>だが、それが果たしてスターリンのもとにまで達していたのか、また軍事戦略策定にどの
ような意義をもったのか、ゾルゲ報告と極東部隊の西送との間には因果関係があるのかな
ど、肝心な点に関しては、史料が十分でないため、解明が進んでないのが実情だ。
むしろロシア国内では、極東部隊西送の狙いは、反撃のためどころか、対独先制攻撃へ
の準備にあったのではないかとの見方さえ生まれている。
>クレムリンによる対独攻撃計画を克明に裏付けたことで知られる新進歴史学者、ミハイル
・メリチュホフ氏(ロシア史研究所)は、スターリンが四一年六月までに、すでに全軍兵力の
「81・5%」を「極秘のうちに」欧州戦域に集中させていたことを明らかにしている。細かい
時期や部隊の内訳などは不明とはいえ、少なくとも西送は、南進についてのゾルゲ報告
より前に開始されていた可能性が高いのだ。
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0408/13/1061825798.html (vol.3ミラー)144-146
155 名前:エロい人 ◆PbEDBwNxYY [] 投稿日:05/02/18(金) 00:27:36 ID:zUZG83h0
>>148 ソ連側の史料で裏付けられたじゃん。
ドイツ攻撃のために、ルーマニアのベッサラビア地方にソ連の師団を集中させていたという、
KGBの秘密文書、通信記録が近年公開されたはず。
156 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:05/02/18(金) 00:27:56 ID:8aBDeNP4
「対独攻撃計画意見具申書」(独及びその同盟国に対する戦争の為の戦略開進計画)
・支攻撃をジードルチェ、デンブリン方面に加え、ワルシャワ近郊に独軍を拘置する
・スロヴァキア国境に近いボーランド南部をクラカウ方面に進み、ドイツと同盟国を分断した後北上し、
ポーランドに展開している敵軍を包囲
・フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、東プロイセンに対しては防御
・作戦には303個師団、砲兵74個連隊、218個飛行連隊を使用
ソ連の対独侵攻計画について詳細に触れた本は「砕氷船」という本だと思われます。
著者がソ連からの亡命将校(GRU所属の佐官)であることもあって、ドイツ系の書籍では
大きく扱われることが多いようです。
「知られざるスターリン」等、ロシアでは否定的に扱われているようです。