ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【4】

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赤軍兵士は収容所を解放する際、ロシア人女性もレイプした。赤軍兵士は200万のドイツ
人女性をレイプし、東ヨーロッパで何千人ものソビエト女性を強姦した。(1945年晩秋)
残酷な戦争状態の後、ロシア兵全ての男達はレイピスト(強姦者)になろうとした。著者(Mr
.ビーバー)は残虐行為はなかったとほざく、ロシアの軍事歴史家を非難する。200万人が
レイプされ、その内半分が輪姦だった。ある女性は23人の兵士に輪姦された。広範囲なレ
イプは男性の性の暗部である。戦争時、赤軍兵士に社会的、秩序的な痕跡は見られない。
この件に関してソビエトの歴史家は盲目(嘘つき)となり、レイプをドイツのバルバロッサ作戦
の報復に過ぎないと言いはなし、著者は強く非難している。ソ連軍のある地区司令官は保護
を求めるドイツ人女性の一団に言った。「そうだね。兵士にレイプされても、わがすべての
兵士は健康(性病がない)だ。」Mr.ビーバーは言う。赤軍兵士の例(レイプ)は、集団レイプ
は兵士のきずなを形成する実戦行為であることを示す。ロシア大使は嘘だと言い張る。ロシ
ア人は否定するが、これらの不愉快な行為は、ビーバーがロシアの公文書(記録保管庫)
から発見したものである。ドイツ人女性レイプは、ドイツの公文書から前より知られていたが、
ソビエト市民がレイプされた記録は西側で発刊された最初のものであるとBBCニュースで
ビーバーは述べた。ロシアで多くの人は戦争時、赤軍兵士がやった行為について結論を出
すことに躊躇している。赤軍兵士が女性収容者をレイプしたことを発見した時、核心を揺る
がせたとビーバー氏は言う。赤軍兵士のレイプがドイツ人に対する報復としてなされたという
概念は完璧に物事を傷つけるものである。女性は戦争時、肉欲の戦利品となっていた(赤
軍の場合)。第三帝国は多くのロシア人、ウクライナ人女性を誘拐し、軍の売春婦にした。
赤軍はある面、飲酒が誘うサディズムと陵辱の狂乱に従事した。ビーバーがBBCで言うに
は、人はソビエト国家と赤軍を非常に規律あるイメージを持つが、1945年の最初の4ヶ月、
これらの兵士たちは完全に制御不能であった。
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モスクワにあるロシア科学アカデミーの軍事史の長であるオレグ・レシェフス
キー教授がBBCで言うには、これらは、文書証拠によらない重大な告発(非難)
である。
教授はビーバー氏の書物の抜粋を読んだにすぎなく、本のソースは見ていない
ことは言及している。
彼が言うには、レイプの数、女性を殺害した情報は、犠牲者や目撃者の数、
インタビューやその他そのようなソースの抜粋に基づいている。
彼はビーバー氏の言いまわし、「ベルリンの記憶」「レイプされたドイツ人女性
の体験」は、科学的研究というより三文雑誌のフィクションが適していると言う。
ドイツ軍がソ連でやったことを考えれば、復讐の殺到を予期できただろう。
しかし、それは起こらなかったし、ソビエト軍の多くの将兵、同盟軍は、
管理下の人々を人間的に扱った。4148人の赤軍将兵は残虐行為をやったこと
で罰せられた。
グラスゴーの歴史家・マドスレイ教授は、このこと(赤軍のレイプ)が、
女性が肉欲の戦利品になった最初ではないと言う。
ロンドンのキングスカレッジの歴史家。リチャード・オバリー教授は、ロシア人は
決して赤軍がやった残虐行為を直視しないであろうと言う。
一面ではロシア人がそれらの残虐行為の多くが、もっと悪いことをした敵に対する
正当化された復讐だと感じている。
もう一方の面では、彼らが「勝利の歴史」を書いているから(認めない)である。
アンソニー・ビーバーはBBCの「ベルリンのための戦い」というドキュメンタ
リー番組で大きく取り上げられた。
24世界@名無史さん:04/08/15 15:46
「赤軍部隊は収容所から解放したロシア女性さえもレイプした。」  by ダニエル・ジョンソン

ナチス・ドイツが死に絶えつつあった時期、赤軍のレイプの嵐(大騒ぎ)は、軍事史家・
アンソニー・ビーバー氏の新刊本によれば、これまで疑われていた以上にはるかに大規模
に行われていた。ベストセラーになった、「スターリングラード」の著者・ビーバーによると、
進軍するソ連軍部隊は、強制収容所において、何百万ものドイツ女性と同様、ものすごい
数のロシア、ポーランド女性をレイプした。赤軍の無秩序、堕落(腐敗)の規模(程度)は、
バイキングから4月にこれから発刊される「ベルリン」という本の著者が、ソ連の公文書を
研究した時に現れてきた。ビーバーは、サンドハーストで教育を受け、アルバート王子所有
のエリート騎兵連隊である第11軽騎兵として勤務した。ビーバーによると、ソ連兵士の行動
の詳細は、彼をしてその人間性に対する観方を根本からひっくりかえさせた。ほとんどの
人は潜在的にレイピスト(強姦者)であるという過去の人を馬鹿にしたような考えをずっと
持ってきたので、私は以下のような結論に至った。もし「軍律」というものがなければ、ほと
んどの武器を持った男は、2〜3年戦争体験を過ごせば人間性を失い必ず潜在的レイピス
トとなるとビーバーは書籍販売員に話した。彼はアメリカのフェミニスト・マリリン・フレンチの
悪名高い主張、「女性と関係を持つことにおいて、全ての男はレイピストで、男とはそういう
ものだ」という言葉をそのまま言ってるように見える。しかし、そのような類似は表面的なも
のである。ビーバーは、1944年以降に起こった出来事は、とりあえず典型的な平和時の
男の行動だという暗示に対しては注意深い。しかし、彼は、強制収容所から解放された
ロシア、ポーランド女性もまたレイプされたことを発見して、「核心を揺るがされた」ことを
認めている。赤軍兵士達は、ドイツ人に対する復讐の形としてレイプを使ったのだと言うこと
は、人をむしばむ(傷つける)概念だとビーバーは言う。ロシア人達がベルリンに到着する
までには、赤軍兵士達は、女性をほとんど肉欲の戦利品とみなしていた。
2524 続き:04/08/15 15:46
彼らは自分達が ヨーロッパを解放しているのだから、自分らが好むように振る舞うことが
できると感じていた。
そのことは大変驚くべきことだ。だから、人々は文明はひどく表層的で、彼らの見せかけ
(解放)は、非常に短期間に剥ぎ取られてしまうと悟る。ビーバーは歴史家として高い評判
があり、彼の主張は重大な関心を持って取り上げられるだろうことは保証できる。
「スターリングラード」は広く賞賛され、評価の高いサミュエル・ジョンソン賞、歴史の分野の
ウォルフレン賞、ホーソーンデン賞を授与された。しかしながら、彼のベルリン包囲攻撃の
報告は議論を引き起こす可能性がある。「多くの点で、ベルリンの婦女子はスターリングラ
ードで餓えて、苦しんでいた兵士よりはるかに苛酷な運命であった。」ドイツでのレイプが
他に例をみないほど、とてもひどいのは何故かということを理解するためには、次ぎのよう
な背景が欠かせない。バルバロッサ作戦(1941年、ナチスのロシア侵略)は、歴史上、
最も大虐殺的紛争の始まりであった。今では、おそらくソ連の3000万の住民が、戦争中
に死んだと考えられていてその中には、ドイツの捕虜収容所で故意的に餓死させられた
300万人を含む。何の利益も要求しないドイツ人たちは、何の見返りも期待できなかった。
ドイツ人の死傷者は莫大な規模だった。ベルリンの戦いだけで、100万以上のドイツ兵が
殺されるか、捕虜の状態で死亡し、それに少なくとも10万人の市民が含まれる。ソ連軍は
30万以上を失った。この恐ろしい背景に対して、スターリンと彼の司令官たちは、レイプを
ドイツ女性ばかりか、同盟国のハンガリー、ルーマニア、クロアチアの女性に対しても許す
か、正当化さえした。ユーゴスラビアの共産主義者、ミロワン・ジラスがスターリンにレイプ
の件で抗議した時、独裁者は感情を爆発させた。「やつは、血と砲火と死の中を何千キロ
も行軍した兵士なら女との楽しみやふざけごとなどを持つことがわからんのか!」
2624:04/08/15 15:47
ドイツの共産主義者がスターリンにレイプは人々を我々からそむかせることになると警告
した時、スターリンは「私はぬかるみの中の赤軍の評判の足を引っ張るも者を許さないだ
ろう」とひどく腹を立てた。レイプは赤軍が1944年に東プロシャとシレジアに入った時に
始まった。多くの町や村では10歳から80歳までの全ての女性がレイプされた。ノーベル賞
受賞者のアレクサンダー・ソルジェニーツィンはその時、若き士官でその時の恐怖(戦慄)
を物語詩・「プロシャの夜毎」で綴っている。「マットレスの上の生気を失った少女達、何名
の兵がその上に乗ったか?一個小隊、たぶん一個中隊だろう」しかしソルジェニーツィンの
ような人は稀であった。ほとんどの彼の同志達はレイプを正当なものとみなした。ドイツ奥
深くへの攻勢が進んだ頃、彼らの司令官であったツコフ元帥は述べている。「殺人者の土
地に悲惨を持ち込め!我々はあらゆることに対しての恐ろしい復讐を手に入れるだろう!」
赤軍がベルリンに到着するまでに、ナチのプロパガンダで補強されたその評判は、すでに
住民(その多くは逃げ出した)をひどくおびえさせていた。希望のない闘争は1945年5月
に終末を迎えたが、ドイツ女性の厳しい試練は終わらなかった。
何人のドイツ女性がレイプされたのか?推測するとソ連圏に住んでいた人あるいは、東部
地域から追放された人の内、高い割合で、少なくとも1500万人となる。レイプの規模は、
1945〜48年の間、毎年200万の女性が非合法に妊娠中絶した事実から暗示される。
ソビエト当局が病気のまん延を心配し、敵との親交に対し、東ドイツにいる赤軍兵士に重罰
を課すようになったのは、1946年から47年の冬になってからのことであった。
27世界@名無史さん:04/08/15 15:48
ソビエト兵士はレイプを見物した。スラブを劣等人種として扱い、そのような人種との性交は
やめるように仕向けたドイツ人の自尊心を傷付ける適切な方法として、レイプはしばしば
女性の夫や家族の目の前で行われた。レイプの下地としてロシアの父権制社会と酒による
どんちゃん騒ぎもまたその要素だが、もっと重要なことは、ドイツのかなりの富に対する
恨みであった。ビーバーによる最も重要な事実は、ソ連軍がドイツ人ばかりか、強制収容所
から解放したばかりの犠牲者までもレイプしたことである。征服された地のドイツ人に比べ、
それらの地域から解放された時レイプされたロシア、ポーランド女性の数ははるかに少ない
けれど、性的暴力はしばしば無差別であった。しかしながらユダヤ人は、必ずしもソ連軍に
より、ナチによる犠牲者と同類とはみなされていなかった。ソビエト兵站部は、ナチの役人と
同じく、階級敵を含む自らの政治犯を収容するため強制収容所を徴用した。ソ連軍の以前
の収容者(ユダヤ人)に対する態度は、控えめに言っても、感傷的(同情的)ではなかった。
何百万というロシア人囚人やナチスにより生き残らされた奴隷労働者に関しては、反逆者と
して処刑されなかった者、Gulagに送られなかった者は、幸運な者にカウントできよう。
それらの内女性は、おそらくドイツ人からの扱いと比べ良いどころか、ひどく扱われた。
ドイツでのレイプは苦々しい遺産である。そのことは、東ドイツでの共産主義体制とその
結果起こるStasi秘密警察に頼ることに対する不人気に貢献した。レイプの犠牲者自身は、
永久にトラウマ(心的外傷)を背負うことになった。戦時世代の女性は今でもベルリンにおけ
る赤軍の記憶(記念碑)を「未知のレイピスト(強姦者)の墓」として言及されている。