20世紀最大の捏造 ホロコースト 13

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523ブンカーT、U
〔クレマーの日記〕
【1942年9月2日】午前3時に、はじめて外で特別行動(Sonderaktion)に立ち会う。
これと比べれば、ダンテの地獄も喜劇のようなものだ。アウシュヴィッツが絶滅
収容所(das Lager der Vernichtung)と呼ばれるのはもっともだ。
【1942年9月5日】正午に、女性収容所からの(囚人を)対象とした特別行動に立ち
会う。「回教徒たち」(Muselmaenner)。これまでで一番ひどいものだった。軍医の
ティロ親衛隊曹長が、私たちは世界の肛門(anus mundi)にいるのだ、と言ったが、
それは正しい。晩になって、8時頃、オランダ人向けの特別行動に立ち会う。
みながこうした活動に参加したがるのは、そのときに受け取る特別報酬のためだ。
つまり、アルコール5分の1リットル、タバコ5本、ソーセージとパン100グラムの
ためだ。今日と明日(日曜日)勤務だ。
【1942年10月12日】2度目のチフスの予防接種を受ける。そのあと夕方にひどい
全身反応(熱)。それでも夜には、さらなるオランダからの特別行動に立ち会う
(1600人)。最新のブンカーのまえ(vor dem letzten Bunker)での戦慄すべき光景!
これは10回目の特別行動だった。