1 :
世界@名無史さん:
なんか遠洋航海とかだと死亡率70%だったとか
食料とか一日に食べれる量も限られてただろうし
水とかもね。想像以上に過酷なものだったんだろぉか
でも怪物やらモンスターがいるとか、伝説もいろいろ
あったのだろぉし、まあRPGのやりすぎでつけど
なんかそういう意味では、昔の人も好奇心くすぐられて
おもろかったんでしょうかね
2 :
世界@名無史さん:04/04/13 16:15
nurupo
3 :
世界@名無史さん:04/04/13 16:50
秘境マニアめぇ
7 :
世界@名無史さん:04/04/13 20:37
なんか水溜りで溺れて氏ぬる旅人も居ったそうな。ソースは世界史板。
トラベルの語源はトラブルだと文化人類学者が書いていた気が。納得出来ますが。
10 :
世界@名無史さん:04/04/19 00:29
age
>>9 いずれにせよ楽なものでは無かったようですね。観光を楽しめるようになっ
たのは70年代からかな。
12 :
世界@名無史さん:04/04/19 02:09
>>1 勇者と戦士と魔法使いと僧侶が縦に一列の隊形で進んで行くのが普通。
この答えで満足した?
13 :
世界@名無史さん:04/04/19 03:07
あと盗賊な。
14 :
世界@名無史さん:04/04/19 16:08
歩きだと平均一日20キロ進むのが限界だった
十字軍は一日10キロ程度しか進まなかったが
15 :
世界@名無史さん:04/04/20 13:18
イブン=バットゥータ
ハシバリョス・ヒデヨサの手勢は、一日に50キロメートルを走破した!
17 :
世界@名無史さん:04/04/30 00:05
そもそもの旅に出る目的は、
侵略、巡礼、行商、謁見(外交官)、郵便配達(飛脚)、
他に何があった?
18 :
世界@名無史さん:04/04/30 00:30
学問。遠国の大学に入るための旅。
騎士って武者修行してたんじゃないの?
いいえ、聖杯探求です。
21 :
世界@名無史さん:04/04/30 01:09
幻の聖杯を求めて?
22 :
世界@名無史さん:04/04/30 01:11
乞食の大道芸の旅。
23 :
Q太郎 ◆74u8JkwhMU :04/04/30 01:13
test
24 :
世界@名無史さん:04/04/30 01:45
Q太郎の食い道楽の旅。
25 :
世界@名無史さん:04/04/30 03:30
モンゴル軍や中華の遠征軍って、都市丸ごと移動みたいな感じですか?
・補給(食料・水・武具)
・女
・病人
とかはどうしたんでしょ?
26 :
世界@名無史さん:04/04/30 03:47
東洋には犬の頭をした人間がいると思われていたのです
>>25 東洋には犬の頭をした人間がいると思われていたのです
>>25 女や病人は家畜に引かせた荷車の上、
食料は家畜、武具も家畜(骨、皮、筋など)、
水場や餌場を拠点って感じじゃないの
29 :
世界@名無史さん:04/04/30 04:36
遊牧民は日頃から移動生活だから、
水場を求めて移動するのもモンゴルからロシアに遠征するのも同じ感覚じゃないの。
マールバラ公の行軍スケジュールの記録(スペイン継承戦争時)によると、
夏場の場合、朝三時頃起床→行軍開始→正午頃に行軍停止→設営開始
とかそんな感じだったと思う。
(何分、かなり昔に読んだんでうろ覚え。)
中世じゃないだろってツッコミはあるかも知れんが、大して変わりは無いんじゃないかな?
それって旅なのか?
武者修行ってほんとなんですか?
近世になれば娯楽で旅をする人増えるんだがなぁ
シーボルトは日本に来て、旅行者の多さに驚いてたらしいね
34 :
世界@名無史さん:04/05/01 09:45
遺跡発掘の旅はやはり近世だろうか?
モンゴルは100キロは行けたらしいね。
十字軍の十倍か。
そるりゃ、勝てんわなあ。
36 :
世界@名無史さん:04/05/09 23:35
37 :
世界@名無史さん:04/05/10 20:09
職人が親方になる前の修行の旅(遍歴)
今でもドイツの学生は複数の大学を掛持ちすることが多い。
RPGみたいに
パーティー4,5人単位の
極端に少ない旅団も多かったのですか?
40 :
世界@名無史さん:04/06/04 23:32
>>19 嫁探しの旅に出ることがしょっちゅうだったらしく、
よその親戚の貴族のとこにいくと、
その貴族が歓迎の宴を開くもんで、
領内の農奴の家一軒一軒から鶏を1羽謙譲させて大変迷惑などというお話があったとか無かったとか。
岩波の何かの本にかかれてた。
41 :
世界@名無史さん:04/06/15 21:27
>>32 城を持っている領主の子弟の場合、次男以降は自分の城を得る為に
城付きの姫を探して、武者修行をしながら各地を廻ります。
戦に参加したり、馬上試合に参加したりして、武功を立てる事が出来ると
もしかしたら婿に・・・と所望してくれる貴族がいるかも・・・と言った具合です。
次男どころか跡取りの長男も旅に出る事も珍しくありませんでした。
領主以外の成人男子の自由人が城にいる事はあまり好ましく思われていなかったからです。
親が富裕な場合は、旅費をたっぷり持たせたので危険は相対的に少なかったのですが
長男の旅費もケチるような財政状況の場合、次男以降はほとんど死出の旅路みたいなもんだったとか。
デュビーの『中世の結婚』は騎士の武者修行による嫁探し(=城探し)も書いていて
面白いですよ。
護衛を雇い仲間を募り知り合いを訪ね略奪なんかもしながらならある程度は旅できるかも。
貴族ではない平民、しかも金のある商人でないなら、旅は自殺行為かと。
43 :
世界@名無史さん:04/08/07 20:34
>>42 それでも巡礼の旅は庶民にも大人気。
仲間を募ってはいたけど、護衛まで雇う余裕は、
庶民の巡礼にはなかった。
>>43 そこでテンプル騎士団の登場です。
街道の警備から金融業務まで、巡礼者が必要とするあらゆるサービスを提供してました。
45 :
世界@名無史さん:04/08/08 00:47
テンプルは、手形扱ってたんだよね<金融業務
今で言ったらトラベラズ・チェック(?)W
中世前期の石工はかなり移動が多かったよね
建築ラッシュは盛期中世だよね?
橋建てたりしてたのかな?<石工の移動
48 :
世界@名無史さん:04/08/09 15:27
フランスの南の町に行ったとき、
1100年の歴史を持つ旅行会社って看板を見た。
興味本位で中を覗いて会社案内のパンフレット見たけど、
エルサレムだのローマだのの聖地巡礼ツアー(?)を
テンプル騎士団登場前から「商売」としてやっていたみたい。
通貨ってどれぐらい通じたんだろうね。
両替のレートで苦労する中世風ファンタジーとか
あんまり見ないけど。
まずい国王の顔が刻印された金貨なんぞ使おうものなら
軽くて投獄、なんてことはなかったのかな?
ヘンリー7世刻印の1ポンド金貨1枚で
各国の酒場の安酒が何杯飲めたか、みたいな庶民的なデータはないもんだろうか?
どうなんだろうねえ?
「各国の酒場の安酒が何杯飲めたか、みたいな庶民的なデータ」は知りたいけど。
地域ごとの使用データになるんじゃないかな?
>通貨ってどれぐらい通じたんだろうね。
については。
6世紀ころからはビザンツのノミマス硬貨が、基幹通貨として広域に流通してたけど。
イスラム圏の伸張以降は、ヨーロッパ地域で金貨の流通量は減っていって。(ビザンツへの金の流入量が減ったそうだ)
貨幣は物々交換の補助手段になった、とか言うよね。
フィレンツェのフローリン金貨は比較的広域に流通したらしいけど。
庶民の生活にはあまり関係なかったらしいし。
ヨーロッパで硬貨の一般的な地位が回復に転じるのは、やはり十字軍の時期以降なんじゃないかな?
>49
>両替のレートで苦労する中世風ファンタジーとか
1170年代に英国の田舎からロンドン経由でパリへ行ってパリ大学で学んだ
僧ネッカムによれば、彼はフランスへ上陸した時とパリへ入った時の二度両替
商の世話になっています。フランスでもブーローニュ伯領では使えた貨幣が通
用しなくなっていたため。
旅の途中に乗っていた馬を着いた先で売ることもあったそうですが、こうした
情報は先達や旅で知り合った人間から仕入れていたようです。
52 :
カラジチ ◆mWYugocC.c :04/08/11 20:03
>>49 中世風ファンタジーはあんまり当てにならないかと……
べつに中世ヨーロッパをモデルにしてますって公言しているわけじゃないし。
そもそも、ほとんどの中世風ファンタジーって貨幣単位が10進数。
違うのって……ぱっと思いつくのは「混沌の渦」ぐらいかなあ。
53 :
世界@名無史さん:04/08/11 20:31
通貨の流通については南北に格差があるよね。
54 :
世界@名無史さん:04/08/11 20:53
>>53 ローマとゲルマンだな。ゲルマンの地域は11c以降から本格的に流通が
始まるが、ローマは10c後半には商業体系の復活が見られるんじゃないかな。
ローマ法の合理性や帳簿、通訳などの商人としてのスキルの面でもローマには
土台があるからなぁ。まぁイスラムやユダヤもそうだけど。
55 :
世界@名無史さん:04/08/12 10:20
イスラムは商人を人質にとるビジネスもあったそうですね。
そのときは交渉人として修道士があたったとか。
>>55 それって海賊とか?<商人を人質にとるビジネス
だったら、ノルマンにも小アジアにもあった
57 :
世界@名無史さん:04/08/13 04:24
ヨーロッパ中世の通貨は、
ご存知の通り銀が主流です。
また、これは半分や4分の1に割ったもの等があります。
でも貨幣は
1libra=20solidus=240denarius
中世初期においてはデナリウス貨(英:ペニー仏:ドゥニエ)だけ存在し、
上位のものは単に計算上のものであったようです。
貨幣は普通その貨幣鋳造権(上級領主権)を持つ領域内の君主の刻印が打刻され、
基本的にその領域内で流通するものであったようです。
もちろん領域や時代ににより、
銀の含有量や貨幣の大きさに差異があるし、
流通過程時における摩耗によって(試金なども行われるため)、
どちらかというと重量としての方が重要視されていたようなので、
大分ファンタジー世界とは勝手が違うと思います。
58 :
世界@名無史さん:04/08/13 06:42
>>56 海賊じゃないですね。在地勢力などがやるわけです(比較的小さい勢力
なども)。先ごろのイラク日本人拉致事件とよく似ていますね。
59 :
世界@名無史さん:04/08/13 06:51
>>54 ローマ法の適用される商業「活動」という場合は南は10世紀後半に始まり
11,12世紀に普及。北は13、14世紀と言えるでしょうね。
61 :
世界@名無史さん:04/08/16 07:56
中世の旅はふたたび家に帰ることを前提としていないんだよね。
62 :
世界@名無史さん:04/08/17 07:02
63 :
世界@名無史さん:04/08/18 06:51
中世の旅人は通行手形のようなものは持っていたのでしょうか?
日本では過所のようなものがありますよね。
64 :
世界@名無史さん:04/08/19 08:03
age
65 :
世界@名無史さん:04/08/29 18:04
>>63 伝令などは領主の書状のようなものを持っていたと聞いたことがあるが。
66 :
世界@名無史さん:04/09/30 08:46:31
age
67 :
世界@名無史さん:04/10/09 10:43:29
>>50十進法でないとすると、何が基準になってたんでしょう?(色々あるでしょうが)
>>57のような1=20=240みたいな感じですかねえ?
68 :
世界@名無史さん:04/11/12 21:56:44
age
13〜15世紀ぐらいのヨーロッパなら
言葉はラテン語話せれば教会や領主のお城にいけば通じたんでしょうかね?
教会は大丈夫そうだけど
領主は無理なんじゃないかな
中世領主の子弟の教育ってどれぐらいのレベルだろう。
日本みたいに寺に預けられたり家庭教師になってもらったり、
みたいなことしてたのかな?
スコットランドとかだと…狩りぐらいしかしてなさそうだがw
72 :
世界@名無史さん:04/12/18 09:21:19
age
73 :
世界@名無史さん:05/01/09 21:49:43
age
74 :
世界@名無史さん:05/01/26 22:35:53 0
age
>>71 中世初期〜盛期だったら、騎士の子弟は大体が文盲だと思って良いかと。
文字の読み書きは僧侶の仕事だったので、文学を解する貴族は馬鹿にされないまでも
普通じゃない存在です。
逆に貴族階級の女性はかなり高度なラテン語を読み書きできます。
・・・こんな夫婦が上手く行ったのが、本当に疑問ですが。
貴族の子弟でも、二番目とか三番目とか庶子とかは修道院に入れられる場合もあったようです。
大学があちこちにできると、そちらに送られて教育される場合も。
(これらは、将来の領内役人候補。
仕送りや学費を考えると結構な財産が必要ですね。)
時代や地域の土地柄、貴族の領地の大小、家族構成等々によっても変化しますので、一概には言えないんですが、全体で見るとやはり識字率は低かったようですね。
じゃあ逆に、中世以前、たとえば2世紀から3世紀頃のローマ帝国内での
一般庶民の識字率ってどれくらいのものだったのか、何かしら手がかりを
ご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。
たぶんに上流階級(元老院議員とか、騎士階級とか、もしかしたら軍人も)
はラテン語の読み書きは必須だったと思うのですが、たとえばパン職人とか
酒場のマダムとか風呂屋の親父とか。
「中世」からはちょっとはずれちゃいますが、よろしければ教えて下さい。
78 :
世界@名無史さん:05/02/20 09:50:34 0
age
79 :
世界@名無史さん:05/03/07 00:23:54 0
>>77 識字と関わってくるのが計算能力ですな。
あの時代のローマは貨幣経済が庶民にまで浸透していたのなら
硬貨をやりとりして勘定ができたはず。
アバカスは学者限定で庶民は・・・指折りか暗算?
複式簿記の発明は、中世ヨーロッパですね。
古代ローマの経済合理性を低く見るときに、
持ち出される根拠の一つです。
>>77 2〜3世紀ってのに外れちゃいますが、
某先生は落書きの多さからみて、ポンペイの盛期の識字率は30%は下回らないだろう
なんて言ってますね。
どこまで信用できるのかはわかりませんが。
82 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/07 02:10:19 0
>>77>>81両氏
『ポンペイグラフィティ』ですな。
本村センセの監修した『ポンペイエロチカ』も、
参考になるかもしれません。
また「ローマの識字率」『西洋古代史研究入門』195-196頁によると、
(これも本村センセ)
W.V.Harrisが帝国西方では5-10%という数字を挙げているらしいです。
ただ、それに対して否定的な見解も多いようですが。
ま、一応参考までに。
おい、そこの御仁! わしゃ字がかけんよってΘεμιστοκλήςと書いてくだされ!
って逸話があるぐらいだから当時のギリシャ都市国家の市民でも
一通りの読み書きできるのは少数派だったのかもね。
84 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 22:56:58 0
age
なんて読むの?
識字率に関しては、都市と農村で差があったと思う。
都市は何だかんだ言って商人が結構多いから、
読み書きそろばんは必須だったろうし。
ポンペイでは識字率が三割、ガリアの農村では一割以下でも不思議には思わないが、
>>75の中世の貴族では女性の方が男性より識字率高いってのは
ちょっと驚いた。
やっぱり家政とか手紙とかで必要だったからかな?
>
>>75の中世の貴族では女性の方が男性より識字率高いってのは
>ちょっと驚いた。
長男は戦争の基礎訓練。騎士としての鍛錬。剣槍乗馬と狩が第一。
次男坊以降は、体が丈夫なら騎士として鍛錬、弱ければ修道院へ。
女子はとりあえず修道院。
だいたいこんな感じなので、女子の識字率が高くなった。(かなり大雑把w)
>>85 エピソード的にはテミストクレスかと。
なんとなく字もそんな感じはする。
89 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 01:05:17 0
中世だと、正書法のまだない言語も多かったろうから、
読み書きといえばどの国でもラテン語の習得、だったのでしょうか。
>>86 文字は正統な貴族のする仕事ではないと思われていたんだよ。
聖職者になった一族や、女性はこれから外れるわけだ。
女性が書記役をやる為に字を習ったと思うのは誤解だね。
>>88 ペルシア戦争で勝利を収めた後のエピソードだね。
アテネ民主制の完成度の高さを物語るのによく引用されてる気が。
>>89 あとギリシア語と、正教圏では教会スラヴ語あたりかな。
つっても日常使ってる俗語のせいで綴り間違いや文法間違いが発生して、
ラテン語とも俗語ともつかぬ言葉を書いていたようですが。
(つまり、ラテン語ではeなのにイタリア語ではiになるという単語があることに気付いたせいで、
ラテン語でもiでいいのにeで綴ってしまう間違いをやっちゃったりとか。)
ふむふむ
94 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 19:28:17 0
age
>>89 金印勅書では、選帝侯の子弟にラテン語とスラヴ語の習得を義務付けてたと思う。
96 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 15:18:56 0
中世の旅とか世界観をできるだけ忠実に再現した(モンスターとかのファンタジーの要素が入ってくるのは
仕方ないとして)RPGといえば何でしょうか?
97 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:05:36 0
唐代の中国を旅した、栃木の旅行家としての円仁を眺めてみる。
彼の手荷物は、法衣、衣類、鉄鉢、小さい青銅の鈴、托鉢用の茶碗、文具類、
水筒、藁の雨具、現金700文と20オンスの金。
現在 1オンス = 31.1グラムで、金相場が1450円あたり。20オンス(622g) = 約90万2千円。
当時の金の価値って、今より高かったのか低かったのか?
手元に資料がないので怪しいメモと自信の無い記憶をたぐると、円仁は一日30kmほど歩いて移動していた。
歩速4km/hだと、一日7時間半歩く。実際にはまっすぐな道でもないだろうし、食事や休憩もあるので、
おおむね日の出から日没まで歩き詰めだろうか。ちなみに当時、円仁は44歳。
ソース『世界史上の円仁』E.ライシャワーだったと思う。
あと地方地方によって両替レートがマチマチで複雑だとかも書いていた気がする…
>>96 途中で飢え死にするルナティックドーン1とか2とか。
>>97 とりあえず見返してみたら、ネタが色々と。
・漂着場所が分からないので、卜部に聞いてみたら、初めは唐の海岸だと言い、
次に新羅の海岸だと言って来たが、唐の海岸であった。
・水夫が患っていたが、とうとう病死したので、筵に包んで水葬にした。
・戦乱の中、長安の健児は、人を斬罪にした後に、その肉を喰らっていた。
当時、日本の僧侶が唐へ赴く場合、「旅資」とされたのが砂金でした。
延長4年(926)に、興福寺の寛建が五台山巡礼に赴いた時には、朝廷から
「黄金小百両」を賜っています。
たしか『混沌の渦』における魔法は、超能力扱いだったような
>『世界観』
世界設定のこと?
それえはともかく、
『混沌の渦』(絶版)チューダー朝イギリス
『Cthulhu Dark Ages』10〜11世紀ヨーロッパ
>102
その場合、魔法と超能力の定義は何でしょう?
混沌の渦でも、ちゃんと効果ごとに呪文があってそれを唱えないといけない。
ただ「個々の呪文の存在をゲームデザイナーが決めずに、GMとサイコロの出目に一任している」だけ。
105 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 02:16:46 0
RPGなんだから、ルールブックがそういうなら「魔法」なんだとは思うけども(笑
いちおう、その呪文を知っているかどうかの知識セービングスローがあるのだから、魔法だと思う。
>>103 私の知ってるクトゥルフはもっと新しい時代だったような……
キャッシュコーナーがないから不便だったろうね
かのアウグスティヌスは才能に普段の努力を重ね大賢者となり
口を動かすことなく書物の内容を読めたという、
っていうような記述をどこかでみたな。さすが表音文字の世界だ。
『混沌の渦』における「魔法」は、現実的法則(物理法則とか)
に則った世界に対して、干渉を与える。この干渉を与える力は
便宜的にイメージしやすく言えば「超能力」に近い。
一般的なRPGの「魔法」は、現実的法則(物理法則とか)を
そのままねじ曲げたり、無視したり、無効にしたりしてしまう。
といったイメージを持っていましたが、違いましたっけ
(手もとに本がないので記憶だけですが)。
TRPG全般において、一つの遊び方を提案しているだけなので、
GMとプレーヤー達が納得できるのならばいくらでも世界観を再現
できたり。とはいえ、中世の世界観自体がどのようなものであった
かというのもあくまで推測にすぎませんが。
110 :
世界@名無史さん:2005/08/14(日) 17:13:47 0
この話題続けるのってどうなんだろうなあ……(笑
>>109 「超能力」っぽいということについてはその通りですが、
デザイナーが「魔法」だと言いきっているものを「超能力扱い」というのはおかしいのでは。
私はそもそも「魔法」なんて定義できないものだと思いますし……
『混沌の渦』の魔法が現実に干渉を与えるという形を取っているのは、
あくまで史実に近いRPGであろうとする現れなのではないでしょうか。
中世の旅人が魔法使いだの怪物だのの噂をきくとマジでびびったわけだが。
そしてマジに必死で安全な旅のおまじないとかやったりする。
113 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 23:56:44 0
うそ
コロンブスも世界が平らではなく丸いとは思っていたが、
新大陸に住む人間は頭が2つで人間を食べる怪物だと思っていたからな。
115 :
世界@名無史さん:2005/09/05(月) 00:28:01 0
阿部謹也の本に、『中世を旅する人々』てのがあって、
これが中々面白かったですよ。
116 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 00:25:24 O
ホイミ
117 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 00:43:47 0
トヘロス
118 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 23:40:33 0
説教師があっちこっちで説教してまわった時代。
で、その説教師の後ろを無為徒食の輩たちがゾロゾロと付きまとうわけだ。
121 :
世界@名無史さん:2005/11/24(木) 22:52:11 0
そうなの?
122 :
世界@名無史さん:2005/11/25(金) 17:04:56 0
十字軍でもそういうのあったよね
宮廷に使えた大使などは、旅費などの経費は、基本的に自費。
124 :
世界@名無史さん:2005/11/26(土) 14:34:15 0
やはり中世に旅をするならイスラム圏のほうがいいのかなあ
125 :
世界@名無史さん:2005/11/26(土) 14:39:58 0
南米、人肉食ツアーとか。白人だったら現世神扱いされたかも・・・
126 :
世界@名無史さん:2005/11/27(日) 17:36:02 0
中世ヨーロッパには道なんて上品なものはほとんどなかった。
旅人は休耕畑を突っ切って歩いた。
宿屋にベッドなんてものはなく、裸になってわら束にくるまって寝た。
追いはぎ、オオカミいっぱい。
楽じゃないっすね。
127 :
世界@名無史さん:2005/11/27(日) 18:02:22 0
>中世ヨーロッパには道なんて上品なものはほとんどなかった。
なわけないだろ。
当時道が無けりゃ馬車なんてとっくに歴史から抹消されとるわダボめ
まあ、
「中世の道」J・P・ルゲ、白水社
てなズバリの題名の本もあるしね。
道というのをどこまで認めるかだなあ。
洋の東西問わず、大抵の所で舗装されてないわけだし。
当然雨降ったらぬかるむし、ちょっと人が通らなければ草も生える。
農村の畑と畑を往復する道なんか、非常に細い印象。
ローマの道なんかは後世までかなり整備されていたんじゃなかったっけ。
アッピア街道は今でも使われてる。
だが放置されてボロボロになったものも多い。
中世の日本みたいに関所多すぎとかはどうなんだろ。
135 :
世界@名無史さん:2005/11/28(月) 23:36:25 0
STRASSEとWEGは区別しなきゃな。WEGはその年々によって
消滅したり造られたりするから農村などでは
>>126さんのいう事も外れて
いるとは言いきれない。
136 :
126:2005/11/29(火) 00:12:59 0
会田雄次の本にそう書いてあったのだが・・・
古いのか?最近の学説では違うの?
⊃巡礼路
>>136 いや、どういう道のことをイメージして“道なんて上品なものは
ほとんどなかった”と書いておられるのかが分からないからね。
獣道のようなものさえ無かったとおっしゃっているならちょっと
違うという気もするけど。
139 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 13:41:32 0
街道(straβe)は国王諸特権or君主特権に属していたし、地域の農民など
が補修・維持をする義務があったから全く無くなるってことはないだろう。
日本の道は
古代は優れていたのに、中世では劣化して、近世で復活。
でも舗装されていなかったり、橋がなかったり。
道の整備に使った金を回収するために関所つくりまくったんだよな
現代じゃ高速道路にそれが受け継がれているが
142 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 19:30:00 0
中世は分国的な統治が行なわれたから道が廃れたの?
>>140 橋がないのは江戸幕府の防衛上の問題では。
街道の整備は武田信玄や織田信長など軍事目的が最初で
その後は参勤交代ですね。
144 :
世界@名無史さん:2005/12/05(月) 07:35:54 0
ふむふむage
145 :
世界@名無史さん:2005/12/05(月) 09:44:00 0
>>41 ニッポン鎌倉・室町・戦国時代デハそういう武士は居なかったのですか?
>>80 簿記はヴェネチアで誕生したらしいですね。
>>143 防衛上の問題とはよく言われるが、
江戸時代は、平和な時代といわれているのに驚異に対する防衛上なのか?
それとも、防衛政策だったものが、江戸時代の平和な世になっても
そのまま弊害として残っていただけなのか?
149 :
世界@名無史さん:2005/12/05(月) 23:43:47 0
平和と言っても家光のころまではきわどい局面もあったわけだが。
幕府の基本戦略ってか家康のやったことが絶対になってる部分もあるかと。
一方で戦略的な問題で関東に作った塩の生産地は
流通の発達で諸国の物産が江戸に集まるようにつぶれたって事実もある。
軍事に関しては幕末まで制度的にはそのまま。
150 :
世界@名無史さん:2005/12/05(月) 23:58:03 0
中世の冒険者ってのは、おおむね傭兵稼業の者を指す。
ヨーロッパ中をあちこち旅して、貴族同士の戦争があったら
参加して金を貰う。町や村で略奪をする。傭兵部隊に入る事もある。
自分の高校の世界史教科書に「当時の軍隊は、冒険者や浮浪者を
かき集めた〜」と一文があって、丁度RPGブームの頃だったから
密かに感動した覚えがある。
151 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 19:33:14 0
あるいは巡礼者や遍歴職人などもある意味で冒険者と言えるだろうな。
巡礼者は二度と故郷に帰らぬ覚悟をもっていたりするし、遍歴職人も
その移動範囲を見ると(徒歩のみで移動していることを考えると)家に
帰らぬ覚悟もあったんじゃないかと。
152 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 14:21:09 0
冒険あげ
153 :
世界@名無史さん:2005/12/09(金) 08:01:01 0
∧_∧
⊂(#・д・) ageって言ってんだろ!!
/ ノ∪
し―-J |l| |
人ペチッ!!
__
\ \
戻らないって事は全財産もって移動してたのかな?
当時なんて銀行業務も未発達だし
ギルドが為替発行とかも一部の先進地域だけだろ?
悪い領主さまとか追剥ぎはウハウハだな
>全財産
何キロになるんだ?そもそも運べるのか?
巡礼者には修道院や教会、兄弟団があるし、遍歴職人には各都市に職人組合が
ある。これらの団体がそれぞれ援助するから巡礼者も遍歴職人も大丈夫。
十字軍時代以降はテンプル騎士団が、現代の銀行に相当するような業務も行っていた。
例えば、パリで預けたお金をエルサレムで引き落とす事も可能だった。
でも、
>>154の言うように「悪い領主さまとか追剥ぎはウハウハだな」でもあった。
領主の大半はこの悪い領主さまで、追剥ぎからも上前はねていたようだ。
そして追剥ぎは不当なピンハネから身を守る為、領土をまたぐ盗賊ギルドを結成し、
いつの日か自ら爵位を得たり騎士団結成して、天下の夢をみるわけでつね。
乞食が巡礼者のふりをして、修道院でウマーなので、
巡礼の証明書が必要となった。
>>155 全財産といっても中世の職人だったら着ている服と道具だけ。
江戸時代の日本でもそんなもの。
遍歴職人って、親方のポストがなかなか空かないから
その対応策?
162 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 18:03:19 0
そういえば盗賊ギルドって誰が考えついたのか?
163 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 21:03:02 0
都市から都市へ、町から町へ、基本は日中移動。夕方までに次の町へ。野宿は例外。
164 :
世界@名無史さん:2006/01/01(日) 19:40:56 0
盗賊ギルドってヤクザみたいなかんじか?
165 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 22:20:59 0
良スレだな
盗賊ギルドってファンタジーの世界だけ。
フリッツ・ライバーのウリジナルをみんながインスパイヤしたんじゃねーの?
あってもおかしくはないんじゃないの?
中世人はやたらギルド(=兄弟会)てのを作りたがったし。
意外な(?)例で言うと、
教師(or学生)の兄弟会→大学
とか、
騎士の兄弟会→騎士団
とか。
ギルド=兄弟会じゃないし
そうなの
フランスでは、職人の遍歴は19世紀にもあった。
遍歴職人はドイツだと今でも健在だが。
まじで?
さすらいのサーバー屋さんとかがいるの?
いや、大工とかそういうふつうの職人。
伝統に則った独特の格好して遍歴している。
周りの人間も遍歴職人だってわかるのでそれなりに優遇されるらしい。
少し前だったが、そういう女の遍歴職人のドキュメントを
NHKBSだったかどこかで放送してたな。
やはり野宿とかしなきゃならない場合もあって
女ならではの苦労がある、みたいな話だった。
175 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 22:56:31 0
モズグス様スレが昨年落ちていたことに今気付いた漏れが来ましたよ・・・
176 :
世界@名無史さん:2006/03/01(水) 18:58:25 0
age
177 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 01:08:49 0
>172〜174
煙突掃除職人なんてのもあるね。ハンガリーでケーメニシェプレと呼ばれているヤシ。
チロリアンハットをかぶって白いシャツに半ズボン、長い煙突掃除用のブラシ
を持って各地を巡回している。
180 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 17:51:42 0
181 :
世界@名無史さん:2006/04/05(水) 01:08:07 0
同業者組織といえばツンフトもヨロシコ
182 :
世界@名無史さん:2006/04/05(水) 19:18:30 0
>>174 あ、それ見たよ。最近になって女性の遍歴が認められたそうだね。
あの番組に出ていた女性(カロリンって名前だっけ)は家具職人だったね。
3年と1日家にも帰らず遍歴しないといけないというのはかなりキツイと
思ったが、ああいう経験をすることによって立派なマイスターシュトュックが出来る
んだろうなーと思う。
183 :
世界@名無史さん:2006/05/03(水) 14:09:35 0
祝一周年。
184 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 09:49:58 0
ニュルンベルクとかは、遍歴職人を受け入れなかった。
そのかわり、庶子でもOKだった。
185 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 22:17:54 0
>>182 たしかに、一つの都市や農村では得られない経験を積んで、
精神的に大きくなっていきそうだよな。
遍歴にはそう言う意味もあったんだろう。
186 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 00:25:15 0
一人旅して山賊に襲われて危機一髪逃れて酒場でおっさん相手に武勇伝聞かせたい
187 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 01:00:33 0
>>186 で、危機一髪逃れた話が、何度も語っているうちにいつの間にか
「群がる山賊どもをちぎっては投げちぎっては投げ……」みたいに尾ひれがつくとw
>>186 バスの停留所で野宿して珍走に襲われる程度の危機なら現代日本で味わえる。
189 :
世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:39:36 0
おやじ狩りやホームレス襲撃は、現代日本でもあるぞ
>>186 西欧諸都市 必要レベル10以上
東欧諸都市 必要レベル15以上
イスラム圏 必要レベル15以上(十字軍時には40以上)
インド圏 必要レベル40以上
191 :
世界@名無史さん:2006/07/03(月) 23:18:02 0
酒場の主人が、山賊に情報を流している。
金を持った旅人が入れは行き先を訊いておいて、
あとで待ち伏せ。
ょぅι゙ょ(;´Д`)ハァハァ
ょぅι゙ょの冒険者かわいいよ(;´Д`)ハァハァ
194 :
よろずこ:2006/08/01(火) 23:12:53 0
>191
水滸伝の時代っぽい
195 :
世界@名無史さん:2006/08/01(火) 23:58:16 0
>>188-189 「日本人は水と安全はタダだと思っている」とか言われてた時代もあったのにね……。
どうせモテないんんだし、冒険者になろうぜ(;´Д`)ハァハァ
197 :
世界@名無史さん:2006/08/04(金) 22:06:22 0
歴史上有名な冒険者で思い浮かべる人物は、
大航海時代以降の人物が多い。
198 :
世界@名無史さん:2006/08/28(月) 19:44:53 0
あげ
199 :
世界@名無史さん:2006/09/02(土) 19:53:57 0
>191
それ系なら宿屋の主人夫婦が夜に鍵あけて侵入し客を殺して財貨略奪@南仏。
200 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 03:19:35 0
⊂二 ̄⌒\ それ系なら宿屋の主人夫婦が夜に鍵あけて侵入し客を殺して翌朝の朝食の食材(ry
)\ ヽ
/__ ) ∧∧ ノ)
//// /|. / 支 \ / \
/ / / //\ \( `ハ´ ) _/ /^\)
/ / / (/ ヽ、 ⌒ ̄_/
( ( (/ ノ / ̄
./ /
201 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 03:20:34 0
@竜門客桟。
202 :
世界@名無史さん:2006/09/21(木) 16:40:54 0
>>199>>200 水滸伝の張青・孫二娘夫婦特製、人肉饅頭だな。
横浜中華街の某シューマイ屋の前の柱には孫二娘が描かれてるとか聞いたが。
Σ(;´Д`)
204 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 03:06:38 0
age
205 :
世界@名無史さん:2006/10/17(火) 20:08:44 0
あげ
中世の旅って靴下臭そうだね
いや、ふつーに全身が臭い
周りも臭い
湿度が低いからムレにくいよ
209 :
世界@名無史さん:2006/11/12(日) 00:56:45 0
ひお
210 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 22:36:08 0
あ
211 :
世界@名無史さん:2006/12/10(日) 00:58:33 0
>>1 >なんか遠洋航海とかだと死亡率70%だったとか
中世に遠洋航海があるのかと。例外はアイスランド・グリーランド
への航海ぐらいか?
>>208 しかし体臭が強いから、湿度が低くても臭いそうw
湿度低くても自分の汗で蒸れるだろう。
214 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 14:42:55 0
あげ
船旅の壊血病予防にはワカメ
217 :
世界@名無史さん:2007/04/02(月) 16:11:18 0
中世の旅人は、徒歩でどれだけのスピードで、どれだけの距離を進んでいたのですか?
日本の江戸時代とかだと一日30〜50キロぐらいみたい。
普通の旅行者でそんぐらいだから旅慣れた人だともっと速いんだろうね。
道も悪いが関所も多い。
道を通れば「はいお金」、門を通れば「はいお金」、橋を通れば「はいお金」。
金もかかるし時間もかかる。
一日20`も進めれば良い方なんじゃ?
イングランドで隊商に同行、通行料も取られないしマジおすすめ!