新スレたてさせていただきます。関連スレは↓
前スレが埋まりましたので明日にでも
まとめをカキコします。
∋oノハヽo∈ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^▽^) < 新スレおめでとうございま−す♪
= ⊂ ) \_______
= (__/"(__) トテタタタ
さすがにカトーの名にはけちがついたし、とはいえ名無しやその4
とかいう暫定コテでもどうかというので改めました。
前のカトーがカルタゴ滅ぶべしのカトーからきておりましたが
今回はあれだ・・・水野忠邦の忠邦としました。
なおまとめは名無しでつけます。2つ使い分けということで
ご容赦のほどを。
(紀元は西暦)
紀元前146年 第3次ポエニ戦争終結、ローマ、カルタゴを滅ぼす。
隷属を拒んだ一行が船団を組み、大西洋を渡る。
南北アメリカ文明史のすべてはここから始まった・・・
紀元前2世紀後半:北米大陸東海岸にフェニキア人上陸。
フェニキア語で「新しい西の地=エレブ・ハダシュト」と命名し入植。
東海岸の先住民を鉄器・疫病・騎馬で圧倒し、版図を広げる。
少し飛んで・・・
紀元後3世紀までに:(この頃までにミシシッピ流域にフェニキアの文化を取り入れた
文明が成立していた様子)
3世紀中頃 :ミシシッピ文明にて開祖アセオラが座教を興した(と伝えられる)
そして激動の4世紀:ミシシッピ流域に騎馬民族による史上初の統一王朝興る。
のち東海岸のネオ・フェニキア文化圏を併呑。
フェニキア人はフロリダへ、さらに海路カリブ海へ脱出。
脱出の数年後、マヤの古記録に「海からチチメカ現る」の記述登場
後世のカリブ海航路の発端となり、マヤ〜カリブ〜カホキアを結ぶ交易路開かれる。
また少し時代が飛んで・・・
7世紀 :ニカラグアで「ニカラグア教」創始。
7世紀後半:ミシシッピ流域で「中期座教」定着。
8世紀 :フェニキアに「ハンニバルの再来」と称される英雄出現。
海軍を駆ってカリブと中米にまたがる版図を征服する。
史上初めて南米のアンデス文明へ侵攻するが撤退。
英雄の没後、政権は分裂に向かう。(このころジャガイモが北米に伝来か)
8世紀〜9世紀 カリブ・メソアメリカ諸国が台頭。(「諸国」とあるのでフェニキア分裂後か)
ミシシッピ川流域で樹木伐採加速、森林が急速に減少。
代わって五大湖以北の木材供給が拡大。
9世紀 中米で加硫ゴム発明、武器「マヤ弩」考案される。
北米東部の人口、1億人突破
10世紀初頭 パナマ地峡に「パナマ信教徒国」勃興
10世紀末〜 北米東海岸にバイキング到達。(986〜1000頃か?)
旧大陸の疫病が北米で流行し、北米人口増加の減速期が訪れる
10 :
名無し:04/11/29 19:54:30
12世紀 中米を中心にメソアメリカ・ルネッサンス興隆
13世紀後半 パナマ信教徒国、北はニカラグア南部から南はコロンビア北部まで版図を拡大
1252年 ミシシッピ王朝、時の皇帝チュマシュ二世により座教の鋳銅製神像
「オブジワホピの大座像」完成。
1282年 コロンビア北部で「ボアコの聖戦」。火器が使用される
1315年 ニカラグア教「月杖軍の遠征」。パナマ信教徒軍を討つ。
「ギアの銃撃戦」で史上初めて実戦に小銃を使用
1322年 中米・テスココで活版印刷装置「ユアンケ」発明される
1393年 セーアカトルの宗教改革。
これ以降、遠国への布教団派遣が盛んになる
1415年 ニカラグア教の布教船団が遭難、アフリカ大陸南端の喜望峰に漂着。
11 :
名無し:04/11/29 19:58:38
1415年、ククルカン司祭の布教団と鄭和艦隊が南部アフリカで遭遇
1420年には最初のニカラグア教布教団が南アフリカへ派遣される。
1431〜1449 バーゼル公会議。ウィクリフ、フス派への対応とともに
新世界問題が協議され、教皇庁は公式に
「新世界は悪魔の所産」という声明を発す
15世紀の後半、北欧・アイルランド・スコットランドなどは
対フェニキア貿易を優先し、教皇庁と対立しはじめます。
イングランドはスコットランドとの対抗上北方諸国と対立して
大陸と結び、カトリック色を強める。
一方フランスはスコットランドと友好関係にあり、
台頭するハプスブルクへの警戒もあって、
1477年にブルゴーニュ公国を併合すると、策謀家のルイ十一世は
アヴィニョン教皇を再擁立。カトリックは再び分裂す。
イングランドは教皇のお墨付きを得てフランス沿岸略奪に専念。
自然国内の羊毛産業は衰えはじめ、それに伴ってネーデルラント地方の
経済的重要性も低下。
12 :
名無し:04/11/29 19:59:59
教皇庁は史実よりもはるかに強くハプスブルク家と連携し、
聖界と俗界の支配を分担しつつ、ヨーロッパのカトリック的
世界秩序再建を目指し、激しい反動政策を展開。
15世紀末にはイタリア・ルネッサンスは圧殺され、
大量の人文主義者らが北欧・オスマン帝国・北アフリカへ亡命。
16世紀前半にはルターやカルヴァンの宗教改革が始まり、
北欧、スコットランド、アイルランド、北ドイツが新教に改宗。
主にドイツを舞台にして、大規模宗教戦争が始まります。
ハプスブルク家のカール五世はスペインとオーストリアを一括支配し、
両国とも統一されたままフェリペ二世に引き継がれ
スペインとオーストリアは事実上一体となり、イングランドと緊密な同盟を結んで
教皇庁と強固なトリオを組みつつ正統カトリックを護持。
これに対しフランスはアヴィニョン教皇を奉じるため両側から迫る
ハプスブルクと睨み合いの関係にあり、時折ライン流域で戦火が燃える。
ドイツは国内の諸侯に双方の陣営が代理戦争させる形で、凄まじい混乱の裡にあります。
北欧、というか北方ヨーロッパ圏はバルト海の向こうにいて、
直接戦火をこうむることはあまりなく、比較的安定した状態です。
13 :
名無し:04/11/29 20:08:44
ヨーロッパでは長期にわたる南北大戦が続き時とともに
南側諸国が弱体化し、
ヨーロッパ文化圏そのものが衰亡に向かい始めます。
一方フェニキア人はアフリカの沿岸諸都市へシフトし、
もともと見るべき物産に乏しかった欧州を無視する形で
大西洋貿易はインド洋やアジアの物産とそれを主に扱う
イスラム世界と新大陸のフェニキアとがアフリカを舞台に
アフリカの物産を交えつつ執り行うようになっていった。
これがアフリカの黒人王国との交流を生んで、新しい文明の萌芽を促す事となる。
一方アフリカ大陸南部に根付いたニカラグア教は徐々にアフリカに信徒を増やしていた。
14 :
名無し:04/11/29 20:16:33
一方リューリック朝断絶の後帝位を簒奪したボリス・ゴドゥノフ
がリューリク朝にかわりゴドゥノフ朝を成立させた。
見るべき魅力を失い南北対戦の中で疲弊した西欧に見切りをつけ
南のゴドゥノフ朝ロシアは、正教を捨ててイスラムに改宗、
新たな活路を南方に求めます。
ロシアが採用したのは、イスラムでもシーア派の方でした。
オスマン帝国と黒海、また黒海への道をふさぐクリム・ハン国をめぐって
対立があり、その事情によってロシアはむしろ
サファヴィー朝ペルシアと手を組み、共同してイスラム世界の東半を担う
道を選んだのです。
15 :
名無し:04/11/29 20:17:31
イスラムに改宗を良しとせず正教にとどまった勢力はロシア北部のノブゴロド地方に
独立政権を樹立し北欧圏と結合し、北方ヨーロッパの最東端として、
ロシア・ペルシアと北欧を仲介する自由貿易自治都市国家となります。
こうして十七世紀半ばまでには
フェニキア・北米・北欧・ロシア・ペルシアという内陸経済圏が誕生したのです。
16 :
名無し:04/11/29 20:45:18
一方東では
源義経の一派が北米西部に漂着し扶桑の土台を築いて以来
扶桑国が着実に成長を遂げていた。
そんな彼らの母国たる日本では
慶長2年(1597)
天下人豊臣秀吉が明に向かう為の朝鮮征伐と
あわせ南蛮征伐を敢行、台湾が豊臣直轄領となる。
その後関が原の合戦後、日本での覇権を失った豊臣家は
元和元年(1615)、大坂冬の陣の後台湾に後退
ここに豊臣高山国が成立する。
1669年(寛文9年)寛文扶寇
帝国のたがが緩んだ明朝が満州族の後金に押され
日本の支援を受け明清騒乱のすえ南北に
南明と清が並立することとなった。
これに対し清朝が日本に対する報復として
アイヌがシャクシャインの号令で大反乱を起こした際に
アイヌを支援したのだ。
この戦争の後アイヌによる樺太国家成立へ向かう。
17 :
名無し:04/11/29 20:46:08
江南では古くからの中華秩序が失われ
商業や殖産興業がさかんとなり資本主義経済への萌芽も
みられ独自の国家形成にむかいつつあった東南アジア諸国
との交易も栄んになった。
こうした南明や日本との角逐に目を向けすぎた清朝に対し
明の旧臣でありながら保身のために清(後金)につき
明清並立で中途半端な立場のまま、明の国境沿いに三藩として
おかれていた。
この三藩が呉三桂の下に糾合、日本の支援を受け准水と長江の間に
新王朝・周を成立させた。
18 :
名無し:04/11/29 20:58:13
17世紀後半
アフリカでは世界の文物が集中し本格的な国家形成に
意識が向かいだした段階にあり、その急激な経済成長と
価値観の変化に、向かう激動の中
欧州を巻き込んだ国家間の騒乱とニカラグア教の処遇をめぐり
大戦乱が起きた。
新大陸のメスシピ朝内乱、ロシアとスウェーデン間の北方戦争
欧州アジアを巻き込んだハドリアヌス戦争など、
日本南明間の東シナ海戦など
直接世界を二分したわけではないが、何らかの形で全世界に
連鎖反応のように地域戦争を起こさせたことから
このアフリカ動乱を「亜近代世界戦争」と呼ぶ。
なおこの戦乱の副産物のひとつとして
朝鮮半島では李氏朝鮮が王位を追われ両班の合議による
政体に以降、漢字からハングル文字への切り替え
中華帝国の暦から壇君暦への切り替え
儒教からニカラグア教朝鮮国教会への切り替えによる
富国強兵政策に邁進しだす。
19 :
名無し:04/11/29 21:03:39
時代は遡るがルソン(フィリピン諸島)では
日本や高山の長曽我部勢力が集中して蜂起したことから
本多正純を総大将に肥後加藤家、安芸福島家のルソン転封を
あわせた派遣軍を派兵
ルソン探題が置かれ、後に三代将軍徳川家光の弟忠長が
ルソン総支配として派遣されてしばらくし
南朝の後裔長州大室氏を王に報じた古南国
が成立し、日本とは独自の道を歩みだしていた。
20 :
名無し:04/11/29 21:07:46
とまあこんなところです。
あとはアフリカ、日本はじめ東アジア、新大陸で同時多発的
産業革命の萌芽が見え
相互交流の副産物か、未だ世界の伏流水でしかない太平洋南洋ルート
のマレガ(豪州)で蒸気機関の本格使用が起きようとしていた。
21 :
名無し:04/11/29 21:17:01
この世界の大動脈は
新大陸=アフリカ=アジア
なのですが
その傍流として新大陸北東のヴァイキング国家ヴィンランド
とアイルランド・スコットランドやスウェーデン・デンマーク
そしてノブゴドロという北方ヨーロッパ世界が形成され
ゴドゥノフ朝シーア派ロシアとサファービー朝ペルシャのライン
からインド洋につながるルートも活況を呈していた。
そうした大動脈に微妙に離れた位置に置かれた二つの大国
があった。
大清帝国
オスマン帝国であった。
そして
そんなオスマン=トルコ大帝国は
戦乱で弱体化した神聖ローマ帝国とハンガリー王国に矛先を向け、
陸路、地中海の二大海軍国のひとつのヴェネチアを攻撃、地中海全域の
制海権を確固たるものとする一方で
海沿いにエチオピアのキリスト教国家に矛先を向けて、
紅海を完全な内海にしてしまう。
そうした中ポーランドでは
東のシーア派イスラム教を奉じるゴドゥノフ朝ロシア
西のスンニ派イスラム教を奉じるオスマン帝国支配化に
置かれた欧州半島をうけ三方をイスラム勢力に囲まれた
北方カソリックの砦として危機感を強め
国内統一、集権化そして富国強兵政策に邁進し
またヨーロッパ南北戦争の折フランスに奉じられていた
ブノワ(並立教皇)をアヴィニョンフランスからひそかに招聘
オスマン帝国の支配下に置かれたローマのカソリックからの
独立を宣言した。
こうしてフランスの人材が多くポーランドで活躍する素地が
できてくるわけです。
例えば宰相リシュリューとかはポーランドの王宮で活躍する
ことになるのです。
でこの世界での問題点をみてみましょう。
アフリカでは 中央アフリカのカネム・ボルヌ帝国がチャド〜スーダン
(エジプト隣接)〜ギニア東岸にまたがる超大国として覇を振るい
ますがこれはあくまで"時代錯誤の大国”ちょうど史実で言う
ロシアのような役回りしか期待できないのです。
北方ヨーロッパ世界の加わった格好になるもうひとつの超大国
サア−ド朝モロッコは北大西洋に活路を求めるのでよしとして
オヨ、ダホメー、コンゴなどの東アフリカキリスト教黒人諸国は
西欧のような役回りになるのです。
ちょうど戦火のようやく収まったアフリカでの交易再開だけでなく
自ら販路拡大を行うことでしょう。
その向かう先はパチャ(中南米)です。史実のイスパニアほどではないししろ
南米各地に拠点としての都市や租界を作ります。
ここでアフリカと南米の本格交流をイメージしているのですが・・
アフリカや南米となると・・そうこの世界では史実よりもはやく
危険な悪疫に悩まされる格好になるわけです。
で、この世界では相当に衛生習慣の徹底や医療技術の進歩が
促されることでしょう。
そうしないと話が続きません。
そしてもうひとつ、この世界では我々の世界の価値観が
そのままあてはまらないのです。
実のところアフリカ戦争の意義として
【ハートランドの誕生】
この世界における大動脈の要に位置するアフリカはこの世界での
ハートランドといえます。
世界中から物産や人が集まるわけです。
アフリカを根幹にアフロユーラシア世界と新大陸世界が一体になる
そんなハートランドは史実の中に存在しません。
まして舞台は文明の処女地たるアフリカです。
そこでどんな文明が生まれていくのか・・
はっきりもうして今の私の想像の外・・
【世界宗教戦争】
この世界ではもうひとつありえない事が起きてます。
躍進勃興期の世界宗教同士の激突です。
キリスト教とイスラム教の場合どちらかが衰退期であったし
十字軍など窮鼠猫を噛むでしかない。
ましてキリスト教とイスラム教は同じ経典の宗教であり
なんとなく兄弟宗教という認識は主にイスラムが当時は持っていました。
他の宗教とはスケールが違いすぎます。キリストイスラムで世界の大半を
席巻してるんだから・・
が・・この場合
旧世界の繁栄するイスラム教に対し新世界のイスラム教
といえるニカラグア教が登場します。
ニカラグア教が、かように旧世界で目の敵にされたわけは
この世界では国境が明確でなく、国家は祭祀や王権への権威への
求心力だけが頼りの場合がほとんど。
で免疫もつき棲み分けもできていた旧世界の宗教の縄張りに
信条や思想などを押し付け、既存の民族や国家への意識を
吹き飛ばす。
「ニカラグア教徒はニカラグアの神の国が唯一の故郷だ」
といった具合にです。
無論暴力的な手段も使います。
この世界ではキリスト教はがたがたになっています。
事宗教勢力としてのパワーではイスラムでしょう。
両者の激突は凄まじいだと・・
私も考えアフリカ戦乱〜亜近代世界戦争は100年続くぐらいに
考えてたんですが・・
以外にも戦争は開始時期で差はあれど、短期間で
決着してアフリカで和議が結ばれ国際ルールの基ができてしまったんです。
理由は簡単。
経済的メリットが無い。
この戦争で各交易ルートでの優劣や一定の秩序が決まれば、長引く戦争は
意味が無いのです。
宗教の信条よりも目先の利益です。
ニカラグア教は旧世界の過剰反応で思ったほど国教という形では定着しそうも
無くなり
国家を巻き込んだ二大世界宗教の宗教世界戦争は
熱い戦争から冷たい戦争になってしまいました。
【国際資本戦争】
つまり、この世界では国家同士が戦争しあう状況があまり生じないんです。
しばらくはこの大流通網で生き延びる為
各国各勢力の自制内需内向の時期に突入させざるを得なくなりました。
次なる産業革命への助走期間でしょうか?
それに加えこの世界では思っても見ない現象がもうひとつ。
国境なき民による国際資本ネットワークが国家より意義を強めてます。
特にユダヤ(史実ではユダヤの一人勝ちでしたが)に対し
フェニキアという対抗馬が世界経済覇権を競うわけで
これにダークホースの華僑や、有力勢としてインド系商人などなど
イスラム商業資本も西欧の未登場で衰えてはいない。
軍事戦争以前にマネーゲームというか経済戦争という要素が
大きく絡んでしまいました。
【世界列強の大競争】
ここでは史実のような北西欧州からの西欧列強の一人勝ちで
日本だけ仲間入りなパターンの安易な列強の決め方ができない。
アフリカ、新大陸、東アジア、内陸アジアどれにも列強に
相応しい有力国が虎視眈々と覇を窺い競い合ってます。
全部を網羅するなど・・・無理に近いかも・・
てわけで水明さん、ねこくちさん
私めのいき詰まりは28〜34に要約されてるように
この世界の価値観に振り回されだしたんです。
だからどんな事件が起きるか今の段階で予想しきれない。
技術の進歩も未知数ですし。
でも私の考え得る範囲では・・できてる腹案として
オスマン帝国は鎌倉時代から続く大国で制度疲労がきつつある。
オスマン帝国の柔らかい専制は西欧列強が登場しないこの世界では
史実より衰えませんが・・やはり内部腐敗とか懸念材料は多い。
で西欧欧州の制覇のおかげで欧州へのインフラ統治機構の整備
とか必要なことが増えました。
西欧では「汚しことクリスチャンの如し」といわれペストを起こした
不衛生な欧州がオスマンイスラムの手で改善できる好機でしょうが
オスマンには出費ばかりかさみそうです。
で時代は過ぎ問題が山積しだしたオスマン帝国で頭角を現しだしたのは
コルシカ島の出身ナポレオン将軍でした。
サラディンの再来と謳われオスマン帝国の大宰相に上り詰め国内改革に
成功、北海バルト海に野心を伸ばし
スウェーデン帝国の海軍提督ネルソンとキリスト教イスラム教の
命運を賭けた一騎打ちをやらかす。
おと・・ごめんなさい。ネルソンの所属はイングランド。
スウェーデン帝国の支援を取り付けたイングランドと
オスマン帝国の争い。ということで・・
ついでに話にはまるで関係の無い
「歴史の余談」
豊臣高山国の首都は常陽都であるが、その鬼門(東北)には英世市でがある
ここには豊国大明神が祭られている。
英世市(えいよしと読む)は読みを変えると“ひでよし”となる。
さらに真北つまり北極星の方角に位置するのは高山八幡宮である。
この八幡宮の祭神は本来神功皇后と応神天皇であるが
ここでは豊臣吉子(高山院)と豊臣秀頼が祭神である。
常陽の裏鬼門(西南)に淀殿が祭られた大淀院が置かれている。
この三社を豊臣三尊という宗教上の最高権威である。
おと、この世界の問題点がまだあった。
【国民国家の未成立と複数資本主義の競合】
ここでは近代ヨーロッパが生み出した国民国家の概念が
普及しません。
西欧のインパクトが他地域に有効な戦争機械たる国民国家の
概念を印象付け目指せ西欧の形で国民国家が誕生していったわけ
ですが・・
ここでは民族自立すらどれだけ起きるか予想もつかない。
まして1民族1国家だの(私たちがイメージしてる)国民国家だの
は、この世界では生まれない。
似たような国家の仕組みは必要でしょうが、どちらかといえば
合衆国やソ連とかオスマン帝国やオーストリアのような仕組みが
一般的に近いような気がします。
民主主義も、私どもの世界での様な民主主義や大衆革命はあまり
要望が無さそうです。
まして共産主義が生じない。社会主義的資本主義だのイスラム資本主義
だの東洋型資本主義だの複数の違うルールを持つ資本主義市場経済の
ブロックがぶつかりあうだけで
資本主義VS共産主義のような単純な構図はまず生じない。
ここでの民主主義社会とは、普通の私たちの世界の平等民主主義社会
ではなく
身分制民主主義、階層型民主主義社会といったものかも
例えば上層、中級、下層、最下層といった具合に身分が決まっていて
上層は封建的社会で荘園経済だが
中級、下層はおのおの身分内で民主的な議会を運営し一定の自治をし
資本主義市場経済で暮らしている。
そして最下層は大家族制度でソ連のような統制共産主義社会
でそれでそれらが並存し、教育や才能の有無によって日本の士農工商
のように暮らすべき身分を変えられるとか
近代文明にカーストや士農工商が導入されたようなイメージが・・