ナチスドイツの経済政策を語ろう

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227世界@名無史さん
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ソースは?

開戦直後の9/1に、開戦前に作られたポーランド西部のドイツ系住民のリストをもとに、1万〜1万5000人のドイツ系住民が
拘留状なしで逮捕され、クノトへの徒歩行進を強制された。 ポーランドは彼らを内部かく乱を図る恐れありとみなした
のである。 彼らは40のグループに分けられ、行進のさなかに行く先々で警官とポーランド人住民が彼らに虐待を加えた
ので、およそ2200人が死亡した。 歩けなくなったものは容赦なく射殺された。 多くの部落で激昂したポーランド人がドイツ系
住民の家に押し入り、放火、暴行を加えた。
その後の、9/3の日曜日の、西プロイセンのブロンベルグ市で、ポーランドはそこのドイツ系住民に対し、違法な武器、
弾薬、秘密放送局を摘発するという口実のもとに、軍隊、警察、そして、一般のポーランド市民が各ドイツ系住民の家に押し入り、
暴行を働いた。 両親が子供たちの目の前で、殺され、多数の婦女子が強姦された。 この日のブロンベルグだけで、
1200〜1500人が犠牲となった。(ブロンベルグの血の日曜日事件) その他の村々でも、多くのドイツ系住民が殺害された。
その数はリストに載っているだけで、3841名、リストに載っていないものも含めると、1万2000人以上のドイツ系住民が
1939.9月に殺害、あるいは拉致や戦闘の過程で殺された。。。

  世界戦争犯罪辞典(文藝春秋刊)
  Peter Aurich, Der Deutsch-Polinische September 1939(Muenchen 1969)
Oskar Heike, Die deutsche Minderheit in Polen bis 1939(Leverkusen,1985)