1 :
世界@名無史さん:
『新素麗(しんすれい)』
一般的に2chのスレは1000レスを越えれば書き込むことが不可能になるが
それをさらに続けることができる方法がある。
新しく続きのスレとしてスレを立てるのである。
しかし新スレを立てることは困難で、幾十もの2chのセキュリティーチェックを
突破しなければならなく、新スレを立てられずに脱落し大怪我をする者も大勢いる。
ちなみに新スレの名前の由来は初めて新スレを立てた人、新素麗(しんすれい)から
来ていることは有名である。
(民明書房刊「2ちゃんねる−そのシステムの神秘−」より)
2 :
世界@名無史さん:04/04/16 11:17
お約束だが…
『煮解賭 ( にげと ) 』
明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
3 :
世界@名無史さん:04/04/16 11:18
『酸下吐(さんげと)』
「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
以下はよろぴこ
4 :
世界@名無史さん:04/04/16 11:25
『かけそば』
我々が親しんでいる「かけそば」は、古代中国の修行者達が座して食べる暇を惜しみ
器をもって「駆け」ながら食べたそばがその名の由来である。
民明書房刊『あなたにも出来る!中国拳法修行百科』
5 :
世界@名無史さん:04/04/16 11:30
『スパイダー(蜘蛛)の語源』
天釐蜘巣(てんりんちそう)…
中国拳法には猛獣・昆虫・爬虫類などを飼育・教育して独特の技として完成させたものが多々あるが
この奥義もそのひとつである。
ちなみに 英語で蜘蛛のことを「SPIDER」(スパイダー)というが
これは、この奥義を極めんと蜘蛛の調教に挑んだ西洋の武道家達がことごとく
失敗に終わり その時発した言葉「失敗だ〜」が「スッパイダ〜」→「スパイダー」
と変化したものでないのはいうまでもない。
民明書房刊「日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談」
6 :
世界@名無史さん:04/04/19 11:21
『藁(わら)』
明朝末期、中国四川省の南部にて、姦通の罪を犯した男女への、特殊な陵遅刑があった。
藁の束を姦夫姦婦の尻にくくりつけ、火をつけて狂い飛び回る姿を衆人に公開すると
いう過酷な処刑なものである。
この刑を受ける者の悲惨だが滑稽なさまに、衆人みなその姿を指さしてあざ笑った。
あげく、処刑方法をより滑稽なものにしようと工夫するものが現れ、藁束を、罪人
アベックの片足をくくりつけ、二人三脚…あたかもアルファベットのWの形にして、
罪人の男女をつなげてみたり、あるいは、それぞれの頭にカツラのように藁束をか
ぶせて火をつけ、頭髪をことごとく焼いて「禿藁」などとあざ笑ったりした。
もとより現在の中国では、そのような刑罰は完全に禁止されている。しかし今なお
インターネットの世界では愚かな相手をあざ笑う際に「藁」の一字を語尾に付けて
おり、その名残が現代社会に残っているのがうかがえる。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
7 :
世界@名無史さん:04/04/28 11:06
『費奇蝙蝠(ひきこもり)』
宋朝初期、費奇(ひき)という禅宗の修行僧が、悟りを開くべく洞窟のなかに
篭っていた。かれは単なる座禅では苦行にならぬとばかり、わざわざ逆さづり
の格好で天井からぶらさがっていた。しかも逆さづりのかたちで固定してくれ
た協力者には「修行の邪魔をしないよう、自分を吊ったらただちに洞窟を去れ。
自分は決して泣き言はいわぬ」と大見得を切ったが、そんな苦しい格好では、
悟りなど開くどころではないのは理の当然で、あえなく他界してしまった。
死ぬ直前になって悶絶し、固まった血液がたまって黒ずんだ手を、怪鳥のように
じたばたと広げた、「翼を広げた蝙蝠のような費奇の姿のおぞましさが有名にな
り、人々は悟りも開けぬ癖に洞窟にこもろうとする不信心な惰弱坊主を嘲るとき、
「費奇蝙蝠」と呼ぶようになった。
いまでは宗教的な修行にまつわる費奇蝙蝠はいなくなったが、飽食とサブカルチャー
全盛時代の日本国の若者が、それにはあき足らずに自己鍛錬のためにあえて生ゴミの
あふれる室内でアニメとゲームだけを相手に己を見据えるメンタルトレーニングを
おこなってしばしば社会不適応性に陥る結果をみているのは、まさに現代版の費奇
蝙蝠ということから、「引きこもり」という言葉が発生している。ヒッキ-なる略語
が費奇をおしゃれにカタカナで洋風に読んでみせたものでることは、中国の児童心理学者
にとって常識であり、とうぜん中国の言語学者の発見によるものである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
8 :
世界@名無史さん:04/05/10 07:59
濃安岳和我血 (ノアだけはガチ)
古代中国に存在した封建民族「斬日凡」が民族内闘争により分裂した。
その後、民族の一部が濃安岳(現在の三澤山)へ移住したときに
その緑の映える木々の美しさに感動し
「濃安岳和我血(濃安岳は争いで怒りくるった我が血を和ませてくれる、の意)」
と叫んだという。その後、争いにより焼け爛れ禿山となった
武道山に残った残りの「斬日凡」民族が濃安岳の緑の木々を羨み何度も攻撃を仕掛けたり、
「異乃騎薪日凡」民族が濃安岳を侵略しようとしてきた。
そのたびに「濃安岳和我血」と叫びながら闘い、他民族を撃破したことにより
他民族の攻撃は次第になくなっていったといわれている。
また濃安岳の民族は鎖国的だとも言われていたが、他民族の太香弥真や猪宇埜らとも交流を
もち、発展に至った。
民明書房刊『濃安岳の歴史〜緑を守れ』より
9 :
世界@名無史さん:04/05/11 12:48
10 :
世界@名無史さん:04/05/11 14:36
『濡流報(ぬるぽ)』
殷の時代、中国では、しばしば日照りが発生し、 そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
この占いの結果、出された雨の知らせが、濡流報であった。
濡流報は、日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、祝福の意味を込めて、「賀(が)」と言って、濡流報を伝える者をもてはやしたという。
「濡流報」「賀」のやり取りは、初めは言葉だけのやり取りであったが、やがて杖や棒を用いて、相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。
なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなく、濡流報が元になっており、棒のようなもので相手を殴るという、一見粗暴な行為に変化しつつも、祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることを我々は忘れてはならないだろう。
民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より
11 :
世界@名無史さん:04/05/15 19:23
治幕帝賂(じばくてろ)
古代中国において、帝の権力は絶対のものであった。
秦の始皇帝の例を見る限りでもそれは明らかであろう。
それ故、帝へ如何に取り入るかというのが当時の官職についていた者達の最大の関心事であった。
隋の時代、宮内の二大派閥であった至阿派(しあは)と寸爾派(すんには)の間では、権力闘争が激化していた。
互いに帝に取り入るために金銀、調度品、時には女性を帝にあてがう事で帝の威光を得ようとしていたが、
煬帝(604年-618年在位)が即位して間もなく、寸爾派の高官であり、強硬派であった瓶羅傳(びんらでん)は
「帝賂即治幕(帝に献上するものは政治を治めるものでなくてはならない)」
とし、王朝に仇なす者を葬り去ることが煬帝への至上の献上品であるとした。
当時隋朝を脅かす一団に、雄獲枢家(ゆうえすえ)なる武力集団がおり、瓶羅傳はその討伐に努めていた。
しかし、奇術「烈火有嵐(れっかうらん)」を用いた戦術に手をこまねいていた瓶羅傳は、とある決断をする。
それは間者を放ち、当時最新兵器であった火薬を用い、雄獲枢家を内部から崩壊させようとするものであった。
だが、この戦略には危険が伴い、命を落とす間者も少なくなかった。
しかし、この戦略で命を落とした間者は、「英雄」として奉られたという。
この故事から転じ、自らの国、信条のために命を落とすことも厭わないことを「治幕帝賂(じばくてろ)」と呼ぶようになった。
なお、「自爆テロ」がこの「治幕帝賂(じばくてろ)」に由来している事は賢明な読者にはもうお分かりだろうが、
一転して無差別に罪の無い一般の方まで犠牲になっているということには怒りを禁じえない。
民明書房刊 『歪められた美徳』より
12 :
世界@名無史さん:04/05/15 19:46
みんなうまいね
面白いよ
13 :
世界@名無史さん:04/05/15 20:17
覇州留(はっする)
古代中国、清王朝時代。当時の皇帝は乱れていた国政を1つにまとめ上げようと政策を打ち立てた。
もちろん広い国土の清であったのでまとめる事は困難を極めた。そこで当時の国防長であった
御賀倭(オ・ガワ)が仕切り、州全体を1つに留め、世界を制するとの意味から覇州留と名づけられた。
他国にも覇州留を広めようとした御賀倭は、両手をグーの形にして腰に当て、「覇州留!覇州留!」と叫び
PRした。そして見事に成功し、1つになり、他国にも真似をするところも出てきた。
我が日本にも広まり、挙仁藩の長でもある基世胎(きよはら)も真似をするまでに浸透した。
民明書房刊『中国の政策〜覇州留』より
14 :
世界@名無史さん:04/05/15 22:36
慢努癖(まんどくせ)
かの孔子が、人間が憎むべきものとして呈示したのが、この慢努癖である。
慢努癖とは、「努力するのを怠る癖」という意味で、孔子はこれを、学問をする者が一番してはならぬ事と位置付け、弟子達を戒めた。
荀子は更にこれを発展させ、「慢努癖というものが人間にある以上、それを規制する法律が必要なのは明らかである」と、自説の正当性を訴える材料としている。
一方、無為自然の立場に立つ老子は、孔子の説を批判し、「慢努癖こそが、人間が生来持っているものなのだ。それを無理に矯正する事は本来すべき事ではない」とした。
やがて時代は流れると、乱世になる度に、領民達は年貢を渋り、「慢努癖」と連呼したという。この時、慢努癖とは、単純に努力云々ではなく、物事全てに於いて実行を渋る意味を持つ様になった。
それは現代にも「マンドクセ」または('A`)マンドクセという形で、インターネット上に受け継がれている。
忘れていた。
民明書房『民俗で見る中国史』
16 :
世界@名無史さん:04/05/16 13:39
癒喜子(ユキコ)
古代中国には華余(カヨ)という女性がいた。華余はたいへんに可愛らしい女性であり、
「星短情(スターたんじょう)」(日本でいう俳句大会)で優勝するや、みるみる内に中国本土に
容姿、知性ある女性という事が知れ渡り男性はしかり女性の憧れの的となった。
皇帝は華余を見るや心が癒され嬉しくなる女性との意味から癒喜子の名を授けた。
美人であった為、プロポーズの言葉も多数受けた。うらやましい限りではあるが、
癒喜子は本命の男性と一途に恋をしたいとの気持ちが強く、多数の人からのプロポーズは本意ではなかった。
現に本命の男性からはもてすぎる為に高嶺の花だと思われ両思いになる事はできなかった。
それが原因で癒喜子は傷心してしまい、自ら命を絶ってしまったのである。
それにより多数の人がショックを受け続けて命を絶ち、混乱を招いた。
混乱を抑えるために皇帝は、癒喜子の話をした者に処罰を科した。そして癒喜子は封印された。
現在世界3大美女と呼ばれている1人に中国の楊貴妃がいるが、癒喜子が命を絶たなければ楊貴妃ではなく、
癒喜子になっていたかもしれない。
民明書房刊「中国の美女〜悲劇のヒロイン」より
17 :
世界@名無史さん:04/05/19 14:16
『象怒(ぞぬ)』・前編
かの蜀漢の軍師孔明が、南蛮征服戦争の戦死者をとむらうため、まんじゅうこと
肉入りの中華パン(饅頭)を創始した人物であることは、世に広く知られている
史実である。
ところがこの饅頭を食した一部の兵卒のあいだで、奇妙なうわさが立った。
「饅頭の食材には、蜀軍が倒した木鹿大王の呪いを封印するため、
大王が手足のごとく使っていた珍獣の肉が使われていたというのである。
ご存知のとおり、南蛮の八納洞の主である木鹿大王(ぼくろくだいおう)は象に乗り、
虎や豹、毒蛇などの猛獣を操って孔明軍に挑戦した南蛮の猛者である。
その恐怖の記憶が、あるいはそういう噂を生んだのだろうか?
「たぶん、木鹿大王が乗っていた象の肉だと疑ったに違いない」
孔明は、そうあたりをつけた。あとは、口を濁す兵士たちを計略にかけて、
真実を確かめるだけである。
一計を案じたかれは、或る日の演習において、陣営にたまたま異国出身の司厨兵が
いることを知り、かれに特に命じて異国の伝統的肉料理を作らせた。
(後編につづく)
18 :
世界@名無史さん:04/05/19 14:17
(『象怒』後編)
演習がすんで空腹になった兵士たちに異国料理をふるまった孔明は、兵士たちが
堪能したのを見計らい、「じつはおまえらが今食べたのは、象の肉なのじゃよ」と
偽った。それまで司厨兵の出自から「●●肉料理」だと思っていた兵士たち
は、いっせいに顔をみあわせた。だが、ちっとも狼狽した様子ではなかった。
当てが外れた孔明はすかさず「残念でした、じつは蛇肉だよ」とか「虎肉じゃ」
とか言ってみたが、だれもが平気な顔である。
最初の確信だった「象」が外れたあと、すべてのあてが外れた孔明は、ついには
怒り出し、「おまいら俺様を馬鹿にしてるのか!」と、ついかれらしくもなく、
突破的に数人の兵士を斬首して憂さ晴らししてしまった。
この孔明の人生最大の汚点となった事件から、「象怒」という言葉がうまれた。
はじめは賢者でもたまには愚行をおかすことがある、という意味だったが、やがて
「賢者をも疑心暗鬼に追いやる、珍獣という形をとった」根も葉もない噂、という
意味になった。
現在の、永楽帝が新大陸を発見したとする西欧人の学者には、このとき蜀漢の兵士
たちが恐れた珍獣というのはアフリカのヌーのことであり、「ヌーにゾッとする」
ということから「象怒」ではなく「ゾッ・ヌー」であると主張するものもいる。
なお当の「異国の司厨兵」が何を作ったのかは記録がない。一般には楽浪郡出身者で、
●●湯を作ったという説が有力である。
民明書房刊「孔明異聞」より
アフガン航空相撲
11世紀ゴール朝の頃、時の国王の命により
アフガニスタン各地より集められた武術、格闘技に精通した者を中心に
編成された近衛兵の間での力比べが起源と言われる。
最初は地面の上だけでの競技であったが、やがて高いところからの攻撃や
空中に飛び上がっての闘い等時を経る毎に技が高度化し
現在のアフガン航空相撲の形が完成した。
後の元による侵攻の際もアフガン航空相撲力士は圧倒的多数を誇る元軍の攻撃を
得意の航空技により簡単に粉砕したと伝えられる。
その際元軍が航空相撲を研究し、アフガンに対抗するためにモンゴル式相撲を
完成させたが、空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということは
あまりよく知られていない。
「民明書房刊 『フビライ怒りのモンゴル相撲』より」
20 :
世界@名無史さん:04/06/02 19:13
ゲバ棒
ゲバ棒といえば学生運動の象徴ともいえる兵器であり、1970年前後の学生運動の際に、
機動隊や対立セクトを攻撃するため学生たちが用いた角材である。
ゲバ棒の「ゲバ」とは独語実力闘争や暴力という意味のGewalt、というのが通説である。
しかしこれは学生運動の混乱期に歪曲されたデマゴギーであり、
真の出典は1950年代アルゼンチンにこそあった。
キューバの革命指導者チェ・ゲバラがゲリラ戦のさいに最もよく使った鈍器であり、
絶頂期の彼がこの棒をひとたびふるうと、
十数名が七つの穴から血を噴きだして絶命したといわれている。
いわゆる「ゲバ棒」は、その光景を目撃していた日本人傭兵がその後学生運動へと身を投じ、
角材を用いてチェ・ゲバラが使った棒を真似て作ったものだ。
一説によるとチェ・ゲバラ自身も学生運動に参加して、
このゲバ棒を振るったともいわれるが真相は定かではない。
民名書房刊 『世界の珍棒・奇棒』より
21 :
世界@名無史さん:04/06/04 13:59
徹マン
麻雀といえば中国が発祥の地であり、日本には大正時代に伝来したと言われているが、
現在の両国における標準ルールは大きく異なっている。
これは、満州にて旧日本軍の将校たちが麻雀を行う際、現地のローカルルールを取り入れたことに端を発するという。
さて、満州といえば南満州鉄道であるが、首都・新京から大連までの道のりはおよそ700キロメートル、
所要時間は当時最高速を誇る特急「あじあ号」でも8時間30分という長大なものであった。
ゆえに、乗客の退屈しのぎとしても麻雀は流行した。
最初は紙牌を使用した簡単なものであったが、後に車内へ麻雀卓を持ち込む者も現れ、
上流階級の乗客には専用の娯楽車まで用意されるほどの流行ぶりであったという。
しかし、流行の熱が高まりすぎたせいか、はたまた車内という閉鎖空間での必然か、
そこではしばしば異常ともいえる独自ルールが追加されることがあった。
その一つが、「目的地に着いて列車を降りるまでは勝負も降りることができない」という過酷なものである。
これは目的地を同じくする4人が同席に集ったときのみ用いられたルールであり、
特に満州鉄道全線を徹して行われるものは「徹マン」と呼ばれ恐れられた。
現在、徹夜で麻雀を行うことを指して同様の呼称が用いられるが、
これは元来の徹マンがしばしば夜を徹して行われたことに由来する。
そこに徹夜の徹と麻雀を縮めたマンが重なり、現在の意味に至るのである。
なお、あじあ号の食堂車には白系ロシア人の女子がウェイトレスとして採用されていたが、
彼女らを指して「ハク」と読んでいたものがいたかどうかは定かではない。
民明書房刊 「超特急が鳴く」より
プロレスネタはつまらん
超アニヲタと同レベルの極小世界だって気がついて欲しい
23 :
世界@名無史さん:04/06/04 15:49
知らぬが仏の語源
近現代以降の軍事組織において重要な役割を果たした参謀本部の起源がプロイセン
にあることはよく知られているが、軍事組織のもう一つの柱である諜報機関
が例外なくほぼ中国で完成したものを踏襲したものであることは意外と知られてない。
時は南宋初期、情報収集と分析の稚拙が靖康の変を招き河北一帯を喪失した原因の
一つであると考えた胡世将は四川宣撫使として着任後に諜圏司という情報機関を
設置した。この効果は抜群で紹興10〜11年の金の侵攻のおりにいちはやく
侵略の兆しをとらえることに成功し、胡世将の軍が岳飛や韓世忠といった
歴戦の諸将に先んじて効果的な反撃をあげる要因となった。
後に北清事変や日露戦争で活躍した情報戦の大家福島安正少将は諜報の基礎である
諜圏司を詳しく分析した。
その時に胡世将が部下に情報収集の重要性を戒めた言葉を日本人向けに邦訳したのが
「知らぬが仏」である。本来は「不知即決生死」という言葉で、意味は戦場では
事前の情報収集を怠った指揮官の部隊から先に壊滅していくという言葉であった。
そこまでして情報の大切さを訴えた福島少将であったがそれが充分伝わらなかった
ようである。
時代と共に「知らぬが仏」の意味も変質していき、わずかに殺人事件の現場などで
被害者を「ホトケ」と呼称するのがその名残として存在するのみである。
民明書房刊『軍事の奇才・中国人』
24 :
世界@名無史さん:04/06/06 23:10
期待age
25 :
世界@名無史さん:04/06/08 13:40
爺・性行・急(じい・えっち・きゅう)
倭国を制した美国は、東征都督として遮光眼鏡をかけ玉蜀黍煙管をくわえた老将軍・
真赤砂元帥を起用したが、元帥すでに齢古希にいたり、男性能力の喪失に密かに悩んで
いた。じっさい愛妻ジーナ夫人の欲求不満は高まるばかりであった。
陸軍中野学校残党は、講和条約の早期締結にむけてこれを利用すべく、動き出した。
ジーナ夫人を日本の子宝神社のお社に招待したのである。なおジーナ夫人はのちに、
男をたっても生きられる「いきかた」を東洋女性に提唱し、自慰那という雅号を奉られる。
それはともかく。ご神体に接した自慰那夫人が熱狂しもらい受けたのはいうまでもない。
自慰那夫人の毎晩の喜びの声は、帝都を震撼せしめた。いっぽうで日本のもくろみ
どおり、夫人は桑港講和条約への夫の好意的関与を約束してくれたのである。
だが、やはり気がつくときはくるものである。真元帥は愛妻のあられもない行状に愕然とし、激怒した。
いつものように自慰那夫人が張り型・・・もといご神体で楽しんでいるところへ、真元帥は乱入した。
「あらダーリン、いきなり何よ。マイルームにはいるときはプリーズノック」
「シャーラーップ! ユーはそこで何をユアセルフしている?」
「見りゃアンダスタンドできるでしょ。はげしく万刷りしてるのさ。このインポ将軍が。ぷっ」
「ゴルァ! 万刷りなんて敵国言語使ってんじゃねえ。漏れの力をみせてやる!」
というわけで、嫉妬に狂って夫人にとびかかった元帥ではあったが、無理に奮い立たせたものを夫人の秘部に突き立てたのがまずかったのだ。
「オーマイゴッド」
「ヘルプミー」
・・・膣けいれんをおこした自慰那夫人に、激痛の雄叫びをあげる元帥であった。
あげく軍医を呼ばずに無理やり引っこ抜こうとしたために「ぽき」・・・
「老兵はいかず。ただ抜きとられるのみ」という別離の言葉とともに、日本人に慕われた
元帥が故国に逼塞したのは数日後のことであった。大統領候補に「立たなかった」
のも、そのせいだと思われ。
いずれにせよこの惨劇が「爺・性行・急は、日本の民主化に多大な影響をあたえた」
と中国史家にいわれるゆえんである。
民名書房刊『東征都督府秘録』
27 :
世界@名無史さん:04/06/15 13:10
『児剃判(こてはん)』
三国時代後期の中国で、呉のとある村を中心に頭虱が大発生した。
医療・衛生技術の発達していない当時では有効な駆除法は皆無であったため、
呉の人々は頭髪を全て剃ってしまうことで対策とした。
これが功を奏し、虱はしだいに数を減らしていったが、全員が剃髪した事により、
似たような顔立ちの者、特に子供たちの見分けが付き難くなるという弊害も発生した。
そこで、子を持つ者たちは、それぞれ子供の名を刻印した大きな印鑑を作り、
毎朝我が子の頭に判を押すことで区別を可能とした。
これを「児剃判」という。
現在、インターネットの匿名掲示板で個人を特定するためのハンドルネームを
「コテハン」と称するが、これはこの故事を由来とするものである。
民明書房刊『君の名は』
涅罵陀(ねばだ)
唐代中国の武人。その武名は広く知れ渡っており、彼を慕う者は多かった。
『@u@』(あっとますますあっと)の旗印の下、多くの部下を抱えていた。
しかし彼と並び称された武人・沙斗巳(さとみ)は彼を快く思っていなかった。
ある時、涅罵陀がいつものように於派用備維務(おはようびいむ)の任についているとき、
沙東巳は彼の旗印を指して、「其変旗印如何。可否愚弄?」と侮辱した。
これに怒りを覚えた涅罵陀は沙斗巳に楠拿闘(なんだとう)の決闘を申し込み、
愕襲屡宇無(がくしゅうるうむ)にて見事沙東巳を打ち負かせて恥をすすいだという。
余談ではあるが、当時沙東巳は内府の役職を与えられており、
沙斗巳を討ち取った涅罵陀は興奮のあまり「勝った勝った、内府に勝った!」
と叫んだと言われる。
この時涅罵陀が使用した武器を改良して生まれたのが「カッターナイフ」であることは言うまでもない。
民明書房刊「少年犯罪裏面史」より
イイ
>>29 すまんがコピペで持ってきた。
しかしこのスレ伸びないなと思うのだが、ガイドラインがないため
考えるきっかけがないのがいかんのか?とも思う。
アイデア募集ageしておこう。ワシの分は考えとく。
31 :
世界@名無史さん:04/07/02 12:10
外道裸印(がいどらいん)
基本的には「ぞぬ」「ぬるぽ」など、にちゃんねる用語が漢語圏を主体とした
世界史上の史実のどのような逸話から派生されたものであるのか、その歴史系統
と実像を探るのが本「素麗」の主旨である。
たとえば「がいどらいん」にしてからがその典型であるといえよう。これは清朝
の末期、西欧の侵略から中華を守るためには、あえて国法に禁じられた外道の暗殺
拳法を使うもあいかまわぬ、という命知らずの愛国武道家たちに、殺人許可証の刺
青を公認したのが最初なのである。外道拳法でも法に則って正しく中華の敵に使用
されれば、すなわち夷をもって夷を制す苦き良薬になろう。その刻印たる刺青が、
つまりは外道裸印であった。
具体的には、洋鬼誅滅のためにはあらゆる禁じ手の暗殺拳法を駆使しつつも心に
「礼」を守り以って先祖の「霊」を守り「七生報国」することを誓約したあかしと
して、「礼・霊・七」の三文字の刺青を、「全裸」の武道家の全身に「刻印」した
のである。暗殺拳には各種あるが、とりわけ亜門拳とよばれる拳法が有名であり、
この拳法をきわめた師父たちは大亜門とよばれ、中国は「大亜門が守る土地」という
わけで、一時期は「大亜門土」という隠語で呼ばれたほどである。
ともあれ、以上の事情が暗殺拳法家を許された男たちを「外道裸印」とするゆえんと
なった。
なお、この刺青をした武道家にたいし、宮廷は特典として無税の権利さえ与えた。
税無く、(中華の敵たる洋鬼の誅滅に)没頭する漢たち、というわけで、かれらは
「税無没頭」とよばれた。これが四川省あたりでなまって、「ぜいむすぼんど」と
なり、「れいれいなな」が英訳されたさい、「ゼロゼロセブン」と誤って伝えられ
たのとあいまって、「ジェームズボンドのゼロゼロセブンは、殺しのナンバー」と
恐れられるようになった。
げんざい、英国で大人気のあのスパイもののシリーズが生まれたのは、こういう
東洋における、苦痛に満ちた近代史が作用しているのである。
民明書房刊「歪められた殺しの番号・大亜門土は永遠に」より
民明書房の本はみな著者不明なんかい。
民明書房は社長が一人で書いてる
那礼哀(なれあい)、後場苦(ごばく)
他人の両目を人差し指と中指の爪で突こうとする(本当に突いてはいけない)、
中国古来の子供達の拳法遊びが那礼哀と呼ばれていた。また失敗し、相手の
目を本当に突いてしまった場合、その後ついた者・つかれた者ともに苦しむこと
から後場苦とよばれる。後に西洋に伝わり、爪・目(nail,eye)の語源ともなる。
同じく後場苦は元に戻りたいという希望をもふくめた、Go Backの語源ともなる。
後に明治時代、清を経由して来日し、日本海軍の創設に尽力したドイツ系アメリカ人
Hayrlo Joukie(ヘィロ・ユウキィ)氏が格闘教練中に誤って、目を突いた者をたしなめる
ときに出た言葉から、日本へと回帰輸入された。つまり、目潰しの振りをすることを
「なれあい」、馴れ合いのつもりのミスを「ごばく」と聞き違えたのである。
民明書房刊 「ちゃいるど・ぷれい」
むしろ、事実は小説から生成w
一石二鳥の誤変換から。
◆一石二兆…中国の一部の地域にのみ伝えられる、一つの石で二兆の鳥を落とすことができる技。その
一部の地域の中でも選ばれた1人にのみ伝承される。
現在では世界的な野鳥保護の観点から、その使用を禁止する動きがあると言われている。
(民明書房刊 『友達100人作ったら計101人』より抜粋)
『殺過亜』(サッカー)
自陣に攻め込んできた相手を圧倒的多数の味方で取り囲み、
彼らの頭を切り落としては、蹴りあっていたという故事に由来するスポーツである
民明書房 「世界の私刑大百科」より
41 :
世界@名無史さん:04/08/04 16:47
>>40
これって、今回のアジアカップの皮肉か?w
摩駆 怒名立奴(まく どなりゅうど)
古代中国は宋の時代、摩駆(まく)と呼ばれる奴隷がいた。
この者は頭が良かったが、金がないため身を立てることができなかった。
そこで、仕えていた主人に「お願いです、科挙試験を受けるためお金をお貸しください」
と頼んだが、主人は「お前になど受かるはずもない」と説明も聞かず突っぱねたため、
摩駆は怒りを感じ、後日奇抜な服装でもう一度頼みに行った。
それは白く化粧した顔に、赤い毛のかつらをすることで己を目立たせ、
さらに「麻竺(まじく)」というインドの麻で織った服を着るというものであった。
この容貌は主人を大いに興がらせ、一度だけ摩駆のために金を貸すことにし、
その後、科挙試験に見事受かった摩駆は借りたお金を倍にして返したと言う。
人々はこの話から奴隷から役人まで成り上がった摩駆のことを「怒りによって名を立てた奴隷」
すなわち「怒名立奴(どなりゅうど)」と呼び、その行いをたたえた。
また摩駆の格好をすることを、その服から「怒名立奴麻竺(どなりゅうどまじく)」と呼んだが、
あまりに目立ち、さらに当時摩駆以外の者はこんな格好をしていなかったため
この格好で悪さを行い、摩駆に罪をなすりつけようとする者が多く現れた。
子供を誘拐するため窓から室内を覗き人々を恐怖に陥れたり、
「称們出屋外。」(訳:お前ら表へ出ろ)と言って挑発的な態度をとったり
椅子に座って一物をあらわにし、それを見た者に
「称契不契我?」(訳:やらないか?)と声をかけるなどする犯罪が行われ、
事態を重く見た時の皇帝はその格好をすることを禁止したと言う。
それでもしばらくは悪さが続いたが、「熊組」と言う自警団によって
取締りが強化されてからは犯罪が減ったとされる。
なお、現代でこのような風貌の者がファーストフード店のマスコットとなっているのは
この摩駆の由来からきているのはたしかであるが、あるインターネット掲示板で
「お前ら、表へ出ろ」というAAがあったり、クマーに殴られたりしているAAがあるのは
この話が由来なのかどうかは定かではない。
民明書房刊『中国奇人列伝第三巻 茂衆〜賢達記』より
43 :
世界@名無史さん:04/08/06 06:34
417 名前:ほのかな質問 投稿日:03/06/22 17:55 ID:Vr9Wspyy
韓国式起源創成法(日本でやった場合)
「キムチは日本が起源だった」
朝鮮出兵の際、加藤清正が虎退治をした話は有名だが、唐辛子と漬物を伝えたことは
あまりというかほとんど知られていない。
その昔加藤清正は虎退治から帰る際、山で迷ってしまった。
その際1件の民家を見つけ泊めてもらおうとした。
しかし現地の農民は大きな虎の死体と鎧武者の一行を怖がって家を飛び出し、離れの小屋に隠れてしまった。
翌日加藤清正は一泊のお礼として寒さしのぎの唐辛子と保存食である漬け物1樽、イカの塩辛や昆布などを家の前に置き、大声で離れの
農民に言った、「これは拙者たちのほんのKIMOCHIだ、KIMOCHIだよ!」と。
こうして加藤清正は日本に帰ったのだが農民は樽の漬物を見てこう解釈した、「これはキムチという食べ物で(反復したので)、この樽の中に
周りにおいてある唐辛子や塩辛を入れて食べろと言ったのだろう」
こうしてキムチは韓国に広まって言ったかどうかは定かではない。
民明書房刊「あなたのキムチが良く分かる」より抜粋
45 :
世界@名無史さん:04/08/06 21:46
『治殷 治殷 主!主!主!(ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!)』
殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、
周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。
紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、
自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、
かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら
「治殷 治殷 主!主!主!(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。
その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で「治殷 治殷 主!主!主!」と
ヨダレを垂らしながら、柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、
血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。
なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」という文言と共に
ヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、
根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。
民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋
46 :
世界@名無史さん:04/08/08 00:58
「猛忍愚無守女。」
時の将軍、津久が女傑たちを集めて作った私兵部隊である。
代表的な構成員に那智、呉魔鬼、辻加護などがいる。
また彼女らとは別に津久の部下では亜矢矢、美鬼亭、女龍というのも有名である。
彼女らも含めた津久の部隊は破路不呂と呼ばれ時の皇帝をもしのぐ勢力をもったとさえ言われている。
猛忍愚無守女。には外部にも支援者がいて彼らは猛尾多と呼ばれていた。
47 :
世界@名無史さん:04/08/12 20:07
縦読み》 文章の最初の段から縦もしくは、ななめなどに
かくされた文を埋め込む事により、からかったり
らんぼうな意見を包み込んだりする手法である。
読者諸君も、一度は引っかかった経験があると思うが、それも
むりからぬ事でもある。一流の縦職人は、むりのない文に
ないほうするので、中々縦とは気付かない物である
よく読むまでもなく、文として欠点がある縦は2流といえる。
なかなかそれが難しく、職人魂をくすぐるので一度作ると
馬車馬のように作り続けてしまうほどの魅力がある
が、しかしそんな縦職人にも敵はいる。それは、ずばり
厨房である。彼らの中には10行以上の文、いや5行でさえ
妨げにしか見えないらしく、いきなり縦から読み始めるので
どんなに苦心して作った完璧な縦と言えども、彼ら相手には
ものの数にはならないのである。
民明書房刊 「縦読み、その凄惨なる歴史」より
48 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/13 22:08
対象範囲は2ちゃんねるネタ限定なんですか?
>>48 そんなことは無いと思うが、できれば皆が良く分かるようなものが好ましい。
50 :
世界@名無史さん:04/08/19 20:16
『着募憤怒(きぼんぬ)』
古代中国、秦の時代。圧制に苦しめられていた民たちの密かな娯楽『素取婦(すとりぷ)』。
妖艶な衣装に身を包んだ踊り子が客の前で着衣を一枚ずつ脱いでいくというものであるが、
当然政府がこのような娯楽を容認するはずもなく、民たちは地下の劇場で官吏の目に脅えながら
月一回の素取婦を唯一の楽しみとしていた。
しかし、ささやかな楽しみも長くは続かなかった。
ある日、なかなか脱がない踊り子に業を煮やした『宇不(うぷ)』という男が『着募憤怒!!』
(俺は怒っているぞ!!早く着ている物を脱げ!!)と大声で叫んでしまったのだ。
不運なこの男の叫び声は、たまたま警備中だった官吏の耳にまで届いてしまい、
哀れにも処刑されてしまった。
踊り子の裸体を見ること叶わず殺されてしまった宇不らの無念と怒りは、『エロ画像うpキボンヌ』などと形を変え、
時を超え国を超えなお現代日本のインターネット上に受け継がれているのである。
民明書房刊−古代中国〜下層階級の性と風俗〜−より
この間、暁!男塾読んだんですよ、暁!男塾。
そしたら、「民明書房」って出てるんです。もうびっくりですよ。
てっきり2ch自体が発祥の地かと思ってたんですけど、実はコミックだったのですね。
暁に出てるって事は、最初は魁ですかね。そっちは確認してないけど。
そんだけ。
53 :
世界@名無史さん:04/09/02 04:08
ぬるぽ
54 :
世界@名無史さん:04/09/04 01:37
がっ
55 :
世界@名無史さん:04/09/04 23:47
小名弐(オナニー)
校則により異性間の交際が認められていなかった旧制中学では、思春期の学徒達の性の
処理方法として手淫が奨励されていた。小名濱町(現いわき市)に在った旧制小名濱
第弐中學校では、「健全な精神は健全な肉体に宿る」の教育理念に基づき毎年全国の中
学校から手淫部の精鋭達を招き校内射精大会が開催されていた。その時の応援に使う
声援は学校名を省略することが通例となっていて、過去9回も優勝した主催校である小
名濱第弐中學応援團の会場に轟く蛮声『小名弐頑張れ!』の声援は特に感銘を憶える
ものであったと伝う。現代に於いて自慰行為の事をオナニーと呼ぶのはこの声援に由
来すると言われている。また、大会に出場する選手たちは日々のトレーニングや練習
試合等のため体力の消耗が激しく選手生活は長くは続けられなかったと伝う。自らの
体力の限界を悟った選手たちは潔く現役からを引いた。現代に於いて辞職や辞退を意
味する言葉に【辞意】という文字が当てられるのは【自慰】の音(Jii)が語源で
あると言う説が学会では支配的である。
民明書房刊『ひとりでできるもん』より
56 :
世界@名無史さん:04/09/05 04:48
コンビニで民明書房大全みたいなのが売ってた。
立ち読みしたけど、トンでもねー本だった。
ちなみに小名浜第二中学校は実在します
>>51 お宅、たぶん女性か大学生未満かのどっちかだね・・・。
>>42 イイ!
でも、消防低学年に読ませたらいけない本、No. 1だな
教育上サイアク
60 :
世界@名無史さん:04/09/08 15:50
首都来喜(しゅとらいき)
中国では国の中心的な都市を決める為に、たいそう苦労した事があった。
現在の首都は北京であるが、中華人民共和国の名称に決まった時には、まだ、首都は
決まっていなく、各地の人間が「俺の町を首都にしろ」と言って反乱がおきた。
暴力に訴える者もいれば、強盗などの盗みを繰り返す者も現れた。
しかし、北京の人間は、暴れずに血を流さずに北京を首都にしてもらえるような考えを起こした。
それは、労働を拒否する事によって国に損害を与える事だった。
もちろん税金が入らなくなり、国政を圧迫する事を危惧した皇帝は、首都を北京にすることを
決定した。そのとき北京はのものは「首都来期」(次の時代は北京が首都の意)
と言って、作戦の成功を祝った。
現在日本のプロ野球界では、ストライキ問題が世をにぎわせているが、「首都来期」が
語源なのは言うまでも無い。
(民明書房刊 『プロ野球の行方』より抜粋)
世界史板では出ると荒れ易い単語「民度」について説明している本は出ていませんか?
民(明書房)度
日本国は民度も民明書房度も高い国ですね。
64 :
世界@名無史さん:04/09/13 19:32:23
炊く
今から約2000年前の前漢の時代、ある儒教の壮いうものがいた。
壮は儒教の教えの書物を覚えるため一枚ずつ正確に書き写した。
やがて幾年か経ち、全ての書物を書き写した。
それを見た師の吏は「一枚ずつ正確に写すことは、事の他難しい。
お前はそれを見事にやってしまった。それは百姓が一粒一粒の米(魂を「篭める」)から
飯(はん=米粒が集まったもの)を作る為の工程に等しい。」と言った。
つまり、一粒の米(一枚)から飯(書き写した物が集まった物)
を作る作業が似ていることから人間に食べれる(製本する)ようになるまでの工程
を「炊く」といい今日の「炊く」を意味するのである。
民名書房刊 『吏伝樂山気』より
65 :
世界@名無史さん:04/10/09 20:42:33
【猫御身望道(ねこみみもうどう)】
エジプトでは猫を崇拝する習慣があったのは有名な話だが
古代中国でも猫を崇拝する宗派が存在した。
彼らは陰暦の十五日、望の日に猫の耳を模したものを頭につけ
夜通し「猫御身望道(ねこみみもうどう)猫御身望道(ねこみみもうどう)」と唱え続けたという。
それは王朝の圧制に苦しむ民衆の心のよりどころとなったが、いつしか王朝の打倒運動にまで発展した。
民衆は「猫御身望道(ねこみみもうどう)」と唱えながら死をも恐れぬ勢いで突撃したという。
なんとか乱を鎮めた時の皇帝は信者を処刑し関連書物を焼き払い現在このことを記した書物は少ない。
深夜アニメのOPで「ネコミミモード」と言い続ける歌があるが
猫御身望道と関連性があるのかもしれない。
民明書房刊『宗教に見る中国史〜着黄泉(つくよみ)の章〜』より
66 :
処女作:04/10/13 13:49:37
【血用肝胃(ちようきもい)】
中国は秦の時代、時の将軍・蒙恬(もうてん)が北方を制圧している最中のことであった。
その進軍中、幾日にもわたり日照りが続き、軍隊は疲弊しきり蒙恬とて例外ではなかった。
蒙恬は兵を集め
「它是密集的與那些強健出來的地方。」(訳・何か元気の出るものを持ってこい。)
と言い、その半日後、一人の兵が紅色の飲料を献上した。
蒙恬はそれでたいそう元気になり、その兵に
「那是什麼。」(訳・あの飲料は何だったのだ?)と問うた。
「那, 是肝臟和胃的血液。」(訳・あれは、動物の肝、胃から取った血でございます。)
これを聞くと蒙恬は大層驚嘆するとともに憤慨し、
「血用肝胃!(ちようきもい!)」(訳・肝、胃の血を飲料に用いたというのか!)
と言い放ち、その場でその兵を処刑した。
近年まで「血用肝胃(ちようきもい)」と「血用奇所異(ちようきしょい)」(訳・そのような異物の血を用いたのか)
とで学会の論は真っ二つに分かれていたが、文献からの調査により前者の方が有力説となっている。
現在日本の主に若者の間で
気持ちの悪く、嫌悪感を与えるものや人に対して
「超キモい」また程度によっては「キモい」と言い放つことがあるがこれらはその所以であり、
また少数ではあるが「超キショい」と言う人がいるのも、上の事から明らかである。
民明書房刊『日中言語あれこれ』
67 :
もいっちょ:04/10/13 14:15:10
撰斗里合戦(せんとりがっせん)
殷が中国を支配する少し前のことであるが、
数十もの小国が争いを繰り返している時代があった。
その中でも撰(せん)という国は小国とは言えないほどの勢力を誇り
その次に台頭していたのが斗里(とり)という国であった。
ある時撰が斗里を滅ぼそうと斗里の領土に進軍したのであるが
その2つの国の軍事力はとても大きな差で勝敗は誰の目にも明らかであった。
しかし歴史というものはそう理屈通りには動かないもので
撰が斗里を征服するのは容易だと考えていたのであろう、撰はその防護を怠っていた。
その戦争の最中、亜(あ)というそれは小さな国の兵が撰の将軍を討ち取ったのである。
その時の兵の言葉として有名なのが
「頭挫亜!(ずさあ)」(訳・亜が撰の頭を討ち取ったぞ!)である。
現在しばしばインターネット上において
スレッドが1000(撰と同音である)に近づくと皆が「1000!」「1000!」と書き込み
>>1000を取りたがることがあるが
これらの人たちは撰国の末裔ではないかと言われている。
しかしながら実際
>>1000に書き込まれるのは亜国の兵の言葉をもじった「ズサー!」であったりし
古代中国の小国紛争の面影がいまだに伺えることがわかる。
ちなみに、「1000ゲトー」というものは同著の「煮解賭(にげと)」の解賭と撰からの派生語であることは
察しのよい読者ならすでにお気づきであろう。
(民明書房刊『DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る』)
68 :
世界@名無史さん:04/10/20 15:14:27
ヨッシー
平安時代末期、一度だけ短期間だが朝廷が平安京から別の大都市に遷り日本の首都が京ではなくなった時期があった。
平清盛が源頼政一党を内戦で破ったことと、日宋貿易の権益の莫大さが主因である。
この福原京遷都からわずか3年後に源頼朝の先遣隊(約2000)が都市城壁の正門に押し寄せ、
壊滅の危機に陥ったが防災兵の碧龍一味が鳳天舞の陣、デザートランスやクローズデルタのような陣形から
展開した魚鱗陣を組み先遣隊を城門付近に塞き止め、碧龍(黒装束で丸坊主頭の男性。このとき23歳、とある。)
自身は平宗盛の館に毀れ出た敵兵を数匹屠りつつも駆け込み平氏一門を救った。
碧龍は後に平家一門に加わりこの地に根付くが、鎌倉時代以降の系図展開は杳として知れない。
この碧龍が素の大音声で指揮系統を動かしていたこと、彼の上役と思しき武士の存在が示唆されていること、
碧龍一味が魚鱗陣を展開するまでは虚言で先遣隊を撹乱していたこと、城門の性質を巧く利用できたこと、
一味に討たれた兵も多数存在することから「経礎で茶を沸かす」の語源はこの斎宮の変にあることはいうまでもない。
また、後の柔術の掴み技の起源と思しき動きが見られることも興味深い。ヒトが腕や服を掴む、
という動きは獣には甚だ不利なものであり柔術が対人主体の素手の武術であることからも、
平氏と辺境人の人口と文明の均衡具合もここから伺える。近年の「スーパーマリオ」シリーズに登場するヨッシーも、
初登場時は接敵すると乗り手を置いて駆け出すことから元ネタは碧龍の史実ではないかと唱える社会学者も居るが、
詳細は定かでない。この福原京も、やがては源義仲を始めとする源氏の軍が迫り首都も平安京に戻るわけだが、
現在も神戸市として先進諸国有数の海洋大都市の威容と環境を誇っている。現代では商売繁盛の神様「えべっさん」の
全国総本社として知られる西宮神社(兵庫県西宮市)で毎年行われる神事『福男選び』に、
遠い源平合戦の実在の名残りを見ることができる。 昨年の福男(22歳男性)が平碧龍の子孫であるかは定かではないが、
平碧龍と平家の繁栄を模して短期間で栄誉や副賞を同神社に返納したことには感動を禁じえない。
( 民明書房刊 「絆の社会学 --つながっていたい--」 第2版 2004年10月20日 発行 154頁『一騎駆け』 より )
69 :
世界@名無史さん:04/11/03 12:47:15
素婦痢(す ふり)
中国宋代、都の西沃省に勢力を誇った秘密結社。
その首領である倭堕惨(ワ ダサン)は全国制覇の野望を抱き、把裸把裸拳
という拳法を編み出し、人々から恐れられた。その秘奥義・非情戒弾とは、
狙いを付けた敵(倭堕惨娯乃味と呼ばれる)を宴席に招き、遊技に誘って
油断させ、密かにアルコール度数の高い酒を立て続けに飲ませて泥酔させた
挙げ句、集団で襲うという手段を選ばない卑劣きわまるやり口であった。
倭堕惨とその一党の手にかかった相手は500人とも1000人ともいわれ、
倭堕惨魔術(ワダサンマジック)の名で恐れられたという。
今日、学生コンパ等で同様の手口を使う者がまれにいるが、倭堕惨の
後裔であるかどうかは定かではない。
(民明書房刊『中国異常性欲物語〜倭堕惨の野望〜』より)
70 :
世界@名無史さん:04/11/05 20:44:27
イノキボン・バイエ(いのきぼんばいえ)
正確にはサン・インノケンヴォン・ヴァイエと称される。
中世カソリックの神父。本名はウィノ・アントニオ・キカンディ。
裕福な貴族の出自であったが、ルターやカルヴァンの宗教改革を見、
失われゆくカソリックへの信仰を憂い、
イグナティウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらと共にイエズス会を設立した。
彼はカソリックではあるが聖書の暗誦や教会への信仰などは重要視せず、
ただ神に祈るその心こそが最大の大事として、
「イティニ・サン・ディアー(親愛なる神に祈ります)」と祈る事こそが肝要である、と説いた。
当時の日本の農民の識字率は高くなかった為、彼のこの簡素な教えは、
キリスト教禁止令が発令されるまで、民衆に広く伝播したという。
彼は信仰の道だけでなく、スポーツの交流にも力を注ぎ、
日本の柔術に卍固めを伝来したのも彼であるとされる。
民明書房刊「カソリックの年代史」より
71 :
世界@名無史さん:04/11/13 23:33:34
馬威撫 (ばいぶ)
古代中国の武道家、禮汰(れいた)が考案したとされる武具であり
棍の先に取り付けた、軟体状の物体を持って相手を打ち据える事を
得意としていたが、禮汰自身の類稀なる体術をもって先端部のみを振動させ
その高速振動する軟体を相手に接触させる事で、文字通り相手を骨抜きにすると
いう奥義をも体得していたと伝えられている。
(中略)
なお、今日に大人のオモチャとしてあげられる「バイブレーター」は、禮汰と馬威撫の
合成が語源になっていることは、賢明なる読者諸氏には、言うまでも無い事であろう。
太公望書林刊
「中華好色一代記〜韋駄天いかせ男」より抜粋。
72 :
世界@名無史さん:04/11/17 10:43:19
裏千家
かの有名な「ボルジア家の毒」の秘伝は、スペインを経由して、より洗練され
ポルトガルの修道院でさらに研究が進められ、極秘として一部の者に伝授されていた。
ルイス・フロイスはこの秘伝を知る者の一人である。彼は場合によってはこの秘伝により
日本の王を殺害しても良いとの許可をローマから得ていた。
彼は千利休と会見し、その人柄にすっかり惚れ込み、互いに信頼する仲となる。
豊臣秀吉のバテレン追放令が出ると、彼は毒薬の秘伝を千利休に伝えた。
千利休の茶道にはこうして知られざる必殺の暗黒側面が加わることとなった。
この暗黒側面を引き継いでいるのが「裏千家」であることは周知の事実である。
太公望書林刊
「お〜いお茶 あなたとティータイム」より抜粋。
73 :
世界@名無史さん:04/11/27 00:40:11
『奴号解』 (どごうかい - ドキュンネーミングガイドブック)
下層民にふさわしい名前を命名するために編纂された書物。
「諡法解」にヒントを得て編集されたと伝えられるが、詳細は不明である。
下層民の命名には以下の漢字を用いるべきであるというのが本書の主張。
「翔」「勇」「竜」「龍」「太」「輝」「丈」「也」
「純」「涼」「斗」「樹」「亜」「菜」「麗」「璃」
「虎」「駿」「未」「夢」「遊」「隼」「紫」「飛」
「蘭」「星」「聖」「宙」「流」「駆」「舞」「羅」
「月」「風」「嵐」「華」「琴」「繭」「萌」「闘」
民明書房 「こんにちは赤ちゃん・懐妊から出生まで」 より
74 :
世界@名無史さん:04/12/01 21:46:21
「あれはまさしく暗拳・乱那兎衛!」
「知っているのか雷電!?」
「うむ……」
暗拳・乱那兎衛(らんなうぇい)、その起源は古く中国は蜀の時代に遡るという。
当時、戦乱に疲れた人々をさらなる困窮においやる存在として、軍からの脱走兵が
山賊や夜盗と成り果てたものがあった。軍で戦闘を経験したこれらの賊に、非力な
町民・村人では為す術がなかったのは言うまでも無い。
だが、そんな中に義憤のために立ち上がり人々を護った者がいた。
闇夜に潜むために顔を黒く塗り、相手の混乱に乗じて兎のごとく俊敏に駆け回る
攻防自在の拳法、暗拳・乱那兎衛を極めたその人物の本名は後世に伝わっていないが、
賊を狩り屍山血河を築いたその老人を、時の人々は多屍老(たしろう)と呼び敬ったという。
しかし例え義憤のための戦いとはいえ、相手が非道な賊とはいえ、官憲ではない者による
虐殺は罪であった。多屍老は何度も捕らえられては釈放され、しかし己の信念を
貫いたがためにまた捕らえられたという。人々は多屍老を神と称え、時の官憲に
弾圧されつつもその信仰は途絶えることがなかったという。
この暗拳・乱那兎衛は、現代のヒット・アンド・アウェイに通じる攻撃を主体として
いたが、兵法三十六計をも重んじたという。英語のランナウェイは、この拳法の
名前から生じていることに間違いはなかろう。
余談であるが、今も世間をにぎわしている田代まさし氏は、己の信念を貫き、逮捕される
ことを繰り返している。人々が彼を神と呼び称えているのは、この多屍老の伝説の
再来ではないかと思えてならない。
民明書房刊「拳法で覚える英単語」より抜粋
75 :
世界@名無史さん:04/12/20 00:15:32
age
76 :
世界@名無史さん:04/12/27 04:07:31
hage
日本史無双乱舞(にほんし・むそうらんぶ)
文永年間の事である。当時蒙古襲来の恐怖にとりつかれていた朝廷は、寺
社に祈祷を命ずる一方で、日本が仏の垂迹の守護する「神国」たる証左を明確
にする様、時の文章博士大江広房に勅命を下した。
その結果、神功皇后以下の故事が、百首の歌として編纂される。
これに気を良くされた後深草院が、大力のものに、歌に合わせた組み手を行
わせよとのたまわれた結果、西大寺の僧兵であった叡尊に白羽の矢が立った。
還俗し、力士として「神風」の名を賜った叡尊は、百首の歌に合わせた百の技
を開発し、「日本史無双乱舞」と命名。弘安の役においては、敵船ごと蒙古兵
を撃破する働きを見せる。
後に、京・鎌倉には「西大寺の僧叡尊の祈祷により、神風が吹いた」という話
が伝わる事となるが、実はこれが力士神風の活躍を誤伝したものであったと
いう事、賢明なる読者諸君は、既にお気づきの事であろう。
なお現在でも、世界史(異国史)を語る場において、日本史の書き込みを連発
する行為の事を「日本史無双乱舞」と呼ぶ事があるが、これは諸外国の歴史に
うつつを抜かし、神国日本の歴史を忘れた輩に鉄槌を下す行為であるという
点から、神風の雄姿になぞらえて言ったものである。
民明書房刊『日本闘技史裏話』より抜粋
(神田本の傍注):後半は、原住民からすればただの荒し行為であり、著者の偏
見による身びいきの感が否めない。
『米爺醗葉(マイヤハッハ)』
古代中国は殷の時代、殷最後の皇帝紂王は堕落の限りを尽くしていた。
ある時、菩提樹の葉を使って最高の米酒を作る米爺(マイヤ)という老人に
紂王は米酒を献上することを命じたが、米爺はそれを断り
拷問で製造法を吐かせられることを恐れ自害してしまった。
時の詩人はこの米爺の行動をたたえ、
「米爺否 米爺封 米爺宝 米爺醗葉」
(訳:米爺は断った、米爺は封じた、米爺の宝を、米爺の醗酵させる葉を)
と歌い伝えたという。
一方紂王は米爺から奪った米酒で池を作り、飲み踊り、肉を簒奪し、
後世に酒池肉林と語り継がれる宴会をし、周に滅ぼされたのは皆の知るところである。
現在「マイヤヒー マイヤフー マイヤホー マイヤハッハー」と歌う曲が流行っているが、
これは米爺の詩が由来であることは明らかである。
しかし、その歌詞が「米さ!米酒か!飲ま飲まイェイ!」と聞こえてしまうのは
我々が酒池肉林を知っている日本人だからかどうかはわかっていない。
民明書房刊「伝説の酒めぐり 〜恋の呪文は毎夜日入」より
79 :
世界@名無史さん:05/01/09 16:50:59
保守
魔卦墓野(まけぼの)
いにしえの中国では古くから競腕(けいわん)という大会が開催されてきた。
競腕とは決まった規則や規定のない、いわば大規模な野試合であるが、
それがゆえにその勝者は大陸一の武芸者とされ、その称号をかけて多くの男たちが闘った。
漢の時代になると、朱母之(あけぼの)という男が競腕において永く君臨した。
朱母之は優れた易者でもあり、占卜によって相手の動きを読んだというが、
そのあまりの的中率に、朱母之は「魔卦(まけ)」と呼ばれた。
また、朱母之の闘った後には必ず墓が出来ると言うことから「墓野(ぼの)」とも呼ばれ、
以降、競腕における実力者のことを「魔卦墓野(まけぼの)」というようになった。
競腕は現代ではK-1と名を変えていることは良く知られているが、
あまりに不甲斐ない元横綱・曙が「マケボノ」と揶揄されるのは、
なにか皮肉めいた物を感じざるを得ない。
(民名書房刊『大晦日は打稲舞都!!』より抜粋)
81 :
文字だけでゴメン:05/01/23 14:39:23 0
「九無九無(キュムキュム)」
鎌倉時代初期、駿河国や相模国で活躍した名僧大輔上人(だいすけしょうにん)
が説いた教え。
「仁 義 礼 孝 忠 真 善 徳 誠」
を大事にし、仏の教えによって行いを正し、それが欠けることが無いように
戒めたもの。この教えは広く親しまれ、上人が決まって「九無九無」と唱えた
ので信徒もこれに習い唱えたのがなまって「キュムキュム」となった。
何故かプロ野球板で大輔上人のAAを見かけるが、これは上人の遺徳が今日も
生きていることの現われだろう。
民明書房刊 『日本名僧伝』より
( ´д`)ダイチャン…
煮堕(ニダ)
清朝初期、『煮解賭 ( にげと ) 』の流行が朝鮮半島まで及び当地では
煮堕(ニダ)と呼ばれた。
民明書房刊 『雑学の泉』より
84 :
世界@名無史さん :05/01/30 14:40:39 0
湯子(ヌコ)
本来は湯子(ユコ)がなまり湯子(ヌコ)と呼ぶようになった。
冬に布団に入ると冷たいので、それをあらかじめ暖める幼児のこと。
主に大名家で、貧民救済のために雇われたがそのまま殿様の手が付くことがあり
悲観した温子(ヌコ)が自殺し化けて出た話は鍋島化け湯子騒動(なべしまばけぬこそうどう)
として有名である。1949年東宝にて映画化もされた。
民明書房刊 『江戸時代に見る職業大辞典』より
85 :
世界@名無史さん:05/01/31 17:11:24 0
皮肉の嘆(ひにくのたん)
三国時代、荊州の劉表に仕えた武将嘆蔡瑁(たんさいぼう)のあだ名。
君主の劉表に対し皮肉ばかり言っていたが武将としての才能はあった。
民明書房刊 『三国志英雄伝説外伝』より
86 :
世界@名無史さん:05/01/31 19:30:04 0
在世委灯油牛(ざいせいとうゆうし)
古代インドで、出家していない仏教信者は当時非常に高価だった財産である
灯油と牛を安全なお寺に預けていた。お寺では預り証を発行し、在世信者から
要求があった場合返還する義務があった。
この制度のことを、在世委灯油牛(ざいせいとうゆうし)と言う。
ところが寺では宗派拡大のために、灯油と牛を勝手に売却し壮大な寺院や仏像を
作った。はじめ都会に寺を建てていたときは参拝者も多くお布施がたくさん集まり
信者からの灯油と牛の返還要求に答えられていた。
しかし、人のあまり住んでいない田舎にも寺を作ったためお参りする
人はほとんどいなくてお布施は集まらなかった。それでも寺を作り続け
やがて在世信者からの灯油と牛の返還要求答えられなくなり、
在世委灯油牛(ざいせいとうゆうし)制度は破綻した。
民明書房刊 『歴史は繰り返す』より
87 :
世界@名無史さん:05/02/11 10:24:46 0
麻通権散馬痛(まつけんさんばつう)
三国時代、劉備の漢中平定戦において
魏の将軍麻通権が、白眉で有名な馬良の5番目の弟で蜀の武将馬痛の勇猛ぶりに
恐れをなして逃げたことを
正史の三国志外伝は麻通権散馬痛(まつけんさんばつう)と記録している。
三国志演義において死せる孔明生ける仲達を走らすのモデルとなった。
民明書房刊 『そのとき歴史は動いたよ』より
88 :
世界@名無史さん:05/02/11 22:20:07 0
大阪民国(テハンミングク)Republic of Osaka【国名】 <略称: 東朝鮮>
日本列島にある朝鮮民族国家。人口883万人。面積1893.54ku。国土の大半は
平野で占められている。政治体制は大統領制。前ノック大統領が女子学生に対する
猥褻行為で辞職後、大田房江が大統領に就任(現在二選目)。
朝鮮由来の独特の文化様式をもち、祝い事があると下水の流れ込むドブ川に飛び込み、死者を出すこともある。
交通事情も日本と大きく異なっており、信号の青は「進め」黄色は「進め」赤は「進め」である。
更に、4車線道路で3重駐車するなどマナー、順法精神が皆無である。
執行猶予中の犯罪者「辻元清美」に70万票も投票するほどの犯罪者びいきの無法地帯であることが証明された。
また、「お笑い100万票」と言われ、面白い者に投票するという政治を全く理解していない有権者が多いのも特徴。
朝鮮系ヤクザの総本部があり、治安の悪さもアジアでワースト1位2位を韓国(本国)と争うほど悪く、同国は「韓災地方」とも呼ばれ、「犯罪者」の語源は「阪在者」である。
大阪民国人は一般に阪国人(ハンゴク人)または阪人(ハン人)と呼称する。
アクの強い阪国語(ハン国語、例「〜やで」「ちゃいまんがな」等)を話し、第二言語としてハングル語を使う。
民族の仇敵である日本国と、日本の首都東京に強烈なコンプレックスと敵意を
抱いており、一方で同胞の朝鮮総連、韓国民団には強烈なほど好意的。
大阪民国の経済は近年悪化しており、失業率は日本で最悪の沖縄県に次ぐ7.7%と高水準。
また大企業が本社機能を日本国内(主に東京)に移す傾向がある。
阪国人の経済観念は「金に汚い」の一言で表すことが出来る。
決して人には奢ったりせず、「ワリカンやで」「奢ってくれ」「安ぅならんか?」などが口癖。
注意したいのは、阪国人は節約家なのではなく、ただ単に意地汚いだけという事である。
朝鮮企業のプロ野球球団「ロッテ」を応援せずに、阪神タイガーズを狂信する事が東朝鮮今世紀最大の謎である。
グリコ森永事件(お菓子に毒が入れられて脅迫された事件)で、なぜかロッテだけは狙われなかったので、
犯人はまさかロッテ社員ではないだろうが、犯人は在日朝鮮人という嫌疑がかかっている。(防犯ビデオに写った犯人はキツネ目の朝鮮人顔!)
89 :
世界@名無史さん:05/02/12 19:05:42 0
空残業(からざんぎょう)
お釈迦様は全ての現象は空であると教えるが、
人は生きていくうえでどうしても業(カルマ)を背負ってしまう。
また、何もしなくてもお金だけは欲しいと思う。
そのことを仏教では空残業(アーカーシャ・アパリグラハ・カルマ)という。
現在、ろくでなしの公務員が仕事もせず税金だけむさぼる姿はまさに
空残業(アーカーシャ・アパリグラハ・カルマ)といえるが、
実際に仕事をしていないのに空残業(からざんぎょう)をつけているのは
誠に嘆かわしいと言える。
民明書房刊 『仏教用語辞典』より
90 :
世界@名無史さん:05/02/13 22:30:48 0
泣いて馬謖起きる(ないてばしょくおきる)
三国時代の人馬謖は幼児期に寝起きが悪かったことを
三国志馬謖伝は、泣いて馬謖起きる(ないてばしょくおきる)
と伝えている。
民明書房刊 『有名人の子育て論』より
「かくれんぼ」って五胡十六国時代の夏を建国した赫連氏と関係があるのでしょうか?
このスレのエロい人教えてください
92 :
世界@名無史さん:05/02/14 18:29:46 0
↑と、秋葉ファッションのデブヲタがメガネを中指で上げながら言っています。
93 :
真実:05/02/14 19:57:38 0
貂蝉 犯痛 臭夷
民明書房刊 近代民俗学論評
『三国志が関東地方のジヤンケン
に与えた影響』より抜粋。
韓民国(はみんご 転じて はみご)
関西地方で、自己中心で嫌われ仲間はずれにされる子どものこと。
先般行われたワールドカップにおいて韓国応援団が
大韓民国(てーはみんご)と叫んでいたのは記憶に新しい。
民明書房刊 『関西弁の起源』より
95 :
世界@名無史さん:05/02/15 16:21:26 0
>>91 赫連慕(かくれんぼ)
その昔五胡十六国は夏の国にて赫連という君主がいたそうな
ある日赫連がお忍びで城下町を歩いていると美しい女性に出会った
しかし身分の差からかなわぬ恋と分かっていたため、いつも街角から眺めてばかりいた
その姿を見た町人が「赫連慕」(赫連が慕う)といっていたことから遊びとなり、対象の相手に発見されずに上手く隠れるゲームとなったそうな
民明書房刊 『ストーカーの起源』より
96 :
世界@名無史さん:05/02/16 21:33:48 0
拳法違反(けんぽういはん)
中国から伝えられた拳法は、日本においてさまざまな流派に分かれた。
中には明らかにおかしい流派、戦車やジェット機を使う自営態や
学校にお金を投げる紙額女性などはどう考えても拳法ではないが
日本では、試合前の介錯によって拳法違反でないとされている。
介錯によってまさにやりたい放題であるが、国民も特に気にしない。
民明書房刊 『世界の拳法』より
『兵、兵、兵』(へい、へい、へい)
「来週の志願者は学徒(ガクト)!」
中国は蜀の時代、毎週、休日明けの月曜日に定期的に希望に燃える
若い好青年を召集し、恐ろしい二人の訓練教官によって短期間で鍛え上げ、
ステージ(戦地)に送り出すという軍隊による伝説の集会。特に毎週召集される若者
はこれまでにも教官たちから「お前やるきあんのか!」「声が小さい!」
などの暴言をうけながらどつく、しばく、という行為を受けて何も言い返せなくなる。
学徒兵として無理やり動員されているのだから、やる気がないのは当り前。
そして訓練が終了すると雰囲気は一変し、戦場で縦横無尽に活躍する若者、
熱狂的に万歳をする観衆、満足げに見守る教官の笑顔に溢れ場は一変。
戦での功労を賞賛し集会は幕をおろす。
現代、同じ月曜日にHEY!HEY!HEY!という音楽番組がゴールデンタイムに放送されているが
兵、兵、兵の再来ではないかと思えてならない。
民明書房刊『知られざる若き兵士の歴史』より
不輸のそなた(ふゆのそなた)
任那日本府(現在の韓国)において、税金を納めなくていい権利を
(不輸の権)を得た人のことを不輸のそなたと呼んだ。
この古代朝鮮半島の下級役人の話は韓国国営放送(KBS)においてドラマ化され、
昨年日本でもブームとなった。
民明書房刊『朝鮮歴史用語辞典』より
99 :
世界@名無史さん:05/02/21 19:47:30 0
クレ無理ん(クレムリン)
人のものを欲しがり、すぐ断られること。
民明書房刊『人付き合いとマナー』より
三艇廻船(さんていかいせん)
江戸時代、江戸・大阪間の海運の主力。3隻一組で運用された。
民明書房刊『日本海運史』より
100 :
世界@名無史さん:05/02/24 22:44:08 0
期待アゲ
101 :
世界@名無史さん:05/02/25 00:27:42 0
百偈戸(ひゃくげと)
明朝末期に仏陀を称える偈が民衆に流布した。
それを唱えることにより、解脱することができるされ僧俗問わず唱えられるようになった。
熱心な教徒は一日に百回唱える行を自らに課し、これを百偈と称した。
百偈を行う者は大いに尊敬され、その家を誉め、人々は百偈戸と呼ぶようになった。
煮解賭、酸下吐などを軽薄行いと軽蔑し、百偈戸こそ真の聖人君子としたのだった。
信仰心の薄れた現代においても、インターネットで「100ゲット」と書き込むものがいるが、
その由来が百偈戸であることを知るものは少ない。
(民明書房刊 「仏教とインターネット」)
102 :
真実:05/02/25 17:41:35 0
惨無寸(サムスン)
支那が半島に楽浪郡を設置して現地の
蛮人を仔細に観察すると、仁、礼、徳が
全く無い事が解った。それで時の朝廷に
仁、礼、徳の三要素が無い蛮人、惨無寸
と銘々し報告した。この報告書を大いに
参考にした元は日本侵略の時この蛮人を
重用した。
今、現在、朴利、ダンピング、不良多発などの
倫理が欠如している某ウリナラ企業があるが
これは5千年にも及ぶ民族の伝統の成せる業なのか??
民明書房刊『楽浪郡外伝、夷の中の蛮人』より
難陀慰問市場(なんだいもんしじょう)
お釈迦様の弟子阿難陀(アーナンダ)が出家する前開いた市場のこと。
高品質のものが安く買え、訪れる人の心を癒した。
現在韓国にある南大門市場(なんだいもんしじょう)はこれをまねたが
安く品質の悪いものばかりで、市場の喧騒さは人の心をすさませ大違いである。
民明書房刊『韓国パクリの歴史』より
奢他意汗国(おごたいかんこく)
ジンギス・カーンの第三子オゴタイカーンが作った国
奢他意汗国(おごたいかんこく)(1226〜1310)
みえっぱりで、お金がないくせに人に奢ろうとする風習があった。
滅亡後、朝鮮半島に移動し現在の韓国(かんこく)となった。
尊大で、みえっぱりなのにけちな風習は今も続いている。
民明書房刊『モンゴル帝国史異聞』より
105 :
世界@名無史さん:05/02/27 07:37:36 0
余金封鎖(よきんふうさ)
お寺の門を閉めること。
自己資本比率が1%をきったことを知った
(預り証には牛100万頭、灯油100万樽、実際に持っているのは1万ずつ)
古代インドの王コーイズム(漢訳 古泉)は
中国の僧明衛家に在世灯油牛制度を任せたがどーなるものでなく失敗した。
押し寄せる在世信者に対し
寺の門番アマルナーゴールド(漢訳 余金)はお寺の門を封鎖した。
このことを余金封鎖(よきんふうさ)という。
民明書房刊 『歴史は繰り返す 第二版』より
>93
元ネタは 朝鮮 軍艦 布哇で
貂蝉は三国志に出てくる美人だね。
107 :
世界@名無史さん:05/03/02 19:17:16 0
各ヌしめEカーソ
108 :
世界@名無史さん:05/03/03 19:27:28 0
印出す文明(いんだすぶんめい)
現在では、印鑑を使う国は日本と中国の一部くらいであるが、
その起源は古く、5000年以上前のメソポタミアで使用されはじめた。
粘土板の上にさまざまな文様が押された。
民明書房刊 『雑学の泉』より
109 :
世界@名無史さん:05/03/08 20:00:55 0
期待age
110 :
世界@名無史さん:05/03/09 03:59:45 0
ツーンデレー
5世紀頃、アジアの北部で、白人系遊牧民が創始した兵法。それがツーンデレー
である。その闘法は圧倒的な戦力を持つモンゴル系騎馬民族に対して、硬軟取り混ぜた
戦略を臨機応変に行うことにあった。ある時は、死に物狂いで戦ったと思うと、次の日には
にこやかな顔で、和睦を勧めてくるなど現在で言う高等心理戦術であった。彼らの見事な戦いに
感服したモンゴル人はその後、モンゴル帝国を築いた時に、都会のすました感じのくせに仲
が良くなると態度が軟化し、人前で平気で腕を組んでくる女性のことを「都腕麗(つうでれい)」
と呼ぶようになった。なお、現在でも彼らの住まう地が、季節によって、寒い氷原や温かい平原
に変わるツンドラというのはもちろんこの名残である。
民明書房刊「偉大なるかな真(まこと)の亜細亜」より抜粋
ツンドラ地帯(積むドラ地帯 転じて ツンドラ地帯)
19世紀ごろの清では、日米欧の進出とともに文化の融合が生まれ、
西洋と東洋のゲームのルールが混合し、ほぼ現在の麻雀が誕生した。
当時の麻雀牌は、骨と竹から作られており、碑の裏側の竹の模様は
微妙に異なり、麻雀の名人はその全ての牌を模様で暗記することができた。
そのため、積み込みも相手の上がり牌を見抜くことなど自由自在で、
弟子には、ドラ牌をまとめて積み込むことを積むドラ地帯とまず教えた。
民明書房刊 『驚異の中国の名人たち』より
112 :
世界@名無史さん:05/03/19 22:49:38 0
理科にカン、無理を正さず(りかにかんむりをたださず)
ノーベル賞受賞した田中氏が言ったかもしれない言葉。
誤って試薬を大量に調合してしまったが、もったいないのでそのまま観測したら
ところノーベル賞級の大発明をしたことから。
民明書房刊 『保守強引な展開』より
113 :
世界@名無史さん:2005/04/05(火) 13:37:47 0
保守
宿題に字、朝鮮戦争(しゅくだいにじちょうせんせんそう)
反米デモのたかまりに、アメリカが韓国から軍を引き上げ
北が38度線を突破し、民族同士殺し合いをしてくれ
日本の景気も良くなる。
民明書房刊 『試験に出る漢字書き取り問題集』より
115 :
世界@名無史さん:2005/04/24(日) 07:43:38 0
DELLの株を買って資産を何百倍にしました。
マンションを家賃を払うのが面倒だから1棟買いました。
民明書房刊 『私の資産は300億 山本一郎著』より
116 :
賃個:2005/04/24(日) 20:20:28 0
(γ)
民明書房に書かれたイタズラ書き
;-;
II
(.)(.)
(γ)
IL
118 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 21:57:45 0
;//:/::;;:]
119 :
世界@名無史さん:2005/05/01(日) 20:08:12 0
・はんたきたな(名)
週刊少年ジャンプの連載マンガ「HUNTER×HUNTER」のスキャンがWinny・ShareなどのP2Pソフト上で流され始めたこと。またそのスキャンが汚い様子。
2chダウソ板のWinny週刊少年ジャンプの住人が作業員に対して待ちきれない様子を間接的に表すときの台詞。木曜日になってもスキャンが流されないとスレッドのほとんどがこの言葉で埋まってしまう。
ハンタ来たな、ハンタ汚、はんちきたな、繁多北菜、はんた北田、半田きたななども同じ意味。
120 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 15:56:27 0
保守
121 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 19:48:54 0
T.O.B.(ティーオービー)
世界最初のゴルフのルールは、18世紀に定められているが、
それ以前に、ローカルールとしてT.O.B.(ティーオービー)があった。
Tee shot がO.B.に入ると負けとなるルールである。ドライバーの飛距離を競い合い
ドライバーだけで遊べて人気があった。貴族でも特に騎士の間で盛んで
ホワイトナイトとかブラックナイトと呼ばれた。特にランカスター家の当主pack
の保守的な戦法はパックマンディフェンスと言われた。
民明書房刊 『雑学の泉』より
122 :
中国武術ネタが好きだった:2005/05/21(土) 16:31:33 0
呉起振(ごきふり)
中国・春秋時代。
孫子と並ぶ呉子兵法で名の知られる「呉起」は、
法制改革を断行し、南方の大国・楚を発展させた。
しかし、急速な改革は多くの政敵を生んみ、のち楚王が死に太子が即位すると、
呉起は政敵によって命を狙われるようになる。
逃げ切れぬと悟った呉起は先王の遺体にすがり付いたが、政敵たちは
かまわず王の遺体ごと呉起を射抜いた。このことで彼らは後に新王によって処刑される。
時の人々は、己の死後に敵を抹殺した呉起の粘りを「呉起振(ごきふり)」
と称して恐れかつ称えた。
現在、呉起の粘りにも負けぬ生命力を持つ害虫を指して使われているのは
読者諸賢の知るところである。
123 :
世界@名無史さん:2005/05/26(木) 20:00:41 0
倉庫牛暖(そうこうしだん)
第二次大戦時、ドイツ軍の編み出した新戦法クローゼ・コーペン・ヴァームの訳を倉庫牛暖(そうこうしだん)と言う。
当時日本とは潜水艦で情報を交換しており、平家物語がヒントになったともいう。木曽義仲に習い牛を一箇所で集中的に運用すると
英仏連合軍はたちどころに敗れた。特に牛は通れないとされた
アルデンヌの森突破は有名。ロシアの冬将軍に敗れた。
英米軍の場合は、着個牛暖(きこうしだん)と訳す。
ドイツ軍の場合牛を倉庫で暖めたが英米軍は服を個々に着せていた。
民明書房刊 『雑学義経』より
124 :
世界@名無史さん:2005/05/28(土) 00:45:52 0
「怒瑠砲/牙津(ぬるほ/がつ)」
中国は元の時代、国土拡張を目論み周辺諸国への侵略を行っていた。
なかでも日本を攻めたものを日本では元寇と呼んでいるが、
その際に使用された艦載兵器が「怒瑠砲」である。
怒瑠砲は船首に固定された投石器から西瓜大の瑠璃(ガラス)を
打ち出すもので、その威力たるや凄まじいものであった。
怒瑠砲を驚異とみた日本側は九州北西部の湾岸に対怒瑠砲用の
防壁を建設。超大型の槍状のものを海に向けて並べて突き出し、
怒瑠砲から放たれた瑠璃を未然に海に突き落とすもので、
その形状が獣の牙のようであったことから「牙津」と名づけられた。
牙津は絶大な効果を発揮し、元寇が失敗に終わった主因とされている。
なお、現代にインターネット上で「ぬるぽ」と書き込まれた際に「ガッ」と
(殴るなどの描写を添えて)返されるのは、この名残りであるのは言うまでもない。
125 :
世界@名無史さん:2005/05/28(土) 00:49:33 0
【マツケンサンバ】
正式にはマッケンサンバである。
小説家アーサー・マッケンが魔術結社ゴールデン・ドーンに所属していたことは有名で、その宗教的な儀式に起因する。
結社を抜けた後、友人のモントゴメリー・エヴァンスに儀式について尋ねられたマッケンは、エヴァンスの前でそれをして見せた。
それはまるでブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのパーカッショニストのごとくノリノリでマラカスを振るという儀式で
その時にエヴァンスが「まるでサンバだ」と笑いながら言ったことが始まりだとされる。
そしてそれを「使える!」と判断したマッケンは他の友人にもことあるごとにその儀式を披露した。
他の友人にもウケは良く、いつしか「マッケン・サンバ」と友人内で喜ばれる宴会芸へと昇華した。
遠く離れた日本にもそのサンバは知れ渡ることになるが、当時英語力の低かった日本人は
「アーサー・マッケン」を「朝松健」と勘違いし「マツケン」となってしまったことは意外と知られていない。
126 :
世界@名無史さん:2005/05/28(土) 13:37:57 0
【北派 華箕山 万月張】(ほくは かみやま まんげつちゃん)
中国拳法には肉体を鍛え外的な破壊力を追求した「南派」と、体を水と見立て内部からの破壊を目的とした「北派」があることは
賢明な格闘技マニアの読者方ならご存知だろうが、その北派の中でも最強と呼び声が高い拳士に清の時代の「万 月張」
(まん げっちゃん)という者がいた。山東省の華箕山(かみやま)で修行した彼の内頸は、その威力ゆえ喰らった相手が
両手両足を広げ飛びあがったといわれる。また相当のサディストとしても有名で、相手に止めをさす時に
「おまえはどの拳士に打ちのめされたい?」などとつぶやき、そして相手は
「北派 華箕山 万月張!(華箕山出身の北派拳士、万月張にです)」と叫びながら宙に舞ったという。
それ以降「北派華箕山万月張」という言葉は、絶対に敵わない相手への畏怖の言葉を指すようになった。
VIP板などを中心に「どのアニメキャラと○○したい?」といった旨のスレが乱立した際、モナーが飛び上がりながら
「僕は、神山満月ちゃん!」と叫ぶAAが頻繁に見られたが、これが
>>1に対する恐怖を表していたことを知るものは少ない。
民明書房刊「おまえらどの男塾生と油風呂入りたい?」より
スレッド位置ageます。
128 :
世界@名無史さん:2005/06/03(金) 21:55:02 0
∧_∧ ┌────────────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、神山満月ちゃん!
\ / └────────────
_/ __ \_
(_/ \_)
lll
129 :
世界@名無史さん:2005/06/08(水) 20:52:37 0
保守
三個の零(さんこのれい)
日本海軍戦闘機零戦の1小隊運用を三個の零(さんこのれい)と言う。
それに対して米軍はサッチウエーブという戦法で、大戦末期圧倒した。
民明書房刊 『戦闘機戦術』より
∧_∧ ┌────────────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、こうやまみづきちゃん!
\ / └────────────
_/ __ \_
(_/ \_)
lll
132 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 23:09:50 0
保守
133 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 20:41:28 0
下の席上焼く(しものせきじょうやく)
焼肉屋で接待すること。
接待先に上座についてもらい
煙が行かないように気を使うこと。
民明書房刊 『社会人としてのマナー入門』より
134 :
世界@名無史さん:2005/06/20(月) 08:00:17 0
負陰気(ふいんき)
古代中国は春秋時代において、諸子百家と呼ばれる説法家が数多くいたが
その中に、万物を陰と陽で表す陰陽説を唱える鄒衍(すうえん)と言う者がいた。
この鄒衍が治世にあたり、当時仕えていた秦王に進言したのが
「王に対する害や恨み(すなわち陰の気)を王の代わりに受け、これを守る」という
呪術的な役職である。
この役に着いた者は「王の陰気を負う」ことから「負陰気」と呼ばれ、
また任命されてしまうとなぜか死ぬまで任を返還できないことから
人々はこの任に任命されることを恐れたという。
しかし、これらの者が王の害を代わりに受けてくれたおかげで
秦王は何度も刺客などから逃れ、ついには中国全土を統一することができた。
この「負陰気」は中国統一後も歴史の裏で代々受け継がれ、それがやがて日本に伝わり
陰陽師などになったことは意外と知られていない事実である。
なお、現在で掲示板に「ふいんき(←なぜか変換できない)嫁よ。」と書かれていると
恥ずかしい打ち間違いと勘違いされることがあるが、本当は現代日本でこの役に
自分の嫁が任命されてしまったという者が書いた悲しみの慟哭が書かれているのである。
民明書房刊「黒歴史〜平和な世間の知られざる恐怖〜」より
135 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:16:09 0
_,,..:--─‐-=,,._
./;;,ィ''"´ ̄`゙゙ヾ;ミミミ;;、
./ミミ/゙ ゙:::゙iミミミ:l
iミミ′: : ..::::_;ミミ;ミ;リ
ヽ,! ゙ .,;;;..'' ''゙゙;;_ ゙:::ヾ;;;;;;/
. } :'゙::“:゙:. l::'゙.”:゙;.::'':;;゙irく
. | ヽ .,r ..:::、 ..::::;;;トl;|
|.. :' ''ー;^''::ヽ. :':::::;;;i::ソ <ホロコーストは支那起源
. l、 ←‐'‐→、! ..::::;;;l゙´
ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '":::';;;ハ、
_,,/`i、 -:: -:::'::゙:::;;ツ'::::`;、_
_,...-‐''" | ゙;、 i":;;:::::;,/':::::::::;!::::`::-、.._
.l゙ ゙ヽ:;,ン'":::::::::::::/::::::::: : -ー `
l .,/;l ,r"
.ヽ /r;:ヘ、 ,,/;''
゙ ''::'`'´ ヽィ::'
136 :
よろずこ:2005/06/25(土) 21:20:23 0
>>134 そうだったのか。
重いよ。
でも、がんばるよ。
「ふいんき(←なぜか変換できない)」
っていうか、
単語登録したら。。。。。。。。。。
137 :
世界@名無史さん:2005/06/26(日) 09:29:14 O
空気(からけ)の語源教えて下さい
空気嫁(くうきよめ)
俗に「ダッチワイフ(オランダ妻?)」と呼ばれる、男性の性的欲求不満を解消する
抱き人形の中国語訳。古くは南極○号、現在ではラブドールと呼ばれる。
民明書房刊 『可口可楽をはじめとする中国語訳例集』より
カコ
印欧語・中国語などでは、詩歌の修辞法に文の頭で韻を踏む頭韻と
末尾で韻を踏む脚韻があります。日本語ではこれがとても難しかったので
縦読みと言う技法が生まれました。古文の授業で習ったと思う。
伊勢物語の東下り、かきつばたがそれである。また異説ではあるが、いろは歌を
7文字で区切ると末尾に とかなくてしす 咎なくて死んだ 無実の罪をうたう
とも言う。
民明書房刊 『縦読みは伊勢物語からはじまった』より
141 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 17:34:24 O
民明
ってどんな意味なの?
>>141 学問によって民に明かりをもたらす、という願いが込められているそうだ
マジレスすると人名
周 民明
または
大河内 民明
漫画の作者の分身とおもえばよろしい
144 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 10:22:20 O
せんきゅ
あたしゃてっきり私の彼はパイロットかと思いましたよ
同じく、愛は流れるのかと・・・・・
同じく、シャオパイロンのかと…
147 :
世界@名無史さん:2005/07/20(水) 06:04:38 0
キューンキューン♪キューンキューン♪
148 :
世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:40:48 O
かいしょなし
ってどういう意味でしょうか。ご存じの向きがおいででしたら、ご教授願いたく存じます。
家遺書無(かいしょなし)
家で遺書を書かずに自殺した人を家遺書無(かいしょなし)と言う。
歴史上では、唐の時代のひと政治(せおじゅい)が政治家遺書無
(せおじゅいかいしょなし)として有名。
政敵の民営化(みんえいか)と争い敗れた。
民明書房刊『中国歴史異聞』より
150 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 04:46:53 O
ありがとう☆
151 :
世界@名無史さん:2005/08/14(日) 03:11:37 0
(・ω・)ノセンセー
「テンプレ」「荒らし」「人大杉」「あぼーん」「アクセス規制」
「既出」「厨房」「マターリ」「ドキュン」「オマエモナー」
この辺りは民明書房では、どう書かれていますか?
『亞羅子(あらし)』
後漢末期、未成年の美男子を集め、彼等を皇帝への慰め役として派遣する、
そのような商売を糧に生活をする「蛇爾委(じゃにい)」という商人が居た。
蛇爾委の選別眼は非常に優れており、彼と彼によって選ばれた美男子ら「亞羅子(あらし)」は
皇帝の寵愛を一身に受け、蛇爾委一族は未曾有の栄華を誇っていた。
また宮廷内においても亞羅子の人気高く、熱狂的な女官たちは「蛇爾於汰(じゃにおた)」
と呼ばれる亞羅子愛護集団を結成し、亞羅子の擁護を行っていた。
或る時、宮廷内でも権力を擁していた女官「紀玖磨(きくま)」が亞羅子の一人を誘い、
宮廷内で酒を呑ませ、彼を悪酔いさせ、酔った亞羅子の一人が宮廷庭園内で騒ぐという事件が起きた。
事件当時就寝中だった皇帝はこれに激怒し、紀玖磨、亞羅子及び蛇爾委をそれぞれ自宅謹慎させた。
しかしこの処置に対し「蛇爾於汰」は亞羅子への同情、及び彼に呑ませた紀玖磨に対する非難により、
皇帝の寵愛を受けている女官らが皆一斉に亞羅子の謹慎処分をとくよう懇願し、
紀玖磨へはさらに強い処分を行うよう毎日強く訴え、その訴えがあまりにも多く強かったために、
これ以降同じ人に対し、同じ場所において、人の意見を聞かず、
ずっと同じような一方的主張を繰り返す行為自体を「亞羅子」と呼ぶようになった。
現在の中国においても「亞羅子」は非常に嫌悪される言葉であり、
またいつの頃からか中国から日本へこの言葉が伝わり、
日本のインターネット上でも激しく忌み嫌われる行為となっているのは周知のとおりである。
(民明書房刊 「中國と日本の間における言語交流 第二巻後漢期」より)
153 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 20:53:27 0
『茶暗婆 ( ちゃんば ) 』
去勢した男を使役する宦官という制度は、長く続いた中國文明の闇として有名であるが、
その女性版とも言える「茶暗婆」については案外知られていない。
彼女らの仕事はもっぱら茶を入れるといった雑務であり、秘密漏洩を防ぐために両目を潰されていたが、
皇帝への影響力は絶大であった。
権力欲に取り付かれ、皇帝にまとわりつく茶暗婆たち。
それを見た誰もが不快に感じた事は想像に難(かた)くない。
現代日本の蹴球界において、花形選手とその追っかけの様子を
「あいつが走ればチャンバ(茶暗婆)も走る」と揶揄するのは
歴史の闇に葬られた文化が、日本で生きているからに他ならない。
( 民明書房刊 「始皇帝からキャプテン翼まで」 より )
どうせなら東南アジアで攻めてほしかったな、世界史板なんだし
ウプレカス[Uprecus]
(紀元前1世紀前半〜没年不明)
ローマ帝国の思想家。(元軍人の説アリ)
当時帝国により厳重に秘匿されていたあらゆる伝統技術
の開放を訴え、ローマ市街で市民や外国人、奴隷達を煽動して暴動を起こした。
その為に帝国から疎まれ元弟子のコニウプにより毒殺(暴動の罪で処刑、地雷で爆殺説等あり)
されるが、彼の名は後世まで受け継がれ、自由を愛する文化人や思想家などに親しまれ続けた。
インターネット上で同人誌や商業漫画のアップロードを求める際に
「うpれカス」と叫ばれるのは、ウプレカスの名前をもじったものであり
「総ての文化(同人誌の内容)を開放せよ」
と彼の思想を踏まえた上での発言かと思われる。
ttp://cgupload.dyndns.org:8080/~upuser/up/img/1125234813403.jpg
156 :
世界@名無史さん:2005/08/30(火) 10:16:31 0
禁網(きんもーっ☆)
遡るは弥生の時代、自己の土地を主張する為に注連縄(しめなわ)で境界線を引いていたが
境界線が不明瞭な場合、互いの一族の代表が綱を引き合い勝った者が領地を広げていくという習慣があった。
その綱引きはまさに一族にとっては死活問題であったため、死にモノ狂いで競い合っていた。
ある者は策を凝らし、またある者は3日間勝負がつかず互いに倒れ臥すという事もあった。
それを知った伊都国の大王はこれ幸いとその争いで疲弊した集落を吸収していった。
その際『綱引きによって民が疲弊せし事まかりならん』と禁網の御触れを出したが、
真実は神社に使われている注連縄を漢達の血・汗・小便で穢れていくのを許せなかったという。
2005年熱犬店従業員が同人誌即売会会場にて漢達がぶわぁぁぁと集まっている光景を見て
交通整理の縄に沿って目を血走らせている姿はまるで弥生時代の禁網のようだと錯覚し、
自己の日記に記録したが、その日記が発覚し皆に叩かれたのはあまりにも有名。
(民明書房刊 「ゆかりの家には鏡が無い」より)
157 :
世界@名無史さん:2005/08/31(水) 00:08:18 0
,, --──-- 、._
,.-''"´ \
/ ヽ、
/ (Φ), 、(Φ) ヽ
l `ー ,,ノ(、_, )ヽ、,,. l
.| /// `-=ニ=-. /// |
l `ニニ´. l
` 、 /⌒⌒i /⌒ヽ /
`/ | | \ /
妖怪まんこ嗅ぎ
もし嗅いだ時、悪臭を放っていたならば?妖怪まんこ嗅ぎが悪臭を全部吸い取って
くれて翌朝にはほのかに薔薇の香りのするアロマまんこになっているという。
このように妖怪まんこ嗅ぎはやさしい一面を持っている。
(民明書房刊 「妖怪まんこ嗅ぎ」 より)
158 :
世界@名無史さん:2005/08/31(水) 01:07:55 0
名作の予感…!
職人さん乙!
159 :
世界@名無史さん:2005/09/05(月) 01:33:53 0
文庫化マダー?
160 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 13:36:20 0
酢溢(すいーつ)
中国では酢が溢れるほど酸っぱい菓子ほど健康的で上品とされ、
中国の歴代の皇帝や高官はこぞってすっぱいものを求めた。
中には腐ったものや硫酸を飲食し命を落とす者や、ワキガと汗の臭いを賞味するものまで現れた。
事態を憂慮した明の英宗文楽帝は、酸味の強いものを禁じ、甘いものを上品とすることを命じ、
酸味の強い食品が菓子として出回ることはなくなった。
以来、スイーツとは甘いものを指すようになった。
大起源 「世界的食文化 甘味編」
涙曹操
張繍の裏切りにより、苑城で曹操の命を助け死亡した
悪来(典偉)を思う場面を三国志では涙曹操と記録している。
映画版三国志では、この名場面に流れる曲を
夏川りみがカバーし(涙そうそう) ビクターより発売されヒットした。
民明書房刊 「映画三国志ガイド」
『板賭シ露霧零 ( はんとしろむれ ) 』
紙が発明される以前、中国では木板を紙の代わりに使用していたというのは有名だが、
当時の文化人の間では、即席で書物を公開し合う「礼素」という遊びが流行していた。
たびたび木板を賭けて趣のある書を競い合っていたが、初めて参加する者の多くは
常連達に大敗し、木板を全て失って帰っていった。
その様を見たある文化人が「板ヲ賭シ露ト成リ霧ト消ヘテ零ト成ル」と詠んだのが
この言葉の語源となっている。
「板賭シ露霧零」には、「初心者は無理に礼素には参加せず、一定期間見学せよ。」
との訓戒の意味が含まれている。
( 民明書房刊 「日記ハ致羅紙ノ裏ニ書セヨ」 より )
惜しいなあ。
164 :
世界@名無史さん:2005/10/13(木) 21:19:17 0
『陰棲杯夜(いんすぱいや)』
命を狙われる皇帝に代わり、「影武者」として公の場に立つ事を生業としている部
族があった。
彼らは、顔を整形し、喋り方、一挙手一投足を完全に模倣することで、皇帝を刺客
の手から守っていた。
だが、影武者の存在は極秘であった為、彼らの日常生活は「影」そのものであった。
日の当たらない部屋で、物音を立てることも許されなかった彼らの唯一の楽しみは、
皆の寝静まった夜に杯を交わし、平穏な一日を祝う事であった。
影武者の存在を知る側近の者たちは、彼らを「陰に棲み、夜に杯を交わす者」と畏
怖し、いつしか「陰棲杯夜」と呼ばれるようになった。
現代社会では、他人の行動や著作物を模倣することを「インスパイヤ」と呼ぶこと
もあるが、この部族が持っていた高貴な志が感じられなくなったのが残念である。
(民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より)
165 :
世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:30:41 0
『櫃刺打菜』
主に華南に生育するマメ科の多年草を南宋のころから食用に栽培したものが明代に日本にもたらされてこう呼ぶ。
葉と茎を他の菜や魚と煮付けたり、茹でて塩や味噌であえたりして食す例が多い。
組織中に若干のゼラチン質があり、調理の際に溶け出して丁度オクラや納豆のような粘着質なところがあるので、好みが分かれる場合があるが、やはり溶け出した養分が香り高いため、需要も根強い。
最近ネット掲示板の普及につれて、些細なことで執拗に書き込む人の忍耐力に賛嘆してこの名を笑いながら投げかける例が増えた。
(民明書房刊「食べられる草の歳時記」より)
>>165 説明に軽快さがなく、ネタ度も低い。
あと、よみがな付きのほうが良い。
今後に期待。
>>160 硫酸を飲食にいかにもあの世界らしくてワロタ
そこで骨をも溶かす竜硝酸ですよ
>>155 双葉ちゃんねるのネタ転載すると
としあきどもに怒られるぞ。
170 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 06:20:10 0
【禁妄(きんもう)】
秦代中国において、曼画(まんが)・芸夢(げいむ)・荏魯芸(えろげい)・阿仁瞑(あにめい)・といった娯楽を好む、
於拓(おたく)と呼ばれる者がいた。中には、それらの娯楽を見て興奮した者が自分で妄想による曼画を描き、
憧荏誌(どうじんし)と呼ばれる印刷物にして、他の於拓に向けて鬻(ひさ)ぐ者もおり、
毎夏冬には曼画即売会と呼ばれる、大規模な憧荏誌の即売会のようなものが行われていた。
即売会には、軽食屋台を出店する者もいて、その屋台の出店した者の中には、
即売会に参加する於拓たちや彼らの描いた曼画や妄想に対する嫌悪感を抱く者もおり、
彼らのうちのが某が書いたと思われる、日記とされる書物に「於拓是多数、禁妄(きんもう)」と書かれたものがあり、
それが殷多捏都(いんたねつと;都市に点在する、民衆が集まる広場)の掲示板にその書物の内容が書き込まれたのがきっかけで、
その掲示板を見た者の中に「禁妄、禁妄」と書き込むことが流行したという。
(民明書房刊『秦漢代於拓記―牛馬車男にみる於拓―』より)
あて字プラスアルファが欲しいところ。
173 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 00:10:04 0
保守
174 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 22:40:39 0
age
175 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 23:36:26 0
もうネタない?
176 :
世界@名無史さん:2006/01/29(日) 04:11:53 0
『徐如(じょ・じょ)』
中国古代の伝説的英雄。
不死身とされた暴君泥王(でいおう)を、杖縁(つえ・ぺり)らの協力を得て倒した。
彼の子孫と復活した泥王との戦いも講談などで人気があり、「徐如奇談」と総称される。
徐如奇談の登場人物たちは宋代から神格化されるようになり、各地に神像が建てられたが、人間には不可能な体勢に形作られていることが特徴である。
清代の「彫髪の乱」は、反乱勢力が弁髪に対抗して「徐如奇談」の登場人物「彫成夫(ぽる・なれふ)」の髪型を模したことによりそう呼ばれる。
後に日本でこの伝説を基にした劇画が作られ、人気を博した。
(民明書房刊『古代中国の奇妙な英雄』より)
177 :
世界@名無史さん:2006/01/29(日) 14:33:25 0
【厨房】
インターネット上でしばしば用いられる厨房もしくは厨という語は
一般には中学生の俗称である中坊(ちゅうぼう)の当て字だと思われているが、
実はこの言葉の由来は明代にまで遡る。
明の王族の朱有熺は人肉を好むという異常な嗜好があり、厨房には常に人肉を絶やさないようにしていた。
そのため、夕暮れ時に門の前を通る者があると、邸内に誘引しては殺していたという。
やがてその噂が時の皇帝の耳にも入り、皇帝が邸内を調査させたところ、
厨房内は人体の残骸が山と積まれ、また人の死体が鉤に吊るされているかと思えば、
また、まさに料理されんとする人々が監禁され、地獄もかくやと思われる酸鼻きわまるありさまであった。
そこから、悲惨な状況や見るも無残なありさま、転じて人を人とも思わない言動を俗に「朱氏厨房」というようになった。
ただ、明朝皇帝の姓をはばかる意味もあり、また明清代を通じて朱子学が信奉されたこともあって、しばしば「朱氏」が省かれ、
単に「厨房」とか「厨」とだけ言うようになった。
(民明書房 刊『電脳世界に生きる中国史』より)
178 :
世界@名無史さん:2006/01/29(日) 15:52:49 O
いまいち
【寝釜(ねかま)】
かつて明の時代、農村地帯は深刻な結婚問題を抱えていた。
男性過多というのが実情で、結婚相手のいない男性は子孫が残せず、村を出て行くのが慣例だったという。
こうした男性は、都へ出たあとで女装し、使用人として働くことが多かった。
しかし、農村出身の男性が家事をこなせる訳が無く、飯を炊く釜は寝たように静かだったという。これが転じて、
男性が女性を騙ることを【寝釜】(釜が寝ている)と表現するようになったという。
現代日本において、インターネット上で異性を騙る(多くの場合、女性に成りすます)ことをネカマと呼ぶが、語源が
明代中国にあったことは余り知られていない事実である。
(民明書房刊「古代中国における男性 〜農村から宦官まで〜」)
181 :
世界@名無史さん:2006/03/01(水) 16:25:12 0
否馬迂鞍(いなばうあん)
南宋の遠征軍が冬林能(とうりんのう)の戦いで、大雪によって山中に閉じ込められた際、
武将・史通化(しずうか)が咄嗟に編み出した秘儀。動けなくなった馬から鞍を外しすと、
「否馬迂(馬で迂回することもなし)」と一喝してこれに跨り、上半身を反らしてバランスを
取りながら、氷と化した雪上を敵陣目掛けて一気に滑り降りた。
この奇襲は、相手は雪で動けないと思って油断していた敵の虚を突いて大戦果を上げ、
当代最強といわれた猛将・左車項炎(さしゃこうえん)と崇流通華矢(すりゅうつう かや)を
始め、多くの武将を討ち取る大戦果を上げた。
凱旋後、史通化は宰相・相応晋(あいおうしん)から、「剛にして流れる動き、命をかけて
龍を舵するが如し」と賞賛され、剛流動命舵龍(ごうるどめだる)の称号を授けられた。
しかし、この奇襲戦法には卓越した平衡感覚と柔軟性、度胸が必要であり、この数年後
武将・安道雲(あんどううん)の軍がこれを真似て転倒、戦わずして全滅したのは余りにも
有名な話である。
民明書房刊『戦場の金メダリスト』より
■イナバウアー■
イナバウアーはフィギュアスケートの技で、
足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技である。
織田信長の愛馬の因幡馬(いなばうま)が語源とされる。
因幡馬のひづめは通常の馬よりも開き気味であるが、
障害物を乗り越えるときに優美な曲線を描いてのけぞる姿を
人々が「やはり因幡馬。百人乗れども大丈夫」と賞賛した、
とルイス・フロイスが『日本史』に記している。
『日本史』を通じてヨーロッパに広まったことの言葉は
やがて「イナバウアー」という発音になり、
第2次世界大戦ごろまで優美な雌馬を表現する言葉として使われていた。
これをフィギュアスケートの用語として使い始めたのは
ロシアのフィギュアスケーターだと言われている。
ちなみに、語源の一説としてドイツのイナ・バウアーが
開発したとの説があるが誤り。
陰斧流円座(いんふりゅうえんざ)
中国幻の暗殺術と言われた物の中に
戦斧を駆使する「陰斧流」と呼ばれる流派があった。
この流派の特徴は、重さが320斤(約70s強)の戦斧を背に担ぎながら
目的に陰のように近づき、事を果たせば疾風の如く去って行くという
速さと豪快さを併せ持つ、最強とよばれるに相応しい流派として有名であった。
しかし、その修行の厳しさもまた有名で「陰斧流」の数々の荒行が現在にも
文献として残っている。その中でも、とりわけ有名なのは「陰斧流・円座」である。
寒風吹きすさぶ季節に始まるこの修行は、
陰斧流の師範を、屈強な修行者達が上半身裸という姿で囲み、
将来背負う事となる戦斧と同じ重さの鉄塊を背に担ぎ
春先まで約3ヶ月、延々周囲を歩き続けるという荒行である。
しかし、これをやり遂げる事ができた者は、陰斧流の使い手として有望、と
判断されるだけの修行の「入り口」だというのだから恐れ入る。
余談だが、当然この修行に耐え切れず脱落する者も少なくなく
その多くが修行途中で体調を崩し、修行場を抜け出して麓の村へと脱走した。
だが、修行による体調不良から病に侵されていた者が多かった為に
村では流行り病の原因として恐れられた。
それが転じて冬先から春にかけて流行する風邪が「陰斧流円座」と
呼ばれていたのは有名な話である。
カゼ
民明書房刊「陰斧流奥義の全て〜疾風の如くあれ〜」より抜粋。
年末だ椅子畏敬(ねんまつだいすいけい)
少しおつむの弱かった
蜀の国の王子様はry
民明書房刊「ああ、かねがない」より
185 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 11:06:44 0
age
186 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 11:54:05 0
他スレからのコピペだがageとこう。
「炉梨流棒術(炉梨棍)」
中国に数多あるという棒術の中でもその長い歴史で
一際異彩を放つものが唐代に流行した炉梨流棒術であろう。
己の肉体の棒のみで戦う姿は最早伝説といっても過言ではない。
しかしその修行は大変厳しく、修行者たちは妖しきものを除き、己の覇気を高めるという意味で
「妖除覇覇(ようじょはぁはぁ)」の掛け声を出して修行に励んだという。
しかし、この拳法の厳しい修行に脱落した門下生の中から、
時に近隣の村の年端もいかない少女によからぬ行為を行う者が出て、当時の社会問題になった。
民衆はそんな輩を「丙奴(ペド・甲乙丙でいえば丙のような奴)」と呼んで忌み嫌った。
現代でも少女との性行為をほのめかすような奴に対して
「氏ね、ペド野郎」という事があるが、これは無論当時の名残である。
民明書房刊『萌える!中国武術』より
187 :
186の挿絵:2006/03/25(土) 11:56:32 0
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{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ .| / / \ \ 〉/ }
ゝ-,,,_____)--、j / / \ \ / i,、_, , ,',;:',i
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188 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:40:01 0
age
189 :
世界@名無史さん:2006/04/27(木) 09:59:21 0
リアル民明書房キター
中国ゴルフ協会と故宮博物院などの研究チームは26日、12世紀の北
宋時代に中国でゴルフの原型に当たる球技「捶丸」が始まっていたと発
表、文献などに基づいて復元した木製クラブやボールを公開した。
捶丸は中国語で球を打つという意味。ゴルフの原型は14−15世紀に
スコットランドで行われていた球技とされるが、異説もある。研究チーム
は元代の文献に、12世紀前半の北宋時代に捶丸が既に流行していた
との記述があり「捶丸がゴルフの元祖といえる」と主張している。
元代には貴族の遊びとしてルールもほぼ確定。故宮博物院所蔵の明
代の絵画にも皇帝や女性が捶丸を楽しんでいる場面が描かれている
が、清朝が国民の体育活動を規制してから衰退したという。Yahoo!共同
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060426-00000137-kyodo-soci
190 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 19:24:46 0
男塾で引用していた文献とは記述が違うですね・・・
確か「戦場で敵兵を小石ショットで薙ぎ払ったという棒術の達人に由来・・・」
じゃなかったっけか。
待ち
192 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 19:32:01 0
【明渡(めいど)】
唐代の和寧の国王、明宗(朴朱仁)、度宗(朴莉)の治世のこと。「明度の治」とも呼ばれる。
朴朱仁は於拓州の出身の宰相・崔阿句の進言により、女官に専用の服を着せ、
女官に自らのことを、「御朱仁様」と呼ばせていたという。
朱仁の子の朴莉は、さらに女官に喫茶店を開かせ、庶民も利用できるようにしたことから、
和寧最高の名君と称えられた。
民明書房刊『大和寧民主王国―明度実録―』より
193 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 20:15:08 0
『音渡迎謀 (ネットゲーム)』
音渡迎謀・・・・・
中世、ユーラシア大陸を制した蒙古人は支配地にジャムチと呼ぶ駅伝制を敷き、交通通信制度を発展させた
元朝初期には軍の移動や軍事情報等の伝達が主であったが、
モンゴル帝国の支配が確たるものとなりそれらの重要性が薄れるにつれて
王族や高級貴族の娯楽に使用されるようになったのも当然の成り行きといえよう
初期の音渡迎謀は参加者同士が碁や将棋の手を書にしたため、
迎謀真手詫(げいむますた)と呼ばれる審判に相当する者に送付し、
勝敗を競うものであったが時代が進むにつれて多人数が同時に参加できる遊技へと発展していった
これを極めた者は覇偉人と呼ばれ尊敬の的となった
吏寧呪、羅愚南録等の音渡迎謀が元朝中期の資料に散見される
なお、元寇の際日本遠征軍を指揮した元の将軍 忻都、金方慶は覇偉人として有名であるが、
音渡迎謀に溺れたせいもあり、実戦においてはきわめて無能であり元軍の壊滅を招いたことは周知の事実である
このように音渡迎謀により軍人や官僚が政務、軍務を怠り、国力の著しい低下を招いたため
やがてフビライ・ハーンにより禁令が出され、覇偉人たちは世間から蔑まれるようになった。
現代においてインターネットを利用したネットゲーム上においては
高レベルの者が「廃人」と軽蔑されているが、その起源が「覇偉人」にあることはいうまでもない
( 民明書房刊 「遊戯 その歴史とは」 より )
194 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 11:58:24 0
【羅威武怒吾(らいぶどあ)】
南宋全盛時代、洞庭湖の南岸に面する都邑に、羅という武術道場の氏族がいた。
羅家の男どもは建前の本業こそ道場経営であったが実態は賭博の用心棒であり、し
かも気性が荒々しく、賭場でケンカざたがあるとすぐさま湖岸につなげてある渡し
舟に飛び乗って鉄火場へと漕ぎ着け、騒ぎを起こす連中を容赦なく叩きのめしてし
まう。そのため博徒は、羅家の息のかかった賭場を「漕艇の範囲内」と呼んで怖れ
ていた。また羅家の縄張りの賭場はそれを誇示するため、羅家の頭領格に頼みこん
で「怒吾(吾は怒る)」とただ二文字を彫りこんでもらっていた。
「賭場アラシは、吾ら威武ならびなき羅家の怒りを呼ぶぞ」という威嚇である。
羅家の独特の彫り文字で護られている門は当時、「彫り衛門」と呼ばれたが、一般
には彫り衛門は単に「怒吾(ドア)」と略され、ドアの語源となったのである。
また羅家の男たちは「夢羅神(むらかみ)」という道場神を崇め奉っており、その
神託のままに行動していた。羅家は自覚していなかったが、かれらが崇拝する夢羅
神の神官・世師阿木は野望のもちぬしであり、羅家はかれに操られるまま地上を夢
羅神がすべての規範となる土地とすべく活動していた。じつに羅家は、「夢羅神範
土」実現の道具だったのである。
南宋が元朝に滅ぼされたとき、羅家は殺到する蒙古軍に抗すべく賭場に立てこもり
ながら転戦した。いずれも敗退であったが、それぞれ立てこもった賭場の元締めの
名を冠して「金哲の乱」「普慈の乱」「周韻の乱」と呼ばれている。いずれも
羅家の惨敗におわり、最後は「興西双狭の戦い」で滅ぼされ、いまでは羅家の道場
があった地に、碑を留めるのみである。六本の大樹に囲まれた景勝の丘陵地であり、
後世、さびれきった碑が留まるのみの元朝時代の同地を活写した「六樹碑留図」の
画がうまれ、諸行無常を表現した水墨画の傑作として有名である。
なお羅家が滅んだあと、辛うじて生き残った世師阿木はみずから神の子と名乗って
脱出をはかるも、第二次「興西双狭の戦い」で敗北して滅んだ。世師阿木の一連の
逃亡戦は、俗に「半神の役」とも呼ばれている。
(民明書房刊「南宋武侠秘話・民間伝説あるいは風説の生成過程」より )
保守。
196 :
世界@名無史さん:2006/08/12(土) 15:47:33 0
age
197 :
世界@名無史さん:2006/08/13(日) 09:45:03 O
【博之】
中国明代の詩人。河北省西村出身。字は旨棒。
十九歳の頃から万里の長城に漢詩を刻むようになり、
のちに多数の詩人たちが集まり、詩作を競うようになった。
博之は詩人たちから「示申」と呼ばれ崇められた。
そのなかで当時十七歳の厨房詩人、根汚麦茶による漢詩「我襲西鉄牛車也」が注目を集め、
のちに麦茶本人による牛車襲撃事件が本当に発生したため、
万里の長城はこの事件を詠んだ漢詩で埋め尽くされた。
民明書房刊「あやしい厨房の歴史」より
198 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 21:24:18 0
【我知無知(がちむち)】
古代ギリシャの哲学者、ソクラテスは恐妻家として有名であった。事あるごとに暴力を振るわれ、
夜の営みなどもっての他だった。そこでソクラテスは哲学の勉強会の時、容貌の美しい青年を
品定めしては男色に耽り、欲望を解消していた。「行為の中で行う議論は発展的である」と彼は
弟子たちに語っていた。この頃から、アテネでは男色スポットの隠語として「発展場」が使われ始めた。
また、ソクラテスはプラトンとの行為の最中に「無知の知」の境地に至ったと言われている。
「私が何者であるかは知らないが、無知であることは知っている」
この有名な言葉は、中国で「我知無知」と漢訳され、日本にも広まった。
最近日本で、ガチムチ兄貴を求める同性愛者が続出しているのは、荒んだ社会を生きていくために
哲学的な心を持った兄貴的存在を探しているからかもしれない。
民明書房刊『一緒に哲学極めようぜ!』より
199 :
世界@名無史さん:2006/09/22(金) 15:23:53 0
女性ばかりの部族としてはギリシア神話のアマゾネスが広く知られているが、ヴァラ族は古代エーゲ海沿岸に実在した男性ばかりの狩猟民族。
太陽神アポロンを崇拝し、太陽の光を全身に浴びるために彼らは常に全裸であったという。
戦場における彼らは独特の「ウホーイオートコ」もしくは単に「フゥー!」という奇声を発し、全裸のまま馬を駆る姿はギリシア中から恐れの対象となった。
またその独特の奇声はシルクロードを渡って日本にも伝わっており、いまでは大きく形を変えて、薩摩示現流独特の猿叫にも大きな影響を与えたと伝えられている。
現代の日本では、このヴァラ族をモチーフとした雑誌も発刊され、一部の愛好者からかつては絶大な人気を誇ったものの、現在では休刊している。
民明書房刊『知られざる神話〜あの部族は実在した〜』
200 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 01:21:08 0
古代中国、春秋から戦国時代にかけては儒家・法家などに代表される様々な思想家、
論客が次々に生まれ、俗に百家争鳴という言葉に言われるほどの賑わいを見せた。
その中で黄河のほとりで生まれたとされる一派は互いに義兄弟の契りを交わし、
頭髪を刈り落とすことでその覚悟を示したといわれる。
また、この儀式の際に使用されたのが辣酒(らつしゅ)と呼ばれる薬剤であり、
これを用いることで頭の中を真っ白にし、師の教えを体の芯に受け容れたのだ。
この流派の真髄は同門同士での掛け合いであり、「押忍、押忍」の挨拶から
千頭狸(せんずり)・決萬(けつまん)と呼ばれた討論へと入っていったと伝えられている。
この流派の創始者であり、その道において並ぶ者無しといわれた男は、
その死の間際に「私は、自らが無知である事を知った」と言い残したとされ、
このエピソードからもこの一派、芸家の芸に対する真摯な姿勢が伺える。
この男が身長180cmという当時としては異例の長身であったことから、
後世にこの一派に入門した者達からは「我知無知の六尺兄貴」と
親しみを込めて呼ばれたといわれている。
民明書房刊
「今日からはじめる数理道」
通理 (つり)
古代中国において通理と呼ばれる遊びがあった。
何かの質問に対し、一見理が通っているかのような回答を考え上げ、
それを皆で笑うというものであった。あまりにも秀逸な通理には敬意を表し、
「通理られた」とその回答者のユーモアを称えた。
時は流れ、通理も廃れたころ、自分の勘違いを指摘された男がいた。
彼は必死に「通理だよ!通理だよ!お前ら通理られやがって!」と
自分の過ちを認めず、ごまかそうとした。周囲のものはあきれ、
その事件以来、その男が何か言うたびに「また通理かよ」と、
男を相手にしなくなった。それ以降、あまりにもくだらない言動は
相手にしないという意味で「また通理かよ」「下手な通理だな」などと
言うようになったのである。通理という遊びのなくなった現代社会においては、
fishingを意味する「釣り」という言葉に置き換えられているがその精神はまだ生きている。
ちなみに古代中国において通理の大会がよく開催されていたという「似長寝留」
(似長とは正しいような気がするということ寝留とは愚かな者は寝、賢き者は留まるの意)
の最盛期の管理者「秘炉遊鬼」は「嘘を嘘と見抜けない人には(通理をするのは)難しい」という
発言を行ったと言われているが、その子孫にあたると言われる掲示板群「にちゃんねる」の
創設者である「ひろゆき」氏がその言葉を引用したのは記憶に新しい。
(民明書房刊 「古代世界のすばらしき遊戯をたずねて」 より)
202 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 03:49:37 0
【覇威藩(ぱいぱん)】
語源は古代中国明代に四川省成都を統括していた覇威藩に遡る。彼は統括領地に於いて、
文武両道・富国強兵を旨とする政治体制を敷き、男子たるものは齢15にして単身寮に強制収容され、
起床から就寝に至るまで心身共に強健たらんとすべく鍛錬を行わせたと言う。
その過程に於いて、特に身体的練度の振るわない者に対して、覇威藩自らその者の陰毛を
公衆の面前で六尺青龍刀を用いて完膚無きまでに剃り落とし、無様さと不甲斐なさで打ち拉がれている者の
菊門に情け容赦の無い六根清浄による指導を与え、その者に男衆本来が目覚め進むべき道を示したと言う。
出典:民明書房刊『明代中国男衆緊卍縛剃毛鍛錬奇鍛』第六章-突撃ラブハート-より抜粋
203 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 12:50:56 0
『濡流帆(ぬるほ)』
安土桃山時代、宣教師達が日本侵略の礎となるべく各国を訪れて布教活動に勤しみ励んでいた頃、
次第に彼らの後続として一攫千金の夢を見る商人達が野心を燃やし、若さに任せて海を渡り、黄金の国日本へ集まってきた。
ある年の元旦、日本の友人を招いて船上パーティーを開いたポルトガル人の航海士達が
南蛮船のメインマストの上で裸になり、次々とおどけはじめるという、無謀極まる綱渡り芸をしはじめ、次第に多数の見物人が集まりはじめた。
その内に一番酒癖の悪い船員が悪酔いし、刺激を求めて突如マストの綱をナイフで切り落とそうと試み始める。
これに気付いた船長が「NULUPO!(やめろ!)」と叫んだ瞬間に綱が切れ、すり落ちたマストの骨が船長の頭頂へ見事命中。
そのまま海へ転がり落ちていった為に見物していた庶民達の間からどっと大きな笑いが巻き起こった。
信長は前田利家に聞かされたこの笑い話をいたく気に入り、以来滑稽な話を締めくくる際に「濡流帆!」と叫び、
家臣達は一斉に「雅!」と答え、最も先に答えたものが信長に褒美を下賜されたのである。
余談ながら、織田家重臣の羽柴秀吉と柴田勝家の長年にわたる確執が在り続けた一因に、
初参加の秀吉が扇子で頭を叩く事で、より素早く適切な「雅」の意を示した機知が信長の格別な寵愛を誘い、
勝家の名手名人の座を一瞬にして覆して恨みを買った事にあるのは、研究者間で周知の事実である。
(民明書房刊 「まるわかり2ちゃんねる 〜100の謎の由来〜」より)
・・・『滑刑闘(すけいとう)』
清朝末期、洋務化に反対する忠臣「李 羽英」は、
皇帝のみ許されていた真冬の白晶湖の小魚釣りを
駐清英国陸軍大将リッテン男爵が行っているのを偶然目撃し、その場で溺死させてしまった。
清は英国の猛抗議と軍の内陸進駐を背景に恫喝を受け、皇帝はやむなく羽英の獄門を決定したのである。
全権大使ピットの強い要望により既に禁止されていた「滑刑闘」を
リッテンが殺された白晶湖にて執り行うこととなった。
処刑の日、羽英は蝋を塗った鉄柵を取り付けた靴をはかされ、皇帝の合図と共に腹を空かせた虎が放たれる。
しかし、拳法師範であった羽英は素早い滑走と軽やかなステップで猛虎を翻弄し、
脚裏のブレードで蹴りつける事でついに猛虎を屈服せしめたのである。
執行に立ち会ったリッテンの部下が逆上して羽英を撃ち殺そうとし、辺りは一触即発の雰囲気となったが、
リッテン男爵の長男リチャードが羽英の動きに心酔して友人と宣言する事により羽英の罪を許す運びとなったのである。
この後、リチャードは滑刑闘の資料を根掘り葉掘り調べ上げ、芸術として確立すべく動きはじめる。
欧州において滑刑闘に類似する氷上を滑走する遊びは以前から存在していたが、
芸術として明確な名を与えられた「スケート」は中国の厳罰が語源、原形となる。
余談ながら、「悪急流(あくせる)」や「稲葉雨蛙(いなばうあ)」等の技術は
この滑刑闘で処刑された罪人が苦し紛れに取った挙動の記録をヒントにして
ヨーロッパで発明された技術でる事は、スケート選手の間では有名な逸話である。
(民明書房刊 −「シノワズリー、四方山話」−より)
数渡流阿馬(すとるぁま)
中国三国時代、最高の名馬と賞賛された赤兎馬を凌ぐ「威阿」という陽馬がおり、
この陰にあたる異性馬がいると識者の間でささやかれ続けていた。
曹操はどうしてもこの両馬を手に入れたく願い、数十万の捜索隊と数万人の僧による祈祷を行い
威阿、数渡流阿馬を捜し求めたが、威阿は既に仙人のもので手に入れる事は叶わなかった。
仙人曰く、「数渡流阿馬はどんなに離れていても、千里を駆ける威阿のみを愛し続け、
いくつもの大河を越えて威阿を追いかけ1000年に一度だけ出会って交配する脚と忠実さ持っている。」と言う。
仙人の協力でついに数渡流阿馬を発見した曹操は感涙し、この日の快晴の空と名馬を手に入れた喜びを
手紙に記し、「天高く馬肥ゆる秋」という典雅な字体で表したのである。
数渡流阿馬の毛並みは神秘的な薄蒼であったと三国志正史へ記録されており、
名馬の体躯のみならず、並外れた容姿の持ち主であった事が容易に伺われる。
余談ながら、某社の設計した戦闘機ストラマは、この数渡流阿馬をモチーフにして
敵機を追い続けて必ず射止めるという意味で名づけられたものである事は、
創立者の出身大学では有名な逸話である・・・。
(民明書房 刊 〜 「現代戦闘機、驚くべき新技術と革新への道」〜 より抜粋)
206 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 19:07:18 0
・・・『屋螺内華(やらないか)』
漢の将軍・宇葡(うほ)が敵軍楚の将軍・李乙胡(い・おとこ)と対峙した時に、
「屋内に美しい華があるから一緒に観賞しないか」と言って漢軍の施設に誘き寄せて
捕虜にしたという故事。
転じて男性が男性を室内に誘う時の掛け声として使われるようになった。
この時、一繋ぎの鎧を纏った巨漢宇葡の勇姿に感動した乙胡が「宇葡!快男児!」と叫び、
喜び勇んで誘いに乗ったと伝えられている。
なお、この時宇葡が話に持ち出した花がバラであったということは言うまでもない。
(民明書房刊 −「九楚三楚」−より)
207 :
世界@名無史さん:2006/12/17(日) 22:32:20 0
age
208 :
世界@名無史さん:2006/12/18(月) 02:42:36 O
レスよりも
出典名が
いとおかし
209 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 21:46:44 0
保守
寝党よ(ねとうよ)
明治初期に於ける日本では、政府が西洋化政策を取り続けたことによって
外来の文物が流行り、持てはやされていた時期があった。
その頃、特権的身分を脅かされそうになった士族達の中で
政府の政策に反するということで、尊皇と反蛮夷を唱える者達が現れた。
彼らの多くが士族への禄や、父母の養いに頼る若者であり、また
昼夜を問わず、寝ては外国排撃を唱え、寝ては外国排撃を唱えていたことから
世間の人々は彼らを寝党と呼び、言葉を投げかける形で「寝党よ、寝党よ」と呼んだ。
現代に於いては、それがネット上に国粋主義的論理を展開している人々の総称になっているが、
もともと反権力の集団を差す言葉であったことは皮肉としか言いようがない。
(民明書房刊 「驚愕!唖然!おもしろ子供質問箱」より)
212 :
世界@名無史さん:2007/03/01(木) 23:15:19 0
age
明朝は弘治帝の治世、武良拳の始祖・李瓊は天下無敵の格闘家として
10年間以上も名声をほしいままにしていた。後年遂に敗れる時が
来たのであるが、彼をやぶった張涼玖は李瓊の左腕は幼少時から精巧な義肢で
攻撃力が皆無であった事、そしてそれをずっと隠し続けてなお格闘家として
海内に覇を唱え続けていた事に敬服しその場で弟子入りした。
張涼玖は李瓊の拳を学び、以後は左腕を体の後ろにまわし隻腕のごとく装い
戦いにあけくれたが、相手を真の強敵と認めた時に限り左腕を使い戦った。
「手を抜く」「奥の手を出す」という言葉はこの故事が由来である。
(民明書房刊「拳法感動秘話集」)
214 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 12:53:31 0
215 :
編集人:2007/04/01(日) 15:38:16 0
古糞【こ-ふん】:糞を発酵させ長期熟成した朝鮮半島独特の食べ物、嗜好品。
一般に20年以上熟成させたものを古糞を称する。
尚、古糞を漬けたと推定される肥え桶が檀君陵か発見された為
古糞の起源が朝鮮半島であることは疑いの無いことにされている。
「民明書房、朝鮮半島糞食起源」から抜粋
【南極2号】
中国明の時代、万里の長城拡張へ長江ほとりから動員された一工夫には結婚を誓いあった美しい女がいた。
ひたすら女も買わず一人婚約者を思い続けていた彼はある日重傷を負ってしまった。
医師に絶望視される中、彼は決してあきらめず、南面して叫んだ。
「遠き南の果ての君よ、一発あたわざるして死するの無常やあらん。我誓う、必ず君に一発せん」
これが天下に名高い、”南極に号す”の語源とされる。
時は流れ、南極越冬隊に参加した日本男児たちの所持品にあった空気人形の隠語である”南極2号”の名は
この”南極に号す”をもじった物であるということはあまりにも有名である。
(民明書房刊 中国南方諸話・怪傑児編)
民明って架空だったんだww
今の今まであると信じ、んなバカなって思ってたけどバカなのは俺ってかwww
そんな19歳ですw
>>217 未来ある若者よ、君が実在させるのだ!
そしてこの書を後世に残してくれ。
民明書房の目録みたいな奴は作ってたな
220 :
世界@名無史さん:2007/04/25(水) 01:28:51 0
あげ
221 :
世界@名無史さん:2007/04/28(土) 00:08:46 0
222 :
世界@名無史さん:2007/04/28(土) 00:28:56 0
>>215 それ、結構ウケたw
民明書房刊のあとの書籍のタイトルが重要だね。
ここで、プッとなるかどうか。
つーか、長いのは面倒で全部読んでらんない。
224 :
世界@名無史さん:2007/05/06(日) 13:31:26 0
寵彩宮剣(ちょさくけん)
明の時代、時の王は優れた文化・芸術作品を創作した者に対し、
その功労を称えることを目的とし、色彩豊かな大変美しい
剣を与える制度を導入した。
この恩寵の剣は「寵彩宮剣」と呼ばれ、この剣を持つ者は王宮の
文化事業にも積極的に採用されることもあり、当時の芸術家の間では
この剣を賜ることが最高の栄誉とされた。
しかし、寵彩宮剣を与えられた芸術家の中には、剣を振り回して民衆を
威嚇したり、死後返納しなければならない剣をいつまでも返さず、
子孫の代まで勝手に剣を受け継いだりする身勝手な者もいたため、
寵彩宮剣制度は廃止されてしまった。
現代においても、著作物には「著作権」とよばれる権利が与えられるが、
権利者が必要以上に著作権を振りかざして利益を要求したり、権利をより
強化するよう政治家に要求する様は、まさに「寵彩宮剣」の歴史を
繰り返していると言えよう。
民明書房刊「中国史に見る権利意識〜なぜコピー商品が後を絶たないか〜」より抜粋
225 :
編集人:2007/05/18(金) 01:48:49 0
「朝鮮人は おだてると鼻持ちならないほど尊大な態度を取り、
無視をすると淋しさで死んでしまうという厄介な連中である」
(民明書房 雲竹蔡著「溺れる犬は叩きなさい」より)
226 :
編集人:2007/05/18(金) 14:55:53 0
日本で大規模韓流イベント、来月23日に開催
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/05/16 /0400000000AJP20070516002200882.HTML
>俳優のチョ・インソンやチ・ジニ、チャン・ヒョク、
>チャ・テヒョン、コン・ユ、ユン・ゲサンのほか、
>グループ神話(シンファ)のメンバーでソロでも活動する
>歌手のイ・ミヌとシン・ヘソン、チョンジンのほか、
>SS501、キム・ジョンフンが参加する。
こいつら誰? (-_-;
....このような得体の知れない名前の芸人達を見分けることは困難なことだった。
何時の頃からか、これらの芸人達は「エリック」と呼ばれるようになっていたが、
今となっては「エリック」そのものの意味が良く解らないのだった。
私の知る限りでは、「エリック」とは「エラハリ」、「リ・キム・パク」、「ツバキムチ」そして
「クソナメ」の最初の文字を組み合わせたものだ、という解釈が一般的なようである。
民明書房刊 「エリック・コード」第2版
227 :
覚有情:2007/06/26(火) 23:22:35 0
保守あげ
228 :
覚有情:2007/07/18(水) 23:38:37 0
戦国時代、秦の国に寒泉という霊泉があった。
この泉の水から作られた獰緑芬散という散薬は薬効顕著で、服用すれば
重病人も立ち上がり、一刻に千里を走るという評判であった。
その評判を聞き、はるか東方の蓬莱島からも薬を求める者が訪れたほどである。
隣国の韓はこれを妬み、なんとか秘薬が欲しいと考えていた。
そのころ、はるか西の国から鄭という男が韓にやってきた。
鄭は、自分は名医であると韓の王に売り込み、「治部」という施療所を建てさせた
鄭はなにかと勿体をつけては、韓の国から金を引き出していたがなかなか薬は完成しない。
王がしびれを切らす頃、ようやく鄭は完成した薬酒、獰緑醜酎をうやうやしく差し出した。
王は喜んで先ず自らこれを試飲した。
ところが、しばらくすると体が震えはじめて止まらなくなり、しまいには窓を破って飛び出す始末であった。
怒った王は鄭を捕らえようと、追っ手を治部に差し向けた。
しかし、鄭はとっくに逃げ去っており、ただ子庸(しよう)という名の留守番の老人が残っているばかりであった。
子庸は、耳が遠い上にボケも始まっており、追っ手の者が何を問うても、自分の名を尋ねられていると思いこんで
「子庸です」と答えるばかりでラチがあかず、ついに追っ手も追跡をあきらめたという。
後に、この話が日本に伝わり、クレームをつけられたときに唱える呪文「仕様です」になったことは余りに有名である。
民明書房刊「鄭治部医より秦寒泉」第壱百鉢拾伍巻より
229 :
世界@名無史さん:2007/08/14(火) 20:42:05 0
まあ嘘で良かった。
本当だったら、無粋すぎる。
231 :
世界@名無史さん:2007/10/17(水) 19:24:49 0
age
清朝末期太平天国の騒乱のさなか湘軍を組織して反乱の鎮圧に当っていた
曾国藩は情報機関兼治安機関の「審案局」を設置し苛酷なまでの
徹底した反乱分子の摘発と弾圧をおこなった。これに対し参甲総督の
葉勉悟は反発し刑の執行猶予や拷問の廃止などをこれみよがしに行った。
しかしこの結果として反逆行為にも値しないつまらぬ犯罪が横行することになり
葉は自分が救おうとした側の人間にも怨まれ北京で弾劾されてしまった。
そして参甲の人々はれっきとした士大夫であるにも関わらず机上の空論で人々を
苦しめたのは人間として葉が実は思いやりの心が欠けているからだとささやきあい、葉を
仁嫌葉勉悟士(じんけんはべんごし)
とよび忌み嫌ったという。
民明書房刊「中国好漢・忌漢列伝」
262 :通常の名無しさんの3倍:2007/10/13(土) 20:57:50 ID:???
>>260 ,.r''´ ; ヽ、
,ri' 、r-‐ー―'ー-、'ヽ、
r;: r'´ ヽ ヽ
(,;_ 、 l ::::i 'i、
r'´ i' _, _,.:_:::i il!
ヾ ,r -';! '''r,.,=,、" ::rrrテ; ::lr ))
! ;、 .:::;! `´' :::. ' .::i: ,i'
`-r,.ィ::i. :' _ :::;:. .::::!´
.l:i. .__`´__,::i:::::l
r-i. 、_,.: .::/
!:::;::! ::.、 .:::r,!
l::::::::ト __` 二..-',r'::::-、
l;::i' l:  ̄,.rt':::::::/ ` -、
,r' ´ ヽr'ヽr'i::::::::;!'´
ソレナンテ=エ=ロゲ[Sorenant et Roage]
(1599〜1664 フランス)
266 :通常の名無しさんの3倍:2007/10/13(土) 23:16:21 ID:???
ソレナンテ=エ=ロゲ
西暦1599年、フランスの中流貴族のロゲ家に生まれる。次男。
小説家であり、彼の作品は貴族・平民問わず広く受け入れられた。
代表作「ソレナンテの密室観察日記」は数多くの翻訳版が出版されており、
その影響を受けた作家も多い。
彼の作品、及び彼の作品に多大な影響を受けた作品は「ソレナンテ流」或は
「ソレナンテエロゲ」と呼ばれ、現在の社会に対する大いなる癒しとして有名である。
俺様が歩足手やルー
江田島平八郎・役が麿赤児って、はまりすぎだよw
236 :
編集人:2007/11/15(木) 02:14:01 0
ID:0hy+z6oa
戦国時代の美濃(現在の岐阜県南部)では、毛髪を利用した恐るべき殺人術が存在した。
その技は、毛髪に気合を込めて、それらを無数の針と化し
弾丸のように頭部から飛び立ち、敵の体を貫くものであった。
この技の達人であった「李・篤府(リ・アツフ)」は、気合とともに、
一度に5000本以上の「毛髪の針弾」を飛ばすことができたという。
この技では毛髪を武器として使用するために、頻繁に使うと
毛髪が不足してしまい、戦うことができない状態となってしまう。
「李・篤府」は、ある日「美濃岸」の湧き水を浴びると毛髪の成長が早くなることを発見し、
そこから「毛母細胞」の分裂を爆発的に促進させる「汁」を抽出することに成功した。
この汁は「美濃岸汁(ミノキシジル)」と呼ばれ「毛髪針弾」の
技の使い手の間で広く使用されたという。
ただしこの「汁」は、副作用が強く、長く使用していると、大量に摂取しないと効果がなくなり、
摂取を止めてしまうと、毛髪が抜け落ちてしまうため「時の皇帝」によって使用を禁じられた。
現在、育毛剤として「ミノキシジル」を含む「リアップ」という製品があるが、
「李・篤府」との関係は未だ謎である。
(民明書房刊:「No more 悩み無用・きっと生える」より)
【儀音王】 ぎおんおう
古代中国の儀音王は様々な文化を奨励し文武両道を極めた名君であった。
しかしなかでも特筆すべきは儀音王が完成させたという音楽の持つ迫力を活用した演出である。
他国の使者などに謁見する際、王の背後で銅鑼や太鼓を鳴らし迫力を付ける音響演出手段は
対する者の心を圧倒し、外交上において素晴らしい成果を発揮したという。
時は流れ日本で編み出された漫画という表現方法にて多用される
「 ゴゴゴゴゴ 」 「 ドドドドド 」 「 バァァァァーン 」 「 ドキュゥゥゥゥン 」などの ”擬音” という手法は
この儀音王の故事に因んだものであり、その技を完璧に再現したものであることは言うまでもない。
( 民明書房刊 中国音楽史・第9巻 破戒の奏者 ) より
238 :
世界@名無史さん:2007/11/19(月) 12:57:53 O
不老不死の術
古代秦の国では長いこと戦が絶えなかった。戦による死者があまりにも多く、時の始皇帝は、兵不足に悩まされることが多かった。
そこで、高名な武術家欟罷暝(つきひめい)に兵不足を解決するよう命じた。欟罷暝は兵たちに五体を裂かれようとも脳を破壊されようとも蘇ることのできる不老不死の術を伝授し、兵不足を解決したのだ。
当然、修行は苛烈を極め、多くの兵士が命を落としたのは言うまでもない。
この術は長きに渡り封印されたままだったが、最近になってこの術を或廏纓(あるきゅうえい)が会得したというがその真偽は定かではない。
民明書房刊
「中国秘術百選〜永遠の命の章〜」
239 :
編集人:2007/11/22(木) 18:14:30 0
28 名前: 日出づる処の名無し [sage] 投稿日: 2007/11/22(木) 14:14:08 ID:X647nzd2
>>25 徳川埋蔵金とはーーー
江戸時代中期に開発された蒔絵技法の一つ。
丸盆の周縁部や箪笥の把手、角盆の持ち手などに漆を厚く塗り、
その中に螺鈿を埋め込む事により、使用され漆が摩耗するにつれ
て徐々に隠された模様が明らかになる。
使用者の手の形状や使用頻度を計算して螺鈿の埋め込みを行わ
なければならない為、蒔絵技法の中でも最も高度な技術である。
しかしながら、熟練した職人でも一握りの物にしか作れなく極めて
高価にも関わらず,作製された漆器の恒常的な使用と摩耗を前提
としているため、購入できる者は極めて限られ,主な顧客である大
名や大商人が没落し,また,和工芸全体が衰退していった明治期に
はその技法は失われてしまった。
近年、東京芸術大学でその復興に向けた研究が行われているが
未だかんばしい成果は出ていない。
なお、その名前は、尾張藩の無名の職人によって開発され、また,
特に尾張徳川家によって珍重された事に由来する。
民明書房「失われた日本の技術」より抜粋
240 :
編集人:2007/11/25(日) 13:27:54 0
739 名前: マンセー名無しさん [sage] 投稿日: 2007/11/25(日) 12:21:50 ID:rEj7gnkV
【大統領戦】
それは古代中国の辺境において,統領を決める時に行われた
苛酷無比な選定制度のことである。
選出された場合は支配地域において中華皇帝の如く君臨する
ことができるため、名乗りを挙げた場合や選出されなかった場
合のリスクを考えても十分メリットの大きいものなのである。
誹謗中傷はもとより贈収賄や卑劣な罠、暗殺などありとあらゆ
る策謀が張り巡らされるため、ある意味内乱が起きたかのよう
に規模の大きいものであるため敢えて「大」が冠される。
なお、後年の米国などにおける大統領の当て字は、選挙による
継承制度を正しく理解できなかったために、封建時代の意識そ
のままに解釈したからとする説が一般的である。
民明書房刊「大清国属奇譚」
241 :
編集人:2007/11/30(金) 00:28:22 0
341 名前: 日出づる処の名無し [sage] 投稿日: 2007/11/29(木) 23:14:32 ID:fTBxfIyC
>>340 天国に神がいるのではない、神がいるから天国なのである
ロシアにウォッカがあるのではない、ウォッカがあるところがロシアなのである
民明書房『酒と神の関係』より
242 :
編集人:2007/12/21(金) 01:17:30 0
その後の歴史書は語る。
「2007年12月20日、青瓦台から立ち上った煙は
翌年2月24日まで立ち昇っていた」と。
(月山研究第37号年末年始特別号:民明書房雑誌出版部)
土履腑斗 【どりふとう】
中国の名宰相・諸葛亮孔明が布告した兵員・物資移動の抜本的改造のため ” 木牛流馬 ”を改造し,
険峻な桟道を如何に早く確実に下るかという兵站技術トライアルが世にいう「 土履腑斗 」である.
正史には記されていないが地元文献によると合計108回以上開催されたとある.
語源は諸説あるが,木牛流馬ドライバーがコーナーで上げる”ドリャっ” ”トォっ”の雄叫びという説が有力である.
参加者は車輪や転舵装置に工夫を凝らし参加したが,風雨氷雪に晒された未舗装急高配な悪路のため,
崖からの転落が相次ぎ,戦以上の死傷者を続出する惨事となりながらも強行されたという.
しかし無数の犠牲のうえに,木牛流馬工学は急速に発展し,ようやく運用法が確率されようとしていた.
だが諸葛亮が急逝したため,誰も「 土履腑斗 」の技術を有効に生かすことは出来ず
生み出された技術もトライアルの結果も人々の記憶から急速に失われてしまった.
諸葛亮が「 土履腑斗 」に傾注した兵站技術の理想と情熱は,
清朝末期に布教のため現地を訪れた宣教師が入手したこの文献に軍関係者が注目し,のちに
「 機械化・自動車化軍団 」として,遠い異国ドイツで実現されたことはあまりにも有名である.
余談ではあるが,ラリーや峠バトルで見かけるコーナー周辺のギャラリーは,
「 土履腑斗 」で崖から転落する者を救出する為に集められた近隣住人たちの名残であるといえよう.
また,70年代に流行したトラック映画シリーズの主人公などの名は
「 土履腑斗 の一番星」と謳われた"星桃" をはじめ,
”徐那山” ”納沙布” ”華牟茶塚” ”虎李威陀” ”丈図” ”母流佐李乃”
などの木牛流馬ドライバーから取った事は言うまでもない.
民明書房刊 「後漢秘史・蜀編 伝説の丞相杯・桟道バトルの謎」
244 :
世界@名無史さん:2008/01/08(火) 17:39:02 0
■マラカイボ湖(ベネズエラ)は、日本人が掘った人造湖
マラカイボ湖はベネズエラ北西にある湖で、塩湖。
日本人の祖先達が、古代に南米に移り住んだ時、当時浅い塩の沼地であった湖から良質な塩をとるために
掘り進めた。
当時の採掘方法は、水の中に入っての作業であった。
濃度の濃い塩分だったため、作業が終わり陸地に上がると塩分がかたまり、皮膚に付着した。
特に下半身を水につけていたので、マラに塩がこびりついたようだ。
その見た目で「マラがイボイボに」から「マラガイボ」「マラカイボ」に
我々の先祖が付けた名前だ。
(民明書房刊 世界の地名伝承異聞)
246 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 00:35:44 0
hosyuage
247 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 02:29:01 0
意外に知られていませんが、日本名「やかん」は、この器具の考案者とされる
17世紀オランダの貴族かつ哲学者でもあった、
「Johann Wolfgang von Jakan(ヨハン ヴォルフガング フォン ヤーカン 1634−1698)」から来ています。
もちろんこの種の調理器具は土製、石膏製の物も含めて太古の昔から存在はしていましたが、
現在に見られる素材・形・機能・使用法においてのやかんの完成形を作ったのがこの哲学者ヤーカンと言われています。
(当時のヨーロッパは錬金術の盛んな時代で、貴族・哲学者の類まで化学合成による金の作出を試み、
その実験の過程で金以外の様々の発見・副産物の作出があった時代でした)
ちなみにオランダにおいてはこの哲学者ヤーカンの隠れた業績を讃え、彼の誕生日である9月3日を
「やかんの日」と定め、その日は多くの国民が日ごろ使い慣れたやかんを大切に磨き上げ、一日休ませます。
同じ日にアムステルダムにおいては世界的にも有名な秋の花パレードが目抜き通りの
ダムラック通りを中心として開催されますが、注意深く観察すれば、パレードの一行の中には、
手に手にやかんをぶら下げた人々がいるのに気付くことでしょう。
意外にやかんの起源までご存知の方が少ないので紹介しました。長文すみません。
以上、まめ知識でした。
参考文献 民明書房刊 「やかん・・・その源流を探る」
箟 美慶 【こん みけい】
モンゴル統治下に元朝中国に現れた芸術家,西洋ではチンギス・ハーンと共に有名な東洋人である.
美術芸術が庶民の手に届き百花繚乱を迎える中,風景画製作の旅をしていた美慶は友人の印刷所を見学した際,
中国3大奇書の一つ「金瓶梅(きんぺいばい)」のエロシーンの挿絵を頼まれ書いた.
本文エロ描写を圧倒する鼻血モノの挿絵が大評判となり数日徹夜は当たり前の売れ行きを記録したという.
やがてカラー挿絵集を求める男達のニーズに応え,漢方美術三千年の秘を尽くした世界初の「 グラビア印刷エロ本 」
として知られる挿絵集が発売されることになった.
現在,故宮博物館に秘蔵されるそれは15色ものカラーを使用した当時世界最高度の木版印刷技術を今に伝えているが,
エルミタージュ美術館に残るモンゴル皇帝に献上された特注品に至っては,実に30近い色が使用され,オーパーツ扱いされるほどである.
後に中東から十字軍兵士を経てカラー挿絵集は西洋に渡り,漢方美術と印刷技術の驚異的なレベルに誰もが驚き,
洋の東西を問わぬ男が作る巨大エロ市場のニーズに応えるべく,西洋美術・印刷界は総力を挙げて技術革新に邁進するのである.
後年この挿絵を見て鼻血したレオナルド・ダ・ヴィンチ.またオリジナル本入手を夢見て命を架けた若者たちの
青雲の欲望がルネサンス・大航海時代の原動力に繋がったことは読者諸賢には周知のことであろう.
日本においても春画に代表されるエロ芸術,瓦版の技術の進歩に多大な影響を与えたことはあまりにも有名である.
余談ではあるが,オタクの祭典コミックマーケットの略称 コミケ とは他ならぬ”箟美慶”の名に因む事は言うまでもない.
当然,民明書房刊においても”箟美慶”の肖像が芸術・商売繁盛の神として祭壇に飾られているのである.
民明書房刊 「エロスと欲望の世界史 東西ヤモメのカタルシス」
よくみんなこんなネタ考えつくね、すごいw
250 :
コピー:2008/01/26(土) 12:46:24 0
319 名前: マンセー名無しさん [sage] 投稿日: 2008/01/26(土) 12:33:19 ID:2EZLrjtt
盧武鉉を愛せますか? 飯【パプ】研/〔著〕 民明書房
本の内容
酋長「友情・愛情・政策・思考」のすべて。
竹島&歴史認識問題で縮まった韓日新時代に贈る
「もっと、もっと盧武鉉を知る」バイブル。
目次
第1章 一人でできるもん [自主国防]
第2章 もっと、もっと仲よくなりたい [諸国漫遊]
第3章 変わらない小泉はきらい [シャトル外交の挫折]
第4章 カン違いしないで [本性現す]
第5章 ウリはエライ [仕様です]
第6章 愛する北から束縛されたい [太陽政策]
第7章 将軍様、ジョンイルへの視線 [政権末期の首脳会談]
第8章 政権交代の波は早く [今ココ!]
251 :
コピー:2008/01/29(火) 23:55:19 0
304 名前: ふははは高砂@妹認定 ◆2WZ7JfzfmY [sage] 投稿日: 2008/01/29(火) 23:47:42 ID:pBu1uwmm
>>296 聖徳太子が開発したといわれる「十七条拳法」であるが、
習得するまでに道は長く、十二の修行を治めないと免許皆
伝とはならない。
なお、その十二の修行の「場」を高みに登ることにちなみ、
階段の「階」と呼び、各階において修行を治めることができ
たものは習得の証である冠を授与され、尊称を与えられた。
なお、その冠は白・黒・黄・赤・青・紫に別れ、それぞれ濃
淡によって修行の進み具合がわかる仕組みとなっている。
ちなみに国内の各格闘技にその伝統が伝えられてはいるが、
相撲では修行の進み具合とほぼ関連がなくなり、柔道におい
ては白と黒が誤って伝えられてしまっている。
(引:民明書房「最古の格闘技はサイコー」より)
…うーん、漫画みたいにオチがない…orz
252 :
コピー:2008/01/30(水) 13:41:03 0
347 名前: マンセー名無しさん [sage] 投稿日: 2008/01/30(水) 06:07:26 ID:ecz7Rsum
奥義「のむひょん」の発祥は朝鮮半島である。
李氏朝鮮時代、「王様の高宗だか何だかが死に、
次期王をくじ引きで決めたの決めてないの言ってるぐらいの頃」
に成立したといわれる。当時、白丁により病身舞とともにうさ晴らしの遊び
として自然発生したという説があるが、そのような史実は無く俗説のようである。
民明書房刊
「ノムヒョンの夢 ウ元ハ王版」より
253 :
コピー:2008/02/02(土) 23:00:52 0
24 名前: マンセー名無しさん [sage] 投稿日: 2008/02/02(土) 11:26:05 ID:Ve8KECMg
>>20 酋長退任の日
側近:酋長閣下、お迎えの車が参りましたのでご用意を。
酋長:そうか、この官邸とも別れになるのだな。感慨深いものだ。
側近:お荷物は最小限になさってください。
酋長:?、そうだな、大きなものは業者を呼んであるんだったね。
では、この小さなバッグ一つでいいか。
側近:洗面用具はお入れになりましたか?
酋長:?、使い慣れたものを入れておけと、なかなか気が付くね君は。
側近:・・・・・
酋長:いつものBMWと違うようだが、、、、
側近:こちらのお車でいらしてください。到着した先で、担当が待っております。
酋長:警備上の問題もあるしね、ずいぶんと頑丈な車のようだね。
側近:では、またお会いできる日まで、ごきげんよう。
酋長:長いこと、ありがとう、君も元気で。
運転担当者:では、ノ・ムヒョン容疑者の護送を開始いたします。
民明書房刊 大統領の落日 エピローグより抜粋
213 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 16:09:58 ID:Eg9GT9eT0
マルコムX発言集
「日本では在日朝鮮人と我々アメリカ黒人とを同列に扱って論じていると聞いたが、
それは到底納得できないし、我々を侮辱する行為だから止めてもらいたい。
我々はアフリカから強制連行され、奴隷として酷使された。
一方、在日は日本帝国のおかげで悲惨な白丁の身分から解放されて
その後、自分たちの意志で日本へ来たのではないか」
「在日朝鮮人たちが天皇に対して強い憎しみを持ち、
偽右翼活動という卑劣な行為で貶めているという事実を知った時は驚いた。
それは我々アメリカ黒人がリンカーンを憎み、貶める事に相当する行為だ」
「どうしても日本や天皇が憎いのであれば祖国に帰ればいい。
帰れるはずだ。身分解放された白丁でないならば」
民明書房「マルコムXと日本」より
255 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 13:52:42 0
>>229 半期も保たずに倒産ハゲワロスwwwww
と学会まで巻き込んで即倒れwww
256 :
世界@名無史さん:2008/02/19(火) 04:06:51 0
age
175 名前:名無しさんといっしょ[] 投稿日:2008/03/04(火) 17:24:08 ID:3vgmGuOJ
/;;;::::---,::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
/:/ ヽ;;;;;;:::::::::::::::::__:::::ヽ
. {/ ,..---、 ヽ:::;:-'"r''ヾ、:ヽ
l r=''"`!──‐`' .}= ノ.l:::::',
,!,,、/`ー─' ´ ,..ノ:::::::l,.
. i r,l ヽ.._ `'" l;:-'''ヽ
〉~l =..ノ`ヽ、 t-l"il.
. i ヽイ r、ゥマフ` /-!、/;;;;;;;;;ヽ
ヽ ヽ`f_/ ノ ,.....,/rァ 〃-、;;;_;;;;;;;`、
\ヽ / /r'ア/ / /| .:::/ |\::::`、
\ /〃//,..-‐''!::::`、. ヽ ヽ:::::`、
ヽ .,_ ノ/
グロー中尉[grow lieutenant](1954〜2002 イスラエル)
※「兵士の無惨な姿はもう見たくない」が口癖のイスラエルの英雄的存在。
特にゲリラ攻撃の際には天性の勘を発揮し、自ら先陣に立ち兵士達を鼓舞する姿が印象的であった。
尚ウィリス中尉、ブラクラ中尉とは士官学校の同期である。
(民明書房刊 世界の軍人より)
258 :
コピー:2008/04/07(月) 21:23:10 0
【征火離零(せいかりれい)】
中国拳法による陰惨な人権弾圧に抗議すべく、
各国の平和主義拳法家によって編み出された
一撃必殺の奥義。
拳圧によって、一丈(約3メートル)以上も離
れた場所の炎を掻き消す。
なお、現代におけるオリンピックの聖火リレー
がこの奥義に由来している事は言うまでもない。
民明書房刊
『チャイナフリー・フリーチベット』より
260 :
編集人:2008/04/09(水) 01:27:51 0
保守
261 :
世界@名無史さん:2008/04/21(月) 18:50:45 0
923 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2008/04/19(土) 19:30:15
月極グループ。
日本を代表するの企業の一つ。駐車場業界最大手企業。
株式会社定礎(かぶしきがいしゃていそ)。
日本中に大量のビルを保有するわが国最大の不動産企業
「この番組はゴランノスポンサーの提供でお送りします。」
ゴランノス・ポンサー(Golanoth Ponther)とは、ポール・ゴランノス氏(1867〜1946)に
よって設立された多国籍企業である。
262 :
世界@名無史さん:2008/04/22(火) 02:55:46 0
241 名前: 日出づる処の名無し [sage] 投稿日: 2008/04/21(月) 23:30:27 ID:5+ciVagT
>>238 ・愚管抄
1.天台宗僧侶の慈円著による、鎌倉時代初期の史論書。
神武天皇から順徳天皇までの歴史を、貴族の時代から武士の時代への転換と捕らえ、
末法思想と「道理」の理念とに基づいて、仮名文で述べたもの。
2.クァン・ゲンターロ(日系イタリア人)による、平成の政治家である管直人の一代記。
登場人物の美化が多く資料的価値は低いとされる。
民明書房刊『日本の古典大全』
263 :
世界@名無史さん:2008/05/03(土) 07:20:08 0
買うてい、不愛(こうていぶあい)
一夫多妻制が認められたイスラム教国にて
戦死した夫を失った女性に対する
売春の対価を定めた法律のこと
時の皇帝がじきじきに決めたことから
皇帝無愛とも言う。
キリスト教国家に伝わるとしだいに中央銀行が市中銀行に対して貸し出す利率
公定歩合と変化した。
民明書房「日本で知られていないイスラム教秘史」より
在世灯油牛のせいで
変換すると、投資がと牛に
○| ̄|_。
264 :
コピー:2008/05/14(水) 02:04:45 0
959 名前: マンセー名無しさん [sage] 投稿日: 2008/05/14(水) 00:23:03 ID:+PyjTnTc
「朝鮮人の手も借りたい」
裏切られると分かっていても手を貸してほしい程、追い詰められている様。
―――――――――民明書房「1ねんせい あたしいことわざ」
265 :
世界@名無史さん:2008/06/15(日) 19:38:57 0
遥か昔、朝鮮(韓)半島では高句麗(こうくり又はコグリョ)、百済(くだら又はペクチェ)
新羅(しらぎ又はシルラ)の三カ国が血で血を洗う争いを繰り広げていた。
最も強大だったのは、ツングース系民族が建国したとされる高句麗で、
日本の大和朝廷軍を撃破し、更に隋の煬帝が率いる100万の大軍も撃破した。
その都である丸都は、大いに栄えたという。
しかしその隆盛を誇った高句麗も、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされ、
朝鮮半島は新羅が統一することとなった。
丸都に入城した新羅の王は、民族の伝統的な仮面を着けて、
「高句麗は朝鮮の地である」と叫び、喜びの舞を舞ったと伝えられる。
一方、現代の韓国人は、高句麗を「韓国人の祖先が建国した、朝鮮の王朝である」
と主張するが、歴史学の観点からは否定する論調が主流となっている。
このように理屈の通らないことを強弁することを「韓国面に落ちる」というのは
この「韓国面」の故事に由来するというのが有力な説である。
民明書房刊「韓国面の闇〜その実相と虚像〜」より抜粋
266 :
世界@名無史さん:2008/06/15(日) 19:40:28 0
負府運(fu-fu-un)
中国・明朝は強大な王朝としてアジアに君臨したが、
建国後250年が経過し、人心乱れ、景気は悪化し、国運も潰えようとしていた。
国家の行く末を心配した明朝皇帝の崇禎帝は、閨閥貴族の「陳範」を宰相に起用して、
国難を乗り越えようとした。
しかし陳範は国難を省みず、無責任で奢侈な生活に溺れ、遂には明朝が滅亡することとなった。
李自成の軍隊に包囲された紫禁城で崇禎帝は
「あのような者を宰相にしたために我が国家は負けた。誠に不運であった。
(我思是負府運)」と嘆いた。
紫禁城を取り囲んだ李自成軍の兵士は、
「府苦堕(fu-ku-da)!府苦堕!(「朝廷は人民の苦悩を省みず、堕落した」という意味)
と叫び、その怨嗟の叫びは千里に轟いたという。
現代の日本において「あいつ、またフフンか。無責任なチンパンだ。」
という人民の愚痴は、この故事に由来していることは広く知られている。
民明書房刊「中華王朝衰亡史」から抜粋
箕面流奥義 怒鬼弓取(どきゅんどり)
数ある大阪拳法諸流派の中でも武装術に長けていた箕面流で
最も扱いの難しい大きな刃を持つ短剣、それが怒鬼弓取である
その名前の由来は、弓矢を使う鬼のような豪傑をも塵にすることと言われている
また塵となった骸を掬い持ち運べるという利点もあり、
今現在にもある『塵取り』はこれが由来であることは言うまでも無い
民明書房刊『世界の掃除屋』より
268 :
コピー:2008/07/31(木) 23:18:08 0
944 :大河内民明丸:2008/07/31(木) 22:43:38
[王舞粥菜:おまいがゆーな]
古代中国に於いて「これを食すと美食に慣れた王でさえ喜び舞い
踊る」と言う料理「王舞粥」なるものがあった。
これを作るにあたり絶対に欠かせない食材とされたのが「王舞粥菜」
である。正式名称は「灰煮地菜」と言うのだが(名の由来は不明)、
明の太祖・洪武帝により引き起こされた所謂「文字の獄」に於いて
禁字とされた文字が含まれていた為改称されたと伝えられる。
原産地については諸説紛々と言った所であるが現在最も有力な説は
「王舞粥菜は朝鮮半島が原産地」というものである。日本や中国では
これを「韓国人がよく唱える”ウリナラ起源”の一つではないか」と
批判する向きもある。
(これに関しては近年日系豪州人の植物学者マスオ・カミヤマの研究
によりほぼ事実であることが確認された)
(追記)
最新の薬学研究により「王舞粥菜」の大変危険な薬効が発見された。
詳細については未だ不明だが(研究者がその「薬効」を発表した場合
世界中に大恐慌が起こることを懸念したためと言われる)巷間漏れ聞く
ところによればそれを食した場合「常識的な判断力の喪失」「真っ当な
想像力の欠落」「他者の発言を悉く曲解」など一般的な社会生活を送る
に際して重大な障害を引き起こす、と言われている。
民明書房刊「大亜細亜博物百科事典」
第三章 植物学・本草学 第四項 幻の食材 より抜粋
269 :
編集人:2008/08/08(金) 00:28:22 0
[「脳無」零州王 武瘤儒:「のうぶ」れすおう ぶりゅうじゅ]
武瘤儒(姓は武:名は瘤儒)は紀元前1000年頃に現在の北朝鮮・
金策(キムチュウ)の辺りを徘徊したという蛮族「侮日族」の族長である。
諡号は零州王。その暗愚と怠惰のゆえに戦いに敗北し自らの部族を全滅さ
せたにもかかわらず、おのれとその身内のみを引き連れて逃亡したため
中国の卑史・稗史などにおいて「脳無」と称されている。
現代の中国においても「脳無」と言えば文字通りの意味である「脳が無い
・頭が非常に悪い」といった意味の外に「卑怯者」「物事を自分の勝手な
妄想に合わせて解釈した挙句、事態を悪化させる者」といった意味を持つ
言葉として使われている。
なお、現代において「武瘤儒」の名やその一生などが全くと言ってよい程
伝わっていないのは、かの武則天(則天武后)が、その不名誉極まりない
行いによって歴史に名を残したこの同姓の人物を非常に嫌悪し、あらゆる
歴史書の中からその名と伝承を消すよう命じた為、とする見方が支配的で
ある。
民明書房刊「暗君 〜この不可解なる存在の歴史〜」より
270 :
世界@名無史さん:2008/09/04(木) 13:14:14 0
hosyu
271 :
コピー:2008/09/08(月) 23:59:02 0
【質問】
「いちおつ」とは?
【回答】
依稚御都
【いちおつ】
三国時代,呉には依稚(いち)と言う大工がいた.
ある時,大将軍・陸遜の命令で依稚が作った
州麗(すれ)という町を見た呉皇帝・孫権は感嘆のあまり
「御都(おつ.長安のこと)のようだ」
と漏らしたという
そのことから,素晴らしい物を作り上げた者に対して依稚御都
と声をかけるようになった.
一時は絶滅しかけた風習であったが,現代日本のネット上で
「1乙」という形になって蘇りつつある.
――――――民明書房『ねぎらいの言葉百選』より抜粋
272 :
転載:2008/09/13(土) 17:02:30 0
楚国に、一人の野球好きあり。彼曰く、
・イチローはどんなピッチャーでもヒットを打つ
・ボルトを代走に使われたら誰にも刺すことはできない
・クルーンは生後ずっと被安打数はゼロである
・イチローのレーザービームでセーフだった走者はいない
と。
それを聞いた男、尋ねて曰く、
「では、クルーンとイチローが投打対決したらどうなるのか。」
二人目の男、尋ねて曰く、
「まさに進塁せんとするボルトをイチローが刺そうとしたらどうなるのか。」
三人目の男、尋ねて曰く、
「どうなるの?」
四人目の男、尋ねて曰く、
「早く答えてよ。」
野球好きは答えて曰く、
「イチローは二人も存在しませんが?」
尋ねた四人の男、ドン引きすること甚だしきなり。
それ以後、野球好きと話する者なし。
民明書房刊「驚愕!故事成語のひみつ」45ページ「四面楚歌と矛盾」より
273 :
世界@名無史さん:2008/11/05(水) 21:45:56 0
age
274 :
世界@名無史さん:2008/12/07(日) 22:28:39 O
67:水先案名無い人 :2008/11/29(土) 01:18:40 ID:p3kP056P0 [sage]
無我部
無我の境地に入ることを生業とした一族で、飛鳥時代末期の文書にその実在が記されている。
平安時代以降は密教と結びつき、卜占を司る一族として藤原氏に仕えた。
自我を無限に拡大する「院震レ」と大宇宙の中の極小な自我を認識する「出蚤」を繰り返す秘儀は一子相伝とされてきた。
明治期、廃仏毀釈運動の中で国外へ逃亡し、その後日本国内で無我部一族の姿を見た者はいない。
「民明書房刊 高野山の秘術を伝える人々」
275 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 20:40:25 0
age
38:七つの海の名無しさん :2008/11/11(火) 15:59:45 ID:t57OTmhe
【神馬笛】(じんばぶえ)
有史以前、人知を超えて巨大な神を運ぶ無数の馬と、神馬に奉仕する従者の操る無数の笛があったという神話に基づく数の単位。
1神馬笛=1000無量大数に相当。
277 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 22:50:17 0
保守
278 :
世界@名無史さん:2009/02/03(火) 16:01:59 O
寓愚流(ぐうぐる)
漢の時代、爾富(じぷ)※現在の四川省北部の農村に愈(ゆ)と李(り)という貧しい暮らしをしている兄弟がいた。
ある日、兄弟の家に王珠峰に住む仙人が訪れて
「栄呂華草(えろがそう)と呼ばれる仙草があり、これを煎じて飲めば思いのままに栄華を手にすることができる」と話した。
野心にかられた二人は家や畑を売り払って金を作り、栄呂華草を探すべく旅に出た。
長い年月をかけて、中国全土を旅した愈と李であったが栄呂華草を手にすることはできず、
帰るところを無くした二人はいつしか斗山街道に住みつく鬼となり、街道を渡る商人を襲うようになった。 ※後に許儒氏に退治される
貧しくも真面目に働いていた生活を捨て、仙人の絵空事に流されて鬼となった愚かな二人を人々は「寓愚流」と呼び恐れ、哀れんだ。
現在でも中国では「おれ都会に行ってミュージシャンになるんだ」等と言ってる若者を叱るとき「寓愚流化子(ぐぐれかす)」(真面目に働かず、夢ばかり追いかけてると鬼になってしまう)という諺を用いる。
民明書房刊 「これだけは知っておきたいインターネット用語中級編」より
刹那とは
末綱(すえつな)姓の日本人青年が第一次大戦で目覚しい活躍をした。
「彼は誰だ?」
「スエツナ家の男児だ」
というやりとりが転訛してセツナとなり、刹那の字を当てたものである。
(民明書房刊『第一次世界大戦における末綱家の考察』)
280 :
世界@名無史さん:2009/02/09(月) 20:29:03 0
hosyu
ほしゅ
349 やめられない名無しさん sage New! 2009/04/08(水) 09:40:28 ID:dnLuzkej
日本古来の伝統行事として、台風が来た時はコロッケを食べることになっている。
韓国が発祥の行事で、候盧卦(コウロウケ)が始めたものを日本が真似たことが由来となっている。
ちなみに、コロッケは候盧卦か発明し世界に広めたことは、コロッケという名前からも明らかである。
民明書房刊:「発祥の韓国」より
283 :
世界@名無史さん:2009/05/06(水) 17:08:55 0
馬流山(ばるさん)
13世紀初頭の中国内陸部では、当時勢力を拡大しつつあった
モンゴル帝国の攻撃におびえていた。
当時、内陸部で一大勢力を誇っていた羅威音(らいおん)族も
例外ではなく、モンゴル帝国の攻勢により一族の主力部隊は
山の上へと追い詰められた。
もはやこれまでかと誰もがあきらめかけていたが、族長が
天に向かって祈りを捧げたところ、突然山全体が深い霧に包まれた。
さらに豪雨による大洪水が発生し、下流に居たモンゴル軍の
軍馬がすべて流され、モンゴル軍は撤退を余儀なくされた。
この戦いの舞台となった山は「馬流山」(ばるさん)と名づけられ、
一族の間では聖地として長い間崇められたという。
現代においても、部屋を霧で満たして殺虫する「バルサン」なる
製品が流通しているが、この故事が元になっていることは
言うまでも無いだろう。
民明書房刊「身近な商品のルーツを古代中国に探る」より
284 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 19:55:05 0
285 :
コピー:2009/07/07(火) 19:42:42 0
ゑ腐の短冊
昔々、唐の時代、長安の都にゑ腐という貴腐人がいた。彼女が
七夕に短冊を飾ったのをオサーンと呼ばれる盗賊がそれを強奪した
のだがそのオサーンが2回り年下の嫁をゲットしたことからこの短
冊に願い事をすると叶うという言い伝えができたらしい。
その後「就職できた」「嫁さんゲット」「年下の旦那に捕まっ
た」「昇進、昇格した」「FXで借金を返済できた」「家族の
病気が治った」その他の効能が認められたが貴腐人は効能を否
定している。
しかし蘇腐都蕃狗の得悪事社長が「髪の毛フサフサ」と願ったが逆
に薄くなった例も確認されている。
その後変遷を繰り返し昭和スレにおいては七夕の恒例行事とな
って受け継がれている。
民明書房刊
『ゑ腐の短冊』より
七夕上げ
287 :
コピー:2009/07/26(日) 23:57:31 0
363 名前:マンセー名無しさん[] 投稿日:2009/07/26(日) 22:31:12 ID:7cGp9gKE
草粥(哀)号
某・特定アジア諸国で散見される偽物ブランドの一種。
釣り上った目端と、飛び出たエラ、と言う風貌で、
特定半島国の風俗をやたら紹介したがるのが特徴。
興味の無い一般視聴者からはドン引きされてしまっている。
日本の人気グループ「s」のg.k氏の無断複製であろうと推定される。
業界の位置づけとしては、
sonyの偽物たる、sqny
hondaの偽物である、hongda
程度の仕打ちを受けているようである。
民明書房・刊「何とかの起源はウリナラ」より抜粋
288 :
世界@名無史さん:2009/08/01(土) 20:43:51 O
備 大将(そなえ ひろまさ・1530?-1610?)
「そない」とも。備氏は全国に分家を持つ豪族。多くは地元の戦国大名につかえ、槍働きで家を保った。
戦国時代の数多くの文献に登場するが、いずれも名が「大将」となっているので見分けがつかない。
ただ、有名な「備大将」は何人かいたらしく、秀吉に狙撃されたと文献に見られる。
(生没年はこの備大将である)
最近の研究では、長男は代々「大将」の名を持つのが慣例だったらしい。
またほとんど一族内で婚姻を繰り返していたらしく、代々似たような顔立ちだったという。
これらは現在残る羽壮八百(うそうはっぴゃく)備家18代目当主・備太将(ふとまさ)さん(80)の研究で明らかになった。
ぞろあすたーきょう
ワンピースを発見したイーストノース出身の冒険家モンキー.D.ルフィーが
仲間に、明日できることは今日やろうといった名言
研究家により海賊行為は見られなかったので現在は冒険家が定説である
民明書房刊「怪僧列伝ウルージ編」より
290 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 18:45:28 0
【白江族】(はっこうぞく)
白人種のミイラが発見され近頃話題になった四川省だが、これは米義勇軍
(義勇とは名ばかりだが)のフライングタイガースの元隊員である。
成都近くに白江という街があるが、ここには今でも白人が多く住んでいる地域だ。
中国では彼らのことを美族と呼んでいる。元々日中戦争時にアメリカからやって来た連中だが、
地元の中国人の娘をたくさん孕ましてしまい、そのうえ終戦後に国共内戦が勃発した時、
蒋介石が彼らの技量を見込んで帰国させなかったため、そのまま定住してしまった。
1948年頃の隊員数は500名とも600名とも言われたが、性欲旺盛な彼らは次々に女を犯して行き
混血児を3万人も作ってしまった。
地元では素行の悪い白人に対する反発もあったが、宋美麗夫人が中国人を強くするには白人の血が必要だと
珍説を主張し、彼らの繁殖を後押しした。国民党の敗北に伴ってごく一部は台湾に逃れたが、
彼らの戦力を手に入れたかった毛沢東は、女性を更に提供するという好待遇で迎えたので、 完全な定住が進んだ。
毛沢東は彼らを私兵として囲い込み、後の文化大革命では彼らが主力となって八面六臂の活躍をしたのは誰もが知るところである。
また、林彪が実は白人だったというのは有名な話である。
米中国交正常化が進んだのも、実はキッシンジャーがフライングタイガース元隊員だったという側面もある。
成都の小??飯店の受付の娘が美族で、何度かエッチしたが、
多くの中国人と違ってオーラルセックスに積極的だったし、緊縛してアナル責めたら何度も達してたよ(w
白人特有の産毛が濃かったのだが、色白で良かったよ。
『本』2001年11月号書評 民明書房刊『知られざる中国大陸の白人族』(1999年)
291 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 19:00:50 0
【ランボー】(らんぼう)
日本人グリーンベレーの人物伝である“星条旗に包まれた日本人”が、
映画“ランボー”の原作である事は余り知られていない。
原作本の川村正光氏は米軍に従軍し、ベトナムでのゲリラ戦で活躍後、韓国で事故死した事になっているが、
実は、除隊後アメリカの寒村で警察に不当な扱いを受け、収監されていた警察署から脱走、
更には、盗んだバイクで走り出す♪
山中に逃げ込んだが追っ手の保安官を多数殺害し、その傍若無人の振舞いから、
地元警察が彼のことを“乱暴者”と名付けた。
それが後に有名になったニックネームである、ランボーの元となった。
越南帰還兵の問題がクローズアップされ、マスコミでも話題になった事から、
この事件は映画化もされたが、主役を演じたのは日系3世の
シルベスタ・須田郎である。
この川村氏だが、輝かしい軍功から無罪放免となった後、
ボクサーに転じたかと思えば、ソ連軍とアフガンで戦い、ついにはソ連軍が潰滅し、
ベルリンの壁崩壊のきっかけを作った人物としてその名を歴史に留めている。
因みに、筆者がハノイに駐在していた時、ランボーこと川村正光氏をフエで拷問したことのある元ベトコンに会った事がある。
彼によると、肛門に竹筒を刺して苛めていたところ、よがり声が余りに大きく、
ダナン近郊でも声が聞こえたと言う。
俺は、その元ベトコンの娘とアナルセックスを楽しませてもらったよw
民明書房刊 穴留越三著 『星条旗に包まれた日本人』(1978年)
−「本」1978年12月号書評より
293 :
世界@名無史さん:2009/11/20(金) 21:41:25 0
>>292 56歳の私に対して「坊や」とは聞き捨てならぬ発言だ。
君は一体幾つなのかね。
長幼の序というものを、弁えたまえ。
56歳の人間も男塾を読んでいるのか…!
56歳ぐらいで、エロもガキレベルに戻ったのか。
世界史板でたかが56歳ごときで何を偉そうに。
40、50は洟垂れ小僧だろうに。w
そんなに平均年齢高いのか?世界史板って
年齢で他人のツッコミを抑えられると思い込む
>>293は、真面目に民明書房に通う必要があるな。
今どき厨房レベルのエロを偉そうに自慢するとは情けない。w
298 :
世界@名無史さん:2009/12/06(日) 02:11:15 0
>>297 今時の厨房は、オーラルセックスをしておるのか?
俺の若い時には考えられなかったことであり、驚愕しておる。
いまどき厨房でもオーラルセックスはおろか通常のセックスあげくアナルセックスもあたりまえに行われている
300 :
世界@名無史さん:2009/12/07(月) 21:55:06 0
>>299 なにげに300ゲトーするが、今時の厨房は斯様な激しいプレイをしておるのか。
小生も勉強になった。
今後の援助交際で試してみようかと思料するところである。
301 :
世界@名無史さん:2009/12/10(木) 00:44:06 0
厨房でいきなりアナルというのは、入れるところが分からなくて間違って入れたんじゃ。
この類の情報は雑誌とネットで簡単に手に入るから間違えはせんだろ
『頼母子講(たのもしこう)』
漢の皇帝の隠し子「頼母子」の親族達が作った金融機関である
隠し子の血族として皇帝一族から冷遇された親族達は、互いの苦境を助け合う為に
皆で掛け金を出して資金を融通し合い、頼母子の名を取り「頼母子講」と命名した
逞しく成長した頼母子は、後に頼母子講の資金を活用して謀略を繰り返し、
ついに庶子同然でありながら漢皇帝の地位を簒奪するに至ったのである
余談ながら「頼もしい」の語源が「頼母子講」の逸話を典拠とするのは、周知の事実である
(民明書房刊 「金融歴史トリビアン −知れば納得そのルーツ−」より抜粋)
304 :
世界@名無史さん:2009/12/14(月) 23:16:00 0
統裳(トウモ)118〜152
古代中国の武将。北方異民族との戦いで名を馳せる。
あまりの勇猛ぶりに異民族は統裳の姿を見ただけで逃げ出したという。
これがかえって災いし宦官の妬みの的となり統裳は毒殺されてしまう。
毒殺に用いられた食事が「統裳殺し」これが転じて「トウモロコシ」の語源となったのは言うまでもない。
民明書房刊「中国英雄伝」
305 :
こぴー:2009/12/19(土) 21:34:07 0
伊達の六忘面痕もびっくり。
【六忘面痕】
二世紀・中国漢代後期、大罪を犯した咎人に科した刑罰の
ひとつ。孝・忠・信・義・仁・礼の六つの徳を忘れた反逆の徒
という証に、左右あわせて六条の傷を顔面に切り刻んだと
いう。現代でも不逞の輩を指して忘六者というはこれに語義
を発する。 民明書房刊『古代刑法全』より
306 :
こぴー:2010/01/04(月) 17:15:22 0
アニメ「北斗の拳」の最盛期に南斗六聖拳を対象とした人気投票が行われた
その結果もっとも多くの票を獲得したのが南斗水鳥拳のレイ
一番票が集まらなかったのが南斗白鷺拳のシュウ
荒野はレイのファン一色で仁星の評価は少なすぎる事が明らかとなった
このため人々は「荒原レイ一色少なし仁」の格言を後世に残す事を決めたという
民明書房刊『あの日、時代は熱かった 〜漢たちの北斗の券〜 』より
307 :
世界@名無史さん:2010/01/22(金) 23:11:53 0
『越狗巣没狗巣(えつくすぼつくす)』
中国春秋時代、呉と越の両国は呉越同舟の言葉で知られるように非常に険悪な仲であった。
好戦的な越王は常々呉に対して小規模な嫌がらせを行っていたが、呉王は強硬策に出られずに居た。
あるとき越王は大量の野犬を集め、呉との国境付近から呉の村落へ向けて放逐するという嫌がらせを行った。
この嫌がらせは想像以上に効果が大きく、呉の村落では子供が命を落とすほどの被害が生じてしまう。
これを聞いた呉王は不快感を持ったが、越に攻め入るほどの事態であるとは認識していなかった。
その軟弱な呉王に対し宰相が放った言葉が『越狗巣没狗巣(訳:越はイヌの巣、イヌの巣は潰すべきだ)』である。
この力強い言葉を聞いた呉王は感涙し呉はその短句を御旗に掲げ越への侵攻を始める。
越もこれに応じ軍を出陣させたのだが、士気に勝る呉軍相手に大敗し多くの領土を失ってしまう。
後世にこの『越狗巣没狗巣』という言葉は転じて並々ならぬ熱意を示すようになり、
それがMS社製ゲーム機のネーミングに影響を与えたことは、シアトルでは誰もが知っている事実である。
(民明書房刊『ゲーム戦争の基礎知識』より)
308 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 05:31:07 0
【屎尿】
屎(し)は食べたオッタマケーキが排泄されたものとして糞を、尿(にょう)は飲んだホピ酒が排泄されたものとして小便を示す文字で
殷代の甲骨文字に起源し、『ネオジムメモ』や『古の賛歌書』にも登場していて、プレイヤーの排泄物とカプ畜などのそれとを屎と糞の字で区別する傾向も見られる
(あえて人糞と表記するなど)
蔑称以外の何物でもない、屎尿以外にも下方修正弱体後の双剣使いがPTに貢献できないまま
転ばされ乙り手数激減のらりくらりとスタミナ回復の為にエリア端で立ちすくむ姿を
「そびえ立つクソ」と呼ぶ。その姿はまるで湯気上がり臭い立つ野太い一本グソが天を仰ぎ見るかの如しである。
現在では屎の文字を単独で使用することはなく、主に「糞」が使われる
(この文章中でもそのようにしている)
民明書房刊
「我、糞地雷と呼ばれたり」 より
309 :
こぴー:2010/04/08(木) 22:50:17 0
299 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/04/08(木) 22:45:58 ID:TP0qUn6G
古来中国では河を挟んで両軍が相対峙した時、河の中で両軍の軍使が決闘を行った。
この故事が「水面下の交渉」と言われる所以である。
特に遼の軍使である笥能蹴は百戦無敗であったと言われる。
これが今日のシュノーケルの語源である。「百舌勘定」民明書房
310 :
世界@名無史さん:2010/05/10(月) 22:52:32 0
Pha ci rith (パシリ)
いわゆる「パシリ」の源流は、学制改革を遡ること
600年前の中世ベルギーにある。
当時のベルギーは山村の寄合所帯に
周辺国の公爵位を持つ家が君臨しているといった
社会体制で、人々に移動の自由は無かった。
この閉塞的な状況下で、物流や文化を支えていたのは
郷村に1〜2人のパシリたちであった。
ロバも往来できない山道、道すら無い独自のルートなどを
パシリたちは走っていく。
重い時には、20kgを超える荷を背負って一日50km以上を
移動した。
311 :
世界@名無史さん:2010/05/10(月) 22:54:20 0
驚がく的なのは、パシリがしばしば荷の代価を
受け取らなかったことだ。
パシリはベルギー国内の貴族や騎士、
果ては独仏墺やイタリア諸都市の領内を行き来する過程で
秘密文書や連絡事項を託され、伝達の報酬としてかなりの
金品や便宜を授受していたからである。
これほどまでにパシリは強く、諸侯からの信頼も厚かった。
それだけでなく、パシリは様々な芸にも長じていた。
物流や工作活動と同じく、諸芸にもパシリは
その真価を発揮した。
312 :
世界@名無史さん:2010/05/10(月) 22:56:56 0
東ヨーロッパに元寇があった折、パシリは諸侯の命令を受け
鏡と太陽光線を用いてモンゴル軍の騎馬を混乱させた。
またこのとき、一般庶民の白兵戦術や投げダーツの
訓練にもパシリは進んで協力した。
時代が進むにつれ、交通の発達やパイク槍の発明が起き
パシリは徐々に減っていく。しかし、パシリは消滅しなかった。
産業革命以降も、列強各国の寄宿舎や兵学校に於いて
級長格・副筆頭格・大政扱いの生徒・学生がパシリ役を務めた。
こんにちの応援団で旗を掲げる役割を、団内で男性として
最も優れた者が担う習慣も起源はパシリにある。
313 :
世界@名無史さん:2010/05/10(月) 22:57:52 0
残念なことに、一般の中学高校ではパシリの習慣が
逆に弱い生徒を抑圧している。
これは生存の簡単な環境で育った子どもたちが、
パシリを崇めるその他大勢の民として生きられない
ことから起きる悲劇である。
「ナンバーワンになれ」と競争に駆り立てられ、
「ゆとり」を与えられても尚、「オンリーワン」になれない
子どもたちに、パシリを使えと言うのは間違っている。
パシリとしての重責を果たせず、自ら命を絶つ生徒は
ゴミだからそのへんに遺棄しといたらヨロシイ。
民明書房刊「いじめVS文化人類学F 学校に生きる中世」坂本金八・著
314 :
世界@名無史さん:2010/05/11(火) 09:33:20 0
落汰欠拾只(らくたかけ・しゅうろは)
医療が未発達の時代、感染症は難病の一つだった。
罹患部位が四肢である場合は、いくらか望みがあった。
問題の部位を落として、欠損部位にしてしまうのだ。
症状が進む前に、病巣を除く決意ができた者だけが生きた。
剣や斧の腕が立ち、人体の構造にも詳しい武術家が
一瞬で切断し間髪入れず止血とエーテル消毒に掛かる。
患者が延命できたとき、武術家は患者の残存する
二の腕や太ももに己が流派の文様を刻んだ。
自流の名誉に貢献するためである。
この文様を刻む場合、切断に要した刃物の研ぎ賃に
至るまで武術家持ちとなり、治療費は無償となった。
315 :
世界@名無史さん:2010/05/11(火) 09:34:03 0
延命した元患者の正念場は、ここからである。
福祉の未発達な時代、中途身体障がい者とて
実力で金穀を稼ぎ日々の糧を得なければ生きられない。
多くは見世物小屋や街道乞食へと流れ、
後の生涯に数回しか故郷の村へ帰ることはなかった。
芸人として買い手が付くか物乞いとして導かれるか、
そのいずれが叶った者だけが生きた。
命救われるときも只なら、拾われるときも只同然で
新しい人生への門出を飾った。
芸人になった中途身体障がい者は、様々な活動を為した。
障がいは生来のものだとのコンセプトで偽書を著す者、
商業スポーツの解説者になる者、寺子屋の教諭になる者と
多様であった。だが都市生活は気苦労も多く、せっかく
助かった命をリストカットや釣遊中の事故で散らす者もいた。
ミネルヴァ・アカダミア刊「社会福祉前史 中途障がい編」
316 :
世界@名無史さん:2010/05/11(火) 09:40:14 0
ミネルヴァは約3000年の社史があるからなー。
南アレクサンドリアで不良在庫になってる粘土板の電子化業務を
OCRで自動化できないかゴーグル社と交渉中なんて世界だぞ。
200年にも満たない民明じゃ、どこまで中国拳法の神髄に触れてるのか未知数。
よく清代ぐらいの新興拳法の基礎教本が出てるけど、試した人いる?
でも俺的には、大日本帝國拳法がお気に入りだったりする。
自動火器を想定した体系ゆえ、一般兵士を○すのに特化した技が多くて面白い。
317 :
コピー:2010/05/11(火) 14:18:52 0
518 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 11:30:07 ID:faaVqPV5
>>504 ルーピーノツカイ(愚者の遣い)は、アカンボウ目ルーピーノツカイ科に属する魚類の 1種。
キンセイノツカイ属に含まれる種とされている。
連合・労組・日教組など左巻きの多いところに生息する。
(民明書房『世界の珍魚・奇魚図鑑』)
八宝菜・回鍋肉・チンジャオロースー・マーボーなど、
我が国の家庭料理に根付いた中華料理は数知れない。
しかしそれらはいずれも、食材や調理方法の面において
簡素化された惣菜に過ぎず食育上は中華を知る機会となり得ない。
ライフ・スタイルの違いから我が国の一般家庭で
中華を根付かせるのは困難だというのが定説である。
だが、その定説にも例外が発生した。
かの有名な度宮蘇が、平成15年頃の一般家庭で作られたことを知る人は少ない。
度宮蘇はあまりに有名な宮廷料理なので説明は省くが、
現代日本に於いて満漢全席より制作が難しく再現は不可能とされていた。
しかも作ったのは、調理の経験も無い19歳の男性である。
食材は悪逆非道の限りを尽くした珍走団員の“安い”Y太氏(19歳)で、
彼は贖罪のため車輌と溶剤を供出しイギリス式の『ガス麺麭』法にて
度宮蘇を現代日本で完成させた。
“安い”の異名に違わず、制作コストが低く抑えられており
Y太氏の手腕が伺える見事な手際だった。
度宮蘇は地元の医院に供されたが、主流学閥の医師たちは
とある事情からケイロンの誓いを立てておりヴェルダンだった
部分だけを食しY太氏の延命に努めた。
Y太氏は「残飯扱いする気か」と抗議したが、勤勉なY太氏は
遺族基礎年金だけでなく厚生年金各種の宛てがあったので
生きるという運命を受け入れた。
日本国民の血税にも等しい年金財源からの醵出には地元議会でも
一時は反対の声が上がったものの、Y太氏の頭皮は
亀甲占いの吉兆を呈しており残飯処理センターへの送致は見送られた。
※民明書房「二酸化炭素を吐き出して、炎が呼吸をしているよ」から抜粋
Y太さんの紅蓮腕は、ロケット花火の黒色火薬を使ってる。
ありえない低コストだろ。
飛天御剣流を習ってる奴が、Y太さんの一撃くって
御前試合に出られなくなり傷害事件に発展したことで
Y太さんが少年院送致になったのはあまりにも有名。
ええ、もちろんエアーソフト・ガトリングガンでケンの奴をボコボコにしてやりましたよ。
そしたら、その件までY太さんが被ってくれて・・・・・・(涙)。
あれから俺は6年、北関東にあるケイロン神殿で祈ったんだ。
321 :
世界@名無史さん:2010/05/22(土) 20:05:54 0
度宮租には、子どもを蒸し焼きにするバリエーションもあるぞ。
調理器に入れた時点では、食材がまだ生きている。
食材が自力で飲むよう、笹などの箱に牛乳を入れて渡しておく手法もある。
本式ではキムチと和えるんだけど、姿蒸しの醍醐味は塩分が抜けて
なおかつ水気も飛んだアッサリした味わいに在るから
辛い調味料はつけないのが日本人向け。
姿蒸しにしたものを3日か4日ほどしてから二度焼きするのが定番だな。
民明書房の中華料理書は、食材の入手が日本では困難なものが多くて
家政科では学級文庫としての購入が却下されまくってたけど、
家庭の主婦たちには人気が根強いようだな。
★ブルベリ居合
フィンランド発祥の居合流派が存在することは、知られていない。
情報の集積が進んだ現代に生きる武道家たちの弊習として、
連盟・協会や大型図書館などが公開するデータベースに載っていない
流派を見落としがちになるというものがある。
杖術を伝習していながら、近所に幻の棒術が伝承されていることを
知らずに過ごしている学生も決して珍しくない。
ひどい例だと、隣町に同じ流派の小さな道場があるのを見つけられず
学生のとき新幹線と特急を乗り継いで柔術を習いに通っていたという
“武勇伝”を持つ人もいる。
フィンランドに伝わるブルベリ居合は刃が両面に付いた剣で
居合の技法を使える貴重な流派だったが、
宗家は17世紀中頃に途絶えてしまった。
ブルベリ居合の宗家は陰流居合の流れを汲んでいたが、
日本の鎖国に伴い郷土との交流が断たれ
西洋世界に同化せざるを得なかったためである。
だが、今でも密かに伝承を続けている家があるという噂、
健康食品を商う日本企業が近年になって現地に進出して
ブルベリ居合の大部分を吸収したという噂は絶えない。
地産地消の運動が推し進められている昨今、今一度自分の住む地域で
武道を探してみてはどうか。
民明書房「毎日続けてブルベリ居合」より抜粋
2010年2月 日吉昭彦ファンクラブ「CM音楽とエアロビの身体性」論文資料集
324 :
コピー:2010/05/27(木) 01:31:41 0
735 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 22:42:40 ID:++zDqUVk
>>690 >首相の発言だけはチェックしてほしい」と、首相周辺に怒りの矛先を向けた。
のちに代用の発言を逐一書き記した「鳩言録」が発刊されたが、読んで精神に
異常を来す者が跡を絶たなかったため一週間で発禁となった。
『鳩に豆鉄砲食らったような顔』とは、この書を読んで悶絶した者の形相を指す。
(民明書房『ラヴクラフトの弟子たち』)
【ググレカス】
大学の源流が古代ギリシアのアカデミーにあることは
読者諸賢にとって常識的な事柄であろうが、
アカデミーの黎明後期に徒花的な出現を見た
ググレカスの存在は意外に知られていない。
アカデミーの学閥学派が固定化し、また
ギリシア社会でも階層間の流動性が最も堅かった
ググレカス帝の治世には、
18歳以上のアテネ市民男性であっても
それだけでは学問の自由を享受できなかった。
選挙階級が古代社会で学問の道を閉じられることは、
衆愚政治(デマゴギー)の餌食でしかない情報弱者に
零落してしまうことを意味した。
この事態を憂いたググレカス帝は、
----後半、マイクロフィルム劣化につき解読不可----
民明書房 大学生協部 洋書掛「ググレカス」より抜粋
※ググレカス帝は写本奴隷の編成で功績のある人物。
散逸文献にIfは禁物だが、ググレカスという皇帝の
名前を冠した施設が何らかの検索機能を有していた
可能性はある。
ところで、今年の夏は以下の試合が観れるぞ。
優勝
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青学 男塾 戯堂高校テニス部
会場は、都立テニス場のテニスコートだ。
我こそはと思う漢は、今から解説を始めてくれ。
始める、と申したが平成22年の都内でのこと。
女性の方も解説席に華を添えてくだされ。
328 :
コピー:2010/07/07(水) 13:43:07 0
448 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 23:18:10 ID:WzxNoYgS
>>436 ゑ腐の短冊
昔々、2ちゃんねるの片隅、昭和のスレにゑ腐という韓銀を釘バットでボコボコにした貴腐人がいた。
彼女が七夕に短冊を飾ったのをオサーンと呼ばれる盗賊が強奪したところ、オサーンが2回り年下の
嫁をゲットしたことから この短冊に願い事をすると叶うという伝説が発生した。
その後「就職できた」「嫁さんゲット」「年下の旦那に捕まった」「昇進、昇格した」
「FXで借金を返済できた」「家族の病気が治った」その他の効能が認められたが
貴腐人は効能を否定している。
三流雑誌に載っている広告のような女の子と札束の風呂に入浴しているハーレム状態を希望すると
露天風呂に阿部さんと入浴することになるという伝説もある。
その後変遷を繰り返し昭和スレにおいては七夕の恒例行事となって受け継がれ現在に至る。
民明書房刊 大韓民国の興亡
第三章 禿の襲撃 唸る釘バット
エピソード『ゑ腐の短冊』より
329 :
コピー:2010/07/21(水) 02:22:21 0
312 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 21:05:45 ID:QC8CB86k
>>298,300
残念だが「陸チョウザメ」はもうネタじゃないそうだ。;y=-( ゚д゚)
なんでも、秋田では「畑でキャビア」が取れるらしい。
「らしい」と書いたのには理由がある。誰も「陸チョウザメ」を見た事が
ないからだ。気が付くと畑にキャビアが産み付けられているのだが、
誰一人として陸チョウザメの産卵を目撃した者が居ないのだ。
見た者はナマハゲに連れ去られるとか、カマクラに監禁されてしまう
という怖い噂まで・・・。ちなみに、現地では「畑のキャビア」を「とんぶり」
と呼んでいる。「とんぶり→飛んぶり」という事からUMA或いはUFO
の関連を指摘する学者もいるらしい。
−民明書房刊「日本の七不思議(出羽国編)」− より。
330 :
世界@名無史さん:
24時間テレビでボランティアを言及した民明書房を作って