1 :
世界@名無史さん:
古代中国貴族の、衣装の資料及び画像を探しています。どなたか・・
板違いでしたらスマソ
2
3 :
世界@名無史さん:04/07/19 19:29
漢和辞典の付録ぺぇじとかに載ってないか?
5 :
世界@名無史さん:04/07/23 00:47
映画「始皇帝暗殺」あたりは史実に近い衣装なのかな。
>>3 チャイナドレスは古代中国じゃないと思うぞw
でも三国志に出てくるような衣装は見たことないなー
沈従文 編著「中国古代の服飾研究」 古田真一・栗城延江訳 (京都書院)
がいいらしい。でも、値段が、ついでに出版社がすでに……。
9 :
世界@名無史さん:04/07/28 07:05
10 :
世界@名無史さん:04/08/11 22:54
カンフー映画とかの考証はどれほどあてにできるのかな。
11 :
世界@名無史さん:04/08/31 22:01
「ラバーズ」は唐代の官服ってことでオケ?
韓服のパクリであると知られています
13 :
世界@名無史さん:04/08/31 22:09
チャイナドレスの起源は満州だ。
高句麗の領土だった所だな。やはり韓服か
15 :
世界@名無史さん:04/08/31 22:14
満州で乳出しは寒かろうw
京城で乳出しもそう変わらんと思うが
BSで放送開始の大長今、
「登場人物の衣装は当時の実際のものと異なります」と
断りのテロップが入っているよw
李朝に中間色の官服はあまりなかった印象があるけど、実際はどんなだったんだろう。
官服に補章が現れたのは宋からでしょうか?
ソウです、と落したいところだがw明代の官服からだったような。
21 :
世界@名無史さん:04/12/18 02:51:49
チャイナドレスを中国女性の正装としたのは蒋介石総統。
22 :
世界@名無史さん:04/12/25 02:45:29
くるみボタンが南北朝時代の中国発祥ってほんまかいな?
23 :
世界@名無史さん:05/01/06 18:57:09
ほんとうだよ
日本の衣冠束帯は、ソグド人やペルシア人の衣装を唐代に唐風にアレンジしたのをそれまた日本風にアレンジした代物。
25 :
世界@名無史さん:05/01/28 01:05:30 0
日本の衣冠束帯が黒一色なのは何故?
27 :
26:05/01/30 11:34:55 0
黒一色ではないようですね。失礼しました
28 :
世界@名無史さん:05/02/03 15:54:08 0
宋から元にかけて、あるいは明から清にかけて
古い漢民族の民族服はほぼ絶滅した。
29 :
世界@名無史さん:05/02/03 18:57:16 0
>>28 >民族服はほぼ絶滅
軽々しく絶滅なんて言葉を使うなよ
「廃れた」がより適切
少数民族などに各時代の
漢族の衣装や音楽は残っているよ
日本の雅楽だってそうだし
リ族の音楽もそうだ
30 :
世界@名無史さん:05/02/03 19:27:15 0
少数民族にのみ原形がつたわる惨状ということは
とりもなおさず異民族王朝に民族のアイデンティティの
自立性を他律的にされたということを意味する。
本来漢民族は日本の浴衣に近いゆったりとした習俗を
このんだが、元、清の侵入でほぼ壊滅した
いずれも漢の習俗につらくあたり、従わぬものは刑に処された。
少数民族に残っているのは辺境であるがゆえに脅威で無いとみなされ
放置、黙認された結果論に過ぎない。
31 :
世界@名無史さん:05/02/03 19:53:40 0
32 :
世界@名無史さん:05/02/03 20:04:04 0
特に清の弾圧によって廃れさせられたと他律的なのは事実。
一般的なチャイナドレスなど満化の形跡の方が一般的に強いし
33 :
世界@名無史さん:05/02/03 20:06:50 0
呉服が来る前のヤマト民族の着物は
自発的に捨てて中国風の呉服が成立したのか?
34 :
世界@名無史さん:05/02/03 20:13:35 0
YES,改新後、髄唐の文化を取り入れ律令の法整備を整え
地方に法整備の旨を慣習法から文書化し現地の豪族を国司、
郡司化していく過程で自然と豪族も次第に変化していったと考えられる
35 :
世界@名無史さん:05/02/03 21:14:07 0
>>34 中国の「駅」とか官吏登用試験は
日本国内でも運用されていたの?
公用文書は中国語オンリーだろうけど、
高級官吏らの発音も中国語だったの?
>>35 陸続きの半島と異なり、日本は大陸からの伝播過程である程度の
取捨選択はあったというのが常識なんだがな。
だから門閥貴族の地位を脅かす科挙や宦官は導入されていない。
しかし、当時の先進国である隋唐の文化を既得権益層が
侵されないと判断した場合、積極的に導入していることは周知の事実
だと思うがね。
なお、発音であるが、隋唐の文化の流入にともなって当初訓読みが
伝えられた。 ただし日本語の文法および語彙で理解が難しいものは
音読みで伝えられた時代の変遷にしたがって本場(あちら)との意思疎通は
困難になるが、改新後、大宝律令で完成される従来の慣習法から
法制化への流れの上で各地の豪族の官僚化が促進すると共に
風俗も唐風へと変化していく。具体的なきっかけは国司や郡司に
へと秩序だって逝く中で伝播されていくのだが。
>>35 なお、駅についてであるが、天武一代の事業ではないが、
700年代までかけて行政地域を「道」として区分し、
官道を設けている。 それまでは主に海上交通や水上交通が
徴税や軍勢の主な手段であった。これらを改め、租税や
軍勢の速やかな移動を可能にしたのは唐土の制度を参照
下のだが。
39 :
世界@名無史さん:05/02/27 13:22:36 0
朝鮮の官服は歴代中国王朝の服制に合わせてきましたが、
清代は明の官服のままでしたよね。
滅ぼした王朝の服のままでは、宗主国様から睨まれなかったのでしょうか?
40 :
世界@名無史さん:05/02/27 13:30:14 0
ヴェトナムの官服も仏領時代にいたるまで明時代のままですが、何か?
41 :
世界@名無史さん:05/03/17 20:48:47 0
琉球も確か明の官衣だったか。
42 :
世界@名無史さん:05/03/19 10:38:24 0
大河ドラマ「琉球の風」で沢田健二が着てた装束がそうかな。
43 :
世界@名無史さん:05/03/19 14:14:12 0
ラストサムライで明治天皇が儀式の時に着ていた
衣服はもっと前の中国の服だろ
44 :
世界@名無史さん:05/03/21 00:08:13 0
素人の漏れは「明=赤地」「清=青地」と憶えて見分けてまつ・・・
45 :
世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:09:04 0
ふーん
モンゴルなどは、あれだけ長い間中原に王朝を繰り返し立ててきたが、
民族衣装に中国の官服らしい影響は見て取れないね。
不思議といえば不思議だ。
47 :
世界@名無史さん:2005/04/30(土) 00:25:48 0
確かにね
48 :
世界@名無史さん:2005/05/03(火) 14:10:40 0
むしろ胡服騎射の武霊王以前から漢人に影響を与える側だったよな。
ブーツやバックルなんかはそうでしょ?
49 :
世界@名無史さん:2005/05/09(月) 01:47:43 0
毛織物やフェルト生地も恐らくそうでは。
50 :
世界@名無史さん:2005/06/03(金) 00:19:55 0
51 :
世界@名無史さん:2005/06/12(日) 13:00:24 0
清の官服で笠を被っているが、あれは女真族由来のもの?
伝統的に漢人は冠でずっときたと思うのであれは異色かと。
皇なつきさんのイラスト等は、かなり時代考証しっかりしてるみたいです。
勿論絵自体もイイってこれはスレ違いか
53 :
世界@名無史さん:2005/06/12(日) 23:20:03 0
>>10 当てにしない方がいい。
カンフー映画とかドラマの多くの原作になっている武侠小説は、
基本的には、歴史に場を借りたファンタジーだから、衣装はビジュアル重視。
要は、かっこよかったり、ユニークだったらそれでいい、ということ。
まあ、ある程度は時代とかも考えているかも知れんけど。
清代を舞台にしたある武侠ドラマを見たんだけど、
歴史色が薄いことをいいことに、弁髪完全無視w
54 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 22:42:19 0
>>51 ツングース系民族に特徴的な被り物で、南方アジアの編み笠とは
形こそ似ているが別系統のものらしい。
>>53 >歴史色が薄いことをいいことに、弁髪完全無視w
でも、辮髪の無い架空の近世後期中国って、
なんか個人的にかなり好きなんだよなぁ。
中華一番とか。(世界史板には不適切な例えかも?!)
清の時代から見られる、満州服のあのような形って女真族のなかではいつ頃から
あるんでしょうか。
世界史の資料集に載ってる完顔阿骨打の絵を見ても漢民族の衣装や着物のように
前で交差させて帯で止めるタイプの服を着ていて、満州服やチャイナドレス
のように、帯を使わないような服ではなかったので
書き終わらないうちに「書き込む」をおしてしまったorz
続きです。
>のように、帯を使わないような服ではなかったので
金の時代の女真族は清の頃のような満州服は着ていなかったと思うのですが。
知ってる方いましたら教えて下さい。
58 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:34:35 0
>>56 帯を締めなくなったのは清代、漢人に影響されたものらしいよ。
康熙帝の時代に書かれた日記に「近頃の女真婦女子は古来の質実剛健の風を忘れ、
漢人の浮華文弱の習俗に染まりつつあること嘆かわしき限り。近頃ははしたなくも帯すらせずに外出する娘が
現れるに至っては言葉もなし。聖祖の御世が懐かしい・・・」とぼやくくだりがあったのを
読んだ記憶ガス。
>58
返答ありがとうございます。
60 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 15:38:49 0
61 :
世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:57:10 0
その両方でしょう。
62 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 01:15:57 0
おくみの左前・右前が厳密に区別されるようになったのはいつごろ?
奈良時代の日本ではまだ両者混在だったらしいけど。
63 :
世界@名無史さん:2005/10/06(木) 00:55:06 0
64 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 01:28:39 0
そういや日本と朝鮮はネックレスやブレスレットの習慣が廃れてしまったね。
同じキモノ風のおくみを持つ服を着る琉球やアイヌや清以前の中国では
身に付けていたから、デザイン上の支障が理由ではないと思うけど。
謎だ・・・
65 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 19:11:11 0
日本史板から興味深いものを見つけました。
台湾で発生した日本国民殺害事件の責任を清朝が否定した事で、台湾の領有権が清朝の手を離れた。
日本はすかさず台湾に派兵し、失敗に気づいた清朝は大慌てで西洋諸国を味方につけて台湾を日本から奪還しようと画策した。
一触即発の危機となった日清間の関係改善を図る為、日本からは外務卿の副島種臣が北京に赴いた。
ここで、清朝側は皇帝の前に出る副島に対して三跪九叩頭の礼拝を要求した。
三跪九叩頭とは皇帝の前で3回土下座して、一回の土下座につき3回ずつ頭を地に付ける姿勢をとる作法だ。
これは皇帝の臣下としての礼であり、例えば朝鮮国王ならば皇帝の使者に対して上座を譲って行なう事を義務づけられている。
ところが天皇の名代として北京に下向した副島は、敢然と三跪九叩頭を拒絶した。
副島は、西洋諸国の使者は皇帝の前でそんな礼拝を要求されていない事を指摘した。
清朝側は、日本は東洋の礼を知る文明国であるが故に、東洋の礼を忠実に守るべきだと反論した。
副島はそのようなタワ言を一蹴して次のように言った。
天皇は中華皇帝と対等の友人であり、自分は天皇の代理として北京に来たに過ぎない。
自分は天皇の臣下であるが、天皇も自分も中華皇帝の臣下ではない。
対等の友人に対して三跪九叩頭を要求するのが東洋の礼だなどとほざくつもりかこのボケが。と。
中華の教養の粋を集めた翰林院出仕のエリート官僚どもを、副島は儒教が最重要視する礼に関する議論でアッサリと論破した。
李鴻章はある時、副島に対して和服を捨てて洋服を着用するようになった日本人は野蛮になったと批判した。
先祖代々の伝統を重んじるのが文明であり、先祖の習俗を忘れたかのように蛮族である西洋人の姿を真似るのは野蛮の証拠だと批判した。
副島は、李鴻章の姿は満州人の髪型と服装であるが、漢族はいつから満州族の姿を真似るようになったのかねと問い返し、
李鴻章の寝言を一蹴した。
李鴻章は副島の知性に感服し、日本人を愚かな蛮族だと見ていた自分の愚劣さを自覚する事が出来たという。
66 :
世界@名無史さん:2005/11/16(水) 00:01:50 0
補章を最初に採用したのは北宋でしたっけ?
67 :
世界@名無史さん:2005/11/16(水) 16:15:22 0
>>65 思いっきりスレ違いだが、
せめて毛利敏彦『台湾出兵』(中公新書)くらい嫁よ。
自分の脳内妄想に都合のいい記事見つけました!ってはしゃいでるバカ紆余の姿丸出しで恥ずかしくないか?
69 :
世界@名無史さん:2005/11/21(月) 23:03:53 0
日本には数珠レットが存在します
70 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 11:18:02 0
>>64 強いてあげれば、室町〜江戸初期にキリシタンがロザリオをしていたくらいか?
確かに謎だ。
71 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 00:26:49 0
貴族じゃなくて皇帝の衣装なんだけど
古代の衣装は、秦の始皇帝像に代表されるように
引きずるくらいの重厚な長衣を纏い、つま先の反り上がった靴をはき、
前後に数珠のようなものを何本もぶら下げた冠をかぶっている、
そんな感じだったけど
唐の太宗像やそれ以降の皇帝像は、そのまま馬に乗れそうなくらいシンプルな衣装で
皇帝でなく軍人といっても通用してしまいそうで、明らかに秦漢の伝統的皇帝像とは異なっている。
これって唐が北朝系の王朝で、北方文化の流入による影響なのでしょうか?
72 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 00:34:41 0
>これって唐が北朝系の王朝で、北方文化の流入による影響なのでしょうか?
そうだと(思う)。
宋代に既に「中華の衣服は胡服」と論じた文人もいる。
尤も伝統的な衣装が消えた訳ではなく
始皇帝像の「こんべん」と呼ばれる服装は
即位式や元旦の儀式などで引き続き用いられている。
唐太宗像の衣装は「朝服」と呼ばれる
普段の執務で着用するもの。
唐代の壁画を見ると長衣の礼服を纏って朝貢使を迎える官僚が描かれている。
皇帝の服の色は黄色と決められたのはいつ頃からでしょうか?
北宋南宋の頃はまだ白色だったと思うのですが、明あたりから黄色の服を
着始めているような気がします。
これはやっぱり北方異民族であるモンゴルからの影響でしょうか?
正直、大の大人が昼間からまっ黄色の服を着て出歩くなんて
ちょっと美的センスを疑ってしまう。
74 :
世界@名無史さん:2005/12/25(日) 23:14:43 0
>>73 >まっ黄色の服着て
「即位の礼」見なかったかね?
75 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 17:41:00 0
>昼間からまっ黄色の服を着て出歩くなんて
通常宮城から出ないからw
>>64 確かに、日本にはネックレスやブレスレット、指輪がないよね。
奈良時代にはあるみたいだのに。
後、髪飾りもない。
江戸期になったら、簪や半襟が出てくるけど、
平安時代から戦国時代まではないみだいだね。
日本の女の人なんてみんな黒髪だから、
髪になんか付けて変化を出してみたいとは思わなかったのかなあ。
昔の服装やアクセサリーは個人のおしゃれではなく、
身分を表現するものだったから、女性の社会的地位の低下と関係あるのかな。
77 :
76:2006/01/07(土) 20:27:53 0
日本史ねた失礼
78 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 18:45:28 0
大長今見ている限りは李氏朝鮮も同様じゃない?
高句麗・新羅あたりだと副葬品から結構ヒカリモノが頻出するが。
儒教の階級意識と関係あるだろうか?
ちなみに琉球とアイヌは貴賤を問わずイヤリングやネックレスがあったようだが。
確か・・・
天正少年使節の少年たちも、ローマで宝石を見せられても興味を示さなかった、
と書かれている、って聞いたような気がするんだが、どうなんだろう。
80 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 13:19:27 0
80ゲット
81 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 00:47:23 0
>>76 唐の服制が浸透してから宝石や貴金属の装身具が廃れたんですかね。庶民はどうだったんでしょうな。
82 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 22:42:44 0
他の中華圏の国はどうだったんだろう
83 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 23:28:50 0
>54
極北のアレウト族のつば付き帽や、トリンギット族の
被りものも、それに似ている気がする。
84 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 01:31:01 0
「中国服装史―五千年の歴史を検証する」
華 梅 (著), 施 潔民 (翻訳)
白帝社
中国ドラマ「三国志」(原題「三国演義」)は考証がしっかりしてるので
この時代を調べたかったら役に立つ。
「ヒーロー」「ラバーズ」は美術優先で、ほとんどオリジナル衣装と化している。
おおざっぱに言えば・・・
南北朝までは上下つながった衣装で帯を締め、衿の合わせも日本の着物に近い。
袖も振袖のように垂れている。型による男女差も少ない。これを「深衣」という。
南北朝時代に北方民族の影響を受けたらしく、筒袖に丸首の衣装が現れる。
「袍服」という。唐の太宗の図ではこの衣装になっている。
しかしそれ以前の深衣に近い衣装も残る。
女性の衣装は上(「衣」)と下(「裳」)に分かれたものになりハイウエストで帯を締める。
着物のように斜めに交差する衿と丸首と両方あり。
永泰公主墓壁画や唐三彩などが参考になる。
その後デザインに変化はあるが、基本的に袍服と衣・裳の組み合わせが続く。
清朝になって満州服が導入され、服装が大きく変化していく。
満州服は「旗袍」という。
85 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 19:07:32 0
>>51 漢人はじめ農耕民は官僚が笠を被るなんて考え付かないもんな。
しかもてっぺんに宝石やクジャクの羽毛を飾るなんて明らかに非漢族的だよな。
しかしどこ起源なんだろうな。
モンゴルにもそれらしき被り物は見当たらないし。
86 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 23:48:48 0
>しかもてっぺんに宝石
皇族がかぶる笠の頂上に塔みたいに立ってるあれ?
日本でいう五輪塔に相当する意味らしいよ。チベット仏教由来らしい。
モンゴルにもあるのかは分からずスマソ。
8 :マンセー名無しさん :2006/05/06(土) 23:46:11 ID:fUompYge
韓国の歴史捏造癖による弊害が、どうやら宗主国様の国で出てきているようです。
【韓流】 中国古代服は大長吟(チャングム)服?〜韓国ドラマの影響で韓服に誤解される漢服[05/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1146922097/ 去る5日も北京市内にある紫竹院公園では「漢服」で着飾った20人余りの男女大学生が、
公園に遊びにきた市民たちと「矢投げ」「卵投げ」など伝統的な民俗遊びをしていた。
この大学生らは中国古代服を、将来自分の学科服として作ろうとしている北京大史学科の学生。
市民たちとの遊びを通じて中国の伝統文化を広く知らせるという主旨で一種の文化宣伝活動をしたわけだった。
しかし学生らが着た秦・漢・唐などの中国古代服を見た何人かの市民は「あれは何の服だろう?
大長吟服か?」と言い、このような市民たちの反応に担当デザイナーと学生は、
たまにそんな誤解を受けると自ら認めた。デザイナーは「腰高く着るこんな種類のスカートは、
唐の時に一般婦女子が普通に着ていた服だが、現在TVで見る韓国の服装ととても似ている」と
多くの人々がこの服を韓服と間違って理解していると神経質に明らかにした。
29 :マンセー名無しさん :2006/05/07(日) 00:22:47 ID:jZvQcsqO
そもそも韓服なんて当て字で正しくは漢服なのにねえ。
まあ、今の中国で漢服は一般的な民族衣装ではないし、
仕方がないのかも。
でもこれで怒り狂った宗主国様が立ち上がり、
近現代史で抑圧された史学者の鬱憤を古代史で晴らすべく
韓国の捏造を徹底的に叩いてくれれば見物です。
資料をほじくり出す考証学の本拠地ですしね。
スタパか
89 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 14:58:54 0
>>87 「韓服」って当て字だったの?!
「漢服」と発音が同じなのは、偶然の一致だと思ったのだけど。
90 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 02:43:59 0
月例保守。
91 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 12:41:53 0
ほす。
92 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 14:01:08 0
93 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 16:00:52 0
くそっ、不覚にもw
93が転落したのか?
95 :
93:2006/08/26(土) 13:05:06 0
不覚にもリンク先を開いてしまったw
またウイルスか!
97 :
世界@名無史さん:2006/08/28(月) 15:03:35 0
漢服 漢装 唐服 唐装
リンクを見たらウイルスと思えというのは我が家の家訓
99 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 08:09:49 0
100 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 02:49:08 0
100ゲット
101 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 17:15:31 0
102 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 11:27:01 0
103 :
世界@名無史さん:2006/11/12(日) 01:05:45 0
い
重たそうな服だ
乳だしてる国あるよ
チマチョゴリは乳だし衣装だった
古代日本の耳横にまげ作る変な髪形はなんで廃れたの?