モスクワ・ペテルスブルグの歴史

このエントリーをはてなブックマークに追加
169世界@名無史さん:2005/06/26(日) 22:13:28 0
age
170世界@名無史さん:2005/06/28(火) 11:39:20 0
アロー
171世界@名無史さん:2005/07/01(金) 14:13:06 0
ジイド著「ジイド全集」の10、ソヴィエト紀行、コンゴ紀行、角川、1958年
1936年にゴーリキーの重病をきいてソ連に行く。
モスクワ、ペテのあとで飢餓のウクライナを通って黒海から船で帰国。
あこがれのソ連は北朝鮮のような牢獄国家だと暴いた。
同じ頃ソ連を旅行した、ロマン・ロランやショウは賞賛し、マルローは
沈黙した。
172世界@名無史さん:2005/07/03(日) 00:34:17 0
フランス資本で作られたつまりフランス映画、タイトルもフランス語。
「ウルガ」1991年の製作、ロシア人の監督、
舞台は中国の内モンゴル自治区。
中でしゃべられる言葉はロシア語、モンゴル語、中国語。
大草原を走っていたロシア人のトラックが故障しモンゴル人の家族に
世話になり、パオに泊めてもらい友達になる。
大草原の生活は素朴なものだが近代化の波が近づいている。
それなりに面白いが、ロシア人の血に混じるモンゴルというのは
出てこないようだ。
173世界@名無史さん:2005/07/09(土) 23:42:42 0
(ソルジェニーツィン、Aleksanndr Solzhenitsyn)
1918年、黒海とカスピ海の間のKislovodskで生まれた。
      家が貧しかったので、生活の手段として数学を選び
      通信教育で文学を勉強した。
      軍隊では優秀な兵士だった。
      3回の結婚、2回の離婚暦がある。
1945-53 モスクワの近くとカザフスタンにスターリン批判で投獄。
      これらはおだやかな刑務所だったが1950年から政治
      キャンプに入れられた。
      その後カザフスタンに送られ数学教師をしたが、54,55年
      胃がんで入院、小説になる。
1953年、3月スターリン死亡。
1962年「イワンデニソヴィチの一日」
  68年「がん病棟」
  70年、ノーベル賞
     「The Red Wheel」というロシア革命題材の歴史書を書いたらしい。
「収容所列島」の著作年が解らない。
174世界@名無史さん:2005/07/09(土) 23:49:08 0
ソルジェニーツィン著「イワン・デニーソヴィチの一日」岩波文庫、昭和46年
収容所の過酷な一日を描いている。収容所列島は恐らく終わりまで読めないだろう
からこれは薄くてよい。 
175世界@名無史さん:2005/07/20(水) 11:06:26 0
芹川嘉久子著「モスクワの顔」中公文庫
著者は1965年から68年まで翻訳の仕事でソ連の出版社に雇われて
モスクワで働いた。サヨだからでなくて語学力のようだ。
当時のソ連にいた日本人は外交官、ジャーナリスト、商社関係にしろ
モスクワの指定された一定区域にいただけらしい。当然監視されていた
のだろう。著者はそれから離れた最初の個人生活者だったようだ。
他の人間は結局、日本関連組織なのに対し、彼女はロシアの会社だ。
商社婦人の生活報告とは浸透のレベルが違う。
抑留者の中にソ連に残った人がいたようだ。その他、政治の話題は
避けているが生活面でも興味深い。
共産主義生活の一面がわかる。
176世界@名無史さん:2005/07/21(木) 16:04:31 0
ロシアは共産主義的な地名を次々に変更している。
だから地図でしらべても、地図の作成年代によって出てこないものが多い。
177世界@名無史さん:2005/07/22(金) 02:28:10 0
スターリングラードの前のボルゴグラードも人工命名くさいが、
たしかその前の名がなかったっけ?
ボルガ川流域ならどこでも付けられる名前だもんね・・・
178世界@名無史さん:2005/07/22(金) 15:18:09 0
ツァーリーツィン。
スターリングラード攻防戦に関して興味深いことに、
ニキータ・フルシチョフは第二次世界大戦では、ウクライナ共産党の責任者
としてウクライナの産業を東部に疎開させることに尽力する。
疎開作業の完了後、陸軍中将の階級を授与され、南部戦線で
ナチス・ドイツ軍と戦った。スターリングラード攻防戦では、
エリョメンコ元帥の顧問となり、1943年クルスクの戦いでは、
バトゥーチン中将の政治顧問の資格で直接前線に参加している。そうだ。
179世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:30:43 0
サウシキン著「モスクワ」プログレス出版社、1966
チェルノーフ著「モスクワ ガイドブック」プログレス、1979
このプログレスと言うのが、175で書いた芹川さんが翻訳で勤めていた
モスクワの会社。ソ連の会社というのは多分全部国営だったんだろうか??
両方ともなかなか情報が多くて良い本だ。ただし通り広場の名前などが
現在と違っていて解りにくい。
当時のソ連は中共、北朝鮮のモデルだったので、娯楽の中心がサーカス、
マスゲーム。青少年の芸術振興が盛んなど共通点が多い。
180世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:57:39 0
1930年代のモスクワに中国人に共産主義教育をするために孫中山大学があった。
問題はそれがどこにあったか?であるが資料が少ない。
「Sun Yat-Sen University in Moscow」という本がカンサス大学から出ているらしいが
見つからない。
資料として「この大学はモスクワのアラハン街に面し、西向きのしごく平凡な
四角い建物で、正面に花壇、通路の両側に花や植木があった。通路の向こう側に
教会がある。その建築様式は格別美しく、中央に大きなドームがあり、四隅の
小型ドームが真ん中の大きいドームを囲み、蓮の花びらのようだった。
その規模はローマの教会堂に次ぎ、世界第二だそうだ。周囲の広場は大学生が
スポーツや散歩を楽しむ場所になっていた」とある。
世界一の教会はサンピエトロ寺院だろうから、モスクワ一は聖ワシリー聖堂なんだろうか?
周囲のドームは本当は6個あるが片側からは4つしか見えなかったのか。
アラハン街というのは調べたが見つからない。蓮の花は合っている。
181世界@名無史さん:2005/07/25(月) 00:50:43 0
>>180
その世界第2位の規模の教会堂は聖ワシリー聖堂ではなく、ナポレオン撃退を記念して19世紀に建設された救世主キリスト大聖堂だと思われる。
救世主キリスト大聖堂はモスクワに50年をかけて建設されたモスクワ一巨大な大聖堂だった。
しかしスターリンによる反宗教政策の一環として爆破された。
その跡地に400メートルを超える高さのソビエト宮殿を建設する予定だったが、地盤と予算と技術の問題で結局作られなかった。
ソビエト宮殿が建設中止になったので、跡地はプールになった。
ソ連崩壊後、90年代にプールを埋め立てて再び救世主キリスト大聖堂を再建した。
今、モスクワに行けばその大聖堂が見れるよ。
182世界@名無史さん:2005/07/25(月) 03:08:08 0
ピロシキです・・・

日本人の大部分はオレのことを
「肉入り揚げパン」だと
思うとるとです・・・
アレは「Беляш(ベリャーシ)」でつ。
本物のオレはただの「具入りのパン」
に過ぎんとです・・・

ピロシキです、ピラシキィーです、Пирожкиです、、、
183世界@名無史さん:2005/07/25(月) 09:24:14 0
>181
サンクスです。
「通りの向こう」というのがワシリーではしっくりこなかったので、
納得できました。
赤の広場でスポーツやるのもおかしいと思ってました。
184世界@名無史さん:2005/07/27(水) 11:49:08 0
ボロディノ、BORODINO、Бородино、
モスクワの西130キロ、ナポレオン軍とロシア軍の決戦場。
WW2のドイツ軍とソ連軍の戦場でもある。
旅行案内書のLonely planetにはナポレオンやクトーゾフの陣地配置などが
出ていて見ていて楽しい。
ソ連映画の「戦争と平和」や「ヨーロッパの解放」はここでロケをしてる
かもしれない。軍事板の戦史が好きな人には堪えられない場所だろう。
ここに行くには戦記などを色々読んで行くと面白いだろう。
モスクワのベラルーシュ駅から2時間。ボロディノは度田舎なので便数が
少なく10キロ手前のより大きい町のMozhayskからバスがあるそうだ。
モスクワ市内にボロディノパノラマ館が簡便派にはある。
バルチック艦隊に戦艦ボロデイノがあり、この就航が遅れて敗因の一つらしい。
185世界@名無史さん:2005/07/29(金) 19:45:45 0
スレ違いかもしれないけどクリコヴォの戦場跡ってどの辺にあるんですか?
たしかリャザンの西南あたりだったような・・・
186世界@名無史さん:2005/07/30(土) 11:24:41 0
>185
ドミトリーはドン河を渡ってとあるので東側かと思うとそうでも
ないらしいです。よく知りません。
ttp://members.shaw.ca/kblackley//Kulikovo.pdf
187世界@名無史さん:2005/07/30(土) 14:23:52 0
>>186
そのpdf面白いです。ありがとうございます。

これによるとクリコヴォ博物館はトゥーラの辺りみたいですね。
ttp://www.kulpole.ru/ENG/POS_AMK_E.htm
188世界@名無史さん:2005/07/30(土) 15:01:54 0
TVER,ТВЕРЬ,トヴェーリ
モスクワからペテルブルグに向かって150キロのボルガ川上流の都市。
14,15世紀にはムスクワのライバル商業都市だった。タタールに2回
収奪され、イワン3世、雷帝に攻撃され、ポーランド軍に蹂躙されている。
1940年にソ連の秘密組織NKVDがポーランドの軍事組織POW(捕虜か?)を
6000人を一晩で虐殺して近くに埋めたという。
カリーニンの生地なので一時そう呼ばれた。
モスクワの一番賑やかなトゥベルスカヤ通りとはここに向かう道の意味だ。
189世界@名無史さん:2005/08/02(火) 17:36:52 0
プログレスという出版社は現在もあってロシアのSFなどを出してるらしい。
湯川秀樹が中心の科学雑誌の名前でもあるようだ。
前に書いた同社のモスクワという本にロシア平原の河川のネットワークの図が
出ている。ロシア平野は余りに広大なために、高低さがほとんどなくなり、
水流も停滞するのでreservoirとよばれる池ができる。霞ヶ浦や洞庭湖のような
もの。モスクワから黒海、カスピ海、バルト海に船で行ける。
ペテルスブルグに行くには、
モスクワからモスクワ運河を通りボルガ川に出て、Rubinsk Reservoirから
the Volga-Baltic Canalと通り、Lake Onega, the Svir River,Lake Ladoga
the Neva Riverへ至る。何か強制労働が浮かぶ痛々しいルートだ。
南行のボルガ下りはNHKでしばらく前に放送された。
モスクワ運河からボルガ川を下りアストラハンに出る。
Uglich,Yaroslavl,Kostroma,Saratov,Volgogradを経由する。
KGBの場所のルビンスカヤの由来が解る。
190世界@名無史さん:2005/08/06(土) 16:15:09 0
鈴木浩著「モスクワ地下鉄の空気」新世紀ロシア展望、現代書館、2003年
著者は1975年生まれ。1930年ごろ、共産主義の理想を芸術で表現しようと
盛んだったアヴァンギャルド運動に興味を持ち、モスクワ工業大学に
建築デザインの勉強でエリツェン末期に留学した。
ソ連共産党政府は地下鉄を共産主義の象徴のようなものとして作ったので
著者の芸術的関心を引き、それを探訪したのだが、それがモスクワ市内案内
でもあり、ロシア人の生活案内でもある。
2大大国として君臨したソ連が共産主義崩壊後の情報流入してみて、
そのレベルを実感しいらだつ。その若者達がネオナチになり、ただ一つの
すがる誇りとしてヨーロッパ人?として、非欧米人を攻撃する。
得に、共産主義の中ではその子分であった中国人が経済進出してくるのが
気に食わないらしい。フーリガンとも共通する所があるそうだ。
著者の芸術家としての感性がでていて、私としては非常に面白かった。
191世界@名無史さん:2005/08/14(日) 16:12:27 0
プスコフはペテルブルグが建設されてから港湾都市としての
お株を奪われて衰微したの?
192世界@名無史さん:2005/08/17(水) 11:48:37 0
>191
よく知りません。
イワン雷帝によりロシアに併合され、ハンザ都市でなくなったこと。
ハンザ同盟そのものが全体として衰退したことが関係しているのでしょうか?
ヨーロッパとロシアの接点として、戦争の度に攻撃破壊されてるようですね。
193世界@名無史さん:2005/08/17(水) 21:53:00 0
(モスクワの環状道路)
最内側にクレムリンとキタイゴーラトを囲む一連の道路。
内側のプリヴァール環状道路;Boulevard Ring;
   中央が公園、散歩道。両側に各一車線あるだけ。
中間のサドーヴァヤ環状道路;Garden Ring;
   片側4車線の環状の幹線道路。庭園は名前だけ。
外側の大環状道路;
   外環状。片側4,5車線の巨大な物流道路。
194世界@名無史さん:2005/08/17(水) 21:55:25 0
救世主キリスト聖堂は後ろを東西に流れるモスクワ川を背にしている。
前方を東西にヴォルホンカ通りが通る。聖堂の西側を南北にサドーヴァヤ環状道路が
このあたりではゴーゴリ通りの名で通る。中国人の大学が通りの向こうに聖堂に面し
大学らしくない目立たない西向きの建物という「西向き」が理解しにくいが、ゴーゴリ
通りの角にあれば、大学の建物は西向きで聖堂に面することが可能だ。
このあたりは風致保存地域だそうで昔の状態が残っていそうだ。
聖堂の右前方はプーシキン美術館で立派なたてもの。そのとなりは美術館の
付属の建物。ゴーゴリ通りの角は在郷軍人のクラブになっている。
これのように思えるがどうだろう。
195世界@名無史さん:2005/08/22(月) 20:53:39 0
アルバーツカヤ駅前に対外友好会館というバロック様式の建物が
あるそうだ。ここも保留にして検討したい。位置が西過ぎるようだが・・
196世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:00:45 0
197世界@名無史さん:2005/08/30(火) 11:14:37 0
(ロマノフ王朝)
     ミハエル・アレクセイ
ソフィヤ、フョードル3世、イヴァン5世、ピョートル1世
198世界@名無史さん:2005/08/30(火) 13:17:33 0
モスクワ市の東を、北から南にヤウザ川が流れモスクワ川に注ぐ。
この川のほとり、モスクワから地下鉄3号線のイズマイロフ公園、一号線
ブレオブラジェンスカヤブローシャチ、一帯こそ少年ピューテルが玩具の
軍隊を作って遊んだ、ドイツ人居留区だ。この公園の池で最初のロシア
海軍がつくられ、軍隊ごっこが近衛連隊の名になった。
この北方のセルギエフ・パッサートの修道院にクーデターの時ピューテルが
逃げ込み、保護を受けた。更に北方のペレスラブリにピュートルの作った
ボートの展示があるそうだ。1号線の西南のノヴォデヴィッチ修道院に
ピュートルが姉のソフィアを幽閉した。17才だった。
199世界@名無史さん:2005/09/03(土) 22:25:29 0
1985年、ゴルバチョフ書記長に。
      米ソ首脳会談。
      エリツィンモスクワ市第一書記に。
  86年、チェルノブイリ事故。
      個人営業法。
  88年、アフガンソ連軍撤退。
  89年、ベルリンの壁崩壊。
  90年、ロシア共和国主権宣言。
  91年、エリツィン大統領に。
      8月政変。ゴルバチョフ辞任。
      バルト3国の独立。
      CISの設立。
  96年、ベラルーシュと共同体へ。
  98年、ルーブリ切り下げとデフォルト(債務不履行)。
  99年、エリツィン辞任
2000年、プーチン大統領に。
200世界@名無史さん:2005/09/03(土) 22:55:22 0
マシュー・ブレジンスキー著「ロシア・アンダーグラウンド」
     イースト・プレス、2003,5 原題はCasino Moscow
非常に面白いけれど、何故か異常に注目されていない本だ。小出版社のせいなのか??
著者の叔父がカーター政権で外交補佐官を務めた、ウオールストリートジャーナルの
記者として96年97年98年ロシアで取材した。資本主義化したソ連が債務不履行に
なりIMFの救援を受けるまでのロシアの裏面を体験した。アメリカのジャーナリストの
基礎知識のすごさ、語学力、取材力の馬力に圧倒される。よくある日本人のロシア体験記と
そこが全く違う。中枢に食い込んでいる。
この本が直接そのことを書いてある訳ではないが、共産主義から資本主義になる時、
共産主義は世の中総てが国家財産なので、資本主義化の段階でその山分けというか、
収奪というか、払い下げのようなことが起こる。ソ連ではそれが短期間で起こった。
中国という国はそれを長い年月かけて、国家財産の掠め取りを支配階級がやっている
のかもしれないと考えた。奪いつくした時に中国共産党は不要になる。
201世界@名無史さん:2005/09/04(日) 01:01:05 0
ブレジンスキーの甥か。ポーランド系ユダヤ人だよ。
割り引いて理解したほうがいいかもな。

郵政民営化でも似たようなものだよw
202世界@名無史さん:2005/09/04(日) 04:24:57 0
>>200
Z・ブレジンスキーのロシア観には根強いロシア蔑視が感じられる。
以前どっかで、ロシアは経済的には中国にも劣っているとか書いていた。
203世界@名無史さん:2005/09/07(水) 16:34:37 0
(全体主義、totalitarianism)
六つの主要標識、「シオンドローム」論
1、公認イデオロギー 2、単一の大衆政党 3、武器の独占
4、マスメディアの独占 5、テロル的警察統制 6、統制経済
全体主義をこの共通項でくくると、スターリン体制とナチスの
体制は共通性が多いという。
カール・フリードリヒと”D・ブルジンスキー”。
ハンナ・アレント、S・ノイマン、L・シャピロなど。
全体主義といっても一枚岩ではなかったと擁護するものもいる。
袴田茂樹「スターリン体制とドイツ・ファシズム体制」
204世界@名無史さん:2005/09/07(水) 16:59:16 0
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487257317X/250-1602211-3884206
ロシアアンダーグラウンド マシュー・ブレジンスキー (著)

90年代ロシアバブルに沸いた頃ウォールストリートジャーナル
(WSJ)モスクワ支局勤務だった筆者の旧ソ連リポート。
「WSJ特派員」と聞くとジャーナリスティックな内容を期待しますが
現実は行き当たりばったりの珍道中記。サハリン、サンクトペテルブルグ、
チェルノブイリなどモスクワはもちろん旧ソ連各地での筆者の体験は
確かに面白いものもあるが、マフィア・売春婦が跋扈するティピカルな
旧ソ連のイメージから更に踏み込んだ視点がありません。
筆者はWSJ支局員の正社員になるにあたって経済の勉強をしたそうです。
映画「ウォール街」、小説「ライアーズ・ポーカー」によって。
おいおいシャレだろと思ったが通読した感想としては多分真実なんでしょう。
「地下経済」の分析には期待できそうありません。

軽いモスクワ体験記としてさらっと読む程度、ロシアの現状を真剣に
知りたい向きにはおすすめできません。
205世界@名無史さん:2005/09/07(水) 18:24:02 0
塩川伸明著「ソ連とは何だったか」頸草書房、1994年
著者は東大法学部教授。1948年生まれなのでまだ定年でないので
現役だろう。共産主義崩壊にたいする、未練、往生際の悪さの著。
いい所もあったんださうだ。
206世界@名無史さん:2005/09/08(木) 09:28:40 0
>おすすめできません
読まれて困る部分でもあるのだろうか?
面白くないならそれだけでよい。
207世界@名無史さん:2005/09/09(金) 00:08:30 0
1、中村逸郎著「帝政民主主義国家ロシア」岩波書店、2005、
  現代の「慈父たるツァーリ」
2、アンナ・ポリトロフスカヤ著「プーチニズム」日本放送協会、2005、
  汚職まみれの司法、新興財閥の専横、軍の放埓。
3、塩原俊彦著「ロシア経済の真実」東洋経済新報社、2005、
  いまだ残るKGB体質、軍産複合体、進まぬ行政改革、ロシアの
  非近代側面

ブレジンスキーの本と同じような内容。

208世界@名無史さん:2005/09/09(金) 17:11:45 0
朝妻幸雄著「ロシアは、いま」ダイヤモンド社、1999年、
著者は商社丸紅のロシア支社長。93年から6年間モスクワに勤務。
議事堂砲撃の際は事務所が銃撃されたそうだ。あの近所がビジネス
センターのようだ。債務のデフォルト=モラトリアムでは被害の
当事者だったようだ。その後の処理はどうなったのだろう?
観光コースとしてドンスコエ修道院、カローメンスコエ教会を
推奨されている。いつか行きたい。ロシアの教育の普及を強調
されている。これと、政治的社会的訓練の未熟がアンバランスな
国民だ。芸術面の水準は高い。
209世界@名無史さん:2005/09/09(金) 17:39:00 0
ロイ・メドヴェージェフ著「ロシアは資本主義になれるか?」現代思想社、1999年
現在のロシアは全般的利己主義、大きな社会的不平等、政治的無秩序、
組織的な犯罪の世界。国が企業家を育てようとしたが、自己の利益しか
考えない組織が出来ただけだった。著者はロシア人に資本主義は
向いてないと言い、社会民主主義がよいと主張している。

亀山郁夫著「あまりにロシア的な」青土社、1999年、
よく言えばペダンチック、悪く言えば、文化的自己満足の書。
著者はロシア語の教授なのに、モスクワ近郊の旅行に案内を
付けるのか?どうも教授という肩書きと、ロシア馴れしていない
行動がアンバランスだ。
210世界@名無史さん:2005/09/15(木) 18:02:32 0
>Z・ブレジンスキーのロシア観には根強いロシア蔑視が感じられる。
>以前どっかで、ロシアは経済的には中国にも劣っているとか書いていた。

共産主義以前に中国は商業取引に関しては長い伝統、経験を有していた。
それに対してロシアの大衆は革命以前には農奴の経験しかない。
東欧諸国が資本主義にすばやく対応できたのと、つまり回帰と経済を
新しく実習する違いは大きい。納税の経験もなく、納税とは何かから
勉強中だろう。
211世界@名無史さん:2005/09/17(土) 22:57:17 0
E.H.カー著「ロシア革命」1917−1929、岩波文庫
著者はケンブリッジ大学のソ連研究家。(1892−1982)
1950年か30年かけて「ソヴィエト・ロシア史」14冊を書き
この本は1977年の概説。知識の整理に役立つ。
巻末の渓内謙の解説が参考になる。
212世界@名無史さん:2005/09/18(日) 20:06:05 0
211さん、カーの『ボルシェボキ革命』は役にたちませんか?
213世界@名無史さん:2005/09/19(月) 00:22:15 0
『ボルシェボキ革命』は14冊の内の最初の3冊ですね。
カーの本は批判として「ファクトロジー」というか、平板な叙述だと
され、共産主義の可否の判断がないとされたようですが、資料的な
役立ちの面の評価があるのでしょうか。
カー著「歴史とは何か」岩波新書を読み始めたところなので、
回答が書いてありそうです。
214世界@名無史さん:2005/09/21(水) 09:17:18 0
EHカー「歴史とは何か」岩波新書、清水幾太郎訳
1961年の講演。一般論だからあたりまえのことが多い。
ただ共産主義の欠点が見えてきた時代なので具体論になると
自信のなさが感じられる。産業革命初期にも悲惨なことは色々
あったが、産業革命の価値が下がるわけでないと言って、ソ連の
弁解をしている。訳者(1907−1988)は60年安保の
指導者でその後反共産主義に転向した。
215世界@名無史さん:2005/09/24(土) 15:38:59 0
大内兵衛著「社会主義はどういう現実か」
       −ソ連・中国旅日記ー岩波新書、昭和31年
昭和30年1955年5月6月、学術会議の視察団15名が両国を視察した。
他に茅誠司、桑原武夫、南原繁などがいる。両国で周恩来をはじめとする
盛大な歓迎、豪華な食事、特等席の観劇などで全員完全に舞い上がり、
国民は希望にあふれ、明るい未来を信じて幸せそうな素晴らしい両国
だったと報告した。
学術会議の左傾化はこの頃から問題視されていたが、それが改革?された
のは最近のことか?
共産主義万歳は構わないが、読んでいて更に不快なのは、この連中の贅沢と
いうか豪華さ好みだ。大内を代表にしてその弟子の都知事になった美濃部、羽仁
全員、質素など大嫌いの贅沢家だ。不破哲三、筑紫哲也などに連なる俗物性だ。
バレーを観に行って、内容よりも皇帝のすわった席だったと感激する男だ。
216世界@名無史さん:2005/09/29(木) 22:42:07 0
和田春樹著「歴史としての社会主義」岩波新書、1992年
この本は共産主義の歴史の解説書として簡潔な分析、評価も付いてすばらしい。
何故だろう。1、著者は共産主義の問題を自己の中心的テーマとして考えて
きたから。ロシアの歴史というより、共産主義を生んだ国としてとらえていた。
2、これが著者の素晴らしい所だが、共産主義の崩壊をみていち早くそれを
見捨て、過去のあこがれから仕入れた多くの知識を総動員してその欠点を
分析している。従軍慰安婦問題の活躍や北朝鮮に拉致問題などないなどの
主張で、スパイを思わせる外見もあり、胡散臭い人物との印象判断しか
なかったが、なかなか鋭く、かつ要領のいい人物らしい。
ttp://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/wada.htm
更に検討を要す人物だ。
217世界@名無史さん:2005/09/30(金) 17:31:18 0
スタインベック著「ロシア紀行」大阪教育図書、1996年
1947年に著者は写真家のキャパと二人でロシアを旅行した。
さすがに大作家は文章がうまく、公平な視点で見ようと努力は
しているが、やはりガイド兼見張りがいて自由に行動できない。
218世界@名無史さん
グレイム・ギル著「スターリニズム」岩波書店、2004年
オーストラリアの学者が1990年に書いた。
まとめとしてもっともなことが書いてあるがそれ以上でも以下でもない。