43 :
世界@名無史さん:04/05/21 01:13
>>1 日本が儒教文化圏ではないと思ってるのか?
個人的に、日本からみた中国と同等かそれ以上に中国から見た日本は奇怪だと思う。
>>36氏の孔子の位置づけが大変興味深いが、
日本人は旧来のシャーマニズムを現代でも色濃く残した宗教観を持つ民族だ。
占星術などの占いを重視しているのがそのいい例(TVで毎朝やってるくらい)。
まじない、縁起などを重視する国民性は悪く言えば大変前近代的。
44 :
世界@名無史さん:04/05/21 11:12
>>43 中国の場合、共産党員が風水を信じていたりする。
台湾や香港でも風水はさかん。
まあ合理性だけで割り切れないのが人間の本質なわけで……。
とりあえずは日本人が悪く言えば単純だから、外国人のことを理解できないだけだと。
再びマレーシア華僑とつきあいのあった日本人の体験談。
その華僑の弟が、ギャンブルがらみのトラブルで殺された。犯人は警察に
逮捕され、正当な手続きを踏んで裁判にかけられることになった。しかし
憤りは収まらず、警察と検察に金をつかませて犯人を買い取った。それを
タイーマレーシア国境のジャングルに連れて行って、木に宙吊りにして、
メッタ斬りにして、傷口に酢を注いで殺した。人を使ってではなく、
本人の手で。傷をつける際も、下半身に集中して斬りつけたそうで。
復讐の一部始終を語りながら、いかに悔しかったかを繰り返し訴えながら、
涙を流して泣いていたという。
で、その日本人は、弟が殺されたときの華僑の復讐への執念のすさまじさと、
その一方で彼の性格の中にあった寛容さの双方を考えると、戦争体験に
対する中国人と日本人の受け止め方にはとんでもない開きがあるのでは
ないか、と。特に、いわれなく肉親が殺された場合などを思うと、淡白な
日本人にはとても彼らの気持ちは理解できないのではないか?
>>35 来世ってのはあの世じゃなくて転生思想のこと?
だったら日本にもないのでは?
>祖先崇拝の儀式をちゃんと執り行えば、この世で幸運が授かるし、やらなかったり
>いい加減にしたりすると、災難や死者の呪いがふりかかると考えているみたいです。
これだってほとんどの日本人に当てはまるような…
48 :
世界@名無史さん:04/05/21 16:55
>>47 確かに呪術・迷信・祖先崇拝などは共通する部分が多いね。
ところで日本人の場合、死んだ後は、善人は極楽浄土へ行き、悪人は地獄に
落ちると考えている人が多いけど、
中国人は死後の世界についてどう考えているんだろ。
祖先は子孫のお供え物を食って生活(?)してるわけで、
その意味でも自分の死後の為に家と一族繁栄に全力を尽くす。
>日本人の場合、死んだ後は、善人は極楽浄土へ行き、悪人は地獄に
>落ちると考えている人が多いけど、
そんなこと考えてる日本人はいません!
51 :
世界@名無史さん:04/05/21 18:32
>>50 人が生きていくにはファンタジーが必要なんだよ。
癒しを必要としない人間はいないんだよ。
もしいるのならば
それは支那人でしょう。(上手くオチた上手くオチた)
52 :
世界@名無史さん:04/05/21 19:18
殺伐とした連中だよな。
53 :
世界@名無史さん:04/05/21 19:31
>>13 世界中で軽蔑されているよな。
中南米、カリブ、欧州・・
54 :
世界@名無史さん:04/05/21 19:37
>>46 中国人は一度怨んだ相手は徹底的に撃ちのめさないと気が済まない性質がある。
とパール・バックが何かに書いてたよ(確か
55 :
世界@名無史さん:04/05/21 19:40
満州国の皇帝溥儀は助かっても、他の中国人は軒並み処刑。
子孫も冷遇されてるのかな?
ちなみに袁世凱の子孫は、台湾、大陸どっち?
>>50 ふぉ。宗教的な確信として信じているかと言えば、死んでしまえば皆同じ、
地獄も極楽もあるものかと思っておる者も多いじゃろう。
じゃがの、日本人の宗教思想としては死後、善人が極楽浄土へ悪人は無
間地獄へ落ちる(べき)という因果応報が通俗浄土信仰の基本じゃよ。
それが迷信であると確信していようとも、そのように人々が考えることは別
に思想的に不思議であるとは思わんじゃろ。これは日本人にとって普遍的
な観念なのじゃな。
ところが、キリスト教にせよ他力本願の真宗にせよ、宗教的教理としてはそ
んなことは言っておらんのじゃ。最後の審判の日が来たときに、天国に行く
か地獄に行くかは、あらかじめ神が定められたことであって、個人の生前の
善行とは無関係というのがキリスト教本来の教理じゃ。
また、親鸞が「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人においておや」と喝破した
ように、諸衆を救い極楽浄土に往生させるのは阿弥陀仏の本願であって、
個々人の善行の有無や救われたいという希望の有無とは関係ないというの
が絶対他力の教理なのじゃな。
>個人の生前の
善行とは無関係というのがキリスト教本来の教理じゃ。
んなこたーない。試練は神のテストでうまく回答しないと地獄行きというのが本来。
カルヴィン派はどうだかしらんが。
ん? 最後の審判で救われなかった香具師は神の国には入れない、ってのがキリスト教
の教理だろ。
地獄だの煉獄だのって言ってるのはカトリックだけじゃん。
救われなかった香具師の運命は永遠の死だよ。
何言ってるんですか! 日本人が死んだら善人も悪人もみんな黄泉の国に行くに
決まってるじゃないですか!
61 :
世界@名無史さん:04/05/21 22:05
>>58-59 論点をはずしまくっているな。
因果応報を認めるか、人間の努力が救済と相関するのかということが重要なポイントだろ。
日本人が通俗仏教の因果応報説を根底にした、個人の努力や勤勉、善行によって救われ、
怠惰や悪行によって罰を受けるという観念が近代化の過程で中国人などとの差異を生じた
という指摘もあるな。
62 :
世界@名無史さん:04/05/21 22:17
>>54 だから日本に対してもあんなに執拗なのか…
彼らとの和解は無理だな。
63 :
世界@名無史さん:04/05/21 22:27
19世紀のイギリス人でジョナス・ナサニエル・ヴォーンという人が、
『海峡植民地の中国人の習俗』という本を書いている。それによると、
「中国人は自分の死後の状態がどんなものか、はっきりした考えは
持たないが、この世でよほど邪悪だったのでない限り、あの世の方が
幸福にちがいないと信じている」
64 :
世界@名無史さん:04/05/21 22:44
>>55 子孫がどうなっているかまでは知らないが、中国の教科書では親日派は
みな「売国奴」。
袁世凱についての記述は、
「袁世凱は日本の青島占領にあえて抗議しなかった。日本は袁が皇帝に
なりたいと欲し、そのために日本の支援を切望していることを察知して
いた。一九一五年、駐中国日本公使は袁に中国を滅亡に追いやる
『二十一カ条要求』を示し、『もし誠意をもって交渉に応じれば、日本
は貴大総統がさらに一段、高い地位に就かれることを希望する』と
ほのめかした。数カ月の駆け引きの後、袁は日本の要求をほぼ全面的に
のんだのだ」
同教科書はこの項の演習として「袁世凱が中国を統治した時期に
帝国主義国家がいかに中国を侵略したかを述べよ」という質問を掲げ、
日本にソフトだった袁世凱の罪を強調している。
まあ日本にたいしてどうしようが袁世凱が謗りを受けるのは仕方ないだろ。
帝政打破した後に自ら皇帝になろうとするような奴なんだから。
清朝派だろうが国民党だろうが共産党だろうが非難する理由はあっても
支持する理由は無い。
彼の政治自体は現実を見据えた妥当な判断がほとんどなんだけどね。
66 :
世界@名無史さん:04/05/21 22:55
>>61 鈴木正三(1579〜1655)は、
士農工商それぞれの身分の人々が自分の身分に応じて仕事に励むことが
仏道の修行になると説いた。現世の中にある職業が仏の働きを表している
という。
「何の事業も、みな仏行なり。人々の所作のうえにおいて成仏したまうべし」
と説いていた。
67 :
世界@名無史さん:04/05/21 23:06
ttp://www.sinorama.com.tw/jp/1998/199808/708006j3.html 道教は不老不死の仙人を作り出した。それは精神も肉体も不滅のまま
仙境へ入るというものだが、民間信仰では、不老不死の仙人としてでは
なく、一般の人が死んだ後に仙境へ行くと考えられるようになった。
羽化昇天、乗鸞昇天、得道成仙、駕鶴帰西などが、中国人にとっては
死に代る言葉となったのである。
秦や漢の時代の、不老長生と仙境を求める活動が、中国人にとっての
死後の世界を豊富なものとし、それがしだいに今日の天国像へと発展
していった。しかし、今日俗に言う天国の基準から見ると、玉皇大帝の
宮廷にしろ、西王母の仙境にしろ、道教の「天堂――崑崙――洞天福地」
にしろ、どれも天国としての外観は備えているが「善人が死後に行く
ところ、善に対する良い報い」としての意義は備えていない。
68 :
世界@名無史さん:04/05/21 23:18
中国も朝鮮も、国の為なら何でもした独裁者ムスタファ・ケマルの様な人物は報われない事は間違い無い。
トルコ人は彼を敬愛しているが、あそこに居住しているのが朝鮮人や中国人だと、
「ムスタファ・ケマルは日本を模範にした奴だ。だから、抹消」という事態になると思う。
ムスタファ・ケマルが列強にどんどん領土割譲や譲歩を繰り返せば
いくらそれが本当は国のためといってもトルコ人とて支持しないだろ。
日本でも井伊直弼みたいな奴は支持され難い。
つか、袁世凱とムスタファケマルを同列に語るのは無理有る気がする。
トルコ革命が日本に習ったとも言い難いし、
当時の中国の人物で例えれば孫文の主義思想と人気、蒋介石の実務能力とやり方
を兼ね備えた人物…かな?
71 :
世界@名無史さん:04/05/21 23:42
>>70 確かに袁世凱と彼ではそもそも器も考えも違うから言っている事はわかる。
しかし、一つだけ言わせて貰えば、あのやり口は限り無く日本に近い。
何せあの男は大の日本シンパだから。(それは多くのトルコ人も同じだが)トーゴー万歳。天皇陛下万歳。
現に、彼は寝室に天皇の肖像を持っていたらしい。
『まともな独裁民主国家』というのは明らかに日本を意識したものだと思う。そりゃそうだ。民主政治の伝統も無い国がいきなり民主政治をする事は出来ないし。
日本は、天皇という国家元首を相対的には今以上に無視していた。彼はイスラムの伝統を無視した。同じ様なものだと思うが。
72 :
世界@名無史さん:04/05/21 23:54
>日本人が通俗仏教の因果応報説を根底にした、個人の努力や勤勉、善行によって救われ、
怠惰や悪行によって罰を受けるという観念
司馬遷の史記伯夷列伝に、「良い行いをしたものは良い報いが有り、悪い行いをしたものは悪い報いが有ると
孔子はいっているが云々」とあるので、仏教以前に儒教にそういう考え方があったことは事実だよ。
もっとも、司馬遷はこの観念を否定して「悪人は富み栄え善人が窮乏の内に生涯を閉じているとは
いったいどういうことなんだ、天道是か非か」と主張するわけだが…
>56>57
浄土思想というより、禅に近い考え方じゃないのかな。
「人が死んだ後つきまとうのはこの世でなした善悪業報のみである。国王妻子親類部下でも
助ける事は出来ない」といったのは道元だし、地獄を無闇に強調したのは白隠。
>68
残念ながら中国大陸にも昔は結構な親日家が居て、「日本に学ぼう」というキャンペーンもあったんだが…
日本武士道マンセーとか、「浴衣を来て温泉にでも入りてぇなあ、ねぇ」とかいう大物政治家もいたらしい。
過日産経新聞に「最近は隣国の良い所を知っているふところの広い政治家がいないのは悲しい」
というような回顧記事が出ていて、そこに書いてあった話。
>>71 実際技術思想を手本にしたのはヨーロッパだし、事によってはソ連を
手本にしたりと・・・
彼のやったこと自体は日本がやった事というより孫文がやりたかった事に
近いと思う。まあ孫文もかなり日本マンセーだが。
日本の明治維新に習うのと当時の日本に譲歩するのとは大きく意味が違う、
ということかな。
現代の「日本人」の価値観がおおよそ現代のようになったのは16世紀ごろ
だと言います。宗教と付かず離れずの合理性、パロディもつくれるような余
裕が出来ていたのは、狂言でもおおよそ確認可能。
その「日本人」の道徳観について、故柴田実先生は次のような姿を提示され
ていました(『柴田実著作集』仏教篇)。
「『お天道様』が見ていらっしゃる下で、正直に真っ当な仕事をこなしていれ
ば、いい事が訪れる。」(文は要をとったもの)
つまり仕事をする事自体に救いを見出した訳で、我が国の経済・産業の発展も、
利潤だけを見るのでは無く働きぶり(人)を見ようとした事にあったのでは無
いかといいます。
なお「正直であれ」という傾向は戦国期には既に見られたらしく、夜になって
わざわざ買い物をした外国人のところへお釣りを届けに来たのに驚いたという
記録も残されています。
75 :
世界@名無史さん:04/05/22 00:49
日本人が良すぎるんだよ。日本人は特別なんだよ。
だからといってチャンコロの悪辣さが軽減されるわけではないが。
76 :
世界@名無史さん:04/05/22 00:58
ちなみに、中国の歴史教科書では、孫文と日本との関わりは一切書かれていない。
中国の英雄は日本との親しい絆などあってはならない、という考え方らしい。
77 :
世界@名無史さん:04/05/22 01:02
日本人の法律や契約に対する考え方には、仏教がなにか影響を与えて
いますか?
>よそもののくせに金と権力持ってるから
金と権力持ってるだけなら
白人や日本人とかの外国人だってそうじゃん。
なんで華僑だけが暴動で殺されるぐらい憎まれてるかって事だよ。
79 :
世界@名無史さん:04/05/22 02:00
仏教ではなく儒教的な考えで、「金儲け=穢れた行為」と言う意識はあるね。
あと、中国でも儒教なんぞ虚飾虚礼大好きの使えない思想と言う評価が高く、
もっと現実的な法家の思想の方が最も影響を与えています。
なんせ、儒教の理想の社会は、五帝の時代ですので・・・前漢の元帝なぞ、
儒教にかぶれ、その理想を実現しようと物々交換社会にしようと妄想を抱
いたくらいですので・・・そのおかげで、見事国を傾けましたが・・・
親父の宣帝は庶民育ちの超現実主義者で、前漢の最盛を極めさせたのにね。
あと、目上目下の思想は、儒教の独特の思想ではなく、古
代中国からの伝統的思想に過ぎません。
そもそも孔子自身、新しい思想を作ったというよりも
古代中国の古き良き伝統を戦乱の世に復活させようとしたわけで
81 :
世界@名無史さん:04/05/22 02:19
>>78 インドネシアの場合、
オランダ統治時代には、華僑はオランダの手先になって富の収奪をした。
日本軍占領時代には、日本軍の手先。
戦後、インドネシアが独立したら、今度はインドネシア政府の最高幹部の
手先。
華僑たちは、軍や政治家の上のほうとつるんで、莫大な富を築いている。
そういうところが庶民の恨みを買う理由なのでは。
為政者の側が、華僑に庶民の不満を向けさせてガス抜きしようとしている
面もあるだろうけど。
82 :
世界@名無史さん:04/05/22 02:20
孔丘を現代に当て嵌めると、自身万万で就職試験を受けたら散々馬鹿にされ
門前払い(陽虎では相手が悪いか)、就職してもリストラされ、悪名の高さ
に再就職も出来ない唯我独尊な団塊親父と言う評価もできますな〜。
83 :
世界@名無史さん:04/05/22 02:28
中国人の歴史に対する感覚がよくわからん。
なんというか、西洋の近代歴史学とは相容れないような気がする。
日中戦争での犠牲者数がどんどん増えていったりw)
>>82 それじゃ歴史に名が残らん。
どっかの大学のキャラの濃い名物教授だけど実際に仕事させてみたら
イマイチだったり、あんまり言ってることが電波だったりするんでどこの
企業逝っても首にされ、最後は「俺を受け入れられない社会が悪い」
って言ってゼミ生をせっせと育てるようになったって感じじゃないか。
85 :
世界@名無史さん:04/05/22 02:59
スレタイとはズレるけどさ、
もしローマ帝国がキリスト教化せず、今日まで続いていたら、
中国みたいな社会になっていたのかも…と妄想してしまふ。
>>61 >個人の努力や勤勉、善行によって救われ、怠惰や悪行によって罰を受けるという観念
それって、会衆派というかプロテスタントでしょ、明治期に入って来た。日本固有の精神じゃ
ないと思う。元々江戸期には一日おきに半日しか働かなかったんだし。
>>85 ローマ法を少しかじってみた限りじゃ、全く別なイメージが。
まあ、全部食った人はどう思うか知らないが。
>79
>仏教ではなく儒教的な考えで、「金儲け=穢れた行為」と言う意識はあるね。
勿論あるけど、非常に朱子学的な考え方だよ。黄宗羲が明夷待訪録で、また
渋沢青淵が論語講義でいうように、中国古代の儒教は金儲けを否定していなかった。
孔子の弟子の子貢は大商人だし、孔子自身、「売らんかな売らんかな。オレは買われるのを待っているんだよ」と言っているわけだから…
まあ、元以降の儒教は朱子学の一人勝ち状態なので、儒教=金儲け蔑視という意識は相当強いだろう。
これに反対して古代の儒教を復活させようとする動きも儒教内部にあり、
それが日本に於いてかなり流行したために儒家である渋沢青淵が銀行を作ったりすることが行われ、
近代化に大きく貢献したわけだ。朝鮮半島は朱子学寡占が長く続き、陽明学や古学を受け入れようとしなかったので
商業蔑視の体質が残り、近代化に立ち遅れる事になる。
>あと、中国でも儒教なんぞ虚飾虚礼大好きの使えない思想と言う評価が高く、
もっと現実的な法家の思想の方が最も影響を与えています。
これは文化大革命の時に周恩来を引き釣りおろすために捏造された理論で、根拠はほとんどないぞ。
あなたが引き合いに出している漢の宣帝も、王覇を使い分けたといわれるように儒教も重視していた。
そもそも漢代の儒教と言うものは、そうとう法家がゴッチャになったもので、なかなか分けにくいものだ。
王莽ですら法家の影響がかなり強いらしい(この辺りの話は西嶋『秦漢帝国』参照の事)。
89 :
世界@名無史さん:04/05/22 11:18
どちらかと言うと、「儒教→道徳」「法家→社会統治システム」と言う
目的ですので、ゴッチャに扱ったのは間違いですね。
あと、前漢の宣帝の例も使い方が不適切だったかもしれません。仰る通
り彼は儒教を否定せず、王覇の使い分けが丁度良いと思想で行動してい
ました。
ただ、儒家でさえ起源も知らない訳のわからない古代の礼法を押し付け
ようとする腐れ儒家を無用の者として、遠ざけたのは有名な話ですね。
>>84 その逆切れっぷりは、正にピッタリです。
>>86 >>74 少なくとも家訓を残したような商家や思想家の間で説かれていた論理はほぼ
共通したものでした。それに例え江戸の庶民が働きづめで無かったにせよ、
まともに働いている事を尊重する意識が無かったとは言えないでしょう。
そうであるからこそ「遊び人」という意識も成立する訳ですし、第一江戸の
人間=長屋住まいのその日暮らしばかりという訳でも無い。
全部が全部そう考えていたとは言えないにせよ、おおよその傾向としては認
められるのではないかと。
また行住坐臥これ全て禅とする発想のあった禅宗に念仏も学んだ江戸時代初期
の僧鈴木正三は「何の事業も皆仏行なり。人々の所作の上にをひて成仏したま
ふべし。」といった事を述べていましたが、こうした現世肯定主義(世間虚仮
とか往生極楽のみを願うといった古代・中世的な信仰とは対極に位置しており、
単なる現世利益でもない)は同時代の真宗・日蓮宗の門徒を中心に広く見られ
たものであったようです。
名の知れた商家に真宗・日蓮宗が多かったのは広く知られるところ。
勿論こうした思想は仏教だけから生じたのではなく「天道」という用語からも
察せされるように儒教の影響もあり、また伊勢信仰の影響もあったようですが、
16世紀以降経済の発展する中でこうした思想が生じ、それが更なる発展を呼
びこんだ事は間違いないかと。
「天道に依怙なし」、「天道の当てがい」、「天道誠を照らす」といった言い
回しも浄瑠璃や歌舞伎や浮世草子の中に頻出しており、これなどは江戸の庶民
の生活の中にもよく浸透していた様に思われます。
(追加:「日本固有の精神」というのはどうでしょうか。精神というのは時代
により変化するもので、固有の精神など無いでしょう。
一昔前までは民俗学者がそうした事を口にしていましたが、今では大分そうし
た傾向も収まってきている。
追加の追加:鎌倉時代に書かれた説話集『沙石集』などにも正直の頭に神宿るとい
った発想は見られます。しかしこれは人が生きていく上で最低限守るべき事を
述べたというレベルとどう違うのか、すぐには結論が出ません。)
91 :
世界@名無史さん:04/05/22 13:16
中国の庶民にとっては、儒教よりも道教のほうが身近な存在だったと思うけど
道教ではどんなモラルが説かれているの?
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ