101 :
世界@名無史さん:
昭和天皇数値化ネタは駕籠真太郎が
「印度で乱数 特別篇」
でやってましたね(笑)
103 :
世界@名無史さん:04/06/28 08:15
104 :
世界@名無史さん:04/06/28 08:21
>>100 電撃戦ってスピード重視の「戦術」だと思うけど。
電撃作戦ってのは何だろう?
そうじゃなくて、もう昭和天皇ネタは個人的にいいやと(笑)
駕籠真太郎がやったのはオウム事件前後だったかな。
わたしが2chに来たのは一年程前なので、昭和天皇ネタが2chでやられたのがいつか知らないんですよ。
激しくスレ違い。失礼。
106 :
97=87:04/06/28 09:12
>>101 劉邦
指導 9 恐ろしく人使いがうまい。適材適地。
戦術 3 人任せ。周りが居なかったら多分下手。
戦略 7 人任せ。先見性というか判断が良い。良狗もちゃんと烹てる。黥布に戦略で圧勝。
内政 4 人任せ。たった三章の法といいながら、ちゃっかり秦の制度を継承だが、本人の案で無いし。
政略 8 交渉はマル。利や土地を捨てて人を得る献策を、選択できる。老獪。張良には負けた。
人望 7 好かれる人。ただ狂信者が無さそうなので、控えめ。むしろ人使いだと思う。
47、49も訂正の必要無し。
青は猛無理だから騎兵とか蘭太郎とかおらんの。
数値付けのレベルが著しく下がってる。
110 :
世界@名無史さん:04/06/28 09:28
項羽は指導力があるが、内政・外政は共にダメな上、人望もないから失敗した。
劉邦は指導力はないが、人望があって部下に恵まれていたから成功した。
一般的にはこんな感じですけど。どうでしょうか?
111 :
世界@名無史さん:04/06/28 09:33
前のコーエースレでは魅力の100候補に劉邦、武力は韓信と項羽で95を
争っていたね、そこにハンニバルを加えて。ハンニバル論争は面白かったな。
このスレにもよく名前が出てくる永遠の青はどちらかというと韓信より項羽
の武力が優れているという立場だったかな。彼は劉邦の数値化もしたような
気がする。コーエースレみてぇなもう一度。
112 :
世界@名無史さん:04/06/28 09:35
113 :
世界@名無史さん:04/06/28 09:37
>>112 おおー一瞬でw。ありがとうございます。
話題の劉邦、項羽の論評も白熱してますね
114 :
世界@名無史さん:04/06/28 09:37
【指導】と【人望】ってだぶるとこあるよね。。。
ヒトラーはけっこう戦略家としてもなかなかで、挟撃を避けるためにフランスを先に叩くとか、ソ連に対して戦闘準備が整っていないときは不愉快でも妥協するとか、なかなかどうして優れています。
彼の敗因は「人種」ですね。
彼が「同じアーリア人」と規定したイギリスに対し繰り返し講和を呼び掛けたり
(チャーチルが講和するわけないのにねぇ)
混血を恐れてユダヤ人・スラブ人を虐殺したり。
(対ソ戦で投降、スターリンとの戦いを志願したスラブ人を兵士として採用するのが早ければドイツが勝利した可能性は高い)
スラブ人に関して補足すると、ズデーデンドイツ人とスラブ人の間には日本と韓国・北朝鮮の比ではない確執があります。
ヒトラーの戦略の評価すべき点・評価できない点は他にもありますが
あまりヒトラーネタばかりだと嫌がる方もいるでしょうからこのへんで切り上げます。
(リクエストがあればやります)
あと、チャーチルは実は「並の上」程度で、下手するとそれ以下です。
チャーチルに関しては意外と実像を知らない方が多いと思うので後で数値化しておきます。
>>87と近いと思う・・・。ただ気合入ってるなー。
352 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 03/05/28 23:59
項籍 前232〜前202
【統率】28
(たくさんの優秀な配下に次々と逃げられている。
彼は人を使うのは全く上手くなく、ほとんど自分の力に頼ったので、統率力は低い。)
【武力】98
(3万で56万を打ち破る。28騎で数1000を殺すなど化け物的。
個人的武勇も超越しており、用兵能力も天才的。 敗北があるので100は与えられないけど、超人的であったのには間違いない。)
【知力】31
(鴻門で劉邦を殺さなかったり、陳平の「反間の計」によって范増を追い込んだりするなど、頭のいい人間には見えない。
彼が領土拡大できたのはすべて武力によるもの。)
【政治】15
(戦争ばかりで、政治面では全く何もしてない。 それ以前に政治タイプの人間ではない。)
【魅力】81
(優しい人格で部下から慕われていた。
彼が裏切られたのは、魅力の欠如ではなく、統率の欠如。
残酷だった点を差し引いてもこれくらいはあるだろう。)
「項羽が中国統一していたら」って思うとゾッとするよ・・
初めての数値化投稿なので滅茶苦茶でスマソ
118 :
世界@名無史さん:04/06/28 09:50
次スレで呉起の政治に青が9とかつけて大論争になったんだよな。
>>110 指導高いと言う話で私と一致。青は中国専門って言ってるから嬉しい。
404 名前: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M 投稿日: 03/05/30 02:01
>>391 劉邦の「将の将」たる器量は、統率力でしょう。
彼の魅力が高かったら、恩賞を弾まなくても、固陵で韓信・彭越は来ていたはずです。
利で人を釣る指導者のことを、魅力的な指導者とは言いません。
あと、統一後の粛清は、劉邦の能力によるものはほとんどありません。
韓信が王位を剥奪されたのは陳平の、殺害されたのは蕭何と呂后の策略です。
彭越が殺害されたのは、呂后の策略。
趙王張敖が王位を剥奪されたのは、
あまりの劉邦の傲慢ぶりに激怒した趙の重臣達の暴走がきっかけでした。
韓王信が匈奴に降ったのは、匈奴に包囲されて進退窮まったからです。
臨江王共尉、燕王臧荼、淮南王英布は、いずれも武力で打倒されています。
120 :
世界@名無史さん:04/06/28 10:07
まぁ青も絶対視されていたわけではないし、なによりもうこないから
青の話はもういいんじゃね。良コテではあったし、インパクト強いから
わかるのだが。マイナーな人物もキボンヌ
>>97 戦略=計画・方針を立てたり、理解する能力、政略&内政=実務能力でいいのでは?
戦略だけ高い人=ブレーン。実務面ではなく、考えることで指導者をサポートする人。
大局的な見地からの分析や方針策定に長けているが、実務能力はいまいち。
政略だけ高い人=視野の狭い策士。汚れ仕事や利害調整で指導者をサポートする懐刀。
大局は理解できないが、政治利害を調整するセンスに優れる。
内政だけ高い人=専門バカのテクノクラート。デスクワークや現場指揮で指導者をサポートする人。
大局観や政治利害の調整には疎いが、決められた方針を実行に移す能力に長けている。
>>100 電撃戦を採用する方針を考えるのが戦略、電撃戦を戦場(大本営に有らず)で指揮するのが戦術。
ヒトラーの電撃戦は戦略に入れた方がいいと思う。
>>106 負けのほとんどは、相手が強すぎるか、戦力が少なそうな時。
充実した戦力を有し、相手が非常識に強い相手の時以外は順当に勝っているので、
本当に可もなく不可もない戦術家だったのだと思う。
連続&長文スマソ
>>110 項羽は戦局が有利でも、人使いのまずさで部下にボロボロ逃げられている。
自分がいないところでの楚軍はさっぱり勝てないので、軍を組織するのも下手っぽい。
たぶん指導力はない。
戦略の欠如を全部戦場でひっくり返せるくらい超絶した戦術家だったから、
部下に逃げられる&敵に切り崩されるスピード<戦果を上げるスピードである限りは、
勢力の拡大を続けられるが、どこかでつまずくとあっという間に瓦解する。
劉邦は史記の記述を見れば分かるとおり、かなりアクが強くて嫌な性格。
しかも、意地汚くて傲慢という評判が鳴り響いていた。
韓信や陳平の話では、項羽の方が人に好かれる性格だったらしい。
劉邦は人の使い方がうまかったから、性格が嫌でも将来性がありそうと見込んで
人が付いてきたのではなかろうか。
どっちかってえと指導力の分野と思われ。
>>114 部下に好かれてても、トップに立つと組織を混乱させるだけの人もいるし、
部下に嫌われているのに、トップに立つと豪腕をふるって組織を発展させる人もいる。
前者は【指導】が低くて、【人望】が高い人。後者は【指導】が高くて、【人望】が低い人。
123 :
世界@名無史さん:04/06/28 15:32
土耳古のとーちゃん
【指導】 7
【戦術】 7
【戦略】 7
【内政】 7
【政略】 7
【人望】 7
>>115 ヒトラーは戦略家としてはかなりのものだと思う。
敵を潰す順番を心得ているし、政治的判断もおおむね妥当。
成否に関わらず、打つべき手は全部打っている。
軍事戦略は疑問符が付くところもあるが、同じようなミスは他の指導者もやっているし、
手持ちの戦力の少なさを考えれば、ヒトラーが決定的に劣っていたとは言えないと思う。
最後に残ったイギリスとソ連が想像を絶するほどしぶとかったのが敗因で、
ヒトラーがアフォというより、スターリンとチャーチルをほめるべきだろう。
イギリスとの講和に付いては、ソ連と同時に事を構えたくないし、
戦局が有利な時点で一旦講和しておきたいというのは無理のない考えだと思う。
ドイツの国力で二正面作戦は苦しい。
領土的野心が大きくて、戦力も温存しているソ連と、
領土的野心が無くて、大陸で負けまくったあげくに本土が攻撃を食らっている英国では、
後者との妥協が成り立ちやすいと考えるのが普通ではなかろうか。
アーリア人がどうこうと本気で言ってたのではなく、純粋な計算の上だったと思う。
また、ナショナリズムと人種主義が当たり前の時代に、
もともと植民地だったわけでもない土地の異人種の忠誠心を信用するのは、
あまり常識的な考えではない。
コーエーの国取りゲームとは訳が違う。
チャーチルは至らないところも多かったが、優れた指導者であったとは思う。
英国の指導者がもっと腰の弱い人物、強腰でも求心力の無い人物なら、
早い時点で英国民の士気は地に落ちていたのではなかろうか?
彼が偉大な宰相と評価されるのは、
苦しい戦況の中で決してドイツと妥協せず、国民に闘志を吹き込んだということに尽きる。
その一点しかないが、その一点だけでも凡庸な宰相に出来ることではない。
文句言うばかりだとアレだから、数値化に参加する。
とりあえず夜に漢楚やるから楽しみに待て。
お粗末極まりない
>>126 たぶん解説が少ないからかな。うまく突っ込み入れないと、誰も教えてくれないよ。
>>124 我が闘争では、英仏とは戦わない予定だったのにね。
光武帝 劉秀
【指導】 8
行き当たりばったりで一軍を率いることになったが、その後破竹の勢いで天下を纏め上げる
当の本人は茫洋とした性格で指導者というイメージを抱かせなかったが、多士済々の名臣迷臣を
非常に上手く使いこなし、人材層の厚さは歴代王朝創始者の中でも一二を争うかと思われる。
また、指導力と関係はないかもしれないが、統一後に功臣粛清がなかったことでも
非常に高い評価を受けている。
【戦術】 9
武勇という言葉とは無縁な青年時代を送っていたが、昆陽の戦いではなぜか突然単騎突入を決行し、
百万を称していた新軍を数千で撃破している。
また、皇帝となってからも陣頭指揮を執るなど、戦場では項羽をも見紛う猛将へと豹変するようだ。
【戦略】 8
統一前はおよそ戦略性が見えず、始終四方を敵に回していたにも拘らず、驚異的な軍事能力で
天下を統一した。
統一後は消極策をとったが、相次ぐ暴政と戦乱で疲弊していた国内事情を考えれば
最も妥当な方針だったのではないか。
また、匈奴に対する戦略も見事。とにかく、統一後は本当に良い意味で「柔」の人であった。
【内政】 8
戦略の頁で述べたことと重複するが、奴隷制の撤廃や徴税の緩和、屯田制の強化などで
疲弊した民力の回復に努めた。また、他にも大学制度や大規模産業の奨励など、様々な政策で
国力回復を図った。
【政略】 7
もともと警察官になって偉くなり、町のマドンナと結婚して幸せな家庭を築くことが最大の夢であり、
出世欲も性欲も、全く人並み程度だった。また、一軍の大将になったのは兄が死亡したからであり、
皇帝になったのも即位しなければ身が危うかったからのことであって、積極的になりたかったのではない。
そんなわけで、謀略でもって政敵を蹴落としたり、保身のための非常手段をとるというようなことは
ほとんどなかった。しかし、そういう手段を用いずとも皇帝の地位にまで上り詰めたのはある意味実力か。
【人望】 8
多くの名士がその下に集ったが、歴史上の偉人特有の威厳や大器を示すようなエピソードは少なく、
身分も県令の三男坊であり、外見もヒゲが立派だったこと以外には特に常人離れしたものはない。
どちらかというと、常に謙虚で穏やかな常識人であり、温和な親しみやすさで人に接するタイプであった。
>>128 えらく優秀な男だな。欠点が無いぞ。あっ失敗してないのか。
>>130 正直、9とか10をつけたかったけど、
>>6をみると
>9=時代を代表する天才。
>10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。
とあって、偉大な凡人劉秀に「天才」という言葉は似合わないと思い、だいたい8にしておきました。
あと、
>>87を見ると項羽の戦術が8なので、劉秀の戦術も8止まりで良いかと。
132 :
121 ◆3DTcp49FlQ :04/06/29 02:49
つーわけで数値化挑戦っす。
陳平 漢丞相・曲逆侯
【統率】5
劉邦の懐刀としての仕事が長く、組織を率いる仕事は左丞相になってから。
呂后専制時代はほとんど政務を執らなかったため、丞相として働いた期間は短かった。
文帝との問答に見るように、宰相たる姿勢を良く理解していたようであるが、
在任期間が短かったこともあるが、国政の場で何をしたかのエピソードはなく、
可も無く不可も無い務めぶりだったと思われる。
【戦術】6
楚軍時代は指揮官畑を歩いていた。
討秦戦や殷の反乱討伐で功績を立てている。
指揮官としては有能な人だったらしい。
【戦略】6
戦略を練るのではなく、目先の状況を打開する策を立てるタイプの策士だが、
決して視野が狭かったわけではなく、劉邦の足を踏んで韓信の離反を防ぐなど、
大局を理解する能力も人並み以上に備えていた。
133 :
121 ◆3DTcp49FlQ :04/06/29 02:50
【政略】9
人間の心理を突いた策を出して、劉邦の難局を何度も救った。
功臣粛清、呂氏誅滅など多くの陰謀に関わり、ことごとく成功させている。
保身にも巧みで、何度も失脚の危機にあったが、無事に切り抜けた。
漢に仕える前に二度失脚しているが、陳平の保身の巧みさ、淡白な性格を考えると、
保身を考える前にやる気をなくしてしまい、さっさと見切りをつけたものと思われる。
【人望】3
人に嫌われたり、讒言されると言ったエピソードが多く、
「知恵が回りすぎて、ひとりでは任せられない」と劉邦に評されるなど、
あまり人望を得られるタイプではなかったようだ。
ずけずけと物を言う性質で、淡白すぎるところがあったので、
実際目の前にいると、すごく付き合いづらそうである。
しかし、兄、張氏、魏無知など、理解してくれる人はとことん援助してくれているので、
付き合い下手だが、深く付き合うと味わいのあるタイプだったと思われる。
陳平を使いこなすのは難しいだろうなー。
中国の田沼意次。
>>131 劉秀の指導力は十分に時代を代表するレベルと言っていいと思われ。
人使いもうまいし、粛清しなければいけないような人間は冷遇して反乱に追い込む(彭寵)か、
降ってきても最初から起用しない(樊崇、李軼)で力を与えないようにしている。
皇帝としては完全な独裁者で、強力なリーダーシップを発揮し、天下を太平に導いた。
幾度か信頼した部下に背かれているのはマイナスだが、それを補って余りあるだけの実績はある。
劉秀は当時では最強レベルの将軍だが、
隗囂あたりにけっこう苦戦してたし、他にも苦戦は少なくない。
項羽と似たタイプの戦い方をするが、項羽ほど無敵ぶりを誇ったわけでもない。
戦術は8で妥当だと思う。
戦略・政略・魅力に付いては同意。
内政は独裁君主として、後々の時代まで良い影響を残す治績をあげたのだから、
時代を代表するレベルの9でもいいように思う。
とんでもない能力になってしまったが、軍の指揮やら、戦争指導やら、国政やら、
あらゆる仕事を超一流にこなしてのけたのだから、これぐらいはあっていいと思う。
天才と言えるタイプではないが、これだけの業績はそこらの天才にもなかなかできるもんじゃないから、
天才レベルの実力者と呼んでも一向に差し支えないのではなかろうか。
まずい、内政を設定し忘れた。
陳平
【内政】4
内政を担当する職に就いた経験が少なく、
呂氏誅滅後に政務を執るようになってからも、
文帝との問答以外の内政に関するエピソードは出ていない。
内政面では影の薄い陳平だが、劉邦は彼に実務能力を期待したのではなく、
策略を立てる能力で皇帝を補佐することを期待したのだと思われる。
>>134 陳平はこの手の策士には珍しく、かなり線が細い性格。
疑われてると感じたらすぐに辞めようとするし、
自分が汚い策略を立てたことに引っ掛かりを感じることもあった。
結構扱いにくい性格だが、信じてくれた人には義理堅いので、
一旦心を開けば絶対の忠誠を誓ってくれると思う。
田沼は人付き合いが良くて、結構人脈が広かったらしい。
小姓から側役畑を歩いて老中まで引き立てられた人なので、
上司にとっても、相当使いやすい人だったような気がする。
(意次のような実力派の政治家と比べるのは良くないが、
宦官が権力を振るったのは、「官僚や貴族より使いやすかったから」という面が大きい)
137 :
世界@名無史さん:04/06/29 06:08
劉邦は人望がなかったが指導力が抜群だったので部下に良い人材が多く集まった。民衆・農民も集合した。
↑ということは人望があったといことじゃない?
個人としての魅力がなかった、ならすっと飲み込めるが。
人望は結果的なものを含んでると思うんだよね。違うかな?
あんま高い数字ばっか並んでるのもなんだかな。
もっと微妙なマイナー人物もきぼん
斉のビン王と孟誉君はどのくらい?
というか、あの二人が揃った時は、斉は当時戦国最強だったんだけど、
これってどちらの功績によるものなのかな?
彭徳懐
【指導】 4=普通の人民?
【戦術】 7=朝鮮戦争において、米軍の東西戦線の間隙を見抜き(壬申倭乱と同じw)、
近接、夜襲による包囲殲滅戦術で緒戦に勝利、米軍を押しまくるが、
米軍に携帯食料の量を見破られ、火力防衛、逆攻勢の戦術により、敗勢に陥る。
しかし、モグラ戦術によって、20km級の坑道を掘り、米軍を食い止め、引き分けに持ち込む。
柔軟な用兵を高く評価。投入兵力と犠牲者が多い事はマイナス。
【戦略】 5=林彪も辞退した朝鮮戦争の司令官を引き受け、米軍を食い止めたのは立派。しかし、
基本的に受身の戦争であり、評価しづらい。
その後、米国との戦争経験から、中国軍の近代化、正規化を推進しようとし、毛沢東に
「ブルジョワ階級の党内での代弁者」と嫌われる。さらに林彪に「軍事クラブをつくって
軍隊のっとりを画策、ソ連に内通した」などと批判され左遷され、組織改革に失敗。
だが主張は正しい、というか当たり前か。
【内政】 4=組織改革は命令されてやったわけでは無く、結果も無いので、評価無し。
【政略】 3=左遷後、さらにあの姚文元に糾弾され、文革開始。営巣で5年の訊問と拷問。癌だったが
早期入院できず病死。栄光の元帥から、悲惨な末路に。死後無実となる・・・。
朝鮮の英雄に多いパターン。戦地の選択を間違えたか?
【人望】 4=普通、というか不明。誰か弁護してやれよな。(弁護すると死ぬかな。)
朝鮮戦争において彭徳懐は、こう呟いたと言う。
「黒い雪だ。・・・これが現代戦争なのだ。」
東條英機 (手直し歓迎)
【指導】 6=「戦陣訓」は、結構、効果的だったのでは無いだろうか。本人が最も力を入れた所だろう。
【戦術】 4=特に談無し。部下の評価は良かったようだ。
【戦略】 3=石原いわく「君には無理だ、君が首相で居る限り日本は勝てない。君の退陣以外ありえない。」
「東條は何も考えていないのだから、話にはならない。」
きっと何も考えず黙々と、戦争支援をしていたのでは無いだろうか。
【内政】 7=統制派として軍の派閥を解体。共産主義顔負けの統制経済を実現。
優秀な官僚である事を示す逸話は多い。
更に次官の兼任の陸軍航空本部長として海軍航空の山本五十六と競争したようだ。
(海軍に勝てるわけないけど)
【政略】 2=陸軍次官になったのは板垣より律儀で真面目だから。首相になったのも、律儀で真面目だったから。
そして、交渉の成功談がまったく無い。海軍、参謀本部、石原、米国、重臣。全て失敗。
【人望】 5=忠臣としての評価は高かったようだ。敗戦前ならこんなものだろうか。
軍事法廷での証言。
「責任は全て私にある。」
東條が得意気に次官会議で、陸軍新鋭機の性能を語ると、山本五十六が一言
「ホホウ。えらいね。君のとこの飛行機も飛んだか。それはエライ。」
143 :
世界@名無史さん:04/06/29 15:52
>>121 【戦術】劣勢をひっくり返す能力
【戦略】優勢を整える能力
が判りやすいと思う。
ナポレオンやヒトラーは、戦術で強引に、劣勢を優勢にした気がする。
毛沢東、ドゴール、チャーチル、劉邦は、戦略と思うけど、どうだろう?
>>139 斉・ビン王 田地
【指導】3
(表面上は)最盛期の王として君臨したが、背面服従の蘇兄弟や悼歯を重用したり、
滅亡寸前の劣勢を盛り返した達子に対して報奨金をケチるなど、ボロが出ると凄まじい。
【戦術】3
この時代の君主全般に言えることだが、王自ら戦地に赴くといったようなことはほとんどなかったのでは。
燕軍が斉都・臨シに攻め込んだ際には、真先に逃亡した。
【戦略】5
巧みな外交戦略で周辺諸国を切り取り、斉を秦と肩を並べる二大勢力にまで成長させたが
征服地に確固たる支配体制を敷かず、高圧的な態度で押さえつけていただけの観がある。
楽毅らに攻め込まれた際、あれだけの大勢力がいともたやすく崩壊してしまったことを考えれば
お世辞にも有能とはいえないのでは。
【内政】4
上記したように、傲岸不遜な態度であったために支配地の人民から嫌われていたことは大きなマイナス。
ただ、彼を弑逆した悼歯は非常に評判が悪く、斉の旧臣が立ち上がったときには多くの群集がそれに
共鳴したという点をもって、オマケの「凡庸」とした。
【政略】5
巧みな謀略で燕を崩壊させたことは評価に値するが、本人の発案かどうかは不明。
上手く使いこなせば有用この上なかったであろう劇薬・孟誉君とは常にギクシャクしていた。
【人望】3
傲岸不遜な性格。支配地住民には忌み嫌われた。奮闘した家臣に恩賞をケチる。
しかし、内政の頁で書いた逸話から、+1
斉の領地が広がったのは、この人個人の野望のためでしょう。
このひとほど功績と人物としての能力が一致しない人も珍しい・・・・かも?
>>137 「勝ちそう」「得になりそう」と思えば、嫌われてる奴にも人間は付いてくるもんなので、
結果として人が集まったということと、人望は関係ないと思う。
勝ち負けや損得と関係無しに、人格的に人をひきつける能力が人望と思っている。
劉邦は(亭長時代の子分を除くと)人格より、損得勘定で人をひきつけてるっぽい。
>>138 今晩、盧綰をやる。
希望通り微妙でマイナーで、ついでに華々しい活躍も少ない香具師だ。
>>140 朝鮮戦争後の事跡しか無いのがちょっと不満。
こっちでも評価付けてみていいだろうか?
あと、東条も時間があったら挑戦してみる。
横から参加。これの方がしっくり来そうだな。
カエサル
【指導】 9(部下の叱咤激励が非常に上手く、元からの部下には
裏切りと言えるほどのものはない)
【戦術】 9(連敗がなく、勝つべきところでは全て勝っている)
【戦略】 10(ローマを五百年間延命させた男にはこの数値しかない)
【内政】 9(政策的に極めて有能。ただし実施については死後の部分も大きいので-1)
【政略】 8(途中の政治危機は乗り切るも、暗殺されたのでこの程度かと)
【人望】 10(当時から人気があり、後世への影響も非常に大きかった)
東郷平八郎
【指導】9
【戦術】9
【戦略】7
【内政】5
【政略】6
【人望】9
>>148 おお!納得の【戦略】10
どこに文句つけよう・・・。人間を超えてる。カイゼル・・・
>>149 こっちは、能力高すぎ。老醜の東郷。戦術の秋山。洩れ、あんま知らんのだよなー。
151 :
世界@名無史さん:04/06/30 00:28
獅子心王、ジョン(英)、フィリップ2世、リシリュー(仏)、ミカエル8世(ビサンツ)、
フリードリヒ大王(プロシア)、アルフォンソ賢王(スペイン)、
サラディン(クルド)、テムジン、オゴタイ、章宗(金)
153 :
世界@名無史さん:04/06/30 02:03
154 :
121 ◆3DTcp49FlQ :04/06/30 02:49
盧綰 漢の燕王
【統率】4
太尉(国防大臣)の地位として、位階の上では軍のトップにいたが、
実質は劉邦の話し相手であり、軍部の最高指導者としての活躍は無かった。
その後燕王に封じられ、五年間統治したが、
どのように国政を指導したかは記録に残っていない。
凡庸な指導者だったのだろう。
【戦術】4
史書に残っている武功は、彭越の梁攻略作戦の援軍と、臨江王共尉討伐の二つ。
どちらでも戦果を上げているが、前者の作戦では本紀に記述があるだけで、
自分の伝記の中では参加したことすら記されていない。
どうも、作戦に参加したというだけで、一緒に戦った彭越や劉賈ほど活躍しなかったようである。
後者の作戦では、かなり苦戦している。
戦上手では無さそうだが、大きな失敗もしてないので、
戦術能力は十人並みと思われる。
【戦略】3
行き当たりばったりの二股外交で燕を存続させようと図ったが、
あっさり露見してしまい、かえって討伐の口実を与えてしまった。
戦略は不得手だったようだ。
155 :
121 ◆3DTcp49FlQ :04/06/30 03:32
【内政】4
燕王になるまで、内政に関わる職に就いた経験は無い。
どのように国を治めたか記録も残っていないので、
軍人上がりとしては、ごく普通の為政者だったのだろう。
【政略】2
劉邦にもっとも信頼された腹心だったが、
二股外交の露見がきっかけで疑われるようになり、
対応を誤り、最悪の事態を招いてしまった。
目先の問題を処理する能力は、無能と言っていい。
【人望】6
漢は盧綰軍に加わった人々にも寛大な処分をしていたので、
処分を恐れて逃げる必要はなかったのだが、
それでも盧綰には一万の兵が従っていた。
人望はわりとあったようだ。
>>154 見事に平凡だ。劉邦の清涼飲料水といったところかな。
劉邦の人使いの妙を象徴する人かも。近侍は有能だと良くない事多いからな。
157 :
121 ◆3DTcp49FlQ :04/06/30 06:05
>>148 【指導】9 内乱の一世紀を終結させ、多くの優れた人材を登用してローマの統治・軍事組織を確立。
【戦術】0 軍事的才能は皆無。自ら指揮を取った戦いは全部負け。
【戦略】8 拡張政策の限界を悟ると、防衛重視政策に転換し、帝国の国境線を確立した。
【内政】10 内政がこの人の本領。50年の治世でローマ帝国の基本となる諸政策を作り上げた。
【政略】9 政治闘争では無類の強さを誇る。共和制の建前を守りつつ、絶対的な権力を手中に。
【人望】8 カエサルが死んだ時は無名だったのに、瞬く間に民衆の支持を獲得。
人気に押し上げられる形で執政官の地位を得た。
能力がインフレ気味だが、カンベンしてくれ。
数世紀レベルの影響力を残した指導者というのは、これぐらいあってしかるべきだと思う。
この人はわりと失敗も多いが、功績で相殺できるレベルだろう。
ルフスの裏切り、親衛隊の創設、晩年の被害妄想などはどう評価すればいいのだろうか?
>>157 答えは「オクタヴィアヌス」だね。そんな難解なジョークされても。
晩年やばい奴は、指導者の資質を疑うけどなー。
毛沢東、東郷、ピウスツキ
>>158 スマソ。157は
>>153だった。
晩年までしっかりしている指導者はそうそういるもんじゃないから、
全盛期にでっかい仕事した香具師は、優れた指導者ってことでいいんじゃね?
失敗は誰でもするもんだが、成功はなかなかできるもんじゃない。
歴史的人物は減点法より、加点法で評価した方がいいと思う。
>>144 サンクス。
やっぱ孟誉君の手柄なのかな(具体的になにをしたのか知らないけど)
彼が去ると同時に、連合軍に攻めこまれ、あっと言う間に崩壊してしまったし。
燕を事実上併呑し、宋を潰し、領土を一気に拡大した手腕は中々だと思ってたんだけどね。
それゆえに、敵を多く付くってしまったんだろうけど。
161 :
世界@名無史さん:04/06/30 12:54
うーん。初代カエサル、二代目オクタヴィアヌス
この豪華さはさすがにローマ帝国だな
10段階で進めているうちはコーエースレクラスの力作は出ないだろうな
>>160 おい、
>>144のどこを読んだらそういう意見が出るんだよ。
あまりに滅茶苦茶すぎて笑ったぞ。
>>160 孟嘗君が「賢」とされたのは、3000人の食客を養って国際的に名声のある大貴族だったから。
彼がビン王のために立てた目立った功績は、秦討伐ぐらいしか史書に記されていない。
>彼が去ると同時に、連合軍に攻めこまれ、あっと言う間に崩壊してしまったし。
諸国は斉の隙を虎視眈々と伺っていたので、
「孟嘗君ほどの有力者が逃げたのだから、斉の内部はガタガタに違いない」と見て攻め込んだと思われ。
小国の君主並みの領土を持ってて、しかも国際的有名人が他国に亡命したら、
そりゃインパクトでかい。
ビン王の覇業は、宣王以来の遺産によるところが大きいと思う。
彼自身機を見るに敏で、敵国が弱ったところを巧みに突いている。
外交・軍事戦略に長けていたから勢力を広げられたが、
統治者としての器を欠いていたせいで、保ちきれなかったのではないだろうか。
>>161 初代と二代目が続けて有能、もしくは二代目に有能な宰相or摂政が付いてないと、
統一王朝は長続きしない。
オクタヴィアヌスのポジションにいた人が無能だったら、ローマ帝国は早い時期に崩壊していたと思う。
>>157 概ねそんなものかと思う。ただ、戦術0はちょっと低すぎのような気もするが。
プロイセン国王フリ−ドリヒ二世
【指導】9 反乱はほとんど起きていない。七年戦争を戦い抜いたのは、ほとんどこの能力。
【戦術】7 無能ではないが、結構負けてもいる。
【戦略】8 総合的に見て有能だし、結果を見越す先見の明もあるが、9にするには詰めが甘い。
【内政】9 ほとんど無視されてるような気もするが、宗教的寛容や法律の整備、国内の開発、
不作/豊作時の対応など、業績は高く評価されていい。
【政略】6 特に外交において、読み間違えがかなり多い。
【人望】8 国内的には人気があったし、国際的にも後半はそこそこ人気があったようだ。
>>165 軍備はフリ−ドリヒ一世がほとんど整えた。
というか、相手より優勢な戦力を整えた事【戦略】はほとんど無いんじゃ?
戦略はこのスレでは「知力」の代わりだから。単に軍事方面だけのことじゃなく、
国家戦略も含むと
>>1でもなっている。
・・・やっぱり「戦略」は「知力」に戻した方が良くないか?
広義での戦略は政略も絡むし。こういうのが出てくるたびにいちいち説明するの面倒。
「知力」って「戦略」より曖昧な気がする。史上で有名な人間に「知力」や「先見性」が
低い奴ってそういないと思われ。世界史板の住人は【戦略】の定義が少しおかしい。
【戦略】長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。
簡単に言うと、戦場に到着する前に、どれだけ有利な状況を整えられるか。
つーか1に逃げられると困るな・・・。辞典で決めないか?
>>140 彭徳懐 人民解放軍元帥・国防部長・副総理
【指導】7 300万の大軍の総司令官として、朝鮮戦争を指導。
その後、国防部長として陸・海・空軍の近代化を進めた。
【戦術】7 八路軍創設以来、武勲は数限りない。
苦しかった時代の共産党軍を支え、武勇を讃える詩を毛沢東から送られるほどであった。
国共内戦では林彪、劉伯承に次ぐ武勲を挙げている。
【戦略】7 単なる戦上手ではなく、優れた戦略的視点も備えた軍人。
朝鮮戦争では圧倒的な火力を誇る国連軍を、人海戦術で対抗。
一時は総崩れになったが、持久戦に持ち込んで体勢を立て直し、休戦直前には大攻勢に打って出ている。
戦後は人海戦術(人民戦争)を放棄して、火力の増強に転換した。
成果を上げた戦術を放棄する柔軟性は立派。
【内政】4 西北局第一書記、政治局員、国務院副総理を歴任しているが、
いずれも軍部の有力者として与えられた役職である。
強い指導力で有能な部下を動かすタイプであり、官僚的な能力はあまり無かったようだ。
【政略】3 直情径行の豪傑。言いたいことをずけずけ言い、「張飛のような男」と評された。
毛沢東の権威が強くなったからも、決して主席と呼ばず、対等意識を持ち続けた。
このような性格は、陰謀渦巻く中国政界で生きるには不向きで、
高崗・饒漱石事件では生き残っているが、廬山会議で失墜した。
【人望】7 上におもねることもしなかったが、下におごることも無かった。
民衆にも気さくに接し、人気のある将軍であった。
彼が大躍進に疑問を持ったのは、農民の話を聞いて同情したことがきっかけだったと言う。
ずれた。
>>140 彭徳懐 人民解放軍元帥・国防部長・副総理
【指導】7 300万の大軍の総司令官として、朝鮮戦争を指導。
その後、国防部長として陸・海・空軍の近代化を進めた。
【戦術】7 八路軍創設以来、武勲は数限りない。
苦しかった時代の共産党軍を支え、武勇を讃える詩を毛沢東から送られるほどであった。
国共内戦では林彪、劉伯承に次ぐ武勲を挙げている。
【戦略】7 単なる戦上手ではなく、優れた戦略的視点も備えた軍人。
朝鮮戦争では圧倒的な火力を誇る国連軍を、人海戦術で対抗。
一時は総崩れになったが、持久戦に持ち込んで体勢を立て直し、休戦直前には大攻勢に打って出ている。
戦後は人海戦術(人民戦争)を放棄して、火力の増強に転換した。
成果を上げた戦術を放棄する柔軟性は立派。
【内政】4 西北局第一書記、政治局員、国務院副総理を歴任しているが、
いずれも軍部の有力者として与えられた役職である。
強い指導力で有能な部下を動かすタイプであり、官僚的な能力はあまり無かったようだ。
【政略】3 直情径行の豪傑。言いたいことをずけずけ言い、「張飛のような男」と評された。
毛沢東の権威が強くなったからも、決して主席と呼ばず、対等意識を持ち続けた。
このような性格は、陰謀渦巻く中国政界で生きるには不向きで、
高崗・饒漱石事件では生き残っているが、廬山会議で失墜した。
【人望】7 上におもねることもしなかったが、下におごることも無かった。
民衆にも気さくに接し、人気のある将軍であった。
彼が大躍進に疑問を持ったのは、農民の話を聞いて同情したことがきっかけだったと言う。
【朝鮮戦争の評価】
朝鮮戦争で兵を使い捨てるような用兵をしたことを非難されているが、
火力の差がある以上、犠牲覚悟で戦うのは止むを得なかったと思う。
人海戦術はあまり褒められたものではないが、
あれだけ犠牲を出しておいて最後まで戦争を継続できた指導力、
唯一のアドバンテージであった数を最大限に生かす戦い方を選んだ戦略は、
十分に評価してよいと思う。
【書き忘れ】
朝鮮戦争での彭徳懐は、総司令官として戦争全体を指導する役割だったので、
戦場での強さを表す【戦術】ではなく、全軍を統率する【指導】と戦争全体を動かす【戦略】の範疇に入れた。
>>167 戦略の方がすっきりしてていい。
「先の大戦で、早くから日本の敗戦を予期していたが、有効な手をなんら打てなかった」
という類の人間にまで、高い能力を付ける気にはならない。
あと、テンプレで見た限り、政略は純粋に根回しや謀略の能力っぽい。
超一流の人物になると、戦略も政略も一流だが、そういう人だけが歴史に出てくるわけじゃない。
優れた戦略家だが、陰謀だの根回しだのには疎かった(あるいは手をつけなかった)人もいるし、
長期的な戦略を考える視野はないが、根回しには長けていた人もいる。
そういう人を表現するにはちょうどいいと思う。
>>166 大王は始まった時点から圧倒的に不利だったから、
戦場に立ってからも不利だったが、もともと持ってたものが相手より圧倒的に少なかった。
同じ舞台に立てるぐらいまで差を詰めて、
いろいろもぎ取ったんだから、十分立派と言えるのではなかろうか。
>>168 【戦略】
1 戦争に勝つための総合的・長期的な計略。
2 政治・社会運動などを行う上での長期的な計略。「販売―を立てる」
[補説] 具体的・実際的な「戦術」に対して、より大局的・長期的なものをいう。
大辞泉より。
174 :
世界@名無史さん:04/07/01 02:37
>>173の【戦略】
競争ごとには全て「戦略」という言葉が適用できてしまうから漠然とした意味ですね。
ところで、
>>171の
>【戦略】7 ・・・・・人海戦術で対抗。一時は総崩れになったが、
> 持久戦に持ち込んで体勢を立て直し、
> 休戦直前には大攻勢に打って出ている。 戦後は人海戦術
> (人民戦争)を放棄して、火力の増強に転換した。・・・・・・・
の部分って戦術ではないですかね?
現場での用兵術という段階よりは大局的な推移ではありますが・・
>>174 大局での戦い方を考えるのが戦術、現場で応用するのが戦略だと思ってる。
176 :
世界@名無史さん:04/07/01 03:02
>>175 逆だよね。174に同意。戦術の採用だけで、戦略家として高評価するは微妙。
そうするとグーデリアンが最高級の戦略家にもなって、違和感感じる。
戦略家としての評価は国家戦略>軍事戦略だと思う。
>>176 すまん、書き間違い。
大局での戦い方を考えるのが戦略、現場で応用するのが戦術だよ…。
なんでこんな小学生レベルの間違いするかな…orz
178 :
世界@名無史さん:04/07/01 03:30
外交+内政が戦略ってことでFA?
>>178 こんな感じかな。
0=最悪に無能。
1=とても無能。
2=無能。未経験者の方がましなレベル。
3=苦手。未経験者もこのレベル。
4=凡庸。席を埋めているだけ。
5=大過なく勤まる。
6=有能な人材。 (先見性必須、将軍でもOK、軍令レベル)
7=国内では一流の人材。 (戦争準備必須、軍政レベル)
8=国を代表する実力者。 (外交戦略必須)
9=時代を代表する天才。 (国家戦略の勝者)
10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。
>>171 人望が跳ね上がったなー。ok
政略で死んだのに、3(苦手)で済ますと、0とか1とかつける人がいなくなると思う。
指導4→7か。
指導に関するものって何だろう? 離反、演説、組織誘導・・・
【指導】
(1)ある意図された方向に教え導くこと。
>>168 先見の明がない指導者なんて幾らでもいる。ブッシュジュニアに先見の明があったら
イラク戦争なんて起きないだろう。
暴君とされた理由がどこにあるのか、単にバカだっただけなのか、
人望や指導力が低かったから部下がついてこなかったのかというのも分析できるし。
>>178 だったらむしろ「戦略」はいらないような気が。
外交は「政略」の範疇だと思うから。実際、外交上手い奴は保身も出来るし。
しかしそうなると、カエサルみたいなグランドデザインのあった指導者と
なかった指導者(例えばポンペイウス)の能力差が付けがたい。
現実に対処する能力と、グランドデザインを描く能力もまた違うし。
>>182 彼の場合、プロイセンをオーストリアと対等な存在(列強)にするという意味での
グランドデザインは、当初からかなり明確にあったと思う。
目的としてのグランドデザインね。戦争はそれ自体があくまで手段だから。
そしてその路線が、後の(オーストリア抜きでの)ドイツ統一に結びつく。
もちろん紆余曲折はあるわけだが、この辺の影響力はやっぱりでかい。
指摘されたような失敗は、政略と戦術でかなり減点してるつもりだ。
184 :
世界@名無史さん:04/07/01 21:16
バヤジット一世
【指導】 8
【戦術】 10
【戦略】 10
【内政】 6
【政略】 5
【人望】 6
【運】も入れない?
時の運も実力だろ。
ここでハンニバルを再評価ですよ
187 :
世界@名無史さん:04/07/04 00:05
age> 織田信長 <age
【指導】 9
【戦術】 9
【戦略】10
【内政】 9
【政略】 9
【人望】 2
【技能】や【アイテム】を入れてもいいかな?
能力自体は低くても功績があった人とかを評価するために。
>>184 バヤズィット1世は英雄だが、さすがに戦術・戦略10はないと思う。
力で押しすぎるところが命取りになったから、
戦術9で戦略、指導はもう少し低くなるのでは?
>>186 コーエースレでは荒れたよな。
不世出の名将か、言われるほど大したもんじゃないか。
ザマの敗北をどう評価するかで、180度評価が変わるからな。
>>187 日本レベル?
>>188 能力が低くても功績を上げれた場合
1.敵の能力がもっと低かった
2.頼りになる上司or部下がいた
3.状況が有利だった(誰かがそういう状況を作ってくれたか、敵がミスした)
4.文明の差がありすぎた
技能はあってもいいかもしれないが、アイテムはどうだろうか?
「日本レベル?」という御意見がありましたが、確かに高すぎる気が。
織田信長
【指導】6→浅井を始めとして、裏切られた回数も多い。油断も目立つ。
【戦術】7→800人程度を率いていた頃から指揮をとる機会多し。器用。
【戦略】7→意外と勢いに任せて戦うような真似をしていないが、裏切られて手こずる事多し。
【内政】8→近世への道を切り開いた。
【政略】7→旧勢力か否かというより、逆らえばつぶすといったところ。
【人望】6→朝倉宗滴も注目した人使いの上手(但し国内に何人かいるというレベル)。
191 :
世界@名無史さん:04/07/04 19:37
信長はもっと高水準だって!
では、戦略と政略を一つづつ上げておきますか。
指導も+1。でも、>179の基準からいえばこれでも相当なものですよ。
しかしうまい設定を設けて下さったものです。実に分かり易い。
194 :
世界@名無史さん:04/07/04 20:53
>>191 信長厨ハケーン
高水準と思うなら、根拠示せ。
ま た 数 値 化 ス レ で す か
家でゲームでしててくれない?
三国志の続編でたみたいだよ
日本の戦国時代の有名な武将は、決して中国の動乱期の英雄や、
欧州中東の英雄に決して劣らないと思うけど、
比較対象がないので、数値がつけられない気がする。
近世以前は世界史板で無理に数値化しなくてもいいと思うんだけど。
あの三人も荒れたよなあ。
功績的には信長+秀吉+家康=カエサル+オクタヴィアヌスだと思うが。
秀吉の小田原戦までがカエサルで、それ以降+家康がオクタヴィアヌス。
でもって関ヶ原がアクティウムと思う。
「どっちが強い?英雄大戦スレ!」とか立てたら荒れるでしょうね。
家康あたりじゃアホらしくてほとんど相手にされないでしょうが、カエサル
とアレクサンドロスあたりじゃ微妙過ぎる(?)。
>197
家康とオクタヴィアヌスの内政・政略・戦略は拮抗したものでいいかと。
片やローマの平和、片や近代化前の徳川250年。時期と「世界史」への影
響は前者が圧倒的な大きさを誇りますが、徳川の太平も凄い。
地域だけ見るとスケールが違い過ぎるので、反発も出るでしょうが。
家康じゃ叩かれるだろうな、つか俺が叩く。
大体、江戸幕府の特徴の一つである「鎖国」は、必ずしも
家康が意図していたものではないんだよね。
管理貿易だという者もいるが、日本人の出国が禁止されたことに違いはない。
いずれにせよ、あれは秀忠・家光の路線だ。良きにつけ悪しきにつけ、
そこは家康の評価から外さないといけないだろう。