【三国志正史スレッド 巻六】

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453世界@名無史さん
蜀のヒイは魏からの投降者カクジュンに刺殺されましたが
これって何か理由があるんですか?単純に発作的にコノヤロー!って
刺しちゃったんですか?
454世界@名無史さん:05/01/12 01:14:43
>>453
いや、単純に刺客だったんだろ。
費イの寛容すぎる性格が災いしたことを物語るエピソードだと思われ。
455世界@名無史さん:05/01/12 11:32:43
>>454
死間だったんですか。
相当間抜けというか蜀の情報部?みたいなとこはかなりの低LVだったようですね・・・

456世界@名無史さん:05/01/13 15:01:19
>>453
>>454
>>455
別に死間ではない。(広い意味での刺客とは言えるかもしれんが)
郭循の元の名は郭脩。魏書に簡単な経歴が載ってるから調べてみれ。
457世界@名無史さん:05/01/13 15:45:09
元の名とかそういう問題じゃないだろ
458世界@名無史さん:05/01/13 17:02:54
>>457
元の名が分からんと調べられないってことだよ。
「郭循」で索引引いたって「費示韋を殺した」としか載ってないからな。
つーか、正史調べてからレスしろ。正史読んでないのがバレバレだw
459世界@名無史さん:05/01/13 20:25:15
ちくまの索引だと
郭脩(郭循)としてしか載っていないので「郭循」単独で索引を引くことはできない。

なんて書いた日には大変なことになりそうな予感
460世界@名無史さん:05/01/13 20:39:55
>>459
あ、そうなんだ。俺が持ってるのは世界古典文学全集版で、ちくま文庫版は持ってないんだわ。
世界古典文学全集版の索引では、郭脩と郭循は別々に載ってるから
郭脩と郭循が同一人物だと気づかないのがいるんじゃないかと思って、ああ書いたんだ。
補足サンクス。
461世界@名無史さん:05/01/13 21:40:59
中華書局のと中央研究院しか使えない俺からしたら>>456のは助かるねぇ
462世界@名無史さん:05/01/14 21:19:25
>>458
「循」と「脩」の関係については分かっているのか?
後漢書などを読めば何となくは分かると思うんだが。
それとも「元の名」とはそういう意味なのだろうか。だとしたらすまん。
463456:05/01/14 22:36:12
>>462
魏書(曹芳の詔勅文)には「郭脩」とあり
蜀書には「郭循」とある(但し張嶷伝では「郭脩」)。
「脩」には「修める」の意がある(字の孝先とも関連性がある)。
「循」には「したがう、服従する」の意がある。

こうした事から「郭脩」こそが本来の名であろうと考えて、あのように書いた。

なぜ蜀書に「郭循」とあるか、断言はできないが
「循」の字義から考えて、蜀に降伏した際に名を改めた可能性が高いと考える。
464世界@名無史さん:05/01/14 23:04:35
>>463
陳寿の字が汚かった悪寒(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
465世界@名無史さん:05/01/14 23:31:02
誰が犯人かは知らんが、誤字じゃろ
466世界@名無史さん:05/01/15 00:30:21
>>463
後漢書の集解に以下の通りあるんだけど、これと同じケースではないだろうか。
献帝紀の著者である劉艾は三国時代を生きてはいないので、
あくまでも「同じケース」としか言えないのだけれど。

集解に引く錢大マは説く,
献帝紀でいう「循」は皆「脩」に作る,魏志もまた「呉脩」と作る。もって「脩」と正す為り。
467世界@名無史さん:05/01/15 01:14:19
>>454
魏では郎中に過ぎなかったのに、蜀に降ってからは左将軍まで昇進している。
降ってから左将軍に昇るまでには相当な年月が必要だっただろう。
最初から殺す気なら、もっと地位の低いうちでも、
費イに近づいて殺す機会なんて何度もあったはず。
郭循がヒットマンなら、殺すまで時間掛け過ぎだ。

>>455
死間だったら、
「郎中程度の身分から、左将軍に昇りつめるまで、なにボーッとしてたのよ?」
と言う疑問が残る。

個人的には、
1.郭循凄腕スリーパー説
郭循の降伏は偽降。蜀の軍部内で出世して、魏に機密情報を流す役割だったが、
何らかの理由で任務を果たせなくなったので、行きがけの駄賃に費イを殺した。

2.単に恨みがあって殺した説
郭循は降伏してから、身も心も蜀の臣になりきって、左将軍の地位を得た。
しかし、費イとの間に、どうしても殺さずにいられないようなトラブルが発生。
せっかく得た地位が水の泡になること確実だったので、道連れのつもりで費イを殺した。

このどっちかだと思う。
魏書の郭循マンセーぶりは、
「敵に下って久しい郭循が、魏への愛国心を忘れずに、敵の宰相を殺した。エライ!」
と言う愛国心の宣伝に体よく暗殺事件を利用しただけじゃないかと思ってる。
468世界@名無史さん:05/01/15 01:54:54
スリーパーって何?
469世界@名無史さん:05/01/15 02:05:05
>>468
敵国内に潜伏して、活動しているスパイ。
特別な任務のために潜伏してて、いつもは普通に暮らしてる奴もいれば、
潜伏しながら情報を送り続けることが任務って奴もいる。
470世界@名無史さん:05/01/15 02:16:22
埋伏の計
471世界@名無史さん:05/01/15 10:01:21
単に、何かつまらない理由でカッとなって
思わず殺ってしまったというのも有り得るな。
陳寿は動機を書いてないからな。
472世界@名無史さん:05/01/16 10:20:07
>>467
魏では刺客ってな扱いだよな。
でも、ありうるのは郭循が最初、ちょっとの情報を持って蜀に亡命
→完全な蜀臣となる(魏との連絡を保つ)→情報確保が不可能になり最後の
任務として自ら費イを殺した。
473世界@名無史さん:05/01/18 20:49:47 0
郭循はその後処刑?
黄皓と繋がってた可能性は?(時期が違うかな)
474世界@名無史さん:05/01/19 02:39:02 0
>>473
>郭循はその後処刑?
処刑されたと見るのが妥当だろうね。
宮中で宰相を殺しといて、生きてられるなら、そっちの方がおかしい。

>黄皓と繋がってた可能性は?(時期が違うかな)
そもそも費イ存命中の黄皓はそんな大物じゃないよ。
費イの後を受けて、政権の座に就いた陳祗(予州の人だが、費イ派)が、
宮中への連絡役として使った人物。つまり、費イ死後に旧費イ派が引き立てた人物。
費イ存命中の黄皓は、そもそも政権をうかがう立場に居ない。
475世界@名無史さん:05/01/19 03:39:11 0
費イ派って
そんなのあったっけ?
476世界@名無史さん:05/01/19 03:42:05 0
かめはめ派ならあるよ
477世界@名無史さん:05/01/22 01:03:13 0
殴られたいのか
478世界@名無史さん:05/01/25 19:17:25 0
郭循は姜維の外征の時に降ったと聞いたけど。
うがった見方をすれば、姜維が黒幕かもしれん。
479世界@名無史さん:05/01/26 19:37:39 0
>>478
そう言えば、姜維と一緒に降った人たちもみんな九卿まで昇ってるね。
もしかしたら、蜀の中に雍州・涼州出身者の派閥があったのかもね。
480世界@名無史さん:05/01/26 21:10:12 0
あのころの九卿ってもう名誉職でしょ
481世界@名無史さん:05/01/26 22:21:00 0
>>480
呉の太常は副丞相だよ。
あと、魏の廷尉、大司農はちゃんと実務を担当してるね。
482世界@名無史さん:05/01/26 23:24:50 0
で蜀は?
483世界@名無史さん:05/01/26 23:29:26 0
484世界@名無史さん:05/01/26 23:42:36 0
>>482
長老クラスの文官や高名な学者が就任してるね。
蜀ではどうやら名誉職らしい。
485世界@名無史さん:05/01/27 04:22:34 0
元々、名誉職みたいなものだったろうからね
486世界@名無史さん:05/02/01 16:54:31 0
ほしゅ
487世界@名無史さん:05/02/09 09:30:02 0
廃れとるなぁ
488世界@名無史さん:05/02/12 19:56:02 0
age
489世界@名無史さん:05/02/12 20:54:14 0
質問のなのだが、蜀志趙雲伝で、征南将軍から鎮東将軍に昇進したという
記述があるが、征南将軍の方が位は上なのでは?

それとも蜀と魏とでは同名の役職名でも位が違うのだろうか?
490世界@名無史さん:05/02/12 21:02:42 0
>>481
でも、関羽を裏切った潘濬でも就ける位と聞くとなんか有難味がなさそうに見える。
491世界@名無史さん:05/02/12 21:07:25 0
>>489
国が違えば、官職の序列が違うこともある。
たとえば、呉の四征・四鎮将軍は、高位の雑号将軍並み。
魏や蜀の九卿が兵を指揮することはほとんどないが、
呉の九卿の中には、兵を指揮する奴もいる。

その頃の蜀じゃ、四鎮将軍>四征将軍だったんじゃないか?
492世界@名無史さん:05/02/12 21:20:18 0
>>490
潘濬は関羽と仲良くなかったけど、裏切ってはいないよ。
荊州陥落後は病気と称して引きこもってたけど、
孫権自らの説得に折れて出仕したんだよ。
その後の出世ぶりが目覚ましすぎて、季漢輔臣賛では馬鹿にされてるけど。

呉に降ってからの潘濬は、丞相になっててもおかしくないぐらいの活躍ぶりで、
呉書の他人の伝記の中でも褒められまくりな人物。
太常は裏切りの報酬じゃなくて、実力で勝ち取った地位だよ。
493世界@名無史さん:05/02/12 23:00:25 0
なんで丞相になれなかったの?
494世界@名無史さん:05/02/12 23:54:56 0
>>493
早死にしたから。陸遜が引退するまで生きてたら、
次の丞相は歩隲じゃなくて、潘濬だった。
495世界@名無史さん:05/02/13 00:54:30 0
また一時だけの盛り上がりか・・・
496世界@名無史さん:05/02/13 05:50:21 0
>>482

尚書令じゃないの?
497世界@名無史さん:05/02/14 06:02:35 0
>>479

姜維は別にしても、敵領地の出身者を厚遇するのは政治的パフォーマンス。
馬超は大した功績がなくても地位は高かった。涼州地域に進出を狙っていた
蜀としては当然のこと。
498世界@名無史さん:05/02/14 06:11:30 0
歩隲は魯王派に属して、皇太子派と対立した人物だよね。
ある意味、呉王朝の混乱を招いた中心人物とも言える。
499世界@名無史さん:05/02/17 01:47:38 0
500世界@名無史さん:05/02/17 01:59:03 0
クソゲじゃねーか
501世界@名無史さん:05/02/17 06:14:35 0
ようやく半分かよ!
502世界@名無史さん:05/02/17 21:50:36 0
正史を読んで思うんだが、官僚の評価がいつも辛過ぎないか?
例えば魏書の崔毛徐何鮑司馬伝第十二など。
司馬芝とか、面白いエピソード満載なんだけど。
裴松之の評とか、さらに辛口で、政治家に望んでる次元が
人間レベルではない気がするのですが、これが儒教の伝統って
やつなんですかね??
503永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/17 22:20:49 0
>>502
裴松之と孫盛の基準は、たぶん同時代でも潔癖と評されるレベルであると思われます。
リベラルな陳寿と足して二で割ると、儒教的価値観の一般的なスタンスが見えてくるのでは無いでしょうか?
504世界@名無史さん:05/02/18 18:40:45 0
>>491

魏延は鎮北将軍→征西将軍と昇進。
趙雲は征南将軍→鎮東将軍と昇進。

これだと四征が上なのか、四鎮が上なのか解らない。
もしかすると東南西北によって位が上下するかもしれない。

征東>鎮東>征南>鎮南>征西>鎮西>征北>鎮北みたいに。
505おぎまる ◆JJi5gOTcvk :05/02/19 02:18:30 0
>趙雲は征南将軍→鎮東将軍と昇進。

あのう、これは原文では「建興元年、為中護軍征南將軍、
封永昌亭侯、遷鎮東將軍」なので、昇進ではない可能性も有ります。
漢語の遷には「昇進」「降格」「異動」の三つの意味が有り、
この文は
・征南將軍から鎮東將軍へ昇進
・征南將軍から鎮東將軍へ降格
・人事異動で単に征南將軍から鎮東將軍になっただけ。
の三通りに解釈する事が可能です。
506世界@名無史さん:05/02/19 05:17:28 0
>>505

文の流れから、降格はないしょう。昇進または異動のいずれかだとは思います。
そうすると、四征将軍と四鎮将軍の上下が定かではなくなる。
507世界@名無史さん:05/02/19 17:51:02 0
趙雲って、今ひとつ待遇がよくない。関羽・張飛・馬超が世を去った
あたりで大将軍に任ぜられてもおかしくないと思うが、どうも、不遇
だったような気がして仕方がない。
508世界@名無史さん:05/02/19 17:55:38 0
そか?
509世界@名無史さん:05/02/19 18:01:56 0
全然思わんなぁ
510507:05/02/19 19:12:25 0
あー、今、趙雲のところを読み直してみたけど(徳間書店の)
不遇と言うのは確かに当たらないね…。前言撤回。不適切な
発言をお詫びします。でも、なんか今ひとつ待遇が地味な気
が…。
511世界@名無史さん:05/02/19 19:40:04 0
功績も地味だから待遇も地味だったんじゃないの?
512世界@名無史さん:05/02/19 19:44:41 0
趙雲別伝なんかでは、劉備の呉遠征を反対して国内に残されたなんてエピソード
があるし、言動がかなり真面目で直言を憚らない感じを受ける。劉備は関羽、張飛、
魏延みたいな性格にくせがある人物が好きみたいだな。趙雲みたいな真面目なタイ
プは煙たがられた可能性はあるな。黄権なんかも劉備に作戦上の意見を言って、結
局は別働隊されてしまったし。ほとんどこれと言った実績ないふう習なる人物が呉
遠征の総司令官だったりと、晩年の劉備はおかしな人事をしていたことが伺える。
513世界@名無史さん:05/02/19 19:54:48 0
関張馬黄と一緒の伝にまとめられてるし、「趙雲別伝」があるからなんとなく活躍したイメージが
あるけど、官位の面からみても他の四人より格落ち、魏延より下だしなあ。
514507:05/02/19 20:05:30 0
そんなもんかなー。
趙雲の他に、馬超や黄忠に関することでわからないことも多くて…。
たとえば馬超は、関中での対曹操戦や夷陵の戦いには従軍したのか
どうか、馬超伝には明記されてないし、黄忠は夷陵の戦いで戦死し
たと一般には言われているが、黄忠伝には書いてないし。徳間書店
のV巻「蜀書」しか読んでないから、不勉強とのそしりをまぬがれ
ないね。もっと勉強するよ。
515世界@名無史さん:05/02/19 20:25:17 0
>>514
徳間書店の抜粋版のみでは仕方ないかもしれないけど、
ところどころ「演義」と混同してるよ。
黄忠は病死であるのが明記されてるし、馬超は漢中戦では陽動として
下弁へ侵入したものの曹洪・曹休に撃破されてるよ。

趙雲も「演義」では関羽や張飛とも同格に近い印象をうけるけど、
史実では明らかに位階において明確な格差があるし、事績もむしろ注
に多くが偏ってるからね。
516507:05/02/19 20:33:04 0
>>515
そうなんだー。
馬超の漢中戦での具体的な動きがわかってすごい嬉しい。
黄忠の最期は病死だったんだー・
ご教示ありがとうございます。なんか晴れやかな気分になりましたー。
517世界@名無史さん:05/02/20 00:12:23 0
徳間じゃなくて、ちくま文庫の正史、買って読んだらいいんじゃない?

まともて買ったら高いけど
全8冊だし、一冊づつこつこつお金ためて買ったら
一生懸命大切に読めるだろうし。
518世界@名無史さん:05/02/20 00:24:16 0
八冊まとめてかえば箱が付いてくるぞ。
519世界@名無史さん:05/02/20 01:39:11 0
>503
なるほど。遅レススマソ
裴注は、潔癖とはいえ考証もしっかりしているし、
礼を実現するためには権力者に協力しなければならない乱世において、
大義名分の実行と私利私欲の充実のアマルガムや、目的と手段の矛盾
なりをどういう風に考えているのか興味を惹かれますな。
で、さっき改めて司馬芝を読み直してみたのですが、
徳による礼の教化と法治主義の対立という、
儒家原理と法家原理の兼ね合いを現実面でどうするかとい
う問題がたくさん書いてありました。
曹操が魏国を名乗るということ自体は、儒教からすると大逆ですから、
法家的な考え方をよりどころにして正当化するしかないですよね。
それにたいする裴松之等の考え方はどういうものだったのか、
わかりますか?例えば荀ケ伝では、荀ケは曹操と協力して漢の崩壊を
遅延させた上、簒奪時は節を全うしたので偉大であるという潔癖な評価
であります。しかし曹操の簒奪自体をどういう風に評価しているのか、
またその簒奪の回避しうる可能性についてはどう考えているのか、
気になります。つまらない話題ですいません。


520世界@名無史さん:05/02/20 05:55:55 0
>>513

馬超なんかは大して活躍・功績があったとは思えないがな。
魏延も劉備生存中の活躍は今ひとつ定かではない。当時の評価基準は名声
という漠然としたもののウエイトが高いから、必ずしも功績に応じた評価
とは言えない面もある。趙雲は順平侯という名を贈られているから功臣で
あることは間違いない。
521世界@名無史さん:05/02/20 09:29:09 0
>>515-516
黄忠の死因は病死だろうけど、明記まではされてないのではなかろうか。
522世界@名無史さん:05/02/20 15:42:38 0
>>521
そういやそうですた。
史書には「卒」としかないものね。
523世界@名無史さん:05/02/20 17:38:45 0
馬超の場合、劉備に降ったという事実の宣伝効果の方が大きいのでは?
524おぎまる ◆JJi5gOTcvk :05/02/20 19:14:08 0
>曹操が魏国を名乗るということ自体は、儒教からすると大逆ですから、
法家的な考え方をよりどころにして正当化するしかないですよね。

いえいえ、儒教にも色々ありまして、この頃趙岐が注を書いた孟子
などは、革命を正当な行為として捉えて居ますから、
かならずしも魏建国は悪いことではない。法家のほうが
却って皇帝の権力を絶対視しますから問題かもしれないですね。
それから、簒奪という問題は、あなたがおっしゃるよりは当時の人は
深く考えて居ないように思いますね。
南北朝の儒教はこの手の純粋に政治的な問題よりは
宮崎市定博士がいわれるようにディペートをたのしむ傾向があります。
下手に政治的な話を好むと権力者にやられかねない部分がありますから…
裴松之も儒教的名分論には余り関心がないようですね。
525世界@名無史さん:05/02/20 19:41:20 0
簒奪じゃなくて禅譲でしょ
526世界@名無史さん:05/02/20 20:01:12 0
>>525
政治家におカネをこっそり渡すことを
ワイロと言わず献金というのと同じことだな。
527永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/21 02:17:22 0
>>519
裴松之は完全に儒者の立場の人で、法重視主義を嫌っていたようです。
ただし、魏国建国は完全に儒教の礼に則り、禅譲と言う形式で行われています。
仮に裴松之が魏国建国を大逆と考えているなら、
禅譲の礼を整え、魏国建国に荷担した儒者官僚や儒学者を激しく非難するでしょう。

漢の悪政(漢の失徳)で乱れた中原に曹氏が秩序を取り戻したこと、
禅譲がちゃんとした儒教の礼に則って行われ、漢の皇族も高い礼遇を受けていること、
魏が建国早々から国を傾けるような悪政を行っていないことから、
魏国建国に関しては、さほど問題視していないと思われます。

「禅譲の礼を整えてても、失徳の王朝に代わって世に秩序を取り戻しても、正統じゃない」
と口やかましく言い出す儒学者が、学派を形成するに至るのは、もっと後世の話です。
528世界@名無史さん:05/02/21 02:39:28 0
>>526
つまりワイロと献金の差は「こっそり」なのか?
こっそり纂奪してるわけじゃないから禅譲でいいだろ。
529世界@名無史さん:05/02/21 06:44:23 0
本当の意味での簒奪は晋王朝の司馬氏でしょう。
だから短期間に河北を異民族に占拠された。やはり実力もないのに天下統一
なんかしたからだよ。
530世界@名無史さん:05/02/21 20:11:29 0
司馬懿・司馬師・司馬昭の三人が築き上げた物を一代目で傾かせ
二代目で失墜させたのはある意味凄いが・・・
531世界@名無史さん:05/02/21 20:52:43 0
魏は実力で河北統一をしたが、晋は単なる簒奪者。
司馬懿は確かに切れ者だったけど、曹操みたいに自分が先頭に立って河北統一
なんかは無理だったでしょ。あくまでも優秀な官僚・参謀といったところ。魏
王朝にとって不幸だったのは、二代目・三代目が早死にだったことでしょう。
532世界@名無史さん:05/02/21 21:28:12 0
もし文帝・明帝が長命(とまでいかなくともせめて人並みの寿命)
だったら、その先の魏は一体どうなったんだろうな。史実のような
簒奪(曹爽誅殺〜司馬炎禅譲)や派手な内乱(八王の乱)は当然
無くなるにせよ、異民族の蜂起はどうなるんだろうか。まさか徙戎
策が実行されるはずも無いだろうし。南渡は歴史的必然かな?
533世界@名無史さん:05/02/21 22:04:34 0
どっちにせよ異民族が台頭して中華を脅かす勢いになるのは確実かな?
中原を追われる事態に陥るかは対処の仕方によって変わってくるか
534世界@名無史さん:05/02/21 23:58:39 0
司馬に厳しい意見が多いけど…

三国鼎立から五胡十六国への流れの中で
晋の天下統一ってのは「一時、盛り返した」と見えるのだが。
535世界@名無史さん:05/02/22 06:24:33 0
魏晋南北朝時代は揚子江流域の重要度が飛躍的に上昇した時代だよね。
秦漢時代なら河北統一すればほぼ勝負がついたが、魏晋南北朝時代には
南方も併合しなは天下統一にならない。蜀や呉が魏に対してなんとか持
ちこたえられたのは、天嶮だけでなく、中国南方の経済発展もあるのだ
ろう。
536世界@名無史さん:05/02/23 22:47:23 0
>>534
逆に内乱で中華を混沌に陥れ異民族を流入される結果となった。
別に晋でなくても魏で天下統一は出来たと思ったりする
537世界@名無史さん:05/02/25 06:04:06 0
陳到は名声が趙雲次ぐという割には伝記が無いし、句付も戦功が王平に次ぐという
わりには簡単な記載。呉壱も事跡が伝わっていないので伝記が無い。魏の将軍の朱霊
も曹操に憎まれていたという記載があるかと思うと、結構出世していたりする。全体
的にはどんな事跡の人物か不明だ。
538世界@名無史さん:05/02/26 20:47:44 0
兎に角、資料が少ないから隠れた名将・名臣がかなり居たりするよな。
539世界@名無史さん:05/02/26 21:09:51 0
句付?
540世界@名無史さん:05/02/27 01:25:20 0
>>539
句扶ね。
541世界@名無史さん:05/02/27 10:20:35 0
>>540

確か、句扶は左将軍まで出世したらしい。
王平に次ぐ戦功・功績だったというが、全く具体的内容が見あたらない。

陳式は武都・陰平の平定に功績があるが、全く伝記がない。一節によると
陳寿の父という説もあるが。武都・陰平の二群を平定しているのに完全無視
とはどうしてだろうか。寥化なんかも蜀滅亡まで働いていた将軍だが、大し
た記載がない。
542世界@名無史さん:05/02/27 11:10:08 0
史官を置かなかったからでしょ?
543世界@名無史さん:05/02/27 12:37:11 0
>>541
陳式については陳寿の祖父世代じゃないかと言う話もあるが…。

>>542
正史に史官が登場する箇所があった筈。
形骸化していたかも知れないが。
544世界@名無史さん:05/02/27 14:56:39 0
>>543
後主伝の景耀元年の記事に「史官が云々」というのがあるね。
諸葛亮没後のいつ頃からかに置いたんだろうね。
545世界@名無史さん:05/02/27 20:37:38 0
史官って記録係って事か?
546おぎまる ◆JJi5gOTcvk :05/02/27 20:42:23 0
陳式を陳寿の父とするのは、確か三国志演義の創作ではなかったかと。
陳寿の父の名前は晋書陳寿伝では不明です。

陳到も、季漢輔臣賛というヨイショ目的の文書にしか出てこない
人物ですし、そもそも比較対照の趙雲は陳寿や趙雲別傳の著者がとりあげるまで
かなり無名だったようですね。贈り名も相当後になってから
議題にあがっていますし、魏や呉の史料にもたいしてとりあげられていません。
蜀の武将の有名どころは、関羽・張飛・諸葛亮といったところで、
それ以外の武将は軒並み無名です。そもそも蜀という国そのものが
ひどく無名の国家で、中原に名前が知れたのは陳寿以降だったりするので
致し方ないところでしょう。
547世界@名無史さん:05/02/27 20:54:53 0
>蜀という国そのものがひどく無名の国家で、中原に名前が知れたのは陳寿以降

って時々聞きますけどどソースは何なんですか?
548世界@名無史さん:05/02/27 21:36:15 0
いくらなんでもそれはないだろw
549世界@名無史さん:05/02/27 21:52:29 0
>>547
度忘れしたが、「中原(魏)の人が呉とか蜀という国があると知ったのは、陳寿が『三国志』を著してから」というのはなにかの文書に書いてあったはず。
550世界@名無史さん:05/02/27 23:30:42 0
>銭大キンの『ベン疑序』に「(当時の中原の)人士、魏有るを知りて、蜀呉の有るを知らず。
>承ソ(陳寿)の書出でて(初めて)三国の名を正す。」との記述

銭大キンって誰?
551世界@名無史さん:05/02/27 23:36:44 0
>>550
銭大キンは清代の有名な考証学者    …だったよな
552世界@名無史さん:05/02/28 05:28:32 0
>>546
> 季漢輔臣賛というヨイショ目的の文書にしか出てこない

内容を見れば非難されてるだけの人材もいるぞ。


> 贈り名も相当後になってから

関羽や張飛、黄忠、馬超もずっと後になってからだがな。
趙雲は彼らより1年遅いに過ぎない。
没後からの年数で言えば趙雲が一番早く諡号を贈られたとも言えるw
553世界@名無史さん:05/02/28 16:05:08 0
関羽、張飛、馬超は中原の名士に漠然とした人気があったからな。
だから高い位階だったとも言える。陳寿の評価が彼らの名声とは対照的に悪い。
黄忠、趙雲の陳寿の評は、前漢の功臣を引き合い出すほどだ。黄忠は夏侯淵を
討ち取るという大殊勲があったから関羽らと同列に評価されたと言える。
554世界@名無史さん:05/02/28 22:40:00 0
演義だと劉備は、献帝に使いを立てて勅許を貰ってから正式に漢中王として認めてもらっていたけど
勿論フィクションであって、劉備の漢中王即位は自称だよね?
555世界@名無史さん:05/02/28 22:51:51 0
>>551
仰る通り

>>552
546を肯定する訳ではないが、『非難』も『ヨイショのうち』だろうね。
556世界@名無史さん:05/03/01 14:48:09 0
>>553

順平侯という諡号は蜀のみのオリジナルだよね。
557世界@名無史さん:05/03/01 20:24:20 0
>>554
びみょー
558世界@名無史さん:05/03/02 14:36:56 0
最強の聖闘士は精神攻撃に耐性がある人だよ。
よって シャカ、サガ、カノン、一輝、童虎が最強候補だな。童虎も精神攻撃に
耐性があるかは不明だが、たぶんあるだろう。
559世界@名無史さん:05/03/02 15:26:14 0
最強はデスマスク、蟹座の俺が言うんだから間違いない。
560世界@名無史さん:05/03/03 10:44:26 0
なんで、星矢の話しが出ている?
561世界@名無史さん:05/03/03 12:16:45 0
放置しておけ
562世界@名無史さん:05/03/08 20:48:18 O
結構キャラ的に(マンガやゲーム)好きな夏候淳(曹操)や紀霊(猿術)って何が原因で死んだの?
563世界@名無史さん:05/03/09 03:11:57 O
二人とも殺された
犯人はヤス
564世界@名無史さん:05/03/09 05:15:20 0
夏候淳は曹操に信頼され、かなり出世したはずだが。
565世界@名無史さん:05/03/09 06:44:12 0
いきなりスレのレベルが光栄の
三国志武将ファイル以下に・・・。
566世界@名無史さん:05/03/09 09:19:22 O
武将ファイルはそんな馬鹿にできないだろ

今のこのスレとは比較にならん
567世界@名無史さん:05/03/09 09:57:42 0
武将ファイルはバカにしてもいいと思うが
568562:05/03/09 10:19:05 O
>>563〜567 スレ違いスマソ…正史を元に作られたマンガってあるんですかね?
正史に関してはどちらかと言えば知識があんましありませんので覚えたいとは思ってますが正史のマンガ分からないもんで。(孔明は戦闘に対する知識があんまりなかった。周倉は存在していない程度)
569世界@名無史さん:05/03/09 11:31:01 O
とりあえず
>孔明は戦闘に対する知識があんまりなかった。
はダウト
正史でも、いや正史でこそ歴戦の将軍だから
570世界@名無史さん:05/03/09 12:07:38 O
>>668サン そなんすか?本のあとがきに、孔明は戦闘知識が並外交内政に長けていたと書いてあったので…またスレ違いすが赤兎馬や的廬は正史上には登場すんですか?
571世界@名無史さん:05/03/09 12:58:42 0
>>570
メンドクサイ奴だな
三戦板行けよ
572世界@名無史さん:05/03/09 13:19:56 O
>>570
戦闘知識とやらが剣の使い方みたいのを言うなら、せいぜい並だろうな
しかし兵、軍の指揮や作戦立案なら、当時屈指の名将と言っても過言じゃないかもな

何の本かしらんが、鵜呑みにはしない方がいいな
三国志モノは売れるから粗製濫造
573世界@名無史さん:05/03/09 14:25:48 0
諸葛亮は軍事が得手でなかったというなら「正史」の評で間違いない。
>>572のいう当時屈指の名将というのは疑問。戦歴が豊富というなら胴衣。
574世界@名無史さん:05/03/09 15:09:10 0
劉備がひとりで襄陽に行った時に、劉gが棗桃梨を勧めて逃げるように促した、
という話を使ってる小説ってありませんか?
575世界@名無史さん:05/03/09 16:45:50 0
釣られてやるsage

なにコレ?
576世界@名無史さん:05/03/09 16:57:09 0
釣りだろ
577世界@名無史さん:05/03/09 17:01:32 0
age
578世界@名無史さん:05/03/09 18:30:16 O
北伐だって戦場は敵地で兵は敵より少ない中で
負けなかったんだから充分優秀だと思うが?
むしろ兵力が多く自国の領地で戦っているにも拘わらず
相手に繰り返し遠征を仕掛けられた司馬イが名将扱いなのが意味が分からない
まあ小国に滅ぼされなかった点を考慮すると馬鹿な将ではなかったみたいだけど
諸葛亮は天下を統一した古今の名将ほどのバイタリティーはなく
司馬イは国を滅ぼした愚将ほど馬鹿ではなかったくらいで
両者とも軍事面の比較のうえでは諸葛亮>司馬イだと思うけど両者ともそれほどの名将とは思えん
579世界@名無史さん:05/03/09 18:36:46 0
陸遜のほうが上
580世界@名無史さん:05/03/09 18:40:35 0
>>578
司馬懿が毎回相手してたわけじゃなかったと思うんだけど・・・
581世界@名無史さん:05/03/09 18:55:17 0
>>578
そういう事はチラシの裏に(ry
582世界@名無史さん:05/03/09 19:08:59 0
>>578
公孫氏征圧や猛達征圧は無視ですかそうですか。
583世界@名無史さん:05/03/09 19:26:45 0
たけし達制圧は無視ですよそうですよ。
584世界@名無史さん:05/03/09 19:36:09 O
>>584
世界史レベルならそうかもね
ただ、北伐を撃退した司馬イが下になってるのはなぜ?
585世界@名無史さん:05/03/09 20:19:37 0
もうメチャクチャだねw
混乱の計でもかけられたか?
586世界@名無史さん:05/03/09 20:23:25 0
諸葛亮なんてカスだよカス
587世界@名無史さん:05/03/09 20:24:09 0
激しく既視感
588世界@名無史さん:05/03/09 21:31:59 0
司馬懿>法正>>(文官上がりの壁)>>孔明だろ
589世界@名無史さん:05/03/09 21:47:36 0
まあでも、王平伝の祈山の戦いでは、司馬懿と張合ともに蜀軍に攻撃をかけたど、
撃退されたと思わせる記述がある。漢晋春秋では魏軍は大損害を出したと書かれている。
孔明と仲達の直接対決はどうやら孔明優勢だったようだ。
590世界@名無史さん:05/03/09 21:49:55 0
どうでもいいけど、漢晋春秋みたいなネタを信じるのは無条件にはやめろよな、
591世界@名無史さん:05/03/09 21:54:23 0
>578
魏の当事の戦略目標は蜀漢軍の侵攻を防ぐ事であって、蜀漢に侵攻することではない。
蜀漢軍と戦わず、蜀漢軍の食料が尽きて撤退してくれればそれでOK。
その辺りの戦略目標を現地指揮官として十分に把握し、達成した司馬懿は三国時代では曹操に次ぐくらいの名将。
戦略目標を把握せず、やみくもに戦闘を求めて破滅した指揮官も多いのだから。
遼東や孟達の時も素晴らしい軍事行動だったし。
そんなのを相手にして、局地戦ながら五分に渡り合った諸葛亮も三国時代では名将の1人と言えると思う。
まあ、司馬懿>>>>諸葛亮だと思うけど。
592世界@名無史さん:05/03/09 22:39:33 0
>>578はベタな釣りくらいに思っといた方がいいと思うんだけど。
593世界@名無史さん:05/03/09 23:20:50 0
まぁ
管仲・楽毅>>>>>>>>>>>>>孔明
はガチ
594世界@名無史さん:05/03/09 23:57:13 0
>>588
法正みたいな一発屋を出すなよ・・・


諸葛亮は迎撃戦、撤退時の反撃等、野戦では相当強い

ただ、計略や策略が必要な攻城戦はあまり成果があがらなかったようだ
というか、戦略的に撤退せざるをえない事態に追い込まれててしまった
595世界@名無史さん:05/03/10 00:19:48 0
ていうか578の論点は相手より多い兵力で自国の領地で戦いながら小国勢を負かす事が出来なかったから孔明>司馬懿としたんだろ?
普通、戦略がどうあろうと小国がのこのこ出てきて兵力もこちらが多いとなれば相手国に打撃を与えるチャンスになりうるのに
実際には出張ってきた軍勢さえ兵力の損害は街亭以外ではまともに与えられなかったってことは孔明が余程の名将か
司馬懿がたいした将ではなかったってことじゃないか?
まあ曹真なんかも含めて魏の領土を侵食されなかった点では普通
蜀を侵略または蜀軍に打撃を与えられなかったのも普通でそんなに優秀とは思えない
596世界@名無史さん:05/03/10 00:35:41 0
戦わないのも戦いのうちって事だろうけど…。
まあ実際戦闘になったら蜀が勝ってたのかもしれないね。
敵が全力で攻めてきたのなら、それは相手を叩く絶好のチャンス。
しかも相手の総大将が陣没までしてるのに…。
それをみすみす逃したのは司馬懿の能力不足と言われてもしかたないね。
597世界@名無史さん:05/03/10 01:26:34 O
>>595
「戦略がどうあれ」なんて前提がおかしい。
戦う必要が無いのに戦う奴は名将ではない。
598世界@名無史さん:05/03/10 06:25:22 0
孔明は遠征を繰り返しても政治混乱を招くことはなかったな。
姜維なんかと比べると格段に優れていることがわかる。それに大敗もしなか
ったしね。兵数の数では劣っていても、野戦では対等以上だった。不利な条
件でよく戦ったというのが正当な評価かな。司馬懿が「奇才なり」と言った
のは褒めすぎではないよ。
599世界@名無史さん:05/03/10 07:32:33 0
>595
>597の意見が全てを語ってるんだが・・・。
北伐における蜀漢の兵力は、五丈原の役以外は、ほぼ同数。(陳倉に関しては圧倒的に蜀漢が上)
だから、軽率に戦闘に訴えれば「篭って、撤退を待つ」と言う戦略的に優位な立場を自ら捨てる事になる。
第一次北伐は蜀漢側が戦略的に優位に立つ直前に馬ショクのミスから魏側が街亭で勝利して、これを覆したもので、状況が違うけど。
北伐って言っても個々の状況は違うけど、魏の基本戦略が「篭って、撤退を待つ」だから、現地指揮官としてはそれを基本にするしかない。
実際、自軍の損害はほとんど出さずに済む訳だし。それに反して、蜀漢側は遠征軍ってだけでも相当な負担になってる訳です。

>596
敗走する敵を追撃するのは良いだろうけど、撤退する敵を追撃するのは危険。
その上、上でも書いたが、基本的には撤退してくれればOKな訳だから。


600世界@名無史さん:05/03/10 08:40:54 0
>>594
劉備が蜀漢Get出来たのは法正の働きが一番でかいだろ
莫大な労力を費やしてやっと辺境2郡の孔明と比較にならない
601世界@名無史さん:05/03/10 09:32:37 O
一発屋は言い過ぎだろうけど、順番言い出すとキリないぞ
602世界@名無史さん:05/03/10 17:05:25 0
昨日のNHKの番組面白かった?
603あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/10 20:02:54 0
二階堂善弘さんは次のように言ってます。
「んで、昨晩NHKの「その時、歴史が動いた」が『三国志』特集なので、
「トリビア」とザッピングしながら見てました(笑)。
金文京先生が出てたのでビックリ。
まー、前にやった『三国志』特集はヒドかったすからねえ。『三国志』と
『三国演義』がごっちゃになちゃって(涙)。
今回は、批判があったのでしょうか、ちょっとマシになっています。
「小説では」という言い方で、史実と区別してましたからね。
でも映像は、相変わらず大陸のドラマ『三国演義』だったなあ・・・・。」
二階堂さんのサイト
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/tubuyaki14.html
このサイトで二階堂さんの写真を見た叔父「イヤーすごくはげちゃったな、
大修館のイベントで話したのがもう10年くらい前だから無理ないか」
604世界@名無史さん:05/03/10 20:18:31 0
おまえの叔父の話なんて(ry
605世界@名無史さん:05/03/11 01:16:17 0
清岡美津夫さんは次のように言ってます。
>私も見ましたよ。まぁ前回(2001年8月22日)とVTRが同じなんでつっこみどころが同じ
>になってしまうんで、ちょっとだけ。
>よくよく考えてみると、赤壁の役で風向きが記されている史書って三国志じゃなく三国志の
>注に引く「江表伝」ぐらいですよね。
>風向きをああいう番組で取り上げるほどのことじゃないし、ましてや諸葛亮が外交以外で
>戦争に関与したと誤解を与えかねない構成にするのは問題有りのような気がします。
>
>あと、前回と違う点、スタジオ収録につっこみをいれてしまうんですが、紙はあの時期、
>書写材料としてそんなに普及していなかったようですね、「木簡・竹簡の語る中国古代」によると。
>あの地位でああいう発言をされると、単純に信じる人多数で「文学畑の人だから」とすまないような
>気がします。
>
>まぁ、ささいなことですかね。諸葛亮が赤壁で曹操の軍と孫権の軍を戦わせた、
>みたいな意味の発言の方がやばいですかね。
606世界@名無史さん:05/03/11 06:49:16 0
>>599

祈山の戦いで、撤退する蜀軍を追撃して張合が戦死している。
その前にも蜀軍に攻撃をかけて撃退されている。司馬懿にしては冴えない
采配だった。
607世界@名無史さん:05/03/11 07:05:35 0
>606
張コウの件は司馬懿の失策だったね。
司馬懿自身、総司令官と言う立場が初だった事で経験不足なトコがあったのかも。
608世界@名無史さん:05/03/11 08:46:55 0
蜀軍が撤退する以前の戦闘に失敗したので、挽回したい気持ちはあったかもな。
609世界@名無史さん:05/03/11 11:42:04 0
>>605

呉は国内世論が抗戦派と降伏派の二派に分かれていたので、諸葛亮が孫権の意志を
抗戦に固めさせた効果はあったと思う。
610世界@名無史さん:05/03/11 12:37:32 0
蜀は主力軍だけど魏は一方面軍じゃないの?
611世界@名無史さん:05/03/11 17:49:26 0
>>609
魯粛と周瑜は?
612世界@名無史さん:05/03/11 18:24:54 0
>>611

張昭ら降伏派もいたわけだから、諸葛亮の弁舌で抗戦派が勢いづいたのは
にだろうか。
613世界@名無史さん:05/03/11 18:40:50 0
>>612
同盟は孫権・魯粛の方がイニシアチブを取っていたようだし、
周瑜の威信名声と諸葛亮が比較になるとも思えないけどなぁ。
614世界@名無史さん:05/03/11 19:03:04 0
諸葛亮伝の内容は無視ですかそうですか。
615世界@名無史さん:05/03/11 19:13:14 0
>>614
両方見た上でだよ
616世界@名無史さん:05/03/11 19:24:44 0
>>613程度の印象で簡単に一方の内容を否定できるとは・・・
617世界@名無史さん:05/03/11 19:27:38 O
荊州に強いコネを持つ劉備の部下諸葛亮が行くことで、
孫氏軍閥に戦勝後の荊州支配と劉備の助力を保証したんだよ
行った時点で目的は果たされたわけだ
618世界@名無史さん:05/03/11 19:34:32 0
>>616
君も他方を読んだほうがいいよ…
つか注でもそこら辺は指摘されてるよね。

>>617
諸葛亮がそんなに強いコネを持ってたと?
しかも赤壁の後、曹仁を追い返すのに結構時間かかってるような
619世界@名無史さん:05/03/11 19:40:02 0
>曹仁を追い返すのに結構時間かかってるような

だから?
620世界@名無史さん:05/03/11 19:59:02 0
約束は必ず守られると信じてる>>618は善人ってとこかな?
621世界@名無史さん:05/03/11 20:11:09 0
>>620
約束を破った割には孫権と劉備の同盟関係は壊れていないような
劉備も利得してないよ
そもそもその約束の根拠は?
622世界@名無史さん:05/03/11 20:14:36 0
三戦板で(ry
623世界@名無史さん:05/03/11 20:20:02 0
約束を破れば即絶交と信じる>>621はやっぱり善人だな
624世界@名無史さん:05/03/11 20:24:05 0
脳内設定を史実と信じてしまう>>623は病気の人?
625世界@名無史さん:05/03/11 20:28:39 0
脳内設定を史実と信じてしまう>>624は病気の人?
626世界@名無史さん:05/03/11 20:41:43 0
どっちもどっち
627世界@名無史さん:05/03/11 21:34:02 0
劉備借荊州
628世界@名無史さん:05/03/11 22:36:41 0
話が噛み合ってないな
ジサクジエンか?
629世界@名無史さん:05/03/11 23:02:06 0
呉とすれば曹操と対決するリスクを負う以上、勝利した場合の利権もハッキリとさせなけらばならない。(でないと、豪族連中を納得させられない)
その利権とは、自国上流域の荊州でしかないが、人的資源に乏しい呉は、仮に曹操に勝ったとしても独自に荊州を獲得・維持する自信が無い。
そんな状況で、荊州に7年在住し、それなりに荊州に対して影響力のある劉備陣営から提携を提案され、荊州確保の目途がつき正式に開戦を決定したんじゃないかな。
魯粛が劉備に提携を持ちかけたのが先にしても、あくまでも魯粛の私見を述べたのであって、呉国(国と言うのは変だが)としての正式な提携申し込みではない。

孫権自身は魯粛の言う出自等から開戦に前向きだったろうけど、豪族連中を説得するのが難しかったんだろうね。豪族連中は上が孫家だろが、曹操だろうがどっちでも良かったんだろうし。
630世界@名無史さん:05/03/11 23:34:25 0
>>629
現に曹操の大軍が荊州にいて、降伏論が高まってるのに、
実力も正当性もない敗残の劉備と提携しただけで
開戦に一転するほど、荊州確保の目途がつくとは思えない
631世界@名無史さん:05/03/11 23:37:26 0
>実力も正当性もない

とする根拠は?
632世界@名無史さん:05/03/11 23:43:25 0
推測や誤認が多い
そういうのは三戦板でやるべきでは?
633世界@名無史さん:05/03/11 23:56:49 0
>630
少なくとも、開戦論者にとっては開戦した場合(開戦した場合は勝つのが前提)の利点にはなるでしょう。荊州確保が比較的容易になる、ってね。
それに、当事の劉備の勢力は一見、侮れないよ。
実際に戦闘に動員出来る兵力はともかく、関羽・劉奇の兵力を併せれば数字の上では2万程度にはなるから。
周瑜が当初要求した5万は与えられず、3万しか用意出来なかった呉としては推定2万と言う数字は無視出来ない。
勝てば、人口(兵力)難の呉に2万の戦力が+される訳です。(あくまでも理屈だけどね)

634世界@名無史さん:05/03/11 23:58:17 0
>632
推測・誤認ってどの辺?
635世界@名無史さん:05/03/12 00:16:05 0
>荊州に強いコネを持つ劉備の部下諸葛亮
これの根拠は?

>豪族連中を納得させられない
>孫権自身は魯粛の言う出自等から開戦に前向きだったろうけど、豪族連中を説得するのが難しかったんだろうね。
>豪族連中は上が孫家だろが、曹操だろうがどっちでも良かったんだろうし。
降伏派は豪族ではない

>劉備陣営から提携を提案され、荊州確保の目途がつき正式に開戦を決定したんじゃないかな。
>魯粛が劉備に提携を持ちかけたのが先にしても、あくまでも魯粛の私見を述べたのであって、
>呉国(国と言うのは変だが)としての正式な提携申し込みではない。
魯粛が伝えたのは魯粛の私見ではなく孫権の意向
何をもって正式な提携申し込みではないというのか?

>実力も正当性もない敗残の劉備と提携
正当性というのがなにかは分からんが孫権にとって劉備は漢との繋がりを持つ上でも重要
636世界@名無史さん:05/03/12 00:22:50 0
また釣り師か?
637世界@名無史さん:05/03/12 00:24:28 0
>孫権にとって劉備は漢との繋がりを持つ上でも重要

漢室との繋がりというなら、なにも劉備に頼らんでも劉基がいるじゃないか
638世界@名無史さん:05/03/12 00:28:46 0
>>637
血じゃない
639世界@名無史さん:05/03/12 00:32:52 0
地位か?名声か?
640世界@名無史さん:05/03/12 00:34:39 0
地位
641世界@名無史さん:05/03/12 01:50:46 0
>>635
>荊州に強いコネを持つ劉備の部下諸葛亮

これってどこに書いてるの?見当たらないんだが・・
642世界@名無史さん:05/03/12 02:17:49 0
643世界@名無史さん:05/03/12 04:15:27 0
スレ伸びてると思ったら
三戦板からの出張ですか…。
644世界@名無史さん:05/03/12 08:29:07 0
>>635
>孫権にとって劉備は漢との繋がりを持つ上でも重要

朝廷に上表できれば、曹操相手に開戦を決意して納得させられるほど、
荊州確保の見込みがつくの?
645世界@名無史さん:05/03/12 09:11:36 0
>635
>荊州に強いコネを持つ劉備の部下諸葛亮
これの根拠は?
これは俺が書いたんでないので・・・。

>降伏派は豪族ではない
降伏派の代表格が張昭なので、そうおっしゃるのだろうが、東呉の内向きの事を統括している立場の張昭からすれば、東呉で非常に強い影響力を持つ豪族連中の意向は無視出来ず、東呉を纏めて行く立場
から降伏を勧めたと思われる。出自から来る自身の将来展望が降伏しても不利にはならない、と言う点もあるだろうけど。

魯粛の件は、孫権の意向に沿ってたのは確かだろうけど、あくまで孫権個人の意向であって、東呉政権としての正式なものではないと思うが。(実際、諸葛亮がやってきた時も議論の真っ最中な訳だし)
孫権個人の意思=東呉政権の意思ではないから。

646世界@名無史さん:05/03/12 11:26:38 0
>>635,>>645
降伏派、抗戦派、どっちも豪族ばっかりなんだが?
無意味な論戦だな
647世界@名無史さん:05/03/12 17:25:21 0
>>641
蔡家と姻戚じゃなかったっけ?
648世界@名無史さん:05/03/12 18:09:32 O
カイ氏、ホウ氏、黄氏など
それらの姻戚も加えればかなりのもの
649世界@名無史さん:05/03/12 18:22:44 O
荊州支配には荊州牧が欲しいところだが、当時の呉には適格者がいない
劉キか劉備を擁立するしかないわけだ
650世界@名無史さん:05/03/12 21:02:40 0
反論できないと「釣り?」「三戦板逝け」という煽りしか出来ないカス
651世界@名無史さん:05/03/12 21:07:10 0
釣られてやるsage
652世界@名無史さん:05/03/12 21:11:45 0
スレと関係ないんだけどさ、俺「釣り」とか「釣り師」っていうのは、

 釣り師 ↓     .
           /| ←竿
     ○  /  |
.    (Vヽ/    |
    <>     |
゙'゙":"''"''':'';;':,':;.:.,.,__|_________
             |
  餌(疑似餌)→.§ >゚++< 〜
                 の組み合わせだと思ってたんだけど、

最近自称釣り師がダイレクトで自分の本音を攻撃されて「釣れた!」とか
言ってるの多いよね。
 これは、どっちかというと、

          ,〜〜〜〜〜〜 、
|\     ( 釣れたよ〜・・・)
|  \    `〜〜〜v〜〜〜´
し   \
゙'゙":"''"''':'';;':,':;.:.,.,  ヽ○ノ
          ~~~~~|~~~~~~~ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                 ト>゚++<
              ノ)

かと思うんだけど、どうよ?
653世界@名無史さん:05/03/12 21:27:54 0
どうも
654世界@名無史さん:05/03/12 22:09:30 0
>>652
そういう話は三戦板でしてくれ
655世界@名無史さん:05/03/12 23:08:49 0
>646
周氏等も有力な豪族だが、全体として、降伏論者の豪族が多かったのではないかな?
656世界@名無史さん:05/03/13 05:43:48 0
豪族多くは主君より自分たちの土地や財産が大事。
当時の情勢としては、降伏派が多かったとしても不思議はない。
657世界@名無史さん:05/03/13 06:37:32 0
>>656
呉書に書いてあることを、今更大発見したように書かなくても
658世界@名無史さん:05/03/13 12:02:23 0
ここも三戦板住人、または正史の知識が一般の三国志ファンよりあるだけで性格・精神年齢は
厨坊並みの香具師が多くなったな。
659世界@名無史さん:05/03/13 14:20:00 0
>>658
お前が原因でな
660世界@名無史さん:05/03/13 14:46:02 0
このスレの人は三国志好きなの?
661世界@名無史さん:05/03/13 15:05:33 0
ううん、煽りが好きなだけw
662世界@名無史さん:05/03/13 15:25:50 0
>>658
一番レベルが低い奴発見
663世界@名無史さん:05/03/13 16:02:21 0
出遅れ感が強いが

赤壁前の議論で抗戦派は周瑜と魯粛あと朱治といった面々、降伏派は張昭と秦松を筆頭に大多数、そして中心に孫権。
このなかで豪族は呉の孫権と廬江の周瑜と丹楊の朱治くらいではないか?
張昭、秦松、おそらく降伏派であったと思われる張紘、陳端(生死も不明だけど)は違うし。
呉の四姓といわれる豪族の中で意見を言えそうなのは陸績くらいだろうけど明らかに力不足。
降伏派っぽくて意見の言える豪族って会稽の虞翻ぐらいではないかな。
664世界@名無史さん:05/03/13 16:57:42 0
>>663
はぁ?
史書に名前が載ってない奴は存在してないわけですかw
そんな呉をどうするかみたいな重要な時期に、有力豪族がまったく意見出さないわけないだろ。
665世界@名無史さん:05/03/15 00:39:48 0
集解読もうぜ!
666世界@名無史さん:05/03/15 00:44:49 0
売ってねーよ!
667世界@名無史さん:05/03/15 02:30:12 0
関東近郊在住なら神田神保町へ出れば間違いなく入手できるし、地方在住者でもネットで
通販してる専門店はなんぼでもあるがな。

今は6000-8000円ぐらいか。
668世界@名無史さん:05/03/15 06:19:04 0
>>664

有力豪族は自分たちの土地と財産が保全できればそれでよかった。
強い曹操と戦って自分たちの財産が失われる危険性がある戦いには消極的。
魯粛は有力豪族は曹操が勝っても財産とある程度の地位は保全できるが、
新興の孫氏は降伏すれば、地位も財産も保証がないことを指摘して、孫権
に戦うことを勧めた。
669世界@名無史さん:05/03/15 11:46:52 0
正史の関連する伝で軒並み「降伏論が強かった」と書かれていることは無視ですか?
豪族云々言ってる奴は何が言いたいの?
670世界@名無史さん:05/03/15 11:49:57 O
俺は669が何を指摘したいのかわからん
671世界@名無史さん:05/03/15 12:43:57 0
認めたくないものだな釣られてやるsageというヤツは
672世界@名無史さん:05/03/15 21:22:09 0
>>517-518
正史を勉強したくてこのスレを読んでいたらちくま文庫のが良いとのことで
早速amazonで検索してみたんだけどちょっと気になったことがあるので教えてください。

筑摩書房から文庫でセットになって売り出されてる12,600円のやつで良いんだよね?
バラで売ってる方を見ると「ちくま学芸文庫」となっているので「子供向け?」という不安が。
レビューを読むと子供向けっぽくないので大丈夫だと思うのですが、
せっかく買うのに皆さんがオススメしている物と違うのは切ないので・・・。

お手数ですがご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただけると嬉しいです。
673世界@名無史さん:05/03/15 21:26:23 0
>>672
なんで子供向けと想像したのか、そこを知りたい
674世界@名無史さん:05/03/15 21:34:51 0
「学芸」ってきくと「学芸会」みたいな子供向けのイメージがあったので・・・。
あと子供向けの本(の出版社名など)に「学芸」ってついてるものが多いような・・・。
ごめんなさい、二つとも根拠は全くない偏見です。
もちろん「学問や芸術」という意味なのはわかってるんですけど、
なんか感覚的に染み付いてるものなので・・・。

ちなみに「子供向け?」という部分が言いたかったのではなく、
「ちくま文庫」と「ちくま学芸文庫」と微妙に違っていたので、
オススメされてた本と違うということはないよね?と不安になってしまったのです。
これで大丈夫でしょうか?
675世界@名無史さん:05/03/15 22:26:35 0
>>674
・・・、 え?ああ、ちくま学芸文庫で合ってるよ
676世界@名無史さん:05/03/15 22:36:07 0
書虫で本場の三国志買えばいいんじゃないの?
677世界@名無史さん:05/03/15 22:54:20 0
嫁ぬ
678世界@名無史さん:05/03/15 23:05:15 0
三国志(全五册)-二十四史
中華書局
3430円(税込.送料無料)
679世界@名無史さん:05/03/15 23:22:58 0
>>675
ありがとうございます。安心しました。
・・・これを機会に偏見を改めます。
680世界@名無史さん:05/03/20 17:26:15 0
堀江=董卓
リーマン=呂布
村上=華雄
日枝=曹操
奥田=劉備
681世界@名無史さん:05/03/20 22:05:54 0
日枝=袁術
堀江=孫策(悪い意味で)

682世界@名無史さん:05/03/20 22:45:56 0

日枝=李カク
堀江=郭シ
女子アナ=献帝
683世界@名無史さん:2005/03/21(月) 21:53:37 0
陳寿の自序がなぜか佚文になってしまったということだが
伝写の作業を行う時にはもう無かったんじゃないかなぁ
684世界@名無史さん:2005/03/21(月) 22:20:21 0
陳寿の自序があるなんてどこから聞いた?
685世界@名無史さん:2005/03/22(火) 17:02:31 0
現在の三国志は全部で65巻だが、舊唐書の經籍によると
陳寿の三国志は魏書30巻・蜀書15巻・呉書21巻で呉書が1つ多かったらしい。
その1巻が陳寿による自序だったのではないかと言われている。
686世界@名無史さん:2005/03/22(火) 18:24:42 0
新唐書でなく舊唐書?
687世界@名無史さん:2005/03/22(火) 18:27:08 0
て、どっちでも同じだったかスマソ
688世界@名無史さん:2005/03/22(火) 18:40:41 0
晋書陳寿伝65巻
華陽国志陳寿伝65巻
隋書経籍志65巻
689世界@名無史さん:2005/03/22(火) 23:43:54 0
自序というより後世の人が何かを補った物じゃないのか?
690世界@名無史さん:2005/03/23(水) 11:03:30 0
三戦で聞いたけど回答ないので……

三国志魏書武帝本紀を見ると、「太祖の先祖は黄帝より出ている。黄帝の子孫が
曹の国に封ぜられ(中略)本家は今でも、曹の地に領地を持っている」
と書いてあったのですが、魏の治世下でこの本家はどういう扱いを受けていたんでしょうか?
691世界@名無史さん:2005/03/23(水) 12:23:01 O
その引用が武帝紀冒頭の注なら、引用が間違ってるな
692世界@名無史さん:2005/03/23(水) 12:55:41 0
堀江=劉備
田村=関羽
桑谷=張飛
浅野(真)=簡雍
浅川=趙雲

…その堀江じゃない? こりゃまた失礼しました!
693世界@名無史さん:2005/03/23(水) 21:07:52 0
>>690
三国志集解によると、
本家の当主であった曹稜なる人物が、
漢魏の禅譲直後に城陽王に封じられてますな。
694世界@名無史さん:2005/03/23(水) 21:24:24 0
曹氏って元々血は繋がってないのにそこまでするか?
695世界@名無史さん:2005/03/23(水) 21:34:39 0
>>694
血が繋がってないからこそ、そこまでするんだよ。
自分の家柄の古さをアピールするためにな。
696世界@名無史さん:2005/03/23(水) 21:45:07 0
夏侯、曹氏,世為婚姻
697世界@名無史さん:2005/03/23(水) 23:27:22 0
曹芳は結局誰の子なの?
698世界@名無史さん:2005/03/23(水) 23:52:09 0
>>697
武衛将軍曹爽
699世界@名無史さん:2005/03/24(木) 00:24:03 0
そりゃあないよ君。
700世界@名無史さん:2005/03/24(木) 00:27:08 0
曹爽が親なら、曹爽が殺された時点に廃立されていただろうな。
しかし混乱していたとはいえ親の出自が分からない皇帝ってなんだ…
一説にはかなりの迷君であったことは間違いないらしいが…
701世界@名無史さん:2005/03/24(木) 01:08:42 O
彼の義理パパ曹叡は曹氏かどうか怪しいし、曹操は母がわからないし、曹嵩はコジキのガキかもしれないし
702世界@名無史さん:2005/03/24(木) 01:17:52 0
或云任城王楷子
703世界@名無史さん:2005/03/24(木) 07:55:36 0
>>702
それも確証のある説ではない。
704世界@名無史さん:2005/03/24(木) 10:43:16 0
筑摩書房 正史三国志 全8冊セット \12,600-
買ってしまいました・・・
705世界@名無史さん:2005/03/24(木) 11:00:28 0
>>704
もれも持ってる。三国志好きなら後悔しないんじゃないかな。
706世界@名無史さん:2005/03/24(木) 21:23:20 0
神保町の古本屋で5,000円で買った俺は微妙?
707世界@名無史さん:2005/03/24(木) 21:29:05 0
古本ってフケとか鼻糞とかついてるんでしょう?
漏れはちょっといやだなぁ。
708世界@名無史さん:2005/03/24(木) 22:02:50 0
>>707
それはおまいの本の扱い方では・・・?
個人的にはハードカバー3巻のほうも欲しいんだけど
709世界@名無史さん:2005/03/24(木) 23:51:31 0
中華書局のを買えば安くてウマー
710世界@名無史さん:2005/03/24(木) 23:58:50 0
>>709
いずれ欲しくはなるだろうがはじめっから持っててもしょうがないものではある。
まあある程度の漢文読解能力があればそれだけでもかまわないんだが。
711世界@名無史さん:2005/03/25(金) 00:05:29 0
中央研究院の電子文献と中華書局のってどこか違うの?
712世界@名無史さん:2005/03/25(金) 00:17:27 0
>>711
一緒だよ。ただ中央研究院のは重要な漢字が文字化けするんだよね。「衛」とか「衆」とか
713世界@名無史さん:2005/03/25(金) 00:17:53 0
中央研究院の底本が中華書局本だから基本的には一緒。ただし

・big5で表示できない文字は外字を入れないと表示されない。
・ところどころ入力ミスがある。
714711:2005/03/25(金) 00:24:40 0
>>712-713
解説多謝
715世界@名無史さん:2005/03/25(金) 00:49:39 0
>>713
外字ってどうやっていれるの?
716世界@名無史さん:2005/03/25(金) 20:39:34 0
>>715
気合いだ、ヴォケ!
大概の事は気合いでどうにかなる。
717世界@名無史さん:2005/03/25(金) 21:56:34 0
718世界@名無史さん:2005/03/25(金) 22:06:33 0
719世界@名無史さん:2005/03/25(金) 22:37:49 0
通りすがりですが、感謝です。m(__)m
720世界@名無史さん:2005/03/27(日) 00:38:38 0

少し違うかもしれんが中国の話で

ある男が野ざらしにされた骨を埋葬してやると、夜中に女性が訪ねてきて
「私は楊貴妃です。埋葬してくれてありがとうございます。お礼に・・・」
とHする。
それを聞いた別の男がうらやましく思い同じように野ざらしにされている骨
を埋葬すると、その骨は張飛のもので・・・(ry
721世界@名無史さん:2005/03/27(日) 01:06:02 0
>>720
土に埋もれかかったドクロを憐れに思った男が供養してやろうとそのドクロを拾ってきた。
するとその夜、誰か訪ねてきたので「誰だ?」ときいたら
「フェイ・・・妾は妃(フェイ)、楊貴妃と申す者でございます。
何百年も野ざらしになっていたところ見つけ出していただきありがとうございまする。
亡霊の身ではお礼の品もありませぬゆえせめて一晩、夜伽のお相手をつかまつりとう存じます」
というわけでその夜は夢のような一夜をすごしたという。

これを聞いた別の男が「よし俺も楊貴妃を抱くぞ!」とあちこち探してようやくドクロを
みつけ、もってかえった。さてその夜。さっそく誰かが訪ねてきた。「誰だ?」
「フェイ・・・拙者は飛(フェイ)、張飛益徳と申す者でござる。
何百年も野ざらしになっていたところ見つけ出していただき誠にかたじけない。
亡霊の身ではお礼の品もなきゆえ僭越ながら、それがしの尻をお貸し申そう・・・」
722世界@名無史さん:2005/03/27(日) 21:30:25 0
それ、出典なに?
723世界@名無史さん:2005/03/27(日) 21:50:39 0
稗史あたりか
724世界@名無史さん:2005/03/27(日) 21:52:09 O
笑府じゃマイカ?
725世界@名無史さん:2005/03/27(日) 21:52:23 0
えと俺は720や721ではないが笑府です
俺が読んだのは
妃(フェイ)じゃなくて后(ひ)、
飛(フェイ)じゃなくて飛(ひ)、だった。
まぁ中国読みでも日本語読みでも通じるからどっちでもいいんだけどね
あと関羽の話もある周倉があるいて一日1000里を逝く
セキトバについてくるのを可哀想と思った関羽が
周倉に一日900里を走る馬は与えた
が、一日で100里二日で200里遅れるので馬を捨てようとしたがもったいないので
馬を担いで周倉が走って関羽を追いかけるといった話。
726世界@名無史さん:2005/03/27(日) 22:12:23 0
>>721
なるほど、それが古典落語の「野ざらし」の原典なんだな。
727世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:39:43 O
728世界@名無史さん:2005/03/29(火) 05:50:22 0
誰か頼む教えてくれ!!
正史を深く正確に知るにはどの本がいい!?
俺は本当の三国志が知りたいんだ〜!
729世界@名無史さん:2005/03/29(火) 05:56:58 0
>>728
正史を深く正確に知りたいんだったら、
最初っから正史読みゃあいいじゃん。

・・・という意地悪はさておき、良質な正史本と言えば、

・『三国志 きらめく群像』 高島俊男 ちくま文庫
・『図解雑学 三国志』 渡邉義浩 ナツメ社

やはりこの2つがオススメ。
730世界@名無史さん:2005/03/29(火) 06:47:52 0
>>729
ありがとう!おまえいいやつだな。
731世界@名無史さん:2005/03/29(火) 08:49:57 O
石井仁の「曹操」がイチ押しだな
732世界@名無史さん:2005/03/30(水) 04:28:48 0
図解雑学 三国志』 渡邉義浩 ナツメ社
ってやや小さめの本で解説の絵が沢山載ってる
図解雑学シリーズの本でしょうか?
733世界@名無史さん:2005/03/30(水) 06:42:14 0
>>731
石井仁の『曹操』、なかなか本屋に売ってない・・・。
大学と市の図書館にも置いてなくてビックリ・・・。
出版社(新人物往来社)がマズかったのかなぁ・・・。

まぁ、入手難度は、栗原益男の『乱世の皇帝』(桃源社)や、
船木勝馬の『古代遊牧騎馬民の国』(誠文堂新光社)ほど
じゃないにせよ・・・。(良著を絶版のまま放置すんなや・・・。)
734世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 15:37:39 0
『三国志集解』の内容は、裴注込みの陳寿三国志に、清代の注釈研究を加えたもので、
裴注にも益して様々な書物からの補記がなされているそうです。
うーん、これの訳本があれば、資料としては最強かも…。


らしいですが、三国志集解の信用性はどれぐらいなんでしょうか?
今更な話かもしれませんが教えて下さい・・・
735世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 17:58:48 0
>720
それ、水滸伝の補作者が書いたやつだね。出典は明の「笑府」。下品な話が多いので
批判されているんだよなあ、その本は。
>728
まあそれ以前に、正史三国志は本当の三国志と信じるのはいけないねえ。
三国時代直後に書かれた信頼性の高い史料に過ぎない。
正史にだって誤りはあるしネタも有る。チョウコウが三度死ぬ代わりに
劉辟が二度死んだりするし、邪馬台国がらみの年号がまちがったりしているし、
曹真の功績がすっぽかされたりしているんだよ。
そういう話を聞くと、「シナの歴史なんか捏造だ!」なんて短絡的に考える人が
出て来るんだが、そういうものではない。六十巻もある史料でそのくらいしか
ミスが無いのはすごいことなんだ。太田牛一の信長公記の誤りの多さに比べれば
神の領域だといえるんだよ。まあ、どんな本でも盲目的に信じないようにね。

>『三国志集解』の内容は、裴注込みの陳寿三国志に、清代の注釈研究を加えたもので、
裴注にも益して様々な書物からの補記がなされているそうです。

裴松之注と集解とは似て非なるもので、裴松之はいっぱいあった史料の抜書き
に終始したのに対して、盧弼は注釈の類の抜書きに専念しているんで、
目新しい史料が記載されているわけではない(そもそも盧弼はかなり最近の
人なので目にすることが出来た資料は我々と大差ない)。
736世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:38:54 0
>曹真の功績がすっぽかされたり

詳細ヨロ
737世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 21:09:34 0
>チョウコウが三度死ぬ代わり

ハァ?どこにかいてんだ?
738世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 22:23:27 0
どのチョウコウだろう
739世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 22:28:54 0
張儁乂は吉川?
740世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:17:26 0
>>737
おそらく吉川三国志のようにチョウコウが三度も死ぬことはないが、劉辟が二度死んでるということを言いたいと思われ。
741世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:25:21 0
水関とか虎牢関とかって正史を探しても見つからないんだけど、これって演義オリジナル?
それとも見落としてるだけ?
742世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:26:12 0
俺も知りたい>曹真の功績
743世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 11:39:56 0
>>740
あの稚拙な文で理解できるおまえは天才か>>935の自演
744世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 13:37:46 0
サイコガンダム「おまえは私に乗った…
  おまえは私のパイロットになるのだ…
  おまえがパイロットだ…
  おまえは達人になった…
  おまえはモビルスーツの達人だ…
  おまえは誰よりも強い…
  わたしを使って殺すのだ…」
フォウ「ベン・ウッダーもブランも死んで当然の野郎さ!
  おまえもブッた切ってやりたくなったぞ」
ナミカー「な…なんだと…お…おいフォウ!
  や…めろ…い…いったいどうしたんだ
  やめろ!ヒーーーーーッ」
サイコガンダム「カミーユを殺せ!
  シャアをブッた切れ
  アムロをミンチにしろッ
  おまえは達人だ…
  モビルスーツの達人だ
  誰よりも強い なんでも潰せる!」
745世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 13:38:08 0
誤爆だ…吊って来ます。
746世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 22:20:09 0
壮絶な誤爆だ・・・・
747世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:55:19 0
前には聖闘士星矢が登場し、今度はガンダムかよ。
三国志の話しはどうしたんだ?
748世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:58:55 0
Zガンダムは三国志
さしずめ赤壁はゼダンの門
749世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:01:39 0
呉の甘寧が215年12月病没というのは本当なんでしょうか
建康実録という地方史に書かれているそうですが
この実録は信用できる史料なんでしょうか?
東方書店だと十三万円もするので、手が届かず・・・
750世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 12:21:36 O
744はむしろジョジョネタであろう

地方志の信頼度・・・
小泉首相の信頼度と同じくらいだろうな
751世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 12:56:58 0
華陽国志とかも?
752世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 14:25:33 O
成立年代等にもよる
753世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 16:58:11 0
うろ覚えだが、華陽国志ほどの信頼性は
無いんじゃなかったっけか?<建康実録
754世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 17:11:58 O
森首相の信頼度に準じる
755世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 18:19:25 0
森ワロス
信頼性10%
756世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 19:32:34 0
M首相語録
757世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 19:34:14 0
建康実録はそれほど信じられないでFA?
758世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 22:12:59 0
>>749
そんなのあるの?
759世界@名無史さん:2005/04/05(火) 09:54:00 0
>>749
甘寧の死亡時期は呉書の誰の伝だったか忘れたが、
関羽討伐と夷陵の戦役の間に「甘寧が死去すると云々」という記事があったから、
三国志を信じる限りおそらく220〜221くらいの出来事であって215年とはちょっと時期がずれるね。
まあ三国志の他の記事をすべて把握してるわけではないので別の記述もあるかもしれないけど。
760世界@名無史さん:2005/04/05(火) 10:04:35 0
以前、ちくま学芸文庫の正史三国志を買ってしまったものですが
意外と読みやすくて驚いてます。

ちなみに、俗に言う魏志倭人伝は、
魏書の末尾にある、東夷伝がそれでしょうか?
761世界@名無史さん:2005/04/05(火) 12:13:00 O
そのとおり

一般的な表記に従うと
いわゆる魏志倭人伝は、

三国志魏書東夷伝倭人条

となるよね
762世界@名無史さん:2005/04/05(火) 13:07:38 0
>>761
dクス!
さっそく読んでみようと思います(*゚∀゚)=3
763世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:34:08 0
>>759
正史だと甘寧の死亡時期は不明じゃなkった?
また演義ではイリョウの戦いで戦死しているが
死んだ場所に甘寧廟が演義が書かれる以前にあったので
実は演義の死因が正しい説もある
764世界@名無史さん:2005/04/06(水) 01:55:20 0
>>763
>実は演義の死因が正しい説もある

それは聞いた事が無い
765世界@名無史さん:2005/04/06(水) 05:53:41 0
>>763
ちょっと調べなおしてみた。
甘寧伝には記述がないけど、藩璋伝にそれらしい記事がある。
関羽討伐で臨沮で関羽を斬った記事のあとに
「甘寧が死去すると、さらにその配下の軍をも併せて指揮した」
とあり更に夷陵の戦役の記事に続く。
これを見る限り甘寧の死亡時期は220、221頃だと思われる。
766世界@名無史さん:2005/04/06(水) 11:24:03 0
>>765
記事の順番はちゃんと年月どおりになっているものかな?
767世界@名無史さん:2005/04/06(水) 12:28:56 O
普通はな
というかそうでないと歴史書の体裁を成さないって思わないか?
実際には混乱してるものもあるが、それはあくまで例外、誤りであって、全てがそうだというものではないよ。
768世界@名無史さん:2005/04/06(水) 16:20:08 0
丁奉は凄くない?
活躍の期間がやたらに長い。

蜀では寥化かな。ただ、寥化は活動期間が長かっただけのような気もするけど。
769世界@名無史さん:2005/04/06(水) 16:31:31 0
なんだいきなり・・・
770世界@名無史さん:2005/04/06(水) 19:02:20 0
>>766
ちくまの訳文読むくらいしか出来ないへたれだが、少なくとも時系列から外れた出来事であることを示すような文言はなかった。
文脈的にも215年に甘寧が死んでその兵を吸収したのなら219年の関羽討伐の時はその兵も率いてるわけで、それなら普通は関羽討伐の前にその記事を持ってくるんではないかな?
倒置法的な使い方の可能性も皆無ではないけど。

>>768
単に蜀書の記述が少ないだけだよ。
魏書には陰平の太守、督広武も兼任かどうかわからんが務めてるが、として姜維らとともに郭淮ら相手に戦って武功も上げてる記事もあるし。
十分活躍してるよ。
771世界@名無史さん:2005/04/06(水) 19:09:52 0
結局、何時死んだんだよ>甘
772世界@名無史さん:2005/04/06(水) 21:59:58 0
曹操の墓は結局見つかってないんだっけ?
773世界@名無史さん:2005/04/07(木) 00:10:04 0
話が飛び飛びだ
774世界@名無史さん:2005/04/07(木) 00:14:37 0
つまり、建康実録はでたらめばっかり?
775世界@名無史さん:2005/04/07(木) 00:22:45 0
他の記述も比較してみないことにはそう簡単には決め付けられないだろ
776741:2005/04/07(木) 12:33:22 0
あの、水関とか虎牢関とかは正史に出てくるんでしょうか?演義オリジナルなんでしょうか?
777世界@名無史さん:2005/04/07(木) 16:13:14 0
検索すれば?
778741:2005/04/07(木) 21:06:27 0
すいません。ググっても分からなかったので質問してます。
779おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2005/04/07(木) 22:04:48 0
建康実録は中国史上最も優れた文献ガイド「四庫全書総目提要」では
以下のように記述されていますね。原漢文ですが訳して見ましょう。
【建康實録二十卷】
唐の許嵩の撰なり。書中に六朝の事(底本一字欠)が書かれている。
呉大帝から陳の後主まで,凡そ四百年のことである。(中略)
自序では「今正傳を質(ただ)し,かたわら遺文をとり,君臣行事を
つぶさにす。(中略)」云々と謂っている。
広く典拠を引用しており、多くは正史に記載されていない事実で、
唐以來、六朝の遺事を考える者は、多く参考にしてきたものである」
(以下略)

地方志の中ではそれなりの史料価値を持つものです。

>虎牢関
地名の虎牢なら春秋左氏伝の杜預集解・三国志文帝紀に出てきますね。
ただ、虎牢関という名称が登場するのは北宋大中祥符四年(西暦1011年)で、
この歳に慶関と改称したことが続資治通鑑に出てきます。もっともその後
また虎牢関と改名した模様で、1378年には朱元璋配下の常遇春がモンゴル
騎馬軍団をここで粉砕しています。
ttp://kankouha.cool.ne.jp/yiji/huabei.htmlでは
「秦代に「虎牢関」が置かれた」というような記述が有りますが、
当時有ったとおぼしいのは虎牢城です。これは穆天子伝に出て来るそうですから
やけに古い城です。南北朝の頃は司州刺史の居城で、資治通鑑によれば
200日間の篭城戦を耐え抜いた堅城だったと言いますから関という
規模ではないですね。シスイ関のほうはよくわかりません。
780世界@名無史さん:2005/04/07(木) 22:59:58 0
>>778
虎牢関

虎牢城は779氏の言うように周穆王の頃からあったとされ、春秋時代にはすでに鄭国の防衛拠点として重用されています。
(なお唐代に編纂された、もしくは唐代の史料による文献では武牢となっています。唐初代皇帝の祖父の諱を避けたためです。)
水は洛陽東方、河南郡を流れ、黄河に注ぐ河川です。

各正史の地理志を当たってみますと
晋書 「成皐県(関有り。鄭の武牢)」
魏書(北魏ね) 「西成皐県(〜水・成皐城有り)」
隋書 「水県(古くは成皐県と言った。つまり武牢のことである)」
旧唐書
「水県(武徳四年、(ケイ陽郡から成皐郡を分離)分かれて成皐県を置く。
貞観元年、廃止して水県に併合。鄭州に属す。顕慶二年、分割して洛州に所属。
治所を武牢城に移す〜)」
新唐書
「鄭州ケイ陽郡、〜治所は虎牢城」
「水県(〜。虎牢関有り。東南に成皐故関がある)」
とあります。
成皐・水・虎牢の中心はほぼ同一の場所で、そこには堅固な虎牢城があり、また成皐関があったことも確認できます。
虎牢城と虎牢関なるものは別物というのも予測できます。
地理志になかったのでパスしましたが、新唐書沙陀伝(唐のホントに末頃の記述)から宋史岳飛伝までの間に
水関の名も何度か出てきています。
虎牢「関」の成立年代はちょっとわかりませんでしたが。

虎牢関は779氏の通り、元・明の頃まで現役ですので、三国演義が成立してゆく過程で成皐関、水、虎牢城での戦闘を、
水関や現存の虎牢関を舞台にしたものとも考えられるような気もします。

781世界@名無史さん:2005/04/07(木) 23:09:37 0
追記(長々とすんません)
各正史の()内は注釈分の訳です。
後、成皐県・水県の治所(=虎牢城?)は水の東沿岸近くにあり、同一のものです
782世界@名無史さん:2005/04/07(木) 23:10:23 0
ごめん。東沿岸じゃなくて西沿岸
783世界@名無史さん:2005/04/07(木) 23:35:57 0
一人でスレ汚ししててごめんなさい。ちょっと気になったもので。
三国演義で華雄が斬られたのが水関だったと思うのですが、
実際には陽人県。洛陽の結構南方です。水は東方。全然別の場所。

また徐栄が曹操を迎撃したのがベン水で水より東、ケイ陽郡です。
ということは、洛陽東方に進出してきた諸侯軍が董卓撤退以前に水まで進出できてたのかどうか?
黄河の南でケイ陽を押さえずに、その西に進むのは困難と思われます。
また水辺りを先に押さえていたとすれば、むしろ窮地に陥っているのは徐栄の方になってしまいます。
上記の理由で、孫堅が水の方面に来ていたとも思えませんので、南方の袁術と東方の諸侯が
合流している可能性はかなり低そうです。
王匡らは黄河以北で撃退されているので、ここまでは来ていないでしょう。

とすると水関・虎牢関の戦いなんて起こりようがなく、場所的には実在の地名をもとにしていても
創作みたいなものじゃないかという気もしてきました。
784世界@名無史さん:2005/04/07(木) 23:44:24 0
>>779
>多くは正史に記載されていない事実

そうだったんですか、甘寧はやはり215年12月に病死したんですね
ありがとうございました。
785世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:24:08 0
>>784
おいおい。なんでそういう結論になるんだ?
史料価値はそれなりにあるということとそこに記載されてることは事実であるというのは等価じゃないぞ?
786世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:38:11 0
>>783
>場所的には実在の地名を元にしていても、
>創作みたいなものじゃないかという気もしてきました。

その通り。演義の編纂者である羅貫中自身は山西の人だが、
その『三国演義』の編集に際して元ネタにした諸三国志本のうち、
華北の地理に不案内な華南の人の手によるものがあったらしい。
そして何ぶん古地名ゆえ、華北人の羅貫中も記述の矛盾に
気付かず、そのまま取り入れてしまったらしい、とのこと。
787世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:44:29 0
>>785
別にいいんじゃない?少なくとも

>甘寧はやはり215年12月に病死したんですね(建康実録に明記)
から
>甘寧の死亡時期は220、221頃だと思われる。(潘璋伝からの推測)

までの間に甘寧の生存を裏付けるような記述はないんだろ。
788世界@名無史さん:2005/04/08(金) 03:15:06 0
建康実録を信じるなら
甘寧廟も信じてみないか?
789世界@名無史さん:2005/04/08(金) 09:00:48 0
>768
陳到もけっこう長く生きてない?
790741:2005/04/08(金) 17:36:30 0
>>779-783
「水」「虎牢(城)」という地名としては存在するけど、
「水関」「虎牢関」が存在するという記述は当時の史料にはないということですね。
どうもありがとうございます。
791世界@名無史さん:2005/04/08(金) 18:25:22 0
>>787
甘寧は216年の濡須の戦いに参加しとるから215年没は怪しい
792世界@名無史さん:2005/04/08(金) 20:01:59 0
>>791
参加してたっけ?それは演義での話ではないのか?
793世界@名無史さん:2005/04/08(金) 20:55:41 0
>>789

陳到は謎の人物だよな。
劉備が予州にいた時代に随行したらしいが。官位・名声は趙雲に次ぐとのことだが、
伝記もないし、具体的な活躍の記述もない。趙雲のように諡号を贈られたた訳でもない。
名声は趙雲と同等でも、功績は差があったのだろうか。それに何時死んだかも記載がない。
794世界@名無史さん:2005/04/08(金) 21:00:25 O
蜀には明らかに高位に昇ったはずでもろくに伝記が残っていない奴が多いからね
795世界@名無史さん:2005/04/08(金) 21:29:54 0
>>793
常に留守を守るという重大な役目をしていたが
第一線にはほとんど出なかったとかかもね。
796世界@名無史さん:2005/04/08(金) 21:38:15 0
伝を立てられるのはどのような人物なのか
その伝の内容はその人物の全活躍でもないだろうし
規準が分からないなぁ

陳到はどこぞの名家陳家の一族で名声が主なウリだったんだろうか?
あの許靖もそんな感じだったような
797世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:06:29 0
なんで平原の県令ごときが徐州太守になれたの?
798世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:11:07 0
>>796
>名家陳家の一族で名声が主なウリだったんだろうか?

予州で陳姓ってこたぁ、あの潁川陳氏出身だったってこと?
まぁ、全くその可能性が無いわけでもないだろうが・・・。
799世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:17:35 0
>>797
劉備は平原県の県令代行から、
平原国の相(太守相当)に昇進してる。

>>798
陳到は汝南の人。潁川出身ではない。
800世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:28:11 0
なんで県令代行が太守になれたの?
801世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:36:16 0
太守って州単位じゃなくて郡単位じゃないか?
あと劉備は豫州刺史(後に牧)となったが徐州刺史(あるいは牧)にはなってはいなかったような?
勿論徐州も手に入れてはいるが。
802世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:40:55 0
名声=功績ではないんだよね。

関羽は1人で一万人と戦えると賞賛された程の名声だが、荊州失陥という大失態を
犯している。馬超も名声は関羽に次ぐ程だけど功績はたいして無し。逆に黄忠は名声
は関羽・張飛・馬超に劣るけど、蜀平定・漢中平定で大きな功績をあげている。

趙雲は陳到と同じ程度の名声(大した名声ではない)だったが、諡号を追贈される程の
功績を上げたということだろう。
803世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:47:41 0
陳宮って汝南の人じゃなかった?
804世界@名無史さん:2005/04/08(金) 23:20:11 0
>>803
陳宮は東郡の人。
頼むから、ちくま版正史三国志ぐらいは読んでから書き込んでくれ。
805世界@名無史さん:2005/04/08(金) 23:25:44 0
>>800
戦功を立てて県令代行から相に昇進した。
頼むから正史読んでから書いてください。

>>801
確かに徐州刺史(牧)にはなってないな。
後に鎮東将軍の官位を得ているから、徐州支配の名目は得たのだろうが。
(陶謙は安東将軍)
806世界@名無史さん:2005/04/09(土) 00:19:25 0
ちょっとスレ違いな事を書きますが
武将名の辞書登録などはよく見ますが
荊州などの地名や南鄭侯などの位などを登録した辞書とかはないのでしょうか?
あると思うのですがグーグル検索しても見つからないです。
あれば教えていただけませんか?
807世界@名無史さん:2005/04/09(土) 00:37:32 0
>>806
変な角度からマジレスしますと、私もそういった辞書は見たことないんですが、
歴史を専門でやってる方でない限り、歴史的地名を網羅して登録してしまうのはお勧めしないです。
地名を完全に登録すると、通常の文章打つのが大変になると思いますので、
出しづらい漢字を含む地名だけ、自分で登録した方が良いです。
808世界@名無史さん:2005/04/09(土) 10:00:10 0
>>800
オマエはアホかと。
あの当時は、有力者が自分の部下や味方を上表or独断で官職につけていた時代。
劉備の昇進は、実質的に公孫瓚の指名だ、ボケ。
809世界@名無史さん:2005/04/09(土) 18:27:31 0
>>800
>>808
ついでに言えば、前の平原相は荀ケの叔父で董卓の政策で八十数日で三公になった荀爽。
その直後に反董卓連合騒ぎで青州への中央権力の指揮が一時的に断絶して後任任命が不可能になった状態だから、
公孫瓚の任命には当然の理があった。
810世界@名無史さん:2005/04/09(土) 18:49:32 0
陶謙→劉備
の過程には絶対に裏があると思う。
徐州が劉備の軍閥化してしまって、やむを得ず譲ったとか。
811世界@名無史さん:2005/04/09(土) 19:13:26 0
同じDQN同士気があったんだろ
812世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:21:42 0
>>810
陶謙は女囚は劉備でないと任せないといっただけで
譲ってないよ
813世界@名無史さん:2005/04/09(土) 22:01:11 0
陶謙って、幽州の刺史だたから、そのへんで繋がりはあったんじゃないの?
814お邪魔します:2005/04/10(日) 11:09:30 0
「三国志ビギナーにお勧めは何?」とニュー速で質問したら「ナムコの3」
との答えをいただきました。

同じ質問をここの方々に答えて頂きたいのです・・・。
815世界@名無史さん:2005/04/10(日) 17:47:06 0
陶謙が幽州の刺史だったのって黄巾の乱以前じゃなかった?
むしろ、最近言われている陶謙=公孫瓚傘下という繋がりでは?
もっとも、公孫瓚と劉備を距離的に切り離すために袁紹も支持したらしいがな。
816世界@名無史さん:2005/04/10(日) 18:11:47 0
>814
演義ならSWEET三国志
正史ならちくま文庫のヤツ
お金がないなら、過去ログに書いてあるヤツ
817世界@名無史さん:2005/04/10(日) 19:53:43 0
陳舜臣『中国の歴史』の3って手もあるな。古本で見つけりゃ三百円くらいだ。
818世界@名無史さん:2005/04/10(日) 19:58:53 0
>>814
ナムコの3ってなんだ?
2までしかでてないんじゃなかったっけ?
819世界@名無史さん:2005/04/10(日) 20:02:54 0
陶謙が幽州の刺史だったってどこに書いてあんの?
820世界@名無史さん:2005/04/10(日) 20:06:31 0
ストップ劉備君&GoGo玄徳君なんかいかがでしょう?
少々やおいの気がありますが。
821世界@名無史さん:2005/04/10(日) 20:14:50 0
>>819
正史
822世界@名無史さん:2005/04/10(日) 20:25:00 0
>陶謙は女囚は劉備でないと任せないといっただけで

    /⌒ヽ
   / =゚ω゚)=3 ムッハー!
  ⊂      つ
   ヽ ∩ /
  / /\ \
 (_)   (_)
823世界@名無史さん:2005/04/10(日) 22:13:49 0
>>819
正史陶謙伝
ついでに劉焉の幽州刺史は演義の創作だが、隣の冀州刺史には就任したことがある。
824世界@名無史さん:2005/04/10(日) 23:22:16 0
>815
徐州の黄巾賊が出たから、と書いてあるだけで、黄巾の乱から、とは書いてない。
825世界@名無史さん:2005/04/11(月) 01:42:52 0
すまん、刺史と州牧の厳密な違いを教えてくれ。
ソースもお願い。
826世界@名無史さん:2005/04/11(月) 01:45:32 O
厳密な違いは無いよ
牧の方が位が高いだけ

無いからソース出しようがない
827世界@名無史さん:2005/04/11(月) 01:48:48 0
つ[いかり甘辛お好み焼き]
828世界@名無史さん:2005/04/11(月) 01:50:33 0
尚寵は凄い武将なの?
829世界@名無史さん:2005/04/11(月) 01:50:59 0
アリガd
「厳密な違いは無い」=ほぼ同じ職掌
と捉えて良いわけですね。
となると、ほぼ同じ仕事をしているのに
位(官位?俸?)が違うのは何故なんでしょうか?
ご存じないですか?
830世界@名無史さん:2005/04/11(月) 04:08:34 0
牧は監察だけじゃなく軍事行政権もあるんだろ。
831世界@名無史さん:2005/04/11(月) 06:47:11 0
州刺史から軍権を剥奪して、完全に民政官として定義し直した魏の
後期以降は、役割的には「○州牧=○州刺史+都督○州諸軍事」
という認識で合ってる?(というか州牧自体見かけなくなったような。)
832世界@名無史さん:2005/04/11(月) 07:58:55 0
州牧は黄巾の乱以後に賊によって官舎が襲撃されるのを防ぐために
劉焉の進言によって新設させたんだよね確か。
833世界@名無史さん:2005/04/11(月) 08:08:23 0
刺史ってのはその地に常駐するんじゃなくて視察にくるんじゃないの?
査察官でそ?
834世界@名無史さん:2005/04/11(月) 08:36:58 0
もうやっぱり中国も韓国も民度が著しく低いよね。無駄に人口ばっかり増やしてコンドームも付けずにセックスする国はやっぱり国際社会とは逆行してる。

もう一回、攻めて占領してやろうか?日本製品不買運動?どうせするなら一生日本製品は買うなよ。この日本のコピー民族が。 

やっぱりある程度日本がアジアを統治しないと駄目だな。ノータリンの国が多いから。戦争反対?ここは「陛下」の国なんだよ。「神」の国なんだよ。

戦後GHQの国民教育戦略に騙された心の歪が「誤った平和信仰」を生み出し、その副産物として「サヨク」や「似非反戦主義者」が湧いてきた。

自分の国に愛と忠誠心を持てないなんて悲しい。まずは学校教育から見直さないと。現職教師がサヨク思想で洗脳されている現状、困難を極めるが。

「国家」「国旗」を子供達に正しく認識させることが学校教育の根幹であり基本である。そこから反対なり賛成なり始めればよい。

なんといっても「民主主義」の国だから。教育のいり口から「国家崇拝」「愛国精神」「天皇陛下」を否定した思想を教え込んだんじゃあ北朝鮮・

中国・韓国の反日教育とまったく同じだろ。

なに不自由ない社会に守られて自由になに不自由なくスクスク育ってきた世代が「反戦」って戦争も知らない世代が過去を批難するんじゃないよ。

お前らが批難している日本の過去の過ちのお陰で今の平和がある。簡単に誘導されて先人の功績を踏みにじるなよ。近隣諸国は数十年前の対戦中

となにも変わってない恐ろしさが解らんか?中国も韓国も顔で笑っているが日本からの援助目的に尽きるんだよ。金の切れ目が縁の切れ目。

奴らにとっては「日本人」は敵以外何者でもないことを忘れるな。

835世界@名無史さん:2005/04/11(月) 12:40:53 O
>>833
名目はね
事実上、三国志の時代には行政長官からさらには領主化してたね。
王や皇帝と違い、刺史や牧を世襲する正当な根拠はないはずなんだが・・・
836世界@名無史さん:2005/04/11(月) 18:41:18 0
ってか、いくらなんでも>>826の答えはひどいよーな
837世界@名無史さん:2005/04/11(月) 19:32:19 0
刺史は後漢末に、大きく権力を強め役職ですかな。
刺史自体が強くなったというか、将軍職を併せることによって、
軍権を持つようになったからだけど…

ところで質問なんだけど、
後漢末、刺史や太守が群雄化するにあたって、
朝廷はその軍事力を追認する形で将軍職を与えたのか、
刺史や太守が軍事力保持を正当化するため将軍職を自認したのか、
どっちが先だったんでしょう?
838世界@名無史さん:2005/04/12(火) 16:54:30 0
とあるサイトで「三国志時代の戦は歩兵、騎兵、戦車」って言ってた人がいたんですが
この時代ってもう戦車はすたれてましたよね?
あまりに自信がありそうだったんでちょっと疑問に思ったんですが。
839世界@名無史さん:2005/04/13(水) 12:38:09 O
指揮官が乗る馬車としては残っていたのかもしれないが、兵種として分類できるほど使われてはいなかった
だいたい非効率的だしな
貴族が自費で戦争に参加してた時代のものだよ、戦車は
840世界@名無史さん:2005/04/13(水) 20:36:37 0
>837
後漢後期に刺史に替えて牧を設置してるでしょ。
刺史は本来監察官みたいな役割で行政権は全く無い。
実際の地方行政・軍事は「郡県制」って言うくらいで、郡太守が持つ。
その郡太守の目付役が刺史って感じかね。だから、刺史と郡太守はほぼ同格

黄巾の乱以降、中国全土で大小の叛乱が頻発し、郡太守の職権では対処出来ないので(郡太守の職権は郡内の叛乱にしか適用出来ないが、当事の叛乱は郡の管轄を越えて広がっていたため)、
郡の上に州単位で、行政・軍事を統べる職務を設置したって事。
結果的には、黄巾の乱以降、中央政府の統治能力・威信が激しく低下していたため、州牧が自立化し群雄割拠の状況に陥った訳だけど。

将軍職については与えられて無いような・・・。
群雄化した州牧を懐柔するため、中央を牛耳っていた群雄が将軍職を与えた、って感じだと思うけど。
後は例があるか分からんが、ある地方(州)の制圧を命じられ、将軍に任命された人物が、その地方の制圧後そのまま州牧に就任した場合、以前からの将軍職も保持した、って事はあるかも。
841世界@名無史さん:2005/04/13(水) 21:12:43 0
陶謙は193年に徐州刺史になってるみたい
ちくま文庫の年表にはそう書いてある。
842840:2005/04/13(水) 22:32:55 0
>841
併置だったみたいだね。
叛乱等の影響が大きかった地域を州牧に改めたらしい。
843世界@名無史さん:2005/04/14(木) 04:28:25 0
こんな質問したら笑われるかもしれませんが
黄祖は騎士馮則に討たれると書いていました。
騎士馮則というフルネームなわけないですよね
他の人物を見ても騎士って出てきません。
なぜ彼だけ騎士という称号が与えられてるのででしょうか?
844世界@名無史さん:2005/04/14(木) 05:21:01 0
>>840
>刺史と郡太守はほぼ同格

そんなことはない。いや建前ではどうだったのかもしれないが
刺史というのは恐ろしいものでその権威はまさしく「皇帝陛下の代理人」。
刺史がくるとなると郡県は何日も前から大騒ぎとなり、領内のヤクザは
すべて牢におしこめ庁舎は掃き清め書類を整備(改竄?)し、
善政を讃美するエキストラとして多くの民を高級で雇い、
山海の美味と領内の美女を揃えて待ち、接待の宴会と地元観光が続き
何事もなく刺史が帰った後には太守は血の小便がでたという。

845世界@名無史さん:2005/04/14(木) 07:46:26 0
>>843
なにも「騎士」は称号というわけではなく、『三国志』な中でも散見できる語です。
馮則ひとりに与えられたものではなく、「呉書」の「呉主伝」にばかりあるわけでも
ありません。
「魏書」ばかりか他の史書にも多くみられる語です。

「騎士」というのは「騎(乗する)士」の意味合いで捉えて問題ないと思われます。
846世界@名無史さん:2005/04/14(木) 07:49:18 O
>>844
官秩では刺史の方が下。
でも実質的には844の言うとおりで、皇帝から派遣されてくる監察官である刺史は太守が恐れる存在だった。
847世界@名無史さん:2005/04/14(木) 07:59:33 0
>何事もなく刺史が帰った後には太守は血の小便がでたという。
すげえ民明書房くさいんだけど・・・
848世界@名無史さん:2005/04/14(木) 09:12:45 0
刺史が皇帝から派遣されてくる監察官
ということは、制勅に類するものを持っていた
ということかな?
849世界@名無史さん:2005/04/14(木) 09:27:01 0
西晋の涼州刺史の張軌は、張温の息子だと書いてあるけど
どの張温?呉の?魏の?
850世界@名無史さん:2005/04/14(木) 10:08:49 0
『ホロコースト産業』について

●2000年6月に出版された『ホロコースト産業』という本は、国際的な反響を呼び起こした。
ブラジル、ベルギー、オランダ、
オーストラリア、ドイツ、スイスなど、多くの国でベストセラーリストに入った。
フランスの『ル・モンド』紙は、2ページ全部を費やしてそれを批評し、その他に解説も書かれた。
ドイツでは発売後2週間で13万部も売れた。

しかしこの本は、アメリカでは主流メディアから完全に黙殺され続け、
9ヵ月でわずか1万2000部にとどまることになった。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb811.html


53 名前:名無しさん@3ちゃんねる:05/04/14 09:22
「ロックフェラー 対 ロスチャイルド」説の研究

〜 アメリカとイギリスの対決の歴史 〜

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe600.html
851世界@名無史さん:2005/04/14(木) 10:41:19 0
841は間違い、徐州牧になったのが193年みたい
それより前の191年頃に徐州刺史として朱儁に兵3000ほど送ってるみたいだし
852世界@名無史さん:2005/04/14(木) 12:32:39 O
>>848
実際に所持していたかはわからないが、六条詔書と呼ばれる詔に基づいて監察することになっていた。
この詔に書いていない項目は監察などの対象にならない建前だが、漢末は守られていたか怪しい。
853世界@名無史さん:2005/04/14(木) 13:35:36 0
>>845
有難うございます。
魏書はまだ未読ですが孫策のところでも
「孫策の騎士が罪を犯し、袁術の陣営に逃げ込んで陣中の廐に隠れた」
と書いてました。

854世界@名無史さん:2005/04/14(木) 17:57:41 0
>>852
アリガd。詔など形式上皇帝の勅命に基づいて
刺史は各地方官を監察したということですね。
とするならば、846の「太守が恐れる存在」
だったというのは筋は通りますね。

855世界@名無史さん:2005/04/14(木) 19:36:48 0
刺史の職務内容が恐れられた、って事だね。
官職上、郡太守より上って事ではないけど。
856世界@名無史さん:2005/04/14(木) 19:43:26 0
後漢後期の混乱期でも詔勅があって
「皇帝の意志である」という建て前(権威?)をとれるから、
官職上上位にある郡太守に対しても
刺史の方が強く出られた、すなわち
次第に刺史の方が実権を持つようになり
あたかも太守よりも上位の官職であるように見なされた
という訳ですね?
どう?
857世界@名無史さん:2005/04/14(木) 20:01:57 0
ttp://mujin.parfait.ne.jp/mujins/

ここ凄いね、李儒の字まで載ってるし
びっくりした。これからに期待。
858世界@名無史さん:2005/04/14(木) 23:10:57 0
文帝紀って上奏と注が長すぎて読みづらいな
859世界@名無史さん:2005/04/14(木) 23:14:23 0
本当は禅譲を強要されたんじゃなくて、「莫大な待遇を条件に帝位を譲る」
と、禅譲を献帝が言い出したのって本当?
860おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2005/04/14(木) 23:20:12 0
>857
いやあ、曹全碑まで調べている人がいるとは、三国志業界のレベルも
あがったものです。金石文を読め読めと薦めまくってきた甲斐があったと
いうものです。
861おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2005/04/14(木) 23:23:47 0
>859
尾鷲卓彦氏の説でしょうか?この人の説によれば人民が曹丕を
尊敬して帝位につくようにすすめ、劉協まで曹丕を尊敬したと
いうのですが、幾らなんでも、ありえないでしょうよ。
862世界@名無史さん:2005/04/14(木) 23:35:19 0
三国時代の石文ってどのくらい残ってるの?
863世界@名無史さん:2005/04/14(木) 23:51:48 0
>>860
あんた誰よ?人に読め読めって・・・
864世界@名無史さん:2005/04/15(金) 00:27:40 0
袁紹陣営の主な重臣たちでは
逢紀 田豊 荀ジン 審配 許攸 郭図 辛評の字は伝わってるのに
沮授だけ伝わらなかったのは何故だろう
865世界@名無史さん:2005/04/15(金) 00:54:58 0
李儒って字あったっけな?
字は文優こんなんどの書物で出てきたっけ?
866世界@名無史さん:2005/04/15(金) 00:57:39 0
>>865
書物じゃなくて曹全碑っていう碑文。
>>857のリンクをもう一度よく見てみるべし。
867世界@名無史さん
検索してみたんだけど、日本語訳って無いような・・
書道では有名なもんみたいだけど・・