1 :
世界@名無史さん:
なんの材料だよ
2 :
世界@名無史さん:04/09/09 21:08
色目人
3 :
世界@名無史さん:04/09/09 21:11
古き王朝の遺族
4 :
世界@名無史さん:04/09/09 21:27
>>1そういうスレを立てようと俺も思った事があるが、思いとどまるのが大人だ。
>>1にはそれが出来なかった。素材ネタなんて寒くて氷点下。
「アボキ」ってのもエキセントリックな名前だよな
6 :
世界@名無史さん:04/09/10 01:03
ウルツサハリって「耶律楚材」の契丹語(あるいはモンゴル語)読み?
>6
蒙古語で、立派なお髭。
8 :
世界@名無史さん:04/09/10 20:10:11
|★|ノハヽo∈ *・゜☆゚・*:.。.:★+*・.:*・☆゚・*:★
|☆|´D`)<新スレおめでとうございまーす♪
|辻|⊂ ):★ *・゜☆゚・*:.。.:★+*・.:*・☆゚・*:★
|★| ノ
9 :
世界@名無史さん:04/09/10 21:06:06
ワンヤンアグダ
q⌒p
γ――ヽ
(_´ハ`) 気にするべきではございません
/ ~)))~ )
人|__|||_|
(__ム)__ム)
杉ちゃまがやたら貶めようとしていた人
楚材とは「楚の人材」の意味で、春秋左氏伝の「楚材晋用」
という熟語が出典だとされています。楚の人材が敵国晋で用いられる
という意味で、耶律楚材が別の王朝で活躍したことを暗示するものだと
通説ではされていますが、杉山正明は親がつけた名前は「楚才」
だったのだが後に本人が改名したのだと主張しています。
一応、楚材の兄は耶律弁才と耶律善才ですから、楚才という
話も一応は有りそうなのですが、弁才はおそらく弁才天、
善才は華厳経の善財童子からとったと思われる(耶律家は代々
熱心な仏教信者)ので、楚才という仏教語がない以上、
杉山説は憶測の域をでないでしょう。
と、良スレに変えようとしてみるテスト。
13 :
世界@名無史さん:04/09/12 00:04:51
14 :
世界@名無史さん:04/09/12 00:12:55
★ 完 顔 阿 骨 打 ★
語感が凄いな。
15 :
世界@名無史さん:04/09/12 08:23:37
>>5 これはアルタイ諸語ではヤルート・アブクというアクセントらしい。
>>11 音楽家の杉真理って、世界史詳しいの?初めて聞いた…。
>14
顔面骨折みたいだよな
耶律楚材の耶律には別表記があったはず。
なんだったっけ?
イラ、だったような……
漢字忘れたorz
19 :
世界@名無史さん:04/09/13 16:31:00
現代中国語では
イェリュー・チーツァイ
とかいうらしい(ドーソンの蒙古史旧版にルピが振ってある)
20 :
世界@名無史さん:04/09/13 16:56:16
耶律大石のほうが有能とみたが・・・・
21 :
世界@名無史さん:04/09/13 21:39:37
q⌒p
γ――ヽ
(_´ハ`) 気にするべきではございません
/ ~)))~ )
人|__|||_|
(__ム)__ム)
22 :
世界@名無史さん:04/09/13 21:43:30
トルコアイス ワショイ!!!
\\ トルコアイス ワショイ!!! //
+ + \\ トルコアイス ワショイ!!!/+
∬ ∬ ∬ ∬ ∬ ∬ +
+ 人 人 人 +
(__) (__) (__)
+ (__) (__) (__) +
. + ( __ ) ( __ ) ( __ ) +
( ´∀`∩ (´∀`∩) ( ´∀`)
+ (( (つ ノ (つ 丿 (つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
25 :
世界@名無史さん:04/10/01 21:53:54
(´・ω・`)ショボーン
誰もいない・・・
へ ん じ が な い
た だ の ほ う ち す れ の よ う だ・・・
26 :
世界@名無史さん:04/10/01 22:17:47
すぐに反応を期待してはいけない。わかる?
杉山、岡田明憲、井元なんちゃらとかいうのが、なんかオリエント特集とかで
対談してたな。
なんかカルト宗教っぽくて怖かった。
あんなブサヨな雑誌に出なくても。
29 :
世界@名無史さん:04/10/10 17:35:06
もしや、耶律姓の末裔って現存するのでしょうか?
30 :
世界@名無史さん:04/10/10 17:38:40
耶律楚材って、蒙古人が「畑を潰して牧草を育てよう」と逝ったのを、必死で止めさせた人ですよね。
31 :
世界@名無史さん:04/10/12 05:05:15
杉チャマ、なんで楚材が嫌いなんでちゅか?
>>29 「有名人の末裔〜」スレでたしか姓を変えて家系は続いていたとかあった記憶が。
耶律楚材の成長率は最高!スゴク使える人材でした。
>>19 チーツァイは無理がある。チューツァイまたはツーツァイが近い。
ルビに誤植ってよくあるしね。
35 :
世界@名無史さん:04/12/27 13:26:09
>>31 史実を捏造して自分を大物に見せかけた俗物とこき下ろしておられます。
華北行政の第一人者でもなく、事実上単なるお抱えの一占い師。
宰相級どころか、中国戦線はまだしも帝国西北の事情について諮問されたら
答えようがないであろう下級の使い走り。それも晩年には使い捨てられて憤死。
ウイグル人の鎮海あたりの方がよっぽど有能。
・・・と熱く語っておられました。
36 :
世界@名無史さん:04/12/27 13:27:19
それと家族を何度も見捨てて顧なかったりするあたりも
「人間として本質的にどこか欠けている」と批判しています。
37 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/27 18:03:10
太師、上柱国、広寧王を追贈されてるんですけどね…。
いくら彼が捏造魔でも、死後に追贈された官爵や
「文正」と言うおくり名まで捏造できないでしょう…。
あのボオルチュが追贈された官爵が太師、広平王。
伯顔が追贈された官爵は太師、淮安王。
史天沢が追贈された官爵は太師、鎮陽王。
宰相クラスの元勲と同じぐらいの官爵を追贈されているのですから、
相当な勲功があったことは間違いないのではないでしょうか。
生前から太師だったムカリ、耶律阿海よりは落ちると思いますが。
耶律楚材小物説は、本来なら宰相職である中書令と伝に書かれているのに、
ペルシャ系の史書に名前が全く出てこないから、出てきた説なんでしょうね。
38 :
世界@名無史さん:04/12/27 20:37:37
それを「息子の捏造」とこき下ろしているw
>>38 確かに息子は中書左丞相。権力のある地位では有りますね。
しかし、史書の参考になるぐらい信憑性の高い記録を
ねじ曲げるぐらい捏造できる力がある親子なら、
「実は下級の使い走り」なんてことは有り得ないと思うんですけどね。
押しも押されぬ大権臣だった秦檜ですら、必死で文字の獄起こしても、
悪口が後世まで伝わって、史書にボロクソに書かれたんですけどね。
40 :
神戸人:04/12/27 22:48:03
耶律楚材晋卿
41 :
世界@名無史さん:04/12/27 23:00:55
粘合重山
何かちょっとやそっとのことじゃ動じないような、
頼りがいのありそうな名前だ。
むしろ粘着質の嫌な奴を想像したが。
43 :
世界@名無史さん:04/12/29 00:37:56
44 :
世界@名無史さん:05/01/26 18:31:06 0
金朝の時代に、いかにして一族の命脈を保ったのだろうか?
45 :
世界@名無史さん:05/02/05 17:02:09 0
ならチン瞬新よめ
とそっけない萌えっコ>45
46 :
世界@名無史さん:05/02/05 19:30:12 0
47 :
世界@名無史さん:05/02/05 20:05:05 0
我是个日本人!
你怎么这么马虎的?
遼の耶律あほきの長子、耶律倍の九世の孫である。
耶律倍は画家・読書家・学者と知られ、漢名李賛華として知られる。
49 :
世界@名無史さん:05/03/01 21:24:14 0
age
>>37 仰るとおり、ペルシア語史料では耶律楚材の名前は
不思議とまったく出てきませんね。
逆にペルシア語史料では盛んに出てきているのに、
『元史』などの漢文史料ではほとんど出てこない人物も多くいますね。
ホラズム出身のマフムード・ヤラワチとマスウード・ベク親子などはその典型でしょう。
ヤラワチは『元朝秘史』によると、チンギス・ハンのホラズム西征時に定住都市民の統治政策を
上申してから、中央アジア方面と金朝の中都の総督を拝命した人物で、
オゴデイの時代にはトルキシタン行政府の財務長官、ついで燕京行尚書省の財務長官、
皇帝モンケの時代にも燕京等処行尚書省の職掌の筆頭にもなっていますが、
その職歴に比して『元史』では数回名前が出てる程度で列伝も編まれていません。
耶律楚材について某先生はいろいろとぶった切ってますが(w
ペルシア語史料で名前がまったく出てこないのは、恐らく耶律楚材の類縁が西方では
一人も居なかったからではないかと思われます。
>>50の続きで。
最初のモンゴル史を書いたジュヴァイニーも東方へは一度モンケの宮廷に伺候したきりで、
あとはフレグの西征に扈従して兄の宰相シャムスッディーンのもとフレグ麾下の行政府で
没年まで政務に携わってますから、東方では鎮海以外の行政高官を知る機会は少なかったでしょう。
『集史』を編纂したラシードウッディーンにしても東方へ行ったことという話は伝えられてません。
勿論元朝からの人員がいくらか西方へ移住していますが、その殆どはモンゴル人やムスリムで、
契丹人はあまり知られていません。
しかも耶律楚材の一族は仏教徒なので、仮に耶律楚材がジュヴァイニーのように行政府の次席レベルだったとしても、
主席の鎮海レベルでなければ、ムスリムであるジュヴァイニーやラシードなどは
記録に残そうと思うレベルから漏れてしまうのではないでしょうか。
52 :
世界@名無史さん:05/03/15 12:54:01 0
age
二人の兄、善才と弁才って実在の人物なんですか?
54 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 18:30:02 0
こいつ陳舜臣という親中派台湾人が大好きなおっさんだよな。
ウルツサハリのチンポ食べたいワ
57 :
世界@名無史さん:2005/04/23(土) 01:28:51 0
age
疑似科学者の偏執的傾向
@彼は自分を天才と考える。
A彼は自分のなかまたちを、例外なしに無学な愚か者みなす。彼以外の人はすべてピント外れである。
自分の敵をまぬけ、不正直、あるいは他のいやしい動機をもっていると非難し、侮辱する。もし敵が彼を
無視するなら、それは彼の議論に反論できないからだと思う。
B彼は自分が不当に迫害され、差別待遇を受けていると信じる。公認の学会は彼に講演させることを拒む。
雑誌は彼の論文を拒否し、彼の本を無視するか、「敵」にわたしてひどい書評を書かせる。
ほんとに卑劣なやり方である。こういう反対の原因が、彼の仕事がまちがっていることにあるとは、
奇人には全く思い浮かばない。
C彼は最も偉大な科学者や最も確立された理論に攻撃を集中する強い衝動をもっている。
ニュートンが物理学でずばぬけた名声を保っていたときは、物理学での奇人の仕事は猛烈に反ニュートン的
だった。今日ではアインシュタインが権威の最高シンボルとなっているため、奇人の物理理論はニュートンの
肩をもってアインシュタインを攻撃するものが多い。
遼死期派
61 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 00:09:37 0
age
62 :
世界@名無史さん:2005/06/02(木) 17:02:07 0
63 :
世界@名無史さん:2005/06/04(土) 22:10:49 0
素材w
物性科学板に逝ってきます
64 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 22:57:54 0
age
65 :
世界@名無史さん:2005/07/27(水) 23:29:57 0
age
67 :
世界@名無史さん:2005/08/18(木) 15:16:45 0
「耶律楚材とその時代」読んだ。
なんか全人生否定されてて(´・ω・) カワイソス
>>67 杉山の耶律楚材論は無視しても構わない。
それよりも陳舜臣の小説の方が読んでてためになる。
69 :
世界@名無史さん:2005/08/18(木) 17:43:30 0
>>68 中国の暦よりイスラムの暦の方が優れてたみたいな箇所は
「むう、そうだったのか」とか思ってしまったが
あの辺どうなん?
イスラム側の「集史」や「世界征服者の歴史」には一言も言及されてないんだよね。
この自称位人臣を極めた人。
72 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 01:33:44 0
結論として耶律楚材は有能な人物だったのでしょうか?
それとも杉山説のような人物だったんでしょうか?
まあアレよ。
バビロニア人とかアッシリア人とかヒッタイト人みたいに、
滅亡しちゃって今はもう存在しない民族の人なんだからさ。
好きにしてえんちゃう?
74 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 14:15:23 0
だからこそたのしい
中国側史料を見る限りでは有能な文人兼官僚
でもモンゴルから見れば体のいい徴税部門の長扱い。
76 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 23:38:04 0
>67
あれは酷すぎる。
元朝秘史のゲームとか好きだった自分にとってはかなりショッキングな内容だった。
杉山キライ(>_<)
光栄の耶律楚材観は小説に近い。
杉ちゃんはなんか怨みでもあるんでしょうか?
>>78 金に重用された一族ながら、その金を裏切りモンゴルで出世して
のうのうと自画自賛している所が気に食わないんでしょ。
「耶律楚材とその時代」読むと良くわかるよ。
たんじゅんに、モンゴルに漢人官僚は不要ってことでw
漢人官僚は必要でしょ。
漢人世侯があれだけ重用された例を見ても。
漢人世侯って武人だと思ってた。
官僚なのか。
武将というより占領地の総督みたいな位置かな>漢人世侯
実際、徴税権や官吏任命権みたいなもの持っていたようだし。
じゃ、モンゴルに事務屋は不要ってことで
>>72 >51-52を書いた者ですが、個人的な意見としては
杉山説はさすがに言い過ぎだろうとは思いますが、彼の功績とされるものの多くは、
捏造とまでは言わないものの、当時華北経営、ひいてはモンゴル帝国の定住地域全体の
経営にあたっていた多くの官僚の功績を耶律楚材一人のものに帰している部分が大きい
ように思えます。
遊牧政権にかかわる官僚の多くは実務については有能ですが、政権トップの官僚は
実績によってその地位を獲得したものとはいえ、どちらかと言うとその過程で君主との
個人的なつながりによってその地位を保証され続けていたため、宮廷の裏では官僚同士の
政争や暗闘も日常茶飯事でした。
おおよそ彼ら高級官僚は自身の政務能力だけでなく、後ろ楯となる政権中核に参与する
有力部族長たちや王族、皇妃たちに取り入ってその地位の安泰に奔走していました。
これはイルハン朝やセルジューク朝など西方の遊牧王朝では特に顕著で、時には実績以上に
自分の功績を喧伝し、他の対立する官僚を罷免させたり処刑させたりしました。もっとも
このような現象はどこでもあったこととは思いますが。
>85の続き。
『元朝秘史』や『集史』を見る限りでは、モンゴル帝国はチンギス・ハンが政権を獲得する
最初期の幕僚達に、バルジュナ衆のひとりだったアサン・サルタグタイや後に中央アジア経営で
辣腕を振るったヤラワチ、マスウード親子のように、元からホラーサーンやホラズム出身の
ムスリム系やウイグル系の官僚達が多数政権の一角を担っていました。
モンゴル帝国による中央アジアや華北といった定住地域における経営の基礎を築いたのは、
ヤラワチ、マスウード・ベクはじめ、アルグン・アカや鎮海らで、その華北経営を担ったひとりが
耶律楚材だったと見るべきでしょう。
しかし、彼らの初期の官僚の多くは政権のトップに居続けることができたのはだいたい一代限りで
親子揃って数代にわたり官僚のトップを担う家系は少ない傾向にあったようです。クビライの登極の
ごたごたで大元朝がその諸領の多くを高原と華北、華南に限定された結果、官僚の現地採用が増えたため、
結果的に大元朝で活躍するムスリム官僚は、クビライ登極以前からモンゴル宮廷に出仕していた人々や
その家系が残ることになりました。その代表が例えば悪名高いアフマド・ファナーカティーや雲南の
ムスリム・コミュニティーの実質的な始祖となったサイイド・アジャッル・ブハーリーなどです。
オゴデイが死去した後にドレゲネ皇后により、後継者とはみなされていなかった皇子グユクが推戴され
ましたが、宮廷内外への波紋は大きく、オゴデイ・チャガタイ両家と、トルイ家、ジュチ家との関係を
決定的に悪くしてしまいます。この過程でドレゲネ皇后による強引なグユク擁立に官僚の側からも反発が
大きく、建国の功臣ともいえる官僚達も多くが罷免されました。耶律楚材もこの時に失脚した官僚のひとり
です。
楚材より早くモンゴルに投降して活躍した人物の功績も
何時の間にか楚材に取られている様な気がする。
阿海兄弟も、再評価されてしかるべきでは?
>86の続き。
このオゴデイの死に始まる政争により、宮廷の官僚達はオゴデイ・チャガタイ両家とトルイ・ジュチ家の
間で身の振り方を迫られます。鎮海は一度ドレゲネ皇后によって失脚したものの続くグユクの死去後に
皇后オグルガイミシュの側についたため、モンケの登極によって処刑される羽目になりました。
この時モンケの懲罰が激しかったため鎮海はじめオグルガイミシュ側についた古参の官僚の多くが
処刑されてしまいます。
一方ヤラワチとマスウード親子は、堅実な経営手法とおそらくヤラワチ本人の人柄からかオゴデイ・
チャガタイ両家とはもとよりトルイ・ジュチ家からも一目置かれていたようです。特にマスウードは
中央アジアの経済的復興を実現させたようで、彼の着任によってサマルカンドやブハーラー方面からの
税収は飛躍的にのび、トゥルイ家やジュチ家からの歓心を得ることに成功しています。彼自身モンケ
他界に始まるトゥルイ家内部の紛争で、クビライに忠誠を誓ったチャガタイ家のアルグに従っていた
ようですが、マーワラーアンナフルを所領とするチャガタイ・ウルスで権勢を誇ったカイドゥに組み
することになってしまい、後にフレグ西征軍に内偵したためアバカ・ハンには恨まれたようです。
彼の死後もマーワラーアンナフル方面の財務長官(サーヒブ・ディーワーン)の職はその息子、
サトルミシュやセヴェンチらが継ぎ、さらにオゴデイ家のチャパルの治世1300年代初頭にもその
子孫が任ぜられたようなので、ヤラワチの家系は歴代中央アジアの財務のトップであり続けたようです。
そのため後世までの父ヤラワチと並んでホラーサーンやマーワラーアンナフルの官僚たちや知識人たち
から賞讃と感謝を得ています。
またグユクの治世では、耶律楚材失脚後に登位したものの華北経営に失敗して処刑されたアブドゥッラフマーン
を襲って鎮海、ヤワラチが宮廷に復帰しています。ヤワラチはグユク即位からモンケ登極前後のごたごたを
何とかやり過ごしたため再度政権中枢での任官を受け、恐らくクビライの登極後も中統3年に死去する
まで華北経営に携わっていたろうと思われます。(ヤワラチの没年には諸説あり)
ヤラワチは官僚主席になることはありませんでしたが、チンギス・ハンによる登用以来、中央アジア、
華北での定住地域政策や復興政策に多大な貢献を成したため、中央アジア・イランでは当時もそれ以降も
ムスリム官僚からの支持はあつく、モンゴル王族や部将たちからも大きな評価を受けていた様です。
『元朝秘史』にも名を残し『世界征服者史』でも『集史』でも評価は高いです。先述のとおり
『元史』にも若干その名前が出てきます。
耶律楚材に限っていえば、後世の評価が大きい理由は、その後の大元朝における「現地採用」高級官僚の
嚆矢に結果的にあたったことと、何より息子の耶律有尚が中書左丞相に任じられ、彼の著書が編纂
されたことで漢人官僚の耳目を集めた部分が大きいと思います。
鎮海はそもそも官僚のトップでしたし、アブドゥッラフマーンも同じくトップ、しかも耶律楚材の失脚や
ドレゲネ皇后とグユクの即位にまで関わっているので、『元史』編纂の頃まで名前が残りました。
ヤラワチは子孫が中国本土に残らなかったため、また次席だったこともあってモンケ時代までの多大な
功績に比べて大元朝では後世にその事蹟があまり伝わらなかったようです。
耶律楚材とモンゴル帝国の官僚の話となるとなかなか事情が込み入ってて説明が長くなってしまって
恐縮するところですが・・・
さて、前置きがかなり長くなったものの、
>72の本題である「耶律楚材は有能だったか」という設問についてですが、
個人的な意見としては、モンゴル政権における影響力という点からすれば、前述の鎮海やヤラワチらとは
地位の面からも一段劣ると判断すべきかと思われます。
しかし、『元史』などの記述を信じるなら鎮海の許で華北の定住地経営の復興に尽力した一人で、なおかつ
失脚までは中書左丞相であったので>37で指摘されているように、後に太師、上柱国、広寧王を追贈され
ているので「その地位に相応分有能だった」ことは間違い無いでしょう。
ただ、モンゴル帝国では、大元朝での場合はあまりよくは知りませんが、鎮海のような官僚のトップが
いてその下にヤワラチや耶律楚材のような次席の官僚らがそれぞれの経営を担当し、さらにその下には
その他事務を担当する多くの官僚がいるという、宋朝などよりはかなりシンプルな官僚機構だったようです。
彼ら官僚は政権中核を担う部将(ノヤン)たちとは根本的に地位に格差があったため、『元史』などに
見られるようなチンギス・ハンらモンゴルの皇帝や王族と対等のような君臣第一等のような物言いをした
かに思える印象のエピソードの数々は割り引いて考えるべきかと思われます。この辺の財務官僚の地位の
脆弱さと危うさについては杉山先生も喧伝してやまぬところではありますが。
中書左右丞相やサーヒブ・ディーワーンという漢語やアラビア語のタームも
本来は「ジャルグチ」「ビチクチ」という物だったことについてはとりあえず置くとします。
チンギス征西時の占いの逸話はガセなのでしょうかね?
>>87 自分も初期にモンゴル側に帰順した耶律阿海ら他の契丹系のノヤンたちの
その後の動向は気になります。大元朝については全く知らないので何ともですが、
契丹系や金朝系の遺臣たちがその後のモンゴル帝国内部の数々の抗争でどのように
立ち回ったのか、楚材自身の評価に繋がるかは分かりませんがこれもモンゴル帝国史
の上ではやはり重要な問題のひとつだと思います。
彼ら他の契丹系と楚材との違いはやはりチンギス・ハン時代からの功臣でありながら、
自ら著作を残している点で決定的に違うのではないでしょうか?
レスを打っていて気がついたことがひとつ。
『元史』列伝中の楚材の説明で
「博覽群書、旁通天文、地理、律暦醫卜及釋道之學,並善詩文」と出てきます。
一見これは彼の博覧強記ぶりを表すかに思えますが、これらは中央アジア・イランはもとより
イスラム政権での知識人・官僚が雇用されたスキルにほぼ全て対応する項目だったりします。
モンゴル時代以前のペルシア語散文の傑作の一つとされる『チャハール・マカーラ』(封題:「四つの講話」)
は王に仕える側近を書記、詩人、占星術師、医師の四つに分類してそれぞれ有名な人物たちの逸話を
紹介していますが、耶律楚材が標榜していたスキルはどうもこれらムスリム官僚達が保持していた
スキルと対応させている気がしてなりません。
有名なイルハン朝の宰相ラシードゥッディーン・ハマダーニーも医師でしたし、かのイブン・スィーナー
もサーマーン朝に典医として出仕し同王朝が滅亡してからはガズナのスルタン・マフムードを嫌ったためか
主君を探して放浪しています。大元朝では皇帝の飲料を司った「舎利八赤(シャルバトチ)」が居ましたが、
これも実際には西方でもそうだったように医師が担当したように聞いています。
>93の続き。
天文暦道については13世紀を代表する大学者だったナスィールッディーン・トゥースィーをフレグ西征
のおり皇帝モンケがイスマーイール派に捕われていた彼を救出しカラコルムへ招聘するようフレグに内密に
要請した逸話が『集史』に出てきます。事実かれはモンケの死で招聘が適わなくなったあとはフレグに扈従
し、フレグが建設したマラーガ天文台で数学、天文学上の多くの業績を残しています。
天文学は数学でありひいては占星術であったため、『ルバイヤート』で有名なウマル・ハイヤームも本来は
数学者・天文学者で、星の配置を読んで自らの死後廟墓の有り様を予言し、ウマルと生前親交があった
『四つの講話』の著者ニザーミーはかれの死後三年たって彼の墓を訪れたとき、かれの予言通りの状態で
あったと述べられています。
詩文は知識人のたしなみとして広くペルシア語圏のムスリムたちの間でも作詩の伝統がありましたが、やはり
詩文を専門とする宮廷詩人に比する人々も居た様です。『集史』に継ぐモンゴル史の大著『ヴァッサーフ史』
は技巧と美文を凝らしたペルシア語韻文学の傑作と称されていますが、これを著したシハーブッディーン・
アブドゥッラーフ・シーラーズィーはこの功績に依りオルジェイトゥ・ハンより「ヴァッサーフル・ハズラト」
の称号を得ています。
耶律楚材は自らの博覧強記さをことあるごとに誇大に喧伝した心根の卑しい人物のように杉山先生あたりは
色々とぶった斬っておられるようですが(笑
自分としてはそう言う自己顕示的な部分はむしろ、そのような天文数学、詩文、医学、書記術などそれこそ
「万事に悉く秀でた」ホラーサーンやホラズム系のムスリム官僚がひしめくモンゴル宮廷において
「現地採用者」の第一世代として、自らそのスキルの修熟度のいかんにかかわらず、有能さを積極的に
アピールせねばただちに捨てられかねない、彼自身の「焦り」や「自己防衛」の現れのように感じられます。
>91
ジャラールッディーン討伐途中で瑞獣「角端」が表れて楚材がこれを占じたという話のことでしょうか?
95 :
世界@名無史さん:2005/09/05(月) 18:19:29 0
ウラマーと士大夫では要求されるスキルが違うのですか?
中国だと四書五経以外の学問は個人の趣味でやってたのかな。
>>95 士大夫が実際に保有していたスキルがどのようなものだったのか、
自分は中国史に暗いので何ともですが、イスラム政権での官僚登用の場合、
採用試験のようなものは特になかったようです。
ただ、彼ら官僚はウラマー、つまり「イスラム関係の宗教知識」に習熟していたから
採用されたのではありません。ウラマーが本来活躍する場は、都市や人々の生活の場での
「実生活上の諸問題に対してその宗教的な知識用いて対処を援助する」のが基本です。
ウラマーという知識階層は、基本的に中央政権とは全く関係のない独立した存在です。
ただ、政権に要求される官僚のスキルとは、第一に書記としての文章作成や経理を目的と
していました。文章作成にはイスラム世界の政権である以上イスラムについての基本的な
知識やそれに適った内容の文章を筆記したり作成してり出来なければなりません。
そのため書記にはウラマー(イスラム知識人)と認識された人々「も」多くいました。
もともと官僚には在地の地主階層やその家人たちなども多くいました。彼らは農地や水利の
管理を行い、土地台帳を作成して自らの土地の財務や管理を統括していました。これらの
土地管理能力をもって時の政権に寄与する場合が多かったようです。場合によってはこれを
資本として広域的な商工業に従事し、さらなる資本の拡大を計っていた様です。
これが中央アジア・イランをはじめとする当時のイスラム世界の代表的な富裕層です。
97 :
世界@名無史さん:2005/09/06(火) 01:34:46 0
>>96 ちょっと読みづらいので、各行もう5〜6文字減らして改行して下さい。
>ただ、彼ら官僚はウラマー、つまり「イスラム関係の宗教知識」に習熟していたから
具体的には、これ以降です。
世界史板でこれくらいの長文はざらだろ
長文の事を言ってるんじゃなくて、改行のタイミングね。
その程度の読解力も無い様じゃ、ざらな長文も理解出来てないでしょ?
何だコイツ
他人の読解力云々言う前に改行がどうとか言わないで黙って読む態度のほうが
重要だと思うよ。
素直に陳舜臣の小説を読むとよろし。
102 :
世界@名無史さん:2005/09/07(水) 17:32:04 0
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| 楚材 |
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 ̄ ̄ ̄
耶律出差
104 :
世界@名無史さん:2005/09/15(木) 17:51:58 0
清代に再評価されて墓が今の位置に移されたそうだ。
今の位置って何処?
>>105 北京の頤和園。
乾隆帝の代に再埋葬された。
age
108 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 01:09:12 O
陳の小説しか読んでないが、激動の中にあって静かな生き方には憧れる。
杉様に新著「疾駆する草原の征服者」の目次をみました。
耶律楚材の項はありませんでした。
110 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 18:31:28 0
>>109 ご先祖の耶律阿保機の記述が半分を占めていたな。
まあ、杉様は楚材好きじゃないからな。
どうしても読みたければ「耶律楚材とその時代」読むことだ。
大半が人格否定だがな。
111
『耶律楚材とその時代』を読んだ。
耶律阿海・禿花兄弟ら契丹軍団の動向やらウルグ・ビチクチ鎮海について
史料に出てくる事蹟や当時のモンゴル帝国の政務的な職権の解説とかを
絡めてもう少し詳しく書いて欲しかった。
113 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 05:11:03 0
age
114 :
世界@名無史さん:2005/12/24(土) 17:40:20 0
age
115 :
世界@名無史さん:2005/12/25(日) 03:57:21 0
ヤワラチとガチで勝負したら
どっちが凄かったのだろう
谷さんが?
117 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 13:41:50 0
耶律楚材って何ヶ国語出来たんだろう?
杉様著を高校生が読んだら入試で損するな。
119 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 17:34:19 0
>>117 晩年で考えると、漢語・モンゴル語・契丹語・女真語は話せたと思う。
それと推測だが西征に従った経験上、ペルシャ語も少しは出来たかも。
120 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 17:28:55 0
マレーシアに旅行したときのガイドさん
出身民族の中国語、公用語の英語、日本語と、フランス語を少々。マレーシア人は4、5カ国語は普通。
といっていたが・・モンゴルもそうだけど、多民族国家で生きると語学が出来ないと、ダメなのかな?
121 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 21:27:55 0
金王朝での科挙で首席合格したのが出世の始まりだけど
当時、南宋と金では科挙の難しさに差があったと思う。
122 :
世界@名無史さん:2006/02/03(金) 16:16:17 0
古本屋6店回ってやっと見つけた「耶律楚材」
ナウシカ見て、これ読んで、今夜は最高!って下巻が無い!
>>119 りわけ、モンゴルが無条件の世界国家となり、平和共存の時代風潮に包まれた
十四世紀前半、「トイ」はモンゴルの世界性を反映して、当時のユーラシアで
最もハイセンスな人々の社交の場となった。さまざまな言語が飛び交う中で、
モンゴル語は王族共通の言語として、トルコ語とペルシア語は参加者共通の
国際語として、使われた。おそらく出席者の多くは、この三つの言葉を能くしたのだろう。
逆に、この三つの言葉が出来なければ、為政者側に立つ身としては
辛いところがあったかもしれない。
杉山正明『モンゴル帝国の興亡』
>>119 あとウイグル語。これが読み書きできないと上司のチンカイが発布する
勅令が読めないことになちゃうから、確実に読めたはず。ただペルシア語はどうだろう。
チンカイやヤラワチあたりはウイグル語やペルシア語は母語みたいなもの
だから普通に読み書きできてた。あと漢語だが、チンカイは良いとして
モンケの時代に漢土を担当したヤラワチやその部下だったらしいサイイド
・アジャッルも漢文が読めたみたい。
チンカイは契丹語や女真語も出来たそうだから、マルチ・リンガルという面でも
やはり文書行政のトップだっただけにチンカイが一番優れていたことはだいたい
彼について触れている東西の史料を総合するとわかるようだ。
モンゴルの宮廷では王侯も官僚たちもモンゴル語が一番重要であとウイグル語、
ペルシア語の三頭体勢が基本だったようだ。それに附随して周辺諸民族の言語である
漢語や西夏語、チベット語などが続いていく感じ。
楚材の立場としてはモンゴル語とウイグル語と漢語に不自由しなければ問題なかったし
西域でもウイグル語が話せれば意志の疎通はなんとか出来たろうからペルシア語は
あまり使う必要は無さそう。ただ当時の宮廷ではウイグル系とイラン系の官僚が殆ど
だったから、そちらとの兼ね合いでペルシア語は少しぐらいは知っていかも。
>>122 ナウシカと楚材に何の共通点があるんだ?
強いて言えば、「文明」か??
126 :
世界@名無史さん:2006/02/08(水) 13:08:36 0
原作では、ナウシカの国「風の谷」はクシャナ軍に制圧され、ナウシカは捕虜となる。
クシャナ軍の1人として最前線で戦い、いろいろいろいろあって、対戦国も含めた世界の架け橋になる。
> ナウシカの国「風の谷」はクシャナ軍に制圧され、ナウシカは捕虜となる。
ここの部分は映画の方。
原作ではナウシカはトルメキアの同盟国(というか保護国?)である辺境諸国の
首長代理のひとりとして参戦してる。
従属関係にある「エフタル」系の辺境諸都市のひとつペジテ市が巨神兵を発掘したことに
危機感を抱いたトルメキア本国がクシャナ皇女率いる正規軍でペジテを武力制圧。
トルメキアは、辺境諸国の紐帯の引き締めとクシャナの中央からの排除を狙って、
クシャナのペジテ派遣軍を核に辺境諸国軍を加えた連合軍団を組織して南方の戦線に投入。
(というのは表向きで敵国と密約を結んで遠征途中でクシャナをアボーンする計画だった)
結局クシャナはアボーン出来なかったけど、遠征軍は壊滅。辺境諸国軍はアボーン計画の
巻き添えになる寸前で戦線離脱。そのまま一旦風の谷まで戻って各々帰還。
ナウシカはこの辺境諸国軍で唯一クシャナの南方戦線到着まで随伴した人物。
途中で「一身上の都合」により戦線離脱しちょうけど。あとは周知の通り。
そんなに似ている・・・のかな?
楚材とナウシカの共通台詞
「やめて!もう殺さないで!!」
130 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 19:09:06 0
杉山正明の「耶律楚材とその時代」古本屋で購入。
感想はひたすら楚材と漢文史料を貶める記述の連続で読んでいて吐き気催した。
杉様はモンゴル原理主義者ですからねえ。
132 :
世界@名無史さん:2006/02/16(木) 16:51:34 0
元史などの漢文史料を「信用できない」をばっさり切り捨てているからな。
まあ確かに元史は多少、問題のある史書なので疑うのは分かるが
杉山のは、まるて仇敵扱いだ。
133 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 17:04:39 0
やっと見つけたあ!「下巻」みかんもらったあ。今夜は・・・
「・・その時代」はまだ無い・・
来年のチンギス映画化で、この人も出るだろうが
誰が演じるのかな?
135 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 19:09:52 0
どうやら登場しなさそうだな。>楚材
136 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 19:55:40 O
マジかよ。
137 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 19:57:36 0
母親のホエルンの視点から見た、という脚本だそうだから
モンゴル統一で終わるそうだ。
よってホラズムも金も無し。
従って燕京(北京)在住の楚材も話に絡んでこない。
138 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 14:19:25 0
お髭、嫌いなの!
今ん所いい男でイメージしてるので映像ださないでえ。
チンギス時代の楚材は単なる占い師だから映画にしにくい配役だよな。
>>139 占い師ならテブ・テングリと被ってるうえに
向こうの方が強烈なキャラだしな・・・
森村原作の楚材は何故か娘をモンゴルに殺された設定になっているから
出すと話がややこしくなるので削除されたんじゃない?
それとも製作スタッフの中に杉山信者がいたとか。
森村って誰?
143 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 18:11:23 0
>>142 森村誠一
映画化するチンギスの原作者で角川事務所から出した小説が元だが
前半のモンゴル編が殆どフィクションと化している。
まあ元々歴史(特にモンゴル史)とは無縁の作家だから仕方ない。
司馬遼太郎も大阪外語大でモンゴル語専攻した割には適当なこと書いてるよな。
司馬作品でモンゴル(元)が舞台のてあったっけ?
韃靼疾風録は満州だし。
>145
「戈壁の匈奴」と「ペルシャの幻術師」
(,,゚Д゚)<ウルツサハリ!
>>146 >「戈壁の匈奴」
ガラスの浴槽で沐浴する王女が、チンギスハンのオルドに閉じ込められる悲劇と記憶してます。
耶律楚材は出てこなかったようですが。
エッセイならともかく小説の内容を見て、司馬氏は適当なこと書いているとか言われてもなー。
司馬の話題になると盛り上がるな。
152 :
世界@名無史さん:2006/03/15(水) 00:27:23 0
10代の頃はモンゴルに「やぶさる・める」という風習があると信じてました・・・
153 :
世界@名無史さん:2006/03/16(木) 02:38:36 0
エーッ!!!!
やぶさるめるって嘘だったの〜?
杉山学説読み込むと、チンギス時代の楚材の功績が悉く嘘に思えてくる。
特に西征での占いの数々。
もしかしてこれらは元史編纂する際に漢族が捏造した物じゃないのか?
>>154 杉村学説事態がうそ臭いと言うのは、
言ってはいけないのかな?
>>155 杉村なぞおらん。
杉本氏の学説は嘘臭いがな。
現在では中国(主に華北)方面の徴税担当首席だと言われてるが
漢人軍閥との関係は良好だったのだろうか?
>>157 「耶律楚材とその時代」で「叙述の配分を間違えて書くスペースがなくなった」という部分ですね。
159 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 21:30:30 0
陳舜臣の小説では張柔と親友だったけど、元史張柔伝に楚材との関係表した箇所は無いんだよな。
陳舜臣の耶律楚材は未読だけど「チンギス・ハーンの一族」は読んでみた。
漢籍からの情報は多分問題無いんだろうけど、西方の史料からの情報の
こなし方は流石にアラが目立ってた。
特にモンケのところなんて、ユークリッド幾何学、ヤラワチとの
アリストテレス談義ときてナスィールッディーン・トゥースィーの
名前が全くかすりも出てこなかったうえ、「モンケは東西文献に
明るかった反面、シャーマンの託宣に頼る迷信深い人物」という
評価してるけど、これはちょっと理解が半端過ぎると思った。
たぶんドーソンの邦訳を半端にしか読んでなかったんだろうなぁ・・
耶律楚材、チンギス・ハンの西征の件もどうなってるか不安で
ちょっと読むのを躊躇ってしまう。
読まなきゃいいじゃん
>>157 楚材は中央政府の役人だけど、漢人世侯(というか、諸侯の領地)に
命令できる権限あったんでしょうか?
中央政府の直轄領にしか権限ないのでは。
>>159 なるほど。勉強になります。
小説は、面識の無い人間を無理やり同時に登場させる嫌いがありますな。
読者に興味を持たせるためとはいえ、嘘だと分かるとしらける。
>>160 陳舜臣氏のチンギスは主に漢文史料(特に新元史)と
ラシードの集史だけど、この人の専門分野が中国史だから
どうしても中国主体史観から抜け出せていないね。
とはいえモンゴル至上主義の杉山を100%信じろと言うのもあれだが。
165 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 15:14:23 0
杉山正明が中国嫌いといっている連中は、
彼の華北碑文探索に関するエッセイや元史をフル活用した論文を読んだことあるのか?
杉山正明は中国が嫌いというよりモンゴルの支配体制を破壊した
朱元璋と明が嫌いなんだよ。
陳氏の小説で描かれている楚材はその明が編纂した元史により
虚構だと断定しているからね、杉山先生は。
167 :
世界@名無史さん:2006/04/05(水) 19:08:03 0
楚材自身は居士号持つほどの仏教徒だが
同じモンゴル帝国内のイスラム系高官との関係はどうだったのだろうか?
それと楚材の対イスラム観もどうだったのか
168 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 15:29:50 0
age
559 :世界@名無史さん :2006/05/02(火) 20:09:40 0
杉様が研究室の院生ひとりひとりの胸倉摑んで
「きみたちこれのどこが面白いと思うのか言ってみろ!」
て泣きながら迫ったんだってな。
だけど院生は言うことをきかずにこっそり耶律楚材を読み耽り、
最大のライバルである長春道人が死んだ時は、
陳列館のスリッパ両手で持ってゴーゴー踊りながら追悼したんだよな。
170 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 21:31:16 0
書が一つだけ残ってるよね。
字を見たら、結構普通の字だった。味のある良い字だと思う。
172 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:03:04 0
不思議なのは、兄の弁才・善才が「才」の字を使っているのに
末子の楚材だけが「材」なのか?
173 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 23:11:25 0
同時代人に不人気なのは仕方ないんじゃないか?
だって、兄達が国に殉じていく中で、一人だけ侵略者の片棒担いでるんだから
???
175 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 22:19:49 0
>>169 紫綬褒章貰ったな杉サマ。
これで日本学界での楚材の評価も厳しくなるのかね?
176 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 22:28:48 0
杉山氏は何故耶律楚材の容貌までボロクソに書いているのだ?
容姿は人間に関係ないだろ。
177 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 22:35:01 0
チンギスが賞賛したウルツサハリも楚材の捏造と論じているからじゃない?
何にしても杉山教授の楚材についての学説は距離を置いて見るのが宜し。
一介の書記兼税官吏風情が宰相だの中書令だのと自画自賛するのが気に食わない。
それが杉山クオリティ
暦の話の真偽はどうなの?
「耶律公神道碑」のそれに関する記述は宋子貞や耶律鋳の嘘八百なのかどうかで
杉山氏の「耶律楚材とその時代」の信用度もおおいに違ってくると思うのだが。
180 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 22:19:28 0
元代の暦は1280年に郭守敬が授時暦を完成させたのが始まりじゃない?
181 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:11:00 0
192 :世界@名無史さん :2006/05/22(月) 21:00:37 O
諸葛武侯は将帥としてより、為政者として尊敬できる。
彼に比肩できる人傑といったら耶律楚材ぐらいしか
思い浮かばん。
182 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:33:53 0
楚材厨必死過ぎwww
183 :
世界@名無史さん:2006/05/23(火) 00:19:06 0
杉山氏の「〜とその時代」は楚材への悪罵が目につくが
金の哀宗皇帝の描写はなんか感動したな。
思わず涙しそうになった。
碑文作成に金の遺臣を任じる元好問が居たから
哀宗の記述も自然と熱が入る。
185 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 20:03:56 0
チンギスの「この人は天が我が家に賜った云々」は楚材の捏造?
チンギス時代の楚材は一介の書記兼天文官。
そんな端役にチンギスが高評価する訳が無い。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
保守
189 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:31:11 0
190 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 19:51:47 0
あげ
さすがアカヒ
中国人の彼は生涯の軍師と断言しやがったw
軍師はありえん。
漢人かどうかは微妙だが。
194 :
世界@名無史さん:2006/12/03(日) 21:13:01 0
おねえちゃんおなかが減ったよ
保守耶
196 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 00:44:16 0
遼の皇族って全滅していたと思ってた
ヤールースーツァイ
198 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 13:10:16 0
academy6.の方に移転したからまだある。
200 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 07:01:20 0
現在「集団ストーカー」というのがよく話題になります。
創価学会がやっているとか、探偵社がやっているとか、色々憶測が飛んでいますが、
実際には学会が行っている犯罪です。学会員と揉めてからはじまりました
学会の中には創価班・牙城会という部署があり、ここには
「学会・学会員とトラブルを起こした一般市民に嫌がらせをするセクション」
が存在します。
この連中は学会の敵を監視して、嫌がらせをするのが仕事です。
こいつらが行っている任務が、集団ストーカーです。
学会員は組織的なネットワーク網が充実しているため、実行部隊には学会員を使っています。
パッと見には、誰が学会員だとかはわからないでしょう。
それをいいことに、学会のネットワークに個人情報を流し、嫌がらせをさせているのです。
「仄めかし」というのは本来、「どこにいても対象のことを知っている人間がいる」
=「どこにいても監視されている」と思わせることが目的です。
それを治安を破壊する者でなく、単なる一般市民に対してハイテクを駆使して
集団で行うのが、学会の集団ストーカーです。
警察なども行っているという報告がありますが、警察内部にも学会員はいますから
自分達の敵に容赦しない創価学会は一般市民に対しても 容赦なく実行してしまいます。
また集団ストーカーの後始末は精神科へ行かせて証言能力を奪うか
社会的に抹殺するか学会員にするかのいずれかですが地域や親戚家族をも
巻き込んで猿芝居を演じて基本的には絶対に精神科へ叩き込みます
どちらにしても、学会が、その体質として受け継がれてきた敵対者をひっそりと
抹殺する方法が集団ストーカーといわれているものの実態です。
http://stalker.client.jp/
エリュー・チューツァイ
202 :
世界@名無史さん:2007/06/22(金) 02:20:16 0
耶律楚材と耶律阿海の関係について
1.同族なのか
2.同時代なのか
書かれた本が有れば教えて下さい
204 :
世界@名無史さん:2007/06/25(月) 01:26:45 0
>>202 同時代ではあるが阿海の方が先輩格。ただ世代的には、阿海が一世代古い。
それから、契丹王族の末裔では共通だが、お互い分家の分家同士で、先祖が
共通と言うくらいの関係。
陳舜臣さんは耶律一族の子孫らしいが
ソースは?
207 :
世界@名無史さん:2007/08/22(水) 09:56:11 0
石抹氏などもまだ存続してるんでしょうか。
まさか
209 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 16:42:31 0
>>205 陳さんは頴川陳氏の末裔で純粋な漢族。耶律との関係は全然ない。
このスレまだあったのかwwwwww
hoshu
212 :
世界@名無史さん:
w