これから本屋行って、本買って、読んで
それから何書くか考えやう。
どうもウラジミールというコテはもういらしたような気が
します。そこで改名。
→ゲルツェンに。
ジョン・リード著「世界をゆるがした10日間」上、下、岩波文庫
以前は世界を震撼させた10日間という題だった。私の育った田舎の
家にその本があった。親戚のおじさんが読んだもので彼はその後
民生で活動し大学紛争でその後の人生をくるわせた。今日はじめて
読んでみて、著者はアメリカの赤の新聞の記者なので、共産革命が
実現していくわけだから、興奮熱狂していて反感を覚えるが、我慢
しながら読んでいると、意外に事実をていねいに見ているのが、
感じられる。赤に不利なことも観察、書き込んでいる。本の最後に
出ている地図を参考にしながら読むと面白い。ボルシェヴィキの
拠点になったスモーリヌイ学院を見てみたい。メニシェヴィキとNI
で書くのが気になるがロシア語の読み方も覚えたい。
コテは止める。
地球の歩き方「ロシア」モスクワのレストラン。p122
(ムー・ムー My My)
モスクワの中心街、アルバータ通りにあるロシア料理のセルフの
店。トレーを持って並び、次々と料理を指していくだけでいいので
言葉の心配もいらない。
ツルゲーネフ著「ムムー」MyMy
クロポトキンの本の中に農奴の悲惨さの代表作として書いてあったので
読んだが、少年少女相手の本であるためか、私の感性に問題があるのか
全く面白くなく、悲惨とも思わない。おし(言語障害)の男が飼っていた
ムームという犬を女主人の気まぐれで処分させられる話。
ロシア文字(キリル)のYの発音記号が(u)なのでマイマイではなくて
ムムーになるらしい。おしの人間がやっと発音できる音がそれなのであろう。
そこで、前のレストランの名前がMyMyなのは黙って注文出来るから
なのであろうか?
6 :
世界@名無史さん:04/05/29 01:34
ロシア語名改称が相次ぐ中で
ここだけはドイツ語名のままなのはなぜ?
ピョートルゴロドなんて風に変えないのかな。
サンクト・ペテルブルグ→ペトログラード→レニングラード→サンクト・ペテルブルグ
8 :
世界@名無史さん:04/05/29 02:21
>>7 最初はオランダ語の名前だった。
サンクト・ピーテルブルッフ→サンクト・ペテルブルグ
→ペトログラード→レニングラード→サンクト・ペテルブルグ
オランダ語名時代もあったのか。
関係ないが、サンクト・ペテルブルク市域外のサンクト・ペテルブルク周辺地域を
管轄する州は、まだレニングラード州って名だったな。
彼は
ペテルスブルクに生まれ、
ペトログラードの学校に通い、
レニングラードで働き、
サンクト・ペテルブルクに葬られた。
11 :
世界@名無史さん:04/05/29 21:43
サンクト・ペテルブルクはピョートル一世がオランダ大好きな事もあって、
オランダ風の都市計画で進められた。北方戦争が始まって3年後、1703年には
ネヴァ川河口は既にロシア軍のものとなり、ピョートルは守備をより固くするため
ネヴァ川河口の島に要塞を建設することを決意した。この要塞はピョートル自身が
図面を描き、オランダ風に「サンクト・ピーテル・ブルフ」と呼ばれた。
要塞の建設が起工したのは1703年5月16日、その1ヶ月後の6月29日に要塞内に
尖塔を持つ木造の教会が建てられ、それは「ペトロパヴロフスク教会」と名づけられて
要塞自体の名称ともなった。それに伴ない「サンクト・ピーテル・ブルフ」は
何故か「サンクト・ペテルブルク」と名称を変え、街の名前となった。
だから「サンクト・ピーテル・ブルフ」と呼ばれたのは要塞建設時のごく短い期間
だけであって、都市建設が進み遷都されてからは街の名前がそれで呼ばれたことは
無いようにも思える。
>>9 エカテリンブルグ市を管轄する州もスヴェルドロフスク州のままだしね。
しかも州旗に鎌とハンマーが残ってるとこさえある。
元々あのあたりに住んでたのって、フィンランド人やエストニア人と
同系の民族じゃなかったっけ?
ロシアの街の語源はフィン語系から来ているものが多いらしい。モスクワとか。
狩猟フィン系人種がいたところに農耕スラブ人がやってきて、同化したのでは?
14 :
世界@名無史さん:04/06/02 01:16
ロシア人自体がウラル語族系民族を取り込んできたからね。
15 :
世界@名無史さん:04/06/02 01:20
革命前のモスクワはロシア正教の都だった。
寺院は1500以上の寺院が存在し、丘から見た街は正教の黄金の屋根で輝いて見えた。
革命後は正教の寺院は片っ端から破壊され、都市としての往年の輝きは崩壊した。
革命前のモスクワの光景が見てみたい。
17 :
世界@名無史さん:04/06/02 19:06
ところで、ロシア正教会の十字架って普通の十字架と違って
何か変な形をしてるんですけど、何か意味があるんですか?
前から気になってたもので。。
18 :
世界@名無史さん:04/06/03 00:17
19 :
世界@名無史さん:04/06/03 11:06
おれはボルシチ大好き
P・クロポトキン(1842−1921)著「ある革命家の手記」、岩波文庫
20才の著者は卒業後希望してシベリアへ、1862年から5年間。
当時シベリア総督はムラヴィヨフからコルサーコフに代わったばかりだった。
彼のシベリア体験は非常に面白いが後記。
この本の最初の訳は大杉栄だが、読んでもアナーキストとはどんなものか
よく解らない。本人も最後のほうで英国の労働運動の漸進的な改革運動家に
批判されて言葉につまっている。著者は非常に頭の良い人で、理論的に誠実に
行動しようとしているのはよく解るが、社会主義運動と、後進国の民主化、
議会主義運動とサヨの運動は常に意識的、無意識的にまぎらわしい。
聖パウロペテロ監獄をはじめ、各国の監獄比較も興味深い。
ウランバートル近くから北東行するオノン川はチタ方面からのインゴダー川と合流し
シルカ川になる。東行するケルレン川は北に向きを変えアイグン川になる。
シルカ川とアイグン川は合流してアムール川(黒竜江)となる。
これにオリガ川、セレムジャ川、ゼーヤ川、ブレヤ川が注ぐ。
旧満州で吉林、長春に支流のあるしょうか松花江(スンガリー川)はチチハル方面
からの、嫩江ネン川、牡丹江を併せてアムール川に注ぐ。
ウラジオストック北方に発するウスリー川はハバロスク近くでアムール川に注ぐ。
クリミア戦争でオホーツク海にいる英仏軍がアムール川からシベリアに侵入する
のを恐れたムラヴィヨフはチタからインゴダー川→シルカ川→アムール川と下流に
軍隊を流して派遣した。
クロポトキンは兵と供に、スンガリーを上行し、吉林にまで達し、水路を開いた。
アロー号令直後の中国人側も恐ろしい思いをしただろう。
地理学者である、クロポトキンは更に、北シベリアのヴェルホヤンスクに近い
ヤルーツク地方の調査をしている。
ツルゲーネフ著「父と子」新潮文庫
1962年出版。デカブリストの乱後のロシアに青年貴族を中心に西洋の
芸術哲学の至上主義グループがあった。彼等を批判し、それら総てを
批判否定し、旧体制を乗り越えようとする運動が、非貴族階級の知識人、
医者や教師、弁護士などに起こった。明治維新の下級武士の動きに
似ている。旧勢力の洗練から見ると、粗野な連中である。その評価の
微妙さがこの本のテーマなのか?だだし、主人公のバザーロフは、
イラク人質の新井君を思わせるところもあるいやな奴ではある。
チェーホフ(1860−1904)著「シベリアの旅」岩波文庫
著者はロシアの刑罰制度、特にシベリア、カラフト流刑に関心をいだき、
1990年、シベリアをまだ寒い5月に横断しカラフトへ旅したが、
その途中の観察記録である。きびしい自然とそこに過酷な生活をせざる
を得ない人達の善良さを描いている。
チェーホフ著「サガレン紀行抄」太宰俊夫訳、樺太叢書2、樺太庁、
昭和14,12,5
カラフトのことをサガレンというらしい。
189年7月10日よりチェーホフはシベリアを横断し、アムール川の
河口のエコラエスクから舟で北カラフトのアレクサンドロスクに上陸、
内陸部まで見学、更に舟で南カラフトのコルサコフ(大泊)を旅行した。
85年に千島と南カラフトを交換し、日露戦争の前だから日露はとげとげ
しい関係にはない。紀行文のうち、翻訳当時の日本は南カラフトを領有
したので、その部分だけ訳している。
チェーホフ著「サガレン島」太宰俊夫訳、樺太叢書、樺太庁、
昭和16,12,10
サガレン紀行の後半部分で紀行文というより、旅行の主目的である
カラフトの悲惨な監獄の報告書のようなもの。流刑と開発が結びあって
いる。この出版の効果か、囚人の待遇が改善された?という。
プルードン著「十九世紀における革命の一般理念」
中央公論社;世界の名著53 から
プルードン(1809−1865)フランス人
印刷工、独学、パリコミューン後にルイナポレオンに反対し
投獄されその間にこの本を書いた。また、マルクスと論争し
第一次インターナショナルでマルクス反対派の指導者であった。
労働者の組織といえども、組織は必ず権力化し、自由を
押さえ込むようになる。「自由」を最優先させることを主張。
革命は必要だが非暴力的に達成すべき。
後の共産党政権の樹立以前にその陥るであろう問題点を
指摘していた。
アンリ・トロワイヤ著「大帝ピョートル」中公文庫
ペテルスブルク誕生のいきさつが理解しやすい。
在位の1689−1725がヨーロッパが産業革命にふみだす直前の
地ならし期であり、文明の進歩に遅れたことに気づいたピョートルが
導入の基地としてあの都市を建設したのがわかる。ただロシア人は
皇帝以外は保守的で、文明に興味を示さない。学校教育にも関心が
ない。寺小屋の好きな日本人と違いが大きい。
アンリ・トロワイラ著「イヴァン雷帝」中公文庫
ピュートル大帝と平行して読んだので、両者が混乱してしまう。
この読み方はよくない。父帝がなかなか子供が出来ず場合により
妻を代えてしまう。そして皇太子が小さいうちに父帝が死ぬ。
妻が幼い皇帝の摂政として実権をにぎり、愛人をつくり、皇帝を
ないがしろにする。やがて幼い皇帝が成長し、母と愛人を追放し
実権をにぎる。保守権力としての貴族を追放し皇帝の権威を確立
する。スウェーデン、タタール、トルコ、ポーランドと戦い、
勝ったり負けたりする。というようなことがどちらの本にも
でてきて区別がつかない。晩年には拷問、虐殺の好きな
サディストみたいなっていく。
既得権益の反抗する諸侯を抑えるためにもある程度の虐殺が
権力、権威維持のために必要だったのだろう。
30 :
世界@名無史さん:04/07/02 00:15
サンクトペテルスブルグの北東のフィンランド湾の近くにオラニエンバウムという
町があり、現在は市の一部になっているらしい。
創1710 市1780 オラニエンバウムОраниенбаум
1948- ロモノーソフЛомоносов
エカテリーナ2世がクーデターを起こすときにでてくる。
これと全く同じ名前の都市がベルリンの西のザクセンアンハルト州にある。
>
http://www.oranienbaum.de/index.html 偶然でなく何か意味があるのだろう??
プーシキン著「ボリス・ゴドゥノフ」岩波文庫、1957年
栗生沢猛夫著「ボリス・ゴドノフと偽のドミトリー」山川出版、1997年
皇帝ヒョードルが死ぬとボリスは皇子を殺し?帝位につく。
700年のリューサク朝の終わり。ボリス帝は外交はうまく行くが、国内は飢饉で混乱。
死んだ皇子の偽者が出現。ボリスは病死、モスクワは陥ちる。
1606年、シェイスキー政府
1616年、ロマノフ朝成立。
僭称(身分をこえて、かってに上位の称号を使うこと)
プーシキンの戯曲には、彼の先祖の同名の貴族が出てきて、ゴドノフに
対抗する。
北海道はロシア研究が盛んなようだ。
3人のトルストイの一人、A・K・トルストイの「ツァーリ ボリス」という本も
あるらしい。
ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドノフ」はシャリアピンで有名らしい。
1,海老沢敏監修、音楽の友社、1996年
「ガイドブック、音楽と美術の旅、ロシア」
基礎知識のある現地生活者が解説しているので内容がこい。
地図や写真もきれい。すばらしい本。
2、山田実著、未知谷、2004年
「サンクトペテルブルグ断章、遺伝研究者のロシア滞在記」
実体験は説得力がある。旭川くらいの寒さだそうだ。
白夜の苦しむ奥さん。郊外に荒れたままの宮殿がまだいくつか
あるそうだ。オラニエンバウムなどなど。
3、河野允義著「モスクワ、ペテルブルグ縦横記」
岩波書店、1995年
つまらない。
プーシキン著 「大尉の娘」 岩波文庫
1836年に書かれた。
エカテリーナ2世の時代。主人公の軍人の若者は最前線であるウラルの
オレンブルグから先の要塞に派遣される。
当時プガチョフの乱(1773−75)が起こりこれに巻き込まれる。
主人公は偶然プガチョフと知り合いになるが、これが誤解され投獄
される。恋人が女王に嘆願し解放される。
純文学というより、私にはユーモア冒険小説にみえる。
高橋保行著「ロシア精神の源、よみがえる”聖なるロシア”」中公新書
著者は本物の神父さんだそうで、述べられていることが深い。
私が充分理解出来てるとは思わない。
東ローマ、コンスタンチノープルのギリシャ正教は理性としてのギリシャ
哲学と共存するものとして、情念としての宗教心キリスト教がある。
これがロシアに伝わる時、ギリシャ哲学の部分は置いて来た。だから
ロシアの宗教は情念的である。
ギリシャ哲学はイスラムに伝わり、スペインから西洋に伝わる。
宗教改革ではこの理性の部分が強調され、結果として情の部分が薄れ、
無神論へ移行した面もある。そうだ。
他のスレで話題になった、ロシアとイスラムの建築様式の類似性の
解説もでている。
トロワイヤ著「女帝エカテリーナ」中公文庫
同名のスレあり。池田理代子の劇画の方を読んでる人が
多いらしい。私個人は専制君主というものに、貴族が従順なのは
解るが、農奴たる人民が黙々と従うのが奇妙に見える。日本などでは
こういう絶対権力が生まれない。封建時代をいつまで経っても迎えない
のは、庶民の知識水準が低いだけでなく、皇帝の周囲にいる貴族達も
知的水準が低いらしい。
実際は程度の低い権力者が権威をみせるためにやたらに豪華な宮殿を
造る。ただこんな連中がだましあいをする外交というものの経験が
日本ではない。
トロワイヤつながりでこちらも。
「帝政末期のロシア」福住誠訳・新読書社。
好奇心に溢れた仏人青年ジャン・ルセルの目を通して、読者は二十世紀初頭のモスクワからペテルブルグ、ノヴゴロド、さらにはヴォルガを下る旅に出る。
そこには豪華な歓迎の食卓に、古都の町火消し、スタニスラフスキー
の劇場、ロシア・バレエ、はねた後の賑やかで底なしのような夜食、
荘厳なロシア聖教があり、また危険を孕んだ貧民窟、さらには、一見平穏に見えるが禍々しい怨念の漂う労働者の寝室であったりと、革命前の
裏のロシアをも見せてくれる。
>36
その本は知りませんでした。捜してみます。
マッシモ・グリランディ著「怪僧ラスプーチン」中公文庫
面白くない。
ポーツマス会議で日本の情報が解読されていてロシアにつつぬけ
だったとは本当なのか?
賠償金も無くロシアとして大成功と評価してる。どうせ革命で
金とれなかっただろう。
ウイッテがなかなかたいした奴だったとわかった。
アンリ・トロワイヤ著「アレクサンドル一世」中公文庫
これは本当に面白い。ナポレオン戦争を敵側から見られる。
仏軍を追ってパリ入城場面など興味深い。
読んで得した。
トゥルゲエニェフ著「プウニンとバブリン」岩波文庫
昭和4年初版、14年第7刷、20銭
実はタイトルも右から左に書いてあって解りにくい。
貴族の息子が1830年に共和主義者のふたりにあって友人になる。
不幸な境遇の美少女と共和主義者は結婚するが、1849年の大弾圧で
シベリアに送られる。農奴解放を喜ぶ。
1874年に書かれた。昔は、今もか?ロシア文学はサヨに愛好されたので?
「父と子」で反体制家を感じ悪く書いたツルゲーネフの評価が悪い。
私にはこの本は非常に面白かった。
昔の人はこんな本を読んでたのか。
(ナロードニキ)
人民主義者とも。
1860年代末以降のロシアの運動家、思想家のうち、西欧とは異なる
農民・人民・民衆(ナロード)の理想に立脚シ、ロシア独自の平等社会の
実現をめざした人々。民衆の間で宣伝扇動をしたが厳しく弾圧された。
「土地と自由派」「人民の意志派」がらが自称した。90年代になって
ストルーヴェ、レーニンらのマルクス主義者がロシアでの資本主義の
発展を否定的にみる立場(→ミハイロスキー)をナロードニキと呼んで
批判した。広義には、ヴァナロード(人民の中へ)運動やエスエルを
含め、東欧やアジアなど非西欧の民衆解放をめざす知識人をさす。
(ミハイロフスキー)1842−1904
ロシアの評論家、貴族の出身「祖国の記録」「ロシアの富」誌などを
主宰した。人格の全一性擁護の立場から資本主義を批判しまたマルクス
主義者と論争した。「人民の意志派」、エスエルに協力した。主著
「進歩とは何か」など。
(土地と自由派)
ロシアのナロードニキ革命組織。1876年結成。ナタンソンらが
指揮し、キエフ、オデッサ、ハリコフなどに支部を持つ。土地の
共同体所有、連邦制国家をまざし、農村での宣伝工作を展開した。
テロリズムの評価をめぐって79年分裂した。
(人民の意志派)
ロシアの革命組織。1879年ナロードニキの土地と自由派分裂により
結成された。分裂した土地総割替派の宣伝重視・非政治主義に対し、
専制打倒、憲法制定を掲げテロ戦術を展開した。執行委員会を頂点と
する中央集権組織に学生・労働者・将校が参加、81年3月1日
アレキサンドル2世を暗殺したが、幹部の逮捕・処刑や幹部デガーエフ
の警察との内通などにより84年までに壊滅した。
ツルゲーネフ著「処女地」岩波文庫
1888年に出版された。
物語は1968,9年の話で、主人公は地方に農民の改革、解放への宣伝
活動にでかけ挫折する。農民蜂起運動も摘発される。地道な工業運営家が
着実な努力を続ける。
本の始めに「処女地を拓くには上すべりする手鋤を用いず、深くくいこむ
犁を使わねばならぬ」という言葉が出ていてこれが総てである。
軽薄な革命運動よりも着実な産業育成が国民のためになるという現在では
当然な著者の主張が左翼の主導する世間で認められれたのは最近のこと
である。
(エスエル、SR)
社会主義者革命家党の略称。帝政ロシアの革命政党。革命的ナロードニキ運動の
伝統を受け継ぎ、1901年結党。チェルノフの農民社会主義の考えを採用し、
「土地社会化」の実現をめざしたが、17年三月革命で臨時政府に参加。
十一月革命後の憲法制定議会選挙では第一党になった。12月左派エスエルが
分離。18年1月解散させられ地下活動を強いられた。
トゥルゲーニェフ著「貴族の巣」岩波文庫
ロシア文学の主題として無用人という考えがあるそうで、行動しない
インテリ貴族の揶揄らしい。主人公の田舎貴族は農業にうちこもうと
するが、個人生活としては恵まれない。革命運動のやりかたに疑問を
表す点が同時代、後の時代にツクゲーネフの評価を下げたが、この本は
その批判がない点が同時代の評価を上げたというのは皮肉なことだ。
歴史とては参考になる点がすくないがさわやかな本ではある。
スモーリヌイ修道院と寄宿学校。
エカテリーナ2世によって建てられた、女学校はやがてロシアの
フェミニズムの基地となり、ロシア革命の時のレーニン等の拠点だった。
現在は市役所としてつかわれている。地下鉄で行きにくい。
48 :
世界@名無史さん:04/08/23 19:31
ツルゲーネフは、ドイツに移住しましたね?
こういう人、当時多かったのかな?
日常会話はフランス語だし。
上流階級の人達はドイツ語、フランス語は行ってすぐに
困らない程度にできたようですね。
「父と子」の伯父さんも決闘に負けた後ドレスデンに
移住して楽しく?暮らしてたようです。
私が解らないのは、ロマノフ王朝などの王室の人達はドイツ人
移住者でゲルマン人がスラブ人を支配してた国なのか?と
考えています。
書いた本人が解ってないので読解は不可能です。
ゲルマン人よりノルマン人としたほうがよいか?
皇帝がつぎつぎとドイツから嫁をもらうのは、ブラジルの2世が
日本からの嫁をもらうようなもの?
自分でも意味が分からない言葉を書き殴るなよ……
>ノルマン人
ルーシの始祖がノルマンだという伝説を言ってるんだったら、一理はあるが推測の域を超えない。
>ゲルマン人
ロシア帝国の支配層のかなりの部分にドイツ語話者がいたが、彼らの大部分はバルト・ドイツ人だったらしい。
つまり、騎士団領時代にドイツ化した(血統・文化双方の意味で)バルトの貴族たち。
彼らはバルト海を通じて西欧との交流が深かったので、帝国で重用された。信教の自由も認められていた。
ロシアが西欧の文化を吸収する上での入り口になったのがまずバルト、そしてドイツだったということ。
さて、「ゲルマン人がスラヴ人を支配していた」のか、
それとも「スラヴ人がゲルマン人を利用していた」のか。
53 :
世界@名無史さん:04/09/05 21:58
<_葱看>、
/ I .((ハ)) i \
ノゝ`∀´>ノハ これからもわむてを応援しおてくださいね〜
uiYu みるまら〜<^^>
.〈|: _>
∪∪
54 :
世界@名無史さん:04/09/06 00:17
ここはモスクワとペテルブルグについて語るスレです。
55 :
世界@名無史さん:04/09/06 07:20
19世紀ロシアを語るスレになってますな。
マーリア大公女著「最後のロシア大公女」中公文庫
家系図が本の最後に出ているが、これがなかなか理解できず、
読み終わってからやっと解った。
1825−1855、ニコライ1世
1855−1881、アレクサンドル2世
1881−1894、アレクサンドル3世
1894−1917、ニコライ2世
父親はアレクサンドル2世の子供で、ニコライ1世の孫娘がギリシャ国王に
嫁に行き、生んだ子供が母親だ。5親等同士の結婚らしい。
ニコライ2世とはいとこになる。毛並みはよいが皇族としては、末端では
ないかとも思う。
知識が無いというか、参考になるのは、ロシア革命が起こり脱出する部分で、
ウクライナへ逃げるという問題。講和は結ばれているが、WW1は続いてる
状態のとき、ドイツはウクライナを食料基地としても占領を続けていた
らしい。
マーリア公女の弟がラスプーチン殺害グループのウラジーミル。
グループは真相に口をつぐんだため、謎に終わったのだろう。
ドフトエフスキー著「貧しき人びと」新潮文庫
処女作。ネットで感想文をさがしてみると、初版時評論家に
激賞された話ばかりでてくる。ほんの少数感動した人がいる。
貧乏な善人の話なのでそういう人は世の中少ないのだろう。
私は、いい人でないので、全く面白みが解らずつまらなかった。
文学は歴史書より当時の雰囲気をつかむのに適しているので
読むのだがその参考にもならない。1800年代中ごろの
ペテルスブルグの貧乏人はこんなかという程度。
主人公の少女は父親がしんで、ペテルブルグ区からワシーリー区に
引っ越した。土地がらか?
59 :
世界@名無史さん:04/09/12 22:26:21
ツルゲーネフ著「煙」岩波文庫、
ストーリー自体は、婚約中の真面目な青年が、幼なじみの
社交界の美女に翻弄され、婚約を破棄したのに、美女にも
すてられ落胆する話。この手の話には興味がないが、
主人公と友人のロシア談義が面白い。
英国人が10人集まると海底電線の話とか、紙税の話とか
実用的な話になる。ドイツ人は領土の話とかドイツ統一の
話になる。フランス人は色事の話になる。
ロシア人は漠然としたロシアの使命とかギリシャ神話などが
とりとめもなく、支離滅裂に述べられる。
つまり議論が現実的な脈絡をもって語られないといいたい
らしい。次に語られるのは、農奴制は解放されたが、隷属根性
から抜け出せないために、命令してくれる主人が必要としている由。
ロシア人の空しい議論も、かの美女の存在する社交界ぼ会話も
空しいと言いたいらしい。
ツァーがいなくなっても、レーニン、スターリン、プーチンと
ロシア人は支配されたがっているのか?
「彼得堡」「莫斯科」この二つの文字がなかなか読めなかった。
皆さんには簡単ですか?
英語読みで
彼得→ビードゥー→ピーター
堡=砦=burg=ブルグ
莫も、斯す、科こー、
ゴーゴリ(1809−52)著「昔気質の地主たち」岩波文庫
小ロシア(ウクライナか?)の地主の老夫婦が静かに暮らしているが、
ばあさんが死ぬと、残されたじいさんも淋しく後を追う。たんたんと
した生活を描いている。この地主の管理人はやりくりから自由にくすね、
農奴達も収穫をごまかしている。鞭打ちなどのいつもの農奴の話と
ずいぶん違う。ウクライナという土地が豊かで余裕があるのだろうか?
ゴーゴリ著「ヴィー」岩波文庫
キエフの学生が美人の幽霊のお払いを頼まれて命を落とす。
雨月物語のような話。この学校がモギラ神学校なのか?
レオ・トルストイ1828−1910著「幼年時代、少年時代、青年時代」岩波文庫
三部作の内、少年時代は入手できなかった。クリミア戦争の出征中に書き始めたと
いう。フィクションをまじえた自己の成長物語。母に死なれた貴族の息子の繊細な
感性の表現なのか?戦前の日本でこの本が読まれ、現在は絶版。当時の読書人である
旧制高校生などは大部分が地主の子供だろうから、現代人と比べて自分との共通点も
あり、使用人と自分との関係など共感するものが多かったんだろう。
64 :
世界@名無史さん:04/10/03 19:16:46
┌──────────────────────―─┐
│ |
│ 運命をねじ伏せてやる |
│ ∧_∧ 俺自身が神だ .|
| (`・ω・´) ..|
| と ∩ つ . |
| ( ヽω/ |
| (_)_) |
| |
│ Now Shaki-ing. ... .|
│ |
│ |
│ しばらく自分を解き放ってお待ち下さい .|
│ |
└───────────────────────―┘
65 :
世界@名無史さん:04/10/04 02:10:08
モスクワの事ならB・A・ギリャロフスキーの「帝政末期のモスクワ」(中公文庫)も
面白いですよ。
著者は帝政末期からソビエト政権初期にかけて作家・ジャーナリストとして活躍した人
ですが、当時の商人やモスクワの銭湯の話などなかなか面白いです。
66 :
世界@名無史さん:04/10/04 03:16:42
アメリカの学者が国境の無い世界の方が現在の世界よりはるかに
人類を滅亡に導く危険性の高いということを完璧に証明。
67 :
世界@名無史さん:04/10/04 17:09:50
僕はモスクワの方が好き。ペテルブルグも何度か行って知ってるけど、
モスクワに二年間住んで馴染んでたからモスクワが好きなんだ。
同じロシアのニ大都市だけれど、それぞれ全く違う印象が有るな。
68 :
世界@名無史さん:04/10/04 17:17:56
>>67 具体的に、どう違うの?
ペテルブルクが港町で、宮殿や庭園、水路が多いのは、知ってるけど・・・
69 :
世界@名無史さん:04/10/06 14:48:29
草野慶子著「ロシア恋愛小説の読み方」NHK出版、2004年
10月から12月までNHKラジオ第2放送で
午後9時30分(土)、再放送は午前11時(月)だそうだ。
「はつ恋」「アンナカレニーナ」「白痴」など
当然ながらさすがに学者の読みは深い。
恋愛小説に続いて、幻想文学をやるらしい。
放送はなかなか聴けそうもない。
ドストエフスキー著「悪霊」
1869年のネチャーエフ事件を題材にしたらしい。
バクーニンに煽られた革命家がモスクワ大学に組織した5人組の
内ゲバだ。この革命ごっこを著者は未熟者の道楽と揶揄したことは
後の共産政府に批判されたらしい。これに著者自身の病気や宗教の
悩みがだらだらと書かれている。著者の頭の中が整理されていない
ことが第一の問題点だろう。革命家批判は当時の出版界では有利な
処世術でもあろう。著作が金持ちの道楽でないロシア最初の職業
作家らしい。
ネット上の解説を読むと左翼革命達成後の地獄を予言したともある。
そうとらえればすごい小説だ。逆ユートピア小説というらしい。
71 :
世界@名無史さん:04/10/20 21:39:26
>>65 ギリャロフスキー「帝政末期のモスクワ」、さっそくネットで調べたら
安価であったので取り寄せました(カワセミ書房様スパシーヴァ)。
カバー裏の、絵に描いたような野太い著者近影にワロタ。
ではこちらも。
大庭柯公「露国及び露人研究」(中公文庫)。
二葉亭四迷と交遊を持ち、若くしてウラジオストックで学んで、
その卓越した語学力を買われて日露戦役では参謀本部の通訳、
後に新聞記者として革命後のシベリアに消えた人物が残した書。
遣い便利なロシア語「ニチェウォー」、下宿よりも一人のほうが利の
多いピーテル暮らし、着古したフロックコートを仕事着として着てい
る為「公爵」と呼ばれるタタール人の古着屋、一泊ごとに警察署へ
提出させられる旅券、第一次大戦ガリチア戦線観戦記等々、革命前夜
から直後までの露都のエピソードが載っています。
ただ執筆の幅が広く、シベリアを中心に書いてるのがチョト惜しいな。
72 :
世界@名無史さん:04/10/21 01:28:49
19世紀のペテルブルクの雰囲気を知りたいならドストエフスキーの罪と罰を読むといい。
73 :
世界@名無史さん:04/10/21 02:38:07
みなさんむずかしいこと話てまつね
74 :
世界@名無史さん:04/10/21 06:13:26
ロシアって潜在力高そう
>「帝政末期のモスクワ」
この本はネットであるけど本屋に置いてないですね。
ツルゲーネフ著「猟人日記」岩波文庫
地主貴族がロシアの美しい自然の中を猟をして歩く。
途中さまざまな農奴の悲惨な生活にふれる。
著者の母が冷酷な地主だったため、少年期から見て育った。
この著作のために首都を追われ、最後には外国住まいとなる。
勿論その批判だけでなく全編彼の特徴であるリリシズムにあふれる。
ツルゲーネフ著「ルージン」岩波文庫
二葉亭四迷の翻訳では「うき雲」という題。
小説自体はロシアの上流階級の上品な恋愛小説で、これは歴史など
関係ないなと思いつつ読むと、最後の一ページで突然ルージンが
パリコミューンで撃たれて死んでしまいびっくり。
あとがきを読むとルージンのモデルはバクーニンの由。
またまたびっくり。
>77
訂正
「うき雲」は四迷のオリジナルで、翻訳は「うき草」でした。
ドストエフスキー著「死の家の記録」新潮文庫
著者は1850年から4年間西シベリアのオムスク要塞監獄に
収容されて、その記録である。当時の監獄の様子がえんえんと書かれている。
1860年から62年に出版されている。
1801−1825、アレクサンドル1世
1812、ナポレオンモスクワ侵入
1825−1855、ニコライ1世
1825、デカブリストの乱
1855−1881、アレクサンドル2世
1854〜56、クリミア戦争
1861、農奴解放宣言
1881−1894、アレクサンドル3世
1894−1917、ニコライ2世
2月革命に対する反動の時代に収監されて、次の皇帝の改革で出版が
許されたことが解る。
プーシキン著「スペードの女王、ベールキン物語」岩波文庫
アレキサンドル1世(在位1801−1825)
プーシキン(1799−1837)
ナポレオンを追って、1812年パリに行ったアレキサンドル1世の部下の貴族は、
ロシアの制度の遅れを感じてロシアに帰った。
1816年、初期デカブリスト結社
1821年、偽装解散、ペテルスブルグの北方結社、南方結社があった。
1925年、デカブリストの乱。
プーシキンの思想はこれらの改革思想と関係あるらしい。
スペードの女王の主人公のモデルはデカブリストの首謀者ペステリらしい。
彼の小説の中には、名誉を汚されると、決闘を挑む場面がよくある。
彼自身がそうした場面に誘い込まれて、決闘により殺されたらしいが、殺した
側は、作者の自由主義思想に反感をもつ勢力らしい。
ツルゲーネフ著「初恋」岩波文庫
著者自身がモデルとされる男女関係は前述の草野慶子さんの本にまかせて、
著者の父は農奴100人くらいの没落したタタール系貴族の末裔。爵位は不明。
母は毛並みはないが、5000人くらいの農奴のいる資産家。
相手の女性の家はこれも没落した公爵。
地主階級も経営技術により差がいろいろ出るようだ。
82 :
世界@名無史さん:04/11/09 12:55:46
授業にでるつもりが、朝から何となく一杯飲みたくなって、地下鉄で
イズマイローフスキー・ルィナクに直行する。ユダヤ料理専門店に入って
美味しい料理をつつきながら飲むビール、あーもう最高です。そう云えば
この間も授業さぼって、同ルィナク内の唐人街食堂に往って、それから
カフェで一杯やりました。日本ではちょっと考えられないですが、
皆さんモスクワでの学生生活も中々のものですぞ。下戸の方にはホント
申し訳ないですが・・・。
チェルヌィシェフスキー著「何をなすべきか」上下、岩波文庫
1862,3年の獄中で書いた。親のいいなりの女性の人生を
「地下室」の生活と表現して独立した女性の主人公を理想として
描いている。また彼女の経営する裁縫店は従業員で利益分配の
ユートピア社会主義小説である。立場上反政府主義はマスクされて
いる。ドストエフスキーの小説の題名は反ユートピアとしてこれを
意識している。
チェルヌィシェーフスキー、Chernyshevskii、1828−89
ロシアの急進的社会評論家。
「ロシア文学のゴーゴリ時代概観」で評論家の地位を確立。
1854年以降「同時代人」誌で専制と農奴制への批判を展開。
62年逮捕、64年シベリアに流刑。
小説「何をなすべきか?」は60年以降の女性や革命家に影響を
あたえた。
「同時代人」
「現代人」とも言う。
1836年から66年にサンクトペテルブルクで刊行された
ロシアの雑誌。プーシキンが創刊。ベリンスキーも一時理論的
指導にあたった。チェルヌィシェーフスキーが中心になってから
急進派の砦となった。
レフ・トロッキー著「レーニン」中公文庫
断片的な文章なので基礎知識があれば面白いのだろう。
レーニンが邪魔をする奴は処分することにためらいは無いのが解る。
個人的には、革命直後にロシアを見学に来たHGウェルズが、帰国後
新聞に共産政府の悪口を書いたのを怒る場面が面白い。先進国は、
当時から共産主義の欠点が充分解っていた。
(ゲルツェン、1812−70)
地主貴族の子。農奴の悲惨な生活を見て育った。
モスクワ大学理学部入学。近代科学の価値を知っていた。
デカブリストを受け継ぐサークルに加入。
1834年ー42年、ウラルに流刑。
正教信仰と共同体生活を強調するスラブ派に西洋近代化を評価する
西洋派として論争。
1847年、パリに亡命。そこでパリコンミューンの崩壊と保守
勢力の弾圧を見、労働者の悲惨な生活を見て、西洋文明にも絶望。
ロシアのスラブ派に近づき農村共同体を評価。
農奴解放に期待を持つが、その後のチェルヌイシェフスキーなどの
弾圧をみて反帝政を鮮明にする。
プルードンなどと親しく、マルクスとは疎遠だった。
ゲルツェン著「ロシアにおける革命思想の発達について」岩波文庫
この本のロシア史の解説は個性的ですばらしい。ロシア史の必読書
だろう。理想を持ちかつ現実的に地に足がついている。
彼の共同体推進運動がナロードニキ運動に連なるようだが実態が
理解しにくい。
彼の自伝の3冊本の「過去と思索」は余りの厚さと高額に図書館でも
読みきれない。買いきれない。
87 :
世界@名無史さん:04/11/28 22:14:33
*ギリャロフスキー著「帝政末期のモスクワ」中央公論社
村手義治約、1985年、5月10日出版
*ギリャロフスキー著「世紀末のモスクワ」群像社
中田甫著、1985年、6月30日出版
この二つの本は共に1968年刊のモスクワ労働者出版所の同じ本の
異なる訳者の本だ。中田甫氏は1917年生まれで当時愛知大学教授
だったらしい。岩波と新潮社で異なる訳が出ているのはよくあること
だが、この2冊はあまりに出版の時期が近い。なにか複雑な事情が
ありそうだ。
訳の比較は出来ないが、中田先生の本のモスクワの地名の変化の表は
役立ちそうだし、詳しい地図も良い。
ためになるスレっすね
レフ・トルストイ著「コザック」岩波文庫
著者(1828−1910)は1851年から4年間カフカーズで軍務に
ついた。ロシア軍は韃靼人を追って駐屯している。韃靼人というのは、
モンゴル系タタール人のことらしいが、イスラム教徒のトルコ人?なのか?
都会に厭きた貴族の家の兵士が主人公。カフカーズのコザック村に住んでいる。
コザックは元逃亡農民の屯田兵でキリスト教徒。イスラムのチェチェン人と
対抗している。主人公は素朴な部落の生活にあこがれコザックの村娘に恋
するが、傷つきその地を去る。
黒海とカスピ海の間ですね。
>
http://rus.jp/ev/vol.19/osetia.html 爽やかないい小説だ。
90 :
世界@名無史さん:04/11/30 17:45:50
ピョートル大帝(1672-1725)が帰国後の1703年に建設をはじめた街で,
もともとオランダ語でピーテルブルフ(Pieterboerg ピョートルの市城,
後にペトロパブロフスク要塞になるピーテル要塞の名が街の名称に)と
名付けられ,後にロシア語のサンクト(聖)を冠して,サンクトピーテル
ブルフと呼ばれていたのだが(現代オランダ語ではシントペーテルスブルフ
Sint Petersburg),1825年にドイツ語風にザンクトペテルブルク
(Sankt‐Peterburg)と改名された.1914年ペトログラード
(Petrograd),1924年レニングラード(Leningrad)を経て,
1991年サンクトペテルブルクに改名.英語ではSaint Petersburg
セイントピータースバーグ。
だそうだけれどBURGの前にSが入るのか入らないのかよく
解らなくて気分が悪い。所有格なのかな?
91 :
世界@名無史さん:04/11/30 18:11:46
聖彼得堡
ゴーゴリ著「外套、鼻」「検察官」岩波文庫
どれも官僚機構への風刺に富み、面白いといえば面白いと
言えないこともない。当時のロシアの人には非常に面白かっただろう。
同じ著者の「死せる魂」は図書館で読むには厚い。古本は高い。
1905年1月9日(日)司祭ガボンに率いられた群集に対し、
冬宮広場、ナルヴァ門で発砲「血の日曜日」
2月4日、モスクワ総督セルゲイ・アレクサンドロヴィッチ大公の
暗殺。「最後のロシア大公」に出てくる話。
2月末、奉天会戦、ロシア軍退却
5月1日、バルチック艦隊の敗北。
6月14日から、黒海艦隊の戦艦ポチョムキンの水兵反乱。
8月23日ポーツマス会議調印
10月、「赤いおんどり」地主追い出し運動
ペテルブルク労働者、ソヴィエト結成。
政治ゼネスト。
17日、10月詔書国会ドゥーマ開設へ。
トロッキー等の逮捕。
94 :
世界@名無史さん:04/12/09 23:36:19
「BRONENOSETS ”POTYMKIN”」
エイゼンシュタイン監督「戦艦ポチョムキン」TUTAYAのビデオ
1925年に20周年記念にこのサイレント映画がつくられた。
水兵の反乱、戦艦の乗っ取り、オデッサ市民の集団での応援、コザック兵の
発砲、ポチョムキンからの砲撃、黒海艦隊の派遣、艦隊からの応援。
画面がきれいではあるが、映画史上第1の映画とも私は思わないが・・・
山田和夫著「エイゼン・シュタイン」新日本新書、1998年
「イワン雷帝」や「アレクサンドル・ネフスキー」も見てみたい。
中国革命の映画も作る予定が蒋介石の上海クーデターで中止になった
そうだ。だだし記録映画が撮ってあるそうだ。これもみたい。
本の著者の山田氏は左翼映画評論家だが、ソ連共産主義も暗黒時代に
なったのはスターリンからでレーニンのころは芸術的自由があったというが
本当か知らん。
ソ連邦共産党中央委員会付属マルクスレーニン主義研究所編
「レーニン」大月書店1973年、上、下
1918年8月30日、レーニンは工場で演説後にエスエルの婦人党員の
カプランに狙撃された。一発は左肩にとまり、他は左肺尖を貫通した。
9月16日には外出できた。以後頭痛もちになった。
1922年4月22日、体内の一方の弾丸を抜く手術をした(多分肩だろう)
もう一方の弾丸はそのままにした。
5月22日、脳血管の軟化のための最初の発作が生じて、右の手足が利かなく
なり、言語障害がいくらか残った。6月のなかば病状は好転した。
12月13日、二回発作。 15日30分以上の激しい発作。
以後病状は悪化し右の手足も利かなくなった。
1923日、ひどい発作。口がきけなくなり、右手足の麻痺も激しくなった。
病状が公に発表された。
1924年、1月21日急変し死亡。
診断書は脳血管の硬化、直接死因は脳出血となっているが解剖したわけでもなく
出血した証拠はない。
プーシキン原作のビデオ「オネーギンの恋文」をみる。
イギリス映画なのか?風物やペテルブルクの景色はきれい。
内容は好みでない。
ポチョムキンと言えば、エカテリーナU時代にコンスタンチノープル
侵攻を主張した人物だ。その名を冠した軍艦が黒海にいたのは、
トルコにしてみれば目障りな船だったろう。
(アレクサンドル・ネフスキー、Aleksandr Nevskii,1236?−63)
中世ロシアの大公でノヴゴドロ公(1236−51)、ウラジーミル大公
(1252−63)。侵入してくるスウェーデン軍を1240年のネヴァ
河畔の戦いで撃破したために、ネフスキー(ネヴァ川の)とよばれた。
さらに42年には、侵入してきたドイツ騎士団をチュード湖上の「氷上の
戦い」で撃破し、ドイツの東方進出を食い止めた。
一方、東方のモンゴル人(キプチャク・ハン国)とは融和をはかり、ロシアの
一定の独立を確保したために、国民的な英雄になった。
ネフスキー:男性名詞にかかる形容詞は末尾すきー、女性ではスカヤ)
ビデオを借りたので、見る前に予習。
ペテルスブルクの大通りはネフスキー大通り。代表的ホテルに
ネフスキーパレス。
エイゼンシュタインの映画「アレクサンドル・ネフスキー」はスペイン
内戦の時期の1938年に作られ、音楽プロコフィエフの最初のトーキー。
ナチスを思わせるチュートン騎士団との「氷上の戦い」がクライマックスに
なる。大好評だったが、39年にドイツと不可侵条約が結ばれ友好ムード。
上映禁止になった。ドイツがロシアに侵入すると公開され、ネフスキー勲章
まで出来た。
クリストファー・ヒル著「レーニンとロシア革命」岩波新書、昭和30年
著者はイギリス人で、この本のシリーズは世界史を代表的な人物を取り上げて
解説しようという試みだそうだ。
内容はすばらしい。レーニンが状況ごとにどうのように考えて対応したか
が良くわかる。他の本を沢山読むより良い本一冊は役に立つ。
理想と現実への対応がしたたかである。
この本を読んでいて、集団農業とか、プロレタリア文化革命などという言葉が
でてくる。毛沢東の政策と実に似通っている。毛沢東がレーニンをどの程度
研究していて、その政策の共通性、独自な改変部分は重要なテーマであるが、
ロシア、中国二か国の歴史、二人の思想と沢山の基礎知識が必要になるだろう。
本紹介スレになっちょるな。
102 :
世界@名無史さん:04/12/17 11:39:31
それなりに価値のあるスレage
103 :
世界@名無史さん:04/12/21 00:14:45
エイゼンシュタイン監督「10月」、10月革命10周年記念製作。
1922年、スターリン書記長に
24年、レーニン死亡。
ロシア革命の現地で、実際を知っている人たちによって再現されて
いるので、記録映画のような迫力があり、実際がどうであったか
解りやすい。私個人は、本年の8月に現地に行ったのでさらに興味
深い。オーロラ号の役目。スモールヌイ女学校はどうも観光でみる
建物と違い巨大だ。観光でみる青い建物は学校の教会だろう。
冬宮(エカテリーナ美術館)前であんな銃撃戦があったとは思わな
かった。橋は沢山あるが、あの開閉式なのはどの橋だろう?
歴史的な興味ではNo1の映画だった。
エイゼンシュタイン監督「全線」1929年
スターリン時代のロシアではスタの指示により「古きものと新しきもの」
という題に変更された。元来は「The General Line」日本公開時の日本の
翻訳が直訳で全線になったたが、本来の左翼用語では「総路線」という。
サヨの大好きな意味のない用語だが、党の基本路線という意味らしい。
総路線で検索すると、鉄道サイトが混じりこむが「総路線、レーニン」で
検索すると、各国共産党のHPが5千近くでる。
映画はロシア農民が革命後、自家農業に挑戦するが、うまくいかない。
共産党の指導でコルホーズ、ソフホーズでの集団化機械化により繁栄する
というユートピア映画。
ソ連も中国も農奴に土地を解放するというエサで革命を起こし、その後
取り上げて集団化している。
105 :
世界@名無史さん:04/12/27 23:50:02
ソ連映画ブィリエフ監督「カラマーゾフの兄弟」1968年製作
本を読む時にはどうしてもストーリーを追う習慣があるが、それを
すると充分にこの本は楽しめないので、先にこのビデオを見ておいて
ストーリーが解ってから原作を読んだほうが解りやすいかもしれない。
ドフトエフスキーを読んでよく解らない時に自分の理解力に不安を
覚える人がいるかもしれない。大事な点は整理されてないのは、読者の
頭でなく、作者の頭であることは理解しなくてはいけない。
解説にロシア的カオスを表しているとあるがうまい表現だ。
舞台がペテルブルグの北のクロンシュタットとも言われるが映画の
町がどこか知らない。
聴涛きくなみ弘著「新ロシア紀行」新日本出版社、2004年
新日本出版社は日本共産党が背後にいるというか、運営している出版社である。
最近興味深い本をいろいろ出して注目している。新書シリーズもある。
著者は1935年生まれで元参議院議員でアカハタでも書いてたのかも知れない。
業界では有名なのだろう。モスクワ大学を出たなかなかの理論家である。
共産主義の敗退した新生ロシアを見て、他の方法があったのではと残念がる。
日共とソ連は対立してたので、批判的でもある。
当たり前と言えば、当たり前なのであるが、不破哲三をはじめ共産党幹部は
共産党理論、歴史についての知識が広く深い。不破哲三のレーニンの解説の
HPなどは勉強になった。逆の意味で日本共産党の教養主義というか、偏差値
主義的というか、その結果でている学閥主義というか、労働者との解離か乖離
がありそうだ。どうでもいいけど。
著者がゲルツェンやチェルヌイシェフスキーやロシア文学を読んで、共産
主義に入った心情は理解できる。
107 :
世界@名無史さん:04/12/30 10:53:27
ソ連映画「ロマノフ王朝の末期」
ラスプーチンの話題を中心にした映画。
最近の映画「ラスプーチン」や「ニコライとアレクサンドラ」というのも
あるらしいけれど共にみていない。
この映画は当時の実写フイルムと演技を混ぜ合わせてある。
WW1や革命のデモや弾圧の写真が生々しい。
アメリカ映画と基礎知識の違うロシア人が作ったので情報が細かい。
フボストフ、ゴレムイキン、シュチェルメル、アレクセーエフ、
ミリューコフ、ユスーポフ、プリシケーヴィッチ、ドミトリー・
パヴロヴィッチなどが名前がついて出てくる。ロシア史の本を手元に
置いてみたがそれでも充分理解できない。日本人でこの映画がよく解るのは
余程の専門家だけだろう。
ラスプーチンに毒を飲ましてなかなか死なないのは、医者の渡した毒というのが
偽物のようだというのは説得力がある。
ロシア映画「オブローモフの生涯より」1981年公開
原作;ゴンチャーロフ(1812〜91)
チェルヌイシェフスキーを継いで雑誌「同時代人」を編集したドブロリューボフ著の
「オブローモフ主義とは何か」岩波文庫、1952年によって批評された原作は、
理想を心に持ちながら、安逸な日々を送る「余計者」としての貴族を描いている。
岩波文庫に「オブローモフ3巻」があるが長いのでビデオですます。
ロシアの平原の美しい風景にオペラの音楽のバックがすばらしい。
作者のゴンチャロフの日本旅行の「日本渡航記」岩波他や、ツルゲーネフと
盗作論争を起こしたクリミア戦争の「断崖5巻」岩波文庫など面白そう。
>>106 それはあるな。先の選挙で共産党党首が好きな音楽を
スクリャービンと堂々とのたまったのには呆れた。
嘘でもいいから五木ひろしだのひばりだの言えばいいものを、、。
この党が選挙で勝てることは当分ないな。
110 :
世界@名無史さん:05/01/10 01:20:12
ロシア映画「コーカサスの虜」
トルストイはコーカサスの軍務経験からこの原作を書いた。
映画は時代を現代にして、チェチェン紛争を舞台にロシア兵の捕虜の
物語にしている。150年前と状況が全く変わっていない。
111 :
世界@名無史さん:05/01/10 02:05:53
スレの主旨とレスの多くがずれてないか?
ここはロシア文化論じゃないだろ?
112 :
世界@名無史さん:05/01/11 19:15:06
ソヴィエト映画ゴーリキー原作「どん底」モスクワ芸術座、
舞台をそのまま映画にしてある。貧乏物語である。
特に感想はない。ゴーゴリとゴーリキーは混同しやすい。
ゴーゴリは「鼻」とか「外套」のお化けの好きな作家、
ゴーリキーは革命後、都市の名前や通りの名前になったように
権力により利用された作家。
その真実はつかみ難い。
>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/katuno.htm 1868-1936,マキシム・ゴーリキー
1809-1852,ニコライ・ゴーゴリ
エイゼンシュタイン監督「イワン雷帝」1部2部、1944年45年46年
大貴族や司教等、歴史上の人物が次々に出てきて難しい。
外国と戦いながら権力を掌握していく皇帝と、ドイツと戦うスターリンが
重なる。孤独に耐え、人情を捨てて行動しないと国家を守り維持できない
と言っている。
雷帝はGroznyでチェチェンの都市との関係は知らない。
イヴァンって聖歌も残してんのな。
レフ・トルストイ(1828−1910)著「アンナ・カレーニナ」新潮文庫
1873年から5年かけて書いた。
1875年、トルコ支配下のボスニアヘルツェゴビナで反乱。
スラブ民族の仲間を救えと義勇軍。この小説の最後で出てくる話題。
必ずしも参戦に賛成でない意見も書かれている。
1877年、露土戦争、78年サン・ステファノ条約。トピックを使っている。
物語事態は好みでなくつまらない。発情した人妻がエネルギーが暴発して自殺
する話。モウクワとペテルブルグを行ったり来たりして今どちらか解りにくい。
116 :
世界@名無史さん:05/01/26 00:09:42 0
ソ連映画「レニングラード攻防戦、攻防900日」1974年
一部と二部がありそれぞれ上下あるので全部でビデオ四巻、疲れる。
ヒットラーのドイツ軍の攻撃をスターリン首相とジューコフ将軍が
対抗する。ドイツ軍が町を封鎖するわけだが市内電車の端まで侵入
している。エカテリーナ宮殿の琥珀の間の金箔を取ったの取らない
という話もあるように、ツァールスコエもペテロゴフもドイツ地域だ。
ペテルブルグ空港は市の西方にあってモスクワスカヤ駅の傍だが
地下鉄駅の傍に戦勝記念塔のでかいのがあった。あそこが激戦地だ。
緒戦に突然攻撃を受けたスターリンが数日動揺して指揮がとれなかった
史実が出てきて驚いた。74年はブレジネフコスイギンの時代で
スターリンの遺体が撤去されたころなので意味があるのだろう。
>>113 イワン4世がチェチェンを支配したから。確か彼は
支配地に教会を建てて支配の象徴にもした。
それを真似たのがスターリン様式の労働者の塔。
やはり支配地東欧に建てた。
チェチェン人に強制移住を強いたのもスターリン。
スターリンは実は徹底してイワン等ツァーリを尊敬してやまなかったのだろうな。
革命家がその憎んだツァーリになるなんぞはなんとも皮肉な話だな。
人間は真に憎んだ相手に似ると言うのは正しいのかもしれない。
少なくともニコライ2世なんぞよりはロシア皇帝に相応しい人間だな。
いまだにロシア人に人気があるのがわかるような気がする。
多分スターリンに伝統的な強権的な皇帝としての理想像を見ているのだろうな。
ロシアは変わらんな。相変らず恐ろしい者をそのまま愛する。
プーチンも結局は同じ道を歩むか失脚するかどちらかになるだろう。
ある意味究極的に個人の力の大きさを信望しているのはロシアかもしれない。
西欧の個人主義が分散的な権利と言う形をとったのに対してロシアの個人主義は
一個の個人に集約され強権化していく。歴史上これが何回も繰りかえされる。
ある種の人間にとっては麻薬のような魅力をもった精神風土なんだろうな。
118 :
世界@名無史さん:05/01/31 11:22:36 0
ショーロホフ著「ひらかれた処女地」第1部上下、第2部上下、
岩波文庫、昭和32年
実は4冊の内の1冊しか入手してない。新潮文庫や文学全集もある。
何故か岩波文庫版は、調べた範囲ではどこの大学も図書館にもない。
1932年から60年のスターリン時代の本だから共産主義のよいしょ
小説だろうと期待していなかったが実は非常に面白い。
農業集団化が実は非常な抵抗下に行われたのがよく解る。歴史書では
解らない実態が生々しく描かれる。
「静かなるドン」も面白そうだ。こちらは映画もあるが、検索すると
同名の日本のやくざ映画が出て困る。
コルホーズ=協同組合(アルテリ)が行き過ぎて、共産組合(コンムーチ)
になって、後退させるなどと、訳の解らない話がでてくる。共産主義
理解には必須な知識なようだ。
草野慶子著「ロシア幻想文学の読み方」NHK出版がでた。
ラジオでやってるらしい。プーシキンの「スペードの女王」の解説が
書いてあるが理解できない。
119 :
世界@名無史さん:05/02/05 17:11:40 0
ロシア風に「ピュートルグラード」ないし「ピョートルゴロド」と改名しようと
提唱する人はいないのでしょうか?
元スベルドロフスクこと「エカテリンブルグ」もそういえば・・・
120 :
世界@名無史さん:05/02/05 17:15:57 0
むしろ、カリーニングラードはなんでケーニヒスベルグに改名しないのだろう?
レニングラードが改名されたんだから、改名されてもおかしくないはずだが。
121 :
世界@名無史さん:05/02/05 17:27:12 0
アメリカ人だと案外平然と「ピーターズバーグ」「キングズバーグ」などと
呼びそうだものなw
>121
ピータースバーグと言ってます。
1917年11月、ロシア革命
18年3月、ブレスト・リトフスク条約
フィンランド、ポーランド、バルト地方を失う。
エストニア、ラトビア、リトアニアの独立
19年3月、ポーランド国境としてカーゾン線を設定
20年、 ポーランド戦争、赤軍ワルシャワに敗北。
21年3月、リガ条約
ロシア、白ロシア、ウクライナ、カフカスにソヴィエト共和国。
22年、ソヴィエト社会主義共和国連邦
1919年、ヴェルサイユ条約
ポーゼン・西プロイセン(ポーランド回廊)をポーランドに
人民投票により?上シュレジエンはポーランドに
東部プロイセンはドイツに。
ダンチヒは国連管理の自由市。
第一次世界大戦後ポーランドの独立にあたって1919年12月連合国最高会議が決定したソヴィエト=ポーランド国境線。
ポーランド人はこれに不満でソヴィエト政府に対しポーランド分割前の国境の回復をl920年3月に要求。
4月にソヴィエト=ポーランド戦争(1920年4月〜1921年3月)が始まった。ポーランド軍は5月キエフまで進出したが
ソヴィエト軍は6月より反撃に転じた。イギリス外相カーゾンはソヴィエト政府に覚え書きを送り(7月12日),
さきの連合国最高会議の決定した国境線による停線を勧告した。そのためこれをカーゾン線と呼ぶ。
ソヴィエト軍は8月ワルシャワに迫ったがポーランドはフランスの援助を得て戦況を有利にしソヴィエト軍を撃退した。
1921年3月リガ条約でポーランドはカーゾン線以東の西部ウクライナ・西部白ロシアなど領有することになった。
しかし,ソ連はこの“失地”を第二次世界大戦開始と同時に回復(1939年9月)し,
1945年8月のソヴィエト=ポーランド国境条約でカーゾン線を両国の国境とすることが最終的に確認した。
第1次世界大戦後ポーランドはようやく独立しましたが、ソ連との国境(カーゾン線)を不満として
ソヴィエト・ポーランド戦争を起こし、ピウスツキーの活躍で国土は拡大し、1926年にピウスツキーが
クーデターをおこして独裁政治を確立。
ソ連映画「モスクワ大攻防戦」TU各上下の四巻、1985年
ソ連は1991年に消滅するので最後の輝き。
映画「屋根の上のバイオリン弾き」1971年製作
これの原題は「Fiddler on the Roof]
ハヤカワ文庫の「屋根の上のバイオリン弾き」1973年
これの原題は「TEVYE'S DAUGHTERS」
映画のほうが場所、時代を匂わすが小説のほうがぼかす。
ウクライナのユダヤ人のミルク売りが、誰も親の思うように生きず、
それぞれの道を行く。ロシアのユダヤ人追放政策により追われ、アメリカに
移住して行く。日本の部落民のような職種についていたようだ。
次女の相手は社会主義者だ。レーニンやトロッキーもユダヤだが、あの人種の
アイデンティティーは宗教の縛りだからそこから抜け出す手段に社会主義が
使われたのか?作者は1859年ー1916年。ウクライナ生まれで、1906年に
アメリカに行き、ニューヨークで死んでいる。
1882年5月に「五月法」ロシア領内のすべてのユダヤ人追放令。
1903年ロシア領内のユダヤ人襲撃の暴動、ポグロム。
1911年、メンデル・バイリス事件、ドレフィス事件のような冤罪事件。
1870年代のユダヤ人流出4万人、80年代13万、90年代27万。
テヴィエにも一時パレスチナ移住の話があった。
1915年までユダヤ人の流出があったらしい。
Sunrise sunsetというのはユダヤ人が生まれて死んで連綿と続く意味か?
小説でテヴィエが日本と戦争体験があるように匂わすが時代的にへん。
訂正または追加
ツァーリ体制はユダヤ人を滅ぼそうとしているので打倒する必要があった。
ロシア正教徒には宗教的にツァーリ打倒を主張し難かった。
その意味でもロシア革命にはユダヤ人の存在が必要だった。
つーか、短んに差別撤廃したいからだろ。
130 :
世界@名無史さん:05/02/16 23:57:46 0
>>123 >ピータースバーグ
マヂですか・・・orz
ところで地名の「〜ゴロド」と「〜グラード」、歴史的には
古い順に「ゴロド⇒グラード」と変遷したのでしょうか?
>>130 本来「ゴロド」が東スラヴ、「グラード」が南スラヴ。
教会スラヴ語の浸透とともに、ロシアでもグラードが用いられるようになった。
南スラヴ地域では昔からグラード。
118で書いた「開かれた処女地」
4冊の内の一冊読んだだけで解ったようなことを書きましたが、
他の本に出ていたこの本の解説では、上巻の頃はスターリンがコルホーズへ
強制的に加入させようとしていたので、この本の主人公もそうしていたのが
その後、あまりにそれが評判悪いのでその後、スターリンの方が、方針転換
してしまって、強制は良くないと言い出したので、作者は悪戦苦闘して、
主人公も方針転換していったらしい。なんとか探して読みたい。
「ブントBund」とはなんだろう? 60年安保の時に代々木系民生のうたごえ運動的スタイルに
反抗した反代々木系全学連がブントだがそれが60年安保闘争の敗北で分解して、
革マルと中核派に流入したが少数の残党が赤軍派に成長したらしい。
実は日本のブントはどうでもよいが、本家ロシアにブントがあるらしい。
それはなんだ?
ブンド(ロシア帝国のユダヤ人社会主義組織)のがあるが詳細は不明、保留。
134 :
世界@名無史さん:05/02/19 23:54:53 0
オストルフスキー(1904−36)著「鋼鉄はいかに鍛えられたか」
岩波文庫上下、昭和30年;
題名は進学塾の標語みたいだが、この本は面白い。余りに面白いから
中高生に読ますと赤軍派にでも入られる危険がある。面白いけれど
歴史的背景は複雑で難しく、読後に中公新書「物語ウクライナの歴史」と
対照して、やっと理解の入り口にたどりついた。骨格は著者の体験とすると
ウクライナの貧しい少年が革命後の世界でボルシェヴィキ戦士として
成長し、戦傷で組合活動に転じるが四肢の麻痺で作家になるが、若くして
生涯を終える。ドイツ軍、ポーランド軍、白衛軍、ウクライナ独立軍、
赤軍、アナーキスト軍が入り乱れる。マリア皇女が逃げ込んだ場所が
やっと解りかけた。
少し浩瀚だが、これ読んでみ。負けず劣らず面白い。
「レーニン、トロツキー、スターリン、革命を作った3人」紀ノ国屋書店
ヴァートラム・ウルフ
結構有名な本だが、ロシア官憲と革命家の駆け引きは
英国のスパイ小説を遥かに凌ぐ。事実は小説よりも奇なりの典型。
一応革命の三傑の伝記としては極めつけの一つ。
ロシア革命史としても名著の一つだよ。
ロシア革命に過去の伝統を見ながら継続的な視点から書かれた比較的少ない革命史の一つ。
著者は確か米国共産党員で当時の革命家とも親交があったはず。
絶版かもしれないが図書館にはあるだろ。
割と批判的に客観的に書いてあったと思う。もう既に読んだかな?
136 :
世界@名無史さん:05/02/24 00:52:18 0
ウルフの本は図書館にありました。そのうち是非よんでみます。
熱心というより中毒というか病気というかですね。
ロシアが舞台のアメリカ映画「ドクトルジバコ」
パステルナーク(1890−1960)原作、1958年ノーベル賞辞退
監督はロシア革命が舞台の恋愛映画と言っている。
ロシア革命後に舞台はウラル山中に移る。
主人公の医師で詩人のジバコ夫妻とラーラの三角関係の話だが、ラーラの昔の
婚約者のボルシェヴィキのストレニコフがニコライ2世の殺害者だった。
フィクションの人物なんだろう??
原作を読まないと映画だけではよく解らない点がある。
殺害した町がウラルのエカテリンブルクでエリツェン大統領の出てきた地方だ
137 :
世界@名無史さん:05/03/10 22:27:59 0
ゴーリキー著「追憶、上、下」岩波文庫
著者が会った8人の人達の思い出を書いている。
トルストイ、チェーホフ、レーニン、トルストイ夫人の他は知らない
ロシアの作家。誰に対してもゴーリキーの暖かい視線が感じられる。
それが厳しい時代を生き残ってモスクワや都市の地名に名を残した
処世術でもあろう。中でもトルストイが面白い。彼はすごい人物だ。
ロシアの社会制度、ロシア人を厳しく見つめ、自分なりに財産を農民に
分け与え、かつそれを受け取るロシア農民の性状に絶望していて、自分の
行為の空しさを自覚しているところがある。マルクス主義の問題点も事前に
摑んでいたようでもある。レーニンはトルストイを嫌いだったと思っていたが
そうでもない。
トルストイ夫人は「天才小説家がなんで、土地を耕し、暖炉を築き、長靴を
縫う必要があるのか?」理解しないでトルストイを家出に追い込んだと
言われているが、トルストイの著作を読んで哲学書に成ってしまうのを、
書き直して文学に持っていったのは婦人の力としている。
新しい村が順調にもいかず、村娘が自殺するスキャンダルが何かあったらしい。
ヒューマニストであると同時にかなりの女好きだったようだ。
新しい村の実際についてもう少し知りたい。
シャップ著「シベリア旅行記」岩波書店、17,18世紀大旅行記叢書9
著者はフランスの天文学者。ルイ15世の命令で1760年ロシアのウラル山脈の
東のトボリスクに太陽の表面を金星が通過する一種の日蝕を観察するために
でかける。これにより太陽地球月の距離の計算の精度が上がるらしい。
フランツ1世、マリア・テレジアのウイーンを通り、ピュートル1世の娘の
女帝エリザヴェータの支配するペテルブルグで歓待をうける。当日曇っていたら
無駄になる危険な旅行だが観測には成功し帰国後旅行記を書く。69年に
出たのでエカテリーナ2世の時代。ロシアを家来を鞭で打つ奴隷制の野蛮な
国と書いて、女王を怒り狂わせる。ロシアの橇旅行はしょっちゅうひっくり返る
危険な乗り物のようだ。科学者なので観察が細かい。
筑摩書房の世界文学大系のショーロホフ「静かなるドン」が古本屋で
TUで各500円であったので読み始める。昔の角川文庫では7巻まで
ある。ところが筑摩もことによると3巻あるのかもしれない。心配だが
スタートしてしまったので続ける。上中下3段組のすごい厚さだ。
面白いことは面白いがどうなることやら・・
140 :
世界@名無史さん:05/03/19 00:17:10 0
(芦田均内閣)
昭和21年4月、新選挙法による第1回総選挙、
鳩山一郎党首の日本自由党が第1党
5月、鳩山は公職追放で吉田茂内閣
22年、4月、総選挙、社会党、自由党、民主党がほぼ3分の1
連立で片山哲社会党内閣、外相が民主党の芦田均
23年、3月、社会党左派が離脱、芦田均内閣
10月、昭和電工疑獄事件で崩壊、第2次吉田内閣誕生。
民主党がいかなる問題で自由党から分離したのか不明。
芦田均著「革命前夜のロシア」文芸春秋新社、1950年
著者は新人外交官として1914年から4年間激動のペテルスブルグに勤務した。
よく勉強していて知識が広く深く、革命の現場の日本人としての貴重な観察をしている。
1、スラヴ人とゲルマン民族は1000年にもわたる抗争があり、それが世界大戦の
原因にもなっている。
2、ロマノフ王朝はロシア系かスラヴ系か?
最後の皇太子アレキセイのロシアの血は256分の1だそうだ。
3、スカンジナビアのルーリック朝、韃靼人、ロマノフ朝と外来的な
支配が続き、服従を好む国民性ができているという。
4、ユダヤ人に対する圧制がマルキストを育てた。
これは私は全く理解していなかった知識として、ロシアの大学生は
貧民の子弟が多く大学が反体制運動の拠点になると言う。
支配階級の子供は家庭教師か留学だったのか?
いずれにしろ日本の総理大臣がこんな学者みたいな知識があったとは驚きだ。
吉田茂は知らないけれど。
ボッファとマルチネの共著「スターリン主義を語る」岩波新書、1978年
原著はスターリン批判が盛んだが、ソ連はまだ崩壊していない76年に、
イタリア共産党の機関紙の記者と、元共産党員でフランス社会党のミッテラン
時代の幹部がソ連の歴史を振り返りその問題点をさぐりスターリン主義の欠点を
克服した新しい左翼運動の方向をさぐる岩波らしい本である。
すばらしい本であることは充分感じられたが、私の基礎知識の不足で理解不足が
残念だ。
1、レーニン主義とスターリン主義の違い。
2、スターリンの反対勢力はトロッキーもブハーリンも具体的な政策がなかった
そうだ。
3、スターリン主義は専制主義で、プロレタリア独裁という意味では共産主義が
実現したことはないそうだ。
4、ボナパルティズムという言葉がよく出てくる。支配者の人気で民主的手順を
省略する意味か?
5、レーニンはソ連を各地の独立色の濃い連邦にするつもりでカフカスなどは
自治国にするつもりだったらしい。
知識ができてから又読もう。
(Bund,ブント派とは何か?)
帝政時代のユダヤ人社会民主主義組織、Allgemeiner Yiddisher Arbeiterbund
リトワニア、ベラルーシュが地盤。宗教的なシオニズムを否定した。
メンシェヴィキに属したが革命後共産党に吸収された。ポーランドに残って
いたがナチスにより消滅。アメリカに細々とある。
どうみてもこれは反代々木系全学連のブントとは関係なさそう。
ドイツ語辞書の同盟、結束などの意味か?
ブラギンスキー+シェヴィドゴー共著「ソ連経済の歴史的転換はあるか?」
講談社現代新書、1991年1月
この本はすばらしい本である。しかし出版の年の暮れにソ連は崩壊したので
実情にそぐわなくなって本の商品価値はそこなわれたが廃品にするには
惜しい。著者達はモスクワ大学出身の経済学者で日本に経済学の研究勉強に
きた。内外の専門的知識があってソ連の実情を知っているので解説、説明が
解りやすい。ソ連の経済史のよい入門書である。
1、社会主義から共産主義への移行に関して貨幣経済の存在や強権政治など
移行してないといえば移行してないが、現実に存在しうる形ではこれしか
無いという意味では現実の共産主義であるというのは、説得力がある。
2、集団農業は全くうまくいかず、ソ連の全期間を通じて生産高が革命前に
及ばなかった。餓死をまぬがれたのは2,3%あった私営農業のおかげ。
3、強制収容所は低コストの労働力を得るために不可欠だった。
4、強権政治無しには共産主義は存在しえない。
同じ著者で改訂出版してほしい。
ドストエフスキー原作、フランス映画「悪霊」
ポーランドの監督アンジェイ・ワイダは1981年の「連帯」の弾圧で
ポーランドで映画が作れなくなり亡命、ドイツで「ダントン」を撮り、
フランスでこの「悪霊」を1987年に撮ったのだそうだ。
ロシアの革命運動の空虚さと内ゲバ殺人が題材の映画は監督からは
共産主義批判だったのであろうか?批評を読むと重厚な雰囲気に感動
したなどの感想文があるが私にはフランス語で話すロシアの革命家は
違和感がある。鞭打ち刑の場面があり方法が参考になった。
ダントンも看よう。
ドストエフスキー「罪と罰」新潮文庫、1866年
1、この場合の罪はSinではなくCrimeだそうだ。
逃げ切れなくて自首したような状況。心神喪失が認められ8年の刑は甘い。
帝政ロシアもスターリンロシアもシベリア開発に労働力が必要だったから
死刑より刑期のほうが役立ち、あまり長いと労働意欲がなくなる。
2、あとがきによると、トルストイはロシアのあるべき理想を教え。ドストは
人間性を忘れた改革は人間を破滅させることを説いたのだそうだ。
ロシア人によると日本人は異常にロシア文学を高く評価する国民だそうだ。
素晴らしい革命を生んだ国の文学に思い込みがあったのだろうか。最近の
ロシア文学は絶版も多くこれはまともなことかも知れない。
3、罪と罰は当時のペテの生活がよく書き込まれた小説だそうだが、他の文学者
は貧乏を知らないのだから評価しようがない。高利貸しの住むのはセンナヤ
広場の近くでペテの庶民街。水晶宮というのがよく出てくるが何か不明。
147 :
世界@名無史さん:2005/04/14(木) 19:18:06 0
落ちそうなので精進揚げ。
スレの下がりのスピードがはやい。
タルコフスキー監督「僕の村は戦場だった」1962年
ドイツ軍に親を殺された12才の少年が斥候として活躍するが、
終戦後敵に処刑されたことが判明する。感動の一作である。
ソ連映画は、ほのめかしが多いので細部が解りにくい。
水が光ったら感動していれば楽だけど。
「静かなるドン」やっと半分。長ーーーい。ウクライナより東方の
ドンのコサックのロシア革命時の対応。赤衛軍に対抗しドン地方の
独立を目指すグループ。赤衛軍にも第一と第二があり、白衛軍や
ドン独立勢力、アナーキスト、ドイツ軍と複雑怪奇。
コサックは資産家で土地を取り上げられるのを嫌がっている。
ゴーゴリ作「タラス・ブーリバ」講談社世界の名作11、1983年
この作者の中では一番面白い。どの実話をどの程度参考にしたか不明。
ドニエプル川の川辺のコサック、ザポロージェの話でコサックをまとめて
ポーランドと戦う話だが、サハイダーチヌイにしろ、フメリニツキーに
しろ17世紀なので解説が16世紀の話としているのと会わないのか?
渡辺寛著「レーニンとスターリン」東京大学出版会、1976年
赤い経済学者がスターリン批判で共産主義がぐらついた時代に、
スターリンが否定されたのでレーニンにしがみついて理論再武装しようと
して、がんばると言うか真面目にというか必死な著書である。やや面白い。
第1章、組織論;労働者の組合闘争というのは分配の獲得ばかりに熱心に
なる。労働者は知的レベルが低いから私有財産の放棄などという方向に
進まないので、我々インテリが導いてやらなければならないと、レーニンは
言ったそうだ。楽しい理論だ。
第2章;農業問題。農奴制、地主と小作。土地所有、集団農業。いろいろ
考えてうまい考えはない。
第3章、レーニンはアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアを併せて
ザカフカーズ共和国として、ロシアやウクライナと対等な自治を認めようとした。
スターリンはあの地方は共産党の力が弱いのでロシアに抱き込もうとして
レーニンと対立した。今日まで続く大問題だ。
落ち防止用sage
153 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 18:59:15 0
1386年、リトアニア・ポーランド王国。
1453年、コンスタンティノープル陥落。
1569年、ルブリン合同。
1571年、スペインがオスマン帝国海軍を破る。
1611年、宮廷をクラクフからワルシャワへ。
1625年、コサックポーランドの支配に反抗。
1621年、コチンの会戦、ポーランド軍がトルコ軍を破る。
1633年、キエフにアカデミー。
1648年、ムメリニツキの蜂起。
1659年、ポーランド・ロシア戦争。
ドニエプル左岸、キエフはロシア領。
1772年、第1回ポーランド分割
アメリカ映画「隊長ブーリバ」1962年
GOGOL原作「TARAS BULBA」
映画の映像は小説より解りやすい。布施明の奥さんになるクリスチーネ・カウフマンが
きれい。
コサックが中国の清のような弁髪をしている。これは正しいのか良く知らない。
16世紀初期と中で解説があるが17世紀のほうが解りやすい?
息子達がキエフに留学する。時期はいいのか?
コサックがポーランドに利用されオスマン帝国と戦わされ、ウクライナは
支配されている。最後に息子は犠牲になるがポーランドは破る。
二人の息子の内、一人しか死なないのでブーリバの悲劇が弱い。
ポーランド軍だけ大砲がある。オスマントルコも大砲はあるのでは?
154 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 19:07:10 0
ROMA NUOVA
チェーホフ(1860-1904)作「桜の園」1904年の作品
農奴解放後の女領主が借金がかさみ領地を手放す話。
著者はアゾフ海沿岸の生まれ。舞台はウクライナの東部。
先日の騒動で前大統領の地盤の東方と、現大統領の西方があったが、
その東部。ドネツ、ドンバス炭鉱がある。ハリコフの近く。
チェーホフは良い時に死んだ。
アメリカ映画「インナー・サークル、映写技師は見ていた」アメリカ映画
スターリンに映写技師として雇われた男の実話だそうだ。
ポイントは秘密警察や強制収容所時代のソ連でスターリンは国民に崇拝され
熱愛されていたという点。北朝鮮や中国とだぶる。
スターリン、ベリヤ、モロトフ、カリーニンなどそっくりさんが勢ぞろい。
知識のある人はもっと沢山見付けられるだろう。
ラジンスキー著「スターリン、赤いツァーリ」上下、NHK出版
新刊書として買ったら、下巻は絶版でないという。半分詐欺だ。
この著者は他に「皇帝ニコライ処刑」がある。最新の公開された
資料を使っているというのが売りだが、資料から結論への飛躍が
過ぎるようにも思う。この本でもスターリンが帝国のスパイだったと
いうが想像が主で確定的な根拠があるわけでない。
私個人として興味深かったのは、ゴーリキーが実際の革命のありかたを
嫌っていてイタリアへ脱出していたのが、スターリンに三顧の礼で迎えられ
異国の不便な生活もあり妥協していったようだ。
もう一つ、「静かなるドン」のショーロホフは、コサック仕官のモデルがあり
その作品の盗作だという。詳しい知識が必要な題材なので資料収集と盗作は
微妙なところがある。
スターリンは粛清や強制労働はあるが、個人生活は概して質素で家庭以外の
女性関係が無いとはいえないにしろ華美ではない。農業集団化や粛清など
毛沢東の政策はスターリンを参考にしているようだ。
158 :
世界@名無史さん:2005/05/26(木) 00:45:44 0
ドイッチャー著「ロシア革命五十年、未完の革命」岩波新書、1967年
著者はポーランド共産党員だったが、31年にロシアを旅行、粛清の実情を
見聞きして批判、党を除名され英国で共産圏の著述をつづける。
67年の1月から3月にケンブリッジ大学で記念講義、その翻訳が岩波から
6月に出版。驚異的な速さだ!!フルシチョフが失脚し、中ソ対立から
文革の時期だ。著者はスターリン主義はマルクス主義とロシアの野蛮な
後進性の合体したものとし、毛沢東主義はレーニン主義と中国の原始的な
家長主義の合体としている。共産主義はマルクスのいうブルジョア革命の
終わった西欧ではなく、プロレタリアの未発達のロシア、中国でおこった。
WW2の後、ベルリンなどでソ連兵と接触した西側の兵隊は「共産主義とは
うまくいかないもの、革命なんかなにもならない」と結論した。
本質的には共産主義者である著者はそれは認めながらも、以前のロシアと
現在のロシアの進歩をあげて、共産主義の新しい方向に期待を持とうと
している。
毛沢東主義にみられる「東洋的うぬぼれ」という表現は興味深い。
最近の日中関係などに見られる中国の非常識などに、西太后などとも共通する
ものが感じられる。中華思想のことかな?
159 :
世界@名無史さん:2005/05/26(木) 09:43:42 0
モスクワペテルブルクの話をしようよ
160 :
世界@名無史さん:2005/05/27(金) 23:31:47 0
ソ連映画「ヨーロッパの解放、T」1970年、
クルスク大戦車戦、ドニエプル渡河大作戦が中心。
スターリングラードの戦いの後から、ソ連軍のポーランド侵攻あたりまで。
全部でTUVの8時間あるそうで、これはその第一部。
製作年代から考えて米英仏の合作で作った西ヨーロッパ解放映画の
「史上最大の作戦」に対抗してソ連が作った映画。最近ブッシュ大統領が
WW2の後の東ヨーロッパを共産主義に支配させたのは非人道的だったと
演説していたのと併せ「解放」という題は微妙だ。
「史上最大の作戦」のノルマンディーの大空撮シーンに対抗して、あれを
はるかにしのぐ、3千台だか1万台だかのソ連軍の本物の戦車の迫力と
空撮シーンは凄い凄い凄い。なにしろロシアは広いから戦車が猛スピードで
突っ走れる。満州で日本軍もあんなのにやられたのは悲惨だったろう。
弘文館の世界史地図のWW2のヨーロッパのソ連軍の侵攻、赤線の一本一本に
意味があるのが解った。
チェーホフ著「かわいい女、犬をつれた奥さん」新潮文庫
短編集。世紀末ごろのロシアにフェミニズムのような世界が
あり、それらを諧謔っぽくみている。新しい産業資本家もいるが
それらの小金持ちの生活の満たされなさも感じている。
本人が医者で自分の不治の肺病を意識していることもあろう。
10月革命後のウクライナの情勢は複雑。
ウクライナ独立を目指す民族主義者、ペトリューラのグループ。
元皇帝軍の将校を中心としたデニキン、ウランゲリ軍。
レーニン政府からの赤軍。
マフノを指導者とした農民アナーキスト軍。
農産物調達を目指すドイツ軍。
ドイツ敗退後のピウスツキのポーランド軍
これ等がドン地方とも絡みながら大混戦。
トロッキーはマフノ軍を利用し、デニキン軍、ペトリューラ軍を撃退し、
最後にはマフノ軍を処理してしまう。
アルシノフ著「マフノ運動史、ウクライナの反乱」社会評論社、2003、
面白い。ためになる。
和田春樹著「農民革命の世界、エセーノンとマフノ」、東大出版、1978
くだらない。著者の自己陶酔。
マックス・ウェーバー著「社会主義」講談社学術文庫、
共産主義は競争原理が働かず効率が悪いこと。
資本家階級の代わりに官僚が支配階級になり、労働者にとっては
やはり支配される立場におかれ、国相手ではストライキも出来ない由。
ビデオロシア映画「続ヨーロッパの解放」1977年、2巻
1はワルシャワ大攻防戦、。2はカルパチア大突破作戦。
ワルシャワ蜂起の話は知らなかった!!
ドイツの崩壊が近いと感じたポーランドがソ連ん占領される前に独力で
ドイツを追い出そうとして、ドイツにめちゃめちゃにやられる。
ソ連がポーランドのほうからの要請で出動にこだわって?見殺しにする。
映画自体はソ連に連絡なしに、勝手に始めたので、救援の体制が出来なかった
ことになっている。
2はブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、チェコへのソ連の侵攻の話。
どこでも地元の共産党抵抗組織が出動を要請したことになっている。
戦後の東欧の指導者らしいのが沢山出ていて、知識があれば更に面白いだろう。
チャウシェスクしか知らない。
ヴォーリン著「知られざる革命:クロンシュタット反乱とマフノ運動」現代思想社、1966年
1953年、スターリン死亡
1957年、スプートニク成功
1961年、ソ連有人人工衛星第1号
書かれた時代はスターリン批判はあったがソ連はまだ元気で、
スターリン主義以外の共産主義を模索していた時代。
1921年のクロンシュタットの水兵の反乱をレーニン政府の強圧に原因と
している。マノフ運動とともにアナーキズムを評価している。
私個人はペテルスブルグ沖合いのバルチック艦隊の母港基地の人口5万の
町の解説が興味深かった。
ソ連映画「ヨーロッパの解放、全6巻の6、ベルリン陥落」
現在のベルリンの中心駅は動物園前だが、ベルリンに入ったソ連軍と動物園内で
激しい戦闘になる。映画ではヒットラーは自分で自殺できず部下に撃たせる。
日本映画だと敵将は持ち上げるのが多いが中国、ソ連は作話しても貶める。
陥落寸前のドイツ幹部がドンチャン騒ぎをしてるのが面白い。
「ショスタコーヴィチの証言」中公文庫
1906〜1975、68年頃から編者が音楽家に会いインタヴュー。
死後海外で出版された。スターリンの恐怖時代の芸術家の生活が
生々しく語られている。当然音楽の話が多いのでそこに興味の
無い人が読み終えるのは大変だろう。
エイゼンスタインの映画はプロコフィエフ、ヨーロッパの解放の
音楽はショスタコーヴィチが担当した(させられた)。
映画は年に数本しか作られず、プロパガンダの重要産業だったようだ。
ソ連映画「女狙撃兵マリュートカ」1956年
ロシア革命直後に赤軍女性兵士が白軍将校を捕虜にする。
カスピ海の東の砂漠地帯を横断し、アラル海に船出するが遭難、
二人は微妙な関係になるが、白軍の接近により、彼女は捕虜を
射殺する。この白軍将校はコルチャックからデニキンへの密命を
持った密使だそうだ。
53年のスターリン死亡。56年はスターリン批判の年だが
微妙な内容だ。
映画の中のアラル海は大海原だが、現在は干上がりそうなのか?
チェーホフ「かもめ」岩波文庫、
女優の息子の脚本家が失恋して自殺する。歴史はあまり関係ない。
地主が財産を管理人にほとんど自由にされてるくらい。
ロシアの三田佳子の話。どこがよいのか理解できない。
園部四郎著「チャイコフスキー物語」岩波新書、1949年
ソ連映画「チャイコフスキー」1970年、
上の本の著者は、芸術は人間が生きる喜びを表現するもので、
人民のための芸術、民主的芸術でなくてはいけないと述べている。
昭和24年という年の岩波を中心とした思想の恐ろしさが感じられる
つまらない本である。
映画のほうは、音楽家が早く母をなくしたマザコンでうつ病持ちの
ホモの男だった事実を表している。
交響曲「悲愴」もうつ病とすればもっともな題名だ。
1840年生まれ、1893年死亡。
169 :
世界@名無史さん:2005/06/26(日) 22:13:28 0
age
170 :
世界@名無史さん:2005/06/28(火) 11:39:20 0
アロー
ジイド著「ジイド全集」の10、ソヴィエト紀行、コンゴ紀行、角川、1958年
1936年にゴーリキーの重病をきいてソ連に行く。
モスクワ、ペテのあとで飢餓のウクライナを通って黒海から船で帰国。
あこがれのソ連は北朝鮮のような牢獄国家だと暴いた。
同じ頃ソ連を旅行した、ロマン・ロランやショウは賞賛し、マルローは
沈黙した。
フランス資本で作られたつまりフランス映画、タイトルもフランス語。
「ウルガ」1991年の製作、ロシア人の監督、
舞台は中国の内モンゴル自治区。
中でしゃべられる言葉はロシア語、モンゴル語、中国語。
大草原を走っていたロシア人のトラックが故障しモンゴル人の家族に
世話になり、パオに泊めてもらい友達になる。
大草原の生活は素朴なものだが近代化の波が近づいている。
それなりに面白いが、ロシア人の血に混じるモンゴルというのは
出てこないようだ。
(ソルジェニーツィン、Aleksanndr Solzhenitsyn)
1918年、黒海とカスピ海の間のKislovodskで生まれた。
家が貧しかったので、生活の手段として数学を選び
通信教育で文学を勉強した。
軍隊では優秀な兵士だった。
3回の結婚、2回の離婚暦がある。
1945-53 モスクワの近くとカザフスタンにスターリン批判で投獄。
これらはおだやかな刑務所だったが1950年から政治
キャンプに入れられた。
その後カザフスタンに送られ数学教師をしたが、54,55年
胃がんで入院、小説になる。
1953年、3月スターリン死亡。
1962年「イワンデニソヴィチの一日」
68年「がん病棟」
70年、ノーベル賞
「The Red Wheel」というロシア革命題材の歴史書を書いたらしい。
「収容所列島」の著作年が解らない。
ソルジェニーツィン著「イワン・デニーソヴィチの一日」岩波文庫、昭和46年
収容所の過酷な一日を描いている。収容所列島は恐らく終わりまで読めないだろう
からこれは薄くてよい。
芹川嘉久子著「モスクワの顔」中公文庫
著者は1965年から68年まで翻訳の仕事でソ連の出版社に雇われて
モスクワで働いた。サヨだからでなくて語学力のようだ。
当時のソ連にいた日本人は外交官、ジャーナリスト、商社関係にしろ
モスクワの指定された一定区域にいただけらしい。当然監視されていた
のだろう。著者はそれから離れた最初の個人生活者だったようだ。
他の人間は結局、日本関連組織なのに対し、彼女はロシアの会社だ。
商社婦人の生活報告とは浸透のレベルが違う。
抑留者の中にソ連に残った人がいたようだ。その他、政治の話題は
避けているが生活面でも興味深い。
共産主義生活の一面がわかる。
176 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 16:04:31 0
ロシアは共産主義的な地名を次々に変更している。
だから地図でしらべても、地図の作成年代によって出てこないものが多い。
177 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 02:28:10 0
スターリングラードの前のボルゴグラードも人工命名くさいが、
たしかその前の名がなかったっけ?
ボルガ川流域ならどこでも付けられる名前だもんね・・・
178 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 15:18:09 0
ツァーリーツィン。
スターリングラード攻防戦に関して興味深いことに、
ニキータ・フルシチョフは第二次世界大戦では、ウクライナ共産党の責任者
としてウクライナの産業を東部に疎開させることに尽力する。
疎開作業の完了後、陸軍中将の階級を授与され、南部戦線で
ナチス・ドイツ軍と戦った。スターリングラード攻防戦では、
エリョメンコ元帥の顧問となり、1943年クルスクの戦いでは、
バトゥーチン中将の政治顧問の資格で直接前線に参加している。そうだ。
サウシキン著「モスクワ」プログレス出版社、1966
チェルノーフ著「モスクワ ガイドブック」プログレス、1979
このプログレスと言うのが、175で書いた芹川さんが翻訳で勤めていた
モスクワの会社。ソ連の会社というのは多分全部国営だったんだろうか??
両方ともなかなか情報が多くて良い本だ。ただし通り広場の名前などが
現在と違っていて解りにくい。
当時のソ連は中共、北朝鮮のモデルだったので、娯楽の中心がサーカス、
マスゲーム。青少年の芸術振興が盛んなど共通点が多い。
180 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:57:39 0
1930年代のモスクワに中国人に共産主義教育をするために孫中山大学があった。
問題はそれがどこにあったか?であるが資料が少ない。
「Sun Yat-Sen University in Moscow」という本がカンサス大学から出ているらしいが
見つからない。
資料として「この大学はモスクワのアラハン街に面し、西向きのしごく平凡な
四角い建物で、正面に花壇、通路の両側に花や植木があった。通路の向こう側に
教会がある。その建築様式は格別美しく、中央に大きなドームがあり、四隅の
小型ドームが真ん中の大きいドームを囲み、蓮の花びらのようだった。
その規模はローマの教会堂に次ぎ、世界第二だそうだ。周囲の広場は大学生が
スポーツや散歩を楽しむ場所になっていた」とある。
世界一の教会はサンピエトロ寺院だろうから、モスクワ一は聖ワシリー聖堂なんだろうか?
周囲のドームは本当は6個あるが片側からは4つしか見えなかったのか。
アラハン街というのは調べたが見つからない。蓮の花は合っている。
181 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 00:50:43 0
>>180 その世界第2位の規模の教会堂は聖ワシリー聖堂ではなく、ナポレオン撃退を記念して19世紀に建設された救世主キリスト大聖堂だと思われる。
救世主キリスト大聖堂はモスクワに50年をかけて建設されたモスクワ一巨大な大聖堂だった。
しかしスターリンによる反宗教政策の一環として爆破された。
その跡地に400メートルを超える高さのソビエト宮殿を建設する予定だったが、地盤と予算と技術の問題で結局作られなかった。
ソビエト宮殿が建設中止になったので、跡地はプールになった。
ソ連崩壊後、90年代にプールを埋め立てて再び救世主キリスト大聖堂を再建した。
今、モスクワに行けばその大聖堂が見れるよ。
182 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 03:08:08 0
ピロシキです・・・
日本人の大部分はオレのことを
「肉入り揚げパン」だと
思うとるとです・・・
アレは「Беляш(ベリャーシ)」でつ。
本物のオレはただの「具入りのパン」
に過ぎんとです・・・
ピロシキです、ピラシキィーです、Пирожкиです、、、
183 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 09:24:14 0
>181
サンクスです。
「通りの向こう」というのがワシリーではしっくりこなかったので、
納得できました。
赤の広場でスポーツやるのもおかしいと思ってました。
ボロディノ、BORODINO、Бородино、
モスクワの西130キロ、ナポレオン軍とロシア軍の決戦場。
WW2のドイツ軍とソ連軍の戦場でもある。
旅行案内書のLonely planetにはナポレオンやクトーゾフの陣地配置などが
出ていて見ていて楽しい。
ソ連映画の「戦争と平和」や「ヨーロッパの解放」はここでロケをしてる
かもしれない。軍事板の戦史が好きな人には堪えられない場所だろう。
ここに行くには戦記などを色々読んで行くと面白いだろう。
モスクワのベラルーシュ駅から2時間。ボロディノは度田舎なので便数が
少なく10キロ手前のより大きい町のMozhayskからバスがあるそうだ。
モスクワ市内にボロディノパノラマ館が簡便派にはある。
バルチック艦隊に戦艦ボロデイノがあり、この就航が遅れて敗因の一つらしい。
185 :
世界@名無史さん:2005/07/29(金) 19:45:45 0
スレ違いかもしれないけどクリコヴォの戦場跡ってどの辺にあるんですか?
たしかリャザンの西南あたりだったような・・・
186 :
世界@名無史さん:2005/07/30(土) 11:24:41 0
187 :
世界@名無史さん:2005/07/30(土) 14:23:52 0
TVER,ТВЕРЬ,トヴェーリ
モスクワからペテルブルグに向かって150キロのボルガ川上流の都市。
14,15世紀にはムスクワのライバル商業都市だった。タタールに2回
収奪され、イワン3世、雷帝に攻撃され、ポーランド軍に蹂躙されている。
1940年にソ連の秘密組織NKVDがポーランドの軍事組織POW(捕虜か?)を
6000人を一晩で虐殺して近くに埋めたという。
カリーニンの生地なので一時そう呼ばれた。
モスクワの一番賑やかなトゥベルスカヤ通りとはここに向かう道の意味だ。
プログレスという出版社は現在もあってロシアのSFなどを出してるらしい。
湯川秀樹が中心の科学雑誌の名前でもあるようだ。
前に書いた同社のモスクワという本にロシア平原の河川のネットワークの図が
出ている。ロシア平野は余りに広大なために、高低さがほとんどなくなり、
水流も停滞するのでreservoirとよばれる池ができる。霞ヶ浦や洞庭湖のような
もの。モスクワから黒海、カスピ海、バルト海に船で行ける。
ペテルスブルグに行くには、
モスクワからモスクワ運河を通りボルガ川に出て、Rubinsk Reservoirから
the Volga-Baltic Canalと通り、Lake Onega, the Svir River,Lake Ladoga
the Neva Riverへ至る。何か強制労働が浮かぶ痛々しいルートだ。
南行のボルガ下りはNHKでしばらく前に放送された。
モスクワ運河からボルガ川を下りアストラハンに出る。
Uglich,Yaroslavl,Kostroma,Saratov,Volgogradを経由する。
KGBの場所のルビンスカヤの由来が解る。
190 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 16:15:09 0
鈴木浩著「モスクワ地下鉄の空気」新世紀ロシア展望、現代書館、2003年
著者は1975年生まれ。1930年ごろ、共産主義の理想を芸術で表現しようと
盛んだったアヴァンギャルド運動に興味を持ち、モスクワ工業大学に
建築デザインの勉強でエリツェン末期に留学した。
ソ連共産党政府は地下鉄を共産主義の象徴のようなものとして作ったので
著者の芸術的関心を引き、それを探訪したのだが、それがモスクワ市内案内
でもあり、ロシア人の生活案内でもある。
2大大国として君臨したソ連が共産主義崩壊後の情報流入してみて、
そのレベルを実感しいらだつ。その若者達がネオナチになり、ただ一つの
すがる誇りとしてヨーロッパ人?として、非欧米人を攻撃する。
得に、共産主義の中ではその子分であった中国人が経済進出してくるのが
気に食わないらしい。フーリガンとも共通する所があるそうだ。
著者の芸術家としての感性がでていて、私としては非常に面白かった。
191 :
世界@名無史さん:2005/08/14(日) 16:12:27 0
プスコフはペテルブルグが建設されてから港湾都市としての
お株を奪われて衰微したの?
>191
よく知りません。
イワン雷帝によりロシアに併合され、ハンザ都市でなくなったこと。
ハンザ同盟そのものが全体として衰退したことが関係しているのでしょうか?
ヨーロッパとロシアの接点として、戦争の度に攻撃破壊されてるようですね。
(モスクワの環状道路)
最内側にクレムリンとキタイゴーラトを囲む一連の道路。
内側のプリヴァール環状道路;Boulevard Ring;
中央が公園、散歩道。両側に各一車線あるだけ。
中間のサドーヴァヤ環状道路;Garden Ring;
片側4車線の環状の幹線道路。庭園は名前だけ。
外側の大環状道路;
外環状。片側4,5車線の巨大な物流道路。
救世主キリスト聖堂は後ろを東西に流れるモスクワ川を背にしている。
前方を東西にヴォルホンカ通りが通る。聖堂の西側を南北にサドーヴァヤ環状道路が
このあたりではゴーゴリ通りの名で通る。中国人の大学が通りの向こうに聖堂に面し
大学らしくない目立たない西向きの建物という「西向き」が理解しにくいが、ゴーゴリ
通りの角にあれば、大学の建物は西向きで聖堂に面することが可能だ。
このあたりは風致保存地域だそうで昔の状態が残っていそうだ。
聖堂の右前方はプーシキン美術館で立派なたてもの。そのとなりは美術館の
付属の建物。ゴーゴリ通りの角は在郷軍人のクラブになっている。
これのように思えるがどうだろう。
アルバーツカヤ駅前に対外友好会館というバロック様式の建物が
あるそうだ。ここも保留にして検討したい。位置が西過ぎるようだが・・
196 :
世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:00:45 0
(ロマノフ王朝)
ミハエル・アレクセイ
ソフィヤ、フョードル3世、イヴァン5世、ピョートル1世
198 :
世界@名無史さん:2005/08/30(火) 13:17:33 0
モスクワ市の東を、北から南にヤウザ川が流れモスクワ川に注ぐ。
この川のほとり、モスクワから地下鉄3号線のイズマイロフ公園、一号線
ブレオブラジェンスカヤブローシャチ、一帯こそ少年ピューテルが玩具の
軍隊を作って遊んだ、ドイツ人居留区だ。この公園の池で最初のロシア
海軍がつくられ、軍隊ごっこが近衛連隊の名になった。
この北方のセルギエフ・パッサートの修道院にクーデターの時ピューテルが
逃げ込み、保護を受けた。更に北方のペレスラブリにピュートルの作った
ボートの展示があるそうだ。1号線の西南のノヴォデヴィッチ修道院に
ピュートルが姉のソフィアを幽閉した。17才だった。
1985年、ゴルバチョフ書記長に。
米ソ首脳会談。
エリツィンモスクワ市第一書記に。
86年、チェルノブイリ事故。
個人営業法。
88年、アフガンソ連軍撤退。
89年、ベルリンの壁崩壊。
90年、ロシア共和国主権宣言。
91年、エリツィン大統領に。
8月政変。ゴルバチョフ辞任。
バルト3国の独立。
CISの設立。
96年、ベラルーシュと共同体へ。
98年、ルーブリ切り下げとデフォルト(債務不履行)。
99年、エリツィン辞任
2000年、プーチン大統領に。
200 :
世界@名無史さん:2005/09/03(土) 22:55:22 0
マシュー・ブレジンスキー著「ロシア・アンダーグラウンド」
イースト・プレス、2003,5 原題はCasino Moscow
非常に面白いけれど、何故か異常に注目されていない本だ。小出版社のせいなのか??
著者の叔父がカーター政権で外交補佐官を務めた、ウオールストリートジャーナルの
記者として96年97年98年ロシアで取材した。資本主義化したソ連が債務不履行に
なりIMFの救援を受けるまでのロシアの裏面を体験した。アメリカのジャーナリストの
基礎知識のすごさ、語学力、取材力の馬力に圧倒される。よくある日本人のロシア体験記と
そこが全く違う。中枢に食い込んでいる。
この本が直接そのことを書いてある訳ではないが、共産主義から資本主義になる時、
共産主義は世の中総てが国家財産なので、資本主義化の段階でその山分けというか、
収奪というか、払い下げのようなことが起こる。ソ連ではそれが短期間で起こった。
中国という国はそれを長い年月かけて、国家財産の掠め取りを支配階級がやっている
のかもしれないと考えた。奪いつくした時に中国共産党は不要になる。
ブレジンスキーの甥か。ポーランド系ユダヤ人だよ。
割り引いて理解したほうがいいかもな。
郵政民営化でも似たようなものだよw
202 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 04:24:57 0
>>200 Z・ブレジンスキーのロシア観には根強いロシア蔑視が感じられる。
以前どっかで、ロシアは経済的には中国にも劣っているとか書いていた。
203 :
世界@名無史さん:2005/09/07(水) 16:34:37 0
(全体主義、totalitarianism)
六つの主要標識、「シオンドローム」論
1、公認イデオロギー 2、単一の大衆政党 3、武器の独占
4、マスメディアの独占 5、テロル的警察統制 6、統制経済
全体主義をこの共通項でくくると、スターリン体制とナチスの
体制は共通性が多いという。
カール・フリードリヒと”D・ブルジンスキー”。
ハンナ・アレント、S・ノイマン、L・シャピロなど。
全体主義といっても一枚岩ではなかったと擁護するものもいる。
袴田茂樹「スターリン体制とドイツ・ファシズム体制」
204 :
世界@名無史さん:2005/09/07(水) 16:59:16 0
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487257317X/250-1602211-3884206 ロシアアンダーグラウンド マシュー・ブレジンスキー (著)
90年代ロシアバブルに沸いた頃ウォールストリートジャーナル
(WSJ)モスクワ支局勤務だった筆者の旧ソ連リポート。
「WSJ特派員」と聞くとジャーナリスティックな内容を期待しますが
現実は行き当たりばったりの珍道中記。サハリン、サンクトペテルブルグ、
チェルノブイリなどモスクワはもちろん旧ソ連各地での筆者の体験は
確かに面白いものもあるが、マフィア・売春婦が跋扈するティピカルな
旧ソ連のイメージから更に踏み込んだ視点がありません。
筆者はWSJ支局員の正社員になるにあたって経済の勉強をしたそうです。
映画「ウォール街」、小説「ライアーズ・ポーカー」によって。
おいおいシャレだろと思ったが通読した感想としては多分真実なんでしょう。
「地下経済」の分析には期待できそうありません。
軽いモスクワ体験記としてさらっと読む程度、ロシアの現状を真剣に
知りたい向きにはおすすめできません。
塩川伸明著「ソ連とは何だったか」頸草書房、1994年
著者は東大法学部教授。1948年生まれなのでまだ定年でないので
現役だろう。共産主義崩壊にたいする、未練、往生際の悪さの著。
いい所もあったんださうだ。
>おすすめできません
読まれて困る部分でもあるのだろうか?
面白くないならそれだけでよい。
1、中村逸郎著「帝政民主主義国家ロシア」岩波書店、2005、
現代の「慈父たるツァーリ」
2、アンナ・ポリトロフスカヤ著「プーチニズム」日本放送協会、2005、
汚職まみれの司法、新興財閥の専横、軍の放埓。
3、塩原俊彦著「ロシア経済の真実」東洋経済新報社、2005、
いまだ残るKGB体質、軍産複合体、進まぬ行政改革、ロシアの
非近代側面
ブレジンスキーの本と同じような内容。
朝妻幸雄著「ロシアは、いま」ダイヤモンド社、1999年、
著者は商社丸紅のロシア支社長。93年から6年間モスクワに勤務。
議事堂砲撃の際は事務所が銃撃されたそうだ。あの近所がビジネス
センターのようだ。債務のデフォルト=モラトリアムでは被害の
当事者だったようだ。その後の処理はどうなったのだろう?
観光コースとしてドンスコエ修道院、カローメンスコエ教会を
推奨されている。いつか行きたい。ロシアの教育の普及を強調
されている。これと、政治的社会的訓練の未熟がアンバランスな
国民だ。芸術面の水準は高い。
ロイ・メドヴェージェフ著「ロシアは資本主義になれるか?」現代思想社、1999年
現在のロシアは全般的利己主義、大きな社会的不平等、政治的無秩序、
組織的な犯罪の世界。国が企業家を育てようとしたが、自己の利益しか
考えない組織が出来ただけだった。著者はロシア人に資本主義は
向いてないと言い、社会民主主義がよいと主張している。
亀山郁夫著「あまりにロシア的な」青土社、1999年、
よく言えばペダンチック、悪く言えば、文化的自己満足の書。
著者はロシア語の教授なのに、モスクワ近郊の旅行に案内を
付けるのか?どうも教授という肩書きと、ロシア馴れしていない
行動がアンバランスだ。
210 :
世界@名無史さん:2005/09/15(木) 18:02:32 0
>Z・ブレジンスキーのロシア観には根強いロシア蔑視が感じられる。
>以前どっかで、ロシアは経済的には中国にも劣っているとか書いていた。
共産主義以前に中国は商業取引に関しては長い伝統、経験を有していた。
それに対してロシアの大衆は革命以前には農奴の経験しかない。
東欧諸国が資本主義にすばやく対応できたのと、つまり回帰と経済を
新しく実習する違いは大きい。納税の経験もなく、納税とは何かから
勉強中だろう。
E.H.カー著「ロシア革命」1917−1929、岩波文庫
著者はケンブリッジ大学のソ連研究家。(1892−1982)
1950年か30年かけて「ソヴィエト・ロシア史」14冊を書き
この本は1977年の概説。知識の整理に役立つ。
巻末の渓内謙の解説が参考になる。
212 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 20:06:05 0
211さん、カーの『ボルシェボキ革命』は役にたちませんか?
『ボルシェボキ革命』は14冊の内の最初の3冊ですね。
カーの本は批判として「ファクトロジー」というか、平板な叙述だと
され、共産主義の可否の判断がないとされたようですが、資料的な
役立ちの面の評価があるのでしょうか。
カー著「歴史とは何か」岩波新書を読み始めたところなので、
回答が書いてありそうです。
EHカー「歴史とは何か」岩波新書、清水幾太郎訳
1961年の講演。一般論だからあたりまえのことが多い。
ただ共産主義の欠点が見えてきた時代なので具体論になると
自信のなさが感じられる。産業革命初期にも悲惨なことは色々
あったが、産業革命の価値が下がるわけでないと言って、ソ連の
弁解をしている。訳者(1907−1988)は60年安保の
指導者でその後反共産主義に転向した。
大内兵衛著「社会主義はどういう現実か」
−ソ連・中国旅日記ー岩波新書、昭和31年
昭和30年1955年5月6月、学術会議の視察団15名が両国を視察した。
他に茅誠司、桑原武夫、南原繁などがいる。両国で周恩来をはじめとする
盛大な歓迎、豪華な食事、特等席の観劇などで全員完全に舞い上がり、
国民は希望にあふれ、明るい未来を信じて幸せそうな素晴らしい両国
だったと報告した。
学術会議の左傾化はこの頃から問題視されていたが、それが改革?された
のは最近のことか?
共産主義万歳は構わないが、読んでいて更に不快なのは、この連中の贅沢と
いうか豪華さ好みだ。大内を代表にしてその弟子の都知事になった美濃部、羽仁
全員、質素など大嫌いの贅沢家だ。不破哲三、筑紫哲也などに連なる俗物性だ。
バレーを観に行って、内容よりも皇帝のすわった席だったと感激する男だ。
216 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 22:42:07 0
和田春樹著「歴史としての社会主義」岩波新書、1992年
この本は共産主義の歴史の解説書として簡潔な分析、評価も付いてすばらしい。
何故だろう。1、著者は共産主義の問題を自己の中心的テーマとして考えて
きたから。ロシアの歴史というより、共産主義を生んだ国としてとらえていた。
2、これが著者の素晴らしい所だが、共産主義の崩壊をみていち早くそれを
見捨て、過去のあこがれから仕入れた多くの知識を総動員してその欠点を
分析している。従軍慰安婦問題の活躍や北朝鮮に拉致問題などないなどの
主張で、スパイを思わせる外見もあり、胡散臭い人物との印象判断しか
なかったが、なかなか鋭く、かつ要領のいい人物らしい。
ttp://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/wada.htm 更に検討を要す人物だ。
スタインベック著「ロシア紀行」大阪教育図書、1996年
1947年に著者は写真家のキャパと二人でロシアを旅行した。
さすがに大作家は文章がうまく、公平な視点で見ようと努力は
しているが、やはりガイド兼見張りがいて自由に行動できない。
グレイム・ギル著「スターリニズム」岩波書店、2004年
オーストラリアの学者が1990年に書いた。
まとめとしてもっともなことが書いてあるがそれ以上でも以下でもない。