【いつか】こんな死に方は嫌だ!!【来る道】

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76世界@名無史さん:04/09/13 23:27:14
鎌倉に幕府を開き、武威高揚ためと己の歳も考えず早掛け→落馬→死
77世界@名無史さん:04/09/14 15:36:52
こんな死に方はいやだ、ケンさん・・・・

http://ime.nu/www7.big.or.jp/~sosan/hokuto/butaoarusan.html
78世界@名無史さん:04/09/14 19:08:57
>>76
鎌倉幕府開いた人は、橋の落成式の帰りに落馬したんじゃなかったっけ?
79世界@名無史さん:04/09/15 00:26:00
>>78
その人、愛人と交わってる最中に後ろから奥さんに刀で背中を
斬られてそれがもとで死んだって聞いたんだけど…ネタだよね?
80山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/15 00:46:53
近世の随筆に似た話が出ていましたね。勿論俗説ですが。
美男の畠山重忠と妻(当時はまだ「政子」とは呼ばれていない)の密通を頼朝
が疑い、重忠のふりをして夜ばいをかけたところ、怒った政子に薙刀で切り
殺されたと。
寝所(塗籠ではなさそうですが)に薙刀というのは不自然な気もしますが。
頼朝は年末に落馬し、出家後正月十三日に亡くなっています。
81山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/15 00:48:54
>怒った政子
いかん、当時はまだ政子じゃないと言っておきながら・・・。
8279:04/09/15 22:07:55
山野さん、どうもありがとうございます。
やはり俗説でしたか。もし史実なら御台所もタダでは
すまないですよね。

嫌な死に方…光緒帝かな。いつ殺されるともわからずビクビクしながら
      監禁され続けて死ぬのは精神的に辛い。
83山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/16 00:35:04
清朝で思い出しましたが、雍正帝の周囲の人間も嫌です。
付き合いのあった武芸者を(暗殺を防ぐ為)まとめて毒殺したとか、兄弟を
殺したとか、その現場を偶然物陰から見ていた人間が死を賜ったとか、不
正を働いた官吏が殺されて皮を太鼓に張られたとか・・・。
84世界@名無史さん:04/09/16 00:47:53
明の時代、捕らえられた倭寇が皮を剥がれ、それで太鼓が作られた。
しかし人間の皮は牛革にくらべてキメが粗いので、響きは良くなかったという。
85 :04/09/16 21:30:58
戦場に言って十分以内に死亡。
これが一番怖い、こんな人生に何の意味があるのだろうか?
せめてちゃんと戦って戦死したい。
86山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/16 22:28:07
>85
1552年に成立した『雑兵物語』の作者は中流貴族であった様ですが、戦場
から帰った武士から聞いたとして、以下の様な話を記しています。
「日が暮れて陣に戻ると、まず最初に『ああ、今日も何とか生き延びる事が出来た』
と思い、落ち着いてそれが収まると、今度は故郷や家族の事が思い出されて来る
のだが、そんな状態でも夜討の警戒をせねばならず、毎晩寝ても覚めても落ち着
いた状態ではいられない。
戦場で敵と顔が合うと、己と同じような境遇だと思い、なかなか討てない。」
当時戦場で圧倒的に多かったのは矢・鉄砲による死者であった様です。そうで無
くても、無我夢中で無ければ人一人殺すのは難しいのでしょう。
中には戦争屋もいたでしょうが、おそらく世界中の何処でも大半の兵の心情はこ
んなものでは無かったかと。
87世界@名無史さん:04/09/16 22:40:47

                          ∧∧
                          (  _)
             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_,   )
            /             \  `
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             ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| ̄

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88山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/16 22:40:58
『雑兵物語』ではなく、『塵塚物語』でした。
89世界@名無史さん:04/09/17 00:38:13
>85
第一次世界大戦のソンムとかまさにそんな感じでしたっけ。

でも死ねりゃあまだいい方で、両手と両足と目と鼻と耳と顎が吹っ飛んで、
それでなおかつその後10年近くを生き延びた人が実在するそうで…。
その場に将校がいたならば所謂「将校の義務」を果たしてやったんでしょうけれど、
運悪く彼自身が将校だったそうで。
90世界@名無史さん:04/09/17 20:22:43
>>89
軍板で見た話だと初日に一個連隊が一分で全滅したらしい。
91世界@名無史さん:04/09/17 23:03:22
>90
い、一分…ピケットが名将に思えるくらいひでえな。
9290:04/09/23 15:36:37
>>91
これね
連隊じゃなくて大隊だった。

65 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/22 01:06 ID:???
1916年その後4ヶ月続くことになる第一次ソンム戦の初日である7月1日
イギリス軍第10ウエスト・ヨーク歩兵大隊は


進軍から一分以内で事実上全滅した。
67 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/22 01:16 ID:???
>>65
何があったんだ・・・?

68 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/22 01:32 ID:???
>>67
みんなで機関銃座の前に出てったんじゃないの。

69 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/02/22 01:39 ID:???
やってたなあ。映像の世紀で、第一次大戦で強力な
火器の出現、戦車の登場、塹壕線。
戦争でおかしくなった人の映像がショッキングだった。
93世界@名無史さん:04/10/24 15:56:59
age
94世界@名無史さん:04/11/28 14:25:32
age
95世界@名無史さん:04/11/28 21:26:00
>両手と両足と目と鼻と耳と顎が吹っ飛んで
メタリカの"One"を思い出してしまったではないか・・・
 
96世界@名無史さん:04/12/26 09:53:02
age
97世界@名無史さん:05/01/09 01:01:57
歩いて突撃っていつまでやってたんだ。
98世界@名無史さん:05/01/09 01:35:52
>95
>89の実話とアイルランド民謡Johnny I Hardly Knew Yeを元にして小説「ジョニーは戦場に行った」
が書かれ、その映画版からインスパイアされてメタリカが”One”を作曲しプロモ映像を作ったという
流れなので貴方の連想は正しい。
99世界@名無史さん:05/01/26 22:35:16 0
age
100世界@名無史さん:05/01/26 23:30:50 0
       ,;r''"~ ̄^'ヽ,
      ./       ;ヽ 
      l  _,,,,,,,,_,;;;;i  <いいぞベイベー!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l   一列横隊で突撃してくるのは普通の兵隊だ!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i |   機関銃座に突撃してくるのはよく訓練された兵隊だ!
     ,r''i ヽ, '~rーj`c=/   ホント 戦争は地獄だぜ!フゥハハハーハァー!!
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/:: `ヽ  
  /     ゙ヽ   ̄、:::::  ゙l,   
 |;/"⌒ヽ,  \  ヽ:   _l_        ri                   ri
 l l    ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| |                   / |      ,  ''"´"''': ; . ,
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101世界@名無史さん:05/01/28 10:41:18 0
第一次大戦末期の西部戦線でインフルエンザにかかって肺炎で死亡。

スペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザ)で死ぬってのは嫌かも。
膨大な死者の一人としてあっさり忘れ去られていく…

山ほど(数千万人単位で)死んでいるのに、今や事件自体を誰も覚えていないという。
102世界@名無史さん:05/01/29 20:49:00 0
>>101
それ言ったら、今回のスマトラ沖大地震&津波で亡くなった10万人以上の人たちも…。
103アクィラ ◆0fUIPC892c :05/02/26 01:31:38 0
保守がてらw

>>101
中立国スペイン以外では、
死亡者数すら伏せられていたという罠

お陰で、有り難くない名称を得たスペインこそ、
良い迷惑というモノですね。

日本でも流行したのですが、
前後して関東大震災があるので、
やはり印象が薄い気がします。
104山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/26 11:58:57 0
>お陰で、有り難くない名称を得たスペインこそ、
まあ、梅毒は日本も含めて大抵隣国の名で呼ばれたそうですし(w
>前後して関東大震災があるので、
歴史ではなく、思い出話としてなら結構印象に強い気もします。
105世界@名無史さん:05/03/01 03:29:38 0
ありきたりかもしれないが、
やはりナチスに虐殺されたユダヤ人のような死に方は
したくない。
自分の入る墓穴を掘り、
死んでからも「商品」扱いされるような死に方は。
106世界@名無史さん:05/03/01 11:27:26 0
おれのひいじいさんはスペイン風邪で死んだってさ。
ばあさんの兄弟は全員他家へ養子へ。
おかげで名字聞いただけじゃまるで親戚関係がわからない。
というふうに、思い出話としてはまだ生きてるね。
107世界@名無史さん:05/03/01 14:55:41 0
>>65
「ペスト流行記」の投げ込みには驚きませんでしたが、ペストの終息後、2年かそこらで
投げ込み用緊急墓地が国王の寵臣の屋敷用に下げ渡されて、遺骨が掘り出されて深い穴に
改装された、しかも、まだ完全に白骨化してなくて筋やら髪やら残っていた、という
記述にはビビリました。
108世界@名無史さん:05/03/01 15:10:46 0
>>103
舞台のいろはから教えていただいた先生にそむいてまでも縋った人に先立たれ、
どう思っても生きてゆけません。申し上げにくいことですが、何卒私の死体は
あの方の墓へ埋めるようお取り計らい願います

坪内逍遥宛の遺書より 松井須磨子(1919/01/05)

1918年11月5日に島村抱月がスペイン風邪で急逝すると、須磨子は翌年
1月5日、芸術倶楽部の舞台裏で縊死し、その後を追った。満32歳。


109あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 16:12:51 0
中学生の時に同居してた祖母から聞いた話
「ドイツと戦争してた(WWT)ころと思うけどペストが日本でも流行りだしたので、
お上も鼠を捕って交番に届けたら何銭とかくれたりしてたよ。学校でも子供に
教えてたりしたようだ。それからペストは怖いもんだということを芝居にしたり
唄で宣伝したりした」ここで祖母はその唄を節を付けて歌ってくれました。文句は
♪はやりーやまいは おおけれどー よにおそろしきーぺすとーびょう♪
この後の文句も聞いたんだけど忘れました。
ついでに対独戦に勝ったときの唄も歌ってくれました。
♪にっぽんかった にっぽんかった どいつまけたー こーしゅわんとられてなさけない♪
このフレーズを何度も繰り返すらしい。「こーしゅわん」が膠州湾であることは言わなくても
お判りと思います。
110世界@名無史さん:05/03/01 20:28:55 0
明治初期にもペストが上陸したことがあって、猫を飼ううちが増えたそうです。
漱石の「吾輩は猫である」の中でも、友達猫が「鼠を取ったら人間が上前はねて
交番に持っていった」と怒っていたような。
111世界@名無史さん:05/03/01 22:39:52 O
動物に食い殺されるのが一番嫌かな
112山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/03/01 22:58:59 0
平城天皇の皇子、高岳親王とか。正史では天竺へ向われる途中、流砂に飲み込
まれたという事になっていますが、場所は羅越国=マレー半島orラオスだか
ら、これもおかしな話です。
虎に食われたという説話の方がしっくり来ますね。
113山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/03/01 23:38:39 0
病と言えば、藤原道長は晩年、白内障・糖尿病・下痢に悩まされながら、病
平癒の祈祷を断って、念仏を唱えながら一生を終えています。
平清盛、豊臣秀吉も酷い死に方。秀吉と同じ年に、フェリぺ2世も病死して
いますが、こちらも楽では無かった様ですね。
114世界@名無史さん:2005/04/10(日) 01:48:24 0
ヘロデはチンポが腐る奇病で死んだらしいな。
自殺をはかるほどの苦痛だったそうだ。
115世界@名無史さん:2005/04/10(日) 02:06:34 0
医術の発達した現在において、【憤死】がなくなったことは遺憾。

脳梗塞なんて無味乾燥で面白みのない表現はいやだ。
116山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/04/10(日) 02:09:19 0
保元の乱の勝者、藤原忠通。
敗者となった弟頼長は流れ矢に当たって野垂れ死にをし、死後墓をあ
ばかれてさえいますが、彼の死に方も、ある意味悲惨なものでした。
彼は女性関係には恵まれず、北の方宗子や、愛妾加賀には早くに先立
たれ、その後は五条という女房を寵愛し、子供も儲けていました。
出家して円観と名乗ってからも、思いは変わらなかった様です。
ところがある日、五条は兄(異母兄弟?)源経光と情交。
その様子に気付いた雑仕女早百合葉の通報でかけつけた円観の目に飛
びこんで来た時にも、それは継続されていました。
彼はただちに経光を屋敷から追い出しましたが、その後も五条に恋焦
がれ、それでも会う事は出来ずに、消沈して二月足らずで亡くなった
のでした。悲惨の一言に尽きます。
117世界@名無史さん:2005/04/10(日) 02:29:31 0
>>115
そうか。憤死ってつまり脳梗塞のことか。
118世界@名無史さん:2005/04/10(日) 02:50:20 0
怒りすぎて血圧が上がり血管が切れること。
脳とは限らない。

日本ではポックリ病
119世界@名無史さん:2005/05/01(日) 02:49:29 0
そういや鬱火病で落命したという話を聞かないな。
あ、むしろ未然に回避するための健全な生体防衛反応ってことか。
120世界@名無史さん:2005/05/01(日) 03:03:32 0
      ⊂⊃       金保よ、あなたはよく頑張りました  。        ○
     /ノノノ人ヽ      ゜    。  ゜          o  。 o      o
   .へ从o‘∀‘o从☆ . さあ、いっしょに行きましょう
 彡〜┌斤Y斤⊃ /   ゚ ゚ .。.:*・゜☆.。 。     ゜     ゚     ○
    / / .| | ヽ             ゜               。
   └- レレ ─ゝ 。     ゜     ゚     ○
                ゜     ゜    。  ゜   どこに行くニダ?      o 。     ゜
                    ∧_∧                     ゚     ○
゜     ゚゜    ○  ○   ⊂<´д`⊂⌒ヽつ  ウリはチョパーリといっしょにいたいニダ・・・

それはできません  。             ゚     o      ○     o  ゚
    ゜    o   ゜            。   ○
あなたは檀君のもとに召されるのですよ゜ ○             o       o   ゜    。
 o ゜         ○    ゜          ゜             o
   o 。     ゜゚  ゚ .    o      ○o  そうニダね・・・

゚     o   ゜゚  ゚    ○     o  ゚o 。  ウリがいなくても、チョパーリなら大丈夫ニダね ・・・

121世界@名無史さん:2005/05/01(日) 04:01:55 0
怨死(うらみじに)もある。十訓抄によると藤原誠信は弟に昇進を
追い越されたのを七日間怨み続けて死んだとか。
恋しさのあまりに焦死(こがれじに)なんかもあったりする。
「千愁百病となつて、焦死その数を知らず」井原西鶴『男色大鑑』w
122世界@名無史さん:2005/05/02(月) 14:43:07 0
スイス兵に散々蹴散らされた挙句に体中に傷を受けて真冬の池に嵌って凍死
するなんて い や だ (ブルゴーニュのシャルル突進公)
123世界@名無史さん:2005/06/06(月) 18:40:26 0
age
124世界@名無史さん:2005/07/04(月) 21:25:53 0
age
125世界@名無史さん
ヘラクレイトス
馬糞を体中に塗りたくって道端を転がっていたところ、野良犬に噛みつかれて死亡