【帯剣】 フランス貴族 【法服】

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249世界@名無史さん:05/02/05 15:15:23 0
モン=山の意味だから、モンバゾンでいいと思う。
250248:05/02/05 20:24:21 0
>>249
ありがとうございます。
251世界@名無史さん:05/02/06 04:37:38 0
    \\\\  キタアアァアァァァァァァァァアアア!!!    ///
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252世界@名無史さん:05/03/05 21:59:20 0
コンデ大公
(ルイ=ジョゼフ=ド=ブルボン・ド)
(1736.8.9〜1818.5.13)

て書いてあるんですが、
これは、ブルボン・ドの後に何が続くんでしょうか。

もうひとつですが、
何で「大公」なんでしょうか、「公」だけで十分だと思うのですが。


253世界@名無史さん:05/03/05 22:07:38 0
ドのあとはコンデが続く。

大公はプリンスの訳だが、本によってはコンデ親王とも訳している。
デューク=公爵と区別するためだろう。
254 横から失礼、お許しください。:05/03/06 02:33:26 0
「@コンデ公領自体は、デュークであるが、
この家は、王族としてプリンスも名乗っていた。」ということでしょうか。

 それとも、
「Aコンデ公領というのは、Principalityである」のでしょうか。

255世界@名無史さん:05/03/06 17:08:13 0
フランスでは下級貴族もprinceと名乗る例があったそうです。
256世界@名無史さん:05/03/07 17:51:21 0
レオポルト・モーツァルトが演奏旅行中の滞在で
「パリのトイレはビデがある!!快適だ。」といってた。
(ベルサイユだけでなくパリにもあったのか)
257世界@名無史さん:05/03/07 17:56:40 0
王室の話だが、フランス人の風呂嫌いはいまでもそうだが、
アントワネットはオーストリア皇女で普通に入浴していたため、
フランスでも普通に入浴した。
しかしフランス宮廷は家臣の監視の中の入浴なので
薄衣を着て足の先までボタン留めて入っていた。
258世界@名無史さん:05/03/07 20:07:34 0
ルイ=ジョゼフ=ド=ブルボン・ド
ですが、なんでこんなに=で結んであるんですか?
259世界@名無史さん:05/03/10 03:29:26 0
=は区切りだろ。
ルイとジョゼフとドとブルボン
は全部別々の名詞と、接続詞
260世界@名無史さん:05/03/12 18:32:16 0
>>258>>259
本来名前の区切りは「・」でいいのでは?
外国人の場合は結婚によってファミリーネーム(まぁ、苗字みたいなもの)が増える
場合があるから、ファミリーネームを連続して書く場合は「=」で結ぶのかな?

例:マリア・アントニア・ハプスブルク=ロートリンゲン

自分もよくわかってないので、表記方法について詳しい方、コメントよろしく。
261世界@名無史さん:05/03/12 23:14:43 0
>>236
遅レスだが…
ヌムールってイル・ド・フランスじゃなかったっけ?

イル・ド・フランスのヌムールなら
佐藤著作で有名な
ジャン・ド・グライーも所有(名目だけ?)。
公爵領となってからは
サヴォイ家の分家が所有。
理由は仏王フランソワ一世が母の実家に…
だったような。
あの頃はサヴォイ家に関わらず、
(今の感覚からすれば)外国の王侯に仕えて
年金やら領地を貰うのは当たり前だったからね。
262世界@名無史さん:05/03/12 23:15:35 0
>>245
南仏のペレ家も断絶?
263世界@名無史さん:05/03/20 20:05:11 0
社会主義の崩壊の後、従来のフランス革命史のように、ジャコバンが善で王党派が悪というような解釈は通用しないと思います。現在、学界での王党派の評価はどのようになっていますか。
また、シャトーブリアンの伝記の「フランス大革命に抗して」を読んだ人がいたら感想を聞かせてください。また、あそこに描かれている人物、特にルイ18世、アルトワ伯は、どこまで本当ですか。

ちなみに、私は、ルイ18世に同情します。確かに英雄でも偉人でもないけど、自分の心の中の憎悪を抑えて過激派を抑えようとした態度は立派だと思います。歴史上の人物では、ベトナムに対抗するためにクメールルージュと同盟したシアヌークが似ているかな。
カンボジアのように、内戦後の和解がどんなに困難か考えれば、彼の姿勢は結果的に失敗だったとしても評価できます。
264世界@名無史さん:05/03/20 20:38:34 0
>>260
外務省の公式文書では「=」で繋ぐ事になっているので、それに準じると
昔大学の国語学の講義で教わりました。
ちなみに、国語学ではどうでもいいそうです。
265260:2005/03/21(月) 22:17:02 0
>>264
ありがとうございます。
266世界@名無史さん:2005/03/22(火) 17:18:04 0
ルイ18世。天真爛漫なエゴイストだそうです。ルイ16世から誠実さを引き機転を足したような人物とも。兄同様、思考は明晰だが、兄と違ってとにかく陰謀家。
シャルル10世とは違い理性的ではあったと思いますが。シアヌーク!bakaとしか言いようのない流転の人生…。
267世界@名無史さん:2005/03/22(火) 18:32:09 0
ルイ18世は女性に関心がなかった(というかホモ)といわれるが、
女性と会話することは好んだという。

よくわからん。
268世界@名無史さん:2005/03/22(火) 18:35:15 0
コンデ家の居城、シャンティ城がオルレアン家のヌムール公の所有になった事情は?
269世界@名無史さん:2005/03/22(火) 18:51:47 0
>>267
おんなのこ同士のお話を楽しみたかったんでしょ。
270世界@名無史さん:2005/03/23(水) 00:01:50 0
え〜ルイ18世、ホモとは知りませんでした!
271世界@名無史さん:2005/03/23(水) 22:24:22 0
>>263フランス大革命に抗して、伊東冬美著、中公文庫1985年。本棚探したらあった。
何だか思い入れ過剰でちょっとなあ。一回読んだきり20年忘れていた本。
272世界@名無史さん:2005/03/23(水) 22:54:32 0
抗して、というほどシャトーブリアンってなんかやってたッけ?みたいな
273世界@名無史さん:2005/03/26(土) 10:24:43 0
>>226
そういやあ晋の恵帝は、ご飯がなけりゃア肉食えばいいって言ったな
才覚はアントワネットの方が上だが共に現状認識力に刹那的に欠けている。
274世界@名無史さん:2005/03/29(火) 12:25:55 0
>>273
恵帝の話のパクリ説もあるらしいぞ。
275世界@名無史さん:2005/04/19(火) 12:59:45 0
>>263ルイ18世は兄ルイ16世と1歳違いで幼いころから兄より自分が王にふさわしい
と周りにも言われ自分もうぬぼれ…。そのまた弟、シャルル10世に比べればまだ
ましな人物だが、とにかく兄一家の無残な最期をこっそり待っていた感あり。
文才に恵まれたヒトだったらしい。ホモだったって??でも晩年はナントカ夫人と
いう愛人がいたそうです。
シアヌ〜ク!!第5夫人だかが、イタリア人のモニク妃。間にできた息子はシハモニw.

276世界@名無史さん:2005/04/20(水) 23:22:16 0
マルゼルブ。ルイ15世、16世の大臣にして百科全書出版の恩人。そしてルイ
16世の弁護人を買って出たばかりに娘一家ともども処刑された。トクヴィル
の大叔父でもある。noblesse obligeを極めたような人だと思う。岩波刊木
崎喜代冶著マルゼルブぐらいしか日本語の文献はない?ですよね?あったら
知りたい…。
277世界@名無史さん:2005/04/30(土) 22:39:52 0
フランス貴族一覧みたいな本かサイトはありませんか?
278世界@名無史さん:2005/04/30(土) 23:05:50 0
ちったあぐぐれ
ttp://jeanjacques.villemag.free.fr/
279世界@名無史さん:2005/05/08(日) 23:33:08 0
      _,,:-ー''" ̄|   | ̄ `ヽ、
    ,r'"     .|   |     `ヽ.
__,,::r'7" ::...     |   |        ヽ_
゙l  |  ::..     |   |        ゙) 7
| ヽ`l :::..      | パ|        /ノ )
.| ヾミ,l _.;;-==ェ;、 |   |  ,,,,,,,,,,,,,,,_ヒ-彡|
〉"l,_l ."-ー:ェェヮ;::). | カ | f';;_-ェェ-ニ ゙レr-{  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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280世界@名無史さん:2005/05/10(火) 01:58:44 0
長き論争ついに終焉…ナポレオンの死因は“胃がん”と結論

 胃がんが死因とされながら、毒殺か病死かで論争が続くナポレオン1世(1769〜1821年)をめぐり、
スイスの病理学者らがこのほど、死亡前に体重が急激に減少していたことを突き止め、死因は胃がんとあらためて結論づけた。

 研究発表したのは、スイスのバーゼル大学病院の病理学者リュグリ氏ら。
ナポレオンが生前着用していた9着のズボンのサイズなどから体重の変化を計算。
1820年に体重90・7キロだったナポレオンが、21年5月の死亡時には75・7キロまで体重を減らし、
特に死亡直前の5カ月間に11キロもやせたことが分かった。


http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200505/sha2005050905.html
281世界@名無史さん:2005/05/31(火) 05:17:49 0
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C9%A1%A6%A5%E9%A5%F3%A5%AF%A5%B6%A5%F3%CB%BE
http://perso.wanadoo.fr/lencquesaing/
フランス貴族の血をひく日本人ハーフ

知らんけど由緒ありそうな家系。城を所有しているらしい
282世界@名無史さん:2005/06/08(水) 22:07:02 0
Vavasseurについて教えてください。
王の陪臣の爵位らしいのですが。
283世界@名無史さん:2005/06/09(木) 00:55:13 0
age
284世界@名無史さん:2005/06/09(木) 01:51:55 0
vassaux?
285世界@名無史さん:2005/06/10(金) 17:30:21 0
中世の貴族階級では、食卓で肉を切る役目は輝かしい特権で「肉切りの士」という
称号まであったのだそうです。肉の切り方ひとつ取り上げてみても、何十種類もあった
ようで、宴会のときは大臣のように高い地位の人が、人々の注目を浴びながらたくみに
ナイフをふるって肉を切り分けたのです。何故そんなことをしたのでしょう。

この時代は暗殺の危険があったため、信用のおける人間しかナイフを持たせてもらえなか
ったのだそうです。食事に招かれた人々は、武器を体から外さないと食堂に入れてもらえ
なかったし、食事のとき、肉を切るナイフを使うことも禁じられていたようです。

ひとみ先生の小説の中でもこのような記述がありました。
http://www.angel.ne.jp/~nanakos/hp800f.html
286世界@名無史さん:2005/06/11(土) 20:36:15 0
中世以来フランスでは,デュッケ(公),マルキ(侯),コント(伯),
ヴィコント(子),バロン(男),シャトラン(城主),ヴァヴァスール(陪臣),
シュヴァリエ(騎士)などのタイトルがあったらしいのですが、これらの位置関係
を教えてください.
287世界@名無史さん:2005/06/12(日) 02:56:21 0
陪臣の意味分かってるか?
君主の臣下(vassal)に仕える臣下(rear vasasl)だぞ?

フランス語でvassauxとvavassaux
ドイツ語ならvasallとaftervasall
288世界@名無史さん:2005/06/12(日) 06:11:29 0
すいません、もう少し詳しく。
289世界@名無史さん:2005/06/13(月) 03:43:29 0
フランク王国で古来の部族大公の支配を認めて与えた地位が公(Herzog)。
その統治権を解体して州に分け、地方ごとに管理するよう王が任命したのが伯(Graf)。
国境に位置する地方で異民族に備えながら統治するのが辺境伯(Markgraf)。
伯の補佐や代行をするのが副伯(Vizegraf)。伯のもとで統治するのが小領主(Freie Herren)。
他にも役職として王領地伯(Pfalzgraf)、方伯(Landgraf)、城伯(Burggraf)などの役職があった。
これが世襲になったりして、やがてノルマンやらサクソンやら分裂やら断絶やらで
部族大公の力が増したり伯の力が増したりローマ帝国やら教会やらイスラムやら
とにかく色々あって領主は王権から独立した存在になって、大領主に領主が契約的に仕え
その下に騎士や小領主などがまた契約的に仕える封建の時代になっていく。

西フランク王国(カペー朝)の勢力は小さく、アンジュー伯、フランドル伯、
アキテーヌ公、ブルゴーニュ公、ノルマンディー公などが大きな勢力を持っていた。
土地柄もよくなんとかして王権を強めていったが、こっちでも十字軍やら教会やらイングランドやら教皇やら色々とあった。
十字軍の負担による貴族の没落のおかげで王権強化がはかどったそうな。
14世紀に安定してきた頃に王に男子がなくてヴァロア朝に。
その継承問題に乗っかってイングランド王が母方の血縁で王位を主張して攻めてきて百年戦争勃発。
フランス内でも公伯が争ったりしてジャンヌ・ダルクやらの話もあって勝ったり負けたりして最後は微妙に勝ったかんじ。
イングランドは薔薇戦争になったりもして、なにやらこれらの戦争でイングランドとフランスにそれぞれに
一国家としてのまとまりの意識が生まれたらしい。フランス王家としては王権が随分と強化できたそうな。
16世紀の末にまた男子がなくてブルボン朝に。ルイ14世が絶対王政をしたりしてルイ16世のときにマリーが処刑されたりした。
290世界@名無史さん:2005/06/13(月) 23:53:27 0
さんくす
291世界@名無史さん:2005/06/14(火) 11:26:21 0
フライエ・ヘレンはイムニテート特権保持者である事が多かったから
当初からグラーフとは別系統の領主だったと思うけど。
でもよくまとまってるね

あと>>286はマルチしすぎだから、今度からは気をつけよう。
292世界@名無史さん:2005/06/14(火) 13:07:12 0
あげ
293世界@名無史さん:2005/06/16(木) 20:49:20 0
フランスの騎士になりたかったらワインに携わるといいお^^
294世界@名無史さん:2005/06/17(金) 09:49:38 0
フランスのワイン騎士団は76個もあるから
ちょっと名の知れた料理人なら結構受賞してるんだよね。
295286:2005/06/18(土) 18:38:00 0
すまん
296世界@名無史さん:2005/06/19(日) 23:55:28 0
おかげでグラーフのことはよくわかったよ。

ヴァヴァスールについてわかるホームページないでしょうか?
ちょっとしつこいか。
297世界@名無史さん:2005/06/20(月) 01:25:02 0
そこまで知りたいなら自分でどうにかしろよ

ttp://www.genealogie-dupuis.org/heraldique/dictionnaire/c/chevalier.htm

Le vavasseur avait des vassaux, mais la seigneurie
dependait d’un autre seigneur.
298世界@名無史さん
封建家臣から受封される下位封臣としての意味以外なかろうに