418 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 09:57:18 0
>>292 > 旧約聖書に出てくる、メディア人ダリウス(62歳)ってなに者なんですか?
聖書以外の記録が見つかってないので、確実なことはわかっていない。
キュロスによるバビロン征服以後、メディア人ダリウスがバビロンの支配者になっているが、
キュロスとの関係が不明。
実権は実力者たるキュロスにあるはずだが、
名目上はキュロスより上位の王の可能性がある。
もともとメディアというのは巨大な国家で、
例えればメディアが江戸幕府で、ペルシャは薩摩藩みたいなもの。
キュロスはメディア幕府の実権を握ったが、倒幕しなかった。
それでメディア王に名目上は服属していたのではないか?
一方、メディア人ダリウスはキュロスからバビロン地域を任された太守にすぎないという説もあるらしい。
どちらにせよキュロスは次の征服戦争が忙しくて、後のことは全部メディア人ダリウスに任せたのだろう。
419 :
世界@名無史さん:2008/05/08(木) 08:56:45 0
教科書等にはメディアについての記述がほとんどないが、
キュロス大王以後のアケメネス朝はメディアとペルシアの連合王国みたいな性格を持つ。
しかも当初のキュロス軍はペルシアよりメディアの方が主力だった。
ヘロドトスやクセノフォンはキュロス2世の母親をメディア王の娘であるとしているから、
メディア人としてもキュロスを君主とすることに抵抗がなかったのだろう。
420 :
黒崎恵:2008/05/16(金) 19:56:54 0
ペルシャの最大の脅威は西欧史家は民主的なギリシャ諸都市だと言い張るが、
実際には北方のイラン系遊牧諸勢力だった。
>>421 でも、マケドニア王国のもとで統合されtたギリシャ人に滅ぼされたけどな。
>ペルシャの最大の脅威は西欧史家は民主的なギリシャ諸都市だと言い張るが
いったい誰だ?そんな事言ってるのは
>>422 マケドニアはギリシアの影響を受けた蛮族国家じゃん。
>>424 マケドニア自体はバルバロイではないにせよ、野蛮人扱いされていたのは確か。
でも、マケドニアによって統合されたギリシャ人にペルシャ軍が蹂躙されたのも確か。
アレクサンダーの軍隊はマケドニア・ギリシャ連合軍とはいうけど、
指揮官はともかく、主兵力はやっぱりギリシャ人。そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
なしには成り立たないんだし。
>そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
>なしには成り立たないんだし
ホプリテス無しでも
アリアノスによるとペルシャ人の重装歩兵だったという「カルダケス」
じゃ駄目かね?
素朴な疑問なんですが・・・
カナートって何で斜面の水脈の場所がわかるんですか?
さあてねえ。
地形で見当つくのか、試掘するのか、近所にカナートがあれば確実性高いか?
429 :
世界@名無史さん:2008/07/18(金) 15:46:33 0
>>424 >指揮官はともかく、主兵力はやっぱりギリシャ人。そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
>なしには成り立たないんだし。
ギリシア軍も、マケドニア貴族みたいな半遊牧民的出自の熟練した騎兵の集団がいないと、
ペルシア軍を打ち負かすのは難しいんですよね。
ファランクスと騎兵隊の関係っていうのは「ハンマーと金床」ってよく喩えられるんだけど、
機動力のある騎兵隊が敵軍の外に回りこんでファランクスに向かって追い込み、
包囲殲滅戦をやるわけですね。
ファランクス単独だとファランクス相手だったら互角に戦えるけど騎兵相手だと機動力が弱すぎるし、
陣形を乱されたら格闘力は弱いからまともに戦えない。
騎兵だけじゃなくて機動力のある軽装の散兵でもやばいことがある。
ファランクスを採用していた時代のローマ軍が、ガリア人とかサムニウム人に、それで散々煮え湯を
飲まされてる。それでファランクスからレギオンに転換したわけ。
ペルシア戦争のときも、マラトンのときは艦隊から上陸直後のペルシア軍を、
進軍前にファランクスを走って急接近させて海とファランクスで挟み撃ちにして破っているし、
テルモピュライでは山間の隘路だからあれだけの防衛戦をやれたわけです。
つまり、ペルシア軍にギリシア傭兵隊が不可欠になったというのは、
もともとの主力のハンマーであるペルシア人、メディア人騎兵の女房役の金床として、
ギリシアのファランクスが絶好の性質を持っていることを発見したということ。
ちなみにこの時代のアケメネス朝軍の中核のペルシア人、メディア人貴族の騎兵は、
封土の分割相続で貧窮化して、ずいぶん弱体化していたみたいです。
>ちなみにこの時代のアケメネス朝軍の中核のペルシア人、メディア人貴族の騎兵は、
>封土の分割相続で貧窮化して、ずいぶん弱体化していたみたいです。
kwsk
431 :
世界@名無史さん:2008/07/20(日) 11:49:34 0
ダーラヤワウ(ダレイオス)2世の頃(紀元前5世紀前半)のバビロニアから出土した
アラム語文書に、税が重税化していることと、封土を与えられているペルシア人とメディア人
が均等相続のせいで貧困化して軍装備を整えられなくなっちゃって、
傭兵に頼らざるを得なくなってきていることが記されているそうです。
前近代の王朝の軍隊はみんな傭兵なんだって極論しちゃう向きとか、
古代オリエントの軍隊なんてみんな傭兵の寄せ集めだなんて極論しちゃう向きがあるけど
ちょっと違いますね。
だいたい政権の中枢を構成する集団は戦士集団であることが多いですよ。
ただ、近現代の国民国家みたいな「国民」という巨大集団を政権中枢にしていないから、
中核戦士集団だけだとあんまり巨大な軍勢にはならない。
だから、それに同盟者の戦士集団をまず加える。これが自前の戦士集団に次いで信頼が置ける。
アケメネス朝だとペルシア人戦士に対するメディア人戦士がそれ。
それから、従属的な被支配者の戦士集団を加える。
これは状況が悪くなるといつ裏切ったり逃亡したりするかわからない存在。
さらに、見返りで雇う傭兵が加わってくる。
これは特殊技能を見込んでわざわざスカウトしてくるわけですね。
アケメネス朝に雇われたギリシア人傭兵は、密集陣形をなかなか崩さないファランクスを、
騎兵集団の女房役として見込まれたわけです。
古代地中海世界のバレアレス諸島の投石部隊とか、中世ヨーロッパのジェノバのクロスボウ部隊なんかもそう。
こういう傭兵は特殊技能の価値を次のチャンスに売り込めなくなるから、意外に裏切らない。
かなり状況がやばくなるまでがんばるわけです。
イラン・アーリア人の征服者がセム系民族などを農奴化した?
433 :
世界@名無史さん:2008/07/20(日) 23:34:46 0
農奴かどうかはどうだろう?
以下は具体的な資料を持たないので憶測となりますが、
メソポタミアとかイラン高原は水利システムの関係で農業生産が期待できる土地が比較的限られますよね。
すると、人別支配をして農奴化しなくても、農地単位ごとに徴税権を与えておけば、戦士階級の封建は可能です。
ずっと後世になりますが、オスマン帝国の騎馬戦士身分のスィパーヒーなんかが地域支配をするわけじゃないけど、
徴税権を分与されるという形で封土を得ていましたよね。
既に生産性の高い地域に対して、農奴化なんて生産手段の再編成をするのは、無駄な事この上ない。
435 :
世界@名無史さん:2008/07/23(水) 01:43:20 0
そそ。
ヨーロッパなんて土壌は悪いし、緯度は高いし、おまけにおまけに曇りばかりで日照条件も悪いから、
ジャガイモの導入以前の生産性の低さといったら・・・
土地の生産性が低くて人口密度も低く、土地が余っている風土では、土地を押さえてもしょうがないから、
労働力を囲い込んで農奴化をするわけですね。
日本でも律令制では人別支配をやったけど、
平安中期以降は農地を押さえて徴税という方法に切り替わってますね。
>ヨーロッパなんて土壌は悪いし、緯度は高いし、おまけにおまけに曇りばかりで日照条件も悪いから、
>ジャガイモの導入以前の生産性の低さといったら・・・
黒海北岸は肥沃な土地として古代から諸民族の間で争奪しあっていたが。
437 :
世界@名無史さん:2008/07/23(水) 23:58:28 0
>>黒海北岸は肥沃な土地として古代から諸民族の間で争奪しあっていたが。
いやぁ、黒海北岸はヨーロッパ国家の版図になったのはモスクワ大公国の覇権以降でしょ。
あそこはずっと、スキタイとかポロベツ(キプチャク)、ジョチ・ウルスといった遊牧国家の縄張り。
今でいうヨーロッパ・ロシアって結局のところ北方のルーシの版図+ジョチ・ウルスの版図。
西ヨーロッパの農奴制の本場はフランク王国の版図だったところだから、あのあたりは黒海北岸の豊かさとは無縁でしょ。
ボスポロス王国はギリシャ・ローマの穀倉だけど
東地中海中心だわな。
ボスポロス王国はスキタイに従属に近い形の同盟関係にあり、
ダレイオス率いるペルシャ軍が黒海北岸に進撃してきた際にはスキタイ側に協力し
ペルシャ軍に街や港などの設備を使わせないよう撤収した。
440 :
世界@名無史さん:2008/09/18(木) 22:50:39 0
>>431 そこでクセノフォンのような人が出てくる訳ですね
なるほど
441 :
世界@名無史さん:2008/10/21(火) 23:30:28 0
サーサーンもそうだけど
ハカマーニシュみたいに王朝の始祖というよりその先祖の名前が王朝名になるのはなんでなの?
442 :
世界@名無史さん:2008/12/24(水) 23:59:03 0
age
443 :
世界@名無史さん:2009/02/20(金) 02:45:35 0
サトラップってクシャトリアと語源同じ?
444 :
世界@名無史さん:2009/02/24(火) 01:35:33 0
最近の古代イラン史研究の第一人者は誰なの?
445 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 23:52:56 0
ペルセポリスはジャムシードの座とか呼ばれたりするとか
中国やギリシアのもそうだけど、何処まで伝説で何処まで史実なんでしょ?
446 :
世界@名無史さん:2009/05/06(水) 01:08:45 0
3ヶ月に一度しかレスがないとは・・・
ペルシア史なんて廃れてるのね。
447 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 22:47:31 0
ズルワーン神学の後期の形態から西方ミトラ教が生まれ、それが更に発展して
東方ミトラ教(明教)になった。イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々に
イスラムにとって替わられていくが、全てが一夜にしてイスラム化した訳ではない。
12世紀まで東方ミトラ教の本部はバグダッドにあったし、イラン本土では16世紀
までイスラム教徒は60%で、残りはマズダー教徒や東方ミトラ教徒であった。
こういう並存状態の中で、ミトラ神学はイスラム神学の中に移されていった。
それには様々な形態があった。イスラム神学者や神秘主義の師たちがこれらを
学んで、それをイスラムの中に取り入れる場合もあれば、マズダー教徒やミトラ
教徒の集団が「スーフィー教団」と呼ばれるイスラム神秘主義の団体に変わって
いくという場合もあった。
やがて、ミトラ神学を理論的支柱としながら、外面的には「マフディー信仰」という
形態をとっている宗派が形成されていく。それがシーア派とイスマーイール派で
ある。この両派の柱となる理論は「宇宙の中軸」理論と呼ばれているが、これは
ミトラ神学を継承発展させたものである。このイスラムの神学は「東方神智学」
と呼ばれている。
448 :
世界@名無史さん:2009/05/21(木) 10:19:53 0
>>427 オアシスへの出口からひたすらさかのぼってゆくんじゃないの?
449 :
世界@名無史さん:2009/05/21(木) 14:09:05 O
450 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 22:23:37 0
age
451 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 07:24:30 O
ササン朝とグプタ朝って似てますね
ペルセウス座流星群がピークですが(ここ数日OK)、
ペルセウス(座)って、ペルシャと関係あるんですか。
あるという説もあるけど
基本的には無関係のはず
454 :
世界@名無史さん:2009/10/05(月) 12:35:40 0
メディア時代のスレが無いので、ここで質問させてください。
前々から疑問に思っていたのですが、メディアの支配領域は、かなりイラン
東部に食い込んでいますが、あれは何故なのでしょうか?アフガニスタンと
トゥルクメニスタン、イラン南部のホルムズあたりまで含まれていますよね。
メディア族の中心地は現ハマダーンの周辺だったので、上記東方・南部が
支配領域に入った時期や根拠を探しているのですが、なかなか見つかりません。
ご存知の方おられましたら、お教えいただけますと助かります。
バクトリアも支配していたらしい、、、
って何に記載されているのかって話だよね、、
456 :
世界@名無史さん:2010/02/14(日) 01:19:00 0
カヤーニー朝の初期の王たちってさ、実際は小さな辺境地方の酋長だったんだろうな・・・。
末代の酋長グシュタースプがゾロアスターを保護したおかげで、今じゃイランの神話時代の輝かしき諸王になってるけどさw
457 :
世界@名無史さん:2010/06/09(水) 11:09:02 0
age
458 :
世界@名無史さん:2010/06/09(水) 20:39:59 0
まもなく京都大学学術出版会から出版される『西洋古典学事典』には
アカイメネース朝ペルシアの記事がたくさん掲載されているとか。
歴代大王の詳しい系図も、帝室の女たちや宦官、武将、神々に関しても
多くの項目がもうけられているらしい
459 :
世界@名無史さん:2010/06/10(木) 21:05:07 0
>>410 2年越しの遅レスでスマンが・・・。
ダレイオス1世の即位に対する反発する動きがなかったって?
諸民族がこぞって歓迎したって?どこにそんな事実があるんだ?
ダレイオス1世の即位に対して、帝国各地で反乱が起こったって、
当のビーソトゥーン碑文自体に書いてあるじゃないか。
帝国各地で起こった反乱を全て鎮圧したって本人が誇らしげに述べてあるんだが・・。
反乱者リスト
ペルシア人:ガウマータ
ペルシア人:ヴァフヤズダータ
ペルシア人:マルティア
メディア人:フラオルテス
エラム人:アシナ
エラム人:アタマイア
バビロニア人:ニディントゥ・ベール
アサガルティア人:トリタンタエクメス
マルギアナ人フラーダ
アルメニア人:アラカ
スキタイ人:スクンカ
460 :
世界@名無史さん:2010/06/11(金) 15:26:26 0
>>459 410本人です。
間違って書いてすみません。<m(__)m>
確かにダレイオス1世は即位後、帝国各地で反乱に遭っていますね。
2年ぐらいかけて、鎮圧していったんですね。
ただ、少なくとも6人の有力貴族はダレイオスの味方だし、
各地の反乱もダレイオスの王位簒奪への反発というより、
帝国中央政府の混乱に乗じた反乱だったんじゃないでしょうか?
461 :
世界@名無史さん:2010/08/13(金) 00:25:33 0
>>454 メディア王国の支配体制も、いまだにハッキリしない点が多いしね。
アヴェスタには、アーリア人の土地として東部イランが挙げられているから
イラン系の諸民族自体はイラン東部にまで広がっていたらしい。
でも、彼ら全てにメディア人の支配が及んでいたかは定かではない。
462 :
世界@名無史さん:2010/08/13(金) 03:41:09 0
京都大学学術出版会から刊行された『西洋古典学事典』!
あれこそ紛れも無い大傑作です。
一度だまされたと思って買って御覧なさい。
決して後悔しないことウケアイだから。
凡百の小説なんか足許にも及びませんよ。
「二倍、三倍の価格でも決して損じゃ無い」という意見が大半!
アカイメネース朝ペルシアからパルティアー、サーサーン朝ペルシアの滅亡まで
詳しく書いてあるしネ。
463 :
世界@名無史さん:2010/08/13(金) 14:28:09 0
小説なんて作り話だから
そもそも比較できないでしょ
464 :
世界@名無史さん:2010/08/13(金) 14:37:18 0
465 :
世界@名無史さん:2010/08/13(金) 19:18:21 0
>>464 チムール帝国みたいな領土だな
昔ならともかく、おそロシアが台頭してからはこんな領土は無理だぜな
>>459 ダレイオス1世のスキタイ遠征は、何故トラキア方面から北上したのだろうかな?
素直にカフカス方面から北上せずに、ハンニバルも仰天な奇策を強行をしたのは
何故だろうか?
当時カフカス北方のサウロマタイが強大だったので、正面対決を避けたのだろうか?
カフカスとトラキアの東西から同時侵攻すれば、スキタイを捕捉出来たと思われる。
ヴォルガ河とドン河にいたる地は、おそらくペルシャ帝国の領土となったであろう。
467 :
世界@名無史さん:
アケメネス支配時代のメソポタミアの日常語ってアラム語?
それともまだアッカド語使ってたの?