ソビエト兵士はレイプを見物した。スラブを劣等人種として扱い、そのような人種との性交は
やめるように仕向けたドイツ人の自尊心を傷付ける適切な方法として、レイプはしばしば
女性の夫や家族の目の前で行われた。レイプの下地としてロシアの父権制社会と酒による
どんちゃん騒ぎもまたその要素だが、もっと重要なことは、ドイツのかなりの富に対する
恨みであった。ビーバーによる最も重要な事実は、ソ連軍がドイツ人ばかりか、強制収容所
から解放したばかりの犠牲者までもレイプしたことである。征服された地のドイツ人に比べ、
それらの地域から解放された時レイプされたロシア、ポーランド女性の数ははるかに少ない
けれど、性的暴力はしばしば無差別であった。しかしながらユダヤ人は、必ずしもソ連軍に
より、ナチによる犠牲者と同類とはみなされていなかった。ソビエト兵站部は、ナチの役人と
同じく、階級敵を含む自らの政治犯を収容するため強制収容所を徴用した。ソ連軍の以前
の収容者(ユダヤ人)に対する態度は、控えめに言っても、感傷的(同情的)ではなかった。
何百万というロシア人囚人やナチスにより生き残らされた奴隷労働者に関しては、反逆者と
して処刑されなかった者、Gulagに送られなかった者は、幸運な者にカウントできよう。
それらの内女性は、おそらくドイツ人からの扱いと比べ良いどころか、ひどく扱われた。
ドイツでのレイプは苦々しい遺産である。そのことは、東ドイツでの共産主義体制とその
結果起こるStasi秘密警察に頼ることに対する不人気に貢献した。レイプの犠牲者自身は、
永久にトラウマ(心的外傷)を背負うことになった。戦時世代の女性は今でもベルリンにおけ
る赤軍の記憶(記念碑)を「未知のレイピスト(強姦者)の墓」として言及されている。