89 :
世界@名無史さん:04/02/15 18:33
ageましておめでとう(おそすぎ)
「除夜の鐘」というと日本のお寺をイメージすると思いますが、
「ゲームとスポーツ」ウォーカーによると
ロンドンの大晦日の12時には、あらゆる教会の塔や尖塔から鐘の音
が響き渡り、年の暮れを告げるとあり、日本となぜか似ているような
気がいたします。
91 :
世界@名無史さん:04/03/08 08:54
age
ロンドンの大晦日の12時には、あらゆる教会の塔や尖塔から鐘の音が響き渡り、
年の暮れを告げると突然キスキス大会が始まり、日本と似ているようでまったく似ていない気がいたします。
93 :
世界@名無史さん:04/04/16 01:29
age
94 :
世界@名無史さん:04/05/25 12:19
大晦日まで当スレを維持するためage
95 :
世界@名無史さん:04/06/29 23:25
age
96 :
世界@名無史さん:04/08/12 21:49
age
97 :
世界@名無史さん:04/08/31 00:18
age
本日、35歳の誕生日。
99 :
世界@名無史さん:04/09/30 08:45:56
age
100 :
世界@名無史さん:04/09/30 11:21:40
100get
月末です。
102 :
世界@名無史さん:04/12/03 06:40:16
12月です。
103 :
世界@名無史さん:04/12/03 06:50:37
京都駅伝が近づいてくると陸上部の顧問の先生はいつも走り回っていた。
どうせ40位前後をいったりきたりだったのに。
クリスマスとクリスマス・ツリーには本来何の関係もなかった。
クリスマス・ツリーは元は欧州の冬至のお祭り用のもの
105 :
世界@名無史さん:04/12/03 09:11:22
それを言うなら、クリスマスの民間行事のほとんどがキリスト教とは関係ないものばかり。
それまでは樹木崇拝を連想させるとして樹木を飾り立てるような真似は禁止
されていたのが、規制緩和によって実現したのが1600年前後。
エルザス一帯からドイツ・フランスに広まったもので、当初は黄楊や唐檜も
使用されていました。「冬至のお祭り用」かどうかはよく分かりませんが、元
々ゲルマンの習俗に「ユルの祭」という祖霊・オーディンを対象とする祭祀が
存在していたのと習合した面があるのは確かな様で、今でも北欧・ドイツで
は「ユル(祭)の祭」などと呼ばれているとか。
ドイツには17世紀頃までウォーダン・トール・フルーゲに初穂を奉げる習俗
が残存していました。
なお、ツリー普及以前は秣桶が重視されていたそうです。
107 :
世界@名無史さん:04/12/03 17:15:33
12月24日、クリスマス・イブを祝う者ども、
なんで25日に教会へ行かないのだ?
108 :
世界@名無史さん:04/12/06 01:14:14
山野さんマダー
109 :
世界@名無史さん:04/12/06 15:02:12
秣桶=まぐさおけ
このスレ・・・
一年間ただこの時のために保守され続けていたとは・・・
相当暇人だなおまえら
111 :
世界@名無史さん:04/12/06 16:47:51
>相当暇人だなおまえら
べ〜つに・・・・
一ヶ月にいっぺん確認すりゃいいんだから。
で、年末といえば「紅白」。 小野アナファンの俺としては・・・
112 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/06 18:26:51
>>57 恵方のことですが、15世紀半ばの史料に「正月のあきの方」という記述が
ありました。恵方を向いて何かしらの「初め」をしたものです。
そもそも12月25日がキリストの誕生日だなんて根拠はどこにも無いんだぞ
山形県庄内地方では今でも年末に山伏が門付けに来る
出羽三山のお膝元だから。
でも法螺貝がちょっとうるさいのはナイショだ
116 :
世界@名無史さん:04/12/26 12:00:00
さ〜一週間後はお正月だ!おめでてーなーー
117 :
世界@名無史さん:04/12/26 17:51:22
「正月」はなんで正しい月なん?
118 :
世界@名無史さん:04/12/30 23:31:28
そろそろ再活用する時期が到来したのでフジョウシマース
薀蓄シャワーお願いシシマース
119 :
世界@名無史さん:05/01/01 00:44:52
あけおめ
死穢は三十日、産穢は七日、牛馬犬猿鶏の死穢は七日、鶏以外の産穢は三日。
穢れの伝播した乙・丙・丁の穢はややこしいので省略しますが、この間は神
社に参拝する事が出来ません。
また、服喪中であれば、訃報を聞いてから五十日は駄目。
そういう人は、お寺に初詣に行きましょう。
中世には神祇信仰と結びついた顕密仏教諸派は死穢を嫌って葬送に参加せず、
追善のみに参加。日蓮宗・念仏宗・律宗が葬送に参加するという分担あり。
121 :
世界@名無史さん:05/01/01 01:02:23
MAZIKAYO=====−!!!!1
SAKUBAN I EATED SUKIYAKI!!!
食肉の穢れ(少なくとも鹿・猪)については、12世紀の大学者大江匡房が、
「10世紀以前の史料には見えない。おそらく後世の創作であろう。」と述
べていますから、まあ大丈夫でしょう。死穢とは、また違う様ですし。
124 :
世界@名無史さん:05/01/01 13:07:21
さ、正月だ。正月には今年の予想、抱負などの話をしよう。
今年が始まったばかりなのに来年(平成18年=2006年)の話をすると、 鬼 が 笑 う !
今更ながら、ずいぶん前に出た「誕生日」について少々。
山科言継は、「今日は予の誕生日である」と日記に記しており、複数の神社に
代参を行わせた事を記しています。毎年出て来る訳でもなく、さほどの関心
があったとも思えませんが、家内安全を祈願したのでしょう。
織田信長が初めて誕生祝いをしたというのは本当?
信長については知りませんけど、
近世の公家は誕生日祝いをしていたようですね。
藤田覚氏の『幕末の天皇』という本によると、
一条右大臣輝良が自分の誕生日を祝おうとしたところ、
その数日前に将軍家治が亡くなっていたために全国的な服喪が
強いられ、漁猟をはじめ野菜類の市までもが止められてしまい、
誕生日の祝賀(パーティー?)を延期せざるを得なかったとか。
輝良卿の憤懣は当然幕府に向かうわけですが、自分の日記に
幕府への非難を書き連ねるほかにしようもなかったようです。
山科言継は、尾張を訪問して織田信秀の歓待を受け、「織田三郎」についても
記した人物です。「誕生日」自体の記事は、安土の事より遡りますね。
129 :
世界@名無史さん :05/01/02 17:26:10
1872(明治5)年の11月9日に、それまでの太陰暦(旧暦)をやめて太陽暦(新暦)を採用する
という詔書を布告し、西暦を基準にすることになった。
そのため、次の年の元旦を合わせる事になり、12月2日で明治5年は終わり、本来は12月3日
になる翌日が突然明治6年1月1日になった。
その為に1872年(明治5年)の12月3日から12月31日までの29日間は存在しない。
当時財政難だった明治政府は、これを回避するために年末のこの時期に急に太陽暦
の採用を決定したのでした。
さらに、12月も2日しかないということで、この分も給料を支払わないことにすれば、
政府は2か月分の給与を節約できることになります。
http://www.elrosa.com/tisen/70/70257.html
130 :
名無し象は鼻がウナギだ:05/01/05 05:31:42
〉12月31日までの29日間は存在しない。
微妙な言いまわしをしていますよね。
たしかに、明治5年12月31日は日本では存在しなかった。
その点は異論無いのだが。
この構文、まねしてみます。
1900年(明治33年)2月29日から2月31日までの3日間は存在しない。
年末年始とは関係無かった。失礼
131 :
世界@名無史さん:05/01/09 17:10:15
良スレ保守
お誕生日祝いの風習ですが、吉川幸次郎先生に「生まれた日」という
論考がありまして(筑摩書房吉川全集収録)、
以前に読んだうる覚えの記憶だと、確か後漢末の鄭玄(劉備の師匠筋の
儒者)が誕生日を祝って居ますね。清代の学者の日記にも誕生日祝い
の風習が書かれている由。
133 :
世界@名無史さん:05/01/25 21:02:15 0
来年もよろしく
134 :
世界@名無史さん:05/02/17 21:11:20 0
3月に新年が始まる国はどこか。
>>134 春分前後にイランがそうだったはず。他にもあるかな。
といいつつ卯月保守。
136 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/17 00:02:39 0
ノールーズも近づいてきましたので
age
けふから彌生
135にて卯月と書かれたる理由を一箇月考へたが判らぬ
單なる勘違ひか?
138 :
世界@名無史さん:
古傷ぞ疼きけりとおぼゆ