史さん :2005/09/14(水) 19:27:18 0
>>843 それって本当に兵士だったのか?あのね、わざわざウイグルや西域の人がわざわざ奴隷や他国の兵士に
なるためにやってきたなんて普通に考えてありえないんですが。多分それは交易の為にはるばる西域から
やって来た人達の事だと思うよ。
それに西域の人が(交易が目的だと思うが)来る様になったのは秦の時代に匈奴を北方へ撃退させて、
シルクロードが作られるようになり始めた秦以降の話だな。
ちなみに後漢の時代にはローマ帝国の使者が漢の皇帝に会う為にはるばるやって来たという記録が残っている。
そして本格的に交易があった時代は唐や元の時代で、数多くのアラブ人やイラン人等のイスラム教徒が
交易にやってきて、一部のムスリム商人は各都市の一角に住み着き、その子孫は回族となったという話だな。
>>845 (´,_ゝ`)プッ・・・・・
>>846 嘘付け、世界中で似た様な例が幾つもあるがそれをよく検証してみると、単なるデマやイタズラだったり、
発掘した奴の自作自演だったという例は枚挙にいとまがないぞ。
色々な公式サイトやフリー百科事典のウィキペディアを使って調べてみたが、
それらしき事が書かれた項目や明確な証拠を見つける事が出来なかったのですが。
大きな話題をよんだ、イギリスのネス湖のネッシーや藤村新一の原人の遺骨や遺跡を見つけたという事例については
両方とも第一発見者本人の自作自演だったからな。
もしお前の言うような発見が本当にあったのなら今頃新聞やテレビ等のマスコミであからさまに騒がれている筈だが。
そういうお前の主張は『聖徳太子って本当は実在しなかった人物だと聞いた事があります』
と言っているのと同じだぞ。他の2ちゃんねらーの事を考慮してもっとよく検証してから書き込みをした方がいいぞ。
>>847 ソグド人なら漢代から沢山来ていましたがなにか?
中学生はもうちょっとお勉強したほうがいいよ
849 :
世界@名無史さん :2005/09/14(水) 22:22:37 0
>>848 だから秦以降の時代から交易の為に来ていたと説明してるだろ。
ちなみに、長安では交易の為に様々な人種や民族がやってきたらしく、
なんとスリランカからやってきた商人もいたという。
もう一つ言って置くが、勝手に人を見下すような態度を取るのはやめろ。
ところでこのスレの主旨であった『フン族と匈奴は同一か?』と言う事についての結論は、
現在の考古学会では『フン族と匈奴は同じ』という説を支持する学者もいるし、同一ではないと言う学者もいる為、
まだ論争が続いていて、まだ明確な答えは出されていない為、はっきりとした事はまだ言えない。
ただ、匈奴もフン族も同じモンゴロイド系の遊牧民国家であった事は間違いないだろう。
まあ、それについては
>>842 で紹介したサイトにも載ってある。
もうこのスレに似たような事ばっかり書き込んで同じ話題を繰り返すのをそろそろやめないか?
結局、今の所は匈奴とフン族は同じモンゴロイド系遊牧民国家であったにしろ、
匈奴とフン族は同一か?と言うことについてはまだ確証というのはないんだからさ。
よってこのスレは 終 了 した方がいいね。
中学生がお勉強して戻ってきた模様
851 :
世界@名無史さん :2005/09/14(水) 22:56:24 0
歴史とは善と悪の闘争の舞台だ。言い換えればユダヤ人と反ユダヤ主義の戦い、あるいは民主主義と独裁者の戦いだ。 シルクロードには旅程一週間ごとにシナゴークが建設されており、ユダヤ人の縄張りであった。当然ながら、騎馬民族にもユダヤ人の強い影響があった。 騎馬民族の宰相はユダヤ人であり、ゲルマン民族の大移動は自然発生的に始まったのではなくて、必然的な帰結として始まったのだ。 キリスト教は反ユダヤ主義の典型であるが、キリスト教から反ユダヤ主義が始まったのではなくて、反ユダヤ主義の一形態としてキリスト教が生まれたのだ。 ローマはキリスト教を国教としていることから判るように、反ユダヤ主義国家であった。近代史で言えばソ連に該当する。 ポエニ戦争とはユダヤ勢力と反ユダヤ勢力(ローマ)の戦いであり、残念ながらローマの勝利に終わった。次の戦いがゲルマン民族の大移動による東西ゴート人とローマの戦いであった。 それの仕掛けが、騎馬民族に働きかけたユダヤ人の戦略であったのだ。西ローマはゴート人によって滅びるが、ゴート人もやがてユダヤ人を弾圧するようになる。歴史の皮肉としか言いようが無い。 日英同盟を結び帝政ロシア(反ユダヤ主義国家)の南下政策を日露戦争で阻止した日本が、やがて真珠湾攻撃を行った歴史に酷似している。 アルカイダがかつて親米でソ連と戦っていたのが、同時多発手テロを起こしたこととも酷似している。歴史は繰り返すのだろう。
なんだこのキチガイ?
なんかそういう本読んで感化されちゃったんでしょう。
「匈奴=コーカソイド」ちゃんも「匈奴=モンゴロイド」ちゃんも 自説を無根拠にたれ流してるだけで議論になってない。典拠を明示した 議論を展開しましょう。とはいえ、このスレも不毛のまま終わるんだろうな。
855 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 00:34:02 0
匈奴の支配者層が深目高鼻だって事は晋書に出てたんじゃないの? まあ、胡人との混血は極当たり前だっただろうから匈奴がモンゴロイド かコーカソイドかなんて議論は不毛だろうがね。
そもそも「匈奴」って民族名じゃないから多種で当然でしょ
857 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 13:19:35 0
単于は絶対楼蘭国の美女をオルドに入れていたはずだな。
858 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 14:33:06 O
>>857 文成公主をハメまくっていらなかったんじゃないか
859 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 18:16:53 0
文成公主って誰?
860 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 20:21:39 0
お前等さあ、またこのスレの話題を人種厨の話題に蒸し返していないか?
>>855 『胡人との混血は極当たり前だっただろうから』と前提で話すなよ。
匈奴の支配者層が深目高鼻と本当に書かれていたのか?つーか人間誰でも歳をとれば顔の彫りが
深くなるのは当然だし、黄色人種にも鼻が高い人だっているという事を考慮してみれば
一概にそうとだったとは言い切れないだろ。
それに混血したって言うのは新疆ウイグルのタリム盆地や東欧やアナトリア半島(現在のトルコ)にいた
白人がモンゴル高原や中央アジアから移動してきたトルコ系やモンゴル系のモンゴロイド系の民族と
混血したと言う話なだけだ。
>>856 なんでお前はそれを前提として話を進めるんだ?ウィキペディアの【匈奴】の項目を調べてみたが、
お前の言っている事もあくまで『仮説』の一つであり、匈奴は国の名前という学者もいれば、
特定の民族を指しているとする学者や民族の集合体であると言う学者もいるため、
一概にそうとは言いきれなから、その辺を考慮して置くように。
>>857-858 証拠と言う証拠が無いから何とも言えないよなぁ・・・
このスレはあくまでも、『フン族と匈奴は同一か?』という主旨で話しているんだよ。
ウィキペディアの【匈奴】の項目を見てみろよ。匈奴はモンゴル系ともチュルク系とも
言われているが定説はない、と書かれているし、フン族との関係を唱える学者もいるが、
その定説も無いと言うから、はっきりした事は言い切れないんだよ。
もういい加減、同じ話題と妄想の繰り返しはやめた方が良くね?
今後の考古学会の発表があるまで待ってたら?
>>860 よお前の態度は学問的かもしれないが、それではこのスレが続かない
続かなくてもいいだろとか言うなよ。俺たちは匈奴の話をしたくてこのスレにいる
こんな説もあるんだと紹介してもらうだけでも、初学者の俺には嬉しいんだよ
ただ人種の話題ばかりになるのは俺もどうかと思うので、
匈奴についての史料や文献なんかをもっと紹介してくれよ
862 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 20:34:39 0
また粘土臭い人が現れましたね。
>>860 君さあ、ウィキじゃなくて学術書読みなよ。
今時匈奴=民族名説唱えている学者なんて殆んどいないよ。
中学生がまた出てきたのか
865 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 21:51:14 0
>>863 だから色々な説を学者が唱えていると言っているだろう。
だからその学者が唱えてる色々な説ってのを紹介してくれよ ぐぐれっていうなら学者の名前かキーワードぐらい教えてくれ
「匈奴はコーカソイド」派だけでなく モンゴロイド説に執着してモンゴロイドを連呼してる奴も人種厨にはかわりないw
869 :
世界@名無史さん :2005/09/17(土) 16:27:59 0
>>573 に晋書の記述がある。
匈奴(おそらく支配者層)はモンゴロイドというより
コーカソイド的特徴を具えていたと考えるべきだろう。
>>860 は史書を読まない厨房。
>>869 >>573 にある記事は『晋書』巻一百七「載記第七 石季龍下世遵鑒冉閔」
のものかな?
「一日之中、斬首數萬。閔躬率趙人誅諸胡羯、無貴賤男女少長皆斬之、
死者二十餘萬、尸門諸城外、悉為野犬豺狼所食。屯據四方者、所在
承閔書誅之、于時高鼻多鬚至有濫使者半。」
とあった。さっと見ただけなのであまり文脈はよく分からなかったが、
「胡人」と「羯」は出てきたが「匈奴」とは書かれていなかった。
この話の舞台はどこら辺なのだろうか? 普通「胡人」といえば、
タクラマカン周辺の都市国家群の住民とかソグド系の連中のみたいなのが
知られているが、
>>573 の人はここでの「胡人」は前段の文脈から「匈奴」
と判断したんだろうか? 晋朝については全く不案内なので詳細を請いたい
ところ。
871 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 02:29:43 0
あのな〜、冉閔(漢人)は後趙(匈奴)を倒してその国人を 根絶やしにしようとした訳。 だから、ここの胡は匈奴人。羯は匈奴の別種。 故に高鼻多鬚は匈奴の特徴と考えて良い。 あと、濫死者半な。使者じゃ意味わからんし。
>>871 ちなみに羯族は別種というかは匈奴内の一部族ね。
羯室ってところが出身なので羯族。
ってことで、中学生の860にもわかりやすいように出てきた話をまとめると
・史書に匈奴の容貌の記述がある
・紀元前4000年以上前から楼蘭近辺などの西域にコーカソイド的特徴を持つ人々が
暮らしていた (それにしても4000年前の墓というのが驚き)
そして、基礎知識として
・楼蘭の名前が初めて出たのが史記・匈奴列伝であることからもわかるように、
古くから西域とモンゴル高原の遊牧民とは交流があった
・前漢が王昭君を単于に嫁がせたように、西域の有力者が子女を匈奴の有力者に
嫁がせることはあっただろうから、匈奴の支配層にコーカソイド的特徴があっても
なんら不思議ではない
もし、後代の清の皇帝の正妻はモンゴル族という感じで、匈奴の単于の正妻は
西域出身なんて感じの制度を持っていたりすれば、その制度が3〜4代続いただけで
単于の一族はコーカソイド的特徴を強く持つヤシだらけになる。
そもそも「胡」の字が本来匈奴の意味だし。
874 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 11:42:48 0
晋書石鑑伝には「宣令内外六夷敢稱兵杖者斬之。」とある事から、 漢人以外は全部殺させたという事になるのかな? まあ、西域人や南蛮人が後趙にそんなにいたはずがないから 匈奴の特徴と考えて良いだろうね。
875 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 22:04:52 0
あのね、君たちはさっきから匈奴の支配層がどうとか、混血がどうとか、白人がどうたら
言っているようだけど所詮君たちの言っている事はあくまで仮説であり、想像でしかないないんだよ。
そもそも匈奴が支配者層がどうとか民族がどうとか、一体何者だったのかということ自体、あまりよく解っていない
謎の民族なんだよ。だから仮説を作る事自体は決して悪い事ではないが、自分の言う事が正しいとして、それを前提で
話すのはよくないと思っているよ。
それに、
>>873 が言ったように『胡』の字が匈奴を指す字だとして、胡人=白人であったという訳でも無い。
中華世界では中原より西の地方に住んでいる諸民族を一括りにして「胡人」と言った訳であり、
つまり「胡人」というのは白人の事だけを指しているだけでなく、チベット人やモンゴル人、トルコ人に対してもそうした
名称を使っているのであって、一概に白人の事を指していたわけではない。
もういい加減、匈奴がどんな民族だったのか、どんな人種だったのかは詳しい事は考古学会でもよく解っていないから、
(なお、突厥やウイグル、モンゴル帝国についてはすでによく調べられているため、ここでは触れられていないと思うが)
そろそろ『フン族』の話題に切り替えた方が良いんじゃないの?まあ、俺はハザール汗国にも興味があるけどな。
876 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 22:14:33 0
墓の骨見れば一発で分かる
877 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 23:13:46 0
>>875 お前に人の議論を封じる権限はない。
匈奴にコーカソイド的な身体的特徴があった事は匈奴が
モンゴロイド(少なくとも純系モンゴロイド)でなかった
という事を推測させる事実だろう。
教科書に載るような事柄もこうした推測や仮説から成り立ってるんだよ。
878 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 23:49:25 0
ところでハザール汗国って何?誰か知ってる人がいたら教えて。
>>875 いくら完全に論破されたからといっても、みっともなさ過ぎ。
>>875 「胡」の意味だけど、広く異民族に使うようになったのは後代の用法で
本来はコーカソイド的特徴をもった者という意味だった。
このことは内田吟風らが正史の文面を検討して答えを出している。
西の方の「胡」はいうまでもなくペルシア人やソグド人、
北の方の「胡」はトルコ人。
>>878 スレ違いっぽい内容になるけども
アラビア語やペルシア語では「ハザル Khazar」と綴られる、
6、7世紀から11世紀ころまでカスピ海北岸から黒海北方まで
勢力下においたテュルク系の遊牧国家。突厥帝国の一派で君主を
「ハカン Khaqan」(=可汗)と称した。
東ローマ帝国のキリスト教、アッバース朝のイスラム教に対抗して
君主はじめ支配層も族民もともにユダヤ教に集団改宗・国教化した
史上希有な国家で、20世紀までイスラム圏ではカスピ海のことを
「ハザル海」と呼んだが、これはこの「ハザル」に由来している。
882 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 08:43:38 0
>教科書に載るような事柄もこうした推測や仮説から成り立ってるんだよ。
じゃあ、それを裏返して言ってみれば所詮お前等の言っている事も推測や仮説の領域でしかないんだな?
だったらなんで、匈奴にコーカソイド的特徴があった匈奴がモンゴロイドでなかったと推測する事実だろう、
とそれを前提で話しているんだ?お前の理論を当てはめてみれば、それも推測や仮説の領域でしかない事になるぞ。
もし教科書や辞典やサイトに載ってあることが仮説でしかないとすれば、(相対主義的に考えてみれば)
お前等の言っている事も公の場で議論されている事も両方推測と仮説によって成り立っているというべきだぞ。
それともお前等は自分の言っている事だけを前提で事実化して話を進めて行くつもりなのか?
そうであればお前等の方こそ人の議論を封じる権限は無いと言うことになるぞ!
解っていっているのか。お前見事に自爆したなwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>879 完全に論破された?みっともないのはお前等の方だ。
まだ匈奴がどんな民族だったのかがよく解っていないないくせによくそんな事が言えるよな。
匈奴=コーカソイドと言っている奴も匈奴=モンゴロイドと言っている奴も両方ともそれを前提で話を進め、
勝手に事実化している事には変わりないだろう。それを『捏造』というんだ。
つーかもしかして墓で発見されたという遺骨がウイグル自治区のもので、モンゴル高原と間違えているのか?
>>880 だから匈奴は北方の民族の集団(まだそうと決まっているわけでは無いが)の総称だろ。
そもそもお前等は匈奴が一体何者なのかである事がよく解っていないからこそそういう説を作れるんだろ?
民族や集団などがよく解明されている突厥やウイグルやモンゴル帝国に対してはそんな説は作らないだろう?
いい加減、匈奴=コーカソイド説も匈奴=モンゴロイド説をとっている奴等は自分の言っている事が
仮説の領域でしかない事に気付けよ。
何このけんか腰な人たち? 落ち着けや。2ch慣れしてないな? ただ、人種論はやっぱり不毛だよね。
「帝国としての匈奴」が各種の多数の言語や人種を抱合しているのは大前提。
そんなことを否定してる奴は学者にもいないし、このスレにもいない。
しかし匈奴に征服されてその一員になった諸部族の話をしているわけではない。
虚連題氏族に代表される匈奴の中核部族=本来の匈奴の話をしているのだ。
>>882 モンゴロイド厨が逆ギレしてるようにしか見えないが?
そりゃ仮説にはちがいないが、蓋然性ってのがあるだろう。
コーカソイド説(という仮説)には推論の根拠がだされたが
モンゴロイド説(という仮説)には根拠がない。
コーカソイドの可能性が高い、とはいえるんじゃね?
885 :
884 :2005/09/19(月) 10:07:24 0
コーカソイド説(という仮説) というよりは コーカソイド的な特徴をもっていたという仮説 な。
886 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 12:18:34 0
>>882 お前は荒れる元だからもう来るな。
論理もクソもないみたいだし。
887 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 13:02:00 0
>理論もクソもないみたいだし。 お前等みたいなコーカソイド厨が偉そうに自分の仮説を真実であるかのごとく話を続けている奴が 何の特権があって他人を批判できるんだ。お前等の方こそあくまで仮説でしかないと何度も言っているだろう。 コーカソイド説には推論の根拠が出されたからコーカソイドの可能性が高い、と 自分の意見の方が正しいと思い込んでるのか? コーカソイド説には推論の根拠があると言っているが、決定的な根拠など無いし、 所詮お前等の妄想と仮説の産物。悪く言うなら『捏造』だぞ。 そもそも本来の匈奴(中核部隊)が解っていないからこそ今でも考古学会で議論され続けているんだろ。 それに匈奴が多数の言語や人種を包合していると言ったら突厥・ウイグル・モンゴル帝国だって全く同じだぞ。 モンゴロイド厨にしろ、コーカソイド厨にしろ、理論もクソも無いのはどっちとも同じだ。 お前等のような人種厨こそもうこんな不毛な議論はやめろ!
888 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 13:08:16 0
>>887 イヤならお前が出て行けよ。
推測や推論ができないスレなんて学問的に終わってるしな。
確定事項だけを語りたいなら、お前が余所の板で語ってろ。
キチガイじゃないの?
wikiでしか語れん奴はほたっとけ。
887はこのスレをもう打ち止めにして、dat落ちさせたいんだよな? そうじゃないなら、フン族の話でもネタを振れよ。
しょうがないよ。中学生だもん。
892 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 20:07:18 0
>>888 ハァ?基地外はお前等の方だろ。別に俺は推測や推論をするのはやめろなどと一言もいっていないし、
仮説を作るのもやめろなどとは断じて言っていないぞ。何度も言うが、仮説を作る事自体は悪いとは全然思わないし、
きちんと自分の言っている事が‘‘あくまで仮説’’であると言う事を自覚して話を進めれば何も文句は言わない。
だが、お前等は、明らかに自分の言っている事が定説であるかのような言い方で話を進めていたじゃないか。
自分の説が正しいかのようにそれを前提として話を進めていくからそれに対して反論しただけの話だ。
頭ごなしに批判したいわけでも、このスレを打ち止めにしたいつもりも無い。
>>889 じゃあ、お前は匈奴=コーカソイド説という仮説に執着して語っていると言えばいいのか?
>>890 >このスレをもう打ち止めにして、dat落ちさせたいんだな。
そ ん な つ も り は 全 く 無 い 。
じゃあ、俺から質問するけど、フン族は自分の国が崩壊した後はどこに言ったの?
>>891 じゃあ、そういう君は一体何様のつもりなのかな?
じゃあ、このスレとはあまり関係無いと思うが、南ロシア方面で、明らかにスラブ系の民族とされている人の中で、
黒目黒髪でつり目でモンゴロイド顔ともコーカソイド顔ともつかない人がたまにいるのは何で?
中学生大暴れ
自分が勝てないとわかって関係ない話をはじめましたw
うーん、こういう不毛な煽り合戦は宜しゅうない。刺々しかったりぞんざいな
言い方は不快感をあおり立てるばかりので、もう少し落ち着いて議論してはいかがか。
> 于時高鼻多鬚至有濫死者半。
うっかりしていた、申し訳ない。しかしどうにも個人的に腑に落ちない感じが
したので、やはり自分なりにもう少し調べてみることにした。
>>227 とかに出てきた南匈奴王家の劉淵が建てた前趙のその後の話になる訳か。
匈奴の恐らく卑賤種族である「羯」種を祖先とした石勒が、329年(咸和4)に
前趙の劉曜を倒して後趙を建てたそうだが、
>>870 に書いた『晋書』の部分は
その後趙が族民もろとも滅ぼされた件のことか。
冉閔とは石勒の従子石虎に仕えた漢人部将のことか。確かに漢末から五胡十六
国時代にかけての「胡」は匈奴系の人々の総称としていたという説明がされて
いる。これはまあ東洋史的には一般常識なのかも知れないが、高校の世界史の
教材とかだと匈奴、鮮卑、羌などの五胡の一つとして「羯」を匈奴の一派である
と簡単に片付けているが、沢田勲先生の説明を見る限りでは『史記』にも
『漢書』にも出てこないような匈奴といっても主流外の一派らしいとか。
『晋書』「北狄匈奴伝」によると、匈奴は屠各種、鮮支種を筆頭として 十九種あり、単于位を独占した匈奴王家、虚連題氏はこの屠各種に属して いたとのこと。その十九種の最後にあげられている力羯種が、のちに 石勒を輩出した「羯」種のことだろうとされている。しかし同じ 『晋書』「載記第四 石勒上」に石勒の出自を述べる件に、 「上黨武郷羯人也。其先匈奴別部羌渠之冑」 とあるのだが、この「匈奴別部羌渠」というのは、上の十九種の一つに 数えられる「羌渠種」(屠各種から数えて十三番目)のことらしい。 「先祖が羌渠の冑(ちすじ?)」とあるのでどちらの系統かは判別しがたいが、 いずれにしろ石勒はあまり中核部族とは言えないものの、匈奴国家に属していた 一族の末裔であることは間違いなさそうだ。
ここまでは良いのだが、ただ少し引っかかるのは、 「誅諸胡羯」の「諸胡羯」とはどういう意味だろうか? 漢籍の購読は門外漢 で先人の註も参照できない立場なので、稚拙な物言いになってしまうようでアレ だが、これは「諸々の胡と羯」なのか「諸々の胡である羯」のことなのかどうかと。 まとめると、南匈奴王国の諸族は、匈奴王家である漢室との姻戚関係から 劉姓を戴いた虚連題氏の劉淵の家系の許に築かれた前趙と、その後に内紛に よって匈奴の一派「羯」種の首長石勒らが分離し、のちに劉淵の家系は石勒に よって滅ぼされて後趙が興った。おそらくこの前趙の遺民も後趙の傘下に入ったと 見るのが普通だろう。 だとすれば、「誅諸胡羯」の「諸胡羯」とは「諸々の胡と羯」つまり「前趙の 旧臣・遺民」と「内紛によって分離し現在は政権を執っている石勒ら『羯』種」 を併せて呼んでいるようにも見て取れる気もする。何となくだが。 それと併せて、 この段の「高鼻多鬚」という言葉も、他のたとえば「深目高鼻」のような言い 方の説明の文脈と違って唐突に出てきている言葉のように思えるのだが・・・ さらにこの「于時高鼻多鬚至有濫死者半」という言葉は、同じ討伐された「諸胡羯」 の「無貴賤男女少長」「二十餘萬」の人々に見られる容貌の説明と見て間違いない のだろうか?(もっともそう考えないと意味が通じないようではあるし、当時羯も 含む匈奴系と在来の漢人系の住民たちが反目しあっていたらしいとのことを考えれば、 「高鼻多鬚」は「諸胡羯」の全体か一部かの「蔑称」の類として「高鼻で鬚の多い連中」 ほどの意味で言ってるのかも知れない)
他の似たような事例、 例えば『魏書』「列伝第九十 西域条」に見られるホータンの説明では 「自高昌以西、諸國人等、深目高鼻、唯此一國、貌不甚胡、頗類華夏」 という言い方をしているので、「高昌より以西では諸国の人々は深目で高鼻だ」 といっていると理解しやすいが、殊、「高鼻多鬚」という表現はどうやら 『晋書』のこの部分にだけしか出てこないようだ。「深目高鼻」とか「高鼻」 は西域諸国の人々の容貌か、林邑、つまり東南アジアのチャンパー王国の住民を 指して使われる場合が殆どだった。(別の用例があるかは分からなかった) あるいは「諸胡羯」と称された当時の後趙に残存していた匈奴系の人々には 「高鼻多鬚」の特徴をもった人が多かったのか、それとも「高鼻多鬚」の容貌は 後趙を興した「羯」種の人々の特徴なのか、それともこれらから発展して、 匈奴国家において「単于の一族はコーカソイド的特徴を強く持つ」人々だったのか と推測できるかは、自分には判断しがたい。
何より「高鼻多鬚」という言い方はそれまでの匈奴国家の特徴としては述べられた ことがなく、しかもそれが語られているのが匈奴の勃興期から五百年以上もたった 後趙という匈奴国家の中核部族から外縁に属する一族が興した王朝が、滅亡する 段階になって語られていること、これらを考えるとどうしても、 この「高鼻多鬚」という記述だけをもって、 「冒頓単于時代からの匈奴の(形質学的あるいは人種的)特徴」などという結論を 導き出そうとするのは自分にはいささか拡大解釈的でひどく冒険的だと思える。 もっとも他の史書に匈奴の特徴として「高鼻多鬚」に似た形容が出てくるのであれば 話は別なのだが。
901 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 22:52:52 0
俺のレスが消えてる・・・ とりあえず、匈奴その他の異民族の身体的特徴は 史記・漢書にもほとんど記されてないでしょ。 だからといって漢人と同じ風貌だった訳がない。
まあ、おれのなかでは羯はソグド人なんだが。 石氏一族は西域から情報収集のために派遣されて、匈奴の傘下に。 って、全部妄想www 冉閔に煽動された漢人が誰をぶっ殺そうとするかってーと、支配者面してた連中だろうな。 兵馬俑の匈奴兵みたいな平らな顔じゃなくて。
903 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 23:33:40 0
>>893 俺もそうしたいけど今の現状じゃ無理かもしれないよ。
>>894 低脳な人種厨がよくも偉そうに中学生呼ばわりできるよな。とりあえず氏ね。
>>895 自分が勝てないとわかって関係ない話を始めました、だと?
オメーらの方こそ、匈奴の支配層がどうだったとか、人種や民族がどうとか十分に関係の無い話を
続けているじゃねえか。俺はフン族に間接的に関係のある話をしているんだぞ。
このスレタイに関係の無い話をしている奴が堂々と他人を批判する資格など全く無い。
それにお前等は何処がどういう風に勝っていたと言えるんだ?(´,_ゝ`)プププ・・・バカジャネーノ?
とりあえずお前は
>>894 と同類。さっさと氏ねよ糞ヲタ。
>>896-900 長文レスお疲れさんです。この殺伐とした空気の中、詳しい資料を紹介してくれてありがとうございます。
>>901 まあ、人間なんてのは、気候や風土、食生活や生活習慣の違いで風貌や体格が変わってくるのは当然の話だと思うよ。
移動中に支配部族が入れ替わってるかもしれないから、 そこからフン族に関係あるかなんてわからん。
906 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 23:41:07 0
つーか、人種厨とか言うのが荒れる原因だろ。
>>903 罵詈雑言ではなく、具体性のある話をしなさい。
高鼻多鬚と聞いてパシュトゥン人みたいなの想像した俺様。
909 :
世界@名無史さん :2005/09/20(火) 17:55:23 0
>>905 お前が消えれば済むことなんだけどだと?
もしかしてお前は何でも人のせいにすればいいとでも思っているのか?
自分だけには何の責任も無いとでも思っていたのか?
確かに俺も少し言い過ぎたとは思っているし、もうこれ以上同じ議論を繰り返したくも無い。
だが、俺がここから消えてほしいと言うのなら、お前も一緒にここから消えろ。
>>906 悪かったよ。もう人種厨とは言わないから、お前等も厨房だの中学生と言うのはやめてくれ。それも荒れる原因の一つだからな。
>>907 罵詈雑言?具体性のある話?つーかお前等の方こそ今まで、自分の言う事が定説であるような言い方をして、
さんざん煽りみたいな真似をして来たくせにか?まあ、前半は確かに俺の『私情』だが、後半は真面目にレスしたつもりだったぞ。
>>908 アフガン人の事か?
なんでこいつ粘着してんだ?
学校で嫌なことでもあったんだろ
912 :
世界@名無史さん :2005/09/20(火) 18:31:21 0
まあ、皆さん、落ち着いて。 ところで、フン族と匈奴は同一か?と言う本来の目的に話を戻しますけど、 もうこのスレでは既出かもしれませんが、フィンランドの『フィン』やハンガリーの『ハン』は フン族の『フン』がなまったのが起源と言う説を聞いた事があります。 実際、フィン人やハンガリー人は黄色人種と白色人種の混血種と言われています。(容貌は白人と変わらないにしろ) さらにフィン人・ハンガリー人は両方フィン・ウゴル語族に属する言語を話しているようで、 元々、このフィン・ウゴル語族を話す人達はシベリアの中央部に住み着いている、モンゴロイド系のトルコ人であり、 (詳しくは地図帳の言語の分布についての項目やサイトなどを参照してください) 同じ語族に属する言語を喋っているという事です。 本当にフィン人・ハンガリー人がフン族の血を引いているとすれば、 フン族(主要な民族)はシベリアからやって来たフィン・ウゴル語族の民族であった可能性があります。 ちなみに匈奴が支配していたとされる場所を見てみれば、アルタイ語族に属する場所と重なっています。 この事を考慮してみれば、匈奴とフン族はあまり関連性が無いのでは、ともいえる訳です。(あくまで仮説ですが)
>>912 ハンガリーやフィンランドについてはこのスレでガイシュツなんで
まずはログを見るように。
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/09/20(火) 20:08:56 0
>>913 そうでしたか、すいません。
あと一つ質問したい事ががあるのですが、フランスのある地方でフン族の末裔と見られる人達が
いるらしいと2chの地理・人類学版のあるスレで紹介されていましたが、それは本当の話ですか?
できれば、ソースも付けて、この質問に答えてくれませんか。
915 :
世界@名無史さん :2005/09/20(火) 20:16:14 0
>>913 がそんな話を知ってる訳ないだろ。
まずはそのスレを紹介しろよ。
912=914=バカなのは確定だな。 例の粘着荒らしかどうかまではまだわからんけど。
917 :
世界@名無史さん :2005/09/20(火) 23:58:08 0
しかし、匈奴の中核がコーカソイドだとしても現在の モンゴル人には全くそういう痕跡が見えないね。
匈奴って現代ならアフガン(パシュトゥーン)人みたいな感覚だったのかもね。 匈奴国家≠匈奴民族ってな感じで。
919 :
世界@名無史さん :2005/09/21(水) 02:52:26 0
匈奴て凶悪な奴を指す言葉でした。特定の集団ではなかったのです。 よってスレ終了
当て字だろ。米国はコメの国、とか言い出しそうなやつだな。
アメリカは美しい国です。
>>912 ファイン・ウゴルやアルタイは研究が進んでないので「語族」と呼んでいいかどうかわからない。
なので最近は「諸語」と言って「語族」を避ける傾向にある。
つまりそもそも同族関係にあるのかどうか確定していない言語群。
昔はフィン・ウゴルもアルタイにまとめてたこともあったな。
血を引いていたら同じ語族という考え方もどうかと思う。
私の息子がアメリカに移住して、その子孫が英語しか喋れなくなったら、その祖先はインドヨーロッパ語族だったということになるだろうか?
言葉なんて簡単に移っていくもの。それを研究も進んでない諸語で祖先を推定しようなんて無理がありすぎ。
でもこの勘違いよく出てくるよなあ。FinとHunってそんなに似てるか?
923 :
世界@名無史さん :2005/09/21(水) 18:08:52 0
>FinとHunってそんなに似てるか?
似ているような気もするし、似ていないような気もするね。
ところで、中華思想(中国古来の思想)では、周りの異民族は野蛮な民族として考えていたようで、
「匈奴」の字をよく見てみれば、
>>919 さんが言ったように、中華王朝の連中がそういう意味で読んでいたみたいで、
悪い意味での当て字で読む事がしばしばあったようだね。
実際、漢王朝も日本人の事を「倭人」と読んでいた事があったけど、この字はどういう意味かというと、
『背丈の低い人間ども』と言う意味でこう呼んでいたらしいよ。
通俗的語源解釈w
そいえば昨日の(もうおとつい 9/24)の新聞にソグド人の話があった。 どこかで展覧会やってるんだね。
926 :
世界@名無史さん :2005/10/08(土) 02:19:26 0
>>914 ブルターニュ地方にはフン族に服属してたアラン人の子孫が多いとか。
イギリスのある地方にも一時期サルマタイ人のコミュニティーがあったらしい。
しかし、けつ族(漢字に変換できないので)がソグド人などの西域系の民族だったとしても 今の、中国人にはそれらしき痕跡が全く見当たらないな。『高鼻深目』と記録されていたらしいが。 まあ、理由としては・・・・・・ 1.実際に西域系の民族だった(大虐殺が起きてその過程で消えたとも説明できる) 2.全くの創作(作り話) 3.記録の中に粉飾や誇張や曲解が入り混じっていた為誤解を招いた 4.全く別系統の民族であった(もしかすれば、シベリアからやってきたアイヌ人だったりして) などとまあ、仮説としてはこれくらいだろう。このスレの主な課題であった、 フン族=匈奴であるかどうかについては今までに出されたものをまとめて見ると、 1.実際に同一であった(匈奴の一派であったということ) 2.何の関係も無い 3.モンゴル高原から西進してきた匈奴に追われて、フン族も西進していったため 4.匈奴、フン族は直接的には同一ではないが、何らかの形で繋がりがあった(交易や民族移動など) と、まあこれだけの仮説が成り立つわけなんだよね。実際にはまだ解っていいない事も多いけどな。 なんせ、自分たちについての記録をほとんど残さなかったからね。
>>912 遅レスだが。
ウラル語派はサモイェードとフィン=ウゴルとまたは東シベリアに
在住するユカギールに分かれているらしい。
サモイェードは多分トルコと種族が近いモンゴロイド。
ユカギールはシベリア・イヌイットと混住してその影響を受けており
これもまた、モンゴロイド。
但し、フィン=ウゴルはタタール化したコーカソイドの可能性が高い。
つまり、北匈奴の後身かも知れないフン族が西進した結果として、
アジア系の言語が西シベリアから東欧に伝わり、人種とは別に
普及し、それがたまたまフィンランド(スオミ)とエストアニアと
ハンガリー(マジャール)に定着した可能性が高い。例え原住民が、
元からコーカソイドだとしても。
よく、某地理の本でフィンランドやハンガリーがアジア系といわれるのは
その本質が知らない人が多いと思う。ただ、マジャールとスラブ人の鼻が
低いというのは、モンゴロイドの混血の名残の線はあり得ると思う。
>>929 そもそもフィン=ウゴルがコーカソイドかモンゴロイドかどうかは容貌じゃなくて遺伝子を調べれば解る筈だよ。
コーカソイドだのモンゴロイドだのという分類は そもそも最初から外見に基づく分類であって 遺伝子にもとづく分類ではない。
>>931 ???ハァ?何言ってんだお前?だったらアイヌ人=白人とでも言うのか?白人系の人にも鼻が低くて掘りが浅い人もいますが何か?
そもそもコーカソイド特有の遺伝子が存在していると言う事を知っているのか?お前の理論を当てはめればシベリアの先住民は
肌が白いから「白人」で、東南アジアの住民は肌が浅黒いから「黒人」である、と言っているようなもんだぞ。
>>932 あほかよw 肌の色が人種の決め手? じゃインド人は黒人じゃんw
>>933 お前があほだなw 外見が人種の決め手?じゃアイヌ人は白人なんだな?
まあ、インドはいろんな人種がいるからね。
936 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 22:54:47 0
ヨハンフォンチロウツの「アッティラ王室の系譜」なる怪しい史料によると 匈奴冒頓単于とアッティラはおもくそ直系ということになってて 読んでてなかなか面白いよ^^
冒頓単于嫡流の劉淵元海が937をゲット!
>>938 それにしてはバルトかスラブかゲルマンのように
鮮やかな金髪碧眼の感じがするが。外見的には立派なヨーロッパ人。
やはり、まだまだマジャール人・ブルガール人・トルコ共和国の人々のほうが
複雑な混血があるとはいえ、どこかモンゴロイドの面影も感じられる。
…ただ、フィン人スオミ人サーメ人ラップ人カレリア人エストニア人が
他の印欧語族より低背低鼻なのは本当だと思う。蒙古班があるかないか
どうかまではわからんが。
正直いってまだまだ未解釈の部分もある。
>>939 言語にはアジアが残っているが、
まわりの民族に飲み込まれて、
人種としてはとっくに非モンゴロイドになっていると思う。
941 :
世界@名無史さん :2005/11/08(火) 18:06:03 0
匈奴って黄色人種なの?
モンゴロイドとコーカソイドが複雑に定住してたと思う。 そもそも匈奴は民族・種族称でなく、遊牧連邦国家の呼称だと思う。
943 :
世界@名無史さん :2005/11/08(火) 20:35:06 0
944 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 10:26:45 0
フン族は格好いいよね
945 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 18:10:23 0
ところで、匈奴に追われた月氏は一体何者だったのかな? 西に逃れた月氏はヨーロッパでは白フン、中国では大月氏と呼ばれていたエフタルという国を築いて、 東に逃れた月氏はそのまま「月氏国」になったらしいけど。 この月氏の正体はまだ解っていないらしく、民族としては、モンゴル系ともトルコ系とも チベット系ともイラン系とも言われているが、定説はまだ無いらしい。
946 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 22:17:34 0
月氏は敦煌の辺りにいたヤツらだよね。 まあ、トルコ系と見るのが妥当だろう。 ヤツらバクトリアと混ざってギリシアの血が入っちゃったよね。
いや、月氏はタタール化したイラン系でしょ? 現在のタジク族のように。 ギリシヤ・ローマの血が濃いかどうかはわからんけど。
>>945 クシャンやキダーラ・クシャンを大月氏と呼んだ記録はあるが、
エフタルを大月氏と呼んだ、なんていう記録はどこにもない。
エフタルは中国では「ロ厭ロ達/邑怛」とか「滑国」。
「東に逃れた月氏」なんていない。 いるのは「河西に残った月氏」だけ。 「月氏がタタール化」って意味不明。 タタールなんていう民族・用語が影も形もない 紀元前にタタール化なんていう現象が起きるはずはない。
紀元前後の中央アジア言語状況についてはいろいろ言われているが、 まずパミール以西の諸都市の場合、 アラル海周辺のホラズム語、ブハーラー、キシュ、サマルカンドを中心にバルハシ湖南部一帯までの ソグディアナ、フェルガーナまでの諸都市で使われたソグド語、現在のアフガニスタン北部のバルフを 中心とするトハーリスターン、バクトリア地方で使われたバクトリア(クシャーン)語。 パミール以東では タクラマカン南部、崑崙山脈北麓のホータン一帯で使われたホータン・サカ語、桜蘭ことクロライナで使われた クロライナ語、天山南麓の高昌ことクチャで使われていたクチャ語、カラホージョ、カラシャフルを中心とした アグニ語などがあった。 このうち、ホラズム語、ソグド語、バクトリア語は中期イラン語に属し、たしかクロライナ語、ホータン・サカ語も イラン語系に属していたと思う。ただ、クチャ語、アグニ語はインド・ヨーロッパ語族でも実はギリシア語、ラテン語 などと同じく西方のケンツム語群に属し独自のトハラ語派を形成して、周辺の東方の印欧語族インド・イラン語派とは 別系だった。 このアグニ語やアルーシ語といったトルファン盆地東部のカラシャフル方面の諸語をトカラ語A方言と称し、 クチャ語などのトルファン盆地西部のクチャ一帯の諸語をトカラ語B方言と称している。 クロライナ語はインド語群のプラークリット語の一派らしい話もあったがその辺どうだったろうか。
951 :
世界@名無史さん :2005/11/10(木) 12:06:15 0
バクトリア語なんてどうやって分かるんだ?
そう言や紀元前5〜3世紀頃に 匈奴の東隣に居た東胡って何なんだ? 名前からしてかなりトルコ系くさい名前だが
954 :
世界@名無史さん :2005/11/13(日) 15:57:13 0
>>952 そういや紀元前6〜3世紀頃に
バルカン半島の東南部に居たトラキアって何なんだ?
名前からしてかなりトルコくさい名前だが
956 :
世界@名無史さん :2005/11/13(日) 16:23:18 0
話は変わるが、今の天山山脈付近の匈奴の西隣に居てその支配下を受けていた烏孫は トルコ系民族の出身らしい。
957 :
世界@名無史さん :2005/11/13(日) 16:36:01 0
図書館で資料集を使って匈奴について調べてみたが、ある写真で秦の時代のモデルが匈奴の兵士と されている石像を見てみたが、なんか顔つきは頬が膨らんでいて、釣り目でのっぺり顔だったな。 ぶっちゃけ、今の日本の相撲で活躍しているあのモンゴル人の力士の人によく似ていた。
958 :
世界@名無史さん :2005/11/13(日) 17:02:08 0
匈奴にしろフン族にしろ、参考文献となるはずの文字がまだ発明されていなかったからな。 だからローマや漢で記録された史料から多くの事柄を推定するしかないんだよな。 ただ、匈奴が多くの民族・人種の集まりの遊牧連邦国家だったと言うのは間違いないと思うけど。 後の突厥も経済や交易の為にソグド人を重用していたと言うし、モンゴル帝国も様々な人種・民族で 成り立っていたと言うのは事実だしな。匈奴って今のロシア連邦と似たような構造だったりして。 フン族も中央アジアから移動して東欧までやって来たと言うのは明らかにされているし、 匈奴と同様にフン族の他にスラブ系やイラン系の民族も混じっていた可能性は高い。 このフン族と匈奴が歴史的には同一なのかは解らなくとも、人種的には同じであったと俺は思う。
959 :
世界@名無史さん :2005/11/13(日) 18:27:25 0
何とも頼りない論だなあ・・・
フンは家建てる必要ないから、最強の部類に入るな…
961 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 01:25:04 0
訳のわからん事いうなよ。
ローンとかないし、通勤も楽だな…
>>962 そんなことないよ
冷暖房なしだし、長期長距離出張ばかりだよ
AoC厨が紛れ込んでいるな…
>>960 ワロタw
ゴートとフンは駄目だよな・・
966 :
世界@名無史さん :2005/11/15(火) 10:01:51 0
だってフンもゴートも蛮族だから。
967 :
世界@名無史さん :2005/11/15(火) 14:49:49 0
フンはフン、匈奴は匈奴!
( ´_ゝ`)フーン
969 :
世界@名無史さん :2005/11/18(金) 16:36:20 0
このスレを一通り見てみたが、どうもトルコ人(テュルク系)を一括りに白人(コーカソイド)と決め付けていた馬鹿がいるらしいが、 元々トルコ人はアルタイ山脈付近で遊牧生活を営んでいて、モンゴル人と同じアジア系(モンゴロイド)の民族である事は証明されている。 トルコ人、つまりテュルク民族は時代が進むに連れて、西域に進出していったと言われ、西域に元々住んでいた アーリア系(コーカソイド)の住民と次第に同化して行き、更に、現在のトルコ共和国にあたる、小アジアまで進出して行き、 その地域でも白色人種と混血していったと言われている。 まあ、現在のトルコ人やアゼルバイジャン人は白人とほとんど変わらない容貌をしているし、 中央アジアの住民も、西洋人と日本人の顔が混じった顔つきをしている人が多いし、 シベリアに住んでいるテュルク系の人達は日本人とよく似た容貌をしている。 よく考えてみれば、モンゴル民族とトルコ民族は同祖だよな。
970 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 00:47:09 0
で、匈奴の支配層がコーカソイドであると言う説のソースとなるURLや参考文献はマダー? ちなみにインターネットのフン族、匈奴に関する公式サイトと図書館の世界史の専門書を調べてみたところ、 フン族はアジア系の民族と言われていて、匈奴はモンゴル系かトルコ系の遊牧民集団と書かれていたよ。 いろいろ調べてみたけど、どのサイトや資料集にもそれと似たり寄ったりの内容だったなー。 2chで匈奴の支配層がコーカソイドである、と言う説は考古学界で有力である、と定説であるかのように言っていた香具師がいたし、 その説に反論されていた香具師が専門書使って調べてみろ、と言って、きちんと調べてみると、それらしき記述なんか全く見当たらない のはなぜなんでしょうね。2chのこのスレでも、フン族や匈奴に関係する話題のスレに、匈奴=コーカソイドであると言う説が考古学の定説である、 と言い切っていた奴がいたけど、きちんと調べてみればそれが全くの作り話だと言うのが明らかになってくるね。 やっぱり2ch発の情報だったのか?匈奴=コーカソイドである、と言っている学者っているの?いたらこのスレに書いて紹介してね。
長文ウザイ はい、次↓
郷土料理マダー? まで読んだ。
973 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 11:07:52 0
話はかわるが、匈奴の一派とされていたある民族が後趙と言う国を立てていたみたいだけど、 この後趙を立てた国の支配者の民族が印欧系の民族出身である、と言う情報をあるサイトで見つけたけど、 これって本当なの?もしそうだとしても、匈奴の支配層がコーカソイドであったと言う説のように、 今のモンゴル人や中国人にそれらしき痕跡が全く見当たらないんですが。
974 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 11:43:09 0
「あるサイト」って便利だね。俺も使ってみようかな
「すべての文化の原点は韓国である」ってあるサイトに書いてあったのを見たことがあるよ。
977 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 12:28:36 0
978 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 14:22:08 O
あるサイトwww
979 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 15:18:37 0
西匈奴がスキタイとかエフタルとか他民族と混血化・吸収しながら西進した集団がフンじゃないのか?
980 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 16:03:52 0
>>979 匈奴の一派である北匈奴が西進してフン族となったと言う説は多くの歴史学者が認めています。
既に北匈奴=フン族になったと言う説は半ば定説と成りつつあるようです。
981 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 16:06:57 0
アヴァール人ってモンゴル系?
>>973 後趙と『晋書』の「高鼻多鬚」および「力羯種」については、
>>870 ,
>>872 ,
>>896-900 ですでに取り上げられている。
上記の沢田勲先生などは巷の匈奴=コーカソイド説にはすこぶる懐疑的のよう。
『晋書』の「高鼻多鬚」という記述も後趙のこの時代の「力羯種などを祖とする人々」
の特徴である可能性の方が高く、南匈奴国家中枢が弱体化していく過程で、他の
外来の民族との接触の結果「高鼻多鬚」という特徴を持つに至ったのでは無いか、
という論をされていたように思う。(いづれにしても情報が断片的過ぎて飽くまでも
この種の論は推測の域を出ないと念を押しておられた)
別の論者(誰かは忘れたが)で、その接触していた民族の候補にソグド人とか
クシャン人のようなスキタイ系が挙がっていたと思う。商業の民族として有名な
ソグド人だが騎馬戦士集団としても有力で、例の安禄山もその種のソグド人軍閥の
首長だった。
もっとも紀元前後の匈奴墳墓から出土する人骨はほとんどがモンゴロイド的特徴だ
という話の方を良く聞くので、後趙の人士に「高鼻多鬚」があったにしても、これを
冒頓単于から後漢までのスパンでの匈奴=コーカソイド説の論拠とするにはさすがに
無理がある、という諸氏の見解はやはり妥当だと思う。
文献学的には匈奴国家の構成民族(『晋書』の記述にしたがえば19種族)の人種的特徴に
ついては「判然としない」が結論であって、やはりあとは考古学的な発掘資料の収集と精査が
必要な話だろう。
>>980 認めているは言い過ぎでは。西欧の学者や中国の学者の一部が「匈奴の一派→フン」説を
支持しているが、日本の文献学や考古学をやってる人たちは、証拠不十分で結論にはまだ早い
と態度を保留している。(可能性は高いとは言っているが)
それにしても匈奴=コーカソイド説の大元の出典は一体何なんだろう。 古代の世界史について書かれた資料集を使って匈奴について調べてみたけど、 やっぱりそれらしき記述なんて全然見つからなかったしな。