ローマ史を学んでいて分からないことがある。ローマは地中海の海上交易
で維持されてた。NHKによると、ローマ商人は紅海経由でインドやベトナム
とも取引してた。ローマは本質的に海洋国家だったのだ。ではなぜカエサルは
その本分を忘れ、ガリアやゲルマニアといった内陸に手をだしたのか?
当時のガリアやゲルマニアは東方に比べるとはるかに後進地域で
交易の果実より、軍事負担が大きいと考えるが。アルプス越えた
理由を教えてくれ
2 :
世界@名無史さん:04/04/07 18:44
ni
やはり、カエサルの売名では?あるいは権力維持に外征が必要だった
ということか?
>1 氏の前提ではガリアは貧乏で進出する価値のないことが前提になっているが、
その前提ではギリシア人がマッシリアを植民市として建設し、長期にわたって存続できたのかが説明できない。
ガリアは貧しいと認識が間違いだと思う。
そうでしょうか。私が言いたいのは、軍事行動のコスト、リスクを正当化
するほど、ゲルマニアやガリアは魅力的かつ豊かな地であったのか
ということです。ローマがカエサル以前に、この地域を植民地化しようとした
ことはなかったように思います。つまり、この行動はカエサルの個人的
パーソナリティに負うところが大きいのではということ。豊かさや文明度で言えば
目をむけるべきは、あきらかにエジプトやオリエントでしょう。
ガリアは金属資源の生産でずっと以前から知られていて、特に鎖帷子はBC300年頃から作り始められ、
これはローマ等よりも古い、また、ギリシア人との交易では、ギリシア人たちが黒絵、赤絵の高級陶器に対して
「鮭」と呼ばれた鉄の塊を輸出していた。
ガリアはいわゆる「文明的」な土地ではなかったが、十分に豊かな土地だったと思う。
共和制期のローマ人は、同盟者を守るという大義名分がないといまいち積極的に兵を動かせない傾向があるから、
口実もなくエジプト、オリエント諸国に兵を向けるのは難しい。第3次マケドニア戦争もギリシアの侵略者を排除する
という口実だったし、当時オリエント諸国とエジプトはローマの同盟者になっていなかったっけ?
7 :
世界@名無史さん:04/04/07 23:53
カルタゴの制圧以降、地中海域はローマの経済的紐帯とはなれ
軍事的舞台としての役割は終えたということではないのかな。
実際共和政時代には海賊行為も徹底して取り締まられたようだし、
安定した環地中海世界に軍事展開するよりは未開地ガリアのほうが
植民運動を起こしやすかったのでは。
穀物の生産・交易拠点でもある友好国エジプトにわざわざ対立してまで
侵攻する必要性も感じないけど。
では、ガリア戦役について、「同盟者を守る」という大義はあったのでしょうか?
寡聞にして知らないのですが・・・大義名分はさておき、戦争を起こす本当の理由は
軍事コストと経済便益で考えるべきです。ガリアやゲルマニアが本当にその価値が
あったのか疑問なのです。ここから先は私の個人的推測であすが、カエサルのガリア
戦役の本質は、秀吉の朝鮮出兵、ナポレオンのロシア遠征と同じく、成り上がり者
が自己の権力維持には軍事力の拡大再生産が必要で、それには未開地を開く必要
があったというきわめて個人的動機に触発されてのものではないかと。カエサル以前
と以降でローマは本質的に変化します。その最大の理由は内陸部に手をだしたためです。
海洋国家としての本分を忘れて。これはローマが崩壊する根本原因でもあります。」
すなわち、カエサルはローマの戦略を海洋重視から内陸経営にシフトさせ、そのため
陸軍の迅速な派遣の必要から帝政を生むんです。すなわち海洋国家貿易体制の質的
変化を生んだんです。いかがでしょうか。
9 :
世界@名無史さん:04/04/08 00:05
国家の二大要目
経済と安全保障
あんぜんほしょうとはなにか? 考えたまえ。
ガリアやゲルマニアとローマの間に深刻な安全保障上の問題はあったの?
11 :
世界@名無史さん:04/04/08 00:13
安全保障
味方と思うか敵と思うか
信頼できるか
強いか弱いかはあまり問題ではない
弱くても不気味な奴は容赦しない
12 :
世界@名無史さん:04/04/08 00:16
訳分からん言葉をガルガル喋るヤシらはキモかったってことかw
要するに未開なガリア人は将来の危険だから早めに制圧、支配しておこうということ?
それだったら、防衛ラインは無限に前方展開するはず。ガリアやゲルマニア以外にも。
14 :
世界@名無史さん:04/04/08 00:17
その通りw
自然の要害というものがある。
ライン川とか。サハラ砂漠とか。ローマの国力も無限ではない。
そういう判断で、ブレーキがかかる。帝政の初期にはそうなった。
いまいち納得できない。そういう理由で戦役をこした例は世界史上
あまりないのでは?さらに、ガリア人やゲルマニア人をローマが軍人其の他で
雇っていたことと矛盾しない?
>>1 >ローマ商人は紅海経由でインドやベトナムとも取引してた。
そりゃカエサル後の帝政期、エジプトをGETしてからだろ。時代が倒錯してないか?
>>8 とりあえずここでローマ史講座ぶち上げる気はないので、ガリア戦記とは言わんから
せめて塩婆の本ぐらい読んでからそういう長文は書き上げてくれ。
事実関係の誤謬が多すぎて指摘する気にもなれん。
アルプスも守り安い自然の要害でないの?あえてそれを超えて遠征した本当の
理由をしりたい。
ハンニバルを知らんのか?
ガリア軍がハンニバルのように攻めてくるという脅威があったのか?
七って城スレにいた六の親戚?
違います
>>13 陸地は有限だし、北極海を越えるのは非常に困難だし、それ以前に、北極圏の
土地は積極的に支配するほど人口が密になったことは無いし、自ずと限界が
出てくるよ
24 :
世界@名無史さん:04/04/08 00:41
>>16に対して。
予防戦争という言葉がある。
将来の危険の種を、いま摘み取っておこうという「正義の戦争」だ。
ソビエトは、なぜアフガンに侵攻したのか。
アメリカは、なぜイラクを叩くのか。
大国が小国を攻める時の口実は、たいていは予防戦争ではないか?
予防戦争の例ならイスラエルの中東戦争がいいと思いますが、私がいいたかったのは
それとガリア全土の制圧を同列に論じていいのかということです。そこまでの安保上の
危機感をローマがガリアに対して持っていたのかということ。ただ言葉がわからない
きもいというだけでの遠征ではないような・・・
更に、本当に予防戦争なら、なぜ元老院はその最中にポンペイウスしかけてカエサル
つぶそうとしたのか?この戦争がカエサルの個人的野心、動機に基づいていたとすれば
つじつま合いますが・・・
間違ってたら教えてください
ローマってまだ王政で小さい都市国家だった頃にガリア人に攻められてるから
ガリア人の脅威はローマ人が常に感じていたと思うし、カエサルに近い時代でも
今度はゲルマン人がアルプスを越えて侵入して来てマリウスに撃退されたことがあったと思うが。
28 :
第20軍団兵:04/04/08 01:05
七氏はそもそも「ガリア戦記」を読んだのかな?「ガリア戦記」2章7(文庫本で17ページ目) に
ヘルウェティイ族が属州ガリアを通過しようとしたから。と理由は書いてあるし、それにいたる経緯はそれ以前に書いてある
(1章、ガリアについては除く)
外国勢力が自国領土を通過する事は普通許されないと思うのは漏れだけでしょうか?
それに、"カエサルがガリアをこえた"って、ガリア総督は赴任したときからガリアをこえているし、最初の迎撃は「属州ガリア駐屯1個軍団と、
属州でかき集めた補助軍団」を準備したって書いてないか?「ガリア戦記」2章8に。
"アルプスは天然の要害"確かにそうだけど、ヘルウェティイ族はアルプスに住んでいて彼らがガリアに降りてくるんですけど。
"カエサルが成り上がり" これも意味不明、カエサルは先祖はウェヌスにつながる名門ユリウス氏族の出で、
政治的にはマリウスにつながる民衆派、経歴も最高神祇官&プロコンスル、成り上がりというならば、むしろキケロでは?
日本史においても文永の役後朝鮮出兵が検討され、却下されました。外征のリスクを考えてのことでしょう。
外征するにはリスクともないます。実際ガリア側もいいところまでいってます。
ローマとして国運を賭すだけの価値、脅威があったのか?また、そうならなぜ
元老院はカエサルつぶそうとしたのか・・・
毛並みではなく、権力を集中させ、護民官担っていく過程を成り上がりと表現しました。
ガリア戦記は元老院へのレポートですよね。彼の本音、元老院を無力化し
独裁しく動機は書いてませんよ。私はそこが知りたいんです。
質問を変えます。ローマがガリアやゲルマニアには手を出さずアルプスを要塞化
し、ガリア人やゲルマン人の侵入を防ぎつつ、地中海の制海権を握り、地中海と東方の交易に国力を傾けていれば、
もう少し寿命が延びたのではと思う次第です。間違ってますかね、この戦略。
32 :
第20軍団兵:04/04/08 01:42
ローマはそもそもガリア戦争に国運なんかかけていません。「ガリア戦記」が書かれた動機は選挙用のプロタガンダなのだけど、
極力真実をつづったから古典となりえた。(ウソをついても関係者は事実を知っているから逆効果だって事情もある)
なんでプロパガンダが必要か?といえば属州総督の職域にガリア遠征なんて事は入っていないから。越権行為。
ガリア戦争は途中から事情が変わってきて防衛戦争とはいえなくなってくるから。それをカバーしたのが3頭政治家によって
開かれたルッカ会議、ガリア遠征も終わるころには3頭体制も崩れるので、ルビコンを渡り「ガリア戦記」を書くことになる。
閥族派がカエサルをつぶそうとしたのは、執政官時代にカエサルがユリウス土地法を通過させた民衆派のリーダーだから。
おーい。高校の世界史の勉強はやったのかーい?
グラックス兄弟-->マリウス対スッラ、-->閥族派対民衆派の党争ってのは世界史の定番問題だったと思うんだけど。
(リア工ならこの時期はまだ習ってないだろうから仕方ないかも)
33 :
第20軍団兵:04/04/08 02:13
なーんかIFスレじみてきた。(IFスレはおなかいっぱい)
ウァルスが敗北するまでローマの遠征とゲルマニア方面への拡大は続き、ローマその後300年続きますよね、
それがローマの衰退とどう続くのかが私には理解できません。その論理で行くとダルマティア、パンノニアへ
の拡大もしないほうが良いということになるし。
スレの趣旨からいうと、考えるべきところはそこじゃなく、何でローマ帝国はブリタンニア統治に手を出したか?
ではないの、ローマが地中海海洋国家なら、わざわざドーバーを越えてブリタンニアに行く必要はなかった。
あるいは、ローマの海洋国家化がいつ、どのように始まったかとかね。
あと、あらかじめ警告しておくと、例のNHKの番組の質はひどく悪い。いまさらなにいってんだというのが感想。
エリュトラー海案内記が発見されたと、得々と言っていたが、あれは日本語約が刊行されたのが1946年、村上センセ
のお仕事。
例の商船は1972年に発見されたものだし、金鉱山の話とか、ハイハイという感じだった。
34 :
世界@名無史さん:04/04/08 12:37
>> 1
ガリア全体の富は推定するより他はありませんが、カエサル自身は金持ちになったという
事実はあります。
第20軍団兵殿
> 閥族派対民衆派
カエサルの時代をこの切り分けだけで済ませることが出来るのか非常に疑問です。
スッラの孫娘、ポンペイアと何故に結婚したのか? などなど「カエサル=民衆派リーダー」と
決めつけるのは短絡過ぎると思うのですが。
まずガリア戦記読んで、ちょっと年代混乱してるから順番きっちり把握して。
>>32 取りあえず、カエサルがルビコン川超えたのはガリア戦記書いた数年後だから。
誤解されるような書き方しないでくれ。ポンペイウスとの戦いは内乱記だ。
私の仮説は、ガリア戦役は「借金まみれのカエサルの蓄財と、選挙活動、
更には元老院の無実化と権力のカエサル個人への集中のための長期外征
の必要というカエサルの個人的動機によって起こされた。ローマがガリア
やゲルマニアには手を出さず、ハンニバルの戦訓からアルプスを要塞化
し、ガリア人やゲルマン人の侵入を防ぎつつ、地中海の制海権を握り、
地中海と東方の交易に国力を傾けていれば、 もう少し寿命が延びたの
ではと。」ということです。
ローマ全体にとってみれば、これ以降の内陸部展開は、長大な防衛線維持、長期の外征
といった軍事負担や蛮族流入による社会不安、混乱増大のマイナスの方が、属州からの
税収や交易の利得よりはるかに大きいのではなかったか。
さらに、「ローマその後300年続きますよね」とのことですが、実質的には 5賢帝の
末期頃から各地での反乱が始まり、ゲルマン人を始め属州からの流入民を巻き込んで
の軍人皇帝の動乱時代を迎えます。 軍人皇帝を最後に制したディオクレティアヌス
はダルマティア兵出身です。 背景として212年、カラカラ帝がアントニヌス勅令
で市民権(市民権を与えたのはそうしないと属州を抑えきれないほどローマの支配が
緩んでいた証拠)を全属州に拡大したため、ガリア、ゲルマニアその他からの人の流入
や蜂起があったのです。
私はこの212年こそが、実質的にローマの終わりではないかとさえ思ってます。その最大の理由はゲルマン人をはじめ、蛮族の流入です。
結果として首都をコンスタンちノープルに移さざるを得ないとこまで追い込まれました。
同じ理由で、ダルマティアやダキアなどにも拡大すべきで 無かったと思います。
ブリタニアについてはガリアをとるための、必要上、やむをえずとったんじゃないですか。
木材の供給源として、あるいは、下記URLによるとガリアの後背地を抑え、ガリア人の
逃げ込み先を封じるために。大した産業も無いブリタニア駐留は明らかにコスト割れし、赤字だったと思います。
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/roman/provinc/britania.html 要するに、ガリア戦役は250年後のローマの衰退の引き金を引いたと考えるのです。
ガリア戦役とその後のゲルマニア、ダルマティア、ダキア等への侵攻がなければ、
蛮族への市民権拡大から人の流入もなく、 ローマの東西分割もなかったように
思えるし、延命できたのではということです。
これは、旧ソ連が崩壊していく過程と非常に似てます。ランドパワー崩壊のあるパターンに嵌ったのです。
この問題は、現在の世界情勢に通じる命題を含んでます。
つまり、戦前の日本の大陸政策、ナチスの東方政策、EU
の東欧拡大、そして現在のアメリカの中東戦争、中国の
内陸部支配はすべて、「大陸内陸部への展開」なのですが
それがどういう結果をもたらすかの最初の例がガリア戦役です。
これによってローマがどう変質したかを見極めることは今後の
世界情勢を読み解く鍵なのです。私は全て失敗すると思ってますが。
世界史版のみなさん。どうか建設的批評お願いします。国際情勢を読み解くの
にローマに関する知識が必要です。
41 :
世界@名無史さん:04/04/08 21:56
シャルル・ダンジュー、ミカエル8世、スレイマン一世、フェリペ二世、ムッソリーニ
みな地中海を内海にしようとして失敗した。
42 :
世界@名無史さん:04/04/08 22:06
>>36 カエサルの個人的動機であれば、ガリア制圧後に感謝祭を決議する
ようなことはないだろうし、ガリア戦記なぞ書いても受けないだろう。
凱旋式をするのさえはばかられるのではないか?
アルプスの要塞化に関しては、万里の長城やマジノ線などの要塞線の
費用対効果を考えれば、ガリア制圧→属州化よりも国力の浪費は大きい
のではないかと思えるし、ゲルマン人の侵攻をより容易に防げたとは思えない。
だから寿命が延びるというのには賛成できない。
内陸部展開の是非については、中世のベネチアなどを考え合わせても良い
のではないだろうか。一言で言えばベネチアは地中海の女王でありえても、
覇権国家たり得なかったし、永続もしなかった。
なお内陸部展開の利得については税収や交易の利得などとともに、人的物的
資源や軍事的効果なども考えるべきだろう。2世紀までにはガリアは相当優秀な
属州と評価できたと言えるのではないか。
ローマの終焉についてはいろいろ見方が有るだろうが、個人的にはローマ法的
秩序が失われた4世紀初頭頃と考えたい。
>最大の理由はゲルマン人をはじめ、蛮族の流入です。
はよくわからない。蛮族の流入がローマ帝国の否定という形になったのは、
ゴート族あたりからではないのだろうか。
っていうか、ローマは本質的に海洋国家なのか?
>>40 では質問するが、
ガリア及びゲルマニアがローマに与えたであろうダメージは、
カエサルが外征していた場合と外征しなかった場合ではどれぐらい違うか試算してみたのか?
首都ローマはカエサル以前に蛮族によって一時壊滅状態にまでされているんだが。
日本史の朝鮮征伐などと同様に考えている時点ですでにお前の仮説はナンセンスなんだよ。
蛮族の侵入を完全に押さえる為にはアルプスを要塞化した防衛「線」などではとても足りない。
「線」は一ヶ所を破られればそこから崩れるからだ。
もし作るとすれば、それこそ中国の万里の長城のようなものを作らなければならなかっただろう。
そんなものを作るコストはお前の理屈では採算取れるぐらいなのか?(プ
防衛線はこれを幾重にも重ねた防衛「網」を作ることでカバーできる。
それがカエサルのガリア遠征の意味だ。
カエサルはただ単にガリアを征服したのではない。
進軍と同時に街道網を整備し、要所に拠点を築いて防衛網とし、
ローマの安全を保障したのだ。
もちろん、そのままでは際限がなくなるので、天然の要害であるドナウ川、ライン川を
防衛最前線にしたわけだ。
しかも街道網は軍事利用だけでなく交易道路としても使用可能だから、
その後のガリアの経済発展に貢献したのはいくらお前がバカでも理解できるだろ?
首都を落とされる危険をほったらかしにして、交易による発展も糞もない。
お前の「仮説」とやらは危機管理不在の平和ボケ知障がほざくタワ言にしか過ぎんと断言する。
ガリア制圧後感謝祭や凱旋式をやるのと、カエサルの個人的動機というのは矛盾
しない。一応の戦勝であれば、当然それぐらいやるでしょう。ガリア戦記は自己の
戦役正当化のための元老院へのレポートだからうけるうけないというのは違うと思う。
マジノ線と紀元前のアルプスを同列に論じられるか疑問がある。マジノ線は戦車の出現
で無力化されたから。また、ベネチアの衰退はオスマン朝に交易ルートを押さえられたから
その意味でローマがエジプト落として東方との海上交易ルートを確保したのは戦略的に妥当
とみる。蛮族流入は上述のカラカラ帝の頃から始まっており、軍人皇帝の時代は実質的に
蛮族間の権力争いと考えれば、すでにローマは死んでることにならんでしょうか。
45
試算できるほど情報がないから、ここでみんなの意見を聞いているんだ。
「防衛線はこれを幾重にも重ねた防衛「網」でカバーできる」というけど
その網(面)を長期間カバーするコストは無視できるの?そのコストと
アルプスの隘路を拠点防衛するコストでは後者が低いと思うが。
そして、史実ではガリア戦役では蛮族の流入を止められず、結局属州へ
の市民権拡大からかえって、蛮族のローマへの流入を生んだ。そしてこ
いつらがローマにトドメさしたと考えるが。間違ってますか?この見方。
48 :
第20軍団兵:04/04/09 08:08
>35
國原吉之助訳の「ガリア戦記」(1994)の解説によると
"BC50頃に3ヶ月程度で書かれた"という説を最有力なものとして採用してますね。
私もこれと同じ意見ということで
>34
それはもっともです。カティリナ事件や、ミトリダテス戦争、海賊鎮圧等、
当時のローマにとって重要な事件は数多くありますからね。
しかし、3頭政治家の一角としてのカエサルは、数人の護民官を手中にしていることからも
実働部隊のクロディウスをリモート操作できるという点からも「民衆派政治家」といえるのではないでしょうか?
>>46 感謝祭は複数回、それも前代未聞の長さで行われている。
一応の戦勝に対してのものとは言えない。内乱記などのくだりを
考えても、一般市民がカエサルの戦功をめざましいものと考えて
いたのは明らかで、感謝祭もそれを背景としていると思われる。
またガリア戦記が元老院へのレポートと言うのはその刊行形態から
あり得ない。また内容的にも元老院に対する戦役正当化には当たらない
と思う。アリオウィストゥスとのやりとりや軍団の募集の記載その他が
説明できない。
ゲルマン人の侵攻は強力な騎兵を伴っている。騎兵の機動力に
対しても長大な要塞線が費用に見合った効果を上げられないのは
万里の長城でも、ローマのリーメスでも明らかである。
マジノ線が無力化されたのは戦車の出現ではなく、マジノ線に
直面する以外の戦場で勝敗が決したからである。マジノ線に戦車で
攻めかかっても撃破されて終了、だろう。
一時は地中海を制したベネチアがなぜオスマン朝に交易ルートを
奪われたのか、もし指摘の通り海洋帝国は海洋のみに注力すれば
覇権を握れるというならば、ベネチアはオスマン朝から交易ルートを
守れたのではないだろうか。
またそれほど重要な東方との交易ルート(同時代の文献や考古学的
資料からはとてもそうは思えないが)をなぜローマは真っ先に押さえ
なかったのか。カエサルに至ってもプトレマイオス朝を滅ぼさなかった
のはなぜだろうか、説明がつかないと思う。
蛮族流入はエトルリア人、ケルト人を蛮族と考えれば、ローマの歴史
そのもの問題である。それが命取りになったのは、蛮族がローマ的
秩序を積極的に否定しはじめる4世紀後半以降であると思う。
それまでの蛮族はローマに同化されてしまったり、略奪して引き上げる
程度のものであった。
軍人皇帝間の争いが蛮族の権力争いであれば、なぜ5世紀の様な地中海
帝国の崩壊にならず、ローマの枠組みの中での紛争の形を取るのか理解
できない。と言うより軍人皇帝たちに民族的背景がないと思うのだが。
そもそもローマの歴史を見れば、本質的に海洋国家とは言えないと思うし、
ガリア侵攻とローマ帝国滅亡を結びつけるのも因果関係として疑問だ。
ローマが建国されたからローマが滅んだ程度にしか思えない。
51 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/09 11:31
同じ本持ってるが、それによると51年(ウェルキンゲトリクス戦の翌年)
公刊となっているが。
この場合、一年の差は結構大きいと思う。
一年以上あれば、カエサルのガリアでの活躍を改めて知らしめるには十分だ。
当時のカエサルについて問題なのは、領土的野心よりも、アリオウィストゥスに関する
彼自身の政治的失敗が一切触れられていないことだ。
前年、執政官だった時に、元老院を指導してアリオウィストゥスに「王」の称号を
与えたのはカエサルだ。
ガリア戦記ではアリオウィストゥスの恩知らずということで巧妙に隠されてはいるが、
称号を付与するという行為自体、その数年前にハエドゥイ族のディウィキアクスが
ローマに来た時に元老院がやった決議と、実は相当に矛盾していたと思う。
ヘルウェティイ族に関する抑止を期待していたのかも知れないが、それも
結果としてとんだ計算違いに終わっている。
アリオウィストゥスはセクアニ族の領土にいたわけだから、ヘルウェティイ族の
通行を阻止することでローマに協力する義務があったにも関わらず、それをしなかった。
ガリア人が要請せずとも、恐らくこの辺の失敗を埋め合わせるための行動は取ったろう。
個人的に、ある人間の行為の歴史的責任が問えるのは普通死後百年、せいぜい百五十年
くらいだろうと思う。「国家百年の計」ともいうし。
二百年や三百年後の歴史にまで責任を問うべきではないし、ノストラダムスでもなければ
そんな先のことまで見通すのは無理だ。二百年後のことは二百年後に生きる人間が、
その時代に応じて解決すべき問題と思う。
一般市民がどう考えていたかは問題ではないです。当然戦勝には大喜びするでしょう。
元老院がどう考えていたかです。問題は。カエサルを危険視したんじゃないですか。独裁
を懸念して。
ガリア戦記の意味については、私も貴見を論破するだけの情報持ってないので
なんともいえないです。ただ、元老院への報告という側面は本当になかったのでしょうか。
元老院はカエサルの意図、権限と富の集中を危険視してたはず。それに対して「自分の
意図はローマの安全保障にある、野心は無い」という主張をガリア戦記でしたんじゃないでしょうか。
そういった政治的意図で書かれたのであれば、それを鵜呑みにするのはいかがかと。軍事面は正確に描写してるでしょうが
軍事行動正当化のため、ガリアやゲルマニアを過度に野蛮に書いてるとの指摘もありますし。
本当の政治的意図は行間を読むしかないですね。そして、何よりの状況証拠はガリア戦役直後、実質的には占領行政の
最中にカエサルを解任してることです。これは元老院がカエサルの危険性(いうことを聞かない)にたいして許容できなくなった
ということではないでしょうか。さらに、カエサルはガリア長官だったからガリア制圧したんであり、他
の地域の長官ならそこを制圧したんではないでようか。
マジノ戦は戦車により、ベルギー突破されたから無力化されたということでは。
アルプスにおいては大軍や騎兵を行軍できる道路は限られてると思います。万里長城のような
長大な要塞など不要です。
そこを十重二十重に拠点防備すれば騎兵の猛攻にさらされ、敵のホームであり、地の利もない
ガリアの平野で防衛線引くよりは効率的ではないかという意味です。山頂から道路に向かって投石装置
を設置したりすれば効果あるし。楠正成のような戦術でもいいんです。ローマからの補給線も確保しやすいし。
そして、ローマが制海権をもってれば、アルプスに蛮族が侵入した時点で船で背後に
ローマ兵を上陸させ、後続部隊を側面からたたき、袋の鼠にし、兵糧攻めしてしまうことも可能です。
これを何度かやればローマ侵攻を考えなくなるんじゃないかと。
海軍国ならこういう戦略とるはずなんです。逆にいえば、ガリア制圧は陸軍国への転換という戦略的
大転換です。満州事変やシナ事変そしてアメリかのイラク戦争とおなじく。社会の変質をもたらします。
ベネチアにとってはシルクロードを封鎖されたから衰退しました。そして彼ら商人はジェノバ
やベネチアを見捨てスペイン、ポルトガルを操り大航海時代迎えます。海上交易ルートは確保しました。舞台は
スペインやポルトガルに移して。
コロンブスがいい例です。
だから、ガリアを優先したのはカエサルの個人的野心、動機の結果というのが私見です。
短期的にはガリア征服は成功し、安全保障や富の流入にはつながったと思います。
しかし、ローマ史を概観し、ガリアのみならず、ブリテンを含む欧州内陸部の征服の
メリットとデメリットを長期的にみて総合すると、やはりマイナスが大きく、結果として
蛮族流入からローマの崩壊につながったのでないないかということです。
戦前に日本の大陸植民地と同じように。
つまり、ガリアに始まる内陸部への展開は戦略的には誤ってるといいたいのです。
私はローマ史は詳しいわけではないですが、戦略地政学の立場でこう考えます。
カエサルがプトレマイオス朝滅ぼさなかったのはよくいわれるクレオパトラのおかげじゃないですか
しかし、結局はエジプトを落として紅海経由でインドや中国と直接交易したんじゃないですか。
要はそちらに注力した方が軍事負担も少なく利幅も大きかったのではということ。
蛮族流入はローマの歴史そのものの問題です。蛮族の軍人皇帝はローマの簒奪、
乗っ取りが目的で、破壊を意図してなかったのです。
ローマの破壊はゲルマンの民族大移動の結果でしょう。少し論点が違うと思います。
> ガリア戦記の意味については(省略)
ガリア戦記を一読もしないでガリア戦記の意味を論ずるのはさすがに無理
ではないでしょうか
>マジノ戦は戦車により、ベルギー突破されたから無力化されたということでは。
は戦車云々ではなく、マジノ線以外の戦場で雌雄が決したからこそ無用だった
と言うべきでしょう。
戦車は迂回の手段、突進力を高める手段にすぎません。
>アルプスにおいては大軍や騎兵を行軍できる道路は限られてると思います(以下省略)
についてはゲームだったらそうでしょうが…
ちょっと現実を無視しすぎな気がします。
> 海軍国ならこういう戦略とるはずなんです(省略)。
残念ながらローマは終始陸軍国です。軍事編成などを考えても明らかに
海軍はオマケです。
そもそも艦船の能力の低い古代において、覇権国家としての「海軍国」は
かなり無理があると思います。
>ベネチアにとっては(省略)
は意味がわかりかねますが、海軍国といえども陸上の拠点が必要で、
それを確保する能力が必要です。海軍力だけでは交易ルートは確保
できないのです。特に古代のように艦船の対地攻撃力が極めて低い
時代では。
カエサルがプトレマイオス朝滅ぼさなかったのは(省略)
は貴見のようにローマが東洋との交易を重視したならば、
エジプト制圧が優先されるはずという指摘ですので、答えに
なっていないような気がします。
>蛮族流入は(省略)
>内陸部への展開の是非
ここら辺についてはローマ史の本を一読することをおすすめします。
残念ながらローマやその周辺の社会経済史、政治史、軍事史などを無視した
結論先ありきの議論としか思えません。
58 :
世界@名無史さん:04/04/09 20:11
>>52 例えおっしゃるとおりガリア戦記が元老院への意味合いがあったとして
そんなもの許せば逆にカエサルはローマの安全保障に貢献した英雄に
祭り上げる結果となり、元老院の危機感を煽る結果にしかならないですよ。
言ってる事が根本的に矛盾してます。
もともとカエサルは民衆の指示があったわけだし。
>>53 そもそもローマは海軍国じゃなく陸軍国だったと思いますけど。
というかローマが海洋国家なのか?地理的に見ればローマは半島国家
地政学的に見れば半島は内陸からの攻撃に弱い。
半島は常に内陸からの攻撃に潜在的な危機感を持たざるを得ない。
これを防ぐには内陸部(ガリア)を早くから押さえローマ文明の
恩恵で同化を図ったのは安全保障の観点から賢明な策であれ、
単純に滅亡の遠因とはいえないです。
後世のことを歴史で知ってるからそういうガリアを抑えたのが
滅亡の原因だ、とかいえるだけですが、単純に当時の状況を考えれば
ローマ本土であるイタリー半島の後背ガリアの獲得はローマの発展に
おける必然だと思えます。
59 :
世界@名無史さん:04/04/09 20:23
>>55 おひおひ・・カエサルがプトレマイオス朝を滅ぼさなかったのは
クレオパトラのおかげじゃないよ。
どちらにしろカエサルは当時プトレマイオス朝を滅ぼせなかったし、
当時ガリアよりエジプト攻略を優先すれば逆にカエサルの政治的生命
は危うかったろう。
まずエジプトとは古代以来王を神の代理人ファラオとしており
プトレマイオス朝もある程度長く続いてエジプトに権威を持ってた
ちょうどWW2敗戦後GNQが天皇家を強引に根絶やしすれば
どんな反発があったか仮定で考えれば近いか、
保護国としてファラオを代理的なシンボルに間接支配したほうが
コストがかからなかった。
クレオパトラはたまたまそのカエサルの政治的意図に巧く
合致した共犯だけで、彼女がいなくとも別の王家の人物を傀儡に
プトレマイオス朝に間接統治させたはず。
60 :
世界@名無史さん:04/04/09 20:34
>>55 まあ、それは余談としてで当時エジプトを先に攻め落とし
東洋との交易を優先?東洋との交易がローマにとって
輸入超過で金を流出させたわけだから・・・・むしろ
ローマの寿命縮めたんじゃないか?
>蛮族流入はローマの歴史そのものの問題です
これは解るが、蛮族流入がローマ滅亡となったというより
(昔からゲルマン人は帝國に流入し、そした彼等は同化していた)
ローマ文明そのものが魅力を失い新参のゲルマン人を同化するだけの
地力を失ったのが、崩壊の転機だと考えるべきですが。
ご回答ありがとうございます。
「海軍はおまけ」というのはわかりますが、ポエニ戦争見ても制海権は持っていたのではないかと思ったのですが。終始陸軍国
ですか。
当時の状況を考えたらガリア制圧が必要だったとしても、結局はそれがローマ
衰亡の遠因になったといえないでしょうか。結果論といえばそれまでですが。
私が考えたアルプス防衛策、非現実的ですかねぇ?ナポレオンの時代でもアルプス超えるのは
難事業です。ここを抑えればイタリアはイギリスや日本と同じ島国としての
歴史を辿れたと思ったのですが・・・
「東洋との交易がローマにとって
輸入超過で金を流出させたわけだから・・・・むしろ
ローマの寿命縮めたんじゃないか?」
それはそうかもしれませんね。収支バランスで見れば常に西側赤字
だったから。
63 :
世界@名無史さん:04/04/09 20:45
例えローマがガリアを攻略せずに放置してアルプス防備に
専念したとしてローマの命運は寧ろ短命になったと思います。
ガリアはゲルマンの民族流入にローマ化した属州として
恰好の緩衝地帯になりこそすれガリアがローマの足を引っ張った
という仮定にはならないと思いますけど。
ローマの命運は寧ろ短命になったといえるのは何故ですか。
ゲルマン人との間に緩衝地帯がないからですか。
ガリアだけを見るのではなく、ガリア戦役を端緒にし、トラヤヌス帝にいたる
拡大は総合的にローマにプラスよりマイナスをもたらしたとはいえないでしょうか。
そのマイナスの最大のものは蛮族の流入です。
65 :
世界@名無史さん:04/04/09 21:20
先にのべますたが地政学的に半島国家は内陸部からの侵攻に
弱い。ガリアにローマ文明の恩恵ないまま未開の地として
放置され、後代ローマが文明の爛熟で弱体化すれば
後背ガリアを持っているより容易に蛮族流入の危険イタリーにさらされ
(なにせゲルマン+ガリアになるわけだし)
史実で言うコンスタンティノープルにより速く遷都したと思えます。
たしかにローマ帝国の肥大化は重荷になってたのは事実だが
拡大しなかったローマなんて想像もつかないです。
というか自説に都合のいい材料だけ取って論じられても…。
ご指摘の点は理解できますが、しかし、それは例えば戦前の日本で、日本の
安全保障のためには朝鮮半島をとらなきゃいけない。朝鮮半島を維持するには満州
を確保する必要がある。満州維持のためには北支と内蒙古が必要といってるのと
同じではないかと。つまり、ガリアを維持するにはブリテンとゲルマニアを押さえないと
安定しないのです。ゲルマニアの制圧に失敗した時点でガリア征服の意味は半分失われた
といえないでしょうか。
そこまでをカエサルの責任だというつもりはないですが。
紀元一世紀頃、ローマVSガリア+ゲルマンの決戦がアルプスを挟んで行われたら
どうなっていたか興味ありますね。
68 :
第20軍団兵:04/04/09 22:53
>67
はぁ?北ガリアはブリタンニア遠征が行われる前も後も安定していましたが。だからストラボンは
「割に合わぬ」ってその著書で書いてるんだろ。
クラウディウス帝の即位後の状況を少し調べてみたら?
>ゲルマニアの制圧に失敗した
上・下ゲルマニア属州って立派にあるんですが。トリアの城門は有名ですよ。
トイトブルクの森の戦いがなかったとしても、エルベ川で止まったんじゃないの?(これは塩婆の意見。多分妥当)
>ローマVSガリア+ゲルマンの決戦がアルプスを挟んで
ティベリウスとゲルマニクスの遠征は?ゲルマニクスのほうは「年代記」で読めますよ。
結論:ローマ軍は平原での会戦を好む。境界線を引くのは川で行うのが妥当と考えていた(=ローマ人らしいやり方)。以上。
平原での会戦を好み、境界線を引くのは川で引くのを妥当と考えていたのは史実から
そのとおりでしょうが、その用兵思想を城砦戦術にしてアルプスの隘路を封鎖し、
ローマから補給を確保すればよかったんじゃないかという仮説への反論にはなってませんね。
70 :
世界@名無史さん:04/04/09 23:16
>>67 まあ、それだけが理由じゃないと思いますが
ある意味カエサルとしてはガリアはローマ文明に同化できるが、
ゲルマニアについては個々の人間はともかくローマに懐柔するのは
事実上困難とする判断があったんでは?それにガリア以上に
魅力ないし。
現にカエサルはガリアで毎晩十数人づつのガリアの有力者を招き
カキや貝は生で、ウナギやウツボはコショウをはじめ香辛料、蜂蜜、魚醤
を混ぜたタレをつけ蒲焼にして給仕、飲み物にはガリア人が欲しがるワイン
といった山海の珍味でもてなし、後にはガリアの有力者を元老院に入れたり
とか・・でガリアも好んでその懐柔を受け入れたから、やはり組みし易し
という判断はあったんじゃないかと。
で日本帝国ですら、そんな判断してんですから逆を言えばローマが判断し
不思議はないでしょ。日本帝国より1000年以上前だし・・。
まっいっか泥沼だし漏れも意見偏ってるし・・。
あと冗談か本気か知りませんがカエサルが、ブリタニアを支配した理由は
表向きガリアを背後で援助するブリタニア部族の牽制だったが、
本当の理由に、かの地のカキ、真珠、毛織物、皮革、錫、鉛などの獲得で
あり、特にロンディヌム(ロンドン)近くのルトゥピアエ産のカキは
大きさと美味で天下一品であった。
その後もローマ皇帝や貴族はブリタニアのカキを愛好した。
美食家のカエサルはカキの為にブリタニアを侵攻し、今でいうスペイン
総督の頃、西岸のタルテッソスの夢想の珍味トラウツボを確保していく
為にスペインの地の蛮族を退治したとか・・冗談で言われてますが。
何か、アメリカの中東戦争と本質は変わらないように思えますね。
内陸に手を出すと、際限なく拡大し、一線越えると崩壊するというのは
歴史の法則ではないでしょうか。ローマについて、その一線がアルプスなのか
ライン川やドナウ川だったのかという議論はありますが・・・
72 :
第20軍団兵:04/04/09 23:42
>69
はいはい、IFはおなかいっぱい。だから、「年代記」を読めば?そこに君が好きそうな事が書かれているから。幸い最初のほうだし。
さて、BC127頃の顕彰には...アレクサンドリアが占領された時、プトレマイオス・エウエルゲテス神王により恩恵を受けた
ローマ人の船主と商人たちは(中略)彼の徳と自分たちに対する恩恵ゆえにアポローン神に奉納する。
とあります。
これが、BC1C頃には逆に顕彰されるようになります。
商人たちや方形アゴラで商いをする人は、マライウスの子マライウス・ゲリッラヌスの像を、自分たちに対する彼の善行ゆえに、アポローン神、
(中略)に奉献する。彼はローマ人でデロスにおいて銀行業を営んでいた。
ローマ商人の活動はBC150年頃から活躍し、1C頃にはそれまでの顕彰する側から、される側に立場が移った。
その期間は30年(=1世代)というところでしょうか。
まず、陸軍国・海軍国の議論の前提として、ローマの海運、そしてそれを支える商業についての明確なビジョンが必要だと思うのですが、
板住人の方はどう思われます?
73 :
第20軍団兵:04/04/09 23:45
>72 に補足
マライウス・ゲリッラヌスの顕彰を行ったのは様式からいって、ギリシア商人です。
74 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/09 23:45
というか、そもそも「ゲルマニア」ってどこからどこまで?
エルベ川まで? それともオーデル川付近まで含む?
地図上では、当時のライン川の東は全てゲルマニアだ。今のポーランド付近まで。
言っておくが、そういう風に曖昧な概念で征服してたらキリがない。
ガリアという土地には明確に境界があったから征服出来た(と宣言出来る)が、
ゲルマニアはどこまで行けば「征服した」と言えるのか。
そういう土地である以上、逆にどこかで征服を止めて
防衛中心に転じなければいけない。日本も結局それで失敗した。
カエサルがゲルマニアを征服しなかったのも、そういう意味での
泥沼を避けるためだったと言えるだろう。
75 :
世界@名無史さん:04/04/09 23:46
>その後もローマ皇帝や貴族はブリタニアのカキを愛好した。
69年の皇帝ヴィテリウスとかですか。
牡蠣食いすぎて肥満になるのもなんだかな・・・
Ryuju様
74>
私の言いたいことはまさにその点なのです。逆に言えばゲルマニア
を征服せず、ガリアを単独で支配し、ローマ化できるとふんだんでしょうか?
つまり、ゲルマニアとガリアを分割して後者だけローマ化できると・・・
ハウスホーファーもマハンもいない時代のローマ人に
海洋とか内陸とかの概念的な戦略をいかにして決断したかと
聞くのは無理なんじゃないかなぁ…。
鎌倉時代の刀工に最新の材料物理学をぶつけるようなもんだろ。
それに>1は「なぜ」「どうして」ローマ人がそう決断したか、と繰り返し聞くが
ローマは数百年を通じてひとりのローマ人が経営していたわけではない。
なんかそこらへんの認識のズレがあるんじゃないかとこのスレを読んでて思った。
おっしゃるとおりですが、私は歴史を通じて「安全保障」を口実に
した内陸部への展開はほとんどすべて失敗してるんじゃないかとの
仮説をもってるんです。現在のアメリカもそうですが。
その最初の例がガリア遠征であり、最近の例が第二次大戦のWW2
なんです。70を見て、安全保障は悪党の最後の口実という金言を思い出しました。
案外、ガリア遠征そのものがこの冗談のような理由で行われたのかも
とちょっと想像すると楽しいです。大量破壊兵器を口実に、その実石油利権
狙いみたいな・・・
80 :
世界@名無史さん:04/04/10 16:10
>>79 >「安全保障」を口実にした内陸部への展開はほとんどすべて失敗してるんじゃないか
タイムスケールを百年単位で取れば、失敗していない政策・政治形態・ドグマなど
存在しないのではないでしょうか?
では、なにをもって成功と定義するか、ということになりますが。
軍人・為政者・政治家・統治者のタイムスケールで考えるなら、通常30年も「安全
保障」できれば十分ではないでしょうか?
たしかにローマ史は長いですが、ローマの為政者が100年単位で考えたかというと、
とてもそんなに長く先まで考えてはいないと思います。
ガリア遠征がそう言う壮大な意図を持って進められ、つたなく失敗したと考えるのは
ちょっと後世の視点に傾きすぎると思いますよ。
ガリア遠征を単独で捉えたら確かにそれは成功といえるでしょうが、トラヤヌス帝
にいたる内陸部への展開の端緒を開いたと見ればまた違った評価になるように思います。
私が思ったのは、このカエサルからトラヤヌスにいたる内陸部への展開が結果として
帝政=集権的独裁的ランドパワーを生み、社会の構造を変質させ結果として
ローマの衰亡、蛮族流入を生んだのではないかということです。
ローマを学ぶことにより、アメリカに通じる教訓を得られないか思いましてね。
んー、つまり「だからアメリカは失敗するんだよ」っていう政治的な主張の裏づけとして
どうしてもローマの事例が欲しいってこと?
仮説っていうより定説って感じ?
ドイツ最高裁判所で認められてますとか何とか
欲しいというか、欧米人に説明するときにローマの例は分かりやすいし。
世界史の定説にできればそれそれでGoodなんですが。
なんだ、ほんとに政治的な結論ありきの話だったのか…
メルマガの題材にもローマの例が使えないかと思いましてね。
ひでーな、ダシに使おうってことだったのかよ。
だしというより、私の仮説にたいして、ローマ史の知識のある皆様のご意見を伺いたかったのですが。
世界史版の皆様、色々教えていただきありがとうございます。
ご意見も何も、ぜんぜん自説変えないじゃない。
自分の政治的な意見を裏付けるのに都合のいい答えを採取しに来たんだったら
それは普通ダシに使うって言うんじゃないの。
>>89 もー来るなよ。
>>84 世界史の定説じゃなくてライフスペースの定説だよ
仮説っていうからには少なくとも何らかの根拠が無くちゃいけないけど、
七の仮説(自称)は個人的な先入観だけじゃん
先入観ですかねぇ。根拠は世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。
「攻勢終末点の認識ができない文明は滅びる」ということです。
この板の意見を見て、私も若干意見かえました。それはローマの内陸への
拡大は個人的野心だけでなく、各地の特産品を強奪するという面もあったのだ
ということがわかったんです。逆に言うと、ローマは自国の輸出産業でそれら
それら特産品を取引できず、支配し、貢納させるという形をとるしかなかった
ということでは。つまり、拡大とは経済を維持していく上で必要な行動だった
ということ。しかし、そのようなやり方は永続しないでしょう。ローマから属州
へ輸出できるものがない以上、バランスは常に赤ですから。
釣り師かホームラン級の○○なのか、
歴史なんだから根拠は歴史的事実になきゃ意味ないじゃん。
そもそもどこに攻勢終末点があるかなんて事前に認識できるわけ
ないじゃん。結果良ければ攻勢終末点以前だし、結果が悪ければ
攻勢終末点を越したことになるっていうだけ。
単なる結果論じゃん。
しかも
> 拡大は個人的野心だけでなく、各地の特産品を強奪するという面もあったのだ
なんて言ってる人が
>世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。
なんて断言している時点で終わっトル
だから、歴史的事実としてローマや第二次大戦を上げてるわけです。
単なる結果論といえばそれまでですが。そこから教訓を得て現代に
生かすべきと思ってるんですが、いけませんか。
世界史に仮説をやぶる例がないというのがどうして終わってるんですか。
>>92 その攻勢終末点とやらを設定して万里の長城を築き上げたシナは
そこを何度も破られて滅んだ王朝数知れず、なんだが。
お前、ヴァカだな。
>>92 >根拠は世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。
松井カズオは韓国系だ!
なぜなら、彼が韓国系であることを否定しなかったからだ。
…と電波を書き飛ばした朝鮮日報の記事を思い出した。
シナは攻勢終末点の引き方がまずかったということじゃないの。
そもそも、シナの地形では引きようがなかったともいえる。
ローマについてはアルプスに引けばよかったのではといってるだけ。
96意味不明
歴史を通じて「安全保障」を口実にした内陸部への展開はほとんどすべて失敗してるんじゃないかとの
仮説に対する反証を示すべきでしょう。
だから、ローマは失敗してないって
タイムスパン長く採りすぎ
トラヤヌス(最大版図)から軍人皇帝までをみればいかがですか。
結構短いような
>>100 んじゃ、その例で
1.内陸部への拡大が直接的なローマ衰退の原因である証拠
2.それ以外の要因によってローマの衰退は招かれなかったと言える論拠をいくつか
きぼん
1.については、直接的には212年カラカラ帝のアントニヌス勅法(帝国内の全自由民にローマ市民権を与える)
でう。これで属州から人が流入し、かつ、軍人皇帝につながる、土着兵士の皇帝化を産んだ
逆に言えば、蛮族に市民権を与えなければいけないほどローマの支配が衰えていた証拠。
2.それ以外の要因については、最大のものはやはりゲルマン民族大移動を生んだ気候変動です。
しかし、これは最晩年のことですから、ローマにトドメさしたという効果ぐらいでしょう。
> だから、歴史的事実としてローマや第二次大戦を上げてるわけです。
あなたが歴史的事実として上げたものはおおむね事実ではないか、
評価がおかしいよ。
いろいろな指摘があるようだけどが、全て無視するか意味不明な反論(?)を
するだけじゃ、根拠として維持できないでしょ。
だいたい100レス位ついている中で一つたりともあなたに賛同する意見が
ない時点でおかしいことに気づくでしょ。
>そこから教訓を得て現代に
> 生かすべきと思ってるんですが、いけませんか。
いけなくはないけど、単なる結果論からどのような教訓を得て、
生かすの?
成功したあとで「攻勢終末点以内だったね」
失敗したあとになって、「あれは攻勢終末点を超えたね」
なんて言ってなんの意味があるの?
> 世界史に仮説をやぶる例がないというのがどうして終わってるんですか
なんの資料もなく、ローマの拡大の原因を100%主観的に評価しながら、
世界史云々と語るのは終わってるよ。三戦厨でもここまで酷くない。
> シナは攻勢終末点の引き方がまずかったということじゃないの。
> そもそも、シナの地形では引きようがなかったともいえる。
> ローマについてはアルプスに引けばよかったのではといってるだけ。
はまさに典型的な結果論。何ら歴史法則ではない。
滅んだのは攻勢終末点を誤ったから、攻勢終末点を誤ったか否かは
滅んだか否かで決まる、単なる循環論法。
そんなのだったら、「進歩に後れた文明は滅びる」とかいくらでも作れるよ
しかもシナでは適用できないんじゃ仮説(自称)としても破綻してるじゃん
シナでも適用できますよ。内陸部への展開は確実にあの国を滅ぼします。
そして、攻勢終末点を引きようがない文明は滅びるということ。シナはこれを
繰り返してます。
単なる循環論法ですが、その終末点を見極めることが必要という意味です
各文明固有の。
108 :
第20軍団兵:04/04/10 23:25
だめだ、こりゃ。 七氏はまったく知的訓練を受けていない人種だ。素人相手に史料をまとめてお話するのは
自分の訓練になるからしばらく付き合ってみたけど、漏れはもうあきらめた。
スレタイだけは良いから、漏れも彼を見習って、ローマは海洋国家か?そうでないのか?
史料を垂れ流してオナるから、付き合いたい人は付き合って。
>>106 なるほど、中華文明は運命論的に滅びるわけか…
地形的に攻勢終末点が存在しないと。
でも中国の歴史を見ると征服者が中華文明に吸収され、漢民族が
ますます栄えるという経過をたどってますね。秦から見ても2200年以上
たってるのにまだ中華文明は滅びませんか?
またアルプスと中国の地形にどういう本質的相違があるんですか?
攻勢終末点たりうる普遍的な地形要素を教えてよ。
>単なる循環論法ですが、その終末点を見極めることが必要という意味です
だからどういう意味で必要なの?
盛者必衰の理とかデウス・エクス・マキーナとか、そういうのと違う必要があるの?
単なる循環論法なのに、なんで個別に終末点が成立するの?
攻勢終末店は地形できまります。山や川、海です。地政学に通じます。
シナは平野であり、遮蔽物ありません。ウクライナやポーランドと同じ。
イタリアはアルプスがありながらということ。
それは、今後の世界情勢を読み解くためです。
イラク戦争は間違いなくシリアやイランに飛び火します。
あの地域に攻勢終末点がチグリスやユーフラテスしかないからです。
>>92 >先入観ですかねぇ。根拠は世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。
>「攻勢終末点の認識ができない文明は滅びる」ということです。
ウマイヤ朝イスラム帝国。
少なくとも、”攻勢週末点”とやらを超えていたとおぼしきガリア侵攻の失敗も
大した問題にならず。中央政府の目が行き届かずやがて支配権が失われて
いったイベリアは、後ウマイヤ朝という形で征服者の息を長らえさせる。
お前な、今までの流れを理解してるか?仮説の検証とかそういうレベルじゃないぞ?
「不勉強な
>>1のためのローマ史講座」になってるのに気付かないのか?
ハッキリとお前さんの知識レベルは”仮説”なんぞ考えていいレベルじゃない。
せめて塩婆ぐらい読んでから出直せ。
96の皮肉がわからないようじゃなぁ。
攻勢終末点は地形で決まるのか。
マハンとかハートランド理論とかでも斜め読みしたのか?
ただ中国のおおむねの地形くらいは把握しようぜ。
手元に歴史地図でもないか? 確認してみてくれ。
キミの悪い癖は自分の仮説(自称)に当てはめるために歴史的事実
や地形などをことごとく変形させてしまうことだ。
だから結論先ありきとか言われるんだよ。
あと地形的要素は戦略的機動に影響を与えるのは確かだが、
その影響は時代や装備兵種などによって様々だと思うぞ。
普遍的歴史法則としては通用しがたいんじゃないの?
ちなみにローマの内陸国境はライン川やドナウ川、ユーフラテス川
などで遮蔽されているわけだが。
> それは、今後の世界情勢を読み解くためです。
単なる循環論法では読み解きようがないでしょ。
攻勢終末点か否かは終わってみないとわからないんだから。
114 :
第20軍団兵:04/04/10 23:49
おっと、アカン。
>108 の書き方では 七氏に付き合っている人が馬鹿みたいに読めてしまう。
>108 には"漏れに付き合いたい人は付き合って。"に変更ヨロ。
だから、ローマ史について、教えていただきありがとうといってます。
70なんて最高です。
2.については、直接的には212年カラカラ帝のアントニヌス勅法(帝国内の全自由民にローマ市民権を与える)
でう。これで属州から人が流入し、かつ、軍人皇帝につながる、土着兵士の皇帝化を産んだ
逆に言えば、蛮族に市民権を与えなければいけないほどローマの支配が衰えていた証拠。
への批判をお願いします。間違ってますか。
>>115 >>70を批判する気は毛頭無いが、
>>70の内容とガリアが攻勢終末点を
超えたかどうかの判断はどういう関連があるんだ?
2.については、間違ってます。
モンタネッリでいいから読め
七は単に
>>70を見て、「うはは、アメリカが石油ほしがってのと同じじゃん、やったね」とオナってるだけだろ。
>>70氏、かわいそうに。
117>アメリカが石油ほしがってるのと同じじゃないんかね。
政治的主張のために歴史の都合のいいとこだけ切り取って論拠にするなんて
「我が闘争」とおんなじじゃない。正直、歴史好きとして吐き気がするよ。
問題は同じかどうかじゃない。
アメリカと同じものを探して歴史を「利用」しているあんたの態度だ。
そんな色眼鏡で見てたら、そりゃあ同じものも見つかるだろうよ。
人間は自分の見たいと思った物を見るからな。
「単なる循環論法では読み解きようがないでしょ。
攻勢終末点か否かは終わってみないとわからないんだから。」
ではなく、過去の歴史から攻勢終末点を事前に算出できないか
という趣旨です。ローマはあくまで一つの例ですが。そうやって出した
終末店でもって、こんごの世界を読み解くために。
攻勢終末点は補給能力で全然変るぞ
「攻勢終末点は補給能力で全然変るぞ 」
それはそうです。私がアルプス防衛説となえたのも
ローマからの補給を考えてのこと。
心理歴史学でも作る気か?
>七
あんたの論に乗っかって、
「アメリカにとっての攻勢終末点はインダスです。アメリカはイラン、アフガン、パキスタンを制圧しなければなりません」
とも主張できる。反論できるか?
先に言いたいことがあって、それに歴史的な先例を引っ張ってくるんだったら、結局のところ何でも言えてしまう。
だから、あんたの論は説得力ゼロなんだ。
117サン
私がいいたいのまさにそこ。アメリカはイラクを押さえるために
シリア、イラン、アフガン、パキスタンそしてサウジを制圧
しなければならないんです。
そして、それは必ず失敗するという主張の論拠としてローマやWW2
の日独にみる攻勢終末点の過誤を考えてるんですが。
ふむ。では、
「アメリカにとっての攻勢終末点はチグリス・ユーフラテスです。アメリカはイラン以東に手を出すべきではありません」
反論できるか?
>>127 あんたの論は、攻勢終末点をちゃんと設定できればうまくいく、という主張じゃなかったのか?
イラクを取った時点でチグリス・ユーフラテスは攻勢終末店
ではなくなりました。残念ながら
そして補給能力は状況で全く変る
129その通り、そしてアメリカの攻勢終末店は各大陸の港
なんです。つまりシーパワーとして。
イラク戦争はこの線を越えました。だから失敗するんです。
>>130 意味不明。イラクをとる前は攻勢終末点はチグリス・ユーフラテスだったと取っていいのか?
攻勢終末点、というのをちゃんと定義してくれ。
「そこまでの地域を制圧すれば国家が繁栄を続けることが出来る点」
と取ったのだが、これでいいのか。
そして、七氏の主張に沿えば、ローマの攻勢終末点はアルプスであったと?
政治状況によって補給能力が変化すれば攻勢週末点は変化しますが何か?
>>132 ……攻勢終末点は河や山脈を想定しているように思ったのだが?
バスラだけ抑えとけって意味?
イラクというのは、歴史的にペルシャからアラブを守る防波堤でした
アメリカがサダム支援したのもそのため。その際はチグリスが終末店
ここからイスラエルまで遮蔽物なし。
むしろ、定義は「敵対勢力を排除できる線」でしょう。
地形や補給力に左右されると思います。WW2の日独はまさにここを
見誤り失敗しました。
ローマにおいてそれはアルプスじゃないかという仮説をたてたんですが
この板の皆様には賛同いただけなかった・・・
七氏はアメリカもローマも海洋国家だと主張しているにもかかわらず、
ローマにはアルプスという海から離れた山脈を攻勢終末点として主張し、
アメリカには各大陸の港湾という、水際を攻勢終末点として主張する。
おかしくないか。
補給の性能を考えれば、古代の海洋国家より現代の海洋国家の方が水際から遠くまで制圧できるのではないのか?
シーパワーの終末店とランドパワーのそれは異なります。
シーパワーのそれは港の支配です。アメリカはイラクを押さえるには
クエーととっていればよかったんです。バスらとれればベストですが。
全土の制圧に手を出したことが失敗です。
ローマは半島です。アメリカは島です。しかし、ローマがアルプス
を拠点防衛できれば、ローマは島となるのではないかという意味。
つまり、英国や米国のような戦略が考えられるということです。
>>138は
>>137へのレスか?
ランドパワーとは何を想定しているのか?
>アメリカはイラクを押さえるには クエーととっていればよかったんです。
言い換えると、「クェートを攻勢終末点としておくべきだった」
更に言い換えると「クェートから敵対勢力を排除しておけばよかった」
つまり、イラクを押さえていない訳だが。
補給の性能を考えれば、古代の海洋国家より現代の海洋国家の方が水際から遠くまで制圧できるのではないのか?
この発想がイラク戦争を起こし、ごらんの泥沼です。
142 :
第20軍団兵:04/04/11 00:37
>115
明らかにおかしい、何か蛮族に偏見があるみたいだけど、「アントニヌス勅令」は蛮族に及ばない。
そもそもアントニヌス勅令には
...ただ降伏者を例外としてすべての種族民が市民団の中に(ry
とある。ローマ領内の蛮族がこの降伏者の中に含まれるのは明らか。
ローマ人の外国人の考え方を示すものとして、クラウディウス帝の元老院議員の
補充に際しての演説はよく引かれるが、ほかにも小プリニウスが残した書簡に、
あるとき、私がタキトゥスと一緒に競技場に行くと、席がいっしょになった議員が尋ねてきた。
「タキトゥスさん、あなたは元来はどこのご出身ですか?」
タキトゥスはその議員に
「あなたほどの教養をお持ちでしたら、名前から想像がつかれるでしょう」
と答えた。その議員は
「タキトゥスかな?それともプリニウスかな?」
と問い返した。
*68年刊の國原センセの「タキトゥス」巻末の解説より、私の記憶を元に転写、微妙に間違っている可能性あり。
**小プリニウスはタキトゥスと一緒にされて単純に喜んでこの書簡を書いている。
このように、元老院議員の出身地を当てることが、知的ゲームとして楽しまれるほど、その出身地がばらばらになっている
状況が垣間見える。
そういえば、もっとも有名な第20軍団出身者、大将軍アグリコラもガリア出身だったな。
140くエーとに米軍がいると、イラクは軍事行動できないという意味
つまり抑えることができるということ。戦略的にはこれで必要十分
石油確保やイスラエル安全保障のためのイラク戦争であり、戦略的には
誤りだということ。
>>139 イギリスが七氏のいう「シーパワー」で、港湾支配だけを行っていたなら、
なぜイギリスはインド全土を支配できたのか。
インドの攻勢終末点とやらは、なぜ港湾ではなかったのか。
>>141 >この発想がイラク戦争を起こし、ごらんの泥沼です。
こりゃ純粋にあんたの妄想にすぎんだろう。
それともブッシュの顧問に聞いたんか?
馬鹿だな
米国が抑えなくても同盟国が抑えりゃ問題ないんだよ
ベルリン落としたのはソ連軍
でも米国のレンドリースと西部戦線の航空優勢が無ければ無理だったろう
日本を破ったのは米潜水艦による通商破壊
B29が飛んで来なくたって日本は負けてる
>>141 その発想はあなたの頭の中にしかない。
自分の想像上の論理で動いてると想像して、それに想像上の歴史的法則で否定を与えようとする。
最初から最後まで想像だけで出来ているぞ。
>>143 9.11やイスラムテロは無視か。
第20軍団兵様
回答ありがとうございます。もう少し教えてください。
「元老院議員の出身地を当てることが、知的ゲーム」
ということはローマが彼らに乗っ取られていっている
過程ということではないんでしょうか。逆に言えば
純粋ローマ人のローマではなくなりつつある・・・間違ってますか
>139
当時世界最強の陸軍を放り出して、シーパワー化して何が嬉しいわけ?
117インドは直轄しましたが、19世紀半ばすでに
植民地支配のコストがかかりすぎるという批判が起きてます。
シーパワーの本分は自由貿易です。インドの反省にたって英国は
日本とは開港と貿易関係にとどめました。
149
当時世界最強の陸軍だから使う方がよいという意味ですか?
>>126 >アメリカはイラクを押さえるために
>シリア、イラン、アフガン、パキスタンそしてサウジを制圧
>しなければならないんです。
>>130 >イラクを取った時点でチグリス・ユーフラテスは攻勢終末店
>ではなくなりました。残念ながら
>>132 >129その通り、そしてアメリカの攻勢終末店は各大陸の港
>なんです。つまりシーパワーとして。
>
>イラク戦争はこの線を越えました。だから失敗するんです。
総合すると、「イラク戦争前はチグリスが攻勢終末点」「イラク戦争後はインダスが攻勢終末点」と言っているように聞こえるが、
これでなぜイラク戦争は失敗すると言えるのか。
インダスが攻勢終末点(そこまで制圧すれば繁栄できる点)なら、インダスまで制圧すればいい。
いや、制圧しなければならない。
論拠が時空を超えてあっちこっちに飛ぶなぁ…。
なんでもありのバーリトゥードかよ。
>>150 批判が起きてるから何なのか。コストがかかっているから何なのか。
インドがイギリスの衰退に決定打をもたらしたのか?
インドの港湾を押さえるだけなら、大英帝国は繁栄を続けられたのか?
>>153 歴史からいいとこをつまみ食いして論拠にしようとしてますから、
論拠になればどこのどの話でもいいんでしょう。
145
ラムズフェルどの軍事改革戦略は明らかに空母を廃止し、空軍とRMAを経た小数の陸軍で
世界中への展開を迅速に行い制圧できるというもの。イラク戦争に際しても
シンセキ参謀長は13万の兵員では到底全土制圧できないといってたが、らむ
は押し切って開戦。ごらんの有様。
>>150 インドとの独占貿易で大英帝国が繁栄したことをどう説明するのか。
>>155 それだから「我が闘争」なんて言われちゃうんだよね。
陸軍国として最強だからといってそいつを放り出しさえすれば海洋国家として最強にはなれるわけではなかろうて、という意味
100超えたあたりから訳分かんなくなってきた
もう寝よう
152
「インダスが攻勢終末点(そこまで制圧すれば繁栄できる点)なら、
インダスまで制圧すればいい。」
ということが現実的でないから失敗するといってます。
イラクやパキスタンすら押さえきれなくなってる。
>>160 ではインダスは攻勢終末点ではないだろう?
>>126 >アメリカはイラクを押さえるために
>シリア、イラン、アフガン、パキスタンそしてサウジを制圧
>しなければならないんです。
これ嘘じゃん
>>156 それはラムズフェルドがシーパワーを過信していたからだと言いたいのか?
いくらなんでも飛躍しすぎじゃないのか?
162 違います。らむがシーパワーを否定し、空軍とRMAを過信したという
ことです。
161要するに中東では
インダスから地中海、紅海にいたる線が終末点です。
結局のところさあ、今のアメリカにとっての攻勢終末点てどこなの。
ローマや日本の場合はなんとでも言えるよ。もう終わった話だからな。
俺らには「後知恵」という強い味方がいる。
「あんなとこまで攻めるからバカなんだよ」とか言うのは簡単だ。
けど、アメリカがどこまで制圧するのが妥当で現実的かなんて、どうやって判断するのさ。
結局あんたの主観だろ。
学問を舐めてんじゃないのか?
思いつきの符合や都合のいい解釈で真理が導き出せると思ったら大間違いだぞ。
>>161 ではアメリカはその地域を制圧すべきである、と。
主観ももちろんありますが、イラク戦争に介入したアメリカの
終末店はインダスから地中海、紅海にいたる線だといってるんです。
そして、この線を維持するのは不可能だということ。
>>169 それが意味不明だっての。
「インダス〜地中海〜紅海の線を維持すればアメリカは繁栄する」
「インダス〜地中海〜紅海の線を維持するのはアメリカには不可能」
結局のところ、アメリカに繁栄という選択肢を与える気ないだろ。
そしてそれはあんたの願望だろ。
その願望を証明するために、ローマやら日本やらのネタをつまみ出して飾って悦に入ってるだろ。
あんたの論が説得力を持たないのは、それが見え隠れしているからだ。
で、シーパワーであるイギリスがインドを制圧し、そことの「独占貿易」で繁栄した事実をどう理解するのか教えてくれ。
これでも反証を挙げたつもりなんだから。
>>170 >結局のところ、アメリカに繁栄という選択肢を与える気ないだろ。
>そしてそれはあんたの願望だろ。
>その願望を証明するために、ローマやら日本やらのネタをつまみ出して飾って悦に入ってるだろ。
>あんたの論が説得力を持たないのは、それが見え隠れしているからだ。
結局それに尽きるよなぁ。
反米感情のために歴史を寓意的に扱おうとしてるようにしか見えないもん。
アメリカのすべてが好きなわけじゃないが、単なる歴史の冒涜だよこりゃ。
「インダス〜地中海〜紅海の線を維持すればアメリカは繁栄」するなどといったことはない。
イラクに手を出した以上必然的に地中海からインダス、紅海までおさえないと安定しな
いし、それは不可能だといってる。つまり、イラク攻撃はあきらかに攻勢終末店を見誤ったんだ。
インドとの独占貿易は1860年代にイギリスが植民地政策から自由貿易政策
へとシフト(穀物法が1846年に撤廃されると、英国の内側では産業資本主義が
定着し、国際社会に対しては帝国主義が退き、グラッドストン内閣下自由主義的
な「小英国主義」が基調となった。)したことがその理由であろう。植民地直接支配
はコスト高でペイしないことをインドで学んだんだ。反乱もあるし。
反論ないようだし、寝ます。
>植民地直接支配はコスト高でペイしないことをインドで学んだんだ。
それもあんたの妄想でしょ。妄想で反論されてもね。
「英国で産業資本主義が定着した」のは何でだと思う?
……もういいだろ。
>>171をゆっくり読み直して、自分の論の立て方を考え直してみた方がいい。
歴史は道具じゃないし、そういう歴史の扱い方は当然ここでは嫌われる。
ここの住人はそんなことを望んでいないからだ。みんな何のかの言って歴史が好きでここに来てるんだからな。
これは、結局あんたの論が正しいかどうかの前の問題なんだよ。
了解しました。私は歴史を純粋に歴史として語りたいという方とは明らかに
ちがいますね。
私も歴史がすきなんですが、歴史を歴史として完結させるのではない、そこから
教訓をくみ出し、現在そして未来を見通す糧にしたいと思ってるんです。
それは、歴史を冒涜ということかもしれませんね。
お付き合いいただきありがとう。
176 :
第20軍団兵:04/04/11 01:49
クラウディウス帝の演説っていうのは、
「雁首そろえている藻前らより、ずーーっと名門貴族のクラウディウス氏族だってエトルリア人なんだぞ、
今ごろになってなに言ってる、ローマに3代暮らせばローマ人。今に始まったことじゃない」
という事を史実を引いて格調高く語ったのがそれ。
ローマっていうのはは生まれじゃないってこった。
そーいや、キケロもローマ出身(ノクリムだったかな?)じゃないし、セネカ、コルブロはヒスパニア出身だったろう。確か。
>それは、歴史を冒涜ということかもしれませんね。
違うよ。くだらん反米妄想のダシに歴史を使うのが冒涜だっつの。
ほんっと〜に一から十まで都合のいい解釈ばっかりだったな。
逝ってよし!
178 :
第20軍団兵:04/04/11 02:24
>175
あのな、教訓をくみ出すもなにも、前提が間違っていたら、教訓もなにもないんじゃないの?
普通ローマは陸軍国だって言われるけれど、海洋国家でもあるっていうことは、そうかもしれない。
なんせ、自分たちでマーレ・ノストゥルムって言っているぐらいだし。
それじゃあ、どのくらい海洋国家であったのかを明らかにしないと、海洋国家論は単なる思い付きだろ。
*↑漏れはそれをこのスレでやらせてもらう。
その作業もせずに地政学・反米論に突然移られても板住人はポカーン(゚Д゚ )だよ。
まあ、リア工ぐらいだろうからみんな生暖かく付き合ったのだけど...
(工房以上ならマジで世の中渡っていけそうにないヤバイ思考回路だ...)
まあ、前提と結論を脳内で直結するんじゃなくて、その過程を板住人が納得できる形で展開していくことが必要なことだろね。
>>82の看破が全て正しかったってことだな。
通読すると、このレス以降、七の論理がどんどんイってしまってるのが判る。
178,179
ご指摘の通りです。私の関心は現在のアメリカと世界がどうなるかの方に
あり、それを調べて行く上で、二次大戦やローマなんかに前例や教訓が
あるんじゃないかと思った次第。二次大戦についは資料豊富でなんとかなるん
ですが、ローマについては詳しくないため、この板の皆様のご意見いた
だきたかったのです。
そういう不純な動機ですので、しばらくは第20軍団兵様其の他の議論を
勉強させていただきます。時折、ぼけた突っ込みさせていただくかもしれませんが
そこは笑って許してやってください・・・
>>180 歴史というものは未来を予言するものではないと肝に銘じておくべきだと思われ。
前例や教訓は今後その通りのことが「必ず」起こる事を保証しないんですよ。
はっきり言ってしまえばこの先の事がどうなるかは
それこそ歴史の神様しかご存知ではない、ぐらいに考えて
謙虚に前例や教訓と対面すべきと思います。
なぜ歴史を勉強するか?
それは私たち自身、つまり「現在」をよりよく理解するため
未来の事は未来の人々に任せましょう。
それから物事をまず決めつけてから理論を展開したいならば、
その仮説となるべき「決めつけ」をもっと鋼鉄の論理で構築しないと
「砂上の楼閣」となるだけです。
182 :
第20軍団兵:04/04/11 04:10
さて、ローマ人の地中海での活動が積極的になり、BC130年頃には便宜を図ってもらう側から、
100年ごろには便宜を図る側に立場が変わった事を示すために
>72 >73
の史料を引用してみた。
では、地中海世界は、その直近ではどのような状況だったのだろうか?
まず、BC146に第3次ポエニ戦争が終結、
BC148には第4次マケドニア戦争が終結し、アカイア同盟は解体され、ギリシアの諸ポリスはローマに服属し
2年後のBC146年にはアンティゴノス朝マケドニアがローマに服属する。
同じ時期、セレウコス朝シリアは166年〜142年までマカベアの乱が起こっている(←良く知らない、詳しい人解説キボン)
プトレマイオス朝エジプトはマケドニア戦争をローマと共に戦った後、
外行的には比較的平穏な時期を迎えるようだ(お家騒動が頻発してそれどころでない?←良く知らない)
これらの出来事が商売に、そして海運にどのような影響を与えるかについては明日以降。
185 :
第20軍団兵:04/04/12 21:55
>182 を書き込んでいて、ふと疑問に思ったんだが、ポリスが消滅したら、ポリス間で締結していた
取り決めはどうなってしまうのだろう? 只今調べ中。
186 :
例のにゃあにゃあ:04/04/13 01:15
>>182 ちょうど別スレの関係で、マカベアの乱を調べていたニャ。
聖書のマカバイ記に詳しくあったニャ。
聖書によるとユダヤの指導者ユダ・マッカビーはセレウコス朝の像部隊を何度も撃ち破り、
イスラエルをセレウコス朝から独立させたニャ。
聖書は戦いの場面で何かと像を強調してるいるニャ。
だけど、聖書を見てるとセレウコス朝はユダヤよりも東方侵攻に重点を置いてるように見えるニャ。
ポンペイウス・トログス,地中海世界史,京都大学出版会,1998,pp.386-387
ポンペイウス・トログスにもこの乱が少しだけ記録されていて、ユダヤ勢力が強力だった事が強調されてるニャ。
だけど、トログロスはユダヤの本拠をエルサレムではなくダマスカスとしているところが面白いニャ。
トログロスは乱と言うより、ユダヤ勢力にセレウコス朝の方がシリアを侵略されたといってるようにも見えるニャ。
loeb423 diodorus siculus ,harvard,1967,p279
ディオドロス・シキリウスにもあったニャ。
ポンペイウスのシリア遠征の記述のおまけとして、
ポンペイウスに対したユダヤ人の祖先達はデメトリウス一世に対して反乱を起こしてローマの元老院へ使者を送り、
ローマからユダヤの支配権を承認されたとあるニャ。
それで本拠もトログロスと同じにダマスカスとなってるニャ。
ターン,ヘレニズム文明,思索社,1987(org.ed.1952),pp.191-193
上の本でも、セレウコス朝はマカベアの乱を重要視していないと見ているニャ。
この本によるとマカベアの乱の基礎史料は聖書でいいみたいだニャ。
マッカピーはイスラエルの独立をより確かなものにするためにローマと同盟を結んだみたいだニャ。
我が輩は古代史の事はよく分からないから、このていどしか調べられなかったニャ。
187 :
第20軍団兵:04/04/14 00:17
>186 ありがとうございました。
やっぱ、ポリスが滅びたら、その都市の市民は消滅だよなー。そのポリスを留守にしていた商人は"外人"になるのかな?
取引相手のポリス住人が"保証人"になってくれていたら商売上の実害はそんなにないのかもしれないけど...
しかし、フェニキア人&コリントス商人は都市を失うと商業も不活発になったようだし。何が商売の足を引っ張るのだろう?(まだ調べ中)
BC2c〜1cのデロス島の状況
きわめて多くの者たちが奴隷の輸出というこの呪われた仕事に殺到した、莫大な利益となったので、
というのも彼らは簡単に捕らえられたばかりか、大規模で豊かな市場がそれほど遠くにないところにあったからである。
それはデロス島で、ここでは1日1万の奴隷を受け入れ、また送り出すことができた。こうしてこのことから諺すら生まれた。
「商人よ、港に入り荷をおろなさい、すべて売り切れるから」この原因は、*カルタゴとコリントスの破壊ののち、ローマ人が豊かになり、
多くの奴隷を使用したことにある。(中略)彼ら(=海賊)は略奪ばかりか奴隷貿易にもたずさわっていたのである。キュプロスの王も
エジプトの王も**シリア人に敵対していたので、このことで彼らに協力していた。
*ここから、ポエニ戦争(=カルタゴの崩壊)とアカイア同盟の崩壊(=コリントスの破壊)がローマ人に有利な経済状況を作り出したことがわかる。
**海賊が横行する状況で交易が順調に進むわけはないので、イタリア-セレウコス朝の交易は低調だったろうと想像できる。
188 :
第20軍団兵:04/04/19 00:17
ストラボン「世界地誌」の交易についてのデロス島の記述
この島がなお一層の繁栄を見たのはコリントスがローマの手で根こそぎ破壊された結果であった。
この神域が租税免除であったのと、港が好位置にあったことが交易商人を呼び寄せ、商人たちは
この島へ移ったイタリアやギリシア本土からアジア方面へ航海する人々にとって、この島は格好の
位置にあった。さらに、島の例大祭は一種の交易行事であり、ローマにとっては他のどの地方の
人々の祭りにも増しておなじみの祭りで、これはコリントスが(交易地として)並立していた頃でもそうだった。
そして、アテナイはこの島をもらうと、神事にも交易商人にも十分気を使っていた。
ところが、ミトリダテス王の将軍たちがやってくると、この島をアテナイから離反させた僭主と一緒になって、
何もかも破壊した。その王が故国へ引き上げた後、ローマが再び島を取り戻したがその時島は無人の
地になっていた。以来今日まで島は細々と活動を続けている。島の所有者はアテナイである。
189 :
第20軍団兵:04/04/19 00:30
おなじく、コリントスについての記述(1)
コリントスは交易によって裕福な市だといい、市はコリントス地峡にあって2つの港を支配し、
港は一方がアジア、他方がイタリアに接している。そして、これほど離れている両地方内の
それぞれの地域のために、商品はどちら側からでも相手の方へとたやすく交換し合えるようにしている。
(中略)
イタリアからとアジアのどちら側から来る交易商人も、マレアイ岬を目指す航路を避けて
このコリントス市へ積荷を降ろすのはまだ良いことだった。さらに、陸路ではペロポネソス地方から積み出し、
または運び込む品物に対しても、入り口を扼すこの市に税が落ちた。この状況は後々までも相変わらず続き、
しかも後になると一段と有利な材料が加わった。イストミア祭競技会もこの市で開催され、
多くの人を引き寄せたからである。
...これ以上は後日
190 :
第20軍団兵:04/04/19 20:34
コリントスについての記述(1)
また、アプロディーテの神域は非常に富裕で、1000人を越す遊女が神殿奴隷として抱えていたほどだった。
男女を問わず、多くの人が、この女神にこれらの女奴隷を奉納した。その結果、この遊女群のおかげもあって、
市にはたくさんの人が群れ集まり、市は大いに潤った。船主たちは儲けをあっさり使い尽くすのが常だったし、
このため諺に言うとおり-
でもぶっちゃけローマは形を変えて生き残っている。
正に『永遠のローマ』
東ローマは帝政ロシアを経てソ連邦から今のロシアまで
西ローマは今の西欧諸国の基となりEUやアメリカもその系譜。
ヒトラーもナポレオンもローマの申し子であり、
なにより現存するキリスト教はキリスト本来の教えというより
ローマ化されたイデオロギーといってよく
ローマンカトリックや東方正教会もローマの分流。
イスラム帝国からオスマントルコ帝国も考えてみればローマの
(あるいはそれに近い)系譜に位置していて
・・・・・・・ローマ文明は全世界に影響を伸ばして息づいている。
すまそ誤爆ですた。
193 :
世界@名無史さん:04/04/21 00:29
既出かも知れないが、カエサルがガリアを征服した後
海洋国家気味になってきたんじゃないの?
最初は明らかに陸軍国家だし
ローマが海洋国家にシフトする契機はガリア征服というよりエジプト征服にありそうだね。
エジプトが食糧生産地であったことを考えると海上輸送が重要になっただろうし、シーレーン防衛の必要ができたわけで海軍も育つと。
もちろん北アフリカの征服でも同じことが言えると思うが。
カルタゴ滅亡後の遺民をローマの海上交易に取り込んだという線は?
>1
じゃなくて半島国家だったから
内陸から攻められないように
ガリアをローマの傀儡にするため侵略したんだろ。
日本が朝鮮防衛のためシナとロシア
の間に満州国つくったのと
似たようなもの。
攻撃は最大の防御というではないか。
>16
シナ人が
モンゴル人を嫌ってたけど
兵隊に使ったのと一緒。
>ガリア軍がハンニバルのように攻めてくるという脅威があったのか?
ハンニバルってガリア人を傭兵につかってたよな。ちがったけ
ルーマニア
イタリア
スペイン
ポルトガル
中米南米
すべて形は変わったがローマ帝国の末裔たちの国家。
ついでにカトリック教会の総本山がローマにある。
ラテン人は脈々と行き続けているし。
ローマ人の文字はローマ人とゲルマン系諸民族が受け継いで
発展させている。
帝国は今も生き続けている。
>なにより現存するキリスト教はキリスト本来の教えというより
>ローマ化されたイデオロギーといってよく
そのとおり。
そもそもローマが侵略根性をはたらかせて
ユダヤ人の祖国をローマが奪いつつあったとき
キリスト教が誕生した。
そもそもキリストが磔を食らったのも元はといえば
ローマ人のせい。
ユダヤ人が悪人のように言われているが
果たして真実はどうなのか。そもそも
一民族のためだけの宗教を世界宗教にしなければ
ならなくなった時の心情とはいったいどういうものなのか。
そのころ一般ユダヤ人はローマの支配を受けて
ほとんど分裂症のような状態であったはずだ。
とにかく悲しみに耐えない物語なのである。
201 :
第20軍団兵:04/04/29 00:52
コリントスについて(3)
その後(*ローマのコリントス破壊以後)長い間、コリントスは荒らされたままになっていたが、
神君カエサルがこの市の地理上の便利さを見てこれを再興し、移民を送り込んだ。移民のほとんどは解放奴隷の人々だった。
移民たちは廃墟を片付け、それと同時に墓をも暴いて素焼きの浮き彫り板を大量に見つけ出し、ブロンズ容器も数多く見つけた。
そして、出土品の出来栄えの良さに驚嘆し、どの墓をも残らず探し回ったので、この種の品がたくさん出回り、高価で捌かれ、
ローマを「ネクロ・コリントス」ものでいっぱいにした。(中略)はじめのうち、これらの品は**コリントス細工のブロンズ容器と
ほとんど同じくらいの値がついたが、その後この熱狂ぶりは止まった。止まったのは焼き物類が底をついたのと、
ほとんどの品の供給が続かなかったことによる。
コリントスはいつの世にも大きく富裕な市だとされてきたし、政治と芸術工芸の両分野ともに優れた人材を供給し、とりわけこの市と
シキュリオンの両市で絵画、造型などこの種のあらゆる工芸技術が成長を遂げた...
*コリントスの破壊についてはポリュビオスが詳しいらしい。
**発掘したコリントス青銅器と取るか、その頃でも生産されていた青銅器と取るか、解釈が難しい(漏れには分かりません)
まあ、残っていたとしても大量の需要に答える事は難しい規模だったということで。
以上の資料から、
コリントス、デロスとも戦争による破壊(デロス島はミトリダテス戦争による)が行われると商業は壊滅的な打撃を蒙ることが分かる。
なぜ壊滅するのかという原因は分からないけど。
202 :
第20軍団兵:04/04/29 00:55
>193
これまでの記述 >188 >189 >190 >201 はデロス、コリントスの記述なのだけれども、これに対し、
ローマの外港であるオスティアのついては,わずかこれだけの記述に過ぎない。
ラティウム地方の市で海辺にあるのはまずオスティアで、ここには港がないが、
これはティベリス川が土砂を堆積するからで、(中略)
そこで、交易船は危険を冒してまで沖合いで荒波の中に碇を降ろすことになるが、
それでも利得のほうが危険に打ち勝つ。しかも、下廻り船がたくさんあって、
船荷を受け取り代わりの積荷を運んで、交易船が川に接しないうちに早く出航できるようにさせたり、
または交易船が船荷を一部下ろして喫水を浅くした上で入港し、
ローマまで190スタディオンの間を遡行する。
盛んな取引が行われ、沖待ちをしないですむように効率的な荷揚げを可能にする
組織が存在することは覗えるけれども、オスティアが交易で名を成すを程になったとまでは
記述されていない。
なおオスティアの繁栄が絶頂に達するのはトラヤヌス港ができた後から3cいっぱいとの事。
ただ、ローマからの輸出品があるということはローマが単なる消費都市ではないということで、
注目してよいと思う。
203 :
第20軍団兵:04/05/10 01:41
>194
今「地理誌」を追っているのだけれども、これによると、
アレクサンドリアについては貿易についての記述は特にない。
同じく、シリア地方の港湾についても貿易についての記述が見られない。
東方貿易の拠点については現状では良く分からない。(プリニウスを読めば分かるのかも)
とりあえず斜め読みを終えた感触では、ストラボンが貿易等の記述をしている場合、
それは特に取引が目立つ場合のようだ。よって、 >202 のレスで、"わずか"
と書いているのは誤認なので撤回します。
204 :
第20軍団兵:04/05/10 02:47
>194
今の時点での漏れの予断と偏見では、大カトー(BC234-149)の頃からその動きが
始まるのではないか?と考えています。
カルタゴとコリントスの破壊は地中海世界での覇権を確立する契機となった事件ですが、
これ以前の直近の状況は、少なくともカルタゴの破壊を求めたのではないか?と。
大カトーの党派(この用語はイクナイのだけれども)は新興商人たちじゃなかったかな?(うろ覚え)
少なくともコルネリウス一門とは対立する位置にあるわけで、私的大カトーが単なるラテン国粋主義者
とはどうも考えにくい。
このアイディアには"じゃあポンペイウスの海賊討伐まで海賊がはびこるまでほっといたんだよ?"
って弱点があるのだけど。
205 :
世界@名無史さん:04/06/13 16:27
禿
206 :
キケロ曰く:04/06/13 19:04
―海を制する者は全てを制す。
↑\[・ム・ ] ‖士‖さよう!ワシも大地中海帝国を作ろうとしたのだが、
海軍も陸軍と負けず劣らずのヘタリー軍だったので、アレキサンドリア、
マルタ、ジブラルタルの英軍拠点を制圧できずに敗退してしまった。
Professor chases Roman-era pirate ships
http://www.cnn.com/2004/TECH/science/07/05/bc.na.gen.us.piratesoft.ap/index.html When the Roman Empire got tired of pirates terrorizing shipping lanes and nearly
bringing the known world's trade to a halt, it went after them hard.
Roman general Pompey reportedly took just 40 days to locate and wipe out the ships
and crews that were preying on shipping. It has taken much, much longer for modern scientists
to again find the pirates of the eastern Mediterranean.
Cheryl Ward, an anthropology professor at Florida State University,
hopes she's on the verge of locating some of the pirate ships
that were a thorn in the side of the Romans 2,100 years ago. (ry
208 :
世界@名無史さん:04/07/07 23:40
ローマ帝国=地中海の海運経済が支えた帝国といっていい?
ローマの海軍が地中海での商船の安全な航行を保障し、その結果物資の流通が
よくなった。
中間報告:ストラボンを読んでいくと、商業についての記述は少ないが、
港のすばらしさについて述べている文には良く行き当たる。
どの都市がについてどう述べているかについてはいずれ、そのうちに...
210 :
世界@名無史さん:04/08/09 13:31
age
211 :
世界@名無史さん:04/08/26 19:34
バカンスage
212 :
世界@名無史さん:04/09/07 09:16
age
213 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :04/09/11 02:37:21
軍事経済のリスクは雪達磨式に膨らみ、既に米国の国債赤字を発行限度額にまで押し上げている。
戦争はもともとハイリスク・ノーリターンなのである。
それにも関わらず米軍主導の経済運営を一体どこの国が望んでいるのかである。
表向き米軍に逆らわないのは単に米軍が世界最大の軍事国家であり、資本主義経済の利権を独占しているからであり、ひとたび世界に目を向ければそれこそ奴隷文明のハイリスクが渦巻いているのである。
軍事経済はそのリスクの切れ端に過ぎない。
実に狭い価値観の中で我々は背後から突き動かされているに過ぎないのである。
米国が我々のアイデンティティーを弾圧し、軍事経済を正当化してきたのなら、そこに最初から正義などあろうはずもなかったのである。
【米国主導の奴隷文明、すべてのリスクは弱者から被る】沖縄・琉球民族
http://homepage3.nifty.com/darkelf/
214 :
第20軍団兵:04/09/21 00:44:12
>208
海運が盛んだったのは確かにそうだけど。それだけとは言い切れないと思う。
たとえば、ゲルマニア軍団の補給線はガリアにあったようだし。
ダキア・パンノニア軍団はイタリアから継続的に補給を受けていたようには思えない。
ローマ海軍がそこを重視して活動していたかどうかはいささか疑問。
たとえば海軍基地はイタリアを中心にとって東側には、
ラヴェンナ、アレクサンドリア、セレウキア、トロエスミス(黒海)
*トロエスミス(黒海)はドナウ川艦隊の根拠地
対して西側には
ミセヌム、フォルム・ユリイ、アルジェ辺りに1箇所
北ヨーロッパには
ドゥヴリス(ブリタニア)、コロニア・アグリッピナ(ゲルマニア)
よって、西地中海、東地中海、国境線に3箇所づつ配置していて、伝統的に海賊が多い
東地中海に重点がない。
海賊が多かったという報告も聞かないから、海賊が多かったということも無いのだろうけど、
海賊が戦利品を処分することができる地域が無い等の搦め手で攻めたのかもしれないですね。
215 :
世界@名無史さん:04/09/21 03:00:00
関係ないけど、現代の東アジアも、太平洋沿岸の海洋文明だ。
シナの内陸部は(以下略)
216 :
世界@名無史さん:04/09/21 03:14:29
海洋国家の方が、内陸国より産業発展で有利。
船は馬で運ぶより、2000倍効率がいいらしい。
ローマに人口が集中できたのも、海運で食料輸送が出来るから。
217 :
世界@名無史さん:04/09/21 03:34:48
そうだ。中国礼賛論者は「次は内陸が発展する。中国ネタは何十年も
続く」と主張しているのだが、「現代の東アジアは海洋文明である」
という根本的な視点が欠落している
中国はそこそこ発展するが正しい。
中国は海洋文明と内陸文明のハザマで苦しみ続ける。
中国が鎖国した原因は
貿易をしすぎることによって海岸部
の商人が設けすぎることを恐れたため。
日本もおおむね同じ。
しかし日本人がそこまで考えていたかは疑問。
日本の場合純粋にキリスト教を恐れていたのは間違いない。
220 :
世界@名無史さん:04/09/21 16:23:05
>>200 東南アジアのバリ島にヒンズー教が残存してるくらいだから、
ユダヤ教も結構広域に広まっただろうね。
>>219 キリスト教というかカトリックね。
221 :
世界@名無史さん:04/09/21 19:19:03
内陸国家はやはり、運搬効率の面で、非常に不利ですね。
222 :
世界@名無史さん:04/09/21 19:51:31
インドのように、高原都市でIT産業が発展する、というようなパターン
ならとにかく、重化学工業中心に海外から工場を誘致する、なんて手法
じゃ、永遠に海岸しか文明化されない。
先日のアジアカップでは、済南でも暴動寸前だった。済南といえば、
山東省の省都だ。山東省はバリバリの沿海省なのだが、発展したのは
青島などの港湾都市だけで、済南の所得水準は極めて低い。
いわゆる「内陸部」というのは、四川省や貴州省ばかりではない。
極端な言い方をすれば、海に面した港湾都市以外、全部
223 :
世界@名無史さん:04/09/21 19:56:22
>ではなぜカエサルはその本分を忘れ、ガリアやゲルマニアといった
内陸に手をだしたのか?
スレの主旨に戻ると、内陸部は経済的には大したことなかったのだが、
国土防衛上は重要だった。要するに、内陸には未開の土人がいて、
暴動を起こされると厄介なのだ。
カエサルとポンペイウスの戦いも、オクタビアヌスとアントニウスの
戦いも、主戦場は地中海だよ。クレオパトラが海戦に敗れて、決着が
ついた
224 :
第20軍団兵:04/09/21 21:50:33
それでは港湾一覧を始めます。ネタはストラボンの「地理誌」。ネタ本にのっとってイベリア半島からスタートします。
エリュトラー海案内記とか、博物誌とかはあとで。
>221
前近代では、海は航海シーズンがあるから、運河を簡単に引けるような地域では内陸が絶対的に不利とは言い切れないと思います。
運河は季節を問わず運搬できますからね。フランスはそのパターンで経済発展していきましたよね。また、イギリスの産業革命も鉄道
の実用化以前は運河-河川輸送が大きな割合を占めていた事を記憶しています。
>222
それがローマとどう関係するのかがわからないのですが?
225 :
第20軍団兵:04/09/21 23:00:56
>222 と >223 は2レスを一緒に読まないといけなかったのか。なぜか別人と思ってしまった。スマソ。
まずはヘラクレスの柱(=ジブラルタル海峡)近くからスタート
メンラリア(ローマ醤油の工場あり、当然海運が盛んで、交易地であり海峡渡舟もある要衝)
ガデイラ(現カディス)、メネステオス・リメン(ここは航海上の要衝で灯台が設置され、この町はイベリア半島南部へ水運のアクセスあり)
226 :
世界@名無史さん:04/09/23 14:14:15
運河も含めての舟運有利ですね。 ロンドンやパリも舟運が無ければ、あの土地に
都市が出来なかったと思います。
ライン川沿いの都市も、ローマ人が作りましたが、河川による、防衛と、
恐らく舟運による、物資輸送も、計算に入れていると思います。
ブタペストも、ドナウ川沿いで舟運と”温泉”w。
227 :
世界@名無史さん:04/09/23 15:06:09
東アジアに限らず、今は内陸より海岸沿いの都市が発展する時代なんじゃ
ないかなあ。
グローバル工業社会の産物だね。
228 :
世界@名無史さん:04/09/23 15:10:58
229 :
世界@名無史さん:04/10/10 20:09:22
age
230 :
世界@名無史さん:04/10/10 20:47:57
ブラジルにもいってたんだよね。ローマの船って。
231 :
世界@名無史さん:04/10/11 21:33:39
ブラジル?
232 :
世界@名無史さん:04/10/12 02:01:33
ブラジルに行ったかもしれない、とされるのはフェニキアの船
ハンノ隊長ですか?
234 :
世界@名無史さん:04/10/12 03:24:26
ところで帝政期の地中海では、
地域間を行き来する商船はどこの人間によって運航されていたんでしょうか?
私は今のところ、ギリシャ人の独壇場だろうと思い込んでいるんですが。
良スレage
236 :
フェリックス ◆OOSAKA7uWU :04/10/24 20:48:16
>>1 俺もガリア侵攻とライン川への防衛線拡大が、共和制ローマ自身には
巨大なダメージで、潜在的な崩壊へ道を決定付けたのではないかと
思っていたので、かなり激しく同意です。
ただアメリカのイラク侵攻はカエサルのガリア戦とは全く性格が
違うというのが漏れの考えだけどね。
それと我々にとってこれに近いことが、戦前の朝鮮半島併合・満州進出だが、
あれは完全な島国の日本が行っただけ、より日本に害のある誤った戦略
だったと思われ。
身近な同盟国が皆無だった当時のリーダーを責めるのは酷な部分もあるが、
現在の我が国や現代ローマに喩えられる同盟国のアメリカがFTAや安全保障戦略で
あのような失敗をしないための教訓としてはこれらは死活的に重要だと思われ。
237 :
世界@名無史さん:04/10/24 22:08:29
>>1 都市国家ローマの市民を食わせる食糧庫と都市国家ローマの市民の喉をうる
おす「南アルプスの天然水」が必要だったんじゃないでしょうか。
市民は「パンとサーカス」を求めたというから奴隷も必要だったのでしょう。
238 :
世界@名無史さん:04/10/24 22:17:44
ハドリアヌス帝はイングランドとスコットランドの間に長城を建設している。
これをどうみるかだが、結局、「海洋国家」として北海やバルト海の制海権を
握っておきたかったというセンはないのでしょうか?
239 :
世界@名無史さん:04/10/24 22:22:51
海洋国家って海があれば海洋国家なの?
海洋国家という用語は何のためにあるの?
海洋文明ではなく、国家というのは何で?
ここは一応完結したスレなんですが…
要はスレ主が反米、反イラク侵攻の理屈にローマを使いたがっただけ。
いまの中東侵攻がガリア侵攻なんだとさw
242 :
236:04/10/24 23:49:45
>>241 >いまの中東侵攻がガリア侵攻なんだとさw
アメリカの中東占領の目的が恒久的な植民地化とは全くちがうので
この部分だけ意見が違うが、むしろ軍団のシビリアンコントロールの
喪失による私兵化や過度の自己完結性の保持、領域の曖昧化、
緩衝地帯の肥大化、共和制・法治体制(非行政国家)の崩壊など
ランドパワー帝国に典型的な欠陥をもたらしたのは確かだと思う。
英・仏・独などの西欧諸国の人間がカエサルの侵攻をどちらかというと
ポジティブに評価したいというのは理解できないでないが、ローマ自身に
とっては「パンやサーカス」とか「奴隷」とか「南アルプスの天然水」wとか
>>237のいうようなことはともかくとして、本質的には決定的なダメージで
あったのは確かだと思う。少なくとも現在や未来の島国の選択にとっては
このような見方で教訓にした方が有益だと思われ。
243 :
236:04/10/25 00:02:05
>>237 よく考えると、シチリアなどの領有が食糧供給の過剰をもたらして
無産階級を大量に生み出したわけだから、アルプス以北の領有は
全く必要がなかったと思う。
それから「南アルプスの天然水」はアルプス〜シチリアを恭子に
支配していれば問題なく手に入るはず。必要ならだが・・・
「南アルプスの天然水」の「南アルプス」は日本のだって
知ってて言ってるんだよね?一応心配なので・・・・。
245 :
世界@名無史さん:04/10/28 01:19:20
考えたらイタリアのように、良い位置にある適度に長細い半島で
大陸との間にはアルプス山脈のような壁があるっていう条件は
かなり恵まれてるわけだよな。
246 :
世界@名無史さん:04/10/28 02:59:04
>>236 ライン川とかガリアとかは関係なく、ロ−マ市民権の拡大と属州の拡大により
共和制ローマは限界点に達している。
軍団兵の1年交代や独裁官の半年解任など制度的な限界を既に迎えている。
特にスッラの首都制圧は前例を作る事になり致命傷。
既にスペイン、アフリカ、ギリシャ、中東と覇権は拡大しているため、
ガリア程度で共和制ローマの存続の本質には影響はないした負担にはならない。
あるとすれば、カエサルがガリアを征服する事で権力を握った事によって
帝政への道筋を作ったという事実だけ。
247 :
世界@名無史さん:04/10/28 03:21:50
しかし読んでみたが、凄い厨だな。
日本語が通じていない、まるで三毛猫ナナだ
1の論の組み立て方はおもしろい。国家は経済的に合理的な存在と
仮定している。
これはある種のフィクションであり、かつ近代資本主義社会にのみ
通じる仮定であるという時間的な制約がある。
だからこれを無批判に古代ローマに当てはめるのは間違いなのだが、
今の経済学や政治学はこの仮定の下に築かれているので、なかなか
論破しにくい。
論破する側も、そういった常識に染まっているからね。
こういうのが一番やっかいなんだよなあ。一見して間違いがないんだから。
249 :
世界@名無史さん:04/10/28 11:34:11
まあ、1の前提が既に間違ってるから、間違った前提からいくら論を展開しようと無意味なわけだ。
1番目の間違いは、「ローマは本質的に海洋国家だったのだ。」これが間違い。
ローマは終始海洋国家ではない。
2番目「ではなぜカエサルはその本分を忘れ、ガリアやゲルマニアといった内陸に手をだしたのか?」
イタリア半島北部、フランス南部マルセイユ周辺の海岸地帯もガリア。
「質問を変えます。ローマがガリアやゲルマニアには手を出さずアルプスを要塞化
し、ガリア人やゲルマン人の侵入を防ぎつつ、地中海の制海権を握り、地中海と東方の交易に国力を傾けていれば、
もう少し寿命が延びたのではと思う次第です。間違ってますかね、この戦略。」
イタリア北部もガリア、アルプスもガリア、七の言う事はガリア勢力のど真ん中で防衛。
つまり、ガリアをローマ化しラインをゲルマン諸族への防御線としたカエサルの判断は自然かつ妥当
>>1の書き込みを読むと分かること。
1.歴史から自分の好みの題材を取捨選択できるのであれば、大抵のことは証明可能となる。
2.人間、自分が論破できない反論に出くわしたときは、無意味に自説を繰り返す。
>>1の主旨と「海洋国家」の定義を大幅に変えると、
ローマが極めて「地中海的」であったことは確実だと思う。
取り敢えず、葡萄とオリーヴが自生する地中海世界と、
アルプス以北とでは植生からして違うわけですし。
葡萄栽培の限界北限が北に押し上げられるのは、
品種改良をはじめ、人為のなせるワザです。
(年平均気温は、帝国末期から中世初期にかけては、低下傾向)
プリニウス『博物誌』14巻に、その端緒が見て取れます。
ワインが作れる所だけが、
地中海的「文明」の栄える、
帝国の中核だと思うのですが、如何。
252 :
世界@名無史さん:04/10/29 12:54:41
まあ、イタリアは地中海にあるから地中海的であるのは当然かと。
253 :
世界@名無史たん:04/10/29 16:47:22
254 :
世界@名無史さん:04/10/30 14:04:02
>>246 >ライン川とかガリアとかは関係なく、ロ−マ市民権の拡大と属州の拡大により
>共和制ローマは限界点に達している。
>軍団兵の1年交代や独裁官の半年解任など制度的な限界を既に迎えている。
>特にスッラの首都制圧は前例を作る事になり致命傷。
確かに大幅な属州の拡大で共和制ローマの制度的な限界が来ていたのは確かだ
と思う。ただ誤った戦略をより著しくすることで望ましい解決になったとは思えない。
一番ローマにとって好ましかった選択は地中海の制海権と交易の主導権を
掌握しながら属州はシチリア・サルディーニャなどに留め、内部の市民権拡大とともに
他の地域は緩い同盟・友好関係を無理のない範囲で拡大することだったと思う。
属州を拡大させたがために海外領土に利権を持つ元老院派と無産階級出身者による
職業軍人により構成された軍団に権力が分断されてしまった。
スピキオ・アフリカヌスを失脚させてカルタゴを壊滅させたカトーの党派やローマ軍の
脱市民兵化させ晩年は嫉妬に狂ってローマ史上初の市民虐殺を行ったマリウスの
責任は大きいと思う。スッラの責任にするのはあまりに酷かと・・・。
255 :
世界@名無史さん:04/10/30 14:04:25
>既にスペイン、アフリカ、ギリシャ、中東と覇権は拡大しているため、
>ガリア程度で共和制ローマの存続の本質には影響はないした負担にはならない。
>あるとすれば、カエサルがガリアを征服する事で権力を握った事によって
>帝政への道筋を作ったという事実だけ。
ローマは偶然に賢帝が続いた5賢帝時代までは繁栄を続けるが、結局北方からの
蛮族浸透とともに徐々に内部から変質し崩壊していくことになる。帝政期は本質的な
文化的資産を食い潰しながらの一時的な繁栄を得ただけだったのではないかと。
支配下に入れた(そして市民権を与えることになる)隣接地域からの人的流入が
いかに後の社会的ダメージになるかは、日本も少し小さい規模だが朝鮮半島関係で
戦前〜戦後に経験済み(というか経験中)だと思うが。
256 :
世界@名無史さん:04/10/30 19:15:58
>帝政期は本質的な文化的資産を食い潰しながらの一時的な繁栄を得ただけだったのではないかと。
これは共和制ローマにも言える。
「支配下に入れた(そして市民権を与えることになる)隣接地域からの人的流入」をやる事で
強大化し周辺諸国との抗争に勝つ事によりローマが生存する訳だ。
つまり、市民を常に増やす事で覇権を手にいれたローマは、その事による国家の弱体化からは逃れられない。
ちなみにカエサルが現われなくても共和制ローマは50年持たずに滅んでるよ。
ローマ自体残らない可能性すらある。
>日本も少し小さい規模だが朝鮮半島関係で戦前〜戦後に経験済み(というか経験中)だと思うが。
戦前と戦後(現在)では問題が根本的にちがうし、古代と現代では蓄積されたナショナリズムや歴史文化が根本的に違う
はなしにならんよ。
257 :
世界@名無史さん:04/11/11 22:16:26
今さらそんなちゃちなローマ没落論が交わされているのは、ここが厨板だからか?
研究史嫁よ。邦語でもいい本色々出てるだろ。
それにおまいら論の飛躍が多すぎ。
258 :
世界@名無史さん:04/11/12 04:57:55
>>257 「研究史を読め」などと高みから物を言うのではなく、
その研究史とやらを、簡明にここに記したまえよ。
「論の飛躍が多すぎ」と曖昧に切って捨てるのではなく、
どこがどう飛躍しているか指摘したまえよ。
鼻持ちならない卑怯ぶりだな。
ちょっとばかし、知識を身につけかけた院生あたりにいそうなタイプだ。
ローマって本質的には陸上国家で、海洋国家ってカルタゴやギリシャだよな
ローマって、どこまでも街道ひいてひたすら歩いていくイメージがある
世界史上最高の土木国家
260 :
世界@名無史さん:04/11/12 06:58:34
>>258 研究史は、ここに5,6行で書きおさまるもんでもないだろう。
とりあえずローマの没落論に関しては、
チェインバース編、弓削達訳『ローマ帝国の没落』(創文社、1973)
ジャン=レミ・パランク著、久野浩『末期ローマ帝国』(白水社、1977)
この辺の本と参考文献を読んどけば?
論の飛躍に関しては、じゃ2、3個前のやつから指摘しとく。
>確かに大幅な属州の拡大で共和制ローマの制度的な限界が来ていたのは確かだと思う。
根拠がよくわからない。なぜ属州の拡大が共和制限界と直結してるのか?
>一番ローマにとって好ましかった選択は地中海の制海権と交易の主導権を
掌握しながら属州はシチリア・サルディーニャなどに留め、
内部の市民権拡大とともに他の地域は緩い同盟・友好関係を無理のない範囲で拡大することだったと思う。
これは共和制ローマが踏襲してきたこと。
261 :
世界@名無史さん:04/11/12 06:59:09
>スピキオ・アフリカヌスを失脚させてカルタゴを壊滅させたカトーの党派…の責任は大きいと思う。
前2世紀の歴史的背景(ギリシア・北アフリカの状況)を考えれば、カトーの行為を一方的に非難できない。
>>260の続き
>ローマは偶然に賢帝が続いた5賢帝時代までは繁栄を続けるが、
結局北方からの蛮族浸透とともに徐々に内部から変質し崩壊していくことになる。
帝政期は本質的な文化的資産を食い潰しながらの一時的な繁栄を得ただけだったのではないかと。
これに関しては上にあげた本を嫁と。
>支配下に入れた(そして市民権を与えることになる)隣接地域からの人的流入が
いかに後の社会的ダメージになるかは、日本も少し小さい規模だが朝鮮半島関係で戦前〜戦後に経験済み(というか経験中)だと思うが。
これに関しては256の言うとおりだろうな。
>ちなみにカエサルが現われなくても共和制ローマは50年持たずに滅んでるよ。
ローマ自体残らない可能性すらある。
なんでそんなこと言えるのか、ピンとこない。
ちなみに漏れは院生でもなければ、ローマが専門でもないんだが。
262 :
世界@名無史さん:04/11/13 02:27:48
>>260-261 ローマ史好きな人々が一生懸命に持論をここに書いているのに、
「研究史を読め」だの「5,6行じゃ書けないだろ」と言ってのける。
そればかりか、「今さらそんなちゃちなローマ没落論」と批判しながら、
掲げる文献は、古色蒼然たるチェンバースとパランクかね。いやはや。
それとも、「参考文献」という曖昧な表現に隠し球でもあるのかね?
>ちなみに漏れは院生でもなければ、ローマが専門でもないんだが。
確かに、そのようだな。属州の獲得と共和政原理の崩壊との関係が
分からないようだからね。
君は、260,261で、うんざりするほど長い文章を書いているではないか。
どうか、君の没落論を聞かせてくれたまえ。
「5,6行じゃ書けない」などと逃げないで、誰もが唸るようなやつを、
ここで披瀝してみたまえ。
没落論なんて他でやれ
>>263を書いた後、
>>252で突っ込まれてることに気付いた...orz
で、
>>251の補足説明をば。
地中海地域で栽培されていた葡萄が、
帝政初期には品種改良されて、
ウィエンナ(現、ブルゴーニュ地方ヴィエンヌ)やブルディガラ(現、ボルドー)で、
栽培されるようになり、ワインが生産されるようになります。
このワイン生産地域の拡大を、
「ローマ化」「文明化」の指標の1つと、
見なすことが出来るのではないだろうか、
と思って書き込んでいたのですが、
書いてる途中で、そのことを忘れて、
些か、書き飛ばしすぎてしまいました。
266 :
世界@名無史さん:04/11/13 04:07:50
ローマにとって地中海が重要だった、ということに反論する者はいないだろう。
では、ポエニ戦争を始めたころのローマを、「海洋国家」と言えるだろうか?
海上交易のみならず、道路網を利用した交易、河川を通じた交易も盛んだった
ローマ帝国を、「本質的に海洋国家」と言っていいのだろうか?
しかし、そもそも、>>1の言う「本質的に」とはどういう意味だろう。
海洋を遠く旅し、交易していたから? 領土の大きな部分を海が占めていたから?
では、日本は「海洋国家」と定義できるだろうか?
ワインなどの地中海産品の北進を、地中海的文明の伝播ととらえ、
ローマの帝国・文明を「地中海的」と定義することも、可能かもしれない。
ただし、その場合、時期的には元首政期の前半に限られてくる。
ところで、
>このワイン生産地域の拡大を、「ローマ化」「文明化」の指標の1つと、
>見なすことが出来るのではないだろうか、
だとすれば、人や物、宗教や文芸などの拡大を、
「ギリシア化」「文明化」の指標の1つと見なすならば、
ローマは「ギリシア的」「東方的」な文明・帝国となる。
事実、ユウェナリスはローマ市を「ギリシアの都」と皮肉っている。
>>262 そんなとんちんかんなヤツほっときなって。
もう相手することないよ。
>>266 確かに
>>1のいう「海洋国家」がどういう枠組みで言ってるのかがわからないよね。
「」つきで定義明らかにしてもらわないと、なんとも考えようがないなぁ。
地中海の両岸を完全に制したのが唯一ローマだけというのはおもしろい。
というか、海を隔てて領土を支配するのって相当難しいんじゃないかなあ。
大軍を移動しにくいし、補給も難しいので、なかなか維持しきれない。
日本やイギリスも一時は大陸側に領土があったが次第に失った。
ローマが唯一出来たのはなぜなんだろう。
269 :
世界@名無史さん:04/11/13 09:11:08
>>268 大陸側が、当時は北アフリカを除いて非文明地域だったというのが大きいのでは。
フランスや中国のような高い文明がある地域だと維持するのはむずかしい。
>>266-267 えー、このスレの最初期から見守っていた人間なんですが。
>>1は単に「海洋国家ローマがガリアに手を出して失敗したように、アメリカもイラクに手を出して失敗するんだ!」と言いたかっただけの模様。
つまり
>>1にとってローマが海洋国家なのは自明の理。ガリア征伐が失敗だったと言うのは前提。
結論を言えば、
>>1のことは気にしないでいいと思う。もう来ないだろうし。
>>268>>269 あと古代は「ナショナリズム」の概念がなかったっていうのも大きいんじゃないかな。
272 :
世界@名無史さん:04/11/13 16:57:27
>266
「海洋国家」とは国土や属州を含めて治める範囲に海が存在する場合。
「海運国家」とは船を使って通商などから国の利益を得るカルタゴなど。
と定義してみてはどうでしょう?
273 :
世界@名無史さん:04/11/13 16:59:18
カルタゴは海運業以上に農業国としての側面も強かったが
274 :
世界@名無史さん:04/11/13 17:08:06
ローマがわからんなら『ローマ人の物語 塩野七生 著』を読め
275 :
世界@名無史さん:04/11/13 17:14:47
『』内に著者名を含めるヤシははじめて見た
さらっと読んだだけで、一つだけ言いたくなった。
>>1よ、おまいはアルプスを無人のそれこそ壁だと勘違いしてないか?
ヒマラヤとは違うのだよヒマラヤとは。
>>272 >「海洋国家」とは国土や属州を含めて治める範囲に海が存在する場合。
けどそうするとモンゴル帝国も「海洋国家」になっちゃわない?
「海洋国家」の定義って難しそうだね。
じゃ、海軍・海運の比重が高い国家ってするのはどうだろう。
そうするとカルタゴは「海洋国家」、共和制ローマは「海洋国家」ではない。
帝政ローマはどっちなんだろ?
>>273 確かにカルタゴの農業生産がずば抜けてたのは事実だろうけど、海運業以上っていうのは言いすぎじゃないかな?
やっぱりカルタゴのメインは海上貿易だったと思う。
このスレとしてはローマが滅んだってのはいつの事になっているんでしょうか?
流石にメフメト2世がコンスタンティノポリスを落としたときというわけではなさそうなので。
オドアケルがローマ落とした時、と言うよりもゲルマン諸民族が西ローマを蹂躙した時で良いんですか?
>>278 ここってそういった主旨のスレでしたっけ?
それともローマの滅亡を特定することで何か見えてくるんでしょうか?
教えてください。
>>279 278では無いが・・・
そういうことじゃなくて、ビザンツが滅ぶまでだと、滅ぶまでの期間が長い。
よってガリアを征服したこととローマ滅亡との関連が薄いんじゃないか。
って言いたいんじゃない?
>>280 なるほど、そういうことでしたか。納得しました。
ローマは海運国家であったが、海軍国家ではなかったと思われ。
カルタゴを滅ぼしたあと、ローマの内戦であったアクティウムをのぞき
大きな海戦って聞かないし。
ローマ軍の中心はあくまで陸軍にあって、ガリア・イリリクム・ペルシア
といった地中海の外縁の防衛を担当する。
本来はローマと地中海の海洋覇権を争うフェニキア人やギリシア人は
軍事力を放棄して、ローマの保護下で貿易に専念する。
だから強力な海軍力に支えて海運を支配する、一般的なイメージの
海洋国家とは違う。
つまり河川交通が発達してもドナウ諸国やロシアを海洋国家とは
いわないのと似たような感じなのでは。
ガリア戦記読むと、ナショナリズム「もどき」はあったんでないかと思う。
七年目のアレシア戦でガリア側の武将がぶった演説なんか、固有名詞変えれば
近現代でも使えそうな代物だし。
アンダーソンが言うように言語がナショナリズム形成に影響を及ぼすとすれば、
ギリシア文字でガリア語を使っていた時代のガリア人に、それに近い感覚があったとしても
さほどおかしくはないと思う。
カエサルのガリア遠征は、安全保障上の必要性が大きかったと思う。
多分数年中には、ガリア人かゲルマニア人が自分の統治する属州に
攻めて来たろうしね。ディヴィキアクスの演説がそのままなら、
少なくともカエサルはそう感じたろう。
攻められてから戦うか、攻められる前に先手を打つか。
基本的には、そういう話だと思う。
284 :
世界@名無史さん:04/11/13 21:39:41
285 :
世界@名無史さん:04/11/13 21:43:58
>>ローマは海運国家であったが、海軍国家ではなかったと思われ。
カルタゴを滅ぼしたあと、ローマの内戦であったアクティウムをのぞき
大きな海戦って聞かないし。
ザッツライト。
元々隣の町に買い物に行くのに舟を使うギリシア民族とは違い、できるだけ足を水に浸したくなかったのが世界を制覇した農耕民族、ローマ人なのですから。
286 :
世界@名無史さん:04/11/13 21:46:59
>>284 海賊行為を取り締まるのもカルタゴを降してからのローマの役目となったので、ポンペイウスを初めとして、しっかりと取り締まってたYO
>>283 >ガリア戦記読むと、ナショナリズム「もどき」はあったんでないかと思う。
いい着眼点だと思う。確かにウェルキンゲトリクスは時代を先どっていたんだろう。
けど、ガリア戦争前、そして戦後のガリアの状況をみると、
彼の「ナショナリズム的な」思想が浸透してたとは思えない。
>カエサルのガリア遠征は、安全保障上の必要性が大きかったと思う。
同感。
ポエニ戦争(第二は違うけど)から始まる一連のローマの対外戦争は
安全保障における予防戦という認識があり、
ローマの支配権拡大(単純に領土拡大ではないよね)に至る経緯は自然の流れだったんでは。
288 :
世界@名無史さん:04/11/13 23:27:47
>>283 当時としてはカエサル担当であった南仏属州を護るためという意味では
一理あるのだが、元々これを創らずに北伊属州の南半分(ポー河以南)に
ローマ人の入植地を集中する選択が一番無理がなかったと思われる。
>>276のいうようなヒマラヤとは違うかもしれないが、アルプスとてハンニバル
でさえ超えるのに凄まじい犠牲を払ったような壁だ。しかも万里の長城のように
長い防衛線でもない。
イタリア内のローマ化がハンニバルやスキピオ時代よりずっと進んでいた
共和制末期以降であればアルプスを越えて進入した蛮族をアルプスの峠と
ポー河の防衛線で撃退するのはさらに容易だったと思われる。またこのほうが
ローマの数少ない弱点の騎兵部隊の不利も小さくなるし。
>ローマは海運国家であったが、海軍国家ではなかったと思われ。
本質的には海運国家でさえないような
海運に関することは都市国家や属州、海運を得意とする民族らに任せっぱなしだったし
290 :
世界@名無史さん:04/11/14 01:41:29
「ローマの平和」という表現はよく知られているが、
この時代はまた「海の平和」を享受した時代でもあった。
ポンペイウス以降、海の平和が比較的よく保たれ、
さらには、アウグストゥスによる艦隊基地の創設以降、
地中海の治安は長らく保たれることとなった。
他方、帝政期ローマの陸軍は、その規模において
ユーラシアの西では並ぶものがないほど他を圧倒していた。
つまり、海軍力も陸軍力もすごかった、と言えるだろう。
このような帝国を指して、「海軍国家」とか「陸軍国家」と
呼ぶことに、果たしてどれほどの意味があるだろうか?
今のアメリカを、どう呼べばよいのだろうか?
江戸時代は海運が盛んだが、幕府が強力な海軍を保有していた訳じゃない。
陸軍力で諸藩を押さえつけて艦隊を作らせなかった。
ローマもこれと同じでしょ。一度陸上から完全に押さえてしまえば、
海軍力はさほど必要ない。
あと海軍の影響力が低い傍証として、後期の混乱していた時代に
皇帝が親衛隊や地方軍団の支持を取り付ける買って話はよく出るけど、
海軍の支持を取り付けるって話はてで来ないからな。
皇帝選出に影響力がない程度の地位だったんじゃないの。
>>266 ある意味では、ご指摘の通りだと思います。
つまり、ローマが一地方「文化」から地中海「文明」に脱却するのは、
同盟市戦争後(さらにはポンペイウスの海賊討伐後)、
都市国家から領域国家にかわるのと同時期だと言えるからです。
(文化発信力の指標としてのラテン語の成熟も、
同時代のキケロによるものですし)
恐らく、問題は「文明」の定義でしょう。
書きそびれたのは、私のミスですが、
私は「文明」を複数の「文化」が混在できる場と捉えております。
(当然、「文明」に対して他の定義が可能ですし、
それを他の方が採用していることを否定するものではありません)
換言すれば、ローマが、ギリシア文化をはじめ、
諸文化の文物の受け皿となったと私は考えているのです。
(ホラティウスの「打ち負かされたギリシアが(ry」、
『アッティカの夜』に見られるエジプト神信仰、...)
それを踏まえた上で、生活習慣などのローマ文明の浸透の限界が、
それらを支える諸条件の一つである気候に、
大きく影響されていると私は考えています。
ワインを例示したのは、(私が酔っぱらいコテであるのもありますがw)
アウソニウスの著作に、興味深い一節があったからなのですが、
ちょっと今、正確な典拠を挙げられないので、
その点については、後日アップします。
なお、
>>292のように「文明」を定義する理由についても述べておきます。
教科書的には「ローマ文化は他文化の模倣にすぎない」等というように、
オリジナリティの無さを指摘されて、
否定的なイメージを与えられているように思います。
これに対して、
「ローマ文明は、様々な文化が交錯する場、
多文化社会を現出させたのである」と、
積極的評価を加えることが出来るからです。
当然、現代的な見方が強いという批判はあると思います。
(専門的に言えば、モダニストだとのプリミティヴィストからの批判)
でも、これも1つの立場・史観だとは思うのです。
294 :
世界@名無史さん:04/11/14 06:59:36
>私は「文明」を複数の「文化」が混在できる場と捉えております。
議論のための議論という謗りを恐れずに言わせてもらうならば、
単一の、あるいは、純粋無垢な「文化」など、果たして存在しうるだろうか?
ギリシア「文化」はどうだったか? エトルリア「文化」はどうか?
同盟市戦争以前のローマ「文化」は?
そう考えると、問題はむしろ、「複数の文化」の「複数」の規模にあるように思えてくる。
しかし、2つや3つ程度の文化で混成された社会は「文化」のレヴェルにすぎないが、
5つ、6つ、7つの文化で混成された社会は「文明」のレヴェルと言えるのか?
いったい、いくつの「文化」が交錯すれば、「文明」となるのか?
295 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/14 07:12:39
>>294 議論は好きですので、
宜しければ、お付き合いさせていただきます。
仰ることは良く分かります。
ただ、幾つからという線引き自体には、
私は、あまり有益性を感じないのです。
むしろ、他の文化を許容する余裕というか、
他から影響を受けても、
その本質が、決定的な変化を蒙らなくなった時点が、
「文化」→「文明」の画期ではないかと、
私は考えております。
他の文化・文明についても、
自説がどれくらい該当するかは、興味はありますが、
ここではスレ違いかなと思いますので、
これ以上は遠慮しておきます。
296 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/14 07:19:18
>これ以上は遠慮しておきます。
他文化・文明について自説をここで展開するのは、
という意味です。
これ以上の議論は、という意味ではありません。
297 :
世界@名無史さん:04/11/14 22:18:33
古代ローマは大西洋、アフリカをどこまで航海したの?
フェニキアほどではなかったかも。
299 :
世界@名無史さん:04/11/15 22:08:48
そもそもそんなに外洋に出る必要性あったんかいな
300 :
世界@名無史さん:04/11/16 01:43:50
大西洋ってのは聞いたことがないな。
インド洋方面では「ローマ商人」が結構活躍してたみたいだけれど。
301 :
世界@名無史さん:04/11/16 01:48:48
>>297 ブラジルあたりから、ローマの船が発見されているんだっけ?
アメリカ大陸にもいってたんじゃないの?
302 :
世界@名無史さん:04/11/16 04:15:19
ローマ社会において政治エリートたちは戦争を欲していた。
名望家層にあって最大の功績が戦功だった。
カエサルがアルプスを越えた、クラッススがパルティアへ遠征で戦死した、
カエサルがパルティア遠征を計画した、アントニウスがパルティア遠征で苦戦した、
ウァルスがトイトブルクで軍を全滅させた等々の背景には、
こうした戦争を望む、あるいは戦争を必要とする社会があったからではないか?
戦闘は結果であって目的でない。
>>302 たしかに凱旋式をあげることは、政治家にとって非常な栄誉であったことは事実でしょうが、
貴方がおっしゃるような社会が戦争を望んでおこった類の単純なものではなかったでしょう。
302ではないが、かといってドミティアヌス帝以前に防衛戦争的な見方を想定することは納得いかない。
凱旋の英雄スキピオは、カトーの弁舌の前に叩きのめされましたが何か?
戦闘は国家経営の全体の戦略の一要素に過ぎませんが何か?
307 :
世界@名無史さん:04/11/16 18:33:01
ローマ帝国の成立は、積極的・攻撃的「帝国主義」の結果か、
それとも消極的・防衛的「帝国主義」の結果か?
最近では、前者が有力説となりつつある。
つまり、ローマ社会は潜在的に戦争を望む社会であった、と。
こうした精神風土が全体の下地としてある場合、
何らか口実があれば、あるいは、口実がなければこじつけてでも、
戦争に踏み出したのではないか。
むろん、個々の事例では、戦闘を踏みとどまった事例もあろう。
戦いに勝利しても、政敵から攻撃されることもあっただろう。
それは、そのときどきの、戦略なり政界の状況が影響していたからではないか。
で、カエサルのガリア遠征である。
彼の行動は、ときに過剰に見える。何もそこまで行くことはないではないか、
と思えることがある。
きっかけは、あるいは口実は、祖国防衛であったにせよ、
その後の行動を説明するためには、やはり、上述のような社会のあり方、
政治エリートたちのメンタリティを考慮に入れなければ、ならないのでは?
単に、過去の経験(ローマや本土を蹂躙された)から、潜在的な敵性国家を無力化したかった
からで、別に戦闘そのものが目的とはおもえんがなぁ
>>307 同意。ローマ人って明らかに戦争好きだよ。そういう文化だ。
310 :
世界@名無史さん:04/11/16 20:18:49
街中にチンコ像建立するくらいだしね
征服欲は強そうだ
>>308 「潜在的な敵性国家を無力化」
背景や経緯を抜きにすれば「国際法で認められている自衛権」by ライスとまで言ってのけるブッシュ政権と同じ論理だね。
いや本来相手がしかけてこなければ何にもしないのがローマでは
>>312 「商社の論理」もとい「勝者の論理」ってーーーーーやつでね
いずれの説に肩入れしようとも推測の域を脱しようがないとは思うが、真偽はさておき、そもそも子孫を残すために行った略奪を伝承として語り継いでいるのがローマというのは疑いようのない真実であることを誰も否定は出来ないだろう
>>312
第三次ポエニ戦争を考えたらそうは言い切れないだろ。
前線の総督辺りが「事あらば」という感じで軍功を狙ってたのは事実だと思う。
だけれども、キケロ辺りはそういうのに批判的だったし、必ずしも
全体がそうだとは言い難い。
問題は、将軍たちのそういう暴走を止められない政治システムの方。
領土拡大で前線が首都から遠ざかるほど、情報伝達の遅れによる時差の問題は出てくる。
共和政時代は、元老院が宣戦布告と兵士が境界外に出るのを決めていたから、
議論していたら間に合わないこともあり得た。
そういう意味では
>>288に同意したい。
>>314 そりゃ戦後、灰になった日本が四十年弱で復興した時に猛烈に叩かれまくったのと同じだろう。
国際法がなければ征服されたかも知れんぞ。
316 :
世界@名無史さん:04/11/17 00:59:38
>だけれども、キケロ辺りはそういうのに批判的だったし、
>必ずしも全体がそうだとは言い難い。
確かに、キケロに関してはそうだろう。
だが、キケロは当時にあって、多数派だったのだろうか?
声の大きな少数派ではなかっただろうか?
そもそも、なぜキケロは批判をしているのだろうか?
キケロは、少数派の行動を批判したのだろうか?
それとも、全体的な風潮を批判したのだろうか?
「全体的な傾向」と「すべて」は異なる。
> 問題は、将軍たちのそういう暴走を止められない政治システムの方。
あれだけ広範囲の領土を獲得でき、かつかなり長期にわたって
維持できたのに、それを問題扱いするのはおかしいな。
むしろ将軍たちの暴走をうまく利用した政治システムといえるだろう。
>>314 >そりゃ戦後、灰になった日本が四十年弱で復興した時に猛烈に叩かれまくったのと同じだろう。
第三次ポエニ戦争の原因が、
カルタゴの急速な経済復興でなかったことはLancelをはじめ、
最近の研究者の共通認識になりつつあるらしい。
原因は、Kahrstedtのヌミディアの強大化を未然に防ぐための予防策だったとか、
Gelzerの将来的な安全保障における危険性を危惧したからだとか
Touloumakosのギリシア外交政策の一貫性だったとか、
ま、いろいろあって未だ決着はついてないようだ。
319 :
世界@名無史さん:04/11/17 02:28:08
ローマ時代の船の素材は、レバノン杉ですか?
ところで、ローマに限らず、戦争を欲する社会とそうでない社会、
という切り分けが何らかの意味を持つのか?
何で意味を持たないと思うんだ?
ローマは戦争を欲した社会だと盛んに強調しますが、
そうすると、他の国家や王朝のほとんどは、戦争を欲しない社会だったんですか?
古代・中世って戦争ばっかりしてるイメージが強いんですが・・・
ローマは戦争に勝ち続けたから大きくなったってことではないんですか?
逆に古代ギリシアは戦争ばっかりしてたけど、勝ったり負けたりだったから大きくならなかった、とか。
ローマの強大化は、ローマ社会が好戦的だったから、とは一概に言えない気がしますが、いかがでしょうか?
> そうすると、他の国家や王朝のほとんどは、戦争を欲しない社会だったんですか?
何がそうすると何だ。ローマ以外にも好戦的な社会はある。
> ローマは戦争に勝ち続けたから大きくなったってことではないんですか?
戦争に勝ち続けて小さくなるなんてことあるのかよw
> ローマの強大化は、ローマ社会が好戦的だったから、とは一概に言えない気がします
あたりまえじゃん。原因が一つ何てあるかよ。馬鹿じゃないの?
>何がそうすると何だ。ローマ以外にも好戦的な社会はある。
ローマが好戦的な国家だというので、
逆にそうじゃない国がいっぱいあるのかなっと思った素朴な質問でした。
別に揚げ足をとりたかったわけではありません。
>戦争に勝ち続けて小さくなるなんてことあるのかよw
いえ、わたしは勝ち続けることで大きくなるか小さくなるかを論じたいわけではなく、
戦争ばかりしてたから帝国化したのではなく、
戦争に勝ってたからそうなったのではないかと単純に思ってしまったのです。
>あたりまえじゃん。原因が一つ何てあるかよ。馬鹿じゃないの?
わたしも原因がひとつなんて言ったつもりはありません。
文章が分かり難かったなら申し訳ありません。
ただ、ローマが好戦的だったから帝国化した、っていうのは
何か自分の中ではすっきりしなかったので聞いてみたかったのです。
それにしても、何でそんなにけんか腰なんでしょう。
確かにわたしは今学校で習ってる程度の知識しかない未熟者ですが、
不思議に思ったり、質問したいと思うこともあります。
それでも素人は話に参加するなってことなんでしょうか?
素人はいいけど馬鹿はダメ。
戦争に勝ち続けて小さくなった国?
そんなのあるわけ。。。
あ、
イタリアがあった
327 :
世界@名無史さん:04/11/17 21:50:01
>>322 >>307氏は別に他社会と比較の中で言ってるわけではないだろう。
ローマの帝国化にとってそれが整合性が高いってことを言ってるわけで、納得もできる。
きみの言うとおり好戦的な国がすなわちローマのような帝国化するわけではないという意見もわかるが、
戦争勝利によって国が強大化するのは自然なことで、あんまり議論する意味はないだろう。
それから
>>323や
>>325の言葉はあんまり気にするな。
>>257や
>>274の同類。
他人を馬鹿にすることで優越感に浸る人間だから。
328 :
307:04/11/17 23:11:59
>>322 >>327氏がおっしゃるように、私は他国との比較でものを言っているのではない。
なぜカエサルはアルプスを越えたのか?という問題にかかわって、主張したまでのこと。
ちなみに、戦争を欲する社会であったか否か、で世界の歴史を俯瞰することの意味は、
さほどないと思われるが、ただし、好戦性の有無で各国を色分けしたのちに、
好戦性があったのになぜ帝国化しなかったのか、あるいはその逆の現象も見られるのはなぜか、
と問うてみるのも、また一興かもしれない。
戦争は文化の一部であって、ヒトモノカネという資源を獲得する
ための重要な手段なのに、その視点から俯瞰する意味がない
というのは違和感を感じるな。
それぞれの国家や民族が戦争をどうとらえているかというのは、
宗教をどうとらえているかと同じぐらい重要で議論のしがいが
あることだよ。
ひょっとして、戦争や好戦的な社会は悪という無意識な前提で
話してない?
>>323は悪解釈のしすぎ。
それが幼い考え方にしても
>>322の言いたいことは伝わるよ。
馬鹿だとも思わない。
>>322 自分で考え、人に色々質問してみるのは悪いことじゃない。
歴史の勉強嫌いになるなよ。
>ひょっとして、戦争や好戦的な社会は悪という無意識な前提で
話してない?
どちらかといえば、悪という前提に秤は傾いてるとは思うが。
ローマが常に開戦の理由に何かしらの正当性をとってつけてたように、
戦争は決して積極的に奨励されてたわけではない。
意見・解釈の分かれるところだとは思いますが、
共和政ローマという社会が、
「名望家=ノビレス」によって支配されていたことが、
名声を上げるために戦争という手段を、
政治家が選択しがちであった一因であることは、
否めないのではないだろうか。
特に、共和政末期に公職者選挙が激しくなると、
戦争は、イメージ戦略の一環として、有効な手段の一つだと思う。
本人の選挙に限らず、大物政治家の推薦によって、
陣笠政治家が当選する可能性が増加する場合には、
殊更、その傾向は強まるのだと思いますが、如何でしょう?
>>332 そういえば比佐篤の論文にもそんな論展開があったっけ。
十分納得できることだなあ。自分も同意。
>>333 比佐氏のどの論文か分からないので、何とも申せませんが、
割合、オーソドックスな理解だとは思います。
但し、最近の傾向ではありますが。
>>334 5,6年前の『史泉』に掲載されてた。
共和政ローマのギリシア対外政策をノビリタスの政治的野心という観点から論じてる。
戦争の話題が中心ではないことと期間・地域限定だったが、
言いたいことは
>>332氏と似たようなこと。
336 :
307:04/11/18 01:42:39
>>329 >その視点から俯瞰する意味がない
>というのは違和感を感じるな。
この国は戦争を欲する社会だった、あの国はそうではなかった、と、
歴史地図の塗り絵をすること自体には、「さほど」意味がない。
むしろ、塗り絵のあとの、さらなる考察のほうがより面白い、
より意味があるのではないか?と、提言してみただけの話。
>>335 早速のレス感謝。
それなら、多分、自分も読んでいるはずです。
F.ミラーのJRS論文(1984)以降、
民衆の政治参加を高く評価する見解が出てきているので、
昨今、その方向での研究が進んでいるようですね。
∴民衆に対するイメージ戦略が重要に
>>332 一時期そういう社会になってしまったのはそうだろうけど、
ローマ人は戦争好き・好戦的というのとは違うかな(元々はそういう話だったはず)
339 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/19 05:00:43
>>338 えっとですねぇ、話の流れを踏まえてはいますが、
一応、別の話をしているつもりなのです。
元々の話の文脈は了解しているつもりですが、
その人の価値観に左右される問題だと思うので、
水掛け論になりかねない話の流れかな、と思いました。
自分としては、そのまま参加するのではなく、
ここまでは価値判断抜きで語れるかな、
という範囲について自分の意見を述べさせていただきました。
元々の専門が近いので、
ついつい、このような語り口になりまして、失礼いたしました。
340 :
世界@名無史さん:04/11/20 08:07:35
今夜からNHKで「ローマ帝国」やるね。
このスレでもローマ帝国衰亡の議論やってるみたいだからあげとくよ。
ところでコメンテーターって誰なんだろ?
青柳正規?
それともポンペイ関係では本村凌二あたりか?
341 :
第20軍団兵:04/11/23 17:39:23
>>234 実際に船を運航した人間は?となるとそれこそ沿岸部の人間なら誰でも、ってことのなるのでしょうけど(憶測)。
船主という点では、解放奴隷(たとえばサテュリコンでは海運によって大金をつかんだとしている
-->同時代人に無理の無いシチュでないと小説にはならない点で説得力あり)
他にクラウディウス帝は小麦輸送船に投資するマトローナに「3人の子持ち女の特権」を付与して海運に誘導する政策
を取っているから彼の治世以後は女性も。ということになると思います。
亀レスすまそ。
>>309 亀レスだが何を根拠にそんなことが言えるんだ?
343 :
世界@名無史さん:04/11/27 03:51:04
逆説的だがハンニバルが居なけれローマ帝国の成立は無かったと思う。
344 :
世界@名無史さん:04/11/28 07:21:41
ウォールバンクは必読?
345 :
世界@名無史さん:04/11/28 10:06:05
>>343 ifを語ってたらきりなくないか?
カエサルがいなければローマ帝国の成立はなかったとか
347 :
世界@名無史さん:04/11/28 23:45:20
>>344 必読かどうかは知らんが読んでおいてもいいじゃないの。
研究者たちの間ではそれなりに評価されてるみたいだし。
>>346 ifじゃなく、それくらい影響力が大きかったという修辞だろう。
しかし、
>>343がそのように結論を出した理由は私も聞いてみたい。
349 :
346:04/11/29 12:32:40
ハンニバルが居なければカルタゴの国力は温存されただろうし、
ローマ軍がハンニバルによって鍛えられる事も無かったのでは?
と、ふとそう思った訳ですよ。
350 :
世界@名無史さん:04/11/29 16:48:25
なんかそんなこと言ってたらローマ帝国に欠かせなかった人がいっぱいいそうだなw
では、小生も346に倣って・・・
逆説的だがマルクス・ポルキウス・カトーがいなければローマ帝国の成立はなかったと思う。
それまでの伝統的な宥和ないし勢力均衡論的なローマの対外政策を強硬的な対外政策に変換させた中心人物。
他にスキピオ・アフリカヌスやカエサルあたりもはずせなさそうだな・・・
>>350氏
通説的な理解に則せば、
ローマにおけるデマゴーグの嚆矢、
グラックス兄弟も外せないのでは?
352 :
350:04/11/29 20:07:44
>>351氏
確かに。
他にマリウス、スッラあたりも外せないかな。
どうだろ?
>>352=350氏
通説的理解では仰るとおりです。
近年(と言っても、結構前ですが)、
党派理論が再検討されているので、
閥族派vs民衆派といった従来の理解は、
否定されつつあるのですが、
少なくともアウグストゥス期以降の歴史家にとっては、
マリウスもスッラもローマ史を概観する上で外せない人物であったことは、
間違いないと思います。
354 :
第20軍団兵:04/12/19 22:32:33
大カトーは当時勃興しつつあった大商人の支持を背景にした人物だったと言う説をどっかで聞いた気がするのだけども、
どこで聞いたかも、何を根拠にしていたのかもわからない...知ってる人教えてください。
>>354第20軍団兵氏
大商人=騎士階級のことでしょう。
前3世紀後半以降、政治を担当する元老院議員階級と分離して、
交易、徴税請負などに従事して、
金融資本家層を形成したとされています。
(私、個人としては、異なる見解を持っていますが)
書き忘れましたが、
「新人」である大カトーは騎士階級出身だったので、
そのように書かれていたのではないでしょうか。
(史料的根拠は薄そうです)
357 :
第20軍団兵:04/12/20 00:21:50
>>355 >>356 ありがとうございます。ただ大商人=騎士階級と完全に一致するというのは
交易商人の範囲をあまりにも小さく取りすぎた感触をもちますね。
そもそも、ローマ人自体がネゴティアレス、そして銀行家(えーっとラテン語でなんだったっけ、しらべとこ)
という言葉を使い、ストレートにエクイタスとはいかないようですね。
358 :
第20軍団兵:04/12/20 00:34:36
ストラボンを読んでいて、ガリア全体においては河川輸送が、
ガリア中心部においては河川輸送を補完するための陸上輸送(約150km)が盛んに行われていた事が記されていますね。
359 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :04/12/20 05:25:25
>>357第20軍団兵氏
確かにそうかもしれませんね。
大商人≒騎士階級の方がベターでしょうね。
(逆に商業活動に従事しない騎士もいるでしょうから)
ただ、交易するのは大商人の使用人の可能性もあるので、
大商人≠交易商人だと思います。
以下は、揚げ足取りですが、お気を悪くされないよう。
ネゴティアレス→negotians, negotiator
銀行家→argentarius, coactor argentarius, nummularius
エクイタス→equites(pl.)<eques(sg.)
もし興味がお有りなら、
J. Andreau, Banking and Business in the Roman World, 1999
が面白そうだと思います。
(買ってますが、ツンドクのままなので確言できませんが)
ちなみに、同書によるとフォルムに銀行業者の店が出たのは、
前318年から前310年までの間とのこと。
360 :
第20軍団兵:04/12/28 02:00:01
361 :
世界@名無史さん:04/12/28 02:01:28
何でローマは川を越せばすぐのゲルマニアではなく、
海の向こうのブリタニアを支配下に置いたのかね?
>>361 攻めて勝つだけならともかく、占領、統治することを考えたら
土地に着かないゲルマンなんかは最も難しい相手と思うのだが。
まだブリテンの方が簡単に思える。補給が難しいとは思うけど…
それに「川を越せば」とか言うけど、その時代の文明にとって川は結構デカイ。
でもそれはそうとして、そもそもブリタニアって要るのか?なんか労多くして実少なし
って思えてならないんだけど。
363 :
世界@名無史さん:05/01/01 20:41:15
>>362 普通にガリア維持の為の緩衝地帯じゃないの?
364 :
世界@名無史さん:05/01/01 21:25:47
当時のブリテン島ってゲルマン以上に野蛮な蛮族がガリアに進入する経路だったんだよね。
>>364 なる。たしかにブリテンならシュバルツバルトがない分「元を断つ」
ことができ易いからなあ。
あの中国ですら
古代は内陸に首都があるのに
中世以降は比較的海岸に近い。
これは富の要所が内陸より
海岸近く、もしくは古代に開発できなかった
平野の開拓に成功したせいではないかとおもう。
日本も古代はどちらかというと内陸に首都をおいてた。
しかし中世以降はやはり海岸線沿いの都市が発達した。
間違って内陸に首都を持ってくると国内は内乱状態。
これだけはいえる。
朝鮮にはアルプスほどの山脈は無いので
常に大陸勢力の危険にさらされる。
>他の国家や王朝のほとんどは、戦争を欲しない社会だったんですか?
徳川幕府は武器を持ってはいたが使い物にならない武器ばかりだったし
彼らが戦争を欲していたとは思えない。
370 :
世界@名無史さん:05/01/08 04:25:50
平和を愛するウリミンジョクは侵略戦争を仕掛けたことは・・・(あまり)無かったニダ!
372 :
第20軍団兵:05/01/13 00:13:13
>>359 Banking and Business in the Roman World
通史ですか?それとも特定の時代のみ(この場合は共和制時代?)をあつかっていますか?
買ってみようかなとは思っているのですが、どの時代を扱っているか分からないもので、
教えていただけると幸いです。
最近私が目を通した本ではロストフツェフの「ローマ帝国社会経済史」の図版とその解説が興味深いですね。
373 :
世界@名無史さん:05/01/13 00:32:00
>>369 同意。
長州征伐のとき、旗本で20代、30代の若隠居と幼少の当主が急増した。
隠居と元服前の子供は軍役を免除されるので、戦うのが怖いと隠居。
戦国時代は、元服前でも、隠居でも、坊主でも、女でも、戦に出る
のがいたが、当時でも戦う義務は無かった。
374 :
第20軍団兵:05/01/13 00:34:38
>>361 クラウディウス帝が侵攻を決意した理由としては、
1.彼の政治的立場:
ゲルマニクスの弟であり、父もまた英雄であった以上、彼も軍事的栄光が必要であった。
(=ローマの境界を北の果てまで広げた)
軍隊の後押しの結果即位したという経緯があり、軍隊の操り人形でないという印象を与える必要があった。
2.ブリタンニアの状況
クノベリクス王の死去後、ブリタンニアが分裂状態に陥り、王の1人ウェリカが介入を要請した
(=大義名分がたった。)
兵力的にはゲルマニアから精鋭を引き抜いて攻撃に出たわけで、結構苦しかったのではないかと考えます。
(=カエサルの時代の様に次から次に新規に軍団を編成できるわけではない印象をうける)
ブリタンニア征服からあがる利益は小さかったでしょう。ストラボンが交易なら十二分に利益が上がるが
征服した場合は駐留費だけで赤字になる。といった時代から何か経済的変化があったとは考えにくいです。
結論として、政治上の必要性がその他の制限する要因を乗り越えて実施された軍事作戦の好例だと考えます。
375 :
第20軍団兵:05/01/14 01:26:23
>>367 内陸の大都市として古代から有名なリヨンやフェリペ2世時代から中核となったマドリッドはどうなるのですか?
中国でも開封とかを挙げることができるし、他にもブタペスト等、反証可能な都市がいくらでも出てきます。
もうちょっと精緻に論を進めた方が吉かと。
さらに、古代/中世/近世...の区分はヨーロッパの区分を直接他地域に当てはめるのは避けたほうが無難です。
単純な例では、西欧の古代は西ローマ帝国の滅亡で一応区切りますが、
東洋史では安史の乱あたりに設定するのではないでしょうか。
>>372第20軍団兵氏
ttp://www.cambridge.org/catalogue/catalogue.asp?isbn=0521380316 をご参照下さいませ。
キチンと見てないので、間違ってたら御免なさいですが、
剣橋のKey themes in Ancient Hisoryシリーズなので、
包括的な著作だと思います。
CILやらSHAも註に挙がってましたから、
全く扱ってないと言うことはないでしょう。
ただし、目次を見る限り、編年的な記述ではないようです。
ま、高価な本ではありませんので、
過大な期待をしなければ、大外れと言うことはないと思います。
近年、フィンリーに対する異論が多いですから、
ロストフツェフも再評価されての翻訳かもしれませんね。(多分違うでしょうが)
ちなみに私はモダニストですので、この流れは歓迎です。
>>376に補足
>CILやらSHAも註に挙がってましたから、
>全く扱ってないと言うことはないでしょう。
「帝政期を」という意味です。
略語については、
CIL=Corpus inscriptionum Latinarum
SHA=Scriptores Historiae Augustae
です、念の為。
378 :
第20軍団兵:05/01/26 01:25:57 0
>>377 発注しますた。
さすがに「ラテン碑文集成」「ヒストリア・アウグスタ」はわかりますよ(笑
後者は京大出版会が訳を出し始めていますし。
情報サンクスです。
>>378第20軍団兵氏
失礼しました。
ついつい、くどくなってしまいました。
380 :
世界@名無史さん:05/02/03 16:03:12 0
アクィラと軍団兵が交互に話を進めるスレと化しているな
そもそも
>>1の脳内前提である「ローマは失敗した」という主張すらよくわかんない。
ガリアを取った後少なくとも400年は存続してるわけですが。
これ歴史上のほかの国と比べると大成功といっていいくらいだよな。
アルプスでやめとけば1000年は持ったってか?
絵に描いた餅な上に根拠が皆無で痛すぎる。
382 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :05/02/03 17:55:50 0
>>380氏
どうもw
>>381氏
すでに上の方で論破されてるようですから、
良いのではないでしょうか。
確かにツッコミ所満載ですが、
私がこのスレを見だした頃には、
既に再利用モードに入ってましたし。
>>382 失礼。さっき初めてこのスレを流し読みしたわけでついツッコミを
384 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :05/02/03 18:16:21 0
いえいえ、ご丁寧にどうも。
貴方に便乗させていただいて私も書きますと、
海上交易が本格化するのは、ポンペイウスが海賊を討伐してからだと思うので、
(前2世紀にも色々あるのは承知しておりますが、
規模の拡大は「ローマの平和」以後でよいかと思います)
カエサルのガリア戦役とは、殆どタイムラグがなく、
>ローマは地中海の海上交易で維持されてた。
とするのは無理でしょうね。
385 :
世界@名無史さん:05/02/03 18:17:46 0
塩婆のローマの平和編が文庫本化されているが、どの程度
信用してよいのか?
あらさがしきぼーん
>>367 大きな見当違い。
日本の古代も、水運を首府の選考の重要な要素としている。
飛鳥時代・奈良時代とはいうものの、その期間、実際に首府だったのは
海辺の難波京で、飛鳥や奈良に天皇の代替わりの度に転々としていた「都」
は実質的に離宮で、生母の出身氏族の勢力圏にあった。
奈良平城京の時期になると外戚が藤原氏に限られてくるため、比較的長期間
維持された。
平安京は、内陸とはいえ、水運の地の利の良い場所。
難波まで淀川で下り半日上り一日の距離、反対側は琵琶湖を渡って北陸まで
二日で出られる。
平安遷都前後というのは、奈良盆地の開拓が進み大和川の水量が減少、河内潟は
砂が溜まって航行困難となり、東北・北陸地方の支配権の確立、渤海の進貢と交易
という事情もあって、平安遷都は水運上の必要によるものということもできる。
>>386氏
教科書レヴェルで申し訳ないですが、
白村江の敗戦後に、防衛の意図の下で、
行われた近江遷都は、水利面で、やや不便な所だと思うのですが、
あくまで例外的な事例だということで、
理解しておいて宜しいのでしょうかネェ。
近江遷都は、白村江の敗戦後の防衛の意図なのかって所にひっかからないでもない
>>388氏
違うのですか?
宜しければ、ご教授いただきたいです。
>>389 いや、完全否定できるほどのものではない
近江遷都は謎がまだ多くて一概に白村江の敗戦後の
防衛の意図とは言えない部分もあるって程度
・近江に点在する部族や氏族といった勢力基盤の存在
・そもそも百済を破った後高句麗や新羅との戦いで忙しい唐が攻めてくるのか
(戦後頻繁に遣使とのやり取りがあった事だし)
・東北や蝦夷への対応
戦の結果にかかわらず、もともと遷都はやるつもりだったんじゃないかな
ちょっとスレ違いになりそうだな
>>390氏
成る程。
ご教授、どうも有り難うございました。
392 :
世界@名無史さん:05/02/18 10:48:30 0
age
393 :
世界@名無史さん:05/02/21 00:14:04 0
ttp://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050220i215.htm ローマ建国王のロムルス宮殿跡?伊の教授が遺構発見
ローマ市内で紀元前8世紀の宮殿跡が見つかり、紀元前753年にローマを建国したとされる伝説の王ロムルスの王宮ではないかとの説が浮上している。
ローマのサピエンサ大学のアンドレア・カランディニ教授が20日、フィレンツェでの国際会議でこの説を報告する。
教授は、ロムルスが街を建設したと伝えられるパラティーノの丘の付近から、伝説の建国時期と符合する紀元前8世紀半ばごろの宮殿跡を確認した。
教授によれば、広さ約350平方メートルの遺構の門や柱の配置は、「ロムルスはパラティーノをとりでにし、力を外に示した」との伝説とイメージが重なるという。
伝説では、ロムルスは双子の弟とともにオオカミに育てられたことになっている。
ローマ市文化財監督官のエウジェニオ・ラロッカ氏は地元メディアに「伝説のすべてが事実だったわけではないだろうが、その背後には史実があった。
カランディニ教授の解釈は的確だと思う」とコメントしている。
ロムルスは、のちに大帝国に発展した「ローマ」の語源になったとされる。 2005/2/20/23:59
394 :
世界@名無史さん:05/02/25 00:20:31 0
ttp://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page011.html ヨーロッパを巡れば古代ローマの遺跡が溢れている。それがある地を、誰もが文明の源(み
なもと)と認めざるをないし、その地の人々もそう思っている。いまなお、偉大で、壮大で、驚異
の文明を作り上げたローマ人について、日本人作家が10有余年にわたって、毎年、大著をも
のにしたくなるのは、宜(むべ)なしとはしない。しかし、そこにあるのは勝者や強者の歴史であ
る。それ以上でも以下でもない。この読後感と同じように、ローマの海上交易について寂寥感
にとらわれる。それは交易史料の乏しさにあるのかも知れない。
ローマは、その巨大な領土を1つのポリスとしてまとめた。それに伴って、地中海世界に1つの
経済、1つの行政、1つの法律、1つの文明が築かれたことになる。その一環として、ヘレニズム
世界の解体によって分断されていた地中海を、単一の海上交易圏として再編成した。それば
かりでなく、ローマ帝国の膨張とともに、海上交易圏の規模もいままでなく拡大した。そして、
「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)のもとで、海上交易の密度も高まり、海上交易量を増大し
た。海上交易品についても、いままで以上に東方産品、そして新規に北西ヨーロッパ産品が持
ち込まれた。こうした書き方はあまりに一般的であろう。
395 :
世界@名無史さん:05/02/25 00:21:08 0
ローマが地中海を単一の海上交易圏として再編成したとするが、それはまずもってカルタゴ
から西地中海、そしてヘレニズム世界から東地中海の交易圏を横取りしたものであった。ロー
マが独自に開拓した交易圏はほとんどなく、せいぜいブリタニア(陸上交易圏ではガリア)くらい
のものである。ローマはそれらを1つの支配圏に組織し、その結果として、それらが単一の海
上交易圏になったにすぎない。それに組み入れられ、ローマ世界と交易するなかで、ナルボン
ヌ、アルル、ミラノ、トリノ、テッサロニカといった、いくつかの新しい有力な交易都市が生まれ
る。
それに応じて、ローマ世界における海上交易品についても決定的な変化はなく、ヘレニズム
時代のそれらを引き継いだものであり、ブリタニアやガリア、北欧から、若干、新規の交易品
が到来したにとどまる。海上交易品のなかで、すでに大量貨物となっていた穀物、オリーブ油、
ブドウ酒、そして奴隷がさらに増加したことで、ローマ時代の海上交易量はヘレニズム時代に
比べかなり増加したと見られる。しかし、その末期になると、属州経済の成長により自生的な
交易圏が築かれる。それによって海上交易が分散し、海上交易量は全体として頭打ちとなる。
そして、個別の交易圏のあいだで、その伸びに開きが起きたと見られる。
ローマが、地中海世界を支配してことから、海洋国家あるいは海軍国、海運国であったかの
ようにみえるが、そうではなく、あくまでも陸上帝国であった。ローマが、海軍力を必要としなか
ったわけではないが、それをギリシア都市のように直接的に保持せず、ほぼ全面的といってよ
いほど同盟都市に依存していたことである。
396 :
世界@名無史さん:05/02/25 00:21:37 0
また、海上交易にあたっても、交易人、船舶、船員をほぼ全面的といってよいほど輸入元の
非ローマ人に依存していた。ただ、ローマはギリシアに比べ、食糧を大幅に海外に依存してい
たので、それら非ローマ人の海運要素をローマの便宜のために取り込むことに国家が懸命と
なったことが、大きな特徴となっている。さらに、ローマはギリシア同様かそれよりも工業の未
発達であり、厖大かつ多額の輸入品の見返りとなる輸出品がなかった。さらに、ギリシアのよう
に、中継交易都市でもなかった。したがって、ローマは海運国ではなく、皇帝を最大の荷主とす
る単なる受荷主国あるいは大消費都市にすぎなかった。ローマは、海上交易の歴史にほとん
ど何も加えなかったといえる。ただ、いままでになく大規模に海上交易を組織したとはいえる。
古代ローマは世界支配に新しい形を示したとされる。それ以前は先進国が後発国を支配し
て覇権国となったが、ローマになってそれが逆転し、後発国が先進国を支配することで覇権国
となるという形があることを示したといわれる。それとてヘレニズム世界が先駆けであったとい
えなくはない。このローマも、その将軍小スキピオ(前185-129)がカルタゴの劫火をみながら、
「ローマの運命もいつかはこうなるだろう」といったようになる。それは、ローマ帝国の住むすべ
ての自由民が首都ローマ人と同じように市民権を持つこととなり、また属州の支配者たちがロ
ーマの貴族や騎士と同じように振る舞い、その領地を自前のポリスとして運営するようになる
と、ローマ帝国は分裂するしかなくなる。それを「蛮族」に一撃されて瓦解する。
399 :
世界@名無史さん:05/02/25 18:53:28 0
電波かどうかはともかくとして、違うのではというところは幾つかあると思う。
たとえば一番最後。
>それを「蛮族」に一撃されて瓦解する。
一撃程度では瓦解してませんよ。
ローマ軍に編入された蛮族の兵士そのものが、ローマ軍兵士として活躍して、
同族を打ち破ったという例も数多く存在するよ。『ゲルマン民族の大移動』と
いうのも、比較的少人数の集団が帝国領に浸透してくるというパターンが多か
ったので、襲撃とか待伏せを得意とした帝政末期のローマ軍が優勢に立てたと
言うのは、さほどおかしな話ではない。
細かいところを言うと、ガリアの内陸水運網ってカエサルの遠征以前に存在して
ローマ商人が既に利用していたんじゃないのか。
通貨とか言語だって、ずいぶん前から西方ラテン系と東方ギリシア系に分かれて
それでもうまい具合に融通を利かせていたと思うのだが。
400 :
BENITO MUSSOLINI:05/02/25 18:58:52 O
州[ M ]
\[・ム・ ] ヴィーヴァ・イタリア!
\<▼>*\
州[ M ]
\(・∀・ ) 黒シャツ大好き!
\<▼>@\
>>394-396は
>>394冒頭にあるページからの部分コピペでは?
元のページは、典拠を挙げたりして、
体裁を整えようとされていますよ。
根性無しの私は、あまりの長文にゲンナリしましたが。
402 :
世界@名無史さん:05/03/12 11:22:51 0
age
ブダペストの発展は、ドナウ川の水運と無関係ではなかったように思う。
それ以前に、この時代においては「ドナウ防衛線」の最前線という
軍事的拠点都市の意味合いがあっただろうがね。
>>399 ガリア戦記にもそれを伺わせる記述がある。
ローマ軍は食糧を運ぶ時に、アラル川(現ソーヌ川。ローヌ川の支流)を
遡って運ばせていたそうで。最初のヘルウェティイ族との戦いでの話だから、
恐らく既存の交通網を利用したんだろう。
ついでに言うなら、リヨンはこの川沿いにある。
404 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 18:55:00 0
保守
405 :
世界@名無史さん:2005/04/13(水) 20:15:46 0
age
>>399 河口には歴史ある都市国家マルセイユが存在していたからね。
彼らがガリア内陸部へと手を伸ばさないわけない。
>>394-396は巨大消費地ローマ=アメリカ、地中海交易の隆盛=パクスアメリカーナ、属州の繁栄=東アジアや西欧の経済発展って感じだな。
表面的に見れば悪く書いてあるように見えるけど、深読みしてみると褒めてるだけジャンw
とりあえず、分裂するしかなかったって東西分裂?
中国も何度か南北に分裂してるから、仕方ないと思うがなぁ・・・
問題はそのまま分裂がイスラム世界と西欧世界に固定化されたことだが。
これもそれ程悪いとは思わんがね。
多様性は文明発展の起爆剤。
407 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 21:08:33 0
保守
408 :
世界@名無史さん:2005/05/15(日) 19:43:22 0
age
409 :
世界@名無史さん:2005/06/04(土) 20:47:20 0
410 :
世界@名無史さん:2005/06/07(火) 00:01:10 0
ローマ皇帝が五つの宮殿を移動しながら政治を執ったと
中国の史書にあるのだが、どういう事でしょうか?
411 :
世界@名無史さん:2005/06/19(日) 03:05:18 0
それはペルシアだかパルティアのことだったと思うが
412 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 23:06:18 0
保守
413 :
世界@名無史さん:2005/07/11(月) 18:21:19 0
>>44 ベネチアは長生きしたぞ
世界史上でもナンバー3には余裕で入る
414 :
世界@名無史さん:2005/07/13(水) 02:29:57 0
良スレ、age
シーパワー国家がランドパワー国家を兼ねることはできない、って誤謬がすべての原因だな。
英国の防衛線は、海岸でもドーバー海峡でも無く
敵の港の背後である
って言ったのは誰だったか。
415
アメリカはシーパワーでランドパワーじゃないの?
417は「誤謬」という言葉を知らない。
419 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:32:05 0
age
420 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 12:48:09 0
保守
421 :
世界@名無史さん:2005/09/07(水) 21:31:04 0
age
422 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 23:09:48 0
age
アメリカはハンドパワー
424 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 23:03:21 0
保守age
425 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 08:30:58 0
>1
安全保障だよ。ガリアを押さえれば、イタリアやイベリア半島が安全になる。
ガリアを安定させるには、ゲルマニアを押さえる必要があるってな
426 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 09:00:31 O
カエサルの勲功欲しさの個人的動機だろ。しかも「ガリア戦記」
書いてアピールしまくり。ポンペイウスの東方遠征の方が
ローマへの貢献度という点では圧倒的に上だったのに、
宣伝上手なカエサルに皆騙された。
427 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:32:51 0
ガリア民族は、昔から、イタリア半島に侵入してローマを脅かしていたからな。
そこで、カエサルはこの際、ガリアをローマの勢力下におこうと考えたのだろうよ。
つまりカエサルは
討伐+勲功でガリアを征服したということか
ローマへの貢献ならガリアの方が上だろ。
ガリアはローマの安全保障上必要不可欠。
東方侵略はローマの物欲。
たしかこれ以前にローマを一時陥落させたのはガリアしかないよね。
ギリシャにとってペルシャがそうであったようにローマにとってはガリアがそれだった。
またギリシャ、ローマとも地続きに侵略されている。
ポエニ戦争以後にガリアの脅威といってもなぁ。
431 :
世界@名無史さん:2005/11/14(月) 02:06:15 0
432 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 23:10:39 0
age
あの頃のカエサルは地中海方面に出て行けなかったから、
仕方なく上へ向いていっただけだと思うけど。
後にはちゃんとエジプトを押さえて海洋国家を完成させている。
434 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 09:05:38 0
ガリアを占領すれば、イタリア半島とイスパニアの防備の負担は減るからな。
結果的にはローマの安定化に役だった。
カエサル進出の結果として、ガリア人は優秀な戦力として重宝された。
ローマは地中海を独占とすることを目指したから、ガリアも地中海沿岸として手中に収める必要はあった。
しかし、ローマによる地中海完全掌握は、ローマの海洋国家としての終焉だったと俺は思う。
事実として、その後のローマは領土を無差別拡張したしね。
>その後のローマは領土を無差別拡張したしね。
??
>>436 帝政期のブリトン進出等を言っているかと思う
でも、無差別ではないよな
438 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 22:53:55 0
ブリトンからガリアへの敵の侵入を防ぐためだ。ちゃんと理由はあった。
そりゃ理由はあるさ、いつだって。
440 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 08:12:40 0
ローマは別に無意味に領土拡大してないよ
ローマに限らず、無意味な領土拡大の実例を挙げよ。
元や中国やら?
昭和11年以降の大日本帝国
444 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 18:12:33 0
プロコンスルとして赴く先がガリアに決まったから、それに従って遠征したのではなかったかな。
寒かっただろうなぁ。
>>444 それちがう。
プロコンスルの任地は元老院が決めるんだが、カエサルの場合確か森と道路担当だったはず
それをカエサルがコンスルのなった後に市民集会でチェザルピーナとイリリアに変更させてる
しかも元老院はガリア遠征して良いなんて一言も言ってないし。
カエサルが望んで逝ったんだろ
446 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 23:00:12 0
保守
447 :
世界@名無史さん:2006/01/14(土) 23:02:45 0
age
意味はあっても命取りになる領土拡大もある
449 :
世界@名無史さん:2006/02/06(月) 23:41:31 0
保守
450 :
世界@名無史さん:2006/02/09(木) 01:35:01 0
チャンパー
オマーン
水真ロウ
チェーラ朝
451 :
世界@名無史さん:2006/02/09(木) 04:20:18 0
今更だしとっくに既出だとは思うが、戦争の理由を植民地支配や単純な利益
(金儲け的発想)に求めすぎ。ローマには昔からガリアやゲルマンに略奪侵入
されて困ってたの。北を支配し不安をとりのぞくのは当たり前。
そしてローマは本質的に海洋国家じゃありません。そうだとしても
シナやインドに戦争ふっかける理由なんてひとつもないよ。先ずあなたが言う
東方が当時先進国なら当然軍事力あるし、わざわざ長い航海して兵力を疲弊
させたって勝ち目なんてないでしょ。勝ったってどうやって管理、統治していくの?
交易の果実というが、あなたのいう支配をしたら交易じゃなく収奪になるのであり、
交易にはならないよ。文章が変すぎ。
そして交易が果実なのはもちろんです。人件費、手間、資本(船)を考えたら
どう考えたってそんな遠い国、侵略支配してもそれこそ軍事負担だよ。
NHKの左に偏った編集映像見たんじゃしかたないかなーと思わないでもないけど、
ローマ史を学んでいて・・と言うからにはもうちょっと自分の頭で考えようよ、ね?
テレビは映像を楽しむくらいにしといたほうがいいよ、1さん。
452 :
世界@名無史さん:2006/02/09(木) 06:16:52 0
451ですが、ロムらないでスレタイだけみてカキコしました。
釣られた・・気がしてます。今70くらいまでロムりましたが、皆さん親切。
七さんが、自分が一つもちゃんと調べもしないで自分の仮説を肯定してもらい
たがってる人だなんて知らなかったもんで。失礼にも自分の頭で考えようなんて
いってしまいましたが、本ぐらい嫁の間違いでした。
だって塩野さんの本「勝者の混迷下」までしか読んだことのない私だって、
ここまで読めば戦争がどんなものか、時代背景推測くらいわかるのに・・
七さん、日本人じゃないでしょ?もしくはそーとー左?
ある程度主権を持って、平和や自由を経験した人間(民族)の思考には思えないん
ですよね、文面から。別にいいんですけど、もしそうなら相手を許す心を持たない
人にローマ人、日本人の行き方や歴史は理解できないと思いますよ。
いくら人に聞いても、無駄ですね。
NHK嘘をつく
「ローマ皇帝の息子として生まれたネロ」
皆さん御存知のとおり父親は皇帝じゃないです、母親の再婚相手が皇帝だっただけ。
まあ母親はアウグストゥスの女系の曾孫だから、皇帝の血は一応はひいているけど。
アウグストゥスを今の皇太子とすると、愛子さんの娘の娘の娘の産んだ男子に相当。
>>451-452 いや、このスレのタイトルを見た人間が一度は通る道だ。
だが二度は通らないように。次は厨房扱いされるぞ。
455 :
世界@名無史さん:2006/03/03(金) 23:10:12 0
保守age
456 :
世界@名無史さん:2006/03/15(水) 22:05:33 0
「3月15日だぞ。」
「そうです。ですがまだ終わっていません。」
エジプトより海洋国家
458 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 12:51:23 0
age
459 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 01:14:31 0
祝二周年!
460 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 21:44:31 0
age
461 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 23:06:05 0
保守
462 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 23:50:27 0
祝二周年!
463 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 20:54:38 O
二日かけて全レス読んだ。疲れた…(´・ω・`)
しかし、なかなか愉しめた。
464 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:45:57 0
ローマ帝国支配下の地中海世界の経済というのは、一種のミニ・グローバリ
ゼーションだったの?
ローマに征服される前の王国やら都市国家やらの境界が無くなって、物資の流通が
格段によくなったわけだから。
465 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 22:12:58 0
かなり古いスレですけど個人的見解を。
>>1 ローマは本来海洋国家ではない。
ローマが最初に水軍(海軍というよりこちらの表現が合う)を作ったとき、
過剰な文民統制により(詳しくは略す)、海難事故が多発していたぐらいである。
水軍よりも陸軍水援隊とでも言うべきだろうか。いずれにせよ、水軍はオマケなのだ。
確かに第三次ポエニ戦争において、水軍は海上補給ルートを封鎖はしたが、
はっきりいって「その程度」の働きしかしていない。つまり、国軍の主力として働くことはなかったのだ。
その後ローマは地中海交易をするが、当時の船舶はどう見ても海洋国家らしさがなく、
交易の為に仕方なしに作ったようなものだろう。
いかがでしょうか?
ローマが海洋国家ならオスマンも海洋国家だね
467 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 22:47:43 O
紀元後1世紀にベトナムのオケアまで達していたローマが海洋国家でないとするなら
現在に至るまで海洋国家なるものは一度も存在し得なかったと言える
468 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 23:09:51 0
遠くへ行ってれば海洋国家なの?
重要なのはタラソクラシーの有無じゃないの?
そんなこといったらオスマンはインドシナまでいっているんだけど
470 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 07:46:13 O
遠隔地まで行けるのは航海技術と地理知識がある証拠
しかも一般商人が担い手だ
471 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 17:16:20 0
継続的に遠隔地交易が出来る航海技術を持ってるのはもちろんだけどさ
ここで問題になってるのは「国家」としての海上覇権の問題でしょ?
>>467じゃ政体そのものが持つ権益云々を語るにはあまりに単純な思考じゃないの?
地中海はオスマンのものでしたが、なにか?
473 :
世界@名無史さん:2006/05/26(金) 17:39:56 0
475 :
岩崎:2006/06/15(木) 19:50:52 0
>>1 なぜカエサルがガリアやゲルマニアといった内陸に手を出していたかだが
カエサルの何百年も前から、ガリア人はローマやギリシャの都市や穀倉地帯に
攻め入って略奪を繰り返していた。さらにゲルマン人はそのガリア人から略奪し
さらにガリア人どうしゲルマン人どうしでも略奪しあっていた
なぜそんなことをしたかというと
そもそも略奪がいけないことだという道徳がガリア人にはなかったからだ
同じ部族の人間からの略奪は悪いことだが、外の部族からの略奪は
むしろ勇気をしめす美徳だった。そしてローマの植民市や同盟市は地中海全域
に点在していたもちろんガリアにも、このガリアに平和をもたらすには
ライン川という天然の城壁の内側を全て征服して秩序を作り出すしかなかった。
カエサルの内陸征服はローマの平和への第一歩だったと思う。
イタリーは半島国家でしょ
地政学的に半島国家は陸と海で両方に攻勢をかけれるのが強み
ローマは事実教科書どおりに領土を拡張した
477 :
世界@名無史さん:2006/06/17(土) 13:23:04 0
同感ニダ
>>476 素朴な疑問なんだが、それ逆に陸からも海からも攻められるってことにはならないのか?
>>478 某朝鮮半島がそうなってるな。
大陸か海か、どっちかが大国になる度、奪い合いで国が焦土になる。
>>476 半島国というのは地政学的には
>>478が正解で、何一つ良いことは無い。
ローマがイタリア半島の小国だったにもかかわらず地中海世界を制覇できたのは
1「大陸勢力」のガリアが遂に最後まで国家としてまとまらず、各個撃破できた。
2地中海は幅の狭い内海なので、陸戦的思考で「海洋勢力」カルタゴを滅ぼせた。
と言う2つの極めて特殊な要因があったため、
「半島国が陸海を制覇する」などという世界史の例外中の例外を成し遂げられた。
普通はこんな僥倖が陸側と海側で2つも重なることは滅多に無いので、
半島国は常に陸と海に挟まれガクガクブルブルということになる。
半島国家でも成功例はあるけどね
今となっては世界一裕福な北欧諸国とか
でも戦争で勢力を伸ばした時期はスウェーデンの時くらいかあ
ああ勿論
ローマも半島国家から両面作戦で成功した国だけどね
ノルマンディー公国
オスマン帝国も地政学的には半島国家だったね
スペインにやられるまでは、強い陸軍と海軍が両立していた。
陸軍と海軍を両立できるのが半島国家の強みかもしれない。
>>485 オスマントルコは地政学的には半島国家じゃないよ。
バルカン半島とアナトリア半島と地理的に一つずつは確かに半島なんだが、
狭いボスポラス海峡を挟んで両方を押さえていたから
各々反対側の領土が後背地となって、
北から攻められても東へ逃げられ、東から攻められても北へ逃げられる。
しかも北側(バルカン北部の欧州)と東側(アナトリア東部のオリエント)で
両方の「大陸側」が相当離れているから
両方から同じ国に同時に攻められることは基本的に無かった。
(19世紀ロシアの南下までそういう事態は無かったと言って良い)
つまり半島国としての「陸のどんづまり」という致命的要素から逃れられている。
半島国が「檜舞台」に立てるのは「大陸勢力がボロボロ」かつ「海洋勢力が不存在」の間だけ。
どちらかが台頭してくると直ちに致命傷を受けることになるので、
(スペインにとってのイギリス、スウェーデンにとってのロシア、
相対的にはポルトガルにとってのスペインなんてのもある)
半島国の栄華が長続きした試しは古代ローマを除いてない。
487 :
世界@名無史さん:2006/07/04(火) 20:29:46 0
保守
488 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 21:45:42 0
>>486 オスマンは元々、アナトリア一部しか領有してない半島国家の典型で
元々、バルカンまで進出してない。
大学で地政学を勉強してきたけど違うぞ
半島国家は
>>485の言うとおり、海軍陸軍ともにそつなく強力な軍隊を持つのが強み
確かにどん詰まりという弱点はあるが、はさまれている両国が弱まれば逆に一気に勢力を拡大できる
歴史的にも覇権国家になった半島国家は多い
ローマ、オスマン、スペイン、ヨーロッパを大きな半島と考えれば、フランスとドイツも含んでいいだろう
これらの国に共通することは陸海ともに強力であったこと。
また覇権国家とはいわないが類似の点あげられる国は
韓国(世界有数の陸軍と日本を凌ぐ造船産業を併せもつ両用国家)
また、戦国では後北条や織田、島津も半島を基盤に一気に勢力を拡大
ともに、陸軍だけでなく優秀な海軍を持っていたところに留意すべき
489 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 21:51:12 0
あとイスラム帝国も半島基盤だね
490 :
世界@名無史さん:2006/08/23(水) 09:14:58 0
age
半島では口先ひとつで戦勝国になれるらしい
492 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 16:31:58 0
>>489 ウマイヤ朝以降はオイルラッシュまで世界史から姿をひそめるけどな <アラビア半島
まあオマーンの海外雄飛があるか。
493 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 00:11:23 0
日本も海洋省を作るべきである。
海保、海事、港湾、海難審判、船員労働委員会と水産庁を統合する。
軽く一省分あるし、時宜に適ったものといえる。
それでこそ本当の海洋国家である。
>>493 やだよそんな税金を増やすための口実みたいな省。
495 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 06:00:08 0
>>488 >韓国(世界有数の陸軍と日本を凌ぐ造船産業を併せもつ両用国家)
いや全く意味がないし。ロシアと中国と日本とアメリカの草刈り場じゃん。
496 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 22:44:50 0
>>488 朝鮮半島はどう見ても半島というより
日本と中国をつなぐ回廊だろ。
歴史上覇権どころか最低ランクの属国じゃねーか
>>496 造船業があるからって、それで海洋支配できてるわけじゃないし。海軍力は
弱小国と行っても良いレベルだし。
元寇のときに元のために船作っていた高麗の立場から、何も変わっていないな。
498 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 02:01:34 0
ハンニバルがイタリアに侵入を果たした時にカルタゴ本国の海軍から十分な援護を受けられれば
ローマは半島国家の不利な面をさらして滅んでいた可能性もあるのかな。
なぜカルタゴはハンニバルを積極的に支援しなかったんだろう?
シチリアを取られた時点で地中海の制海権を失っていたのかも知れないけど、そうだとすると
いまいち分からないのがレーダーなどの策敵手段がない古代で、カルタゴから地中海を渡って
ローマまで見つからないように隠れながら軍船を渡すことが全く不可能というわけでもないと思うんだけど。
>>498 船には航路っちゅうもんがあってな、磁石も無い時代決まった航路以外を通って
どこかに行くのは自殺行為と言って良いのよ。そしてローマはその航路の監視を怠らなかった。
>>498 >>499の理由もあるが、実はカルタゴは純粋な海洋国家じゃなかったんだよ。
広大なアフリカ大陸を後背地とする大陸国家の側面もある。
当時の北アフリカは今よりも湿潤で、今の南ヨーロッパと同じくらいの気候だったらしい。
(当時のアレクサンドリアの気候が現在のギリシア南部と同じという研究もある)
まあ後のカトーの「イチジク演説」を見ればよくわかるだろう。
カルタゴ国内では、大陸派(国内農園派)と海洋派(海外雄飛派)が
ハンニバル戦争中も常に論争していたんだよ。そして前者が優勢だった。
この辺はモンテスキューにさえ出てくる有名な話。
>>499 確かにそうなのでしょうが、最終的にはカルタゴ本国に攻め込んだスピキオを迎撃するために
本国から召還されて、ハンニバルは船でカルタゴに撤退してますよね。
なぜローマは制海権をとっていたにも係わらずそれを食い止めようとしなかったのか。
ハンニバルとその配下で長年ローマを苦しめてきた精鋭に、カルタゴへの帰還をゆるさなければ
その後ザマの会戦で雌雄を決するという賭けにでなくても済んだわけで。
当時のローマの将軍たちだってそんなことは重々承知だったと思うので、ハンニバル帰国を阻止する
ことができなかったのは、意思がなかったというよりカルタゴ⇔ローマ南部の海上輸送はカルタゴ本国が
その気になれば不可能ではなかったのではないかと想像したわけです。
>>500 その話は少しは知っていますが、ではなぜ大陸派が優勢だったかについてはどうなんでしょうか?
ハンニバル自身はスペインのカルタゴ植民地が根拠地だったので、開戦にあたって本国への根回しが
十分にできなかったのでしょうか。彼は戦においては天才的で、後に戦後のカルタゴの復興にも手腕を
発揮しているので政治に疎いというわけではなかったのでしょうが。
>>499 とはいえ、所詮地中海だから、天測でもそうそう迷子にはならない。
曇ってると方向がわからんし、洋上では嵐に無防備だから、
みんな普通は陸地づたいに航海してたのではないか。
>>501 レーダーも航空機も無い時代、一度出航した敵艦隊を洋上で捕捉するのは非常に困難。
(双方が共に決戦を指向する、相思相愛の状態ならまだしも)
完全な制海権を得ようとすれば、敵国の軍港自体を封鎖しなければならない。
2次のローマは、とてもそこまでできなかった。
(アフリカにローマ側拠点がないと無理か。)
カルタゴ側船団が馬鹿正直に陸地づたいに行けば捕捉されただろうが、
リスクを踏んで、どこかで洋上を突っ切れば連絡等は可能だろう。
でもまあ、ハンニバル個人の帰還はともかく、
1万からの精鋭を連れ帰れたのは、ラッキーと言うべきかと。
503 :
世界@名無史さん:2006/10/20(金) 21:21:43 O
じゃ磁石を持たないヴァイキングが北海を越えアイスランドへ航海したり
ポリネシア人がハワイ諸島へ到達したことはどう説明する?
>503
そりゃ天測で頑張ったんだろう。
また、当時の地中海には、
ヴァイキングやポリネシア人の航海術はなかったってことでしょ。
必要なかったから。
まとめると古代ローマ人も根性出して天測で頑張れば何とかなったってことだな
必要は発明の馬場
507 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 18:10:15 O
1世紀にはローマ商人はベトナム南部のオケアまで達しているのだが
ヒッパロスの風といえども沿岸航海限定だったんジャマイカ?
限定っつか基本だろうな
敵対的な部族がいる地域を抜ける場合とかはともかく
無理に夜間航海して流されたがる連中もそういないだろ
510 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 12:21:28 O
ローマ商人はどうも中国へ海路で行っていたらしい
三国時代に大秦の商人、秦論が建業に到来
『梁書』諸夷伝
西晋時代に大秦の使者が洛陽に到来
『晋書』四夷伝
北魏時代の洛陽に建設された四夷館には世界各地からの商人1万人が居住していたが
その中にはビザンティンからの商人もいた
『洛陽伽藍期』
ローマでは中国の絹が珍重されたように中国ではローマのガラス製品は珍重され、それは皇室や少数の貴族にしか手に入らなかったそうだ
>>507 沿岸航海でもベトナムまで行けるんじゃないの?効率悪そうだが。
または、アラビア半島か南インドあたりの航海士を雇ったとか。
ロマ商人
514 :
世界@名無史さん:2006/12/12(火) 20:00:37 0
age
ちなみに聞きたいんだが、実際に海にでて商売していたのは
「ローマ人」ではなくギリシア人じゃなかったのか?
海軍を作るには非常にお金がかかるでしょう。陸兵と違って専門知識が要るし。
しかも木造船なら頻繁に更新が必要。竜骨は再利用するらしいけど。
んなもん大規模に維持する必要性はないよな。仮想敵もいないのに。
だから海軍が小さいから海洋国家ではないというのは違うのではないかと。
というか海洋なり河川を利用しないで大規模人口を養える国家ってありましたっけ。
当時の陸運の中心であったろう馬の死にやすさを考えても陸運なんてものが
国家維持に意味のあるものだったのか疑問。シルクロード?輸送量どれくらいなんでしょう。
シルクロードで運ばれた品100年分って当時の地中海の海運量の何日分くらいなのか。
中国大陸となると陸運と河川・運河利用の水運の割合は接近するでしょうが。
権力を分散し他との行き来の少ない封建社会や略奪しまくりのモンゴルを除いて
鉄道や無線ができるまで真に陸運メインで国家を経営できた大国ってありますかね。
それに封建国家でも戦時の補給なんかの大量輸送を陸運でやろうとした国はないでしょう。
要するにそもそも古代は大国は押しなべて川なり海なりがないと存在できないのではないかと。
近代アメリカでさえ国内輸送における陸運の割合なんて微々たる物だった。
最近自動車輸送が発達してついに逆転されたけど。
まあ国際貿易を含めると単に鉄道のシェアが自動車に置き換わっただけなんですが。
517 :
世界@名無史さん:2006/12/13(水) 21:09:45 O
ローマの市民権持ってればギリシア人でもローマ人でしょ?
ローマ皇帝アウレニアヌス〜コンスタンティヌスは民族的にはイリリュア人じゃん
518 :
515 :2006/12/13(水) 21:53:48 0
>>517 ごめん、政治的な権利の問題をいいたいわけではなかったんだ。
「街道萌え!」な陸路至上主義者な「ローマ人」(拡大された意味ではなく、本来の意味の)
が海上交通が主な貿易に主人格で携わるとはおもえなかっただけ
519 :
世界@名無史さん:2006/12/14(木) 09:57:29 O
でもそもそもポエニ戦争は地中海交易の商業権争いに端を発しているのではないの?
ということはローマの創成期から海上交易には関心があったということでは?
無論、後の時代になるがゲルマンやバルト諸族のユトランド、プロイセンとの陸上のコハク交易も盛んであったことは否定出来んが
520 :
世界@名無史さん:2006/12/14(木) 12:41:13 O
海上交易権というよりはあくまでシチリア権益だろ
初期から海上覇権の獲得を想定していたなら
フィリノス条約みたいに全面的にカルタゴの制海権を認めるような協定は結ばない
521 :
世界@名無史さん:2006/12/14(木) 16:23:45 O
とはいえ結果的にローマはカルタゴを再起不能までに徹底的に滅ぼした
確かに当初はシチリアの局地的覇権争いから始まっただろうが、もしローマが海上交易権を欲さなければ、カルタゴをあれほどまでに滅ぼす必要性があっただろうか
それ以上に海上交易がなければ後に獲得したアフリカ、エジプトの海外領土領有の必要性はなく、かえってその海外領土経営は大きな経済的・軍事的負担以外何もローマにもたらされなかっただろう
拡大解釈すればアジア、シリアからの交易品を少量、わざわざ小アジアやバルカンの険しい山中を越え、陸上を隊商に運ばせるより地中海の海上を大量輸送した方が効率が良い
もし海上交易が必要ないとするならこれらの海外領土を多くの軍団を割いて支配する必要性もないと考えられると思うが
>>521 カルタゴを滅ぼさなくとも、アジアやスペインと海洋交易できるだろう。
カルタゴ商船団が海賊行為を働かなければ。
523 :
世界@名無史さん:2006/12/14(木) 18:26:17 O
戦役の途中からローマが望んだのは交易権よりむしろ海上保安
まあ両者はどっちかだけ手に入れるものではないし不可分ではあるが
最初から地中海交易権に関心を寄せていたなら戦役の最中にもなされた
数度にわたる条約更新は有り得ない
経済面で重視されたのは付随的に獲得が見込まれたアフリカとの陸上交易権とリビアの農地だろ
1日1タラントの収益とポリュビオスだかが書いてたはず
524 :
世界@名無史さん:2006/12/14(木) 18:59:10 O
ローマは第2次ポエニ戦争で南イタリアに甚大な損害を受け荒廃した
当地の農民はローマ市街へ流民として大量流入
農業立国としてのローマは存続しえなくなった
商業権の独占は拡大するローマにはどうしても必要だった
それを裏付けるのは第2次ポエニ戦争後のデナリ銀貨の鋳造であり、東地中海商業権独占のためのセレウコス朝のアンティオコス3世(大王)との戦いだと思われる
ローマはギリシアの小規模のポリスとは違い、拡張しすぎた
どうしても競合する商人相手は追い落とし、商業権独占する必要があった
イギリスが3回も因縁つけてオランダに戦争を仕掛け追い落としたことに若干似ているケースだと思われるけど
525 :
世界@名無史さん:2006/12/19(火) 16:12:52 O
97年 東南アジアのミャンマーあたりにあったセン国の王、雍由調が後漢に遣使
ローマ(大秦)と通商があることを報じている
526 :
世界@名無史さん:2006/12/19(火) 16:36:15 O
地中海が洋だと思ってる奴は書き込む資格なし
>>523-524あたりをみると第2次から第3次ポエニ戦争までの期間に
ローマは陸上交易権から海上交易権の支配へ大きく志向を変えたと思える
地中海域から敵が殲滅された帝政期以降はまた陸上支配に傾いてるけど
528 :
世界@名無史さん:2006/12/19(火) 17:26:03 O
526は意味不明
529 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 15:31:16 O
下ミャンマー、カンチャナブリ遺跡付近のポンドゥク→ローマ時代のアレクサンドリアで作製された青銅製ランプ出土
マレー半島西岸、クロントーム遺跡→ローマ金貨出土
530 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 03:38:08 0
カルタゴを滅ぼすまでのローマは大陸国家。
カルタゴが滅亡し、地中海の覇権を握った後、大陸・海洋の両性国家になったのでは?
>>524 つまりまとめると「ハンニバルがカルタゴを滅ぼした」と。
532 :
世界@名無史さん:2007/01/06(土) 09:53:26 O
ディオクレティアヌス帝時代に設定された価格基準だと
現在のジブラルタルからシリアまで穀物を運搬した価格は
陸上で同量の穀物を運搬した場合、120q運んだ価格と同じ
つまり海上輸送の方が価格が安くすむということ
533 :
世界@名無史さん:2007/02/04(日) 23:00:21 0
保守
534 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 05:18:26 0
>>1から読んできました。
ローマは同盟国の海運力に大きく依存する陸軍国家であり、
地中海を「海洋」というよりは「大きな運河」として利用していたという感想を持ちました。
地中海沿岸の覇権を握り「マーレ・ノストルム」と誇ったというのも、
「大きな運河」の両岸から敵対勢力を排除するためにすぎなかったのではないでしょうか。
いくら地中海を支配し、周辺諸国に比して強大な海軍力を有していたとしても、
ギリシア都市やポルトガル、初期のオランダがそうであったような
最小の領土で最大の利益を追求するという「海洋国家」ではけっしてなかったように思われます。
535 :
世界@名無史さん:2007/02/09(金) 01:03:55 O
海洋交易により莫大な利潤を得ていたのはローマの大商人
ローマの国策により国家自体が利益を直接得ていたわけでない
ローマの初期には同盟市は存在したが、海洋交易を司る“同盟国”とはどこ?
同盟市でいいんじゃないの。
あとになればローマ以外の地中海沿岸国家自体がほとんどなくなるし。
ローマが海洋国家ではなかったというのには同意。
それとローマが地中海を海ではなく大きな運河として見ていたというのは面白いと思う。
538 :
世界@名無史さん:2007/02/09(金) 10:46:42 0
「マレ・ノストルム」と記されよ。
539 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 19:13:07 0
「我らが海」!
・・・のはずだった・・・ ムッソリーニ氏談
地中海はでっかい湖
琵琶湖は近畿の水瓶だから
地中海はヨーロッパの水瓶
レバノン杉は船の建造に最適
なので乱伐祭り
545 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 20:48:53 0
とても森があったなんて信じられませんね
大航海時代の後イギリスでも良質のオーク材を伐採し尽くして、
軍艦用の木材を戦略的物資として確保に苦心しているし、
木材の枯渇はどれだけ海運が盛んだったのかのバロメーターに成りそうだな
棄民皇帝ネロに法則発動
やっぱり二代でホロン部
海洋国家になったのはカルタゴを滅ぼした頃かな。
549 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 16:14:21 O
ホロン部ってなんだ?
日本人のことか?
550 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 16:31:13 O
地中海は海であって、洋じゃないな
ブリタニカに遠征して、軍船ながれてた間抜けが海洋国か?
インド洋はアラビア商人だろう…
551 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 16:54:53 O
ローマ商人はヴェトナム南部オケオまで行って交易してますが何か
ローマ商人はインド洋における航海案内記を記していますが何か
ローマの使節は海路で漢を訪問していますが何か
552 :
世界@名無史さん:2007/06/28(木) 09:54:11 0
ローマ人って海苦手な印象が
海渡ってたのは帝国民になったギリシア人の船乗りの気がする
そいつらもローマ人なんでひとつよろしく
554 :
世界@名無史さん:2007/07/16(月) 03:24:52 0
フェニキア人の子孫だから
俺も
>>534の意見には賛成。
「我らが海」と呼んだ辺り、ローマ人は地中海を「海洋」とは意識してなかったと思う。
最終的には地中海を自分たちの領土で囲みつくすまで止まらなかったのは、そういう意識のせいもあったと思うね。
あくまで地中海は街道の代わりであって、貿易合戦をするフィールドとは見ないしてない、って感じ。
557 :
世界@名無史さん:2007/10/10(水) 14:03:11 O
age
558 :
世界@名無史さん:2007/12/03(月) 11:06:12 0
地中海はともかく、
大西洋や紅海、アラビア海についてはどう捉えていたんだろう?
559 :
世界@名無史さん:2007/12/03(月) 11:38:41 0
何気にインドとの貿易は盛大だったらしいから紅海は重要で馴染み深かったはずなんだよね。