1 :
世界@名無史さん:
何で?ドイツ連邦の時は同じ国だったのに
2 :
世界@名無史さん:04/03/24 09:03
プロイセンが嫌ったから
大ドイツ主義と小ドイツ主義の相違。
ゆえに終了。
4 :
世界@名無史さん:04/03/24 11:23
東西ドイツ体制があと300年も続けば、
別々の国・民族として各々の道を歩んだのに
統合してしまって惜しいことをした。
6 :
世界@名無史さん:04/03/24 12:14
ドラえもん
7 :
世界@名無史さん:04/03/24 12:15
8 :
世界@名無史さん:04/03/24 12:30
ドイツがオーストリアになる
って言葉の意味がわからん
9 :
世界@名無史さん:04/03/24 12:32
大阪に在日共和国を設けるのは大歓迎
なんで9にそんな言われ方しないといけないのか意味が分からん
12 :
世界@名無史さん:04/03/24 13:36
第一次世界大戦後、「ドイツを分割してプロイセンやハノーヴァー、ザクセン、バイエルンといった数個の小国に編成させよう」
という意見があった。
フランス、ポーランド、デンマークと言った周辺国が領土紛争を起こす危険ができたり、
賠償金を支払う経済力がなくなってしまうということで却下されたけど。
もしこれが実現されていたら……ナチスは成立しなかったにちがいない。
大民族主義が勃興して、それはそれは凄惨な民族紛争に発展していたでしょうな。
早い話がバルカン半島なインターネットですね。
15 :
世界@名無史さん:04/03/24 19:56
age
16 :
世界@名無史さん:04/03/29 12:50
オーストリアは多民族国家だから
ハプスブルク帝国が解体したとき、オーストリアはドイツ・オーストリア共和国となり、
これはドイツ共和国の構成部分とされた。
でも、統一は実現しなかったけど。
ヒトラーが統一を実現させたけど。
全てはマリア・テレジアがフランツ・シュテファンと
恋愛結婚したのが悪い。
バイエルンなり何なりの選定侯クラスの諸侯と結婚していれば、
かなり違ったものになっていたはず。
20 :
世界@名無史さん:04/04/08 20:17
21 :
世界@名無史さん:04/04/08 20:29
>>12 ナチスは当初、バイエルン・オーストリア連合国家を目論んでいた
政党ですが?
22 :
世界@名無史さん:04/04/08 20:34
>何でドイツはオーストリアになれなかったの?
これ逆だろ
23 :
世界@名無史さん:04/04/09 22:23
今、オーストリアの人って、ドイツ人じゃなくてオーストリア人って思ってるの?
ちょっと前にドイツの週刊誌かなんかが、史上偉大なドイツ人投票みたいなのをやって、
選択肢に、モーツァルトとかレントゲンとか入れたら、
オーストリアの人がそれはオーストリア人だろって抗議したって話をきいたんだが、
オーストリア人ってアイデンティティみたいなのが確立してるのか?
そりゃあるでしょう。
栄光あるハプスブルク家のお膝元というのが。
(もっとも、そのハプスブルク家も追放されてしまうが)
25 :
世界@名無史さん:04/04/25 02:16
>>19 確かに恋愛感情はあったようですが、フランツの実家であるロートリンゲン
なら、ハプスブルクお得意の結婚政策も本領発揮できないだろうという諸列強
の容認によるものですから、例えば他の選帝侯などという選択肢はほぼ有り得なかった
と言って良いでしょうね。
実際、その“小国”であるロートリンゲンでさえ手放さねばならなかったわけで。
簡単に言えばたまたま諸国が容認した相手が、幼き日に憧れていた人物だったってだけです。
純粋な恋愛結婚を王位継承者に許すほど、ヨーロッパの王家は甘くありませんよ。
オーストリアとドイツの決定的な分裂要因をハプスブルクの時代から考えるとするならば
例えばカルロヴィッツ条約により、オーストリアが多民族国家に変貌して行った事。
マリア・テレジアが外交革命の強化の為に、自身の子供達の結婚先をフランスの関係国に
傾斜させた事だろうと思います。
>>23 ます宗教の面が大きいでしょうし、歴史の面でもベルリンとウィーンでは比較にすら
ならない位の開きがあります。
ハプスブルク家に関しては、今でこそそれほどでもないようですが、賛否両論は今でも
あるようですね。
経済的に成功しているドイツに対するやっかみのような感情もあるようです。
同じような状況なのにオーストリアに比べて繁栄しているスイスにもあんまり良い感情を抱いていないようで。
一言でいうと小国ならではのコンプレックス?のようなものがあるのかも。
今は小国でも、かつては長い歴史を誇る大帝国の中枢部だっただけに
コンプレックスもひとしおかも。
それを言うならイタリーは・・・
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
32 :
世界@名無史さん:04/05/22 15:59
人種が違う
アルプス人種だろ
ドイツ吸収してオーストリア海軍復活キボン
スロヴェニア併合の方が早いと思われ。
先方から話があった時には一蹴しているが・・・
35 :
世界@名無史さん:04/05/23 02:16
↑何時の出来事でつか?
37 :
世界@名無史さん:04/05/23 05:51
本当?
あぼーん
正確にはオーストリアへの併合じゃなくて、オーストリアとスロヴェニアで
新たな連邦国家を作ろうと、スロヴェニアから持ちかけたのではなかったか?
もともとスロヴェニアは神聖ローマ帝国の一部だったし、長年にわたって
ハプスブルク家の支配下にあった。おそらくハプスブルク家以前から
オーストリア方面のドイツ諸侯の影響下にあったのではなかろうか。
40 :
世界@名無史さん:04/05/23 15:52
あぼーん
またコピペか。
あぼーん
有色人種差別で言えばフランスが一番ひどい。
「ヨーロッパの都会」
と言う意識があるからだろうが。
あぼーん
まだコピペか。
黄色猿が世界で一番カリの対象にされたよな。
白人の労働力(犬や牛と同じ)として使われることもなく
白人と同じ権利を主張する黄色猿は
南北アメリカ大陸では天然記念物になるほどまで
数が減少したよな。
残った商売ゴキブリ(朝鮮人)とロボット猿(JAP)は
今まで生きながらえただけでもありがたく思えよ。
49 :
世界@名無史さん:04/06/01 15:58
>>1 簡単に説明すると
元は同じ帝国だったのに、皇帝がイタリア政策のために諸侯の支持ばっか気にして
中央集権化が図れなかった上に、北ドイツは東方殖民やら北海貿易やらで力をつけたところに
大学教授が宗教改革をやって内戦が相次ぎ、気づいたら国がバラバラでなんかプロイセンとか
が事実上の皇室であるハプスブルク家に対抗できるほど強国になっていて、それがフランス
と手を組んでハプスブルクに刃向かってきたりして、やっと仲良くなれそうになったら今度は
革命が起きて、民衆の方で勝手に憲法作ったりしてるし、普墺で主導権争いやってたら戦争で
墺が負けた所為でプロイセン中心の連邦とか成立してるし、その後また仲良くなったら大戦争で
で負けるし、やっと伍長さんが統一したと思ったら、また戦争で負けて統一を永遠に禁じられた
って感じかな。
キーワードは自分で調べれ
50 :
世界@名無史さん:04/06/01 16:04
ちょび髭の伍長のオーストリア人が祖国をドイツに併合したけどな。
51 :
世界@名無史さん:04/06/01 18:02
東大入試の一問目で「独墺は何故統一しなかったか」を600字で書かせたら面白いな。
まあ出題形式が変っているかもしれんが。
キーワードは 神聖ローマ帝国 イタリア政策 金印勅書(国内分裂) 東方殖民(北海貿易)
宗教改革 ウエストファリア条約(宗教内戦) (七年戦争) (フランス革命・4月革命)
フランクフルト国民会議(大・小ドイツ主義) ハンガリー (普墺戦争) ドイツ連邦 ドイツ帝国
(WW1) ヒトラー オーストリア国家基本法 ってところかな。
普墺の対立やらオーストリアの少数民族に触れるべきかどうか悩ましいがな。
600字ってきつくないか?
53 :
世界@名無史さん:04/07/03 14:58
age
54 :
世界@名無史さん:04/07/03 18:35
んじゃ、
何で オーストリアは ドイツになれなかったの?
55 :
世界@名無史さん:04/07/03 20:25
・・・もしかして気の利いたこと書いているつもり?
56 :
世界@名無史さん:
ヒトラーのオーストリア併合は悪いイメージがあるが
実際はオーストリア国民も第一次大戦敗戦以降はドイツとの連合を望んだのに
却下されてしまったんだがな。