62 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 01:15:57 0
おくみの左前・右前が厳密に区別されるようになったのはいつごろ?
奈良時代の日本ではまだ両者混在だったらしいけど。
63 :
世界@名無史さん:2005/10/06(木) 00:55:06 0
64 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 01:28:39 0
そういや日本と朝鮮はネックレスやブレスレットの習慣が廃れてしまったね。
同じキモノ風のおくみを持つ服を着る琉球やアイヌや清以前の中国では
身に付けていたから、デザイン上の支障が理由ではないと思うけど。
謎だ・・・
65 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 19:11:11 0
日本史板から興味深いものを見つけました。
台湾で発生した日本国民殺害事件の責任を清朝が否定した事で、台湾の領有権が清朝の手を離れた。
日本はすかさず台湾に派兵し、失敗に気づいた清朝は大慌てで西洋諸国を味方につけて台湾を日本から奪還しようと画策した。
一触即発の危機となった日清間の関係改善を図る為、日本からは外務卿の副島種臣が北京に赴いた。
ここで、清朝側は皇帝の前に出る副島に対して三跪九叩頭の礼拝を要求した。
三跪九叩頭とは皇帝の前で3回土下座して、一回の土下座につき3回ずつ頭を地に付ける姿勢をとる作法だ。
これは皇帝の臣下としての礼であり、例えば朝鮮国王ならば皇帝の使者に対して上座を譲って行なう事を義務づけられている。
ところが天皇の名代として北京に下向した副島は、敢然と三跪九叩頭を拒絶した。
副島は、西洋諸国の使者は皇帝の前でそんな礼拝を要求されていない事を指摘した。
清朝側は、日本は東洋の礼を知る文明国であるが故に、東洋の礼を忠実に守るべきだと反論した。
副島はそのようなタワ言を一蹴して次のように言った。
天皇は中華皇帝と対等の友人であり、自分は天皇の代理として北京に来たに過ぎない。
自分は天皇の臣下であるが、天皇も自分も中華皇帝の臣下ではない。
対等の友人に対して三跪九叩頭を要求するのが東洋の礼だなどとほざくつもりかこのボケが。と。
中華の教養の粋を集めた翰林院出仕のエリート官僚どもを、副島は儒教が最重要視する礼に関する議論でアッサリと論破した。
李鴻章はある時、副島に対して和服を捨てて洋服を着用するようになった日本人は野蛮になったと批判した。
先祖代々の伝統を重んじるのが文明であり、先祖の習俗を忘れたかのように蛮族である西洋人の姿を真似るのは野蛮の証拠だと批判した。
副島は、李鴻章の姿は満州人の髪型と服装であるが、漢族はいつから満州族の姿を真似るようになったのかねと問い返し、
李鴻章の寝言を一蹴した。
李鴻章は副島の知性に感服し、日本人を愚かな蛮族だと見ていた自分の愚劣さを自覚する事が出来たという。
66 :
世界@名無史さん:2005/11/16(水) 00:01:50 0
補章を最初に採用したのは北宋でしたっけ?
67 :
世界@名無史さん:2005/11/16(水) 16:15:22 0
>>65 思いっきりスレ違いだが、
せめて毛利敏彦『台湾出兵』(中公新書)くらい嫁よ。
自分の脳内妄想に都合のいい記事見つけました!ってはしゃいでるバカ紆余の姿丸出しで恥ずかしくないか?
69 :
世界@名無史さん:2005/11/21(月) 23:03:53 0
日本には数珠レットが存在します
70 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 11:18:02 0
>>64 強いてあげれば、室町〜江戸初期にキリシタンがロザリオをしていたくらいか?
確かに謎だ。
71 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 00:26:49 0
貴族じゃなくて皇帝の衣装なんだけど
古代の衣装は、秦の始皇帝像に代表されるように
引きずるくらいの重厚な長衣を纏い、つま先の反り上がった靴をはき、
前後に数珠のようなものを何本もぶら下げた冠をかぶっている、
そんな感じだったけど
唐の太宗像やそれ以降の皇帝像は、そのまま馬に乗れそうなくらいシンプルな衣装で
皇帝でなく軍人といっても通用してしまいそうで、明らかに秦漢の伝統的皇帝像とは異なっている。
これって唐が北朝系の王朝で、北方文化の流入による影響なのでしょうか?
72 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 00:34:41 0
>これって唐が北朝系の王朝で、北方文化の流入による影響なのでしょうか?
そうだと(思う)。
宋代に既に「中華の衣服は胡服」と論じた文人もいる。
尤も伝統的な衣装が消えた訳ではなく
始皇帝像の「こんべん」と呼ばれる服装は
即位式や元旦の儀式などで引き続き用いられている。
唐太宗像の衣装は「朝服」と呼ばれる
普段の執務で着用するもの。
唐代の壁画を見ると長衣の礼服を纏って朝貢使を迎える官僚が描かれている。
皇帝の服の色は黄色と決められたのはいつ頃からでしょうか?
北宋南宋の頃はまだ白色だったと思うのですが、明あたりから黄色の服を
着始めているような気がします。
これはやっぱり北方異民族であるモンゴルからの影響でしょうか?
正直、大の大人が昼間からまっ黄色の服を着て出歩くなんて
ちょっと美的センスを疑ってしまう。
74 :
世界@名無史さん:2005/12/25(日) 23:14:43 0
>>73 >まっ黄色の服着て
「即位の礼」見なかったかね?
75 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 17:41:00 0
>昼間からまっ黄色の服を着て出歩くなんて
通常宮城から出ないからw
>>64 確かに、日本にはネックレスやブレスレット、指輪がないよね。
奈良時代にはあるみたいだのに。
後、髪飾りもない。
江戸期になったら、簪や半襟が出てくるけど、
平安時代から戦国時代まではないみだいだね。
日本の女の人なんてみんな黒髪だから、
髪になんか付けて変化を出してみたいとは思わなかったのかなあ。
昔の服装やアクセサリーは個人のおしゃれではなく、
身分を表現するものだったから、女性の社会的地位の低下と関係あるのかな。
77 :
76:2006/01/07(土) 20:27:53 0
日本史ねた失礼
78 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 18:45:28 0
大長今見ている限りは李氏朝鮮も同様じゃない?
高句麗・新羅あたりだと副葬品から結構ヒカリモノが頻出するが。
儒教の階級意識と関係あるだろうか?
ちなみに琉球とアイヌは貴賤を問わずイヤリングやネックレスがあったようだが。
確か・・・
天正少年使節の少年たちも、ローマで宝石を見せられても興味を示さなかった、
と書かれている、って聞いたような気がするんだが、どうなんだろう。
80 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 13:19:27 0
80ゲット
81 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 00:47:23 0
>>76 唐の服制が浸透してから宝石や貴金属の装身具が廃れたんですかね。庶民はどうだったんでしょうな。
82 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 22:42:44 0
他の中華圏の国はどうだったんだろう
83 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 23:28:50 0
>54
極北のアレウト族のつば付き帽や、トリンギット族の
被りものも、それに似ている気がする。
84 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 01:31:01 0
「中国服装史―五千年の歴史を検証する」
華 梅 (著), 施 潔民 (翻訳)
白帝社
中国ドラマ「三国志」(原題「三国演義」)は考証がしっかりしてるので
この時代を調べたかったら役に立つ。
「ヒーロー」「ラバーズ」は美術優先で、ほとんどオリジナル衣装と化している。
おおざっぱに言えば・・・
南北朝までは上下つながった衣装で帯を締め、衿の合わせも日本の着物に近い。
袖も振袖のように垂れている。型による男女差も少ない。これを「深衣」という。
南北朝時代に北方民族の影響を受けたらしく、筒袖に丸首の衣装が現れる。
「袍服」という。唐の太宗の図ではこの衣装になっている。
しかしそれ以前の深衣に近い衣装も残る。
女性の衣装は上(「衣」)と下(「裳」)に分かれたものになりハイウエストで帯を締める。
着物のように斜めに交差する衿と丸首と両方あり。
永泰公主墓壁画や唐三彩などが参考になる。
その後デザインに変化はあるが、基本的に袍服と衣・裳の組み合わせが続く。
清朝になって満州服が導入され、服装が大きく変化していく。
満州服は「旗袍」という。
85 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 19:07:32 0
>>51 漢人はじめ農耕民は官僚が笠を被るなんて考え付かないもんな。
しかもてっぺんに宝石やクジャクの羽毛を飾るなんて明らかに非漢族的だよな。
しかしどこ起源なんだろうな。
モンゴルにもそれらしき被り物は見当たらないし。
86 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 23:48:48 0
>しかもてっぺんに宝石
皇族がかぶる笠の頂上に塔みたいに立ってるあれ?
日本でいう五輪塔に相当する意味らしいよ。チベット仏教由来らしい。
モンゴルにもあるのかは分からずスマソ。
8 :マンセー名無しさん :2006/05/06(土) 23:46:11 ID:fUompYge
韓国の歴史捏造癖による弊害が、どうやら宗主国様の国で出てきているようです。
【韓流】 中国古代服は大長吟(チャングム)服?〜韓国ドラマの影響で韓服に誤解される漢服[05/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1146922097/ 去る5日も北京市内にある紫竹院公園では「漢服」で着飾った20人余りの男女大学生が、
公園に遊びにきた市民たちと「矢投げ」「卵投げ」など伝統的な民俗遊びをしていた。
この大学生らは中国古代服を、将来自分の学科服として作ろうとしている北京大史学科の学生。
市民たちとの遊びを通じて中国の伝統文化を広く知らせるという主旨で一種の文化宣伝活動をしたわけだった。
しかし学生らが着た秦・漢・唐などの中国古代服を見た何人かの市民は「あれは何の服だろう?
大長吟服か?」と言い、このような市民たちの反応に担当デザイナーと学生は、
たまにそんな誤解を受けると自ら認めた。デザイナーは「腰高く着るこんな種類のスカートは、
唐の時に一般婦女子が普通に着ていた服だが、現在TVで見る韓国の服装ととても似ている」と
多くの人々がこの服を韓服と間違って理解していると神経質に明らかにした。
29 :マンセー名無しさん :2006/05/07(日) 00:22:47 ID:jZvQcsqO
そもそも韓服なんて当て字で正しくは漢服なのにねえ。
まあ、今の中国で漢服は一般的な民族衣装ではないし、
仕方がないのかも。
でもこれで怒り狂った宗主国様が立ち上がり、
近現代史で抑圧された史学者の鬱憤を古代史で晴らすべく
韓国の捏造を徹底的に叩いてくれれば見物です。
資料をほじくり出す考証学の本拠地ですしね。
スタパか
89 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 14:58:54 0
>>87 「韓服」って当て字だったの?!
「漢服」と発音が同じなのは、偶然の一致だと思ったのだけど。
90 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 02:43:59 0
月例保守。
91 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 12:41:53 0
ほす。
92 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 14:01:08 0
93 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 16:00:52 0
くそっ、不覚にもw
93が転落したのか?
95 :
93:2006/08/26(土) 13:05:06 0
不覚にもリンク先を開いてしまったw
またウイルスか!
97 :
世界@名無史さん:2006/08/28(月) 15:03:35 0
漢服 漢装 唐服 唐装
リンクを見たらウイルスと思えというのは我が家の家訓
99 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 08:09:49 0
100 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 02:49:08 0
100ゲット
101 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 17:15:31 0
102 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 11:27:01 0
103 :
世界@名無史さん:2006/11/12(日) 01:05:45 0
い
重たそうな服だ
乳だしてる国あるよ
チマチョゴリは乳だし衣装だった
古代日本の耳横にまげ作る変な髪形はなんで廃れたの?