二十世紀初頭のフランス

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952世界@名無史さん:2005/12/31(土) 20:16:44 0
既出だろうが

在任中に発狂した大統領がいたよね。
確か噴水に飛びこんだりしたとか。
誰だっけ?
953世界@名無史さん:2005/12/31(土) 20:54:04 0
デシャネル
ポワンカレとミルランの間で短期間在任。
954世界@名無史さん:2005/12/31(土) 21:39:04 0
>>953

ありがとう。
映像がこれだけ発達した現代で
「フランス大統領の奇行!」とかがテレビで流されたら
大混乱だろうな。
955     :2005/12/31(土) 21:51:14 0
つか、このスレ立ったのは去年の7月じゃん。世界史板ってホントのんびりなんだな。
956世界@名無史さん:2006/01/01(日) 16:26:16 0
だが、それがいい
957世界@名無史さん:2006/01/05(木) 17:21:05 0
age
958世界@名無史さん:2006/01/11(水) 07:53:21 0
当時は、女性は民法上無能力者扱いだよな。

女性参政権も第二次大戦後。
まあ、当時は、北欧だけか。
959世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:17:54 0
アポリネールらの率いるキュビスム一派が、無審査のアンデパンダンテ展覧会
開いたことで、国会にも取り上げられたという。

いくら「芸術の都」を称していたとはいえ、平和というか暇だったのかなあ。
960世界@名無史さん:2006/01/13(金) 16:19:54 0
               ∧∧              ヽ=@=ノ      
              ( 'A`)            (´Д`;)                  
               / J J            ⊂| Y.⊂フ                      
               〜しーJ             |=◎=|
                              (__(_)
フランスの警察官は、不審事由ある人物を48時間拘束できます。
アルセーヌ・ルパンの時代には、令状で逮捕できない場合でも、「任意宿泊」なんてことも、
していたそうな(ルブランの小説に出てくる)。
961世界@名無史さん:2006/01/13(金) 16:34:47 0
本当に留置場に泊めて、取調べしていたそうだ。           
962世界@名無史さん:2006/01/18(水) 22:22:21 0
マルセイユにはイタリア人街があった。
フランスには、イタリア移民やその子孫の有名人が結構いる。
1902年に死去した文豪のエミール・ゾラの父親も、イタリア人の土木技師だった。
963世界@名無史さん:2006/01/20(金) 08:15:56 0
イタリア移民や白系ロシア人の同化に、フランス語教育、同化政策は正解だった。

それにしても、児童性的虐待の大量冤罪事件は、19世紀、20世紀と200年の歴史を
持つフランスの予審判事制度に終止符を打つかもしれない。
尋問をしても、相手の言うことを聴こうとしない、ということだ。
フランスでは、ドレフュス事件以降、冤罪事件の度に改革を繰り返してきた歴史がある。
964世界@名無史さん:2006/01/20(金) 11:44:59 0
ルーブル美術館では、金曜日の夕方から晩にかけて、26歳以下の無料入場を認めている。
美術愛好者の数の維持を採算に優先させた形。
この時間帯の入場者の7割に相当。
965世界@名無史さん:2006/01/20(金) 17:49:04 0
若者の雇用対策にあれこれ知恵を絞ってくれている点では、良い国になりました。
20世紀初頭の時点では、日曜休日の保障と労働基本権くらいのものだった。
966世界@名無史さん:2006/01/20(金) 18:50:58 0
最近では、郊外の団地のように管理人のいないアパートもあるようだ、

だが、すくなくとも戦後しばらくの間までは、アパルトマンには「門番女」が
いたものだった。
郵便物の受け渡しも、彼女を通じて行われるので、ご機嫌をとり、チップも
支払わなければならなかった。
967世界@名無史さん:2006/01/22(日) 17:30:24 0
アクション・フランセーズ万歳
968世界@名無史さん:2006/01/22(日) 17:44:15 0
小党分立で、外交でドイツに押されまくりなイメージあるけど、
この時代にアフリカを侵略しまくり。

感化院行きの落ちこぼれたちは、植民者(コロン)として占領地に送られ
被占領地の住民の上に立つ特権階級だった。
969世界@名無史さん:2006/01/23(月) 14:43:07 0
age
970世界@名無史さん:2006/01/24(火) 12:28:01 0
植民地が、落ちこぼれの敗者復活の捌け口だった。
971世界@名無史さん:2006/01/24(火) 12:53:18 0
国内では、誘拐されて娼婦やサーカス芸人、踊り子にされる少女も、
まだまだ多かった。
今日のように、国立サーカス学校で養成される時代ではなかったのだ。

親が子供を売るケースも存在したであろう。
972世界@名無史さん:2006/01/26(木) 20:50:37 0
フランスのブーランジェ将軍

右派を基盤に絶大な人気を博し
一時は政権奪取の機会もあったが
本人が臆病風に吹かれて国外逃亡して
あっという間に人気失墜。
最後は愛人の墓前で拳銃自殺。
        ↑
こういうポピュリストの政権獲得が難しいという意味で、第三共和制は有効であった。
973世界@名無史さん:2006/01/28(土) 19:06:39 0
フランスの諜報機関は、内務省直轄の組織である。
特別高等警察のようなもので、海外でスパイ活動も行った。
刑事警察とは、別組織である。
80年代のイランと交換された捕縛スパイさえも、なお内務省管轄であった。
974世界@名無史さん:2006/01/28(土) 19:24:22 0
明治政府が高等警察(政治警察)を作る際、手本にしたのがフランスだからな。
975世界@名無史さん:2006/01/30(月) 07:53:11 0
向こうじゃ、刑事事件の報道で、予審判事や警部の名前が報道されるね。
これも、この時代からかな?
個人の責任がはっきりする意味では好都合だが・・
976世界@名無史さん:2006/01/30(月) 08:00:13 0
大学の法学部出ても、なぜか司法官や弁護士、代訴人でなく、
ジャーナリストや作家といった物書きになる人間多かった。
ガストン・ルルー、モーリス・ルブラン、バルザック・・

バルザックの時代には、中退がなるものだったようだが・・
977世界@名無史さん:2006/01/30(月) 08:08:42 0
もうこの時代から、卒業の難しさの割りに、出世は難しかったのだろうか?
978世界@名無史さん:2006/01/31(火) 19:13:20 0
アルザスの人々にとっては、この頃のほうが幸福だったろ。
シュヴァイツァーも、この頃だな。
979世界@名無史さん:2006/01/31(火) 19:27:56 0
フランス語の学習は、母国語にしている人間にとっても、結構大変だそうだから、
ドイツ語圏なら尚更だろう。
低学歴で差別されてきたはずだ。
バルザックの『従妹ベット』読んでも、そう思う。
980世界@名無史さん:2006/02/01(水) 08:27:49 0
>>975
警察はともかく、予審判事に電話、というのもこの時代。

『黄色い部屋』の舞台となった19世紀には、状況証拠だけでも簡単に有罪にされた
ことを考えると、指紋など科学捜査はかなり進んできたとは思うが。
981世界@名無史さん:2006/02/01(水) 20:03:41 0
予審判事の

「対審」式=二人の矛盾する証人を並べて尋問する方式

どのくらい有効な方法だったのだろうか
982世界@名無史さん:2006/02/01(水) 20:13:55 0
>>981
当時の小説によく登場します。

大時代に見えるけど、フランスでは警察より信頼されてきたようです。
983あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/01(水) 21:22:17 0
>>981
「対審」というのは現在の日本の民事の口頭弁論や刑事の公判のように、対立する
当事者が向き合う形式での審理を指して言います。これに対し当事者の片方だけを
呼んで取調べる「審尋」という手続もあります。保全処分のように申請者の一方的な
主張に基づいて緊急に処分を決しなければならない場合に、申請人が提出した疏明
書類だけでは一応の心証を得られないとき、関係者を尋問するのが「審尋」です。
日本でも戦前の刑事手続で行われていた「予審」も正式な公開対審方式の公訴提起の
前段手続として、裁判官によって行われた一種の審尋です。
二人の矛盾する証人を並べて尋問する方式は「対質」であって、「対審」ではありません。
「対質」は現行の「民事訴訟規則」に規定がありますが、実際上は稀にしか実施されません。
984あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/01(水) 21:40:29 0
http://www.asahi-net.or.jp/~gr4t-yhr/yosinkettei.htm
例の阿部定の「予審決定書」です。
このように予審判事は完全に証拠収集した上で、十分な心証に立って付公判を
決定しますので、大抵の事件は短期間の審理で決着していました。
しかし密行手続なので公安事件などで暗黒裁判などと批判される嫌いもあって、
戦後の刑訴法改正で廃止されました。
985世界@名無史さん:2006/02/02(木) 07:43:51 0
なぜ、あやめは改行とか行間を空けるとかして、読みやすくする手間を惜しむのか。
986世界@名無史さん:2006/02/02(木) 11:04:24 0
モーリス・ルブランが『アルセーヌ・ルパンの逮捕』を書いたとき、
彼は40になっていました。
本来純文学志望で、心理描写のリアルで複雑な小説を書いてきましたが、
全く売れませんでした。
987世界@名無史さん:2006/02/02(木) 11:06:27 0
ルブランは、一代で成功した石炭商の父親の脛をかじって、
24のときモーパッサンにかけられた励ましの言葉を胸に、
小説を書き続けたのです。
988世界@名無史さん:2006/02/02(木) 19:51:42 0
大衆雑誌の編集長に進められて、気まぐれで載せたところ、結構評判になった。
その後は、進められ、断っては折れるの繰り返しだったそうだ。

もっとも、油に乗って多作だった。
だが、『8・1・3』で、ルパンを海に放り出し、死なせたかに見えた。
結局復活させるも、1年1作となる。

純文学へのコンプレックス、
冴えない作者の自分が、脚光を浴びるルパンに脅かされる強迫観念に苦しめられたそうだ。
989世界@名無史さん:2006/02/02(木) 20:05:10 0
>>984
公判が、陪審制や参審制の場合は、むしろ好都合と思うが


990あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/02(木) 20:28:19 0
どのように好都合ですか?
991世界@名無史さん:2006/02/02(木) 23:49:22 0
>>916-917
日本の旧制高等学校助教授資格試験みたいな物だな
992世界@名無史さん:2006/02/03(金) 05:42:36 0
>>990
公判で陪審で無罪にされうるなら、十分な証拠を揃えた段階にならないと、公判に付託されない。
その証拠をそろえるのに、予審制度でなら時間をかけられる(強盗殺人なら1年以上)。
993世界@名無史さん:2006/02/03(金) 05:44:10 0
>>992
1年以上被疑者の身柄拘束をできる、という意味。
994世界@名無史さん:2006/02/03(金) 11:40:59 0
>>992
この文章、意味わかりにくい
センテンス整えて書いてよ
995世界@名無史さん:2006/02/03(金) 20:52:41 0
>>984
>このように予審判事は完全に証拠収集した上で、十分な心証に立って付公判を
>決定しますので、大抵の事件は短期間の審理で決着していました。

そうである以上、同じ裁判官なら、疑いの心証を抱くのは難しい。
しかし、部外者の陪審員なら、それができる。

他方で、十分な証拠の揃わない事件で、陪審員の偏見や情緒で有罪になる危険も
少ない。検察官の準備不足で、有罪なるはずの事件を無罪にしてしまう危険も。
996ナポレオン・ボナパルト ◆ZUnjioWL5g :2006/02/03(金) 20:58:50 O
マジノ線ばっか固めてんぢゃねぇぞ
997ナポレオンボナパルト ◆4smx1yp7No :2006/02/03(金) 21:01:10 O
ベルギーとの国境固めろや。

第一次世界大戦とおんなじ失敗してんぢゃねーぞ。
998ナウシカ ◆riVnPLh8wU :2006/02/03(金) 21:03:02 O
3ヶ月でパリ陥落(笑)
999ナウシカ ◆EDiLFuAihk :2006/02/03(金) 21:04:17 O
999なら、フランス革命おこる。
1000フランス共和国:2006/02/03(金) 21:05:13 O
1000ならフランス人に変身する。
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