≪シンガポール・マレーシアの歴史≫

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231世界@名無史さん
『THEMIS(テーミス)』 2004年9月号 日本警世 連載39  帝京大学教授 高山正之

中国政府が激怒したシンガポール変貌の背景  
リー・クワンユーは中国人の島であることを隠し続けてきたのに

 シンガポールほど胡散臭くて、いかがわしい国はあまり例を見ない。
 大体、この国の生まれからしてまともではない。この国はもともと英国植民地だった
マレー半島の一角だった。
 ’63年、そのマレー半島が独立してマラヤ連邦になるわけだが、新国家ができたときに、
これを牛耳ろうとしたのが植民地時代からここに入り込んでいた華僑だった。
 ここでその華僑を少し解説すると、華僑の「華」は華人、即ち中国人を意味し、「僑」の
方は宿無しとか、根無し草とかいう意味をもつ。(中略)
 紅幇に限らず、彼らはカネの臭いを追ってどこかの国に流れ、阿漕にカネを稼いではまた
どこかに流れる。「僑」たるゆえんだ。
 シンガポールの初代首相リー・クワンユー(李光耀)もそう。客家出身の父はベトナムの
ベンハイでフランス殖民地政府の下働きをやり、そこで生まれたリーを伴ってマレー半島に
流れ、今度は英国植民地政府に取り入って口を糊していた。
 なかには成功して、英国人並みにプランテーションのオーナーに納まる者もいる。
マレー人を働かせては阿片を売りつけ、さらにあくどくカネを稼ぐ。シンガポールの元駐日
大使リー・クンチョイ氏のファミリーもその成功組の1人で、「子供の頃の思い出といえば、
真っ赤な夕焼けとマレー人労働者がくゆらす阿片の煙の臭いだった」と語っていた。
 そんな華僑連中がやっと独立を果たしたマレー人の国まで盗ろうとしている。マレー人は
怒り、華僑に出て行けといった。
   (つづく)